1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. ほんとのことはわからない【10..
2024-10-11 39:38

ほんとのことはわからない【1068】

「知りつつある」ことしかできない。
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00:06
おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、1068回をお送りします。
10月11日、7時20分、早朝ですね。
今週は、なんとか1週間うまく乗り切れた気がします。
というのは、このポッドキャストの話ですね。他の件は、それはそれで別として。
このポッドキャストね、スタンドFMにしてから、すごい数字が小さくなっているんで、
いいねの数とか、視聴者数とか、再生数とかね。
かえって傾向がもろに出るんですけど、ここ数回の傾向は、すごい悪いんですよ。
一番最初だけ3桁いくんですね。120件くらいかな。
コメントも4件くらいついて、スタンドFMにようこそみたいな。
それは公式のコメントなんじゃないかと思うんだけど、ついてですね。
そしていいねも結構つくわけですね。
これは1回目だけで、そこからはずっと2桁なわけですよ。最初だけ3桁。
最近はもう1桁ですからね。1桁ってすごいなって思うんですけど。
これSpotifyの数字はね、この100倍くらい。100倍は言い過ぎですね。
この何倍くらいかあるんで、別にこれを見てそんなに考え込むことはないんですけど、
それにしてもスタンドFMで聞くっていう人は珍しいと思うんですよ、やっぱりね。
スタンドFMで配信してる人はたくさんいらっしゃるんですけど、スタンドFMで聞くって人少ないかな。
SpotifyかAppleのポッドキャストとか、いろいろありますけれどもね。
そういうところだとは思いますね。
はい、もう今日はですね。
昨日ThreeWaysというのをライブで収録して、
こちらさすがにJさんとやってるだけあって、
もうなんかこうライブで常時3桁みたいな。
やっぱりやる人とやると違うなっていうのを感じるものなんですけれども、
私は単独でやるのは、単独でやらねばと思うところもありますんで。
こういう話、昨日のKLHなんで本当そうですけど、
単独じゃないとやんないですもんね。
Beyondすげえ大好きって人を探し出してきてやるとかいうことも不可能ではないかもしれないけど、
見つけるのがもうめっちゃ大変じゃないですか。
まだクラインとかならまだ話は分かるんですけど、
Beyondとかになってくるともうなんか、
私が今度はそんなに超専門チックな人にはついていけないんで、
ひたすら危機戦になってしまうんで、
それはそれで2人以上でやる理由ないんですね。
だから2人はThreeWays。
1人でやるのはこれっていう、
1人でやってるほうが遥かに長いわけですけれども、
これを3000回ぐらいは余裕でいけるかなとは思っています。
03:06
不良の事故とかに合わない限りはそうだろうと。
今日はお知らせもなく一気にいこうと思うんですけど、
不人気だったというここ数回は、
要はBeyondの話をしてるからなのかな、わからないですけどね。
話していていくつかの反響をいただいて、
非常に考えさせられるというか、
ThreeWaysでちょっと喋ったことと似てくるんですけど、
虚実なんですよね。
ここで言ってることって気にはなってたんだけど、
商業出版時代というか、
長く仕事術、ライフハックで生きてきたものの癖として、
強調しすぎてしまうんですよ。
強調しないと聞いてもらえないという、
聞いてもらえなくはないんだけど、
目立たなきゃならないという部分はあるんでね。
いいんですよ、本当に。
薬産、全然OKですよ。
計画、それもOKですよね。
書き出し、GTD、分解、何でも全部全くOKなんですよ。
未来に思いを馳せる、もう全然いいんですよ。
目標を立てる、ゴールを設定する、
全部OKなんですよ。
ここで僕が喋ってることは、
嘘800ぐらいにも持っておいてください。
うまく何かがいかなくなってきた時用の考え方だって、
絶対書き出しやめましょうみたいなのは、
真に受けないでくださいね。
方法論、僕はここで喋ってませんから、本当に。
ついつい癖なの、これは本当に。
ライフハック時代のライフハックというのは、
タイマーを5分でセットしましょうとか、
タスクは分解して小分けに分けましょうとか、
アウトライン書きましょうと、
