新規の枠は、最終、人望帳が終わってから新規の受付をしたいと思っておりますので、
それは様々なお申し込み方が考えられると思うので、
その辺を後で何かノートかなんかにまとめて発信させてもらおうかなと思っております。
おそらく2、3名新規での受付はできるんじゃないかなと思っているのと、
私これをですね、何とか自分の仕事の最終形態っていうのはおかしいんで、
何と言えばいいんですかね、こういうのをね。
ライフワークとかっていうのかもしれないですけど、
でもライフワークとかって言って、じゃあ70になってもそれすんのって言われると、
ちょっとよくわからないんですよね。
そんな厳密に考える必要はないと思うんだけど。
これをやっていくぞと思っているけれども、
最終的にはどうやるのが一番いいんだろうかというのは、
まだちょっと検討しなければならないなと思っているので、
でも案外これやる方あるかなっていうのもあるんですけどね、本当にね。
皆さん、当事者研究の人とか一体どうやって運営されてるのかな、
今度そういうのを研究しようと思ってるんだけど、
多分それって一つ一つ相当違うと思うんですよ。
AAとかね、100チャレもある意味そうだと思うんですけどね。
なんかこう当事者研究というものについて考えようとは思っているんだけれども、
まだちょっとその辺が曖昧なままです。
それと精神分析っていうね、いかにも当事者的じゃないじゃないですか。
非常に権威的なところがあるので、
それはどう合流できるんだ、多分そういうことですね。
当事者と専門家というのは山崎隆明さんの最新刊で、
そのイベントを僕も2つ3つ拝見しているところなんですけれども、
そこで話題になっているテーマというのは結局そういうことですよね。
読んだことにより全てが解決したって感じにはなりませんけれど、
まあでも既にそのテーマが扱われているものがあるっていうのは良いかなと思っています。
話それましたけど、そういうわけで現在第7期の3ヶ月チャレンジ最終月となっておりますので、
来月、厳密には今月末からスタートしますので、随時チェックしておいていただけるといいかなと思います。
今日はですね、リクエストいただいて、昨日最後の方にちょこっとだけ無理やり喋っておいた、
精神分析的ポッドキャストと言っておきながらタスクシュートの話で終始するのは嫌だったので、
というたったそれだけの理由で、とりあえず普段よくわかんないから言及できずにいた、
BEYONDのね、初期、前期のBEYONDなのかな、前期のBEYONDの非常に大事な概念だと思うんですけど、
よくわからなかった記号論、KLHですね。
こうなってくるとさ、あれじゃないですか、KLHとかって言い出し始めますとですね、コンテナコンテインドもそうなんだけど、
フロイトから遠すぎるじゃないですか、フロイトもなんかKLHとか絶対言いそうにない感じの、すごく関係あるにせよですね。
まだ、戦亡とか死の欲動とかいうのはフロイトっぽさが強いんだけど、
なんかこうKLHってなってくると、グリッドとかもそうですけど、ホントフロイト的じゃない感じがすごいするんですよ。
フロイト図とか書きましたけどね、でもフロイトの書く図のイメージとグリッドってすごい遠いなーって感じがしましたね、僕は。
だからあんまりこうBEYONDっていうのは、BEYONDの論ってすごい面白いなぁと思うんですよ。
わかりもしないのにBEYONDの本って、何冊か読んで、少なくともウィニコットよりは読んでるんですよね。
ウィニコットのってなんかですね、実は結構ややこしいこと書いてるくせに、すっごいわかりやすいような顔をして、
そういう意味でちょっと批判じゃないし、むしろ称賛のつもりなんだけど、
東方カイトさんを思わせるところがあるんですよね。
東方さんの本も、うちの奥さんとかが、わかりやすいよねと言いながら読んでいて、
多分、わかっている感じが、これはうちの奥さんの批判にもなりかねないんであれなんですけど、なんつーのかな、その、
うちの奥さんはいるのはつらいよとかを読んで面白いと思う人だから、わかるんですよ、読んでいて。
でも、あそこに背景にビヨンがあるとか、クラインがあるとかは、
書いてあるからわかるっていうレベルは脱しないと思うんですね。
読んでないんでそっちの方とかに。興味も多分そんなに集中的には持ってないと思うんで。
別にそれは普通なんですよ。むしろわかっている読者なんですよ、それは。
でも、それはなんつーのかな、なんと言えばいいのかわからないんですけれども、
それで、言わんとすることの概要をつかみ取ってはいるんだけど、
