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2024-05-27 46:41

休日を静かに過ごすべき時【GMV990】

対象喪失があった時。
00:06
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今は5月26日の日曜日、夜の20時53分ということになります。
なんて言ったらいいか、夜中ではないけど、全く夜ですよね。
これを今配信するか、朝配信するかで少し悩んではいるんですけど、そんなことは割とどうでもよくてですね。
どうでもよくはないけど、多分どうだろうな、ちょっと撮ってみてから考えますね。
まだ結論が出ていないまま撮りに行ってるといった感じです。
普通だったらこのまま出しちゃうんですけれども、明日ちょっと朝が少し慌ただしそうな気がするので、これを予約配信にしておいて。
これを予約配信にしないと、私明日の朝また撮ってまた出したくなるという、どんだけ話したいんだって感じなんですけれども。
何しろですね、特に何かに繋がっているというか、繋がっていると今は思ってますよ。
直接収益になってるわけでもないのに、間もなく一千回を迎えようとしているこのGood Morning Voiceですね。
実は結構多くの人に聞いていただいていて大変ありがたい限りで、だから僕はノートに記事を書くという感じになってない面もあるんですけどね。
これはだったら書くようにしてくださいから聞かないですって言われると困るんですが、書くのとしゃべるのは全然違うんでね。
書くこともやっていかなければなぁと思いつつも、ブログというものが今ちょっとどういう位置づけにすればいいか自分でもさっぱりわからないので、
なかなかノートにせよブログにせよですね、それをやっていきたいという、なかなかそうならないんですけどね。
まあまあ今まだまだ色々と模索の真っ最中で、そういう感じです。
えっと、おいキンキンはあんまりないんですよね。今すぐ何言ってるのか、本当はないですねこれはね。
3ヶ月チャレンジもちょっと7月になるまで募集かけられませんし、現在珍しいことになんとないと入ってどうだって感じもしますけどね。
はい、確かに直近ではお知らせがございません。ということで一気に本題に入ろうと思いますが、
今日の本題っていうのはですね、つい先頃にやった、クラゾンさんとのGood Vibes×Task Shootセミナーと、
TC、タスクシュートフォローアップ会というのでも、今日なんかもうすごいあっちこっちに出て、あっちこっちで少しずつ喋ってきた。
03:06
クラゾンさんのセミナーではガッツリ1時間喋りましたけれども、その後第2期のタスクシュート認定トレーナーの要請講座をやっておりまして、
そこでも僕が少し喋り、かつ大橋哲夫さんとのSH兼のフォローアップ会というのがありまして、
こちらでもまた少し割としっかり喋った気がしますが、その3つのフォローをちょっとやってみようかなと思っております。
なんとここでフォローしても3つに出ていないとわかんないじゃんっていう話があるんですが、3つとも出てる人っていらっしゃらないと思うんですよね。
でもフォローアップしていきたいと思っております。
どういう話をしたいかというとですね、裏に近い話なんですね。
特に倉園さんとの教材セミナーの表向きの話なんですよ。
したのはですね、こういう話をしたんですね。
他のじゅんさんをおおむね、今日はメイントピックに取り上げさせていただいてですね、ご本人のいろいろ資料をいただくなりしてしたんですけど、
要は彼が会社員から会社員兼漫画家としてやっていくためには最初土日を使おうと彼は思ってたんですね。
これは当然のことですよね。
1日フルタイムで会社にいらっしゃるわけなんだから、その上で漫画まで描きたいとなってきたら普通に土日を使おうと考えるわけですよ。
ところが実際は土日には漫画は描かない。
彼が編み出した手法というのが、なんと平日の早朝に会社に行く前に描くというね。
これをできる人ってすごいとは思うんだけど、私はここにはもう一つ大事なポイントがあると思うんですね。
もう一つというか、一つの大事なポイントがあると思うんですね。
彼が会社員だと自分をみなしていたっていうのが大きなポイントだと思うんですね。
会社員だとみなしていたからこそ、彼は会社員として動く1日の最初に漫画家というパーソナリティを一つ追加したんですよね。
そうすると彼は自分のことを漫画家兼会社員とみなすようになる。
こういうことが起きたんだと思います。
だから土日だけ漫画を描く人だと副業で漫画を描く会社員になるじゃないですか。
多分彼にはそれはできなかったんだと思うんですよ。
そうじゃなくて漫画家兼会社員になったんですね。
この2つはですね、私は大きな違いがあると思うんですよ。
という話を今日したんですね。
つまり、自分が何者だと何者であるっていうふうに認識することっていうのが、その人の行動の大きな指針に特にですね、何もしなくていい時間帯の大きな指針になると思うんですね。
06:05
土曜日、日曜日って何もしなくていいって思うじゃないですか。
