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おはようございます。第1049回のキクセラピー、キク100日セラピーです。
9月6日金曜日7時31分です。
お知らせはあれですね、引き続き、これと直接関係ないと言われればそうなるんだけど、
タスクシュート手帳術の回の第4回。
私なんかこういうことを言っていて、何かとバランスを取ってる気がしますね。
まずこの番組ではタスクシュートってやっぱり出てこなくなってきてるじゃないですか、出てくるんだけど、減ってきてはいますよね。
グッドバイブスも最近全然言及できてないんだけど、この2つはでも私には密接に関係していて、
今日はちょっとその話うまくできればいいなと思ってるんですけど、タスクシュートは一旦置いといてですね、先日ちょっと話した気がするんで、
グッドバイブスとかの方を話したいんですけど、精神分析と個人セッションの話だけに集中しちゃえばこの番組はいいんですけどですね、
私自身の現実はそうはなってないんですよ。
収入源といい、僕の感覚といい、そうはなってないんですよね。
なのでここでバランスを取ってる気がするんですよ。
CMとかをすることによって。このCM、この番組を聞いている人の中で一体どのぐらいの人がこのCMを聞くんだろうとは私毎度思うんですけど、
でも喋ってるというのはですね、なんかここでバランスを取らないとこの番組の存続に差し障る気がするんですね。
ノートの下の方に僕本当はCMをつけるべきだと思ってるんですけど、なぜかあっちはつけてないんですよね。
で、途切れ途切れになりがちですよね、ノートはね。
たぶんノートを読む人の方が多いんですよ、これを聞く人より。
だからあっちにCMを打ってもっと継続するバランスを取りたいんだけど、そうするとあっちを書く気がますます減っていくっていう現実が今あって、
その辺がですね、ちょっとまだよくわかってないんですよね、自分としては。
ただ散々ものを書いてきたんで、書くことに飽きつつあるというのは間違いないとは思いますね。
しゃべる方はここまでやってきてないんで、今頻々としゃべりまくってますけど、しゃべるという方をたぶん私は今、仕事の核にしていきたいとは思ってるんだろうなと。
これ50になってからって言ってもいいぐらい、40代後半から始めてると思うんだけど、50になってるからと言ってもいいぐらいの活動なんですよね。
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しゃべる方に猛烈にシフトしてるというのは。
この方が楽ではあるというのは一つありますね。
あと、たぶん文字の書き起こしがすごく進歩してきたということと関係もありますね。
こういうのは本当にあるんですよ、そういうことと。
無関係にはできないことだと思いますね。
はい、早速ではありますが、だから手帳術の会は渋谷ハイブリッドで行います。
あとそうだ、10月13日の件も、これも昨日告示できてなかったんだけど、今日もできるのかって話もありますが、
今日やりたいと思っております。
10月13日明けといてねっていう興味がある方はですね、
今日話すようなこととも関係しますけど、精神分析を仕事術に活かすみたいな、こういうコンセプトでいきたいと思っているわけですね。
主体性的な内容になるとは思います。
年に2回ぐらいできたら、半年ぐらいかけないとちょっと無理かなと思うんですよね。
分かんないですよ、分かんないですが、年に2,3回が、毎月とかとても無理なんで全く同じ話するしかなくなってしまうので、
まあまあ良くて2,3回かなとは思っておりますが、もしかして1回で終わっちゃうかもしれませんけれども、
オンライン、ハイブリッドにせず、リアル開催オンリーとさせてもらって、
動画は撮ろうかと思うんですけど、動画はサンチャレの方の方だけにおろすという感じにしようかなと今のところは考えております。
総集編ありますからね、大橋哲夫さんとJさんとやる年末の総集編。
こっちでは私はそんなに好き勝手喋るというわけにはいかないので、
タスクシュートについて好き勝手喋るくらいに、枷を自分にはめておかないと、
何喋りですか分かんないので、何喋りですか分かんないと言っても、
僕が喋りたいのはただ対象関係論の話だけなんで、
それはどうでもいいんですがそっちで喋らない、あんまり喋らないようにしますよということですね。
うまーくね、人がそうと気づかないレベルで接続できれば一番理想的なんですけどね、とは思うんだけど、
今日はそれについてちょっと実験的に、ここはもう好き勝手喋る場なんで、
行こうと思ってますが、
まあ何でなのかなーって思ってるんですよ。
何が何でかというと、
仕事術と認知行動療法を接続しておけばいいんですよ。
もうざっくりめちゃくちゃ大雑把に言うと、認知行動療法の人から怒られるかもしれませんから、
ざっくり言ってるよっていうことね、僕認知行動療法今や詳しくないですよと、
up to dateできてないんでね。
つまり、昔習った認知行動療法をイメージしながら考えてるんだけど、
接続するなら絶対仕事術には認知行動療法の方が滑らかに行きます。
