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2022-03-28 31:08

【GMV 571】先送りしそうになったら考える

自力と総力
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日はですね、これをやるのにわりと悩んだんですね。
というのは、ここのところ、ゼフ腸でして、この状態で収録最後までいけるかなっていう不安がよぎるんですよね。
ここまで来ちゃうってどうなのかと思うんですけど、こんなことはまあないんですよ。
熱が8度くらいあったって30分くらいはいけそうなものなんですけど、なんかここのところですね、そうではない感じが時々くるんですよね。
まあ、たぶん大丈夫だと思うんですけど、しゃべってる感じなんてことないと思うんですよ。
これ、ここの腸の特徴で、原因はいろいろ考えられるんだけど、むしろ原因を多く考えられすぎて、
つまりこれといった一つをピックアップしてみると、どれも全く大したことがなくて困るんですよね。
トータルではすげえなんかくるんだけど、どれ一つとってもですね、調子の悪さが見えてこないんですよ。
こういうことも起こるんだなと思いました。
例えば私、何かというとすぐ皮膚とかに出やすいんですね。アトピー持ちだから。
一個もないんですよ。一個もないっていうのも変な言い方だけど、とにかく肌は調子いいんですね。
なんだけど身体的に調子がいい感じは全くしないんですね。
こういうのって僕あんまり経験がなくて、以前私がすごい調子が悪かった時は、
これがいわゆるグッドファイブスにのめり込むって言ったらあれなのかもですけど、
興味を持つ大きなきっかけになったのが前の時のこの種の不調だったけど、
あの時は身体反応如実にありましたから、今回のはもうないんですよね。
そういうわけでちょっと困ってしまうんですが、まあまあしょうがない。
幸不調はあんまり考えずにやることにしてるんで、今日はやってみてます。
先日ですね、タスクシュート系のオンラインセミナーで、
私のタスクシュートを動画で公開したんですね。
これも実際初めてのことではなかったと思うんだけど、反応は割と大きくて、
やっぱりこれは動画じゃないとあれなのかなって思ったんです。
ところでですね、タスクシュートを動画で公開してそれに意味があるということは、
間違いなくタスクの並べ替えをしてるはずなんですね。
あれ、タスクの並べ替えを模試するところを動画に映さないとすると、
何の意味もないじゃないですか。
ただ現在時刻を入力し終わらせるっていうのを早送りして、
03:00
タイムラプスですかね、お伝えするっていうだけになってしまうわけですよ。
つまり書いた通りに実行していくだけならば、
動画で見る価値は多分全然ないものだと私は思うんですね。
で、タスクシュートを動画で見せることによって、
意味が出る、反応があるということは、
二つ理由があると思うんですね。
タスクが一つはですね、情報としてリッチである。
そしてリッチである。
つまり、いろんな属性持ってますよね。
モードだの、僕はあんまり注視してないけど、
モードだの、プロジェクトだの、そして見積もり時間というやつですよ。
私はあれはミニマム時間って言うべきだと思うんですね。
この行為をすれば最低これぐらいの時間はかかるだろうという時間なんだと思うんですよ。
この情報を持っているものをどうにでも並べ替えられるって、これが第二点。
この情報を持っているものをどうにでも並べ替えられるというのが、
あれの多分最大の勘どころだと思うんですね。
ということはですね、例えばどういうことかというと、
並べ替えるという概念で基本的には捉えていくから、
そもそもあれですよね、原型となっているタスクシュートはエクセルじゃないですか。
これがもう製作者さんが並べ替えたいと思っていた証拠だと思うんですよ、原理的に。
様々な軸で並べ替えられるように作られていたんですね、当時から。
並べ替えをするぞっていう意思がはっきりあったと思うんですね。
並べ替えという概念で捉えるということはどういうことかというと、
先送りという概念はそこにはないってことなんです。
私は先送りのコントを書いちゃいますけど、あれは基本メンタルを問題にしているのであって、
タスクシュートの枠組みではないんですよ。
こういうことを言ってもですね、お前はタスクシュートの本も書いてるし、
先送りの本もメンタルで書くとか言ってるけれども、
読者はそうはわざわざ分けて読まないだろうと言われれば、その通りなんですよ。
