2022-08-10 29:25

【650GMV】レビューして反省しても先送りが止まらない?

先送るときとレビュー時とでは「自分」が違う

00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
あの、この方法がですね、
つまり現在の収録方式が
評判が良かったので、しばらく
少なくともしばらくはこれでいこうと思っているんですけれども
これはですね、最大30分という
制限がある方法なんですね。
なので、これもうむしろいいのかもしれないですね。
最大30分でもう
何があろうとやめます。
これをですね、もう1回に分けて
さらに1時間にしようぜという気持ちは
さすがに僕の中には今ありませんので
あの、30分。なんで
前の方法でもだいたい40分に収まっていたかというと
あれ確かですね、40分を超えると何かの制限がかかるみたいな
そういうのがあったんですよね。
それで40分が1つの最終の目安になっていたわけです。
それが現在の方式だと30分になったと。
たったそれだけのことですね。
えーと、それでですね
今週の土曜日に先送りを
えー
なんとかするための1ヶ月コースというのを
倉津の慶三さんとやる
なんていうんですかね、オンラインコミュニティで
レクチャー1回月というものがありまして
あの、こちらもう今週の土曜日
すごいスタートなのでですね
えー、よろしければチェックしてみてください。
今何かの先送り先送りと
私が、えー、まあ活動の
今中心に、なんか来ているんですよね。
こういうのも多分偶然なんですけれども
えー、偶然来ておりますんで
まあ、あのー、なんていうのかな
いろいろ巡るんだなっていうのがあります。
先送りになってみたり
人が怖いという問題で会ってみたり
えっと、あるいは時間が足りないと
まあこれは先送りと関係がありますけどね
あるいは文章を書くとかね
あの、そういろいろあるわけですね。
私はその、今は先送りが
えー、そういう巡り合わせになっているような
実際その
ブームってやっぱ作れないので
今が先送りの
僕の中でのブームっていうのも変ですけれども
なんかこう、そういう話を
あっちこっちでする流れになっているなと
言った感じはします。
だから、そういう流れの中での活動をしている中で
まあ、中でが多いな。
先送りを、今メインテーマに
まあ、したいというよりはしてます。
そういうのの一環として
一番やっぱりこう、自分が今ですね
先送りというテーマならば
えー、このプラゾーさんとやってるやつが
一番こう、なんていうのかな
あー
03:00
まあ、僕の考えとしては
純度の高いですね。
僕の考えの純度が高くても
皆さんの役に立たなければ
あんまり意味がないので
まあ、これはあくまでも
僕基準ってやつなんですけれども
私の中での純度は高い話ができます。
そういう話をしていこうと思っております。
で、そのまんま先送りの話に入っちゃうんですけど
実際この先送りって
えー、非常におかしな話で
タスクシュートやってると少し見えてくるんですけどね、きっと。
まず、絶対にやることならば
それは先送りであろうとなかろうと
割とどうでもいい話なんですよ。
例えば、私は絶対寝るわけですね。
寝る前に歯磨きをする誰に
もし歯磨きをするっていうのを
リスト見なければ寝ちゃってたんなら
寝るのの先送りですよ。
人はこうは考えないんだけど
つまりそういうことですよね。
例えば、寝る前にちょっとこの小説読みたいなと思って小説読むというのは
寝るのの先送りですよね。
翌日に先送るっていうことはまあありえませんけれども
実際に何かをその前に入れるということは
先送りの定義からすれば
該当してると思うんですね。
先送りってそういうものですよね。
えーと、今日原稿を書こうと思ったんだけどどうも
なんか優れないので
この優れないというのが癖物ですけれども
翌日に送ると。
ということはその原稿を書くまでにする全てのことを
翌日の原稿を書くよりも先にやるだけなんですよ。
これタスクシュートだとはっきりと目に見えるんですよ。
他の方法だと目に見えないかもしれないけど
やってることは間違いなく同じの感じです。
先に送るということは
他のことを前にやるだけなんですよ。
絶対にそれをやるのであればですね
順番だけの問題になっちゃうんですね。
ということは絶対にそれをやるならば
