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2022-02-28 43:54

【GMV 559】警戒して得することは一つもない

死なないのに致命傷に備える価値はない
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
3月13日の日曜日に、グッドバイブスごきげんな子育てライフというのをオンラインで2時から14時から開催します。
お金に比べると、値段はプライシーなのですが、
初めての試みということもあるのですが、私の考えでは一番いいのが、一番グッドバイブスが有効に作用しそうなのが、一つはこれです。
もう一つは、はっきりしませんが、一つは少なくとも子育てなんです。
自分の経験上、もう一つは、自病みたいなものかなと思います。
何が一番に効くかは言えないのですが、私の経験というか、私の中では一番ここに作用していたのが大きいのがこれです。
そして効果も大きい。
大変だということがあって、実際ちょっと大変で、子育てというのは。
一つには、不慣れというのが大きいのです。
労働的な大変さよりも、人間というのは不慣れというのにやられやすいところがありまして、
もう大体これを聞かれている方はすっかりお忘れだとは思うんですが、
免許を取るときの苦労って結構した人はいらっしゃるはずなんですね。
免許を取るときの苦労ってなんてことないじゃないですか。
乗れるようになってしまえば、一体あれのどこに苦労があったくらい簡単なことをやっていたと思うんだけど、
あれ結構つらいと思って途中でトンザする人まで出てくるんですよね。
それは、慣れてないということがほとんど全てだと思うんですよ、あのようなものは。
慣れてないということって、つまり神経学的に言えば、それ以外の神経がいっぱいそこのところに集まっていて、
無駄なことばかりやるということでしかなくて、借り込みという言い方をするんですけど、
全てが明らかになっているわけじゃないですけど、多分ですね、
特定の神経が簡単に動くように、私たちの技術系の脳の働きというのはなっていて、
それなんですが、残念ながら子育てというものは、そういうふうになっているということを自覚したころには、
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子供はもう大きくなっているんですよ。
つまり、しかも最初は一番大変な時期に一番慣れていないという、当然なんですけどもね、
だからこれは大変だという側面もあって、そこのところでいろんなですね、
恨みつらみやらが飛び出しやすい構造にまたなっているんですね。
私はもうこれが起これば必ずどうしようもなくなるなと思ったので、
極力うちの実家の母ですね、一緒になる介民がよかったので、
実家の母に口を出させないように割と総力を挙げた感があったんですよ。
あれは面白いことに、口を出したくなるんですよね。
ほら、初心者ドライバーに恨みつらみやらが飛び出しやすい構造にまたなっているんですね。
初心者ドライバーに全ての運転ができる人はなんとなく口を出したくなるものですよ。
その気持ちは当然湧き起こるものなんだけど、そんなことを言われたからといって、
急に初心ドライバーってうまくならないですよね。
あれと全く同じ現象がきっと起きるんだけれども、もっと悪いんですよ。
なぜなら実家の母はベテランドライバーにこの場に相当しないんですね。
子育てというのはずっと前に2回やっただけなわけです。
しかもそれがうまくいったのかどうかという保証もない中で、
口を出したくなるのは自分経験者だという、たったそれだけのことなんですよ。
スキー場に2回行ってもちっともうまくならない人もいるじゃないですか。
うまくなる人もいるんですけどね、2回ぽっきりでも。
そういうのと同じで、口を出す人がこの場合優秀かどうかは
疑わしい限りなんですよね。
ところが口は出したくなるものなんですよ。
責任もないしね、あんまり。
だからそこのところはすごく私が意識したことなんですけれども、
つまりこれってグッドバイブスなんですよ。
結論が唐突な感じがするんですが、
私はこれはグッドバイブスだなというふうに後から考えると思うんですね。
当時はなかったからグッドバイブスだ。
言葉もなかったわけじゃないですけど、
今の知る概念としてはなかったから、
手探りで頑張ってたわけですが、
ここのところを結局手探りはありますけれども、
意識して捉えるようにすると、
これは本当は無意識でやるのが一番いいんでしょう。
でも意識して捉えるようにやらないと、
子育てというのは実は長期でやるものではないので、
短期には感じられないとは思うんだけれども、
