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2023-09-15 45:15

「意味づけている自分」を意識する【GMV846】

フェアバーンのパーソナリティ分類をゲームで考えてみました。

Summary

金曜日だな、やっと来てくれた感じだ。ヘイシャイみたいなことを言っているけどね。このエピソードでは、意味づけや投影の概念について探求されているな。人間関係における投影の影響や、良いものと悪いものの分割による心理状態について議論されているんだ。ゲームの話から現実世界への投影や意味づけ、モンスターや装備の話、ピクミンの例を通じて、良いものと悪いものの外側への投影や内側への取り込みの関係やパラノイドとヒステリーの違いについて語られているんだ。投影と取り込みの意識を持つことが重要であるな。投影によって人は外部の世界に対してパラノイドになり、取り込みによって自己を保護する傾向があるんだ。投影と取り込みを自覚することで過剰な思考や健康への意識付けから解放されるんだ。

00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
9月15日の金曜日、おー、やっと金曜日が来たって感じが。
ヘイシャイみたいなこと言ってますけどね。
7時59分、間もなく8時ですね。
あのー、たちまち暑さが戻ってきた感じで、
昨日は1日中クーラー付けっぱでしたね、寝てる間も。
なんていうのかな。
慣れるじゃないですか、体って。
だから、やたら暑い時に比べると涼しくなったなという感触を得て、
それに慣れ始めると今度は若干あると暑く感じるんだなと思いました。
あのー、なんか酷暑とか言ってるほどの温度まで来てないけど、
もうつい感じがしましたね、昨日はね。
で、えー、それとは何の関係もなく告知なんですけど、
刑牢の日の告知
6月18日、つまり刑牢の日ですね。
先日もお話しした通り月曜日、刑牢の日、祝日、16時からオンラインでですね、
丸々2時間以上にわたり打ち上げもあるというね。
あのー、たぶん残り残席は一桁だと思うんですよ。
結構あのー、お申し込みいただいていて、
えーと、たぶん埋まってしまうと思いますので、
しかもこれ動画もですね、見られますから、
えーと、気になる方はですね、
これは確かそんなお高くはなかったと思ったんで、
よろしければご参加いただければと思います。
あの、ごく普通にZoomでオンラインでやる点ではないんですよ。
ちょっとこう、あのー、趣向凝らしだと言いますか、
僕なんかじゃ趣向凝らせないんで、
人体トレーナーの方にですね、
そういう動画作成の、あのー、凝ったのを作れる方がいらっしゃって、
えーと、私じゃ無理なんで、
Jさんなんかと綿密に打ち合わせをしてですね、
作り込むというのかな、よくわかんないけど、
そういうものになると思うんで、
そういう面白さも、もしかしたらあるかもしれなくて、
えー、よろしければ、ぜひ18日ですね、タスクシュートジャーニーというね、
ちょっと名前を新たにして、
うまくいけば、うまくいってると思うんですけど、
えーと、シリーズ化していくかなと思ってもいますので、
よろしければ、ぜひJさんと私で、
こうトークしまくるといった内容です。
あのですね、これ聞いてると、
うーん、そういうもんかって思われるのかもしれませんけど、
たぶん、日常でそれを応用、応用っていうのかな、
適用しようとすると、
大変納得のいっていかれてないところが、
たくさん出てくると思うんですね。
ので、ぜひ、質問をその時ぶつけるとか、
基本的に疑わしい気持ちでね、
Jさんのファンの方はですね、
Jさんのファンだからっていうこともあると思うので、
そうそう疑わしい気持ちでは聞かれないかもしれませんけど、
それが実際にやろうとしてできるものなのかっていう観点で、
聞いていただくといいと思います。
これは別に批判的に聞かなくても、
そういう心配が起こるってことはね、
あり得ると思うんですよ、十分。
私だって倉園さんの、
倉園圭三さんのGood Vibesの話を最初に聞いたとき、
俺それできそうにないなっていう、
まずそれが来ましたからね、
別にこれは批判的に聞いてるわけじゃないわけですよ。
それが間違ってるとか、
それをやるのは良くないとか言うんではなくて、
純粋にそれできるかなって、
例えば、ごく簡単そうなことでもあってもですね、
人の悪口は決して言わないとか、
俺それできるかな、
こういうと、かなかなね、
あのひどいことばっかり喋っている人に、
感じられるかもしれませんが、
正直に考えてみると、
それそんなに簡単にできることではないだろう、
っていう感じはするわけですよ。
一つ一つは簡単ですよ。
だから一つ一ついくのがいいと思うんですけどね。
一度一度はね、
なんかこう悪口言わなければ死んでしまうとか思ったことは、
そこまで人に対して激しく怒りを覚えるってことは、
そうあることではないんですけども、
だから今ここなんですよね。
一生一度も言わないとかいう話にしてしまうと、
いきなり難しくなるじゃないですか。
その時言いたくなった時どうするかって話にすれば、
