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2023-11-30 46:31

モヤモヤをスッキリさせる前に考えておきたいこと【GMV893】

せんもんようは分かりにくくても一般用語はモヤモヤする。

サマリー

最近バタバタしていますが、J松崎さんとの協力や先送りゼロの発売が待ち遠しいです。ただし、売れることはすべてが良いわけではありません。100万部の売上は珍しいことであり、人間は主観しか持っていないため、他人の悩みを理解できないこともあります。さまざまなモヤモヤについて考え、それらをすべてスッキリさせることが健康にとって重要であることを示しています。ただし、スッキリしすぎることは心の健康に害を及ぼす可能性があります。モヤモヤを抱えることができないか、まず自分に問いかけるのです。心で頑張って抱えてみると、あることに気づくことがあります。過去のこととは異なる怒り方をする必要はありません。モヤモヤをスッキリさせる前に考えておきたいことを考察し、アイデンティティと記憶の関連性や母親との人間関係について話しました。私自身の経験や思い出を一人では思い出せないことが多いことを考えています。

J松崎さんとの協調、先送りゼロの発売
おはようございます。11月30日、あ、今日で11月もおしまいですね。
木曜日、朝4時30分です。
なんだかんだ言いまして、撮って出し、撮って出しが続いております。
最近やっぱりちょっとバタバタしているんですよね。
なかなか夜撮って朝出すという、そういう機会が得られずに、しょうがないかなと。
年の暮れだなと。まだちょっと年のせ早いんですが、
でもやっぱり今年はそれだけ忙しかったということなのかな。
昨日も同じような話をしましたが。
本日、おそらくAmazonでJ松崎さんとの協調、先送りゼロがですね、
発売と、まだ予約登録されていないんですけど、待ち遠しい限りで。
最初はですね、どうしてもいつも何冊出そうとこのタイミングはいろいろハラハラドキドキ感で、
もうどうしてもこういう心理になってはいけない気もするんですけど、
なってしまうんですよね。こればかりは仕方がないなと思っております。
もう本当蓋を開けていい結果が出ないと、かなりある意味来るんですよ。
やっぱりお金という意味では、ビビたるものというのは失礼ですけど、
多くはないんですよね。
でもやっぱりこれはいろんな意味で、その後のいろんな活動に影響を及ぼすんで、
嫌でも大でも及ぼすんで、いろんな意味でうまくいってほしいなと思うんですよね。
売れるから全てがいいかっていうと、意外にそうでもなかったりも。
売れることは全てが良いわけではない
売れるっていうのはもちろんいろんな意味でいろんな問題を解決してくれるいいことなんですけど、
そんなに簡単でない部分も実はあります。
まあそうは言ってもですね、100万部とか売れるんだったら基本はそれがいいんでしょうけれども、
普通100万部っていかないんですよ、やっぱりね。私の経験では。
どんなに売れてる本でも100万って本当に何かが違う気がしますね。
私この本絶対100万いってるだろうとか思ってる本、自分のじゃないですけどね。
50万ぐらいだったりするんですよね。だから100万ってどういう本なんだろうって思うと、
ああいう本だったりああいう本だったりするんですけど、それはちょっと違うんですよね。
もはや本じゃないみたいな、異世界的な何かになっていきます。
特にビジネス本単行書となってくるとちょっと変わった世界なんですよね。
あんまり100万がいくぜって感じはしないんですよ。
まあまあそれはそれとして、Jさんにとっては商業出版初なので、
こちらぜひお手に取ってというか、Amazonで予約していただけますとですね、
まだ手には取れないんで、まだそもそも本出来上がってませんからね。
今日そもそも登録されるのかわかりませんが、私は随時チェックしつつ、
出たら出たよっていうのをSNSでつぶやこうと思っております。
昨日ですね、クラゾン圭蔵さんと月に1回のGood Vibes TVというのをですね、
