1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. タスクシュートで自分の課題を..
2024-03-27 47:01

タスクシュートで自分の課題をあぶり出す【GMV 955】

自分が見えると解決する能力も発揮される。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
3月27日、水曜日。
なんか桜の日とかさっき、プリウスが言ってましたけれども、桜の日、どうしてこれが桜の日なのかな。
327、ちょっとよくわかりませんが、らしいです。
東京ではまだ、ちょっと開花というには遠い感じがしますよね。
例年ですら遠い。
温暖化ですけれども、まあもうちょっと後ですよね。
でもないのかな。もう実は咲いてたりするのかな。
だから桜の日とか今頃なのかもしれないですね。
ちょっともうわかりませんし、この話をしている時間はさすがにないので、先へ進みますけれども。
今日はですね、3ヶ月チャレンジという私のサービスなんですが、
これの位置付けについて最近少し固まってきたので、
告知がてらお話をしたいと思いまして、
併せてですね、私の仕事ってだんだんライフハック、仕事術から自己啓発にシフトしてきているんだなと、
これはもう前からずっとそう思ってたんですけれども、
最近、本の出版企画をありがたいことにいただきましてですね、
それを受けて、もっと仕事術に寄せるのが期待したいという話を失敗者さんからいただいて、
そうか、自分が自己啓発に知らず知らず寄っているから、
まだ私のね、本のイメージってもう少し前の私がイメージされていると思うんですよ。
だからこのシフトをじりじりと頑張っていくか、
それともまたやっぱり出版業からは少し離れていくかのどちらかが多分選択されるんだろうっていうふうに思いました。
ビジネス著作家という一応肩書きで長いことやってきてるんですけど、
コロナ前後あたりからですね、明らかにビジネス書というか出版の収益、つまり印税ですけど、
私の収入における印税のよくある円グラフで言うと、だんだん比率が下がってきているのは確実にあるわけですね。
自分は本を書くというのも非常に重視している割合だったわけですけれども、
でも今はもうめっきりですね、ブログも書くよりこっちを喋るというのを優先していますし、
優先しているというかそうなってしまうという、こっちの方が早いというのがもちろんあるのと、
意外にこっちの方が伝わるなというのもあるんですよ。
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多分読むのが得意という人と聞くのが得意という人もいらっしゃると思うんですけど、
今のところ私の話は意外とこのサンチャレを聞いてますという人に一番伝わっている感じが、
サンチャレじゃない、ごめんなさい。
ポッドキャストを聞いてくださっている方に一番伝わっているという感じがするんですね。
ポッドキャスト、グッドモーニングボイスですね。
グッドモーニングバイブスではないですね。
これは一応解明しましたので、グッドバイブス以外のテーマが入りまくっているので、
私も今根底にはグッドバイブスが相当量あるんで、全部グッドバイブスだと言い切ってもいいんですけれども、
その話ではわかりにくいと思うので、雑談もありますしね、いきなりスーパーマリオRPGの話をしますし、
僕これを頭の中でマリオクエストって呼んじゃってるんで、そう言いそうになるんですけどね。
あともうすぐプロ野球開幕するとプロ野球の話ばっかりになる時もありますからね。
グッドモーニングベースボールぐらいにしたい気持ちになることが結構あるんですよ。
この辺になってくるとグッドバイブスはほぼ関係なくなるし、
仕事術でもタスクシュートでもなんでもなくなるんで、ただの野球談義おじさんになってしまうんですけど、
そういうこともあるのでグッドモーニングボイスぐらいがちょうどよかろうと。
なかなか本題に入れないので本題に一気に入りますが、
つまり僕のこのサンチャレというのは私にとってですね、
長いフリーランス人生の中でほぼ最も私の仕事だと言えるものがようやく出てきたんですね。
遅いですね。私はだいたいだから人の借り物で生きてきてるんですね。
で、この3ヶ月チャレンジというのは僕の中ではこういう位置づけなんですね。
ライフハックや仕事術やタスクシュートで、どこかでどうしてもそれだけではどうにもならなくなる。
これをタスクシュートについては私は極力委託はないわけですよ。
やっぱり組織的に関わっているのがタスクシュートですから、そこに限界はないと言い切りたい。
でもですね、限界を迎える前にそもそも入り込めていないというようなケースもありまして、
だから図式的に簡単に言えることではないんだけど、要はタスクシュートの周辺に入ってきてしまうという課題があるわけです。
それはタスクシュートで解決できなくはないのかもしれないんですが、
そこはタスクシュートで解決しようと頑張らなくてもいいかもしれない。
ところに僕は3ヶ月チャレンジを当てていると、今そういう印象でやっております。
この先に専門医療というものが出てくるわけですよ。
つまり、医者に通った方が良くないですかという話ですね。
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だから私はここにノラカウンセラーがいるみたいな先日のお話は、しょうがないと今の段階では思うんですね。
