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2022-06-09 26:42

【613GMV】ランダム強化と悪癖

なぜ書けなくなる時と書ける時とがある?
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今週の日曜日に、かき揚げ塾の第5期が最終回を迎えます。
第6期は、実はすでに始まっているのですが、まだ始まったばかりなので、
たぶん、残り1幕ぐらいの空きはあると思うので、
クラゾノさんの方のご負担が大きいので、
むやみに増やすわけにはいかないのですが、
たぶん、まだあと1枠はいけるなという、私の感覚なんですよ。
なので、もし今期中に何か描きたいと、
今期中というのはつまり、先週第1回で、これは企画だったので、
これは追いつけるんですよ。まだ1週間前ですからね。
今年中だ。今年中に本を出したいというご希望があって、
しかもクラゾノさんと私の方でケアするのを受けたいという方は、
ちょっと検討してみていただくといいかなと。
かき揚げの話じゃないんですけど、
こういうものってみんな、そうなんですけどね、
手厚いサポートとかを受けるじゃないですか。
そうすると、ランダム強化というものが起こると私は思うんですね。
これは高度科学が明らかにした、なかなか面白い発想だと思うんですが、
一番難しいのがギャンブルとか、
俗に悪癖と言われているものから脱するときに、
裏沢直樹さんのモンスターでは、アルコール依存症で描かれていた話なんだけど、
ずっと止めて飲むっていうのはダメだと。
なんでダメかというと、
このずっと止めた後に飲むと酒ってすごい美味いんですよね。
この報酬が癖になるじゃないですか。
つまり、悪癖を止める努力をするということは、
ややもするとですね、その悪癖にさらにどっぷり浸るということになりかねないんですよ。
これ高度科学はすごく科学的に示したから素晴らしいんですけど、
精神分析とかカウンセリングの世界でも、
要するに高度科学がある意味、
これを明らかにする、100年前から別の形で明らかにしていたと思う。
少なくとも意識は間違いなくしていたと思うんですね。
これをどう考えるかだと思うんですよね。
高度科学はかなり科学的に行くんだけど、
やっぱり最終的には意思の力を無視するわけにはいかないんですよね。
だってこれ飲むのも飲まないのもある意味選択ですから。
そこって結局人は突き放された感じを覚えるじゃないですか。
これ多分相当辛いんですよ。
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やめなきゃ絶対やめなきゃと思ってるんだけど飲むとめちゃくちゃ美味いってこの状態は辛いんですよね。
これだけが問題ってことっておよそないじゃないですか、現実社会では。
飲んじゃうことも問題だし、飲むと人に何か言われるって問題もありますよね。
つまり人間関係の問題もここにあるし、特に仕事とか。
私も留学中に心理学の先生にいたんですよ。
アルコール飲みたかったんですよ。
心理学の先生にいたんですよ、アルコール依存。
アメリカ結構この問題根深くて、結局その人は入院させられちゃったんですけど。
入院させられたって言い方もあれなんですけど、ある意味給食とかに追い込まれるわけですよ。
この問題厄介だなって思ったんだけれども、その人の問題ってお酒だけってことはまず考えにくいと思うんですよね。
ただでさえ難しい問題が背景にあるのに、そこにプラスそれだけを取り出してもややこしいんですよ。
かなり辛いと思うんですね。
意思の問題というものが関係しないわけにはいかなくて、
例えばお酒を飲むと気持ち悪くなる薬も一緒に飲んどくとか、
いろんなあの手この手の行動科学を駆使したとしても、やっぱり抜け切るっていうのは難しいってことを
浦沢直樹さんも非常に漫画で描かれると迫ってきますよね。
ここで飲んじゃうのか、ここで飲んじゃうのかっていうようなところが何回も出てくるわけですね。
あれは経時なんですけどね。
で、なんでこの話を描き上げ塾のCMの後に続けているかというと、
描けなくなるということもですね、ある意味ランダム強化なんですよ。
描かない日って開放感という報酬を手に入れちゃうじゃないですか。
ということは描こう描こうと頑張っている時ほど、描かない癖はつきやすいんですね。
描かなきゃって思っているのはプレッシャーになるから、多少は絶対になりますから、どんな人でも。
で、大学の先生が例えば論文描かなきゃってずっと思っているとするじゃないですか。
描いても報酬になりますよね、それは。描いた時は嬉しいから。
でも、描かないともう報酬になるじゃないですか。
こうして人間の心は混乱させられていくわけですよね。
どっちも報酬になっちゃうから、描いたり描かなかったりが、つまり機械みたいには絶対いかないんですよ。
描かないことにも報酬がある。描くことにも報酬がある。