オンラインコミュニティのGood Vibes Factory会員さん向けに収録してきました。
これをやると、私はこういう方向感みたいなのを改めて考え直す機会を得られて、
大変これはそういう目的でやってるわけではないんだけど、大事だなと思っておるんですが、
一方でですね、繰り返しこのテーマが出てくるなというところに、
やっぱりそれなりのハードルがあるんだということも気づかされつつ、
クラゾンさんもそうだし、私もそうなんだけど、
だったらこういうふうに考えてみようとか、精神分析ではこう考えるとか、
深掘りして深掘りしていくんですよね。それは面白いと言ってくださるからいいんですけれども、
でも勝手に深いところに行きすぎて、そういうことは聞かれてないんですよということがですね、
ちょいちょいあるなっていうのも、これはもうある意味そこがまた一つの芸風と言いますかね、
売り棚というのもあるんで、タスク主導でも同じなんですよね。
多くの人が悩んでるところは全然そういうところではないのに、
勝手に僕がやれ構造論とか、一分単位とかそういう話をしちゃうもんだから、
なぜかというと僕はその問題に突き当たるならもっとこう考えられるだろうみたいなことを、
すぐこうですねマニアックな方向に、これはマニアックな方向を目指すぞとか全く思ってないんですよ。
できるだけマニアックであるのはやめようと思って、
より一般論的に行こうと思って、でマニアックな方向に気が付くとすっぱ知っているという感じなんですね。
これはもうしょうがないんですよね。自分としては間口を広めてるつもりでやってることが、
結果として間口が狭まるということが起きちゃってるわけですね。
起きちゃってるんですよ。しかも間口を本人は広げるつもりでやってるわけだから、
非常に立ちが悪いと言いますか、悪く言うとですね、
そんなにでもそこまで自分を客観視できるもんではやっぱりないんですよね。
やっぱりなかなか人間は主観しか持ってないところがありますから、
そんなに他の人がここでつまずくっていうのが何もかも見えるなんてとんでもないことで、
そんな風にタスクシュートを捉えるってことが果たしてあるだろうかみたいな、
疑問を抜かれる捉え方が結構普通にされるというのを見てですね、
やっぱり考えさせられるわけですよね。
例えば昨日ね、これもタスクシュートでもなんでもないし、
グッドバイブスも全く関係ないんですけど、
うちの母のiPhoneがついにですね、線を抜いた瞬間に100%あった充電があっという間にゼロになるという、
バッテリーが完全にいかれてしまった、そんなに使ってたんだって思ったんですけど、
買い直してあげたんですね。
そして指紋認証が終わったわけですよ。しょうがないんですよね、これはね。
指紋認証のやつを買い直してもよかったのかもしれないんだけど、
ちょっと先がまだ使うだろうなと思ったので、もうちょっと新しいの。
最新式じゃないんですけどね。
顔認証じゃないですか、これはもう僕は絶対顔認証のほうがいいと思ったんですよ。
何しろ押すところの指が震えてるんで、不安定だからなかなか指紋認証も通らないんですよ。
だから顔認証いいだろうと思ったんですよ。
顔認証を設定してあげてですね、
よしこれでもう困ったことは起こらないだろうと思って勢いよく家に帰ったら、
もう速攻でLINEがいっぱい来てて、顔認証が要するに分からないんですね。
顔認証というものが分かってないんです。
だから何言うんだろう、多分なんですけど、見てないから分かんないですよね、横で見てないから。
入るじゃないですか。入った瞬間にボタンを押してしまうらしいんですよ。
そして消しちゃうんですよ。
だからいつまでもこのループにはまるんですよ。
分かりにくいかもしれませんけど、ほぼ確実にそういうことがどうやら起きているらしく。
そこですね。
私が言ってみれば初心者向けに、多分Appleも同じだと思うんですよ。
初心者向けにこうしてあげようと思っていることが裏目に出てしまうんです。
まさかそこかっていうね。
結局指紋認証だった時の癖が抜けてないのと、
