1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 知識ではなく理解を求める【10..
2024-10-10 51:11

知識ではなく理解を求める【1067】

KとLとHについて頑張って考えてみました。
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おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、【1067】をお送りします。
10月の10日。10月10日、昔の体育の日ですね。
7時35分です。 簡単なお知らせから参りますと、
間もなく10月13日、こちら早割り終わってしまったので、申し込まれることはあまりないかもしれませんけど、
私のタスクシュートと先送りと、この精神分析的な発想等を踏み合わせたもの、
ちょっと今年の集大成をここにぶつけておこうと思います。
この次は、タスクシュートの協会の理事さんたち、つまり大橋哲夫さんとJ松崎さんによる総決算。
これでおしまいに今年は、リアルはそれでいいだろうと思ってます。10月と12月ですからね。
11月は、タスクシュート手帳術の会とか参加させてもらいますし、運営もするんですけど、
ここも盛り上げ方を考えていこうと思っておりますけど、それでないやつは、これでリアルはおしまいでいいかなと思っております。
よろしければ、たぶん後ほど動画配信とかはできると思うので、そちらでもチェックしていただければと思っております。
10月13日じゃなかったか、14じゃないよね、13だと思うんですよね。
13日の日曜日の、13時からなったのかな。
ちょっと13だか14だか厳密にわかんないですけど、たぶん13時あたりから、13時半かな。
リアルで、人望帳でやります。
こちらもご参加何名かいただいておりますし、動画配信であと見ていただいてもいいかなと思っております。
まだ満員ではないんで、リアルでしかやりませんから、ハイブリッドではありませんので、リアル会場の席数に限定されます。
あんまり広い会場でもないですからね。
こちら、お申し込みもしいただければ幸いです。
もう一つ、間もなく第7期の参加月チャレンジが終了いたします。
こちらは継続という制度もあるので、継続お申し込みの方も何名か既に決まっていらっしゃいますので、
03:01
新規の枠は、最終、人望帳が終わってから新規の受付をしたいと思っておりますので、
それは様々なお申し込み方が考えられると思うので、
その辺を後で何かノートかなんかにまとめて発信させてもらおうかなと思っております。
おそらく2、3名新規での受付はできるんじゃないかなと思っているのと、
私これをですね、何とか自分の仕事の最終形態っていうのはおかしいんで、
何と言えばいいんですかね、こういうのをね。
ライフワークとかっていうのかもしれないですけど、
でもライフワークとかって言って、じゃあ70になってもそれすんのって言われると、
ちょっとよくわからないんですよね。
そんな厳密に考える必要はないと思うんだけど。
これをやっていくぞと思っているけれども、
最終的にはどうやるのが一番いいんだろうかというのは、
まだちょっと検討しなければならないなと思っているので、
でも案外これやる方あるかなっていうのもあるんですけどね、本当にね。
皆さん、当事者研究の人とか一体どうやって運営されてるのかな、
今度そういうのを研究しようと思ってるんだけど、
多分それって一つ一つ相当違うと思うんですよ。
AAとかね、100チャレもある意味そうだと思うんですけどね。
なんかこう当事者研究というものについて考えようとは思っているんだけれども、
まだちょっとその辺が曖昧なままです。
それと精神分析っていうね、いかにも当事者的じゃないじゃないですか。
非常に権威的なところがあるので、
それはどう合流できるんだ、多分そういうことですね。
当事者と専門家というのは山崎隆明さんの最新刊で、
そのイベントを僕も2つ3つ拝見しているところなんですけれども、
そこで話題になっているテーマというのは結局そういうことですよね。
読んだことにより全てが解決したって感じにはなりませんけれど、
まあでも既にそのテーマが扱われているものがあるっていうのは良いかなと思っています。
話それましたけど、そういうわけで現在第7期の3ヶ月チャレンジ最終月となっておりますので、
来月、厳密には今月末からスタートしますので、随時チェックしておいていただけるといいかなと思います。
今日はですね、リクエストいただいて、昨日最後の方にちょこっとだけ無理やり喋っておいた、
精神分析的ポッドキャストと言っておきながらタスクシュートの話で終始するのは嫌だったので、
というたったそれだけの理由で、とりあえず普段よくわかんないから言及できずにいた、
BEYONDのね、初期、前期のBEYONDなのかな、前期のBEYONDの非常に大事な概念だと思うんですけど、
06:02
よくわからなかった記号論、KLHですね。
こうなってくるとさ、あれじゃないですか、KLHとかって言い出し始めますとですね、コンテナコンテインドもそうなんだけど、
フロイトから遠すぎるじゃないですか、フロイトもなんかKLHとか絶対言いそうにない感じの、すごく関係あるにせよですね。
まだ、戦亡とか死の欲動とかいうのはフロイトっぽさが強いんだけど、
なんかこうKLHってなってくると、グリッドとかもそうですけど、ホントフロイト的じゃない感じがすごいするんですよ。
フロイト図とか書きましたけどね、でもフロイトの書く図のイメージとグリッドってすごい遠いなーって感じがしましたね、僕は。
だからあんまりこうBEYONDっていうのは、BEYONDの論ってすごい面白いなぁと思うんですよ。
わかりもしないのにBEYONDの本って、何冊か読んで、少なくともウィニコットよりは読んでるんですよね。
ウィニコットのってなんかですね、実は結構ややこしいこと書いてるくせに、すっごいわかりやすいような顔をして、
そういう意味でちょっと批判じゃないし、むしろ称賛のつもりなんだけど、
東方カイトさんを思わせるところがあるんですよね。
東方さんの本も、うちの奥さんとかが、わかりやすいよねと言いながら読んでいて、
多分、わかっている感じが、これはうちの奥さんの批判にもなりかねないんであれなんですけど、なんつーのかな、その、
うちの奥さんはいるのはつらいよとかを読んで面白いと思う人だから、わかるんですよ、読んでいて。
でも、あそこに背景にビヨンがあるとか、クラインがあるとかは、
書いてあるからわかるっていうレベルは脱しないと思うんですね。
読んでないんでそっちの方とかに。興味も多分そんなに集中的には持ってないと思うんで。
別にそれは普通なんですよ。むしろわかっている読者なんですよ、それは。
でも、それはなんつーのかな、なんと言えばいいのかわからないんですけれども、
