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2021-07-29 30:38

【GMV 425】強迫症とオカルト

頭はなんでも万能的に考えられるので
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイオスです。
4連休、ほぼほぼお休みさせていただいた感じですね。
オリンピックを見ていたというわけでは全然なくて、ソフトボールをちょっと見るとか、
ありがちなテレビついているときにやってればチラッと見るみたいなぐらいしか見てませんが、
わりと今年は熱中症というのにやられまして、
グッドバイブ素敵じゃないんですけどね、こういうのって。
私にしては、実はこれ珍しいことで喋っているんですけど、
つまり、私って体が弱いということも現実に多少ともありという思い込みは一層強くて、
冬はダメだというのが染み込んであったんですね。
アトピーが結構あったので、寒くて乾燥するとどうしてもやっぱり荒れてくるので、
そういうのは思い込みばかりではないんだけど、あったわけですよ。
夏は比較的いいので、基本夏が好きみたいになっていくんですけど、
夏が好きだと思い込みすぎていたもんで、
暑ければ暑いほどいいぐらいで思っていて、夏無茶をするんですね。
そして、それでも今まではあんまり体調も良くない上に体質もあったから、
全然夏ガンガンやっても意外と平気だったんだけど、
今年はたぶんグッドバイブスの影響とかもあって、調子良くなっているわけですよ。
夏は普通に例年通りに無理をして、すごい辛いということになって、
頭痛は取れないし吐き気はするし、こういうことになるんだということを今年知った。
今まで夏の昼に活動するというのが僕は一番自分では一番良いと思い込んだんですけど、
ようやく人がなぜ夜に仕事をしたがるのかが理解できるような気がしました。
夏の夜って過ごしやすいんだなというのを知りましたね。
今年になって一番よく分かったという感じがします。
もちろん今までだってテニスとかやっていたから、
夏暑い中テニスとかやってきついとか、めちゃくちゃ暑さの辛さというのもあったんですけど、
それってすでに無茶しているじゃないですか。
無茶なんですよ。室内練習場で夏にテニスをするということ自体が。
だから何か分かったんですけど、今までは家にいて熱中症とかには自分は決してならないみたいな間違った信念があったんですけど、
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すごい間違ってたなという。朝から結構来るんだなと。
体温が普通に人並みに上がるようになってくると。
人並みに上がってなかったんですね。
30代前半とかは結構真夏でもクーラーのない部屋で長袖でいるみたいな。
何か思い込みの力ってすごいなと思います。
今はもうちょっと考えられないことを平気でやっていて、
しかもその方が体調がいいという感じで思っていたので、
そういうのから多分40代中盤になってようやく脱しつつあるみたいな、そういう感じがします。
ぶっちゃけ相談というのをクラスのケイトさんとやっているんですけど、
グッドバイブスのぶっちゃけ相談。
これを質問がないとなくなってしまう。
というか番組を成立させようがない。
まずあれは私が質問を、はがきを使っていますけど、
実際にはがきには印刷してあるだけで、はがきを送っていただいているわけではありません。
フォームに、グッドバイブスの倉園さんの公式のホームページから送ることができるフォームがあります。
匿名で大丈夫なので、名前もハンドルネームでいいので送っていただけると、
お悩みでもグッドバイブスについての疑問点でも、
あるいはこの番組を聞いていらっしゃる方であれば、
グッドモーニングバイブスで私がしゃべっていることに納得がいかないというようなのでも、
そういうのも何度かいただいているんですけどね、
そういうものを送っていただければいいかなと。
あるいは日常のさまつな悩みとご自分で思っていらっしゃるかもしれない、
そういうものですね。
悩みに些細とか大きいとかはないんです。
これは倉園さんもグッドバイブスでよくおっしゃるんですが、
私は精神分析を見ていてよく思うんですよ。
二大精神病とかっていって、統合失調症と鬱病は重度とみられますし、
事実そうだと思うんですけど、
じゃあ脅迫神経症みたいなのは、今日その話をしたいんですけど、
