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2023-11-17 43:18

小さなことでクヨクヨしないためには?【GMV 880】

どうすればいいの?

サマリー

11月17日の朝に感じた雨の空の風景から、自己愛についての考察やタスクシュートの話、歌舞伎町の居場所の重要性についての思索など、様々な話題が展開されます。居場所の問題や学校に居場所がない心理的な問題、居場所をつくることの難しさや甘さ、甘えの厳しさと父親のイメージについて考察します。小さなことでくよくよするなという大ベストセラー『小さなことでくよくよするな』の答えは世の中全ては小さなことで書いてありますが、しかし、小さなことを大きくしてしまう心理状態に苦しんでいる人がいます。この心の流れを逆転させるためには他人の力が必要になります。小さなことにくよくよしないためにはどうすれば良いかという議論がありますが、その方法論として自己啓発やカウンセリングなどのアプローチが存在しています。

雨の朝から自己愛の考察へ
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月17日、朝7時40分。金曜日の朝7時40分ですね。
雨がザーザー降っております。ザーザーでもなくなってきたか。
今日は朝雨で昼から晴れる予報ですけど、温かい感じがちょっとします。
いつもより薄切れですね。
今日はこれでいけそうだっていう感じがあって、ありがたいですよね。
最近乾いていた上に、やたら冷えてきてたので朝ね。
金曜日でやや一息つけたかなと。
こういうどんよりした空っていうのは、あんまり見た目は好きじゃないんですけど、
やっぱりこう、たまにこういうのが来るとむしろホッとするというのからしても、分かんないですよね。
どっちがいいかというと晴れてる方がいいって答えちゃうんだけど、
見てみると雨の方が良かったりもします。
これは相のない話ですが、現実に聞くっていうか、見に行くっていうか、
なんかね、これもうまい言い方がなかなか難しいんですけど、
昨日ちょっと仕事でですね、つまり我々は日常は騙されてるんだって感じなんですよね。
僕が割と精神分析の考え方が好きなのも、
私たちは特にこう、先日ちょっとこれも人から習った話なんですけど、
自己愛の人ってのは騙されてるんだろうなって感じを僕はやっぱり抱いてるんですよ。
本人の責任ではなくしてね、なんか訳があってそうなっちゃってるんだと思うんですけど、
やっぱり自分が一番大事って、僕ら普通にそう思ってると思いますし、
それでいいと思うんですけれども、逃しすぎるとどっかが苦しくなってくるじゃないですか。
自分が一番大事だから、その人は極楽浄土に生きてるようなんだけど、
そうはいかないんですよね、やっぱり。
現実の世界は自分に本当に都合よくできていない部分は絶対に出てくるから、
そのごく単純な意味ではですね、快楽原則に沿っていると、
やっぱり不都合なんですよね。
だからその不都合なことにぶち当たって嫌な思いをしますよね。
自分が一番大事ってのが徹底されていればいるほど、実は。
これをしかも他の人は、やつはわがままだってことになっちゃうんだけど、
そうじゃないんだろうなって感じが、ようやく最近本当にこう、
実感を持ってそう感じられるようにはなってきました。
だから自己愛ってのが病理ってことになってくるんだろうなって。
自己愛っておかしいじゃないですか、別に病理じゃないですよね。
みんな自分が大事ですよね。
だから自分が大事が病気だってんなら、みんな病気になってしまうし、
そういう人間は病気だろみたいなことを言う哲学ってあるけど、
やっぱりあれは極端なものの見方だと思うんですよ。
少なくともいわゆる精神の、精神なんていうんですかね、
世界で言うところの自己愛が病理だっていうのは、
何かね、どうこしすぎている線の上を行ってるよっていう話だと思うんですよね。
この辺の話を普通の相談以来、すごい悶々と考えておるところなわけですが、
それはそれといたしまして、11月19日ですね。
これも自己愛なんですけど、11月19日、
おかげさんは本当に盛況と言って、僕の中ではいい雰囲気になってまいりまして、
引き続きよろしくお願いしたいんですけど、なぜこれが自己愛かというと、
これが例えば5人とかだと、別に赤字ではないのに、
5人とかになってくると、自分ダメかもみたいに思うわけです。
これが自己愛の持つ苦しみなんですよ。
だって5人の方がいらっしゃっていて、その人たちはお金払ってくださるんだから、
5人以上来なきゃダメだっていう、僕のすごい勝手な願望じゃないですか、それって。
僕が世界に無理やり押し付けていて、
佐々木が企画したイベントには10人以上来るべしみたいな、
そういう勝手なことを言ってるわけですよ。
でもそんなのは放らないわけじゃないですか。
でもこれって、例えばイベントで不発でしたとかって言っても、