何か目に見える行動に残さないと、
本は書けない、連載もできない、
人を説得もできない、
聞いてもらえない、読んでもらえない、
マーケットで勝てない、あるんですよ。
それはそういう世の中というもので生きていくには、
やっぱりお金もいるわけじゃないですか。
数値化が大事なわけですよ。
オカルトで生きて勝負しようってんじゃなければね。
オカルトの方が実はいける可能性もあるんだけど、
僕はやっぱ体質に合ってないから、しょうがないですよこれは。
人間には様々な生き方があるし、
それを選択していただければならないわけですね。
その都度その都度その界隈の流儀に沿ったやり方で。
で、宗教やろうって言ってもなければですね、
自分の言動に全域、全域で整合性を取り、
その中ではもう別に、
毎日家族で書き一個を分け合うんでもいいんだとはならないんですよ。
結果どうなったかわかんないですよ。
06:02
逆算とか言っていたからうまくいったとかいう話ではないんだが、
とにかくはっきりさせるのが、
その界隈の主流で仕掛け学とかね、
やる気じゃなくて工夫で乗り切るんだよって言ってるところで、
ノート術とか、ノート術ってことはノート買ってきて書くわけじゃないですか。
ノートもいらなければ書きもしないノート術とかっていうのは、
あまりにも前衛的で多分ダメなんですよ、そんなんでは。
だから書き出すという概念を持ってきたら、
絶対書き出しましょう、死んでも書き出しましょうみたいな、
3時間書き出しましょうみたいなこと言うわけですよ。
その3時間の根拠なんかどうでもいいわけ、ある意味ではね。
で、急にそいつが書き出すのやめましょうとかって言い出すんですよ。
しょうがないと思ってください。そういうものなんです。
ある意味、現実で、というか社会でやっていくってことですよね。
そんなに薄っぺらいもんではいけないという考え方もありますが、
やっぱりね、昨日も石場さんの解散はすぐにはやらない、すぐにはやるとの話してましたけど、
難しいわけですよね。
私、国会のルールっていう、これは稲葉さんという方、書き上げ塾で書かれたですね。
あれは結実したのは素晴らしかったんですけど、
僕、稲葉さんからは昔からいろんなところでお話しさせてもらっていて、
帰りの電車とかでも国会のルールについて詳しく教えてくださったんで、
国会の見方が全然変わったんですよ。
まあ、いろいろあるわけですね。
会期延長を今、野党は求めてるんだけど、それは基本的に逆であると。
普通はそういうことはしないと。
なぜならそれは与党にとって通常有利な出来事だからっていう、
こういうですね、国会をチェスっぽく見ていくっていう、
いや、てか国会ってほんとチェスなんだけど、
ああいう、そういう見方を身につけるとですね。
あそこでけんけんがくがくやってるのは、
なんていうんだろうな、
トランプやってて、
口で喋ってもいいからね、
敵ルールがトランプってことなんですよね。
でも実際には全然喋らなくても、
全然喋らないと話にならないけど、会議ですから。
だけど会議を進める上でどうすれば有利になるかっていうのは、
もう定石が決まってるんですね、要するにね。
まあいいや、そんな話をしていても始まらないので。
つまり、私が今日言いたいのはですね、
私が喋ることの大半、半分。
半分はKで、半分はマイナスKであるっていうのは、
人間の営みとして当然だということなんですね。
人間はマイナスKを口にせずには、
なかなかそうそう、だからあのすっげえできた人は
科目になるってやつ、沈黙は禁ってやつで、
でもこのポッドキャストでずっと沈黙してたら、
もはや演奏のない音楽界みたいになってしまうので、
それはおかしいわけですね。
マイナスKは入ってきますよね、
09:00
こんなに40分もない間一人で喋っていれば。
もちろんマイナスKはいっぱい入って、
マイナスKというのは嘘ですからね、言ってみればね。
その嘘というのは、
社会的になんていうんですかね、
あるものですよね。
人間はやっぱりLとHじゃ生きていけないので、
すごい好きになった女の子がいるから抱きしめて、
そいつとちょっと会ったらすぐ喧嘩して、
そういうのは猫的にはいいんですよ、それで。
人的にはダメでしょ、それは。
それでいいはずなんだけど、人も動物だから。
でも人的にはそれでダメなんですよ。
ここKで行かなきゃいけない。
あなたはどういう人、私はこういう人、
それぞれ何歳、何歳で、こうこう、こうで、みたいな。
それをある程度一瞬で情報交換をしていくわけじゃないですか。
実に不自然な生き方を強いられてるわけですよ、我々は。