実際には一番大変な年月というのは、
2,3年の間に集中するはずだと思うので、
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せいぜい4,5年、多分5年とかはいかないケースが多いと思うんですよね。
例えばお風呂入れるみたいな、
具体的に言うとそういうお風呂入れるみたいなシチュエーションで、
こじれがちなわけですよ、いろんな意味で。
それは今から思うのなんですが、
本当に発想が不信感というものしか兼容しようがないので、
もうちょっと本当は違うんだけれども、
不信感と警戒感が働くせいで、
こじれていくんですよね、止めどもなく。
そういうことが起こるので、
もしそれに苦しんでいたらですね、
苦しみの正体は常に不信感と警戒感、
つまり信頼できる相手ではないというかどうかの問題、
以前のところに必ず少しあるというのをお伝えできるんじゃないかと思うんです。
それを伝えられたくないという気持ちもきっとあると思うんですよ。
不信と警戒ってそういうものなんで。
例のニュースを徹底的にはしているあれは、
不信と警戒の塊なんですね。
不信と警戒をしている人にしてみると、
不信と警戒を解けって言われることはナンセンスなんですよ。
どうしてもそういう心理状態になるんですよね。
だから不信と警戒を解けと言われないまま、
不信と警戒が解かれるというのが、
今の戦争中の人にはそういうのは無理です。
無理な気がします。
そもそも誰かがそこに行くことができないように多分なっていると思うんで、
無理なんですけれども、
我々は幸いにして、直接誰かと会うことができます。
モマトモとかそういうケースもそうなんですけど、
有効に作用するときはいつも同じなんですね。
不信と警戒が解けるからいいわけです。
不信と警戒が解けないと、解けと言われても解けないし、
角一方になりやすいシチュエーションに見置くと、
どんどんエスカレートしていっちゃうんだけど、
その逆をやればいいわけです。
その逆をやればいいんだけど、
その逆をやりたくないという気持ちがなぜか働くんですね。
このやりたくないという気持ちが働かないようにできれば、
ことはなんとかなるはずです。
大概のことは、
よほど、このよほどというのは結局肉体的にという意味なんですけど、
肉体的に食い込んでこない限りは、
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なんとかなるはずなんですよ。
そういうことで、
ちょっとですね、
告知を見ていただくといいかなと思うんですが、
今喋ったようなことは、
このポトキャスト、聞いていらっしゃる方が、
毎日は聞いていないにせよ、
繰り返し聞いているという前提で喋っていますが、
初めての方にはちょっと通りにくいお話かもしれないです。
で、それを今補強したくてですね、
ちょっと違う例を出したいんですけど、
そのグッドバイオスを創始したのは、
倉園圭三さんなんですが、
昨日、掛け上げ塾という、
必ずしもグッドバイオス塾じゃないところで、
一緒にセミナーを開催してきたんですね。
これは継続モノで、
一回聞くセミナーじゃないんですけど、
掛け上げ塾もよろしくお願いしたいところなんですが、
私は昨日、例えば倉園さんに会ってくるじゃないですか、
そうすると調子が上向くんですよ。
ここのところちょっと、
最後の寒さのようなものにやられていて、
これを今年克服したかったんですけど、
完全には無理でしたね。
今も今年はより寒かったような気が少しするんですよね、
例年より。
そんなような話も聞いた気がするんだけど、
でも今年はおかげさまでというのかな、
致命的な体調不良には見舞われずに過ごせたんで、
だいぶ良かったんですけど、
この倉園さんの話を、
別に私は昨日カウンセリングを受けに行ったわけじゃないですよ。
だから掛け上げ塾だって言ったんですけど、
カウンセリングを受けに行ったり、
指導していただいたというわけではないんですよ。
ただ、他の人に倉園さんが喋るのを聞いていたと、
端的に言うとそういうことなんだけど、
調子が上向いてくるんですよね。
これは一体、こうやって喋ると、
ほぼオカルトになってしまうじゃないですか。
これほどヤバい話はないような気がすると思うんですね。
そこで、
でも私はこれがどうして起きるのかは、
ほぼ説明できるような気がするんです。
一言で説明しちゃおうとですね、
倉園さんは何もしないんですよ。
このことが分かっているということが非常に重要なんです。
この何もしないというのはどういう意味かというと、
何もしない人を私たちは警戒しなくていいんですね。
つまり、警戒しなくてもいいという、
警戒しなくてもいいという感覚が伝えられる人というのは、
