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2022-01-21 36:28

【GMV 539】脳内シミュレーションをやめる

そもそもシミュレーションしない
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日は飛んじゃったんですけれども、小学校は今、結構大変なんですよ。
小学生はほぼノーワクチンなので大変だということもありますが、
その他様々な理由でですね、分散とかいろんなことが、しかも全部トップダウンで従わなければならない面もあるから、日々動くんですよね。日々は動かないけど。
だから、これで思い出したんですけど、よく言う話として、習慣化ってあるじゃないですか。
毎日続けないと、毎日続けると続けやすくなるっていう。
僕はこのグッドモーニングバイブスやってて、別にそんなことはないということが、ある程度は自分で明らかにできてるかなと思うんですね。
これはほぼファイミングし続けてるんですよ。こういうことはできるんですね。
これは習慣の力とか全くないわけじゃないんでしょうけど、ほぼ関係ないんですね。
なんで習慣の力はほぼ関係ないかっていうと、これ難しくないからなんですよ。
アンカーを起動するとか、僕これ編集はもはや一切しない方針なんで、音楽はつけてますけどね。
これを習慣化しなければ手順がわからなくなるとかはないんですよ。
私チェックリストとかもこれについては一切持ってないんですね。
ただ洗面所があるところに来て、今はiPhoneのスタンドを立てて、あとはスタートしてどんどん喋るというだけなんです。
これに習慣の力とかはいらないし、習慣化できてるから今日喋ることも自然と湧き上がってくるとかでは決してないんですね。
考えてるんですよ。喋りながら考えてるんです。
これ難しいんですけど、何が難しいかというと説明が難しいんですが、
喋りながら考えてはいるんだけど、何かを考えてる自覚はないんですよ。
考えてるなってことは後から気づくんです。
これって夫婦の会話がやっぱり近いなと。親しい人の会話も同じですよね。
話し聞きながら聞いてるわけだから何も考えてないって言ったら嘘になると思うんですよ。
言葉を聞いてるわけだから。
次にこれを喋ろうとかは決して思ってないんですよ。
そんなことを思う必要はないと思うんですね。
喋りたいことってそのくらいの関係になってくると出てくると思うんです。
大橋さんと喋っているときも同じで、大橋さんと喋っているときにはどちらかというとこうですね。
まだ彼が喋っていない状態だったり、
どちらかというとまだ彼が喋っていたいという感じだから、
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自分は黙って言うくらいな抑制がいるくらいで、
喋れって言われれば相当長々と喋ってられる感じがするんですよ。
その場合、彼が喋ってきたことについて次はこういうことを喋ろうとかっていう脳内シミュレーションっていうのかな。
一切いらないんですよ。
なのになぜ僕らはセミナーをやるだろう、人前に立つだろうってなった途端に、
いきなりこれを始めちゃうのかということをもっと考えたらいいと思うんですよね。
絶対なんとかプレゼントか社内プレゼントか言うときには、
これを一切このやり方をやめて国会答弁みたいにしないといけないとみんな信じてるんですよ。
事前に質問をもらって、それへの答えも用意しておいて、そして喋ると。
できればそのメモを用意しておきながら、さも読んでないかのように喋れることに。
なんでああいう茶番みたいなことが世の中では最も正しい仕事の仕方としてわかり通るのかが不思議なんですけどね。
あれ明らかにおかしいと思うんですよ。
長橋のように見えるお芝居をみんなで見るのが正しい仕事のあり方っていうのって、
子供が聞いても納得されそうな気がしないじゃないですか。
やむを得ずそうするっていうのならわかるんだけど、
そうすることが最も価値が高いっていうんですか。
しかもその原稿は人に実は書いてもらってる。
だから聞かなきゃなんなくなるわけですよ。
自分が詳しくない分野だと。
国会中継とかを見ていても、めちゃくちゃ聞いてますよね。
後ろに立っている人とか、後ろにいる人とか。
つまりこれはどこをどう抑揚つけるかを、
政治家は知らずに喋らなければならないケースが絶対あると思うんですよ。
質問してる方はまだいいんでしょうけども、
聞いてる人に聞いてる人に聞いてる人に聞いてる人に聞いてる人に聞いてる人に、
