ライフハック心理学の復活
おはようございます、グッドモーニングボイスです。1月15日水曜日、8時13分です。朝ですね。
はい、えーっと、まあもうお知らせいいかなという感じもするんですけど、そうですね、話の中でお祝い。
まだすぐにはではないんですけど、お祝いですね。2月、早くて2月。
もしかすると3月になると思うんだけど、ライフハック心理学って昔私、いろいろな表現を変えてみて、メンタルハックとか言ってみたり、いろいろしてみてたんですが、
そういう、なんていうんですかね、勉強会みたいなものを復活させたいなと。
実習してきた感がありますよね、なんだかんだ、これグッドモーニングボイスに戻しちゃってますし、名前はちょっと考えますけど改めて、
ライフハックっていうのは今時さすがにどうかなと思うんで、でもまあそういうものなんですよね。
以前は、あのー、まあもう本題入っちゃいますけど、以前は、行動科学と、まあ神経、認知神経科学っていうの。
まあ日本では脳科学っていう方が自然だと思うんですけどね。こっちの方を中心にというか、もうこっちで絶対まとめたいぐらいに思ってて、
まあ言ってみれば精神力動を脱食してたわけですよ。脱食どころか消毒ぐらいな、毒かよみたいな感じにしてたわけですよ。
で、全くフロイト知らないなんてことはありえないじゃないですか。もうでも、いないかのように扱ってた。だから私がこの番組で繰り返し、
まあ言ってみれば批判に近いですよね。批判しているこの、その精神力動系排除みたいな動きを、むしろ率先してやってたわけですよ。
それは私は、別にそうしたいという気持ちよりはですね、もうなんかそうしなければいけないんだぐらいに思い込まされていたというか、そうしないものは自分が排除されちゃうみたいな感じ。
まあ言ってみればあれですよね。隠れキリシタン感がちょっとあったってことですよ。隠れ力動感がいくらかはあって、
いやもうフロイトはダメだよねみたいなのって言うほど思ってもないくせに言う必要、言えばなんかこう多数派につけるみたいな。でもユングは好きみたいな。わけわかんないんですよね結構ね。
ユングはまあ割と、でもあんまり口にしないようにしてました。セレンディビティだけ使うみたいなね。なんかセレンディビティは
ビジネス場界隈でも許されている感があって、なんかそれはわけわかんないですけどね本当にね。なんか単なる雰囲気だろっていう感じなんですけど、何にもそこに合理的な理由はないですから、はっきり言って。
で無意識排除してるのにセレンディビティ入れてくるなんてナンセンスじゃないですか。まあ大概の人は無意識というのを全意識のことを指して言ってるだけなんですけど、無意識っていうのはあのやっぱ厳密に
話をするならビオンのあれがやっぱりまず念頭に置かなくちゃいけないんですよ。あれじゃなくてもいいんだけど不安というものは色もなければ形もなく匂いもなければってやつですよ。
不安というのを色づけしたり、なんかそこにあるものみたいに言っちゃダメなわけですよね。胸がドキドキしてます。もうそれ不安じゃなくて心拍じゃんっていうことなんですよ。
不安の表出とか言ったりすることありますけど、まして無意識の不安ってなってくると、それは意識できてない上に形も見えもしないんだから、感知絶対できない。つまりこの世にないものなんですよね。
そこまでね本当にあらゆる真相心理系で常に無意識を非常に厳密に扱ってるかというと僕は花々疑問だと思いますが、
そういうふうにしかし扱わなければ、あんまりその全意識的にね、実は頑張って思い出そうとすれば思い出せるし、心臓ドキドキですみたいなこと言い出したら、それはあの無意識でない上に不安でもないってことになっちゃうわけですよ。
だからそんなめんどくさいことはやめて、もう本当に心臓ドキドキの方扱えばいいじゃんみたいな。極端に言うと急進飲めばいいじゃんみたいな。ちょっとあの商品出しちゃいましたけど商品名。
急進急進のあれですよ。あれ飲めばいいじゃんってことになってしまう。これはだから心理アプローチというよりはもはや身体アプローチになってるわけですね。それはいけないわけじゃないですよ。
あのね、あの北野富士さんという最近ちょっとNHKに出てこなくなってしまった昔の横綱の、あのね、千代野富士のお師匠さんが、
あれですよね、えー、なんだっけ、現在の理事長って確か北東美だと思うんですよ。もともと星って言ってたんですけどね。あの、
あのお師匠さんでもあるという、北野富士さんが、実は千代野富士の優勝かかるシーンでは急進を飲んでたという。
多分あれは本当なんだと思うんですよね。本で読んだ話で本人書いてたんで、急進飲んでたんだみたいな、思いますよね。自分が優勝かかってる時は飲まない。