えーと、なんと言うんだろう、それを例えば精神分析だと思っては読んでないみたいなのって不思議じゃないですか。
でもその不思議を、なんて言うんだろう、成立させてしまうものがあるんですよね。
で、ビヨンはそれをなんか許さないというか、そうはいかないというか、
ビヨン読むとよく感じることなんですけれども、
えーと、分からせようという気あるがこの人って思うんですよ。
フロイドにもそういうところが、あの人は多分分からせようという気はあると思うんですけどね。
ウィニコットは分からせようという気はいっぱいあると思うんだけど、
でも、かえって分かりにくくなっているような気もするんですよね。
子供はなぜ遊ぶの?なんていうタイトルを読むとですね、
いやもう本当に分かりやすそうな、いい感じのタイトルだなと思うんだけど、
えーと、実はそこで書いてあることは、あれはウィニコットの精神分析論だと僕は思うんですけど、
全然そういうニュアンスが見えてこないんですよ。
それがすっごい気になるんですよね。気になるというのは、
あの、正しい本の書き方だ。やっぱ本はこう書くべきだって思う一方で、
果たしてこれでいいのかって感じもする。
あの、タスクシュートでもこういうことはできちゃいますね。
なんかね、タスクシュートを使えるようにはならないんだけど、
タスクシュート的な時間術を書いておいて、
あ、すごいこれは分かりやすいわっていう気持ちに読者さんを誘っていくことはできる。
で、それは正しい感じがするんですよ。商業出版としては。
というか、まああのあれですよね、出版社とか編集さんにはそう書くように求められますよね。
そう書きなさいって感じのプレッシャーありますが、
えーと、果たしてそれでいいんだろうかみたいな、
なんかこう、タスクシュートを剥ぎ取ったタスクシュート本みたいなものは作り出せるんですよ。
きっとその本がいいんだろうなって、あれですよね、あの、
数式の出てこない数学の本みたいな、
数式を一つ書くと読者を失いますみたいなことをよく言われるんで、
数学者悩むみたいな話あるんですけど、
あの、そういうことだと思うんですよね。
そういうことじゃないのかもしれない。
よくわかんないですけど、まあLHKの話をしようと思うんですね。
で、いきなりなんですけど、このLHKにはいちいちマイナスが付くやつがあって、
マイナスL、マイナスH、マイナスK、だけど、
なんかですね、まあ僕は松木さんの本でこれは理解した気になりましたので、
でもまあ、藤山直樹さんの本も一応読んで確認してるんですけど、
マイナスLとマイナスHについては全然わかる説明がない。
納得のいく説明が一個もないので、
かつあい、これはですね、もう、あの、
美容もちゃんと書いてないみたいなことを松木さん書いてますけど、
マイナスLとマイナスHはよくわかんないので、
マイナスKが大事だっていうことは、なんかこう、ど素人感的にもわかります。
マイナスKが多分肝だと思います。
で、マイナスKとβ要素の違いがよくわかんないですよ、僕には。
あの、いや、これβ要素の話にしか思えんっていう、
まあなんなら、やっと重症のPSポジションの話をしてる。
だからつまり、急性の統合視聴症とか、
えーと、妄想性のパーソナリティ障害とか、
その辺の話に、だということでいいんじゃないのって感じがしちゃうんですね。
わざわざマイナスKと読んでるのは、まあ、わからなくはないんだけれども、
とりあえずまずその辺の雰囲気のことを言ってますっていう、
こういうのをつかんでいくのが、なんか僕は精神分析というものの、
特にこう、現代クライニアンとかいう話を読むときの大事さかなと思って、
大事さっていうか、えーと、取っ掛かり方かなと思うようになりました。
いや、あの、めっきり寒くなってですね、話飛ぶようなんですけど、
寒くなったために、こう、今ここで収録してても寒いんですけど、
こうやって、ちょっとこう、熱っぽくなって喋ると、
顔だけが熱くなってきて、すごい困るんですよ、本当に。
昨日もタスクシュートのことを喋ってるうちに頭ぼーっとしてきて、
でも足は寒いみたいな感じでね、
昨日はアディクションとタスクシュートみたいな話をしたわけですけれども、
とにかくこうですね、なんていうのかな、
あれ、これがまさにそうだと思うんですよね、今ちょっと水飲んだんですけど、
つまり、メロキソニーという言い方をしたんですけど、
快と不快を取り去るってことの、この切実さにおける接近戦みたいな、
まああれですよね、ものすごい暑いサウナに入った後、
水風呂に入ると、うわ気持ちいいとかになるじゃないですか。
あの快感ってやつですよね。
苦を取り除く快感。
