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2023-03-30 53:06

【761】グッドバイブス編 私が妄想をやめられたワケ

現実は妄想よりずっといい、と信じるにはそもそも妄想をやめて見なくてはならない
00:04
おはようございます。
グッドモーニング・ボイスです。
3月30日の木曜日ですね。
木曜日の7時55分です。
やっとグッドモーニング感が戻る時間でよかった。
つまりこの時間帯に人を送ったり、病院につき添ったり、買い物行く準備に追い立てられていると、これをやっている余裕はないということになって、
そうすると出かけて帰ってきて、夕方の時間にこれをやるという流れになっているわけですね。
私、タスクシュートをやっているんだけど、別に書いてある通りに実行するという気はないんですよ。
書いているものを実行する気はありますけど。
あと、書いている時間帯とかにも興味はほとんどないので、
このモーニング言ってるやつはモーニングにやった方がいいぐらいに思ってるんですけど、それぐらいにしか思っていないんで。
あれなんですよ。あんなに時間が昨日のだったか一昨日のだったか、夕方17時とかまでずれ込んだとしても、守ってる方なんですよ、要するに。
そういっても朝食とかはおおむね午前中には食べているし、夕食はだいたい夜に食べているんですけどね。
朝食を夕方に食べ、夕食は真夜中に食べているとかいうわけではないんだけど、
あとお風呂もだいたい6時以降に入っている。だから人との行動の兼ね合いなんですよね。
すみません、多分なんかこう、戸を閉める音とかが今するかもわからないんですけど、これちょっと、戸を閉め忘れた。
で、あの、今日はグッドバイブス編というのをお送りしようと思っております。
このグッドモーニングボイスはですね、最初私もしかすると今日グッドモーニングバイブスって言っちゃったかもしれないですけど、
それはこれを意識していてのことだと、フロイトの言い間違いぐらいに思っておいてくれればありがたいんですが、
グッドモーニングバイブスだった時代がこれもあるわけですよね。ご存知の方も多いと思うんですけど。
で、このグッドモーニングバイブスは、グッドバイブスを僕の実践しているチャレンジのリポートを朝に私するという体で始めたものです。
で、それ長く続いたんですけれども、だんだん同じ話の繰り返しになってきた頃に、ちょうどクラゾンさんにですね、
03:00
そこまでグッドバイブスにこだわらない方がいいんじゃないですかねっておっしゃっていただいたので、
グッドモーニングボイスに改名して、そこからちょっと迷走していろんな話をしているうちに、
名前を変えてみたりして、でもしっくり来ないで戻してみたりしているところで今なわけですね。
で、ずっとグッドバイブスの話はしていたつもりなんですけれども、
最近、100チャレ編というのをグッドモーニングボイスに加えましたよね。
これはJ松崎さんとやっているタスクシュートを実践者のための100日チャレンジというものから始めたシリーズで、
今もう3期でだいぶ形も変わってきておりますが、
その中で考えついたことなんですね。
これを後ほどもう1回言いますが、
100日チャレンジに参加されている方と私コメントをつけていて、
長文と長文のやりとりになっていくことがあるんですね。
テキストでコメントを出して、そしてこちらが伝えたいことを全部お伝えするというのは、
なかなか難しいことなんだなというのを、ああしたことをやっていると分かってきてですね、
口頭で伝えたほうがいいというのとですね、
その方向けのコメントだと、どうしてもやっぱりその方向けの特殊事例というものに特化するので、
それがいいんだけど、もっと一般的にこの話もできるなと思った時なんかに、
ポッドキャストっていいんだよな、こういう時と。
で、考えついたのが100チャレ編なんですね。
週に1回程度、100チャレご参加者のために、
こちらのほうから配信させていただくというのが、
ポッドキャストのこのGood Morning Voiceの100チャレ編。
で、これのGood Vibes編を、
Good Vibes編というのは私の元やってたのと同じになっちゃうんだけど、
要するにGood Vibesを実践、私がしているリアルレポートというものをお届けすると。
もともとこうだったわけなので、
このテーマに意識して絞ったものを1つ用意してもいいはずだと思い直して、
今日そのネタもですね、ネタっていうことはもともとないんだけど、
ネタ切れという問題もしばらく離れていたから、
無くなってきたんじゃないかなと。
あともうすぐ新年度ということで、年度があるから、
これも言い訳的な何かなんですけど、
言い訳ってわけじゃないんですけどね。
理由付けなんだけど、それもいいだろうと。
というわけで、100チャレ編、Good Vibes編、
あと本当はですね、スリーカート編というのはなきゃいけないんですけど、
これがちょっと滞っておりまして、
ここどうしようかなというふうに考え中であります。
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これがなかなかスイスイいかないんですよね、スリーカード編が。
スリーカードは書くつもりも喋るつもりもあるんですよ。
これがまた難しいところなんだけど、あるんだけど、
他のものに押し出されている格好なんですよね、今は。
擬似感に戻るというのが定期的に、実は来週また戻るんですが、
これがですね、なければスリーカードは書けていたはずだという、
これも大きな間違いなんですが、
でもこれは全く無関係ではないはずなんで、
膨大にやっぱり投入してますからね、時間、エネルギー等。
これはしょうがないというか、しょうがないんですよね、これはね。
必須事項だと思うんで。
ここにやりたいとかやりたくないとかは関係ないはずだっていうのを、