その人はわがままだと思われませんよね。
でも実はそれってものすごくわがままなことだと思うんですよ。
だって結局それは人をいいように動かしたいっていう意味以外の何物でもないと思うんですよ。
よくよく考える間でもない。
それは不発だったって平気で一言でパッと言えてしまう。
僕なんかもう何度言ったかわかりませんが、そういうことなんだと思うんですよね。
これだから自己愛なんですよ。
でも世の中で許容されている、つまり不発だったって言って、
ああそうだね、残念だねと誰かが反応してくれるレベルであれば、
これは病理だとは言われない。
でも例えばこれでですね、私がですよ。
人によるんでこれは本当に。
50人来ましたという時に不発だったって本気で信じてうつうつとしていたら、
多分こいつはちょっとおかしいって思われると思うんですよね、私の場合は。
でもこれも、だからここが自己愛の病理というのの簡単には行かないところなんですよ。
15人以上来ているのに不発だったというのは自己愛であるとは言えないんですよ。
例えばその人が、
まあいいや、わかんないんで適当にホリエモンをゲストで招いて、
50人でした、不発でしたとしたら、
それはそれでまたちょっと違う意味で納得いくじゃないですか。
つまり佐々木だから50人で不発だと言ってはいけないわけですよ。
そういう意味でこういうのは客観的指標があるわけではない。
でもなんとなくありますよね。
なんとなくこの人だったらこのくらいみたいなのがあるわけで、
自己愛とイベントの成功
それを自分の中でも勝手に持っちゃってるわけで、
そしてそれを現実に押し付けてしまうわけですよ。
だからこれぐらい行けばいいだろうとかって思うわけだけど、
ここに自己愛が潜んでるわけです。
これをエスカレートさせていくと辛くてしょうがなくなるわけですよ。
だって例えば私が、いやもうなんか私のイベントだったらオンラインだ、
100人は来ないとありえないって思っていたら辛くなるじゃないですか。
絶対来ないから。
毎度毎度イベントやる度になんかドーンと落ち込むと。
これが自己愛が進んだ状態であって、
自分が大事なんですよこの人は。
自分が大事で自分を大事にしていて、
自分を大事にすることやすることへと向かっていくんだけど、
そうすればそうするほどどんどんどんどん辛くなっていくと。
たぶんね、ある一定の限度を超えたり、
ある種の考え方かなによって、
そういう辛さに耐えられなくなると戦略を変えると思うんですよね。
たぶん変えると思う。
最後の最後まであんまり取らない戦略が妄想ってやつだと思うんですよ。
来たことにするとか、
まあたぶんそんなことはさすがにかなり妄想の中でも動向しているんで、
たぶん来させないように妨害されているという妄想を抱くぐらいのところが妥当だと思うんですよね。
非常に陰謀論チックになっていくわけですよ。
本当は佐々木がタスクシュートのイベントでは100人オンラインで集まるに決まっているんだけど、
決まっているんだけども、
なんだかわかりませんがそれを心よく思わない一派がいて、
その人たちが申し込みページに飛ぶと違うところに飛ぶようにハックしているとか、
そういう妄想を抱くここまで来るとものすごい辛くなってきますよね。
だってもうそういう自分の中ではかなりオカルトな感じの現実が進行していて、
完全に自分はそれによって妨害され収益もままならなくなるという悪い人たちがいるわけですよ。
しかもそのことをもしかすると、
街頭の何かに訴えたりXで書いたりするような馬鹿馬鹿しい反応が得られないわけですよね。
なんでだって思うじゃないですか。
妄想と辛さの増幅
妄想と現実っていうのは簡単に入れ替わるんで、なんでだって思いますよ。
なんで警察は動いてくれないんだとかね。
一本間違うと、なんで政治家は動かないんだぐらいになっていくわけですよ。
そういうことをゴーゴリが書いてましたね。
スペインの王様になったと思っちゃう人も。
ドストエフスキーがそれをちょっとおちょくってましたよね。
あそこまで行くことは滅多にないんだけど、
でも我々は妄想的にすぐなるよねみたいなことを地下室の主義という本の中で。
だからああいうのって同時代の人たちは多分読みながら、
またブログとちょっと似てますよね。
同時代の人たちの小説の書くことって。
話が逸れていますが、11月19日はそう言ったわけで大変ありがとうございます。
よろしくお願いします。
タスクシュートの話します。
フラザノさんと対談でやりますといった感じですね。
ここのところ数日話していた危機感の話とかもきっと出てくると思いますんで、
そういうタスクシュートで順座っておかしいんですよね。
算出したいしないから順座なんですけどね。
順繰りにやっていくから。
順繰りにやっていくんでは不安ですと危機感が必要になりますっていう話きっと絡みとして出てくるので、
この話もしていきたいと思います。
結局タスクシュートで大きく自分が変わったのは、
レビューを確実にやるようになったあたりから大きく、