だいぶ楽になると思うんですよね。
先送りもこれが基本的には、
一つの対処法だと思うんですよね。
一生一度も先送りしないとか多分不可能なんで、
でもそういう決意をする必要はないわけですよね、別にね。
そういうことも含めて、
ちょっと疑いの眼差しをもってきていただくと、
いいんじゃないかなと思いますね。
合わせて29日、合わせてじゃないですけどね、
JAさんとやるわけじゃないから。
精神分析的心理療法の話
29日は山崎孝明さん。
精神分析的心理療法。
そう言い直しておりますのでね。
これは多分ですけど、
僕の考えですからね、正しいって話じゃないですかね。
ダムステルダムショックとの兼ね合いで、
こういうことを割とちゃんと言わなきゃいけなくなってるのかもしれないなっては思いますね。
これも私はそんなものを、
ダムステルダム行ってきてショック受けたぞとかそういうことではないので、
精神分析というのは、確か週4回以上やらなきゃいけないですよね。
カチッとした立て付けがあって。
でも普通に考えると心理療法って週1とかだと思うんですよ、せいぜい。
場合によっては各週ということもあると思うんですね。
なってくると、それは精神分析と呼んじゃいけないよっていうことを、
厳しく外国で言われたみたいな話が、
こういうことをしゃべってると誤解の下なんで、
ダムステルダムショックで検索かけていただければ、
いくらか出てくると思いますんで、調べてみてください。
興味のある方はね。
とにかく精神分析かっていう、精神分析っていうんじゃなくて、
精神分析的心理療法ということになっていたりするようです。
この幅はどこまで認められるのかとかは、僕はもうわかんないです。
別にそれわかんなくても、私の仕事に差し障りはないのでね。
精神分析的心理療法といった場合は、
じゃあそれはどこまでの半径を、
どういうたてつけのものはそれで言っていいのかっていうのは、
僕にはもうわかんないです。
その方をお招きしてやります。
これ僕絶対面白いと思ってるんで、僕だけかもしれないですけど、
僕が面白いと思うものが面白いと思う方は、
来ていただいて損はないと思います。
というか僕なら絶対、かなり無理してでも行く内容だと思いますね。
これで2500円とか、せいぜい食事付き5000円とかなら、
僕が設定した値段ですけどね。
安すぎるだろうぐらいな感じで僕は設定しています。
でもそんなのに全然興味ないよって人からすると、
実にいくらであっても行くはずはないって感じなんですけど、
僕だったら多分3万までは出してもいいかなぐらいな感じの内容ですよね。
一番好きな多分領域に入ってきてると思います。
精神分析とライフハックの兼ね合いみたいな。
もっともそういうところに行って、すごい大好きなところに行ってきたから、
その体験は常に素晴らしくなるってもんではないですよ。
水を刺すようで悪いんですけどね。
私昔、コリー・ウィルソンっていう人が大好きで、
イギリスにまで行って、彼のチームに行って、会いに行って喋ったんですよ。
それはとっても素晴らしい体験だったかというと、非常に微妙な体験でした。
はっきり言って。
難しいものなんですよね、こういうのってね。
大学の頃からその人のファンで、会いに行った時35ぐらいだったかな、4かなって行ったんですよね、
イギリスにわざわざ。
イギリスに行ったのはただそれだけが目的で行ったわけですよ。
オン・ウォールというね。
どいなかっていえばどいなかで、本当電車で乗り継いで、タクシーでお金出して、
一生懸命行ってね。
それがいい体験でしたよ、トータルで見れば。
でも行った時、間違いなくそれによって何かが得られたかっていうと、
あったっていうそれだけだった気がしますね。
それで十分とも言えるんだけれども、あったっていうだけだった気がします。
そういうもんですね。
だから、どうしてもやりたいことをしたから、
した時になんかこう残る独特の寂しさみたいなね、不思議ですよね、あれはね。
私1冊目の本出した時も不思議でした。
本出したくて当時はしょうがなかった時代があって、出したわけですよ。
ライフファックスって本だったかな。
マイナビさんから出させていただいて、
もっと嬉しくていいはずだって思いましたね、出た時。
不思議な気持ちになりました。
もっと嬉しくていいはずだっていうね、この独特の感覚ね。
難しいもんだなっていう感じがします。
分かんないんですよね。
それをどういうところを感触として得れば十分な幸せが得られるのかみたいなのが、
よく分からない体験ってある。
これすごいアホ臭い話なんで申し訳ないですけど、
僕、さつまいもが好きなんですよ。
栗が好きなんですよ。
なんとなく分かっていただけますかね、僕の食べ物の趣向というの。
あんまり僕、いいことだと思ってない。
バームクーヘンが好きなんですよ。
買ってもらえるかな。
買ってもらえないかもしれないね。
ホットケーキが好きなんですよ。
好きだったんですね。
今はこれらが何よりも好きだとは言えないけど、
ほんと子供の時はこういうのが好きだったんですよ。
自分でお菓子作って、栗とさつまいもが入ったホットケーキっていうのを作ったんですよ。
