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2022-02-22 40:10

【GMV 557】ヒステリックな生き方

一人相撲
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日ですね、ちょっと新しい試みの収録を実は複数の方と数本撮ったんですよ。
たまたま同じ日に重なっちゃったということなんですけど、なんかもう一日中喋ってるみたいな感じになってですね。
これはこれでこういうふうに仕事をしていけたら面白いかもしれないというふうに昨日ちょっと思いました。
はっきり言って私はそのどっちかというと、一日家族としか喋らず、ただただこうひたすら物を書いているっていう日の方が仕事として圧倒的に多かったんですけど。
最近なんか年齢のせいなのかわかりませんが、喋るという機会の方が多い。
今も喋ってますけど、朝から晩まで昨日は喋って、喋り通しって感じだったんですね。
これで仕事していくのもいいかもと思ったんですけど、何でもそうですが、ずっと喋っているというのをやってみると実際はどうかなというのはちょっと思いました。
多分昨日みたいな日は当分来ないとは思いますが、そういう一日でたまたまですね、その中でユングの話が結構いっぱい出てきたんですね。
私この番組でもそうですが、ユングの話って基本的にはあんまりしてきてないと思うんですね。
それは多分わけがありまして、単純に言うとグッドバイオスの話はユングの話の方には流れていきにくい気がするんです。
それはたまたまそうなっていうだけであって、別にどっちがどうってことはないんですけれども、ただそうなってるんですかね。
ユングの話を特に河合浩先生の本とかで読むと面白いんですよ。
面白いんですけれども、これは僕の見方ですけど、結局それはフロイトの言ってる話をちょっとユング風に言った感じがするだけと思うんですよね。
どういう違いも本当はあんまり、もちろん違うんですが、言われてるほど違わないものを無理やり違わせたいっていうのが僕はちょっと感じるときが多くてですね。
そこにあるそこはかとない、単純に言うと下品なものに対する罪悪感というのを感じるんですよね。
これはどっちにしてもないわけじゃないとは思うんですけど、やっぱりフロイトっていうのがすごくそこを言わないでほしいみたいなところを言わないと話が全く進まないから言うんだと僕は思うんですが、
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そこを上手く回避できるのがユング的だっていう雰囲気が昨日も感じられて、でもやっぱり元に戻っちゃうんだよなって思うんですね。
そこがですね、それだったらそもそもグッドバイブスをわざわざフロイト的に言い直す必要自体がどうかって話なのに、例えばクラゾンさんだけだったらそういう話にはならないと思うんですよ。
そこをさらにユングに持ってって、結局フロイトに回避して最後はグッドバイブスに戻ってくるってすっごい無駄な感じがするんですよ。
だからせいぜいフロイトに留めておきたいぐらいなところがあるわけですね。
これはつまりどういうことかというと、もしフロイトがいなければユングのああいう発想って僕はやっぱりありえなかったという感じが、これはユング派の人っていうのがもしいらっしゃったら怒られるかもしれませんけど、
いきなりユングの発想だけが出てくることってあり得るかなと思うと、僕はないような気がするんですね。
そうすると結局フロイトの上に乗っかってるから、で、あえてそこに差異というのかな、オリジナリティを見出すとしたら出てくるんですけど、
でもそうじゃないのもいっぱいあるわけで、つまりフロイトで説明がついちゃうのもいっぱいあるのに、わざわざこういう説明にして、要するに生々しい部分を回避したいということかもしれないんですが、
生々しい部分を回避してみたところで、結局生々しいところに戻ってってしまうんではあんまり意味がないのではないかと思っちゃったりもするわけですね。
例えばこの番組でも散々出たしてきてますが、ヒステリーっていうのはやっぱり一番原初的だったし、このヒステリーっていうのが多分ですね、多くの今の人には馴染みが薄くて、
わざわざなんでヒステリーって思われるのかもしれませんけど、ヒステリーっていう現象はそこら中で見かけるわけですよ。