僕のそれまでの観点っていうのがグイッと変更させられたっていう経験があるんで、
それはだいぶ昔の話になってくるんですけど、
その辺の話から割としっかり掘り起こしてやっていきたいかなと思っています。
今日は何の話をしようと思ってたのかな。
この順座の話は当日するんですけれども、
僕らって今言ったようなわけでですね、
言うならば日常的にある意味ですよ。
ある意味騙されているんだろうなって感じがするんですね。
この話はややふさわしくないかなと思いながらもですね、
この話少し考えさせられたんで、
ちょこっとだけお話しすると、
最近テレビでこういう特集組むぞみたいなのって、
だんだんいろんな局で似てくるのか知りませんが、
ホスト問題ってあるじゃないですか。
僕は見ていてつくづくですね、
この問題ってのはやっぱりカウンセリングっぽさがあるよなって感じがしたわけですよね。
カウンセラーと全然違うんですけれども、
どっちに例えられてもどっちもあんまりいい気分しないと思うんで、
だからやめときたかったんだけど、
でもあそこに歌舞伎町ですよね、
女性が行くっていうのはですね、
やっぱり癒されたいっていうのがあるわけじゃないですか。
彼女たちの居場所があっていう話、
みんな居場所があっていう話をするんですよね。
場所なんですよね。
皆さん多分ですね、
精神分析の比較的真面目な反応を読まれたとき、
最初になんでこの地味な話から始まるんだっていうぐらい、
必ずと言っていいぐらい、
特にある世代のですね、精神分析なんですが、
場所から決まった話が始まるんですよね。
決まってそうだったと思うんですよ。
歌舞伎の設定が、
この場所の設定が大切なんだって。
どんなにあれを言われてもですね、
一般読者は、僕がそうだったんだけど、
面白くないわけですよね。
美容器は全て性欲のせいですって書いてあっても、
結構しょうもない感じしかしなかったと思うんですけど、
これはまあ最大の精神分析にぶつけられている誤解の一つだと思うんです。
誤解と言っても、
ゆえフロイト側に何の責任もないとは僕は思わないんですけど、
まあでも誤解だと思うんですね。
でもこの話よりももっとつまらないと思うんですよ。
まず個室を用意しようみたいな、
目を合わせない位置にソファーを置いて、
うんたらかんたら時間を守って料金はきっちり取るみたいなね。
いやいいよ、そんな話みたいな感じで、
その書をまるまる飛ばしたくなりますよね。
でも場所なんですよ。
あんなに、あんなに場所にこだわってる。
そして昨日もですね、
どれぐらいそれが心理的な意味で、
象徴的な意味で使われているのか知りませんけど、
やっぱりあそこしか彼女たちの居場所がない、
そういう人たちがいるんですみたいな、
居場所かとかって言ってるわけですよね。
遠畑海斗さんも今もね、
聞く技術とか、
そういう普通の相談とか、
割と普通の相談はわかりませんけど、
飛ぶように売れてる本とはだいぶ昔にですね、
違う本で、居るのはせないよっていう、
やっぱり場所の話をしているんですよね。
居場所の問題
居場所の問題なんですよ。
あれはデイケアの話であって、もちろんホストの話ではないんだけど、
またしても居場所なんですよね。居場所がない。
でも全員が全員そうではないと思うんですよね。
居場所は家にないっていう人はもちろんいますよ。
そういう方はいっぱいいらっしゃるから、
一般論として言ってるのではなくて、
あの中には家に居場所がある人もいるはずだと思うんです。
あるじゃないですか。
学校に居場所がない。
なんで居場所がないのかっていうのは、
これは心理的な問題ですよね。
学校に席がないとかじゃないと思うんですよね。
もちろんこれはもっとひどい話もいろいろあるんでね、
あんまり深掘りしたくないんですけれども、
居場所がないっていうのは物理的なものを指してないと思うんですよ。
やっぱりそれは心理的なものだと思うんですよ。
だから、そしてですね、
社会問題にもちろんなるのは、
まず第一にお金を取りすぎるからなわけですよ。
これはでも、居場所というものが
どんなにある意味高くつくかというのを
端的に表現しているようにも、
もしこれが居場所の問題だというのならですよ。
というのなら、これはどんなに居場所がないってことが
世の中で、今の世の中では高くついているのかということを
心理的な問題
端的に物語っている気がするんですよね。
ちなみに、
精神分析は居場所を用意するためだけの方法論ではないと
私は思うんですけど、
割と安くはないと思うんです。
もちろん法外ではないし、社会問題になるように
ぼったくったりは絶対しないと思うんだけど、
ぼったくったりするというのは、
精神分析とかでそれをやっちゃったら大問題なんで、
全然そういうことはないんですけど、
でも、居場所をつくるという段階で、
そんなにお手軽にはできない。
で、
私はその時に、
全然似ているのか似ていないのか、