僕はタスクシュートで伝わるはずだと思ってるんだけど、
そうはならないっていうのもね、100チャレ編では伝えているわけですね。
まあいいや。
というわけで、グッドバイブス編をお送りするにあたってですね、
これはCMでもあるんですよ。
これはCMでもあるんですよ。
これ100チャレ編もそういうつもりなんだけど、
あれはCMなんですかとかそうじゃないんですかとかコメントをいただくんですけど、
CMの一環ですよ、やっぱり。
100チャレに参加してくださいねっていう意味はありますし、
このグッドバイブス編もお送りするにあって、
特に私はクラゾンさんと共同運営させていただいている書き上げ塾のCMは定期的にしているつもりですし、
グッドバイブスファクトリーというフェイスブックグループをベースにしたコミュニティなんですよ。
オンラインコミュニティなんですが、
これのご参加料は初月無料だったと思います。
しかも2000円月々。
格安だと僕は思うんで、CMでもあるわけですよ。
だからなんかこうですね、
CMだと言わなければCMをしてはいけないとかいう話ありますが、
僕は別に企業から委託されてるわけでやってるわけじゃないんで、
これは私のサービスなんでCMは兼ねるんですよ。
こういうところではですね。
それがおかしいっていうことになってしまうと、
私がこのブログとかノートとか無料で配信できるものは、
全部趣味の領域のみになってしまうじゃないですか。
野球の話ばっかになってしまうんですよ。
もうグッドモーニングプロ野球くらいにした方が、
でも僕の場合プロ野球全般の話は絶対しないと思うんで、
大リーグと千葉ロッテみたいになっちゃうんですけど、
それもいいかもしれないんだけれども、
多分それだったら週に4回も配信しないんでね。
分かんないな。
リーグ始まるとするかもしれませんけどね、やり出せば。
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そこまでする気はないんですよ。
野球とか趣味とかであれば。
だからこれは仕事の一環だからやっているという面はあります。
コメントいただくというのは大変ありがたいことで、
100チャレンジやるようになってからコメントいただいてるんですよ、定期的に。
だからあれ続くんですよ、やっぱり。
リスナーさんがいらっしゃらないと続かないんですよね。
だからリスナーさんがいるという意識を持つということと、
それはおおむね仕事と関係があるからリスナーさんがいらっしゃるんだということと、
私の方としてはCMを打つと告知でありますが、
CMを入れるというのは全部同じことだと思うので、
今後もこのスタイルになっていくとは思います、もちろん。
グッドファイブスのCMでもありますし、
私がグッドファイブスを実践しているレポートであるというのもそのまんまです。
ある意味では、私は体験談のレポートというのはCMとしてはいいと思うんですけど、
もっと上手い人ならですね、多分もっと違ったやり方を取るんですよ。
私はこのいわゆるCMというものが上手だとは思っていなくて、
だから体験レポートぐらいしかできていないんだろうなとは思っているんですよ。
グッドファイブスの体験レポというか、
それはこの番組でずっとやってきたこととほとんど重なるんですけど、
まずですね、何が良かったのかということがあると思います。
これは僕の推測なんですけどね、
これについて説明するとなったら、やはりグッドファイブスって本当に良いの?
みたいなことに聞かれることとしてはそういう内容なんじゃないかなと推測して、
それで答えるんですよね。
ここがだから具体的にどこが聞きたいという質問をいただいた場合に比べるとですね、
質問事項も僕が作り出すから難しい部分なんだろうなとは思うんですが、
どこが良かったのかという話をやっぱりするしかないだろうなと思うんですね。
どこが良かったのかというと、これが多岐に渡るんですよ。
実は僕の生活全域に、仕事も含めてですね、
全域に渡ってしまっているから説明がしにくいんだなとは思うんですよね。
これがもし実にシンプルなところで、
これによって収入が増えましたとか言うんだったら、
つまりお金の面だけに絞って話せるんだったら、
多分よっぽど簡単なんだと思うんだけれども、
そうではないので、結局生活全域に渡ってしまっているので説明がしにくいと。
で、一つ一つ説明していくより他ないなと思ったんですね。
一つ一つは地味に見えると思うんですよ。
例え月額ファクトリーコミュニティが2000円だとしても、
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それだけなのって言われるとそうなってしまうんですけど、
この時に渡っているというのがほぼ全域に渡っているという風に考えると、
僕は格安だという風に言えると思ったんですね。
みんなが僕と同じ効果を得られるとは言えないんだけれども、
おおよそ、これはもう信じてもらうしかない的な話なんだけど、
おおよそどんな人でも近い効果は得られるはずだと。
僕はそこはどっちかというとロジカルに考えるよりほか仕方ないかなと思っているので、
そういう時にいろいろな心理学だの、精神分析だの、
時々ライフハックだののロジックを無理矢理持ち出しているんですよね。
つまり抽象度を上げるとそういうことになるしかないかなとは思うんですよ。
例えばなんですが、生活全域にというのを今思いつくままに上げていくと、
悪夢を見なくなったというのがまずありますね。
で、悪夢を見なくなっただけだったら多分物足りないと思うんですよ。
悪夢を見なくなったというのが、睡眠全域にかかっている効果なんですよ。
こういう風に生活全域にかかっていくんですよ。
悪夢を見なくなったという風なのが抜群に良くなった。
これだけ取り出すと、よほど身につまされていない人からするとつまらん効果かもしれないんだけど、
これがやっぱり私のように家で仕事をしている人間にとっては、
