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2023-06-22 31:35

先送りする理由は常にある【GMV803】100チャレ編

万難を排してタスクをやろうとしてみる

サマリー

100チャレンジ編では、先送りをしないこととその理由について話され、文字構文の使い方についても言及されています。また、精神分析や臨床心理学における先送りの考え方やその影響について解説されています。

先送りをしないこと
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月22日、木曜日、朝の7時14分ですね。
今日は関東ですがかなり涼しくて、ちょっと肌寒いぐらいで、このポッドキャストをするから、
実にうってつけの感じなんですね。
普通に過ごすなら、昨日みたいな方が断然いいんだけど、これやってる時だから多分体温が上がるんでしょうね。
0.1度とか2度なんでしょうけど、上がるんでしょうね。暑くなりますもんね。
今日はでも、お冷剤をおでこに当てずに済むという、
あれをやってない人も頭クラクラして、昨日みたいな日は何喋ってるのかわけわかんなくなって、
そのうちその場でうずくまるんじゃないかなって思うような感じになるんですよ。
昨日ぐらいの温度でそうなるんで、8月とかは考えなきゃなーみたいには思っております。
で、今日は100チャレ編でいこうと思ってるんですよ。
うーんと、これでですね、最近ちょうどジェスト5名の方が、
スタッキーさん、精神分析の話が一番面白いですって言われてしまって、
あの、しまってってことはないんだけど、これだけ話しとけばいいのかって思いそうになったんだけど、
いやいや、待てよと。私精神分析家でもなく、精神分析の話だけするのはいいんだけど、
果たしてそれでいいんだろうかっていう、まあこれをイリュージョって言うんですけどね、
思ってしまったんですよね。
うーんと、ひそかに5人の方はそうかもしれないけど、
背景に500人ぐらいの方が、佐々木精神分析の話いい加減にしろよって思ってるんじゃないかとは思わないんですけど、
まあでもそういうふうに思う方も5名ぐらいはいらしても、当然おかしくはないよねと思うんですよね。
で、うーんと、なんていうんですかね、
私の中ではそれはだんだん合流させられるようになりつつあるんだけど、
さすがにこう、東京ライハ研究会精神分析部とか言い出したら怪しげじゃないですか。
多分こう、主催者嫌だと思うんですよね、僕以外の。
だからどうしてもやっぱりその辺を考えに含めていかなければならないというのはあって、
単独でもちろんやればいいし、その時に名前どうすんだ問題もあるんですけれども、
それよりも、どっちを打ち出すことによって聞いていただきやすくなるんだろうっていうのが、
もっかの返答課題みたいな感じですね。
もうあまり悩むところではないんですけどね、本当にね。
タスク集という風に言えた方が依然としてやっぱり聞いていただく方の数は多くなるのは当たり前であって、
一方で多分、両方の話をするのが多分一番いいというケースが多くて、実際そうなるでしょうし、
これは今回100チャレ編ですが、100チャレ編にしてもですね、
結局はあれなんですよ、私はこの精神分析を喋っちゃっていますよね。
知識に関して言えばですね、これをそのままタスク集とに活用するっていうのではなくて、
結局いろんなタスク管理やっている中で、これはやってられないなみたいなところが出てくるじゃないですか。
タスクやってられなさみたいなものというのを一番説明しやすいんですよね、このタスク、精神分析というのは。
先日読書会にいらした方に、私はずっと心理学というのは子供の頃はああいうもんだと、つまり精神分析のことを言うんだと、
精神分析って言葉を知らなかった頃から心理学といえばあれを言うんだと思ってた。
でも全く同じで、小学校の頃から心理学というものが好きだったんですけど、それは私が考えていた心理学って精神分析だったんですね。
で、学べば学ぶほどね、心理学とはだんだんそういうもんじゃないことが分かっていくわけですよ。
どこにも精神分析が出てこなくなって、ついには動物行動学になっちゃうわけですよ。
それがいけないとかそういう話ではないですよ。それはそれで実に重要だし、私はそれはそれで面白かったんだけど、
でも私が本当に心理学だと思って知りたかったのは決して動物行動学ではなかったんですよ、やっぱり。