将来は不要になるかもしれないけど、現段階では絶対に必要な人たちであるというのが僕の考えなんです。
私はノラカウンセラーではすらないですけれども、そういうことを仕事にしている方も現段階では必要だって私は思うんですよ。
なぜなら専門医療につなぐ前の段階がいるから、ここをもっと自覚的にやるようになればいいのになというふうに思うんですよね。
どっちにしてもですね、仕事の奪い合いには私はならないだろうって言うんです。
特にボーダーラインから向こう、タイプにもよるんですよ。
よるんですけれども、つまり具試験クリニックで統合出張症が良くなっちゃいましたみたいなことが起こるから、
柔度だけで全てを把握する、言い切るのは無理なんですけれども、タイプってのは確かにありまして、
ここでは取り扱いきれないっていうのは絶対ですね、意識すれば分かるはずなんですよね。
その時に専門医につなぐって、例えば専門医と私は今言いましたけれども診療とは言ってないんですよ。
心のカウンセリングとは限らないんですね。
体の病気かもしれないんですよ。
宗教と体の病気の関係はこれとよく似てるんですね。
今は伝統的な宗教は大体言いますよ。
あの、医者行きなさいと。
これ言いますよやっぱり。
だって治療できない病気があるわけですからね。
いくら、うちはもう新人新人で新人一変当で、信仰がつければ何でもオッケーな宗教でしたけれども、
うちの父の宗教はね、うちの父の宗教じゃないんだけどね、組織なんだけど。
うちの父もそう言ってましたよ。
でも、新人で歯は治んないんですよ。
よくもなりません。
放っておけば絶対に縛って信仰する一方なんで、
歯医者に行くに限るんです。
しかもこれは、歯医者に行けば治るんですよね。
確実に。
その新人とかで頑張る理由はどこにもないわけです。
そういうものはたくさんあるんですよ。
だから、専門医につなぐっていうのは、別に新ノラカウンセラーだってするはずの話なんですね。
ここで囲っておこうとする理由はないんですよ。
しかも、すごい難しいっていうケースってあるんですよ。
たとえ、それほど精神症状的に言っても、
重度とか言えないような、いわゆるなんとなく神経症水準で、
しかもそんなに難しくなさそうなノイローゼみたいなのでも、
全然うまくいかないっていうケースはいっぱいあるんですよ。
ここを別にね、ノラで頑張る理由は全然ないと、
その当のノラカウンセラーさん達は絶対思いますよ。
ノノ医者さん達はね。
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ここで頑張ってるとむしろ自分が辛いっていうようなケースって出てくるはずなんです。
たくさんやってればですけど。
割とでもすぐ出くわすと思うんです。
しかも人と人との相性っていうのが絶対にあるんですよ。
やっぱりこういうことほど出てくる。
普通の付き合いしてる限りでは分かんない。
でもこういうことでは出てくるんですね。
そういう時にむしろどういうものがあるから専門のところに行った方がいいっていうのは、
よく分かったりするんですね。
そういうノノ医者さんの方が周りの会社の同僚とか、
肉親というような人達よりも分かるということはあり得るんです。
だからそういうふうにつなぐっていう仕事があっていいはずだと私は思うんですね。
よく専門につなぐとか早く専門家につながなければいけないって言うんだけど、
それができないだろうっていう問題がこの番組でも再三こう挙げてますよね。
私はそれができないで困っているという事例をかなりぶつかってきているんで、
自分自身もぶつかってきているんで、
おいそれといけないんですよ、専門につなぐって言っても。
地美科とか会社に行くのとは違うんですね。
会社だってこの番組でも言いましたけれども、
結構心理的な抵抗があっていけないでいる人いるじゃないですか。
これ診療となれば絶対にもっと難しくなるんで、
だからこそ野良カウンセラーからつなぐっていう道があってしかるべきだっていうふうに私は思うんですね。
ここで対立してても始まらないんですよ。
どっちにしても野良カウンセラーからしても本当はつなぎたいっていうようなタイプの人はいらっしゃるはずですし、
野良カウンセラーがこの世から消滅しても、
地どころに正式の専門の心理カウンセラーのところにどんどん予約が殺到するってことは起こらないんでね。
これは起こらないんですよ。
いろいろ事業がありまして、少なくとも現段階ではそういうことは起こらない。
だから実は患者の奪い合いなんかしてないんですっていう話。
これはさっくりと言っておきますとそういうことです。
分かりませんよ5年後10年後は。
現状では多分そういうことは起こらない。
なぜならそんなことはしてないからですね。
私がそれよりも今日お話ししたいのはですね、
タスクシュートでまかなえなくなったっていうのかな。
タスクシュートで見切れなくなったというか、そもそもタスクシュートに入れないっていうときに3ヶ月チャレンジみたいなものがあるよっていう話ですね。
これはですね、昨日くしくもなんですが、
J松崎さんとボイシーで高梨さんという方、
容量が良くない人のための仕事術図鑑で大ヒットを飛ばしている。
ちょっとタイトルが曖昧ですが、気になる方は調べてくださいね。
エフタさんと高梨さんという方の協調で、
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この種の本では10万部いった非常にこう稀に見るヒットです。
