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2024-05-24 47:06

なぜ肌がかゆかったのか?【GMV989】

ベータ要素の話。

サマリー

タスクシュートのセミナーや新しい企画について話題にされています。タスクシュートの活用方法や脳科学の研究などが取り上げられ、目の前にあるものを見てイメージがつく話があります。都合の良い見方をするのはアルファ機能による影響で、心の中の像を頻繁に見ると不愉快に感じることになります。また、肌の異常はベータ要素であり、意味のない感情や行動が身体化することがあります。肌がかゆくなる原因は心の苦しみからくるものであり、外的な要因ではないということを理解する必要があります。

タスクシュートの活用方法
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
5月24日、金曜日、朝4時29分です。
このセリフ、つい昨日も言ったような気がするんで、
かなり昨日、今日あたりは、同じパターンで時間的にですね、動いてるんだなと。
で、全く同じようなことを思っている気がするんですけど、
いや、この季節は本当に爽やかに大変ですね。
これで眠気がね、全くなければ言うことなしなんだけど、
まあまあ、金曜日の朝はですね、もう眠いですね。
今週はちょっとワンオペ的なこともあったので、
もう非常に疲れていますね。
まあまあ、そうは言っても、すべてはだいたい落ち着いてきて、
あ、そうそう、だから落ち着いてる場合じゃなくて、
あさって26日に、クラゾンさんとのGood Vibesタスクシュートセミナーをやりますと。
私、それでですね、今後こういった活動も、
まあ本当にそういう、下記だけになりそうなんですけど、増やしていければいいなと。
なんていうのかな、タスクシュートはやっぱり手帳が出て、
ツーが出て、ライトももうすぐ広めするはずだということですね。
クラウドライト、クラウドツー、そしてタスクシュート手帳と。
タスクシュートというものを見聞きしたという人が今後増えていく必要があるし、増やしていかなければいけない。
この一端は私がやっぱり、今までの活動からしても、
割と私はタスクシュートというものがこの世に出て、一貫してこの方向性の人間だなと。
開発はできないし、なんていうのかな、今やタスクシュートの中身についてのお話も認定トレーナーさんが、
もう何十人もいてね、今までじゃ考えられない中身について組織的に教えるということができる体制があり、
私がやることといったら、タスクシュートというものを聞いたことありますと。
昨日たまたまね、もう今さらその話題なんだっていうような、
そういう非難がましいことを言いたいわけじゃないですけど、
書店が減ってると。減ってるんですよ、ここ20年ぐらい連単続的にね。
しかも増えた年はないと思うんですよね。
大変残念なことでもあるとは思うんですけど、やっぱり私も書店が優位していた人間ですから。
でも減ってることは確実に減っていて、つまり行かないわけですよ、人が書店さん。
で、こういう状態というのはやっぱりですね、今になってすごくあの手この手が打たれているわけじゃないですか。
僕は黙ってちゃいけないと思うんですよね、そういうトレンドがはっきり加工線をたどっているとき。
同じ理由で、やっぱりタスクシュートというのも黙っててどんどん広がるというものとはちょっと違うと思うので、
そっちの方は頑張っていかないとなと。
そういう一環としてもこの活動は考えられるなと思って、26日。
これに来てくださる方、タスクシュート初めて聞きましたって方はいらっしゃらないと思うんだけど、
今まで縁が薄かったですって人には是非ちょっと来てみていただけるといいんじゃないかなと。
私のタスクシュートっていうのは今はもう多様な顔が持っているっていうふうに思うんですね。
これ結構大事なポイントな気がしておりまして、
ある種のツールというものはツールそのものが多面性を持つといいと思うんですよ。
Evernoteとかも非常にいい例だと思うんですね。
使っている人によって全然違う側面を持っている。
ああいうのがやっぱり最初はデジタルノートだったはずなんだけど、
デジタルノートっていうだけであれば本当に使う人によってユースケースが変わってくる。
受けてるのは結局そういうところだと思うんですよ。
タスクシュートはすごくそういう意味でカッチリしてるんだけど、
でも意外に多様性があるんですね、あれは。
意外と使い方は人によって違うんですよ。
オムニフォーカスっていう割と老舗の非常に有名なタスク管理ツールが、
タスク管理ツールとして有名だね。
一般的には知られてるとは思わないけど。
オムニフォーカスなんで本当にGTD特化ってことを歌うよりも、
もっと多様性を歌えば良かったんじゃないかなと。
良かったとしても現在進行形なんですけど、
良いんじゃないかなっていうのを繰り返し私は思うことがありますね。
あれはタスクシュートにならないんですけど、
タスクシュートにもなるようにすると、
全然違うものにできたんではないかという気もするんですけど、
あれはそういうことは許されないでしょうね。
でもGTDをするためのものですってことになってくると、
GTDのことも知って、オムニフォーカスのことも知って、
その上でその両方をやりたいって思うまでは、
それをやろうっていう気にならないわけですよ。
ただオムニフォーカスを使うっていうんだと、
ダメみたいな感じになってしまうと、
よく分からなくなってしまいますからね。
その辺を最近タスクシュートというメソッドと、
タスクシュートというツールはもちろん、
根前一体として使うことはできるんだけど、
切り離しても使うことができるっていうような、
最近そういう方向性を、
私はタスクシュートクラウド2とかでGTDをするっていうのは、
あんまり気が乗らない。