それで、言わんとすることの概要をつかみ取ってはいるんだけど、
えーと、なんと言うんだろう、それを例えば精神分析だと思っては読んでないみたいなのって不思議じゃないですか。
でもその不思議を、なんて言うんだろう、成立させてしまうものがあるんですよね。
で、ビヨンはそれをなんか許さないというか、そうはいかないというか、
ビヨン読むとよく感じることなんですけれども、
えーと、分からせようという気あるがこの人って思うんですよ。
フロイドにもそういうところが、あの人は多分分からせようという気はあると思うんですけどね。
ウィニコットは分からせようという気はいっぱいあると思うんだけど、
でも、かえって分かりにくくなっているような気もするんですよね。
子供はなぜ遊ぶの?なんていうタイトルを読むとですね、
いやもう本当に分かりやすそうな、いい感じのタイトルだなと思うんだけど、
えーと、実はそこで書いてあることは、あれはウィニコットの精神分析論だと僕は思うんですけど、
09:00
全然そういうニュアンスが見えてこないんですよ。
それがすっごい気になるんですよね。気になるというのは、
あの、正しい本の書き方だ。やっぱ本はこう書くべきだって思う一方で、
果たしてこれでいいのかって感じもする。
あの、タスクシュートでもこういうことはできちゃいますね。
なんかね、タスクシュートを使えるようにはならないんだけど、
タスクシュート的な時間術を書いておいて、
あ、すごいこれは分かりやすいわっていう気持ちに読者さんを誘っていくことはできる。
で、それは正しい感じがするんですよ。商業出版としては。
というか、まああのあれですよね、出版社とか編集さんにはそう書くように求められますよね。
そう書きなさいって感じのプレッシャーありますが、
えーと、果たしてそれでいいんだろうかみたいな、
なんかこう、タスクシュートを剥ぎ取ったタスクシュート本みたいなものは作り出せるんですよ。
きっとその本がいいんだろうなって、あれですよね、あの、
数式の出てこない数学の本みたいな、
数式を一つ書くと読者を失いますみたいなことをよく言われるんで、
数学者悩むみたいな話あるんですけど、
あの、そういうことだと思うんですよね。
そういうことじゃないのかもしれない。
よくわかんないですけど、まあLHKの話をしようと思うんですね。
で、いきなりなんですけど、このLHKにはいちいちマイナスが付くやつがあって、
マイナスL、マイナスH、マイナスK、だけど、
なんかですね、まあ僕は松木さんの本でこれは理解した気になりましたので、
でもまあ、藤山直樹さんの本も一応読んで確認してるんですけど、
マイナスLとマイナスHについては全然わかる説明がない。
納得のいく説明が一個もないので、
かつあい、これはですね、もう、あの、
美容もちゃんと書いてないみたいなことを松木さん書いてますけど、
マイナスLとマイナスHはよくわかんないので、
マイナスKが大事だっていうことは、なんかこう、ど素人感的にもわかります。
マイナスKが多分肝だと思います。
で、マイナスKとβ要素の違いがよくわかんないですよ、僕には。
あの、いや、これβ要素の話にしか思えんっていう、
まあなんなら、やっと重症のPSポジションの話をしてる。
だからつまり、急性の統合視聴症とか、
えーと、妄想性のパーソナリティ障害とか、
その辺の話に、だということでいいんじゃないのって感じがしちゃうんですね。
わざわざマイナスKと読んでるのは、まあ、わからなくはないんだけれども、
とりあえずまずその辺の雰囲気のことを言ってますっていう、
こういうのをつかんでいくのが、なんか僕は精神分析というものの、
特にこう、現代クライニアンとかいう話を読むときの大事さかなと思って、
大事さっていうか、えーと、取っ掛かり方かなと思うようになりました。
いや、あの、めっきり寒くなってですね、話飛ぶようなんですけど、
寒くなったために、こう、今ここで収録してても寒いんですけど、
こうやって、ちょっとこう、熱っぽくなって喋ると、
顔だけが熱くなってきて、すごい困るんですよ、本当に。
12:04
昨日もタスクシュートのことを喋ってるうちに頭ぼーっとしてきて、
でも足は寒いみたいな感じでね、
昨日はアディクションとタスクシュートみたいな話をしたわけですけれども、
とにかくこうですね、なんていうのかな、
あれ、これがまさにそうだと思うんですよね、今ちょっと水飲んだんですけど、
つまり、メロキソニーという言い方をしたんですけど、
快と不快を取り去るってことの、この切実さにおける接近戦みたいな、
まああれですよね、ものすごい暑いサウナに入った後、
水風呂に入ると、うわ気持ちいいとかになるじゃないですか。
あの快感ってやつですよね。
苦を取り除く快感。
これとアディクションっていうのは本当僕は、
もうそこに快感はないってわけじゃないんですよ。
ただそこでの快感は、二次的な役割しかないという言い方をしておかないと、
なんでそれを繰り返すのかの説明がすごいつきにくくなると思うんですよね。
だから苦を取り除きたい人がアディクションになりやすいのは、
その苦が繰り返し繰り返しすぐやってくるからじゃないですか。
腰痛持ちって腰痛に腰がいつも痛いわけじゃないですか。
理由はともかくとしてですよね。
だからロキソニー張りまくるっていうのは、ロキソニーを愛してるからじゃないと思うんですよ。
愛してるかもしれないけど、
苦痛を取り除けるっていうのが、我々にとってどんなに大事な意味を持つかと、
それが執筆化する最大のポイントになるかという。
ここのところで僕は精神分析っていうのは、
すごい非常に正しいことを詰めてきてるなと思うんで、
ちょっと絡まなかったんで、話元に戻しますね。
マイナスKね、マイナスK。
だからL・H・Kっていうのは、つまりLが愛ですね。
愛のようなものですね。
愛っていう言葉を知らなくてもLは出てくるんで、赤ちゃんがL使うんで、
まさに愛のようなものですよ。
だからHは憎しみのようなもの。
ヘイトね、ヘイト。
ラブとヘイトなんですよ。憎しみのようなもの。
で、この2つだけで言ってしまうと、人間関係は破綻しますよと。
なぜなら人間関係っていうのは、現実原則に沿って関係しなければなりませんので、
ノー、ノーイングっていうのかな。
知りつつあることって言うんですよね、きっとね。
ヘイ、これが大事。
少なくともビオンはそのようにすごく考える人なので、
考えるってことがすごく大事で、この場合の考えるは、
いわゆる思考とすごく、世の中で言われてる思考と違うんですよ。
よく言うじゃないですか、ライフハッカーの人が、
なんかこう、アイデアマラソンみたいな。
頭からアイデアというものを、
一人で生産しちゃうんですよね。
で、そういうのは、
落ちたかな、なんか言うんですよね。
精神分析の世界では大変よろしくないとされているわけですよ。
勝手に考え出すものはもうファンタ、
ファンタザイングとか言うの?