でもそれは何もしなくていいと思ってるのはご自身を会社員だと思ってるからなんですね。
だからこそ何もしなくなるはずなんですよ。
あるいはもっと寝なきゃと思う。
こういうのってバカにならないんですね。
自分は会社員なんだから土日まで早起きしてたんじゃ持たないと。
これは多分正しい判断だと思うんですよ。
でもある程度大枠の判断があってこそ、土日にはたくさん寝るといった時間の使い方をその人は自然の流れの中でやっていくと思うのですから、そのような日には5時とかには起きられないと思うんですよ。
一方で僕はですね、今はそうでもないんですけど、すべての日同じような時間に起きるんですね。
なぜか私は自分を会社員だと思ったことがないからなんですよ、多分。
私は自分のことをフリーランスだと思っているので、例えば休日っていうものはないんですね。
これを作るべきだっていう人もいるんですよ。
フリーランスといえども休日を設けるべきだ。
でも私はそうかなと思いながらも、そんな曜日はついぞ設けたことがないんですね。
設ける必要があるとも信じられないんですよ、やっぱりね。
ただ土日の方がいっぱい寝てはいます。
朝ね、平日、これがまたね、やっぱり面白いんだけど、娘はまるで会社員のように早朝に起きて、出勤ならぬ通学をしていくわけですね。
だから僕は結局、それに合わせて朝早く起きなきゃならないから、平日は。
あたかもサラリーマンのような、起きる時間だけサラリーマンのような人に。
だからあれですよね、駅まで遅れっていう旦那がいる奥さんみたいな感じになっているわけですよ。
しかしそれは要するに朝起きるだけの現象なので、やっぱですね、そういうことをしているから土日休みたくなる。
これは土日が休みの人に合わせて動いているに過ぎないですね。
こういうのをやってみても、つくづく時間の使い方っていうのは、その人のアイデンティティ、それも中核となっているアイデンティティ。
多くの場合、日本人でいうとですね、やっぱり成人以前は学生であり、社会人になってからは会社員っていうのがまず大事、大きいんですよね。
これに合わせているわけです。
これに合わせて曜日とかの設定も多くの場合土日が休みじゃないですか。
会社員が土日が休みだからですよね。そして学生も土日が休みだから。
だから土日はどっか行くと混むわけですよね。
こういうふうになっているので、その人の時間の使い方、その人その人の時間の使い方は、言ってみれば社会的なパーソナリティに沿っていくわけですよ。
これに逆らうのは簡単ではないってことですね。
この人が社会人っていうふうに自分を定義した場合、やっぱり土日は休みたくなるわけですね。
09:00
これに逆らうのもまた簡単ではないってことなんですよ。
だから土日は時間があるからもっとできるはずだと思っても、そう簡単にはいかないわけですよ。
私は土日に時間があるから土日に活動できているわけじゃないんですね。
私はただ自分が会社員だとも社会人だとも社会人だと思ってませんからね。
会社員だとも社会人だとも学生だとも、学生でないのは自明なんで、会社員でないのも明らかですよね。
私は自分が何者かであるって考えたことはほとんどないので、どんな時間でも活動もする気になれば休む気にもなるという感じで、休日というものがないんですよ。
だから私は曜日の曜日を問わず時間は自在に使える。
でもその代わり私はこの日は休みだぜっていう日は本当にないんで、例えば土日でもいわゆるワンオンワンの個人セッション入ってますから。
そして今日もそうでしたけどセミナーもやってますから、この日であればまるまる休めるっていう日は一日たりともないわけですよ。
だからこの日は一日掃除にやってるぞとかそういうことは考えない。考えることも一切ないんですね。
そういった理由で多分時間はあるのに何かができないとか時間がないから何かができないという発想そのものがないんだろうなっていう感じがするんですね。
でもそれは会社に勤めなくていいからとも言えるわけです。
今日も早速ご質問出たんですけれども、そうは言っても時間のやりくりをしなければならない。
まさにですね、このご質問が出るというのが、今日それに対して私はお答えしてないんですけど、倉園さんの方から答えていただいたんで、だからこれをフォローアップと言ってるんですけれども、
まさにそのようなご質問が出るということがですね、その人の中で時間のやりくりというものが必要だというアイデンティティをお持ちだってことなんですよ。
パーソナリティでもいいんだけどね。アイデンティティっていうのを7つの習慣でどう言ってるかっていうと僕わかんないんですけれどもね。
ロールとかそういうものを機械的に取り出してきちゃいけないと僕は思うんですね。
よくやってたんですよね、昔ライフハックの。僕あれはライフハックのやり方なんじゃないかと。
7つの習慣で果たして本当にコビー博士はそんなことを書いてるのかなっていう。
僕あれどうしても最後まで読む気にならなくて、ほとんど3ページぐらいで挫折するんですよ。
ああいう話って僕苦手なんだなと思いますね。
あんなに何回か読もうとして簡単に挫折する本も珍しい。
GTDはね、もっと全然スイスイ読めたんですよ。
今日もね、7つの習慣って苦手なんですよね。人格という言葉の意味が。
