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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
この名前を変えようと思っていたのですが、
昨日決定的にグッドモーニングバイブスという名前を変えました。
しばらくこのタイトルのまま進めようと思いました。
これ、ポッドキャスト自体を辞めるということはないと思うんです。
ボイシーにするということは、
もしかすると審査はまだしていないけど、
申し込んで見るといったことはあるかもしれないんですけど、
通りそうな確率ではないですけどね。
それはそれとして、
喋る情報発信系を辞めるというつもりはないんですよ。
なので、もしそのへんご心配だという方がいらっしゃったら、
その心配はないです。
が、グッドモーニングバイブスという名前については、
どうしてもグッドバイブスに寄せてやらなきゃいけない感じというのを
僕は持っているので、そこから好き勝手に喋るには
違う名前の方がいいよねという話が昨日ありまして、
それはそうだなと思いながらですね、
ちょっと考えてみたんですが、
もともと一番最初に私がこれをやりだした時は、
この名前でも好きなことを喋ろうと思っていたんですよね。
ただ、朝にグッドバイブスな
気分で喋れば聞いている人は
多少何ともグッドバイブスな方向に至るんではないかというか、
そういうインフルエンスを受けてもらえるんじゃないかという
趣旨で始めたものなので、
本来は僕がグッドバイブス的でありさえすれば
何を喋ってもいいはずだったので、
しばらくはその試みの中でいこうかなと思っています。
次の名前もいまいち決めきれないということもあったり、
急に変えることもないかなというのもまだあるので、
しばらくはこの名前でいこうかなと思いました。
一つにはですね、私がこの名前をやや気に入っているということがあって、
私は結局モーニングが割と好きなんですね。
クラゾンさんは私は知らなかったんですけど、
朝に起きるのは基本的にはしないという感じの方だったので、
グッドモーニングバイブスって割と自分がやるにはちょうどいいのかなと思っていたんですよ、長らく。
そういう関係で好きなことを喋ろうとしばらくはですね、
昨日申し上げた通り調子が良いわけじゃないので、
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この調子良し悪しっていうのについて一つ思ったのがですね、
僕自身がまさにそうなんですけど、生きるペースっていうのかな、生活ペースが早すぎるっていうのが、
こういうことになった時の一つの問題だなって思うんですよね。
調子が悪いとすぐ私たちは調子を良くしようとするじゃないですか。
それが良くしたくなるのは当然なんだけど、そんなに急いで良くしなければいけない理由は何もないと思うんですよ。
なんですが、私たちは急ぐんですよね。早く調子が良くならない。
これは私のこれはですね、聞く人によってはもちろんそれはコロナの後遺症ですよっていう方もいらっしゃると思うんですよ。
仮にそうだとしてですね、例えば大きな病気にかかりましたと、回復にしばらく時間がかかりますよね。
それを別に後遺症と昔は呼ばなかったような気もするんですよ。
大きな病気の後遺症というのは昔からありましたが、大きな病気をしました。
そこから回復するのにそれなりの時間がかかりましたんだ。
それはそれで当然だと思うんですよね。
でも今のようにすごいスーパーハイペースに近い感じなんですよね。
そういう世の中の中ではこれをみんなが後遺症と呼ばなきゃならない理由が、後遺症なのかもしれないんですけど、
ならない理由があるような気がして、これがですね、例えば既読スルーとかいった問題と、
僕は何か関係があるような気がちょっとするんですよね。
既読スルーじゃないかもしれないじゃないですか。
ただその人は返事を出すのが遅いだけかもしれないわけですよ。
なのに出したらその人の中での妥当なタイミングっていうのがあるんだと思うんですけど、
つまり出した以上はこのぐらいには帰ってきて当然だよねっていうのがあると思うんですけど、
私はこれもう一種のナルシズムだと思うんだけど、
つまりその人の中でここまで来たらもう相手は何か思ったとかそういうことになっちゃうんですよね。
こういう僕らのおかしな感覚が広がっていて、
それがですね、全てが元に戻るにしてもすぐに元通りにならなきゃいけないとか、
元には戻らないんだけど、戻らなきゃいけないとか、
復旧も早ければ早いほど行っちゃいいわけじゃないですか、電車みたいな話でもね。