タスク管理系で10万部いくという本は他に例はないはずです、私の知る限り。
これがですね、この高梨さんをお招きして、自然と発達障害の話は出ますね。
高梨さん、発達障害の人のためのタスク管理っていうのでお仕事されてますから。
その発達障害のためになった時、自然と出てくるのがミスで怒られてつらい。
そして先送りが止まないっていう話が多いわけですよ。
借金玉さんという方がですね、あれはタスク管理じゃないんだけど、
発達障害の俺でも食えるようになった、僕でもかな、すごい仕事術。
これが借金玉さんの書かれた本なんですけど、これも大ヒットを飛ばしました。
こちらにもあるのがやっぱり怒られてつらい。
人間関係が重しくない。コミュニケーションが厳しい。
もっと発達障害方面によってますけどね。
タイトルはまたよく調べてください。
借金玉さんの、著者は借金玉さんですからね。
先送り、そして先送りですね。
これらのテーマになった時、タスクシュートを使ってどうにかなるかというと、
非常に微妙なラインに入ると私も思うんですね。
理由は単純でして、タスクシュートを使ってるから先送りがなくなるというのはロジカルじゃないんですよ。
先送りというのは、今からやろうとしたことをやりたくないから明日にやることにするわけですね。
タスクシュートでもそのまんまのことが起きるわけですね。
タスクシュートを使ってるからといって、通常タスクシュートを使わない場合はやりたくなかった
確定申告のための書類整理がタスクシュート上に乗っけたら途端にやりたくなるということは起こらないんですよ。
僕の考えではこれは起こらない。ドラえもんの道具とは違うんでね。
タスクシュートを使ったからといって、好きでもないピーマンが大好きになりますとか、そういうことは起こらないんですね。
昨日高梨さんとちょっと僕が意地の悪いお話をさせていただいて、
タスク管理したりチェックリストをすれば忘れ物がなくなり、やり漏れも減り、ミスもなくなりますっていう話だったんで、
それはロジックとしてはその通りですよね。書いてあってリマインドかけるんだから忘れることは減るし、減ることは確実だと思うんです。
ミスもなくなるしっていう話はわかるんだけど、そうはならないだろうって私が言ったわけですよ。
これはずるいんですけどね。そういうことを言っちゃいけないんですけど、ルール違反に近いんだけど。
つまりミスってのはですね、もっと細かいポイントで起きちゃうんですよね。
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例えば僕もよくやるのが、もう何回か引っ越したせいなんだけど、ついつい新住所の中に旧住所の一部記載が混じるんですよ、自分の住所書いてて。
もうちょっと気をつけなきゃなと思いますよ。そうじゃないから言うけれども、例えば今神奈川県に住んでるのに神奈川県朝霞市とか書くわけですよ。書かないけど。そういうことですよね。
これタスク管理で防げるかって話だわけですよ。当然無理ですよね。
ミスっていうのはミスしないという記述をいくら書いておいてもミスはするんですよね。
そういうふうにはミスというのは構造上なってない。
まあスリッピングみたいな言い方を心理学でしたかなと思うんですけれども。
言語用語はいいとして、要するにこの種のことっていうのはまたちょっと違う理由で起きていると思うので、
簡単には記述するサイズ感では捉えきれないと思うんですね。
いくら皿を割らないとチェックリストに書いておいても、皿は割るんですよ。
皿を割らないということを書いておいて何かを思い出すだけではミスというものは防ぎきるのは難しい。
こういう時に皿とかが出やすいですよね。
私当然これは自己啓発系によるんですね。
この辺が出版社の編集さんから指摘されるところなんですよ。
仕事術に寄せろと。つまりオフィスとか職場で起きることに寄せろと。
多分これは私の昔のイメージが引っ張られちゃうんだなという。
今後5年10年経つと多分そういう話は出てこなくなってくるだろうと僕は思います。
やっぱり仕事とはオフィスワークであるというね。
これはやっぱり昭和平成的な感覚っていうのが僕らがバッチリ染み付いて、
これは今後コロナ以降大きくさまがわりするだろうと思います。
今私の知っている限りでももう在宅ワークの比率が圧倒してます。
半端なく増えているんで、これ元に戻ることは多分もうないと思うんですよ。
ここまで来てしまうと。
なくはならないですよね、きっとオフィスというものは。
でも激減は絶対すると思うんですよ。
これはもうあれですね。今Amazonさんが持っている本の数と、
町の書店さんにある本の数の比がもう元には絶対戻らないというのと、
おそらく同じような話であって、一旦こっちの方が経済合理的にレベルが、
なんていうんですかね、コストダウンが圧倒しているってなった瞬間に、
そしてそういうふうに一度でもシフトしてしまうと、元には戻せないと思うんですよね。
わけもなくコストを増やすってことを人間の活動って決してしないんだなっていうのを、
50年くらい生きてると、さすがに痛感させられるんですよ。
例えば今でも東京の満員電車っていうのは全然合理的じゃないレベルだと思うんですけど、
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でも昭和の私が最後に大学、中学に通ってた頃に比べると、
全然減ってますよね、通勤する人の数そのものはね。
人口そのものが減ってるっていうこともあるんだけど、
