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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ただいまですね、11月15日火曜日の午前7時37分です。
これを撮って出しすればね、本当は一番ぴったりグッドモーニング感あるんですよね。
昨日の夜撮れなかったから今日の朝撮ってるわけですが。
これをやると下で撮ることになるんですよ。
音少しまた違うかもしれないです。
あるいはノイズが入ったりする可能性がないようにしてるんですけどね。
でもないと言い切れるかどうかそこが微妙です。
やっぱり機材は変わってないか、システムは変わってますからね。
あとこの下のパソコンというのは私の専用じゃないのでちょっと違うんですよね。
これがどう出るかというのが今引っかかっているところで何ともないといいなと思ってます。
現在100日チャレンジの第2期絶賛募集中でして、今回は100名様限定なのでですね。
タスクシュートクラウドをプロの有料の方、あれを使ってなければ入れないという第2期と、あれをお使いでなくても入れるという第2期に分けております。
あれをお使いでないと、有料版を使ってないと入れない方はすでに2日で満席になっちゃいましたので、
もう一つの方だけが空いていて、そっちも半数はたぶん生まれつつあるんではないかと。
だから残り50名様ぐらいなんですよ。まだ開けて4日か5日ぐらいしか経ってないと思うんですけれども。
こちら5000円になるんですけれども、もしこれ聞いている方でタスクシュートクラウドをしかも有料版を使っていないという方で、
例えばタスクマでやっているとかエクセル版でやっているという方で、あるいはGTDだという方とか、
マニアナの法則にしたいという方で、タスクシュートクラウドを有料版を使っていないという方で、100日チャレンジをやってみたいという方は5000円でお参加いただけますので、
よろしければ、あれよくあるじゃないですか、1日あたりにすると50円ですからね。
これはよくあるなんとか商法なんですけれども、100日やってみたいという方は、私の方でですね、主に先送りの方についての問題というのに引っかかったらコメントを出すみたいな、
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代わりに投稿できるコミュニティに参加できると、何しろ他にも盛りだくさんなんですよ。
キックオフイベントだの、卒業式だの、いろんなのが入っておりますので、Jマスザキさんからの僕じゃ絶対出せないような強めのコメントというか、非常に励ましのコメントも連日付くという、
あんなのを連日付けられるというのはすごいなと、僕の長いやつも連日付けられるのすごいって言われるんですけど、僕のは全然、自分の中ではあれを付けるのには何の苦労もいらないに等しいんですよね。
時間は一定程度かかりますけれども、その時間はもう有に確保してありますので、よろしければ100日チャレンジの方を検討してみていただけると、
前回400名超えてるんで、今回100名限定にしておりますが、多分1週間経つか経たないか、せいぜい2週間で埋まるんではないかと思うので、
多分直前に申し込めばいいやってのは無理だと思いますので、私もそこまで早く埋まるとは今回は思ってなかったんですけどね。
もうちょっと人数多くてもよかったかなと今思えば思うんですけど、これはJさんと決めておりますので、私が勝手に増やしたり減らしたりはできませんからね。
意見は言いますけど、まあまあそんな感じですので、よろしければご参加ください。
今日は100日チャレンジと直接は関係ないんですけれどもね、タスク管理というのかな、仕事を進める上での私が考えるんですけど、割と大事な考え方で、
まあでもこの番組聞かれてる方にはもう基本中の基本みたいな話なんですよ、本当に。
投影という話をしたいと思うんですね。
投影っていうのは一般用語か哲学用語か精神分析用語か、あるいはカウンセリング用語って言えますかね、非常にその辺曖昧で、
グッドバイブスでもグラゾのけぞうさんもお使いになってますし、まあ普通に今の人は使いますよね。
そもそもプロジェクションっていう投射器みたいなものもあって、普通の言葉なんですよ。
でも私はこれがですね、今の時代だからなのかはわからないんですけど、全く多くの人が自覚をされていないと言いますか、
やっているということを意識してなさすぎると思っておりまして、これは大変問題だなとも思ってます。
少なくとも精神分析がもっともっと流行った時代には投影ってもっとみんな意識されてたと思うんですよね。