しかもその報酬もプレッシャーが強ければ強いほど、強い報酬になるし、
しかも間を開ければ間を開けるほど、毎日毎日描いている時ほど、描かないという喜びもでかいんですよ。
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そうですよね。
倉園さんはよくパチンコをご自身の例で取られるんですけど、パチンコだってそうだと思うんですよ。
言ってれば言っているほどやめようと思うじゃないですか。
やめようと思う人はね。
そうするとずっと我慢していて、不意に行っちゃったという時は多分楽しいと思うんですよ。
毎日行っている時よりも。
このダムの放水みたいな、そういう感覚がランダム強化なんですね。
強化されてしまう。不定期に、しかも間を開けて強化されてしまったやつは強いんですよ。
その行動を習慣化させる力が。
それで、これが当然カウンセリングの世界にも入ってきちゃうわけですよ。
そうでなくても、心身ともに不安定な人が不安定な時に行くわけだから、
話を聞く喜びってありますよ。聞いてもらう喜びも必ずありますよね。
いわゆるリスニングですよ。
傾聴してもらう喜びっていうのはあるんだけれども、
言うこと聞かなきゃならないプレッシャーっていうのを感じちゃうじゃないですか。
倉園さんが怒るなって言ってるからなっていうふうに人ってなるじゃないですか。
こういうことは言ってないし、怒るなって言うから怒らないっていうのはグッドワイブス的ではないけれども、
これ多分どんなカウンセリングでもその話は出るんだけど、
でも人ってそう考えるじゃないですか。
特に目の前に倉園さんがいない時ほど、
これを母親の不在ってカウンセリングでは言うんですけど、
倉園さんが男性とか関係ないんですよ。
ここが成人分析の一番誤解されやすいところで、
お母さんがとか母性がとかって言うんだっていう話になるんだけど、
母性はともかく実の母親であるはずがないんですね。
母親の不在なんですよ。
話聞いてもらっている時はそこに母親がいるってことは、
そういう感情を少しでも抱いてしまったらですね、
カウンセリングの場を離れたら母親がいなくなるわけですよね。
情緒不安定な子供が家に一人で置かれたらどうなるかっていう話をここではしているわけです。
だから料金払うのが大事なんですよ、成人分析ではですね。
成人分析ではですね、そこで料金払うということで、
この人はお母さんじゃないんだということを無意識に叩き込んでおかないと、
後々厄介なことになってしまうかもしれない。
この種の話をですね、よく行動化って昔は言ってたんですよね。
あまり最近言うのかもしれないですけど、
なんか私の教科書で行動化ってあまり強調されてはいませんでした。
でも行動化って必ず起こっちゃいますよね。
例えばよくあるというか、あまり良くない例としてよく登場しちゃうのが万引きをするとかですね。
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これはカウンセリング中にって話じゃないですよ。
お母さんの気を引きたくて万引きをするって、
これはお母さん不在の時にやる行動じゃないですか。
だいたい子供が飛行する時っていうのは、いわゆる飛行という行動はですね、
お母さんの目の前でやったりしないじゃないですか。
つまりそれはお母さんが不在だという心の重荷に耐えられないわけですよね。
何らかの形で。
これと近いことが起こっちゃうわけですよ。
例えばアルコール依存症でもギャンブル依存症でもニコチン依存でも何でもいいんですけれども、
話聞いてる時はですね、
そこにカウンセリングの先生がいる時は、
そうだやっぱりやめなきゃいけない、絶対やめた方がいいんだって思うけれども、
こう強く思えば思うほど、
外に行った時にはあいつを困らせるために煙草吸ってやろうって人は思うんですよね。
あいつの言いなりになってないことを明らかにするために煙草吸ってやろうとかって思うわけですよ。
これは何でも絶対起こるとフロイトは言ってます。
フロイトは書いていた気がします。
そのまんま書かないんですけど、
でも間違いなくこういうことは絶対起こるよっていうことは彼は書いていた気がします。
こういうことを先駆者として書いてから、
彼は偉いんですよ。
後からこのことについてみんなが思い当たるのは当然なんです。
この種のことをやれば、
それこそあれですよ、
お寺に通っている和尚さんとなんかちょっと悪いことをしちゃう人の関係でも絶対同じことは起きるんです。
ていうかそんなことは私も家で見てきました。
そういうことってもう人はやるんですよね。
お母さんの言いなりになっているのが面白くないっていう気持ちは、
出ないと困りますからね。
じゃないと一生言いなりになって生きていきますって話になっちゃうけど、
一生は言いなりになれないんですよ。
その話は先日この番組でもしたかな。
またしますけどきっと。
異人たちとの夏。
山田太一さんの小説ですね。
あれでお母さんがすでに世の中にいないって時に、