大体何事も上手くいくと思うんです。
結局、これを逆に言うとね、
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私たちは日頃から警戒しまくっているという意味なんですよ。
これはだから倉園さんが隠されたパワーみたいなのを使っているという話とほぼ逆になるんですね。
何かが作用しているから私の調子が上向いたりするわけでは決してなくて、
何の作用もしないことを知っているから私の調子が上向くんですよ。
ということは、私は調子を下向けていたわけですね。
これがグッドバイオスだと僕は思うんですね。
これで子供と接することができれば、子育ては多分万事上手くいくはずなんです。
ついでに言うと、これがドイ・タケオさんの言った甘えの構造なんです。
ちょうどこれの反対をやるというのが、今ロシアで起こっていることですよ。
甘えが完全に全く機能しなくなるとあれですよね。
だって甘えは許されなさそうじゃないですか、あの世界は。
不審と警戒の極地ですよ。
何に不審と警戒心を抱いているのか、いろいろ報道はされているけれども、
究極的にはよくわからない面もありますよね。
NATOの拡大がどうした問題なんだという話もあれば、そうじゃなくて本当はこうなんだって。
これはつまり、不審と警戒というものに答えはないということなんだと思います。
だって不審と警戒なんで、本当のことがはっきりわかるならば、
少なくともその分信用しないでいるということはないはずで、
たとえそれが悪意であったとしても、完全に特定できるのであれば、
とりあえず彼は悪意はあるけど、本当に間違いなくこう考えているんだって言えるんだけど、
そう言えないからこそ不審と警戒なわけですよね。
これがですね、わずかでも働かないようにすると何が起きるかというと、
昨日私が掻き上げ塾に行って帰ってきたようになるんですね。
つまり調子が上向くんですよ。
これがゼロになるというのが、私が思うに、
人にパフォーマンスを最大限発揮させたければ、
必ずやるべきだと思うこと。
これはですね、グッドバイブスを聞かなくても、
昨日今日初めて知りましたって言ったら、他いないと思うんですね。
昨日たまたまピアノの発表会みたいな話が出たんですけど、
なんでもいいんですよ、ピアノの発表会とか。
私だったら昔、スキーの検定の時にえらい緊張したんですけど、
こういう時ってパフォーマンスほぼ必ず落ちるんですよ。
私はびっくりしたんです。スキーの検定2級落ちたんですよね。
信じられなかったんですよ。落ちるはずがないと思いました。
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普段の私の滑りの能力を100とすれば、
あの日は20も出てなかったですね。
そんなことになっちゃうんですよ。緊張するということは。
で、一番いいのは当然100なんだけど、
100にするにはどうすればいいかというと、緊張しなければいいわけですよね。
つまりそれがテストだなどと気づかないのがベストなんですよ。
私はあの時ちょっといろんな意味で調子を崩していて、
そんな時に検定受けたのは運が悪かったんですけど、
どっちにしても100のパフォーマンスは出そうにはない感じではありました。
こういうことがあって余計緊張したんでしょうね。
こういうこと、つまり緊張というのは何かというと、
不信と警戒なんですよ。間違いないじゃないですか。
自分の技術に対する不信と評価者に対する警戒感が働いて、
パフォーマンスが落ちるわけですね。
パフォーマンスが落ちるということは、
つまり本来自分が持っている何かではない自分が登場しましたということですよね。
で、それがいいという人って、僕は本当はいないはずだと思うんだけれども、
どういうわけなのか知らないんですけど、
これが必要だという意見がまかり通りやすくなるシチュエーションってあるんですね。
それが今なんですよ、多分。
今世の中では不信と警戒というものの重要性が解きまくられているわけですね。
この話って実に驚くべき不思議さがあって、
このこと、今回の騒動が起きている最大の理由は、
あの大統領が不審感と警戒感で頭をいっぱいにしたせいだと思うんですが、
何に対するどういう不審と警戒感かは、
私のようなこの種のことに疎い人間には分からないんですが、
多分そうだと思うんですね。
で、昨日たまたまNHKの引きのかき上げ宿で、
なぜか、なぜかじゃないんですけど、私が原因なんだけど、
食事中になぜかテレビを見てどうなのかっていう話、
テレビを見るのはどうなのかっていう話があったんですが、
うちでは結構食事中にテレビを見てるんですね、奥さんが見たいんで。
で、昨日はNHKの討論番組がたまたまやっていて、