もう一つ指紋認証も実はよく分かってなかったってことなんですよ。
なんとなくあそこに指を置いてたら入る。
でもそれまで一定の時間待たされるじゃないですか。
古い機種だから待たされるわけですよ。
この間違って初めて入るもんだと思っているから、
待たずに一気に入ってしまったところで、
何が起きているか分かんないからとりあえずボタン押そうってなって、
ボタン押すと消えるんですよね。
えーっていう感じで。
だからやっぱりあらゆる人の悩みの仕方に、
そこでつまずくかっていう、そこが分かんないわけです。
これが僕がだから良かれと思って口を広げてるつもりで、
やったり言ったりすることが大体恨みに出るというのは、
マニアックな方法に走りたくてやってるわけでは決してないという。
これがね多分Appleは、
そんな顔認証なんてマニアックなことをするからいけないんだっていうことになるとですね、
多分Apple的にはびっくりすると思うんですよ。
で僕に起きてるのはいつもそういうようなところがあるんだなっていうのをですね、
今回のその母とのやり取りで、
非常に実感させられたというか。
でそこで無限ループには結局こう電源落ちますよね。
でも顔はそこにあって、
でまた電源をタップして入れるから顔で認証されるんだけど、
また早すぎるからボタン押して消しちゃうと。
無限ループに入っていつまでもつかないんだけどみたいな、
なんか画面がちょっとチカチカするんだけどみたいなことを言われると。
そういうことがあったわけですね。
だから色々とインタラクション大事だなと。
やっぱりこういうことは聞かなきゃ絶対わからないことなので、
ここで無限ループにはまりうるんだということに、
僕はもっと頭が回らなかったから、
これを自分で考えててもダメだってことなんですよね。
やっぱり聞いて、
現実とはそういうものなんだなということを、
改めて認識するより他ないなと思いましたね。
で昨日のGood Vibesの収録をして、
色んな話を考えたわけですけれども、
またまたやっぱり考えさせられたのはですね、
あれなんですよ。
それこそ無限ループのように考えが浮かんでくる。
最近この考えが浮かんでくる話がちょっと出てくるなっていう。
で私、これでですね、
一つ思い出したことがありまして、
思い出した人も最近読んだ本ですが、
とはいっても最近ちょっとね、
記憶が非常にあやふやになってきていて怪しいんで、
昨日もある方の絶対に忘れることはなさそうな名前を全然思い出せないということが、
こういうことが最近普通に起きてるんだけど、
顔を思い出せるんですよね。
で名前の断片も思い出せるんだけど、
名前は思い出せないっていう。
あの、すっきりともやもやということを
遠畑海人さんが書かれてたんですね。
もうこの一般用語がね、
微妙に難しい事態を引き起こしてる気がするんですよ。
まあ彼はほんと上手いから、
絶対僕みたいにのほうじに専門用語、
しかも僕なんか専門家じゃないくせに使うという、
ある意味一番よろしくないやり方なんだけど、
でもなんで専門用語にしたいかというとですね、
やっぱりその一つにはぶれにくくなるからなんですよ。
やっぱりすっきりともやもやっていうと、
分からないんですよ、ある意味では。
誰もが知ってる言葉を使ってしまうと、
そこにある意味がいろいろなので、
この話前もしたことがある気もするんですけど、
これは心理の系ではよく出てくる、
非常にややっこしい問題だと思うんですよね。
心理ってそもそも目にも見えないものだから、
モヤモヤとスッキリ
内面とか使ったり、Good Vibesも同じですけど、
だいたい罪悪感だってそうじゃないですか。
人によって意味してるところは微妙にやっぱ違う。
そんなことを言えばどんな言葉でも、
微妙に違うだろうってことになりますが、
そうは言っても実体がないものを、
それぞれの言葉で表していると、
要に分かりにくくなるところがあるわけですよ。
でも罪悪感なら相当狭まるんだけど、
これがモヤモヤとなってしまうと、
もうめちゃくちゃそれこそモヤモヤするわけ。