これも容易に増やせないじゃないですか。今もう少子化絶対に起こるじゃないですか。
今後、僕らが生きている間の大半はもう少子化の方向、
つまり人口が減少する方向に向かっていっちゃうわけですよね。
しょうがないですよね、こういうのっていうのは。
昔みたいにみんながみんな2人は産みますみたいなことはもう起きないと思うんですよ。
ましてその前の戦争中みたいにね、みんなで5人から7人産みますなんて絶対起きないじゃないですか。
一旦できた合理化の流れっていうのは僕はそんなに簡単に変化するはずないと思うんで、
これも出社というのは大きなコストになるので、
一人一人にとってなる上にそれが何百万単位で起きるわけだから、
絶対にこれは元には戻んないと思うんですよ。
つまり仕事術とオフィスワークのスタイルであるっていう時代は終わりを告げたと思うんですね。
あとはもう残存みたいなものになる。
もちろんこれは職業のタイプによっていろんな形があるからなくなりはしないと思うし、
すぐに見かけなくなるってことはないと思うんですけど、
でもコロナ禍の中で不可能でないことは証明されてしまったので、
多分元に戻ることはないと。
行く方だって朝6時に起きて行きたいかって言ったら、
多分行きたい人はほとんど誰もいないんですよね。
だからしょうがないですよね、こういうこと。
良いとか悪いと言っていても始まらないと。
このスタイルは変わるんですよね。
このスタイルが変わると仕事とプライベートの境界というものも当然なくなりますよね。
なくならないように頑張るという人は少なからずいらっしゃると思うんだけど、
事実上なくなると私は思うんですよ。
そうでなくても昔から家の中でいざこざがあって仕事が手につかないとかそういう話はあったわけですよね。
これが如実になるはずなんですよね。
家庭内の状況が良くないと。
だって家庭内に職場が発生するわけだから多くの人にとって、
家庭内のメンタルに与えるインパクトが好ましくないという状態の中の方が仕事がはかどりますって人は非常に稀なんですよ。
そういうことは起こらないんで、きっと今後いわゆるワークライフバランス的な話とか、
オフィスワークの中での仕事術みたいなのはぐっと下がっていくだろうという感じはします。
ただし今そういうことを見越して書いてしまうと、自己啓発やめてねって言われるということなんですよね。
僕はだからこの領域に入ってるんだなという感じが自分の中でしたということなんですよ。
先送りにせよ、家庭内不和で仕事が手につかない問題にせよ、もはや僕は仕事術の領域に入っていると思う。
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それが出版社さんの目から見ると自己啓発に映る、見える。
先日面白い話を書店で伺ったんですね。先送りというコーナーないのって聞いたんですよ。
だって先送りでヒットしてる本は自分のも先越だから先送りが一番ヒットしたんですが、
そういうコーナーがあっていいはずだって思うんですね。
結構これで困ってる人いっぱいいるんで、ある意味借金玉さんの本にしても先送りっていうので響いた。
あるいは高梨さんの先ほどのゲストでお招きした高梨さんの仕事術図鑑だって先送りっていうキーワードは非常に大事だったと思うんですよ。
どちらも自己啓発だって話なんですね。僕はあれは仕事術だろうってやっぱ思うわけですよ。
だからこの辺はもうもちろんもともとやや曖昧な領域だったんだけど、一段と曖昧になっていくだろうと。
ガジェットを使うってんだったら話は別です。絶対にここに使うのは例えばポメラの仕事術ですってんだったらこれはもう自己啓発じゃない。
しかし先送りをどうするかっていう問題はガジェットでは片付かないんですよ。
スクシュートですらやや扱い兼ねるところがあるのに、ポメラで先送りがなくなりますってことはありえないじゃないですか。
執筆じゃない仕事だったらどうするんだという。
例えば先送りの中にはここにある荷物を片付けなきゃいけない。オフィスでもそういうことは当然起こりますよね。
でもなんだか知らないけどずっとあのままになってる。ポメラじゃどうにもならないですよ。
だからそういうガジェットで解決できるっていう部分は当然そこはそことして残るでしょうけれども、
自己啓発というふうに今までジャンル分けされていたものを仕事術として扱うか、
それとも仕事術と言われていたものを自己啓発にしてしまうかっていうのはあると思うんだけど、
どっちにしてもそういう合流は今後一気に起こるだろうというか、すでにもう書店さんの中で起こってるとは思います。
書店の中では海外系自己啓発とか国内系自己啓発とかいうなんか独特のカテゴライズがあるみたいなんですけど、
読み手にしてみればですね、そこに佐々木翔吾と書いてあろうと、デイビッド・アレンと書いてあろうと、
そんな話じゃないと思うんですよね、今となっては。
だからそういうことです。
博来物とか言ってですね、海外から特にアメリカ発のものは何でも素晴らしく見えたという時代が確かに昭和中後期にはあったんですよ、まだなお。
今はないと思うんですよね。
メジャーリーグでも一番有名なのが日本人みたいな時代がやってくるとなると、やってきちゃったんで、
こうなってくるとですね、仕事術を書いた人が何人かっていうのは、
多分ほとんど全く問題にされなくなるんじゃないかっていう気がやっぱり私はします。
これは油断ですね。
仕事術から、つまりタスクシュートから3ヶ月チャレンジ、多分に僕の自己啓発寄りにしている仕事術なんですけどね、一応ね。