そこでいかに彼が今、制御不能な状態になっているかということが力説されていたわけです。
で、このエンドは絶対にハッピーエンドはなくてマッドエンドしかないと、
それをNHKでトクトクと言われてもどうかなと思うんだけれども、
とにかくマッドエンドしかないんだと言うんですね。
で、こういうことが起こるというのがこれからの世界なんだから、
私たちももっと強い危機感を持とうって話になるんですよ。
ここが、なんかこう、このようにして語られるとみんなものすごく
納得するよりほかないような空気になるんですけど、
ことがそもそも起こったのは強い危機感だったわけじゃないですか。
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このことを起こした人の頭の中が強い危機感でいっぱいになったからですよ。
3F状態ですね。
3Fというのは生理心理学者ならみんなそう言うと思うんですが、
長引かせてはいけないんです。
3Fが発生するのはしょうがないですよ。
私たちは生物ですからね。
要は死を予感するときに私たちの脳は3F状態になる。
でも3Fというのはダメな状態なわけですよ。
言うならば、制風モードに近いコンピューターで言うところ。
ある種のスクランブルなわけですよね。
つまり何か悪いことが起きたからコンピューターの機能をいろいろ停止して、
保守機能にだけ集中しましょうという話なのでこれは。
3Fを称賛する理由はどこにもないはずなんです。
言ってみれば15年くらい前のコンピューターに戻りましょうみたいな。
脳の進化の過程で言えば3万年くらい戻りましょうみたいな話なので、
めちゃくちゃ古いじゃないですか。
この辺が生物の面白いところだと思うんですけどね。
レガシーなんだが、そのレガシーが普通の機械では考えられないほど
レガシーなものを積んどくわけですよね。
逆に立つから。
だけどレガシーはレガシーなんですよ。
なんかこれが最新の機能とかではないんですよ。
最古の機能なんです。
これをずっと20年ものさばらせておくとどうなるかというと
ああなるわけですよ。
制御不能な人が出来上がるんですよね。
すっごいあの人が頭がいいというような話であれば
みんな認めると思うんですけど、
頭の良さが発揮できないとすればですね、
この最古の機能ばっかり大活用しているせいなわけですよ。
で、みんなでこれをやろうというのが今世の中で
しばしば言われていることですよね。
すっかり私たちは平和になれてダメになっちゃうので
この最古の機能をフルに活用しましょうという話をしているわけです。
とても不思議な話なんですよ。
これは。
時代が最新の時代になってから
時代が最新なんだから、いつでも時代は最新ですけど
今ここはいつでも最新ですが
最新の機能を使っておけばいいものを
わざわざ最古の機能をフル活用しようという
でもこの話はですね、みんなするんですよ。意外に。
2つの話がよく出ますよね。
1つはこういう時代になったらこのレガシーを引っ張り出してきて
みんなで3Fモードいっぱいになりましょうと
逃走心と膝となればこう逃げられるようにすると
筋肉が硬直して血圧を上げていくんですよね。
これが一番いいと。
これは判断力を失わせるんですけどね。少なくとも。
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もう1つが仕組みを作っておいて
それが破綻した場合に備えるという話をするんですよ。
この破綻は1回目に起きてはダメなことになっているんですね。
長らくこの仕組みでやっていたが破綻したと。
これはもう私は非常に不思議なんですよね。
長らくその仕組みをやってきて1回破綻すると
どうしてその仕組みはダメなことになっちゃうんだろうと思うんです。
この種の話もいっぱい聞くんですよ。
仮にこれまで200回くらい上手くやってきた方法でも
1回失敗するとその方法はもう使えないことにされるんですよ。
これは僕にはとっても不思議な発想です。
それまで上手くいった200分の199はなぜなかったことになるのかと。
仕組みというのは常に100%機能していなければいけないという
多分ここには何かがあるんだと思うんですけど
それはつまり生物的なものだと思うんですね。
つまり一度の失敗が死を招くと。
でもここもまた大事なポイントだとよく自分が思うんですが
失敗という言葉を使えるということは死んでないということですね。
一度の失敗が死を招くのであれば
失敗という概念は多分この世になかったと思うんです。
失敗したのにもかかわらず生きているわけだから
それが失敗かどうかは分からないと思うんですよ。
人間だけなんですね。
失敗という特権を持っているのは人間だけだみたいなことを書いていました。