もちろん人格なんて使い方だし、人格者みたいな言葉もありますしね。
人格っていうのがああいう使い方をしておかしなわけじゃないんだけど、僕にはあれが人格だとはどうしても思えないですね。
12:02
アイデンティティっていう言葉も今日どうしようかなって悩んだんだけど、
でも僕のアイデンティティっていう言葉の使い方もおかしいとは思わないんですよね。
岡野純さんが会社員ですって言ったときに、だけど岡野純さんは夫という役割とか、
父親という役割、そういうアイデンティティって使い方もありますよね。
持ってるじゃないですかっていう話もあると思うんですよ。
7つの習慣的にはそういうのよくあるんですよ。
でも僕はですね、そうじゃないだろうって思うんですよね。
なぜかというと、こういう言い方できますよね。
二児の父であり会社員であるとか、会社員でお父さんの岡野さんみたいなそういう言い方ってできるじゃないですか。
会社員でお父さんの岡野純さん、こういう言い方できますよね。
お父さんで会社員の岡野純さんってあんまり言わないと僕は思うんですよ。
これはですね、やっぱりその人の時間の使い方で圧倒的にその人の生活スタイルを規定するのは会社員である部分だからなんですよね。
お父さんである部分じゃないんですよ。
お父さん単独のパーソナリティとかアイデンティティって日本で非常に打ち出しにくいじゃないですか。
これは問題がある社会文化なのかもしれないけど、はっきり言って残念ながらそれは事実だと思うんですよ。
昭和はもっとずっとそうだったんですよ。
例えば、お母さんである何々さんとは言えたんですよ。
これは確かに問題ですよ。不調性もいいところだとは思うんですよ。
お父さんである、例えば私がね、昭和の時代に自己紹介するときに、
私はお父さんの佐々木昭吾です。絶対言えないですよ、当時は。
かなり勇気を狙わないと。これで笑いを取るって言うなら話はわかる。
だけど多分ですね、これはうちの母なんかがまさに小学校時代そう言ってたんですけど、
私は佐々木昭吾の母です。これでアイデンティティホールなんですよ。
アイデンティティというものは単純な役割ではないんですよ。
勝手にエヴァノートのノートブックの名前として、母親とか父親とかね、
会社員とかそれだけで済むものではないんです。
やっぱりそれは社会的な意味ってものをそこに色濃く反映させているもので、
その人はどんな時間の使い方、どんな生活スタイルを持っているのかが、
大体それ聞きゃわかるっていう意味になってるんですよ。
特に日本ではそういう傾向が極めて強いと思います。
会社員でお父さんのっていうのは言えるんだけど、
単純にお父さんのっていうアイデンティティは日本ではなかなか成立しにくかったし、
未だにそうだと思うんですね。
つまり僕は岡野淳さん会社員だと思う。
そこが彼の時間の使い方を規定しているので、
これに簡単に逆らうのは難しいんですよね。
それに対してお父さんであるっていう部分は、
お弁当を詰めるとかそういうところにしか反映されてない。
15:02
ある意味でお父さんであるからこそ会社に行って仕事をして働いて、
お金を稼いでいるわけですよ。
それは昭和的かもしれないけど、実装を反映していると思うんですね。
だから膨大な時間をそこに費やしていて、
やっぱりタスクシュートの記録を、
今日はそれを岡野さんの許可をあったからね、長いあれですよ。
朝から晩までワーっていっぱいあるわけですよ。
それは大変かそうでないかということよりも、
彼の性格、彼の考え方、彼の価値観の形成に
もうひと役どころではなく、膨大な時間を使って買っているわけですよね。
だからこそ時間のやりくりという話ではないんですよね。
彼のような人が土曜日を迎えたら寝るんですよ。
そして漫画なんか書いている場合じゃないわけですよね。
だから彼のアイデンティティーと、やっぱり僕はここでアイデンティティーというのが妥当だと思うんですよね。
会社員としての岡野淳は、今日は休むんだと。
子供とゲームするかもしれないけど、それだってまどろみの中でやるんですよ。
そして彼はいろんな趣味があるから、趣味の時間とかも膨大に使うかもしれないけど、
漫画を生産的に書きましょうという気分にはなれませんとしても、無理はないんです。
だから彼は会社に行く前に、会社員兼漫画家としての岡野淳に変わったんですよ。
生まれ変わったんですよ、言ってみればね。アイデンティティーが変化したわけです。
そして朝の4時だの5時だに漫画を書くっていう人になったわけですね。
でもこれをやったとしても会社員であるっていう部分の方がはるかにデカいから、現実としてそうなんですよ。
彼はせいぜい1日に20分から30分しか漫画は書けないと。
他の8時間何十分は全部会社に捧げているわけですよ。
だからこそやっぱり土日は同じようにっていうか、もっとそれ以上に漫画を書いてるからね、寝るわけですね。
そして休むわけですよ。土日は休日なんですね。
それは会社員という彼の人格が土日は休日と。
しかも会社員であり父親である彼はおいそれと会社を辞めるわけにはいかないんですよ。
つまりパーソナリティというのは分解できないということですよ。そんなに簡単には。
