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2021-01-08 39:15

【GMV 293】導かれるために欠かせないこと

アスリートであれば走った距離は裏切らないかもしれない
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
なんとなくなんですけど、サブスタックというものを使ってメルマガっぽいことをやっておるんですけど、それがポツポツって増えたんですよ。
だいたいこういう時は、どこかでCMしていただいていて、
ハックスフォークリエイティブライフというですね、東京来客研究会の北信也さんがわざわざブログで取り上げてくださったおかげで大変ありがたいんですが、
大変ありがたいと私が思うのはですね、私よりやっぱりあっちの方がPVある人で、しかも多分グッドバイブスとかにどっぷりっていう感じでもないのに、
わざわざ取り上げてくださるという、非常にこれが繋がりっていうもんだよなと思ったりするわけですね。
なんかこう、グッドバイブスを毎朝すげえ聞いて、グッドバイブスの本を読むみたいな、そういうことであればちょっと違うんでしょうけど、多分そうじゃないと思うんですよね。
それの感じの価値感覚みたいなのからすると、多分何を言ってるのかどうも納得がいかんっていうことの方が多いはずで、でもなんか読んだり聞いたりはされてるんだろうなと思うとありがたい限りです。
で、その導かれるみたいな話が多分今日お話ししたいことのベースなんですけど、先日ですね、駅に子供を塾の送り迎えしているんで送った時の帰りの道中で、
ちょっと本当にですね、すれ違った会話が歩いてる時聞こえたんですけど、すごいありよしな会話でして、子供ができて自分の時間がないんですよねみたいな話を女の人がしていて、もう一人女の人が、本当それみたいな感じだったんですけど、
なんかですね、それは全く普通の会話なんですよ。ただ僕はこの話結構あっちこっちで、耳にもするし、自分もそう言っておけば間違いはないってやつがあったんですね。本当に不思議なもんで、子供に時間を取られる、同情されるんですけど、
実は僕、自分が面倒くさいからそういうふうに会話を切り上げちゃうんですが、本当にそういう実感がないよなっていうのがあるわけです。
その会話そのものに思うところはないんですけれども、子育てで自分の時間が取られるっていう時に多少でもそう思うとするならばですね、この話何度もしてますけれども、
03:12
一体その自分の時間ってどんな偉大なことをする予定なんだろうっていうのがよぎっちゃうんですよ。前にも言いましたけど、なんかピカソかアインシュタインなのかあんたって思っちゃうんですよ。自分にツッコミが入るみたいな感じなんですけど。
今って子育てってすっごい推奨されてるじゃないですか。されてるんですよ社会では。僕が子供の時なんか本当考えられないレベルで段違いですよね。僕が子供の時なんて一歩間違えば子供一人産んでるなら税金よこせぐらいの勢いだった感じなんですよ。
今って子供一人持ってるとお金くれますからね、国が。いまだに私のところにも毎月1万円ずつ子育て給付金と、あれは民主党と自民党が争った時に旧民主党と子育て支援合戦みたいなのが起こってくださったおかげなんですけど、非常に僕はですね、今それがいいとかそういう政策が素晴らしいって話ではないですよ。
あくまでもこれはなんて言うんだろう、世の中は子育てというものにすごく強調的だよねと思うんですよ。
とはいえ怒りは渦巻いているんですよ、子育てを巡る環境について。
日本死ねみたいな話もあったわけじゃないですか。
私が子供の時なんて、子供死にそうでしたよ。
私も今は時々ちょっと思い出してゾッとするんですけど、すごいちっちゃいタイヤの輪っかが20インチないやつで猛烈に走り回るんですよ。
そんなもんなんですよね、埼玉県辺りでは、ベッドタウンとかっていうんですけどね。
本当にガーって走り回って時速30キロぐらいで脱出している時もあったりして、そんな柔軟うんちの自転車で、だから小学校入る前かぐらいなんですよ。