仕事と生活のかなりの部分にかかってくるじゃないですか。
これで睡眠時間と起きている時間の大半に大きな影響を及ぼすんですね。
で、アトピーが良くなる。
でも、アトピーを治すためにこれをやるって話になるとおかしな話になっていくんですが、
良くなったというのは確かなんですね。
良くなったというだけでも、良くするために今まで多大な苦労をしていたものがほとんどなくなるんですよ。
例えば私はつい最近そこはもうそれなりに良くなっては来ていたので、
高校時代とかほどは苦労していないんですよ、アトピーって。
高校時代にしていたので一番きつかったのは手足縛って寝てたんですよ、寝る時に。
なぜかというと手で書いちゃうから。足でも書くんですよ。
そうすると血だらけになっていくんで結構嫌なんですよ、起きた時って。
それに対する対策として手足縛って寝てた時期が2年ぐらいあったんだと思うんですけどね。
あれはきついんですよ、手足縛って寝てたら。
手足縛って寝てたら今はあんな寝方をしたら首が動かなくなるだろうなって思うんですよね。
手足ってかなり動かしてるんですよ、寝てる間。
それぐらいのことをしなきゃなんなかったことが自分の人生から一個消えるんですよね。
こういう効果なんですよ。悪夢が消えるというのとアトピーが消えるというのは僕の中ではリンクしていて、
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それぞれ別個に語るのは本当はおかしな話なんですが、
こうやって説明するときは別々に説明していくとこういうことになるんですよ。
他に、編集さんからのメールが全く怖くなくなった。
これも非常に大きいんですよ。
今は本書いてないから直接関係ないようなんだけど、
とにかく本が収入の整形を立てていた時期には編集さんからのメールが全く怖くないというのはですね、
全く怖くないっていうか、そもそも怖いという自覚を僕は持ってなかったんだけど、
怖がっていた時期にはどうしても編集さんに対して身構えてしまうんですよね。
反撃モードでいるんですよ、意識の上では。
編集さんというのは僕に対していろんなジャブを打ってくる、そういう感じがあって、
これは完全にデタラメではないんですけどね、でも打ってないんですよ、ジャブは別に。
リアルに殴られたことはないわけですからね。
で、身構えてしまう。
ファイティングポーズを無駄に取るわけですよ、弱いのに。
こういうことをしなくて済むようになったってことですよね。
これで生活と仕事の相互等の部分を覆うんですよね。
私からするとですね、あとはパートナーの橋哲夫さんとの関係で、
ほとんどなかったんだけど、彼はすごいその辺、
細かく丁寧にケアするのが得意な人なんで、
なかったんだけど、周りはありますよね、
十何年も一緒に仕事をしていればトラブルみたいなこと。
それに対する構えも同じような意味で無くなったんです。
これも非常にデカいんですよね、僕からすると。
これは寸背中が抜群に良くなるのとよく似ています。
だから余計な心配をしなくて済むようになるってことなんですよ。
そうすると余計な手立てを講じるための時間を割くとか、
そういうことをしなくなったんですよ。
多分これは僕が思うにやっぱり良いことなんですよね。
悪いことは何もなかったような気がする。
こういうふうにしていって、他にもあるんですよ。
細かいことを挙げていけばいくらでも。
こういうことをしていって、
私が今やっている個別セッションみたいな仕事でもですね、
1対1で人とお話しして、何か必要なお話をする。
タスクシュートに関するアドバイスみたいなのも当然含むんですけど、
なんかやっぱりですね、今までは、以前はですね、
ひどく緊張してああいうものに挑んでいた。
そういうつもりはなかったんだけど、
今思うと緊張してたんですよね、非常に。
緊張していると面白いことに、
人の話が非常に耳に入ってきにくくなるんです。
やっぱり身構えているんで、
何かまずいことがあったらこういうふうに対応しようっていうのを
頭で組み立てて、組み立てながら話を聞くんで、
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この組み立てって相手の話とは関係ないことなんですよ。
何か何かが、何か良くないやり取りになってきたら
こういうふうに喋ろうっていうシミュレーションって、
その時話していることと関係ないじゃないですか。
だから話に身が入っていないときがしばしば生じてですね、
今よりずっとそういうことが多かったんですね。
そうすると話しているときは、
それなりにでも面白く話しているからわからないんだけど、
終わった後すごい疲れるんですよ、どっと疲れる。
で、その、例えばですけど、
どっと疲れたときに下の階に降りると
奥さん怒ってるみたいなことが起きると、
一気に僕の中のですね、
なんていうんですかね、ボルテージが過剰に上がってですね、
タスクシュートにいっぱいタスクを追加してしまうわけですよ。
例えばセッションの後は疲れるから、
1階にすぐには降りずに、上の階で漫画を読んで、
少しリラックスしてから降りて、奥さんの様子を伺うとか、
そういうことをやりだすわけですよ。
しかも僕はそれをタスクに書くんですよ。
こういうことから解放されるのが効果なんですよ、
Good Vibesの私にとってのね。
これがですね、1個1個は小規模極まりなく聞こえると思うんですけど、
全域を追っていくんですよ、こうやって。
このままさっきお話ししたギジッカの件も、
こういうのの延長線で、
もう少しこれが心腹が大きく揺れるし、
実家にも同じようなことがありますよね。
そういうのが全部消えていってくれるという効果なんですよ。
非常に大きいんですよね。
ギジッカで言えば例えば霊化の世界、
今も全然そうではないんだけど、
今年そもそも暖冬で割と暖かかったんですけど、
それでもマイナス13度部屋がですよ、なるんで、
調子崩すっていうのがやっぱりあるじゃないですか。