自分分析でフロイトどっかで言ってたんですけども、
要するに人間は本能から隔てられているみたいな。
ウィニコット流に言うと、本能というのは遠い雷鳴のようなものでやってくるみたいなね。
外から来るんですよ、本能。
本能ってみんなそうは思ってないじゃないですか。
内側から行くもんだと思ってますけど、
赤ちゃんにとっては本能って外から来ちゃうんですよ。
お腹が空いたっていうのはもう外からお腹すかせ陣みたいな、
魔人みたいなやつに襲われているから、
うわ辛くなったと、自分は迫害されていると。
おかしな発想だと思うかもしれないけど、
これが性欲になってくると本当に人っていうのはですね、
もうかなりやらかしちゃいますから。
でもしょうがないんですよ。
不自然な生き方を強いられる生き物ですから。
だから僕はここで一見というかもう当たり前ですけど、
親論喋ってるように聞こえると思うんですけど、
一方が違うと子育て論みたいな。
もう全然違いますからね。
もう全然違いますから。
もう極端に言うと、私が母親と言ってるのは、
私の心の中ででっち上げた母親であって、
客観的事実なんてどこにもありませんから。
僕は客観的事実だと思ってますよ。
ここが本能は外からやってくるんだけど、
嘘ですから、そんなのは。
どう考えたって、
だって私別にね、母親にこの時こうこうこうしましたねみたいな、
記録取ってませんからね。
インタビューしに行ってない。
しに行かないじゃないですか、そんなこと。
親にこういう目にあったみたいな。
それ本当ですかみたいな。
何月何日何時何分ですか。
やらないじゃないですか。
でも裁判とかじゃやらなきゃダメなんですよ。
最近冤罪事件が問題になりましたけども、
そういう手続きをきっちり踏まないで、
客観は終えるわけがないんですよ。
客観ってのはめちゃくちゃ難しいんですよ。
だからあれほど膨大な証拠を集めて、
やり取りをして、
ああでもない、こうでもない。
あれがつまり経営の態度なんですよね。
真実に迫っていく。
僕の喋ってるのは、
母親はこう言ったみたいな、
いきなりマイナス系じゃないですか。
いきなりそれがさも当たり前の事実であるかのように、
12:01
未法和なものなのに、
法和させてしまってる。
それが事実として語ってる。
それは要するに嘘なんですよ。
だから書き出しましょうもダメだし、
書き出しちゃダメですもダメなんですよ。
そういうのは真実とは言わないんですね。
逆算しましょうも良くないし、
逆算やめましょうもいけないんですよ。
順算が良いですもダメなんです。
そういうことを言ってるってことは、
それが真実だって言ってるってことですからね。
それは真実じゃないはずです。
人によって絶対意見に関わる。
これ意見ですから。
意見と事実を分けりゃいいっていう話でもないんですよ。
ここら辺がめんどくさいんですよね。
だから経営は迫っていくんですよ。
知りつつあること。
美音はノーイングって言いましたからね。
ノーだとかファクトだとか言ってないわけですから。
私の心の中の母について喋ってるわけですね。
私は実際の母との関係はすこぶるり良いですし、今はね。
特に親子関係も別に不味くはないし、
あの人の子育てが不味いという風には思ってないんですよ。
ただ、私の心の中の記述をしていくと、
そうではないものが出てくる。
だけどこれが本当だとは言ってないわけですね。
もう非常に大事です。
だからこの辺の話って当然のようにセッションでも、
カウンセリングでは当然出てくる話なんですけれども、
やっぱりですね、私も一時スクラップボックスって
すごい便利なものがあるんですよ。
単語にタグをつけていって、その単語からリンクして追っていく。
ウィキメイみたいなものを個人で作れるんだけど、
こうやってセッションで伺った話をですね、
スクラップボックスとか紙のノートとかに書いてみたりしたこともあるんだけど、
一切今はやってないんですね。
もうなんかね、プロセスノートの取り方みたいなのも精神分析にもあるんだけど、
参考にしてちょっと真似て面白くやってみたんですけど、
ダメだ、僕には向かないということが分かったんですね。
人はやっぱり言うこと変わっていくし、
この変わっていくってめちゃくちゃ重要じゃないですか。
親子関係においても修正浄土体験とかっていう言い方もありますけど、
私あれも最近はあんまり採用する気がしないんですけど、
でも大事だとは思うんですよね、ある種の場面では。
親との関係が最悪だったって言って人が変わっていくわけじゃないですか。