なんかよくわかんないんだけど、とにかくもう、
妄想なわけですよ。
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必ず目の前の現実において、
目の前にある考えられていないことについて考えろってわけなんですよ。
それをまたね、ビオンは記号化して、
オスメスで表現するわけですね。
つまり考えられない考え、アンソートソートってやつね。
それは、赤ちゃん泣いてますと。
考えられてないから泣くわけですよ。
グワーって泣くわけですよ。
グワーって泣くじゃないですか。
考えてないわけ、赤ちゃんは。
考えるってことはできないんで、グワーっと泣く。
そうするとグワーっと泣いているというこれが、
空中に漂うというか、その眼前に現れるわけですよね。
考えられない考えってのが吐き出されてしまって、
これをお母さんが考えるわけですよ。
だからオスメスなわけね。
メスは包み込むというわけ。
これが子宮を連想させているわけですね。
オスはまあペニスですよ。
考えられてない考えはペニスなんです、いつも。
だからそれを包むと。
そうすると考えが生まれるわけ。
これがセックスを当然連想させているわけですね。
だからオスメスなんですよ。
だからこのKというのはそこですごく大事なんですよ。
だってKはknowingなんて、知りつつあることなんて。
で、マイナスKというのは、
考えないとかではないんですよね。
考えないんだけど、
考えないということによって不毛なものを生み出す。
不毛だから生み出さないんですね。
何も生まない考えなわけです。
だからマイナスKなんですね。
これを2つあって、
2つっていうか2つ以上あるんだと思うんですけど、
少なくとも2つはあって、
だからやっぱりLHKなんだな。
LHマイナスKなんだな。
このLHマイナスKっていうのはきっと全部悪い意味なんですよ。
Hはヘイトだから悪いとして、
Lがなぜ悪いか。
これがですね、
ここで僕は、
このLを乱用するというか多用するというか、
Lでことを済ませようとするのは、
カウンセリングではないと思うんですね。
どうしたってですね、
どうしたって悩んでる人は、
Lを求めちゃうわけですよ。
なんかね、こう直感的にこれがわかる人っている気がするんです。
僕はね。
あんまり理屈っぽくなると、
だから知的合理化とかっていう話になってくるんだけど、
防衛ですよね。
知的防衛ってことになるんだけど、
でも頭を悩ませないんだったら、
よしよしやるだけで、
マネジメントしかしないんだったら、
やっぱりそれはですね、
何も生み出さない恐れが濃厚なんですよね、きっと。
本当に難しいんで、
ここで多分僕らはつまづくんだと思うんですね。
で、つまづくのは、
失敗は、
程よい母親は失敗するんで、
いいんだけど、
でもラブに訴え続けてきたものに、
ラブで返してしまうという、
Lを望み続ける。
赤ちゃんはLを望んでるわけですよね。
だからそれに対してLを返すということをしていると、
18:01
進展が何もなくなってしまう。
だけどこれをどうしてもやりたくなっちゃうというところが、
転移性恋愛とか言ったりもするわけですけど、
転移性恋愛って結局ダメじゃないですか。
フロイトとドーラが恋に落ちても何も生み出しませんよね。
そこもね、
そこら辺は実論で、
フロイトとドーラが駆け落ちして電車に乗ったら、
素晴らしいものができたかもしれないじゃないかって言われると、
もう何も言えないって感じはするんだけど、
でもなんかやっぱり少なくともそれは倫理的じゃないっていう、
ここで倫理持ち出すのもつまんない話だなって感じはしますが、
なんかやっぱりLさえ返しとけばいいっていうのって、
ダメな気がするんですよね。
すっごい切実にLを求められるというのは分かるんですよ。
僕がそうだったんですよ。
結局大学時代、
切実に女子の多い大学に僕が行くのはナンセンスだったと思うんですけど、
男子の多いところに行っとけばことはもっと楽だったと思うんだが、
しかしあれでよかったんですよ。
ウィニコットは侮れないなと思うんですよ。
僕はもう失敗しまくりで失敗のオーダーが4桁に達してたんだけど、
だから今こういうことが理解できるようになってるし、
こういうことを仕事にもできるようになったんだなという気がするんですよね。
やっぱLを切実に求めまくり、
誰もLを返してくれないという体験をするっていうのは大事なんですよね。
そうすることによってヘイトが出てくるわけですよ、自分の中からね。
当たり前なんだけれど。
そして僕は全然Kを使う気がなかった。
この事態が何を意味しているのかを当時考える気が全くなかったんですよね。
代わりにでも考えてくれてた人がいる。
だからコンテナなんですよ。
私のいわゆる担当教官、指導教官は、指導教官とは当時は言わないけどね、
私ただゼミ生だっただけだから。
でも私のことを明らかにKしてくれてたわけですね。
君は結婚はできるんだからと。
そして頑張れば物を描けるようになるんだから。
ただしフィクションはあんまり向いてないと思うねって。
全部当たってるわけですよ。
当時私に何が起きてたか彼にはわかるわけ。
これがだから泣く赤ん坊は僕ですね。
それをあやして意味を与えてくれるのが当時の私の指導教官なわけですよ。
でフロイトの本くれて、これが生み出すものとして良かったのかどうか知りませんが、
それを読んで私が今サンチャレみたいなものをやってるのは、
つまり彼と私の間の子供なわけですよ。
こういう考え方なんですよ、精神分析ってきっと。
この子供は、いやその子供はいびつだと言われりゃ、
まあそういう言い方もできるかもしれないけど、
いびつであろうとなんだろうと不毛じゃなかったってことが大事だと思うんですね。
つまり私がそのゼミに入ったのは単なる偶然と誤解の産物、