で、調子崩しても崩さなくてもいいんだけどっていうか、
調子崩すっていうことに対する気構えができちゃうんですよ。
グッドバイブスというものを私がやってなかった頃にやらせた。
そうするとそもそもですね、
いろんな準備をしていくっていうだけでも負担になるけど、
そもそも行かずに済ませる手立てを考えるってことをやりだすんですよ。
行かずに済ませる手立てっていうのはですね、
やろうと思えばいくらでもやれるんですよね。
例えばこうギジッカにちょうど帰る頃に上手いこと、
それこそクラゾンさんとの掻き上げ塾の何とかみたいなのを
強引に投入する。
これをやるだけでクラゾンさんとのやりとりも増えるじゃないですか。
時間調整も増えるじゃないですか。
そして明らかに奥さんとの関係は気まずくなるわけですよ。
一段と。
でも僕はそこを強引にやった方が自分の身のためには安全だと
なぜか思えてたんですよ。
今はそういうことを一切せずに済むので、
だから何にも起きてない感じになるわけですよ。
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ギジッカで不幸があったから行ってくれるって言ったら
はいはい行きますっていうことをただ言う。
これだとただのやりとりじゃないですか。
ここを巡ったワイブス効果の見えにくいところだなと私は思うんですね。
一見したところ何にも起こらないことになるんだけど、
それまでの私の行動を考えてみると、
その時非常なまでにいろんなことを引き起こしていた自分がいなくなったから
何にも起こらないだけなんですよ。
このビフォーアフターの解説が難しいなっていうか、
難しくはない話なんだけど、
気づかれにくいし一本強いのと気づきにくくすらあるっていうことはあります。
ある気がする。
とにかくこういう効果なんですね。
今まで今日まで話してきた中でもですね、
一番グッドワイブスで僕が変わったと思うのはやっぱり今のような話で、
これは何?今までの文脈で言うとですね、
万能空想をやめるようになったってことです。
これも誤解を招くと思うんだけど、誤解を招きかねないんで断っておきますが、
万能空想はいけないってわけじゃないんです。
私はしない方がいいだろうなと、どんな人でもしない方がいいだろうなと思うんだけど、
しなくはならないと思うんですよ、人間は。
そして全ての人からこれをやめさせるなどというのは不可能です。
夢物語もいいところで。
ただ、自分に関してはこれをやめた方が明らかに良くて、
やめて抜群に自体が改善されたんだけど、
何をしたかというとやめたので、
しかも空想をやめたときてるんで、他の人からはわかんないわけですね。
だって私はこの万能空想というものをやりまくって生きてきたわけですね。
2016年以前、明らかに倉田野さんのグッドバイブスを知る以前は、
万能空想が私の人生であったぐらいな勢いだったんですよ。
でもそれは空想だし、
しかも私は万能空想というのは良いことではないと当時も思ってたんで、
かなり恥ずかしいことだな、これはと思ってたから、
やってるのを人にバレないように心がけていたので、
バレることがあったにせよ、明示してるわけじゃないじゃないですか。
僕が脳内で考えていることがダダ漏れになって、
脳内で喋っているとその声が他の人にも聞こえるとか、
そこに行くと妄想なんだけど、そういうことはないわけですから、
わからないはずなんですよね。
僕が万能空想を24時間中16時間ぐらいやってたとしても、
わかんないわけですよ。
でも16時間は言い過ぎかもしれませんが、
10時間ぐらいやってたと思うんですよ。
これは言うならば、
24時間の半分近くは妄想分裂ポジションで生きてるってことですから、
すっごいヤバいと言えばヤバいんですよ。
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でもここも誤解をしてほしくないんですけど、
妄想分裂ポジションで生きてちゃダメだってことではないですからね。
どうしてもそういう風に聞こえかねないから、
ここはちょっと気をつけたいんですが、
妄想分裂ポジションと欲打つポジションでは、
欲打つポジションの獲得が成長には欠かせませんとは言うけど、
欲打つポジションにステップアップするべきなんですと言わないのが、
対象関係論の大事なポイントですから、
私からするとそれが自我心理学よりも、
この言い方はやめよう。
自我心理学的ではない。
なのでね、ここは大事なポイントだと思ってます。
どっちが上ってことはない。
ただ、妄想分裂ポジション一変等になるのは、
不幸を招きやすいというふうには考えてます。
多分、精神分析でも対象関係論でも。
で、これをどうやってやめればいいんだろうって話に害してなるんですよ。
どうやってやめるっていうのが、
ライフハックみたいになるとおかしいんですけど、
例えば万能空想をどうやってやめればいいんですかとは、
僕も聞かれるんですよ。
これは空想をどうしてやめればいいんでしょうって話なんですが、
やめればやむんですよ、空想なんでね。
もちろん、そういうためのメンタルのワークとか、
そういう方法論はいろいろと開発されてもいます。
マインドフルネスだって結局はそういうことだし、
瞑想だってそういう面はありますが、
どっちにしてもやめるってことなんですよ。
やめるための装置を使うとかになってくると、
もう全然話としては僕は違う感じがやっぱりするんですよ。
やめるというのは、ただやめるんですよね。
やめるメリットが信じられさえすれば、やむんですね、これは。
で、やめるメリットを提供してくれたのが、
つまりグラゾノさんだったと。
そういう流れなんです、この話はね。
グッドファイブスでしたよっていうことなんですよ。
で、やめるメリットって何かというとですね、
これをやめる。
万能空想よりも現実には良いことがありますってことなんです。
で、やっぱりどうすればそういう現実に住めるんでしょう?