そしてこんなにあるのに言葉を消した上に、フロイト的なアプローチも今はあんまり良しとされなくなってきて、どうしようって言うんだろうっていうのがあるんですね。
それがまるであたかも社会問題みたいな顔をしてるけれども、そういう面もありますが、なんかやっぱりヒステリーをちゃんとヒステリーとして取り扱ってあげた方が本人にとってはいいと思うんですね。
ヒステリーっていうのは過度な競争意識であって、その過度な競争意識が組織の中では出やすいわけですね。
それはもう当然のことだと思うんですよ。出世競争とかって言葉もある通り、出世競争というものをするのは当たり前じゃないですか。
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一定の組織の中であのような序列をつけて、しかも競争に勝つことに具体的なメリットがあり、そして実際に競争させようともしていて、
出世競争というものに興味がない人は別として、ある人が入っていったらするに決まってますよね。
でもですね、会社に行って出世競争だけが全ての目的ですってなったらやっぱり都合悪いですよね。
こういうところにヒステリーってものは発生しやすいと思うし、当然するに決まってると思うんですよね。
その時にヒステリーというものを取り扱う考え方というのはあるに決まっていますしね。
あると思うんですよ、会社の中だって出世競争ばかりが全てじゃないって。
結論はそういうところに持っていければいいわけですけど、一方で会社は出世競争というものを煽っているわけじゃないですか。
そういう矛盾があるわけですよね。そこを乗りろうぜっていうわけじゃないですか。
つまりそうすることは必要なんだけどそれだけをしちゃいけないみたいな話になるとややこしいですよね。
心の中に葛藤が起きますよね。だからそういうものをメンタル的に取り扱う話っていうのがあって当然なはずなんですよ。
ここにさらにややこしいことに人間のやることですからエコヒーキーみたいなのが出てくるじゃないですか。
そうしたらヒステリー丸出しなわけですね。
競争とエコヒーキーっていうのはヒステリーの最たるものというか、みんながそれに対して腹を立てるわけじゃないですか。
私も小学校自体先説なこういう悩みがあるのねと思ったのがエコヒーキー問題だったわけですよ。
とにかくエコヒーキーを先生がしているって話になったらですね、みんながその先生をバッシングしていい流れになっちゃうんですよね。面白いことに。
父兄ももちろん子供もそうだし関係ないクラスの子供も親もそれどころか教頭先生とかまで出てきて、
酔ってだかってバッシングするみたいなのが私が小学校時代にあったんですよ。
ああいうの集団ヒステリーって言うんでしょうけど、エコヒーキーってのがどれほど人の神経を魚でするというのかな、そういうところがあるかと。
エコヒーキーっていうのはダメだけど、例えば出来のいい子が頑張るとかを褒めたたえるのはいいわけですよね。
ここで線が綺麗に引けるのかというと、なかなか難しいことはみんな知ってるにも関わらず、子供がエコヒーキーということになった途端にもう悪の権限みたいになるわけですよ。
ああいう人間心理っていうのはあるわけですよね。
チンパンジーにもあるとされているんですね。だからこれは珍しくですよ。珍しくベースに本能があると思うんです。
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単に人間の教育効果だとか日本文化だとかそういう話ではないと思うんですね。
チンパンジーにあるということは、言葉を使って教えるまでもなくエコヒーキーは悪であるという感覚が人間には育ちやすいということをよく示していますよ。
たぶんこの世に学校がなくたってエコヒーキーはバッシングされるでしょう。中心ぐらいの時とかに問題になってましたもんね。
この世に何かがなくてもエコヒーキーっていうのは人間の社会ではダメなんですよね。
そのエコヒーキーっていうのは当然ヒステリーだから、ヒステリーとイコールじゃないけど日本語に直すとエコヒーキーっていうのが一番近い世界かなと一つ思うんですね。
いろんなところに出てきますよ。それこそちょっとした女性の漫画家さんが書いていたコミックエッセイとかでもこの問題って本当によっぽどダメなんだなっていうのを感じさせますよね。
会社の中で課長と女性社員がいい感じになっていてもう許せないと。これはどういう理由で許せないのかと。
その女性社員がいい仲になっているから給料上がっているのかというとそういうわけじゃないし、いろんな意味でなぜか許せないんですよね。
