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  2. 【GMV 558】不調時に現れがち..
2022-02-25 32:50

【GMV 558】不調時に現れがちなもの

二重生活
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ここ2,3日飛ばしちゃったんですけど、
もろもろ、なんていうんですかね、
なんとなく調子の悪い日があってみたり、
偶然が重なってみたり、
様々ありまして、
巡り合わせが良くなかったという感じですかね。
本当は全部の日撮れたと思うんですけど、
今日だってちょっと危ういところがあるぐらい、
やっぱり巡り合わせが悪いのかな、
ということをですね、
今日ちょっとお話ししてみたいと思うんですね。
3月の、
何日だったかな、
5月13日に、
ご機嫌な子育てライフという、
グッドモーニングボイスご機嫌な子育てライフというのをやります。
オンラインですね。
これはですね、男性、
父親かな、
男性だったら父親かなと思ったけど、
にも来ていただけると良いかなという風に思ってます。
もちろん、
お子さんがいらっしゃって大変だという、
お母さん方がメインターゲットといえばそうなのかもしれないんですけど、
あんまり関係なくということもあったりします。
まだこれからという方でも良いと思いますし、
そういう方はそんなに切実じゃないですかね。
とりあえずそういうことであっても、
子育てというのに不安があるということであれば、
ぜひ来ていただければ、
それなりに、
グッドバイブスなんですけど、
ふっくら園さんとですしね、
なんかこう、いろいろと、
要するに、あんまり絶望的な不安にならずに、
子育てというものを楽しめるということになると良いなと、
そういうものです。
これは私には不思議なことにですね、
僕にとってはですね、
労働量としては多くなるんですよ、
当然のことながら。
そもそも今朝だって、
それほど調子が良くもないのに、
早く起きてご飯作っているのは、
娘が学校に行くからなわけですよ。
そういう意味では楽になるってことはないんですけども、
03:01
楽しめるというのはですね、
全然楽しめると思うんですよね。
あまりにも、
事前に私が聞いていた限り、
これは告知にも書きましたけど、
大変だという声が強すぎると思うんですね、あれは。
大変と言えば大変だとは思いますが、
例えば1万年前とかにも行われていたわけじゃないですか、
人間の子育てというのがですね、
今に比べればはるかに大変だったと思うんですよ。
これはそういう比較に何か言いたいことがあるとかでは全然ないんですが、
そんなに絶望的に大変なものでもないというところがあって、
そしてそれは結構ポイントだと思うんですよね。
ただ今日そういう話をちょっとしたいかなと思っているんですけど、
うまく転がらないかもしれないんですけどね。
いろいろと調子が悪いときって不思議ですよね。
特にこれと言った理由があるかどうかとなると疑わしいんですが、
明らかに調子が上がってこない。
で、これと言ったものがないとですね、
例えば恐れや不安、突き詰めて言えばそうなるんでしょうけど、
何にも怖いとか不安に思っていることはない気がするんですよ。
ただ調子が上がってこない。
これは不思議だなと思うんですけど、
でもその話をしたいんですね。
こういうときってのは、子育てとかもそうですけど、
ひとつの転機じゃない、子育てというのも、
これといったことが起きてないとは到底言えないと思うんですよね。
出来事が発生すると途端にすべて多くのことが大きく変わるタイミングになるんですが、
今の私のようにこれといったことが何も起きてない感じなのに、
感じのときにも転機というか、何て言うんですかね、
転機というのはつまり変化ですね。
チェンジ図ですよ。
変化というものは、いろんな特有の現象というのかな、
それにまつわるよくありがちなことが、例えば体調不良が起こるとか、
人によってはですけれども、計画を立て始めるとかあると思うんですよね。
つまり何かが起きたというよりは、そういう一連の現象、
今、ロシアの振興が問題になっていますが、
こういうときには決まってこういうことが起こるようになっているってあるじゃないですか。
それが原因というよりは、その出来事にイベントに付随する様々な予兆というのか、
06:06
きざしというのか、現象というのか、そういったものが起こるんですよ。