僕も彼の言わんとすることは分かるんですよ。
スッキリを目指しすぎてるんだよ現代人はっていうね。
これは新自由主義的な話まで広がっていって、
非常に彼が上手いところをついてくるよなと思う一方で、
でもそのスッキリってどういう意味で使ってるっていうのがね、
ある程度分かるというのとはっきり分かるというのは、
この場合大きな違いがある気がするんですね。
だから心にある嫌な考えが浮かんで、
無限ループしますっていうふうに言われてみると、
何か分かったような気はするんですよね。
上司が理不尽なことを言ってきて、
嫌な気持ちになったと。
さっさと忘れたいのに帰りの電車でも、
ずっと上司の言葉が耳に残っているとか、
そういう話だと思うんですよ。
家に帰ってお風呂に入ってスッキリしようとしても、
やっぱり上司の言葉が耳に残ってもやもやした気がする。
早くスッキリしたいっていうこういうことですよね。
で、戸畑さんが言ってるのはさらにここから一段ややこしく、
彼は心理師だからね、やっぱりなるわけですよ。
いやいや、そうやってもやもやをどんどんどんどん捨てようとすると、
人間は心が痩せ細っていきますよって。
言うんだけど、これもん?って感じがまずすると思うんですね。
僕は当然、当然ではないんだけど、
僕はここに専門用語を当てたくなるんですよ。
で、もやもやを捨てていくと、なぜ痩せ細るのかというと、
例えば、例えばですけど、
そうですね、例えばその上司ともう距離をする。
こうするとスッキリしますよね。
なんならすごい極端なケースで言うと、
もうその会社に転職してしまう。
そうすればその上司と会わずにスッキリする。
でも、その人は自分の中から多くのものをごっそりと減らしたことも意味しますよね。
やっぱり会社をまず変えるわけだから、
小舟化と社会
そこにあった人間関係は全部基本的に切り捨てることになるわけです。
で、現代の人たちはここを何にも大したことは起こってないんだと。
会社は会社であって私じゃないんだから、
こうやって切り離したからといって、
私から何かが減ったりすることはないんだって思っているから、
距離を置くし、切り離すことしているわけですよ。
でも、心理師はそうは考えない。
精神分析もそうは考えない。
なぜならば、例えばですけども、
一気に話を専門的にしちゃいますけど、
ここでスッキリともやもやって言葉をどう捉えてるかが必要になってくるんですよ、本当はね。
どういう風に捉えているのかが、
戸畑さんのようにふわっと、不意にスッと入れ込んでくると、
それで分かった感じがするから、
本を読む人はいいんだけど、
よく考えると、彼は何を言わんとしていたのかが、
本当にそういう解釈でいいのかっていう問題が実は出てくるんですよね。
今、私はその無限ループをスッキリともやもやに引っ掛けて考えてみているわけですけれども、
やもやもやしてるから嫌だよね、とスッキリすると。
しかもね、戸畑さんはそれを下剤に例えてたんですよね。
つまり心の下剤ってことですよね。
でも下剤いっぱい飲みすぎると体も痩せ細っちゃうよねっていう。
彼はやっぱ上手いんですよね、その辺がね。
多分これはヒットしたんだと思うんですよ、あの本売れたから。
が、つまりそれはどういう意味なのかなと。
心の下剤って何なんだと。
この場合出ていくものってどういうものなんだろうって考えていく必要があるんですよね。
なぜなら間違いなく彼はそれを認識して書いてますからね、この辺のこと。
心理師なんだから、やっぱりここで切り捨てることになるのは何なのかということは考えているんですよ。
人間関係だっていう答えが社会一般、切り捨てて減るものがあるとすれば人間関係。
転職して会社に勤められるならめでたいじゃんって考えるんだったらもうそこはかなり即物的で、
会社と私という関係以外は何も考えていなくて、ならば会社を変えただけだから減ることもないっていうわけですよね。
ところが人間関係は減りますよね、一時的にせよ。
人間関係を考えるっていう人は多分社会派なんですよ、割と。