こういう許せなさというところにヒステリー問題っていうのはもうこのエコヒーキーをするってところからすでにありますし、
いろんなところに出てくるけれども、長々とこの話をしているのはこれを例えば白雪姫の話に持っていくということはあり得るわけじゃないですか。
ユング的にですね。白雪姫の話ってそういう話じゃないですか。誰が評価するのか。鏡だったな。出てこないですけれども鏡っていうのはやっぱり神器ですよね。
要するにお母さんは悪いわけですよね。何が悪いかというと白雪姫に対して嫉妬しているわけですよね。
あれがヒステリーというものですよね。白いのと黒いのですよね。真っ二つに分かれると。
ヒステリーというのは乖離ですよね。真っ二つに分かれると。
良いお母さんのふりをしてリンゴに毒を仕込むわけでしょ。
ああいう話っておとぎ話の、だからこういうことなんだと思うんですよね。生々しい話なのですよ。あれは本当は。
だけどなんかこれが生々しさを和らげる効果がおとぎ話にはあってそれは素晴らしいことだとは思うんだけど、結局その話を現実的に考えてみるととても生々しい話に戻ってくるわけですよね。
白雪姫の話にヒステリーの話をアレゴリーさせて、比喩を使って説明して、つまり何にも悪いことをしていない女の人を後輩社員とかでもいいじゃないですか。
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袋叩きにしたいという気持ちが発生すると。どうしてってことになるわけですよね。
そこには競争と評価ってものが絶対つきまとっているに決まってますよね。あれだってそうじゃったじゃないですか。
要は誰がナンバーワンかって話ですよね。誰がナンバーワンかっていうことを気にしてる人ってのは絶対ナンバーワンじゃないわけですよね。
誰かがナンバーワンであることの基準を決めてあんたナンバーワンって言う人がナンバーワンですよ。
だけれどもそういうことはとりあえず置いとくことができないです。ここにエリプスがあるわけですよね。お父さんが偉いわけです。
ちなみに評価者がお父さんであるとか父親であるとか、もうちょっと言うと男であるというのが、さっき言った社会問題に絡むんですよ。
それは男性が偉いということなのかっていう話になっちゃうんだけど、いやいや、評価してるのは女性かもしれませんよ。そこの社長女性かもしれないじゃないですか。
エリプスっていうのはでもそういう構造を指すわけですよね。お父さんがいて、お母さんと私とどっちが好きなのっていう話じゃないですか。
こういう風にしていくとフロイトになっちゃいますけれども、こういう生々しい話なんだけど、なんかそれを白雪姫で例えると美しい話に聞こえるっていう感じがするんですよ。
それが全てじゃないですけどね。昨日もそういう話がちょっと出たんですよ。ユングの方が素敵でかっこいいってことなのかな。
僕はそうは思わないんですね。この話は同じ話をしてるだけだという気がするんです。
ただそれが昔話でも例えられるよっていうのはいいですけど、でもフロイトだってシェイクスピアで持ち出すことはしょっちゅうありますし、あんまりやってることがそんなに違うのかなって思わなくはないんですよね。
で、生々しさは確かに白雪姫だと出てこないかもしれません。でも結局彼らは大変生々しい話です。
子供に毒を食わせるっていうですね、そういう病気あるんですよ。ミュンヘハウゼンとかって言ったりして、そういう僕は実際にビデオも見たことがあるので、実力ですよ。
本当に子供の天敵に毒混ぜちゃうんですよ。そしてその子供のために、その子が苦しんでいるのを見てものすごく心配して泣くんですよね。
このシーンを見た時に、そこに乖離があるのかどうかは本人にしか究極的にはわからないですよね。
毒を入れた時の自分と完全に記憶が飛んでいるのか、それとも記憶は繋がっているのにそういう振る舞いをしちゃうのかわからないですけど、でも白雪姫に毒を食わせるのは母親じゃないですか。
あのシーンは実にえげつないと思うんですけれども、なんかこうですね、それこそ指摘っていうんですかね、おとぎ話チックにできるからいいじゃんってことになるのかもしれない。
私は本当は怖いグリムドゴンみたいな話の、そういう観点ってのはどうしてもあんまり好きじゃなくて、やっぱり子供には子供が読みやすいようにする配慮みたいなのも当然あっていいと思うんですよ。