これとアディクションっていうのは本当僕は、
もうそこに快感はないってわけじゃないんですよ。
ただそこでの快感は、二次的な役割しかないという言い方をしておかないと、
なんでそれを繰り返すのかの説明がすごいつきにくくなると思うんですよね。
だから苦を取り除きたい人がアディクションになりやすいのは、
その苦が繰り返し繰り返しすぐやってくるからじゃないですか。
腰痛持ちって腰痛に腰がいつも痛いわけじゃないですか。
理由はともかくとしてですよね。
だからロキソニー張りまくるっていうのは、ロキソニーを愛してるからじゃないと思うんですよ。
愛してるかもしれないけど、
苦痛を取り除けるっていうのが、我々にとってどんなに大事な意味を持つかと、
それが執筆化する最大のポイントになるかという。
ここのところで僕は精神分析っていうのは、
すごい非常に正しいことを詰めてきてるなと思うんで、
ちょっと絡まなかったんで、話元に戻しますね。
マイナスKね、マイナスK。
だからL・H・Kっていうのは、つまりLが愛ですね。
愛のようなものですね。
愛っていう言葉を知らなくてもLは出てくるんで、赤ちゃんがL使うんで、
まさに愛のようなものですよ。
だからHは憎しみのようなもの。
ヘイトね、ヘイト。
ラブとヘイトなんですよ。憎しみのようなもの。
で、この2つだけで言ってしまうと、人間関係は破綻しますよと。
なぜなら人間関係っていうのは、現実原則に沿って関係しなければなりませんので、
ノー、ノーイングっていうのかな。
知りつつあることって言うんですよね、きっとね。
ヘイ、これが大事。
少なくともビオンはそのようにすごく考える人なので、
考えるってことがすごく大事で、この場合の考えるは、
いわゆる思考とすごく、世の中で言われてる思考と違うんですよ。
よく言うじゃないですか、ライフハッカーの人が、
なんかこう、アイデアマラソンみたいな。
頭からアイデアというものを、
一人で生産しちゃうんですよね。
で、そういうのは、
落ちたかな、なんか言うんですよね。
精神分析の世界では大変よろしくないとされているわけですよ。
勝手に考え出すものはもうファンタ、
ファンタザイングとか言うの?
なんかよくわかんないんだけど、とにかくもう、
妄想なわけですよ。
進展が何もなくなってしまう。
だけどこれをどうしてもやりたくなっちゃうというところが、
転移性恋愛とか言ったりもするわけですけど、
転移性恋愛って結局ダメじゃないですか。
フロイトとドーラが恋に落ちても何も生み出しませんよね。
そこもね、
そこら辺は実論で、
フロイトとドーラが駆け落ちして電車に乗ったら、
素晴らしいものができたかもしれないじゃないかって言われると、
もう何も言えないって感じはするんだけど、
でもなんかやっぱり少なくともそれは倫理的じゃないっていう、
ここで倫理持ち出すのもつまんない話だなって感じはしますが、
なんかやっぱりLさえ返しとけばいいっていうのって、
ダメな気がするんですよね。
すっごい切実にLを求められるというのは分かるんですよ。
僕がそうだったんですよ。
結局大学時代、
切実に女子の多い大学に僕が行くのはナンセンスだったと思うんですけど、
男子の多いところに行っとけばことはもっと楽だったと思うんだが、
しかしあれでよかったんですよ。
ウィニコットは侮れないなと思うんですよ。
僕はもう失敗しまくりで失敗のオーダーが4桁に達してたんだけど、
だから今こういうことが理解できるようになってるし、
こういうことを仕事にもできるようになったんだなという気がするんですよね。
やっぱLを切実に求めまくり、
誰もLを返してくれないという体験をするっていうのは大事なんですよね。
そうすることによってヘイトが出てくるわけですよ、自分の中からね。
当たり前なんだけれど。
そして僕は全然Kを使う気がなかった。
この事態が何を意味しているのかを当時考える気が全くなかったんですよね。
代わりにでも考えてくれてた人がいる。
だからコンテナなんですよ。
私のいわゆる担当教官、指導教官は、指導教官とは当時は言わないけどね、
私ただゼミ生だっただけだから。
でも私のことを明らかにKしてくれてたわけですね。
君は結婚はできるんだからと。
そして頑張れば物を描けるようになるんだから。
ただしフィクションはあんまり向いてないと思うねって。
全部当たってるわけですよ。
当時私に何が起きてたか彼にはわかるわけ。
これがだから泣く赤ん坊は僕ですね。
それをあやして意味を与えてくれるのが当時の私の指導教官なわけですよ。
でフロイトの本くれて、これが生み出すものとして良かったのかどうか知りませんが、