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それはもう僕は今、たとえup to dateできてなくても確実だと思います。
でもそうはしない。
一つは滑らかすぎるっていう方がむしろ問題だからだと、
これも僕のすごい素人的なざっくり感覚発言ですけど、
だからこういうのtwitterとかで、xとかでね、
むやみに漏らすといつ炎上して、
まあ炎上しても全然いいんだけど、
炎上を狙う時代じゃないですか。
炎上を狙ってるって思われるのはさすがにどうかと思うんで、
狙ってもいないのにまして炎上し損ねるとかね、
もうバカみたいじゃないですか。炎上し損ねるだなって。
狙ってるならまだしもですよ。狙ってるならいいと思うんだけど、
狙ってもいない炎上し損ねるって何なんて感じになっちゃうんで、
一応xとかでは辞世しております。
ノボットには書いてもいいと思うんだけど、
やっぱ上手く書けるという感じを抱いてないんですね。
だから喋ることにしてるわけです。
で、滑らかにいかないってことが問題なんですよ。
で、滑らかにいくいかないってのはですね、
僕は全部、基本はトップダウンの問題だと思ってるんですよね。
ちょっと話が冷やくしてすみません。
話が伝わりにくいというのはわかります。
ただですね、こういうことなんですよ。
そうだな、例えば、私中学の時部活入りなさいと言われて、
すごい魅力的なクラブ活動いっぱいやっていいなと思ったんですけど、
何回読み直しても入りたい部活はなかったんですね。
でも僕は部活には入りたかったんですよ。
そういう人間のために同好会というのを作ることができるって言ってたんですけど、
さすがに中高一貫六科年の学校行って、
いきなり同好会を中一の私が五月の段階で作るという、
そういうタイプの人間では全く僕はなかったんでね。
今思えば作っちゃえばよかったんだけど、
でも何同好会を作ればいいのかが当時はさっぱりわかってなかった。
ライフハック同好会作っておけばよかったなと後からは思うんだけど、
それは後から思うことであって、
当時はそんなことはさらさら思えなかった。
ところでクラブ活動というものを用意しました。
これのどこかを選んで入ってくださいって、
これはトップダウンですよね。
大学のサークルであっても同じで、
結局はいわゆる就職活動も同じなんですよ。
僕はこの種のものに上手くはまった試しが一度もないんですね。
大学行っても僕は大学に行かずに酒飲んでいる学生ってやつだったんですけど、
ちゃんと大学に行く気はさらさらなかったですからね。
今思うとどうかと思い…いや、どうかと思わないな。
私は何回やってもあれでしょうね。
私はこの提示されたものの中から選べるというほど、
適応性のいい人間では全くない。
これは適応性の問題なんですね、実はね。
当時はそれを認識できてなかったから、
私はただ昼から酒飲んで酔っ払って、
面白くない気持ちを抱いてただけだったんですけれども、
それがたまたま非常にフィットするゼミの先生と、
あの先生とフィットしなかったら、
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当時どうなってたかわかんないですよね。
夕方早いうちから酒飲んで、
フロイトの話とかをしていたわけですよ。
その先生と差しでね。
その先生は僕よりたぶん、
おじいちゃんより年上だったぐらいかな。
おじいちゃんと同じかな。
そのレベルなんで、先生の年寄りぶりが。
お年寄りぶりがですね。
よく僕の相手なんかしてくれたよねっていう感じなんだけど。
そういう学生ってあんまりいなかったという幸いにも、
うちの学校にはね。
うちの学校の学生さんたちは女子の方が多かったぐらいで、
もっとまともな子しかいなかったんで。
私のように完璧アウトローのくせに、
学校には大学には行きますというね。
そういうふざけたモラトリアム人間が少なかった大学なんですね。
あれだけ人数いながらも。
だから先生は楽しかったと思っておきましょう。
もう亡くなりになりましたから。
でですね。
今生きていれば100超えてるよね。
100は超えてないか。
でももう100に近づくみたいな。
戦前生まれですからね。
うちのおじいちゃんとどっこいどっこ。
おばあちゃんどうなんだろうな。
ギリギリおばあちゃんよりは年下だったかな。
でもいい線なんですよ。
私が卒業してすぐ退官されてしまったので。
それもなんかちょっと延長していらっしゃったけど退官するみたいな感じだったんですね。
それはもうどうでもいいことなのですけれども。
僕にフロイト全集をくださった方。
僕が勝手にくすねていったような格好になってるんだけど。
本当に時効だということで。
えっとですね。
接続しにくいというのは今言った部活の話と似てて。
私は仕事術を紐解いてる人は仕事術では問題自分の問題解決しにくいなと感じてる人が少なからぬいらっしゃると思って。
全員ではないですしマジョリティでもないけど。
3割前後はここに私の答えはないんだが他にどこに当たるところもないみたいな方が絶対いらっしゃると思ってるんですね。
3割ぐらいかなりの数ですよ。
数としては。
比率はともかくとして。
だからこそビジネス庁っていうのはどんどんどんどんジャンルが拡大していくんですよ。