答える方はどう答えるかは当然決まってるんだろうけれども、
それでも棒読みっていうわけにはいかない、
いかなくもないんだろうけど、できれば避けたいっていうのがあって、
ああなるんだと思うんですよ。
でも国会はしょうがないとして、
僕らがこれをしなきゃいけない理由は何にもないような気がするんですね。
これを大橋さんとか夫婦とやってたら、
ぜんぜん大きな問題になると思うんですよ。
これを大橋さんとか夫婦とやってたら、
絶対変ですよね。
事前に今日はこういうことを雑談で喋るので、
紙を渡しておく、それへの答えも誰かに書いてもらって、
僕はそれを喋るっていう、病気になりそうなやり方だなと思うんですよ。
でもこれが公的な世界では絶対やらなきゃいけなくなってるんですよね。
大変違和感があるというか、
できれば一番やりたくないような気がするんです。
僕だからグッドモーニングワイブスは、
それをやるくらいならもうやめますよ。
別に仕事とか本を出すのに直結してるとかじゃないんで。
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その本が出ておりまして、
倉園圭三さんのグッドワイブス攻撃のないコミュニケーションに、
このことは必ずしもそれほど前面に書かれてるわけじゃないんですが、
はっきりとさらっと書かれていて、
つまりこれからどう返すかを計画しないようにしましょうっていう趣旨のことがあるんですね。
これをやるのは普段の会話は実に簡単なはずなんですが、
意外とこれを読んだ感想の中にですね、
そうか、返しを考えなければいいんだっていう人がいらっしゃって、
やっぱり返しってそんなにみんな考えてるんだなということを、
久しぶりに思い出したといいますか、
そういうことを考えさせられました。
コミュニケーションハックっていう本があるんですよ。
しかも多分同じようなタイトルの本が何冊かあるんですよ。
コミュニケーションハックっていうのはすでにライフハックの限界を少し提示してる感じがするんですね。
ライフハックって外して仕掛けや工夫じゃないですか。
コミュニケーションをスムーズに生かせるための仕掛けや工夫を事前にしておくということは、
コミュニケーションに対してその人は強い苦手意識があるわけですよね。
そういうことはコミュニケーションハックという本の前書きあたりに書いてあるんですけど、
ある意味前提みたいになっちゃってるんですよ、そういう本の中では。
人間関係って嫌だし、会話ってできれば避けたいですよねみたいな、
みんながみんなそうじゃないことは分かってると思うんですけど、
にじみ出てくるわけですね。
それがにじみ出てくるということは、読者はもうコミュニケーションは苦手だということが、
他人とはできれば関わりたくないということが前提にあるわけですよね。
前提にあるにも関わらずコミュニケーションはしなきゃいけないと。
だから例えばですけど、さっきみたいなこのように言われたらどうすればいいんだろうというハックになりやすいんですよ。
考えてみるとこれは大変奇妙な話です。
これがデートハックとかになってくるとその奇妙さは一層明らかになると思う。
嫌ならやらなきゃいいわけじゃないですか。
そこまで辛いデートで、いつ手を繋げばいいか悩んで気分が悪くなるくらいならやめればいいと思うんですよね。
でもどうしてもしなければいけないという事情があって、やむを得ずハックすると。
ラインハックの一つの限界というのは、どうしてもしなければいけなくてやっているのか、
やりたくなくてやっているのか、どっちなのかということですよね。
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やりたくなくはないんだけど、必要だからすることを効率的にやるというのはまだだいぶマシだと思うんですよ。
ここをハックするというのはそんなに無理はないから成り立つと思うんですね。
例えばエヴァノート使うとかですよ。
ああいう部分は使わないと困ったことになるということと、使うのが嫌いなわけじゃないということがあればですね、
これに関するラインハックとかは自然に成り立つと思うんですね。
でも人と会話をしなければ本当にいけないのかということと、
かつそれはぜひやりたくないと思っているという話をハックし始めると奇妙なことになるんですよね。
相手あってのことなので、エヴァノートとかは相手はこっちがどう思っていると別にどうでもいいわけですよ。
エヴァノート好きでも嫌いでも機械だから。