てか僕はやっぱりGTDに気が乗ってないからだな。
GTDをする上でも、
例えばタスクシュートクラウドライトは、
ありなんじゃないかと最近思うようになってきました。
それはちょっと他の人に任せたいとは思うんですけどね。
とりあえずは26日ということです。
オンラインと対面の重要性と新しい企画
昨日、おとといかな、
3ヶ月チャレンジで直接お目にかかった方がいて、
それとあまり関係なく頭がいろいろ展開して、
直接お目にかかるっていうのは大事だなと思ったんですけど、
それはもう普通に対面カウンセリングの重要性を
持っているだけなような気もするし、
3ヶ月チャレンジにおいて何か新しいことが、
新しい試みをこれからどんどんやっていこうとは思ってはいるんですけれども、
それは直接お目にかかってしゃべったからとばかりは言えないんですよ。
やっぱり昔からオンラインでやることの、
そもそも正式の人たちはあんまり滅多にオンラインでやらないのに、
やっぱりわけがあるって、
私自身の対面というものを体験してみて、
相談に乗る方も相談する方として、
どっちも対面というものを体験してみて、
どうしてもオンラインとは違うっていうね、
そういうことについて改めて考えるようになって、
また何かちょっと考えるように、
考えるようにばっかりですが、
新しい企画というものを考えるようになったわけですね。
脳科学の研究と現実体験
それはそれとして、
そのサンチャレの人としゃべっているところで、
これも最近よく考えるばっかりですね、
ことなんだけど、
夜はつかまないわけですね。
夜が足をつかんでくるというのは、
エビデンスがないんですよ、当然です。
そんなエビデンスはないです。
もちろん、幻覚を見ている脳の状態というものを、
脳画像的に特定し、
その脳画像を見れば、
その人が幻覚を見ていることがわかるみたいなのは、
今後ものすごく、
ものすごくというのは、
脳科学画像が進歩しないと無理なんで、
FMRIくらいの今の解像度では、
到底そんなところまで行きつかないのでね、
時々ね、ギガジンさんとか、
ちょっとネタっぽい記事に、
見ている夢の画像をついに撮れるようになったぞみたいな、
ああいうのがもう走りの走りを、
ちょっと盛るみたいなね、
ちょっとムーっぽいわけです。
私、ああいうの大好きなんで、
非常によく読むんだけど、
よく読むとですね、
まだ無理そうだなっていう感じが、
もうちょっとね、行くと面白い、
自分の夢を人に見られることが、
果たしてどうかっていう、
映画監督的な人だったら、
非常に面白い話だと思うんですけど、
どう考えてもプライバシーが暴かれる以外の、
何者でもないというケースもあると思うので、
非常にいろいろ倫理的にも、
あれなものなんですけれども、
いずれはでもできるかもしれないですよね。
でもできないかな、
非常に難しいんですよね。
どこに血流があるから、
何を見ているなどということは言えないし、
この人の記憶の畳まれ方がですね、
大脳の記憶の畳まれ方が、
全く異なるわけだから、
そこを触ったからそうなるみたいな、
そこを触ると何が見えるかを、
本人が確認しないといけないんですよね。
有名なペンヒルドの実験が、
実験中の映画中にね、
ここのところに電流を、
微弱の電流を流すと、
皮のせせらぎがあるみたいな、
それは記憶を再生している証拠だと、
思うんですけれども、
そういうことは当然起こると、
僕は思うんですね。
つまり脳の、
非常にたくさんあるニューロンの、
複雑な経路が、
その人にとってのクオリアを、
作り出すというか、
それがまさにクオリア。
脳に触れられているというのかな。
脳が、脳のある部分、
部分じゃないよね。
部分には結局神経の突起があって、
そのルートをどう通るかで、
どう通っているかを、
どう感じているかというのが、
我々の現実体験なはずなんですよ。
だから、現実体験とは、
私たちにとってはまさに、
電気信号なんだけれども、
でもそれはですね、
そんなことを言っても、
何かが言えたことにはならない、
だと僕は思うんです。
ナノペインフィールドの実験で、
そういうことが確実になったという、
程度の話だと思うんですよ。
この種の科学の説明の仕方って、
実は全部、
ごく当たり前のことを言っているに、
ある意味すぎないですね。
そういう意味で、
行動科学とよく似ているんですよ。
ネズミのレバー倒したり、
誰が考えたって、
レバーを倒せば地図が出てくるようになれば、
ネズミはレバーを倒すようになりますというのは、
当然じゃないですか。
あれを細かく細かく見ていったところに、
あれの意義があるんですよ。
ああなるだろうなということであれば、
昔、激作家のバーナード・ショーが、
ジョージ・バーナード・ショーですね。
あの人は皮肉屋なんで、
実に皮肉っぽく、
科学というのは、
すごく多量の金と手間と暇をかけて、
世の常識とされていることを、
証明しているものなんだって言ったんですけど、
まあまあ、そういうもんですよね。
その一環に僕はですね、
ベータ排出ってものもあるなと、
最近ベータ排出に、
凝ってるわけですけれども、
要するに、
僕らは、
赤ちゃんの話になっていくんですけど、
結局、
どうして赤ちゃんの乳幼児の、
特に最早期の乳幼児が、
精神病水準っていう風に、
クラインは考えたわけだけど、
考えたかというと、
現実の検討が狂ってるからですよ。
で、我々だって狂ってるんですよ。
いくら、いくらも狂ってるんだけど、
我々は、
赤ちゃんよりはマシだと。
マシだと言えるということは、
どういう風にして、
客観的に証明できないんだよね。
精神分析の世界は。
お化けが、あそこにお化けが見えます、
という人と、
いやあそこは暗闇で何もいないと思います、
という人で、
後者が現実に適応していると言うためには、
後者の人の方が、
現実に生きている機能性は高いなと、
そういう意味でしかない。
見えるか見えないかの、
判定はできないんですよ。