何とも言えないものを思いついてしまうんですよね。
星と居場所、
歌舞伎町ということになってくると、
うちって私の実家ね、
ことがどうしてもどんどん連想されていくんですよね。
昨日のコメンテーターの人も
最後の毛座みたいなことを言うんですよね。
でもなーって思っちゃうんですよね。
うちもそうだったんだなーみたいなね。
私は子供でしたからね。
特に母がですね、
一応気を使ってくれたんですよね。
ある種の条件のある種の状態になったら、
あんまり寺側と家側って言うんですよ、寺では。
うちではね、寺で言ってるから知りませんよ。
うちではですね、寺側にあんまり今行くなみたいなことを
言われることがあって、
なんか人いるんだろうなーみたいなね、
思うことはあったんですよ。
大事とは言わないですよ、うちの家はね。
でも家側にいろよ、みたいな感じ。
だから要するにプライベート空間と一応、
お堂空間を仕切ってるんで、
一応仕切ってるんで、入ってこれますけどね。
出てもこっちからこっちから行けるんだから。
その間にあるのが受付って言うんですよ。
面白いかないか、別に。
やっぱりですね、私はここに場所ってものが提供されていると思うんです。
ただし寺は無料なんですよね。
いるだけだったら。
いるのが辛いよって話ありますけど、
いるだけだったら無料なんですよ。
それって素晴らしいじゃんって思われるかもしれませんが、
逆にお金さえ払えばどんな人でも
すっごいウェルカムっていうのと寺は全然違うんですよ。
意外とただただいる、
その宗派を信仰してもいませんっていう人にとっては、
いるのは辛いはずなんですね。
いるのは辛い空間なんですよ。きっとそうだと思う。
あそこはやっぱりね、ものすごい濃密なコミュニティになっていくんで、
今言ったような立て付けになっているところは必ずそうなります。
言うならば1対1ではないカウンセリングルームみたいなもんなんで、
みんながある程度、これもう建前的なところもあるんだけど、
みんなが相当仲良くないと、
とてもじゃないけどやっていられないんですよ。
甘えの厳しさと父親のイメージ
お金は払っても払わなくてもいいんですから。
そういう意味ではですね、
わりと街の図書館、それもかなり地方のが、
ある意味似た雰囲気なんですけれども、
だから私はそういうところにもよく行ったりしてたんですけど、
ある意味似てるんですけども、
同じではないんですよね。
もっとこう、コミュニティ、
なんていうんですかね、コミュニティ力が強いというか、
ゆるくはないんですよ。全くない。
だから入ってこれないんですね。
誰でも入れる受け皿みたいな言い方が、
意外と効かないっていうのは、
無料であることと実は深い関係があります。
もちろん信仰との関係もありますけどね。
っていうことをこう、連想していって、
あんまりいい気分にならないので、
ああいう番組をずっとは見てられないというか、
ずっと見ていたいとはあまり思わないわけなんですけれども、
この問題はきっとやっぱり持ってですね、
カウンセリングっていう話と関係があるよなと、
なんとなくこう、ふわーっと思ったわけですね。
それはそれでいいんですよ。
ただ僕はこれが、
じゃあこれが何かに代替になるかというと、
それは難しいだろうなって一つ思うんですよね。
これもものすごく中学生の時に、
男の人たちは美形じゃないですか、みんな。
驚くほどね、
あの美形が必要なのは、必要でしょ、当然って思われるかもしれませんが、
僕はそうじゃないような気がしたんですよね。
実に独特の美形だとよく思うんですよ。
なんでなんだろうなっていう感じを、
いろんな人に言われるんですけども、
美形が必要なのは必要でしょ、当然って思われるかもしれませんが、
僕はそうじゃないような気がしたんですよね。
なんでなんだろうなっていう感じを、
いつも抱くんですよね。
なんでなんだろうって思うんですよ。
おおむね女性が行きますよね。
多分ほぼ100%だと思うんですけど。
男性だったら、
いわゆる風俗系になっちゃうと思うんですね。
何の話してるんだかって感じになってきましたけど、
そうなると思うんですよ。
全員が全員じゃないですよ。
でも私だったら風俗に行ったことないんだけど実は、
行くとすると、それは結局母親を求めて行くんだろうなと思ったんだけど、
じゃあ女性はあそこに父親を求めに行ってるのかっていうと、
なんだか違う気があるとは思うんですよ、そういう人も。
なんだかでも違う気がしたんですよね。
ふわっとこう、いやいや、
環境としての母親って感じがちょっとするんですよね。
母親って感じがしたときに、
なんとなくピンとくるものを感じなくはないんですよ。
美しい男性でなきゃいけない。
なんか父親のイメージってそうじゃなくないですか。
私父親のイメージってどうもですね、
美しくは全然全く少しもない気がする。
これはちょっと偏見があるかもしれないけど、
いや父親美しい、愛入れんなみたいな、
母親美しい、まあ実際はそうでもなくても、