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その話の中で、例えばタスクシュートの位置付けっていうのは3ヶ月のチャレンジ側から見るとどうなるかというと、
ここで問題が炙り出されると思うんです。
私はそして、この問題を炙り出すという意味でタスクシュートというのはちょっと引き目がありますけれども、群を抜いていると思うんですね。
実はここがアプローチの仕方にもよるんだけど、このポイントがですね、タスクシュートが有効にユーザーに作用しやすい大事なポイントなんじゃないか。
僕はこの点では他のメソッドを大きく引き離しているって正直思うんですね。
例えば、スクシュートを使っていると自分が先送りをするんだということが明瞭に明らかになる。
これはですね、一般的なタスクリストをどれほど使っていてもそこまでにはならないんです。
しかも何を先送りにするのかっていうのもはっきりと分かる。
どんな人でも決して先送りにしないことと必ず先送っちゃうことっていうのが分かれてくる。
これがはっきりと見えるはずなんです。スクシュートというものをやってれば。
この次のコミュニケーションに関しても、ちょっと使い方に工夫が若干、使い方というか記録の残し方なんですけどね。
若干の工夫が必要かもしれませんけど、やっぱり私はタスクシュートっていうのを使っていると、
どういう類のコミュニケーションを自分は苦手としているのかというのが目に見えて分かるはずだって思うんですね。
ここには、いわゆるタスク名として人名を入れるっていうやつが必要になると思うんですけど、
つぶさに記録が残っていくので、後ろに。
そして仮に記録が残っていかなくても、タスクシュートを私が推奨する基本1分間を空けないというのをある程度それに沿ってやっていただければ、
誰とどういうコミュニケーションを自分が苦手とするのかというのが目に見えるようになっていくんですよ。
これは記録がよく残ってるからと言ってしまえばそれまでなんですけれども、
一般的にそもそもタスク管理では記録って残さないじゃないですか。
終わったやつはチェックかけるなり二重線引くなりして消してしまいますよね。
デジタルではもう見えなくしてしまう。見えなくなりやすいんですよ。見えなくしやすいというのかな。
何時にやったっていうのもデジタルなんだから残ってるはずなんだけど、あんまり明示しませんよね。
タスク管理なりチェックリストなりで何時にやったかというのを何日の何時にやったかって明示しませんよね。
僕はコミュニケーションというのはそこは非常に重要な要素だと思うんですよ。
朝の家族とのコミュニケーションと夜の家族とのコミュニケーションは違うんですよね。
なんで朝が苦手なのか、なぜ夜が得意なのかとか、
27:00
オフィスでのコミュニケーションといってもランチ後のなのか、ランチ中のなのか、
それとも明日すぐのコミュニケーションというのはちょっと、でもそういうのが苦手っていう人もきっといらっしゃる。会議中のものなのか。
そういうことがですね、仕事にインパクトを与えてくるのは当然じゃないですか。
すごい影響しますよね、仕事には。会議苦手っていう人と社内プレゼント得意っていう人とでは全然感覚が違うと思うんですね。
仕事に対する。社内プレゼンもコミュニケーションの一つなんだけど、
社内プレゼンというものがコミュニケーションにおいて苦手だって人にしてみるとですね、この準備は絶対嫌だと思うんですよ。
でもこの準備そのものにコミュニケーションというものは関係必ずしもしてないわけですよ。
それをコミュニケーションの一環だって捉える人もいるでしょうけれども、
ここでどういうプレゼンをするのかとか、PowerPointでどういうスライドを作るのかといったときに、
誰それさんの顔が浮かびますといったとき、その顔が浮かぶせいでこのプレゼン資料が作れないんですっていうのを、
どんなにPowerPointに習熟しても無駄ですよね。多分無駄だと思います。
どれほどPowerPointの知識が豊富にあったとしても、
矢の冗長の顔が浮かんだだけで手が震えるとかいう場合に、役に立たないですよね。
そのスライドを作る技術なり。
というようなことがもちろんLife Logを取ったり、マインドマップでも残るんですけど、
これは絶対にタスクシュートが一番はっきり残せると。
明瞭にその傾向が日々蓄積されていて、しかもそれを日々自分で目にすることになるんですよ。
嫌でもそれをはっきり自分に意識させる。
これはもともとそういう意識がすごく強い人の場合、タスクシュートなんか使わなくたって、
そういう意識にもちろん苛まれて、辛い思いをされていると思います。
どっちでもいいんだけれども、だからタスクシュート通らなくてもいいんですけども、
自分としてはそこが3ヶ月チャレンジでまず取り組んでいきたいなと思っている部分なんですね。
もちろんこれをまっすぐ専門家のところに行きましょうって言うんでも構わないと思うんですよ。
先日の記事を書いた人のような人にしてみれば、
正式の訓練を積んでいる人のところに行った方がいいですってことになるのかもしれないんだけど、
外して現段階では、冗長の顔が浮かんだだけでプレゼン資料を作るのが億劫になるというのを、
心理障害だとは乱さないんですよね。
し、これが心理障害かどうかはわからないんですよ。
もちろんそれを調べるためにだけでも正式なところに行けっていう理屈はわかります。
私にはね。
でもこれはまだ一般には浸透していない考え方だろうなと思います。