それが多分私が今日もう一つ強調したりなかったところなんだろうな。
父親であるから会社員であり、そして会社員であるから会社員兼漫画家なんですよ。
これらは融合してるんですね。
これをなんかね要素分解するみたいにして、父親、夫、会社員、漫画家それぞれのタスクみたいにするから
タスクがあふれてわけわかんないことになるわけですよ。
タスクはあふれないっていうのは僕はいつも言ってることのつもりなんですね。
タスクは24時間の中に入り込むんです。それ以上のことを24時間でやってないんですから。
18:00
タスクはあふれないんですよ。あふれたタスクは実行されないわけですから。
それはもう今日のタスクではないんですね。
こういうふうに考えずにこれをどうにかやりくりすれば入るだろうっていう発想がおかしいんですよ。
それは架空のタスクというものを、パズルのように遊びのようにして組み合わせているに過ぎなくて、
実体としてそのようなものはないんですね。
そしてそのタスクというものが何が生み出すかというと、
僕はアイデンティティが生み出すっていう部分は大きいと思うんですけど、
あるいは会社が要求してくるからそれがタスクになるとか、
漫画を描きたいから漫画を描くというタスクとしてそれを表現するとか、
それはいいんですよ。
ただそれは漫画家だからそういうタスクが生まれましたとか、
要素分解的な何か上位のフォルダみたいなものじゃないってこと。
漫画家兼他の順が漫画を描くというタスクもあれば、
通勤するというタスクもあるんですよ。
それやっぱり僕が思うに一つのアイデンティティが一つのタスクを作ってるっていう、
作ってるのはアイデンティティだけではないんだけれども、
そうやって必然的に生み出されるものだと言いたいわけですね。
結構時間が経ちましたね、これだけでね。
で、その上で僕が言いたいことはもうちょっと実は裏話としてありましてですね。
とはいえ土日にどういうふうにしてもできませんが、
やらなきゃいけないんですっていう話があるじゃないですか。
例えば、なぜかよく出てくるのが掃除なんですよね。
僕はこれはですね、単に休むか休まないかの問題だけじゃないんですね。
今のアイデンティティって話があるじゃないですか。
私この50歳になってですね、やっぱりつくづく思うことがいっぱい出てきまして、
例えば擬実家ではですね、擬実家で、これはちょっとプライベートな話なんですけれどもね、
義母が亡くなったわけですね。
この話はしたからいいと思うんですけれども、
そういうふうになったときにやっぱり義母が亡くなったというのに合わせて、
周りの人間は動いていかなければいけないわけですよ。
ここにまた新しくアイデンティティってものが僕はですね、発生している。
アイデンティティというのがおかしければですね、
その休日にやらねばならない、過ごさねばならない過ごし方ってものがあると思うんですね。
例えば葬式があってすぐだというのに、
唐突にそこでですね、葬式があってすぐだというのに、
その行った先の場所でいきなり仕事をし始めるというわけにはいかないんですよ。
例えば時間があってもね、この辺のことがですね、
私は現代社会中のすごい無理をするんだよな、平気でって思うんですよね。
時空に当てはめられればそれをやるべきだっていう考え方になっちゃうんですよ。
やむを得ない場合、例えば実際そうだったんだけれども、
手術ですとかね、私の仕事は医者です。
21:02
そして手術を既に予約されていて外せないんですよって、これはやむを得ないと思うんですよ。
だけどこれはやむを得ないからそういうふうに入ってくるものなのであって、
この時間は空いているから、ここで普段描けない漫画を描きましょうっていうのは、
僕はおかしいんじゃないかってちょっと思うんですね。
やっぱり痛む時間とかいうものはあるわけですよ。
お葬式ですからね。
お悔やみをする時間とか。
これは膨大にかかりますよね。
そして一転したところ、そういうふうには捉えないと思うんですけど、
無駄な感じがするケースはあるのかもしれないけど、
私はそれはそうではないだろうと思うんですね。
土日というものが、
例えばもともと日曜日っていうのは教会に祈りを捧げに行くから日曜日なんですけれども、
我々は別に教会に祈りを捧げに行くそういう習慣はないから、
日曜日はお休みして遊びに行ったり、レクチャーをしに、レジャーの日になっているわけですけれども、
つまり何が言いたいかというとですね、
家にいて静かに何かこう、何だろうね、
家に引きこもってですね、静かに何かを癒す時間みたいなのがあってもいいわけじゃないですか。
そういうパーソナリティの必要な条件が揃っていれば必要だと思うわけですよ。
昇進ってやつですよ。
傷心って書くやつね。
魔女の宅急便っていう映画があるじゃないですか、宮崎駿さんの。
私はあれは非常にこうわかりやすく作られているという意味で優れてるなと。
宮崎駿さんの作品ってどれもこれもあんなにわかりやすいわけでは決してないじゃないですか。
だから、私はそれを見て、
私はそれを見て、
私はそれを見て、
私はそれを見て、
どれもこれもあんなにわかりやすいじゃないですか。
