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2023-08-18 41:44

何が起きても大丈夫なら何が起きても悪くない【GMV832】

誰かが罰されるべきという信念はとても疑わしい

サマリー

彼は「パクツイ」という言葉を見て、かつて自分がパクられた経験を思い出し、ポジションの移り変わりを感じています。また、彼はタスクセラピーの経験もトラウマとして残っており、PSポジションとDポジションの意識の切り替えができると述べています。彼は自分の感じとしては、罪悪感や責められることよりも、言われたきつい一言の中に「あなた、この結果で路頭に迷うことになる」というような罪と罰の感覚があると話しています。彼は現実社会で優しい自分を守るために、悪い自分を罰することでヒステリー状態になる問題について考察しています。また、彼は自分の判断に対する信頼を捨てれば、許せるのかもしれないとも述べています。

00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
8月18日ですね、朝の9時20分です。
9時20分だよね、9時20分です。8時じゃないですね、ちょっと目がですね。
もう年をとってきたのか、iPhoneの小さい文字が、
丸が20、30になると、数字が変わってしまうというね、困ったもんなんですけども、しょうがないですね、これはね。
50年も使ってきたことを考えると、自分のパソコンとかに比べると目って偉大ですよね。
この機能を、この年数、しかも割と雑に扱っていたとか、酷使していた時代も、今はしないようにしてますけど、
あったにもかかわらず、これ、まだちゃんと機能している。凄いと思うんですよね。
50年近く持っている機械って、僕の身の回りにはゼロなんですよ。
ダメだ、こういう話をしていると、ろくなことにならないので、もうスキップ、スキップ。
一つだけ、青森県で手に入れた電子レンジが40年経ってもまだ動いている。あれは凄いなって実家の方で思うんですけど。
多分、待つしたから、このぐらいにしておきますね。
26日、おかげさまで申し込みがちょこちょこっと出まして、非常にありがたい限りなんで、ここは是非ですね。
26日までは何か頑張ろうみたいな気で、そんなに負荷を上げてもいけないんですけども。
これ、人望庁で今回やりますが、今後、例えば横浜とかでやるとかもですね。
視野に入れつつやっていきます。
これ、頻繁に絶対やれないと思っていまして、それも僕のイリュージョンかもしれませんが。
確月がいいところなんじゃないかなと。
しかも収益的には、トントンになったらおんのじゃだから、これもうライフワーク的な何かなんですよね。
全然、将来的には何かここからいろいろ見込んでもいいとは思うんですけど。
始めたばかりの現在地点ではですね、理解されにくいだろうなっていうのはやっぱありますからね。
本当私はライフハックのためのとまでは言わないまでも、そこまで限定しませんが。
でもやっぱライフハックという人、ライフハック大好きと。
この母数は多いと思いますよ。
東京ライフハック研究会とかをやっても、今や第一回の数字の半分は絶対期待できない。
3分の1いければもう万歳三勝だくらいな、そういう時代ではあるものの。
でもライフハック的なものってすごいあると思うんですけど、
ここの人たちにみんながGood Vibesになりましょうとは言いませんから、
それはもう全然望むべくもないと思うんですよ、まだね。
そういう段階じゃないと思うんで。
なんとかこの人たちにGood Vibesというものをまずあるという存在を伝えるところから。
ついでに臨床心理というのがツールとして使って大丈夫なんですと。
これも変な話だなと思うんですよね、喋ってて。
使って大丈夫ってどういう意味だよと。
それを使うとはそもそもどういう意味なのかと。
精神科に行く、診療内科に行く、あるいは公認心理師の人に関わる、臨床心理師の人に関わる、
じゃなくてのの医者の人に関わるとはどういうことなのかを、
まず知っておくということが大事だろうと。
僕の今のところの出発点はここなんですよね。
あまり大それたところまで行っても疲労困廃して帰ってくる。
ピクミンネタが多いんだけどね。
ピクミンをむやみに消耗して帰ってきてもしょうがないので。
まずはじりじりと行こうというのが最近の思うところですね。
まずその26日もそういうものの一環だと思って。
触れていただくといいと思うんですよね。
触れていただくことを目的にするならば無料でやればいいのかもしれないですけど、
無料でやっちゃうとこれを全部無料でできる立て付けにしなきゃ今度ならなくなるじゃないですか。
これが無理なんですよ。
外部から人をお招きしたり会場を借りる。
しかもZoomすら無料ではできないですからね。