そういうふうに考えてしまうから急ぐわけですよね。
急ぐっていうのは急げば早い結果が得られるかどうかは大変疑わしいと思うし、
結局急ぐということによってですね、僕らが失っているものって実は何なのかは分からないんですけど、
大量にあるような気がこれになってみて思います。
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日に日にですね、これも願望を込めてしまうとわけわかんなくなってくるんだけど、
日に日に一定ペースで良くなっている気もしなくはないんですよ。
そうするとこう考えてもいいわけじゃないですか。
何もしなくてもいいわけじゃないですか、極端に言うと。
ある程度苦しみを感受しさえすれば、
別にこれが治るのが早い遅いとか、
大した問題じゃないと思うんですよね。
1ヶ月なのか、5ヶ月なのか、1週間なのかはすごい違うと思われているかもしれませんが、
そうは思わないんですよね、ある意味。
振り返ってみれば。
回復しないというのは別ですよ。
ですが回復するんだったらば、
ここにかかる期間が一定程度長いというのは本来問題じゃないんですよ。
問題視されるように、世の中のペースの速さから考えると、
問題視しなきゃ何だよになるから、
何か手を打って早く回復させなければいけないんだけど、
その手がないとなると、
何か非常に深刻に問題な感じになってしまうのかなと思います。
今日はですね、結局それから、
GTDの話をしたいと思っておりまして、
自由にしゃべろうと思って、
まずですね、私は何で今自由にしゃべろうと思ったかというと、
これもたまたま思った訳では決してないんだけど、
結局私はですね、自分がやりたいことってはっきりしないんですよ。
そのためにですね、
結局私はですね、自分がやりたいことってはっきりしないんですよ。
これってグッドワイブスのお手伝いをしているというか、エヴァンジェリストになっているというか、
そういう一面がありながら、タスクシュートのエヴァンジェリストをしているみたいな一面ももちろんあるじゃないですか。
これクリスチャン用語なんで、私自分で使うときちょっと恥ずかしくなるんだけど、
そういうことをしているわけですよね。
それらは全部僕のものじゃないわけですね。
私は大体これでいいと思っているところがあるんですが、
一方で、これ聞いている人はよくわかると思うんですけど、
僕の言い分って明らかにあるじゃないですか。
特にタスクシュートなんかの場合は多分多くのタスクシュートユーザーの感じていることや
言ってほしいことと僕が言うことは多少ずれがあると思うんですよね。
そういう言い分を完全に封印して、人が言いたいと思われることを言っていくだけでもいいはずの仕事の仕方なんですが、
実際には私はそういう仕方はしていないわけですよね。
割と言っちゃってると。
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言うことがあったりして、自分の言いたいことって何なんだろうって考えると、
途端に見えなくなるんですよね、ところが。
意外とそんな感じで、
多分見失ってるっていうのが正しいんでしょうけれども、
何にしても僕からははっきりしたのが見えてきてないんですよ。
なので、例えば精神分析についてしゃべりたくなるとか、精神分析系を読んでれば、
かなりどんなものでも面白く読めることは読めるけど、
あれだって別に僕のものではない。
どころか、私は精神分析家ですらないと。
そして、分析を受けたこともないんですよ。
だから、でも語る資格がないとは言えないと思うんですよね。
私、別にそういうのが語る資格は関係ないと思うんで、
例えば、極端に言うと泳げない人が水泳について何か語るっていうのは、
別に構わないと思うんで、
ただ、私のこの傾向はですね、
考えてみると、昔からこれで悩んでたな、自分っていうのはあるんです。
だから、こういうところに宙ぶらりんにいるのは自分らしくはあるんですね。
例えば私は、中学の時に入る部活がない問題っていうのがあったんですよ。
なんか人間やりたい、あの時代はそういうことがよく言われてたんですね。
打ち込めるものがなきゃダメだと。
でも、あんなにあるクラブ活動があっても、
一つったりとも自分が入りたい部活動ってなかったんですよね。
あったんですよ、たくさん。私立中学だったし、
なんなら自分で作っても、中学1年生であってもいいって言われてたけど、
ピンとこなかったんですよね。
自分で作るとクラブって言っちゃダメで、同好会ってことになったんだけど、
どっちにしてもなかったんですよ。
興味のあるものが全くなかったわけじゃないんですけど、