多分先送りってほぼ何の問題もないんですよ。
後でやるだけですから。
先にやるか後でやるかの違いですから。
そして多少そういうことは必要になることはあるじゃないですか。
今すぐ散歩に行こうと思ったけど
その前にトイレに行こう。
これは一瞬ですけど先送ったわけですよ。
でもそれは誰も変だとは思わないですね。
で、これが絶対やるケースですね。
散歩に絶対行くとか。
うーん、まあ睡眠は絶対取りますからね。
そういったものであれば何の問題もないのですけど
絶対やらないことだとどうなるのか。
つまり先送ったが最後、二度とそれをすることはない。
そういうこともあるじゃないですか。
例えば何でもいいんですよこれは。
プログラミングの勉強しようと思ったんだけど
ついに10年先送っております。
これはもうほぼやらないってことですよね。
こっちは先送りっていう言葉の意味に
06:03
言っても該当しないような日が私やっぱりするんですよ。
だってそれやらないっていうことであって
先に送って先にやるっていう話ではないですよ。
後でやるか。
後でやるっていう話ではなくなっております。
後でやらないんだから。
それただやらないってことですよね。
そうすると一体先送りというのは何なのかと。
やること、絶対にやること後でやる。
これを該当しないものとします。
絶対やらないことはこれは先送りという名に値しないので
これはやらないと決めたのと変わらないので
やっぱり先送りじゃないとすると
残るものは何なんでしょうね。
残るものってのは
やるかやらないか分からないんだけれども
今はやらないってことですよね。
多分これが先送りなんですよね。
で、なんとなく皆さんが嫌な思いをするとすると
これなんだと思うんですよ。
やるかやらないかが決められず
とりあえず今はやらないと決めたと。
つまり判断の先送りなんですね。
先送りというのは。
で、判断の先送りをするということはですね。
まず確実に
多分一つ理由が
まず間違いなくあると思うんですよ。
あまりそれはやりたくないか。
少なくとも簡単にはできないという思いがあるわけですね。
よく時間がかかりそうだっていう言い方があるじゃないですか。
これもうちょっと言うと時間を損しそうだって言うんですけど
先に原稿を書くとどうして時間を損するんですかね。
後で書くと早く書けるんだろうか。
これは冷静になると
多分そういうことはあり得ないとすぐに気づくんだけれども
先送っているときはあんまり冷静じゃないので
こういういい加減な判断をしがちです。
判断を先送るという判断の仕方も
大変怪しげなものです。
後で判断すればより良い判断ができるわけですかね。
後で判断するとより良い判断ができるということは
その時の自分の判断力は低迷しているという話になります。
低迷した判断力で別のことをやるというのは
賢明なんですかね。
非常に微妙な問題を含んでいると思うんですよね。
原稿を書くか書かないかの判断力は低迷しているけど
とりあえず原稿を先に送るという自分の判断は賢明で
その代わりに例えば部屋の掃除をするとか
いった判断は賢明なのかと。
非常に怪しいですよね。
怪しさがいっぱいになってきます。
この判断を先に送ると
やむを得ずそうすることって時間が本当にないとかね。
09:00
今すぐ出発しないとフライトが先に飛行機飛んじゃうというような場合は
しょうがないと思うし
当然それは賢明だと思うんですけれども
そうでも全然ないのに時間が惜しいだろう
後で判断した方がやりやすいような気がするだろうといった
理由で先送るとしたら
やっぱりそこで立ち止まって考える価値ぐらいはあると思うんですよ。
でですね、ここで話がいきなり急転直下というか急カーブしちゃうんですけれども
今日はこの話を延々していたいわけではないんですね。
どこかでこの話を切り替えようと思っていたんだけど
切り替わる雰囲気にならないので強引に切り替えちゃいますけれども
精神分析の用語に考えられなくなるというのがあるんです。
多くの人は読み飛ばされてしまうかもしれませんけれども
戸畑海斗さんは非常にやっぱり大した人というかすごい人で
精神分析の話をしているにもかかわらず
可能な限り用語は避けて
しかも状況ももちろん今の状況を扱っているから
今風であるのは当然なんですが
今風の状況を取り扱い
さも普通の臨床で
これの普通の臨床って何なのかっていうのもありますけれども