あれ無料でやってると、極短い時間、少人数ってことになるんで。
しかも最近円安で毎月のZoomがなかなか厳しく感じられる昨今なんですよ。
それは相変わらずしょぼいこと言ってるなと思われるかもしれませんけれども。
でも月々1000円って結構やっぱ最近なんだっけ。
Amazonプライムが月々100円値上げしたというので結構騒動になって。
100円上がるならやめますねっていう街頭インタビュー聞いて。
やっぱそうだよねって思ったんですよ。
100円上がるんじゃ僕やめませんよ絶対に。
やめませんが、サブスクってやっぱりですね。
買い物をするというのとはまた違う独特のあれがあるんですよね。
円安の中、Dropboxも上がり、Zoomも上がり、円安と関係なくEvernoteも上がりっていうのを全部算出すると、
なかなかすごいことになっていくんですよね。
こういうことばっかり考えているのもあれなんで。
やるんですが、言い訳ぐらいはしておこう。
だからいくらかはやっぱりビジネスライクやらなきゃいけないよねとも思っています。
続けていきたいと思うんで。
1回だけならいいんですよね。
自腹切ればいい話なんで。
26日何度かこれを極細々。
あんまりでも極細ではダメなんで。
やや細ぐらいでやっていきたいなと思っています。
これとあんまり関係あるような内容の話なんですけどね。
パクられた経験とポジションの移り変わり
最近久しぶりにこの言葉を見たなと。
こういうことってよく起きるんですよね。
同じような言葉を連発で見るんですよ。
最近パクツイって言葉を久しぶりに見たなと思ったんですよね。
だからこの話をちょっとしたくなったんですが、
そもそも今パクツイって言わなくない?みたいに思ったので、
パクポスとか言うのかなって思ったんですよね。
別にいいんですよ。
僕もTwitterって言っちゃってますからね。
アクエックスとかっておかしいもんね。
言いにくいし。
何でもいいんですが。
僕も経験はあるんですよ。
黄色い本がちょうど最初の先送りの本が出たときに、
丸々ですよ。
似た本が出たとかじゃなくて、丸々パクったような。
丸々パクったものがPDFで流出するみたいな。
僕あれどうしようかなって思った。
それを報告受けたりしているときにですね、
本当どうしようかなって思ったんですよね。
もちろん名前は佐々木翔吾とかじゃないわけですね。
でもなんか鎮静化されたみたいなんですけどね。
とりあえず出版社の方に連絡してみたいな。
本当ね、僕あれね。
どっちでもいいなって思っちゃうんですよね。
一つには。
なんでかというと、
それはいろいろ様々な理由があるんですけど、
一言で言うと、
当時の僕が思ったことで、
2013年ぐらいだと思うんですけどね。
前かな、2011年ぐらいかもしれませんね。
ちょうど震災があったかなかったか前後ぐらいのときですね。
一番売れてた頃なので。
先送り本ですよ。
ちょっとね、年数いい加減かもしれないんで、
気になる方調べてください。
別に調べるようなことでは全然ないですけどね。
自分の考えを標説される、盗まれるって言うんですか。
そしてその人が儲かるようなところに置いてあって、
その人のものになったようなカオスされるみたいな。
いや、あれですよ。
いいとは言いませんよ。
良いとは思わないしね、全然。
それに、出版社さんも損害被るしね。
だから出版社さんの方にお願いして止めてもらったって、
多分そういう経緯だったと思うんですけど。
ただ、私はですね、これに、
それこそ倉津野さんのお言葉を借りちゃうんですけどね。
罪を見るっていうのに気が乗らないんですよね。
とってもめんどくさいことになる上に、
そんなに俺腹立ってないなっていうのが実感としてはある。
これを言うと誤解を招きつつでね、
これをやっていいとかって言ってないですからね。
一応言っておくと、これ犯罪なんでね。
一応僕の契約書の方に書いてあるんで、
これは佐々木に無断でこれと同じものを作ってはダメですと。
出版社的にもダメですと。
契約交わしてあるんで。
契約書は一応僕は全部取ってあるんで。
だからどうこうってことはないんですけどね。
これを言ってはいけないのか。
だからどうこうってことはなくはないかもしれません。
出版社の方が何か言うかもしれませんからね。
つまり、ただ私としてはですね、
これすっごいめんどくさいことになる話に違いないと思うんですよ。
で、にもかかわらず、
にもかかわらず私は何をそんなにこれに、
これに対して腹を立つとすればですね、
これね、面白いことに腹が立ち始めると燃え盛ってくるんですよ。
これは例の今まで言ってきた中でもPSポジションなんだけど、
これポジションが移るっていうのを実感できる事例の一つなんですよね。
僕の中ではですよ。
このパクられたというのはポジションを移せるんですよ。