小さい頃はそう思うよねっていう感じがあって。
間違いなく男女とも
ああいうところに行くときには対抗はあると思うんですよね。
いわゆる対抗。
対抗っていうのもちょっとこうね、
非常に微妙な言葉だと思うんですけど、
まあでも子供帰りするために行くんだと僕なんかは思うんで、
そこがあれなんですよ。
性欲を満たすってよく言われる、
途中でフロイドの責任がないわけじゃないって言ったら、
そういう意味なんですけど、
性欲というよりは、
やっぱりこう赤ちゃんの頃のスキンシップかける性欲みたいな何かだなって感じがするんですよね。
やっぱり一時ナルシシズムっていう言葉がどうしても出てくるんだけど、
まあ甘えの世界と言ってもいい、
ただし全然甘くない甘えの世界。
だからすごいある意味、
甘えの世界っていうのは、
厳しい甘えだなって思うんですよ。
だって大金がかかるわけだから、
お金って結局エディプスの象徴のように僕にはどうしても思えるわけですね。
お金というのは、
実際に現代の社会では、
女性の方が稼ぐとか多々あると思うんですけど、
そういう意味じゃなくて、
象徴としての父親が狩猟していくみたいな感じって、
僕の中ではあるんですね。
狩猟するのが男性であろうと女性であろうと、
それは構わない。
それなりの武装をして出かけて行って、
取ってきたぞみたいなね。
それを言うのが女性であるというのが今は全然普通なわけですけれども、
この取ってきたやつを使って、
一時ナルシシズムを満たすんで、
どうしてもこの世界は厳しいと思うんですよ。
だってウサギさんとかよくベルトとかに巻かれてたりするわけじゃないですか。
だからその世界が甘い世界だとはなかなか思えないわけですよね。
これが現実原則ってことだと思うんですけどね。
だから昨日も、
なんか不思議な言葉を使いますよね。
売りかけ金とかって言ってましたね。
売りかけ金が何十万人も何百万人もとかっていう話になって、
なんかこう甘えの高くつく甘えだなという感じが
するんですけれども、
ここで僕はですね、
でもこれってその人にとってやっぱり現実なんだろうなと
思い知らされるわけですよね。
だから本当はですよ、
理想を言えば、
それは普通の相談がいいのかもしれないけど、
普通の相談で代替が効くだろうかとか、
まあそれこそ腕のいいカウンセラーさんだったらいけるのかもしれない。
で、その人にとってやっぱり
現実なんだろうなと思い知らされるわけですよね。
腕のいいカウンセラーさんだったらいけるのかもしれない。
いけるかもなって思うんだけれども、
美しい男性を求めて
そこで癒されるという人に、
言葉のやり取りで
何でもいいんですけどね、それこそ認知療法で
いけるかなみたいな感じを考えた時に、
いやそもそもそういうものに興味も出ないよなっていう
そういうことをまず考えるんですよね。
全然違うものをイメージされていると思いますからね、
やっぱりね、どういうものであろうと。
でもそういうのが全く
こう操作ないとは思わないんですよね。
何らかの形でスクールカウンセリングとか
いろんなものがあるのは、自動相談所とかも
全部そうだけれども、きっとそうなんだろうと思うんですよ。
いろんなものがそこで展開される。
例えば絶対転院は起きると思いますしね、
カウンセラーさんを自分の
お母さんだ、お父さんだと思うとか。
でもそれだったらあれですよ、私が感じるところでは
なんつうんだろうな、
それこそ
歌舞伎町だろうと
結局はお父さんかお母さんという状態が
進行するんだろうなって感じがするんですよね。
むしろそれが
ノフォーズに進行するからこそ
怖いんだと思うんだよね。逆じゃないと思うんですよ。
転院が起きればいいってものではないですからね。
むしろ転院が起きるから良くないんじゃないかって感じすらするので。
でももう困らないんだと思うんですよ。
私自身のことを考えてみると
痛感するんですよね。
問題なのは
それ自体のことじゃないと思うんですよ。
例えば私がパンザ見るとか
全然問題じゃないじゃないですか。
ちょっとクスッと笑われるかもしれないけど
別に見るだけだったら、いわゆるお金払って借りるわけでなかったら
あるいは買うわけでなかったら、お金すらかかんないんですよ。
ただあなたは18歳以上ですか、
廃院をして眺めとけばいいだけなんですよ。
『小さなことでくよくよするな』の答え
それっきりの話なんですよね。
それ自体何にも問題を起こさないわけじゃないですか。
私がすごく考えるのは
リチャード・カー
ちょっと名前が忘れました。
小さなことでくよくよするなという大ベストセラーがあるんですよね。
あのタイトル
副題がすごい古ってると僕は思ってて
だからいつもですね、副題に同じ言葉使っちゃいけない理論っていう
よく本のタイトル決めるときに出てくるんだけど
いまいちどうしても信じられないんですよね。
小さなことでくよくよするなの答えって
世の中全ては小さなこととかで書いてあるんですよ。