それが私は変転というか、転機というか、そういったものにつきまとうというか、
これは別にグッドバイオス的な話というのでもないんですけれども、
その種のことが見えてきたらこういうことが起きるようになると。
むしろグッドバイオス的じゃないんですよね。
これはパターン的な話をしていますから。
ただ、やっぱりそいつらを意識しないわけにはいかなくなるような感じってあるわけですね。
この感じには、僕らはこれを制御しようとする癖がある気がするんですよ。
先のことは分からないとか、そもそも未来というのは頭の中にしかないという話もそうなんだけど、
長期計画というようなこと、夢を叶えるなんとかでもいいんですけどね。
これの一つの私が、なるべくあまり自分としては関わりを持ちたくないというか、
あんまり興味を持てないなと思うことの一つに、
単位のないことしか計画できないっていう、僕からすると事実があるんですね。
単位のないことだって計画するのは結構面倒なんだけど、
そもそも単位のないことばっかり計画していることに何か意味があるかと思ってしまうんですね。
これといったことは大体、大体じゃなくて私の感じでは、
これといったことは全くと言っていいぐらい、ねみにみみずというのか、
思いがけずにやってきてしまうのに、あるいは計画という言葉が何とも無意味なものに感じられるような展開を見せるのに、
これから歯を磨いて目の中に餌をやりますってところだけはきちっと計画が立てられたからといって、
それは未来をコントロールしていることにもならないでしょうと。
つまりですね、いきなり翌日になってみたら家が燃えてましたと、こういうところはさっぱりコントロールできないのに、
目高の餌だけコントロールできていれば、私の人生はコントロールできていますとは言えないじゃないですか。
こういう印象があるぞって件なんですね。
この私の今起きているというか、これは多分大事じゃないんだけど、何となくこう巡り合わせや不調があると。
こういうことほど本当はコントロールしたいというか、もしコントロールができるならばこういうふうにそもそもならないんですよ。
09:04
こうなりたいわけじゃないから全く。
だからこうなるってことはですね、こうなることについていれば想定もできなきゃ、
能動的でもなく全然主体性がないんですよね、こういうことについては。
っていうところを私はですね、人は低欲無視している気がするんですね。
こういう件に関しては一向に打つ手がないのに、何かこう打つ手があるところにだけ手を打っていて、
しかも人は主体的に生きられるんだっていう言い方をする。
でもこれを言っても永遠にこの異論が終わらないだけなんですが、
生まれてくるということがそもそも能動的でない。
この話はよく精神分析でも出てきますが、生まれてくるというのは能動的ではないですよね。
私はナンガスタニシに生まれるぞと思っていないですから、ああいうのを想定するのも他人類なんですよね。
我々は生まれた時からそうなっているんで、多分なんですが寿命を伸ばそうと、
医療技術を進歩させようと死ぬということについて主体的ではないと思うんですよ。
死ぬのについて主体的だと自殺になっちゃいますよね。
つまり僕らは人生の超重大事については基本的には主体性を発揮できない。
こういう風に考えていくと主体性を発揮できる重大な局面って、
ほぼないにもかかわらず、重大ではないところでやたら主体性を発揮して、
人生全体に主体的に関わらなければいけないと一生懸命言っているというのは、
もうお馴染みになってしまいますが、
しょうもないところで主体的に関わらなければいけないというのは、
もうお馴染みになってしまいますが、しょうもない感じがする。
そういう話を最近2つ3つババッと思い出したんですよ。
1つは阿部工房の、阿部工房が書くことだから、
人生を主体的にコントロールしましょうって話には絶対なってないわけだけど、
砂の女っていう話が最近ちょっとある人と話題になったんですね。
あれは有名な作品で代表作ですけど、阿部工房の。
砂の女というのはですね、私はいつも千と千尋の神隠しを思い出してしまうんですよね。
似てるなって思うんですよ、ある意味。
つまり、木々っていうのは神隠しっぽさがあるんですね。
神隠しっていうのは想定もできなければコントロールもできないんですよ。
だって想定したりコントロールしてるのは常にその逆ですよ。
子供が神隠しに合わないように、親は常に想定しコントロールしようと頑張ってるわけです。
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街の近いところに不審者出たぞって言ったら、