割と。
意識的にっていう。
だからいやこれどうってことないなーって時は
ヨクスポジションにいて割と平安なわけですよ。
言ってみれば。
いやいや別にいいでしょうね。
でも真剣に考えていやでもダメかもなーみたいに考えだすと腹が立ってくるんですよ。
PSポジションに入っていくんですね。
そういうこう、普通僕やっぱね、
PSとDの行き来って難しいわけですよ。
一度こうPSポジションに入って、
あのもう怒り浸透で徹底的に罰しようみたいになってしまうと、
それが実に些細なことでもなかなかヨクスポジションに戻れなくなって困るんだけど、
このパクられた件は行き来ができるんですよね。
僕の中では。
だからすごい不思議な事例の一つとして意識に残っているんですよ。
どっちのポジションにも行き来できる。
これねそういうの大事ですよ。
もしあったらですけどね。
どっちのポジションにも意識すれば行き来できるっていうのを持っておくと、
いや絶対Dの方がいい。
確信できますから。
倉野野さんが言うところの絶対許した方が自分は平安になれる。
この確信をどれほど抱いても出られなくなるのが嫌なところじゃないですか。
でも出られた時には何かの表紙にひょいっと出られた時には、
これは絶対Dの方がいい。
PSの方がいいとさっきまで思ってた自分は何考えてたんだろうぐらいになるんですよ。
これがね僕の場合パクられた案件で出てくるんですよね。
不思議とポジション移動が容易にできるという稀な例なんですよね。
不思議なんですよこれは。
だから怒り始めると本当にこう、
いやもう絶対訴えてやって最高裁までとかわけわかんないこと考えて、
最高裁とか多分こういう案件では出てこないと思うんですけど、
いくんですよ意識が。
だけどやっとするといやいやすぐ出られて、
いやでも別にどっちでもよくないみたいになるわけですね。
非常に面白い。
で、なんでまずそう思うかというと、
タスクセラピーの経験とトラウマ
これも全然違う話が絡んで困るんだけど、
タスクセラピーっていうの昔僕やってた時代がありまして、
これがねトラウマになってた時期があるんですよ。
これですね、割と僕は震災後にやり始めた活動で、
結構これに夢中になってた時があるんですね。
これでこう大きくして食べていくぞ。
だいたいそういうのがうまくいったことは僕はない人間なんだけど、
でもこれは十分大きくなる前に簡単にポシャってですね、
その時ちょっと仲間内でと言いますか、
運営している人々が多くなってきて、
荒れちゃったわけですね、コミュニティが。
結構その時に参加者の方だったか誰かだったか、
結構もう覚えてもいなくて申し訳ないんだけど、
厳しいことを言われて非常にへこんだことがある。
まさにPSポジション、ちょっとでもやっぱり欲打つポジションの欲打つ状態でしたね。
罪を自分に見るってやつね。
だから自分をめちゃくちゃ罪深いというか、
やらかしたなあって、やらかした感の方なんですよね。
罪悪感と責められること
モラル的に悪しを成したって気はしないんですよ、罪悪と言っても。
ミスって感じがね。
会社の何かに損害を大きく与えたみたいな心理ってきっとこんな感じかなって思うんですけど、
何だろうなあ、僕の感じで言うとですね、
そういう経験がないから今の実感がなくて、
もっとこういう感じ。
ここでアウトにすれば当てる、優勝だって時に、
僕がよくやることだったんだけど、
フライを落として負けたみたいな。
フライって野球やってると少年でも取れる。
だからあれね、ジジイ佐藤さんって方が北京オリンピックで、
北京オリンピックですからね、外泳フライを落として負けたって試合やったんですけど、
そのことをすごいトラウマだっていう話を書いてたんですけど、
ああいうやつね、あれほどの深刻なものではないですけど、少年野球だと。
僕がママ会ったんですよね、フライ落としちゃうんですよ。
通常は絶対落とさないんだけど、
子供という時に落としちゃうんですよね。子供だからってこと。
多分にあるけど大人でもやるからね、あれはね。
未来の妄想分裂ポジション
まあ、なんでもいいんですが、そういうことですね。
フライ落とすのって罪じゃないじゃないですか、全然。
でもね、あの時の罪悪感はでかいんですよね、子供の時の。
やらかし、あと子供って責めますからね、それを。
まともに、お前あの時落としやがってみたいな、言いますからね。
本当にそういうのが僕は結構きつかった人間なんですけど、
それに近い状態がタスクセラピーで、あれ仕事なんでやっぱりね、
もっと深刻な印象があったわけですよ。
あの時でも自分は、なんかね、一生懸命考えたんですよね。
結局自分はこれ何が怖いんだろうと、
責められることなんだろうかと思ったんですけど、
そうではなかったんですよね。
責められることは嫌だけど、かなり嫌だけど、