っていう問いになっちゃいがちなんですけれども、
それは非常にこう話が違うんですよね。
万能空想は空想なんで、
その空想をしている間は、
万能空想のない現実というものを生きてないから、
比較できてないんですよ。
万能空想をやっている人にしてみればですね、
万能空想はこんなに素晴らしいのに、
万能空想がこんなに素晴らしい分、
現実がダメになってるんですけど、
その人の頭の中ではね。
私の頭の中ではまさにそうなってたわけです。
万能空想が素晴らしいというのと、
空想上の私にとってはリアルだと思っている現実が悲惨だというのはセットなんです。
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必ずそうなってるんですよ。
万能空想というのは部分対象です。
もうこの話は散々してきていますし、
今日はグッドバイブス編だから、
この言葉を減らそうという意識はあるんだけど、減ってないんだけど、
部分対象だということはですね、
現実じゃないってことなんですよ。
現実というものは部分に分かれてませんから、
部分に分けているということは、
そこは現実ではないってことなんですよ。
お母さんからおっぱいだけ切り取ったら、
もはやそれはお母さんではないわけですよ。
いうならば部分対象は素晴らしく、
万能空想は素晴らしくて、
現実はひどいものだというのはですね、
お母さんのおっぱいがあんなに素晴らしいのに、
お母さんは嫌な人だっていう話をしているのと何にも変わらないんですよね。
つまり私はお母さんよりお母さんのおっぱいが大好きな、
だからお母さんはいらないのっていうのが、
一番極端な形での妄想分裂ポジションなんですね。
このことに気づけば、
明らかにこれはおかしいと思うはずなんですよ。
お母さんのおっぱいが私は大好きだから、
お母さんのおっぱいさえあればいいの、
お母さんはいらないのっていうのが、
万能空想だとするならばですね、
ここにずっと生き続けていられるわけがないと、
多分僕らは気づく能力があるんですよね。
これは赤ちゃんの話だから、
私たち自身にこれを置き換えてみるとですね、
万能空想はいっぱいあるというか、
それはつまりなんて言えばいいんですかね、
その人の中の空想なんでね、
なんでも起こるんですよ、その中では。
だから万能空想とはこういうものですという
サンプルを示す意味ってほとんどなくて、
サンプルを示す意味はあるんだろうけれども、
その人その人でいくらでもどんな現実でも作れるんで、
典型的な万能空想とはこういうものですみたいなことは、
私はあんまり言えないような気がします。
ただ、でも多くの場合、
特に私はライフハック系で生きてきたから多くの場合、
少なくとも伝わりやすい話としては、
タイムマシンですね。
万能空想が一番伝わりやすいのは、
僕が喋ってきている中、聞いてきた中では、
タイムマシンのような気がします。
あの時にこうしていればとか、
特にこれは多いですよね。
過去のあの時点に戻ってこうやり直せば、
現実はもっと素晴らしくなるのに、
という万能空想をやる。
これはもう僕も、
それこそそのさっき言った10時間の妄想の中で、
死ぬほどやりました。死ぬほどやりました。
だってこれをやるというのが一番なんていうんですかね、
ライフハックらしいというのか、
そうするとライフハックを落としめているみたいになるから、
私はこう言いたくないんですけどね。
そういうつもりはありませんからね。
万能空想をするのは悪いことではないし、
こういうことをタイムマシン的に、
30:01
僕はタイムマシン空想という言い方を
これに対して当ててるんだけど、
でもこれを批判するつもりはないんですよ。
そうやっていつかやりたいことを
リストアップしてはいけないんでしょうかと言われると、
別にいいですよ。
いいんですが、
これをやっているときに何をやっているのかの
自覚は必要かなと思います。
それと、これをやっているということで、
現実の価値を落としめているならば、
多くの場合そうなるんですが、
それが自分を苦しめる原因になるわけです。
私はそれで散々苦しんできて、
限界に達したから、
ところでグッドバイオスに出会ったんですよ、
ラッキーなことに。
っていう話をしているというだけなんですよ。
だから、私2016年まで生きてきたわけじゃないですか。
そしてそこそこ社会人として
まともにやっているふうだったんですよ。
なのに、起きている時間の5割以上を
万能空想で埋め尽くしていたわけですよ。
だから、万能空想で埋め尽くしていては
身の破滅だとか死んじゃうとかいうわけではないし、
そこそこ通るような風を
もう保てなくはないんですね。
保てなくはないこともあるんですよ。
ただ、私はそれは正直当時はですね、
今はそれほどじゃないんだけど、
当時は恥ずかしいことだと正直思っていました。
万能空想で自分の人生埋め尽くしているというのは。
だってですね、過去に戻ってやり直せば
こううまくいった、うまくいったっていうことだったら
どんな人だっていくらでも言えるわけじゃないですか。
過去に戻ってGoogleカブをもっと買っておけば
今頃億万長者になれたとか、
過去に戻ってAppleカブをもっと買っておけば
今頃億万長者になれたとか、
そうしていればこんなに本を書くときに
やっぱりこういうことになってるんですよね。
頭の中では。
編集さんからこういうことを言われても
だったら書かないよって平気で言えたのに
と思えるとかね。
つまり、万能空想の説明をしたときも言いましたけど
ストレスを受けたとき
私たちはそのストレスを切り離したいと思います。
自分の人生にストレスがいっぱい混ざってきてほしいとは
私たちは思わないから
それをスプリットオフしたいと思います。
そのときに万能空想を使います。
っていうのが万能空想の流れです。
非常にありきたりなことです。
誰もがやることですよね。
何か素晴らしいことを空想し
その素晴らしいことで人生をリセットし直せば
この薄汚いというのか