それを読んで私が今サンチャレみたいなものをやってるのは、
つまり彼と私の間の子供なわけですよ。
こういう考え方なんですよ、精神分析ってきっと。
この子供は、いやその子供はいびつだと言われりゃ、
まあそういう言い方もできるかもしれないけど、
いびつであろうとなんだろうと不毛じゃなかったってことが大事だと思うんですね。
つまり私がそのゼミに入ったのは単なる偶然と誤解の産物、
あと私の怠惰の産物なんだけど、
何の産物であろうと産物があったということが大事。
産物って言いますでしょう。
Lを支給されたらどうするのかぐらいのことは、
やっぱり個別セッションをやる全ての人は認識しておいていいと思うんですよ。
だって私のような人間がコーチングを受けても事態は変わりません。
綺麗なお姉さんがコーチしてくれたらすぐ恋愛しそうになりますよね。
大学当時から30前ぐらい、10年以上の私は絶対そうです。
そういう人間はいっぱいいます。
かけてもいいけどいっぱい。
だからそういう人たちにコーチングの人たちがどうあしらうのかは知りませんけれども、
このLを求められたときに、Kがそこで使えるのかどうか。
マイナスKになったり、LにLを返してしまうという。
LにLを返すというのはやっぱり赤ちゃんが泣いてりゃ、
とにかく授乳すりゃいいでしょうってことになるわけですよ。
とにかくミルクあげるからみたいに。
このミルクをあげるという行為はラブだから全然いい感じがするんですよ。
誰もこれを難じることはないと思うんですね。
これは比喩ですからね。
母親の子育ての話してるわけじゃないですからね。
ここはすごいポイントですよね。
これは比喩なんですよ。
比喩だってことは、つまり愛に愛で返すという行為をするということが、
我々は大抵の場合批判はしない。
もちろん来ているクライアントさんを抱きしめるというのは批判されると思います。
でもそれはある意味今だからであって、
昔はされなかったじゃないですか。
キリスト教のところに行って、ジーザスのところに行って、
ジーザスがその女の人に手を振れるとか抱きしめるとかOKじゃないですか。
セクハラだとかいう人は多分当時はいなかったと思うんですよ。
あれが実際に行われたんだとして。
盲目の人が目を開いたとか、大変危険なことが起こるわけです。
良いことだって通話されますけれども、
当時でさえそういう行為というものに対して非常に危険だと思う人がいたから、
あれは結局張り付けとかになっちゃったりしたわけじゃないですか。
この行動ってのは非常にこう、
ラブにラブを返すというのは人間関係の中においては、
ものすごくシチュエーションを選ぶんですよね。
だから現代社会そこが特に今の日本はうるさくなっている感じがして、
それはやむを得ない面もあるんですよ。
単にセクハラかどうかって話をしてるだけではないと思うんですね。
だから猫はいいんです。猫はラブが帰ってきた。寝よう。これでいい。
なんなら頭をなでなでしても、猫にセクハラしてるっていう人は誰もいないじゃないですか。
これはすごい僕は、多分今のは冗談だとしか思われないと思うし、
僕も冗談のつもりで喋ってるんだけど、
本当はもっとここにはややこしい意味が、
ややこしい意味について考えなくてもいいんだけど、ややこしい意味があるんですよ。
なんで猫はなでなでしても全然誰もそれは嫌なことだとか気持ち悪いことだとは思わないのかっていうのは、
猫にはラブしかないからなんですよね。
猫の情緒に対して誰も敬語、猫に対して今ここでこう怒ってる言葉とかあって、
あなたは娘代わりになっていてとか絶対理解しないんで、だからいいんですよ。
絶対理解できないことは誰も求めているというふうに考えることはないんでいいんですよね。
とにかくこの情緒というものが2者の遭遇では絶対起きる。
ヘルカエイチというものがそこで必ず起きるんだけれども、
それを真実に向かっていくという、そこで起きていることをなるべく理解するようにとりあえず努めると。
そのうち王とかいうのを美音は言い出して、非常に困るんですけれども、
とりあえずは僕はKだなっていう感じがするんですよね。
それは精神分析であってもなくてもですね。
そこでもちろんLを返すってことは一場合に応じてあり得ることだと思うんですよね。
昨日もマネジメントって話しましたけど、
でもやっぱり赤ちゃんのミルクを求めているときは愛を求めているわけなんだけれども、
そこで理解も求めているわけですよ。
ただミルクだけ戻ってくるということは、
良くないことだという、良くない、まぁ良くない、
あまり良いことではないっていうのを直感的に分かる人と、