目に見えない現実
見えないっていう人が多いというだけで、
本当は、
お化けがそこにいるのかもしれないんで、
そうすると見えない人たちは、
単なる節穴だってことになってしまうわけですよ。
多数決では決まらない。
でも、社会って多数決で決まってる部分も、
いっぱいあるじゃないですか。
だから、見えても例えば、
現実的を高めるためにね、
見えたとしてもそこは、
多くの人が見えないって言ってんなら、
それに合わせて置くとか、
そういうことによって、
現実見当というものが、
こういう風にして、
話がだんだんだんだん、
ややこしくなっていくんだけど、
大筋で言ってることは結局、
社会生活がまともに遅れていれば、
その人は、
現実見当が高いってみなされるという、
これに頼っているわけですね。
だから見えるか見えないかの、
客観的な判定をしているわけでは、
決してないんですよ。
本人が困らなきゃいいわけです。
何が困るって、
やっぱり困るんですよ、
残念ながらね。
何で困るか、
ここがポイントになってくるわけです。
ベータ排出はどうして困るのかと。
ベータ排出ってのは、
つまり、
僕にもさっぱり分からないんですけど、
美音の用語でですね、
多分こういうことなんですよ。
心は無意識のうちに、
α機能というものを発揮するわけです。
このα機能は、
我々が発揮するぞって思う必要が、
一切ないはずなんですよ。
非常に困る。
簡単に言うと、
何て言うんですかね。
目の前に木というような像を見たら、
木のイメージが目の前に広がってくる、
というところまでは、
意識する人はないですよね。
木が、要するにこれ単純に言うと、
木を見たら木が見えるってだけなんだけど、
しかしそうなるためには、
結構なことを脳はやってるわけですよ。
木にするぞっていうね。
この段階を、
美音は細かく、
明らかにしていったというか、
精神病理で役立つような形式というものを、
粒さんに検討してくれたわけですね。
最初に発生するのは、
β。
β要素をα要素に変えるっていうのが、
第一段階なんですね。
それはつまり、
光とかが入ってくるわけじゃないですか。
木だから、
香りもするかもしれないですが、
それらがぐちゃぐちゃに、
ただボーンと、
目に、
光とかがぶつかってくるだけだと、
木には絶対ならないわけですよ。
ボーンとぶつかってくるだけだとね。
だから赤ちゃんは、
目を開いていて、
最早期の赤ちゃんというのは、
視力もそもそも極めて弱いんですけれども、
木を見ても絶対木のイメージとかは
結べないわけですよ。
だからこの木のイメージを結ぶというのは、
脳のトレーニングの結果なわけですね。
この木のイメージを結ぶ。
木にしたのがいけなかったよな。
木じゃないものにするべきでしたね。
これはね。
α機能と木のイメージ
でも木にしちゃったから、
しばらく木でいきますな。
とにかく木のイメージを結ぶわけですよ。
結ぶというか、
その遥か手前の段階があってですね、
全然それがなんだか
分かりませんという状態があるわけですよ。
全然それはなんだか分かりません。
でも何かあることは分かりますという状態が
脳にはあるわけですよ。
ビジュアルもですね、
ルートが1から2、3、4、5みたいに、
V1からV5ぐらいまであって、
V1だとしても、
目をつぶってですね、
鼻先にものを近づけると、
ふってなんか近づいてきた感じっていうのを
感じ取るんですよ。
これは直感力とか第六感とかいらない。
僕みたいにそういうものが全くない人間でも
必ず分かります。
指先でもできれば
分厚い本みたいなものがいいんだけど、
影とかじゃないです。
鼻先にぐっと近づけると
見えるんですよ。
あと、まぶたを閉じていてもですね、
光を直接まぶたの上からやると、
その光が見えます。
これは当たり前なんですけど、
でもこれが当たり前というか、
つまり写真じゃないんですよ、目っていうのはね。
ものすごく違うものなんです。
やってみるとちょっと驚かれるかもしれないですよ。
懐中電灯みたいな小さいやつを、
iPhoneでもいいですよね。
光をまぶた閉じて、
直接まぶたの上から照らしてみると、
多分想像しているものとは
違うものが見えると、
僕は思うんですけどね。
この実験は結構面白いんですよ。
目というのは、
決してカメラじゃないということを、
非常によく明らかにしてくれるような
構造を持っている。
構造というか、
これは目の構造ではないということなんですよね。
やっぱり像を作っているのは、
頭なんですよ。
だから、
遥か以前、とにかく、
刺激の産物みたいな。
刺激の産物については、
目で見ることすらできない。
だから、刺激というものに対して、
考えることは絶対できないんですよ。
刺激そのものに対して。
多分刺激があるときには、
気づきもしないという段階があるはずですよね。
これを、
アルファ要素というものに
変えているよという話なんですよ。
でもアルファ要素というのは、
全然あれですよ。
ちゃんとしたものではないです。
アルファ要素というのは、
要するに用しようがないんですよ。
注意はできる何かなんですよ。
何かが動いた像みたいな、
そういう注意ができる対象なんですよ。
この次に初めて、
夢とか、
物語とか、
β要素とアルファ要素
そういう状態まで、
入っていけるわけです。
像を済んだ上で、
それがアニメーション。
アニメーションが動きます。
つまり夢なんですよ。
だから夢の前の段階に、
2段階もBEYONDは用意してくれたわけですね。
ベータ要素とアルファ要素というものが。
この話をずっと続けてると、
大変退屈だと思うんですよ。
だからやっぱり木とかで、
するべきではなかったんですよね。
もうちょっと違うもの。
これはごく当たり前のことを言ってるってことなんです。
アルファ機能っていう機能が無意識にあって、
それがこう自動的に、
ダダダダダってやってくれるから、
目の前にあるものを見て、
イメージがついて、