私を畜畜苦しめるというのか
私の胃に負担になるというのか
そういったストレスをですね
すべて排除した感じを得られる。
だから万能空想すれば万能感が得られる。
これをただただ僕は繰り返していたわけですよ。
時間の無駄だと思ってはいたんですよ。
33:02
だってこれをいくら空想したって
現実は1ミリもよくはならんわけですよ。
ただ空想しているだけなんで。
そしてこういう空想はさっきも言った通り
いくらでもできるタイムマシン空想が
僕の中では多く
しかもタイムマシン空想って
リアリティを感じたんですよ。
でも確かにもっとアップルカップを買うことは
できたしなとかね。
あるいは例えばですけれども
家の寺を継いでいたら
そんなことで苦労しなくて
住んだのになとか
家の寺を継ぐことはできたわけですよ。
真剣にそれをやろうと思えばね。
あるいはこうまあいいんですけど
なんでもできます。
ただ考えてみると
それはそんなにリアリティがある必要なんて
本当はなかったんですよね。
僕は空想の中でリアリティを持つことによって
私はリアルなことを考えているんだ
という風に思いたかっただけなんですよ。
別に編集さんが直ちにいい人になりました。
美人で女の人になりましたって空想でも
別にいいわけじゃないですか。
どうせ空想なんだから。
ここのところでもライファクの界隈ではね
面白いことに
リアルな空想ほどいい
っていう考え方が実は一部あるんだけど
僕はどっちも同じだと思うんですけどね。
まあでもとにかくこれは私に関することです。
タイムマシン空想はもう一つありますよね。
過去に戻ることはできないし
過去のこの部分に戻ってやり直すことも
一切できないわけだから
ここであれが出てくるんですよね。
これからを良くするようにしよう。
これも僕はタイムマシン空想の一環だと思うんですね。
で、私はそっちは正直
あんまりなぜか興味を持てなかったんですが
というか
これは本当にやれるような気がするんだけど
本当にやるとうまくいかないんですよ。
でもこれも何かをやっぱり批判してるようになっちゃうんだよね。
これがつまりいつかやりたいこと
リストを活かすという方法論なんだろうと思うんですね。
つまり
過去に戻ってGoogle株を買うことはできないが
これから余りそうな株を買うことによって
やっぱり数年後に億万長者になることができるじゃないかと。
そうすればこのストレスフルな現実を脱することができるっていう形。
これはもう何か喋っててもおかしいんだけど
そんなにおかしくないように聞こえるよねっていう気がします。
いやそれグッドバイブスより良くないって言われても
不思議はない気がしてくるんですよ。
ただですね
これはもう精神分析でもしつこく言われてることなんですが
万能空想で現実を良くすることができないというのと
ここが私がグッドバイブスで得たものなんだけど
現実は万能空想より常に良いんですよ。
多分これが信じてもらいにくいところなんですよね。
ここを信頼するっていう話になってくるんですが
現実は万能空想より良いんですよ。
私はそれが信じられたから万能空想が止まってるんですね今。
36:01
完全には止まってないですよ。
でも万という万能の万ね
1万という数字を使うなら1万分の1以下になってるのは確実です。
今まで多分最長で20時間くらい万能空想に生きていたとすると
今は多分2分もしてないっていう感じがします。
それに身を入れてやってないですから。
昔はこれ身を入れてやってましたからね。
なぜか。
本当にこうなればいいのにくらいに
これをやることでストレスを排除できると
多少できるんですよ。
かなり信じられる空想を
だからこれね、空想探しを始めてる気がするんですよね。
Google株はダメだけど今更
例えばアリババの株だったらいけるんじゃないかっていうのを
本当に可能性のある現実のように感じ始めたときに
編集さんからのメールが気にならなくなる。
これが万能空想による万能感の成立した瞬間なんだ。
この時に現実に罵してるんですよ。
現実を罵してるんですね。
もうちょっと言うと
やっぱり専門用語になっちゃうんですけど
これを相的防衛というんだと思うんですね。
これによって私は選択できる現実は
他にいくらでもあるんだという空想に身を委ね始めるんですね。
お前らいらないんだよっていうことなんですよ。
現実がこういう嫌なものであるならば
他に選択できる現実
例えばアリババの株を買うという現実とかね
離婚とかは思いっきりそうじゃないですか。
お前と一緒にいなくったって
俺にはこの別の人がいるんだ。
女性であっても同じですね。
ここもまた難しいんですよね。
そういうのは全部ダメなんですかって言われると
そうは言わない。そうは言えないんですよ。
こんなことはね。どうなるかは分かんないわけだから。
ただ一つ言えることは
現段階でそれをやってないなら
それは空想であって
その空想をやってる時には
現実はほとんど見えていないっていうのは
事実だと思うんです。
つまり現実の価値を落とす空想を脳内で作ってるんですよ。
アリババの株を買って
素晴らしいゴージャスな生活を送れるというか
金の心配をせずに住む現実というのが送れるという
空想をしている時には
金の心配をしているこの現実は
脱するべき現実だっていう風に
現実の価値を下げてるんですよ。
それは空想なんですね。
空想じゃないって言われそうな気がするんだよね。
こうやって喋ってると。
でもそれは空想なんですよ。
金の心配をしないで住む現実というものがあるのではなくて
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今すぐにお金の心配をする必要がない時には
お金の心配の方自体をやめてしまえば
お金の心配をせずに住む現実というのは
別段、特殊な株を買わなくても
直ちに手に入るっていう話が
やっぱり僕はGood Vibesで得たんですよ。
そこまで言えない場合だったとしても
やっぱりこうやっていっぱい妥協案を考えていかなきゃならないところが
