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2025-02-17 1:00:56

やろうとするとやりたくなくなる【1137】

超自我に力を貸さない。、
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サマリー

今回のエピソードでは、自己管理や先送りの行動についての心理的な背景を探ります。ゲストとして山崎孝明氏を迎え、セルフケアを先送りにする理由や、その解決策としての心理療法について考察します。ポッドキャストでは、心理療法の重要性やセラピストの役割について深堀りします。特に、「グロリアと3人のセラピスト」という映像作品が取り上げられ、カール・ロジャーズのアプローチがどのように影響を与えたかが考察されます。このエピソードでは、ロジャーズやエリスといったセラピストのスタイルの違いを探り、精神分析やカウンセリングにおける解釈の重要性について議論します。エリスのアプローチがどのようにロジカルかつ直接的であるかを考察し、その中での対抗や拒絶の恐れについても触れます。また、個人の内面的な葛藤や長寿の影響についても掘り下げています。特に、成功に対する不安や自己否定感から生まれる陰性治療反応について考察し、それが日常生活にどのように現れるかを探ります。さらに、やろうとすると逆にやりたくなくなる心理についても扱い、長寿や外的な影響が行動に与える力や、それに対抗する方法について分析しています。

自己管理の重要性
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1137回をお送りします。
2月17日月曜日、朝7時33分です。惜しいなぁ、あと3分だっけ。
はい、えーとですね、まあこの番組って少しずつ少しずつ動いてる気がするんですけど、
えーと、最近もいくらかフィードバックを、最近もほぼ断続的にフィードバックをいただいていて、
大変ありがたいんですが、いただいて、なんとなくやっぱりそれによって少しずつ少しずつ動いていくんだなというのを、
まあ動いてなければ多分終わってると思うんですよね、1000回迎える前。だから、動いてるから1100回も一応やってこられたんだろうと。
思いながら、今日もまた少し動かしていきたいかなぁと思いました。 で、まずはお知らせで、あの山崎孝明さんとですね、
あのー、なんていうタイトルだったっけ。もうタイトルが長いんですよね。自分でつけたタイトルなんだけど。
えーと、なぜ5分、なぜ5分でできる自分のケアすら先送りにしてしまうのかについて、
心の専門家に尋ねる3時間のセミナー。 まあまんまですね、そういうことです。
5分でできる自分のケアというのはですね、 まあ例えば歯磨きとか、
あるいはコンタクトレンズ外してから寝るとか。 あと何ですかね。
5分かかんないですよね、それらはね。 コンタクトレンズ最初入れる時5分じゃ済まないけど、慣れるとあれ、なんかもう1分でできますよね。1分もかかんないな。
あとは何だ。
まぁちょっとだけ食事をしとってからっていうのは5分では済まないかもしれないけど、出かける時とかね。
あるいはこう、身出し並みとかも、まあ男は特に5分で済みますね。 済ませられる人はね、男でも超念入りにする人もいますからね。
まあまあそういう感じですね。それすらもやりたくないと。 あの今の時期、私なんとかしましたけど、
私ちょっと人に手伝ってもらった上でなんとかしたんですけど、 あれ確定申告ね。あれも毎日5分やれば実はできます。
で先送りにしまくって、今の時期になって騒ぐってことが起きると。 別に騒いでもいいと思うんだけど、
風物詩みたいなところもありますからね。いずれにしても先送りにする。 これについて山崎孝明さんという臨床心理師であり、
公認心理師でもあり、精神分析的心理療法家なのかな、でもあり。 この精神分析家じゃないんで精神分析的心理療法家でもある。
そしてまあ最近では結構、 雑誌のね、臨床心理学だったかな、という雑誌の編集者、編集者さんでもあって、
ビジネスではないな、専門書の本も書いたしている人です。 こちらに伺うと。まあそれだけの人に聞いたからといって、この
セルフマネジメント5分が先送りにならなくなるようなのが、 果たしてわかるのかというとそんなに簡単じゃなかったりするのが、そんなに難しいことかって言われるとそれも難しいんですけど、
ね、それは何とも言えないんですよね。 僕も長いことずっとそういうところありましたし、
幸い私は風呂好きなんで、風呂キャン界隈とかのことはわかんないんだけど、 あのでもわからなくはないですよね。
結局セルフマネジメントってほぼどれもやってもやらなくてもなんとかなるじゃないですか。 なんとかなります。なんとかなるものは大体なんとかし、
あのやらずになんとか済ませるのが人間の特徴、 特徴?いや違うな。とにかく人間ってそういうところありますからね。
ただ、すごくそれで困ってるという場合、多分それ以外のことが
原因なんですよ。だからそれで困ってるというわけじゃないんだと思うんですよね。 だから私は精神分析、精神力道、そっちに行きたいわけですよ。
心理療法のアプローチ
直接、その困ってることがあるなら直接それに手を当てればいいじゃないかと。 まあそれは主想なのか雷談理由なのかみたいな話になってくる。
雷談理由というのは来た理由であって本当になんとかしたいことではないっていう考え方と、そもそもその考え方がおかしいっていう考え方とかあるわけですよ。
雷談理由すなわち主想でしょうっていう、そうは言わないにしてもですね、 やっぱりあのポストみたいな考え方にも、これは山崎孝明さんが提唱されてるんですけどね。
きてそれが問題だと言ってるんだら、とりあえずまずそれをなんとかしてあげようよっていう考え方と、 どっちにも一理ありますよね結局ね。
あの雷談理由は主想じゃないというのは、それは専門家の勝手な言い分だっていう考え方もあるけど、
でも実際に雷談理由、大概の場合私の場合は先送りってことになるんですが、先送りが主想かっていうと外してそうではないんですよね。
仮にそうであったとしても、やっぱりちょっと違うことが話の中心に来がちなんですよね。
話を細かく聞いていくと。でもそれに対しても意見はあって、そもそも話を細かく聞くからいけないんじゃんっていう考え方もあるわけですよ。
話を細かく聞くんじゃなくて、その困り事をなんとかすることに集中的に手当てしましょうと。
話を聞こうとするからそっちの件になって問題がね、先送りは先送りのまま、なんかこう違うことを話し始めちゃうんだよという、これにも一理はありますよね。
それやって結局のところ、精神分析なのかCBTなのか、認知行動療法なのか、それとももっと行動的にね、行動療法。
または最近、私が改めてなるほどと思って、ちょっと、なんだろうな、脱線している、勉強的に脱線している、
ブリーフセラピー、つまり短くまとめるってやつね。なんか10回やったらそれは失敗ドミナスみたいな。
もうすごく違うじゃないですか。精神分析とブリーフセラピーって絶対、基本路線は絶対相入れませんよね。
ついさっきも読んでたんですよ、精神分析の。