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ただ、そうなっているからといってその話がえぐくないってことにもならないとは思うんですよ。
結局それはフロイトはえぐくてユングは感じいいっていうのはどうなんだろうっていう、子供がそれを言うならわからないではないですけれども、大人もそう感じるものなんだろうかとは思うんですよね。
だって大人ってのはそういうことが現実にあることはもうじゅうじゅう承知しているわけじゃないですか。
結局はどっちかがエコヒーキーされたり、競争ってのはたとえ白雪だから素晴らしくて黒い魔女だからダメだって言うんじゃなくたって残酷なものではあるじゃないですか。
だってどっちかが勝ってどっちかが負けるわけだから、その理由がビジュアルじゃなくて能力であれば、だったら納得がいくから世の中は平和だとは、僕はそれはどうかと思うんですよね。
顔で決められようと能力で決められようと過酷なことに違いはないと思うんですね。
もちろん給料の差が問題になったりもしますよね。出世しないと100万円ですってなったらめっちゃ過酷ですよね。
それだったら顔で選ばれようと能力で選ばれようとたまったもんじゃないけど、私の居酒屋がまさにそうだったんですけど出世しましたと。
時給で5円上がります。だと今度はみんな真剣には出世競争しないですよ。
5円上がった、5円だって上がりゃいいと言えますけれども、そして能力で上がってるってのもわからないではないですけども、
時給800円だった学生にとって805円になりましたっていうのに対してそこまで目を三角にしてバリバリやれるかというとそうはならない人の方が多いですよね。
結局こういう問題ってのは選ぶことに対する価値がどの程度、結局お着先が負けると牢屋に繋がれて狼の餌になっちゃいましたみたいなそんなに過酷な差をつければその競争が過酷になるのは当然だし、
そうじゃないんだったらそうじゃないほとんど競争が成立しないレベルまでマイルドになってしまうのも当然ですよね。
だからあの話は過酷だという思い込みがそこに背景になかったらあんまり意味がないものになるし、
過酷だという背景があるんだったらどんな話であろうとなかろうと過酷であることに間違いはないですよ。
あの種の話、ミステリーにはいろんな意味がありますけれども、今みたいにユング派によってミステリーを解釈してみるというのも一つの考え方ですけれども、
結局結論として戻っていくのは、ここのナルシシズムを何とかしないといいことないよという話をどうやって大人になる過程で納得していくかと、
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大人になってもそれに納得できないという場合には、いろいろとちょっと辛い夢に這いながら納得していくということにしかならないと思うんですよね。
あのお妃は最後は靴履かされて、白雪姫に履かされて踊り狂って死んでいくんですけれども、
昔の本の方に当たっていくとそういう話が出てくるんですけれども、この踊り狂うというのはつまり一人相撲ということですよ。
ヒステリーは一人相撲になりやすい。ヒステリーというのはそもそも一人相撲なんですよ。
この辺からはもうヒフロイトだと僕は思うんですね。ユング派の人だって絶対同じような話にされると僕は思いますけど、
あのお妃って1から10まで自分で勝手に踊り狂ってたじゃないですか。勝手に白雪姫に嫉妬して、勝手に鏡に問いかけて、勝手にナンバー2だと思い込んで、
そいつを殺せばナンバーワンになれると勝手に思い込んで、殺しに行って失敗すると全部自分で勝手にやってることなんですよね。
一つたりとも白雪姫にこうされた、ああされたがないんですよ。これがヒステリーのナリシズムには非常によく見られるじゃないですか。
ずっとイリュージョンと格闘してるわけですよね。勝手に新しく生まれてきた赤ちゃんに嫉妬したイブホワイトですよ。
こういうことは本当にあるじゃないですか。後から出てきた兄弟の方が綺麗だとか頭がいいとか勝手に長女の方がそれに生きどり、勝手に親の愛情を失ったと思い込んで、
急に乱暴を働くようになったり、どっかで妹をいじめてみたりするっていう。これが会社とかでも起こるわけですよ。男性もしょっちゅうやりますよね。
だから男のヒステリーっていうのはすごい話題にしたらいいのにというか、そういう概念を僕らは放棄しない方がいいと思うんだけど、
同様のヒステリーという概念はダメだってことになったんで放棄するためになってるんですけれどもね。