軽度なのかというとそんなことはないと思うんですよね。
あれ大変だって思うんですよ。
私もわからないわけではないぐらいなところもちょっとあるので、
例えば恐怖症とかね、統合失調症みたいなものに比べれば、
恐怖症っていうのは物にもよりますし、程度にもそれこそよるんだけど、
軽度みたいに思われるかもしれませんけど、大変だと思うんですよね。
私も一時、電気恐怖症みたいになった時、結構一時は大変だったんですよ。
対人恐怖症とかめちゃくちゃ困るじゃないですか。
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人そこら中にいますからね。
だから恐怖症というのも全然楽な話ではなくて、
そういう意味では脅迫神経みたいなものを
結構難しい問題だと思うし、
私最近本当に今まではグッドバイブスの影響でね、
精神分析で今まで自分が読んできたものを読み返すっていうフェーズがずっと続いてたんですよ。
おこのぎさんのとかどいさんのとか、読むじゃないですか。
新書で出てるようなもので一回も読んだことがないっていう人は、
心理学に興味ある人、かわいはやおさんとかある人では、
そんなに知らないところで一回ぐらいは読んでるぐらい、
彼らはすごい活躍されているんですね。
アドラーとかもある意味そうですよ。
本人違うっておっしゃるんで、精神分析ではないにせよ、
やっぱりそういう流れにあるわけですよね。
だからそういうのと全く無縁の人って、
多分心理学に一定程度以上の興味ある人では少ないんじゃないかなと思うんですよ。
絵の構造とか、何部売れたのかわかんないぐらい日本では読まれてはいなくても、
買われてますから、お父さんの本棚とかに普通にあるような本ですからね。
そういうの読んでるフェーズだったんですけど、
今はこんなにすごいことが書いてあったんだなと思って、
役があるかないかギリギリのようなやつを読み出していて、
つくづく難しい精神分析を本読むだけで理解するとかっていうのは、
言うならばセックスをやったことないのに、
本読んだだけで全部理解しようというぐらい愚かな試みではあるにせよですね。
役に立つ部分って少なくないと思うんですよね、今のような時代。
特に僕がやっぱり強く感じるのは、
神経症系の流れから来るちょっとした、
ちょっとしたと言っても本人は結構困るような辛さと、
あと引きこもりですね、今では。
引きこもり系の、ここから引きこもるってことも当然あるんですけど、
対人恐怖症から引きこもるって別に当然考えられる流れですよね。
もう一つはヒステリーという、精神分析でも今ではそういう言葉を使わないのかもしれませんけど、
ヒステリー系の問題。
この辺は精神分析をわざわざ取り避けて、
そうじゃない、精神分析はもう全然使わないみたいなのって、
すごいもったいないなという感じがします。
何て言うんですかね、これは。
ちょっといい例が思い浮かばないんだけれども、
本当にわざわざそれを使わずに他のことだけで頑張ろうということをすることはないと思うんですね。
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強迫神経症とか言われているものは、
要するにあれ、例えばガスコンド止めたかどうかが心配になって、
駅まで着いたところで引き返しちゃうとか、
手を洗っても汚れ取れない気がするとかですね、
今は特にこういうご時世なので、
引っかかっちゃう、気持ち的に引っかかっちゃうということは少なくないと思うんですけど、
そういうこととか、もうちょっといくとですね、
車を運転して帰ってきて、どこかで自分に人を接触したんじゃないかということが不意に心配になって、
そういう自覚がないのにですよ、不意に心配になって、
不意に心配になって、人によっては、そういう本を私紹介したこともありますが、
戻って確認しに行かないと気が済まなくなる。
この気が済まないという言葉が強迫神経症ではすごくキーになるということを
イタケオさんがお前の構造とかで言ってますけどね、そういう話。
なんでこういうことになるのかと。
これがですね、精神分析ってすごい面白くて、
アメリカではグッドワイブスもそういうところがあるので、
私はいろんなところで神話性というか類似性というかよく似たところを見出すんですけど、
私たちの今アメリカとかで精神病理学みたいなのを勉強すると必ずそうなるんだけれども、