行ったら絶対いいことがあるかどうかも、こうなってくるとわからないですよね。
で、私は3ヶ月チャレンジっていうところで、
こういう問題にフィットしそうだと人に思ってもらえるところまでは行きたいと思うんですよ。
30:01
だってそういうのを目指しているんで。
ここに神経症水準か精神病水準かは関係ないんですよね。
この問題多分、健常だろうと、神経症ならもちろん健常だろうと、
明らかにこういう問題にぶつかるってことは起こると思うんです。
その時に、いわゆる仕事術としては、
ダスクシュートをやってると一番この問題が自分の問題なんだというのが、
意識もしやすくなるし、証拠としても残る。
他の方法論だと、なぜかこれが証拠として残りにくい感じがします。
なんでなんだろうな、これは。
なんていうんですかね。
途中話した話と近いんですけど、
仕事とか作業には、個別の事情ってものがいっぱい含まれているんですね。
私が読んだ限りでは、ダスク管理っていうものは、
なぜかダスクが出てくるんですよね。
せいぜいプロジェクトが出てきてしまう。
作業が出てくるっていうケースは、そもそも少ないんですよ。
だから、やっぱり登場してしまうのが、
登場してしまうっていうのはいけないんですけど、
登場するのはEvernoteとかNotionとかだったりするんですよ。
なぜそうなるのかっていうのがよくわかる気がするんですね。
一つ一つの案件の中に、
実はタスク一行では示せない様々な事業なり、
雰囲気みたいなものがそこに盛り込みたいから、
ああいう自由記述みたいなものと、
タスク管理みたいなものを一緒にしたいんだと思うんですよ。
でもこれはすごく先進的な人たちだけがやってることで、
しかもこれは全部に対してはしないんです。
ここに難しいところがあるんですよ。
タスクシュートっていうのはこれを一見したところ、
一行しかタスクないじゃんって思われるかもしれないですよね。
だからたくさん書けないでしょうと。
メモ論はありますけど。
でも僕はそういうことじゃないと思うんですよね。
どういうことかというと、タスクシュートは、
例えばプレゼン資料作成、コーヒー入れました。
プレゼン資料作成の続き、トイレ行きました。
これが激しく起こるっていう記述が残るんですよ。
ここのところに見えてくるものは、
いわゆるチェックリストとかタスクリストに表現されているものとは、
何の関係もないですよね。
このトイレ行きました。コーヒー飲みました。雑談に行きました。
っていうこの表現そのものの全域がですね、
よくEvernoteとかNotionに記録されている内容そのものなんですよ。
つまりこの仕事を扱いあぐねているというのが、
タスクシュートでは10行とか十数行にわたって表現されることになるんですね。
そういうところを自分が記述しながら意識して、
33:00
意識しながら記述するってことをやっているうちに、
俺これ相当苦手だなっていうのが、
リフレクションとして上がってくるんですよね。
結局僕はカウンセリングというもので扱おうとしているのも、
そういうことからだと思います。
もっともっと真相の方に入っていくケースがもうたくさんありますけれども、
特にユンギアンとかだとそうだと思うんですけれども、
でもやっぱりですね、まず入り口のところにはこれがあるんです。
この取扱い兼ねた時の人の動きっていうのは、
こういうややグッドバイブスでクラゾン経路さんがおかしな行動とかいった時に、
よく出てくるチャプリンの動きみたいになるわけですよ。
行ったり来たりするとか、
いやもう腰を据えてそうやってればいいのにっていうことができないと、
そわそわしちゃうとか、おかしいでしょ、それは。
つまり、とじまりでもいいんですけれども、
横から写真かなんか撮ってるとよくわかると思うんですよ。
鍵をかけました、少し離れました、戻ってきました、また鍵を確認しました、
少し離れました、戻ってきました、おかしいですよね。
これを記録に残すんです、タスクシュートはですね。
もう少し大まかになると思うんだけど残すんですよ。
この場合記録に残した場合と残さない場合とでは、
僕は無意識に与えるインパクトが全く違ってくると思うんです。
こっから入るんですよ。
だから自分の問題というものが自分に認識されると。
人によっては自我の強さとかにもよるんだけど、
そしてまたものによってはですね、そのままタスクシュートをやっているだけで、
自体が解決方向に向かうというケースもある。
これがタスクシュートの有効性だと思うんですね。
何かゴールを設定して逆算するとか、
あるいは記録を残したところからPDCAするというのはここには出てこない。
この逆算という方式、これは認知行動療法の特に行動主義的な側面を強調したやり方なんですけど、
非常にこれはですね、何て言うんだろうな、
強い自我を要求するんですね。
そういう考え方もあるんです。
これはもうライフハックというよりは、
心理カウンセリングの、臨床心理の世界にあるんですよ。
離れろと。
例えば、鍵をしたんだなと。
記録を一回取れと。
この辺はタスクシュートに似てますが、離れろと。
二度と戻ってくるなよと。
これができたかどうか、何メーター例えば離れられたかどうかを測ると。
これは行動主義的なんですよ。
厳しいでしょ。
僕はこれ厳しいと思うんですね。
これはですね、水が怖いという人に顔をつけろと。
何秒顔をつけられたか測ってやるからというやり方に近い。
もっと柔らかく言うかもしれませんが、