そういうことだと思うんですね。
失敗すると死んじゃうというならば
一度の失敗はダメで100%成功し続けないとダメなんですが
僕らは失敗という言葉を使えるのからも分かるように
失敗しても死ぬわけじゃないんですね。
そうするとそれをしちゃいけない理由は
どの程度、どこから発生、どういう根拠があるのか
微妙になると思うんですよね。
そしてこれがまた警戒というやつを生むんですよ。
失敗が発生したというのをよくよく意識に留めておいて
二度とこういうことが起きないように
仕組みを改善しましょうという話になるんですよね。
そしてこの話をしていると何か賢そうな気がしてくるんですよ。
多分この辺に大きな罠があると思うんですよ。
要は生き延びることが賢いんだという話をずっとしているんですよね。
この話は。
長生きするのは賢いからなんだと。
でも私はこのことをずっとやっていると早死にすると思うんですよ。
3Fというのは寿命を縮めると思うんですね。
何度か言うように3Fというのは一瞬でいいやつなんです。
基本的には上から鷹が飛んでやってきたら
身を伏せて一瞬でいいやつなんですよ。
なお飲まれると。
これが3Fの機能なんですよね。
何か2ヶ月も3ヶ月も前から大計画を立てておいて
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綿密な計画をもとに胴の方に乗った間に
ずっと3Fをやっているというのは
いろんな意味で良くない。
一番何に良くないかというと脳に良くないんですよ。
これは判断を狂わせるための機能ですから
決して判断をシャープにする機能ではないんで
例えどんなクールな人だろうと合理的な人だろうと
残酷な人だろうと同じなんですよ。
3Fが働くというのは脳としては古典的な働きですし
私たちにしてみれば古典的であっていいわけじゃないですか。
なぜならば生死だけがかかっているケースの話ですから
生死だけがかかっている時代って既に古典じゃないですか。
私たちの生きているこの世の中は
めったなことでは生死だけがかかっているという
シチュエーションにはならないはずなんですよね。
以前倉園さんが教えてお話しくださった
コンビニで列に割り込んでくるみたいな
こういう時に3Fがスパッと働くんだけど
予報区から見てみるとコンビニの列に割り込まれても
人は死なないと思うんですよね。
よっぽどのことが多分その時に何か
よっぽどのやり取りをしない限りは
人はそこで死ぬことはないと思うんです。
ということはその時に機能するべきは少なくとも
3Fじゃないんですが
僕らはこういう時に逃走、あるいは逃走モードになってしまうんですよ。
これはやっぱり役に立つのは戦争とかの時であって
通常時は全く機能しなくていいはずなんだけど
これが機能しちゃうんですよね。
そこが私たちのレガシーなんです。
話を子育てに戻しますと
つまりこいつを子育て中に一切作動させないというのは
なぜならば子育てをしても人は死なないんで
そうですよね。
確かに夜泣きがあると私も経験したんですが厳しいんですよ。
でも我々は赤ちゃんが夜泣きをするという
そのこと自体では死なないんで
死なないのに3Fを作動させては本当はダメなんですね。
でもにもかかわらず夫は寝ているとかいう時には
3Fが作動しちゃうわけじゃないですか。
でも確かにそれは良くないんだけども
もし夜泣きがひどくて夫がにもかかわらず
いびきをかいて寝てて腹が立つとしても
それでは死なないはずなんですよ。
私たちは決して。
死を避けるための作動が起きちゃダメだと思うんですね。
ましてそれをずっと3時間も4時間も3ヶ月も4ヶ月も継続して
作動させ続けるということは
自分を徹底的に妄想の世界に閉じ込めるしかないんですね。
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なぜそんなことをするのかということなんですよ。
今のあの大統領もずっと多分何年間も
妄想の世界に生きているから
頭がどんなに良くてもダメなんですよ。
良い頭脳を全部妄想に使っちゃってるんで
それが制御不能ってことですよね。
本人にとってもそうでしょうし周りにとってもそうですよね。
見てる現実が違うわけじゃないですか。
これがみんなが文句言ってるポイントだと思うんですよ。
私たちが知ってる現実と彼が知ってる現実が全然違う。
でも現実は1個なんで
昨日一昨日かもうちょっと前かもしれないですが
二重生活という話をしましたが
現実が2個以上になるってことは
それは危機なんですね。
クライシスなわけです。
今は本当にクライシスがわたんしちゃいましたけれども
でもやっぱりクライシスなわけですよ。
つまり現実は1個なんで