今私が最接近したモードで一番マジョリティになってきてるというのが発達障害系のタスク管理の本とかあの辺なんですね。
あの辺には謹慎感覚が出てくるんですよ。
でも私はここではないんだなというのに気づいてからあまり謹慎感覚に悩まされることもなくまた新しいジャンルの開拓をするか。
昨日ね言論の中でちょっとだけ聞いてたんですけれどもお金払ってね。
本を売るのはオワコンなのかって話でいやいやオワコンじゃないんだよって話を聞いてたんですけどそこは頼もしくてとてもいいんだけどこの話私と直結できてないって私が直結できてないっていう。
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この話は本を売る人たちの話であってこういうところなんですね微妙にずれちゃう。
著者は確かに本を売りたいんだけど業界人的に本を売りたい人と著者の立場はやっぱりマッチしてないって思うんですよね。
マッチさせるように自分を持って行ってもいいんだけどそういうことを僕はする気になかなかならない人間なんですよ。
さっきのクラブ活動入れないわこういう問題なんですね。
ビジネス書も同じでどのジャンルに行ってもどの本を読んでも自分の問題はここには書いてないでも近いことは書いてあるっていう本があるんですね。
僕はそういう人に向けてこの活動をしているつもりでいるんですよ。
タスクシュートは確かにタスクが進むようになるという点でだからこれ仕事においては全問題が解決できてるように見えるんだけど実はそうではないってことなんですね。
仕事が進むんだけど自分の悩みは解決しませんと。
だったらビジネス書じゃなくてカウンセリングとか精神科行ってくださいよってことになるんだけど私は精神病な気はしないっていう方はいらっしゃると思うんですよね。
だから仕事はビジネス書で進むようになりいわゆる仕事上の適用はできるようになりましたがでもなんか自分はしっくりきませんと。
それは職場を変えるとか転職活動っていうのかもしれないけどそっちも見てみたけどいまいちビンときませんと。
だからそれは心の悩みだから心療内科なり心理カウンセリングかっていうとでもそういうのを受ける気はしませんと。
どうしたらいいのかっていうことになってくると思うんですね。
僕はそれはなんつーんだろうなこう接続されにくい問題と僕が他にうまく言えないからだからそれ適用って言うんじゃんってことになっちゃうんですけど
接続されにくい問題です。私という人間は入るべきクラブ活動こんなにいろいろあるんだけど連結され、差し込み口みたいな合わない合わないみたいな感じなんですよ。
合わないなーみたいなね。合わせろよってことですよね適用ってのがね。でも合わないんですよね。
サークルなんてもっと自由じゃないですか。でも合わない合わない合わないっていう感じで結局僕はアウトローみたいなアンドローみたいでありながらの先生が風潮とかですごい偉かったんですけど
この先生に接続されたわけですよ。接続の問題なんですね。これがタスクにも明快に僕はあると思うんですよね。
このタスクなんでもいいんですよ。タスクがありますよね。タスクがありますと。でこのタスクをやろうとするんだけどやれない。やれなくもないんだけどしっくりこない。
1分着手ですって1分着手はできますと。そうしているうちに行き当たりぴったりで締め切りにも間に合いました。
でも面白くありませんとかすぐこれこのやり方がまた嫌になってしまいますとか本当はそういう理由ではないですとかね。
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そういうところの問題を私はひたすら取り上げたいんですね。着手はできるんですよ。で終わらせることもできるんですよ。
でもなんて言えばいいのかな。やらずに済むならそんなことはしたくないと思ってるとかね。
何と言えばいいんですかね。ノートに書き出してみるとかも一通りやってみたみたいな感じなんですよね。
感じだと思ってる。僕の方でね。そうじゃないのかもしれない。タスクシュートもGTDもやりましたみたいな感じで。
えっとですね。
難しいなぁ。やりたくないんですよね。とにかく。
で私はGood Vibesはすごいこれを課題に近づけていると思う。僕が知る限り他から聞いた中では抜群に近づけていると思ってるんですよ。
それはつまりそもそも自分のためにするんではないんだと。
極端に言うと今クラゾンさん一番極端なところに触れて言ってるんですけどギフトなんだと。
ギフトというのは気が向く向かないの話ではないんだって話ですよね。僕は長らく気が向く向かないを頑張ってきたんですよ。
どうすれば気が向くようになるか。だからそこが仕掛け学なんですよ。
やる気が自動的に出るようにするとか脳科学的に脳がやる気に満ちた状態。やる気脳みたいなのあるじゃないですか。やる気スイッチもありましたよね。
あれはあれで有効だとは思うんだけどただ私は理屈がなってないっていうのは結構気にしてるんですよ。
こういうところがあるんですね僕にはね。例えば作業興奮って言葉があるんですけどあれは言葉のあやというか言葉の誤解で。
作業興奮というのはあれはやめよう精神病理の問題なんですあれはね。
だからやってるうちにやる気が出るよっていうのはまるまる嘘じゃないけど作業興奮という概念をそこに当てはめるのはかなり不適切。