だけど人はそうじゃないじゃないですか。
このように言われたらこう返そうと思っていると。
例えばそれがプレゼンだったとしてもですね、できれば質問されたくないなと思っていたらやっぱり奇妙なことになると思うんですよね。
それをのどみなく言い返したいと。
でも相手のことは好きではないし、質問されるのも非常に嫌悪感があるみたいなので、話として妙だんですよ。
だから攻撃のないコミュニケーションというタイトルなんですね。
攻撃のないコミュニケーションということはコミュニケーションなんだけど、ライフハックでそこを乗り切りたいというのはある意味攻撃し合うコミュニケーションで死なないようにしようという話になっちゃってるわけですね。
で、なっちゃわなくてもいいはずですよね。
だからそれを考えていけば、それを押し進めていけばですね、脳内シミュレーションをしなくていいと。
これがですね、しなくていいんだけれども、しないと怖いわけですよね。
これが私がゴリゴさんとの対談で、タイトルが出てこなくなるんですよね。
笹木さんなんだっけ、記録って何の役に立つんですかですね。
この本の中で対談中も結構問いただされたんですが、つまりセミナーの準備をせずにセミナーをできるのは慣れきってるからではないのかっていう話だったんですね。
で、ある程度そういうことは言えるわけですよ。
なぜならば、慣れてないと怖さが抜けなくなっちゃうからであって、慣れてないと話せないからでは本当はないんですけど、そういうことはある程度言えるんですが、
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たまたまその事前準備というものをする意味はほぼないんだということを知ったのは、アップルストアで喋った時なんですね。
特に福岡かな、アップルストアで喋った時にすごい人が何故か集まってきちゃって、
アップルストアにそんなに大きなところではなくて、今みたいに別にコロナとかじゃないんで、密になっても全然いいわけで、めちゃめちゃ密になってきたんですよ。
びっくりして、すごい恐ろしくなったんですね。
今思えば何で恐ろしくならなければならないのかがあれなんですけど、いわゆる頭の中が白くなったんですよ。
白くなったんだけれども、その時にどんな質問にも淀みなく答えている自分がいたんですよ。
2000何年くらいかな、震災前であることは確かだと思うんですけれども、後でやったとしても直後くらい。
直後でああいうことできたかな、とにかくそういう時期だったんですよ。
iPhone情報整理室というだいぶ昔の本を出した、ヨハなんですけどね、あれは。
その時にわかったんですよ。事前準備っていらないんだなっていう。
理由はよくわからないんだけど自分は答えられるんだと。
それは慣れたからとかではないんですよ。
慣れで落ち着いているからであれば、あの時ほど落ち着いていなかったことはついそうなかったんですよ、セミナーで。
セミナーじゃないから、あれは。
やっぱり場所は違うし、土地も違うし、条件も違う。
普通に貸し会議室に来て、人を集めて、有料の人の前で、しかもあんまり私は他人数の前じゃなかったから、
準備して喋っているというシチュエーションとは全く違う状態で喋ってたんですね。
あの時に知ったんですよ。なんだかよくわからんが自分は喋れると。
それは緊張していないからとかではない。
緊張していないからとかではない。準備しているからとかでもない。緊張を一番した時でしたからね。
緊張しまくって人はやたらいたし、準備ももうこれほどの人がどんどん来るという想定をしてなかったから、
しかもアップルストアなんで質問飛ぶとも思ってなかった。
っていうか質問なんか飛ばないはずの空間だったんですよ。
でもガンガン質問されて、なんかそういう雰囲気になっちゃったんですね。
全然何も動揺せずに答えられていたんですよ。
知らないような話もいろいろあったりも。
そもそも知ってるか知らないかという知識だけのことは問われないんですね。やっぱり。
そういうことがあって以来、準備というものを非常にやらなくなっていったんですよね。
何て言うんだろう。準備というものがいざとなった時に、
というか助けてくれる部分というのは、えらく本質的でないなと思ったんですよ、その時。
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みんな私の話で聞きたいのは、こういうことであって、こういうことってどういうことかというのが説明しがたいんだけども、