まあ難しくないですよね、作ろうと思えば。
これ食べた時もね、なんとも言えない不思議な気分になったんですよね。
僕は美味しいと思いました。
あんまり周りの評判がかんばしくなかった。
でもそれぞれを別個に食べた方が美味しいんじゃないかって思って、
なんとも言えない寂しい気持ちになったんですよね。
これと似てるんですよ。
大好きなことを実現した時の僕の経験ってのは。
なんかこう、得ようとしたものは手に入った気がしない。
得ようとしたもののそのものなんだけど、そういう感じはしない。
なんかこう、むしろテンション下がるみたいなね。
あれ何なんですかね、これはね。
そういうことがありましたね。
まあまあ、そんな感じで、9月29日、
ぜひ神田橋じゃなくてもオンラインでも参加いただけます。
で、10分経っちゃったな。
これらが告知でして、
しつこく告知させていただいてるんですけど、
これもね、エンジンなんですよ。
エンジン温めてるんですよ、これで。
告知はもちろんすごくしたいんですよ。
でも、これを喋ってないと何喋るかが決まらないんですよね。
頭の中でモヤモヤとしたものがいっぱいあるんだけど、
まあ全くない日もあるんだけど、
いずれにしてもこれをやるとね、
喋ることがまとまってくるんです。
喋ってるうちにまとまるってことなのかなと思う。
意味付けについて
関係ないんですけどね、喋ること自体。
で、今日もなんとなく今頭の中でまとまってきたんですけど、
毎日似たような話してるだけじゃんって思われるかもしれませんけれども、
毎日同じ話をしててもまとめ方は必要なんですよ。
まとめるってことはね、ある程度。
先日というか、昨日ぐらいか、
Zoeさんって方がですね、
フリンチキャストっていうタイトルだったかなって、
意味付けについてお話しされていて、
しかもそれがですね、ゲームの絡みでお話しされていて、
これはいい話だと思いまして、
私もゲームでなくてもいいんだけど、
意味付けの話をしようと。
意味付けっていうのは、
一応スパッとは分からないんですけど、
僕の中では狭い意味での意味付けと、
広い意味での意味付けがあります。
この間は繋がってるんですけど、
でもすごく広い意味付けで言うと、
私の考えではですけど、近くは全部意味付けです。
私たちは現実にダイレクトに触れ合うっていうような意味では、
昆虫にも及ばないんじゃないかなって僕はよく思います。
なぜならここにイリュージョンをいっぱい混ぜるんで、
だからよく僕が出す例は信号機なんですけど、
あれ見て人間以外のいかなる動物も見ていない、
おそらく全く現実でないものを人間は見ますね。
国旗とかでもいいですよ。
あれ見て人間以外は絶対見ないものを人は見てますね。
なんならば、例えば最近で言うと、
五星空旗って言うんですか、正確に呼び方は知りませんが、
中国の国旗を見たときの印象と、
投影の概念
今で言うのはロシアの国旗かな、三色旗ね、ロシアの国旗を見た印象と、
日の丸を見た印象と、イギリスのユニオンジャックを見た印象と、
あとカナダの国旗とか、葉っぱが真ん中にあるやつね。
どうですかね。全然違う印象を持っちゃうんじゃないですかね。
相当不思議ですよね、これはね。
明らかに現実そのものでないものをそこに相当いっぱい投影してますよね。
この投影というのが意味づけの僕は最たるもんだと思いますが、
投影を切り離して近くできるかというとできないと思いますよね。
例えば森っていうのは投影少ないと思いますけれども、
森を見たときどっちが上でどっちが下ってあるじゃないですか。
元々この自然界に上下ってもないですよ。
だから上下をそこに見るというのは意味づけですよね。
自分が頭がどっちにあるかによって多分決まってるんですよ。
だからずっと漫画にそういうキャラクターが昔いた気がするんだけど、
ずっと逆立ちして歩いてる人がいたらさぞ奇妙に見えると思うんですよね。
でもそれが奇妙だってのは、我々の何らかの基準からして奇妙なだけである。
意味づけなんですよね、完全に。
手塚治虫のブッダにそういう倒立して歩いてるよくわからない修行者がいるんですよ。
すっげえ変ですよね、あれね。すっげえ変なんですよ。
それは意味づけですね。
この投影という意味づけはすごい狭いものです。
本当に、だから添江さんがおっしゃってたゲームというのは投影の世界なんで、
完全に意味づけだけでできているような世界ですね。
一方で、つまりですね、狭い私が言っている意味づけというのは、
投影が激しく行われている意味づけの世界というのは、
要はイリュージョン満載で、全然現実的ではないということです。
デフォルメってやつですね。
今でも評判が悪くなってきている女性はやたら女性的に描かれていて、
男性はやたら男性的に描かれていると。
肩の筋肉だけで人間3人入りそうなように描くんですよね。
僕とかは全然そうじゃないじゃないですか。
だから、投影というかデフォルメというか、
そういう思いっきり意味をつけていますっていう意味づけと、
そうではない、それに意味がついていることには気づかないような、
例えば海につけている意味とか、山につけている意味とか、
自然物が多いですよね。
多分これは僕らがかなり現実的に見ている対象だと思うんですよ。