あと私の怠惰の産物なんだけど、
何の産物であろうと産物があったということが大事。
産物って言いますでしょう。
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生み出されたものなわけです。
3ヶ月チャレンジが、まあこの私の指導の先生はもう亡くなっちゃってますけどね、
亡くなっちゃっててもできちゃうんですよ。
ここがすごいところですよね。
生み出したのはその先生じゃないじゃんっていうのもあるんだけど、
これは観念の世界ですからはっきり言って。
これでいいんですよ。
いいんだと思うんだよねやっぱりね。
まあだから経営すごい大事ってことです。
あの先生はLにLを返してはいくらかはくれたと思うんだけど、
Lを基本的に返してはくんなかったわけですよね。
ひたすら経営をしてくると。
ひたすらその状態はどういう状態なのかを教えてくれると。
これがこの辛さに持ちこたえなきゃいけないわけです。
僕は持ちこたえられてなかったんだけど。
でもまあ持ちこたえてたからゼミ行ってたわけじゃないですか。
ゼミに行ったって彼女できやしないんですよ。
だからゼミに行ったって虚しいだけなんだけど、
そういう意味では当時の私にしてみりゃね。
ミルクがもらえないのに、でもミルクはくれるんですよね。
経営はミルクなんですよ。
会釈はミルクですってメラニクライン言いましたけれども、
そういうことなんですよね。
今情緒的に出会った二人が、
二人が出会うと情緒的になってしまう。
昨日猫の話をしましたけどね。
猫の話、つまり猫と人が出会うと、
そこに経は、経ないじゃないですか。
猫に向かって私は怪しいものではありませんとか言って無駄ですよね。
逃げる猫は逃げます。
つまり飼い主と猫の関係はLがあるからそれでいいわけ。
猫は眠ると。
寝てられるわけですよ。
Lがなければ寝てられない。
だから不眠で悩む人はそういう意味ではLがないんですね。
その場合やっぱり経が必要になってくるわけですよ。
精神分析科なり心理カウンセラーなりに行って不眠を訴える。
まさにそうじゃないですか。
Lが足りませんって言ってるわけ。
その時によしよしとしてあげて、
そこで子守唄を歌ってあげるわけにはいかないんですよ。
やっぱりカウンセラーはね。
まさに金型カビさんがそのことを書いてましたよね。
カウンセラーのところに行って、
もうそんなカウンセリングとかいらないから、
ハグしてくれよ、抱きしめてくれよって言ってるんだけど、
そこで抱きしめちゃダメなんですよ。
なので訴えられますよね。
それは世知辛い世の中だとかじゃないんですよ。
そこで後で訴えられるのは、
LをLで返してしまうと、
Lを求められたからってLを返してしまうと、
いつかそれはHに変わるだけで、
ヘイトに変わるだけで、
自体は一向に進展しないんですね。
やっぱりなんで永田カユさんは、
そうまでLを寄給してるのかということを、
情緒的に出会いながらも、
その情緒の嵐はどういう意味なのかを、
大体お母さんの話になるはずなんですけど、
ノーイングしていく、
つまり分かっていきつつあるという、
分かることはないんで。
知識で真実を埋めることはできないんで。
24:01
未法は未法は書くんですけどね、
まつきさんも美容も書いてるような気がしたんだけど、
未法はなんですよ。
絶対法はできないっていうことですね。
法はしてしまったらマイナス形なんですよ。
きっと。
よくあるじゃないですか。
なんていうのかな、
答えが分かっちゃってる人からの返し、
僕が情報発信という言葉が好きになれないっていうのは、
いつも法はしてしまってるからなんですよ。
なんとか言っておけばいいってことには、
ならないはずなんですね、そういう時に。
よく転移性恋愛で、
よくじゃないんだけど、
永田カユさんが書いてました。
あの、所詮はサンプルなんでね、
本当のことじゃないと思うんですけど、
ある女性のカウンセラーさんが、
永田さんはスーパーバイザーなんだけど、
転移性恋愛で困ったと。
クライアントの男性が迫ってくると。
もう、そうなりますよね。
それはね、僕みたいな奴がいけば絶対そうなったじゃないですか。
大学時代、もうちょっと彼女できなくて死にそうだ、
みたいになっている人がやってきて、
目の前で知的に説明してくれて、
優しそうな女の子いったら絶対恋愛しますよね。
そして、それもういいから、
これから付き合いましょうと言いますよね。
それに対して、
何と答えるかって、
この何と答えるかがまさにマイナス形ですよ。
何と答えるかとかじゃないじゃないですか。
そこで何が起こりつつあるかということを、
理解していくっていうのが、
やるべき作業なわけで、
困ったからどういう答えを返せばいいでしょう、
っていうのはあまりあるあるんですよ、一応ね。
お気持ちだけいただきたいとかっていうわけですよ。
言ったってことに戸垣さんの本ではなってるんだけど、
そんな事実があったのかどうか知りませんけどね。
とにかく、
そしたらクライアントがめちゃくちゃ収まらないわけですよ。
最後にその女の人が殴られそうになったことになってるんだけど、
作り話だろうと僕は思ってますけど、
とにかく、
お気持ちだけいただきたい、
これがつまりマイナス形ってやつだと思うんですよね。
マニュアル的に応答してしまう。
正しい答えを言ってしまう。
その正しい答えというものは背景に情緒というものが欠けているので、
だって君そんな気持ち欲しくないと思ってるのは、
もう相手からすれば確実なんで、
だからお気持ちだけいただきたいというのが本当ならいいんですよ。
本当にその気持ちが欲しいと思ってんならいいんだけど、
多分そうじゃないんですよ。
それはクライアントからすると許しがたいことなんですよ、
そういうことを言うってのはね。