その時私が考えている考えであって、知識なんかじゃないんだと思ったんですよ。
私がどこかから読んだ知識をその人が読む代わりに質問に対して、その場で記憶から探り出して答えても何にも嬉しくないじゃないですか。
私、人の話聞きに行ってそれをやられたら絶え難いと思いますもん。
だからそういうことはあり得ないわけで、結局事前に練っておいちゃダメなんだということなんですね。
事前に練った話を聞きたくはないんですよ、別に。
で、なぜそういう聞きたくもないことをお互いにやるかといえば、それがしばしば攻撃であるか、あるいは少なくともその場は嫌な場で乗り切らなきゃいけないと思っているからなんですね。
だから、その場が嫌な場だと思わなければ、私だんだんその答えているうちに全くそうは感じなくなったんですよ。
そうするとリラックスできるんですけれども、要するにそこにいる人たちと喋るのは一刻も早く切り上げたいなと思わなければいいんですね。
で、その後もずっと僕は結局そうでしたけれども、人間関係というのに苦手意識があると人と話していると疲れちゃうんですよ。
で、帰ってきたり、その場合はホテルに引き上げるとすごくホッとする一人になるというのが、このGOOD VIBESでなくなったんですね。
もともとそういう経験を減るようになってからだんだん薄くはなってきたんだけど、セミナーはほぼ緊張しなくなったんですね、その後は。
で、なったんですけども、今一番やっぱり違うのは脳内シミュレーションというものを以前は通常はしてませんでした。
通常はしてませんでしたけど、奥さんとのやっぱりやり取りに攻撃が入ってくると脳内シミュレーションしちゃうんですよ。
こう言われたらこう言い返そうってやつをやっちゃってたんですよ。
これをGOOD VIBES以来、攻撃のないコミュニケーションを読んでからではなく、知ってから明らかにこれはやめようと思ったんですね。
どう考えてもこれはダメな話なので、恐れと不安そのものなんで、っていうかなんて言うんですかね、このイリュージョンですね。
そう、イリュージョンを要するんですよ。相手がこう攻めてきたらっていう段階ですでにイリュージョンなんですよ。
そしたらこういう風に返そうっていうのももちろんイリュージョンで、怒ってないことばっかりですから。
これがですね、恐れがあろうとなかろうとイリュージョンですよね。
だからこれをやればうまくいくという考え方そのものが妄想なんですよ、イリュージョンだから。
妄想に基づいたやり取りがうまくいくという想定をしておけばうまくいくっていうのは、僕は全然根拠がないと思います。
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そういう事実自体がないはずだから、だから私は事前に書くことをアウトラインで書いておくとか、
アウトラインであろうとなかろうと関係なく事前にあらかじめ書くべきことを頭で考えておくということ自体がダメだと思うんですね。
これは掛け上げ塾のやってることですけど、ノープランライティングですけど、同じことでノープランコミュニケーションなんです。
でないと結局それはまず妄想をすることがコミュニケーションハックだみたいな話に。
コミュニケーションハックというのはよく読んでみると、よく考えてみると全部そうなっちゃうんですよね。
コミュニケーションをこれからした時に起こるであろう失敗を未然に防ぐための方法論になりやすいんですよ。
苦手であることが前提になってるから。
で、どっちにしてもそうなるじゃないですか。
例えば相手の話が長い場合の打ち切り方とか、それは長い話が発生するってことを前提にしてますよね。
そういうことを一切考えないってことなんです。
で、考えないと不安なんだって話が、なんて言うんですかね。
蝕かえされるんですけれども、不安だから考えちゃダメなんですよ。
不安を考えれば防げると思うから不安になるんです。
これはもう脅迫神経症みたいなものであって、万が一にもとかって言い出すと、
例のこの番組ではだいぶ前に何度かお話しした、平気で嘘をつく人たちの話に舞い戻っていくわけです。
これに対する観論とか根拠は意味をなさないんですね。
その人が持ってる不安が、そこに雑菌という形で心の中に浮かんでいくわけです。
つまり、不安になってしまうと、その人にとっては不安かもしれないと考えられるんです。
たとえそうなのかもしれないと、この話をしている人に、
持ってる不安がそこに雑菌という形で心の中にリアリティを持って夢を見させる力を持ち始めたってことが全ての原因ですから