人はかえって怒られたり叱られたりするっていうのが、
もうそれを求めて、
幻覚でもなんでもいいから、
そういうものを求めて現実を掘り出したくなるほど、
そういうものってのに憧れる時があるんですね。
それぐらい依存している部分があるわけです。
人にもよるかもしれませんけど、
無意識の中には。
それぐらい依存している部分があるということは、
当然反発する気持ちもあるわけですよ。
ないと一人で減っていけなくなりますからね。
だからといってその行動が良いこととは限らない。
良いことではあるんですよ。
この言い方すごい変なんだけど、
軽犯罪は良いことでもあるんだけれども、
軽犯罪で済ませようという意識も働いているわけですからね。
でも良くないわけですよ。
これは握手壁から逃れるっていう時もそうですよね。
良いことではあるんだけれども、
それをやっちゃったりすると、
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その犯罪というのが、
良いことではあるんだけれども、
それをやっちゃダメですよね。
つまり、ずっとパチンコやめている人が
パチンコに行っちゃうというのは、
良いことでもあるんだけれども、
自立したいという気持ちが発生しているという、
そのレベルで見る限りは悪いことではないんだけど、
それは思春期にやることですかね。
一般的にはね。
大人になってもやるんですけれども。
これを行動感覚ではランダム強化という説明の仕方をして、
それはそれで鮮やかなんですよ。
で、これをフロイトはだいぶ昔に行動化って、
特にアクティングアウトだと思うんですけれども、
外でその行動化が起こってしまう。
よしやしは、軽犯罪の場合はよくないし、
アルコール依存の人が飲んじゃうのもあれですけれども、
もうちょっと微妙な例もあると思うんですよ。
例えば、外で恋愛するとか。
これがなぜ問題なんだって言われるかもしれませんが、
これはお母さんに対するあてつけでやっていると考えると、
結構微妙な行動。
多分良くないんでしょうね。
なんで男性同士でもって思うかもしれないですけど、
関係ないんですよ、これはね。
非常に心理的に不安定な状態の時に行くっていう風に
検討すると分かると思うんですけれども、
例えばグラノンさんのお話でもいいんですよ。
グッドバイブスで平安になりましたと。
ところが、外に行っていつもいつも平安っていう状態ばっかりじゃないですよね。
嫌なことはしょっちゅうやってくると思うんですね。
それを、いやいやこれはイリュージョンだからとか、
意味づけだからとか、一つだからって一生懸命解釈しようとしても、
もう無理だっていう風になってしまった時に、
役に立たないじゃないかって思うわけですよ。
グラノンさんの考えなんてって。
人はそういう風に思うと思うんですよね。
これが母親の不在児っていう話なんですよ。
不在児に子供は悪さをするわけですね。
その時に、じゃあ役に立たないんだったら、
別のものに頼るしかないなと思った時に、
例えば一生懸命頑張って恋愛するとか、
これをどう捉えるかなんですね。
これがアクティングアウトです。
私の場合で言えばですね、
グラノンさんの話を聞くと、
むしろかえってタスクシュートでいいアイデアが思いつくみたいなことが起こるんですよ。
私はこれもアクティングアウトの一種なんだろうなと思いながらやってたわけです。
この辺になってくると本当に微妙で、
いいのか悪いのか悪くはないし、もはやいいとも言えないし、
ただアクティングアウトだし、ランダム強化なんだろうなっていうことは、
見当つけておかないといかもとは思うんですよね。
全ての人がそうだというわけじゃないですよ。
だけれども、例えばグッドバイブスで誰にも怒らないというようなことを、
少なくとも怒らない方がいいんだなということを、
一瞬でもそれを受け入れてしまえば、
例えば外で彼氏なりを作って、そいつにめちゃくちゃ怒るとか、
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すっげえ快感になるはずなんですよ。間違いなくね。
で、それがランダム強化になっちゃうんじゃないですか。
そうして、なんかもう彼氏とも破綻しちゃってから、
またクラゾのさんのところに行こうと。
そしてまた離れたときに別の恋人を作って、
そいつにめちゃくちゃヒステリーを出すとか。
あり得るんですよ、こういうことは。
これが反復的にぐるぐる回るということも起こり得ることだし、
こういうことが起こること自体を込みでカウンセリングをやっていくっていう、
これをぐるぐる自分やってるんだなということを意識することができれば、
また一つ前へ進めるじゃないですか。
これを全部成長というのはどうかと思うんだけれども、
少なくともそういうものを自覚してまた前へ進むということができますよね。
つまりある意味心が成熟していくっていうのは、
そういうプロセスなので。