そうすると親像もその人の中で変わっていくわけで、
当然言うこと変わっていくわけですよ。
言うこと変わっていかないとある意味困るわけですよね。
だけどそれを記録するというのは良くないんだなっていうか、
悪くはなくても良いこととは言えないんだなっていうことが、
これもマイナスKですからね。
僕が勝手に今そういうふうに思ったことを言ってるだけなんで、
佐々木が言う通りで記録を取ろうとか取る前とかしないでくださいね。
それはその都度皆さんで聞いた方が考えてやるしかないんですよ。
ノーイングなんです。真実には迫っていくしかないんですよ。
15:02
方法を真似たところでマイナスKにしかならないんですよ。
これはどうしようもないことだというのが妥当だと思う。
だって僕ら外界には出られない。自分の内界に住んじゃっていますから。
私が心の中の話をすると、私の母親についての話をしてしまい、
しかもそれがずどずど変化していくという、
それを真実を捕まえようということで記録というものをするんですけれども、
それが捕まえることにはならないだろうということなんですよね。
心の中のあるタイミングの母親に対する正確な記述にはなるんじゃないですかって、
ならないんですよ。一秒ごとに変わるから。
だから絶対に何時何分書いたからといって、
真実を捕まえるなどということにはなるはずがないんですよ。
この量子力学みたいな世界なんですよ。
観察者がそこに立った瞬間に観察対象は影響を受けるみたいな話で、
まして観察対象が自分自身だということになってきた場合は、
どうにもなんないですよね。
常にものすごい速度で動いているエネルギー体みたいなものを
ピン止めしようと頑張っているみたいな話なんですよ。
土台無理だ。
大事なのはそこで話されたコンテンツの中身が正確かどうかじゃなくて、
そこでその人がどのように話すかであって、
しかもそれは次の瞬間にはもはや大事じゃなくなったりするようなものであって、
常にものすごい速く動いている流動的な何かなんだと思うんですね。
これを扱っているんだということを忘れちゃいけなくて、
やっぱり後でメモを見返してみて、
この人こう言ってたなみたいなのを思い出すってこと自体が何かに貢献してくれない。
むしろ邪魔をしてしまう。
邪魔が大事なのかもしれないけれども、
邪魔をされるべきなのか貢献されるべきなのかを後から先に事前に予測することは不可能だからダメなんですよね。
無理なことをしている感じがする。
メモってもいいけどそのメモは無駄になる気がしますね。
僕だからスクラップボックスはすべて廃棄しましたからね。
これは意味がなかったなというか、
これを読める状態にあるっていうこと自体がいけないなっていうか、
よくはないなっていう感じなんですよね。
それでも事実関係を私も佐々木さんにこう言いましたよねって言われることがあるわけですけど、
これを言われるのが嫌だから記録するってのがそもそもダメなんですよ。
これを言ってるってことはやっぱり何かあるんですよね。
そこで訴えてきているものが。
戦法にとって人間関係やら事実関係やらが大事なはずは実はないのでね。
だって話してる内容は結局は先送りとか仕事行く気しませんとか、
行く気はするんだけど行ってませんとかそういう話をされてるわけじゃないですか。
18:03
で、その人がお父さんの妹さんのご主人がとかいう話をされたとして、
そこ本当は大事じゃないわけですよ。
だけどもそこが大事に思えてるってことは大事なんですよ。
で、この話を私が真剣に聞いてるというのは大事なんだけど、
次の週にはもうそれはどうでもいいことになっている可能性が高いんですよね。
その話を僕がいちいち覚えておいて、
何かそれに影響されてそれに付随する話をしているっていうのは良くないんですよ。
でもだからと言ってその話をまるまる忘れてるっていうのも変なんですよ。
でもその話を大きく誤解してるってことはあり得ることなんですよ。
全てがこのあやふやな状況の中でなんとなく残った印象とか、
残らなかった印象とか、なぜか大事なのに忘れていたとか、
思い出せないといったことは全部重要で、
それの中のどれかが重要だという判断をメモるときってするじゃないですか。
それが余計だってことなんですね。
だからその方が全然違うことを母親はもう本当にひどい人でって言ったら、
次の週にお母さんがいなければ私生きてなかったですみたいなことを言うのは正しいんですよ。
で、どっちをメモっておくのかとか、
先週はこういう風に言ったのが事実だというのはそもそも事実じゃないんですよ。
そいつはマイナス系なんですよ。