そしてこれは木だというコンセプトまで、
挙げることができる。
ここまで来てしまえば、
ここまで問題は、
簡単に来ないものこそが問題なんですよ。
やっぱり出来事の方が良かったですね。
木だからわけわかんなくなっちゃって、
木にトラウマ感じてる人っていないですもんね。
ほとんど多分。
なかなか難しいですね。
夜とかだったら、
夜が襲ってくるみたいな、
そういう、
要するにあれが、
ベータ要素的な世界ってことになるわけなんですけれども、
そこに、
刺激を与えてくる何かは、
わかるわけですよね。
夜っていう概念も、
彼は持ってるんだけれども、
その概念化できていない夜の部分、
いろんな取りこぼしている夜の部分、
僕らだってあるじゃないですか。
夜の全てを捉えて、
夜だって言ってるわけじゃないですよね。
夜の極一部を捉えて、
夜だって言ってるに過ぎないですよね。
全部なんて捉えられないんですよ。
当然こぼれ落ちてるものがあるわけなんですよね。
で、
それによって困る人はいないんですよね。
別に。
本当は普通の状態である。
でも困るってことが起き得る事態は、
ありますよね。
例えば子供にとっての激しい夫婦喧嘩とかは、
その、
全体像というものが何を意味しているのか、
わかんないですよね。子供だから。
本当は何で喧嘩しているのかが、
わかるわけじゃない。
喧嘩しているってことはわかるし、
喧嘩という言葉にすることもできるんだけど、
その中でわかんないことがいっぱいあるわけですよ。
不愉快な。
その不愉快でわかんないいっぱいあることの、
いくつかが、
β要素っていうもののままになっちゃうわけですね。
それを何かに、
変換していくことができないわけですよ。
我々は、
一度、木からの映像だって、
葉っぱ全部見てるわけじゃないじゃないですか。
葉っぱの全部を見る必要はないですよね。
ただ木だと困らないんですよ、別に。
見落としがいくらあったとしても、
別に不愉快じゃない。
実現化を子供が見ているときの見落としは、
非常に恐ろしいわけですよ。
すべてが不愉快なんだけど、
多くは、
象徴化にもなっていないし、
何にも自分の中で、
確定できることがない、
不愉快な断片的な要素が、
山ほどあるわけですよね。
それが、ちゃんと心の中で、
象徴とか意味とかに、
変換できないわけですね。
はい、えっとですね。
なぜ今このように、
分かりにくい話を、
しかも私の考えの中でも、
生贄にしかまとまっていない中で、
どんどん喋っちゃっているかというと、
一つには、このグッドモーニングボイスは、
そういう状態で喋りまくるというのを、
自分にある程度、
義務として課しているから、
ということがあるんだけど、
もう一つは、
今喋っておかないと、
どんどんどんどん自分の中で、
今まで持っていた、
やや病理的な感覚というのがね、
深くなっているんで、
今私多分心身ともに、
かつてないレベルで健康なんで、
分かんなくなっちゃうんだ、
というのがあるんですよ。
しかもこの美音の話は、
実はこれ多分常識的なところも、
多々あるんですけれども、
何しろ細かいことを言っていて、
しかも無意識の水準の話を、
基本しているから、
分かるようになかなかならないんですね。
もしかして一生分からないのに、
分かってから喋ろうとしていたら、
実感としては薄まっていくことを、
分かってから喋るんだけど、
いつ分かるかは分かりません、
みたいな状態になっちゃうから、
今無理やり喋っているわけですね。
この多分なんですが、
ベータ要素とアルファ要素というのはですね、
なんていうのかな、
ダイナミックに、
急速に入れ替わる感じがあるんですよ。
本当はそういうことはないはずなんだけどね。
基本的にアルファ機能というのが、
心の正常な機能として働いているわけですよ。
だから、
ベータ要素というものが、
目の前に、いつまでも、
目の前になんですよ、まさに。
つまり、心の外側にある感じがする。
近くって本当はそうじゃないじゃないですか。
マドリックスがそう教えてくれたように、
私たちが見ているものは、
全部私たちの中にあるものなんですよ。
脳が作っている像だから。
外には何もないはずなんですよね。
アルファ機能と自己の見方
少なくとも外には、
こんな像のものはないわけですよ。
木だとか言ってますけれども、
夫婦喧嘩だとか、
そんなものはないわけですよ。
言葉に直した瞬間に、
もうそれは心の中にあるものなんですよ。
だからアルファ機能というものが、
ものすごい速度で働いてくれてしまっているから、
私たちは自分に都合のいいものの
見方を取っちゃうわけですよね。
庭に木があるとか、
そんな事実はないわけですよ。
私の家の庭に木があるとかね。
それは、私の家の庭という概念を作り出して、
そこに木という概念を作り出して、
空間みたいなものを仮定して、
配置しているぞというクオリアを、
作り出しちゃってるわけですよ。
そういうのから我々は、
なかなか逃れられないわけですね。
だから何の意味もなく木がドンとあって、
物自体とか言うんですけど、
サルトルがオートで書いた世界なんですけれども、
意味が剥奪されている世界なんてものを、
通常私たちは目にしないわけですね。
目にするとすると、
それがベータ要素なんですよ。
つまり、
心に入ってないっていうことなんですよね、
ある意味では。
これね、
身内とかに、
あるいは友達とかですね、
統合視聴症などの人がいらっしゃると、
統合視聴症がこうなんじゃないですよ。
こういう心理状態ってものを、
統合視聴症の人はよく経験しがちだ、
って話であって、
この辺もね、
なんていうのかな、
咳をしてるからってそれは風邪であるとか、
咳をしてるからってそれはコロナであるとか、
そういうことにはなんないじゃないですか。
症状と病気は、
異なるものですよね。
ただ、ある特定の、
例えば腹痛に咳は伴わないとか、
わかってますよね。
つまりこの、
物自体を頻繁に見ちゃうとか、