部活にしてまでそればっかりやりたいかっていうと、
全然違うって感じだったんですよね。
非常に僕はあの時困ったんですよ。
入れ入れってね、うるさいんですよ、先生が。
でも僕はね、1年から2年間、
別に非常に反抗的だったわけでもなんでもない生徒。
ただの、いかにもありがちな男子中学生だったんだけど、
結局入らずに中学校は2年半くらい通してたような日が、
ちょこっと入ったような顔をしてすぐ出ちゃうみたいなことをやってですね、
してた気がするんですね。
それくらい僕はですね、このモナトリアム感の強い人間で、
とにかく何をしたいかって問われると、
非常に困るという状態がずっと続いてたんですね。
何をするのも結構なんだけど、割と。
スポーツでも、それこそ音楽でもいいんですが、
絵は絶対ごめんだと思ってましたけどね。
とにかく何それをしたいのかって言われると、
そんなことはないになってしまうんですよね。
そして、そういうものがあるはずだって言うじゃないですか。
夏目漱石の私の個人主義だっけ、
人間はそういう個性にぶち当たって、
それを一生続けていたようなものがあるみたいなのが、
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教科書にまで載ってるじゃないですか。
あれを読んだ時に、漱石相当嫌いだったんですよね。
漱石の方はほぼ全部読んでましたけど、それを読んだ頃には。
あれを読んだ時、気分が悪くなったのをよく覚えてるんですよ。
何の根拠があってそんなことを言うんだろうって思ったんですよね。
自分の中には、本質的に何か求めるものがあるって言われても、
納得がいかないと思ってたんですね。
いろんな意味で納得がいかなかったんですよ。
そんなのはないはずだって思ってるところが今もあるんですね。
困るんで、そうはいっても困るんで、
適当に喋ってるうちに何か見つかったらいいなと。
少なくとも、グッドファイブスもそうなんですけど、
仮に完全にオリジナルなものでなくてもいいので、
少なくともしばらくの間はこれでやっていって、
ある程度こういう状況をいろいろ加味していくからいけないんで、
だから適当に喋ろうと思っているんですけどね。
なのにGTDなのかって言われると思うんですが、
GTDって僕の中では引っかかりが結構あるんですよ。
まずタスクシュートとはかなり全然違う方向論だなと思っておりまして、
究極的には同じところに行きますよ。
究極っていうのはこういうことです。
言うだけつまんないことですけど、
要するに仕事をしましょうって意味ではGTDもタスクシュートも共通してます。
仕事するための方法論ですからね、なんだかんだ言っても。
だけど他のところはほとんどものすごく違っていると私は思っておりまして、
あっちの方がタスクシュートの日からして巨大な勢力ですよね。
私が何に引っかかるかというと、いろいろあるんだけど、
あれはアニマリズムに近づいていくんじゃないんだろうかっていうのがまず一つあるんですね。
非常にあるんですよ。
なぜかというと全てが片付いた状態、片付いた状態とはちょっと違うんですけど、
ある意味では整理のついた状態でスッキリしようっていう感じがあるじゃないですか。
ところがあれ、片付け術みたいなところが出てくるんですよね。
あれを日本人が受け止めた時とアメリカ人が受け止める時では、
僕はちょっと意味がすごく違ってくると思ってたんですけど、
ガレージっていう表現が割と出てきてた気が、少なくともデビッド・アレンさんに会った時は彼はよく言ってたんですよ。
私はアメリカに生活してたことがあるから、
あのガレージと言った時の彼の気持ちがよくわかる気がしたんですよ。
それはもうひどいものなんですよ、アメリカ人がガレージ持っちゃうと。
なんていうのかな、ゴミ屋敷になるんですよ。
上流、アッパークラスの人だろうと、ミドルクラスの人だろうと、ややダウンタウン系であろうと、
ほとんどみんな同じように僕らの目から見るようなんですね、
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日本人の目から見ると、それはゴミ屋敷でしょうみたいになるんですよ。
何が入っているのかわかりやしないし、食べ物とかも普通にあるし、
マウスラッド出てきちゃうし、虫もいるし、やばいんですよね。
やばい人の家はとにかく、やばくない人だって言ってても、
僕の目から見ればかなりやばいんですよ。
つまり、単的に言うと僕はアメリカの人の生活の一つの特徴に、
物いぞっていうのがかなりあると思うんです。
それは僕らのレベルでは全くないレベルなんですね。