今は知ってると思うんですよ、皆さん。
リテラシーがこんなに教育水準の高い状態で投影を知らないというのは正直ちょっとありえないと思うんだけど、
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知ってても普段それをいかに自分らがやってるかということ、もちろん私もですけど、
というか人間はこれをやらずに生きていくとですね、大変なことになってしまうので、
これをやらずに生きているっていう人は普通はいませんね。
10万人に1人とかならいるかもしれないけど、そういう世界になっちゃうんですよ。
もっと少ないと思うな。
とにかく投影をしないで生きるっていうのは文明社会では無理ですね。
特にインターネットとかパソコンとかスマホがあるのに投影しないで生きていたら、
もう絶望的な気分になっちゃうと思うんですよね。
で、していると問題はそこにはないんですよ。
しているということ自体は問題じゃない。
100発100中でしてるはずなんだから、
してないほうがむしろどっちかといえば問題だと思いますね。
で、してるとまあするのはいいんですけれども、
無自覚にするというか、無自覚にするというか、
無自覚にするというのはいいんですけれども、
無自覚にそれをする。
それもかなりトラブルを引き起こすやり方で無自覚にやる。
というのがやっぱり問題かなとは思うんですよ。
で、少なくとも自覚がなければ話が始まらないので、
自覚しましょうとか気づきましょうとかっていうのって、
あまり意味ない感じもしちゃうじゃないですか。
最近ね、非常に売れている東方カイトさんの、
何度も何度も言及してるけど聞く技術、聞いてもらう技術かな、
新書の中に、新書を読まれた方でですね、
具体的な小手先のテクニックがあるのがいいと。
まあ、聞く聞かないに、聞く聞かないじゃないね、
聞く、計帳するでもそういうテクニック大事って言われて売れるわけですから、
気づくの大事っていうのはおかしな話なのかもしれないんですけど、
例えばこういう、自分でやってることに気づくってのは、
テクニックとかではないので、やってることに気づくわけですからね。
例えば私が呼吸をしていることに気づくとか、
普段からトイレを使っていることに気づくとか、気づかなかった場合はね、
そういうことでしかなくて、テクニックっていうのは、
非常にここに持ち込むのは余計なことなんですよね。
あまりにも間に挟む、無理やり挟んじゃうみたいな、
すでに挟んであるサンドイッチを開けて、1枚挟むといいよみたいな、
それがテクニックみたいになっちゃうんだけど、
そんなことをしなくてもいいじゃないですか、気づけばいいんですよ。
で、なんで気づけばいいかと言いますとね、
これもこの番組では初めてではないんだけど、
高篠良子さん、漫画家の方が、
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70年目ということかな、だからかな、
ドクトペンだったかな、
自伝のコミック書かれてるんですよ。
これに関しては読みたい方はお読みください。
第1巻からスパッと出てきます。
なぜかお母様は高篠さんのことをやたら虐待していたと。
戦後間もなくの頃なので、
虐待とか言わない、戦中くらいかなあれはな、
虐待と言わないんですよね、戦後間もなくですね、高篠さん70年になったから。
お気の毒だなと思うほどのひどいんですけれども、
お姉さんの方はやたら可愛がるんですね。
あの話はお好み刑護さん、
あの話それ自体じゃないですけど、
お好み刑護さんがきちっと新書で非常に分かりやすく
一般人向けに書いてるんですけど、
要はよくあることなんですよ、これも残念なことにね。
子供の2人いるとするじゃないですか、
昔は兄弟いっぱいいましたからね、
上の子をやたら可愛がり、下の子をほとんど奴隷扱いすると。
非常にある意味では不思議なんだけど、
全然不思議じゃないんですね。
上の子には男の子女の子は関係ないんですよ。
多少異性の子が好きになっちゃうっていうのは親にもあるんだけど、
今なんかそういうの良くない良くないってみんなが言ってるから、
かなりいましめてますよね。
でも決して異性だけを愛するわけじゃないじゃないですか、人間は。
同性の友達とかもいっぱいいて、
同性愛っていうのも普通にあるわけです。
つまり、いい方を投影したり、
悪い方を投影するっていう方がよっぽど普通に起こっちゃうことなんですね。
これを子供が分かれているとき、分かれているというか複数の子供がいるときね、
上のお子さんに自分の良い部分を全部見て、
下のお子さんに悪い部分を全部見ると、