で、妹とかと一緒にですね、近所のガキどもと一緒にですね、走り回るわけですよ。
死んでても絶対おかしくはないことをやってるんですよね。
現に私死にそうになったことが、それで4回ぐらいはある。
私はそれでも、その近所でもおとなしい子みたいな子だったんで、無茶やるやつはとんでもないんですよね。
今じゃ絶対ありえないことですね。
あんまりちっちゃい子は自転車をそこらじゅう塗りまわしたりしないですから、今は。
06:01
ヘルメットとかみんなかぶってるし、大人3人ぐらい見てたりしますからね。
本当に変わりましたよね。
この子育てということに対して、こんなに社会が超強調的で、私の目からすると、私自身が育った環境はこれに比べれば100倍ぐらい劣悪だったんですよ。
これに比べれば100倍ぐらい劣悪だったんで、とはいえ、私の聞いた限り、私より年配の人たちが子供時代はもっとはるかに劣悪でしたから、
すごい変わったよなと本当思うんですけども、この子育てにみんなが子育て万歳みたいになってる中で、
子育てすることほど、僕の感じでは、すげえ社会貢献してると思うことは滅多にないんですよね。
滅多にないんですよ。子育ての代わりに僕が何かしたい、それの方がやる意義があるって思えるようなことって本当に一つでもあるだろうかと考えると、
あえて言うならば、タスク集との仕事の大橋哲夫さんと一緒にやってる何かにちょっと頑張ってる時が、子育てとどっこいどっこいぐらい。
あとは蔵園圭三さんと一緒にやってるYouTube番組とか撮ってる時が、社会貢献度は高い方なのかなみたいな。
あと、本の原稿書いてる時。でも、子育てよりもそっちの方が圧倒的に上ですと思えるような瞬間はないですよね。ないですよ。
まして、自分の時間となってくると、今の3つは仕事の時間だから、自分の時間となってくると、子育てをサボる代わりに漫画読むとか、全然ダメじゃんって思うんですよね。
子育てをする代わりに相対性理論の問題を解くとかなら、発見に向かうとかなら、わからんではないですよ。
子育ての代わりに自分の時間で何するんだろうって思うんですよね。
ゲームするんだろうかみたいな。でもゲームは子供と一緒にできますからね。
何をすれば子育てよりも有意義な時間だ。間違いなくこっちの方が有意義だから保育園に預けますみたいなことが。
絶対的に大手を振って言えることって、私の行動の中にはどうしても見つけられないんですよね。
他の人は何を指しているのかが大変気になるんですよ。
だからといって別にこれは、だからみんなもっと子育てに邁進しろとか、そういうことが言いたいわけではないんですよ、別に。
私は死ななければですね、昔のように育てられてる方が気楽で良かったなと思わなくもないんですよね。
今は子供が確かに大事にされてるんだけど、囚人監視みたいな感じで、しかもすごい手厚いので、ある意味逃れられないところがあるんですよね。
09:01
難しいところだとは思いますが、子供との悪さがしたいですよね。
今の子みんなすごい良い子ですもんね。
私なんかはそれでも大人しいと言われてたんですよ。
でも無茶苦茶なことをやってたんですよ、結構大人に隠れてですね。
あれを安全にするっていうのは難しいんで、どうかとは思うんですよ。
本当に無茶苦茶なことは結構、でも多分私の父の話の無茶苦茶さに比べれば実に可愛いものなんですけど、
今の子のやる悪さって本当にそんなものはないっていうレベルなんですよね。
あれってなんかちょっと可哀想だなって思うんですよ。
10年生きてて悪いことはしない。
大抵の子は悪いことをしてるって言ったって、友達に向かってちょっと石投げたとかそんなレベルなんですよね。
私はそんなレベルではなかった、本当に。
人と争わないほうだったけど、でも近所のちっちゃい子を川に突き落とすとか、
私も自分も突き落とされるとか、空気銃で撃たれるとか、そういう世界でしたからね。
絶対今だったら、保護者みんな呼び出されますね、そんなことが起こったら。
というレベルのことが、毎日ではなかったけど、夏休みが来る度に1回ぐらいは絶対あるみたいな。
でも父の話とかを聞くと、これ以上のことがほぼ毎日ですからね。