これを全部含めて事実に迫っていこうっていうような話なんだと思うんですね。
だから…
なんて言えばいいのかな。
だからそれとGridはどういう風に成功するんだとか僕は悩んでしまうんですけどね。
Gridってそもそも存在がマイナス系っぽくない、そうなってくるという気はしなくはないんですけれども、
そういうところでBionを読む間はずっと悩んでいかなきゃならないんだろうなって感じがしますね。
要するに今の話はそうは聞こえなかったと思うんですけど、
コンテインドとコンテナーみたいな話なんですよ。
コンテナーというのはコンテナーで抱えることによってコンテインドですね。
コンテインドって言ってみれば嫌なんですよ。
気のままではね。扱いようがない。
赤ちゃんがうわーって鳴くっていうのが僕は昔も確かに電車の中でうるせーって思ってたんですよ。
今は全然思わなくなったんですよ。
実に面白い現象だって思うんですよね。
それに対してお母さんが怒ったり怪したり、すごい怒るっていうケース。
すごい怒るってことはつまり排出に対する排出だってこともあるんだけども、
でも抱っこしてるわけじゃないですか。
こういう時にミニコット流に言うとホールディングだって感じがするんですよね。
怒ってるんだけど話さないっていうこの態度は実に独特の矛盾感があるじゃないですか。
その矛盾というものは赤ちゃんの心にいずれインストールされていくじゃないですか。
それが生きていくのに役に立つじゃないですか。
なぜならば会社に行きたいけど行きたくないとか、
この仕事をしたくないけどこの仕事をするとか、
そういう感覚って絶対発生するから、
21:00
いずれにしてもこういうホールディング感って出てくる。
ホールディングっていうのは結局、
東畑カエトさんがコンテナーは我慢って書いてたんですけどね、
我慢じゃないんじゃないかなと専門家に言うのは申し訳ないんで、
我慢も含む気もします。
ただ我慢だけしてちゃダメですよね。
赤ちゃんが泣いてる、うるさい我慢しようみたいにお母さんは思ってないと思うんですよ、僕は。
これがやっぱりこうホールディングっていう風にミニコットは言うと、
コンテナーという風にビオンは名付けているんだけど、
コンテナーの方が網羅的だなと。
網羅的なのは良いことなんですよね。
やっぱりいろんな事象を網羅できるから。
例えば男の子は思春期でコンテインドとしてのペニスを完全に持て余すわけですね。
私なんか完全に持て余してしまったわけですよ。
だってコンテナーがないんだもん。
昨日3waysで散々言いましたよね。
彼女が欲しかった、あれはコンテナーが欲しかったってことなんですよね。
でも私のペニスを包んでくれる存在なかったから、
しょうがないから自分で包むわけじゃないですか。
そうすると自体愛的になってきますよね。
オートエロティシズムってのはよく言ったもんだと思うわけですよ。
そうやって自体愛的になっていくというのは、
自分の体のことを自分でケアしてばっかりいるっていう状態で、
しかもそれは結局我慢しているわけですよね。
コンテナーになりきれてないわけです。
なりきれたらおかしいしね。
で、自分で自分をコンテナーしなきゃならないという事態は、
現在社会といいますか、生きていく上ではしょっちゅうしょっちゅうあるじゃないですか。
ただ我慢しときゃいいってもんじゃないですよね。
ただ我慢はしないと思うんですよ。
今のような時代は特に我々は絶対に。
ただ我慢しないじゃないですか。
歯医者言ってますよ、すみません。我慢してください。
絶対納得しないと思うんですよ。
僕なら絶対盲導を起こしたくなりますからね。
だからやっぱり我々は我慢しない時代に生きてるんだけど、
コンテインはする必要があるんですよ。
そうは言っても。だからコンテナには、
戸畑会長さんは我慢、消化って書いてある。
この我慢、最初の一歩は我慢から始まるかもしれませんが、
消化に向かっていくプロセス。
お母さんうるさいと思うことは絶対あると思うんですね。
うるさいなと思って、この子どうしたのかな。
これが次の一歩ですよね。消化に向かってますよ。
だから私が誰彼と会って、
編集さんが5月に書いてください。
5月中に無理だって思うじゃないですか。
ここでやっぱり次の瞬間が入るはずなんですよ。
この人何言ってるんだろう?ってのが入らないと、
物別れになってしまうと思うんですよね。
これがコンテインの展開だという気がするんですよ。
私いつしかですけど、電車の中で赤ちゃんが泣いてると、
すごい面白いというか、なんて言えばいいんですかね。
この子は何を言ってる?