こういう投影が普通に起きてしまうんですね。
普通に起きるというのかな、無自覚な時ほど起こりやすい。
逆もありますよ、もちろん。
これが起きたんですよ。
つまり、もうはっきり書いてるんですよね。
上の子を見てると気分いいわって、
それはそうなんですよ、自分の良いところを全部投影してるんだから、
上の子を見てれば自分の良い部分が全部見えるという風な思い込みに囚われてるから、
思い込みだけではないんですけども、思い込みがあるわけだから気分いいわけです。
それに比べてこの子はっていって、
りょうちゃんっていうこうめちゃくちゃ攻撃的な人、
それは自分が嫌なところだと思ってるのを全部下に置いて、
自分が嫌なところだと思ってるのを全部下の子に投影するから、
そういうことが起こるんですね。
これを無自覚にやっちゃいけないと思うんですよ。
僕ら投影するのは仕方がないんですよ。
そういう生き物なんです。
これができるのが人間の能力と言ってもいいぐらいなんですよ。
問題なのはこの種のことをやってるとき、
あっ、やっちまってるなと思わなければいけないと思うんですよね、やっぱり。
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旗迷惑ですからね、これは。
相手が悪いわけでもなんでもないんですよ。
その嫌なところを勝手にその人に投影し、
その人が悪いと思い込んで、
その人をめちゃくちゃやっつけてすっきりする。
めちゃくちゃやってることがおかしいじゃないですか。
でもこれを僕らは無自覚にやれる生き物だということなんですね。
で、
例えば他の本でもですね、
もう一つの方はフィクションですけど、
真綿の檻っていう、これもこの番組で、
番組じゃないかもしれないけど、
一回ぐらいはお伝えしたことがありますけど、
ここでも同じようなことをやってるんですね。
ここではもう分かりやすくて、
息子をやたら可愛がるお母さんなんですけど、
フィクションですから。
そういうふうに作るんですけど、
あれも息子だから可愛がり、娘だからいびるんではないんですよね。
娘さんの方に自分の悪いところを見るんですよ。
で、別に精神分析とか意識されて書かれてないと思うんですけど、
その真綿の檻の作者さんは。
でもまさに精神分析的で、
私はこの子が苦手だっていう表現が出てくるんですよね。
これほどまでに我々はですね、
無自覚なんですよ、投影してることに。
苦手だ。
それはだって自分の欠点をそこに見るから苦手だってのって、
明らかに変ですよ。
変なんだけれども、
そこに自分の欠点を見てるとは全く思ってないから、
この子が苦手だってことになってしまう。
この子に私はむしろ害されていると。
悪害妄想なんだけど、
そう思ってしまうんですよね。
自分が嫌なところ、自分の好きじゃないところ、
いっぱいあります。
人間だから。
それを人に、
なんて言えばいいんですか、
貼り付けるって感じですかね。
人の上に描くって感じですかね。
一瞬でやるんですよ。
一瞬だから描いてる自覚なんて全くないです。
努力もいらないわけですよ。
ただそれが嫌いだって感じがする。
あるいはこの人どうも苦手だ、
この人どうも苦手だって言い出すんですよ。
僕らがそれを言い出したときは本当に要注意で、
その人のことが苦手でもなんでもない可能性の方が、
これを言うとね、
いやいや本当にひどい人がいて、
その場合どうするんですかって話になるんだけど、
そうかもしれないんだけど、
今日はこの話もちょっとしますけど、
そうかもしれないんだけど、
まず自分が投影してる可能性の方がちょっと高いから、
そっちを疑いましょうと。
人がやってるのを見るとね、
すぐは割とすごい気づきやすいんですけど、
自分がやってることには全く無頓着だったりします。
これは。
本当にこの人苦手だという話を聞いたときは、
私はだいたい信じないんですよ。
だいたいこの人が言ってるのは、
なんかの投影なんだろうなと。
必ずしも自分の欠点とばかりは限らないから、
投影であるケースは非常に多い。
ほとんど全部と言ってもいいぐらいなんですね。
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このいい例があの虫ですよ。
あの虫。
僕らはあの虫をむやみやだらと嫌いますね。
人語で言うんですよね、みんなね。
私本当は人語で言いたくないんだけど、
まあじーと言っておこう。
なんでこれをみんなが嫌うかというと、
投影してるからなんですね。
何を投影してるんでしょうね。
そっくりな虫いるじゃないですか。
他にもいっぱい。
あれほど嫌われてはいないわけがあるわけですよ。
あれはですね、死体を投影してるんですね。