そしてここは、ガンガン言うによってはランダム強化ですよね。
ランダム強化って言われたときに、
なんで突き離されてる感じがするかというと、
ただこれが反復されてるよって言われただけでは、
つらいじゃないですか。
突き離されてる感じがするのはそこなんですね。
前へ進んでいるんだっていう意識を持てないと、
ただ反復やってるだけなんだと言われるのでは救いがないですよね。
でもこれを、それこそカウンセラーの人もカウンセリングを受ける人も、
両者が同時に認識できるようになると、
多分前へ進むんですよね。
このやはりパターンに頼らずとも進むようになる。
このパターンとして恋人に頼るというのも、
恋人に怒ることに快感を覚えるのに頼るというのも、
たまに長く我慢していたお酒を飲んじゃうという、
その喜びに頼るのも基本は同じなんですよ。
だからランダム強化でもあるし、反復強化でもあるし、
行動化でもあるし、そういうものを認識しないといけないという話なんですね。
私のようにもう少し心理的に安定している人間が、
もう少し複雑な動きになってくると、
倉津野さんの話を聞いて、
その時間をオビジョンに見ないとか、
今ここしかないという話にすごく納得した後、
不意にタスクシュートについての時間をオビジョンに見て、
カレンダーを見て、いいアイデアがバッと上がるとかね、
これは私の多分心の奥底でやっている反抗みたいなものなんですよ。
こういうことが無縁ではいられないんですね。
このバッと上がったアイデアで本とか書いたら、
ランダム強化になっちゃうわけですよね。
こういうことが良いことなのか、
良くないことなのかは、もはや何とも言えない。
ただ、こうやって人はですね、
自分の職業なり、職業生活なりを支えていく面があるので、
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だから私は昨日そういうブログをちょろっと書きましたけど、
本を書く、論文を書くということに対抗というものが
あることは、つまり子供帰りですね。
アーリウール、この部分のどこかには子供っぽさというのがあるわけですよ。
お父ちゃんの言うことを聞くのは嫌だって、
この場合クラソンさんがお父さん役になっているんだけど、
なぜお母さんじゃないかというのは何となく意識してください。
これは私はエリプスだとどっちかと思うので、
母親で説明しちゃってもいいんですけど、
父親感の方がいいかなと思うんですね。
こういう時に自分が頼っているものを変えるというところに
一つのポイントを見出すやり方が考えつくわけですね。
さらに言うと、例えばここで私は違うけれども、
論文を書いて医者になるんだみたいな、
そういう道の方に踏み込めると、
これはもう世の中的にはいいことでしかなくなりますよね。
クラソンさんのグッドバイブスを聞いて、
医者になる決心が固まりましたと、
そして論文もバリバリ書けますと、
ここに私は対抗は対抗、つまり子供っぽくなっている部分、
対抗意識の対抗じゃないですよ。
尻族行く方ですね。
子供っぽくなっている部分があると思うんだけれども、
そこからエネルギーを得ているし、
普通にこれを外から解釈すればですね、
グッドバイブスを引き握って、
しかも勉強もするようになって、
いいことづくめになるはずなんですよ。
この辺が私は面白いなと思うんですよね。
世の中の敵に勝った構造っていうのは。
この辺のことはかわいいハヨウさんが書いてますけれども、
だからいいことだけが起きるなんてことは決してないっていう、
あの人はやっぱりそういう話を書くんですけれども、
カウンセリング受けるっていうのはそういう話なんだと。
だから一旦対抗して戻っていくと、
イジッタ使徒の夏でもあったんですけれども、
テレビドラマの脚本が滅多にない速さで書き上がって、
しかも人物もみんな生き生きしていると。
だからそういうことが起こるわけですよ。
でもそれは幻想のお父さんお母さんには甘えているから、
いることができたからであって、
その代わりに彼は衰弱していって危うく死にかけるわけですよね。
でもいいことじゃないですか。
昔の両親のことを懐かしんで、
なぜかそれによって心が元気になって、
一気に離婚した精神から離れられるような格好で
自分の仕事が進むというので、
これをだからライフ的に捉えるというのは、
はなはな難しいんだけど、
そういう話も僕は昔無理やりしようとしていたわけです。
今になってみると、
そんな話は無理やりせずにこういうふうに
ストレートに出してしまえばいいんだなと思うんですよ。
書けないということは、
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そういう意味で必ずしも悪いことじゃないんですよ。
だってこれ書けるって話は結構不吉な含みがあったじゃないですか。
論文にせよ、原稿にせよ、
書けるということは、
子供っぽくなっている部分がどこかにあるから書けるっていう部分があって、