でも意味は絶対つけている。
色と意味づけ
だいたい我々の可視光線って狭いので有名じゃないですか。
ほんの狭い光のごく一部の部分をやたらと多色に色分けして、
カラフルにしているわけだけど、
ここのカラフルって意味づけなんですよ、完全に。
私、昔非常に奇妙な部屋を作り出す大学の教授がいて、
その部屋に、この話も1回かしたことあると思うんですけど、
入ったことがあるんですよ。
近くで見ると全然違う色なんだけど、
遠くで見るとごく普通の部屋に見えちゃうんですよ。
どういうことかというと、僕らは色を相対で見ているんですよ。
音楽でわかりやすいとわかりやすくないか、
異動度称法なんですよ。
絶対音感じゃないってことなんですよ。光でする。
だから赤に見えるというのは、
周りから赤的な要素を取り除いたもの、
そういう光の出方を非常に細かくやっていった部屋でですね、
白っぽいものを見ると赤に見えちゃうんですよ。
すぐ近くにいると白なんですけどね。
そういうことができるんですよ。
濃い色に近い色、いわゆる補色関係のは無理なんですよね。
赤と緑みたいなのはグラデーションじゃないのでこれは無理なんだけど、
そういうのを計算して光当てると、
全然その色じゃない色のものが全くその色に見えるんですよ。
その部屋にいるせいで相対的に色の関係って決まっているっていうのを
先生は一生懸命研究していたわけですね。
だからあの、ミがドになるんですよ。
ミファソラシってやっていくとミがドになる、聞こえるように。
普通の人の耳にはそうなるはずなんです。
絶対音感を持っている人はあくまでもミ。
うちの子がそれを言うんだけど、私にはわけわかんない世界なわけでして、
いやそれはドだろってことになってしまうわけですよ。
ドが動くわけですね、相対音だから。
色もそうなの。
ということは色って意味付けだってことですよね、完全に。
オキバー・サックスというわりと有名な脳科学者が、
極めて有名な脳科学者が、色のない島っていう、
その島は光が強すぎてモノクロでほとんどが通ってしまう。
光がものすごい強いと、ほとんど脳が白か灰色に見えてくるから、
その島の人たちは非常にあまりにも高い率で色毛の人が多いっていう研究を書いている本があります。
ああいうことですね。
これはだから、これは赤だとか言ってもダメな赤ですよ。
それは意味付けなんですよね、あくまでも。
これが意味付けということを私たちは意識せずに生きているけれども、
意味付けであることに違いはないという。
つまり現実っていうのは、
僕らが言っている現実というのは、あくまでも意味をかなりつけられた現実なわけですね。
これは哲学者が好んでやたら言ってた時代がありまして。
という話から入ると、
ゾエさんがおっしゃっていたゲームは完全に意味付けの世界なわけですけど、
ほとんど意味だけでできている世界なわけですけれども、
この世界の中でですね、やっぱり僕らが一番自分にとって何が問題になりやすいかっていうと、
人間関係への投影
人間関係に何を投影するかっていう話なんですね。
人間関係に何を投影するかによって、
僕らのその生きやすさ、生きづらさみたいなものがやっぱり生まれてくると思うんですよ。
だから、しなければ一番いいんだけど、しないってことはできないのでね。
あとはどんなふうに自分がやっているかってことだと思うんですよね。
その意味付け、投影をですね。
どういうふうに、そもそも自分は投影しがちなのかどうかっていうのも大事なんですよ。
これはすいません。
例えば今すいませんって僕言いましたけど、
それはこういう責払いに不満に思う人がいるからだろうという意味をつけたわけですね。
不満っていうのは投影そのものなんですよ。
ちょっと前の倉園さんが全人類に不満を抱いているのではないか問題をお話になってましたけど、
これは非常にやっぱり僕はですね、あれを聞いて以来考えてるんですけど、
もちろん不満というのは投影なわけです。
これがそうだって認定できて、しかもいつもそう意識できるかどうかが、
多分僕らの幸福度を決定するなと思ってるんですね、今は。
精神分析ってやってることがそれこそだし、
あなたはあれそれが不満、僕らはそう思っちゃうじゃないですか。
例えばこの新しいピクミン4はロード時間が長くて不満だみたいなね、
これは投影なんですよ。
これが外にはないんだっていうことに気づけるかどうかの勝負だなって思うんですよね。
で、外にはないってことは私たちが自分の投影しているわけだけど、
投影するというからには、うちにはあるっていう話になるじゃないですか。
ここで例のあれが出てくるわけですよ。
分割が出てくるわけですね。
良いものと悪いものに分ける。
僕らこれやらないわけにいかないんですよ。
物食べたり、トイレに行ったり、
そこにあるものは何でも食べるみたいな。
すぐに病気になってしまう。
だから良いものと悪いものに分けるっていうのは、
僕らの生きていく上での基本の態度なんですね。
で、この良いものと悪いものがどこにあるかっていうのが、
そもそもどこにあるかって言ってるだけでも投影なんですよ。
これが納得がいかないと仮にしてもですね、
だったらあなたにとって良いと悪い、