これはたいへんわかりやすいお話だなと思うんですよね。
でも、やっぱり彼の作品のすごいなと思うところは、
何でそうなってるのかがあまりわからなくて、
僕はその作品だけ見ちゃったなと思うんですけど、
ちょっと、私はそれが醍醐味になりすぎるから、
引き込む力がありますよねなんかこう 映画ってああいう本だなって思うことが多いんですけど
アニメなんだけどもすごいやっぱり映画だなーって感じがするんですよ特に映画 館で見るのがすごく
きっなんかフィットしてるなって感じがする映画なんですよね なんかこう
機器が飛べなくなりますよねそしてまさに傷心なんですよね昇進になっていくんです よね
ああいう切ってあるじゃないですか人間にはああいう時が なんかこうですねその時間は生産的ではないとかなんとかいうのはおかしいと思うんです
24:00
よね この時間を図るってのがおかしいと思うんですよねこのスランプの時期を
静かに過ごしていれば短く済ませられるでしょうかみたいな発想ってありえないと思う ですよね
なんでそういう発想にしちゃうんだろうなっていつも思うんですよ なんかこう眠れないんだけれども寝床で運なる時間とかって必要だと思うんですよ
人間にはそういうそういう時間の過ごし方 なぜこうなってるんだかよくわかんないんだけど
うまく過ごせないうまく過ごせりゃいいってもんじゃない感じがしません なんかね僕はそのうまく過ごすっていうことに
8食事の時間にはいつもお腹が空いていて手術 ベッドに行ったらすぐに眠れて起きるべき時間になったらすぐに起きれて
だいたいにおいてそうであるのが望ましいと思いますけれども 8すべての日がそうでありすべての人生がそうであるのが理想的だっていうのは
なんか異常に軽薄な感じがして つまり少し正気をかいている気がするんですよねそれはなんかこうそういうプログラミングを
取ったような人生で8生き物として正常性を書いている感じがするんですね僕は わかんないですよねそれはねそういうふうに言える根拠があるかと言われるとないですけど
そんなものはただ8そういうもんじゃないだろうって感じしかしないとしか言いよう がないですね
わかっつまり生物はプログラムされてないものだと思ってるってことなんですよ 事前に
一見複雑に見えるプログラムがされてますとかじゃないんですよ僕からする プログラムがそもそもされていないだろう
てるってことなんですよね でまあいいんですけどそれはつまり何が言いたいかというと土曜日にエアが掃除
すると決めたからと言ってまあ決めるというか望ましいと思ったからと言って できないだろうとちなみに僕はこう言いながら掃除って得意なって非常にこの辺をね
説明するのが意外に難しいんですよ掃除するので困ったことってないんですね 基本的に部屋は片付いていたんです子供の頃からずっとね
でそれはえっと別に僕からすると掃除なんて簡単だし えっと今日クラノンさんが盛んに重いって話をされてたんですけど
僕の中では掃除をするのに重いとか 理とかそういうことを考える必要は一切ないんですね
掃除っていうのはえっとしたいなと思って手を動かしていたらそれはなされるものであって 私の感じではそこに何かが特に綺麗な部屋を創造しようとかそういうことを改めて
考えるたことはないし えっとそういうふうにする必要も僕の中では全くないんですよ
こういう綺麗に片付けたいなとえっと思うまでもなくだいたい体は動くみたいな そこで特別な抵抗はないんですね
あったほどがないんですよ で僕は掃除にスランプはないっていう中これは要するに野球選手の話をしているみたいな
27:03
守備と僧侶走るのにスランプはないって言うじゃないですかまぁだいたい 安定的にスキルが発揮できるんですけど僕の中で掃除にスランプはないんですね
あの本部屋の一部が汚れてるなんてことは多々ありますけど それが困ったことだと思ったことないんですよ
やろうと思えばいつでもできるっていう感じなんですねでも私が言いたいのはでも だからそれを土日の時間があるときにやっちゃえばいいんだっていうのはおかしいと思う
土日には土日の過ごし方があると思うんですよ だから会社員兼漫画家のかの純粋ならますます土日は休むべきなんですね
そこで掃除しちゃダメだと思うそうするとただ掃除ができなくて汚れるというので あれば
8どっかまとまった休みがどっかに来るはずじゃないですか そのタイミングでしかも家族サービスみたいなことを家族サービスって古い言葉なんだけど
やっぱりこれも会社員でお父さんのパーソナリティーが生み出す何かだと思うんですね そういうものから逃れられないと私はもちろん時代や文化が変われば
家族サービスとかをするんじゃなくてえっとその人の自分の時間というものを過ごす ようになるんだって言えばそれはそうなるでしょ
でもそれはただそうなるだけであってただその時間にエヴァノートの整理とかね を始めるのかもしれないけど結局それは同じことだと思うんですよ
それは何か社会的に規定されている感じなんですよ でそういうものでいいと思う基本的には
それにだいたい乗っかっておけば心身でだいたい健康的に過ごせる気がするんですね やっぱりこう
