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  2. 【GMV209】分離しない
2020-08-21 30:20

【GMV209】分離しない

グッドバイブスの効果の話を続けます
00:05
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
不安ゼロで生きる技術が、なぜか24日だと思っていたのですが、
今日Amazonでも発売になっております。
多分全国の書店さんにも、そんなにキンキン配本されると思うので、
ぜひお手に取っていただければと思います。
この本、こういう言い方は大変おかしいし、
著者はみんな言うことですけどね、お安いと思います。
これで得られるもののことを考えれば、価値を思えばですね、
高くはない700円の文庫というのは。
私はこれで得たものとして、やっぱり最大のものは、
家庭内不安が消滅したことなんですけど、
その他様々ありますけどね、健康とか。
健康じゃなかったんで、とにかく。
健康になれるっていうのは良いですよね。
健康にならなくなっていない人間にしかわからないことだと思うんですよね。
健康ってこういう感覚なんだなという感じがですね、毎日するんですよ。
多分毎日健康だった人は、そんなことを感じないと思うんですよね。
なんかですね、これが普通だと思っちゃうんですよ。
胃が痛いとか、喉の奥が重いとか、
胃ガラっぽいとか、全部デフォルトだったんで、
それがないと何がまず違うかって、えらく体が軽く感じるんですよね。
体重、僕もともと軽いんで、57くらいしかなくて、
内肥は55くらいしかないんですけど、
自分の体重が軽いのとは関係なく体っていつも重い感じだったんですけど、
ぐらい軽い感じになるんですね、健康になると。
っていうことがあったりするんで、高くはないんじゃないかと思います。
家庭内不安に久しぶりにでもないか絡めて、
今日は話しますけれども、
えっとですね、このグッドワイブスを取り込むにあたって、
取り入れるかな?
一番問題に、多分私なんかが問題してしまっていたのがね、
損を、損臭い。
これさえ乗り越えられれば、割と簡単な話なんですよね。
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自分の中ではそうなんですね。
で、今では、例えばですけども、
妻が怒るみたいなことが全く怖くなくなったんですけど、
これ一つ一つ分解していくと順を追わなきゃならない感じなんですけど、
全部一緒に来ちゃうんですよね。
だからやるのも全部一緒で、分離するのか一つ意識なのかとか、
恐れの選択なのか愛の選択なのかとか、
相手の不安を取り除くのか、自分が犠牲になるのかとか、
自分がやることが犠牲だと感じるのか、
自分事としてやるのかっていうのは、
全部同時にやってくるものなんですよ。
これをまず相手の恐れを取り、
忌みづけを手放してって言ってると、
言うときは一個一個に言うしかないので、
全部ワンバイワンみたいな感じで、
ステップバイステップみたいになるんですけど、
実際には同じことなんですよね、これは。
だから同じだということはですね、
逆に言うと、ある意味ではすごくいいことなんですよ。
同じだということは、一つやれば全部やれるんですよ。
だから僕が今一番意識に入れてるのは分離しない。
もう分離しなければ恐れによる選択はできないし、
妻が不安になっていて分離しないんだから、
妻が不安になるということは、私が不安になるということと
イコールじゃなきゃいけないので、取り除かないということは
選択肢として不可能ですよね。
だから取り除くということと分離しないということと、
取り除くということは恐れないということですよね。
不安にならないわけだから。
不安を取り除くということは、不安がなくならないとおかしいですよね。
これと、何か妻のために不安を取り除くと考えない。
ためにということは、独さんと私は別々のものになっておりますので、
これも分離になっちゃいますよね。
だからためにではないんですよね。
同時にじゃないと変なので、同時にだと考えると、
同時にって考えることによって損をするということはなくなるんですよ。
ために私が労を取るみたいになると、犠牲になるということになって、
今度妻の不安は取れるかもしれないけど、こっちに労力がかかるという不安が発生しますよね、私の方に。
こうならない方法論なので、そういう意味で全部同時に行うはずなんですよね。
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でもこれがいいところなんですが、
良くないところというか、逆に考えると一斉にこの問題は降ってくるわけですね。