強迫神経症とは何かという話になるんですよ。
ところが精神分析ではあんまりそういうことは重要視しないんですね。
もちろん強迫神経症みたいなのを例にとってこういう分析が進んでいくというふうに言うんですけど、
例えば精神分析って医療としては、多分医療とは見なされないのはこの辺だと思うんですが、
やることが毎度毎度変わらないわけです。
必ず絶対に、絶対にでは今はないのかもしれないけど、
精神分析を本当にやるとなったらやっぱり分析家と来た人は顔を合わせないようにして、
ひたすら分析家の来た人が自由連想するなり喋るなりすると。
強迫神経症の人だろうとミステリー気味の人だろうとそこは関係ないんですよ。
普通の人であろうと。やること必ずみんな同じになる。
普通そうじゃないじゃないですか。病気によって医療の提供するものって変えるのが自然ですよねと私たちは考えてますよね。
だからこれは強迫神経症なのか、それとも分裂なんとかなのかとかって、
いろんな分類をまずするところから診断をして症状名を決めるところからそれに合った処置を施すという考え方が常識になったので、
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そうじゃないのってそれだけでももうダメな感じがするわけですよ。
私はプラゾンさんのお話を聞いていると、セミナーとかで伺っていると、
基本的に誰、どういう悩みであれ、どういう話であっても出てくる話は意外と変わらない。
そこから展開していくという。だからある意味症状に興味を持っていないとも言えるし、
そういうのは精神分析では非常にあるんですよね。だからある意味とてもいいと思うんですよ。
何パターンかは出ますよ、さすがに。でも、むやみに病気が増えないというかね。
細かく分ければキリがない面もあるじゃないですか。
最近ではHSPもHSなんとかって言うんだみたいな話が出てくるじゃないですか。
最初はADHD発達障害も、後半性発達障害って今言いますか、ADHDしかなかったのに、
いつの間にかADDというのも出てきて、気がついたらASDみたいなのが出てくるわけですよね。
そして知らないうちに自閉症スペクトラムとかいう言葉が出てきて、
後半性発達障害とか大人の発達障害とか、ますます増えますよね、今後確実に。
なぜなら人の数だけタイプが違うんで、絶対に。基本的には減ることはないはずなんですよ、増えることはあっても。
こういうことになってくると、知識がどんどん増えるわけですよね。知識だけはどんどん増える。
私はADHDではなくASD気味だから、こういう処置を施してほしいというような理屈になってくるじゃないですか。
大体そういうことを一生懸命言ったからといって、果たしてその方が適切かどうかは結構わからんもんなんですよ、きっと。
凝白神経症みたいなのもそうなんですけど、大体よく考えてみるとドアの上に触ることができませんというのと、
ガスコンロを止めてあるかどうかを見に行っちゃいますというのと、
人を引いたかもしれないところが気になりますというのは全然話が違う。
だけれども、何かよく似たところがあって、その何かよく似たところがやっぱり大事なわけじゃないですか。
だから同じ名前になるんですけどね。
一つ僕がですね、フロイトの本にも結構出てくるんですよ、こういう凝白症の話で。
この番組でも以前お話しした、平気で嘘をつく人たち、あそこに出てきている人が凝白症になってくるんですよ。
この番組でも以前お話しした、平気で嘘をつく人たち、あそこに出てきている人が凝白神経症の中でも重症な上に立ちが良くないなと思ったし、
精神分析的なカウンセリングとも違うんで、非常に興味深くて何度も読んでいるし紹介しちゃうんですけど、
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この人がまさに人を引いてしまった。
女王だったかな。仮名ですよね、もちろん。
人を引いてしまったんではないかと思って現場に戻ると。
あるいは橋を渡れないんですね。
橋を渡ると橋が渡っているど真ん中で崩落するんじゃないかというそういう観念、凝白観念といいますが、
観念が沸き上がってきて橋を渡れなくて、うーんと遠回りして帰ることになると。
非常に不便な上に何か凄く病的なところがありますよね。
最後にはこの人は最愛の息子を、悪魔と契約を結ぶっていうんですよね。
最愛の息子の命を奪っていいから、代わりに自分はこの橋を無事に渡らせてくれと悪魔に頼むと。
