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おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、1128回をお送りします。
1月29日、水曜日、7時30分ちょうどです。
ちょっとまあ、昨日休んじゃったけど、すごいですよね。ぴったり7時半。
なんかもう、それを狙ってるでしょうって言われるかもしれませんが、それは狙ってないんですよ。
さっきね、Xに娘の弁当をアップしましたけど、今日は結構危うくて、時間がギリギリだったんで、ここまでバタバタだったんですけど、
すべてが終わって、日がついてみるとちょうどぴったりと。
まあ、それぐらいルーティン化されているとも言えますけど、なかなかここまではね、精神分析的になっているかなという遊びですけどね。
昨日休んでしまったというのは、実は昨日収録してたんですけどね。
ゴミとかがいろいろあっているうちに、どうにもこうにもならなくなっちゃって、何言ってるのかわからなくなったんで、やめました。
そういうとき僕は下書き保存すらせずに、捨てちゃうんですよ。
だから僕の手元にはですね、ストックとかは一個もなくて、これ全部4時半ですけど今、8時10分ぐらいになったら撮り終わったやつをただアップ以上って感じで、
何の編集もしないんですね、最近はね。
これを聞いてくださっている方があんまり多くないというのは、当然といえば当然かなと思いながらもですね、
最近そういうことすらも、いよいよ全く何も考えなくなってきてですね、
本当に昨日なぜアップしなかったのか、もうほとんど記憶の片隅にもないんですよ。
ものすごい僕の記憶が狭まっていて、僕はこれ大変良いことだと思ってるんですけど、もはや1日も撮らないんですよね、記憶がね。
だから最近タスクシュートで一応1日分の記録って残るんだけど、もうなんかね、全然意味がないなって感じがするときはあります。
何せなら実感がないから。
なんかあの半日ぐらい前の出来事が記録に残ってんだけど、なんか自分のことだとは思えないんですよ。
で僕はある意味するは正しいと思うんですよね。
あれは自分のことじゃないんですよ。
あの半日前まではそれは佐々木翔吾の行動だっただろうけど、もう今やほとんど別人。
まあそんなことはないんですけど、でもそれはそれで確かなんですよね。
まあ人間やっぱりね、1秒生きたら別人ですよ。
他人はそうは見出してくれないけど、自分はそう見出してもいいだけの理由が、
昨日ちょっとそういうことをですね、感じるような出来事が複数個ありまして、あんまり昨日調子良くなかったんですよ、いろんな意味で。
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非常にある意味良い日で、発見の多い日でした。
調子は悪かったけどね。発見の多い日でした。
なんかね、いろいろ吹っ切れたところが、昨日ちょっと小吹っ切れですよ。大吹っ切れじゃないですか。
この小大は何を根拠に言ってるのかよくわかんないんだけど、吹っ切れ度はあんまり大きくないんですけど、
うまく説明もできる気しないし、説明する気もあまりないんですけど、とはいえ吹っ切れたんですよね。
で手元にですね、なんだよそれって言われると困るんですけど、
ジュール・グレンさんという人の書いた、書いたなのかな、ジュール・グレンとマーク・カンザーという僕の知らない有名な人なんでしょうね、きっとね。
ババ・ケンイチさんの漢訳によるもので、
シュレーバーと狼男、フロイト・ショーレを採読するという本を読んで、今夢中になって読んでるわけですけど、
はっきり言ってこれ、おすすめではないし、僕も何のためにこれを読んでるのかが全然わからない。
少なくとも3ヶ月チャレンジに役立つだろうとかはかけらほども思ってないです。
役立つと思いますけど、役立つならもっと違う本読みますね。もっとマシな本があります。
マシっていうか、いい本なんだけど、3チャレンジ役立てるという意味では、もっとその目的にかなった本があります。
シュレーバーと狼男は、まさにフロイト・ショーレ有名なんですけど、有名なフロイトのショーレ、五大ショーレとか言ったりしますよね。
あのドラ、ショーレ・ドラとか、狼男、ネズミ男、あとハンス?少年?少年だったよね。少年ハンスだったよな。
ちょっと名前がどんどんどんどんどんですね。まあそういうふうな五大ショーレがありますが、のうちの一つの、二つかな。
シュレーバーと狼男。で、えーとですね。何が?