さも普通のカウンセリングの体を装って
精神分析の話をしているように私には見える
本人はそんなことはしてませんよって言われちゃうかもしれませんが
私の目にはそう読める
私はそう読むのが多分面白いんでそう読むんですけど
戸畑海斗さんは考えられる力が戻ってきたって表現をとっている
箇所が何箇所かあるんですね
最初この番組でも
先週あたりにお話した打ちひしがれるっていう表現が
あれも非常に精神分析的なんですよ
えっと思われるかもしれませんけれども
それは全然別に精神分析の
お箱でも何でもないと思われるかもしれませんが
カウンセラーが打ちひしがれてるのは
お約束みたいなところがあるんですよ
で例えば最近の本で言うと
女の人に猛烈に罵られるシーンがあります
ああいう時って書いてる通りじゃないと思うんですけど
大変つらい状況だと思うんですね
でそこで本当につらくなることが大切なんですよ
だからあれは正しい態度なんですね
正しい態度というかやむを得ずあがっちゃうんですけどね
もうあんた本当にカウンセラーとして最低だみたいな
その証拠をバンバンあげつらわれると
ちなみにあれを私の感覚ではですけど
これもかじった知識ってやつですけれども
高愛的って感じを抱くんですよね
口にエネルギーをフロイトの時代だったら
口の方にリビ動画みたいな表現を取っちゃうのも
読むんですけどそういう感じなんですよ
もうなんか口がマシンガンのように働く人いるじゃないですか
12:01
ああいう感じですよね
勢力が口をのっとるみたいな感じですよ
言ってみれば
興奮してガーッと攻撃していくと破壊的なんですよね
非常にカウンセラーはそこで思いっきり落ち込まなきゃ
いけないんだけど
大事なのはそれでもホールディングを手放さないって
言えばいいんですかね
抱きかかえを止めちゃダメだっていう考え方なんですね
ここに赤ちゃんとお母さんというものを見るんですよ
相手がガーッと罵ってくると大人の女の人ですから
怖いですよね
それをでも赤ちゃんのように捉える見方があるわけですね
足をすっごいバタつかせる
でもここは地上5階だと
手を離せば死んでしまう
こういう時お母さんは絶対手を離さない
ホールディングっていうのは抱っこじゃないんですよね
こう正しさみたいなものなんですよ
ここでどんなに赤ちゃんがぐずろうが
お母さんのことをここで憎むっていうのが出てくるんですよね
お母さんのことを憎もうとお母さんは離さないよっていう
これなんですよ
普通の人間関係でこれは成立しないんですよ
あの女の人みたいに足をバタつかせるぐらいのことをやれば
大抵の成人の人は逃げてっちゃいます
つまりお母さん役はやめますって話になってしまうんですね
持ちこたえてくれないわけです
ホールディングが成立しない
それは母子関係じゃないですから
でもカンセラはダメなんですね
それじゃそこでどんなに自分が辛くなっても持ちこたえると
これを僕が思うにですね
ウィニコットって人が
患者は憎まなければいけないっていう言い方をしたんだと思うんですよね
お金を払うのを
例えば国民健康保険とかで賄っちゃダメだと
そうすると本気で憎むことができなくなるから
なんで本気で憎まなきゃいけないんだって思われるかもしれませんが
子供が親を本気で憎むっていう経験は
ウィニコット流に言うと非常に大事なんだと思うんですよ
精神分析ならみんなそういう言い方するかなと思います
本気で親を憎んでも親は子供を憎まない
こういう経験を子供はしなきゃいけないわけですが
運悪くそういう経験にひどく乏しかったか
あんまりできなかった人がいたとして
そうすると大人になると
どこまで自分はやって許されるんだろうっていう問題に
大人になってからはまり込むことになっちゃうわけですね
どこまでこの人は許容してくれるのかを
測るみたいな
そういう心理状態ってあるじゃないですか
顔色を伺うっていうのは
入り口みたいなもんだと思うんですけど
この人はどこまで私のことを
私が本気で何かをやったとしても
あるいはやらかしちゃったとしても
受け入れてくれるんだろうってことを
絶えず測って生きていくような
何かこうですね
何点ですかね
本来の限界線がどこにあるのかが
なかなか感覚的につかめないっていう
15:00
そういう一種の病理があるっていう感じが
あるんだと思うんですよね
それを学ぶために本気で憎むと
本気で憎むということはですね
ギリギリのラインに行くと