昇進の時は昇進に引きこもって過ごしていればいいんです動物ならきっとそうすると思うんですよね 特に理由はわからなくて
なぜか我々はそこをよくわからないことをやりたがっちゃうわけですよ 葬式の時間暇なのはもったいないからこの間論文をまとめようとか
ありえないだろって感じが私ならするんですよね なぜそこで論文を書き始めちゃうんだ
なんか雰囲気とあってないし異常な行動にしか思えない感じがするんですよね つまりそれはですね
心理的に結局こういう説明を必要とするってところがおかしいんじゃないかなぁと 思わなくもないんですけど要するにこれは対象喪失だってことを僕は言いたいわけですね
結局は一番ここで言いたいの対象喪失が起きたら対象喪失にふさわしい時間の使い方 っていうものがあるはずだと思うんですよ
愛犬が亡くなったとかねそういう時に 立て込んでいるから仕事をしなきゃならないというケースがもしあるとすると相当きついなって
思うんですよ それをきついと感じられないんだとするとそれは多分
時間があまりにも足りないのかもしれないけれども 心の機能がどこか
30:06
ある種の機能不全をきたしているんですよ やらなきゃならないケースあると思いますよだからやらなきゃならないと思うんですけどそれは通常の
10倍ぐらいきついと感じるべきなんじゃないか 愛犬が亡くなったのに本の原稿を書かなきゃならないですとかそういう時
それだったらですね そうだなあんまりいい例がやっぱこういうのないんですよね対象喪失な本当にいい話の
はずないですからね つまり
心というのは あの
外部で起きた事象損法ただそのまま取り入れるようなものではないんですよ 実際そうじゃないですか
一つの食べ物があったとして例えばつい最近もちょっとうちで議論になったんだけれどもね あの
ミルク味の a
なんだあれは
ベーグルっていうものがあってですね で家の奥さんに寄せると甘くて美味しいなんだけど
うちの娘に寄せると甘すぎるパンは気持ちが悪い これどっちも正しいんだけどこれはどっちも主観の話をしてるじゃないですか
そしてえっと好き嫌いの話を結局しているわけじゃないですか で甘いベーグルっていうものは外部にありますよね
現実にありますでもそれを心 すいませんなぜか唐突に途切れたんですよ
唐突に途切れたんですけれども8続きいきますか a だからこの心の中に取り入れたとたんにですね
それは何か違うものになるんですよ あっ
つまり現実とは全然関係のないものになっていくんだと思う 現実と全然関係ないいうのは
一番 一番関係ないのがこのポッドキャストでも繰り返し
お伝えしている不在ですよないものがあるって一番関係ないじゃないですか 現実と全く違うことを言ってますよ
8必ずしも伝わりが良くないからこの例は良くないんだなと思ったんだけど僕はでも やっぱりいい例だと思って言ってるんですけど夜なんですよ
夜というのは何にもないんですよ だけども我々は夜というものに何かを見ちゃうじゃないですか
ちょっと怖いとかねつまり夜があるんですよね私たちそれは心の中の話です こういう話っていうのがあの対象喪失っていう時には非常に顕在化するから
カウンセリングの世界ではものすごく重視されているまあ 一番精神分析が重視してきたんだけど
我々対象喪失というものに非常に弱いわけですね 対象はもう現実にはないとでも心の中にはあるわけじゃないですか
33:05
なくなったっていうのが一番一番やっぱり顕著な例です あのたとえそれがペットであったとして心の中にはペットはまだ言う
現実にはそのペットはいないこの
そこがですね容赦の心の中と外のすれがですね 著しくなった時がやっぱり我々の精神状態というものはバランスを崩すんですよ
だってここ 我々は現実検討って言いますから現実というものをどのぐらい正確に認識している
かっていうのがあの精神の正常性を図る 最大の基準じゃないですか
いやここはえっとなんだろうなあの 地上だと思って飛行機のハッチを開けて落ちちゃったらダメじゃないですか
だから現実検討式っていうのは非常に大事なわけですよ だけれどもペットはすでにいなくなっているんだけどこの地上にはでも自分の心の中に
いるっていうのはまさに現実検討には少しそごう生じて だけどそごう生じるのこそが正常だっていう状態もあるわけですよ
つまり受け入れられないとか受け入れられないって言ってるってことは ズレがあるのは承知してるって意味になりますよね
すでにいないんだけどいないという現実は受け入れられないって言っているわけですよ ねつらいか
それってつまりズレがあるのはわかってるよって意味になるわけじゃないですか それがある種の正常さってものですよね
悲しんでる場合の正常性ってやつですよね 対象素質が起きた時っていうのはこういうことが起こるから
ある種の心のバランスを崩すっていうのが明らかだから私たちっていうか私たちじゃないんだ けど
カウンセリングの世界ではそこをすごく重視したわけですよ 今ではこの部分で拡大されていて
あるべき姿っていうものがむしろ正常である場合はそれを失うという辛さを感じる のは異常ではないと
異常ではないんだけれども辛いことだってことですよ 例えば学校に行ってめちゃくちゃ因出ないじめにあう