あの、そのようにして3年が経つ。3年とか一瞬で経ってるじゃんっていうか、3年で何回セッションしてるんだよというね。
週に1回ずつだとしても100回は言うに超えていて、大失敗ですよね、ブリーフセラピー的に言ったら。
例えばどんな成果が得られたとしても、10回で失敗ドミナスになったら100回とか論外じゃないですか。
もう失敗を10回やってるような世界ですよね。最初っから。
だけど10回で終わらせようというふうに考えている精神力動系なんてありえないと思うんですよ。
だからもう、平気からして全く違うんですよ。
ところがね、ここからが大事だと僕は思うんですけど、ユーザーとしてはですね、どっちも公認心理師だったりするわけですよね。
だから公認心理師に行けばどこに行っても同じ治療が受けられますよっていうのが一応公認だけに立てつけじゃないですか。
前提ですよね、大前提。
こういう言い方をすると国の批判でもしてるように聞こえるかもしれないですけど、そうじゃなくて僕らは知っておくべきことがあるんじゃないかっていうのが僕の思うところなんですよね。
力動系の人のところに力動系の公認心理師もいらっしゃるはずで、臨床心理師なんか絶対いるわけで。
そもそも山崎孝明さんはそうだし、一方でブリーフセラピーの公認心理師さんだって、今はいないのかもしれないけど今後出てくると思いますし、
ブリーフセラピーやるぞみたいなのもあり得ると思うんですよ。
まあそれだけじゃないんだけどとにかく愛入れてないわけですよね。
この辺の話も、私はその例えば風呂入りたくない、朝起きられない、歯磨きがちゃんとやれないとか、片付け有名ですね、片付けができない。
タスクシュート手帳の紹介
片付けもなんかは自己啓発の本の方でもすっかりメンタルの問題にしているケースもあるじゃないですか。
思いっきり習慣術だと考えられているケースもありますし、一方ではそのほぼライフハックみたいに片付けはスキルであるっていう考え方もあると。
いろいろあるわけですよ。どこに焦点を当ててほしいかだって、そのユーザーさんの方がよくわかってないケースもあるわけですよ。
だから何をやるべきかっていうのは、それもね答えがあるわけじゃないんだけど、何をやるべきだとは言えないんですけど、
ただどれにも一理あるっていうだけでは、全部試すっていうのもちょっとね、時間もお金も、
まあでもこの言い方もどうかと思うんですよね。全部を試したっていいんじゃないかと最近私は思うようになってきたんですけどね。
結局お金お金言うけれども、お金ってそもそもいろんなことを試しているからいろんな買い物をするわけじゃないですか。
車にも乗ってみたり、車って高いですからね。車買ってみたり、だから車なんか買わないんだって人も最近いらっしゃるけど、
でも車買わない人ってだから代わりにタクシーを使います。それは結局お金で違う体験を試しているわけじゃないですか。
だからお金、車とかね、移動とかにお金は使わずそこを歩いておいしいご飯を食べ、それって結局お金を違う体験に回してるわけですよね。
お金自体を貯めたくてしょうがないっていう、まあそれすらも体験ですよね。だからやっぱり別にいろんなものを試すために様々にお金を使うというのも、
リーフセラピーと精神分析を両方試すっていうのは相当違うんで、やっぱりそれはやるだけの意味はあるんじゃないかなと思うんですよね。
私は多分あんまりやりそうにないですけどね。
はい、そんなところで山崎さんとのやつが所属がいいんですよ。すでに13名の方にお申し込みいただいていて、だってまだ3月ですからね、実施は。
外してこの種のものは3月になってから申し込まれるというケースがすごく多いんだけど、まだ2月の半ばで1ヶ月近くあるのにすでに13名が埋まっていて、
残り会場枠は6枠というところまで来ていますので、
お早めにって言うのがありがちなんですけど、お早めにってしか言いようがなくて、まだ一般告知を開始する手前の段階なんで、
まだSNS等では流してませんから、そこに入ればですね、やっぱりさすがに少しは埋まっていきますので、
ぜひとも早い段階で、特に会場を考えていらっしゃる方、会場に来ることを考えていらっしゃる方はぜひですね、
懇親会等も予定しておりますので、山崎さんが付き合ってくださるかどうかってこともありますが、なるべく付き合っていただいてですね、
少しの時間でもお一緒できればと思っておりますので、ぜひよろしくお願いします。
これが一つ目。二つ目はタスクシュート手帳というものが増発で発売になっております。
これも限定はなくても、なくなりそうになったらすぐさらに増発かけるはずなので、私これちょっと驚いているんですよ。
想像以上にやっぱり評判がいいというか、反応されていらっしゃって、使われてるんだろうなと思うんですね。
これはやっぱすごいなと。何がすごいって、ジェーン・松崎すごいなって、僕なんか改めて思っているわけですね。
いや私タスクシュート手帳って、実際のところそれみんな使うんだろうかぐらいに思ったんだけど、使われるんですね。
あの哲学者の千葉雅也さんが、やっぱ紙にペンっていいよねみたいなことを最近ツイッターで呟いてて、あの方すごいデジタル、もうライフハッカーと言ってしまいたくなる哲学者さんですけども、
しかもその辺のことを哲学する人なんで、ある種の人はすごい読んでて面白いと思うんですけどね。
僕も面白いなと何冊か読んで思ってたんですけど、そういう人が紙とペンだよねみたいな、なんかどっかで聞いたようなことをおっしゃってて、
紙とペンなのか、やっぱり僕が仕事が枯れほどできないな、紙もペンも使ってないからかもなと。
いやー最近改めて変なことを考えたりしてですね、何の意味もなく紙とペンを使ってみようかと思ったりもするんだけど、
まあそれがタスク仕事手帳なのか何なのか自分の中でもまだよくわかってないんですけどね。
そんなことを漠然と考えていたりして、紙とペンっていうのはやっぱり人類これから結構逃れられないのかもしれないなというふうに最近ちょっと思ってみたりもしております。
まあ僕は逃れちゃったところ多分にあるんですけど、しかも僕はあれなんですよ、デジタルですらペンを使えない人間なんだっていうことがね、
iPad miniで、iPad miniとペンってあれすごいじゃないですか。なんかあそこまで行くとアップルさすがだと思うんですけど極地だなって思うんですよ。
で、極地であっても使えていない自分がいるんですよ。全然書かないんですよ。ペンがただずーっと差しっぱなしになっちゃってるわけですよ。
心理療法の重要性
差しっぱなしっていうかくっつけっぱなしですよね。いやもう本当、あの大きさといい、あの軽さといい、あのペンのくっつき方といい、
究極系だなと思うんですよ。これこそがまさにあるべき姿だって感じがするんだけど、使えてない。全く使えてない。ここまで来ると、
まあやっぱり私はこの種のものは使えない人間なんじゃないだろうか。もう早々に諦めた方がいいだろうという感じが。
あれだったら紙とペンの方がいいですよね。なぜなのかは分からない。なぜなのかは分からないんだけど、あえて言うならばやっぱり
iPad miniは落としたくないっていう意識が働くせいだなと。まあ落とさないですけどね、紙のメモだって。でもなんか落としたくないっていう心理が、やっぱりちゃんと支えなきゃという心理が