子供本当に死んでたりしてますけれどもね、今の時代って子供死なないですよね、そもそも。
すごいその辺がですね、私は難しいなとは思うんですよ。
大事にしなきゃならないと、そもそも一人っ子ですからね、大抵の子は大事に育てたいという、
それ自体はいいことだと思うので、非常に大事に育てられているということは、やっぱりどうしたって見守られているわけで。
見守りなんとかみたいなのもいっぱいあるんですけど、何しろ逃れられない感はあるんですよね。
その話をちょっと置いといてですね、その一人、自分の時間ですよね。
この自分の時間というものが何て言うんですかね、野望とか待望というようなものとの関わりにあるのであって、
決して子育てを放棄してDMMを見るって話じゃないのは分かるんですよ。
この話を考えた時にですね、不意に思い出した言葉があって、誰かちょっと名前がどうしても最近出てこなくなるんですけど、
マラソンランナーアスリートさんが言ってた、走った距離は裏切らないだったと思うんですけど、ちょっと違ってたらすみません。
最近、うちは箱根駅伝を見るという毎年のイベントがあるんですけど、同じセリフが紹介されてたんですよね。
12:03
走った距離は裏切らない、要するにマラソンをする時にはトレーニングで走り込んだその距離は、
その距離に応じて勝者が決まるんだみたいな話ですよね。
これがですね、これが自分の時間でやりたいことなんだろうなっていうのは分かるんです。
で、この走った距離は裏切らないか、面白いところに転用されるんだなと思ったのは何回かですね、何回か、
ブログで自分をブランディングするみたいな講習の時に出てくるんですよ。
走った距離は裏切らない、だから書いた文字数は裏切らないって言うんですよね。
で、アップした記事数は裏切らないみたいなそういう話になって、これは面白い転用だなと思ったんですよ。
で、アップした記事数は裏切らないというのはつまり、記事をいっぱいアップしているうちに、
なぜ自己って言うんだ、セルフブランディングが確立していって成功者になれる。
その記事数という、書いた記事数と文字数というのが、そういう風に走った距離ですよね。
という考え方なんだなって思うんですけど、
私にですね、これと紛らわせた記事数は裏切らないというのは、
私にですね、これと真逆なことを時々アドバイスしてくれたのが大橋さんなんですよ。仕事のパートナーのね。
彼はそういう考え方の持ち主のように一見、つまり走った距離は裏切らなさそうなんですけど、
そうじゃないんですよ。
パッとですね、その人がやると良さそうな、しかもあんまり世の中では行われなさそうなことを、
彼は不意に思いついてくれるんですよね。
それでこう、全然自分が今までやってもこなかったし、やろうともしてなかったようなことが、
不意にこういうこともやってる人がいるんだよっていう話をしてくれて、
そういうのが詳細ってものなんだろうなっていうのを話し聞く度に思ったんですよ。
で、これって何て言うんですかね、ニーズなんですよね、言ってみれば。
走った距離は裏切らないというのはニーズじゃないんですよ。
プランなんですよね。計画なんですよ。
このままずっと毎日走り続けていこうというプランなんですよ。
ノープランではないんです。ノープランだったら出てこないんですよ、この走った距離は裏切らない的な発想というのは。
15:07
どうしてもこの、何て言うんだろう、走った距離は裏切らないって言っていて、
すっごい頑張ってブログ書いてる人とかを見てたんですよ、私は。
眺めてたんですね。どうなっていくんだろうと。
なかなかですね、マラソンで金メダルみたいなことにはならないんですよ。
で、それはやっぱりそうだろうなーってなんとなく思ってたんですよね。
つまりそこには、なんかですね、ストイックなものはすごく感じるんですよね。
ストイックなものは感じるし、人が、ここがいけないんですよね、一つ。
人がそう言うんだから、成功してる人がそう言うんだから確かなんだろうっていうところがあって、
それは嘘っ端なわけじゃないんですよ。
かつまさん、かつまかつよさんね、とかを見ていると、なるほどこう、
すごい記事数だし、すごいYouTubeの番組数だし、なんだけど、