この辺のことが直感的に分かるか分からないかっていうのは、
私はカウンセラーの資質的な、
カウンセラーの資質なんてこの場合どうでもいい話ですが、
やっぱりカウンセラーの資質ってのは、
求められたLにどうするかっていうところで、
どうしてもやっぱり多少現れるだろうなと。
ちなみに私にあるって言ってるんじゃないですよ。
私は心理カウンセラーやるつもりはないんで。
ただこの種の話は大事だということです。
個別セッションというものをやるときに、
27:01
Lを支給されたらどうするのかぐらいのことは、
やっぱり個別セッションをやる全ての人は認識しておいていいと思うんですよ。
だって私のような人間がコーチングを受けても事態は変わりません。
綺麗なお姉さんがコーチしてくれたらすぐ恋愛しそうになりますよね。
大学当時から30前ぐらい、10年以上の私は絶対そうです。
そういう人間はいっぱいいます。
かけてもいいけどいっぱい。
だからそういう人たちにコーチングの人たちがどうあしらうのかは知りませんけれども、
このLを求められたときに、Kがそこで使えるのかどうか。
マイナスKになったり、LにLを返してしまうという。
LにLを返すというのはやっぱり赤ちゃんが泣いてりゃ、
とにかく授乳すりゃいいでしょうってことになるわけですよ。
とにかくミルクあげるからみたいに。
このミルクをあげるという行為はラブだから全然いい感じがするんですよ。
誰もこれを難じることはないと思うんですね。
これは比喩ですからね。
母親の子育ての話してるわけじゃないですからね。
ここはすごいポイントですよね。
これは比喩なんですよ。
比喩だってことは、つまり愛に愛で返すという行為をするということが、
我々は大抵の場合批判はしない。
もちろん来ているクライアントさんを抱きしめるというのは批判されると思います。
でもそれはある意味今だからであって、
昔はされなかったじゃないですか。
キリスト教のところに行って、ジーザスのところに行って、
ジーザスがその女の人に手を振れるとか抱きしめるとかOKじゃないですか。
セクハラだとかいう人は多分当時はいなかったと思うんですよ。
あれが実際に行われたんだとして。
盲目の人が目を開いたとか、大変危険なことが起こるわけです。
良いことだって通話されますけれども、
当時でさえそういう行為というものに対して非常に危険だと思う人がいたから、
あれは結局張り付けとかになっちゃったりしたわけじゃないですか。
この行動ってのは非常にこう、
ラブにラブを返すというのは人間関係の中においては、
ものすごくシチュエーションを選ぶんですよね。
だから現代社会そこが特に今の日本はうるさくなっている感じがして、
それはやむを得ない面もあるんですよ。
単にセクハラかどうかって話をしてるだけではないと思うんですね。
だから猫はいいんです。猫はラブが帰ってきた。寝よう。これでいい。
なんなら頭をなでなでしても、猫にセクハラしてるっていう人は誰もいないじゃないですか。
これはすごい僕は、多分今のは冗談だとしか思われないと思うし、
僕も冗談のつもりで喋ってるんだけど、
本当はもっとここにはややこしい意味が、
ややこしい意味について考えなくてもいいんだけど、ややこしい意味があるんですよ。
なんで猫はなでなでしても全然誰もそれは嫌なことだとか気持ち悪いことだとは思わないのかっていうのは、
猫にはラブしかないからなんですよね。
30:01
猫の情緒に対して誰も敬語、猫に対して今ここでこう怒ってる言葉とかあって、
あなたは娘代わりになっていてとか絶対理解しないんで、だからいいんですよ。
絶対理解できないことは誰も求めているというふうに考えることはないんでいいんですよね。
とにかくこの情緒というものが2者の遭遇では絶対起きる。
ヘルカエイチというものがそこで必ず起きるんだけれども、
それを真実に向かっていくという、そこで起きていることをなるべく理解するようにとりあえず努めると。
そのうち王とかいうのを美音は言い出して、非常に困るんですけれども、
とりあえずは僕はKだなっていう感じがするんですよね。
それは精神分析であってもなくてもですね。
そこでもちろんLを返すってことは一場合に応じてあり得ることだと思うんですよね。
昨日もマネジメントって話しましたけど、
でもやっぱり赤ちゃんのミルクを求めているときは愛を求めているわけなんだけれども、
そこで理解も求めているわけですよ。
ただミルクだけ戻ってくるということは、
良くないことだという、良くない、まぁ良くない、
あまり良いことではないっていうのを直感的に分かる人と、
それは理解に苦しむという人とはあると思います。
あると思うんだけれども、やっぱり人間ってのはそこで理解ってのを返してあげる必要が、
つまり赤ちゃんに少なくともまず、少なくともというか、
普通はそうするんだけど、大丈夫だからって言うんですよ。
大丈夫だからっていうのは理解でしょう。
このままでは死ぬというか、このままでは破滅だって言ってる赤ちゃんに対して、
大丈夫だからって言ってるのは、お母さん大丈夫だってことを知ってるわけですけれども、
大丈夫だから、私はここにいるから、でもいないかもしれないじゃんみたいな話あるわけですよ。
だけれどもいるから、大丈夫だからというのはノーイングですよね。
赤ちゃんはそういうことを即座には理解しないけど、
ああ大丈夫なんだなといずれは分かっていきますよね。
分かっていくんですよ、赤ちゃんはね。
同時に確かにミルクももらえるんですよ。
この形が大事だと美音は言ってると思うんですよ。
この大丈夫だからとか、安心していいからというのを一切すっ飛ばして、
うるさいからとにかくミルクあげるから泣くのやめてみたいになるというのは、
プログラムが足りない、持ちこたえられてないですよね母親は。
そうすると赤ちゃんは持ちこたえられないということから、