それをしておかないと不安だというその発想の中にすでにそれがあるわけですよ だからやっぱり
事前に考えておこうというふうに考えているという段階ですでに コミュニケーションをしようとはしてないんですね
このことをその 読んで感想をくださった方が訴えていたんですね
自分はコミュニケーションをしたくなかったと そうなんですけどね
だから相手の話を全く聞いてないんだと 事前にコミュニケーションの質問をもらってそれに対する答えを出したいということは
相手の事情とか相手の気持ちとかを考慮したくないということなんですよ その人は先生だったから相手と言ってるのは生徒さん学生さんなんですけど
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学生さんおよび親御さんで何かトラブルがありましたと 人はそういう時にどうしてもやっちゃいますよね事前に
その親から来そうなクレームをすべてあげておいて それに対する答えを用意しておかないと大変なことになる
だけどそれをやってるから相手の話に全く興味が湧かなくなっていく つまり相手が最も言ってほしくないことを言った場合の対処法を考えて
安心したいということなので 少しも相手の話を聞きたいと思ってない自分がそこにいたと
ということが分かってこの本は大変実用的でした という話だったんですよ
倉園さんの本ですね 攻撃のないコミュニケーション 結局それを考える限り攻撃の応酬がやめられないんですね
相手の話を聞かないんです そのこと相手には必ず伝わるんですよ 自分の話聞いてないと
自分の質問に対する答えを考えてばっかりいるってことは伝わるんですよ しかもその答えに対する考え
質問に対する答えというのは質問に対する答えにもなってなくて 質問を封じるための言い分なんですよ
だからそういうの必ず伝わるんですよね 相手に対して攻撃であるということが伝わると
倉園さんここで攻撃とコミュニケーションを分けているんで 攻撃はコミュニケーションじゃないですっていう話になってるんで
結局自分はコミュニケーションしてたわけではないっていう話になっているんですね
これは
うちの子がですねこの本を何週か読んで これは子供に一番必要な本だと言ってたんだけど
子供だとこの本ではわからないんじゃないんだろうかっていうふうに僕は思って言ったんですが
そういうふうに言ったわけじゃないですけどうちの娘が言ったことはですね 子供ってのは
攻撃にさらさりがちだとこれはですね それはそれで一つの見方だなと思うんだけど
大人だってそうでないとも言い難いような気もするんですが 確かに先生とか親もそうだと思うんですけど子供に対して遠慮がないので
どうしてもコミュニケーションのような顔をした攻撃が多いのかもしれないですよね その時にうちの子が考えたのは結局
コミュニケーションというものが 攻撃というのはコミュニケーションじゃないということがわかっていれば
落ち着いてもっと対処できると そういうことが言いたかったみたいなんです
子供の方がその攻撃にさらされる率は高いのだから この本は子供のための本だとそういうことになるんですけど
子供のための本じゃないのは明らかなんだけど だいたい読んでわかるようにはわからないと思うんですよね
24:00
なかなかわかる子はいますよ うちの子だけでは絶対ないです
例えばうちの子が行ってる塾の中でもうちの子は国語を含めてもトップではないですから これよりわかる子っているんですよ
いるんだけどわからん子の方が多いだろうというのは確かなんですよ だからもうちょっとやっぱり
違うものなんだろうなとは思うんだけど 確かに子供向けのコミュニケーションの本ってないですよね
これは結局子供ってのが大人社会というものが子供に対しては
ためになる話を聞かせておけばいいと思っているところが強すぎるからなんだと思うんですよ
子供がグッドバイブスいいじゃないですけれども うちの塾なんかではそうなんですが
PDCAみたいなのが盛んに用意されて うちの子飲んないですけど
どっちかというと子供の方が食いつきがいいです 頭のいい子が多い生もありますけれども
食いつきがいいですねライフハックみたいなのは 理由は単純で子供向けの本が実用的でないからなんですよ
ああいう実用書に飢えてしまうんですね ためになる本ばっかり読まされるんで
子供にはどうしても大人というのは絵本というものがよくそれを絵本だ
絵本を読む子供の頃であれば喜んで読みますけど 絵本というものがですね
非常にこうなんて言うんだろうか 心を温かくするようになっているわけですよ