あれを手に取らせるのをちょっと躊躇わせるんでしょうね。 手書きのメモって結局ほぼ、まあそれも最近は検索対象になるから
もう何とも言えなくなってきたんだけど、だって検索対象になるならば紙に書くより絶対いいはずじゃないですか。
紙のメモを検索対象にするっていうのは本当にアホみたいに金をかけるか、まあどっちにしても大してあんまりいい結果を生まなかったわけですよ、僕としては。
ほとんどの場合検索なんかしないしね、自分の手で書いたもんなって。 まあそんなわけでですね、非常にいろいろなことを思ったり悩んだりいろいろしているわけでありますけれども、
なんて言えばいいんですかね、 タスクシュード手帳は書息がこれも大変、私の目にはですよ、とても素晴らしくてですね、
ちょっと試してみていただいてもいいんじゃないでしょうかっていうのが僕の今言いたいことでした。
僕も試してみてもいいんじゃないかと改めて思っています。
えーっと今日はですね、結局いろいろなことを喋っているし、時間が経過して15分も経過して、
まあでもその話の続きなんですよ、僕の中ではね。 山崎さんの話の続きなんですよ。
グロリアと3人のセラピストという、これはねYouTubeでも見ることができるものがありましてですね。
あーそうそう、一つ何を今思っているかというと、これを私は今3ヶ月チャレンジのユーザーさん向けに喋っているんだっていう意識が入ってきたんですね。
これがフィードバックを受けて以来少し変わったところなんですよ。 まあ一般の皆様にも喋っているつもりはありますよ。
グロリアと3人のセラピスト
そもそもでも僕は誰に向かって喋ってるというのがなかったんですよ。 敢えて言うなら窓に向かって喋ってたんだけれども、
まあ今でもそうなんですけどね、だって目の前に見えているのは窓なんで。 ただあの3チャレの皆さんに向けて喋るって意識はいくらか入れてた方がいいかもなって思ったっていうのがちょっと最近改めてこれが動いていく感じなんですね。
あの当然今告知した以上、一般向けに喋っているんです。 一般の皆さん向けにこれを聞いている全ての人に向けて喋ってるんだけど、
あの特に3チャレの人が聞いてて面白いように喋るみたいなのがちょっと入ってきたっていうのと、 だからだんだん窓だけじゃなくなってきたってことですね。
人が見えてくるようになってると。1000回もやっててそれかって話もありますがそんなもんなんですよ。
ラジオのパーソナリティとかの人が何考えているのかわかりませんが、私の感覚ではそんなもんですね。 素人はやっぱ窓に向けて喋っちゃうわけですよね。
これ僕内的対処に向かって喋ってるんだろうなと。時々母親に向かって不毛ですよね。母親は絶対聞いてわかんないような話を母親に向かって喋ってるっていうのは不毛感がありますが、この不毛感も含めて大事なんですよねっていう話を、
あのこれ精神分析的ラジオなんでね。そういう含みもあるわけです。 一言で言うと夢を見ているってことですよ。
で、えっと、 グロリアと3人のセラピスト。これはね非常に面白くてですね。
私は留学中にこれを死ぬほど見させられてレポートも書かされて地獄だったんですけどでも非常に面白かった。
そもそも当時絶対セラピーにはならないぞって思うセラピストにならないぞって思って留学してたんで、もう僕は全然実験心理学者ぐらいだぐらいな感覚でいましたから。
認知的なね、認知系の実験心理学者っていう意識でいましたから、セラピストなんてナンセンスだって感じだったから真面目に見る気もあんまりしてなかったんだけどすごい引き込まれました。
当時。でも英語だったからよくわかりませんでした。 今はもうほらyoutubeにね自動翻訳までつくし、何言ってるかっていうのよりも大事なところは他にもいろいろあるんで、
今見るとますます面白くてでもびっくりしたんですよ。いろんな意味でびっくりしました。 まずこの3人のセラピストは3人とも紹介するつもりは今日はなくてですね、グロリアって女性が公開セラピーを受けてるんですよ。
これがもうすごいよね。どの程度これを公開されるって意識がすごい邪魔になると思うんですけどね。
言ってたと思うんですけどこのグロリアって人でも普通にセラピー受けてる感じになってるから当時の動画ですからね。
あのなんかこうフォーキーの映画みたいなやつですよ。ギリギリカラーだけど本当に変な音楽が冒頭に入って、もうなんか時代が勝ってんなっていうかこういう時代だったよねっていうかね。
1950年代とかなのかな60年代かな。 ちょっとごめんなさいあのもっとちゃんと言えるべきなんですけどとにかくグロリアさんですね。
うつと当時、欲うつ、いろいろあるなーって感じの方ではあるんだけど英語なんで何しろ、英語だとわかんないことが多いんですよね。母国語って偉大だなって思うんですけどね。
あの人ですよ。カール・ロジャーズですね。カール・ロジャーズがセラピーしているのと、あとあの人ですよ。
エリスです。認知行動療法というか認知療法。 オリジナルですよ。エリスがセラピーしている。だからグロリアさんに対してロジャーズとエリスともう一人の人も有名なんだけど
ゲスタルトセラピーの人だよね。今日はその話はパスして、ロジャーズとエリスがそれぞれ同じ女性に同じようなセッティングでセラピーをしているところがなんとyoutubeでも見られます。
現実と夢の関係
グロリアと3人のセラピストっていう検索かけていただければ見られます。もうこれは一つの金字塔ですよね。
セラピーの世界の古典中の古典。残念ながらっていうのかな、精神分析とは言えないんですけどね、どっちもね。精神分析ってワンセッションだけ切り取るということの価値がある意味最も低いですよね、その辺界隈からするとね。
何て言うんだろう、1回1回のセッションに、ほら、キャンセルにも意味を見るみたいなところがあるんで、遅刻にも意味を見る、キャンセルにも意味を見るみたいな世界になって、ある意味そのセラピーそのものを見せるっていう発想と少しそもそもずれてるんですよね。
まあそういえばロジャーズだってそうだと思うんですけどね。 だから非常に今じゃちょっと考えにくいような、でも今でもああいうのってありますけど、
やっぱりちょっとこう時代的なものもありますよね。 でやっぱ、今日が乗ってくると取られてるなんてことを忘れるんだなって感じもします、はっきり言って。
いやこれまんま普通セラピーだよねっていう、これが劇だとしても演劇だとしてももうセラピーだよねって感じがちょっとしちゃいますよ。
で、私がまずすごい感銘を受けたのはやっぱロジャーズの素晴らしさですね。 ロジャーズって天才だなと、なんかもうセラピストとして生まれてきたんじゃないかぐらいな感じがするぐらい、
あの時代でこれをやってるんだっていう、なるほどロジャーズ派っていうだけはあるなぁと。 今ロジャーズ派は絶滅危惧種だって諸富さんって方がおっしゃってたような気がするんだけど、
もったいないなーって感じがやっぱしますね。 日本で特にロジャーズって流行ったのかもしれないけど、日本人に合ってるのかもしれませんけど、すごいあの
これが何学科であれこのセラピーは効果があるだろうって感じさせるだけの人ではありました。 まず今回はそのことがすごく感じられたという話。