自分が見ている現実だけが現実だと
全ての世界の人がそう思ってほしいって言っても
僕らは常にイリュージョン含みで見ちゃうので
そういうことってあり得ないんですよね。
現実は1個なんだけど
その唯一の現実自体は
私たちにはなかなか目に入ってこないわけです。
すごくそれも
僕らが生きている限り
そういうからくりになっているのは
ある程度しょうがないと思うんですけれども
ただ私たちは幸いなことに
NOは最新なので
よほど狂った使い方をしない限りは
現実の近いところにいられるはずなんですが
これをレガシーを作動させると
いきなり現実からすげー遠いところに追いやられるんですね。
でもいいっていう状況はあるわけですよ。
そのままだと死んじゃう場合
この時だけなんです。
つまり死が隣接している時だけ
私たちはほぼ白狂に近い状態になっても
やむを得ないと。
これですね、私の経験では
1つこういうことがありました。
本当に私にかけたことが3回あるんですよ。
経験している限り。
うち1回、色が消失しました。
これ前に話したことがあったかもしれないんですけど
世界から色というものが
しばらくの間、消失したんですよね。
白黒になっちゃったんです。
オリバー・サックスさんという有名なの科学者さんが
色のない島と
なぜならばその島は光度が強すぎて
色いらないんですよ。
あまりにも眩しい世界って
色ってほとんどなくなっちゃうんで
そういう世界があるんだっていう
非常に面白い
再現性設定ですかね。
そういうものを書かれてますが
あれで読んですごくよくわかりました。
僕も一瞬、色が完全に消えた世界っていうのが
2位体験。
30:00
これはそういう世界がある点ではないんですけどね。
でも仏教でいう通り
色ってこの世にはないんで
この世にあるのは光に対する解釈だけなので
色はないんで
あの観点に必ずしも間違いはないんですけど
やっぱり非常に何ていうか
寂しいですね。
過酷な感じがしますし
状況が過酷だったから
そういう風になった。
もうちょっと言うと
多分狂ったんですよ。
やっぱり余裕が全くなくなったから
色を見てる場合ではないんですね。
だからその機能が停止したんですよ。
でもこれは
何にも良いことではないですよね。
当然、私の脳の機能が
大幅に弱められた時の現象なわけです。
死にそうになったから
そういうことが起きたのであって
当然のように
3時間ぐらいかな
したら全てが元に戻りました。
やっぱり
3時間というか長いですよね。
完全に3Fモードに捉えられて
3時間ということになると
もう正気とは言い難いような状態です。
つまり
昨日、倉園さんとお会いして
調子が上向くというのは
その警戒モードが
少しでも残っているんですよ。
私の中に。
彼に対して
警戒しなければいけない理由というのは
ない人なので
ここはグッドファイブスを
やっているということを知っているというか
グッドファイブスの
オリジナルであることを
知っているということの効果なんですが
そこが宗教的に聞こえてしまうんですけど
ただし、それはグッドファイブスの
パワーが出てくるとか
効果が発揮されると言っても
むしろ逆なんですよね。
普段やらなくていいことを
僕がやっているから
そういうことが起こるような
気がするわけです。
接してしばらくすると
要するに警戒しないで
人と会うモードという
残念ながら
やっぱり稀なんですよね。
そういう残念ながら稀な
体験を数時間持つと
一気に調子が上がってくる
感じがするのは
僕が自分の中にある警戒を
解いているからなんです。
そしてこの警戒をするということが
つまり自分のパフォーマンスを下げて
自分を傷つけるという
グッドファイブスという
人は自分を傷つけない
自分が自分を傷つけるというのは
そういうことなんですよ。
ただし、ほぼ自覚なくやりますが
ほぼ自覚なくやります。
本当はあらゆる人に対して
私がこれができるようになれば
いいわけですよ。
これを思い込んで動けば
何らも不都合は起きないはずなんですね。
本当の意味で
だって他に接する人といえば
バーチャルで接する人ばかりじゃないですか。
リアルで接していた家族だけぐらいなものです。
33:02
何があろうと
家族が斧を持って
襲いかかってくるということはないんだから
警戒する必要はないんだけど
警戒しちゃうんですよね。
バーチャルになったら論外で
ツイッターで何を言われようと
僕は死なないんだから
3Fは全くいらないんですよ。
ここで3Fを持ち出して
貸しこぶってるから
自分がどんどん傷ついて
ろくなことにならないわけですね。
ろくなことになってないじゃないですか、今。
で、最後に
最後にじゃないんですね。
要するにこれが3月13日に