その通りなんだけど、著者はそういうつもりで書いているってことですね。
で、先送りという概念はタスクシュート上では要らないんですよ。
なぜなら並べ替えという概念を持っているからですね。
これは言葉の綾みたいに思われるんだと思うんですけど、
そんなことを言えばですね、先送りというのはそもそも存在しなくていいものなんですよ。
先送りっていうのは、これを次にやることが正しいことなんですっていう前提を持っているんですね。
その前提自体が嘘だから並べ替わるわけです。
あるいはその前提自体が嘘だから実際にはそれは行われないんですよ。
ここで議論が白熱しやすいんですね。
もう一つあの日、タスクシュートセミナーの中で議論が白熱した。
私はそこで議論が白熱するというふうに全く思っていなかったから、
一つには意外性があったのと、もう一つはやっぱり私が調子が良くないから白熱しちゃったんだなと思うんですけど、
06:05
先送りと全く同じことなんだけど、その日は娘を迎えに学校に行ったんですね。
それは形式上ですよ。形式上は割り込みの形を取ったんですよ。
どういうことかというと、タスクシュートでは書かれていないものが入ってきたら割り込みなんで、
事前に書かれていない呼び出しに対応して娘を迎えに行くというのは割り込みの形を取るじゃないですか。
ここでなぜかそれを事前に書いておいてはいけないのかという話になったんですね。
事前に書いておいてもいいわけですよ、別に。
問題は確率の問題だって話だったんだけど、確率の問題ではないんですね。
確率が高いことは書いておくべきだし、それが起こる確率が低ければ問題にしなくていいっていう、
そういう感覚が発生するのはよくわかるんだけど、私はそれは大きな誤解だといつも思っているんですね。
昔、倉園さんと、昔でもないけどちょっと前にぶっちゃけ相談の動画の中で、
これが起こる可能性が99%だろうと90%だろうとそれを事前に起きるかもしれないということで、
不安で身構えておくというのは平安ではないって話があったんですね。
これで99%なら確実に起こるっていうふうに考えるべきなんじゃないかっていう議論があったんですよ。
議論というかそういう問い合わせみたいなハガキですよね。
質問ですよ、あったわけですね。
私は、倉園さんと同意見で、仮にこれが100%起きることであったとしてもダメだっていう感じなんですよ。
ダメってことはないんですけどね、別に。
何でかっていう話になるかもしれない。
100%起きる、100%起きるなどとは言えないと思うんだけど、
未来について抱く予測、それは不安から来る予測は頭の中のことなんですよ。
決して頭の外にそれはないはずなんですね。
100%って言った時にはその人は頭の外にもあるはずなんですって言ってるわけですね。
これをごっちゃにするのをやめましょうという話なんです。
だと思うんですね。
イリュージョンってのはそういうことだと思うんですよ。
頭の中にあるもののパーセンテージは関係ないんですね。
頭の中にあるってことが問題なんですよ。
頭の中にあることは現実にありませんよと。
これをこの点について私はこの番組でもすごくポッドキャストの中でも言ってるわけですね。
カウンセリングと精神分析、特に精神分析というのは
この2つをきちんと分けられるようになろうねっていう訓練だけじゃないけど
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この訓練は大事な意味を持つと思うんですね。
あんたの頭の中で起きていることは現実じゃないんですよと。
これをごっちゃにするような真似はダメですよっていうのが精神分析なんですよ。
ただ精神分析というのは非常にそこのところのやり方が込み入っていて
一旦あの形を取る、一旦そういう幻想を持ちやすくなるんですね人は。
普通の人でもなるはずで、特に精神的にうまいっている人はなるんですよ。
ほぼ確実に現実と空想の区別がつかなくなってしまう。
一旦その状態においてから徐々にそれを解きほぐしていくという経験を持つことによって
自分でもその2つを分けていくということができるようになる。
そういう訓練なんだと私はあれは思うんですね。
で、同じところがあるわけですよグッドバイブスにも。
それはイリュージョンなのかそうでないのかというのをうるさく言うのは
いやこれはイリュージョンだと分かっているんですがって平気で
多くの方が平気でこれをおっしゃるんだけど
分かっているということはイリュージョンって苦しむことあり得ないんですよ。
分かってないから苦しむんですね。
分かっていると頭では分かっているとかそういう話をいくらしてもダメで