因出ないじめなんてないと思っている方が正常じゃないですか でも現実は違うわけですよね
因出ないじめというものにあってしまうことによってその人が持っていた 正しいというのから健全な学校の姿というものを
現実にはなかったという体験をしちゃうわけですよね これが対象喪失の一種でもあるわけですよ
多くの場合トラウマみたいになっていくのはこういうケースなんですね だから
あるべき会社の姿とかそれはパワハラとかセクラが一切ない会社っていうものがそれはある意味 の正常性なんだけどそういう会社ではない会社に入っちゃうと自分がイメージしていた会社
っていうものを失うわけですよ こうなった時に私たちは土日にですね
スキルアップのための猛勉強とかできないわけですよ もしかすると掃除とかもできないわけですよね
36:00
でそれはカウンセリングの世界では正常とみなすわけ これは私はすごく重要なポイントだなぁと思っているんですよ
対象喪失が起きているのにもかかわらず バリバリ動くっていうのは危ないことなんですね
何が起きているのかを認識しつつ動くのはいいですよ ただしその場合相当厳しいはずです
かなり自分の例えば体は鉛のように思いとかそういうのを引きずりながら頑張るもの なんですね
これを一切できずに意外と明らかにとやっちゃってるというのは心の負担が極めて でかいので
後で何かが起きたりその最中でもいろんなこううまくいかない 歯車の噛み合わなさみたいなものを拝見しながら進むためになったりするわけですよ
だから私はそういう風にならない方がいいだろうなと思うんですよ そのためにはアイデンティティが2つも3つもあるっていう仮定をするのもダメだと思うんですね
つまり何が言いたいかというと 心が昇進であれば土日だけ昇進とかっておかしいじゃないですか
あるいは平日だけ昇進というのもダメだと思うというかおかしいと思うんですよ 会社は私の理想の会社ではなかったとそのことで平日月下水目金苦しんでいますと
だから土日になったら8会社に行かなくて晴れ晴れとした別のアイデンティティになって 8自分は副業に向かって邁進するんだと平日の私というものは
別人だったんだということになりましたとそうやって頑張れるはずなのに実際に頑張れません 頑張れないんですよそういう場合に
つまり私は心一つだと思うってことですねそれがアイデンティティってもんだろうと思うん ですよ
だったら土日にはですね土日にもというべきな同じように対象喪失というものの中である意味 苦しみというか悲しみというものを受け止めていて自然だと思うんですね
だからここでやるべきことは少なくとも8それができないならば特にですね 苦行のためのスキルアップの勉強とか
8漫画をガリガリ書き始めることとかではないと思うんですよ これ例外的な話もあるんで一層複雑になっていくんだけどでも土日はとりあえず
まず何をするべきかというと例えば人に相談するとか そういうふうであった方がやっぱり賢明だと思うんですよね
月曜から金曜にどういう事態になっていて自分が苦しんでいるのかすっぱり忘れて って話にしてしまってもどうせまた行くことになるわけじゃないですか
これをぐるぐる繰り返しているのはコストがでかいと思うんですよね ただ漫画を書いていたり小説を書くことによって救われるって話もあるじゃないですか
これはさっきのその人に相談するの部分が自分が小説を書くことで相談の内容 相談するような事態がつまりこれがですね小説家とか漫画家とか非常に
39:06
ふうに入れ込めるクリエイターに起こる特殊な現象なんですよね セルフカウンセリングになるんですよ
ただなるとは限りませんからねかけるとも限らないし これを万人にお勧めするのはどうかなと私は思って
えっといわゆる筆記療法みたいな話になってくるんだけどありだとは思うんですけれども 何でもかんでも自分の中で完結していわゆる事情ですよね
事情で解決しない方がいいこともあると思うんですよ 事情で解決できてえっとマンあの漫画にね
自分の苦しみをぶつけてえっとデビューできて ガツサラもできましたっていうのはあの現代的にはすごい格好のいいことなのかもしれないけれども
そこにはそれなりのなんていうのかな あの厳しすぎるこう過程の踏み方があるような気が私はちょっとするわけですね
もちろんそれがうまくいっているところでまで否定する話では全くないんですけれども むしろ賞賛に値するとは思うんですが
あの それができなくなったからといって全然ダメではないと思うんですよねやっぱりここで
土日にはまあそれこそカウンセリングでもいいと思うんですけれども つまりそういうことなんですよ
掃除はできないんですよそういう場合それでいいと思うんですよね よくそのまた平日の苦しみというものもあのいろいろあるわけじゃないですか
必ずてか一つ一つどれも全部違うと思うんですよね つまり8対象喪失はそこで起きていると思ったけど対象喪失と一言で言っても何を
喪失しているかはやっぱり人によって様々だと思うんですよね ガリアを喪失しているというケースもあるでしょうし
聴診を喪失しているというケースもあるでしょうしそれこそ いい会社でこういうふうにやっていこうと思ったんだけど