だから実行時にあたっては大変な感じがする。
妻が私に不安をぶつけてくる、これが怒りなんですけど、
ということは同時に私もそれによって不安という、
妻の怒りがぶつけられたという意味付けをして不安になると。
意味付けた不安は同時に発生するわけですね。
その時には自分が例えばグッドバイブスをやるとしても、
イリュージョン、グッドバイブスをやるとしてもですね、
わざわざ例えば変な理不尽な言いがかりをつけられて、
妻の不安を取り除くと、私が不安じゃなかったのに取り除かなければならなくなるという
自己犠牲精神が発生するじゃないですか、これがイリュージョンですね。
そうするとその頃には私も妻のせいで不安になったという不安を相手に言いたくなるわけですよ。
これですね、今のように言うと抽象的で分かりにくいということであれば、
例えば、奥さんが好きなものを買ったとするじゃないですか。
うち専業主婦ですからね。
そうすると支出が増えて、その支出額をクレジットカードで見るとゾッとするわけですよ。
この支出に対して、例えば今回の本の印税で、
本の印税全部使うほどの支出ってないですけど、他にもいろいろ支出ありますからね。
賄えるんだろうかと不安になり、ここでこの不安を作ったのは誰だって考えるわけですよね。
うちの奥さんだと思って、この不安をぶつけに行って、お金がないんだけどっていうわけじゃないですか。
これで怒りのキャッチボールって始まると思うんですよね。
今のは作り話ですけど、全てこういう構図だなと思うんです。
だから不安にどっちかがなって、どっちかがぶつけに行くというときには、一切同時に発生するんですよ。
今のでいうと支出が多すぎてお金がなくなるんではないかというイリュージョンですよね。
そのことを考えもせず、支出について深く考えもせずに高いものを買ったというのは意味付けですよね。
こういうのは一斉に分け上がってきて、だから止めるのは難しい感じがするんです。
このときには当然、奥さんは私のことを考えずに物を買ったと考えているので、分離ですよね。
この分離を私は一番ポイントを置いていて、これをしないということは、今のような発想は全部できなくなるので止まるわけなんです。
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不安の濃い人からすると、いやいや、それではどんどん奥様は支出をし、あなたの収入は足りなくなるのではないかというふうに尋ねられることが多いんですけど、
そうはならないという話を本の中でも書いているし、そうはならないんですね。不思議なことかもしれないけど。
なんで多分そうはならないかというと、常に不安がなくなると、例えば物欲って下がっていくんですよ。
常に不安がなくなるということは、人に不安をぶつける理由はなくなるんですよ。不安がないので。
だからこのウッドバイブスの良いところは、普通の取り組みと逆な感じがありまして、だんだんだんだんイージーモードになっていく気がする。
どんどん難易度が上がるということはまず考えにくいです。自分の場合は特にそういう感じがしたんですけど、
健康って、一旦健康方面に身体が向かうと、だんだん健康になるんで、すごいケアが楽になるんですよ。
私は20年以上前が一番不健康のピークみたいな時期があって、もうケアしまくりみたいな感じなんですよね。
すごいそれ時代が大変なの。これとよく似ていて、奥さんのことも不安であればあるほどケアしまくりになるんで、
依頼を片っ端から引き受けると言っても、その依頼自体が減っていくんですね。片っ端から引き受けていて。
しかもそれによって自分が犠牲になっているということは、その空間において自分が孤立しているということになるじゃないですか。
そういうイメージも湧くと思うんですよ。自分一人だけが働かされている空間って、自分だけが孤立しているじゃないですか。
そのイメージって分離なんですよね。このイメージを持たなければ、自分だけが犠牲になっているという図式が成立しなくなるので、
分離しないっていうのが自分はこの場合大事だなとよく思うんです。
ここから先はタスク管理系の話を含みますが、例えば今日22時に寝ると、私は毎日それを一応心がけているんですけど、
22時に寝ると、21時の段階で最後のブログの仕上げをしようと思っていたところに、奥さんに皿洗いを頼まれると。
そうすると、賞味15分プラスになるんですね。
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そうすると、その15分によって時間を損するではないかっていう議論があるわけなんですよ。
これもいろいろなアプローチがあると思うんですけど、この種の損失が発生するという恐れがですね、