なってるんですけれども、よくやってると思うんですよ。どっちの方がお父さんに気に入られてるんだろうということばっかり気にしている。
お父さんは上司ですよね。あるいは研究している方であれば教授とか指導教官とかなのかもしれない。
で、私の方がよくやってるのに若いやつの方がエコヒーキーされてるとかって話をするわけじゃないですか。
それが私が小学校で見た光景そのものですよね。で、だんだん集団ヒステリーっぽくなっていくんですよ。
何の得をしてないんですよ、別にヒーキーされてる人は。そういう得をしてるって子供は思い込むけど、思い込んでるだけなんですよ。
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イリュージョンなんですよね。で、踊り狂ってるわけですよ、みんなね。勝手に何かを悪いものを見て、勝手に発狂しているわけです。
そういう話がずっとフロイトの話の最初の方にも出てくる。だから白雪姫を持ち出しても持ち出さなくても同じだと思うんですよね。
で、そこにフロイトが性的なものを持ち出すからエゴくなって気色悪いって言うんでしょうけど、だいたい最初から話は性的だったと思うんですよ。
だって白雪姫が綺麗だから良いってのは性的な意味しかありえないじゃないですか。あそこに男性が出てこないけど、最後におじさんがちらっと出てくるだけですけど、
だからこそやっぱり独り相撲なんですけれども、あれは性的な意味がなかったら意味が全くないと思うんですよ、どう考えても。
だからお父さんにどっちが気に入られてますかっていう戦いになってますよね、実際。
これはもうつまり性的っていうのはそういう意味なんですけど、必ずしも全部が全部セクシュアルって意味ではないんですけども、男性上司と部下2人でも同じなんですよ。
あいつと俺とどっちが上司に気に入られてるんだろうって、これは白雪姫と私がどっちが綺麗だとお父さんは思ってるんでしょうって言うと同じ話をしてるんですよ。
同じ構図で解けるってことですね。
実際に現象が起こってくると、このヒステリーというような心理状態に囚われやすい人はすぐこれをクライアントさんの相手に、カウンセラー相手にもやっちゃうんですよね。
そういうケースはいっぱい見られますよ、本当に。
カウンセラー相手にも平気でやるわけですよ。
カウンセラーのあなたは私のことの方が好きですか?あの患者さんよりも気に入ってますか?
やるんですよ、これを。不思議なぐらいですね。
この種のことをやりたがるという方はどこへ行ってもやりたくなるんです。
なぜなのかっていう話を解くためにああいう理屈が出てくるわけですね。
そこにセクシュアルなものは僕はあると思うんですね、やっぱりね。
でもないことにして白雪姫のアレゴリーで考えてみましょうって言っても、別に入り口としては何にも問題ないと思うんですね。
ただ最後の出口には結局その話出てくるだろうなって私は思います。
入り口の話としてただ白雪姫のやってることと白雪姫の悪い魔女のやってることと同じですよってことを頭で理解してもしょうがないんですね。
やめられなかったら意味ないじゃないですか。
少なくともそういう自分の性質というものを自覚できるところぐらいまではいかないと話は始まらないと思うんですね。
永遠にそれをやり続けるばっかりですよ。
あるいはカウンセラー相手に外で男を作ってきましたってことをわざわざ報復して嫉妬させたいとかね。
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こういうことはいっぱいあると思うんですね。
だから全然不思議な話はそこにはないし、どういう観点から攻めていったって結局は同じような話になっていくんでしょうし、
なんていかざるを得ないんですよね。
なんていかざるを得ないようにするためにある意味やってるようなものですし、
カウンセラーの場というものは、そういう場所をそういう性向を持った人、
そういうヒステリーが全てじゃないですが、
今日はヒステリーの話に終始しましたが、
ヒステリー的な人っていう人をそこに連れてきて、
ガチッと主に何回も顔を合わせて、
自分の生い立ちみたいな話を延々していただくと、
自然とそういう流れになってしまうわけですよね。
そういう人なので、もともと。
それを転移というわけですよね。
体内を考えていけば、
白雪姫の話を読むのだって子供の時ですから、
考えて押して進めていけば、
そういう話がどこかで出てくるわけですよ。