実は周りのテンションは異常に低いとか別にねあのいじめとか受けてるわけでも バッシングされているわけでもないんだけどただ
みんなのやる気はないっていう会社に入っちゃいましたってことあり得ると思うんですよ それはそれで喪失になるわけですよ
めちゃめちゃ意気揚々として入ったっていう人にしてみればですね 8
入ってみたらなんかもう自分だけテンション高くて浮いてるんですけどみたいな喪失の仕方も あると思うんですよ
喪失の仕方なんて山ほど考えられるわけで喪失した場合に誰か喪失したからといって 急に寝込んで会社に行けなくなりましたってわけにもいかないじゃないですか
多くの場合は行き続けながらそれをやらなきゃならないんですよね その時にこう
まるっとあの そういうやり方もあるんですけどね実際にだから一層この話はややこしいんだけど
私はとりあえず常識の線でしかポッドキャストではしゃべれないのでセッションだったら またちょっとその人その人に合わせた話を展開できるんですがこれは
42:02
あのみんなに向けての話なんで常識的にやっぱり自分を一人だと思うんですよ さっき言ったように父親というパーソナリティと夫というパーソナリティと会社員という
パーソナリティと漫画家というパーソナリティではないと思うんですね そういうふうにアイデンティーが複数複数あって
作奏している状態っていうのは非常にこう なんていうのかな実際には取りまとめがすごく難しくなってそれだけでもこうやみかねないよう
なところがありますんで えっとできればそうじゃないごく普通のやり方でや
会社員でお父さんのそして漫画も書く人になっているなんとかですっていう形だと思うんですよ そういう人として8平日は平日休日は休日
この人のパーソナリティらしく過ごすっていうのがいいと思うんですよね そのなそうなると意外に掃除って難しいんですよ
多分だからこそあの家庭内分業みたいになってたわけですよね まあある意味でお母さんに全部押し付けられていたとそれが今問題だっていうことになって
いるんですけれどもそれはそして問題だと僕も思うんで えっとみんなで掃除する方がいいと思うんだけどそれもやり方だと思うんですよね
そしてまた独身で一人暮らしの人もいらっしゃるわけじゃないですか 簡単だとは僕大抵思わないわけですよ
簡単でないことをやろうとする以上やっぱりですね 現代は現代で複雑なんで現代的な工夫がいるだろう
しかし何よりもその時に自分は何かを つまり対象喪失という対象喪失というパーソナリティの部分を引き受けている可能性がある
ての検討してみた方がいいと思うんですよね いろんな意味でそれが起こりやすいある時代なんですよ
だから対象喪失があるならばえっとそれそれらしく過ごすっていう過ごし方を必要とすると そういう中での掃除の仕方もあるじゃないですか
そういう中での不行の仕方もあると思うんですよね ひっそりと静かにやるみたいなそういうこう何か少し自分のある状態に対して
痛みながらやるみたいなですねそういうやり方もあると思うんですね えっと私は今はそのこの今日の文脈ってがいつも喋っているようなこととは
ずいぶん違う話をしている気がしますけれども あの今日の話をしながらですねえっと
なんていうのかな
なんと言えばいいのかちょっとわからないんだけれども あの
仕事術としての精神力度の話としてこれは絶対欠かせないなと最近は思うんですね なぜなら欲打症の話ってものすごく多くなってきている気がするんです
欲打症というのは絶対に私はえっと理由を言えば対象喪失だと思っているんですよ 大事な何かを失ったんですよ
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そして心の中と心の外の8 称号が非常にずれている部分があるとただそれは現実検討式がおかしくなっているわけ
ではないと思うんですよね 欲打症というのは多分現実検討は多くの場合正確になっているとつまり受け入れられない
という発想を持っていると思うんですよ よくあるじゃないですかあの個人の音部屋をそのままにしておくと
でも痛ましい話なんてあまり具体的なサンプルを出したくないんですよ つまり個人の部屋をそのままにしておくと心の中であの人はまだ生きているって言ってるわけ
じゃないですか だから現実に生きていないいなくなっているんだということを知りたくないわけですよ
だから部屋はそのままにしておくとかその人が好きだったものは自分は今食べないように しているとって送ってやつですね
そういうようなことをなさるわけですそれって正気じゃないですかある意味非常に ただ
8バランスが崩れそうな雰囲気っていうのは同時にありますよね ショーそれはしょうがないですよね現実と心の中の状態がいい
あの一印く一な完全に一致してるって人はいないんでそしたら心じゃなくなっちゃうんで 完全に心の中と外は一致にはなるんですけど多少はでも8
大きくなりすぎないようにしつつでもこの不一致というものはしばらく維持しなきゃ いけないっていう状態はあるわけですよね
その時のその人の心の状態に合わせた 休みの一つを仕方っていうのもあると思うんですよ
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