最終的に私は、これがまた面白いところで、道というものは分かんなくなっていくんですが、
私は最終的にはねばだ州立大学の実験心理学科、まさに動物行動学がそこではベースに出発点として行ったところの博士課程に身を置いてたんですよ、最終的には。
博士号は取ってませんけど。
だから最終的に私は道に迷いに迷って、ついには一番の差を極めるためのところに行っちゃってたわけですよ。
そこで僕は明らかに、これ以上のこれはこんなエネルギー注いでいられんわと思ったんですよね。
ものすごいところだと思いましたよ。
いろんな意味でノーベル賞受賞者みたいな先生もいらっしゃったし、ほとんど恐れ多くて話も大してできなかったですけど、でもいたわけですよ。
でも私が心理学というものでやりたかったことと、あれほどかけ離れているものもまたなくてですね。
だからせっかく修理師大に入れてもらったんだけど、早々に退去したというのは、そういうところから来てたわけですね。
そんなに道を盛大に誤ったためにですね、今精神分析とは縁もゆかりも見つけることなくひたすら本読んでは喋るっていう不思議な活動を繰り返していて、
でも意外にそれが面白いと言ってくださる方もいらっしゃるというのがこういうもんだなっていうふうに思って100チャレンジの前に、すいませんなかなか本題に入れなくて。
7月1日だからもう来週ですね、早々にそのタスク集とセミナーをやります。
オンラインでやります。
オンラインのみです。会場抑えてませんからね。
13時半かな。もうちょっと後だ。
とにかく14時付近から始めて16時。
これはもう多分質問出ると思うので、マックス17時くらいを見込んで考えます。
私が今考える手帳編の、今回は手帳編のことも念頭に置きつつ、タスクシュートを今僕が考える、ポータルで考えるタスクシュートみたいなものをお話ししたいと。
よく言われているロジェクト管理はどうするんだとか、エヴァノートとかメモとかを使うのか。
その辺のことはタスク管理の範疇外のような気もするんですけど、まで含めて全部話そうというふうに考えています。
今まで全部話せばいいじゃんって思われるかもしれませんが、全部話すというのは結構意味のないこととは言わないまでも、
聞いてる方からするとその辺のことは自分は割とどっちでもいいなみたいなのがいっぱい入ることになりかねないので、
最初から全部やりますっていう場合を除いては、私はこれだけやっとけばいいっていう方を話すのがどっちかというと好きなんですね。
今までしゃべってきてみてわかったことは。
全部私と同じようにやる人なんて私しかいないと思いますから、そんなことする必要もないですし、
しかもトータルで今どう考えてるかってことはだいたい今しか通じない話になるんですよ。
ツール変わりますし、今技術の進歩ってすごいから、ツールの機能も大幅に変わっていくじゃないですか。
エヴァノード使う使わないっていう話をしてても、2009年にその話をするのと今話すのとでは全然違うんですよ。
でもある意味たった10年ですよね。
昔だったらあるツールを固めて10年はあんまり変わらなかったと思うんですけど、
今はもうエヴァノード使ってますということの意味が別のツール使ってるぐらいになってしまうので、
タスク中ではそうはならないけれども、そういうことがありますから、
トータルで話すっていうのはあんまりどうなんだろうなっていうのはあるんですが、
今回はお話しします。7月1日ね。3000円プラス税なので、
これはそんなにお高くはないと僕は思っておりますので、よろしければ見てください。
今日はですね、100日チャレンジは先送りゼロというのがたてつけですから、
文字構文の使い方
先送りゼロについていろいろと今まで考えてきたことの一つですね。
これは昨日お話したことと似てるんですが、
直前に先送りするまさにその瞬間に一番考えるべき話なんですよ。
しちゃった後でこれについてああだこうだ考えても意味がないんですね。
そして先送りというのはする直前に、もちろん先送りなんだから、
そのタスクをしたくないわけじゃないですか。何らかの理由で。
このしたくなさって何なんだろうっていうのを考えるのか、漢字で考えるのかなが、
最も大事なポイントと私は思うんですね。
毎日やっているから続けられるとか、ハードル下げるのは大事だけど、
大事というか効果ありますが、ハードルを下げるとか、
習慣の力を借りるとか、仕組み化するとか、システム化するとか、