私はお父さんにすごい気に入られたかったみたいな話が、
しょうがないわけですよ。
別にそれはおかしなことじゃないじゃないですか。
家でお父さんに気に入られたいんですとか、
お父さんは何か相手にしてくれなかったんですとか、
いろんな話が出てくると思うんだけれども、
しょうがないですよね。
そういうところに戻っていくというのは、
そしてこの世の中というのは、
自分に対して上位の評価者というものが存在し、
存在するというのは一つのイリュージョンなんですけど、
そうは思わないですよね。
そういう方にとってみれば、
いや、存在してるじゃないですかってことになりますよね。
そういう人に気に入られて生きていくのが、
幸せになる道だし、
そういう人にポイって捨てられると、
悲惨な人生を歩むことになるんだっていう、
そういう信念みたいなものを持つわけですよね。
この信念をさあどうしましょうかっていう話ですよ。
ユング的に行くのか、フロイト的に行くのか、
認知行動療法的に行くのか、
単純行動療法的に行くのか、
薬物療法的に行くのか、
いろんなアプローチがあるわけですけど、
でもやろうとしていることは、
グッドバイブス的に行くのかでもいいですよね。
でもやろうとしていることはやっぱり同じですよね。
会社でこればっかりやっている人に、
例えば、倉園さんがお客様のために働いているんじゃないですか、
っていうのだって同じアプローチですよね。
ある意味では。
そんなに簡単に受け入れられるとは思わないですよ。
その場では当然そうだっていうしかないっていう面もあるから、
お客様のためにやっているんだけど、
いざ会社に行くと、もう出世以外のことは何も頭に昇ってこないとか、
課長がちょっと新しい新入社員のことをよく知っているようだと、
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めちゃくちゃ腹が立って、
新しい新入社員の靴にガビを入れたくなるとか、
そういうことはあるわけですよ。
馬鹿げていてもなんであっても。
それほど子供っぽくないにしてよ。
例えば私が書いている論文と、
今新しくいろんな工程まで上がってきている論文のことを、
他の人がちゃんとやっているかどうかがすごく気になって、
いろんな意味でですよ、気になって、
結局自分が書く論文というものは、
受理されないんじゃないだろうかという不安が走って、
そもそも自分の論文について、
あの教官はいい気持ちを持っていないんじゃないだろうかと、
勝手にイリュージョンしてみたいな、
つまり一人相撲を取り始めるというときに、
競争と評価というものがそこに付きまとっていたとしたら、
イステリー的なんですよ、その心理状態というのは。
いい論文を書けばいいじゃないですかって話を
こういう人にしても多分無駄で、
学術の世界というのは評価が全てでって話は必ず始まるはずなんです。
そしてその話は白雪姫の話どころではなくて、
とっても右翼曲折性があってですね、
長い話になるはずなんですよ。
だけれどもそういうストーリーは、
ストーリーですよね、これは、
ストーリーをいろいろ聞いているカムセラーさんには、
いつも同じパターンが出てくるんだって思って、
いつも同じパターンが出てくるんだって思っているはずですよね、皆さん。
フロイトはさぞそう思ったと思うんです。
この話いっぱい聞いてますからね、あの人は。
だからそういうストーリーを語っていくっていう話っていうのは、
人間の心理構造には付きものなんだろうなと、
当然考えるじゃないですか。
誰だって考えますよね、そういうことは。
もしそういうパターンを何度も何度も何度も聞かされていれば。
そこに競争相手はですね、
自分が競争してナンバー2に脅しめられようとしている
ナンバー1のあいつのところには、
自然とサポーターが寄ってきて、
七人の小人だったりするわけですよね。
何か気に入らないと、うまくいっていると、
何かやっつけようとして味方を作って、
あいつの論文がいかにダメかということを証明しようとしたんだけど、
どうもあいつは人望があってですね、
相手を虜にしてしまう能力だけは恵まれているらしいとか、
これは狩人に殺しに行かせたのに、
殺さずに鹿の心臓とかまで持ってきやがった話だったりするわけじゃないですか。
こういうことをどう解釈する方が、
自分の基礎に合っているかっていうのが、
たぶんカウンセラーによって違うんですよ、やっぱり。