ちょっと正確じゃないかもしれないけど。
小さなことは2度出てくるんですよ。
サブタイにも出てくるし、メインのタイトルにも出てくる。
だから2回使ったら売れないっていうのは
私スピードハックスのときにね
誰もそんなに意識しなかったんだけど
スピードハックス、仕事のスピードを3倍にとかってあるんですよね。
これダメだろっていうのが世の中で普通にばっこしてるんだっていうのを
よく思う事例が僕の中で数個あって
どれも結構普通にいけてんじゃないかって思うんだけど
小さなことでくよくよするな
世の中全ては小さなことっておかしくないですか。
そしたらくよくよできることはつまり世の中には何もないっていう
話になっちゃいますよね。
でもこの内容ってビヨンと
ビヨンだったかな、フロイトだったかな
どっちか、両方かもしれないんだけど
この辺も曖昧なんで違う人かもしれませんよ。
あの、なんだっけ
あなたの深刻な不幸を
ありきたりな不幸に変えるための方法が
精神分析ですみたいな
そういう趣旨の話がこの通りの言葉じゃないけど
あるんですね。
これが私は、もう一つですね
あったところに私を置きなさいみたいな
そういう表現のもあるんだけど
これもとても似たような話だなって思うんですが
つまりさっきのね
ファン座見ちゃうんです。いいじゃないですか、別に。
で、逆をやっちゃうんですよね、我々は。
ありきたりの不幸を
ものすごく深刻な不幸に変えていくものが
あるんですよ。僕はこの方向に進ませる
心理的なからくりを
病理って言うんだと思っているんですね。
ここを逆にすれば
世の中全ては小さなことで済んじゃうわけですよ。
だから、あの小さなことでくよくよするなっていうのは
前編を通して、つまりそのことを言ってるわけですよね。
他愛のない自己啓発にしか読めないという方の方が
普通だと思います。
あれは結論先に言っちゃってるからね。
あれを読んでもあのように見えるようには
なかなかならないと思うんですよ。私はあれを読んで
うん、なるほどねって思えるようになるプロセスが
大事なのであって、あれを読んで
そのまんま額面通りに受け取れない心理状態の人は
あれを読んでもケッと思うだけだと思うんですね。
でも、小さなことでくよくよするな
というのとサブタイの世の中全ては小さなこと
というのは大きくしなければいい
わけですが、大きくしちゃうという心理状態に
苦しんでいる人がいるわけですね。
問題は悩みがでかいことではないんですよ。
小さな悩みも全部でかくしていってしまうという
ある種の心理構造を持っちゃってるっていうことなんですね。
これを逆回しにすればいいわけですよ。
逆回しにすればどんなに楽になれるか
という話なんですね。
結局
癒されたいわけじゃないですか。
歌舞伎町とかでね。
癒されたいというのはつまり
どんどんどんどん大きくなっていく問題
というものを抱え込んでしまっている
人がですね
それをやっているときだけ
何かその悩み、大きくなっていった悩みが
全部消え去っていくような気がする
という意味で
これは騙されているとは言いがたいんですよ。
なぜならそれは本当だから。
ここがややこしいんですよ。すごくややこしい。
騙されているってみんな言うわけじゃないですか。
そこにしか居場所がないからかわいそうなんだけど
行くと騙されるんだよと。確かにそうなんだけど。
お金むしり取られるとかね。そうなんだけど。
でもポイントはそこで大きくなっていく
大きくしていく心の
非常にややこしくなってしまった巡回を
そこに行くと止めるか逆転させられるんですよ。
だからすごく癒された気がしていく。
でもそれができるんだったら
家でもそれすりゃいいじゃんって言われるかもしれませんけど
これが簡単じゃないんですよ。一人では。
小さなことを大きくしてしまう心理状態
だから僕はカウンセラーというのは
実はかわいファイオンさんがよく言ってたことだったと思うんですけど
そうしなくていいみたいな話あるんですけど
あれは全くその通りだと思うんですよね。
私、歌舞伎町の人たちは
そんなにすごい技を持ってるのかとは思わないんですよ。
彼らは美形なんで
僕が全く持ってないものを持ってますけれども
そうじゃないと思うんですよ。
彼らと一緒にいればこの小さな力を
でかくしていく自分の心を
逆転させられるっていう意味だと思ってるんですね。
そういう意味では
カウンセラーさんが技術を駆使してやることと
違いはないはずなんですよ。
そんなにね。
全く同じだと言うと怒られるし、同じではないし。
どっちかというとある意味
歌舞伎町の方が何もしてない。
ただいるだけでいいっていう言葉がよく出るじゃないですか。
それはなぜなのかわかんないんだけど
その人といると自分でやれるようになるんですよね。
最も自分ができないことなんですよ。
ここがすごいパラドキシカルな気がするんですよ。
そこに行くと自分でできるようになることが
そこにいないと自分ではできるようにならない。
居場所というのはそういう意味なんですよ。