そして人間という生き物にとって良いと悪いなんだと言えば、
大体納得されるんじゃないかと思うんですよ。
例えばとっても高級な鶏肉、とても良いものです。
それがあなたにとって良いもの、とても悪いもの。
それがあなたにとって悪いもの、とても悪いもの。
例えばとっても高級な鶏肉、とても良いものです。
それは人間が食べるっていう上での話であって、
食べられる鶏にしてみれば、そうではないわけですよね。
これは良い鶏肉とかではないって、
まあ思わないでしょうけれども、
そういうことになるじゃないですか。
なっていますよね、この世の中は全体的に。
しょうがないですよね、これはね。
良いと悪いに分けるというのが大前提ですけれども、
その上で良いものをどこに置き、
悪いものをどこに置く。
これが意味付けですよね、明らかに。
フェア・バーンっていう精神分析家が言っている
お話でもあるんですけれども、
精神分析の人はみんなこの話してますが、
人ってのはこの良いものと悪いものを
どこにどう配置するかについて、
偏りがあるんですね、個々人の。
個性が出るんですよ、そこに。
だから投影が得意な人と、
取り込みって言うんですけど、
取り込みが得意な人といる。
得意というか、何かというとそれをやってる。
しかもほとんど無意識だから気づかずにやっちゃう。
大体これが病理につながりかねないので、
良くないってことになるんだけど、
仕方がないんですよね、これはね。
ゲームで考えるというのは、
なかなか良い方法なんですよ。
例えば、ピクミンがそうですけど、
ピクミンじゃなくてもそうですが、
ロールプレイングゲームって最初弱いじゃないですか。
レベル1じゃないですか。
あの頃弱くて装備が何もないので、
心理的にどういう状態になりやすいかというと、
特に難易度の高い難度の高い難しいゲームで、
自分がレベル1ですって時は、
シューティングゲームって害してそうですけど、
良いものと悪いものってさっき言いましたよね。
良いものも悪いものも外にあると感じるじゃないですか。
自分何も持ってないから。
新しいアイテムとか経験値とかは良いものですよね、
ゲームの中では。
良いと規定されてるんだから疑いの余地がない。
でも強い敵っていうのは悪いものですよね。
強い敵が害してその良いものを持ってるじゃないですか。
強い敵というのは倒せば経験値とか宝物とかくれるから、
良いものと悪いものは両方持ってるわけです。
でもそれは自分の外にいますよね。
この状態はどういう心理を生むか恐怖症なんですよね。
っていう話をフェアバーンって人がしてるんですよ。
ゲームの話はしてませんよ彼は。
確かに外に良いものも悪いものもあるっていう風に考えてる人は、
恐怖の面に駆られやすかったり、
怪奇的な行動を取りがちだったり、
ちょっとこの2つは違うんだけど、
でもそういう心理になるのは無理ないところじゃないですか。
例えばすっごく打ち気で大人しい女性がいて、男の人が怖い。
これは男に良いものも悪いものも性的な意味ですよ。
これ完全に。
あると思ってるんですよ。
つまり良いものと悪いものに分割しました。
それは打ち気であろうと女性であろうと男性であろうとみんなしますよね。
食べられるものと食べられないもの。
無意識のうちに分けてる。
そういうことは良いものと悪いものを分けます。
性的な話でも同じ。
その良いものも悪いものも両方とも自分の外に置くわけですよ。
投影しちゃうわけですね。
そうすると性的なことにおいて良いことも悪いことも全部男次第だ。
怖いんですよね、この状態はすごく。
ちょっとこの話分かりにくければ、
私がこの種のことに興味を持って以来、
急速に女性が怖くなった心理で十分だと思うんですよ。
例えば女の人と一緒に、
たまたまラッキーにカフェに行ったりするとめっちゃ怖くなるわけですよ。
コーヒーこぼしたら帰っちゃうんじゃないだろうかとか思うわけですよ。
この場合、良いものというのは女性が持ってるわけですよ。
女性といるということ自体が良いことになってしまって。
同時にこの人が怒り出すとか、全部悪いことじゃないですか。
でも私のコントロールが非常に及び固いところにあるわけですね。
良いものも悪いものも女性が持ってるから、
すっごく怖くなるわけですよ。
これはすごい好きな人に嫌われるのが怖いっていう心理で大筋説明できるんだけど、
これは要するにすっごい強いモンスターが経験値一番くれますっていう状態とほぼ変わらないと思うんですよね。
だからこれ投影なんですよ、でも。
ゲームと現実世界の投影
ゲームの世界では設定になってるけど、当然現実世界ではこれは投影ですよね。
モンスターじゃないんだから、良いとか悪いとかいうのは勝手に僕が決めてることですからね。
だからこれは投影なんです、現実世界には。
この状態が非常に強い恐怖症。
まあはっきり言ってですね、つらいですよね。
だからこれがつらくなるとカウンセリングのところに行くわけですよ。
で、全く逆っていうケースがありますよね。
というかすぐこれ逆になりますよね。
だって投影なんてどこにでもできるわけだから。
ゲームの話にしてやると分かりやすいかなと思うんで。