物自体が恐ろしいので壊すとかやることを、
伴う病気ってものがいくつかあって、
多分、
統合視聴症はその典型的に、
多分この物自体みたいなものに、
悩まされるところがある病気だ、
ってことなんですよね。
物自体に悩まされる、
統合視聴症とかいうわけでは、
ないと思うんですよ。
この、
ノルウェーの森の最後に思われたこと、
ありますかね。
最後に出てきますよね、
電話ボックスの中で、
僕はどこにいるんだろうみたいな、
あれが多分ベータ要素的な世界だと、
思うんですけどね。
不意に見慣れたものの意味が、
さっぱりわからなくなってしまう、
みたいな。
つまり心の中のアルファ機能が、
大変困るわけですよね。
僕はどこにいるんだろうみたいな、
電話ボックスの中に電話かけてるんだから、
どこにいるんだろうもないんだけど、
あれ記憶喪失って意味ではないですよね。
あれが多分旧世紀の統合視聴症で、
よく見られる現象で、
あれこと本当に言い出すんですよ。
私は何回か聞いたことがあるから、
そういう風に言っているわけですね。
で、あれ何なんだろうって、
僕はずっと謎だったわけです。
ここ20年ぐらい謎だったんだけど、
一番わかるようになったのが、
機械な対象、ビザレオブジェクトって言葉で、
それを言ってるんですね。
このビオン、ビオン流の表現で、
ベータ要素っていう言葉を作っているわけですね。
機械な対象とかだと、
どんなものだかが、
イメージできるじゃないですか。
でもベータ要素だと、
さっぱりわかんないじゃないですか。
多分、ビオンが狙ったのは、
そこなんでしょうね。
私たちは本当はわかってないんですよ、
機械な対象などというものについて。
だからベータ要素とかいう表現によって、
わかってないってことの自覚が、
できるようになっている気がするんですよね。
どうも今日はこの話、
なぜしっかり頑張っているかというと、
こんなにわかってないくせに、
頑張っているかというとですね。
私自身、このベータ要素によって、
自分のアトピーが説明できると思っているからなんですね。
クラウドの慶応さんの
Good Vibesのセッションで、
これが治る強烈なきっかけを得たんですが、
それがなぜそうなっているのか、
もちろんGood Vibesの言葉で、
罪悪感とか、
愛とかいう言葉で説明することはできるんですよ。
そういう説明とはまた違う、
内的な何かがあってですね。
この内的な何かをより細かく説明しようとすると、
ここに行き着くんですね。
ベータ要素に行き着いているなって感じがするんですよ。
皆さんアトピーっていうのは、
アトピーというのは、
アトピーというのは、
アトピーというのは、
アトピーというのは、
アトピーというのは、
皆さんアトピーっていう患者の、
僕ちょっと柔度だった時があるんでね、
僕ちょっと柔度だった時があるんでね、
ちょっと独特の書き方って知ってますかね、
皮膚にね。
なんかほじり出すように書くんですよね。
えぐり出すように。
皮膚を破壊活動しているみたいにやるんですよ。
皮膚を破壊活動しているみたいにやるんですよ。
あれね、排出って言葉がね、
ピッタリなんですよね。
つまり、
取り外していくみたいな、
そんな生優しいもんじゃないんだけど、
自分から排除していくんですよ。
自分から排除していくんですよ。
データ要素の特徴に排除ってのがあるんですね。
データ要素の特徴に排除ってのがあるんですね。
何がいいですか、
何でもいいんですけど、
例えば、
旧世紀の迫害妄想に、
迫害妄想だからもう排除したくなるのは当然なんですけど、
迫害妄想だからもう排除したくなるのは当然なんですけど、
ATMが私を見張ってる、
だからATMを壊したんだっていう、
それに対してですね、
銀行の人が納得するはずないんだけど、
ATMは私をとにかく、
ピーって特定して、
しかもこれからレーザーで撃とうとしているんだ、
だからその前に壊したりやったんだよ、
っていう話をする人は、
現実にいるわけなんだけれども、
これを、
これを、
こういう風になぜATMが見えるかっていうとですね、
こういう風になぜATMが見えるかっていうとですね、
私たちATMをただ見るってことがないから、
私たちATMをただ見るってことがないから、
そういうわけですね。
ATMを見た瞬間、
そりゃATMだってわかっちゃうじゃないですか。
わからなかったらどうなるんだろうっていうのを考えてみたときに、
さっきの赤ちゃんのものの見方ってものが出てくるわけですよ。
さっきの赤ちゃんのものの見方ってものが出てくるわけですよ。
ATMっていうものだけを注目することがまずできますよね、
私たちは。
背景はあるんだけど、
背景の一部のATMだけを何て言えばいいんですかね、
切り取るっていう、
視覚的にこう切り取るわけじゃないですか。
視覚的にこう切り取るわけじゃないですか。
なんかあの、
パソコンでよくやるじゃないですか、
絵のここの部分だけを切り取りたいんだみたいなことをやりますよね。
絵のここの部分だけを切り取りたいんだみたいなことをやりますよね。
そうすると背景に7-11とか書いてあるのが邪魔になりますよね。
そうすると背景に7-11とか書いてあるのが邪魔になりますよね。
だからそれを一発で消せるAIみたいなのがよくもてはやされるじゃないですか。
だからそれを一発で消せるAIみたいなのがよくもてはやされるじゃないですか。
それはそこだけを切り取った視覚っていうものを得たいからですよね。
それはそこだけを切り取った視覚っていうものを得たいからですよね。
ということはその前の段階があるってことなんですよ。
ということはその前の段階があるってことなんですよ。
実はそこだけを切り取れていない状態ってあるはずなんですよね。
実はそこだけを切り取れていない状態ってあるはずなんですよね。
でも見てるってことはですね、
ATMはやっぱり外在はしてないんですよ。