なんでなのかなぁと思ったんですけどやっぱりまあこれはね だからロジャーズはそのつもりがないのにこっちが勝手にそういうのってほんとあれなんですけど
定義が起きているとしか思えないんですよね そういうしか言いようがない感じがする父親定義ですねこの場合
グロリアさんはやっぱりお父さんとの関係が何かあったんだろうなって感じがして ロジャーズはロジャーズは本当もうお父さんとお母さんを簡単に兼任できそうな雰囲気を持った人
本当にこうすぐ親密にこの人親密さを感じてしまう人がいっぱいいるんじゃないだろうかという 非常にこううまいんですよね
と普通に世間話をしているようなのにまあこれが僕はベストだとやっぱ思うんですけれども 通に世間話をしているような感じすらするんだけれども
あのどんどん革新に近いことをどんどんクライアントが自然にしゃべることができるよう になっていくというこれが僕がやっぱり一つあのあるべき姿だろうなぁと思うんですよ
人生相談ってそういうものであるべきでしょうっていう感じがするんですよね でどう見ても僕の感じでは定義が起きているだから夢空間にそこはなっているとしか思えないんです
が前日もこの夢空間で話をしたばっかりなんですけど 要はなんつーのかな夢空間というのはつまり僕らのこの現実空間そのものですよ
ただしただし8もし我々が少なくとも10度の神経症でももちろん精神病でもないならば この夢空間についてその意思があれば考えることができるという点が睡眠中と違うんですね
睡眠中は夢の中をただ生きちゃってるんですよ 僕らは起きてても外してそうやって生きてます
しかしやろうと思えば夢を考えるという対象にできるんですよ 眠ってるとこれは無理なんですね僕名責無で何回かやってみてあ
これ夢だとだから好きな勝手なかどうしようってこれつまり夢を対象化してそれについて 考え始めているわけですよ
夢の中でねでもそうすると目が覚めちゃうんですよやっぱり これは夢だってことは目が覚めるってことなんですよね
だから矛盾があるわけねウィニコットが言った通りだなって思うんですよねここには 矛盾があるんですよ
でも我々現実に来てるとすごく現象学的な話になってくるんだけどこれは夢かもしれない と思っても目は覚めないつまり現実は動かないわけですね
変化しないだからこれについて考えたり検討したりするってことができる これがものすごく大事なと思うんですね
そのさっきのあの 自分の背負う5分もできないっていうのもという夢を見ているってまず考えたいわけですよ
私たちとしては誰誰たちなんだか知らんけどつまり朝起きられません という夢を見てたらじゃあなんであなたは朝起きられないんでしょうかについて考えましょう
これができないんですよ朝起きられない時に朝起きられない時はうわぁもうつらい 嫌だみたいな完全に夢をただ生きちゃってるわけですね
だからもっと布団の中に痛いそこに対してまあセラピスト的に言うわけですよ つまり転移空間の中で言うわけ
はいあなたは今朝ずつらいと思ってます解釈ですよ なぜなんでしょうね一緒に考えましょうと
そんなことを考えたくねーよってことになると思うんだけどそこを考えるということ をしないと
えっとこの問題はいつまで経ってもあなたにつきまといますよねっていうこと これが反復だしあの
なんていうのかな これをこれについて考えましょうねっていう人がいてくれるとまあそれがお母さんなんですけど
ね お母さんはそういうことをしてくれるはずだったんですよ
でもあなたのお母さんはしてくれなかったということになりますとじゃあ今やりましょう だからこれは今ここでやることですね
過去をほじってるわけじゃないですよ 一見そう聞こえるんだけどさっきのお母さんが出てくるから
それは不運でしたよねっていうことなんですよ 不運じゃ済まされないでしょうって言った話が出てきたら
不運には済まされないという夢を見てるんですよ だからじゃあ不運では済まされないということについて考えましょう
どこまで行ってもこれからはのが逃げさせないぞみたいなところが解釈しかしないって ところがあるんですよ
ロジャーズとエリスの違い
ロジャーズってそんなことは言ってないんだけど彼は精神分析家じゃないから 解釈してますっていう風ではないんだけど解釈してるんですよ
でもこれは力動派の観点から勝手にそう見るのかもしれません 精神分析をして大好きな私が見るから勝手にそう見るのかもしれないんで
ロジャーズが言ってるのはあくまでもこれは傾聴共感 自己一致なんだって言われればそうなんだけど
でも僕からするといやこれは解釈だしそれは介入っぽいし とにかく世間話の風でありながらちゃんと介入解釈という介入は控えめ
解釈基本解釈っていう点から出ていないっていうのがつまり設定から外にはみ出さない っていうのはちゃんと守ってる感じがするのがですね
だって触れたりはしないんですよ あのものすごく抱えてる感じ抱き抱えてるっていうのかな
コンテンツしている患者するけど触れてるわけでもない ちょっと身を乗り出したりはするけれどもそんなにこうなんていうのが身体的にあの接触感
みたいなのはあんまりない 授業はすごいしている患者でもかもし出されているというのかな
需要感はすごい強いんですよ 学校でありたいとは思いますよねとは思いました
これがでも夢空間じゃないですかだってロジャーズは父親じゃないですかねこれに近い セリフも最後の最後の方で出てくるんですよ
でもあなたは父親じゃないよねそれは当たり前ですよねみたいなことをグロリア言うんですよ これ絶対すっ
演技と逆転って言いたくなるじゃないですかやっぱり可能性空間と言いたくなるわけですよ 感動的なシーンなんですよ
あのだからこう反対はいいのかな まあつまりこのセラピーだという枠を超えていこうとしているわけですよ
で逆にそれを思い留まらせようという感覚が出てきてそこで終わるんですよ 感動的な終わり方だなという感じがしてですね
いやーこれ絶対グロリアこの3人だったらまあ ロジャーズ受けたくなるよね
僕はんですねそれは僕の観点だからで その後にエリスを見てみて僕はアメリカでも見たししょっちゅう見てたんですけど
でエリスはすごい子は認知療法のさすがしそうだなと当時思ったんですけど昨日 見た昨日か一昨日か見たからですね
いやこれダメじゃんみたいな感じがしたんですよね 認知行動療法ダメだったのじゃないですよ
パン人によって違うんですよね認知行動療法って今アーは絶対しないだろうなって 感じがする
やっぱりス療法なんですよねあれはねどう考えてもそれ演説じゃんっていう感じ しかしなかったんですよねなんかもう枕立ててるというかそれ
まあアメリカ人なんでねこの文化的なすごい違いを割り引いて考えなければいけ ないんですけど
リスの方の奴はもうグロリアに対していやいやあなたこここここここうだからここ こここここここうなんですよみたいな感じで
なんつーのか本当にこうマシンガントークよね そしてこういかにそれが論理的に何かもうロンパって感じなんですよ
聞いてるとまあある意味面白いっていうか笑ってしまったんですけど僕なんか見てて ロジャーズはもうしみじみと感動みたいな感じなんだけど
エリスはもう笑いが出るんですよねなんかこう一歩間違うとこれは芸人なん じゃないかっていう感じがするぐらい