あんまり大人になったら書けない。
じゃあずっと書かないでいるとやっぱり困るんで、
どこかで書かなきゃいけないわけですけれども、
そういうふうにランダム教科とか、
アクティングアウトみたいなことが
開在していると思うんですよね。
だから書けるようになるわけですよ。
結局、カウンセラーに対して
お父さんでもお母さんでもいいんだけど、
言いなりにならないぞってことは、
つまり独り立ちするぞっていう話じゃないですか。
結局外で自分なりの仕事をしていかなければならないわけですよ。
ただただ平安でいるだけでは、
いけないわけですよ。
ここがまたややこしい言い方になっちゃうんですけどね。
ただただ平安でいることによって仕事は進むんだけれども、
どうしてもですね、
私たちは平安なだけで仕事を進めるっていうときの、
そこの現実に立ち戻ってみると、
いろんなことが現実にはあって、
立ち戻ってみるといろんなことが現実には起きますから、
それこそ爪が痛いとかそんなことだって問題になってきますからね。
だから一見平安、最初はそうなんですよ。
最初は意味づけを手放して
イリュージョンがなくなるから書けるっていう部分もあるんだけど、
全く違う要素から書けるようになるときがあって、
そこまで分析してられないので書くときは書いちゃいますからね。
で、結局なんで書けたのかは、
よく分かんないといった事態に立ち至るんじゃないかなと思うんです。
生きていくってある意味そういうことだろうなと。
だからそういう意味で再現性がないようにも思えるわけですよ、私には。
そういう意味でこれライフハックでは説明つかないなって思っているわけです。
ライフハックが再現性があることが絶対必要かどうかっていうのは
ちょっと微妙だなとも思うんだけど、
普通に考えれば、例えば名前って変換したら佐々木翔吾になるとか、
そういうような再現性があるに決まってますよね。
だから科学的だっていう議論をするほどのことですらないと思うんだけども、
書くとかいうことになってくると、
仕事が進むという話はまずそうではないだろうと。
タイマーをセットすれば必ず書けるようになるっていうような
だから行動科学人気あるんですよ。
BF好きなそうやって論文書いてたみたいですしね。
でもそれは、彼のような人の生い立ちを見てよーく考えてみると、
やっぱりそこには対抗っていうものを感じざるを得ないんですよね。
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考えてみるとだって、何かのチャイムを鳴らすなり、
タイマーをセットするなりで機械のように書き始められるなどというのは
子供っぽいじゃないですか。
そういう子供っているじゃないですか。
夏休みの宿題って言っても、非常に親の言うことをきちっと聞いて
パチッとやってすぐスタートして、
30分経ったら終わったよ、お母さんって。
いるじゃないですか。
おかしくないと僕は思うんですよね。
それと似てくるんだという気がするんですよ。
そうすると、好きながって話じゃないですけれども、
行動科学に非常にはまりやすいという人には、
とてもある意味では強くカチッとした内的な気持ちがあるんですよね。
内的対象としての母みたいなのが強くカチッとした形としていて、
ある意味ひどく安定しているような感じもするんですよね。
ランダム強化の入る余地がない。
だってカウンセリングとか受けに行ってしまったら、
本当の親との相互って、相互つまり本当の親との複雑な関係、
三角関係みたいなものが必ず起こるから、
ランダム強化っぽくなりやすい。
ランダム強化になるということは不定期になるということですから、
ぐーっと我慢してパチンコ行って、ぐーっと我慢してパチンコ行ってというのが、
ちょうど二日起きですというのがおかしいから、
そういうときこそランダムになるわけですよ。
そのランダムになるということが、今の世の中では非常に仕事を進める上で、
扱いにくいんですよね。
毎日毎日私は仕事をきちっと進めますという人が、
誰が見ても強化が高くて、
今日は書いて、逆に近くのやめてみたいなのは、
ダメだとされやすいんだけれども、
私は人の心の中、本当はランダム強化しかないと思うんですよ。
そうじゃないと、本当に宿題をやったお母さんの人になってしまうので、
本当にそんなに過度にと言うべきだと思うんですけど、
そういった構造の心の持ち主が書くという話になってくると、
それはもうあれですよ。
うちの子も今やってますけど、
チェアを10回書きなさい、間違えたら100回書きなさいの世界であって、
それ論文じゃないじゃないですか。
論文が書きにくいというのは、機械的に進められないというのは、
そういう意味では当たり前なんですよ。
チェアを100回書くというのじゃ、やっぱりダメだと思うんですよ。
チェアのすずりって難しいんですよね、中学1年生にとっては。
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