控えめに言ってねかなり不適切だから僕はあのひどき口走ってしまったことはあるんだけど一切しゃべるそれを言わないようにしてるし書かないようにも極力してるんですよ。
なんか違う言葉を使うか補うことをするか違う意味で使ってますみたいなことを後で言えるように潜ませておくかぐらいのことはしてあるんですよあそこにはね。
そうしないとあれは精神病理学の言葉だっていうのを突っ込まれたときにお前は人を病気にしてやる気にさせようとしているのかって言われたときに答えられなくなってしまうんで答えられなくなったっていいんだけどそういうビジネス書の流儀なんですよこれはとか言って押し通せばいいんですけれども。
まあでも気持ちの良い部分ではないんで、黙っているという感じなんですね。あんまり触れずにおくみたいなね。
まあ危うい橋の一つや二つは渡りますよね仕事しているとそれはそれでいいと思うんだけれども、まあまあいろいろあるんですね。
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とにかく問題と僕が思っているというか課題なのはですね例えばよくこの話題しか出してないんで恐縮なんですがまあいいやでも例えば会社の上司がお母さんそっくりですだからむちゃくちゃ腹が立ってついつい喧嘩しますそもそもその上司はちょっと私から見るとパワハラっぽいかなお母さんに似てなくても喧嘩になるけど似てるから一層喧嘩になりますと。
仕事する気がしません。でも1分着手で仕事をしていて進めることはできますけど、あの上司なんとかしてみたいな話になった時に、えっと少なくとも1分着手というのはこの問題は解決してないなって思うんですよ。
気分が悪いままだってことだし、何かにつけてやらなくなってしまうとかね、そういうことなんですよね。
で、僕はこれを習慣化で乗り切ろうとしたこともあるんですけど、事態は変わらないなって思うんですよね。
習慣化で乗り切ることができても、気分の悪さはどうにもならない。
僕は最初はこれをなんていうのかな、いわゆる環境マネジメント的に考えてたんですね。
そういうセラピーにもその考え方はあります。
仕事をきちんとしているうちにこの人との関係が徐々にこなれていき、環境との摩擦が、環境というものはよくこう、環境マネジメントはあまりにも中心に考えられる方は環境をまず良くするんだっていう話をするじゃないですか。
無理なんですよ、そんなことは。
誰だって素晴らしい環境をセットしてそこに自分をポンと置くっていうのが一番いいに決まってるんだけど、自分が入ることによって環境との相互が生まれるってことは、力度的にね。
だからここで力度が出てきちゃうんだけど、実際起きるわけ。
私が入ることによって私がパージされようとしている。
あからさまにやらなくても、なんかこいつの顔は気に食わんとかいう人はいらっしゃるんで、どっちが先に辞めるかみたいな話になっちゃうじゃないですか。
相手が辞めれば環境が良くなったって言えるのかもしれないけれども、
それを問題の解決に持っていくのはあまりにどうかと思わなくはないですよね。
だからこれはですね、いわゆるスキルでどうにかできるはずのない問題なんだけど、
でもそこですごい仕事ができるようになることによって環境との相互が徐々に良くなりますということを、
僕は漠然と期待してビジネス書を書いてた時代もあったんですが、
これはクラザノヘゾハンがよく言うように、それをやることでかえって事態が悪化するケースは往々にしてあるよっていうことが起こるんですよ。
この気に食わない奴が仕事できるようになるとますます腹が立つじゃんっていうふうに思われるんですよ。
全然普通に。
だからこの方法で論で解決する場合はあるかもしれないけど、解決しない場合どころか、
事態がますます悪くなる場合すらあるなと。
現に私は家の中でこれを引き起こしたんですね。
仕事ができるようになったから夫婦間がおかしくなったってわけじゃないけれども、
何もかもがそれなりにライフハック的にうまくいくことでますます事態がまずいことが炙り出されてくるみたいなことが起こったんですね。
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それが私のジンマシン問題で、
僕はもうこれはやめようと思ったんです。
この路線だけにかけるのはこの路線はこの路線でいわゆるライフハック的なっていうか環境マネジメント的な路線は一定程度維持しつつ、
ここにこの路線で押せば自分の事態がすべからくベターになるっていうのは明らかに自分がそうでなかったからやめることにしたわけですね。
周辺との相互はやっぱりこう別問題として考えなきゃなんなくて、この辺から関係論的に僕の感覚がシフトしたんですよ。
それまではマイタスクマネジメント、つまり私の空間、時空間を整えるってことがすべてだった。
今でもこれは主流の発想だと思うんですね。
僕はそこに対して別に革命を起こす気はないんで、それはそれとして置いとくことにしている。
一旦する。
僕としては関係論を進めていく。
ここに強烈に入ってきたのがグッドバイブスなわけですね。
なぜかというとあれは一つ意識だから。
マイ時空間っていう概念そのものを認めてませんから。