かなり私は最後まで一定の努力を要したんですね。
やるんですよ。倉園圭祖さんに言われてるってこともあるからね。やるんですよ。
自己犠牲、さっきみたいな孤立感を持たないということもできるんですよ。
それでもですね、この15分をどうやって長寿留派を背負って考えちゃうんですよ。
これを考えるほどグッドバイオスは遠のく。
なんでかって思うんですけど、別に犠牲になってるというふうに、
多少思っちゃうってところもありますが、思ってなくても、しかも依頼にもすぐ答えても、
そういう効果は出ます。たとえ自分が損をしてるとか、若干の分離感を抱いたまま実行してしまっても、
依頼に即座にっていうのは非常に大きくて、一切躊躇せずにやるというのは効果が出ます。
これを数分でも躊躇するというのはだいぶまた違います。だいぶ遠のけますね。
一番ただいいのはやっぱり、そこに時間の観念を入れないということなんですけど、
損というのはトータルでは私には分かってないことなんですよ。
トータルで本当に15分さらないをすることでブログの仕上げなりをやらない。
あるいは寝る時間を15分遅らせる。結果としてそうなる。
仮に朝15分遅く起きるか、それとも同じ時間に起きて15分睡眠時間を減らすか。
いろいろありますが、これはトータルでは何かを損しているかどうかは分からないですね。
分かるのはせいぜいここまで。
例えば6時に起きるなりすると15分睡眠時間が減る。
6時15分に起きると起きる時間が6時15分になる。ここまでは分かるんですよ。
これが損かどうかはそれはもう分からないじゃないですか。
実際には皿を洗ったからといって、本当に15分かっきりかどうかも、
私は測ってますから知ってますけれども、微妙に違いますよね。
日によって皿の枚数は違いますしね。
損というのは確実に、規定通りに計上できるわけじゃない。
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このような話を一生懸命しているのは、つまりこれが私の脳内にしかないということを機械してもらうためなんです。
みんな同じなんですよ。損というものを計上した時って、
こういう今聞いてて何か奇妙なこだわりをしている人だなと思われたと思うんですね。
タスクシュートユーザーには少々伝わりやすい話になっちゃうんですけど、
そうじゃない人には何をこの人はそんなにいろいろ一生懸命喋ってんだろうって思うと思うんですよ。
これがイリュージョンってやつなんですね。
わかんないんですよ。わかるのは15分遅く起きるか、15分睡眠時間が減るか、
ブログの仕上げをしないかのいずれかをしたという、その後ろに回ったと。
それだけであって、トータルで損をしているという何か根拠が出てきているわけじゃない。
ここから先は、ここまではまだしもですね、ここから先は、
例えば睡眠時間を削ることによって健康を損なうかもしれないとか、
完全にかもしれない世界に入っていくはずなんですよね。
イリュージョンの程度がどんどんひどくなっていくわけですね。
6時15分に起きることによって、翌日娘を起こすののタイミングが遅れるかもしれない。
もうかもしれないばっかりなわけですよね。
ブログをしやんと仕上げないことによってPVが減って、
結果として路頭に迷うかもしれない。ものすごいイリュージョンなんですよ。
この辺のただ損失というものをですね、
連想しながらどんどん脳内で黙々と増やしてしまうんですよ。
そうするとやっぱり不安になって、
いつもの話で言うならば糖質コルチコイドが分泌されて、
恐怖のモードに入って、
孤立感を自分の中で勝手に深めるんですね。
つまり分離するわけですよ。
それがブログをここで仕上げる時間だと、
自分でイリュージョンを作り上げて、
それはイリュージョンですからね、勝手に作り上げて、
そういう計画なんだと。
ここに皿洗いをかぶせられたというイメージを勝手に持つことで、
さらにそこからイリュージョンをどんどん作り出すことで、
分離していくんです。
これをしないということがどんなに楽なのかという話をですね、
今回出している本の中で、
多分読むだけで掴んでいただけるかなと、
そういうふうに思うんです。
なので、しかもこれはぶん切りCMになっちゃうんですけど、
ぜひですね、身近な方に勧めていただくといいかなと思います。
だってですね、私だって、
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ひそかにこっそりとそこら辺に放っておいて、
何かにつけて奥さんに読んでもらうんですよ。
読んでとは言いませんよ。
読んでもらうんですよ、でも。
絶対にそのほうがブッドバイオスの実践においては楽です。
それはもう相手が知っているか知らないかの違いはあります。