持ちこたえるということを全然学ばずに、
全然学ばずに愛だけ戻されるみたいな感じに多分なるんですよね。
こうすると、ややこしいことが残る。
要するにベータ要素が残るみたいな言い方になるんだと思うんですけど、
要するにPSポジションから出られないという言い方もできると思うんですが、
要するに経がないわけです。理解がないわけです。
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考えられない考えを誰も考えてくれないので、
考えられない考えに圧倒されるという状況が残っちゃうわけですね。
このままではダメなんじゃないかと。
だって私たちそういうことっていっぱいありますよね、我々の周りには。
例えば、歯医者さん行ってもうーってなってる人いるわけじゃないですか。
ダメだこのままで破滅だと思ってる人がいるわけじゃないですか。
お医者さんが大丈夫ですから大丈夫ですからって言わないかもしれないけど、
まあ言うよね。
注射されることに対して破滅感を持ってる子どももいっぱいいるけど、
大丈夫大丈夫って言うじゃないですか。看護師さんとかがね。
あれは全部何に気休めで言ってるわけじゃなくて、
本当に大丈夫だってことがわかってるわけですよね。
だから本当に大丈夫なわけですよ。
そのうち子どもは成長するにつれて大丈夫なんだっていうことがわかるわけです。
そうすると痛みがなくなるわけじゃないけれども、
痛みだけで済むようになりますよね。
痛みプラス破滅の苦痛みたいなものはなくなっていくわけですよね。
なんでそんなに泣いてたのかわかんないっていうことはあると思うんだけれども、
昔泣いてた時はつまりそれについて考えるってことができる。
考えてないじゃないですか明らかに。
うおーって泣くだけじゃないですか。
考えられない考えというものを誰かが考えてあげる必要がある。
これがコンテナーなんで、
その考えるってことがつまり経営だってことなんですよ。
ここまではまあまあ今までのウィニコットとかそういう話でも全然いいと思うんだけど、
ウィニコットとかだいぶ前に喋ったっきりしばらく喋ってなかったんで、
これは無責任に喋ってるだけなんですけどね。
ちなみに僕の言ってることはここでも正しがきつけておきますけれども、
全部嘘かもしれませんからね。
本当にそういうふうに思っておいてください。
これはもう専門家じゃないし病も一冊半を読みかじったという程度なんで、
基本的に松木先生の本を読んだだけなんで、
僕の先生じゃないですけど、あと藤山直樹さんの本を読んだだけなんで、
あと最近では東方カイトさんの本も読みましたけど、
KLHは出てこなかったんじゃないかな雨の日の心理学には。
ちょっと忘れました。今確実じゃないんですけど。
コンテナーとコンテナーは細かく出てくるんですけどね。
でマイナスKなんですよ。僕ここが大事なんだろうと。
肝なんだろうと思うんですね。
でマイナスKはさっきもちょっと言いましたけれども、
要するに気持ちだけいただきたいとかもそうだと思うし、
嘘もそうだな。嘘もマイナスKですね。
つまりKの代わりには絶対になんない。
ほんわした知識っていうような言い方をするんですけれども、
どうにもこうにもならない。
要するに物自体のことを言ってるわけですね。
なんかそこ多分僕もピンとこないところもあるんだけど、
聞いてる方もピンとこないと思います。
なんでベータ要素みたいな話がマイナスKなんだろうって感じはするんですけどね。
36:01
でも何と言えばいいのかな。
なんか難しいんですよ。これを説明しようとすると。
とりあえず一応わかったような気はしてるんですけれども、
なんと言うんだろうな。
これはな。
例えば近所の人が私の話を聞いてるとか、
包丁器を仕掛けているとかいうのって、
真実に一向に近づいていないにもかかわらず、
そんな事実はきっと全くないにもかかわらず、
その人の中ではもう絶対の事実になって、
あとはこれをみんなにどう理解してもらうかの段階に入っちゃってるじゃないですか。
そういうのと単に情報を返すってことがすごくよく似てるんですよ。
真実に迫ろうという気がもう全くないんだけれども、
その事実をその知識にすることによって、
その人はある種の苦しみから脱したような気になれるっていう。
これが僕は統合失調症みたいな方、
あるいは非常に妄想度の強い方の話を伺っている時に、
いつも感じさせられるところなんですよね。
そのところでヨンの言うことはすごく正しいって感じがするんですよ。
そこには得体の知れない発想があって、
だから機械な対象群とマイナスKはとてもよく似てるというか、
同じものなのかもしれないですね。
ATMが私を見張ってるってやつね。
これはですね、いかにもこういうヤバい感じだと、
ヤバい感じしかしないんだけど、
情緒が出会った時にそれに対して、
無理やりな理屈をねじ込むしかないぐらい、
なんていうんですかね。
全然耐えられなくなって、つまり持ちこたえられないわけですね。
本当に時々遭遇は皆様もされると思うんですけれども、
この人明らかに理にかなわないことを言ってるけど、
その切実さゆえに、
この人が自分を覆い隠しているここを剥ぎ取ってしまうのは、
ダメだなっていう感じがする。
直面化って言うんですけど、
この人に現実を教えるわけにはいかないなっていう、
この幻想を信じさせておいてあげた方が、
少なくとも今はいいなみたいな、そういう感じがする時がありますね。
あれだなって感じがするんですよね、マイナスKっていうのは。
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真実について言葉はいらないが、
嘘には言葉が必要だっていうようなことを美音が言ってるんですけども、
まさにそんな感じで、
饒舌なんですよね、まずね。