一つはクレジットカード文化だってのがあります。
もう一つはやっぱり物価が、はっきり言って日本に比べると、
安いものは安いんです。
そして、わりとどんな物でもバンバン買うみたいな文化があるんですね。
いろんな意味で物がたまりやすいんですね。
そして、生意・生存という概念は、はっきり言って全然ないんですよね。
何が起きているかというと、つまりGTDみたいなもので気になっているんですよ。
彼らだってやっぱりミツリンみたいになっちゃっているガレージが絶対気になっているんですね。
だからオーガナイズ、オーガナイズという金字があって、
やっぱり日本みたいにある種の生理術がすっげえ売れて話題になっているわけです。
本屋さんとか行ってもそういうのがやたらあるんですよ。
そういう本をまた買うじゃないですか。
そして本がガレージに積まれていったりするんです。
冗談みたいなんですよ、本当に。
で、あれを何とかしたいという気持ちがあって、
パッとそのガレージの光景を見に行った時にですね、
最初あれ、GTDで気になることを洗い出すというところから始めるじゃないですか。
ところが話がだんだん進んでいくと、気になることチェックリストみたいなのが出てきて、
この辺を気になりませんか、あの辺を気になりませんかみたいな、
そんなものを作り出すのはやめた方がいいと思うんだけど、
頭の中にあるものを吐き出すだけでやめとけよと思うんだけど、
なんかね、どこか徹底していこうという考え方があるんですよね。
それを徹底しさえすれば、私はそれは、
あ、ここも引っかかったですね。
仏教でいうところの名教室にたどり着くって、
それは嘘だと思うんだけど、
それは全然話が違うじゃんと思うんですけどね。
それはただ生活がきちっと整理整頓されるのをすっきりするという気持ちの問題であって、
それを悟りの境地とかいうのは遠いと思うんですけど、
この辺も引っかかりの一つなんですけどね。
その辺はいいとしてですね。
つまり何が気になっているかというと、
あのガレージなんじゃねえかと。
あれ気になるのは当然だと思うんですよね。
私もアメリカ人の主婦の人を何人か友達できたんですけど、
みんな同じようなことを言うんですよ。
ガレージの状態が気になっててみたいなことを言うわけですよ。
当然だと思うんですよね、本当に。
いろんなスパナとか工具とかパンとか本当にカオスなんですよ。
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あそこに行ったときに気になるわけじゃないですか。
ここを一つ一つこれは何か、物なんですよね。
パンだと。捨てようと。
2分で片付くものはどんどん捨てようと。
非常にわかりやすいんですよ。
そしてすっきりしたと。
僕はこれはですね、ミニマリズムの世界に近いんじゃないかなと感覚的に思うんですよね。
つまりあれ何を言ってるかというと、
GTDを進めてやって自分のものにしていく中で、
自分のシステムとして取り入れていくうちに、
物依存から脱却しましょうっていう意味を全部じゃないですよ。
でもこれが重要な意味になってるに違いないと。
日本人はあそこまで行く人はっきり言って、
そう多くはないから、
その部分がないとすると単純に仕事術として見るんですけれども、
僕はアメリカ人はきっとそうじゃなくて、
こうやってガレージを目の前にしてドワーってなっちゃっていて、
ここをすっきりしたいなって思ってすっきりできたときには、
しばらくそれの達成感って人生やってくる気もするぐらいなんですよね。
多分途中で挫折する人も多々いると思うんですよ。
方法論だと。
で、考えてみると、
その状態でタスクシュートは絶対抜け入れられるはずないと思ったんですね。
だって物ですから、相手が。
カオスみたいになってる物の光景、
それをすっきりさせたいという心理を持ったときには、
やっぱり一つ一つ整理していくっていう考え方を取るはずなんですよね。
これはどういう物だからここに入れる。
それはああいう物だからそこに入れる。
つまり整理整頓ですよね。
それをしたいと思ったときの感覚と、
GTDの整理のやり方の感覚とすごくマッチする。
それに対してタスクシュートじゃ全然ダメですよね。
タスクシュートというのは行動のリストだから、
言ってみれば概念のリストになっていくので物ではないわけですよね。
タスクシュートのリスト、
今日1日のデイリーリストが朝から晩まで全部物が書いてありますって人いないと思うんですよ。
それは絶対変ですよ。
だから、実は扱っている物の対象がちょっと違う感じを持っている。
GTDで気になることっていうのは、
最初の英語での言葉がスタッフなんですよね。
つまりスタッフっていうのは、