言ってはいない。何も言ってないんだけど、
おむつをかいて欲しいとか、おっぱい欲しいとか
24:01
絶対言ってないはずなんですよね。
そんなことが分かっていない年なんですよ。
そういう年があるからね。暑いとか。
だからこの子は何かを言ってるわけじゃないですか。
やっぱりキシボジンとかを連想しちゃうんですけどね。
もっと切実かつ、最後は不在になっていくわけですね。
何かがないわけ。何かをしてくれないってことを言ってるわけだけども、
それがですね、お母さんがなだめたり、
静かにっていう人もいらっしゃいますよね。
背中叩くとか。何やっても無駄なケースがあるわけだけど、
何やっても無駄でも何かしなきゃならないから何かするわけじゃないですか。
その社会からの圧みたいな、白い目が気になるって。
その白い目の数は想像されているほど多くはないんだけど、
この白い目をお母さんが気にするという、
白い目をもしかすると作り出すということはですね、
赤ちゃんのコンテインドがお母さんもコンテインドっていう状態だと思うんですよね。
やっぱりね、抱え込めないので、さらに排出され、
排出されたものは投影されて白い目に変わるっていう事態が、
そうするとお母さんの場合は白い目になるけど、赤ちゃんは白い目なんて気にするはずがないから、
もっと違ったモンスターを作り出しますよね。
そういうものってのは何を見て何を感知してどういうものを作り出すんだろうって考えていくとですね、
僕が勝手に物思いに入り始めるわけだけど、
僕がコンテナになりかけているわけですよね。
だからよく言うじゃないですか、そのようなお母さんに声かけしてあげましょうって。
これは素晴らしいことなんだけど、僕は声かけしないコンテナなんだなっていう感じがやっぱりしますよね。
声かけするコンテナと声かけしないコンテナとやっぱりあると思うんですよね、こういう時に。
そんなに素晴らしい話ではないんですけれども、
梅津和夫さんのコミックにですね、
聞いてください私の悩みっていうね、非常にこの事態を非常に徹底的に書き込んだ短編、ギャグがある。
梅津和夫だからホラーに思うかもしれないんですけど、
彼のホラーってギャグなんですよ。
彼どっかで言ってたんだよな、ホラーとギャグはどんどん同じもんだっていうようなことをですね。
それは完全にホラー性はないんですけれども、
男子校と女子校が隣同士にあるわけですね。
その男子校の生徒たちが、生徒の一人なんですけどね、すごい面白いんですよ。
僕たちは清く正しく生きていかなければならないから、
あんなバカ女子校生のことを見てもいけないんだっていうところからナレーターっぽく始まってきてですね。
でも隣の女子校生はやたらと男子校を煽るわけですね。
最後にはパンティーを振り始めるみたいなことを言い始めて、
もうとて我慢できんみたいになっていくわけですよ。
27:02
勉強もできなくなるって。
これ実にあまりにもわざとらしすぎて、いかにも梅塚造さんらしいんだけれども、
要は性欲っていうものはそういうものなわけじゃないですか。
一方では性欲はめちゃくちゃあるわけですよ。
高校生レベルですからね。
だから絶対に意識には入ってくるんだけれども、
他方では性欲というものを扱いかねるわけですよね。
どういうふうに扱えばいいかがわからないので、
結局性的欲求不満ってものがそこで、
実際には性欲は何らの形でも具体的には満たされない。
具体水準には満たされないわけですよ。
だけど象徴水準に持っていけてないから明らかに、
女子校生という、女子校の女子校生という具体物に翻弄されている気がする。
つまり外から押し付けられている感じがするわけですよね。
大体性欲ってそういうもんじゃないですか。
思春期の人にとって見ればね。
自分から上がっているのは確実なんだけど、
そういう感覚が湧いてこないわけですよね。
ここでさっき言った人間というのは不自然に生きる生き物となって、
17、8にもなっている男女がすぐ近くにいるのに、
お互い意識もせずに生きていこうというのは土台めちゃくちゃ不自然じゃないですか。
でもそれが当然だっていう顔をしなきゃならないわけですよ。
梅塚憎さんの時代だから、僕が高校生だった時よりまだ前ですからね。
もう非常にそこに無理に無理を重ねるような生き方。
だっていわゆる性献の犬、猫でもいいですけどが、
オスとメスで発情期になってお互いを意識もしない。
そんなことを期待するだけ無理じゃないですか。
人はそれを哺乳類なのに頑張ってやろうとしてるわけですよね。
何の根拠があってのことなのか、いろいろあるんですけれども、
とにかくそういうことを頑張ってやろう、頑張ってやろうってするわけですよ。
だからめちゃくちゃイライラする。
このイライラというものと、自分の性欲というものと、
その性欲に無自覚であるという状態を3つ立ち合わせると、
僕たちは清く正しく生きていくんだ、勉強だけをするんだ、
教科書から目を逸らしちゃいけないんだってところで、