ものすごく言葉数が多い。
野の医者は笑うみたいな話もちょっとこれに近いところありますけど、
説得しないといけないので、いっぱい喋る必要がある。
そういうことです。
だから詐欺師っていうのはまずこのマイナスKでは出てくるんですけど、
でも詐欺師は嘘ついてることは知ってるっちゃ知ってるわけですよね。
これを知らずにそこを強調しなければならなくなる。
ミュウゲハウゼン症候群みたいな病気もあるじゃないですか。
俗にいう差病みたいな話の発展型なんですけど、
あれもそういうものを感じさせますよね。
だからこのマイナスKっていうのはやっぱり、
いろんな現象を説明できてるという意味では、
多散的なものを感じますね。
東語視聴の旧世紀だけの説明だったら、
いらないと思うんですよね、こんな概念は。
でもなんかこの概念って、
現実にしばしば登場できることが少なからずあると。
持って回ったような言い方が続いておりますけれども、
要するに偽の知識というものが、
法話的に、まるでウィキペリアに書いてでもあるかのように、
もう確定事項です。
これが故に陰謀論ってそうじゃないですか。
事実陰謀あるという前提に立ってしまって、
法話してるわけですよ。
これから事実を真実に徐々に近づくぞっていう姿勢は、
全くそこにはないわけですね。
言うなら愛がないっていう状態を、
覆い隠してしまうんですよね、いろんな意味で。
自分にもないし相手にもないしみたいな、
ある意味では悲しむべき事態なんだけど、
一個に悲しめなくなっているというか、
そういう感じのところがありまして、
法話しているんですよ。
そういうタイプの、
これはもう全く統合主張症とか妄想とか関係ないんだけど、
でもやっぱりそういうタイプの対談をしていて、
対談になってないなっていう時があるんですよ。
何て言うんですかね、
悩まない人の態度なんですよね。
そんなことで悩んでも仕方ないでしょうっていう感じなんですよ。
解決済みっていうものを感じさせられるんですね。
この解決済みと妄想性の迫害妄想みたいなものが、
どう関係するのか。
多分それは解決済みじゃないと、
その人にとっては親習的になっちゃうんだろうなって感じですね。
だからそのライフハックでも時々出てくるケースなんですよ。
例えば先送りで本当に困ってるんですっていう時に、
それはもう5分でタイマーセットしましょう。
それでもう十分ですから、いけますからみたいな感じで、
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何かこう結論が先に出てしまって、
そこからそれではダメな理由っていうのを
一歩も認めてくれないみたいな、
すごく応答的な感じなんですよね。
これが正解ですからみたいな感じなんですよ。
あれを聞いてると僕は絶望的な気分になってくるんですよね。
自分が全然わかってもらう、
自分の気持ちは全く聞いてもらえないみたいな。
このでも絶望感っていうのが東映同一化だと考えると、
これは喋ってる人の絶望感なんだと思うんですよ。
僕が絶望する理由もないわけじゃないけどこの場合は。
本当にこっち困ってんだけどなみたいな。
だから彼女がいないって言った時に、
そういう想的に返されるみたいなね。
絶望するじゃないですか、僕としては。
こういう感じのやり取りになってしまうというタイプの人がいて、
多分その人は何かに絶望しているんでしょうね、やっぱりね。
すごくマイナス系らしさっていうのがありますよね。
考えられていない考えは結局考えられないままに終わり、
代わりに考えてはくれない。
代わりにくれるのは答えばっかり。
答えがあればいいじゃんっていうふうに言われるんだと思うんですけど、
絶対そうではないと僕は思うんですよ。
だけれども悩み続けてればいいってもんでもないんですよね。
そしてここに寄り添ってくれさえすればいいと思う、
寄り添ってくれさえすればいいという心理の人はいるので、
そういう時には寄り添う必要はあるんだけれども、
本当にね、辛いよね、分かるわみたいなのが老上心100%であったとしても、
それはLにLが返ってきてるわけですよ。
Kがないんですよね、今度は。
だからLにLが返るとかLにマイナスKが返るというのは、
カウンセリングとしては絶望的なんですよ。
カウンセリングとかコーチングとか何でもいいんですけど、
この種の相談ごとにはやっぱりKが。
Kとは知識じゃないんですよね。
知識は必要なんだけど、
これはあくまでもその時そのいわゆる一期一会なんですけど、
今そこで起きている全く新しい問題、
それでしたらこれですっていうのではないですよね。
そういうものはこの世の中にないから。
やっぱりその人の悩みは今地球上で新しく初めて創出された、
全く新しい悩みなので、それに類似したものはあったかもしれないから、
そのケースは昔こういうのが似たようなものとして思い出されますみたいなのはいいんだけど、
それにはこれですっていうのは許されないと思うんですよ。
これはすごくマイナスK的な、
この問題にその相談された人が直面したくないもんだから、
さっきのだからお気持ちだけいただきたいとか言っとけばいいだろう的な、
そう思ったわけじゃないと思うんですけどその女の人は。
でもやっぱりそのお気持ちだけいただきますというのが嘘だとすると、
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気持ち欲しくないと本音では思っているとすると、
絶対そのことは絶望をもたらすと思うんですよね。
強い失望かもしれないけれども、
この人はわかってくれないっていう、
しかも分かったフリだけはするっていう、
そこにヘイトが生まれる大きな要因が出来上がると思うんですよ。
そんなもんだからマイナスKですね。
マイナスKが進行していくとやっぱり機械なものが生まれてくるんだろうと。