今ではスマホに一斉にその情報が共有される時代になってるんですよね。
これはやっぱり神隠しを避けたいわけじゃないですか。
あのアニメでは結局神隠しであって悪くはなかったことなんだけど、
あれだって一本落ちると命に関わりますよね。
ああいうことはやっぱり必要なのかもしれないけれども、
必要だからと言って、じゃあこれから神隠しに合わせましょうっていうのはおかしいんですよ。
それに近いことを人間は望むのかな。
生ハゲとかね。
イニシエーションというものを持ってきたがるんですけれども、
それはあくまでもおままごとの息を出ませんよね。
本当にそういうことになって心身にトラウマを残すとか、
なったらやばいわけですよ。
だからやっぱり大体そういうものは、
結局いくらはいそうと頑張っててもやってきちゃうんですけれども、
そんなに軽々しく扱えるようなものではないし、
軽々しく扱えるようなものだったら意味がないわけですよね。
神隠しなんですよ。
砂の女もテーマは。
ただし大人です。
私はこっちのほうがやっぱりですね、
私たちには教訓にはなるなと思うんですよね。
主人公は学校の先生をやってるんだけど、
つまり学校の先生をやってる場合じゃないわけですよ。
つまりここには二重性があるんですよね。
僕はいつもこのことをよく思います。
喜喜ってのは二重性というものと一緒になってやってくる。
これは法則でもなんでもないです。
僕の経験的な感覚です。
ただ喜喜ってのは二重のものと一緒になってやってくる。
二重のものがそこに入り込んでくるっていうのをいつも感じるんですよ。
千吉博の神隠しそうでしたよね。
彼女は油屋で一生を得るつもりは全然ないんじゃないわけですか。
あそこから脱出するということを常に考えてますよね、彼女は。
とにかく脱出しなきゃと。
両親を豚から戻して脱出しなきゃと。
つまり両親は豚じゃないわけですよね。
彼女には帰るべき世界がある。
世界が二個なっちゃってるわけですよね。
あの話っていちいち二重制で何かにつけて二人登場してますよね。
全部二人ずつみたいなところがあります。
ああいうのってのは僕はすごく、さっき言った危機というか転換期に関して
必ず見えてくる特徴だなと。
これは別にグッドワイフステキってわけじゃないですよ。
グッドワイフステキっていうか、そういう風に僕は勝手に思ってるだけです。
ただ、よくそういう話ってするじゃないですか。
あの人と今頃結婚していたらこうたらこうたらとか、
あの学校に行ってなければこうたらこうたら。
つまり危機ってものにぶつかると人はですね、
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世界を二項考えちゃうと思うんですよね。
今いるここと本来いるべきあそこみたいな。
で、その時ってつまり、今いるここと本来いるべきあそこって両方とも
あるわけだから、現実は二つあるんですよね、心の中には。
それが並行して走っていると。
違う空間なのかもしれないし、違う出会いなのかもしれませんけど、
とにかく厳密に言うとそれはですね、
同時並行はできないはずの世界なんですよ。
パラレルワールドですよね。
で、そっちに移りたいということは危機だってことなんだと思うんですよ。
何らかの理由で。戻りたいかもしれませんけど。
戻りたいにして、結局移りたいわけですよね。
油屋を出たいわけですよね。
それは一つの危機というか、既に彼女には危機が訪れているんだけど、
でもあの映画って一番最初の時には、
すっごく千尋はつまんなさそうでしたよね。
つまり彼女は、今いるところに価値をあの時見出してなかったんだけど、
油屋に叩き込まれてみると、戻りたくってしょうがなくなって、
こういうことってよくあって、
砂の女でも一つのテーマですね。
学校の先生なんか全然やってられないから、
彼は妙蛮の神宗を探しに行くんですよ。
この妙蛮の神宗ってのが面白くて、
ここはちょっと鬱陶が良すぎかな。
導かれるんですよね。
昔妙蛮は道しるべとか言われてたんだそうです。
よくわからんけれども、
とにかく彼は妙蛮の神宗を探しに行くんですよ。
よくわからんけれども、
とにかく彼は妙蛮に惹きずられるようにして、
神宗を探しに砂漠に行ってしまうんですよ。
そこに砂の女がいるんですね。
だけれども彼はハメられてしまって、
砂から出られたくなっちゃうんです。
砂で出来ているっていうのかな。
砂に埋もれそうになっている村。
村なのか町なのか。
非常にですね、安倍候補なんで、