で、これをブッドバイオスという考え方があってねというので通る人は、
もう極めて稀だと思うんですよね。
これはカウンセリングの一つの行為みたいなもので、
症状について既存の定識みたいなもの、
例えばあなたのその症状は、フロイドはこういう分析をしてとか言って、
治んないじゃないですか、そんなことを言われただけでは。
腹を立てると思うんですね。
でもこれは私が思うのと同じです。
父とかには飲ませられるわけですよ。
父にブッドバイオスを説くことはできないですよ、私がですね。
絶対聞かないと思うんですよね。
まあ、父は腹は立てませんけどね。
でも本は読むんですよ。
こういうことがあるので、私は父には買わせたんですね。
で、このブッドバイオスという考え方があって、
でも本は読むんですよ。
こういうことがあるので、私は父には買わせたんですね。
買ってくれるじゃないですか。
バンバン出してる時はダメですよ。
年に3回とか4回とか出してると買ってくれなくなりますけど、
年に1回ずつぐらいしか出してないと買ってくれるんですよ、親だから。
で、母も読むじゃないですか。
非常に楽ですよね、その後。
ちょっとずるいとも思うんですけれども、
本を読んですごく感心したとか感動したとか、
そういう反応にはならないんですよ。
でもあれを一読してしまえば入っちゃいますよね。
で、入ってしまったらですね、私は入ってることを知ってますからね。
非常に話が通じやすくなるんですよ。
そういうことってあるんですよね。
これはもっともっとずっとテクニカルな本でも起こることです。
父はですね、そういうのが多少好きで、
私の緑の技術評論者から出ているタスクシュートの本を読んだんですね。
結構興味深く読んでて、付箋どこまで貼ってあったりするんですよ。
父にタスクシュートは無理ですよ。
タスクマンも絶対無理ですけど、
あれが入ってしまえば話はしやすくなりますよね。
結局私の側からすればですよ。
私の書いた本なんだから。
だから通読してしまって、付箋まで貼っちゃったわけですから。
非常に話はそのままやっぱりしやすくなるんですよ。
いろんな意味でですね。
必ずしも時間管理の話でなくてもですね、
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共通言語ができてしまうっていうのかな。
父の私に対する反応も大きく変わりましたから。
60歳過ぎてからですからね、父がね。
普通そういうことってなかなか期待できないじゃないですか、もはや。
確立してしまった親子関係においては。
だから家では置いておくんですよ。
別にグッドバイブスを解くことは全然しなくても。
一番やっぱり違うなと思うのはですね、
奥さんも大きく変わるんですけど驚きますよね。
言わないですけど変わるんですよ。
で、娘がまた変わる。
娘はこれは結構倉園さんのファンで、
本全部読んでるんですよね。
何かと定期的に読むんですよ。
で、特に今回の文庫は熱心に読んでいて、
そんなに僕は、僕なんかよりは遥かに
ある意味恵まれて育っている面もあるんですけど、
グッドバイブスな人間なんで、
そんなに違わない気もするんですけど、
違うんですよね。
どこがどうっていうのはちょっと難しいんですけれども、
非常に通じやすくなるっていう感じがします。
寝っ転がりながら読んでるんですけどね。
今回は特に用語が一般用語に寄せてあるんで、
娘なんかからするとやっぱり読みやすかったり、
まだ娘は小学生なんで、
今専門用語が急速に入ってきている時期なので、
私たちに比べるとやっぱり、
いくら一生懸命それを噛み砕いて
知識を増やそうとしていても、
新しい用語が多いんで、
そこにさらに新しい用語が入ってくると、
全部同じように新規用語なんで、
厳しいわけですよね。
今回はそれが少なかったんで、
多分読みやすかったと思うんですよ。
理解度がもうだいぶ高いと思うんですね。
そうすると変わるんですよ、これが。
非常に不思議です。
例えば、これも小学校、高学年ぐらいになると
よく起こることなんですけど、
友達関係でいろいろと難しい局面が増えますよね。
でも非常に楽に対応できている感じがあります。
非常に不思議なんですけどね。
だって別に娘もその辺は承知しているんで、
友達にグッドバイブスを説くわけにいかないじゃないですか。
そういう考え方もあるんですけどね。
だから結局そこは私たちと同じように
知っているとしても、
それなりにややこしい対応を
24:00
ひとつひとつ手間かけてやっていかなきゃならないんですけど、
やれるようになるんだなっていうのを見ていて非常に感じます。
だからですね、ぜひ、
この動画を見ていただきたいと思います。
ぜひではないけど、可能であれば身近な人に