脳内でそれが起きることのパーセンテージを測っている段階で
すでに頭でも分かってはいないんですよ。
イリュージョンというのはそれはないものなので
将来発生したとか将来発生確率とかそういう話をしてもダメなんですね。
脳内にあることは脳外には今ないですよっていう話なんです。
で、私はタスクシューとも基本は全く同じだと思うんですね。
これからやることのタスクは全部イリュージョンですよ。
だけれどもやっている時のタスクはこれは現実です。
で、やったことのタスクっていうのはこれはイリュージョンなんだけれども
記録として残っていくと。
この3つは別物ですよっていう点がものすごく大事だと思うんですね。
だから過去の部分は並べ替えできないじゃないですか。
未来の部分は並べ替えができるじゃないですか。
ってことは確定してないってことですよね。
そして現在やっている最中のものは特別な印が付いていて
しかも並べ替えの対象外ですよね。
既に現在やっちゃってるから。
ここをはっきり分けないと
やったら意味がなくなってしまうんです。
だからこれが起きる確率が何パーセントかとかいうことを
脳内で考え出してはいけないんですね。
100、これはやるだろうと。
トイレには100、今日中に行くだろうと。
いうものだけは、しかもそれは過去にやっていない。
いうものだけは、しかもそれは過去に行ったという実績を持っていて
いうものだけは置いてもいいよってことなんですよ。
置かなきゃダメだよということではないし
まして、そうでないものも置いてはいいよってことにはならないんですね、あれは。
そこのところがto-doリストとものすごく違うところなんですよ。
12:01
だからある程度の、少なくともミニマムかかる時間に関しては
見積もるということを許されていると。
そういう感じで私は見ているんです。
もちろんこう見ないという人もいるし、別にそう見なくてもいいんですよ。
あれはツールですからね。
もう一つ、この議論が白熱したときに私が感じたことは
これはトイレドイツカだって思ったんですね。
トイレドイツカは専門用語だから、説明用すると思うんですけど
僕は大体はしょってるんですけど
要は、繰り返し繰り返し行動によって
それがどういう意味なのかをコミュニケートさせられるということなんです。
今の説明は分かりにくかったと思うので例を挙げますが
戸畑海人さんが最新作で
何でも見つかる夜に心だけが見つからないという本の中で
めちゃくちゃ女性に怒られますよね。
めちゃくちゃ一方的にあんたは心の分かっていない
無能なカウンセラーだし、もうカウンセラーですらないということを
一方的に撒き立てられたというシーンが書かれてるんですね。
あれが私が思うに、戸畑さんはそういう言葉を使われてなかったので
はっきり分かんない面もあるんですが
多分トイレドイツカだと思うんですよ。
こういうことを、あのクライアントの女性はされてきたんですよ。
おそらくはお父さんとかに。
そういうことをされてきたということを伝えているんですね。
ただそういうことをされてきましたと
いくら言葉で言っても分かってもらえないからするんですよ。
これがどういう気持ちか分かれっていうわけですよ。
極端に言うとすっごく殴られてきた子がめちゃくちゃ殴って
私はこういう目に遭ってきたんだぞっていう
それをトイレドイツカって言うんだと思うんですね。
再演という感じが私やっぱりするんですね。
再び演じる。
一つの、よく時々例える人がいるんです。
戸畑雄さんなんかもそうですね。
なんていうのかな。精神分析だけじゃないけど
カウンセリングの場は演劇、劇場みたいなもの。
実際今回戸畑さんはそう書かれてました。
劇場っていう言い方をされてましたけど
要するに演技してるわけじゃないですか。ある意味では。
そういう演技している世界の中で白身の演技になっていくと
そういう気持ちになっちゃいますよね。
それを再演しているという感じがするわけですね。
それをトイレドイツカって言うわけですね。
で、私は繰り返し先送りをしたいという気持ちになる人から
投げかけられている気がするんですよね。
そういうことがふっと起こるんです。
タスクシュートに関する議論の中で。
その人は多分、というかこの議論が始まる時はいつも
15:03
タスクシュートであれ、トゥートゥリストであれ
ここはもう何でもいいんですよ。
書いてあることができない。
で、違うことをやって翌日にしてしまう。先送りだ。
そして罪悪感が発生する。
これがどういう気持ちなのかが
僕に分かってないと思われるんだと思うんですね。