えっと、彼女にしてもそうだと思うんですけど、ただ走ってるわけじゃないという感じがするんですよね。
そして何よりも走った距離を裏切らない人っていうのはアスリートなんですよね、既に。
あとは走るだけみたいな感じの人が多いんですよ、それを言って上手くいくっていうのは。
アスリートじゃない人までも一緒になって、走った距離を裏切らないと言って走り出していてもですね、
なんとなくこう、まずアスリートになれるかどうかもちょっとおぼつかないんじゃないかっていう感じがあるんですよね。
この最近、最近ではないですね、もうすっかり10年以上前から流行っているこのインターネットで
コツコツやってブランニングしていくっていう発想はなんとなくですけれども、
アスリートな人とアスリートじゃない人が一緒になって同じトレーニングを始めるんだけど、
差が開いていってしまうという感じを私は受けるんですね。
で、何よりなんとなくこう、感じるのはストイックなんだけれども、
だからストイックだから成功するっていう感じがあるんだと思うんですけど、
僕はストイックだから堅くなだなって感じがするんですよ、どっちかというと。
ここに若干難しさがありまして、ユーズの効かなさみたいなもの、
これがある種のなんとなくプロには必要なもののような気がするんですよね。
間違っているということを含むっていうところがあるんですよ。
本当のことはわからないっていうのは、いろんな意味で独特の眼蓄があってですね、
本当のことがわからなくてはやってはいけないんですよね。
18:01
金メダリストの人が言った、走った距離は裏切らないって言った時に、
もうね、これは走った距離が裏切ってはならないのだみたいなものを感じるんですよ。
それっておかしいですよね、明らかに。
本当のことはわからないじゃないですか。
ところが私は本当のことがわかってるんだってことになっちゃってて、
本人もそういうふうになっちゃってるなって思うんですね。
パートナーである大橋さんが、よくご自身のそういう面を指して、
プロデュースっていう言い方をされるんですけど、
僕にはプロデュースっていう感じではなくて、
これに名前が付けられないからプロデュースになってるんだと思うんですけど、
なんとかアドバイザーなんですよね、僕の感じでは。
彼のタスクシュートみたいなものは当然あるとして、
仕事みたいなのをずっと書いてるっていうか、ずっと運営してるっていうのもあるんですけど、
それを恥じった人には裏切らない的に他の人の目には見えるんだと思うんですけどね。
ただ、私はそういうことではなくて、
なんか彼のすごさっていうのか魅力みたいなのっていうのは、
よく知ってるってこともあるんですけど、
不意に出てくるんですよね。
この人はこっちに行けば導かれる感じがするみたいな、
そういう、ある意味、そうじゃないけどスピリッチあるみたいですよね。
お導きの方向を示せる占い師みたいな、そういう感じなんですよね。
プロデュースっていうことになっちゃうと、
走った距離は裏切らない的な何かが必要になっちゃうんですよね。
彼はそういうことを横で言ってビシビシ言うコーチって感じでは全くないんですよ。
私がずっと一緒にやっていて、
で、私は私でビジネス書を書いていく作家みたいになってたじゃないですか。
この流れの中ではですね、むしろそういう示唆っていうのから来る、
私が一緒にやっている、
私が一緒にやっている、
私がビジネス書作家として彼にプロデュースされたって感じがしないんですよね。
それは、どちらかというと、
ビジネス書作家とかはもう、
続けていても難しくならないっていうニュアンスがあったんですよ。
彼と一緒にやってて。
で、私も絶対そうだと思ったんですよ。
ここが変なところなんですけど、
ビジネス書作家っていうのは、
変なところなんですけど、
ビジネス書作家って未来ないなって思ってたんですよ。
いろんな観点から見ても、
あんまりこの先行きが明るいとはとても思えないぞっていうのは、
はっきりあったんですよ、私の中に。
でも、だから大橋さんのように、
なんとかアドバイザーっぽい視点からすると、