もちろんその悪魔も自分の頭の中で作り出すんですけどね。
この辺に脅迫症っぽさっていうのがやっぱり凄くあってですね。
私たちこういう話を聞くとほぼ自分には全く関係ない気がすると思うんですけど、私はそうは思わないんですよね。
この話、非常に現代的だし、私たちの生活の中には、日常というのかな、日常の中には至る所にこの種の、こんなに酷い話はまあないですが、この種の話を聞くなってよく思ってたんですよ。
すごく気になってたんですよ。平気で嘘をつく人たちは、本当あれもう何だか知らないけれどもやたらと売れてですね。
タイトルが良かったと思うんですけれども、あれだったアドラーの本、嫌われる勇気ぐらいは売れたか、もっと売れてるんじゃないかと思いますよ。
世の中の現象になる本ってすごいですよね。脳内革命とかバカの壁とかね、話すっ飛んでますけれども、本当すごいと思います。
みんな読むっていう感じになりますもんね。
つまり、平気で嘘をつく人たちの中に出てくる。
悪魔っていうのが出てくるところで、非常にオカルトみたいなのが出てくるじゃないですか。
これがまず一つすごくあるんですよ。
脅迫症にかかる人っていうのは妙に物知りで合理的だったりするんですね。やたら理屈っぽい。
たぶんこのジョーって人も間違いなくそういうタイプで、一見すごく明るくて快活で、この一見明るくて快活でちょっと病的なこと言っても本当に危険な匂いがしますけど、
それは偏見ですが、なんかこう人当たりが良くてですね、ニコニコしていてっていうのは考えさせられるんですよ。
なんかこう言い出すんじゃないかなみたいな微妙なことなんですけどね、これは。
この微妙なことが問題で、微妙ですよね。だってそもそも立教が崩落するってことは考えられないじゃないか。
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だからその言うのが怖いから頭の中で私の悪魔をでっち上げましたと。
非常に何か倫理的でないものを感じはしますけど、何も悪いことはしていないですよね。
法的に引っかかるとかそういうことはしていないわけですよね。
だけども精神界ですから聞いていてすこぶる良くないものを感じるということになるんですけど、確かにそういうところはありますけど、
でもこれは何かひどいことをやっているかというとそんなことはないですよね。
こういうところがすごく微妙なんですよ。
考えてみると手を洗うのがやめられないとかも本につらいんですけれども、非常に細かい問題だと思うんですね。
非常に苦しいし嫌だし困るし何とかしてほしいというのはあるにしても、
非常にドラマチックだとか誰かが襲ってくるとかそういう話とはちょっと違う。
なぜこんなに細かなことになっていくんだろうというのと、なぜこの症状は常にエスカレートしていくんだろうというのがまず、
僕がすごく引っかかるところだったんです。
わざわざ病気を分けないというのもそうなんですけど、統合失調とかうつの人の近いことをおっしゃいますよね。
そして非常に脅迫的なところがある。
例えばうつの人が繰り返しよくおっしゃる死にたい。
あれもまず頭に浮かぶことなんですよ。
倉園さんがグッドバイブスで現実なら何とかなるという表現を取られるんですけど、
この感覚の欠如だと思うんですね。
ここで言葉が錯綜してしまって本当に困るんですけど、
私精神分析の世界って本当にこれが一番困ると思うんですよ。
万能感というものなんですけど、万能感というのはものすごく大事だという側面と非常に悪いものだという側面が
あることもあって、しかもさまざまな流派があるから、
この人は一体万能感をこの場合どういう意味で使っているんだろうというのを
意識して本を読んでいないとわけわかんなくなっちゃうのが困るんですよ。
ナルシシズムもそうなんですよ。
一時ナルシシズムとかいろいろ言うんですけど、あるいはナルシシズムの病理とかいろいろ言うんですよ。
いいのかナルシシズムは悪いのかそれともと、考えさせられるんですよねすごく。
しかも流派によってちょっと使い方が微妙に異なったり、あるいは大幅に異なったりもするんで、
わけわかんないって感じがするんだけど、そもそもあれはテキストを読んで学ぶ
そういう世界のものじゃないから、この種のことが本当に起こってくるわけです。
で、万能感なんですよ。万能感の多分僕はやっぱり欠如だと思うんだけど、