えー。これは多分だから一つのショーレだよな。やっぱりそれにしては高いと思うんだよな。狼男とネズミ男は別々ですね。
だからもう本当にね、あの、少ないわけですよね。
まあ僕は原稿系とかそういうあたりに今興味がありまして、原稿系ってあのお父さんとお母さんのセックス見ちゃうこととされてますけど、
まあ見たと思うことも原空想といったりもしますからね。そこも難しいんですよね。何が言いたいか。
自分が排除されるってことですよ。仲間外れの極地みたいな。もっといろんな意味が当然あるでしょうけど、仲間外れ感は通説にありますよね。
あと、まあこれは聞いた話なんですけど、自分の代わりはいくらでもいるんだぞ。
まあこれだから会社とかでね、仲間外れと同時にお前の代わりいくらでもいるからなみたいな。だって自分子供なんですよ、両親。
でも両親子作りしてるわけじゃないですか。まあそれはね、妄想ですよ。もちろんね、迫害妄想ですけど、そういう妄想をしてもおかしくないよねって話をしてるわけですよ。
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1歳児とかがね。お父さんとお母さんだけ仲良くしていてね、なんかよくわかんないことをやっていて、非常に強いショックを受けると。
しかも性欲は興奮したりもすると。いったことが一斉に起きてくる。だから非常に心理的に難しい事態を招きかねないということで、まあそういう幻光系とか言ったりするわけですよ。
でもね、あのサイキックリアリティの世界ですからね。もしかしてそれは見たつもりになってるのかもしれない。だったら幻空想と言ってみたりするんじゃなかったかなと思うんですけど。
でもそれは、そういう予感みたいなものが全くないところには、そういう光景を見た気がするっていうのもおかしな話で。
昔の出来事なんてそうじゃないですか。あれは夢だったのか現実だったのか。2歳の頃の思い出なんて言ったってわからんですよね。
この辺の話を先日、ロフタス博士の話と絡めて、非常に大事なポイントだと思うんでね。何が大事かって、やっぱり私はその、例えば最近ちょっと夫婦関係について考えさせられることが多いんですけど、
同じだと思うんですよね。夫婦関係であれ、親子関係であれ。このシュレーヴァー読んでてツクツク思ったんですよ。
いや正しい親子関係とかってないよねってことなんですよね。私もそんなのないよなと思いながらも、3ヶ月チャレンジやるまでその辺のことがよくわかってなかったんですよね。
結局のところあるべき家庭像とか、そういうのが最低限あってほしいっていう意見もよくわかります。だから本当ここ簡単ではないですよ。
僕はないと思う。ないと思うけど、最低限あってほしいというのもあると思う。ここに一元的な何かはないと私は思うんですよね。しょうがないじゃんって思うんですよ、本当に。
だってやっぱギャートルズだったんだから、猿にあるべき家族の姿を説いてもしょうがないじゃないですか、猿なんだから。説いたってわかんないし。
ただ彼らは本能なるもので生きているから、ある種の形がどの猿世界でもできていくじゃないですか。あれも不思議ですよね、考えようによっては。
でも人だってそうだと思うんですよ、究極的には。結局人が信じているあるべき家庭像というものは、原点には動物的な本能というものが背景にあるんだと思うんですよ。
ただ我々は象徴言語機能で生きているから、そこが非常に自由度が広くね、幅広くなっていく。だからその自由度に対して、いやその自由はダメでしょうとか、こっちの自由は認められませんよとかって、人が言うって、他人が言うってのは自分不思議な話なんですよ。
で、これ家庭だから私は夫婦だって全く同じだと思うんですよね。あるべき夫婦といったものが、だから家庭されている世界ってものが僕は真底納得いってないんですね、真底。真底からは納得いってないんですよ。
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今時だったらいろいろあるじゃないですか。実にそれが理想的だって言われるのもあるじゃないですか。例えばおじいちゃんおばあちゃんになっても手を繋いでいるのは素敵だねみたいな。素敵かもしれない。でも繋いでいるべきだよねっていう雰囲気を、そこで人は感じたときに迫害的になるよなとも思うんですよ。
いやそれは考えすぎだし迫害的すぎるとも言えるとも思うんですよ。だからあるべきものがないからどっちもアリなんですよ。いやそんなのを言われても困るっていうのもアリだと思うし、それこそが素敵だっていうのもアリだと思うんだけど、だから自由を尊重しましょうって言ったって、尊重しませんっていう人もアリだと思うんですよ。ある意味ね。
だんだん僕はですね、これで何が言いたいかというと、アサンチャレがベーシックな、私の運営者のベーシックなところに倉園圭三さんの考え方が色濃く反映しているのは自然だと。多分彼がいなければ私は自分に精神分析はやっぱり解放できてないなと。精神分析って言っちゃダメでしょうとか、精神分析的だってダメでしょうとか、精神分析風も精神分析様もダメでしょうと。
やっぱり私は純金コンプレックスに弱いですから、それはつまり私はエディプスコンプレックスに弱いんですよ。やっぱりお父さんが強そうだと、ああごめんなさいってことになっちゃうんですよ。申し訳ございませんでしたってすぐなっちゃうわけですよ。お父さんは偉大ですってすぐなっちゃうわけですよ。