人間関係は大事だけど、そんな良くない人間関係なら変えていけばいいんじゃないかっていうのも非常に現代的だと私は思うんですね。
これが小舟化を、またここでも専門用語を避けるんですよね。
小舟化を促進してしまって、人はここでリスクを負ってるんだぞってことを、
だから戸畑さんのアプローチは実は心理師なのに社会派なんですよ結構。
ここは大事なポイントだと思うんですよね。
彼の言ってることはすごく社会派寄りの話をしているんですね。
こうやって会社を変える、転職をするという形をして、
すっきりしやすくしたのは一見心の健康にとってとても良いことなんだけど、
この分人間はリスクを背負ったんだと。
なぜなら簡単に会社を変えられるということは会社の側も簡単に労働者を切り捨てることができてしまう。
だからお互いすっきりしやすくなってしまうということは、
この人ちょっと窓際にいるばっかりで日向ぼっこしてるけど、
でもまあやっぱり長い間勤めてきてくれているから家に置いておいてあげようみたいなのが通らない世の中になっているってわけですね。
ここには当然経済事情も大きく関わっています。
お互いがすっきりを目指すから、我々は大きな船から降りることになってるわけですね。
地域社会など、大会社などに就寝勤務するとか、そういうことはもうやめてるわけですよ。
あるいはちょっと腐れんで長年連れ添ったからこの夫婦と一緒にいましょうみたいなのをやめて別れるわけですよ。
そうすると逆の見方をすると、自分がちょっと困ったことになった時に、
健康な時のあなたとだったら一緒にいるけど、ちょっと病気になった人の面倒をずっと見てられないからとかいう理由で、
その人、別れないまでもあんまり関係を疎遠にするようになってきたり、
そういう時に限って病気になっている人は雇っておけませんからということで会社をすっきりするべくそういう人を切り離していったりすると、
あっという間にその人はなんとなく腐れ縁だから一緒にいるのか、なんとなく会社が抱えておいてくれるっていう時代に比べると厳しいですよね、圧倒的に。
スッキリしすぎのリスク
つまりすっきりを優先して動けるというのは、その人がいつどこに行っても大丈夫だ、つまりモバイルとしてですね、
充電もバッチリ、通信環境もバッチリっていう場合はいいんだけど、充電がちょっと年季が入ってきて充電がさっきのうちの母のiPhoneみたいになってきましたみたいな時に、
すっきりと切り捨てられると困ったことになるわけですよ。
実はそのことを私たちはうすうす知ってるから、密かに心の中は傷つきやすくなっているっていう風に戸端さんは展開していくわけですね。
これがすっきりの問題で小舟化している。
私たちの小舟化っていうのはつまり、大きな船にみんなで乗っている場合は、その人に何か起きてもその船はなんとかなるけど、
一人で船に乗っている場合、その人に何か起きたらもう即ナンパですよね。
そういうことになっているっていうことが私たちを不安にさせているっていう話をしているわけですね。
でもそれだけじゃないんですよ。
これだけだったら心理師が書く必要どこにもないじゃないですか。
完全にこれは社会的な話をしているだけだ。
心理師なので彼はここに人間関係があるだけじゃなくて対象関係があるわけですよ。
この番組ではおなじみですよね。
でも戸端さんはそうは書いてないから、果たしてこれ対象関係のことは言ってると思うんだけどっていう風に僕みたいな読者は逆に悩むわけですね。
すっきりともやもや小舟って書かれてみると、
でもこれ多分心が痩せ細っていく理由、今の話はあくまでもお金が痩せ細ったり人間関係が痩せ細る理由であって、
心が痩せ細る理由に直結してないよなって思って、
心が痩せ細るというのは多分、上司を切り捨てるということは自分の対象を切り捨てるということになるはずなので、
対象を切り捨てるというのはやっぱりスプリッティングとか総的防衛とかそういう言葉がここに欲しいなと。
そうじゃないなら違う言葉を使ってくれればね、総的防衛じゃないんだなとか、
少なくとも戸端さんはそう思ってないんだなとか、スプリッティングをここで出す文脈じゃないんだなって思うんだけど、