だからどうやってか知らないけれども
これについて繰り返し繰り返し議論が上がってくる。
私のところに繰り返し繰り返し寄せられる
おそらく最も多い質問の一つが
やろうとした時にそのタスクを実行する気にならなかったら
どうするんですかっていう問いなんですよね。
ストイシズムで乗り切るっていうのは許しませんよっていう問いなんですよ。
だから仕組み化で乗り切れって話になるんですよね。
だけど書いておいたことを実行するっていうのが
それから逃れられないような仕組みが出来上がっちゃったら
それはデスノードですからね。
ヤバいことこの上ないんで
それに書いてしまったことはもう実現してしまうという
恐ろしいことになってしまうんで
というわけだからそれは漫画なんで無理なんですよ。
何らかの意味では仕組みがその人を実行を強制することは
不可能に決まってるわけですよね。
タスクシュートだってもちろん同じで
書いてあるから出来るなんていうことはあり得ないわけじゃないですか。
あり得たらヤバいわけですよ。
あり得るんだったら何だって書けちゃいますからね。
だから実行確率とか実現可能性とかいう話になるんでしょうけれども
そういうものではないんですよ。
脳内にあるものをいくら確率が高いとか
100%になる仕組みを持ってるとか何とか言ってもダメなんですよ。
当然。まだ起きてないことなんですから。
で、これを繰り返し繰り返し言われる。
そして繰り返し繰り返し私はそれに対して答えているうちに
だんだんだんだんですね
なんて言うんですかね。
興奮してくるという言い方をしてもいいですし
だんだんこう重くなってくるっていう感じが出てきて
重くなってくるっていう感じが一番近いですね。
またこれを説明するのか。
しかもいつもそうだっていうイリュージョンなんだけど
いつもそうだけど私の言ってることは
ただ難しく理屈をこねてるだけで
ちっとも本当のことは言われていないように
思われてる気がするとか出てくるわけですよね。
これは何かというと先送りしたい人の気持ちだと思うんですよね。
こういう気持ちになるから
もうやりたくないなって思うじゃないですか。
これが私に投げかけられている問いなんだと思うんですよ。
戸畑さんは一方的に幕を立てられて
その通りだと思うけど
でもあまりにも一方的だと感じて
ふと思ったわけですよ。
18:01
この女の人が言われてきたことも
私が言われてもしょうがないことだけど
それにしても一方的だなと感じたと。
同じ感じを抱くための
それは再演なんですよね。
私も全く同じ感じを抱いてしまうんですよ。
もうこの先送りに関する説明なんて
別にやらなくたっていいじゃんって
先送りしたくなるわけですよ。
別にこれじゃないところの説明をしようとか
もうそもそもタスクシュートについて
この種の議論が出てきたら
なんか適当なことを言ってごまかそうとか
そういうふうに思うようになるんですよね。
繰り返し繰り返し
同じ人とは限らないんですよ。
いろんな方からそれを
ここに投入されて見てみると
自分はできるしみたいになるわけですよ。
つまりこの問題を棚上げにしたくなるんですね。
これが先送りじゃないですか。
ある何らかのそのタスクに
まつわるややこしさ、苦しさ
重々しさみたいなのがあり
そいつを棚上げにしたくなると思うんですよね。
もし仮にその名称としてのタスクを
実行したとしても
そこのところを棚上げにしてしまったら
やっぱりそれは先送りになっちゃうと思うんですよ。
例えば原稿を書きますとか
あるタスクとしてね
だけどここ書きにくいなと思って
例えば全然違うところを書いちゃうと
でもタスクは実行したことにしましたと
でもそれは棚上げですよね。
一番書きにくいところを目をつぶるみたいな
そういう話が昨日
書き上げ塾で出たんですけどね。
私は問題にしたつもりだったんだけど
なんかやっぱり問題に
まあ問題にしたんですけどね。
そういうところが出てくると思うんですよ。
ものを書いている。
ここを書くのは気が重い。
回避して違うところを書くみたいな
そういう先送りもあると思うんですよ。
タスク上には
タスクリスト上には
そういうことは現れてこないけど
心理的にはそういう事態を招き
そういうことをしてしまうということは
あり得ると思うんですね。
書き上げ塾は第6期が
もう応募しておりますので
よろしければお早めに
これ結構最後の最後になってみると
いっぱいになってたりするんで
今だと割引も来ますんで
3月中ならば
グッドバイブスの公式サイトの方から
お申し込みいただければと思います。
これですね、非常に私は
昨日もあったんですけど