禅文がいろんな話を神話とかおとぎ話に例えると、
何かすっごくしっくりくるっていう人もいるでしょうし、
私はそうじゃないんですね。
どっちかというと、
その時その時の話の個別具体的な生々しさの方を重視したくなる口なんですね。
30:07
だからおとぎ話の話は面白いと思うけれど、
し、そういう風に考えておけば済む時はそうすればいいと思うんですよ。
別に僕はユングの弟子でもフロイドの弟子でもないんで。
だけれども、どっちかっていうと気がつくとですね、
いいお母さん、悪いお母さんとか、いいおっぱい、悪いおっぱいって考える方が、
こういう時、僕の頭にはすんなり入ってくるんだなとは思いますね。
そこにセクシャルなものが絡んでいると考えた方が、
私には妥当な感じがするんですよね。
それはセックスするとかしないとかいう話とは全く関係ないんですよ。
現に、それこそさっきも言いましたが、
白雪姫のお父さんなりは出てこなかったじゃないですか、結局。
あれがいかにイリュージョンと独り相撲であるかを
象徴的に語っているとは思うんですよね。
最後に踊り狂うっていうのは最初から踊り狂ってたってことです。
僕らって、そうやってイリュージョン相手に勝手に格闘して、
VR運と付けながらボクシングしているみたいなものなんですよ。
そういうシーンが山のようにあって、
毎日がとても消耗するんですって言っているわけですよ。
当然なわけです。
こういう毎日がとても消耗するのをやめたいと本当に思うなら、
自分が魔女になっちゃっているということを理解すればいいんですけれども、
私たちが鏡を見て知ろうとすることは、自分の本当の姿ではめったにないんですよ。
やっぱり鏡を見てやりたいがっているのは、
世界で一番きれいなのは私だって言いたいわけですよね。
つまり、その鏡は自分の実像を映すものであってほしいわけじゃなくて、
自分を評価するものであってほしくて、
鏡というのは評価の象徴になりやすくて、
私たちは他人の評価というものを鏡だと思い込むんですよね。
自分の実像だと信じたがるんですよ。
人間というのはそういうところがあるんですよね。
だから、鏡を使ってひたすらいつも評価の問題だけに取り組んでいるということは、
既に最初からヒステリーであって、
鏡を見て、俺の顔はどうしてこうなんだろうとか、
何かのテストを受けては、なぜこの偏差値はもっと伸びないんだろうとか、
いつもそれを考えていて、しかもそれが当然でしょっていう話になっちゃっているわけですね。
だから、エリプスコンプレックスって言われるわけですよ。
評価者がそこには必ずいて、しかもその評価者はいたって横暴ですよね。
別にその評価者が悪人だとか、プーチンみたいだとか言うんではないですよ。
ただ、評価される側にとっては常に横暴に働くという意味です。
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結局、進休するのか落題するのかとか、給料上げるのか下げるのかとか、
自分のまさに今一番気にしている生活に直結する話を、
その人の一存で決められてしまうような構造ができているというか、
人間社会はそういう構造を作っているわけです。
それは事実なんだけど、
ここら辺はグッドバイブス的に、倉園さん的に言うと、
人間が作ったものなんですよ、これは。
世の中に最初から確固として、絶対なきゃいけないものとして、
万有引力の法則みたいにしてあるわけではなくて、
あくまでも利便性を考えて作ったものだから、
これ、すなわち現実として絶対に逆らえないものだとか、
これにのっとって東京大学に入って官僚にならない人生は不幸だ、
思い込む必要は別にないんですよ。
ないんですけど、私たちは、
こういうすごく極端な意見はともかく、
東大で官僚にならなきゃ、それ以外の人生は全部クズです、
というのは大体みんな知りづけられるんだけど、
でも老後にお金がなければ不幸になるに決まってるよねとか、
本を出した時には重判が絶対かからない、
著者はダメだよねとかはあっさり植えられちゃうわけですよ、割と。
こういうところから、つまり私たちはまとわりついているような
ヒステリーみたいなのから、完全にこういう社会では流れるのは無理だと思うんですね。
かなり難しいと思うんです。
こういうのにある程度乗っかっちゃってるでしょう。
だからヒステリーってのは僕は大事な概念だと思いますし、
昨日の脅迫症と並んでですね、
僕の頭の中では勝手に二大ノイローゼだなって思う、
もう一つあるかなとも思うんですけど、