カフカ的で理不尽小説っていうのが、
不条理小説みたいなんですけど、
あの作品がよく出来ているのは、
カフカの審判、
あまりこれは良い話じゃないな。
でも審判っていうのもあるんですけれども、
カフカの不条理劇っていうのは、
あまりにもファンタジーライクで、
本当に現実はこういう不条理で恐ろしいんだよっていうのを
訴えているのかもしれないんだけど、
私にはそうは読めなくて、
なんかすごく作り話っぽいなって感じを
いつも抱いちゃうんですが、
安倍候補はそうじゃなくて、
こういう砂に埋もれそうな町って、
本当にありそうだなって感じがするんですよ。
観光協会があって、
そこに愛嬌精神かなって掲げてあるんですよね。
これが後々すごい不気味な伏線になっているんですけれども、
そういう道具立てがすごく上手なんですよ。
なるほど、こう不条理劇っぽさ、
18:00
なんか愛嬌精神で掲げてある、
そういうのを安倍候補が書くと、
いかにもじゃないですか。
だけれども、でも現実にあって、
つまりリアリティを書いてないんですよね。
リアリティがそこにはあるんだけど、
全く彼が陥っていく世界って
不条理劇そのものって感じなんですよ。
とにかく彼は帰りたくってしょうがなくなるんですね。
その砂の町から出たくって。
これおかしいわけですよ。
彼はそもそも元にいた世界が嫌になって
出てきたんじゃないのかと。
彼の後々に言っている言葉も非常に皮肉なんですよね。
この学校生活で毎日同じことを繰り返しているっていう生活は
味気なくて、砂に埋もれているようなものだ
みたいなことを言っているんですよ。
でも彼は本当に砂に埋もれる生活になってみると、
学校生活に戻りたくてしょうがなくなるわけですよね。
脱出するためにあの手この手を使うわけです。
神隠しになっちゃっているわけですよ。
千と千尋ほど楽しげでも希望がある感じではないですけど、
でも展開している話はほとんど同じで、
彼は結局砂を掻き出す毎日というものに埋もれていくんだけど、
元々そうだったっていうのが彼の考えなわけですよね。
二重生活なわけです。
彼は本当は妙蛮者の心象を発見して、
永遠に自分の名前がここがポイントですよね。
何者かになりたかったんですよ。
多分どこかに埋もれて、
死んでも名も知れず消えていく存在であるということに
納得がいかなくて、
永遠に自分の名前がイタリックで
大昆虫図鑑みたいなのがあるのかな、
そういうものに刻印される、
そういう存在でありたかったんだけど、
そういう展開にはならずに
砂の女に捉えられるという話なんですね。
これだけなんですけれども、
結局、今日お伝えしたかったのは
二重生活ってことなんです。
つまり、俺はここにいるべきじゃないんだっていう感じを持ちながら
そこにいさせられる、そういう危機ですよね。
一つの危機。
こういう感じってのが不調ってものには
常に響いてくる。
不調ってのはそれを意味するんじゃないかっていう気がするぐらいです。
ほら、最近は不調に皆さんがうるさくなってきたので
低気圧とかって言うじゃないですか。
つまり低気圧ということは
低気圧が来ている状態ではなくなってほしいってことですよね。
現実が二個あるはずだってことになってるわけです。
低気圧のある現実が
低気圧のある現実とない現実。
でも低気圧なんてめちゃくちゃしょっちゅう来るじゃないですか。
だから低気圧来るたびに不調になるというのは
一般的なとデフォルト不調であるってことになってしまうんですよ。
で、この辺がポイントじゃないかなと思うんです。
砂の女でもそうなんですけど
元いたところも砂のような生活。
21:00
今いるところも砂に埋もれた生活。
これデフォルト砂に埋もれた生活だよねっていうことを
阿部工房なんで
不条理劇と共に示しているわけですけど
現代人ってのはこういう風に生きさせられているんだって
この辺になってくると神とあんま変わんないなって感じもしますが
でもそこから脱走を脱そうとするわけですよね。
それだけがテーマではないですけれども
脱しようとする。危機だから。
で、私はあんまりないですけれども
やっぱりテーマとしては
テーマというのかな
現代という時代でも
いつもそうですけれども
人は私はもうスイジフォースの神話でいいんですっていう人は
まあいないわけですよね。そうそう。
砂を毎日掻き出して一生を得ればそれでいいんですとは
人は思ってないから
どっか行ったりするわけですよ。
ここじゃない。どこかへ。
ここじゃないところに行かなければいけない。
行かなければいけない。
その人の中にはやっぱり