スプリッティングって書いておいてくれれば、あ、戸端さん的にここをやっぱりスプリッティングというふうに解釈してるんだなっていうふうに理解できるわけですよね。
戸端さんのスプリッティングと僕が考えてるそれとか同じかどうかはまた別として、
ややこしいかもしれないけど、こうやっていかないとですね、本当のところどうなのかっていうのは結構わからないことだと思うんですよ。
最初からややこしい話なんで。
でもスプリッティングで書いちゃうと、今度はスプリッティングとはっていう注釈がいりますよね。
こうして本は売れなくなっていきますよね。
だから彼はそういうことはしないんだろうなという推測まで僕はつけながら読んでるんで、
1ページ巡るのにエラい時間がかかったりするわけですよ。
あーん、あーんとかってやってて、ページが一個に進んでいかないわけですよね。
だからスプリッティングだと思うんですよ。
それがモヤモヤをスッキリさせるという時に起こっている現象で、
それはいけないのって言われると、
戸畑さんもスッキリさせるのは大事ですって書いてる通りそうなんですよ。
ただしやりすぎると下剤飲みすぎた人みたいになっちゃいますみたいに書いてもいるわけですよ。
つまりモヤモヤをある程度抱え込めるようになった方が実は健康なんですよってことを彼は上手い具合に示しているわけですね。
それはどうしてなのかっていうのも結構、
それが大体本全体なんですね。
私が今日お話ししたかったのも、
このモヤモヤをまず全部切り捨てればいいってもんではないんですという、
なんて言うんですかね、これはね、
グッドバイブスの話とも違うんですよね。
モヤモヤを抱える
もっと手前の話なんですよ。
かなり手前の話なんですね、これはね、私の中では。
でも下手にマニアックにどんどん入っていけば、
間口広がるわけでは決してないんで、
こういうふうに一生懸命考えてはいろんなインタラクションの中でですね、
もう少し手前の話をしなければいけないんだろうなと。
これは今日もそうですが整理つけて、
いやわかりやすいお話でしたみたいになってないですよ。
ここ大事なポイントなんですよ。
すっきりしすぎることを僕らは思考しすぎてると思うんですね。
望みすぎてると思う。
僕のポッドキャストは、
僕の準備不足やら、僕の未熟性もあるんだけれども、
モヤモヤのままにしておくっていうのは、
割と意識してるつもりなんですね、これで。
モヤモヤするわ、グダグダしてるわっていう人が聞かないとするじゃないですか。
それはそれで大変現代的な傾向であって、
いいというかしょうがないと思うんですよ、私は。
こうやって話をしているっていう、
このグダグダ感とモヤモヤ感が大事だっていうふうに、
賛同してくれないかもしれないけど構わないんですよ。
賛同が大事なわけではここでは全くないんですね。
先日の山崎孝明さんと話していたときも、
全く同じことを彼が言っていて、
割と僕はこの傾向で甘えておこうと思っているわけですけど、
山崎さんとその場で何人か集まってね、
ライフハック会で会話でちょっと喋ってくれないかみたいな、
でもそんな話まとまらないじゃん、簡単に。
彼は心理師なんだから。
何の話すればいいのかなみたいな感じになるわけですよね。
何の話してもらえばいいですかねみたいな感じにこっちもなって、
全然打ち合わせがまとまらずに時間がグダーっと、
つまり現代社会で非常に嫌がられる打ち合わせをやっていたわけですよ。
だけど山崎さんがこういうのがいいと思うんだよっていうふうにおっしゃっていて、
僕もすっごいそう思うんですよね。
このグラグラの中で何にも決まらずにいるっていう、
このもやもや感をみんなが抱えられているっていうのが素晴らしいんですよ、私からすれば。
これがすっきりどんどんお話が決まっていくほどいいっていうふうに、
僕はそういう価値観に乗っかれないんですよね。
だからこうもやもやしますと、この話もやもやしますよね。
上司に言われてもやもやします。
すっきりさせるのはいいことなんだと思うんですけれども、
すっきりさせないのもいいことなんですよ、結構ね。