見える化するといったことはそれぞれ効果はあるけれど、タイムアセットするとかね。
全部、僕からするとやっぱり2番目の話ですね。2番目以降の話です。
一番必要なのはその瞬間に先送りをしないように全力を尽くすことが大事で、
先送りをしないために全力を尽くすというのはですね、
先送りをする理由を一つたりとも認めないっていう意味に私は考えています。
つまり、今日は体調が悪いとか、眠いとか、眠いは大きいですけどね。
眠いは例外的なところもあるんだけど、でも例外は認めない。
眠いから先送りしましたというのはつまりダメってことですよ。
雨が降ってるからとか気圧が下がったからとか、
暑いからとか寒いからとか、子供が熱を出したからとかね、
この辺になってくると非常にそれダメなのって思われるかもしれませんが、
ダメだと僕は思うんですよね。ストイックって話とは全然違うんですよ。
これはですね、あらぞのけいぞうさんとやっている書き上げ塾、
これもお聞きの方チェックしてほしいんですが、
のでからを文章中に入れないという、私だって入れちゃうんですけどね。
でものでからを入れないっていうのはすごく私はとっても大事だと思ったんですよ。
実は私これを予備校時代に習ったんですよ。
しかも国語とかじゃないですよ、現代文じゃなくて。
英語で習ったんですね。
安直に文字構文を微構図で直すのはよくありません。
そういうことをさせる入試問題もあるけど、
基本それはおかしなことだからっていうことを英語の先生が教えてくれたんですよ。
非常に僕は最初驚いた。
なんていうのかな。正しく覚えてないですね。
なんでもいいんですけどね。
seeing herとかいうやつがあるじゃないですか。
彼女を見たから私は走り去ったみたいな。
なんかそういう英文、変な英文ですよね、今思うと。
I ran awayとかわけわかんないことを考えてみれます。
でもそういう文章をよく見かけた気がするんですね。
このseeingをbecause I see herとかっていう風に直すじゃないですか。
このbecauseダメだって話をされてたわけですよ。
なんでなんだろうって思ったんですよ。
それは見たからだって書いてないだろうっていう話なんですよ。
文字構文のどこにも。文字構文ってめちゃくちゃ使われて。
アメリカにいてびっくりしたんですけど、すっごいわかりにくいんですよね。
特にこのいわゆる受動体に直す方法。
先送りの考え方
英語の話になっちゃってますけど、givenとかいうのでいきなりスタートするんですよ。
日本人の感覚では何々が与えられた時とか、
そういうのでそれこそ与えられたからとか。
なんで冒頭でいきなりgivenとか言ってんだみたいな感じがしちゃうんだけど。
多いんですよね。すっごくよく見かけました。
それは良いんだけど、この場合ifでifに直せっていうふうに
よくアメリカの先生は教えてくれたんですけどね。
日本人はわかりにくい言うらしいから、
あなた、私が与えられた、もし与えられたならばで考えなさいみたいなことを言ってくれたんだけど。
これも要するに、でも本当はそうではない部分があるよっていう含みなんですよね。
で、彼女を見たから走ったのか。見たけれどもかもしれない。
見たにもかかわらずかもしれないし、見たときにかもしれないし、
なんだかわからないけど走り去っちゃう人だっているでしょうと。
そういうのを見たからっていうふうに、勝手に直すのはどうなのっていう話だったんですね。
私はあれをずっと覚えてたんですよ。
で、全く同じ話が書き上げ塾で、
全く同じじゃないですよ、英語の話じゃないから。
でもほぼ同じ文脈の話をされていて、
そうだよなと久しぶりに思い出したんですよ、これをね。
何々だから、何々なのでとか、
僕らは大好きなんですね、因果律にある出来事を解釈するの。
でもそれはあくまでもその人の視点から見た解釈であって、
あいつが遅れてきたから私は怒ったとかって言うけれども、
そんなこと言う人はいいませんけどね。
英語の業者に書いてあるようなことは言わないですが、
遅れてきたから怒ったんですかねっていうことなんですね。
だから、子供がお腹が痛くなったから原稿を書くのを今日はやめましたって。
いかにももっともですが、本当にそうでしょうかっていうことなんですね。
これを過去形で見たんでは意味が全くないんですよ。
大事なのは現在形で見る。
子供がお腹が痛いと言ってるからこの原稿をちょっと今日書けないなって、
この時に疑えって話なんですよ。