お伝えしたいことなんですよ。
皆さんはそういうわけにはいかないと思うんです。
誰も多分
家族と一緒にしている人
一緒で子育てしている人も
お子さんもグッドバイブスなわけじゃん。
グッドバイブスの
本読んでるとかいうわけじゃないから
うちの娘は幸い読んでますけどね。
そういうわけだから
警戒をしないで接するというのは
難しいと感じられるんですよね、きっと。
だけれども
警戒を完全に解いちゃうというのは
難しいにしてもですね
それができないわけじゃないというのが一つですね。
多分これについて考えもしないっていう方が
一般なんですよ。
一般の人に言うと
もっと警戒しなさいになりかねないんですね。
本当に今そういう話がずっと出てるんですけど
僕は一番思うんですよ。
いいのはこのメディアに接しない子だと思うんですよ。
メディアは常に警戒しろって言ってるんで
なぜならば
警戒しろって私たちは言ってほしいから
メディアと私たちの関係っていつもそうなんですよ。
この辺が非常に独特で
当然かもしれません。
資本主義なんだから
私たちが欲しいものを彼らはくれるわけですが
私たちが欲しいものって警戒しろって言葉なんですね。
そして繰り返し繰り返し
警戒するに値する根拠というものを
見せつけられるわけじゃないですか。
これが子育てでも起きてることだと思うんだけど
利用可能性ヒューリスティックって言葉を
この番組でもよく言いますが
私たちは繰り返し目にするものは
頻繁に生じるという
大きな誤解をしやすいんです。
普通の世の中
サバンナだったらそうなんでしょうねきっと
何度も虎を見るってことは
虎に襲われる恐れが高いということですが
メディアの時代なんて今は
何度も見るからといって
それが何度も起きてるとは限んないんですよ。
みんな言ってるじゃないですか。
ずっと長らく頑張ってきた仕組みが
今崩壊しつつあると
言ってるじゃないですか。
これは珍しいってことじゃないですか。
なのに何度も何度も
これから起きるような気がして
来るということは
何度も何度も見てるからで
何度も何度も見るのは
録画を何回も流してるんですよ。
実に何て言うんですかね
単位のないカラクリのはずなんですけれども
36:00
僕らこれにやられやすいんですよね。
脳は決して最新式の部分だけで
起きてるわけじゃないからですね。
そしてそれのことをよく知ってるという
知ってて活用したいと思ってる人が
いっぱいいるというのが
ちょっとよろしくないところですよね。
残念なところだと思います。
人のレガシーな部分に
働きかけるということが
言ってみれば儲かるってことなんですけれども
そういうことがあるわけですね。
これも私たちの癖なんですよ。
なぜか私たちはレガシーな部分を
何回も使いたいという
奇妙な欲望を持っているんですね。
そうした方が安心できる
というふうに思うんですよね。
だから何度も何度も見たいものを
何度も何度も見せられてしまうわけです。
そうするとこれが
頻繁に起きるような錯覚を覚える。
これは完全に錯覚です。
ヒューリスティックですから。
バイアスなんて。
バイアスは錯覚ですから。
だけれども僕らはそれが
何度も起きるような気がするわけじゃないですか。
だから警戒心を高めようという話に
乗っかることができるような気がして
現にすでにFFFに
頭になっている人は
気分が悪くなってくるんですよ。
気分が悪くなってくるんだけど
見続けてしまうんですね。
気分を悪くしないためには
もっと覚悟と警戒心を決めて
安心できるような顔を
作り直さなきゃいけない
というところまで行くんですよ。
完璧にイリュージョンの
和立ちみたいなものですよね。
私はそれが一番いいのは
見ないことだと思うし
でもそうはいかないですよね。
ここは資本主義なんで。
そうはいかないので
せめて利用可能性・ヒューリスティックというものを
よくよく知っておくのは
一つの価値かなとは思います。
そういう傾向が
私たちの心にははっきりありますから
何度も見たものは
何度も起きる気がする。
そしてそれが警戒に値するものだと思ったら
警戒するべくイリュージョンを作り出して
自分の頭をレガシー状態に
ずっと押し留める。
しかもそれは賢いことだと
なぜか思う傾向まで持っている。
これを子育てでやらないことですよね。
同じような話がよく出ますよね。
そういう夫は何度も何度も同じことをすると
それは嘘なので
それは分からないことですから
本当に何度も何度もしているのかどうかは
分からないことですから
脳内で何度も何度も再生し続けると
私たちはそれが頻繁に起きることだと
簡単に思い込めるようになっているので
旦那が風呂に入れてと言ったのに
渋い顔をしたと
一回これが起きるともうダメなんですよ。