21:00
そっちに行っても導かれないよって感じがあるんですよ。
ところが、私はそう思っているにも関わらず、
そっちに行っちゃうんですよね。
こういうところが、
僕が思うに、
どこかプロっぽい人には必要だっていうのなんですよ。
自分で言うのはちょっとあれなんですけど、
でも、賢明じゃないんですよね。
賢明っていうのは賢くて明らかなやつですね。
賢明じゃないんですよ。
私、走った距離は裏切らないっていうのは、
賢明じゃない人の言い分だと思うんですよ。
なんかおかしい、少しずれちゃってる。
でも、走った距離は裏切ってはならないんだみたいな。
キリストがそう言ったんだみたいな、
そういうおかしいじゃないですか、それって。
頭のダメなそうな人の、悪そうじゃなくて、
頭がダメになりかけた人の言いそうなことですよね。
僕もそういうところがあるんですよ。
先日、クラゾンさんに何度も同じことを平気で繰り返すっていう指摘を受けて、
それは自分にはどうしても付きまとうって思ったんですよ。
ドコンジョウガエルの娘とかの話を盛んにする。
あとフロイトの話とかを飽きもせずする。
なんかこう、みんなが聞いてるかどうか、
聞いてない人の方が多そうなのに平気で喋り続けるみたいな。
僕にはそういうところがあって、
あと多分頑固っていうのとも違うんですけど、
自分の中ではまだまだ言い足りないみたいなのがあってですね、
言い続けちゃうんですよね。
他の人はもういい加減、言われたことあるんですよ私。
何人かの手厳しいファンの方に、
いい加減佐々木さんタスクシュートはもういいですよみたいな、
そういう飽きました、飽き飽きですみたいなことを言われたことがあるんですけど、
なんかそれはわかるんだけど、
いやいやまだまだあれとあれとあれとみたいになっちゃうんですよ。
これは走った距離は裏切らないっていうのと、
私の場合は違うんですけれども、
もうこの先に何かがあるとも思えない。
これを続けるのが懸命だとも思ってない。
この道の先にいいものがあるという気もしないんだけど、
どうしてもそっちに行ってしまう。
そしてもうそれは他の人の言ってくれることの意味はよくわかるんだけど、
それでも何とかしてこっちに行き続けたいみたいなものがあるんですよね。
そしてそれはレールはないんですよね。
道なき道でしかもその先はダメな感じがするんだけど、
それでも行ってしまうっていうのがあるんですよね。
これは僕はプロデューサーには必要なものだと思うんですね。
プロデュースするときってのは、
そういうこのままではダメだっていうのを
諸どもしないみたいなのとも違うんですけど、
24:01
このままではダメなんだけど自分だけはダメにはならないんだみたいな、
そういう間違った思い上がりみたいなものを
たぎらせていかないと行けなくなっちゃう気がするんですよ。
プロデュースみたいな話になってくると。
だから私はプロデュースされるっていう感じは受けないかったんですね。
プロデュースって難しいんですよ、そういう意味では。
誰にもできないんじゃないかと思うときがあるんですけど、
それができる人もたまにいるんですよね。
なんか奇妙なコーチみたいな、
その選手にだけ通用するやり方を教えられるコーチみたいな、
そういうものを感じるんですよね。
私は割とその辺はいなくて、
ビジネスショー本当に一人で我流でずっと我流で
いろんな話を聞いてくるんですよね。
我流でやってると、
いやビジネスショーってこうじゃないですか佐々木さんとかって言われるわけですよね。
でもその話一つ一つには
いちいち一回一回納得するんですけど、
一回も結局納得しないんですよ、自分としては。
なんかですね、
そんな話には納得できないっていう自分がいて、
決して納得しないんですよね。
結局、つまり間違いを含むんですよ。
走った距離を裏切らないというのは、
きっと間違ってるんだと思うんですね、私は。
でもその人にとってはもう、
それは間違ってるということは認められなくなっちゃっていて、
そのままいっちゃうんですよね。
そしてうまくいっちゃう。
だからそれは、
人に伝えるべき発想では本来ないと思うんですよね。