もう他者と自分は一体ですからね。
もうちょっと別の言い方をするならば、何だろうな、恐れを抱かないってことですね。
だから防御は攻撃であるってのはそういうことを彼が、クラゾンさんが随時指摘される。
しょっちゅうこれが忘れされているよっていうことを言っているのがそれですね。
防御は攻撃である。
つまり何かを回避する。
自分を守ろうとするってのはすでに他者にとっては攻撃になってしまう。
一つと一体という概念からするとそうなんですよ。
赤ちゃんがお母さんから自分の身を守ろうと思ったら、もうそれは明らかにまずいことが起きているわけですよ。
だから対象関係論的には今のような説明になるんだけれども、赤ちゃんはお母さんに対して身を投げ出してるじゃないですか。
この状態がデフォルトだって言ってるわけですね、クラゾンさんは。
で、私は精神分析にもほぼ同じ思想は見えるんですよ。
なぜなら精神分析は防衛規制って言いますからね。
防衛規制はすべからく病理であるってみんな知ってますもんね、あれはね。
少なくとも病理の法河であるとみんな知っていると思うので、
だから回避行動っていうのは非常に平和的に見えるけど非常に攻撃的だっていう見解を取るんですよ。
これは一体というのがデフォルトであるというところからは当然なんですよね。
極端に言うと胎児、お母さんのお腹の中で赤ちゃんが私の身を、私の身だけは守ろうってしたら、
もう完全にこれは逃走状態になっちゃうじゃないですか。
一体なのにある部分だけが自己目的に機能してしまったらまずいですよ。極めてまずいですよね。
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そうしたら搾取になっちゃうじゃないですか。
お母さんのお腹の中から栄養分をとことん取りまくるみたいな話になってしまう。
実際そうじゃんってことになるかもしれないけど、
それだったら子供を作るっていう概念そのものがおかしな方向に向かっちゃうので、
搾取ではないんですよね、あれはね。
その元の原理から考えて、今の話は非常にリプスっぽい、プレイリプスっぽい話になりましたけれども、そういうことがあります。
なのでとにかく私は接続の問題を問題視しているわけです。
接続できていないタスク管理というものは、その人がタスク管理を問題にしている場合はOKなんだけど、
タスク管理じゃない問題を問題視しているときに、
これを解決することによってついでに解決されるような方向性を目指すのは、
あまり私は今かんばしくないと思ったので、
そう考え直してからですね、タスク管理はタスク管理としてやるとして、
その前段階にあること、つまりそもそも今気分が最悪ですとか、
今とても抑鬱的ですとか、私の行動はひたすら回避行動になってますけど、
それで何か問題ありますか?みたいな場合の方の手当てに、
基本的には照準を合わせるようにしています。
これを可能にしたのがGoodVibes的ということです。
私はGoodVibes以前はこれに僕が手をつけるのを恐れていたので、
まさに恐れと不安の塊だったので、
だからフロイドとか精神分析って本の中には絶対潜ませないようにしてたし、
ブログにすら書かなかったし、今でも書くとき若干の幅張りがありますけど、
基本、今書いてますから普通に。
精神分析という営みみたいな藤山直樹さんの本を紹介するということ自体が、
2010、あれは5、6年から読み出してたと思うんですけど、
もうちょっと後かな、7年ぐらいだと思う、6、7年だと思うんですよ。
でも書き出したのは2019年よりは後だと思うんですよね。
ちょっと厳密じゃないですよ。厳密じゃないけど感覚的にはそうで。
フロイドに至っては僕、大学の時に先生からずっと話してたわけですから、
喋ろうと思えば2006年の私が仕事を始めた段階からあれを投入することはできたんだけど、
2006から2000、少なくとも16までとなると、もう17だね。
10年以上のそこには間が空いてるじゃないですか。
これはもう意図的に決まっていますよね。
全然無意識的にフロイドは忘れてましたなんてことはあり得ないわけですよ。
さっきも言ったように、接続だけを言うならば認知行動を入れるほうがよっぽど滑らかにいきますよね。
そのタスクに対する認知の歪みを直しましょうと。
そのタスクはそんなにつらいタスクじゃないんじゃないでしょうかと。
合わせてそのタスクを繰り返す、1分毎日着手する行動を習慣化させましょう。
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まさにこれは認知を変換し行動を修正していく認知行動療法の考え方だ。
僕はこれは既に採用されていると思うんですね。
これを繰り返してやってうまくいかなかった人にもう一度カウンセリングの場でこれを進めると、
とってもこうなんて言うんだろうね、飽和感が出ちゃうと思うんですね。
もうその一つとっても、先々さを取り入れるという理由だけでも精神分析をここで採用する方が、精神力動的なものを採用する方が、
その人にとって何か新しい展開を生み出しやすいんではないかと思うんですよ。
僕はそれよりはるかに大きな理由を持ってますけど、理由がこれだけであったとしても認知行動じゃなくていいんじゃないかって思っているんですね。