師匠ってそういうもんなんだなーって思いましたね。 まあいいんですけど、あの
八角公野館、八角理事長ですよね、のお師匠さんが北野富士ですよね。 で、千代野富士が優勝かかってる一番で急進飲むという。
だからこれは不安の表れなんですけど、効かないとは言い切れないですよね。 で、
プラシーボかもしれませんけど、何の話をしているかというと、これはビジネス心理じゃないかって話なんですよ。
ライフハック心理っていうのはちょっとあってないかもしれないけど、メンタルハックじゃんって感じなんですよね。
やっぱり。 だって急進飲まないと心臓が怖いってわけじゃないですか。
結局は。でもそれは心理的なものであることはこの場合明らかじゃないですか。優勝かかった一番の直前に飲むっつってんだから。
それは、ビジネス心理だなって。ビジネスですから、相撲は。
で、この辺の話を
考えてないんですけど、やるときに、力度脱色するってナンセンスだなって思うんですよ、今はね。
もともとナンセンスだなとなんとなくどっかで思ってたかもしれないけど、脱色するべきなんだって信じたんで、本当に。
でも今は、力度を中心に行こうみたいな、そういう一周回ってきてるわけです。
心理分析の再評価
大博心理とは言わないにしても、ビジネス精神分析みたいに言いたいわけですけど、この名前でもいいかな。
でもビジネスマンのための精神分析、ビジネスパーソンのための精神分析勉強会、長いな。長いんだよね、こういうのって。
あの、今を考えているのはですね、個人的な話にやっぱりしないとね、確実なものになっていかないんですよ。
だから僕は個人的な話をここでするんですよ。セッションの時、僕の個人的な話を聞いてもらってもしょうがないんで、相手の方の個人的な話を伺うのが私のポジションですから、役割ですから。
今ここで喋るのは誰が聞いてるのかわかりませんか。聞いてる人の顔はもう思い浮かぶんですけどね。でもまあ聞いていただくわけですよ、私が。
だからこれは僕のスーパーバイズなのかもしれないなってやっぱり時々思うんですね。でもこれをスーパーバイズって言ってると怒られるのかもしれませんけどね。
批判はされませんからね。まあ批判され売るんだけどね、この内容は。まあでもかなりプライベートな話をしちゃってますよ。今日もしちゃいますけどね。
聞き苦しいというのはちょっと飛ばしてください。申し訳ないけど。
他の人の話をここでするのはダメだと思うんですよ、やっぱり。で、理人奨励を引いてくるのは許される、ギリギリ許されるとは思ってるんですけど、
ていうか許されるはずなんですけど、でもその理人奨励ってなってくると偽装されてるんで、そもそも本当とは言い切れない上に、私の話じゃないから、
悪性が持てないんですよね。 間違っててもいいから、例えば病理構造体の話を今日するわけですが、
病理構造体、総敵防衛、ギャングの集団みたいな感じ、何か自分が建設的とか前向きなことを考えようとすると、何きれいこと言ってんだ、
ドドドドドンってやられて、自分の中の倫理観が崩壊して、自分の中の懲罰的な意識をですね、
正当化するわけですよ。つい先日も読んだんですけど、欲打つの、欲打つと言いながら、それもなんか迫害妄想じゃんっていう感じの
患者さんのお話がありまして、でもすごいわかる気がするんだけど、まあ夫の昔のガールフレンドをストーカーしちゃう女の人の話なんですけどね。
いやこれ絶対懲罰感情でしょ。もう絶対面と向かって言ってやるんだみたいな、何を言ってやるんだって感じだけど、まあ言ってやりたいわけですよね。
何かを。お前夫のペニスどうだったんだみたいな。あの最近でもないか、だいぶ前にね、こういう話が今日は出ますからね。
どうしても出ちゃうんですよ、病理構造体の話をするとき。病理構造体というのはローゼンフェルド。ローゼンフェルドというのは、
まあ僕はクラインの結構直径だなって思うんですよね。病理構造体ってすっごい大発見だって思われてませんし、
その後またビオンとかの手によって抽象化されて、やっぱね、
中途半端感はあるんですよ。でもここが大事なんだけど、精神分析の世界って中途半端な概念が意外に使えたりするんですよね。
だから、妄想分裂ポジションと抑鬱ポジションも今やPSDみたいな、PSとDの両矢印みたいに、ベクトルみたいな雰囲気の数学化されてるんだけど、
やっぱりね、私は中途半端なんですよ。PSポジションとか分裂ポジションとか言ってるのはフェアバーンの発想なんですけどね。
それをクラインがかなりの程度まとめて、さらにそれをビオンが抽象度を上げた。抽象度を上げるべきなんですよ、やっぱり。理論なんだから。
でも抽象度を上げちゃうと、上げたほうが使われるかっていうと、ビオンがやっぱりやった、いわゆるグリッドのテーブルですよね。