それは色んな意味があると思うんですけど、
なんとなくやっぱり、確かにそれはタスクなんだろうけど、
物的な物を感じるんですね。
概念的っていうよりは物的な、
シングスじゃないですか、
GETTING THINGSじゃないですか、
物、ことでもいいんでしょうけれども、
やっぱり物感が強い、具体的な物を感じますね。
タスクシュートで扱うような物って、
断じてそういう感じではないですよね。
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行為についての名称ですから、
基本的には概念ですよね。
普通はそうだと思うんですよ、タスク管理なんてのは。
概念を取り扱うものだろうと。
日本人はそう思っていると思うんだけど、
僕はアメリカ人は実はそうでもないんじゃないのかなと思うんですよね。
タスク管理ツールの名前としては不思議な、
シングスってあるじゃないですか。
シングスっておかしいですよね。
物事みたいな感じのタイトルでタスク管理ツールになっている。
日本人がつけると、
ああいう風にはなんないと思うんですよ、やっぱり。
これは彼らとしてはですね、
物依存って結構重大な、深刻な問題なんで、
アメリカ的には。
なんせ安く売っているところで、
大量の物を安く購買、
しかもカード1枚で、
我々でカード地獄の問題があるんですけど。
だから全体として物依存問題っていうのが、
彼らには大きいんですよ。
物に依存したくない、物に依存している人っていうのは、
元々は食べ物に依存していたんですよね。
これももう深刻で、
79%はファットだみたいな、
それ8割じゃんみたいな。
相撲取りみたいになっていくんで、
それもあれなんですよ。
パンケーキとかがめっちゃ安いからということが起こるんだと思うんですけれども、
そこに行きたくないっていう人はもちろんいっぱいいて、
そういう人はもうセルフマネジメントっていった時に、
まず何を言ってるかっていうとダイエットなんですよね。
だから僕らの感覚ってやっぱりちょっとそこ違う感じがするんですよ。
僕らセルフマネジメントって言っても、
まずダイエットを意識する人っていないと思うんだけど、
セルフマネジメントって言えば、
まずダイエットで、
ジョギングして、
痩せた体型を保ち、
物はきちんと整理整頓している。
つまりそういう風に、
非常にライフハック的な感じもするんですけど、
ミニマリズム的な感じがするんですよね。
そういう風にシフトしていくわけです。
食べ物に依存していた人が、
物に依存するようになるんですよ。
Apple Watchとかね。
セルフマネジメントのツールってものが、
すごいその人は持つようになる。
工具とかそういうのも全部同じなんですよ。
それらがだんだんガレージに入っていく。
増えていくからね。
部屋をきれいに保つ時に、
一番普通にやる、
僕が見たアメリカの家庭で普通に行われるのは、
とにかく目障りなものはガレージに持っていくと。
これをやるからガレージをカオスに持って行って、
気になるわけですよ。
で、そのガラクタで溢れているところを、
までも自分の思う通りにすっきりしていくという、
家庭の中にミニマリズムっぽい考え方と、
GDDっぽい考え方っていうのは非常にマッチしていて、
まず時間無制限じゃないですか。
締め切りはこれにはないですよね。
そしてコツコツやるよりしょうがないじゃないですか。
コツコツやるよりこれは何かって、
ひとつひとつ見ては、
これはあれだからこうしようこうしようっていう風に、
ひとつひとつこうやっていって、
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自分のテリトリーをきちっと整えていくと、
そういう考え方なのかなっていう風に思うんです。
そういう風に考えてみると、
ダスクシュート的では全然ないと思うし、
合体させる必要性もあんま感じないし、
何よりもすっきりと言ったときの意味が違うんじゃないかなって感じもするんですよね。
今日はこういう話をしたんですけど、
要はですね、私はこういうことを考えるのは好きなんだなってことが、
喋っててなんとなくわかるわけですね、自分で。
これをGOOD MORNING MIAMISでずっとこういう風にやっているかどうか、
まだまだ全然全く何もわかっていないんですけれども、
自分としてはこうやって自分の、それこそテリトリーなんですかね、
やりたいというのか発信したいというのか、
テーマ性みたいなものを探り探りやる中で、
それをなるべく平安な気分の中で発信し続けていけたらとりあえずいいかなと。
当面はそんな感じでおります。