お父さんは例えば灯台とかかもしれないし、お父さんは帝国とかかもしれないし、お父さんは上官とかかもしれないし、お父さんは先生とかかもしれませんけど、とにかくそういう上下関係を牽引付けられると私は弱いから、特にそれがアカデミーとなると弱いんで、だから私それ嫌いなんですけども、だから私は多分突き詰めると知的生産術というものが自分はやりたくなくなっていくんだろうなと思うんですよ。
母ってやっているからといって、いや母は気持ちいいなとかは思ってないんですよ。いくらかは思っていると思いますよ。やれるんだから。でもやっぱりちくしょうこのクソ親爺みたいに思ってるわけですよ。当たり前ですよねこれね。みんなそうだと思うんですよ私は。100%純粋に何かはできないっていうのが人間の分裂ってものだと思うんですよ。
お父さんは強そうだし怖そうだしらおうみたいだから、頭下げておこうと。でも結局のところそれは面白いわけじゃないんですよ。だから私は知的コンプレックスも純金コンプレックスも比較的強めの人間ですけど、だって大学の時ね、すごい教養豊かで知的な先生にべったりだったところを考えてみても、あの時はああじゃなかったら乗り切れなかったと思うんだよね。
やっぱり後ろ盾がいるんですよ。後ろ盾が。だってですね、なんて言うんですかね。何でもそうじゃないですか。俺の後ろには何々組がついてるぞとかっていう世界だってそうじゃないですか。
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要は自分がやってることが正当だって言うために、私がお父さんですって言い切るのは厳しいんですよやっぱり。君、何の背景もないじゃんって言われた時、いやいや俺がルールブックだからみたいに言うのってなかなか大変なんですよ。タスクシュートとか一本取ってもそうなんですよ。
まして精神分析とかになってくるとね、もういやそれは勝手にカウンセリングしていいと思ってんのみたいな。結局これ何かの何とか量みたいじゃないですか。勝手にカウンセリングとかしていいと思ってんのみたいな。うちの背景には日本政府がいるんで、公認だからねみたいなこと言われると、ああってなるじゃないですか。
それはなりますよね普通に。そういう話ですよこれは。そこにはやっぱりエディプスっていうものが、エディパルでもいいんだけど、なんでもいいんだけど虚勢不安ですよ。来るわけ。だけど一つ二つの方法があるんですよね。一つはだからいやいや俺がルールだから。日本政府がダメって言っても俺は日本政府より正しいから。
かなり勇気がいるんだけど、日本政府公認か知らないけど佐々木政府の方が強いんだからみたいな。ほとんどだからそれを虚勢って言うんだよな。
と思いますね。でもう一つはあのあれですね。男は辛い世的大作戦ですよね。僕はそっちばっかりなんですよもっぱらね。風転になっちゃうみたいな。あ、こう政府ね。そうっすよねみたいなこと言って、そしらぬ風で勝手なことをやると。
これは僕はだから僕は野良カウンセラーはなくならない言ってるわけですけどね。あのこの世から風転をなくそうとするやり方はあの私は基本的にヒットラーとスターリーによって失敗に終わってると思ってるんですよ。
これをとことんやろうとするということはですね。一変強い世界を作り出すけど、その組織を弱体化させるとしか思えないです。これ好きな人はいっぱいいますよね。脅迫的と僕は思ってしまうんだけど、あのもう何ですかね。その正しい世界を作っちゃうという。
あのだからね。これがねやっぱりあの馬鹿にされたくないとか笑われたくないという真理と直結していると僕は思うんで、いいんだ笑われたってってのは大事だと思ってるんですよね。思うんですよ。
笑われるのも馬鹿にされるのも、露望の石になっちゃうのも、これありだと思ってないとやっぱりお父さん戦争をやるしかなくなるんで、プーチンとトランプとどっちが強いかみたいな話に最終的になっていきやすいんで、そうすると一人でも多くの人間を役に立たない奴は排除して役に立つ奴だけでエリート軍団を組織して戦おうってことになるじゃないですか。
それやったのが独創戦だと思うんですよね。総力戦になってしまいますよね。そして大体悲惨なことが起こるんですよ。大体ね、僕が思うに。
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小林文丸さんはこれを中途半端にやった人だなって感じがするんですよね。大勢抑産会だったけど、日本は結局あれもナチスイーツを真似たんだと思うんですよね。
で、やっぱり国民総動員、総動員とかするためにはやっぱり一人残らずだから、まずそれを全部管理できるっていう考え方がありますよね。一億を管理するって。
土台、今もうそれに近い世界かもしれないけど、まあ大変ですよね。いろんな方法使ったって大変ですよね。しかもそれを紙一枚で右から左へ動かさせて、紙一枚で命懸けさせるとか。
なかなかそうはいかないと思うし、正気ではとてもじゃないけど無理だと思うんですよ。
話すごいデカくなりましたけど、私はそれよりは風天の人たちがいる方が絶対いいと思うし、私自身風天に限りなく肩書きないじゃないですか。