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でもその万能感の欠如を違う万能感で満たそうとする。
それをやることによって脅迫症みたいな現象が出てくるんだろうなって感じを覚えます。
どういうことかというと、つまり私たちは万能感というもの、
現実ならなんとかなるという感覚を持たないと現実に出ていけないんですね。
現実は何が起こるか本当のことはわからないから、何が起こるかわからないので不安になってしまう。
だから何とかそれに事前に対処したいとこう考えるところに、
事前になら対処できるという間違った考え方が挿入されますよね。
思考的な万能感とかって言ったりもするんですけど、いかにもそういうものなんですよ。
頭で考えれば事前に正しい答えが出るんだということを頭が考えちゃうんですね。
頭というのは万能じゃないですか。この万能はつまり悪い意味で使っているんですよ。
頭が万能だというのは何でも考えることができるということですよね。
どんなことでも考えられますよね。
よく最近出てきているのが過去のある時点に戻るというあれですよ。
あれ万能感なくしては全く意味不明のものになるじゃないですか。
絶対うちの目高は考えませんよ。あそこに生まれていたらとかね。
これ考えることができるのが人の頭なんだけど、万能的に考えるというわけですよ。
考えるというのはまさに万能的ですよね。
あのiPadを買ったとしたらとか平気で考えられるじゃないですか。
持ってもいないうちから。あるいは新しいiPadがこういうものだったらとか平気で考えられるじゃないですか。
これをどこまで進めていくとどういうことが起こるかというとオカルトが起こるんですよ。
悪魔がいるとすればというわけですよね。
悪魔がいるとすればだってできるじゃないですか。何だってできるんですよ。
頭の中であれば。
でもこの万能感は現実なら何とかなるとは全然違う話ですよね。
現実なら何とかなるも結局私は万能感という言い方をしちゃってるんですけど、
リアルに万能であることを発揮するという意味で、
これは多くの人が大変すぎるって思うか無理だって思うかということが普通に起こりますよね。
いやいや倉田さんは現実なら何とかなると思えるかもしれないけど私には無理です。
ここまでこういうことは何も不思議ないですよね。自然ですよ。
この次ですよね。
代わりにどうするのかってことなんですよ。
私たちは現実に対応できなくなりましたと。
橋を渡るのも怖いんです。
何でもいいですよ。
会社に行くのが怖いんです。
あるいは人がクレーム行ってくるのが怖いんです。
じゃあどうするのかってなったときに、
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まず思考の万能感を用いるわけです。
思考は万能ですからね。
クレーマーをめちゃめちゃやっつける想像をしても全然いいでしょうし、
それこそ悪魔を想定して捏造してもいいわけですよ。
で、その悪魔を捏造して、
もう悪魔捏造しただけじゃダメですよね。
悪魔に何かを保証してもらおうというようなことになってくる。
自分の思考の万能感で、
結局やりたいことは現実への対応ですから、
現実に対応してもらおうというようなことになってくる。
自分の思考の万能感で、
結局やりたいことは現実への対応ですから、
現実に対応しようと、ここからおかしくなってくるわけです。
悪魔という意もしないものを脳内に引っ張り出したと、
これだけではまだ現実に対応できないのは明らかですよ。
だから現実に対応するために何か考えるわけです。
息子の、最愛の息子の命を奪ってもいいくらいのところまで持っていくと、
イリュージョンが現実になっている感じがする。
そしてそうやって考えてみると、
なるほど渡れる自分、一興って考えるわけですね。
そうするとすっごくすっきりするはずなんですよ。
だから現実に対応できたわけです。
しかも自分の頭で捏造したものを使って現実に対応できたから、
非常に自分の現実対応能力が高まったような感じを覚える。
こうして私は脅迫症というものは進んでいくんだろうなというふうに思います。
空疎な信念という表現が誰か精神分析で出てきたんですけど、
まさにそういう感じで、
私たちこの種のことをいかにもわかりやすいオカルトみたいな話だと、
こんなことをしないんで、
自分と関係ない話のようにも思われそうなんですけど、
そんなことはないと思うんですよ。