つまり居場所というのは
その場所にいれば自分は自分をケアできるんですよ。
自分のニードをニーズに何となく変換することも
場合によっては満たすことすらできる。
でもその場所にいないと逆流していくんですね。
ニードがどんどんどんどん
悪いものになっていって
自分の心の中で悪いものにして
それをおそらくの場合周辺に投げつけるんで
悪いものに囲まれることになっていくんですね。
つまりここから一歩出ると
世の中最悪だみたいになっていくのは
そういう理由なんだと思うんですよ。
それはバウンセリングルームでできないのかというと
絶対できると思うんですよ。
しかももっといい形で安くできると思うんだけど
そう思われてないんですよ。
だからこそもっとPRがいるとか
そういう話なんですけど普通の相談もきっと
突き詰めて言うと野の医者は笑うだってそうだと思うんだけど
問題なのは果たしてどんなPRの仕方をして
そう見えるようになるんだろうっていうのが
まず一点あるのとですね
やり方は違うんでなぜなら美形の人が一緒にいてくれるだけとかじゃないんでね
やり方は違うんで
全く違うもののようにしか思えないという点
これは完全にイリュージョンなんですけど
何がイリュージョンかというと
この小さなことを大きくしていく心の動きは
必然だというまずイリュージョン
でもこれはおそらく重度になっていくと
一人では修正がきかなくなるので
だからこそ他人が必要になってくるわけだけれども
他人がやってくれることというのは結局のところは
その小さなことを大きくして
小さな悩みを大きくしないというこの流れをですね
逆転させるというのを
ある意味支援するわけですね。
これがまた面白いことなんですけれども
専門のカウンセリングなり精神分析の専門家というのは
何が分かっている何ができるかというと
これを理解してやることなんですよ
これを理解して意識的にやれるんですよ
やれるはずなんですよ
これが難しいんですよ面白いんですよね不思議なことに
居場所を作るなりマネジメントするなり
いろんな技法があるんだけど
そのやってくるクライアントさんが本来持ってる
本来持ってるというか本来持ってる必要のない
小さなことをわざわざ大問題にして
くよくよとものすごく思い悩んで
死にたくなってくるというこの心の流れを
基本まず止められるって意図的に
簡単じゃないんだけどでもやっぱり
止める方法論なり止める方向性なりを意識できると
おそらくなんですけど
この歌舞伎種の方の方々は
意識しないでこれができちゃうんだと思うんですよね
美形も手伝ってると思うんだけど
意識してやる方が難しいってことだと思うんですよ
この種のスキルって間違いなくその種の話なんですよね
その種の話が入って
ムカデに100本の足どうやって操ってるのと聞くと
途端にこけるみたいな話とこれはよく似てるんですよ
普通にしているとできる部分が
普通の人にもみんなあるんだけど
意識し始めるとできなくなっていくんだけど
ここを意識してやれるようになれるっていうのが
多分この専門家のかなり特殊なスキル
なんだろうと思うんですよね
小さなことって何なんだって話するとですね
実に小さなことなんですよ
例えばメールをこの人から来たメールを
返すのは怖い
どうしても出そうと出すのは簡単なはずなのに
例えば日にちのセットをするだけでも
すごく心のハードルだとか
これ小さなことですよ
他の人が見るとねあるいはもっと小さなこと
なんか朝からお腹がゴロゴロすると
でもそんなに悪いもの最近食べた気がしないんだけど
お腹がゴロゴロすると
ストレスのせいにも違いないんだけどそうじゃないのかもしれない
やっぱり食べちゃったのかもしれない
これも小さなことですよね
あるいは会議で別に紛糾したわけでもなく
穏やかに終わったんだけど終わった後でなんかこう
気が晴れないすっきりしないちっくり来ない
会議するたびにそうだっていう人だっているわけですよ
これも小さな悩みですよね
これがでもその人の心の中では
どんどんどんどんでかくなっていくのね
それこそあれですよ
ワンザを見ちゃうみたいな小さなことじゃないですか
でもこれが仕事の中最中四六時中見ちゃうとか
あれだいたい1本今1000円以上するんですよね
ダウンロードできる無限ダウンロードできるという
無期限ダウンロード
毎月10万円ずつ使いますと
めちゃめちゃ深刻な問題になりかねないじゃないですか
これが毎月50万円ずつ使いますんだったらもう
破綻しますよね
一つ一つは小さなことですよ
これを1回ダウンロード月に
1つしちゃいますみたいな980円です
全然小さいじゃないですか
でもそれがずっとやめられないってことになると
大きなことになっていくんですよね
それは心でそういう風にしているはずなんです
やめられないようしている
子育てのこととかも1個1個は小さいんですよね
食べてほしいオートミールを食べさせようとすると
泣くとか小さなことじゃないですか