なんかもう二次元の表で、Excelで書いたようなやつ。あそこまでやっちゃうと、なんかやっぱり使えないものになっていく感じってどっかあるんだと思うんですよ。
確かにあれは、ちゃんとなっててすごいけど、フロイトがここまで抽象化されて、しかもなんかなかなか簡単に論拡できるようなものじゃ、論拡って言いますよね。
なくなってるっていうのがすごいなって思うんですよ。すごいなって思うんだけど、でもやっぱり使いにくい感じがちょっとするんですよね。
PSDより妄想分裂ポジションの方がわかりやすい感じがするんですよ。やっぱり。なんか虚勢不安とか中途半端だけど、
なんかこうですね、抽象度を上げるということは、その分適応半径が広がるけれども、なんか一瞬うってなるからその一瞬が結構邪魔で、
またやっぱりこうもっとこう、なんていうのかな、セッションの途中って私もセッションやってて思うんですけど、なんか視界が狭まるんですよね。妙に。
この狭まった視界でも考えられる道具が必要なんだなって感じがするんですよ。意外とやっぱり超自我って雑な考え方だと思うんですよ、ある意味。
なんかこう、お父さんの言うことを聞け、聞かないと人心切るぞみたいな、そういうアホみたいな話だなって思うんだけど、でもこのアホみたいな感じがないと、
相手の人の話を、しかも結構こみ入っているプライベートの話を聞きながら、うーんってなりながら考えつくことってせいぜい超自我ぐらいなんですよね。
なんかこう、抽象度が上がっちゃうとわかりにくくなりすぎて、ほんのちょっとわかりにくくなっただけでも、わかりにくくなってないですよ。はっきり言って難しくなんかないんですよ。
単に論理を追うだけならば、まあ少なくとも関係代名詞の目的書くみたいなやつより簡単ですよね、精神分析の方が。
単にそこの理論の難易度だけを取り上げるならば、難しくはないと私は思うんだけど、でもどこでそれを考えを使おうとしているのかと。
あれじゃないですか、結構英語が苦手な人って今みたいな話をされただけでも頭痛くなるみたいに、でもその人意外となんかねえっとなんだっけ、ケイリー・ハミルトンの法則とかできちゃうみたいなそういう人っているじゃないですか。
絶対ケイリー・ハミルトンの方が難しいよって思うんだけど、そんなことはないんですよ。てかその人の頭の良さが変わるんですよね。
で、かなりそのセッション中ってバカになっちゃうんで、ここが厄介なんですよね。考える能力がぐっと低下しているっていう状態が発生した時にでも考えられるツールってものが割と大事。
ビジネス心理学との関連
そういう意味であるのローゼンフェルドの病理構造体って多分すごい使われてるんじゃないかなと。思い当たる節ありまくりだよねみたいな感じなんですよ。
要は懲罰感情なんですよね。だからさっきちょっと言いかけたミオスにあたるとビデオですよ。僕が見てたやつで、わけわかんない話なんだけど、八坂村みたいな話の中でエロとホラーってよく絡むじゃないですか。
美人の女の人が村の子孫の繁栄のために男の人に身を捧げるんだみたいな、ある種の人がすごい好きそうな、僕も嫌いじゃない話があってですね。
で、その奥さんが怒るわけですよ。あの人のは立ってたの?みたいなことを聞くわけですよ。ビデオなんでその瞬間。
なんか普通に立ってましたとか言ってめっちゃ怒り出すみたいな。でもそういう話ですよ。だから、つまり罰したいということに性欲がすごい絡んでくるみたいな、創作的な世界ってやつですよね。
罰したいわけですよ。すごく罰したいと思うと興奮してきて、単純に懲罰意識だけでも興奮はするんだけど、そこに性欲がなぜか加わっちゃうみたいな。
で、なぜかっていうのはつまり、自分が幼かった頃の感情がそこに関与してるんではないかというふうに、精神分析的に言うとこの辺が精神分析の最も性欲堂的なところで、
ナンセンスじゃん、そんなのって思われてたんだけど、いやでも子供の空想ってそういうの多くない?って感じが私なんかはするんですよね。
ここから性欲を、多少性欲に関してはコントロールされても、懲罰意識って結構みんなコントロールしきれてないですよね。
なんかもうすぐXとかワイドショーとかで、なんかこいつ叩いていいみたいな、みんな言ってますけど、こいつ叩いていいみたいな空気が出来上がるともう叩きまくりたくなっちゃってるじゃないですか。
なんかもうこの人と罰しないと世界ダメになるし、一歩間違えたら破滅だしみたいな、多分もうね、一時ロシア大統領とか叩けるだけ叩こうみたいな、怖いっすよね。
なんか彼も怖いけど、世の中結構怖いですよね。ここに性欲堂みたいなのが絡まりつきやすいというか、合流しやすいというか、
なんでこれを私が、まあ私にあるからなんだけど、この病理構造体みたいなやつですね。