一回でも起きても
致命的なことなわけじゃないですか。
万全な仕組みを作らないといけない。
でも二度とそういう目に会いたくないと思ったら
万全な仕組みって離婚になってしまったり
しかねないわけです。
でもよく考えてみると
39:00
そのようなことが
そういう致命的だと思うことが起きたのは
というか致命的だと思ったのは
作業部があったはずなんですよ。そこに。
逃走モードに入ったと。
つまり逃走モードに入るということは
旦那が渋い顔をすると
自分は死ぬってことになっちゃうんですよ。
そういうふうに脳は考えているってことなんですね。
でも死なないと思うんですよね。
死ぬことはないはずなんです。
ベターにするべく
いろいろと手を打つということは
できると思うし
そのほうがいいと思うんです。
例えば私もそうしたんだけども
赤ちゃんをお風呂に入れるなんて
簡単なんですよ。
これは簡単だと言うと
いろいろ語弊があるかもしれませんが
私がやった限り
S字クランク並みには簡単なんですよ。
でも私はS字クランクは難なく通りましたけど
10列駐車は結構苦労したんですよ。
でも今は10列駐車が難しいと思うことは
一切ないんですね。
だから難易度の問題が全てであるならば
大した話ではないはずなんです。
3Fを発動させつつあれをやろうとすると
画前パフォーマンスが低下するんで
難しくなるんですよ。
さっきも言ったとおり
昨日クラゾノさんに会って
調子が上向いたということは
私の調子が下向いていたわけなんだけど
それをやってたのは
3Fだったせいなんですよ。
はっきり言って
非常に単位のない話なんですよ。
人に警戒するから
自分のパフォーマンスが落ちるんです。
自分のパフォーマンスが落ちるから
イライラするじゃないですか。
死ぬと脳が思うんですよ。
ここにものすごい飛躍があるんです。
死ぬことはまずないのに
死ぬと思っちゃうんですよ。
死ぬと思うから
パフォーマンスがますます下がるんです。
だって脳は死ぬというのに対しては
一番最大級の警戒をするので
最大級の警戒が
これが非常に不思議なんですけど
テレビで言われているのは全く逆で
私たちを最も無能にしていくので
最大級の警戒をするということは
もうこれはみんな経験していることだと思いますよ。
スキーの検定とか
テストとかでしくじるときは
決まってこれが起きているはずなんです。
少なくともいつもよりはだいぶ下手になっているな
というのは分かるじゃないですか。
人によっては最初からあきらめていますよね。
発表会のときにベストの演奏ができるはずないよって
先に言う人いるじゃないですか。
そういうもんですよね。
そういうもんってどういうことかということと
つまり緊張すればパフォーマンスが落ちるのは当然で
そしてそう分かっているのに確実に緊張し
必ずパフォーマンスがベストでない状態で
一番大事なタイミングに臨んでいくとか
これは賢いんだっていう話をするんですよ。
僕はこれが賢いような感じはしないんですよ。
やむを得ないという気持ちは分かりますが
これは賢明なやり方ですと言われると
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納得できる感じはしないです。
避けがたいんですと言われれば
同情はしますけれども
これがベストの方法ですという話には
乗れる気がしないんですよね。
で、最後に
警戒心ゼロで接してもらえるということは
大変ラッキーだという意味にもなります。
私は娘に関して
一つ確実に自分が貢献できていて
娘にとってこれはラッキーだと思えることがあるんですが
それがつまり私は娘に対して無警戒で接していると
不審感はゼロだし警戒感もないんです。
これは別に不思議なことだとは僕は思わないんですけど
という私と接するということは
娘は私のパフォーマンスがマックスである状態を
常に享受できていると
そういうことになるんですよね。
人を警戒させるということがどんなに損かということですよ。
人を警戒させるということは
その人とのパフォーマンス
接する人のパフォーマンスを
最高じゃなくてもいいです
と言っているようなものなんです。
社長だったら不審じゃないですか。
部下に警戒心を持たせると
自分の前では緊張感を持てというということは
この会社を運営するにあたって
私は雇っている人間が
ベストパフォーマンスでない状態でいいです
というようなものです。
私はそれは
多分本当に起きていることが何であるかを
その人が知ったならば
何か違うことをやりたくなるんじゃないか
と思えるぐらい
意味もなく損をしている感じがしますね。
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