一番奥底にあるのは、責められることじゃなかったんですね。
一番奥底にあったのは、その言われたきつい一言の中にあったんですよ。
あなたこの結果、路頭に迷いますよっていうことをしちゃったんですね。
ファンをこうやって失ってね、
そういう大事な事業の、いわゆる人望みたいなやつを失って、
そういうことをですね、きっとこれからSNSとかで拡散されて、
もうあなたは仕事できなく、仕事来なくなって、
でもそういう感じだったんですよ。
これがね、きつかったんですよ。
こう言われたのがきつかったというより、やっぱりその絵がね、私を苦しめたんですね。
やっぱり子供生まれたばっかりだったこともあって、
1歳か2歳だったと思うんですけど、
なんかもうこう、これでもう自分はお金が全くなくなってですね、
行くんだみたいな、当時は結構あったんでね。
これがすごい自分は怖いんだな、今はっていうことを当時考えた。
当時はね、まだあの、埼玉県の方に住んでて、マンションに住んでて、
ロームも結構残ってたんで、うわーってなったんですよ。
今思うと、これでうわーってなるのは、いかにもナイブですけどね。
まあ、なったわけですね。
で、ところが、1年経っても2年経っても、そういうことは起きなかったんですよね。
確かにTwitterで名指しで言われたりもしたから、
当時はTwitterですからね、Xじゃないからね。
Twitterで名指しで言われたりもしたから、
その人に言われた通りの現象が起きていたんだけど、
確かにタスクセラピーも開催できなくなったし、
わーっとですね、自分がそれまで親しくしていた方が、
急に疎遠になっていくってことも起きたんですよ。
この人たちがあなたのファンの中核なんだから、
これに離れられたら愛想をつかされるってやつがあったら、
もうあなたは生きていけなくなるんですからねって言われたんですよ。
そうなるんだって思っちゃったんだけど。
確かにTwitterで言われたり、
疎遠にならないでいてくださった方も何名かいて、
その人たちとは未だに一番親しい感じなんですけど、
離れていくっていうことも起こって、
そうなるんだみたいに思ってたんだけど、
罪と罰の世界
問題というか、問題ではないんだけどね。
一番出来事の中で僕が意識に残ったのは、
仕事そのものは全く減らなかったんですよね。
むしろ増える一方っていう当時は、
いろいろ理由があったんで、
タスクセラピーが消えると、
当然僕は一旦飽きますよね。
そこに殺到するように仕事が集中してきて入ってきて、
ありがたいことにですね。
誹謗ではないとしよう。
僕に対する批判がTwitterでどれほど展開されても、
それによって仕事が減るとか、
何かをやった時に人が来なくなるといった出来事は起きなかったんですよ。
でも起きる予言っていうのが心に残って、
いや起きるんだみたいな、
そういういわゆる妄想分裂ポジションなんだけど、
に僕が心理的にはまり込んでいて、
だからですね、
僕はなんとか逆に、
その仕事を片っ端から引き受けてガンガンやってですね、
それが後の中年の危機的な話につながっていくと思うんだけど、
結局、あと一つの結論があったんですね。
私がイメージしたようなことが起こらない。
この場合の私のイメージしたことは人が言ったことだから、
他人がイメージしたようなことも決してそのままの形では起こらない。
やっぱり人間は何かを見通すことは、
完全な形では決してできないんだっていうのはですね、
その時心に猛烈に残ったんですよ。
それ以来私は自分のものとしてはですね、
これもちょっと先に言っておこうと思うんですけど、
9月あたりからこの100チャリ編とGood Vibes編を復活させようかなと、
なんとなく考えています。
これね、やっぱり何もない中でいつかも喋るというのは、
ちょっとチューブラリーすぎるなっていうのがあるんですね。
ただ、あれを固めると不思議なことに、
それを喋ったからもういいやみたいな気持ち。
なんかね、人間の心理ってのはややこしいなって思うんですよね、
こういう時に。今のは脱線で。
つまり、その通りのことが起きもしないのに、
さっきの私の妄想分裂ポジションみたいにガチッとそれにはまり込むわけですよね。
もうこうなるんだみたいな。
絶対そういう運命なんだみたいな感じになっちゃって、
これはダメだなって。
何が未来に起ころうと起こりもしないことを絶対起こるんだという、
そういう心理状態に囚われた上で、
そして起きてる現実とは全く関係のない生き方を、
当時はつまりそれ自体悪くなかったけど、
だから仕事をもう片っ端から闇雲に引き受けていたわけですよ。
そういうふうに起きてない現実、
この時たまたま運が良かったんだって言われればそうなんかもしれないんですけど、
そういうことは関係ないと思うんですよね。
僕が言いたいことは、