層的防衛をしていくわけですよ。で、この時に何をかなぐり捨てたくなるかっていうと、いわゆる欲打つ的な倫理観なんですよ。欲打つポジション的な倫理観なんですよ。
いやいや、あの、一つ意識だからさ、みたいな。いや、一つ意識言ってんじゃねえみたいな、ヤング団差し向けて一つ意識ボコボコにしろみたいな、そういうノリになっちゃうわけですよ。
で、この正義を完遂してSMの世界に行こうみたいになっちゃうわけですよ。
この辺をローゼンフェルド、ちょっとね今ローゼンフェルドの責任にこれをしていいのか的なのが来た走ったんですけど、でもね、やっぱり私はこれがあるという気がして仕方がないんですよね。
なんかこの懲罰感情というものっていうのによって、うーんと、なんていうんですかね、例えば奥さんと喧嘩したりすると、はなはだしくなりかねないわけね。
いやもう、この女絶対貧乏のどん底に叩き落としてやるみたいな、なんか心類に嘘800並べ立ててでも、誰もこの女を援助できないようにして離婚してやろうみたいになるんですよ。
そういう感情に囚われる。今言ったようなのって言語的説明なんだけど、これが非言語的に走っていくんですよ、頭の中を、心の中をでもいいんだけど。
で、ものすごいんですよ。なんかよくわかんないですよね。ものすごく幼稚だって言いたいんだけど、あの全然これをなんていうのかな、現実的に行う、そういう大人的な自分がやってくれるかっていうとやってくんないなってかね、そこに分裂があるってことなんですね。
私の大人的な、大人的な能力いるじゃないですか。例えばもうクレジットカード止める1個取っても大人的な、要するに抑鬱ポジションを知ってる自分ってやつがいて、でその抑鬱ポジションを知ってる自分に、いやこの女懲らしめるためにさ、ちょっと銀行口座凍結しようよみたいなこと言っても、銀行口座を凍結できる自分はやってくんないんですよ、これを。
なんか狂った方、何お前はそんなこと言ってんだみたいな。これって完全に一人で二役やってるじゃないですか。分裂が起きてますよね。この分裂しているはずの大人の自分の知性と子供の自分の欲情みたいなものが組み合わさったシステムを病理構造体と呼んだような感じがするんですよ。
なんかもうちょっと厳密性を要求するんだけど、今はやっぱり喋ってて、あの馬鹿になってますよ。だいぶ。いろいろ喋っちゃったし、八葉家村みたいな話のアダルトビデオみたいな話もしたんで、あの、頭が誤細字化してるんで、その、病理構造体のシステムをきちんと説明できる能力を今、書いてるんですね。
休んで水飲んでくれば戻るんだけど、そうするとこの情緒の方法、なかなか思い出しにくくなるんですよ。難しいんです、こういうことって。だから、このまま喋っちゃうんですけど、つまりですね、こういう状態でも病理構造体って言葉、ローゼンフェルドっていう言葉、キーワード、あの人の、あのおじさんの絵のイラストイメージみたいなのを思い浮かんでポンポンポンって思い浮かべさせられるんで、こういうのが使えるんですよね。
ストーカーのケーススタディ
今、グリッド考えろって言われても結構無理で、やっぱりこの辺にグリッドの本、載ってる本とかが欲しくなってくるんですよ。これはできないじゃないですか。セッション中にちょっとグリッド読むからみたいな訳にはいかない、いくかもしれないけど、やっぱり何かが興ざめっていうか、ダメだと思うんですよね。
だから、考えられない時に、でも、できる、使えるやつ、そういう意味では、いかにもクラインらしいローゼンフェルドの引き継いだというのか、クライン派として考えついていった創的防衛というやつ、創的防衛と病理構造体という考え方は、使えるよなと思うんですよね。
人の怒りって大体これで説明がつく感じがするんですよ。で、抑鬱的ではあるんだけど、だからこの辺ですね、抑鬱ポジションみたいなのとか、鬱とかいう考え方を、なんていうんですかね、もう、この番組引いてる方には何となく理解できるんじゃないかと思うんですけど、例えば鬱病とか、抑鬱症状とかいうのを、あのチェックリストみたいなので、あの、3ヶ月以上鬱々とした気分が続いている。
適当ですよ、適当に喋ってますけど、ああいう診断基準みたいなので、このようなものに陥ってる人は、こういう特徴があるみたいな、それは特徴だろって感じなんですよ。心の中で何が起きてるのかについては触れてないでしょうって感じがしますよね。
で、さっきちょっと紹介した、凛少林の女性が夫の元のガールフレンドをストーカーして、みたいな話があったときに、やっぱ非常にその女の人が言っている夢とかの話は、いわゆる病理構造体的な世界っていうのがよく感じられるんですよ。
目的が狂ってしまってるわけ。だって、あの、夫のガールフレンドをストーカーしても何もならないじゃないですか。なんかその、そこに興奮があるわけですよね、結局ね。で、その興奮っていうのが、結局、その、なんていうのかな、ヘルプレスネスなんですよ、根本的には。