何度も言いませんよ。
死体を投影してるんですね。
もう何度も言ってるね。
死を投影してるっていうよりは、
僕はそうじゃないだろうなと思うんですよね。
僕らはこれを思い出すのは非常に嫌いなんですね。
だから文明社会というのは、
まず何をするかというと、
死体は目につかないようにするんですよ。
これはですね、もう多分相当昔の文明、
私が今知ってる、今ダイレクトで見たですね、
一番身近でしかも古い文明というと、
沖縄の1万年近く前の港川人っていう人たち。
彼らがすでに埋葬ということをしてるんですね。
埋葬ってのは多分、
文明の第一段階。
死体が目に触れるところに置かない。
昔のことですから、
1万年も前のことだから、
人死んでそこの辺に置かれてしまいますよね。
今でさえ戦争が起こると
そういうことが起きちゃうじゃないですか。
あれ非常にギョッとする光景なんですよ。
だからモザイクかけるじゃないですか、ニュースでも。
それぐらいの光景なんですよ。
あれは、
昔、福島の原発が起きたとき、
みんな一斉に亡くなって、
大型動物の死体というものがそこら中にあり、
みたいな話があって、
それも目を覚えたくなる光景だってみんな言ってましたけど、
人間の死体じゃなくても怖いわけじゃないですか。
まして人間の死体はとても恐ろしい。
それを投影することによって、
その人間の死体というものが、
まして人間の死体はとても恐ろしい。
それを投影するような生き物、
それを投影させる生き物というか、
連想させるというか、
連想するというのは投影しているということですからね。
これを僕らはやっているわけです。
それも全人類に近いぐらいこれを騒ぐじゃないですか。
少なくとも日本中でこれ騒ぎますよね。
ビジネスになりますもんね。
退治できるツールはみんなビジネスになる。
それほどまでに僕らはこれを恐れてしまう。
というわけですよね。
こういう能力を持っているというか、
使っちゃっているわけです。
すっごい自覚ないですよね。
なぜ怖いのか、なぜ嫌いなのか、
全然説明できていないと僕は思うんですね。
しかも今の時代ってやっぱりめんどくさいことに、
エビデンスが大好きなんで、
お前そのGに死体を投影しているエビデンスを出せとかって言うと、
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出せるはずがないんですよ。
そういう問題ではないからね、これ。
真っ白なんです。
客観性はどこにもないから問題なんです。
でも大事なのは、
僕が思うにエビデンスは出せませんけど、
こういうエビデンスは出せますよね。
具体的に害されたこともないのに、
具体的に害するものよりも、
はるかに怖がって発狂したような声を人に出させ売る、
そういう実験ならやれると思うんですよ。
例えば作り物とかでもきっとできると思う。
まさに投影だと思うんですよね。
作り物でも本物でもあんまり変わらないっていうのは、
そこに何かを投げてるから。
それを単なる映像じゃないんですよ。
だから私は、
心理学がお得意の表彰って考え方があんまりしっくりこないんですね。
見えることだけが問題なんじゃないと思うんですよね。
ある意味僕らの心に力度ってものを感じるんですよね。
力を感じる。
動かしてしまうんですよ。
それを揺さぶってしまう。
で、話を元にというか、
途中の段階に戻すんだけど、
ここで非常に大事なのは、
本当にそれは怖いんだろうかって、
とりあえず考えてみる必要があると思うんですね。
これが自覚するための第一歩だと思う。
本当にそれは怖いんだろうかと。
まるで倉頼さんのお話になってくるんだけど、
これをですね、精神分析は、
なんて言ったかな、
特にウィニコットみたいなところから出てくる発想なんですけれども、
主観と客観の対話みたいな言い方をするんですよね。
あるいは、主観における想像と客観の対話かな。
非常に微妙な言い方だなと思うんです。
分かりにくいじゃないですか。
これは僕らというのは、
世界をこうやって作ってるんだって言ってるわけですよ。
作ってるんだけど、
外から持ち込んでもいるんですよ。
そういうものじゃないですか。
信号機考えると一番分かりやすいと思うんですよ。
僕らは信号機で止まれと、
そういう世界を作ってるんですよ、脳の中で。
だけどそこに信号機がおそらくあるんですよね。
私たちは信号機を外的なものとしては見ていないんですよ。
意味をつけたものとして見る。
だから、外にあるものというものを利用して、
内側にあるものを見る。
利用して内側にある意味をかぶせてるんですね。
そうやって練り上げて作ってるのが現実というものなんですよ。