だから心配されるわけですよ。大丈夫?みたいなね。だからここで大丈夫だって自分が言い切って生きていかないと、やっぱり国民番号の世界に入っていくしかなくなるから。
僕だって国民番号持ってるわけですけど結局。でもね、ずれてずれていく。レリーダみたいなこと言っちゃってますけど、ずれるってのは第一。
はみ出す。はみ出してずれて笑われるってのは絶対に必要だと。だってはみ出さざるを得なくてずれざるを得なくて笑われざるを得ない人が絶対いるはずなんで。
これをギャートルズに国民番号振ってると思うと、どんだけ無理なことをしてるかというのが見えてくると思うんですよね。ネアンデルタール人とかでも全然耐えられないと思うんですよ。
人間は耐えてしまってますけど、その分失ってるものはたくさんあるわけで、しかもほら、大体この種の話っていい話出てこないんですよ、はっきり言って。
ひめゆり縁みたいなね、番号を振る資格はあるのかとか、番号振る価値はあるのかとかって言い始められて、価値をどこの線に引くんだみたいな。
何々ができたら人間と認めていいみたいなわけのわかんない話が始まっちゃうわけですよね。
そしてこうなんかよくわからないんだけど、よくわからない理由でよくわからない殺人事件みたいになっちゃうわけじゃないですか。
とてもじゃないけど、あのやっぱ正気とは思えないわけですよ。
で、そういうことを諸々考えて、やっぱり自分は肩書きなしがいいなと思うわけですね。
だから変なことを書いて炎上したいなと思うわけですよ。
炎上しないぐらいに相手にされないのが一番いいんで、現状は結構いいんだよねっていう話になっていくわけですね。
これを強がってやらないことなんですよね。
普通人間ってそう生きるでしょってことなんですよ。
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繰り返しその話僕してるんですけど、このシュレーバーと狼男でこの事例が五大章例と言われていても、
シュレーバー読んでもきっとやばかったんじゃないシュレーバーお父さんはって思ったんだけど、
確証があんまりないまま読んで、しかもよくわかんないからよくわかんねえなみたいな感じで読んでるんだけど、
今回この本やっぱり読んでよかったのはシュレーバーお父さんやばいんですよ。
もうね本当に細かく書いてあるとその感覚がひしひしと伝わってくると言いますか、
書いてあるんですけどね、軽く読みますけど、
シュレーバーの父は家族の上に君臨し強制的な父親と呼べるほどに妻の役割を奪ったが、
そのサディスティックで誘惑的な性質はシュレーバーの妄想の奇妙な神の中に現れている。
さらにシュレーバーの父はGを禁圧しようとして、Gってマスターベーションね、
を禁圧しようとして干潮を進めた。
もうよくわかんないじゃないですか。
でもなんか結構ヤバそうじゃないですか。
また家族は整形外科医でもある父の治療、シュレーバーのお父さんは整形外科医でもあって、
整形外科医は切りますよね。
治療していた身体に障害のある患者たちとも暮らしていた。
虚勢された姿が切られてるわけですからね。
多様な形で身辺に満ちていた。
もうなんかヤバそうじゃないですか。
こんなもんじゃないですよ。ないんですけど。
もう一連のヤバい文章がずらずらと。
でもシュレーバーのお父さんは奇人とか狂人とかってわけじゃないですけどね。
外科医であり博士であり、当時としてはすごい偉いわけですよ。
子供のしつけとかにも強制的な父親と言えるほど、お母さんの役割ないわけですよ。
お母さんの役割も全部俺がやるみたいになっちゃうわけですよ。
だからもうどことんやるわけですよ。
すごいですよ。生後何日の赤ちゃんに冷水を浴びせて寒さに鍛えるみたいな。
で、しかもなんかこう、なんだっけな。よくわかんないんだけど。
いろんなことやるわけ。ご飯を目の前に置かせても一切食べさせない。
それ一切にとかですよ。
忍耐力をつけさせるみたいなやつだと思うんですけどね。
まあ、オオカミ男、フロイトにかかんなきゃなんなくなるよね、これは。
でも昔ってそんなもんだったわけじゃないですか。
マスターベーションやめさせるために勘長するとか。
もうなんか、何のビデオだよっていうぐらい言っちゃってるんだけど、
大真面目にやってるわけですよね、これをね。大真面目に。
だから私は正しい家族像などというものは、いや、極端だろって思われるかもしれない。
100年前の話ですしね。
でも私はそうは思わないんですよね。
多分全ての家族は隣の家のやってることを見ると衝撃を受けると思うんですよ。
いろんな意味で。
したがって私は正しい夫婦像とかもないと思う。一切ないと思う。
だから私は、3ヶ月チャレンジにおいてはですね、
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何をやってるんですかに対して答えようがないんですよね。
何もやってないんですよっていうか。
これを言うとまた入る人がいよいよ入りにくくなるかもしれないですけど、
でも何かやってほしいですかって言いたいわけですよ。
何もやってほしくなくないと思うんですよね。
これはもちろん働くメンタルを整えるに戻そうと思ってますけど、そういうもんですよ。
でも私は働くメンタルを整えるために何々をしましょうと言いたくないし言わない。