女の子が横でパンティー振ってるっていう妄想になっていくわけですよね。
その女子高生は後で、あれは雑巾を振ってたんであってって言うんだけど、
そもそもなんで雑巾振るんだって梅塚憎にツッコミを入れたいんですけども、
まあでもこの作品は非常によくできていて、
女子高生側から見ても全く同じなんですよ。
私たちは清く正しく生きていかなきゃいけないのに、
バカ男子高生たちがパンツを振っているみたいなそういう話になっていて、
お互いがお互いの性欲に振り回されるんですけど、
この話のカラクリで一番やっぱり僕は素晴らしいなって、
やっぱ梅塚憎っていうのはギャグみたいな話を書いていてもすごいなって思うのが、
男子高生が夢を見るんですよね。
もうなんかあんたの夢にも出てきてやるからねって女子高生に言われるという妄想なんだと思うんだけれども、
30:04
そういうことを言われた男子高生がその女子高生に迫られる夢を見る。
そしてその男の子が起きて、あのバカ男だめ、人の夢にまで出てきやがってっていう、
これが精神病水準ってことですよね。
彼は精神病者じゃないんだけれども、
これはやっぱりさすが梅塚憎だなっていう感じを感じさせられたわけですよ、僕はね。
結局コンティニしきれないという事態はこういう事態、
自分で自分の結局のところ、うるさい鳴き声だろうと性欲だろうと、
どれほどそれが押し付けられたものに感じられても、
自分が知覚してしまったということである以上は間違いなく、
それは自分の脳みその中の出来事じゃないですか。
音はしてますよね。赤ちゃんは泣いている。
でも音というものは心の中に入ってきて初めて音になるわけですよ。
そうじゃなかったら音の波が外にあるだけであって、
音質とか音量とか、あるいは光景とかにはならないわけですよね。
光景とか音質とか音声とかに音声なんていうのは声なんで、
になった瞬間にもう鳴っているってことは心の中の出来事なわけですよね。
それが僕らにはわけわかんなくなっていく。
挙句の果てにはさっきまで夢を見ていたという認識があるくせに、
夢に入ってくるということがさもできるかのようなレベルに入るほど、
僕らは正気というものを見失うんですよ。
現実見当がおかしくなっていくわけですよね。
でもあれを読んでいくとですね、この子がこう思うのは確かに妥当だわって感じ。
あのバカ女、夢にまで入ってきやがったっていうこのセリフはですね、
狂気のセリフとしては実によくかけてるなって思うんですよね。
ギャグなのに。ギャグなんですけどね。
畳から見るとこれはギャグですよね。
だけど本人はすごくここに深刻になってしまうわけですよ。
めちゃくちゃ腹が立つわけ。
なぜならコンテンツにされてないからね。
自分の本能というものが押し付けられたものになってしまっていて、
被害者なんですよ、彼にしてみると。完全に自分は。
押し付けられて、どういうことをすることもできないものをどうにかしなきゃいけないという、
なぜそんなことを、つまりあいつらがパンティ振らなければ
自分は黙々と勉強していられるのに、
なぜ俺はそんなことをさせられているんだっていう気持ちになっちゃうわけですよね。
勝手に夢を見て勝手に性欲を高ぶらせてるんだけど、
自分の自覚を持つ動機がそこにないんだと思うんですよ。
非常にコンテインドだけがあって、コンテナがない感じがするんですよ。
これを助力、人に助けてもらって、一番簡単なのは恋愛とかすればいいんでしょうけど、
33:05
人に助けてもらってコンテナを自分で用意するっていうのが多分やっぱり、
理想を言えばそういうことになるわけですよ。理想を言えばね。
でもまあ僕らは理想通りにはならないんで、我慢とか不満とかになってしまう。
不満ってのは要するに満足がないってことだし、
我慢っていうのはちょっと独特のあれ、仏教用語なんですけどね、
困った言葉をあんまり安易に生み出さないようにするんだけど、しょうがないんですよね。
こういう話は全て宗教チックになっていきやすいんですよね。
でも途中僕も散々美音に習って、見法は見法は言ってるわけじゃないですか。
法話すると満足なんだけど、法話はしないんで、決して。
赤ちゃん泣き止まないですよね。何をやってあげても。
じゃあお母さんが間違ってるのかっていうと、そんなことはないですよね。
だから僕はここで、だからその社会の冷たい目がいけないっていう論は、
99%正しくても100%にはならないと思うんですよ。
というかつまり社会が温かくて優しくて、お母さんが安心しきってても、
赤ちゃんは多分泣くんですよ、泣くときは。
つまりあらゆる問題をこの観点から解決できないと思うんですよね。
コンテナーが理想的なら、万全だってことには絶対にならないですよ。
そこはエミリー・ゴッドが言った通りで、グッド・イナフなんですよ。
どこまで行ってもグッド・イナフ。パーフェクトは絶対望めないし、
パーフェクトっていうのはダメなんですよ。一種の病気なんですよね。
だからグッド・イナフである必要はあると思うんですよ。