やっぱりその女性はすごく、私はもう、生まれながらにして悪い存在で、みたいな、欲鬱症状マッシュグラ的な、そういうことを言ってるわけですよね。欲鬱的、欲鬱パーソナリティーのか、鬱病のための精神系、あれです。松木さん、ほら、バカになってるでしょ、僕。松木さんのね、一連のシリーズですよ。あのシリーズはほんと素晴らしいと思います。
私は、あの、精神力道じゃない力道系に興味ない人は、あのシリーズ読まれないかもしれませんけど、あれは絶対、みんな読んだらいいのに、みたいな、まあ一冊一冊が非常に高く、途中絶版になってたりするんで。僕もこれ9000円ぐらい、中古本屋から、なぜ9000円もする、本が、と思いながら、ミスズ処方じゃないんだから、とか思いながら、まあもう、ほんと涙を飲んで買ったんですけど、まあいい本ですね。
この抑鬱症状のための精神分析的アプローチみたいな、のシリーズの中でも、この抑鬱という中、こう、バラエティーが飛んでるというか、えーと、バリエーションが非常にあって、どう見てもこの人は抑鬱というよりは怒りだって感じがするんですね。
でも怒りの根本的な話が最初に聞かれるのは、会社では暴れるみたいな話まで出てくるんだけど、すごいこう、大人しそうな女の人で、えーと、自分は本当にダメで、みたいなことしか言わなくて、表面的には抑鬱神経症ぐらいな感じなんですよ。
だから難しいってことなんですよね。話を、だってストーカーしちゃうっていうのは明らかに現実見当をかなり欠いてるじゃないですか。元のガールフレンド、夫の元のガールフレンドをストーカーするって、何か夢と現実が相当ごっちゃになってる感じがするじゃないですか。
心的現実がのさばってるじゃないですか。現実無視されてますよ。そこはすっごく精神病水準なんだけど、でもクリニックに来て、私はこうこうこうで、性育歴はこうでって言ってる。すっごい真っ当なんですよ。そこは非常に抑鬱神経症水準。健常者に近い。
抗不安薬を飲みながら様子を見てればいけるんじゃないかみたいな。だからこういう時に、私が思うに、今風に脱精神力動的なノラカウンセリングっぽい、あるいは何か正規じゃないのか正規なのかわからないような視覚だと、何をこの時にやっちゃうかというと、
いや、あのあなたは辛かったんですねみたいな話をして慰め系になっちゃうような感じがあって、多分それは精神病水準の部分が無視されてしまっている感じがあるわけですよ。きっとあなたの気持ちはよくわかりますみたいな話。
それを自己愛だって書いてた人いますけど、それは治療者の自己愛でもそういう風に言うしかない時だってあるだろうとは思うんですけどね。言うという意味では。何を言うかって話だとすればですね。まあでも生育歴は大体、優しいお母さんだったんですとか言いながらそんなことはないんですよ。
これやっぱりセッションをいっぱい重ねていかないと出てこないことってあるんですよ。思い出すってやつですよね。思い出すことが治すことに直結するとは限らないんだけど、いわゆる思い出し療法じゃないんですけど、思い出しているうちに言ってることとそのお母さんの実動がすごいかけ離れてきたなっていう話が出てくるわけですよ。優しいって言うけど妹の世話は全部お前やれみたいな。
ヤングケアラー感が出てきてるじゃんっていう話が出てくるわけですよね。で、いいんですよ別に。本当のお母さんに会ってみると、いやこのお母さんはこの患者さんがいるのと全然違うなみたいなありなんですよ。何が大事かというと、その子は育てられた時どう考えていたかということが大事であって。
例えばやっぱり妹の背を全部押し付けられていたってことは本当はないにしても、でも例えば妹がテレビゲームやりながらお姉ちゃんが妹の妹また小さいからっていう理由でね。
みかん剥いてあげるみたいなことをして、その剥き方が悪いと言って怒られるみたいな、こういうことがあれば親的現実はものすごく暗くなるかもしれないじゃないですか。
そういう時に妹を性的に場合によっては恥ずかしめてやりたいみたいな気持ちになったとするじゃないですか。そういうことを6、7歳の女の子が考えても別に僕は全然不思議だとは思わないんですよ。
このような時に病理構造体みたいなものって、つまり層的防衛ってものが必要になる。ある意味必要ってのは変だけど、この場合恥ずかしめるとか、せめて罰したい。
でもやっぱり罰するって時に非常に大罰感が加わるんで、そこに性的なものが絡んできやすいと思うんですよね、やっぱりね。
なんでもいいんですけど、ちなみにその妹の方がすごく可愛がられてるとか、本当に可愛くて私は可愛くなかったみたいな、むしろ男の子っぽかったみたいな時に、このジェンダー的な、ジェンダーアイデンティティ的なものがここに絡んでくるんですよ。