でももうそれで育児の慰労税になりそうですってなると
大きなことになっていきますよね
ここを自分一人の力で
自分一人の力というか自分一人の力で
小さな悩みを大きくしていく
そういう心の混乱があるんだけど
これは僕らは割とみんな持っているような気がするんですよね
私はみんながこれを持っている
でもこれを逆流させる力もおそらくみんな持っているんですよ
ただ少なくともある一定のレベルまでいくと
逆流させる力を発揮するには
他人の力が必要になる
この時に誰を頼るかってことによって
小さなことにくよくよするな
事態は大きく変わりがちだなというのが
先日ね
昨日もあまり聞かれていませんけれども
このポッドキャストでお話しした
下山さんと戸畑さんの議論で
これを国民一般に理想的な形で供給できるように
主体することができるはずだと
言い続けるぞって
そういうことを下山さんは
下山晴子先生が言っていたように聞こえたんですね
それは大変いい話だなと思って聞いたんです
僕の3ヶ月チャレンジとか無くなっちゃうんじゃないかと思ったんだけど
でもやっぱりそこでふと思うんですよ
そうなるんだろうかってのがあるんですよ
果たしてその
クリニカルサイコロジーなのかなイギリスの
そういったものに不意に目が向くだろうか
誰でも国民にっておっしゃってたから
日本国民だったら
誰でもって意味になるんだけど
もちろん多分それを文字通りに信じていらっしゃるわけじゃないと思うんですけどね
でも理念的なものだと思うんですよ
ただそれにしても結構ハードルあるんだよな
ハードルあるなって思ったんですよね
昨日のパブ貴町のお話を見ていて
同じなんだと僕なんか思うんですよ
うちの寺に来るなり
どこを選ぶかによって結構
大きな違いを生むんだけれども
求められていて提供されていると見なされているものは
提供する側のスキルとか方法論は
いちいちやだら違うんだけど
それが問題なんですけどね
自己啓発やカウンセリングのアプローチ
小さなことにくよくよするななんですよ結局は
だけれどもそれがですね
自力ではできない
だからあの本はあんなに売れたんですよ
小さなことにくよくよするなって他人に言ってほしいんですよね
そして他人に言ってもらうとそれだけでも
小さなことは小さいままにしておけるようになっちゃう人も
いるわけですよね
そういうことをただこの人ならやってくれそうだの
この人のイメージがえらい違うんですよ
それが
同じような訓練をきちんと積んだ
きちんとした人がちゃんと
提供してくれるような体制が整いましたから
そっちを利用しましょうねという話が成立して
みんながそっちを向くようになる
みんなにはみんなではないですよ
隣の人がそっちを向くようになるというのが
今のところなぜかリアリティを持って僕には
実感されないこれはでも僕の
イリュージョンが間違いなく入ってるんで実はそんなことはなくて
実はやろうと思えばしめまもさんのやろうとしていること
というのは十分実現可能
ってそんなに無理のないことなのかもしれないんだけど
そこは僕にはもうわからないんですけれども
ただそういう
バラエティに富んじゃってるのは
現在のところは全く間違いないな
っていう感じがして
突き詰めると何なんだろうって思った時に
その例の有名な自己啓発のタイトルが
思い浮かんだんですよ
小さなことでくよくよしない世の中全て小さな
つまりそれはビオンの言葉だなと思った
そういうことだった
自分が3ヶ月チャレンジというので
グッドバイブスファクトリーもそうだけど
抽象化してしまえばそういう話になっていくだろうなと
やっぱりそこには絶対に
どうすればそれができるのかのプロセスの提示っていう方が
大事だと思いますよ
小さなことでくよくよするなんて一言言われれば
全部済ませられるなんてことは絶対ありえなくて
あれはやっぱり結論ですから
問題はその結論にどうやってたどり着くかなんですよね
その方法論が
右側というのかな
本当に極端なケースでは
美系と一緒にいるダンジョン問わずですよ
ロジカルともあり超自然的なものもあり
かなりロジカルな
私グッドバイブスは相当ロジカルだと思うんだけど
かなりロジカルな自己啓発もあって
自分も3ヶ月チャレンジでやってるのはそれに近いと思うんですけど
プラスライフハックみたいなのもあるんですよ
やっぱりやってることは同じなのって感じがするんですよね
そしてカウンセリングっていう
この国では正当とみなされてる方法があって
割と伝統的な宗教みたいなものもあって
やっぱり向かってる方向としては
大筋小さなことで
くよくよするのをやめましょうみたいな話
前にお坊さんが書いた考えない練習って本がありましたよね
あれも非常に飛ぶように売れましたよね
そういうことなんだなと
昨日6週を見てちょっと嫌な気分になりながら
考えたわけですね
ご視聴ありがとうございました
43:18

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