人は書きたいものがやっぱり
1,2冊はあると思うんですね。
それを書いていくっていうのは
とってもいいことだと思うので
それこそ先送りにしてきたと思うんですよ。
時間がかかっちゃいますからね。
でもあるならば
あるいはある人を知ってるならばですね
ぜひこれを書いてみるなりしてみると
入って書いてみるなりされると
21:00
よろしいかなと思います。
書き上がるっていうことは
やっぱり一つの出来事なので
小さくないと思うんですよ。
それを言うのが
書店で山積みになるかどうか
みたいな話をしなければですね
書店の山積みとか言うのは
イリュージョンですからね。
それこそ。
そういう本もありますけれど
普通の人にとってはほぼイリュージョンなんで
まず書き上げるっていうのは
昨日思ったんですよ。
やっぱり書き上げないといけないよなっていう
そういうふうに思った。
そういうふうに思える塾なんで
オンラインですけど
でもオフラインで実際に参加することももちろんできます。
統一とか様々な授業で
オンラインでの参加もできます。
それで
統一とか
私に先送りというものが
ぶつかってくるというか
投げかけられてくるというか
私も再現させられると
そういうことなんだなと思いました。
そして改めてその時考えてみると
その時考えられるかどうかが
カウンセリングの一つの山なんですよね。
そこが一つの分岐点になると思うんですよ。
カウンセラーが
統一化させられると
そこまでは絶対起きることなんで
ただそこで
踏みとどまって考えるっていうのが
分析家とかカウンセラーと呼ばれている
訓練を受けた人にできることだと思うんですね。
私はそこで
踏みとどまれずにある意味
議論に乗っかっちゃってたわけですけれども
議論に乗っかっちゃうというのはダメなんですよ。
つまりその時に
同じ気持ちになっちゃっているだけでは
ダメじゃないですか。
その人のコピーができあがるだけで
役には立たないわけですよね。
そこで踏みとどまって
ものを考えるという必要があるんですよ。
このシチュエーション、こういうふうに感じている
その中で自分が先送りというものを
回避するには何ができるのかと考える
それを相手に伝えるというのがポイントですよね。
で、やっぱり改めて考えるまでもなく
タスクシュートを使っているならばですね
並べ替えるんですよ。
そして罪悪感を持たないと。
そういうことなんですね。
必ず並べ替える。
そして罪悪感は持たない。
罪悪感を持って並べ替えてしまうと
先に送ったと思ってしまう。
その先に送ったタスクというもの
先に送った行動というものに対して
次に遭遇する時は
ますます嫌な気持ちになるんですね。
そこにネガティブな意味を貼り付ける。
で、このネガティブな意味というのは
最初に並んでいなければなかったはずじゃないですか。
だから実のところ
タスクシュートでは並べ替えと言うし
そもそも先送りというものがないわけですよ。
並べ替えられるということはないってことですよね。
24:02
もし現実にあるものならば
それはそうホイホイと並べ替えられたりはしないんですよ。
だから記録って絶対並べ替える意味がない。
記録を並べ替えたらもう改ざんですよね。
そういう意味で私たちは
それを実行しようという時にはですね
並べ替えてもいい。
ただしその時には
もうわずかでも罪悪感は持たない。
だから私はよく思うんですよ。
何をしてもいいと思っておきましょうと。
そこで動画を見たり
したりするのはですね
悪だと思っていると
必ずそれを実行する時に
もっと嫌な気持ちにならなきゃならなくなるので
イリュージョンが少し現実化するっていう言い方は
倉園さんがおっしゃるんですが
その通りで先ほど最初イリュージョンだったはずなのに
今や現実になっていくわけですよ。
本当のこととして
現実にこれが嫌だから回避するっていう行動を
現実にとっちゃうわけですよ。
この二つは違うと思うんですよ。
何かが嫌だから
それを回避して動画を見るというのと
その時間に動画を見たから
その次に原稿を書くことになったというのは
話が違うと思うんですね。
だけれども現象は同じじゃないですか。
タスクシュート上では並べ替えることによって
その同じ現象を実現できるのに
それをわざわざ先送りという
捉え方をしてしまうことによってですね
事態を一気に悪化させるということにしかならないわけですよね。
だからこのイリュージョンは
持たないに越したことはないはずなんですよ。
私はそれは持たなくなったんだけれども
持たされそうになるわけですね。
そういう議論をずっとしているうちに