でも、狙ってるところはそこなんですね。
だから目標を立てての逆算行動というものを算出してくるわけです。
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この方法は元々心理療法の世界にあったものなんですよ。
1906、70年代にアメリカでヒークを迎えることになるんですけど、
バラフ・スキナーさん、B.F.スキナーさんが実験心理学という名のものを提案し、
これをもとに人にプログラムを与えるということを、
当然アメリカでもものすごく議論になりました。
アメリカ人ってこういうの嫌いですからね、ある面では非常に。
大好きなんだけど。
共産主義だという言い方もすごいされます。
結局のところ人をゴールに向かって、目標に向かってプログラムしてデザインしていくという、
それによって例えば犯罪を減らすとかね。
一見したところ良いことが起こるんですけど、
あれですね、よく小説の世界ではディストピアとか言われることになる。
現にB.F.スキナーはディストピアというのは彼にものすごく言われた批判の一つです。
彼はそういう意図はないんだというのを一生懸命本で書いてるんだけど、
ここがすごい難しいところなんですよね。
大規模にやるとそういう方向に向かっていっちゃいますからね、どうしても。
ただ実際にはそういう落ち着き方はしていないんですけどね、最終的には。
アメリカ人は自由っていうキーワードにすごい敏感ですから、
私たちがやっぱり信じているものとはまた違うものを信じている感じがあったので、
私それを一番痛感したのがあれですよね、オバマケアの議論が起きたとき。
ちょうどそのときアメリカにいたんで、
あれほど保険がないがために医療が機能していない感じなのに、
保険を適用するというだけでもものすごいですからね、コミュニストだみたいなね。
いや、日本ではナショナルウェルスインシュランスありますみたいな話をしていると、
日本と共産主義みたいな話をディスカッションされるんで、
なんかやっぱり実感と全然違うものが話の上には登ってきやすいんだなというのをすごく感じました。
でもですね、すっごいやっぱり不便ですからね、
インシュランスがないがために、
肺に穴が開いているのが完全にまだしっかりつってないのに退院しろみたいな話になったり、
平気でするんで、平気ででもないんだけど、
いうことはすごく親切なんですけれども、
でも結局退院させちゃうってことは退院させちゃうんですよね。
本当に国民会保険ってすげえなと思うんですよ。
そのときに出てくる数字がアメリカ全土での医療を賄うための、
かかるお金の話をしているんで、
週ごとになるんですけどね、アメリカでは。
ものすごい桁の数字があって、
なるほどこういう目もくらむような数字を出されると、
でもじゃないけども、
腹えっこないって感じが、
みんながするのは当然だなって感じもしたんですけれども、
とにかく僕らは留学生はですね、
特に日本人は安直に医者行くから絶対やめとけっていうのはすごい言われました。
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だいたい恐ろしい話を聞かされるんですよ。
指切って絆創膏を貼ってもらいました。
3万円取られましたみたいなね。
まあその結局、
バカみたいな話っていうのが多いんだけれども、
大学内にはですね、
保険室のデラックス版みたいな、
これが事実上の医療なんですけどあって、
そこは大学の保険が賄ってるから何とかなるっていう話なんですけれども、
ほぼ無料で同じことをしてもらえるみたいな。
制度ってものがいろんな意味で意識に入らされてくる、
その面倒くささみたいなものはあっちで生活すると痛感しますね。
その時に読まされる資料とか規約とかがやたらあって、
途中英語だから絶対読みがしなくなって適当に署名するんですけど、
そういうことをやっちゃダメだってよく言われるんですけどね。
でもそういうことをやっちゃいますよね。
特にアパート借りる時の読む文章量なんて、
これだけで教科書読むのと変わらないじゃんっていうことになっちゃうんで、
あんなのとても読んでられない。
話があちらこちらに飛んでいますけど、
要するにタスクシフトを使って、
自分のタスクシフトを使うだけで本当にいいんですよ。
僕の感じではね。
24時間取る必要が本当にあると思うんだけどね。
でも必要がなくてもこれをすることで、
自分の課題というのはもちろんうっすらと意識してたはずです。
それを自分に関する資料を読むような感じで、
自分の課題観というものが課題ですね。
課題が自明のものになります。
そうするだけで片付くケースもあるし、
片付かないときは、ここがCMみたいになっちゃうんですけど、
サンチャレを返答してみてもいいかもしれません。
専門のところをもう叩くっていうのも全然ありだと思います。
特に知り合いとかがいらっしゃればですね。
そこで何を相談していいかがはっきりするはずです。
タスクシフトをやっていれば。
これはですね、私どうしても他の方法論では見えやすくはならない気がする。
先に課題が分かっていれば、それらの方法論でいけます。
昨日僕はそのことをよく思ったんです。
例えばタスクペディアっていうツールで、
どっちにボールがあるかが分かるようになっている。
これはタスクシフトにはない機能なんですね。
用意しようと思えばできる気もしますけど。
このタスクは今どういう状態にあるのか。
私がボールを持っているのか。
よく言いますよね。