自分の中で起こらない現実を起こると思い込むっていう一つのまずミスを犯してるわけですよ、
その時、妄想分裂ポジションどっぷりで、
罪悪感バッチリで、
罪を犯したからその罰を、
罰は受けるのしょうがないけど、
なるべくマイルドにするためにまず金は稼ごうってこういうことね。
で、そういう間違った未来像というものを、
僕らはご承大事に抱えてしまって、
しかもそれを精密に作り出すんですよ。
こうなってファンも離れて、
それを見た編集さんとかが、
佐々木に仕事頼むなやめようと思ってみたいな、
詳細に描き始めるんですよね。
意味のないこと。
実際にそういうこと起きてもいない。
で、起きるかもしれないじゃないかって言うんだけど、
起きるかもしれないことと、起きると確信することは全然違うんですよ。
なんだけど、起きると確信してたから私は。
で、それに基づいて行動を起こしちゃうんですね。
これがそっくりおかしいんですよ、後から思うと。
そんなこと全然する必要なかったことをいっぱいやってたんですよ。
で、2歳の娘と遊ぶ時間もずいぶん減らしたし、
非常に良くないなって思うんですよね。
それ自体はいいですけど、今となってはね。
ただ、良くないなって思うんですよ。
だから、こういうことにならないためにも、
やっぱり当時の私がまず考えた、というかやったことは、
自分におけるプロジェクトとか、
未来を元につけた計画というのは一切廃棄しようと。
それ以来だいぶ、起動はまともになったなって思うんですよね。
これを一旦廃棄してから、
それはたぶん2013年の時に起こったことだと思うんですけど、
もう一切未来を見ないっていうふうに決めたのが、
たぶんあの出来事とすごい関係が、
当時から僕は下手だったんで、
あんまりJさんみたいに逆算して未来を決めるぜみたいなのを
大真面目にやる感じではなかったんだけど、
大真面目も小真面目もなくもうやめたんですね。
廃棄した。
1日、2日先の、当時はまだ1週間とかは、
漠然とした予定は描いてましたけども、
計画は立てないっていうのは、
その頃に黙った感じがある程度します。
その出来事はやっぱり言いたかったんで、
覚えたんですよ。
もう一つが、これはまだ形を取れなかったんですよね。
非常にあやふやなもんで、
これをカチッとしたものにする上で、
グッドバイブスの助けが必須だったんですが、
罪というものを見ないっていうのを、
その時に僕は少し学んだんですね。
要はこれについて誰が悪かったって考えたところで、
無駄だっていうのをすごい思ったんですよ。
そしてこれは、話が深刻だったからこそ、
意味があった気がするんですね。
当時僕が勝手に深刻だと思っただけで、
ここはでも大事なんですよ。
僕が勝手に深刻だと思っただけで、
その深刻な出来事は一切起きなかったんですが、
まあでもそうは言い切れないか、
嫌な気持ちはいっぱいあったから、
深刻なことがなかったわけじゃないんだけど、
まあでも、イメージしたほど深刻なことはね、
3人、一家3人、路頭に迷って、
僕、頭がショワだって、
ゴザみたいなのして、
お金恵んでもらう人になっている感じが、
イメージとしてあったんですよ。
そこまで行かなかったから、全然全くね。
考えてみると、そこまで行く理由はどこにもないんですけどね。
やりようはいくらでもあるんで。
この、もう一つ、
やりようはいくらでもあるという現実が、
全く描けなくなるところが、
妄想分裂ポジションの非常におかしなところなんですね。
あの、罪と罰の世界を、なんだろうな、
その、これは私は、
賢状者、罪と罰の世界だけに生きることは、
起こらないと思うんですよ。
あるテーマに沿って、
必ずその真理になるけど、
全域、現実全域を罪と罰で浸してしまうと、
これはね、妄想分裂になってしまうんで、
本当の意味で。
たぶん正気ではないんです、完全に。
やっぱり私はこのタスク社学院についてだけ罪と罰、
あるいは私のライフ波形で仕事をするっていう、
人生における罪と罰だったんで、
そこに限定されてるんです。
だからなんかこういうことが起きると、
相撲に当たり散らすとか、
殴り散らすとか出すって人がいるっていう話、
よく聞きますが、
それは現実世界全域を、
罪と罰が覆い始めることによって起こる。
ただ、これはですね、
罪と罰を特定のテーマから、
徐々にエスカレートさせていくと、
そうなっていくんで、
注意事項ではあると思うんですね。
自分を罰するヒステリーの問題
ただ、普通の人はやっぱり特定のテーマなんですよ。
だから会社に行くと、
すごく妄想分裂気味になって辛いけど、
家に帰ってくると、
くつろげるっていう人は多いと思うんだけど、
会社と家は異なるテーマで動いてるから、
家も妄想分裂、
会社も妄想分裂になったら厳しいですよ。
やっぱり、
それは本当に家の方を守っといた方がいいと、
守っとくっていうのも良くないんだけど、