おかしいんだよね。
この論の展開の仕方の問題の一つなんだろうと思うんですが
現実というものをですね
もっとタイムマシン空想をやめるとですね
空想の目を通した現実の見方というものも停止するんです。
そうすると現実そのものともっと接触点が増えてきて
現実に向けた注意量が多くなっていくんですよ。
そうするとそれは不思議なことに
素晴らしい未来を思い描いていたはずの万能空想よりも
遥かに良いものだということに気付くことができます。
これに気付く回数と時間が増えれば増えるほど
一気に万能空想というものに浸る時間が減っていって
そうするとさっき最初の方に言ったような効果
特にまず悪夢とか消えていくんですね。
悪夢は万能空想が作り出すものなのでこれは確実です。
今日はここに踏み込んで説明していると
1時間に達するものが確実になるので
もうしませんが万能空想が悪夢を作り出すんです。
さっきのような順番で言って
万能空想は悪夢も作り出しますし
夫婦喧嘩も作り出しますし
現実の価値を下げていますからね。
ここが非常に大事です。
万能空想をしながら現実の価値を下げないということはできないんです。
必ず下げることになります。
ある意味現実の価値を下げているから万能空想を始めているので
つまり現実というものが嫌だと思い始めたから
赤ちゃんの話に戻りますね。
現実のお母さんは嫌だから
お母さんのおっぱいだけちょうだいというのが万能空想ですから
これをやればお母さんの価値は下がっていくわけです。
これを僕はずっとやっていたから
現実というものが交換可能な何かであるような感じがして
なるべく交換しようとしていたということなんですよ。
そうするとどうしても人は孤独になっていくんですよ。
今ある現実を取り替えよう取り替えようとしているので
どんどん非現実の世界に頭は向かなければならないし
現実でも何か別のものと交換しなければ
私の人生は台無しになってしまうという感じを
だんだん自分で強化することになっていくんです。
そうとは気づかずにやっているんですけどね。
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そういうところから一つ一つ解放されていったという流れがあったわけです。
グッドワイブスで。
この時に最初は一気に起こるんですよことは。
今は以前ほどグッドワイブスで急速に事態が良くなることは起きないんですね。
これは私の事情ですよ。
他一般の方は知りませんが私の場合は万能空想時間が非常に長くて
それによって行き詰まりを完全に見せていたところを
無理やりそれで突き進もうとしていたためにですね。
これをやめるだけで事態が一気に良くなるわけです。
悪夢とか急速に減っていきますし。
要するに当時めちゃくちゃだったから
何から手をつけても事態は良くなるわけですよ。
めちゃくちゃであれはあるほど効果は大きいということですね。
ただ当時はあれがめちゃくちゃだとは全く思ってなかったし
めちゃくちゃだったからといって
僕は別に毎日病院が用意していたとか
ホームレスになっちゃってたとかそういうわけではないから
分かりにくかったわけですよね。
めちゃくちゃだったんですよね今から思えば。
だから楽なんですよ。
当時は一気に効果が上がる。
今はあれほどめちゃくちゃじゃないと思うので
あれほどどこから手をつけても一気に効果が上がるってところまでは言ってないんですよ。
本当にもう
なんつうんですかね。
なんかちょっと嫌なことがあるとすぐ万能空想をやって
そして何かを切っていくっていう
その切っていくっていうのが必ずしも人でなかったとしてもですね
何かを取り替えるっていうことをやってやろうとしていたので
できなければひたすら空想に浸るっていうことをしていたので
それが私の中にあった
いつかやりたいことリストっていうやつを作り出すんだけれども
そっちは行き詰まってましたからね完全に。
いつかやりたいことリストが8000項目ぐらいになって
Evernoteとかにそれなりに整々と整理されてたんですけど
それを全部やると素晴らしい未来が待ってると言われても
それは全部できないじゃないですか。
どう考えたって。
どう考えても僕は全部それをする気にはならなかったんですよ。
だから行き詰まってたわけですね。
だから未来に向かうタイムマシンも
事実上機能しなかったし
過去に向かうタイムマシンは機能するはずがなかったし
一度も過去に戻れたことはありませんから
僕これ大事な点だと思っているんですけどね実はね。
この過去に戻る空想というものを今もなさっている方はですね
一度これを考えてみてもいいと思いますよ。
どんなにリアリティがある過去に戻る空想だとしてもですね
戻れたことは多分ないはずなんですよ。
これはなんか馬鹿げたことを言われてると思われるかもしれませんけれども
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今のリアルだって動かせることはありますからね。
何か手を入れることはできる。
どうしてそれに手をつける気にはなれず
絶対に動かすことのできない過去には
そんなに熱心にいじくり回す気になれるのかっていうのは
私は考える価値が十分あると思います。
僕は結構これを考えたんです。
2014年の頃に結構考えたんです。
全く無駄なことやってるなとは思ってました。
でも全く無駄なことなのに
毎日何時間も何時間もやってるなというのが
ある意味自分でも不思議だったんですよ。
あの時この人と結婚していればとかしていなければとか
あの時こういう職業やってればとかやらなければとか
あの時あの本を書くのを諦めなければよかったとか
あの本を書かなければよかったとか
真剣にやっていたんですよ。
で、いまだにこういうことをすることによって
未来を良くできる論というのは
ごく普通に流通していると思うんですね。
僕はそれに成功する人が言うるというのが
当時からすでに信じられなかった。
信じてる人は別ですよ。
信じられなかったわけですよ。