どうしてかというと言われたいですか、そんなこと。
夫婦仲を何とかしたいです。
だから何をしたらいいのか。
妻に寄り添うとかね。
言われたいですか、そんなこと。
私だったらごめんなんですよね、やっぱり。
私はグッドバイブスであってすら結構アドバイスめいたものは飛ぶけど、
僕はそこはスルーなんですよ。別に否定はしない。
グッドバイブス的に言ってもおかしくないし、そんなに押し付けがましい内容じゃないけど、
でもスルーなんですよ。
それをスルーしないは関係ないと思うんですよ。
そういうことではないと思う。
そういうことが強調されすぎてると思うんですよ。
娘をどうしても東大に入れたければその方法はありますよね。
採用するかしないかはそういうことじゃないと思うんですよ。
それは絶対に幸せに直結するのかみたいなことを考えれば答えはないと思うんですよ。
入れない方がいいとは言えないし、入れた方がいいとも言えないと思うんですよね。
あとはもうなんて言うんですかね。
やっぱりその家族その家族、その夫婦その夫婦、その親子その親子のある意味では、つまり本能的な欲望なんですよ。
本能的な欲望が何を目指しているのか。
やっぱりてっぺん取るしかないよねみたいな考え方もあると思うんですけど、
私は風転は居なくなるはずがない。風転を居なくするってことは強制収容所を作るってことだとしか思わないですよ、私はね。
だからそれはその中途で人は少しずつ正気を失っていくしかなくなるので、何もしないに越したことはないと思うんですよね。
このベーシックを僕が注入するにあたって、そうだ何もするしかない、何もしないっていうのしかないんだって思うためにグッドバイブスが私には必要だったんですよ。
でも私はそれをすら言いたくないので、何もしないに越したことないですよ、もうあんまり言いたくはないので。
そうするとどうなるかというと何も言わないということになるわけですよ。
これがベーシックだなぁみたいな自分の中で3ヶ月チャレンジで何も言わない。
ところが私は参加されている方よくご存知の通りベラベラ喋るんですよ。
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つまり何も言わないというのを自分に課していて出てくるやつは諦めるみたいな。
これがどこまでちゃんとやれるかだなと思った時に、精神分析なんですよ、読んでるものは普段ね。
でもやってることは一番誰に似てると言われると思うと、
私はそうだと思ってやってるわけじゃないんですけどロジャーズなんですよね。
ロジャーズに一番似てくるんだ、だからロジャーズってすごいんだなって思うことが多いです。
要するに形状共感自己一致ってやつですね。
あれ何に共感するんだろうって思うんですよね。
形状共感自己一致っていうのは、私の何も言わないでおくのが理想的であるっていうか、
美音の欲望なく記憶なくでもいいんですけど、何もしない、何も言わない、何のアドバイスもせず。
だから精神分析もやっぱり僕は近いなと思うんですよね。
理念に近い。
人と人が人生相談みたいなところに入った時、
アドバイスをしない。アドバイスしちゃいけないって話じゃないですよ。
ここもまためんどくさいんですよね。アドバイスをしたって別に変わらないと思うんですよ。
何しても同じだってことに近いんだけど、
何もしないということは、アドバイスも何もしないということは、
でも何か喋んなきゃならないシチュエーションが来た時、精神分析は解釈をするって逃げ道がある。
逃げ道というか、そのルートがあるわけですよね。
解釈ってやっぱりいいなって思うんですよ。
解釈っていうのはここのどれを取ってもおかしくはないような気がするんですよね。
解釈したからって相手はどうなるこうなるはないじゃないですか。
解釈はただ記憶なくできるかってちょっと感じるんだけど、
でも解釈ってのはかなりやっぱり押し付けがましくないし、
何か押し付けるってことは、そっちにはいい方向がある。
そっちに行った方がその人は幸せになるというログマが必要なんですよ。
ログ魚。勝手な返答ですよね。
そのようなものが、だってシュレバーのお父さんは神事だからそうしたわけじゃないですか。
子供に寝る時は高速の器具をつけてみたり、
ゼロ歳児から霊水につけてみたりして死んじゃうよなって感じのドイツですからね。
でもそれがこの子の幸せのためなんだと信じ切ってやったわけじゃん。
しかも当時としては、もう権威中の権威で、知識も教養も豊かな博士が、
それを子供のためにと思ってやってるわけですよ。
長寿手からやってることも、読む限りヤバいことばかりなんだけど、
でもそれは子供のためだったし幸せのためなんですよ。
で、どうして自分が今だったらそれよりマシなことができると思うのかというと、
僕にはどう考えてもそうは思えないので、子供に対して何も言いたくはないわけですよ。
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子供に対して何も言いたくないのに、3カ月チャレンジの参加者さんには、
こう言ってああ言ってそう言うみたいになっておかしいじゃないですか。
それは子供の幸せは真剣に考えてるけど、
3カ月チャレンジの参加者さんの幸せは、かなりどうでもいいと思ってる人のやることですよね。