そこで赤ちゃんを放り出しましたとか、うるさいから出ていけと
乗客が言いましたっていうのはダメだと思うんだけど、
それだって、エミリー・ゴッド流に言うと現実に起きたならグッド・イナフになっちゃうんだけど、
まあでもそれは、避けたい。
イナフだとしても避けたいって感じはありますけれども、
パーフェクトってことは到底望めない。
だから私の冒頭、途中で申し上げた、今日はこの辺にしますけれども、
要は、母と私が勝手に呼んでいるものは、母でもなんでもないんですね。
私の心の中ででっちゃげなもの。夢の中でまで、
あのバカ女出てきやがってって言うのと何も変わらないんですよ。
夢なの。所詮これは。
実体としての母と関係ない実体としての母は、私は永遠に知り得ない存在なんですね。
だからノーイングでしかないわけですね。
母についてノーすることはできない。
知るってことはあり得ない。
ラブとかヘイトとかで邪魔されるし、マイナス系もうようよあるし、
結局のところわからないままである。
何が起きたかもわからない。
たぶん1歳の頃こうあったんだろうとか言ったって、
そんなのは全くの妄想ですよ。
だって私は覚えてないんだから。
で、その、なんて言うんだろう。
私が知り得ないことっていうのは、つまり知り得なくていいんですってことなんです。
知らなくていいことなんですよ。
知らなくていいことってあるじゃないですか。世の中にはいっぱいね。
36:01
グッドイナフなわけですよ。
で、その、でも母ホールディングはしただろうと。
ホールディングというのはつまり嫌で嫌で仕方がなくたって、
まあこれはちょっと言い過ぎだけどね。
離さないという。グッドやってて離さないという。
だから私がうおーってやって、バタバタさせて落ちるとか、
どっかから落ちるとか、そういうことは許さなかった。
それは愛情じゃないですか。
そういう表現になってなかったとしても愛情じゃないですか。
ホールディングっていうのは愛情ですよ。
だから白い目で見ていたって、その電車には乗っていられる。
白い目で仮に見られることがあったとしてでも。
気持ちの上でのプレッシャーはでかいかもしれないけど、
そこから放り出されるわけではない。
あの銀河鉄道39という話では、乗客のおばさんがですね、
ちょっと騒いだだけで、すぐ宇宙に放り出されるんですよ。
恐ろしい話なんだけど。
まああれが松本玲司的な世界なんですよね。
あの人すっごい優しい人ですけど、もう第一感ですからね。
だってあんなに最高級の電車、まあ電車つっても機関車なんだけど、
宇宙機関車なんだけど。
そんなのに乗っていて、椅子も木なんだけどね。
あんなのに乗って何日も何日も旅できねえだろって思うんだけど、
昔やっぱり過風だったわけですよね。
でももうなんかあなたは乗車のなんとかルールに違反しましたとか言って
ポイ捨てられるんですよ。
すげえ電車だなって。
車掌が窓から人を投げてもいいみたいなね。
あれが優しい松本玲司さんが書く第一巻の代表作で登場するわけですよ。
そんな目に合わないでしょう。
赤ちゃんがいくら泣いたって、いくら聞き分けのなさそうな
今時でよく話題にされるおじさんがいたって、
そんな目に絶対おじさん窓から外に出すかっていうね。
そんなことを聞いたこともないですよね。
あの車掌をすごくいい車掌として、
日が絶望する以外にね、
言われて人気のあるキャラクターですけど、
いやあれはいわゆる現代で厳しいとされているというか、
時々問題にされてしまうおじさんの100倍くらい霊国ですよ。
だからホールディングとか、
グッドイナフっていうのは大事なんですよね。
あそこで窓の外に宇宙から出しちゃったら、
全然スーパー超自我じゃないですか。
スーパー超自我変だけど。
もうなんかこう、およそ人間とは思えます。
彼は人間じゃないですけどね。
そういう感じではないですよね。
私たちの生きている世の中というのは。
けどわからないんですよ結局。
そこはどこまで行ってもノーイングでしかない。
私の母のことも、私は母のことなど、
この番組では一個も喋ってない。
ここでは何かの方法については、
一つも出てこないことになっています。
ここで喋ってるのは全部ですよ。
全部情緒に関わる話。
全部感情と気持ちと情緒の話だけなんですよ。
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それはこうであるべきとか、ああであるべきとか、
ない世界になるわけです。
そういうこと言うんだけど、情緒とか気持ちって。
でも気持ちを大切にしましょうとかって言うんだけど、
それって何を意味してるのかが、
全然わからない言葉なんですよ。
それは何の意味ももしかするとない言葉だったり、
まるまる嘘っ端だったり、マイナス形で。
様々なことがそこのところには蠢いてるんですけど、
まさにその蠢きなんですよね、これって。
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