あくまでもそのATM像みたいなものっていうのは、
あくまでもそのATM像みたいなものっていうのは、
心の中に取り込まれてるんだけど、
まだそれがなんだということすら全く理解できていない状態っていうのが、
まだそれがなんだということすら全く理解できていない状態っていうのが、
一瞬あるはずなんですよ。
0コンマ0何秒かもしれないけど、
あるはずなんですよ。
この瞬間のものがα機能によって、
何であるとか、
どういうイメージだってことが、
まだ認識されない段階で、
それがですね、
ただ単に現実の一段辺として心の中に残ってしまうと、
ただ単に現実の一段辺として心の中に残ってしまうと、
でもそれは不愉快なはずなんですよね。
ベータ要素と不愉快感
というか不愉快だからそんなことをやってるわけなんですよね。
というか不愉快だからそんなことをやってるわけなんですよね。
こういう風に、
こう色々な現実が解体していくみたいな言い方も示されているんですが、
いくみたいな言い方もしますけれども 断片化していくわけですね ところ
で さっき何で肌の話をしてたか というと 私にとっては肌が断片
化してたから こういうことが起きた わけです これが言いたいわけですよ
これが不思議なことに いや 別に 断片化してたって 破壊してほじくり
出せなくてもいいじゃんって思う かもしれませんけど めっちゃ不快
なんですよ これ 多分なんですが ここの不快感には やっぱり非常
に何ていうのかな 勝手な意思って ものが働いているんですよね やっぱり
ATMとかって言うじゃないですか 攻撃 してくるものが 派外妄想の人の
言うことをご存じだったら みんな 知ってると思うんですけど 例えば
それっぽいんですよ ちゃんと一応 クーラーの排気口とか 穴がある
から そこから狙われているとか ね 何でも同じじゃないんですよ
あんまり僕が聞いたことがない ものとして 例えばリンゴが狙ってる
って話はあまり聞かないんですよ ADMとかテレビとか パソコンのカメラ
あるじゃないですか あそこが破壊 されているのを 僕は何回も見た
ことがあるんだけど あそこやっぱり 狙ってる感じあるじゃないですか
何か狙ってる感じがあるものが やっぱり意識されているわけなんです
よね スマホの画面とかね 自分を 映し出して世界中に秘密をばら
しているとか 私の知ってる限り 日本の陸爆にこの情報が 私の顔
が送られているとか そういう話 がなされるわけですよ これはベータ
要素なんですよね 結局 ベータ要素 で現実の断片というものがあるん
だけど 不愉快だってことが大事 な 何で不愉快なのって思われる
かもしれないけど それはその人 に対していろんなことが 言葉
とかね 暴力とか そういうものが やっぱり行われたんですよ 私に
何が行われたのかというと これは 私は殴られたとか ほとんど虐待
されたとかがない人間なんで そこが ややこしいんですけれども 私は
肌の違和感と不快感
やっぱり母との関係で 例えば割と 神経質なところがあったんで 赤い
木が皮膚にできるとやがるんですよ ね 母に それをピンセットでつまん
でケアする ケアなんですよ 彼女 にとっては だけど やっぱりそれは
余計なことであって荒れますよね 荒れると割と強めの薬を塗るとか
ね でもその強めの薬は科学的に あまり良くないんだとか 父親
が言い出すとかね そういうややこしい ことをどんどんどんどん展開させて
いくわけですよ 私の皮膚上で そうすると皮膚の上に生じた
ちょっとした違和感 本当に近く できてないような感覚 そういう
ものってありますよね ある時は あるじゃないですか 特に理由は
ないが痒くなるとか これが私の 中ではだんだん大事になってた
んだと思う 大事っていうのかな 要するに統合されない何かになって
ったんだと思う それについて考える ってことは不愉快じゃないですか
どうせそれについて考えてもピンセット だの 強すぎるステロイドだのっていう
ややこしい話が出てくるばっかり で お前肌が汚いとかね 母とか割と
元気でそういうことを昔言って たわけですよ だからそういうこと
が積み上がってるわけですよ いろんな 形で もちろんこれだけじゃない
わけですよ 中学の頃になってくる と成績が悪いとかね それは肌が
痒いから集中できないんだろう とかいろんな話がここに舞い込ん
でくるわけですよ いろんな形で 別に悪意はないんですよ 別に
母は病気だったわけじゃないし ただ一つ言えるのは母は小さい
頃8人兄弟の真ん中でいい目を見て いなかったということと父親が
かなり効いてる感じだとアルコール 依存で宗教にかぶれて暴力症で
なかなか結構お父さんやばいんですよ やたら力任せに殴られたという
ような思い出があるらしいんですね あと家にお金が全くなくてね タンス
とかに差し寄せないのは紙が貼られた ことがあると だからすごい貧乏
恐怖症みたいなのがあるわけです こういうことが関係してきていて
私がその皮膚の小さな感触という ものは結局肌を私が書いている
シーンとかを母が好まないと そうすると書くときは必ず隠れて
書かなきゃならないとかねいろん なことがあるわけですよ なんか
無駄に冬寒風摩擦させられたとか 真冬なのになんかこうスイミング
スクールに行かされるとかね これねアトピーの子が昔スイミング
スクールに行かされていたのに アトピーの子の肌をお互いが見る
じゃないですか 当然嫌じゃないですか 4歳とか5歳の頃だから しかもあそこ
は塩素とかがきつかったり浄化 層があんまりちゃんとしていなくて
汚かったりするんですよ 全然肌に良くないわけですよ でも
お前ここに行って冬冷たい水に 浴びてればアトピー良くなるんだ
みたいな 100%迷信なんだけどそういう ものを言われていてとにかくこう
肌が悪いわけですよ 私を苦しめる わけで だからこの肌というもの
にクラドの三流のグッドバイオス に言うと罪悪感を持つんだけれども