お金払ってるから
私が何言っても許すんでしょうっていう態度に
割となると思うんですよね
ギリギリじゃないね
こんなのは非常にありがちな関係ですよね
そうお金払ってるからですよ
っていうことになっちゃうじゃないですか
何を言おうとそうなってしまいますよね
でもあまりに罵られると
本当にカウンセラーは苦しくなってくると
これが打ち死がれるみたいなやつなんですよね
もう考える能力がなくなってしまう
本当にこう言葉の攻撃に晒されて
言葉の暴力ってやつかな晒されて
もうぐっとこらえてるので精いっぱいだと
それでも考えようとしてくれたら
感動的じゃないですか
という話なんだと思うんですね
ああいうところに出てきているのは
考える力が僕に戻ってきましたって
戸肌さんが書いた時には考える
この人のためになお考えてあげようと
普通の人はそういうことを
してくれなくなっちゃいますからね
多くの場合にしてくれなくなるから
関係がそこで途絶えるんだけど
そこでもあえて何かを考えるわけですね
これが考えることの価値なんですよ
だけどいっぱいいっぱいになっちゃうと
何も考えられなくなってしまうわけですね
もう攻撃耐えるので精いっぱいと
でもそこでこらえてるから
怒鳴り返したりはしないわけですけどね
どいたけおさんはそういう時になって
本当かどうかこれも確実には
わかんないんですけれどもね
もう私は辞めにしたいと
あなたみたいな人の人格は
耐えられるもんではないって
言い返してしまったっていうのが
書いてあるんですよ
ああいうところがものすごく
正直に書いてるところが
どいさんがやっぱすごいなって
思うところなんですよね
書きたくないじゃないですか
という失敗を私はしました
で後になって考える力が
蘇ってきたんですが
その時に考える力が蘇ってこなければ
本当はいけなかったんだよねみたいな
そういうニュアンスがあるんですよね
そこがだからつまり
縁起に近い疑似の家族関係なんだけど
本気の関係になってきつつあるっていうものを
患者さんは経験できるわけです
それを多分カウンセリングとかでね
本当は親子関係の中とか
兄弟の関係の中で
そういう経験がいっぱいできてれば
よかったんでしょうけど
あいにくできなかった
何か事情があって
だから大人になってから
そういう経験をするわけです
最初私先送りの話から
していたはずなんですけど
もうほとんど忘れかけてますけどね
僕の脳みそはそんなもんなんで
どうして先送りの話から
この話に一気に切り替えたかというとですね
18:00
先送りをしている時の私たちは
考えられなくなっていることが多いんですよ
って話をしたかっただけなんですよ
考えなきゃいけないんですよ
そこで持ちこたえて
なんか苦しくなるじゃないですか
本当にどうしようもなく
これ何日も何日も先送っているのにな
と言いながらタスクシュートの日付を
ピッと変えるんですよ
この時に僕らは
打ちひしがれている人と
ほとんど同じ心理状態になっている気が
私しばしばするんですね
変動体モードっていう言い方をしてるんだけど
もっとですね
じんわりと嫌な感じの
変動体モードなんですよ
何か上司に怒鳴られてるとか
そういう時の本当に心が
へこみそうな状態とはまた違った
何かに侵食されてるような
じわーんと重くて
いやもうとってもじゃないけど
原稿なんて書けないなあ
先送りっていうあれ
あの時僕は
何にも考えていないような気がするんですね
だからレビューとかでは
これを修正できるとは
僕には思えないわけです
さっきのドイタケオさんの
セリフってすごくいいんですよ
レビューしてる時は
あの時にやっぱり私は
原稿を書いておくべきだったって
こういうことなんですよね
こういうふうに
人格攻撃をするのではなくて
私はこうも言えただろうし
ああも言えただろう
そう後から考えると
そう思えるものなんですよね
私よく言うじゃないですか
夫婦喧嘩とかすると
本当思いますよ
いやあの時こういうふうに
言い返せばよかったし
あんなふうにも言えた
こないだのなんかね
ライブ前ですけれども
瓶割っちゃって
すごい大惨事になったんだけど
いやそういえば
あの人だって割ったことあったじゃないか
後から思い出すんですよね
これが考える力が
よみがえってくるってことなんですよ
その場ではなかなかよみがえってこない
あのビオンだったかな
とにかくコンテインって言葉があって