全力を尽くしましょうってのはそういうことです。
あらゆる困難を乗り越えてそのタスクをやろうとしてくださいって言いたいわけです。
でも出来ないんですかと言いたいわけですよ、私は。
出来なかったんだったらもうそれについて反省したり後悔したりするのは完全に無駄だと思うのでやめたほうがいいと思いますよ。
僕がよく100日チャレンジでコメント出させてもらってますよね。
先送りしちゃいました。
いいんですよ、しちゃったのは。
でもする前は考えましょうってことです。
する前にコメント出せませんからね。
してしまったことはいいんですよ。
してしまったことに悪いことって僕はほぼないと思います。
ましてこの反中の話にやってしまってどこから反省しなければいけないような悪事とかはないんですよ。
でもやる前は手が打てますよね。
この手を全部打ちましょうと。
全部打とうとしてみましょうと。
全部打とうとしてないことが僕ら多いと思うんですよね。
やる直前、まさにそれをやろうとしているその時に手を打つべきだと思うんですよ。
例えば緊急の仕事を割り振られました。
だから今日ミーティングに出席できませんっていうような話。
それはタスクシュートの先送りとは少し違うけどこれも本当だろうかって思ってみる必要があるんですよね。
すっごい極端なことを言うと。
そうそうこの話で思い出すのがですね。
大橋一夫さんの話でタスクカフェを私は彼と100回以上やったんですけど。
100回というのは毎月1回だから1ヶ月以上やったことになるんで。
5年近くやらせてもらったんですね。
彼が最初の20回目ぐらいだったと思うんだけどこの記憶は雑ですが。
でも最初の20回言ったって2年近いわけですよ。
10回だって1年近くやってるわけですからね、10ヶ月ですから。
その時に彼がやっぱりタスクカフェは早朝でもないな。
でも朝に午前中に渋谷に集まる小型のレクチャー編作業タイムみたいなものだったから。
それはドタキャンもあるし、前日のキャンセル遅れてくる方、当然いらっしゃるわけですね。
精神分析との関連
激しいドタキャンみたいなのもあるにはあるし。
あと遅刻常習犯っていう別にいいんですけどね、全然いいんですけど。
もう毎回遅れていらっしゃるという方もいる。
でも大橋さんは別にそういうことについて何かを言われるような方ではないから。
気には多少されてるかもしれないけど、主催者だから。
おおむね気にも止めてないだろうなと思ってたんですが、
20回目くらいの時にふと僕に言ったんですよ。
とにかくこの時間までに来るってことが一つ大事ですからね、みたいなことをサラッと言って。
本当にサラッとなんですよ。
僕それが忘れられなくて強い印象を残してるんですよ、僕にはね。
忘れてるかわかんないですけど、僕は忘れられないんですよ。
彼がこれを言ったから、これがあれなんですよ。
市内に持っていて、大学のラグビー部の名物先生みたいな人が1分遅れてきたら叩くみたいになったら、
それはもう全然これに何のインパクトもないですよね。
それはもう絶対来なきゃいけないとその人思ってるんだろうなって思いますが、
これを言ったのが大橋さんですからね。
これってつまり選択肢だからねっていうことなんですよ。
それはある意味すごく精神分析的なんですよね。
精神分析って遅刻とかした時に、ことさら言及するとか、
カウンセリングの場でそれについて話し合う、話し合う必要はありますって教科書には概ね書いてあると思うんだけど、
話し合うが合わないはその時で決まるんですよ。
でもその遅刻を外的要因だとだけ思っちゃダメですよとは、
おそらく僕は全ての本で読んだ記憶が精神分析にまつわる本では、
遅刻ってもうすごい最重要トピックぐらいにデカいんですよ。
で、その遅刻の原因もやむを得ないじゃないですか。
例えば電車が大幅に遅延しましたから遅刻しました。
おかしなところはないんだけど、でも精神分析はそういう見方を取らない。
その人は遅刻したかったんだって必ずそういう部分を見ていくんですよ。
見ていくってのが大事なんですよ。
他の方法あったでしょうっていうわけですよ、ある意味では。
すごいストイックに聞こえるかもしれませんが、
それだけ精神分析というのは人間の自由意志と選択というものを最重視してるっていうことですよね。
ありとあらゆる困難を背してでも遅刻しないっていう意志が発揮されていなかったから遅刻しちゃったんだよね。