まあこれはだからやっぱり日本人が見る目見る生っていうのと 力道を利きの人間が見る生っていうのはあるんですけど
いやーこれは私だったらこっちは受けたくないなっていうかこれはこれでいいけど 別におかしなこと言うわけじゃないからね
まあ理にかなったことを言ってるわけですよ ただなんかロジックを枠仕立てている人に僕には見えるわけですね
見えたわけですね いやこれは何か
少なくともサンチャレでこれはしないなみたいな認知療法なのかもしれないけど 確かにやってることは認知療法だってのはよくわかるんですけど
今こことかそういうことではないよなそれはっていう カンカン関係ないよねあの要はリリーかなったことをエリスが考えてしゃべって
ますって感じで あのどうですかこうじゃないですかみたいなそのそんなに何種のかな詰めてるわけじゃないんだ
けどでも結構グロリアンを思う 意識版できていやそんなこと言うけど別に私そういうふうに思ってるわけじゃなくて
あの言葉の挙げ足を取ってるだけじゃないみたいな感じでなんかもう ディスカッションになってるわけですよ
なんかこうな一歩間違うと朝生を見ているみたいな感じ あのあなたの考え方はこうでアンチのかな
例えばこう男性素晴らしい男性にセックスの時に受け入れられればそれは素晴らしいだろう でもあなたの良い分を聞いていると一方ではその人に捨てられれば
もうこれは人生は破滅的でとてもそういうのは受け入れられないと言っている それはあなたの考え方が非常に極端でみたいなことを言ってだからそういうことなんですよね
白黒思考すぎるって言ってるわけなんだけどこれがもう雨英語的なんですよ ロジカルに幕立てていくみたいなまあそう聞こえるってこと
エリスがそれに対していや私はその受け入れれば素晴らしいっていうのはその通りだ けども
反対になると人生が破滅だっていうような言い方をしたのはそれは言葉の綾でみたいな その言葉の綾というのはみたいな
かむせてくるんですよ要するにロジャーズとはもう全然違うんですよね雰囲気が違う ロジャーズはその
なるほどみたいな感じです あなたのその今感じていることはですねみたいなあのあれですよ恩返しみたいな全然ロジャーズ
は言わないんで普通に世間話なんですよね あの
とにかくその拒絶というのが怖いんですよねっていうような感じで言ってることは 変わんないんですよある意味では
その アンチのが言ってることは変わん言ってることは変わんないんだけど
拒絶が怖いっていうのとその反対の極端として拒絶されれば人生が終わるっていう 考えるのはロジカルではないみたいなそういう感じでそこをロジカルに喋るっていう
のがエリス風なんですよね これがまあでもようはそういうことをエリスという人は言いたかったんだな
他これが精神分析のアンチテーゼになっているとは正直あんまり思わないんですけど これだって
いいようによって解釈だし結局解釈する人のパーソナリティーが出ているという だからこれが力動的な偏りなんですよ
私はあれだって店員が起きてると絶対思いますも私だったらね あれは店員だとは当然認められないんでしょうけど
いやだってこれ夫と言い争ってる時とか男の人と言い争ってる時 引いてはある種父親と言い争ってるとあるいは母親と言い争ってる時
こんな感じになるんじゃないんだろうかっていう感じ やっぱりそこは夢空間に見えるし
だっても景色バムってそういうことじゃないですか あの別にエリスとセックスについてディスカッションする
言われはないわけだからそれをやってるというもうなんか我を忘れてからがががっと を巻き立てるとそこにエリスがかぶせてくるというね
もうなんかカウンセリングではゴハッとなことばっかりに見えるんだけどではわかん ないですからね
エリスとしてはこれはまさにこうやるべきであってやってこう重要ばっかりしてるから だらだら時間かかるってことかもしれないですね
で私が言いたいのはでもやっぱり僕の感じではこれはこれで変異であり 逆転移も起きてるし間違いなく起きてる感じがやっぱするんですよね
僕の引き目だとしてもするんですよそこは夢空間になってるという感じがするんですよ そうする中でまあ僕の感じではですね
そうする中でやっぱり 愛好が起きるわけじゃないですかつまり転移というのは愛好した思考じゃないですか
どこかで自分があの娘になるということは幼くなるってことですよね幼くなるからこそ こういうところであの感情的にカッカ来てエリスに
こいつなんかし言葉投げ足取り取り上がってみたいな感じで思春期の女の子みたいになっ てるとグロリアがですね
やっぱりその店員が起きてる店員が起きているということは対抗が進んできていて その対抗している中でやっぱりこう
なんて言えばいいんですかねあの 対抗している中でその勝手にそこでこう膨らませてしまっている
恐怖みたいなものだから思春期の女の子だったらそのやっぱり口でどれほど達者の ことを言っていても
あの男性た経験を持つみたいなに対する怖さみたいなの 特にその経験が怖くなくても拒否られる強さみたいなものがそこに芽生えても全然
全く驚くようなことではないですよね つまり対抗が起きていてそれはしょっちゅう起きてるわけですよ
今現在もだからそれが例えば夫が すれない雰囲気を見せたと
これから別途にしようというところになってなぜか歯を磨きに行きやがるみたいなそういう ところに
拒絶っていうものを見るっていう話を結局はエリスとやってると思うんですよねそれは エリスにリスに今日拒絶されることを恐れているようにはもう全く見え
ませんでしたけれども だからあれがなんて言えばいいのかな
精神分析的に見るとですね全くこなれてないわけですよね 店員が起きてるんだから店員解釈しようよって感じがしちゃうんだけど
エリスはそういうことをしないでロンパーみたいになってるわけですねボードがロンパ 感が僕の目にはあったわけですよね
だからその極端な考え方を捨ててもっとロジカルに考えればそこでは拒絶されるということ を恐れるに足らないんだから
もっとこう普通に夫が歯を磨いた後ですればいいじゃんみたいなそういうノリになっ のノリにはなってないんだけどそういうことを言ってるわけじゃないんだけどまあそういうことになって
いくだろうな話としてはっていう感じなんですよ で僕らがそのなんて言うんですかねさっきも言いましたけれども
神経症が重視10度の神経症でもなければあの 夢について考えたいと思いさえすれば考えることができるはずだと
しかしそれは夢の中でやることだしで夢について考えたからって 夢空間でないところに行けるわけではないんですよ
私たちはやっぱり近くというものは夢と同じ構造を持っているはずなので 近くは直接近くをしているわけではないですからね私たちはね
やっぱりこう近くにラベリングもする色づけもしている 意味づけももちろんしているし
8良いものと悪いものを勝手に分けてまあ都合に合わせてですね そういう夢を見ているわけだからこれについて考えるっていうことを
私たちオプションとして持っている だから夢の中で起きることがまあだいたいろくなことではないからこそ考えることもできなく
なるわけだけれども 僕のことでも6でもないことが起きた時ほどそれについて持ちこたえて考えるというそれを
まあまああの坂登ればですよね ご両親がやってくれるはずだったんですけどそこに不備があったのかもしれないし