コンテナですよね
コンテナの中が
もういっぱいいっぱいなわけですね
攻撃されて攻撃されて攻撃されて
いっぱいいっぱいなんですよ
ここにどこにも隙間がないと
思考っていうのは成立しないんですよね
やっぱりこう空間がないと
空間っていう表現が
カウンセリングとか精神分析で出てきたら
ここで何かを生み出さなきゃいけないんだ
っていうのを
読者は意識されると
僕はいいと思うんですよね
すいません
音がするかも
本当にそういう
なんて言うんですかね
隙間なんですよね
空間とかそういう言い方をします
もの考えてる人なんか
そういう感じあると思うんですよ
頭の中に空間があるなと
頭の中がビッチビチになっちゃってる時は
どうしようもないんですよね
あーも言えたこうも言えたっていうのは
余裕がある時に出てくる
セリフなんですよ
余裕が全くないと
あーも言えないしこうも言えない
何も考えつかないんでね
ただただ何かこう
相手を口汚く罵るか
21:01
一歩間違うと物を投げるとか
私ってことやったことはないですけど
物投げる描写っていうのは
旦那とかね
奥さんに激しく詰め寄られて物投げるとか
何か怒って物投げるとか
やってるじゃないですか
子供ですよね
あれを対抗というじゃないですか
やっぱりカウンセリングで
物投げるのは子供じゃないですか
子供物投げるじゃないですか
怒った時ニャーとか言って
ピューってなんか投げるじゃないですか
あれ大人の男性がやるから怖いんだって
やってることはもう
3歳児前後まで
後退しているわけですよ
後退させられたと言うべきでしょうね
でこれが私は近いことが
先送りに絶対起きてると思うんですね
だからそこで持ちこたえて
考えるべきなんですよ
ただ持ちこたえて考えるというのは
辛いだけだとできないので
だからウッドバイブス
クラズノさんのねみたいに
まず心の平安を取り戻すと
平安になってみると面白いことに
こらえることが苦じゃなくなるんですね
まあそれはイリュージョンだからとか
いろいろ言い方はありますけれども
実際ドイさんが
ああいうふうにさらっと書くあたり
後になってみればこうも言えたり
ああも言えたという時は
もう非常に落ち着いているから
ああいうのを書くことは
ああいうことを考えて書くことも
やっぱり十分やれるようになってるんですね
この差大きいじゃないですか
先送ってしまう
ただ何かこう苦しいから
先送ってしまうっていうのと
十分それについて考えられるという状態って
だいぶ違うと思うんですよね
だからレビューをやってる時というのは
いやいや全然できたでしょうって
思っちゃうわけですよ
この考えられる自分と
全く考える能力を
奪われてしまってる自分というのの
楽さですよね
どうしてそんなことになっちゃってるんでしょう
っていう話なんですよ
どうしてかというと
要するに先送る対象について
相当な程度の
なぜなのかは理由は
相当説明しにくいけれども
不安があるからだと
それが何度かこの番組でも
お伝えしていることですよね
恐怖感がもう恐怖感あるのかもしれないです
なんでなのかは知りませんよ
なんでなんでお風呂に入る
という程度のことだったり
あるいは部屋の掃除をする
という程度のことだったり
私もしばらくちょっと困ってましたけど
庭の片隅の雑草を大量に抜く
という程度のことが怖いのか
わかんないんですけれども
でも怖いことがやっぱあるんですよね
だからやりたくない
身づけの強さですよ
これもこの番組でも何度もお伝えしている
その高階良子さんの漫画の絵が
やっぱり一番いいと思うんですよね
彼女は貧乏だったので
牛乳を嫌いになりたかった
高い牛乳を飲みたいという気持ち自体を封印するために
24:02
牛乳嫌いになりたかったら
気が付いたら牛乳が嫌いになっていて
牛乳を見るだけで吐き気を思います
私たちはこういうことができちゃうんで
多分雑草をむしるだの
お風呂に入るだの
原稿を書くだのに
様々な意味をつけて
それを嫌いしたわけですね
最近庭に時々セミが転がっていてですね
死んでないんですね
皆さんもご存じだと思うんですけど
いきなりこう publishing 飛んじゃったりするんですよ
ドキッとするじゃないですか
僕らが対象を恐れる
人を恐れたり
人と罵り合ったりするときって
まさにあれだろうなって思うんですよね
セミもドキッとしてるからあぁなんだけど