こうやって冒険をバンバンしますと。
ようやくスライムからなんとかドラゴンを倒せるようになりましたとなってくると、
今度は全部自分の方にやってくるわけですよ、そのプレイヤーにとって。
現にそういうことって起こりますよね。
すごい装備万端で、シューティングゲームでよくあるんでね、これね。
装備万端で何もかもを得た感じにだんだんなってくるわけですよ。
ピクミンでいうと100匹ぐらい強いピクミンが乗っかってて、装備もフル装備になってるわけですよ。
この状態になると今度は少なくとも良いものは自分の中にありますよ。
もはや。経験値とかいらないから。
外にはないわけです。中に自分に良いものはある。
でも悪いことも自分がしょい込みましたよね、これで。
最近のゲームではそうなんだ。ピクミンでは特にそうなんだけど。
1匹でもピクミンが死ぬと嫌なんですよ。
つまりピクミンの死という問題は自分の中に入ってきたわけですよ。
これシューティングゲームでほんとあるんですよね。
なんかこうちょっとでも、昔やってたグラディウスっていうゲームでは、
何だっけな、フォースフィールドか。
フォースフィールドが1回でも傷つくとすごいもうやめたくなるんですよ。
この自分の方に良いものも悪いものを全部抱え込みました。
さっきの私がデート中に女性恐怖してるのと逆でね。
全部自分次第で良いことも悪いことも決定する。そうですよね。
コントロール感がすごい強くなるわけです。
自分がうまくコントロールさえすればピクミンは死なせずに
ボスキャラ倒せるみたいになってくると。
1体でも死ぬのはすごい嫌になるわけですよ。
自分がコントロールできたはずなのにって思うから。
これ脅迫的ですよね。すっごく脅迫的になります。
ゲームって面白いことに進んで特にそういう性格も反映するんですけど
完璧主義的にやろうと思えば
ゲームって設定の世界なんでいくらでも完璧にできるんで
めっちゃ脅迫的になるんですよ。
ちょっとでもあれで言うとね
緑のゲージデート赤が1ミリになるともうやだみたいな
すぐ回復しに行く。これすっごい脅迫的じゃないですか。
まるで何かにつけて手を洗ってる人そっくりの態度になってますよね。
これはでも僕ロールプレイングゲーム
人のを見てても自分でやってても
必ず起きる非常に面白い現象だなと思ってたんですよ。
オブセッション的になってくるんです。
OCD。すっごい何かに取り憑かれたような
いわゆるこの番組でもドイさんが言った
気が済まなくなるんです。
市民が一体でも死んだら
時間巻き戻さないと気が済まないって感じになるんですよ。
別にゲームの進行上何の意味もない行為なんですよ。
ただ時間かけてるだけになるんだけど
そうなるんですよね。面白いことに。
これが脅迫的。つまり
脅迫的な態度と恐怖症の態度は真逆だってことですね。
良いものも悪いものも外に。
これフェアバーンの考え方ね。
良いものも悪いものも外にありますっていうのと
良いものも悪いものも内にありますっていう
どっちも投影ですよ現実ではね。
ゲームでは設定だろうけど
良いものの外への投影と悪いものの内への取り込み
現実では当然投影です。
良いものも悪いものも外にあったと。
その女性と結婚したと。
たちまちその人は脅迫的になりかねないわけですよ。
良いものも悪いものも内に入っていると。
だから非常にシンプルに言うとですけどね
女性が外に出るのが気に入らないとかになるわけです。
すっごく脅迫的ですよね。
ただそれは猜疑心みたいなものになってくるんで
ここからですね新しい展開が
良いものと悪いものは分かれているから
外に置くことができたら
当然内に置くこともできて
どっちも外、どっちも内である必要はないわけですよ。
どっちかが外、どっちかが内っていうことができるわけですね。
で、良いものが内に入ってきましたと。
外は危険がいっぱいだということになると
非常に今度はパラノイド的になって
猜疑心が強くなるわけです。
これは当然ですよね。
だって良いものは内にあるんです。
悪いものは外にいっぱいですってことになってくると
例えば奥さんが外に出たら
悪い男に連れて行かれるんじゃないかとか
騙されるんじゃないかとか考え始めると
めちゃくちゃ疑い深い人が発生するじゃないですか、そこに。
これがパラノイドですよね。
こうフェアバーンは考えたわけですね。
基本的には良いものは内にあり
悪いものが外にあれば
例えば外から狙われるかもしれないじゃないですか。
家に大金がいっぱいあるようなもんで
周りはギャングだらけみたいな世界ですよ。
この世界も大変嫌です。
この世界が単純に想像するならば
一番嫌かもしれないですね。
ピクミンに夜の探索ってあるんですよ。
通常ピクミンはモンスターに相当する原生生物ってやつは
襲っては来ないんですけど、見つかったりしない限り。
夜だけ襲ってくるんですよね。
光を求めてってやつ。
光に向かって襲いかかってくるわけですよ、みんなが。
あの世界が猜疑心、パラノイドの世界ですよね。
悪いやつらは、原生生物悪くないんだけど
地球の生物なんですけどね、原生生物が
暴走して、凶暴化して、襲ってくるわけですね。
悪いのは外にあって、光といういいものは自分の中にあるんですよ。