ある種のことはご両親も考えられなかったのかもしれないし そもそもご両親はたまたまいなかったのかもしれないし
考える能力そのものをほぼ発揮できてなかったのかもしれないけど とにかく何か不備があったとしてもですね
今からでもやり直せるんだというのが精神分析なので私はエリスにせよ もちろんロジャーズはそれをやり直しているように見えたわけですよ
何らかの形でエリスは相当そうじゃない感じはしましたけどでもやっぱりあれだって 夢について考えていることに違いはない
解釈と対抗の重要性
有名だと認めてないだけのことであって考えていることに違いはないわけですよね そんなことをあの思いながらまあ3人のセラピスト実際もう一人いるんですけれど
もうそれはそれで面白いんですけどね まあ見ながらですね
ああなんかこうしてみるとやっぱりそのそれだけじゃいけないんでしょうけど まあこれやっぱりロジャーズカウンセリングとエリスカウンセリングとあのゲシュタルト
カウンセリング つまり学派のカウンセリングに違いはないんでしょうけど
創始者ですね彼らはねあの学派のというよりは その人のだなと
でその人のってことは究極的には 私のこれは引き目なんでしょうけど転移だよねっていうだから転移となってくると少なくとも
ブリーフでは済まないんだよな私の場合にはっていうかはそのお前はそもそも精神分析 科じゃないので転移じゃないって言われるかもしれないけどそうじゃないっていうのは僕の今の
感じるところですよ野良だって人生相談だってロジャーズだってエリスだって 認知療法だって転移なんだって感じがするんですよ
まあそういう意味ですよねそれは精神分析的であえて無視無理やり言うなら精神分析的 野良療法なんだって言われるやそうなんでしょうけどでもやっぱり
変異じゃないかなーって思うんですよねその先日私が見た光景の中であの なんだっけ
まあそのタクシーの店主とトラックの店主が揉めてたんですよね 目の前で私の目の前でもですよ
まあ揉めてたつったって一方的にトラックの運転手が怒鳴ってたんだけれども タクシーの運転者一方的に誤ってたんですけどまあ要はパン屋さんの前でタクシーの
運転手が止めて
パン屋さんに入ろうとしたところ プラックの運転手がそこに止めんなって言って怒り出したわけですよね
a よくあることではないですかつまり長寿がが起こっとるわけですけれども
この なんていうのかな攻撃的な感じがする長寿がが起こってるシーンっていうのが僕ら一般的に非常に
成功への不安
遭遇するある意味嫌な状態なわけですね 電車の中でなんかおっさんに怒られるとかなんか言いがかりつけられるとか
なぜかこういう時いつもおっさんが出てきちゃうんですけどとにかくそういうことって あるわけじゃないですか
あるいはこう仕事でもっと早くやれみたいに詰められるとか あのあれはどうなってんだと詰められるとかまぁだいたいそういう話ですよね
いずれもこうちょっと長寿が的なあのエディプス感のある お父さん感のある人が一方的に言われる側としては理不尽なことを言う
割れるわけですよね 僕はそれはすごくその
さっき言ったセルフマネジメントを5分すら先送る時の心理状態に近づくと思うんですよ この話がさっきのロジャーズからいきなり飛んでるように聞こえるのはですね
結局これは夢を見ていることに違いはないと僕は思うからであって どういう夢を見ているのかというとまあその
フロイト表現を借りるやっぱりフロイト b 機ですからね あの
陰性治療反応っていうのがあるんですよ つまり治療がフロイトは非常に最初にやっぱり彼は最初に遭遇しちゃったからあの治療はうまく
いってるなぁと思うと突然まあ症例ドーラもある意味そうだと思うんだけど フロイトはうまくいってると思ってたわけだから突然こう事態が悪くなったり
中断したりすると それはえっと
陰性な治療に対する反応なんですよ抵抗という概念と 別がすごいややこしいなと思うんですけどこの陰性治療反応ってのはでも松木国老さんも
返すとおり 非常に精神分析的な考え方なんですよやっぱり
まあそのある意味ではですよカウンセラーの勝手な言い分だと思うんですよ お前はいいと思ってるのにだけど俺よくないからあの悪化してるんじゃんって言いたいのかもしん
ないんだけどでもあの精神分析中にというのをカウンセリング中に話はよくわかって きたと
状況も見えてきたとだからこうすればいいということはお互い了承が得つつあると だからこうすればいいじゃんそしてよくなってきたじゃんと思うと
患者さんはどんどん時代が悪化していくというねこれがあの パラドギシカルで非常にやってるがとしては困るっていう話で陰性治療反応なんですけど
ほらあのビジネス書の成功本なんかにもよく出てくるんですか 成功を恐れている人がいるってあれが陰性治療反応のビジネス書流の言い回し
まあそれはだから結局これも同じだよね私が言うお前が見るからそうなんであって あの性これは成功法則の問題なんだって言われればそうですが
あのようは成功しそうになっなるいよいよ成功だって時になると急におじけづいて やめますみたいだね
例えばこれあれですよせなんかスクシュート手帳を多いに売れてきましたああもう本当 素晴らしいねみたいなそんなに多いに売れてるって言われ
いうふと笑われる程度にしか売れてない面もありますがそのまあなんかね 10万部いけるかも飛ぶように売れ始めたって時にじゃあ撤退しますみたいな
そういうことをやり出す実業家もいるとこれが陰性治療反応として フロイトはあのカウンセリングの成功に対して見たわけですよ
それの何って思われるかもしれませんがこれってこれが日常生活のど真ん中で現れると 完全にセルフネグレットっぽい感じに出ますよね
例えばいよいよ寝るぞってなった時に寝るという成功を止める 起きるぞっていうタイミングになった途端に起きることから撤退するこればっかりやってる
と生活がものすごく混乱するじゃないですか これはものすごく僕はよく見る光景だなと思うんですよ
お金がいよいよ儲かるって時になってなんかこうアカブこれから上がりますよみたいな 時に打っちゃうとかね
あるいはこれからお風呂に入りますよっていう時になるとお風呂に入る日が急激に 絞むとか風呂キャンセルするそういうことが起きるんじゃないかとあの思うんですよ
というか起きるだろうな思ってるんですよ これのもう一つのバージョンが
プラザの系統さんが非常に得意とする分野だと思うんですけど 罪悪感が強すぎるために犯罪を犯しまくるみたいなそういう
あのそう肌カイトさんも万引きで書いてましたけどまさにそういう奴なんですよこれも 陰性治療反応的な
半感じなんですよねつまりや罪悪感を持ってんだったら悪いことしなきゃいいじゃんって ことになるんだけど違うんですよ
罪悪感が私はでも罪悪感とともにずっと生きてきた なら私はずっと罪悪感を持っていなければダメになる人間なんだみたいなよく非常に
こう常識的には捉えがたい感じなんですけど この感じって昔ねあのフジコフジョー a さんが得意としてたんですよね
やっぱり僕はいじめっこに逆襲するよりいじめられている方が落ち着くなぁみたいな この感じなんですよ
なんかその自己肯定感が異常に低いみたいな表現を世の中ではされるんでしょうけど これはやっぱり精神分析界隈ではそれこそ