それは心のどこかでこのセッションなりカウンセリングを避けられたらいいな、楽になれるなって思っているんだよって。
先送りを回避する方法
こういうところを見逃しちゃダメだっていう風に考える考え方なんですね。
カウンセリングとか臨床心理という。
僕は大橋さんがおっしゃったことはほとんどそれに準ずると思ったんですよ。
マスクカフェに何が何でも来たければこの時間までに来られないってことはありえないよねっていう意味なんですよ。
もちろんそれは実際には無理だっていうケースはあり得ると思うんだけど、
でも毎度毎度遅れてくるからには何か訳があるはず。
子供を幼稚園に連れてってから来るから15分遅れます。
全然問題ないですよ、マスクカフェだったら全然。
幼稚園休ませて来いっていうのは鬼のようなことを言うほどのことではないんですが、
でもその時間までに来れないことは明らかであり既にそれを許容されているわけですよ、その人の中で。
ここが大事なんですよ。
僕らって人との待ち合わせでも全然意味が違うじゃないですか。
一見したところGoogleカレンダーには日曜10時から誰々さんと会う。
これは誰々さんが誰であっても同じように一見見えますが、
それこそ何かの小説じゃないですけど、
本当顔を見るのもうんざりな取引先のちょっとパワハラっぽくてセクハラっぽくすらある
おじさんと朝10時から会うっていうのと、
ずっと付き合いたいと思っていたイケメンのあの人と会うというのは同じ意味にならないですよね。
この場合にですね、その10時に渋谷に行こうとしたときに、
例えば土砂降りで電車が止まりそうですってなったときに何を人が思うかというと、
前者の取引先のおじさんと会うときには電車止まってほしいなって思いますよね。
電車が止まったというようなニュースにはこれ幸いですよ。
でも後者の場合には人にもよると思うんだけど、
バスに出ても行くとかってなるじゃないですか。
この差を生むわけですよ。
精神分析なんて、だんだんだんだん同じ人に会って悩みを喋っていくっていう作業は、
いろんな意味で精神的に負荷が高まっていきますから、
土砂降りの日に遅刻するっていうことは大いに起こり得るわけですよ。
本人は回避してるつもりなんてないんでしょうけど、起こり得るわけですよ。
一方で、それがさっき言ったようなイケメンの彼氏みたいになったら、
土砂降りでも何でも先に着くみたいな勢いが本人の中で生まれるわけじゃないですか。
この精神的な勢いの差がむしろ回避に向かうのか、
ポジティブな方に向かうのかというのを一番大事にするのが臨床心理ですよね。
だから何とかですからとかっていうのを学面通りに受け取ることは決してないわけですね。
簡単な話、父がおつやで明日タスクカフェ行けませんでも本当にそうなのか、
そのおつやの前に来ることはできないのか、そんなことを言ってもしょうがないですけど、
そういうもんじゃないですけど、でもそういうふうに考えてみるのは大事なわけですね。
何が何でもやろうとして本当にできないでしょうかっていう問い合わせについて、
一向してみることは大切なんです。
まさにこれは先送りのする直前に語らず考えてみるべきだと思うんですよね。
考えてますかってことですよね。
それをやるのにいやちょっと今日は体調が優れないとか、
1分でも着手すれば先送りじゃないことにしていいですよってJさんがせっかく言ってるのに、
時間が確保できないから今日はやめておきますっていうのはどうなのっていうことですよ。
理由としてですね。
それを言っていくとですね、理由として認められる理由なんて一個もなくなっていくんですよ本当に。
ほとんどの場合、多分一つもないんです。
だから1分だけでも着手すればっていうのはすっごいハードルが下がってるようで、
とてもストイックになってる部分もあるんですね。
自分の意思でできなかったっていうのが極めて困難な状態になってるんですよ、条件として。
ほとんどそんなことはあり得ない。
寝落ちや先送りする理由と無意識の関係
だって1分ですから。
寝落ちしちゃいましたがギリギリなんです。
やろうとしたんだけど気がついたら寝てましたっていうのがギリギリ。
でもさっきのイケメンの彼氏ですよ。
そういう人が待っているとしても寝落ちしますかっていう問いがここに立ってくるんですね。
そうすると、だから精神分析ってそうなんだけど、
無意識の選択ってものまでそこに含まれてきちゃうわけです。
無意識ではどうだったんだ。
無意識でもそれをやろうとしていたでしょうかと。