信じられてないのにこの専門をやってたっていうのが不思議なんですよね。
不思議だと思えません。
これはそれなりに労力がかかることだったんで
何の効果も上げていないと当時から思ってたのに
例えば本当に簡単なことでもそうですよ。
私は糖質制限をやってました。
アトピーだったから。
それは良くなってました。
だから両手足縛って寝たりはしませんでしたが
糖質制限やってたんだけど
糖質制限には限度があるんですよ。
それはそうですよね。
無糖では生きていけないから
糖質制限には限度がある。
でも当時は糖を入れればアトピー化するって
僕は確信していたんで
ある程度それは本当だったんで
昔は取りすぎてたんで
ここも同じなんですよね。
むちゃくちゃやってる頃はちょっと変えるだけでも
だいぶ良くなるんですよ。
でも私は糖質制限の効果というものに
言ってみればイカれてたので
無糖にしたかったんですよ。
自分を。
無糖にはできないですよね。
だから激減させようとする。
でも激減させようとするというか
限度を超えてスレスレまで下げようとする。
僕当時の体脂肪率は10%切ってたんですね。
これをさらに下げようとすると
飢餓感が出ちゃうわけですね。
で、過去アトピーが
例えば因果率を探していくわけですよ。
加糖をこれだけ入れると
グラムで測れるくらい入れると
肌に赤い反転ができる
という因果率を自分の中で見つけて
見つけてというか実は空想上作り出して
ちなみに反転はできるんですよ。
空想上作り出してと僕が言ったのは
おそらくこれを空想するために
この反転が出てきてたからなんですよ。
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出るんですよ。
だから糖を入れると点が出ると
これを写真に収めるわけですよ。
こうしてPDCAをやっていこうとするんですよ。
これを自分に何度も言い聞かせれば
私は徐々に無糖に近づくはずだと。
でもリアルに起きていることは
反動がきて糖質の摂取を増やしちゃうんですよ。
そのために私は非常に強く自分に腹を立て
腸子がなんだけど
腹を立てて徹底的に自発的になって
糖を取り上げるんですよ。私からね。
そうすると肌が良くなるんですよ。
実に面白いことにね。
こういう証拠が揃ってしまえば
無糖へ無糖へと向かうでしょう。
そしてこれを聞いている方の中にも
それでいけないのって思うかもしれませんけども
もう一つこれに付け加えるべき話があって
2018年以降私はグッドワイブスの話を
信じるようになってから
これ糖を入れても肌に出なくないと思って
今普通にお菓子とか食べてるけど出ないんですよ。
これを皆さんはオカルトだと考えるか
PDCAで行くべきだったと考えるか
PDCAには限界があって手放しちゃった方が
マシだと考えるかはそれぞれだと思います。
私はPDCAはもともとこの糖の話でむしろ
糖と肌の関係の話で信じられなくなったんですね。
どっちかというと
効果出てたけど信じられなくなったんですよ。
過去にこういうことがあり
現在こうすれば未来はこうなるというのは
ネタラメなんじゃないだろうかというのは
それなりに効果が上がっていたこの方法を
実践していたことで
むしろ信じられなくなったんですよ。
こういうふうなものであるとすると
人生ってのは多くのほとんどの人にとって
とてもやっていけるもんじゃない。
私だって全然やっていけるもんじゃないと思ってたんで
これってどう考えたって行き詰まるやり方だ
っていう感じを直感的にしたんですね。
ものすごいストイシズムだけが生き残れる世界って
なんかおかしいし
明らかに世の中そういうふうには
なってないように見えたんですよ。
これが消去法的になってのかな
にグッドバイブスに弾いた
大きなきっかけになったような日が
私はします、今では。
糖質制限というものは
いきなりやめてしまったということですね。
その前の段階には
これを信じていられない
つまりPDCRは信じていられないということと
信頼するということ
世の中の仕組みを信頼するということは
つまり私の頭では
把握しきれないことなんだ
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っていう感じがあったんですね。
世の中を信頼するというのは
世の中の仕組みが完全に分かっての上でのこととか
世の中を信頼しても自分は絶対大丈夫なんだという
安心を計算で得られた後の話ではないんですね。
そういうふうに全てが把握できるぐらいならば
手放して信頼するという発想そのものが
いらなくなっちゃうような日がするんです。
結局私は糖質制限である程度良くなるというのは
把握できていた話じゃないですか。
そういうふうなこと
つまり自分の万能空想で生きていけるっていう風に
僕は思ってたから万能空想をやってたわけじゃないですか。
そんなに無駄だと思いながら
しつこくしつこくやってたのは
私の頭で出した計算結果として
思考の結果としては
これでやっていけると思ってたわけですよね。
PDCAもそうだし糖質制限もそうだし
パスクシュートもそうです。
ライフフックもそうなんですよ。
これでやっていけると思ってたんですよ。
そのためには私は全部を把握できてないといけない
あったわけですよ。
全然無理だったわけですよ。
全然無理だったわけです。
結果として
把握しきれないんだっていうことを
意識するようになったのが
多分一つのきっかけだったとは思うんですよね。
把握しきれないんだから
信頼して手放すしか他にどうにもしようがないと。
そういうふうに
面白いことにというのかな
そういうふうに
ある種の覚悟を決めたときに
現実というのは
私が空想しているよりも
はるかにまともで良いものなんだ
という感じを得られたということですね。
これが多分
一つの
Uターンするきっかけになったんだろうなと思ってます。
今ではですね。
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