陰性治療反応としてみるわけですよね つまり
精神分析の考えのやっぱりこう独特でかつ僕がやっぱり非常に高納得感が高いと思っ てるのは人間というのは最初から分裂しているのがデフォルトなんだって感じがあるわけ
ですよ だから分裂しているからこそ長寿がというものが8力を持ってくるわけですよね
犬とかでもあるんでしょうけれどもでもやっぱり犬はリアルなボスに従うのであって 内的なボスに従うって発想は多分ほぼ理解に苦しむと自分一匹であるならば
好き勝手やるぜになるわけですよ 好き勝手やりゃいいわけじゃないですか
ところが自分一人しかいないのに部屋を片付けなければとか あのお風呂に入らなければとか早く寝なければって思っちゃうわけじゃないですか
でこれが自分一人しかいないわけだからでもそれちょっとおかしくないかっていう 反抗心も出るわけですよねでも反抗心というのがすでに最初から分裂含みですよね
非常に分裂しているところがあるわけです誰が誰に反抗している えっと自分が自分にですよね自分二人いるじゃないですか少なくともこの段階ですでだから
長寿がっていうものをそこに仮定するというふうな僕はすごくこう 納得感高いなぁって思うんですよね
つまりまあ親対象とかでもいいんだけど内的な親なり自分より偉い人がいてお前 こうしろあしろっていうのを心の中で言ってくるわけですよね
でこいつ当然やなわけでイライラもするわけでだから私たちは例えば酒を飲んでこいつ を眠らせるとすると自分も寝ちゃうんだけどそういうことを考え出すわけですよね
このも本当に俺の中の俺やめてくれよっていうことで えっとじゃあちょっとこいつを酒を飲んで黙らせよ
そうすると自分も黙るみたいなそういうことが起きちゃう体は1個しかないんで あの心の中には2人いても体には体は1個しかないんで酒を飲んだんだけど俺だけ
は酔わないとかできない当然長寿が酔う頃には自分もよあの酔っ払っちゃうんですよね こういう面倒くささがあるわけですよ
であの 2人いるわけですよ2人いるということはですねあの
自分がこれをやればいいはずだっていうことを例えばやっちゃダメと言ってくるとか いやここでもいあのいよいよ大儲けして脱サラだっていう感じになるとするじゃないですか
そうするといやいやお前は脱サラなんかそれダメになる人間だからこの成功は捨てろ みたいな恐ろしいことになるわけですよ
ほぼ無意識に近いところで強烈な力を持っている まあ力が強くなればなるほど無意識化するというですねとんでもない
あのまあこれしょうがないんですけどだって無意識な方が自分がいうコントロールされ やすいから
当然相手のコントロール力が強ければ無意識化されていくんですよ ちなみにこの話をまんままんままに受けないでくださいだから俺は成功しなかったのか
とかそんなにシンプルじゃないですよ これがそんなにシンプルであればあの世の自己啓発本でこと足りちゃうんですよね
そっかーみたいになる人っていらっしゃるかもしれないけどこれはすごい 右予曲説があって
つまり人は2人じゃないんですよ 8人とか9人とか1本味方100人とかいるんでものすごくこの分裂は木に渡って細かーい
複雑なそうでなければ精神分析であんなに時間かかんないと思うんですよね 二人っきりなわけじゃないんですよ
だからあのいや成功に対するブロックをねブロックバスターを外してあの ブロックを外せばいくら儲けても青天井でいいって思えれば
押しでも成功するよみたいな話 これぐらいシンプルだったら幸せなんですけど
だとするとみんな多分通してめちゃくちゃ儲かると思うんですよね 単純にこれだけの話では済まないんですよやっぱり
残念ながらね だけれども基本的にここを見る必要はあると思うんですよ
やっぱり少なくとも2人いるだから長寿がという存在があるがゆえにというか あると同時に罪悪感というものを持ってしまう
ゆえに罪悪感を持っているということはどういうことかというと長寿がというような まあ見張り版みたいなものかなこの場合はあの東方海人さんはそういうふうに書いてたんです
よねモニターしている いやーじゃないですかめちゃくちゃあのなんかどっかの
あのなんでしょうかな行き過ぎた管理学校じゃあるまいし 監視カメラでお前の行動は常時見張られてるんだから
ちょっと些細な悪事も決して見逃してはくれないんだぞみたいな バーサーな悪事ってあれですよ
あのゴミ捨てませんでしたもう些細な悪事だっ するみたいになるわけですよこの罰から逃れたいじゃないですか
当然ながらこれも内心内的な罰なんで あの人に見え人知れずすごい嫌な思いをするわけですよ
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非常にこうじわじわくるようなせめくをね24時間体制でやられているわけですよある種の 人はこの分裂が酷い人の場合はってことですね
でこの分裂が起きているときにあの あれですね一つには
この長寿がを 出し抜いてやろうこれが藤畑さんが書いていた例ですね
このふざけたというか嫌な長寿がを出し抜くために俺犯罪をやって見つからないということ はお前この犯罪行ってね
いや犯罪とか万引きとかするとひどい目に合うんだぞと いやひどい目に合わなかったじゃんみたいに言いたいわけですよ
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日常生活への影響
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内心の長寿がじゃないんですよね 長寿がとの関係での時間は犯罪を求めていくっていう心理状態があってここで犯罪と
までは言わないまでもですね やっぱりちょっとした冒険ぐらいな感じでまぁ例えばちょっと悪いことをしてみると悪いことを
したくなるよくっていうのはですね昔私結構ライフワーク界隈であのそれこそ 聞いてたんですよね悪いことを自分にしてやりたいみたいに思うことがあると
基本これで説明がつくと思うんですよね悪いことをすると酷い目に合うんだ いいものだけを食えいいものだけを食えって言われてるから
いいものだけを食わないと24時間体制でお前が食ってるものはなんかそういうアプリある けど
あの見張ってるからなぁみたいなそれは糖質多すぎるんじゃないかとか それだけ運動してるのかとかそういうことを常にモニターされているといやもう
違いいいよもうチョコレートバリバリ食ってやるんだよ これは健康別に何ともなかったじゃんこれでスッキリするっていうのがあると思うんですよね
だから僕はああいうことは一切やりたくないし 絶対オススメもしないわけ極力外部のものを自分の長寿がの見方をさせないという
この外的な状況を長寿がの見方をさせずに ただ長寿がとのやりとりにおいてはですね
徹底的にこうなんていうのかな紳士的に行くべきだっていうのが最近思うんですね 喧嘩するとこの長寿がに対するスッキリ感で終わってしまうんで
また同じことをずっと繰り返すことになるんで あのここに多分
タスクシュートなりライフログなりのあの精神的効果ってものが少しあるんだろうな っての最近知ってきたんですよね少しですよ