僕はそのような気持ちってすっげーよくわかるんですよ。逆をよく言われてたから。女の子っぽいみたいな。私の、これも余計な情報ですが、AVっていうものはすごい私自身のポジションがネチネスしてるんですよ。
なんか嫌な性格の悪い女の子みたいになりやすい、そういうものに同一化しやすいんですよ、私は。
あのキャンディキャンディ出てきたイライザっているじゃないですか、ああいうキャラ好きなの。好きではないけど、好きではないけど、あれを見てるといやこいつ本当性格歪んでなぁみたいな。
でもああいう子がなんかキャンディに性的ないじめをするとかは多分すっごい興奮しちゃうと思うんですよね。
これは僕が何に同一化しやすいかってことなんですよ。まず私は男性的じゃないんですよ。
自己同一化の探求
なんかああいうイライザみたいな女の子ってなんか下に不良いるじゃないですか。あのポジションって私すごい好きなんですよね。
なんか昔ドロンジョとかいたようなヤッターマンみたいなね。あれなんかちょっとSFっぽい格好してたじゃないですか。
あの感覚って僕すごいよく分かるんですよ。あのドロンジョ様みたいなのに割と惚れ込みやすい。
実際には絶対惚れないんだけど、病理構造体的な世界の中ではああいうのに同一化しやすいんですね。
で、さっきの話で妹に対してそういう憎しみを持った、すごい可愛がられている、可愛いというふうな気持ちもあるみたいな。
こういうアンビバレントで創作した、可愛がりたいんだけど許しがたいみたいな。
そういう気持ちが元夫の、夫の元の彼女のストーカーっていうのにすっごいフィットしますよね。
だから私は変異というのは似ているということは違うということだというのを最近すごくすごく意識するようになったんですけど、似てないっていうこと。
妹と夫の元ガールフレンドは何の関係もない。全然関係ない。
だけどその人の中では似たものになっちゃう。
つまりこの妹は両親の愛を掠め取り上がって、だから私に来るべき愛が来ないんじゃないかという怒りと、いや愛らしいなという気持ちと、
で妹の背負うしなきゃいいお姉さんにならなきゃという気持ちと、それがすっごい理不尽だと思っている気持ちと、そんなのお母さんやってよってことですよね。
でぐるぐる回ってる、お母さんがやってよのことを私にやらせて。
だからお母さんの愛を一心にこの妹は持ってってる。
だから私がやってもらうべきことを私がやらなきゃなんだくなっているっていうこの構造がそっくり夫と元ガールフレンドっていうものに適応されていく、投影されていくわけですよね。
夫の愛は100%こっちに来るべきなのに、すでにこいつ付き合っちゃっていて、夫のペニスを持ってったみたいな、そういう夢を見るわけですよ。
カラシメンタイコの夢っていう変な夢なんですけど、でもカラシメンタイコには子供が詰まってますよね。
非常に精神力度っていうか精神分析の世界っていうのは、私はいろんなことを伝えているというか、非常に豊富な世界だと。
だからそれこじつけじゃないのっていう昨日も言いましたが、こじつけがましいんですよ、残念ながらね。
カラシメンタイコとソーセージっていうのにペニス見るっておかしくないかっておかしいんですよ、それは。
おかしいんだけど、そもそもおかしな夢を見ているんですよ。
じゃあなんでそういう夢見てんだという、すごい面白いんですよね。
ギャング団の悪い女スパイみたいになったところにカラシメンタイコがあったみたいな。
非常にそこは何かを連想しようと頑張るべきところだろうと。
少々こじつけでもね。
少なくとも工作的じゃないですか。
最初の話はそもそもどこ行ったってことなんですよ。
会社に行っても仕事がちゃんとできなくて、私は生まれつき悪い人として生まれてきたから本当ダメなんですみたいなことを言ってるわけですよ。
そこのダメだということに耐えがたいわけですよね。
耐えがたいですよね、それはね。
仕事しに行って、昨日も言いましたけど、ATMに並べば後ろに長男の列ができてしまう。
自分はノロノロモタモタしていると。
ちなみにこの優しかった、私に優しく接してくれた普通のお母さんとか言ってる人は、
自分の機嫌が悪い時はバカだの、ブスだの、ノロマだのと罵ると。
いつも出てくるパターンだなと。
優しかったお母さん像っていうのは、実像としてはどこにいるんだろうっていう。
そして妹ばっかり可愛がって、自分のことは妹の世話役みたいに、召使いみたいな扱いを。
これは明らかに投影が入ってて、多分実態がそうだったかどうかは、実際はそこそこ疑わしいと思うんですけど、
本人の中でも妹の召使いにさせられてるみたいになっちゃってるんで。