罰したくもなるんだけれども つまり 超自我というものがここに介入
してくるわけですね ベータ要素 の一断片みたいなものが肌の細胞
肌の少しした違和感の重要性
のいろんなところに意識として 残っていって つまり残るって感じ
アルファ域能によって肌ってもの にすると一枚の肌として肉体を
包むものとして統合されていくん だけど この統合が許されないわけ
ですよ そこのは汚いから排除みたいな 排除の理論が働くわけですね うち
の母はやっぱり幼い頃から父に 殴られるとか金がないとか宗教
にかぶれるとかそういう父親を 持っていたからこの排除の理論
がきついんですよね 悪いやつは とにかく奪わして排除してやらない
と そもそも父親っていうのがそういう お父さんだったわけだから すぐ
出ていけっていうね こういう人 出ていかれると困るんだけど 出て
いけって言われてた排除の理論 なんですよね つまり正しくない
ものは外へ追い出してしまえっていう そういう感情でルールを縛ってる
んで非常に超自我が強いと こういう ものはこのままとこのままザルト
にかかわらずこのままこれをインストール していくわけですよ だからうちの
母は間違いなく はいもうそこ気にいらないんだから
出てきなさいみたいなそういう ノリになりやすい人なんですよね
これが私の肌に適応されるわけ ですね そういうグズグズしたダメ
な肌は取り外しましょうみたいな そういうふうになるわけ これが
当然どの細胞も体から取り外された かないので必死に居残ろうとか
これがいろんな形で自体を悪化 させていくわけですよ これを松木
さんが本の中でベータ要素は体の 特定部位に蓄積されるという独特
の表現 蓄積されないだろうって 思うんだけど 蓄積されるっていう
表現を読んだときにいろいろある わけですよね 今もストレス性イエン
だの FDだの そういうものがあるん だけど これはFDで説明しちゃダメ
だって話じゃないですよ 身体側 からあくまでも頑張って物理側
から説明するんだって研究は当然 あるわけですよ それをやれば何か
見つかるケースが何も見つからない からFDって言ってる気もするんだ
けど 何か見つかる可能性もあります し あるんだけど これはあくまでも
こういう分析側から説明すると こういう話になっていくという
確かにさっきも言いましたけど 夜は全域を取れないじゃないですか
全域を認識はできないですよね 夜って断片しか認識できない 断片
を統合していくんですよ 心はね 取り込んでは統合すると 意味の
自分にとって意味のあるものとして 統合する だから庭にうちの庭に
木があるになるわけで うちの木 があるになる 全部意味付けてる
じゃないですか 僕が勝手にね 他の人から見ればよその家の庭
によその木があるわけですよ あるわけですね 現実ってのは見る
人の観点に従って 見る人の都合 に従って 子牛の肉を見ればこれは
美味しそうな肉だって勝手に思う けど 羊の親からすれば絶対そう
は見えないはずの現実があるわけ ですよ この辺の現実の乖離はでかい
けど やっぱりそれはしょうがない と言えばしょうがないわけですよ
これが絶対的客観みたいな観点 は取れないわけだから そうする
とベータ要素って絶対に出てきて しまいますよね どう考えても現実
というのはアルファ機能を使って 一段ペンに勝手に引き上げて 都合
ベータ要素と肌の不調
のいい部分と都合のいい部分だけ をくっつけて 像にして 夢にして
象徴化して 言葉に直して 全概念 から概念にするみたいな グリッド
で説明されてるのをただしゃべ ってるだけなんですけれども そう
いうことになってるわけだから だから この方向性こそがある
意味正しいわけですよ われわれ にとってはね これによって食べ
られるものと食べられないもの とか 価値のあるものと価値のない
ものとか そういうことを日々やって いて この時間になったら寝床
に行くとかができるわけですよ これが逆利用したら大変なこと
になりますよね 全てのものの意味 あるものが解体していって 心から
溢れ出していってですね 例えば 夫婦喧嘩っていうのは単なる言葉
なんだけど ここからブワッと あの光景とか あの嫌な光景とか
あの時に嫌な目に遭ったとかが 夢のように展開してしまうわけ
ですよね さらにそれが逆流している ので お父さんの像とか お母さん
の像とか こぶしの像とか 家の風景 とかが風景として つまり連続した
物語にならないんですよ 1 スナップショット みたいになってくる これがアルファ
要素と多分呼ばれているような ものなんだと思う スナップショット
でしかないもの 夢になってない ものですよね 単なる一画像 さらに
これが解体していくと 不愉快で 何だか よく だって意味をつける
前の段階に戻っているわけだから 不愉快で何だかよく分からない
ものになっていってしまう それを 無理やり でも心っていうのは一部
でも何でもそうですけども 取り 込んだ以上は断片でも何でもある
程度統合させなきゃならないから 無理やりくっつけるってことが
起こるはずなんですよ 起こると思う 私の肌では現に起こったわけですよ
それがただれとかかぶれとかいう そういう肌なりの表現を取って
くるわけですね 行動化とも言うん だと思うんですけど これは身体化
ですよね だから行動化の場合は このまま温泉に行くとかいう行動
に出ていくわけですよ ベータ要素 っていうのは それについてじっくり
考えるっていう気持ちになかなか なれないものだって 排出してしま
っている不愉快なものなので 親が 喧嘩をしてるってことになったら
ですね 家を飛び出すと 行動として 自分は打って出るしかだんだん
無くなっていくわけです 赤ちゃん って完全にそうですよね 何かが
起こるとすぐ泣くじゃないですか あれ行動化ですよ あるいは体を
バタバタさせ 一部身体化も起こります 急に顔赤くなったり 急に熱出したり