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関数を制しているものは存在しないぐらいな勢いなんでこの勢力を変えていく っていうのが昔こういう話を少し3ヶ月チャレンジでもしたことがあるんですけど
この勢力本土動かしていくっていうのが精神分析の目指しているところなんだろうな 力道じゃないですか自民党の勢力って言うじゃないですか
生きるを変えていくためにはあの 対象関係のその対象関係は心の中の国会みたいなもんで対象関係の関係を変えて
動かしていく 揺さぶりをかけていくっていうことに尽きるんじゃないかと思うんですよ
長寿がをなくすとかは全く現実的じゃないんで s とか長寿がとか自我とかなくなるはずがないん
ですよ 少なくともこの密度萌え密度萌えでもすでに十分複雑じゃないですか
でも密度萌えなんかじゃ済まないんで長寿が対象って簡単に言うけど 親対象だとすると父親対象母親対象それぞれいておかしくはないし
そこに学校の先生とかが加わってるでしょうし 兄弟とかもいるでしょうし対象はゴロゴロいるわけですよ
そこに自己対象みたいな概念まで含めていくとですね で悪い父親対象いい父親対象悪い母親対象
いい母親対象 少なくとももう身内だけでも相当数になって言って簡単には
終わらないんですよねこれはねだから現実にまず 加担させないってことです
我々の現実はややもするとすぐ長寿がに加担するんですよ なんかの食事の管理アプリとかなんとかの管理アプリと管理ってものは基本的には
全部長寿がなんで僕はほんとこいつらねあの一掃したいと最近思うくらいに ライフハッカーにある間近
長寿がの影響
言動ではありますが極力使わねえぞっていうのがもうねあの決心してるんですね なんならもうなくしていきたいぐらいな勢いが僕の中にある
便利ですよでも便利っていうの言葉をよく突き詰めると長寿がにとって便利っていうのは 絶対出てくるはずなんですよ
だってカロリー計算一つとってもそうじゃないですか 最近では特にその辺ちょっと社会問題的に話題にもなりますけど
bmi がどうしたこうしたっていうのを結局のところは えっと保険料みたいな話と絡めてくるとですね
から分ですよねすぐそういうのってね 健康管理するのは国のためみたいになりかねないわけですよ
いいことだからいいじゃんって思えるかもいいことかどうかなんてわかんないわけ じゃないですか
健康管理を死ぬほどしてれば死なないかってそんなことはないわけですから そして何よりも問題なのはこれをやると24時間体制の長時間に力を与えることになります
よね いやーのホラーわかったかます県もこう言ってるみたいです
すいませんあの実名出してしまいましたけれどもでもそういうことなんですよ 僕はそれぐらいはあの悪いものだくらいに思ってるところありますから
やめましょうとは言わない止めましょうとは言わないけれども あのこいつらに力を与えないことこいつらっていうのはアプリにじゃないですよ
長寿が軍団にですね長寿がに力を与えないことですよ 長寿がに力を与えない限りアプリいくら使おうとそんなことは関係ないんですよ
あんまり真面目に考えるのはやめましょうってことですね 精々言えることとしては私はその行動に対する
アドバイスはしたくないとやっぱ思いますんで使いましょう使うのをやめましょうみ 使うのやめるってのはそもそも行動に対するアプアプローチとは言えないですよ
使わないってことは何もしないってだけなんで何もしないというのをあえて言うならば 言うんだけれども何もしないっていうのも結局
行動に対する何かなんでこれは内心の問題なんですよね やっぱし内心の力関係の問題なんですよ
中ちょっと話が浮いちゃったんだけどタクシーと トラックっていうのも結局のところそのトラックさんは長寿が発動したわけですよ
ここに止めるべきではない 邪魔だと
これを言うってことはいずれ自分が何か邪魔をした時に 8その人はどういう態度を取るんですよ自分ダメージ強烈に受けるんですよ
長寿がの攻撃を食らうこれを僕は一番人生では厳しいことだと思ってるんで その人の行動欲し制限し不自由にする
決してその結果が幸せなものにそうそうはならない 必要悪に近いものなんでね
あの欲しだの制限だの不自由だろう だって究極系論から出られなくなるわけじゃないですか
不自由ってことはですねやっぱり究極系はあの
陰性治療反応の概念
多分幸せって方向には向かわないわけですよ なきゃ困るかもしれないけど長寿がの言うとおりにしていれば幸せになるってことはまず考え
られない なぜならば幸せというのは s の満足にあるわけですから基本的にはそうですよね
結局生きてるってことが幸せだってことは長寿がってのは s の派生系なのであって 長寿がの満足だって
究極的な s の満足に他ならないわけですから 性欲にせよ食欲にせよそれをまんまむき出しにはできないっていうかそもそも
まんまの形だ現実には出てこれないんですけれどもそれをある意味マネジメントするの が長寿がなんだけどそれは s のためにやってることであって
長寿がのために s が動いているわけでは決してないわけですからそういう意味では あの
s はどこに行ってことになっちゃうのが一番問題なんだけれども 長寿が邪魔だからもう s 抑止するってよくわかんないことになってくると
そういうことになると思うんですよね 妊娠治療反応ですよね
妊娠治療反応というのが私たちの日常生活では一つの校 夏ですかねあの見るべきポイントなんだなぁっていうのを
なぜか昨日そのロジャーズのがエリスのを見ていて多分これはあれですね やっぱりそのエリスの
両方というものが僕には定義見えるけれども 美容によってある長寿が主導に見えてしまう
そんなことはエリスはマック意識してないというか望んでないと思うんですけれども どうしてもそういうふうな
あの結局そのロジックって言ってるのは文化的に望ましいって意味になっちゃわ ないだろうかとそんなことはね
十分考えられたと思うんですよ考えられたと思うんだけど受け手としての感覚ですよ ねこれはねやりてやってる側の意思がどうこうではなくてそれを受ける側の人間と
してはやっぱりグロリアはなんかやっぱりこう っていう感じになってだからバッとこうやんなきゃみたいな
そこにやっぱり長寿が的なものを僕は働くと思うんですよ やり込めるべき理由なんてないかもしれないけれどもここでは負けられないみたいなロジャーズと
のやりとりの中ではほぼ全く出てこなかったい そういう意味ではああいう部分も出てくるっていうのも大事なんですけども
その発想自体がやっぱり力動的だなって感じはするんですけどね いずれにしても陰性治療反応
それはあの抵抗というものと何かこう 近い感じがするんですけれども常識的な抵抗よりもさらにわけわからん
感じがしますが実は僕らはこれ所中しょっちゅうですね あの歯を磨くとなると歯を磨きたくなくなる
あの何かがうまくいきそうになるとそれを手放したくなる せっかく付き合えた彼氏をすぐあの手放したくなる
創的から元気を使ってそれがまあローゼンフェルドが展開させていた発展させて いった
陰性治療反応でやがて戦亡みたいな話と結びついていくと思うんですけれどもまあいい 加減にしておきますね1時間超えましたね
01:00:56

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