と僕は思うんですよ。
そうするとでも、全く無言でいるっていうことは変だから、変だし、
それが望まれてるわけでもないだろうから、何か言わなきゃならないですよ。
で、何か言ってことになったとき解釈って、
あ、解釈はいいよねって思うんですよね、解釈は。
だってこれは私の解釈ですからね。
それを聞いてこう思いました。
それはいいじゃないっていう感じなんですよ。
こう思ったからなんだってことはないじゃないですか。
だからやっぱ解釈はありだなと思うんだけど、
でも解釈だって結構押し付けてしまうことになるよなと思うんですよ。
やっぱ解釈だから。
何にも言わないに越したことはないんですよね。
何にも言わないに越したことはないということは、
なんか喋っちゃうわけだけれども、
この自分の中で違反する、違反していいときってどういうときなんだろう。
一つは、よく聞いたときだと。
だから慶長なんだってことなんですよね。
相手の言い分が100%入ってくるなんてことはないけど、
100%入ってきたってときは、
少なくとも感想ぐらいは述べていいような、
その条件なんですよね。
条件として慶長というのが必要になってくる。
まあでも、倉園さんが最初におっしゃってたことっていうのは、
すごくやっぱりですね、ある意味先進的だなと。
慶長なんだけど、彼は行使慶長って言ったんですよね。
よく見ろと。
これ大事なんですよ、実は。
画面越しだからなのか、出会ってもなのか、
ちょっとは何とも言えないですけど、聞けばいいって感じがするんだけど、
見ることは大事なんですよね。
やっぱりどういう表情になってんのか。
そうすると、相手の人が喋ってくれるとは限んないんで、
一体どんな服着てきてるのか、みたいな。
どんな服っていうよりは、どんな壁紙でもいいんですけど、
全てがあるんですよね、そこに。実は。
見れば分かることがある。
何も分かんないんだけど、見たって。
でも、しょっちゅうその人と対面していると、
今日はこういう話は出そうな気がする、みたいなのが出てくるんですよ。
そういうことが起き始めるというか、
ものすごく馴染むとも言えるんですけども、
でも記憶なくですからね。
潜入感になっちゃうんです、それは。
潜入感にしかならないじゃないですか。
勝手な思い、憶測じゃないですか。
やっぱり独裁じゃないですか。
そこは現象学を頑張るんですよね。
エポケイしていかないといけない。
自分の勝手な思い込みを極力排除していかないと、
何であるかを見落とすというか、何であるかを決めてしまう。
しかも、東映ドイツカーが働きますから、
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決めた方向に動いていきますからね、物事は。
だから、なるべく決めずにおくと、
これは非常にめんどくさいんですけど、
とにかく夫婦にどんな話を聞いたかは、
基本忘れる。
これやっぱりですね、覚えておくというのが
どんなに良くないことなのかというのを
最近思い知り始めたんですよね。
夫婦関係もそうなんですよね。
いろんなことがね、それも全てが正しいんで。
例えば、先日そういう話を少ししましたけど、
育児に関わらなかったと。
それは良くないよね。
良くないんだけど、育児休暇も十分取れなかったから
お母さんに丸投げしたよね。
それを覚えておくことによって、
事態はそっちに向かっていくんですよ。
これを昨日僕はね、少し思い知ったんですよね。
3ヶ月チャレンジでしょっちゅう思い知るんですよ。
あ、またやってるって思うんですよ。
やってると気づいたらやめればいいんだけど、
とにかくこの記憶なくって大事だなと。
記憶なくって言われたんでは、
サンチャで参加されないっていう話も伺って、
それも最もだから、ちゃんと記憶しておきます。
記録もしておきますって言いたいんだけど、
そういうPRをしたからと言ってですね。
やっぱりこう、そうでなくても難しいんである意味では。
やっぱりあるじゃないですか、記憶なんて人について。
私のJマスザキさんに対する記憶。
それは掃除で思い込みであり、
無駄な情報ばかりなんですよ。
極力捨てるに越したことはない。
だって彼が自由に動けば動くほどいいと僕はやっぱり思うし、
そのためには私が余計な思い込みを彼に投影するのは
一つの邪魔で、
それはどんなに僅かであっても邪魔に違いはなくて。
と思うと、やっぱり人が来ようがこまいが記憶なくっていうのは
大事は大事だよなと思います。
それをPRするかどうかは別として、
だいたい記憶はあるしね。
そんなこんなでですね。
やっぱりこうまず業種経調なんですよ。
グッドバイブスになってしまうんですね。業種経調。
精神分析の知識っていうのは、
知識っていうのは解釈というものがここにどうしても
解釈とか転移とか投影とか全部それは精神分析から来てるものだから
持ってたいんだけど、でもやっぱり業種経調はベースにいるわけですよ。
共感ってやつは何でも共感すればいいわけじゃないじゃんと。
例えばあの私死にます。
それに共感したらあなた死ぬしかないですねになっちゃうじゃないって。
それはですね、言葉ではそうなのかもしれないんだけど、
そういうのは言葉なんですよね。
だって私共感した時にそうは言いませんから。
えっと私本当にダメな人間でみたいな。