だから、夫のガールフレンドは私に来るべき愛情を、夫の愛情を盗み取ってしまったみたいなそういう気持ちに、
夢と現実の境界
でもそもそも私は人に愛されないタイプの人間だからっていう説明がですね、こういう時にサラッと成り立つわけですよ。
その感情を持ちこたえきれないわけです。
抱え込もうとすると、自分が惨めで大変きつくなってくるので、反転させたいわけですよ。
この状況を一転させる強い自分とか悪い自分とか、どうせダメなんだからダメなものを排出したんだけど、
その排出したダメなものに自分を同一化させるわけですよ。
イライザって悪役じゃないですか。悪役ってのはつまり、人間の悪い部分を彼女に集約させた存在じゃないですか。
それと再度一体化することによって、奇麗事の世界というものを破壊していきたくなるわけですよ。
そんな一生懸命妹の召使いみたいなことをやってたって、どうせお母さんは自分のことをよくは言ってくれないとか、自分のことを愛してはくれない。
どうせこの世の中は信用ならないもので、少なくとも自分みたいな人間には報われないものなので、
この世界というものにいいダクダクといい子ちゃんをやっててもしょうがないから破滅させようということになって、
暴卓的世界というものが自分の世界みたいになっていくんですね。
それが壮的防衛という言い方であり、つまり無理やり自分を元気づけて、女盗賊の狩猟みたいになって、
その世界でやっていく。やっていけないんですよ、そういう方は大体にはいて。
そういうタイプでは元々ないんで。
それはあくまでも万能空想的な世界の中でそういう活躍ができるという話でしかなくて、黒い世界ですよね。
その時、手下になっている男の人たちっていうのは、つまり自分の分裂している対象群なわけですよね。
悪い自分たちみたいな。
それがギャング団みたいなのを結成して、いい子ぶっている自分を粉々に破壊していく。
そうすると自分の中の倫理観みたいなものが消滅して、何ができるか。
妹をいじめられるとか、会社の後輩をいびれるとか、いきなり関係を断ち切って離婚するとか蒸発するとかできるんだけど、
その後、我に帰ると、全部失って、しかも自分、ただただ困る人になっちゃってるんだけどっていうことになるわけですよ。
これがですね、いきなり話飛ぶようなんですけど、感じない男、無通文明を描いた人。
哲学者の人ですよね。
あの人が言うところの、男がマスターベーションした後は、どん底にさたき落とされるとか言っている、その抑鬱的な気持ちってやつだと思うんですよ。
僕はあれは、あの人は、あの方はですね、おそらくこれは全男に共通しているんだみたいな。
筆が乗ってくるとそういうノリになっちゃうんだけど、それはその人の気分だと思うんですよ。
彼が言っていることっていうのは、すごく感じない男を読んでいただくとわかるんですけど、気持ち悪いかもしれませんけどね、女性には。
明らかにあれは、総的防衛だと思うんですよ。
総的防衛としてマスターベーションするからそれが起こるんですよ。
あの中でマスターベーションやって、彼は、私はあの気持ちはものすごくよくわかるけど、悪い人間に自分を同一化させてるんですよ。
そして、綺麗なとか優しいとか真っ白いとかを壊していくとか、穢していくとか、そういうところに自分の勢力を乗っけると。
出し切った後何が起きるかというと、虚しくなる。
だってそれは、世界を穢しておいて、その汚い世界のところに自分をポンと置くわけだから、いやー、もう世界全然ダメだわって。
それはあなたが調整した世界じゃんってことなんですよ。
からし明太子の世界じゃってことなんですよ。
それはリアルな世界と関係ないじゃないかっていう。
ここを私はすごく新しいというか、このここに異なる視点を投入してくれたのがミニコットなんですよね。
独立学派はクライン派と物の見方が少し違うんですよ。
対象を破壊するって言い方にするんですよね。
つまり、投影しておいて黒い世界にポツンとに残されるのではなくて、そこを生き延びるんだっていう観点を投入したんですよ。
これが私やっぱりミニコットの偉いところだなって思うんですよ。
ローゼンフェルドの話を読んでると、このビョブリ構造体がいけないってことはよくわかるんですよ。
いやこれはダメだろうと、ドロンジョになるのが関の山だろうっていうのは、そもそもドロンジョはやっぱりアニメのキャラでしょ。
空想の世界に生きることになっちゃうわけですよね。
そこをなんとかしようねってなんだけど、どうなんとかするんだってのが甘いなって感じがちょっとするんですよね。
ビョブリ構造体はいいんだけど。
ミニコットの言う対象を破壊し、対象を憎み、対象を殺し、ここまではビョブリ構造体でほぼ同じ展開でもいけると思うんですよね。
破壊する、なるほど。
剥がすとか壊すとかやるよねと。