時々それに失敗して、
現実そのものが剥き出しに見える。
非常に分かりにくい表現、時々使うじゃないですか。
でも恐ろしい目にあった時に、
それが起こりますよね、多分。
これがトラウマになると、
侵入が激しいっていうのは、こういうことを言うんですよね。
ちょっと信じがたいことが起きると、
人はその攻撃に意味をつけ損ねる。
それは大体は、
大変恐ろしい光景になっちゃうわけです。
人間はやっぱり人間らしくものを見なきゃいけない。
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信号機を見たら、赤止まれ、青はOKみたいな、
そういう意味を勝手に付与して、つけて、
想像してるわけですよね。
でも想像してるだけじゃないんですよね。
それは100%夢なわけじゃない。
確かに赤色が光っている機械がそこにあるっていうのは、
事実だと思うんです。
そういう客観と主観の対話って言うんだけど、
つまり本当に起きてるのはどんなことなんだろうと、
本当に起きてることはどんなことなんだろうって考えても、
本当に起きてることだけを見ることは、
僕らできないようになっているんですよ。
多分Gは怖いんですよ。
本当は怖くないはずだって思ってみても、
多少は怖い。意味をつけちゃう。
だけれども、大きくその怖さが下がった時に、
やってることって何かっていうと、
客観的に見るという、
そこにある種の対話が生まれるっていう考え方を取るんですね。
精神分析で。
これは非常に大事だとされているんですよ。
これができるようになれば、
人は正気になっているはずだっていう考え方がありますから。
背後には。
お子さんのね、上のお子さんと下のお子さんのこともそうなんだけど、
本当にこの子のことが私は苦手なんだろうかとか、
嫌っているんだろうかとか考えてみると、
だんだんその違うものが見えてくるはずじゃないですか。
違うものが見えてくるというのは、
つまり私が苦手でない部分っていうのは、
その下のお子さんなりに見えてくるはずですよね。
それが見えるということは、
そうじゃない、嫌っている部分は、
自分が勝手に意味をつけている。
あるいは自分の欠点というものをそこに投影しているということに
気づくことでもあるでしょう。
この形を、この発見をしたい、発見と言うんですよね。
ウィニコットが確か想像と発見とか言い方をしたんですよね。
これをするのが精神分析の目的だみたいな話があるんですよ。
私、先日倉園さんのポッドキャストを聞いていて、
自分の声が苦手って、非常にわかるなと思う。
その時に倉園さんが自分の声にもっと興味を持って聞くっていう話をなさっていて、
あれがまさにそういうことなんですね。
自分の声の嫌いな部分というのは、
自分の欠点とか、自分の嫌な部分を声に投影しているわけです。
自分の声に。
そうすると、欠点以外の声の部分は聞いていないことになるんですよ。
事実上、シャットアウトしちゃうんですね。
こういうことが投影ではよくあるわけです。
信号も止まれの意味だと思うと、
止まれ以外はあまり考えない。
この信号機がどういう素材でできているかとか、
どのくらい光っているかとか、
どういう形を実際はしているかとかに興味持たないじゃないですか。
赤信号っていうのは記号になっているから、
投影してしまうと、投影している部分だけに僕らは着目する癖があるんですね。
よく見ていると、そうじゃないところもいっぱいある。
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一つ一つの信号は結構違うっていうのに気づくんですよね。
これがいわゆる主観的対話っていうように呼ばれているものなんですね。
駆け足になってきましたけれども、タスクがそうなんですよ。
私はこの話に持っていきたいわけですよ。
今日100シャレの話もしたしね。
タスクというものに僕ら間違いなく投影していますよね。
このタスクは重いなみたいな。
これをやりたくないから私はタスクシュートから外には出ないようにしているわけです。
全タスクを極力タスクシュートに置いて、
どれも絶対同じ重さ、同じ意味、同じ効果がある。
同じ苦しさ、苦しいなら同じ楽しさなんだと。
とりあえずまずそう考える。リストですから。
そうすることによって、このタスクは大変だとか、こっちなら楽だとか、
それは全部投影ですから。
本当にそうなんだろうかって、
これはもうGood Vibesの18番になっちゃいますけれども、
必ず問う必要があると思うんですよ。
本当にこれは辛いんだろうかと。
これに気づくためにも他のところに置いちゃいけないんじゃないかなって私は思うんですね。