でガーッとそのご本人証拠だって言ってるもの話されるじゃないですか。
私はついに、いや私そうは思いませんって言うんですよね。
いや私はそうは思いませんけど。
それ共感してないじゃんって言われると思うんですけど、
私は共感するとそうなるんですよ。
本音では自分はダメ人間だと思ってないっていうような話もないわけじゃないんですけど、
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そういうことではなくて、私は何に共感してるんだろう。
言葉にではない気がするんですよね。
言葉は2つの矛盾した言葉がその人の口からあまり間を置かずに出ますから。
普通に人はそうじゃないですか。
いや私本当にこうこうこうでダメなんだけど、
実は自分はこうこうこうでかなりイケてますみたいなことを割と普通によく聞いてると言ってるんですよ。
それはその人が言ってるんじゃないですよ。
どっちに共感するんだってことになるじゃないですか。
言葉にいちいち全部共感するんであれば。
共感するというのはよくわからんのですけど、
やっぱり傾聴して100%納得しましたってことはないってさっき言いましたが、
その傾聴した相手の言い分が理解できれば理解できるほど、
理解してるということは共感してるということでしかないような気がするんですよね。
だからこそやっぱり寄り添うとか妻に共感するとかじゃないと思うんですよ。
妻に共感できないという人が登場されるわけですよ。
こういう方はかつて何回も登場されたわけですよ。
奥さんに全然共感できないと。
場合によってはグッドバイブスみたいな話を聞いてきたとして、
グッドバイブスじゃなくてね。
グッドバイブスみたいな話を聞いてきたとして、それはわかると。
でも共感できないんだと。
だからああいうとこ話聞いてると辛くなったからサンチャリに来たんだっていうね。
うちは何なんだろうみたいに思うときもあるわけですが、
でも僕はよくわかると思いたいわけですよ。
共感できないよねと。
だけど共感できないという共感があるわけですよね。
そのときやっぱりどうしてそんなに共感できないかの話を延々聞くしかないというか、
僕の場合はやっぱりその人のことを見ていくしかないんですよね。
もう見させてもらうしかない。
その人のエナクメントを見るしかないんですよ。
その人は私にPRするために演技もする。
多分真実じゃない話も混ざる。
構わないと思うんですよね、そんなことは。
そういうことではなくて、
その人がそういうふうでありたいわけじゃないですか。
そういう言い分を通す自分でありたいわけじゃないですか。
そういう自分であるということが、つまりその人にとってそのとき一番自分らしくあれるわけですよね。
それをお金もらなきゃさすがにこれはやってられないです。
10分やそこら、ただ単に奥さんの悪口を聞くっていうときにここまではやらないです、私は。
やっぱりお金をいただいて、しかも1回や2回じゃダメです。
最低5回ぐらいは聞かないと。
奥さんの一連のいかにもらはらかみたいな話を延々と伺っていくうちに、
やっぱりそのような主張をしたいというその人が、私がですね、だんだん共有できていく感じになるんですよね。
36:02
で、ここで自己一致っていう話にやっぱなるなぁとロジャーズって偉いなって思うんですよ。
私が嘘をついていちゃいけないよなってことなんですよね。
評価と自己一致って一致しないんですよ。矛盾するんです。
だっていやそんなに酷い奥さんかなって一瞬ぐらいは思うじゃないですか。
相手のこと知らないからね。
だから自分の口先ではというのかな。
表現としては寄り添っているような奥さんは酷くてみたいなそれは酷いですねと言いながらそんなに酷いのかなって思ったら一致してないじゃないですか。
でも一致させつつも完全同意はしていない部分ってありますよね。
でも考えてみると相手の人にもあると思うんですよ。
相手の人にもいや俺ここ嘘ついてるなーとか話持ったなーっていうのはあると思うんですよね。
こういう話を聞いていくとですね、モデルケースのような夫婦関係なんてこの世のどこにもないんだと。
私はねそう思う。
だからモデルケースのような夫婦に近づける努力っていうのを私はしたくはないと。
だってないと私は思っているものに近づけることはできないでしょ。
このこの場合喧嘩するしかないそうだなと思うし離婚するしかないそうだなと思うしでも離婚はしたくないというとそうだなとも思うし。
でも子供と離れたくはないそりゃそうだよねと私もそうだしね。
でダブルバインドに陥りますよね。
二重拘束の世界にハマる。
この人とは一緒にいられない。
でも子供とは一緒にいたい。
自分はこんなに奥さんにいびられていじめられてもう病気になりそうで体おかしくなりそうで頭おかしくなりかけてるけど子供と一緒にいないと頭おかしくなります。
でなるわけですよ。
きっとね。
まあこれはあくまでもこういう事例があったって話じゃないです。
でもこういう心理状態になるんだって話ですよね。
でもうもうもうもうどうしようもないよなと。
でどうしようもない話を理解してどうしようもなさに共感してどうしようもない自分に一致していく感じが必要なんだと思うんですね。
こういう時にだから精神分析の知見というのは役に立つんですよ。