これは松木さんが書いていた例はとても統合失調らしくていいんだけど、
今度はリアルな感じを失うんですよね。
でもああいうことって起きるんですよね。
みんな起きてるんだけど話だけ聞くとよくわかんなくなりますが、
彼が精神分析やってる時にですね、
家に来るって言うんですよ、松木先生が。
これは幻覚見てるわけですよ。
家に松木先生が来ちゃって本当困ってるんです。
だから松木先生の統合失調の人はさすがに統合失調らしく、
松木先生の偽物に会いに行ってるんですよ。
つまり松木先生ってのは本物と偽物がいて、
本物はうちに来ちゃうんだと。
あの本物の松木先生を来させないように、
あなたから言ってくれと偽物の松木さんに頼むみたいな。
これはもうマイナス系のヒョクチみたいな世界として描かれてるんだけど、
さすがに精神科医であり分析家だけあるなと、
そんな体験をしちゃうんだ、
そういう報告をクライアントから受けるという体験をしちゃうんだなと。
でもですね、僕らは健常だから、現実検討ついてるから、
ここまではないにしても、
時々すっごい困ったことを言う方もいらっしゃるじゃないですか。
僕昔、セミナーの懇親会で、
でも佐々木さんの上司がずっと私の頭の中にいて、
家にもついてくるのよっていう訴えを聞いたことがあるんですよ。
この人は統合失調じゃないし妄想性分裂症でもないから、
頭の中にいるんだってことはわかってるんですよ。
だけどなんとかならないでしょうかと言ってるんで、
だってあなた頭の中にいるって言うんだから、
自分でそれを作り出すのを自分で止める以外、
誰にそれが止められると言うんだって思うじゃないですか。
でも当時は私はライフハッカーとしてだから、
ライフハッカー、そういうものを止めるハックを教えてくれと、
それは無理だろうと。
そんなものがね、当時は僕はそうは言いませんでしたけど、
でも近いこと言ったかもしれませんが、
そんなものが作れちゃうってことはですよ、
私があなたの頭の中を自由自在に操作できるってことになっちゃうじゃん。
そしたら昔の僕とかだったら大変ですからね。
僕に恋させます。
それもとても危険なことなんだけれども。
つまり操作はできないんですよ、本人にしか。
だけれどもその人がまだ頭の中でその上司にいびられている。
上司は頭の中で詰めてくる。
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家に帰ってもついてくる。
だからさっきの偽物と本物の松木先生みたいな話に似てくるんですけど、
このようになってしまった時に、
その人は結局ラブを求めているわけだけれども、
そしてマイナスKがですね、
なんて言えばいいんですかね、
生みつくっていうのはおかしいんですけれども、
要するに飽和しちゃってるわけですよね。
そこで結論がもう出てしまっている。
その人の中でですね。
よく言うんですよ、そういう話ってよくあります。
それだったらちょっと上司の人と直接相談してみたらいかがですかって言っても、
通じない。
上司はこういうふうに決まってるんですって言うんですよ。
飽和しちゃってるんですね。
この知識はマイナスKなんですよ。
真実ではない。
決まってはいないからね。
その想像の通りの答えが返ってくるかもしれませんが、
上司はどうせそんなこと言ったってこうこうこうって言われて、
おしまいなんです。
私の話聞いてもらえないんですと決まってるんですよ。
この極限の形に幻覚ってものがきっとあるんですよね。
だっておかしいじゃないですか。
それは予想じゃないですか。
予想なのに100%当たる予想というものはこの世にないわけで、
だけどこの話って大体通らないんですよ。
マイナスKっていうのはがっちりしてるんですね。
だからこういうことを言っても、
いやもうこういうふうに言われることは確定事項なんだ。
確定事項という予想ってすごくおかしいでしょ。
だからそれは知識では決してないんだけど、
その人の中では知識になってしまってるわけですね。
だから飽和してしまっていて、
真実に近づくということはできないし、
何かをそれによって生み出すということも、
だから大概この話が出てるときは塞がれてますよね。
私がこの人に相談してみてどうでしょうって言っても無駄だし、
こうしてみたらどうでしょうって言ってもそれもダメだし、
で何を言うかっていうと、
佐々木さんいい方法を教えてくださいってこういうことになるわけですよ。
これは自分がこう塞がれている、
マイナスKで完全に覆われてしまっているという前提のもと、
正しい知識というか結局それは愛なんですけれども、
愛が欲しいですっていう話なんですが、
そういう場合って本当あるんですけどね、
分かりました本当大変ですねと。
この時にでもその人にやっぱり何が起こりつつあるかというのを、
問えどいつかなんですが知りつつある状態っていうのがすごい大事なんですよ。
昔私はそういう経験を今日は繰り返しませんけど、
タスクカフェでしたことがあるわけですね。
割り込みというものがどんなに大変かということを、
切々と1年にわたって訴えられている人の割り込まれるということがどういうことか、
その人は私に割り込むということによって、
それを非言語コミュニケーションで教えたわけですけどもちろん無意識で。
それで私は割り込まれるって大変ですねって言ったら、
その方は満足された。
そういう経験があるんで、
マイナスKを破るっていうのはやっぱり、
愛というものを追求していくしかない。
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その時のモチベーションには愛はあると思うんですけれどもね。
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