紙だったらですね、そこら辺に置いておく身近な人がいればですね、
ことで一定の効果があるかもしれない。
結局タイトルはごく普通じゃないですか、今回は。
1・0という言葉は若干独特かもしれないけれども、
1・0という言葉は、
1・0という言葉は若干独特かもしれないけれども、
ものすごくタスクシュートみたいな
説明を必要とする用語ではないので、
そんなにその後に触れてしまったときの拒否感応みたいなのは
出にくいと思うんですよね。
スピっぽくないと言ったらいいかもしれないです。
これもですね、小学生の高学年くらいの子になってくると
スピっぽいものを非常に嫌う子って出てくるんですよ。
うちの子そうなんですけどね。拒絶するんですね、昔と違って。
それはもうダメだって感じになるんですよ。
どう考えてもそれは認められないって感じになるんで。
そうならなくて済んだというのも、
自分の親が書いてるっていう面もあると思うんですけど、
まあまあ良かったなと思ったんですよね。
分離しないっていうのは、
最後に戻してるんですけど、
分離しないというのは最終的には復習しないっていうことになるのかなと思っています。
途中話したみたいに、資質が多すぎるじゃないかというのは、
結局この不安を取り除いてくれっていうことなんですけど、
世の中で普通にやってることの意味からすると、
それって軽い復習な感じがするんですよ。
別にそれをわざわざ伝えに行かなくても、
いいと言えばいいわけですよ。
自分が嫌な目にあったからと言って、
人を嫌な目に合わせなくてもいいっていうのは、
別にグッドバイブスであえて解かれるような話じゃないじゃないですか。
ここに一つ意識か分離かっていう話をするからこそ、
グッドバイブスを話すわけであって、
普通はそれは軽い復習、やり返している感じとして捉えると思うんですよね。
1個や2個じゃどうってことなんですよ。
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これを日常、半時でやってるから問題になってくるわけで。
私はそれをただ分離と捉えると見たときには、
日常で家族内で人を分離していたら、
もののない感じとしては良くなくなりますよね。
分離ってのはどんな時でも仲間外れってやつで、
家族でなくても当然一定の空間内でそれをやってしまうと、
ことなわけですよね。
ことが起こる。
逆をやっているというつもりのケースもあるわけですよね。
私分離されてますからみたいな。
私はでもあれはですね、非常に微妙だと思うんですね。
会社でも私はこう被害にあってますからっていう、
ブログなんかでもそういう独特のPR感があるケースってありますけど、
家でも思春期の少年少女があれをやりますよね。
私は放っておいてくださいってやつですね。
でもあそこには放っておき仲間外れにされるというケースにおいて、
正しさを自分が持つと結局、
相手からすると分離された感が入室に出ると。
だから分離っていうのは厳しいですよね。
分離するときは絶対に今のようにですね、
正しさを持っているんですよ。
分離しようとしているが、
持とうとしているが、
分離された感が入室に出る。
正しさを持っているんですよ。
分離しようとしているが、
持とうとしているというのかな。
さっきの話で言えば、
そういう支出をしないように心がけるのが正しいって、
結局それに汗が出ちゃうじゃないですか。
だから攻めるわけですよね。
犠牲になっているってことは正しいんですよ。
犠牲になっているほうが、少なくともそう主張している場合には。
これをやられるときついと思うんですね。
だからこれまで私が分離しないというのを選択できずにいたのは、
気色悪いっていうのがちょっとあったんですよ。
仲間外れになっているのが嫌だから、
仲間に入れてもらいに行くっていうのも癪に触るし、
みんなで肩を組み合うみたいなのも気持ちが悪かったというのがあって、
そうじゃないアプローチっていうのが、
なかなか考えつかなかったところがあるんですね。
特に私はそういうのが苦手だったということもあります。
本当に幼い頃から苦手だったんですよ。幼稚園時代ぐらいから。
でもそういうのが分かるという人はいっぱいいるので、今の時代。
ついついですね、いいじゃん。
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放っておいてもらえればっていう感じでずっと来てたんだけど、
ということではないんですよね。
別に肩組みに行く必要も仲間に入れてもらいに行く必要もない方法なんで、
そこもまたいいかなと思っています。
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