なんならクラインが言う、クラインはもうちょっとレクター博士感が入ってくるんで、噛みつく、噛み砕く、食べ尽くすみたいな言葉で言い出すんだけど、カニバリズム的世界ですよね。
爬虫類的な飲み込むとかね。
ストーカーやる人は飲み込みまではしないんじゃないかと思うんだけど、とにかく憎いってことですよね。
で、破壊すると。
破壊した後にリアルは生き残るんだって。
あれね、私あれなんですよ。
漢詩を思い出したんですよ。超有名な。
国破れて産がありって感じだなって感じがするんですよね。
残ったよな、現実はってことなんですよね。
てか残んないとダメですよねっていう。
だから名前忘れちゃってるんですよね。
その哲学者の人が書いていた。
遮世すると果てるみたいな。
いや、果てちゃダメだろって感じなんですよね。
そこで死んだわけじゃないじゃんっていう。
そこでポツンと虚しくなって、
全く寄るべない自分ってのが取り残されて、
しかも現実というものが色あせて虚しく見えた。
ここからがライフでしょうっていう。
そっからがライフでしょうっていう。
そっから欲打つポジションの人生が始まるわけじゃないですか。
さっきまでやっていた空騒ぎみたいな。文字通り空騒ぎですよね。
ドロンジョパーティーみたいなのは終わるんだよ。空想なんですから。
その後がリアルライフじゃないですかという。
それが思ったより悪くないものだってところまでたどり着くべく、
やっぱり空想をやめて頑張るわけですよ。
松木さんはそこすごいやっぱり意識されて書いてるよなと思うんですよね。
すっかり欲打つ的に落ち込んで、
もう気分が最悪になった私がそこに取り残された。
カウンセラーそこに取り残されてちゃんといるんですよ。
いなくなっちゃったり、この話はこれまでみたいにはなってないですよ。
どうせ他人事だしねみたいにはなってないわけですよ。
なんかもうすっげー苦悩しているおじいさんが、わかんないですけどね、
そこにちゃんと座っている感じがするんですよ。
これが大事だと思うんですよね。
で、何ができるとかじゃない。何もできないんですよ。
虚しいなって感じがするだけ。
そこでライフハックとかを始めないってことなんですよね。
これが持ちこたえるということであって、
さっきビジネス心理とか言い出したから一応言っておくと、
それがレジリエンスみたいな力を高めるんじゃないのかって思うんですよね。
やっぱり一応私でも。
ギャング団もいなくなったし、前向きにここでなっても、
前向きになったところで何ができるってほどの力はないかもしれないが、
前向きになったってところで破壊されないものが残るわけですよね。
破壊され尽くした後に残ってるものなんだから。
だから対象じゃないってことですよね。
これが現実なんだっていう。だから対象を破壊した。
その上で母親は生き残っている。その母親は外在している。
内的対象ではなくて外的対象としてのリアルな母親ですよね。
リアルライフの始まり
それと出会いましょうねっていう話をミニコットはこの先に継いだと思うんですよね。
だから彼が最初から環境としての母親、対象としての母親じゃなくて、
つまり空想上の自分の持て遊んだり、バラバラにできたり、
ちぎったり、痛めつけたり、好き勝手放題できる対象ではなくて、
あくまでも外在していて、手が届かないところにいるリアルっていうものと遭遇するみたいな感じ。
未知とも遭遇ですよね。映画のタイトルって素晴らしいですね。
そういうものと遭遇していけば、自分の人生というものがそこから展開させられるんですみたいな、
そういう前向きですけど、ノリというのがノリに近いんだよな、私の感じではね。
僕に敗れて惨がりなんですよ。
あ、残ったよね、こういうものが。これでいいよねっていう感じがするっていうことですよね。
そこで何かこう、墜落して終わったみたいにならないってことなんですよね。
墜落はするんだけど終わりはしないみたいな。
そういうお話を、ローゼンフェルドとウィニコットぐらいを継いでいくと何となく見えてくるものがありまして、
これの話ってただ、なんか慰めるとかアサーチブだけでいける話ではない感じがするんですよね。
僕らは心の中にはみんな精神病水準を持っていて、
精神病水準っていうのは幼稚でしょうもないものなのかもしれないんだけど、
がんとしてあって、それをやっぱりこう、こういうものとして虚しさに直面するみたいなことをしないと、
なかなか結局は墜落が嫌です、怖いですっていうような話になりやすいし、
私みたいな性格の人間だと総敵防衛だみたいな、なんならあれですよね、
スクジュード教会も辞めてやるみたいな、そういう殻騒ぎを始めていい気になるわけですよ。
その時はいいかもしれないけど、やっぱ後々困るわけですよね。