よくあるプロジェクトリストを別に持つとか、僕はしたくないんですよ。
全リストを同じ位置に置いて初めて、
自分がどれにどういう投影をしているかということに気づきやすくなると思うんです。
他に追い出すという段階ですでに実は投影がひどいなってことは確かなんだけど、
どうやってるのか、どういう見え方をするのが妥当なのかというのが
他との比較ができなくなるので分かりにくくなると思うんですよ。
やっぱりタスクシュート、僕の場合はですけどね、
だけに置いてあるからこそ同じように見えないとすると、
私が意味をつけていることは確実なわけですね。
そこにあるのはリストなんですから、ほぼ同じように見えてしかるべきなわけです。
ほぼ同じように取り組めてしかるべきなんですよ。
やっぱり倉野さんがよくおっしゃるように、これから苦手な年末の確定申告のためのだから重いとか、
確定申告は自分は得意だから軽いとかって、これ完全に意味付けですよね。
やってみてその時に消耗する体力やら気力やら精神力がそれほど違うとは考えられない。
心拍数がやたら上がるとすれば、
これは明らかに感情的な理由による部分がほとんど全てだと言っていいと思うんです。
僕らは非常に投影が得意だという、そういう生き物だということを忘れてはいけないと思うんですよね。
今日の話は投影同一化ではないですから、単なる投影なんで、
精神分析のことを全く知らなくても、投影のことは知ってて当然なんじゃないかって思うんですよ。
多分知ってはいると思うんですよね。
だって私たちって誰それさん、例えばアイドルの誰それに似ているからあの子が好きとかってやるじゃないですか。
あれ完全に投影でしょ。アイドルのその子じゃないことは分かってやってるわけじゃないですか。
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あるいは母親だから好きだとか、母親に似てるから好きだとか、
母親に似てるのが好きになる自分なんて嫌だからあえて好きにならないとか、
もう完全に投影ですよね。投影に振り回されている。
そういうことをタスクだけにやらないという風に考えるのはむしろ大変不自然だと思うんですよ。
どっちかというとタスクというようなものにはいかにもやりそうなことなんですよ。
だから僕はどのタスクだったら好きだとか、どういうタスクのやり方だと嫌だとか、
例えば紙に手書きをするのはダメとか、分かるんですけどね、そのお気持ちは。
だけれどもなんでそうなんだろう。そこはやっぱり投影があると僕は思うんですよね。
もっと本来だったら今の時代ならこうであるべきだみたいなそういう発想から、
効率的に物事が進む気持ちみたいなものを投影すると、
その逆になっている何かが許せなくなるみたいな。
これはもう完全にいわゆる良いおっぱい、悪いおっぱい。ほとんどそのまんまですよね。
良い手続き、悪い手続きになっちゃう。手続きは1個しかないって。
良い部分の投影をすれば当然悪い部分が見えてくる。
そうするとそれに対応する自分も嫌なお母さんが出てきた時にギャン泣きする赤ちゃんみたいになっちゃって、
ギャン泣きしちゃうわけですよ。自分の心の中で。
大したことが起きているわけでもないのに、
なんか大したことが起きているような気持ちがだんだん上がってきてしまう。
こういうことを避ければですね、タスクとか仕事というものは、
あるいは家事といったものはもっともっとスムーズに苦労なくできるようになるはずだし、
しかもですね、その都度その都度自分が何にどんな投影をしているかということが
どんどんどんどん明らかになっていくわけです。
私たちはこれをやめるってことはできないんですよ。
ミニコットが言ったようにですね、万能感は保持していかなければいけない。
人間的なものの見方というものから完全に逃れるなんてことは到底無理です。
そんなことをしたらどこがトイレだかもわからなくなってしまう。
トイレなんて街中では記号でしか表示されていないじゃないですか。
あれでどこに行けるっていうのができるっていうのが人間のすごいところなんですよ。
嗅覚とかに頼らなくても別にいいわけです。
動物だったら全然無理じゃないですか、あんなことは。
記号を頼りにどっか行くなんてとんでもないことですよね。
だから鮭とかそういう生物になってくると代わりに何か特殊な能力みたいなのを発揮するんですよ。
結局、胃と胃の関係があって、
結局胃土とか胃汁が自力で分かるみたいな、
本当か嘘か知りませんけどそういう超能力みたいなことができるようになる。
あれはまさに我々と逆なんですよね。
いわゆる投影、忌み付けというものが非常に事実上やってないからこそできることなわけです。