要するに家の方は、
罪と罰というのを極力廃するっていうか、
ゼロにしておくっていうのが、
一番いいと思うんですよね。
会社で、
家でできないのに、
会社ではできるって人は多分ほとんどいないと思って、
会社の方がこれ、
蔓延しやすいですかね。
どうしても誰のせいだみたいな話になりやすい世界なんで。
で、
でも、
思ったんですよ。
当然その時ですね、
やろうと思えば、
それこそ当時、
一緒にJさんもいたから、
Jさんのせいだとか、
やろうと思えばできるんですよ、
そんなことは。
早すく。
でもですね、
どう考えてもそれはおかしいだろう。
あと残るのは2つしかないですね。
この騒動の火をつけた人を、
罪悪だと思うか、
自分を罪悪だと思うか。
僕は、
性格上簡単に自分は罪悪だと思うんですよ。
これはもう本当に、
いとも簡単にそうなるという、
悪い癖を僕は持ってるんですよね。
これは欲打つポジションの打つ状態に入っていくパターン、
典型的なパターンですよね。
全原因を自分に、
責任じゃないんだけど、
全原因を自分に求めちゃう。
日本的文化っていうのも、
ちょっと手伝ってる感じはしますけどね。
全原因を自分の中に見て、
ここを徹底的に、
やっぱり最近ピクミンの、
笑顔って感じなんですけど、
ピクミンが叩いてるみたいに、
どんどん自分を叩く心をね。
これはね、きついんですよね。
だから病気になっちゃったんですよ、
当時。
普通に心身症ですね、あれはね。
こういうことがあったことを考えると、
もう当時からGood Vibesに
行っときゃよかったと思うんだけど、
当時Good Vibesはなかったと思うんですよ。
2014年ぐらい、5年。
なくはなかったのかもしれないけど、
倉園さんとのコンタクトはなかったんで、
当時はしょうがないですね、これはね。
で、この変ですね。
自分を叩くと。
僕はこれを簡単にやってしまうんで。
こうしとけば大丈夫だという、
変な感覚、考えが当時からあってですね。
とにかく自分叩いとけばいいんだみたいなね。
わけのもわかんない。
何かしなきゃいけない気がするんだと思うんですよね。
何か悪いことが起きたから。
で、自分叩くじゃないですか。
その中で仕事を闇雲に引き受けてるから、
仕事がすっごい進まなくなるんですよ。
これはやっぱりね、自分をあえて
ピクミンが攻撃している自分の中で、
その自分が仕事をするってのは厳しいんですよね。
よくあの時、本格的にうつにならなくて済んだ。
よかったよなと思うんだけど。
やっぱりそれは非常に娘の存在得が大きくてですね。
あれがやっぱりなければ、
まずったろうなというところがちょっとあるんですよね。
ただ僕はそういう時に、
ここが地沿いとなんですけど、
僕は切り離してしまうんで。
ある意味、悪いのは自分なんだけど、
悪い自分と良い自分に分けて、
良い自分の方で仕事をしていくってことを、
割と全然良いやり方じゃないんだけど、
子供の時からこれ癖のようになっていて、
やるんですよね。
スプリッティングするわけですよ。
だからヒステリー状態ってものが、
ここに僕はヒステリーってものを見るんで、
非常にこれはですね、
なんていうのかな、
この用語なくならない方がいいんじゃないかな、
って思うんですけどね。
フェアバーンって人、
また話がずれましたけど、
ロナルド・フェアバーンかな。
ヒステリーというのは、
自分の中に悪いものを置き、
自分の外に良いものがあると考える、
そういう性格なんだみたいな、
パーソナリティの説明として置いてるんですね。
僕はこれは非常に勉強になるなと思うんですよね。
なんていうのかな、
ヒステリーの人とはそうやるっていうよりは、
そうやりがちだってこと。
何か見つけてそういう考え方に持ってっちゃう。
だからヒステリーの人っていうのは僕は、
欲打ち的になるんじゃないかなって思うんですよ。
自分の中に悪い対象というものを持ち、
自分の外に良いものがあると。
これあのね、
これも変な話になっちゃうんで恐縮なんですけど、
非常にフロイト的なんですよ。
男性は皆さんご存知だと思うんですけど、
いわゆるアダルト系の、
ポルノ系のところに行くと、
こればっかりだなって感じがするんですよね。
自分の中にはこう悪いもの、
いや全部じゃないんだけど、
こういうジャンルはっきりありますよね。
自分の中には悪いものがある。
ドス黒いとかって言うんですよね。
で、いわゆる女性は真っ白いんですよ。
これ、この対比がですね、
非常にヒステリーそのものだと、
僕はよく思うんですよね。
なぜ日本のなのか知らんけど、
男性は性に関してこのヒステリーを持ちがちなのかね。
だから自分が排出するんですよ。
まさに黒いものを外に出す。
それがとても気持ちがいいってことになっちゃうんだけど、
非常に考えさせられる、
感じない男っていうのを書いた、