これについて前向きにやることはもう無理だ。
結局そういうことなんだと思うんですね。
先送りっていうのは。
これについて前向きに取り組もうと思うことは
もう無理だと。
少なくとも今は無理だと。
だから今はこれについて前向きに取り組めないので
前向きに取り組めることをやろう。
これは並べ替えではないんですよ。
そこにもっと遥かに冗長的で
ネガティブな意味がくっついてしまっているので
順番の操作では済まないことが起こっちゃっている。
それを起こしたくないわけですね。
こういうトエドイツカが起きた時には
私の中ではトエドイツカなんだけど
考える必要が絶対にあります。
つまり先送りをしたいと思った時は
考える必要がある。
心の中がこれをやらなくちゃいけないけど
できないみたいなそういうネガティブな思いで
心の中がいっぱいいっぱいになってしまったら
もう無理だと思うんです。
やっぱりここに隙間を作って
27:00
そこでここで起きていることは
一体どういうことなんだろうと
自分は何が嫌で
何を実際はしようとしていて
そして例えば
これを自分がしなきゃならないんだけども
人に手伝ってもらうことはできないんだろうかと
ここもちょっと危ないものがあるんだけど
人に手伝うというのは
その人に丸投げするという意味では
ダメなんですよ。
人に何かサポートしてもらうことは
できないんだろうかと
自分の空間の中でですね
クラゾンさんが時々
全て力って最近呼ぶようになった
僕はただ総力を上げるって
言いたいだけなんですけど
同じようなものです。
何でもいいんですが
時間にだけ目を向けるのは
やめましょうということです。
周りに何かあるんじゃないだろうかと
それ自体がどういうもので
その空間に何があって
あるいは自分という肉体は
どういうことができている
ということを全部
一から考えてみるということなんですね。
これをただただ時間軸だけで眺めると
今は難しいから
明日の午前中という時間に
おけばできるかもしれないとか
そういう話になったり
あるいは同じことなんだけども
明日の午前中になれば
前向きな自分の気持ちに
切り替わっているかもしれない
時間軸とその上にいる
自分のメンタルと身体と
そういうものをただ乗っけて
シミュレートしているだけになっちゃうんですね。
しかもそれが当然だと
皆さんおっしゃっているわけですよ。
その時にそういう気持ちになる確率
とかいう話になっちゃうわけだし
その時にそういう気持ちになるためには
睡眠時間が何時間
その前にカフェインを取らないとか
あるいは撮るとか
BGMを流すとか
全部時間軸の上に
メンタルだけを乗っけて並べておいて
こういう順番にすれば
できるんじゃないかとか
いう話をしちゃうんですね。
タスク仕事っていかにも
そういう風に使えるんですよ。
でも私は横に使うべきだと思うんですよね。
縦に使うんじゃなくて
横に今実行しようとしている
その周辺だけを見て
せいぜい見るタスクも
今の時間帯に限って
2、3個に絞って見て
それでその中で
何て言うんですか
やっぱり全て力なんですよ。
全ての人
これに関係してくれるような人の
力も借りて
実行することは
できるんではないだろうか
って思えるかどうか
なんだと思うんですね。
こういうこともあると思うんですよ。
例えばこの
Good Morning Vibesがそうだけど
奥さんが起きている時間帯には
やりたくないとか
全て力っていうのは
奥さんが寝てくれている
30:00
ということがサポートなんですよ。
起きて一緒に
何かを手伝ってくれるとは限らない。
むしろそうすると
うまくいかないってこともある。
これを邪魔って言ったりするんだけれども
邪魔って言葉はすごく
土居さんも前の構造で
邪魔って言葉の独特性について
語ってましたけどね。
そういうことではないんですが
そこで寝ているときに
これができるっていうのも
私は一つの全て力だと思うんです。
こういうふうに考えたときに
並べ替えっていうのは
大事な意味を持つんですよ。
先送りっていうのは
そういうことではなくなってしまう。
奥さんが起きてきてから邪魔だ。
先送りしなきゃなんなくなった
みたいな話になっちゃうじゃないですか。
そこにすごくネガティブなものが
なぜかはまり込んでいく。
それはですね
これが倉園さんが
全て力に対応する言葉として
言ってたんですが
自力なんですよね。
時間軸だけでものを考えると
そうなりがちだってことですよね。
31:08

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