だからCBTを沿用しますというのは妥当性としてはあるかに妥当だと思うんですよ。
でも一方で問題が人間関係ですとか、そもそも問題が言語化しにくいところにありますとか、
最近流行りの言語化を使うと言語化しにくいところにありますとか、
あるいは自分、職場では結構やり合ってるんだけど、家に帰ってくると抑圧的になりますとか、
朝起きるのがそもそもすごい辛いのに朝一からタスクリストを見るとやる気になるけど見たくありませんとかね、
そういった諸々のテーマは対象関係的に見る方が接続されていると思うんですよ。
こっちにいいメニューありますみたいな感じですね。
これを広めたいとは思ってないんですけどね、実際は。
これが使えますみたいな感じなんですよ。
タスクシュートでうまくいくのはやっぱり行動なんだと思うんですよね。
行動しないっていうことができないという悩みについて、
行動しないっていう悩みっていうのかな、悩みではないんですけどね、
でもワークとしてはあると僕は思うんですね。
今何もせずにいるべきだっていう、これができない、脅迫的にできないとかいろいろありますが、
とにかくできないんですよ。ついスマホはいじるとか、つい本は読み出すとか、
何かこの時間を使ってできる仕事を探し出すとか、そういうことをしちゃうんですよ。
してもいいではないかとか、したほうがいいという方にはお勧めしないんですよ、私は対象関係論なんて。
でも確かに何にもせずに自分は言おうとしても言われないっていうことが課題だっていう人にはお勧めしたくなるんですよね。
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そこを認知行動でいくっていうのは、
私はどうしても認知行動ってのは自分を変えるってことなんで、
こう2つあると私は思うんです。
今の時代に対象関係というかな、精神力動と認知行動を分ける大きなポイントが2つある。
3つあるか、3つあると思いますね。
1つは自分を変えるということが自然受け入れられるかどうか。
自分を変えることが自然と受け入れられるという人は精神力動っていうのは向かないと思うんですね。
まだというか、精神力動を現在は検討しなくていい状況にあると。
自分を変える。自然とですよ、これが。
自然と自分を変えたいんだって思うっていうことが人も簡単に自分はやりたいっていうふうに思える。
僕は思えないんですよね。自分変えたくないってよく思うんですよ。成長だろうとなんだろうと。
ここは大きな境目の1つだなと思います。
もう1つが自分を説得するという。非常に説得的なんですよね。
マーケティング的な話とも少し関係があると思いますが、
自分を説得する。私は認知行動ってすごく説得的な方法論だなって思います。
ハーバード・エリスとかハーパーとか。
エリスとかハーパーの時代から、師匠の時代から始まってですね、非常に説得的であると思います。
だからやる気を自然と出すとか、何かタスクをする気持ちに自然となるとか、
そういうことをかなり理性的に目指す、合理的に目指すっていうのがCBT的だと思うんですよね。
これはまたライフハックとの相性も抜群にいいと僕は思いますね。
例えば、タスクシュートをやれないと言ってる人にその気にさせるとか、
あるいは、あれはあまりにも記録を重視しすぎるという人に対して、
考え方を自然と変えてもらうためにはどんな言葉をかけるといいっていうのが非常に僕は認知行動的だなと思うんですよね。
私はそういうことをしたくないんですよ。
その人がその状態であるという状態をワンスイッチというか、
一瞬で変化させるような変化というものが非常に気持ちの悪いものに感じられるんですね。
なんかこう、トマトの枝を強制するみたいな時に感じることなんです。
簡単に力を入れると折れるんですよ、トマトって。
でもどうしてもこっちに伸びてもらうと困るとか、
ナスとぶつかるとかね、非常にいろいろあれなことが起こるっていうか、
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キュウリとぶつかるとかね、植える場所が悪いんだけど、
とにかく変えなきゃならない時はあるんですよ。
時間をかけないとならないですよね。
それも説得的なんだけども、そういう説得的なことを特に他人に対してやるっていうのは、
やるんですよ、精神力動だって。
やるんだけど、少なくともお互いが気づいているようじゃダメだっていうふうに私は思うんですね。
この辺はいろいろありますが、とにかくあるがままって話と深く関わるところではあります。
説得的であるというのは、説得的な方が説得するとか、
あの時の自分にどんな言葉をかけるとか、そういうのが自然だって思うんだったらCBT的だと私は思います。
私はそれは大変不自然だと思うので、
自分とセッションでワンワンだったらギリギリまで回避したいとは思っていますね。
これが2点目かな。
3点目が言語化ってやつですね。
さっきも流行り言葉だと言いましたけど、
言語化をすることができるとか、言語化した方がいいんだって思うなら、
やっぱり認知行動的ではあると思います。
タスクリストなんて絶対言語化の産物なんで。
私は言語化っていうのは、なんていうの、象徴機能移行だと思うんで、