現実が二つあるわけですよね。
すごく現代的なようで
偉く古典的なんですよ。
古典的なのかな。それはわからないんですけど
ただ河合俳夫さんが得意とするテーマですよね。
つまりイカロスなわけです。
鳥の羽つけて空飛んでいくわけです。
ただし撃墜するんですよね。
あの話は。
河合俳夫さんはそこをすごく言いますよね。
要するに母親から飛び立っていくんだけれども
飛び立ちきれずに落ちてくると。
これを永遠の少年と言うんだと。
永遠にこれを繰り返すから。
彼は何度かそれを図に描いてますよね。
河合俳夫さんは図に描いていて
上空に上昇していっては落ちると絵を繰り返す。
こういうパターンに飽きたらなくなってきてから
違う展開が生まれてくるみたいな。
そういう話をよく書かれてるんですけど。
私はあれはどうしよう。
どうしようっていうのはつまり
うちの娘も読んじゃってるんですけどね。
こういうのを読むというのは
どこかで必ずそういう話に付き当たりに決まってるから
いつ読んだって同じなんですけど
こういうのを思春期パイに読むというのは
つまりそういうことだなって思うんですよね。
いつかああいうことって必ず生じると思うんですよ。
飛び立っていくんだけれども
飛び立っていくっていうのは
物理的に本当にフランスとかに飛び立っちゃう人もいますけれども
今だけあんまりいないですよ。
この飛び立つっていうのは完全に
神秘的なものであって
その時はすごいんですよ。
永遠の少年っていうのはその辺が面白くて
飛び立つ時のモチベーションは極めて高くて
ぐんぐん上昇していくから
多くの人はすごくおーと思うし
嫉妬する人も出るんだけど
そうじゃないんですよね。
24:00
この種の問い立ちは大体失敗にもある。
いろいろ事情はあるんですけれども
要するに母は強いわけですよ。
母が強すぎるんですね。
その引力は伊達じゃないというか
逆に母がひどい親だから
もう私は完全にキレるぞっていう話をしている話ほど
キレてない感じがする。
だってその人は心の中に
お母さんがいちゃうわけだから
そういうことを言っているわけじゃないですか。
結局簡単に脱出できる
違うな、脱出せねばって思っているという状況で
それによって推進力を得ているということは
やっぱり脱し切れないなっていうものを
むしろ思い知らされるというか
その段階で何かこう
アレな感じがするんですよ。
全然今日グッドワイオス的な話じゃないんですけどね。
砂の女的な話になっています。
つまり妙蛮女の心象を見つけるぞと思っている時の
上昇気流は極めて大なわけです。
でも彼は結局砂の女に捉えられるということは
完全に母親のところに撃墜して埋もれているわけですよね。
だから女なわけです。
しかも砂と聞いていますね。
この砂を母と呼ぼうと大地と呼ぼうと
他に何と呼ぼうと時間みたいな感じもあるんですよ。
砂が積もっていくんですね。
それを必死になって掻き出していかないと
町全体が埋もれると。
その男は町全体が埋もれようと
何だろうと知ったことじゃないはずなんだけど
一番先頭に立って砂を掻き出す立場に
立たされてしまうわけですね。
そこから逃げられなくなっていくと。
そういう話で
永遠の少年とミドルクライシスを掛け合わせたような
非常に象徴小説
象徴小説しかあの人は書いていない気がしますけどね。
で、私が今小さな不調に囚われていると
つまり
ある意味ではそうなんだよなと
永遠の少年なんだよなと
大地のところで
母親でもいいんですけど
エネルギーを得て
そこから自分はこのままじゃいけないと思って
つまり二重生活に心の穴に入って
もう一つの生活に向かっていくんですけど
自分はこのままじゃいけないと思って
二重生活に心の穴に入って
もう一つの生活に向かっていくんですけど
そんなものは要するにないので
言ってしまえばですね
そして中年というのは青年と違って
ないということは分かっているわけですよね
これをあんまりよく分からずにできるのが
青年の特権ってやつなんですよ
若い人の特権ってやつなんですよね
本当に別世界があるんだと思うから
推進力が極めて大なんですよ
27:00
そのままうまくいく人だっているじゃないですか
っていう話は全然違う話になるんです
ただそうはならないようになっているんですよね
なぜなら私たちは多分
一つしか現実が持てないから
これは非常にグッドバイブスでも
言われることですけれども
現実は一つなので
この二つあるというのは
ユング的に言うとですね
今みたいな永遠の少年的な話も出てきますけど
フロイト的に言えば