でも少なくともこの二つってのは、
無縁でいられる人はすっごい少ないだろうなという感じはします。
例えばこれはもうすっかり飽き飽きだ、絶対嫌になったっていう方も結構いらっしゃるじゃないですか。
そういう方が例えばアマゾンに住んでいくとか、
すごい極端な場合は電気と水道をギリギリ確保して、
山奥で人里離れて生活するとか、
そういう選択を選ぶほど嫌になっちゃうという場合もあるわけじゃないですか。
この人為的に価値が決められていく、
上下で上に行けばいくほど幸福になれるっていうのは、
深いわけだし、強力なわけですよね。
何かの歌で、私の娘が時々聴いていた、聴いてなかったんだけど、
そういう歌で何かありました。
意味なくない位置抜けしようっていう風に歌っている歌がありました。
36:00
意味ないと思って位置抜けしたいと思っている人はいっぱいいますが、
背の順で並ぶとかね、
そう簡単には位置抜けていけないわけですよ。
学校行ったって、学校行ったらこればっかりなわけですから、
うちの娘も言ってましたけど、
こればっかりなのに、これはイリュージョンだっていう話をしておいても、
なかなか子供にとっては、これを頭から無視して生活するったりはいかないというか、
ほぼ逆に、四六時中これに付き合わされているっていう方が、
普通だよなという話をしていたんですけど、
その通りだと思うんですよね。
これと全く無縁になれるはずはないから、
都合よく使えばいいっていう結論にしかならないと思うんだけれども、
ただ、これと向き合っている以上、
自分がヒステリーになるっていうか、ほぼなっているというか、
そういうことを度外視はしないほうがいいよなという気がしています。
度外視はしないほうがいいというのは、
グッドファイブスが度外視しているって話ではなくて、
不思議なぐらいヒステリーという概念が訪問にさられようとしているわけですよ。
それは何を意味しているんだろうって思うんですよね。
これが教会入れとして考えると、
そうでないと自己愛としてのみ捉えられていくと、
そういうのってつまり、
ひどいヒステリーの人はすごく上挙位しているよねっていう感じになっているんですよ。
僕はそれこそですね、
これも蔵園さんがグッドファイブスでよく言う、
グラデーションというものがあるはずで、
しかも結構私たちはヒステリーよりで生きている。
ヒステリーの人っていうのは、
一旦パカッと分けて、
健常者と自己愛になりにして、
なんて言うんですかね、
山崎さんって方かな、それを書いていたんですけど、
何それはちょっとでもこの傾向がある人は、
もう場合によっては自己愛にされちゃうわけで、
そういう人たちが、
何それはちょっとでもこの傾向がある人は、
もう場合によっては自己愛にされちゃうわけっていう風に、
本の中で書いていらっしゃったんですけど、
そう僕も思うんですよね。
僕らはみんなかなりの程度ヒステリーだと思うのに、
特に男性はひどいと思っているんですけれども、
なんかですね、これが、
すごい過剰になっている人は自己愛で、
ほとんどの人はそんな傾向はありませんみたいな、
この分け方が気に入らない。
気に入らないというか、
僕としてはすごく納得がいかないんですよね。
こういう意味で、
今のような世界では、
これは絶対つきものになるはずだから、
ぜひですね、
何でも同じなんですが、
私昔書道をむげり習わせられていたんだけど、
39:00
書道って、
会派にもよるんですけど、
ものすごい分けるんですよ。徹底的に。
純南経、純九経、九経、純八経、八経みたいな。
それが九段まであるんですよね。
そして全ての人の名前を出すみたいな。
でも割と古典的な芸能の世界みたいなのでは、
ああいうところはいっぱいあります。
エリプスなんですよ。
ものすごく序列的に作っていくんですね。
序列的に上達していくっていうのが一つにはある。
で、当然ここもヒステリーなんですよ。
私の感じからすると。
絶対そうなると思うんですよね。
北朝鮮なんかには、今は知りませんけれども、
この序列みたいなものが全国民に適用されていると。
人民なのかな、あの国の場合は。
いう話があるんですけど、
たまったもんじゃないような気もするし、
世の中そういうものかもしれないですけど、
それほど、やっぱり正気を失っていく感じっていうのはしますよね。
40:10

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