自体がですね、あの人とは、なんていうのかな、
彼といるといつも喧嘩になるとか、
行く先々で上司がパワハラをするとか、
これ言語化じゃないじゃないですか。
オカルトですよね、これだけだったら。
行く先々で、私書きましたけどね、ノートに先日。
転職しても、転職してもパワハラの上司がいて、
日本は本当ひどい国だ、これは言語化ではないんですよ。
本人は言語化、言葉で喋ってるつもりかもしれないけど、
これは僕は象徴水準以前だと思うんですよ。
象徴水準以前の問題、
例えば私が以前のジンマシンができました。
ジンマシンできてもタスク管理すればいいじゃんって話には、
僕はならないっていうか乗れないんですよね。
タスク管理をどんどんしていて、
ますますジンマシン増えましたみたいなときに、
タスク管理で乗り切るっていうのはおかしいと思うんですよ。
皮膚に薬塗りましょうって話も同じなんだけど、
塗って治んないときどうするかっていうのが、
つまり自分がですね、疎開されていくんですよね。
置き去りにされるって感じの方が、
こんなマルキシスムみたいな言葉を使わずともね、
置き去りにされる感じがするんですよね。
こうでマルキシスム持ってくると、
社会問題にこれになっちゃうんで。
僕は社会問題に期待できないんですよね。
父がそうだったんで、
こういうのを全部社会問題にするんだけど、
あの、なんていうのかな、
もっと孤独になる一歩間違うと。
で、私はそこまで他人というものに期待しないっていう態度を、
最終的には取ってなかったことに気づいたので、
やっぱりこう社会を変えなければダメだっていう発想を
取ってしまうと、
なんかこう人魔神はどうなるんですかっていうことが
抜け落ちる気がするんですよ。
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被害者がずっと被害者であるみたいな。
これはですね、社外運動してる人は
そうじゃないんだっておっしゃるでしょうけれども、
僕のアトピーってまさにそういう感じになってしまったんで。
父が薬害についてよく言ってたんだけど、
薬害はあったんだけど、
薬害をここで言っても、
私の病気治んないじゃんっていう。
だからそこは連帯ってことになるんでしょうけど、
僕はこう全然ついていけなかったっていう感じなんですよね。
誰も僕に連帯してくれてる気がしませんみたいなね。
同じなんですよ。別だけど。そうじゃないけども。
タスク管理とかタスクシュートではアトピーは治らない。
で、それは医者に行くっていうタスクを書きましょうって言うんだけど、
医者に行って治んない場合ってのがあるんですよね。
こういう時に人はこのやりとりだけをしていると、
ものすごくドライに感じてくるんです。
人は私の病気なんて結局どうでもいいんだと。
で、どうでもよいのが自然だっていう考え方もあると思うんですよ。
人は自分事と他人事があるんだから、それは他人事ですよねと。
ここでなんですよね。
ここで一つ意識っていう方がはるかに積極的ではありますが、
やや消極的ながらも対象関係っていうのはやっぱりですね、
カウンセリングでもいいんだけども、母子関係みたいな考え方っていうのは、
母子は他人事じゃないじゃないですか。
だから子供はめんどくさいっていうことになるのかもしれないけど、
めんどくさいという言葉が出るということは、
ケアしなければならないという思いがそこにあるわけですよね。
そういう対象関係の中でややこじれかけている思いというものを
ケアしていくっていう方にかなりウェットになっていくんだけど、
私はやっぱり意識がそっちに行きたくなるってことなんですよ。
ただこれは確かにめんどくさいという感情が出るぐらいには
こじれやすい話ではあるんで、
私はグッドバイブスで言うほどは積極的になれてないんですよ。
積極的にここでなると、暴力的になるときが不安だってのがあるんですね。
やっぱり僕にはね。
めんどくさいでしょ。子供作らないほうがマシじゃんっていうことになりかねないので、
ここを慎重にケアしていく。
結局僕はグッドバイブスでもそうなってるなとは思うんだけど、
ここはもうさじ加減っていうのが個別のケースによって変化せざるを得ないので、
私はもうとてもじゃないけど無理ですっていう人に言えることと、
本当は子供を持ちたいとか、本当はもっと優しくしたいっていう人の温度感は絶対全然違うんで、
だから個別のケースには入っていくしかないんですよね。
そういう意味でも、私は力動的っていうのとプライベート的っていうのは同じで、
ここにはもう言語化が通らないと思うんですよ。
めんどくさいなどというのは言語化じゃないんですよね。
まあその、あれですよ。そうだな。
Beyondが一番やっぱり僕はここでは浮かぶんですけどね。
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象徴機能以前だと思うんですよね。
具象的だと思います。すごくめんどくさいというのは、うんこが汚いみたいな話に近い。
これは感覚的なことであって、言語化には持っていけないので、
だからこれをこういうふうに言葉をかけるとか、ああいう優しい話をするとかでは済まされない。
やっぱり時間をかける必要がありますし、