それでいいんですけれども 意向対象ですからね絵本は
それでいいんですけれども やっぱりそればっかり与えられていると
なんつうんですかね 実用的に状況を乗り切らない状況では
心を温かくばっかりしているわけにもいかないように 子供心にも思うわけです
頭のいい子だととくく思いますよね 本を書いている人ってみんな頭がいいんですけれども
頭がいいからなのかな 子供には本を沸かしてほしいんですよね
この気持ちはわかるんだけど
なんつうんだろう
グッドバイブスでありたいんですよね その気持ちはよくわかるんですよ
頭が良くて一定の年齢以上まで生きていくと むしろ非常に有益な実用書よりも
本当に必要なのはこっちだと 本当に必要なものを子供に与えたいみたいになる
よくわかるんですけど 本当に必要なものばっかり与えられている側は
そうは必ずしも感じないということですね
なんだっけな
だから実用書の代わりに 全然代わりにならないんだけど
その辺の事情がよくわかっている人が 例えば多分RLスティーブンソンとか
モリス・ルブラとかなんですよ 推理者とか
バーネットもそうですね 秘密の花園の
あの人たちは食うために作家になった 食うために少年少女向きの本を書くようになった
27:01
という公言するくらいなんで 非常に頭が子供が求めているものには
実用的なものが多分ないと 食いつきが悪くなるというのをよく知っているので
あれをやっぱり 出した当初から
ものすごく売れたし今でも読まれると そういうことなんだろうなとつくづく思います
食うためにという意味では あれですね有名な
ブロンテさん姉妹もそうですよね ジェイン・エアーとか本当に
今風ですもんね
天然パーマの子がすごく学校で怒られるとか ああいう風な話をなかなかやっぱり書かないですよね
教育的なのか反教育的なのかわかんないような でも読んでる方は救われた感じがすると思うんですよ
ああいうのってやっぱり実用に近いなっていう感じを 僕は抱くんですよね
嵐がおかなくて 全然子供向けでもなんでもないですよねあの本は
でもあれよくなぜか 岩波少年なんとかになるんですよ
ってことはあれ子供は好きだってことなんですよね あの人たちは
出版業界に30社ぐらいかなあの話私 話が盛大に
飛んでおりますけど あの話私は大変好きで
30社か40社の要するにロンドン中の出版社リストをアップしていって
送ってえっと一定期間が過ぎるかあるいは断られたらそこに行こう 線で消していくというのをやってって出したんですよねそしてどれもだいたい
ベストセラーになったと この話は大変いい話だと僕は思うんですよ本書く人は絶対このことを忘れちゃいけ
ないと思うんですよね あの
まず下手な鉄砲を数打つ必要があるってことですねデビューする時 そして出版社は売れる本が
常に喉から手が出るほど欲しいんだけど世界的な作品が まあちょっとシャーロットとエミリーともう一人の方人はあんま売れなかったけどでも当時は
飛ぶように売れたん あのようなレベルで売れる本が売れるかどうかが必ずしも
見分けられるわけじゃないっていうことだと思うんですよ しょうがないと思うんですよねあれは小説だから特に好き嫌いって出ちゃう
で8何の話をしているのかわかんなかったんですけど要するに 脳内シュミレーションというやつを
やめようという話なんですこれは結局 えっと
出版社に出すとかも昔あの漫画道を読んでた時にそうなんだろうなぁと思ったんですよ 藤子不浄が8出版社に申し込んだ時に
編集者に編集者がタバコ吸いながら 原稿全部窓から捨てるという夢を見る夢を見るんですよ
30:00
夢なんですよこれはそういう人が絶対ないとは思いませんしそういうことがなかった あったとも思うんですけど
関係ないんですよねでもすごく関係があるような気がしちゃうじゃないですか それをされたらもう二度と漫画書くトラウマになってね気持ちになれないですよね
特にあの時代の新人さんとかであれば でもエミリーブロンドてかシャロットブランティはもっと前の人ですからね
とにかくえっと僕らは脳内シュミレーションしちゃうんですよ そういうことがあり得るじゃないかって言うんですよね
まるで脅迫神経症の人みたいですよ
ドアノブに触ったら病気になるかもしれないじゃないかって言うんですよ で絶対そうじゃないとは特に今みたいなご時世であれば言い切れではしないですよね
でもそうやっては僕らは生きてはいないはずなということですね 私はタスクシューターだから
そういうことをやるのがタスクシューターでしょうと言われるとそうじゃないですと 今では言うんですけれども