急にぐったりしたりする これらを 昔の親はなんと自家中毒ってわけ
わかんない言葉を使ってたんですけど なんだよそれっていうね 今では
使わなくなってますけれども 私なんかも 自家中毒をよく起こす
子だとか言って さっぱりわかんない ことを言われるんだけど あれは
身体化なんですよ 特定の理由というか 外には原因がない中で 自分で勝手に
病気になっちゃうっていうふうに 見えるわけです それは多分僕が
思うにやっぱ赤ちゃんは ベータ要素 アルファ要素に変えてまして
象徴化とか 概念に変えるなんてことは できない 概念なんてないわけ
ですから 非常に夢の世界に生きて いるんだけど 夢の世界で恐ろしい
夢を見始めると怖くなって解体 して ベータ要素が溜まっていって
すっげえ不調になるわけです でも こういうことは多分僕は会社
に通ってる人とかは起きていて だって会社に最初に通い始めた
人にとっては なんかさっぱりわからない 理由とかで怒られたりもするわけ
じゃないですか お前はなってない とか 社会人として それでは通用
しないとか 何についてどう言わ れてるのかが なんとなくぐらい
しか分かんなくて 他の部分はすべて ベータ要素として ただそこに蓄積
されてしまうわけですよ なんか ダメらしいっていうことがあるんだ
けど それでぐったりするとか ぐったり して翌日遅刻すると あんな
ことでぐったりするとは弱いとか よく分かんないことまた言われる
わけですよね これはすっごい僕は ベータ要素的な世界だなって感じ
がするんですよ つまり 適格な 意味付けが非常に困難な断片を
いっぱいそこに持ってしまうわけ ですよね だから 緊急に意味付け
が始まってしまう その非常に極端 なケースがATMが私を狙ってる
なんだと思うんですよね ATMって ここに非常に私を不愉快にさせる
ものがあるんだけど 実際それは 何だかがよく分からないと 他の
人は金を卸していて愉快そうだ けど 金を卸せる愉快な機械ならば
私がこれを見てこんなに不愉快 になるはずだ この時の不快感を
もう絶望的なレベルに達しています からね だから きっと何か違う
理由があるっていうことから自分の 知ってる理由をそこに貼り付けて
いく 多分そんなようなことなん じゃないかなと 私 昔ですね これは
あるなんていうのかな 今で言うと 何なんだろうな 自閉系の方なの
かな 子供のとき友達にいてですね この人がよく訴えてたのが 夕日
が沈むと怖い 夕日が海に沈むと 太陽の熱で海が沸騰して人類が
肌のかゆみと心の苦しみ
滅ぶみたいな そういう恐怖に囚 われている人がいて これが僕は
すごくベーター要素的だと思います し すごく迫害妄想的な何かだと思
うんですよ 夏 すっごい暑くて 嫌な思いをしたのかなって今なら
思うんですけれども とにかくそういう ことを何て言うんですかね そういう
ことは起こんないとか 現実に海に 太陽が落ちるってことは沈むって
言うんですけど ないってことは分かる だろうっていう それは無知って
いう意味ではないですよ その人は 自閉系の人で頭良かったんですよ
ね すごく 物理学とか超できるんですよ だから 友達にいたんですけどね
その新学校のね だからこれはですね 自分の恐怖が作り出す像と それ
がコンセプトとして起こり得る はずがない概念というのとはマッチ
するかしないか関係ないんですよ ATMからお金引き戻せるってことは
知ってると思うんですよ でもその ATMが自分を狙ってくるっていう
この感覚的な信念から逃れられなく なっていくっていうところが多分
あるんだと 私はそれが だって私だって皮膚 書いていて この書くことによって
皮膚は良くなるぜとか思ってたわけ じゃないし いや書くと後で良い
こと何もないんだってのは分かって たし 皮膚におそらく何の原因も
ないのも分かってたわけですよね 高ヒスタミンとかダニの数とか
関係ないんですよ そんなものはね そんなことは分かってたんだけど
どうしようもないんですよ そういう 不快で痒くなるから その痒みって
ものは自分の心が作り出している ものであって 皮膚上には何もない
っていうことがやっぱり大事なんですよ ね でもこれを理解するためには
やっぱりそのアルファ要素っていう ものによって 何ていうのかな 良い
方向っていうのが変なんだけど 自分にとってちゃんと正しい適切な
方向に感覚印象というものをまとめ 上げていこうという意志がいる
意志なんですよね これがね これを 意志というと意志力が弱いから
病気になるのかみたいな話になるん だけど そういうことでは全く少し
も全然なくてですね 意志っていう のは何て言うんですかね 調子が
悪い部分が体内にあればそれを 癒すっていう無意識の意識 意志
みたいなものがこう 何て言うんですか ね それを長時間に言って邪魔しない
というか そんなような話になって いくんだろうと 一番大事なのは
やっぱりでもですね 心の中が苦しみ を作り出すのであって 絶対外には
ないんだっていうその確信なんですよ これは意識の上でも総力を上げて
やっていかないと やっぱりどこ までも我々は何て言うんですかね
現実というのは現実は何かを教えて くれないんですよ ATMは決して
私はあなたを狙ってませんとかは 言わないわけです だから外のもの
が自分を狙い始めている 外にある ものが自分を苦しめるんだって
思い始めると 何でもできてしま うんですよね 絶対に夫婦喧嘩は
自分を攻撃しないとか 絶対にATM は自分を攻撃しないとか 絶対に
肌自体は自分を攻撃しないっていう 確信だけを最初に持っておかない
と 身体の側からのアプローチっていう ものにはやっぱり限度がある気が
するんです 心が作り出してる苦しみ っていうものによって苦しんでいる
のであればです
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