私じゃないところにボールがあるのかが分かります。
これはボールがどっちにあるかということが気になるという課題を持っている人に
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適用すると非常に効果があると思うんですね。
私はそれ気にならないから、
そのようなことをやる手間をかける気にとてもならないんですよ。
どっちにボールがあったって大した話じゃないような気がしちゃうんですね。
大した話だって言われれば大した話なのかもしれないし、
大した話じゃない気がするって言えば、
そういうふうにもなるのかもしれないし。
そもそもやっぱりこれ職種のタイプによるんじゃないかという気はするわけですね。
本格上では、
例えば今私原稿書いてますけど、
この場合ボールは私にあるに決まっているし、
一旦脱行してしまえば、
これはピンポンが始まるっていうのはもう大体目に見えている話なので、
その都度タスクのステータスを変えるというよりは、
執筆というタスクを取っておいて、
これは絶対僕にしかボールないんで、
僕じゃなきゃできませんからね。
終わったらその執筆というタスクは消して、
構成というタスクに切り替えると。
この場合はどっちにボールがあるかっていうのは、
確かにステータス次第で少し変わってきますよね。
フェーズがあります。
初行を戻しとか言うんですけど、
戻すってことはつまり編集さんにボールが行くってことになるので、
ボールがどっちにあるかっていうのは発生します。
ステータスとして。
ただこれは気になるかというと、
私は気にはならないので、
このステータスを変えて、
このタスクをしようっていうふうにはなりませんけれども、
気になる人にはこれが効果を発揮します。
つまりそういうふうになっていることが、
僕の見るところ多くて、
それは別におかしなことでは全然ないです。
リマインダーもそうですね。
忘れやすい。
忘れるとすっごい嫌な思いをするっていう場合、
リマインダーというものが効果を発揮します。
これは課題が分かってるってことですよね。
人によっては、
例えば最近水木しげるさんのね、
芸芸の鬼太郎の彼の本、
彼すごい変わってますからね。
いやリマインダーなんかいらないよと。
なぜならばそんなこと全く気にならない。
彼はそういう人ですからね。
水木さんは天才だから仕事はなくならないんですって、
彼は平気で言っちゃってるんで、
まあそうなんですよねきっとね。
そういう人からするとですね、
リマインダーって全くいらないわけですよ。
むしろ邪魔でしかないわけですね。
つまりこれは課題が分かってるってことなんですよ。
リマインダーが私には必要だというのは、
どうしてリマインダーが必要なのかが分かる。
でもタスクシュートはそこがやや特殊なんです。
課題があれによって分かるんですよ。
で、こういうツールっていうのは、
そうあるものではない気がするんです。
というのは多分作った人の特性なんです。
普通にアプリ作るとき考えることってそうですよね。
課題にどうやってケアするかを考えるじゃないですか。
多分そうだと思うんですよ。
リマインダー作る人にしても、
ボールどっちにあるかっていうタスク管理アプリって、
ものすごく独特なんで、
タスクペディア以外に私はっきりしたものは知らないぐらいなんで。
だからこれってつまり、
非常にそこに課題意識が鮮明にあったという証拠だと思うんですね。
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だけどタスクシュートはそういうものがいわいちはっきりしないんですよ。
これがいいんですね。
多分大橋哲夫さんという人が作ったときに、
この課題にこうケアしようという発想で作ったとは、
言い切れないからそうなんだろうと思うんですね。
Evernoteというのも割とそうなんですよ。
課題感がはっきりしないツールだと思うんですね、あれは。
あれ、物忘れを防ぐためのものではないですよね、どう考えても。
第二の能っていう言い方が昔ありましたけど、
第二の能って課題じゃないですよね。
普通人間は1個しか能はないわけで、
2個ないことが課題だ、
現代社会の課題かもしれないけど、
課題とは言い難い気がするんですよ。
やっぱりあれすごい漠然とした目的で作られたところがある。
今すごくそれがはっきりさせてきたのは、
他のツールとの兼ね合いだと思うんですけれどもね。
だからタスクシュートっていうのはそういう意味で独特です。
ログを取りやすいっていうのは一つありますから、
ログ取れないのが課題だっていう場合の課題意識はあるのかもしれないんですけれども、
ログを取るっていうことそれ自体は、
課題へのケアは直接ではないので、
しかもあれはタスク管理ツールであることも確かなんで、
そういう意味ではすごく総合的な機能を有してるのは、
Evernoteもそうだけど、
それが多分理由なんだろうと思います。
やってるうちに自分の問題やウィークポイントが
炙り出されてきて、
炙り出されるから何となく自分で何とかしようと思うところは何とかなっていくんだけれども、
それでも何とかなりにくいところというのがおそらくあるだろう。
それが自己啓発とか、
死にカウンセリングとか臨床心理というところでケアされていくのか、
あるいは野の医者や自己啓発という野良カウンセラーさんでもいいと思うんですけれども。
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