それは理解に苦しむという人とはあると思います。
あると思うんだけれども、やっぱり人間ってのはそこで理解ってのを返してあげる必要が、
つまり赤ちゃんに少なくともまず、少なくともというか、
普通はそうするんだけど、大丈夫だからって言うんですよ。
大丈夫だからっていうのは理解でしょう。
このままでは死ぬというか、このままでは破滅だって言ってる赤ちゃんに対して、
大丈夫だからって言ってるのは、お母さん大丈夫だってことを知ってるわけですけれども、
大丈夫だから、私はここにいるから、でもいないかもしれないじゃんみたいな話あるわけですよ。
だけれどもいるから、大丈夫だからというのはノーイングですよね。
赤ちゃんはそういうことを即座には理解しないけど、
ああ大丈夫なんだなといずれは分かっていきますよね。
分かっていくんですよ、赤ちゃんはね。
同時に確かにミルクももらえるんですよ。
この形が大事だと美音は言ってると思うんですよ。
この大丈夫だからとか、安心していいからというのを一切すっ飛ばして、
うるさいからとにかくミルクあげるから泣くのやめてみたいになるというのは、
プログラムが足りない、持ちこたえられてないですよね母親は。
そうすると赤ちゃんは持ちこたえられないということから、
持ちこたえるということを全然学ばずに、
全然学ばずに愛だけ戻されるみたいな感じに多分なるんですよね。
こうすると、ややこしいことが残る。
要するにベータ要素が残るみたいな言い方になるんだと思うんですけど、
要するにPSポジションから出られないという言い方もできると思うんですが、
要するに経がないわけです。理解がないわけです。
考えられない考えを誰も考えてくれないので、
考えられない考えに圧倒されるという状況が残っちゃうわけですね。
このままではダメなんじゃないかと。
だって私たちそういうことっていっぱいありますよね、我々の周りには。
例えば、歯医者さん行ってもうーってなってる人いるわけじゃないですか。
ダメだこのままで破滅だと思ってる人がいるわけじゃないですか。
お医者さんが大丈夫ですから大丈夫ですからって言わないかもしれないけど、
まあ言うよね。
注射されることに対して破滅感を持ってる子どももいっぱいいるけど、
大丈夫大丈夫って言うじゃないですか。看護師さんとかがね。
あれは全部何に気休めで言ってるわけじゃなくて、
本当に大丈夫だってことがわかってるわけですよね。
だから本当に大丈夫なわけですよ。
そのうち子どもは成長するにつれて大丈夫なんだっていうことがわかるわけです。
そうすると痛みがなくなるわけじゃないけれども、
痛みだけで済むようになりますよね。
痛みプラス破滅の苦痛みたいなものはなくなっていくわけですよね。
なんでそんなに泣いてたのかわかんないっていうことはあると思うんだけれども、
昔泣いてた時はつまりそれについて考えるってことができる。
考えてないじゃないですか明らかに。
うおーって泣くだけじゃないですか。
考えられない考えというものを誰かが考えてあげる必要がある。
これがコンテナーなんで、
その考えるってことがつまり経営だってことなんですよ。
ここまではまあまあ今までのウィニコットとかそういう話でも全然いいと思うんだけど、
ウィニコットとかだいぶ前に喋ったっきりしばらく喋ってなかったんで、
これは無責任に喋ってるだけなんですけどね。
ちなみに僕の言ってることはここでも正しがきつけておきますけれども、
全部嘘かもしれませんからね。
本当にそういうふうに思っておいてください。
これはもう専門家じゃないし病も一冊半を読みかじったという程度なんで、
基本的に松木先生の本を読んだだけなんで、
僕の先生じゃないですけど、あと藤山直樹さんの本を読んだだけなんで、
あと最近では東方カイトさんの本も読みましたけど、
KLHは出てこなかったんじゃないかな雨の日の心理学には。
ちょっと忘れました。今確実じゃないんですけど。
コンテナーとコンテナーは細かく出てくるんですけどね。
でマイナスKなんですよ。僕ここが大事なんだろうと。
肝なんだろうと思うんですね。
でマイナスKはさっきもちょっと言いましたけれども、
要するに気持ちだけいただきたいとかもそうだと思うし、
嘘もそうだな。嘘もマイナスKですね。
つまりKの代わりには絶対になんない。
ほんわした知識っていうような言い方をするんですけれども、
どうにもこうにもならない。
要するに物自体のことを言ってるわけですね。
なんかそこ多分僕もピンとこないところもあるんだけど、
聞いてる方もピンとこないと思います。
なんでベータ要素みたいな話がマイナスKなんだろうって感じはするんですけどね。