私は自分のビジネスショーをずっと書いてきて、
いろんなことを考えるようになったんですけど、
どれ一つとして、
合理じゃないと思うんですよね。
合理言う人いっぱいいるんですよ。
で、その合理でうまくいってる人もいっぱいいるんですよ。
なんですが、
多分それは合理ではないと思うんですよね。
だから、
なんですが、
多分それは合理ではないと思うんですよね。
本当にこう、
そこでの何か、
偽法則みたいなのを考えつかずにはいられないって人結構いまして、
不安になるからだと思うんですけどね。
なんていうんですかね、
例えば、
タイトルに数字を出さなければ売れないとか、
そういう何か偽法則みたいなものを
編み出さずにはいられないっていう人が多いんですよ。
多分どの業界にもこの種のことはあると思うんですね。
すぐ、ちょっとやっただけですぐ法則が出てきちゃうんですよ。
これからの時代は9つが必要だとか、0が必要だとか、
そういうのがもう1000個くらいあるんですよね。
で、1000個とも無視することになるんですよ。
1000個とも無視するためには、
自分の中にも1個や2個の偽法則、
しかもそれにしがみついて、
溺れそうになった時は必ずそれにしがみつくような偽法則が
27:00
必要になる気がするんですよね。
これはグッドワイブスでも何でもない話になっちゃってますけど、
ただですね、なんか私がよく思うことは、
導かれるというやつはですね、
お導きみたいなやつはですね、
いっぱい間違えられる気がするんです、その途上で。
だって、いわゆるグッドワイブスで言うところの
導くということに、
途中で間違っていたものは導かれないということであったら、
私はグッドワイブス的に言えばですね、
46、47年間違い続けてるんで、
もう絶対に導かれそうにないですよね。
でもそうはならないんですよね。
過去の失敗と間違いとダメな行いは
概ね全部生産されてしまうんですよ。
過去はないですから。
そうするとですね、
その後、
これは宗教じゃないんであれなんですけど、
悔い改めればですね、
すぐいい方向に向けるんだなっていうのが、
結構これのやり方のいいところなんですよ。
ただ、これもまた非常によくできていて、
グッドワイブスってある意味、
私が経験したものとして、
糖質制限と似てるなっていうのがありました。
糖質制限って人にもよると思うんですが、
砂糖経つ、ご飯経つ、
紺菜経つ、果糖経つ、果物ですね。
やるとパッとですね、
いろんな症状がパッと消えたりするんですよね。
アトピーも消えて、
私喉の胃が胃がみたいなのがずっとあったんですよ。
パッと消えて、
で、本当胃腸の不調みたいなのがあったんですけど、
パッと消えるんですよ。
ところが、
それまで蓄積してきた、
いろんな糖質の、
大量の糖質の食べ物の、
痕跡みたいなものが、
あって、
この糖質制限を続けていて、
1年ぐらい経ってから、
あっ、この痕跡が消えるまでには、
もっと時間がかかるんだってことに、
後から気づかされるんですよ。
あっ、やっぱり40年食べてきたものを消すには、
20年ぐらいはかかるんじゃなかろうかってのが、
本当に薄くて、
症状の表面には出てこないレベルなんで、
気にしなければ気にしないで済んじゃうんですけど、
やっぱりここまで消すには、
もっとかかるってのがあって、
それと近いものがですね、
グッドバイブスにもあるんですよね。
グッドバイブスをなんかこう、
インストールできてしまえば、
翌日からも、
価値マックスな俺みたいになれるんですよ。
一つ意識で楽に、
みたいなのもなれるんだけど、
やっぱり40数年経ってから、
そうじゃないんで、
方向にマッシュぐらいに向かっていた頃の、
いくつかの痕跡っていうのはあって、
1年ぐらい経ってから、
この痕跡が消えかけると、
こんなに違うんだみたいな、
後から気づく部分ってのがあってですね、
体質改善ってよくできてるなって思うんですよね。
一番おいしいところは、
うまくいけば、
数日で手に入っちゃうんですけど、
体質改善みたいな話になってくると、
30:02
やっぱりこう、
時間かかってるんですよね。
で、それはもう蓄積なんで、