でもどうしてそんなに奥さんにまるで頭が上がらないその奥さんと結婚したんだろうとついによぎるわけですよ。
共感したとしてもね。
なんでその奥さんとそもそも一緒になったんだろう。
その人だってよぎったと思うんですよね。
で問い合わせるわけですよ。
こういう質問も聞いていいものなのかつまり聞くってことはやっぱり刺すってことじゃないですか。
刺したら答えてくれるでしょうけど刺す権利はどっから得るんだろう自分。
やっぱり刺すからには刺しただけの結果はなさなきゃなとは思うんですよね。
39:01
でも出るという保証ないじゃないですか。
だからここはどいたけおさんがおっしゃった通りなんですよね。
精神分析はハラハラドキドキなんですと。
刺してみてとんでもないものが出てきちゃいました。
腹くくるしかないよなということなんですよ。
何のために腹くくるんだろうっていうとこの人幸せになった方がいいでしょうかって問いしか残ってないと思うんですよね。
そこにはもう最終的には。
腹くくって刺してどうってなっちゃってことになったら返金したいぐらいですよね。
もらったお金から考えると。
別にこの金なくても俺生きていけるし。
刺してフジテレビみたいなことになりたくないよなみたいなことを頭をよぎっちゃったらもう刺さなくなると思うんですよ。
そしたらそのまま流れてしまいますよね。
なんでそんな奥さんと結婚したのって問いはどんなにオブラートに包んでみても刺しちゃうと思うんですよ。
血が出ちゃうと思うんですよね。
血は出したくないんですよね。
そりゃ。
で、理解して共感してそこで止めてもいいじゃないですか。
でも刺すとなると何のためにっていうのがいると思うんですよ。
普通に考えて。
金のためではもはやないよなと。
残るは刺した方がこの人もしかして幸せになれるかも。
でも果たして幸せってそれだけの価値があるんだろうかとも思いますよね。
だから刺さないかもしれないんですよ。
でもまあ刺して効いちゃったとしましょう。
甘いこと転がればよくよくよくそこで出てくるのが
良いおっぱいと悪いおっぱいなんですよ。
万能空想なんですよ。
メラニー・クラインなんですね。
あーくってなるんですよ。
クラインってよかったなって思うんですよ。
やっぱりクライン読んどいてよかったなと。
だから多分シュレーバー読んでるのかもしれないんですよ。
何のためにそうするのか。
今何が起きているのかを現実検討をつけるためであり
現実検討というのは完全にはつきません。
現実というのはどんどんどんどん動いていくんで。
マイナスKではなくKOを目指すというのは
Kはつまり知りつつある状態。
知ることはできないんですよ。
知りつつある状態を維持するってことになるんですけれども
それはそれにメリットがあるって思えなかったら
そんなめんどくさいことはしないじゃないですか。
旦那は敵だ、敵だと認定する。
それで幸せに生きられるって言うなら
そうするってことになるじゃないですか。
難しくない話なんでこれは。
でも敵なのかどうなのかって考え始めると
すっごいややこしくなりますよね。
そのすっごいややこしい状態というもの
すっごいややこしい辛さというものというのかな。
曖昧体制みたいな曖昧って
そもそも耐えなきゃならないのかって話なんですけれども
本当に旦那は敵なのかと。
敵と言ってもいろいろありますよね。
やたら殴ってくる敵、やたら暴言をかく敵、協力をしない敵
敵と言ってもいろいろなんですよ。
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それはどういうものなのかっていうのは
知る価値があるのかないのか。
知る価値がないとなったら
それはもうマイナスKの世界なんで
つまりその水準を生きるということは
旦那に関してだけマイナスKを適用するってことは
我々には決してできないことなんですよ。
マイナスKをある面において適用してOKだってことになると
世界中がマイナスKになっていくという
現象が脳という脳というべきなのか
心というべきなのか
そういう機能不全というものは
ある局面に極限させておくのが
とても難しいんですね。
だから僕は乖離っていう事態が進行するんだと思うんですけれども
ある意味Botに対して冷淡になり
無表情になり無感情になり
アパシー的になっていくっていうのは
乖離っぽさがありますよね。
それはそのマイナスKをそこに極限させておきたいという
そのある意味女性というか個体の意思なんだと思うんですけれども
そういうことというのをですね
が残念ながらそれに極限させるということはできずに
私たちはその事態
いわゆる分離というものがずっとあらゆる局面で
簡単に進行するようになっていくというのは厳しいと
現実原則に基づいて現実を生き抜くには
そのやり方はかなり厳しいという感じを僕は抱くので
まあまあ3ヶ月チャレンジをやっているとも言えますし
なんて言うんだろうな
現実的にその問題をまず解決するというよりは
真的現実というものを一旦そこに仮定するということが
真的現実を仮定するというのは結局
自分が見ている
自分は夢を見ていると仮に仮定するならば
そこにいくらかでも可能性を見ることができるよね
っていう話につながっていくんだと思うんですよね
男性のための場合は
この本の場合にはですね