哲学の先生がいるんですけど、
性的な話を自分の告白してるみたいに書いてるんですけど、
ここにも同じ話が出てきて、
この人も全く同じ問題、
ハマってんなって思ったんですけどね。
みんながみんなこうなわけじゃないですよ。
ここにね、SMっていうとお作画が加わるんですよね。
おかしなことに良い方を罰するという。
これは非常に変な話なんだけど、
そういうことが起こってくるんですよね。
良い方に罰を与えるんです。
自分に罰を与えると痛いからね、自分が。
それが原因ではないんですけどね。
良いものにも本当は悪いものがあるだろうっていう
含みがあそこにあるんだけど、
とにかくヒステリー現象を持つ人は、
だから私はいわゆるHSPと言われて
繊細すぎるってことだと、
ヒステリーは深い関係があると思うんですよね。
いわゆる繊細すぎる人っていうのはすごく良心的で、
何でも自分の罪にしちゃうわけじゃないですか。
自分の中に悪いものは全部自分なんだっていう
考え方を取るわけですよ。
それは非常にヒステリー的なものを生み出す。
なぜかっていうと、良いものが外にあり、
悪いものが自分の中にあります。
ということになるとどうしても自分を責めるじゃないですか。
でもこれはとっても辛いですよ。
自分をずっと責めるというのはとても辛いので、
倉殿さんのグッドバイブスでよくおっしゃる、
罪と罰の逆のバージョンですよね。
倉殿さんがよくお話になっているのは、
外に罪を置く、それから東映と
格外妄想の世界に入っていくんだけど、
この逆なんですよね。欲打的世界。
自分の中に悪いものを置き、自分を罰する。
でも、いくら自分を罰すると言ってもですね、
やっぱり自分罰するの嫌ですし、
しかも、何と言うか、
潔いとかって腹を切るみたいな話あるけど、
あんなことはやらないじゃないですか。
今時の日本人は。
既視燃料を持つというのがありますけどね、
よく普通で非常に。
いずれにしてもですね、あんまり現実的じゃないわけですよ。
これをずっとやっていたんでは仕事にもならないし、
勉強もやってられなくなるので、
何を僕らはするかというと、
自分の悪い部分と良い部分の分離
ここでスプリッティングするわけですよ。
得意技ですよね、人間の。
分解する。
確かに自分は悪いと。
だけど自分の中の悪い部分と良い部分に分けましょうと。
自分の良い部分で頑張っていけばいいんですよ、
っていう考えからね。
これはですね、自分の力を半減させるって問題と、
もう一つはその悪い、
切り離した自分、どこに行くんだって話があるわけなんですよ。
これが身体症状を生み出す。
だからヒステリーと身体症状、
ヒステリーと乖離、
記憶が飛ぶみたいな。
悪いことした時の記憶を切り離しちゃうんで、
思い出しにくくなるんですね。
私実際現在でも、
タスクセラフィーの頃の出来事を
詳細に思い出せって言われても無理なんですよ。
もうスプリットをしてしまったから、
外に悪いものを置き、良いものを身体に与えるヒステリー現象
当時バンバンスプリットしましたからね。
自分刻みまくって、
悪い部分は排除、排除、排除みたいに。
排除って言っても外には出さないんですよ。
ある種外なんだけど、身体に出すんですね。
だから僕はアトピー持ちだったわけですよ。
すっごいよく出来た理論なんですよね。
外に出すって言っても、
私の場合は現実社会に出すって言うのは辛いんで、
身体に出すんですね。
代わりに外には良いものがあるわけですよ。
ビバノハエキスとかね。
何でもいいんですよ。
ワイルドローズミルクローションとかを
塗りたくるわけですよ、身体に。
良いものをね。
外に出てきてるから、
良いものをこれに塗って、
そうすることで身体を良くしよう。
っていうヒステリーを
僕は完璧に持っていたんですよね、当時。
子供の時から繰り返しやってたんで、
よく知っているつもりなんですよね。
自分が悪いんだけど、
悪い自分と良い自分に分けて、
悪い自分は外に出すと。
どこに行こうと知ったことじゃないんだけど、
だいたい身体症状として出ますよね。
そこに良い薬ってやつを
塗ることによって治すってね。
治んないんだけどね。
治るわけがないですよ、これは。
だって罪悪が自分の中にあって、
それがいつも罪悪を
生産し続けてるわけだから、
治んないんですよ。
これをやめない限りはですね。
自分これやめることが
最終的にできたのは
グッドバイブスのおかげなんだけど、
その時から分かったことは、
つまり自分の中に悪いものはないんだって
感覚を持たないと
どうしようもないんですよね。
ないってことはつまり、
あると思ってた時は幻想なんだよ。
これを
持ってる間は
この多分、
種の難しさって
抜け切れないかなって感じがします。
これがフェアバーンの言うところの
ヒステリー。
ちなみにこの逆、つまり
悪いものは外にあるんだ、