例えば、いい高校に入っていい大学を出て、
いい企業に勤めれば人生は幸せになれるというオカルトがあるじゃないですか。
こういうふうに信じておけば、
現実に対応する能力は実は自分はないんだけれども、
でもいい大学というものを出たから、
現実に対応する能力は身についているんだと。
というか、現実に対応できるんだと。
仮にその能力がなくたって現実に対応できるんだと考えることはできますよね。
あるいは、例えば継続は力なりみたいな言葉を信じちゃうわけですよ。
ほとんどオカルトだと思うんですね。
継続をするということ、何かをひたすら繰り返すということが、
何らかの現実に対応できる能力を身につけさせるという保証は別にないわけですよね。
ただ継続は力なりということを信じておくと。
まるで悪魔を信じるみたいなもので、信じるわけですよ。
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そうすることによって、現実は何とかならない。
裏園さんが言うみたいには。
でも継続しているから、自分は。
例えば、朝活を継続しているから。
あるいは、毎朝筋トレをしているから。
これを要するに代用に持ってくるわけですよね。
この時に必ずやっていることは、答えを先に出すんですよね。
頭で。
万能感があるわけだから、頭は万能ですから。
頭で考えるだけなら、どんなことでも万能なんて、何にも苦労はいらないんですよね。
継続は力なりと頭で考えるわけですよね。
あるいは、いい大学校を出るということを頭で考える。
先に答えを出すんですよ。
よく考えてみると、一番恐怖症の不思議なところは、先に答えが出ちゃっていると思うんですよね。
この橋崩落するに違いないって、いつかなってるわけじゃないですか。
俺どこかで人引いたに違いないって、どこかでなってるわけですよね。
頭の万能感に問題があるわけですよ。
頭がそういうことを勝手に先に考え出して、それに引きずられているっていうのがおかしいわけですよね。
本当は逆じゃなきゃいけないわけじゃないですか。
現実に何か起こってから、それについて考えればいいものを、先に頭が考えてから、その上で現実に対処しようとするから、順番が逆転するんですよね。
フロイトが確か、脅迫症について盗作って言葉を使ったんですよね。
理解されにくくなるんですよ。
性的盗作っていう意味になるじゃないですか。
例えば、覗くとか脱がせるとか、そういうことが目的になっちゃうっていう、だけどケースはとっても多いですよね。
なぜか、本当の本番に向かうっていうことには、なぜか欲求がはなくて、覗くっていうことだけは大好きっていう感じ。
そこで興奮が完結できるみたいな、盗作って言いますよね。
盗作的ですよね。非常に継続は力なりっていう。
本当のところ、継続してからそのことを考えればいいんだけれども、逆になりますよね。
継続は力なりだから継続するっていうことに、普通になりますよね、でもね、私たちって。
ほとんどの儀式的なことって、こうなりやすいと思うんですよ。
脅迫症と儀式っていうのは、非常にセットになります。
脅迫症と儀式っていうのは、非常にセットになります。
私のタスクシュートだって、非常に油断するとすぐそういう風になっていきます。
タスク管理とか全部そうですよね。GTDもそうだったじゃないですか。
まず洗い出すと。洗い出すってことがもう何かを保証するみたいな形になるじゃないですか。
本当は逆ですよね、あれはね。
そういうことが脅迫症ってことでは、多分常に問題になっている。
先に答えがあって、頭が万能的に作り出したものによって問題は解決する。
そうじゃないと、現実に向かっていって、現実で何かにブチ当たると怖いので、
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いつもコントロールしやすいように現実を儀式化して、儀式化していくと。
こういう風にやっておいて、前大丈夫だったから次もこういう風にやる。
それで大丈夫だったからっていうと、そこがすっごく安心感を与えてくれるわけですよ。
そうすると、現実ならなんとかなるって言葉ほど不安にさせるものはないってことになるんですよ。
それが常に脅迫症の原点にあるんじゃないかっていうことが、精神分析系の話ではよく出てくるってことです。
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