取れたか取れないかっていうのは、
取れてみないと実感できないんですよ。
そういうところってあるなと、
思うんですね。
で、
今日はなぜか大橋さんの話が
いっぱい出ちゃったんですけど、
要は私が思ったのはですね、
一方で、
こう、
何かでプロっぽくなっていくみたいな時に、
もう迷信を信じ切るみたいなところがあるんだけど、
彼のアドバイスというのは、
非常に理にかなってるわけですよね。
いやいや、そっちはもうやめて、
こっちを見ようよみたいな。
そういう、
こう、
ちょっとしたいいタイミングで、
あのバスガイドが右手に見えますのは、
っていうあれですよね。
あれがパッとやれるっていうのが、
あの、
独特の作品なんですよね。
あの、
独特の才能だなっていうふうに思ったわけです。
で、多分、
そうやるほうがですね、
やっぱり商業、
いわゆるビジネスをやっていく上では、
必要で、
走った人よりは裏切らないとかって
ずっとやっていくのが、
全然ビジネス的にはダメだと思うんですよ。
しかもですね、
それが結局私は自分の時間ということに対する
固執になった時に、
一番僕は、
サバイバス的じゃないほうから
考えたことなんですけど、
走った距離は裏切らないという迷信は、
あの、
ある種の道で体制していく。
体制できるとすれば、
一つの必要な条件だけれども、
別にそれは、
自分を幸せにするものとかではないし、
必須なものでもない。
だから、
子育てをしていて原稿を書けませんみたいなのは、
ありなんですよ。
それは、
右手に見えますのは的な意味で、
ありっていう意味でもあるんですよ。
なかなか、
今の時代、
何だってできるじゃないですかって言うけれども、
そういった次に出てくるものって、
割とありきたりなんですよね。
そういうことを、
大橋さんと仕事をしていて、
よく感じたんですよ。
彼が言うようなことは、
他の人はだいたい言わない。
今の時代、何でもできるじゃん。
例えば、YouTubeにYouTuberとかって、
それ、全然何でもになってないじゃないかって思うんですよ。
昔、今の時代、
何でもできるパイロットになったっていいしっていうのと同じで、
なんていうのか、
それはみんながすぐ言うやつじゃんっていうやつになっちゃうんですよ。
ちょっと前は、
今の時代、何だってできるじゃん。
ブロガーになったでもいいしって、
ブロガーしか出てきてないわけですよね。
数え切れないほどやれることがあるっていうなら、
10個くらいは出してほしいところなんだけど、
ブロガーとかYouTuberとか、
しかもそれは全部、
ネットで一発当ててる人たちの話だなっていうような感じになっちゃうんですけど、
33:02
そうではないんですよね。
そういうちょっとしたヒントがあって、
しかもそのヒントは、
多分結構いけそうだという感じがあるんです。
それを私は小耳に挟みながら、
ビジネスってこうやっていけばいいんだっていうのを
実際には採用できずにですね、
ひたすらビジネス書を書く人みたいになったんだけど、
ビジネス書を書きながらそういうのをよくやってました。
時々というのか、
何かと組み合わせるとか、
誰かと一緒にやるとか、
書くことそのものからすると若干枝端的な話なんですが、
そういうことをやってないと、
多分全く触れなくなるんだろうなっていう感じがします。
結局それはニーズだからなんですよね。
依頼だからなんですよね。
多分彼の目には独特の方向からやってくる依頼みたいなものが見えるんだと思うんですよ。
私にはそれが見えない。
しかも私はそういうのを見ないという方向性で生きがちな人間だったから、
自分で勝手に道なき道に無理やり道を書いておいて、
こここそが神の行く道みたいになっちゃうんですよ。
それをやってしまうと誰もそれを望んでないわけですから、
売れもしない本を量産しようとするわけですよね。
売れもしない本は量産できないので、
結局よくいるというか、この種の人にはよくある
金難しいものづくり屋みたいになってくるじゃないですか。
ここをうまく避けてこれたのは、
どう考えても彼のおかげだなと思うんですね。