良いものは自分の中にあるんだってことになると
自分を守りますよね。徹底的に外から。
これが迫害妄想で、
私こうはならないんですよね。
家にこもる。
家にこもって良い自分を守る。
悪い外から
外は危険が
いっぱいだよっていうやつね。
あれは迫害妄想的。
僕はこうはなかなかならなくて、
ある意味、自分の中が良くないって考えるから
すぐ外に出てっちゃうんですよね。
あれですよね。
僕大学時代にこの病気が
自分の判断に対する信頼
多分ピークを迎えていたと思うんだけど
外ほど良い
って考え方を取っちゃってるから
女性に触れたくなるわけです。
女性ってのは僕から見ると一番外側なんで
その世界は
真っ白白なんですよ。
僕は真っ黒カラーだから
絶対これじゃモテないですよね。
この認識は最悪だなって思うんだけど
この認識で外に外にと
行くんですよね。
非常にヒステリー的な心象だなって
私は今思うと
何を読んでも当てはまっちゃうな
っていう感じがします。
何を言いたいかというと
罪はない
っていうのは結局
難しいってことなんですよ。
このタスクセラフィーの崩壊
みたいなのを
直面すると
いや何がいけなかったんだろうって
どうしても考えちゃうじゃないですか。
僕自然とそう考えてしまう。
何がいけなかった
だと。
あれかもしれない、これかもしれない
それは全部罪になってしまいますよね。
罪悪。
悪い原因。
それを払拭するというのか
許すっていうのは
倉園さんのお話なんだけど
すぐに許せないときは
僕が当時やったのは
まずそれ
罪ではないかもしれない
っていうのを
一つ一つ一応検証していくと。
しょうがなかった面もあるし
悪いは全然感じられない
というのは一切罪とみなさない。
これで減るんですよね、ある程度。
どうしてもそうは言っても
これはダメだっただろう
っていうのを許すって話になって
いくんですよ、多分。
この許すってのは
昨日も言いましたけど
もともとなかったんだって
認識に戻るんですよ。
結局
まず僕らはすぐそこで
イリュージョン作りますから
それによって路頭に迷うと。
そういうことが起きない
ということは
私の判断には
大きな狂いがある。
妄想分裂ポジションにおける
判断なんて狂いがあるに
決まってんだけど
狂いがあると。
だからどんなにこれが正しく
どう考えても罪っぽいと
やらかしっぽいと思っても
思うことができるかどうかに
人へにかかってるかな
って感じがします。
自分の判断が正しいと思ってる
限り
やらかしてしまったって判断が
正しいことになってしまうので
自分を責めるんです。
そこから先はもう。
だけどこの自分を責めるってことを
止めるためには
自分の判断が正しいっていう
その判断への信頼を
捨ててしまえばいい。
結局自分の判断が
正しければ
そもそもこういうことは起きてないだろうし
いろんな意味で自分の判断は正しくない
わけですね。
だからこの自分の判断に対する
不思議な信頼感
そんなに罪にまみれているくせに
自分の判断だけは絶対に譲れない
これだけは正しいんだって
それを
手放すことさえできれば
善悪に対する信頼
許せるのかなって感じは
やっぱりちょっと
当時の感覚としては少しします。
多分
結局私はそういう風に
考えたんだと思うんですよね。
以来あまり深刻に
見なくなったんですよ。
悪追とかそういったものをね。
結局そういうものに
いちいち路頭に迷う
人を路頭に迷わせる
悪い行いだ。いいとは言いませんけど
悪い行いだと思って
心の中で
いわゆるこうやってはいけないこと
が迷惑な行為
みたいに言っているとですね
どうしてもそれを
なんとかしなければいけないような
気がしてしまうんだけど
その判断自体が
どんなに妥当なものに見えても
どんなに社会的にそうだと言われていても
狂ってるに違いない
って考えてみる。
そうすると
意外と狂ってるんですよ。
別に全然普通に狂ってるんですけどね。
で、狂ってればつまり
なんだかそれは知らんけど
罪悪とか
害悪とか肌迷惑ってことでは
ないのかもしれないなって思うことは
できるんですよね。
割とそこからは
なんていうんですかね
少なくともそこが
こっかかりにはなるかなって感じが
します。結局私は
そのまま何も
深刻なところに
少なくともそのタスクセラピー
関連で
どこかに行き着くことは決してなく
全然
イメージしたのとも
違う人生を歩んでいるので
以来私は
自分に対する
未来想定とか
善悪
といったものに対する信頼は
持っちゃうんだけど
持つべきではないなって思える
ようにはなりました。
これが多分許すということが
しやすくなる心理に
必要なことなんではないかな
自分にとってはですけどね。
思うんです。
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