あるいは無意識ではそれを回避しようとしていたか。
この2つは全然違う結末を迎え勝ちなんで、
無意識でそっちに行こうとしてるのと無意識でそっちはやめておこうとしてるのとでは、
結局ものすごく違った結果を生むので、
だからそれをしなかったというのはそういう意味で見て欲しいんですよね。
タスクを先送りする心理と理由
ダメ人間だから反省するとかではなくて、
自分がやろうとしているそのタスクを本当に自分はどの程度やろうとしているんだろう、
あるいはどの程度嫌なんだろうっていうことをはっきりさせるために、
はっきりさせることによって、あるいはいろんな理由に向き合うことによって、
そのタスクというものの意味がだんだん見えてくるわけですよ。
見えてこないと、それほどの1分でもいいとか、
どんな理由も認められないとか、
どんなに疲れていてもやるべきだということにしてみて、
寝落ちも回避してみて、あるじゃないですか。
取引先のミーティングもそうだけど、
例えば、タスクカフェなんて毎月、忘れましたけど、
第一土曜日みたいな決まりがあったわけですよ。
毎月第一土曜日だという決まりがあるにもかかわらず、
そこに何か他の用事が入ってしまうということは、
それは意識しているにせよ、していないにせよ、
どの程度重視しているにせよですね。
タスクカフェがいざとなったらいけなくなってもいいなと、
心のどこかで思ったに違いないんですよね。
だからフロイトは全意識ってことをすごく言うわけですよ。
思い出そうと思えば思い出せる記憶っていうものがある。
思い出そうと思えばタスクカフェが毎月、
第何土曜日だったかは思い出せるはずだと。
調べるということもできるはずだ。
そういうことをせずに、
不意に土曜日にあれと思いながらも、
違う用事を入れちゃうということは、
つまりそういうことですよね、という話になってくるわけですよ。
ここまで考えてみないと、
自分の心のもやもやっとしたところの中で、
ついつい決定されている決定っていうのがあって、
その決定に右往左往させられてしまう。
気がついたら先送りをしないわけにはいかない状況とか、
気がつきはドダキャンせざるを得ない状況に自分がなっている。
それはあなたが実は心の底では望んでいることが
実現されているだけなんではないだろうかといったことなんですね。
そういうことを明らかにしていくために、
何が何でもやるってことをやってみるんですよ。
何が何でもやるってことをやってみてなおできないってことは、
よっぽどそれはやりたくない理由があるはずなんですよね。
そんなふうに思ってないかもしれないけども、
ありとあらゆる万難を背してって言うじゃないですか。
万難を背してもできない、
例えば万難を背しているにもかかわらずブログのアップできないって言うんだったら、
よっぽどそれはブログのアップというものが実は優先順位に低い、
あるいは本当はどこか書きたくないと強く思っている部分があるはずなんですね。
これについて何をどう仕組み化しようとしたり、
習慣化しようとしたりハードルを下げてみたところで、
2日目になったところで3日目になったところでですね、
やっぱりブログのアップはできないと思うんですよ。
毎度毎度同じ何かが、何か強い不快感のようなものが下の方にあって、
それがですね、非常に都合のいいのでから、
理由を、原因をですね、外の世界に探し出しに行ってしまう。
今日は曇ってるからとかね、今日は気圧が下がってきたからとか、
他の人は知らないけれども、私はどうも低気圧が来たときは、
画面を見ると頭が痛くなってとても文章なんて書けない。
実にいい理由じゃないですか。
本当はブログをアップしたいんだけれども、気圧が低気圧が999mV以下のヘクトパスカルか、
今は999ヘクトパスカル未満の気圧になると、
どうしても画面を見ると目がちらついてとても文章を打つところではない。
本当はブログをアップしたいんですけどできないんですよ。
っていうことをずっと言っておけばいいわけですよ。
そうすれば1年でも2年でも、自分としては極めて最もな理由を自分で納得させる。
ついでに他人も納得させて、これに対して何か言える人ほとんどいませんから、
させることができて、そしてブログは決してアップされないという状態を維持することができるんですよ。
それでいいんだろうか、いいんでしょうかって話なんですね、これは。
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