これはプロデューサーというのとは僕は違うような気がする。
アイデアマンみたいな感じなんですけど、
アイデアマンというのとは全く違う気がするので、
そういうちょっとしたアドバイザーみたいなのがあるんだなっていうのを思うんですね。
これは余人に想像できることではないなと。
つい先日、つい最近、一昨日ぐらいですよね。
突然妻が台所のやたら大整理を始めてしまったんですよ。
綺麗になるんだけど、どこに何があるのか全然わかんないんですよ。
なぜそういうことをしだしたかというと、
テレビでYouTuberの影響を受けてるんですよね。
そして次に言いながら、
あなたももっとYouTuberをやればいいのよみたいになっちゃうんですよね。
これがすごく大端的でないなと。
これこそがよくあるアドバイスなんだなって思うわけですね。
気持ちはよくわかるんですよ。
彼女からするとマータらしいですから。
それがどういう風に今なってて、どんな劣等者なのかということは全く知らないんだけども、
それを見て、どういう風に今なってて、どんな劣等者なのかということは全く知らないんだけども、
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すごく新しいので。
テレビタレントとかでもなんでもないのに、
全くそこら辺の主婦っぽい人がやっているキッチン収納術みたいなのを見て、
自分もすごい感化を受けて、そして本当に綺麗になると。
そういうのって大きな衝撃だと思うんですね。
これを野木場にやらせればいいと。
ところが私がやるものは、
非常に強く映像的ななんとか術とはちょっと違うんで、
これキッチンを動画で撮るのと、例えばエヴァノートの整理を動画で撮るのは全く違うんですよね。
そしてキッチンの整理は極めて多くの人が必要に置かれてやりますが、
エヴァノートの整理とかは、やってもやらなくてもどうでもいいわけですよね。
しかもたまたま見たキッチン収納術のその人は、
どのくらいアクセスだったのかわからないですけど、
そういうことをやっている人はいっぱいいるわけじゃないですか、すでに。
たまたまそういう世界観を自分は見たことがなかったというだけであって、
いっぱいいるわけですよね。
たまたまそういう世界観を自分は見たことがなかったというだけであって、
いっぱいいるわけですよね。そんなことをやっている人は。
風間風予算もそれこそそういう話はされていましたし、
すでにいっぱいいるわけです。
だけれどもやりようはあると思うんだけれども、
ただただ動画を私の仕事で撮って、やってうまくいくってもんではないですよね。
こういう時に、自分が思うことはできないような、
私の仕事で撮ってやってうまくいくってもんではないですよね こういう時にさっき私が受けていたというなんとかアドバイザーみたいな
現に私たちはすでになんかこう タスクシュートの使い方の動画みたいなものを撮ってますし
妻はそういうことを私が一切やってないものだと思い込んでたんでしょうけど 撮ってますしそういう意味でも
この種のことって見えにくいって思うんですよ 見えやすいものしか見えない
だからあの 依頼を敏感にキャッチするっていうのはもう
才能なんだなっていう感じが少しするわけです そしてやっぱりこう依頼というものを一切交流に入れずに
こう走った距離は裏切らないっていうのはストイックで立派だとは思うんだけれども 多分それって一本は違うとただただ辛いだけになってしまう
とはいえ本当のことはわからないし無駄なことはないとは思うんですけれども でもやっぱりですねそのなんかがちょっとずれちゃうんですよ
子育てをする代わりに私が今からプログラミングを一生懸命勉強して カエルとかがぴょんぴょん動くぐらいのところまでをプログラムしたからといって何もならない
じゃないですか だったら娘と一緒にゲームしてる方がいいと思うんですよね
39:00
という話に自分の時間って言った時にすごくなりにくくなるのは
なんでなんだろうっていうふうによく思います
39:15

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