未来のことあれシュミレートしているわけでは何でもないです これをですねなかなか商業の本では書くことすら実は難しいんだけれどもでもやっぱり
未来のことシュミレーションしているわけではないんですよ やっぱりコミュニケーションハックを久々に読み直してみて
これがどうして僕がこれで 苦手意識というかコミュニケーションが苦手だというのを払拭できなかったのかと
今では誰と話そうとその後疲れるなんてことが全くなくなってこれはもう最初 そういうことを目指してたわけじゃないからグッドバイブスの完全に副産物なんだけど
全然疲れなくなったんですね昔はだから疲れてたんですよ で今だったら
アップルストアで喋ろうと人がいない知らない人300人の前で喋ろうとその後 パーティーがあったとしてもホテルに帰ってあーとかは全く思わないと思うんですね
理由は簡単で事前に何も考えてないからなんです でもう一つは
ではというか事前に何も考えてないということはそこから起こる恐ろしいイメージとか 一切
まあ最近はもうできなくなりつつあります やらなくなったから例えばこれを喋ったとあーってなって
えっとしばらく休まないと何もできないということはないんですよ この直後に
食事の支度をしてその直後に原稿を書くんですよ でこれを言うとなんかこう不思議な感じがするかもしれないんですよね私も最初
クラゾンさんの本読んだ時不思議な感じがしたんです 疲れないとかね疲れるかどうかはあまりこの場合問題じゃないんですねずっと立って
喋ってるだけで口が疲れたのか思うわけではないから 疲れるということは
なんかその苦手なものを乗り越えてるんですよ 苦手なコミュニケーション
攻撃のようなものを乗り越えてるから疲れるのであって 別に攻撃を受けてなくて
33:07
このグッドモーニングバイブスに関することがツイッターで めちゃくちゃ
こんなわけのわからん精神分析知ったかぶってどうって言われたって別に疲れはし ないんですよ本来疲れる理由がないじゃないですかそれによって
だから 幸い書かれてないですけどねこれ面白いなと思う
ブログに比べて pv 数が同数の時の炎上率は ポッドキャストは低い気がします多分
こんな30分もですね人の話を聞いてないからと倍速で聞いても15分かかるわけですよ えっとブログは2000じゃったとしてもまあまあ5分で読み切れるじゃないですか
そして途中カチンとくれば高速で読み進められるんですよ だいたい人間でそういうもんですね
えっとイライラして読むときは早いんですよ読み飛ばしている生もあるんですけどね だからえっと多分文章の方が炎上しやすいんだろうなとは思います
これはテクニカルな話になっちゃうんですけど代わりに フォトキャストの方が拡散率はやっぱり下がりますよねどうしたって聞かなきゃなんないです
そういうことは また置いとくとして
そうだから結局最終的には信頼しましょうという聞き手を信頼しましょうって話になっ 落ち着いちゃうんですけどね
こう思われるかもしれないの項は基本悪いこと で相手が悪く思った場合は
相手の人はもう
例えば堪えてくれたり甘えさせてはくれない つまり信用できないものになっちゃっている
ここを乗り越える必要があるんだろうなという気がします その都度じゃなくて事前
その都度乗り越えようとすると多分疲れるんですよね だからその都度じゃなくて事前に乗り越えておく必要があるんだろうと
だいたい人を 信用しないで喋っているっていうのがそもそも本当はちょっと
おかしなことだと思うんですよね 自分がこれから話す相手が
こう話すとそれも大して悪意があるわけじゃないのに話すと激怒して取り乱して 復讐に走ってくるかもしれないなんて思いながらコミュニケーションするっていうことに
一つの問題があるはずだと思うんですよ でまぁ必ず言われそうなことは私はそうやって酷い目にあったことがあるから気をつける
ようになったんだってことだと思うんですでもこれもよく考えてみると酷い目にあったことが つまり誰か酷いことを言い返してきたり
炎上したりしたということがあったから今後のコミュニケーションにおいては常に 人の気が悪くなるかどうかをチェックしつつ
36:03
本音をうまく制御しなければコミュニケーションができないと考えることが本当に 必要な上に
まあいいことなのかどうかをやっぱり考えてみる必要があると思うんですねから先も 攻撃のないコミュニケーションを買って読んでくださいと言いたいですね
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