この態度の人っていうのはですね、
意外と人と打ち解けやすくて、
松木さんっていう精神分析の方が書いてる本によると
打ち解けやすくて親しみ深くて、いい人なんだけど
突然すっごい怒り出したり、凶暴化するんですよ、それこそ。
だってそれは周りが悪いと思ってるんだから、当然ですよ。
こういう人はすごく投影も激しいわけです。
ゲームでは設定だから、悪いものは悪いんだけど
現実世界は設定じゃないんだから。
世の中の人がみんな悪いっていう、さっき言った
世の中には悪い男がいっぱいいるっていう、これ意味付けですよね、完全に。
現実世界での出来事としては、これは意味付けなわけです。
ひたすら投影投影投影をして、悪悪悪みたいになってるために
こういう人は日常では穏やかなんだけど
不意に怒り出したり、お前とはもう一生
口は聞かんみたいなことになったりするわけですね。
投影があるからには取り入れもあるんで
この種の人の世界から見ると、世の中には意味付けとは
投影だけを意味するのかもしれないんだけど
逆転も本当はあるわけですね。
投影っていうのはだいたい悪いことを投影することがとても多いわけですよ。
いいものも投影するんだけど、やっぱり悪いことを投影するっていうのは多いわけですよね。
やっと手に入れた大事な女の人なんだから
外にはいっさい出さないようにしようみたいな。
これはスタッフリンがこういう態度だったみたいなんですけど
すっごくこう、ある意味難しいタイプってやつです。
悪気はこれでないんですよ。
悪いじゃないんだけど、すごいややこしい感じなんですよ。
自分の中にいいものが全部あるから
外もやつらがどうしても信用ならんってなりやすいわけですね。
これがパラノイド的とフェアバーンの位置付けですね。
ちょうどこれの正反対、ひっくり返して
自分の中に悪いものがあって、外にいいものがいっぱいだと。
これがヒステリー。
最近では用語としてダメだってことになってるヒステリーは
ここに位置付けられています。
パラノイドとヒステリーの違い
この感覚が実は僕の感覚に比較的近かったんですよ。
子供の頃とか幼少、思春期の頃は特にこれが強くて困ったわけですよ。
非常に困りますよね。
自分はどうもダメらしいみたい。
体の調子もよろしくない。
周りの人たちはいいよなーみたいな。
この嫉妬が生まれやすいんですよ、ヒステリーはやっぱりね。
いろんな意味でですね。
とにかく外にあるものがいいんで
なんつーのかなー
積極的に取り込んでいくんだけど
安易に取り込みすぎてしまうというか
投影の逆を起こすんですよね。
いいものは外の人に触れてればいいんだから
僕はそういう風にはいろんな意味でならなかったんだけど
アイドルと一緒にいると幸せになれる系ですね。
これは投影の全く逆なんですよね。
ある種、それも投影じゃんと言えば
そういう言い方もできなくはないかもしれないんですけど
やっぱり投影というよりは取り込みといった方が
僕は吸い込んでるって感じを持つんですけれども
分かりやすい感じがするんですよ。
自分の影響を受けて良くする。
これね、僕の場合はなんですけど
健康食品とかに思いっきり出たんですよね。
これはものすごい分かりやすいじゃないですか。
取り込みっていう感じもまさにするじゃないですか。
この良い食事を取り込んでいけば
悪い体が治っていくみたいなね。
真理なんですよ、これは。
もちろん良い食事という投影じゃないですかって言われればそうなんだけど
そういう風に言うよりは
良いものと悪いものを分けましたと。
悪い体と良い食事という風に分けまして
良い食事をどんどん取り込んでいくと健康になれるみたいな。
しかもここにプラシーボ効果がかかるんで
本当に良くなるわけですよ、結構。
うちの母もこれが非常に多くてですね
昔は新聞って、うちなんかひどいことに2紙取ってて
しかも朝言うと夕刊も取ってたから
夕刊ってほとんどその情報しかないですよ。
これは体に良い、これは長寿になるみたいなね。
そういうのをバンバン入手してきて
なんかこうサプリメントとか
よくわかんない美味しくもないちこりみたいなもの
ばっかり食べる羽目になった時代が結構ありましたね。
私病弱だったから学校の対象になっちゃうわけですよ。
で、うちの母なんかその鼻炎とかひどかったんですけど
そんなものを飲んだって良くはならないんですけどね。
飲むんですよね。そうするとは良くなったみたいなことを言うんですよ。
まさにあれは取り込み統一かっていうのと
すっごく原始的な形態で
真理なんですね、あれは完全に。
これがヒステリーというふうにペア版を位置づけたんですよ。
で、こういうことって私は全部
どういう人にも必ずやってると思います。
むしろこの4つをまんべんなくやってる人は
すごい偏向的だと思います。
どれか1個になっちゃうケースがあるわけですね。
その人は人生はもう脅迫でいくんだみたいな
そうは思ってないんだけど
投影と脅迫でいくんだみたいになってしまうんですよね。
投影とパラノイドでいくんだみたいな。
どうしてもですね、やっぱり悪いものが自分にあるという風に感じている人は
まず外にそれを排出したくなるんです。
だから私のようなヒステリーは当然外にそれを排出する。