その時に対抗みたいな観念とか、母親みたいな観念とかそういったものが出てこざるを得ないなっていう。
例えば仕事するにおいてもですね、私が仕事をしているのはお客様のためとかお金のためとかじゃない。
お父さんに褒めてほしいんだって言わないじゃないですか。
でもそう強く思っている人は、やっぱりまずこのお父さんに褒めてほしいという部分を何とかしないと、
私はこれを昨今では女性のエリプスコンプレックスという問題だと思っているんですよ。
これをあっさりとフェミニズムだけの問題にしない方がいいと思うんですよ。
半分フェミニズムの問題でいいんですけれども、もう半分はやっぱりこれはエリプスコンプレックスだと思うんですね。
お父さんと言ったって上司は女性ですとかはいいんですよ。
その場合ファルスって言わなきゃなんなくなる気がして、
ファルスって言葉は気持ちが悪いってところがどっかあるんですけれども、
でも女性にフェミニズムはないもんなっていうそういうことはありますが、
とにかくお父さんに褒められたい。
お父さんは私のことを殴ってばっかりはいないか、
とにかくお父さんは酷かったとか冷たかったとかいう場合に、
その人がお父さんに褒めてほしいと思っているというのはですね、
私は松木邦博さんが得意とする表現ですけど、
至って当然だろうと思うんですよね。至って当然だろうと。
この歳になってお父さんに褒められたいなんて思う自分が嫌だっていうのは、
こじれてるとはしか思わないんですね。
で、こじれてるってことはつまり、当然の要求だと思うんですよ。
それをそういう考え方はいい歳になったんだから捨てて、
自立してお客様のために仕事しましょうって言ってタスクの管理に入るっていうのは、
私は嫌なんですよね。要するにそういうことを言うのは。
本当らしくないって感じがするんですよ。
これを私が多分意識したのが大学生時代のこの彼女できない問題。
やっぱり僕はあの時代の自分を、今では面白おかしく喋ってますけど、
肯定的に見てるんですよね。どんな人だって彼女欲しいでしょうと。
いやまあ同性でもいいんですけれども、要するに何が言いたいかというと、
どうするんですかね。やっぱり当然の要求じゃんって感じがするんですよね。
愛着はありふれたものであるっていうのが松木くにひろさんの言い方ですけれども、
そこら辺にあるものを自分だけが隔てられているってのはひどいじゃんっていうことですよね。
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その状態のまま普通の社会人とか会社人としてやっていきなさいっていうのもひどいじゃんってことなんですよ。
グッドファイブスは確かにこの問題に一気に決定談を与えてくれるっていう観念的にはですね、
個別的にはふらつのけいどうさんは別の話されるんじゃないかと思うんだけど、
観念的には一気に解決策を与えてくれるんですよ。
もともと一つだったって言ってしまうわけですね。
つまりあなたが欲しがってる愛着とか愛情というものはもともと持っているんだから、
心配するには及ばないっていう結論を一気に与えてくるっていう、
僕はこれを一気に受け取ることがたまたまできたんで非常に有効に作用したんだけれども、
私がこれを言うと本当らしく聞こえなくなるんですね。
多分私は彼ほどその感覚をどこかでつかみきれてないので、
いきなり僕が自分でこれを言ってしまうと合わなくなってくる部分があるからしょうがないので、
母子とかいろいろ掘り起こして、最終的には同じ話してるんだけれども、
最終的には同じじゃないですか。
私がありふれた愛情とかそのアタッチメントが欲しいから、
女性と肌を合わせたいと思ったっていう部分って、
これがつまり母親と肌を合わせられなかったら、
られなかったわけじゃないから誤解なんだけど、
られなかったという情緒的な思いに引っかかっているので、
ここに固着して大学時代にここが非常に大学生らしい形で露出したっていうのを、
もともと一つなんだってしまうという。
だからそれを欲している自分というものは、
イリュージョンを見ているっていうのはその通りなんですよ。
その通りなんだけど、
そう言われて納得できない瞬間っていうのが頻繁に訪れる人にとっては、
この話が聞いた瞬間はいいんだけど、
またすぐにそうでないっていう事態が発生するんですね。
だからこれを繰り返さなきゃならないんですけれどもね。
こういうところの話がですね、
つまり自分は自分の周りにだけ空気ないんですよっていうのに近いんですよこれは。
それなのに仕事しろって言うんですかって言ってる人に、
タスクシュート渡すっていうわけにはいかないかなっていう。
これはタスクシュートが有効かどうかの話とは次元がやっぱり違うなっていう感じがするんですね。
だから言語化に向かないと。
多分その人は自分の周りに空気がありませんとは言わないと思って、
多分言葉としては仕事を先送りしてしまうんですっていう言語化になってしまうんで。
だからそうすると、
提供されるものと自分とが接続しにくいっていう結果になってしまう。
そこに接続しやすいものを提供できないかと、
探し続けていたところにGood Vibesがガッと入ってきて、
その結果僕が答えとして見出した一つが対象関係論だったっていうのが今日の話でしたね。