あれはやっぱり良いおっぱい
悪いおっぱい的な話だろうなと
それより先へ行ったとしても
ヒステリー
ヒステリーって似ているじゃないですか
ヒステリーっていうのは結局
良いお父さんに向かって
人とやたら競争するんだけど
実はひどいお父さんでもあるから
嫌になって急に別れるという話になったけど
これは永遠の少年的に言うと
理想に向かってギューって伸びていくんだけど
ロウの羽なんで
溶けて撃墜すると
つまり
分離と結合
結合へ向かいそうになるんだけど
あるいは分離しきれそうになるんだけど
失敗してまた元に戻るという
そういう権利ですよね
話が極めて抽象的になっているんだけども
私はこれがですね
結局僕らは小さい規模でもこれをやるし
大きい規模ではしょっちゅうやるんですよね
長期計画的なものを立てた時って
いつもここじゃないかというものに
苛まれていて
そこから脱する計画を立てて
しかも何度か言いますが
ライフハックでもそうだし
今の時代というのは
これは良いことだってされちゃっているんですよ
いろんな大事な教訓をすっ飛ばして
ただ良いことだってことになっているんで
しょっちゅう撃墜を繰り返しているとかも
全然違う文脈で肯定されちゃうんですよね
挑戦を繰り返す意義みたいな話になるじゃないですか
永遠の少年が毎度毎度ミスって落ちてますっていうか
お母さんから逃れられていませんって話は
してないわけですよ
昔話の真相とかにやたら出てくるんですけどね
この順の話は
ので
落ちた時
不調というのはつまり
落ちた時か上ろうとしている時の
どちらかに意識されていることなんで
世界が二つある感じが
思っちゃうのは当然で
僕ら
ミドルクライシスみたいなもの
中年の時に聞いてきた話を
意識した
さらにその後となってくると
ポイントは落下中だなって
ある意味は思うんですよね
ここを考えようなんですよ
物は考えようってやつで
少年の推進力を使って
30:00
いろんなプロジェクトを進めたり
新しい何かを
作り出したりすることは
できなくもないわけじゃないですか
ただそれはたぶん崩壊するんですよね
崩壊しちゃうんですよ
そういうものに巻き込まれたり
自分がそうなったりした時に
大事なのはまず
墜落中だなと思うんですね
本当は墜落せずに
作り上げられればいいんだろうけれども
これがまたすごいことに
コントロールしたりはできないんですよ
最初に言いたかったのは
そういうことなんですね
できるぐらいだったら
砂に埋もれたりはしないじゃないですか
できないっていう部分が
間違いなくあると思うんです
この辺はウッドライブスの言うところとは
ちょっと違う意味になっちゃうかもしれないけど
大枠で言えば
私たちは受け身なんですね
必ず与えられる部分で
何とかするしかない
一番何とかしがいがあるところは
やっぱり下落中だろうと
思うんですよね
ここの受け引きついを
ソフトランディングにできるほど
やっぱり後々効いてくる気がするし
何よりもですね
やっぱりそこを
これは人にもよるかもしれないけど
ここはやりがいがあるだろうと
思わなくもないんですね
ただここはとっても難しいです
いわゆる後退戦みたいなものなんで
なんていうのかな
四季も上がらないし
やってて楽しいっていうものでもないし
ここでですね
妙なレベルで
勢いよく墜落して
ドカーンってなってしまうと
後々いろいろと
収集に追われなければならない
いろんなダメージを残す気がするんですね
だからここだろうなっていう感じを
これが多分
年を取るということなんですけれども
どっちかというとですね
少しずつ
この推進に関してはもはや
自分が飛ぶというよりは
巻き込まれる感があって
巻き込まれるというのは
身をにもよるんだけど
この巻き込まれるというタイミングで
迷惑だと思わないのが
一つのグッドバイブスかなと思うのと
落ちるときですよね
落ちるときに
どれほど本気になれるかというのが
もう一つグッドバイブス的かなと
この永遠の少年みたいなのは
なくならないと
僕はやっぱり思いますし
これはあくまでも
ユング的な解釈で
フロイト的に見ると
多分こうじゃない構造になると思うんですけど
どっちにしてもですね
例えば装的防衛みたいなのも
自分が発揮しなくたって
発揮されることはありますよね
そのとき何をするかみたいなのも
なのが
ミドル的かなというのを
最近ちょっと調子が悪くなって
考えるようになっています
そうですね
32:50

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