つまり何が起きるかというと
自分の体は悪いと。
そして嫌いな人には不満を持つわけですよ。
自分の悪い部分をどんどんその人に見て投影する。
そして良い人と良い人からどんどんどんどん取り込むと。
だから人をすごく分担する考え方がヒステリーでは濃厚に出ます。
まあ嫌な言い方になりますが、やや差別的になるということですね。
これが逆の場合。
つまり良いものは自分だと。
悪いものはみんな外なんだというのはある意味差別的かもしれないんだけれども
分担というよりは孤立を選ぶんですよね。
この辺にちょっと違いが出るんですよ。
ヒステリーの人っていうのは人好きはいいんですよ結構。
良い友達ばっかり作って良い友達とだけ遊んでるみたいな
そういうことをやたらとしたがる子供っているんだけど
そういう傾向があるんですよ。
取り込みが強いんで
投影もするんだけど
投影と取り込み
投影より取り込み優先なんですよ。
だから割と人と仲良くできるわけですよ。
だけどパラノイドな人というのはこの逆になっちゃうので
悪気があるとか性格が悪いとかじゃないんですよ。
そう言われることが多いかもしれないけど
そういうことではないんですよ。
心理的な機能なんで
取り込みが優先になるか投影が優先になるかというのは機能なんで
どうしてもパラノイドな人は
圧倒的に投影優先になるわけですね。
悪いものは全部外に置いてるわけですから
それがそもそも投影ですから
悪人ばっかりだぜみたいなそういうことに
どうしても男のイメージがあるけど
こういうのはですね
僕は女性に意外とよく見られる審議なんだよな
というのはいつも思うところはあります。
とにかく家の中に閉じこもって
いつも何かこう
お外は危険がいっぱいですっていう
そういう世界に生きていらっしゃると。
だから外に出るのが辛いわけですね。
現代社会は良いことではないかもしれないけど
こういう人にとってやや都合の良いことに
外は危険がいっぱいだからネットで買い物しましょう
みたいになることはできる。
ただそのネットというものもそうなんだけど
の仕組みについて明るくないと
ネットそれ自体が外になっちゃう。
そうするとネットでどんどん人は騙されて
どんどんクレジットカード情報とかが
盗まれていくってことになって
ネット会社が遮断しようみたいになるので
外か内かっていうのは完全に陶芸の世界なので
だってそれ外だ内だっていうのって
定義がないじゃないですか。
ネットが外なのかネットが内なのかは
その人の捉え方で大きく変わるわけですよね。
だからゲームと違って設定ではない。
設定であれば主人公は絶対自分だし
モンスターは絶対外ですってことに
簡単になるけれども
現実はそうはなりませんよね。
物を食べたらその食べた物は
自分だったのか相手だったのかみたいな
実はグラデーションなわけじゃないですか。
時代の境界線などというものは
家だってそうでここまでが家ですって
よく法律で問題になるのはそのせいですよ。
実際には分けられてないものを
語彙に分けているわけだから
そういうことが起きてしまうわけですね。
そういうことをつらつらと考えてみてですね。
どうすりゃいいんだよっていうと
一番いいのはいいものと悪いものを
無闇に分けないということなんだけど
投影してたらそれを自覚するってことですね。
投影してるので我々は必ず
取り込みも同じで
取り込んでたら私たちは
それを自覚するのがいいと思うんですよ。
だって自分がやってるんだから間違いなく
自覚して悪いことはないじゃないですか。
自覚がつらいとかね。
本当はそういうふうに思う必要はないと思うんですよ。
これは私たちのおそらく心と脳に
デフォルトで備わっている機能であって
これできないでは
人間生活は営めませんので
自覚による解放
やりますよ。
やっているということに
自覚を持てばですね
世の中に悪人ばかりいるわけではなく
世の中に私が
世の中の人にいちいち分け合って
原生生物的なものを
張っていってる。
ある意味は
これは別にやっていけないわけでも
なんでもないから構わないし
問題はないと思うんですけど
例えば推しの人が
一緒にいると幸せになれるというのは
本当はそういうわけじゃなくて
その人が
いいという投影をした上で
そこからのその人の特性というものを
全部自分が吸い込もうとしている
という自覚を持てばですね
多分その方が
過剰になりにくく
過剰になりたいのかもしれないからね
いいのかもしれないんですけども
少なくともさっきの
例えば
健康食品みたいなやつも
つまり自分に悪い
悪い自分の体を
悪いっていう投影をして
新聞がなんかが
指示して投影させている
なんとかの
青汁みたいなものに
いいものがあるっていう
その考え方は
自分がそういう風に
意味をつけてるに過ぎないんだという風に
考えられればですね
取り込んで健康になるのは
プラシボ効果もあって
なるっていいのかもしれないんですけど
それをしなくても
健康になりますということが
わかるっていうメリットも
小さくないとは思いますね
45:15

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