私はセミに攻撃されたと思って
ドキッとするんですよ
でもですね
これ面白いんですけど
どこかで私はセミに意味をつけたのでしょうね
私、6歳から12歳ぐらいまでセミを取りに行って、
1日中長い虫取り網を持ってですね、
夏になるとこの炎天下の中、セミを取るために必死でしたね。
地面に転がっているセミとか言ったらもう危機として、
そいつが飛ぼうが何しようか、もうカゴに収めるべく総力を挙げていたものなんですよ。
そういえば、いつあれがバタバタ言うだけで、こんなに恐怖を覚えるようになったんだろうと。
変動体モードですよね。
子供の頃はこの変動体が動きもしなかったんですよ。
それが今になってみると変動体モードなんですよ。
変動体モードだからお互いが罵り合うように、僕がセミを脅し、
僕は気づいてないんだけど、セミが僕を脅し、
これが上司との間に私たちが日々やっていることなんですよ。
だから先に甘えさせましょうという、先に甘えさせるしかないと思いますからね。
セミが転がっているなら、先に脅かすのやめましょうねっていう話をしているだけなんだけど、
それをすると搾取されるって話になっちゃうんですよ。
それをするとセミがバタバタ言うということに一方的な損害をこちらが被って、
その分はどうしてくれるんだっていう議論になってしまうんですよ、人間関係だとね。
いずれにしても僕らは恐怖っていうものはものすごい意味付けです。
たぶんもともとは怖いものでも、撮りたいものでもなんでもないんですよ。
それは撮りたくなったり怖くなってみたり、勝手にする。
しかもそのいきさつについても覚えてない。ここはフロイドの抑圧ですよね。覚えてないんですよ。
そうして怖い対象は先送る。怖い対象に出くわしたらまた先送る。
これをやっている限り、そしてそれをレビューをいくらしてもですね、
その時は考えられる自分になっているから、いやこれ怖がる必要なかったよねって、
後からだったら簡単に思えるんですよ。
でもそいつに出くわした時はやっぱり怖くなってる。
これ僕らが日々やってることですよ、たぶん。
すごいこうやってみると奇妙なんですよ。
本当に奇妙だと僕も思うんだけれども、でもたぶん僕もそうですが、毎日これをやってます。
27:02
あんまり奇妙だとも思わずやってます。
たぶんものすごく独特のメカニズムが頭の中で働いて、
いろんなことをああでもない、こうでもないとやっては怖くなり、
怖くなったものだから判断力を停止してピッと先送って、
で後になって、いやこの時にはできたという風に考えられる自分はやって思うんだけれども、
またそれに出くわした時は考えられなくなっていて、怖くなって。
怖くなるから考えられなくなるんですけどね。
コンテインできなくなって、ホルディングできないわけですよ。
要するに抱え込めないんですね。持ちこたえられなくなっている。
で持ちこたえることはとっても辛いことだというイリュージョンがある。
これがイリュージョンだと見抜けた時は原稿書けます。
私はこれ何度かこういう考え方で先送っているものを今まで対応してきました。確かに。
要するに問題なのはこらえるのは辛いことだっていうこの誤解なんですね。
それが誤解なんですよ。
作り出したものなんですよね。そういう作り出した風景に騙されてしまう。
そして怖くなってしまうともう判断力が停止してしまうので、
そしたら次にできることは怖くなくなることなんですよね。まず何よりも。
そしてからもう一回考えて先に送るかどうかを決める。
それしかないんじゃないかなっていうふうに思います。
今はそのことをですね。ああでもないこうでもないとお伝えするんですよ。
これだったらセミナー聞かなくてもいいじゃんって思われるかもしれないけどそうじゃないんですよ。
なぜならば皆さん一人一人の怖い理由は違うし、
皆さん多くの場合怖くなった原因を忘れていますから。
やっぱりそれを思い出すっていう作業ですね。やるには自分一人ではかなり難しい。
ここのところに何て言うんですかね。
カウンセリングなり精神分析なりGood Vibesのセッションなりの意義ってものがあるわけですよ。
だからほとんどCMみたいになってしまっているんですけど、
もしこれ一人でやると言うんだったらばですね。
そのセミの話を思い出してみてください。
29:25

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