もやもや抱えておけるっていうのをスプリットオフしない。
つまり切り離さないってことですよね。
なんで切り離さないのかというと、やっぱり僕はそれは対象だからだと思うんですよ。
人間関係じゃなくて対象関係だから。
対象って心の中にあるものです。
心の中に対象ってあるでしょう。
対象が心の外にあるはずは絶対ないですよね。
例えば対象というのは象徴という形を取ります。
白字に赤い丸を書くと日本を象徴しますよね。
これ人の心の中にしか実はないですよね。
どうしてあれが日本なんだって言われると困るじゃないですか。
あれが日本のはずないですよね。
でもあれは日本ですよね。間違いなくあれは日本を表している。
心の中で、みんなの心の中で日本を表している。
これが象徴ですよね。
これを抱えておくということは、つまり自分の心を抱えておくってことになりますよね。
これを心の中から切り離してしまったら、
その人は自分の心を実は一部切断することになるんですよ。
こうしてすっきりを目指しまくると心が痩せ細っていくっていう説明が、
実は遠畑さんはしないんですね。
僕はこう解釈しておいて、でもそう彼が書いてるわけじゃないから、
こう解釈してるけどいいのか、これを読んでっていうモヤモヤが起こるわけですよ。
このモヤモヤは僕の心の中にしかないですよね。
他の人もそういうモヤモヤがある人はあるでしょうけど、
他の人の話は聞いたことがないんで、僕の中には残るわけ。
このモヤモヤは大事だと思いますよね。
遠畑さんに小説聞けば聞くこともできなくはないかもしれませんが、
すっきりするかもしれませんが、意外に僕はこれを自分が抱えたままにしておいて、
あっちに行ったりこっちに行ったり、あれを読んだりこれを読んだり、
こう喋ってみたりする中で、だんだん心の中でこの話が、
だんだんダイジェストっていうんですか、消化されたり熟成したりしていって、
気がつくと、遠畑さんがスプリットオフで考えたか、
総的防衛で考えたか、あんま関係ないやって気持ちにだんだん慣れていくんですよ。
こういうことが私は必要だなって思うんですね。
つまり、さっきの部長が、まあいいや上司がね、
上司が理不尽なことを言ってきたと。
あれ、村原じゃないか、阿部じゃないですか。
そういう線で社会を修正していくとかも必要だと思うんですよ。
でも、基本心理師はまずそれを考えるわけではないと。
私もそうなんですよ、心理師じゃないくせして。
私もやっぱりそこの上司が悪いとかはあるし、
なんなら転職もありだと思うし、ないとは全然思わないですよ。
かつそういうところで、分かんないですけどね、
僕はほんとこいつ太いんで、コンプライアンスとかを果たすとか大事だと思うんですよ、全部。
でも私がまず、真っ先に考えることは、
あれは理不尽だと私が思う理由は何でなんだろうって考える。
私ならそう考えるんですね。
もやもやはしてますよ、絶対に。
もう本当に亡き者にしてやりたいくらいには思うんだけど、
ではなんでそう思うんだろうって考えるんですよ。
これは私は犠牲になっているとは思わないんですよ、全く。
いや、その時の感情としてはそうなるかもしれないんだけど、
犠牲になってはいないはずだって必ず頭では考え始めるんですね。
この考えるってことが僕は大事だと思うんですよ。
考えるってことと、考えが浮かぶことは違うんですよ。
あの部長はモラハラだよは考えが浮かんでるだけなんですね。
何も考えてる感じがしないんです。
このあの部長はモラハラだみたいなのがパッと上がってくる。
これは人に吹き込まれた考えに近いと思うんですね。
だってモラハラってことは僕、自分で考えだしたこと一回もない気がしますから。
外からしか見たことがないですからね。
だからとにかく腹が立つ。腹が立つってのは自動的に分け合ってくるでしょ。
もはや考えですらないじゃないですか。腹が立つのは現象に近い。
これについて考えないと考えてることにはならないと思うんですよね。
思考が浮かぶことと思考を考えることは違うと思うんですよ。
思考について考える。
で、部長がモラハラだと思う私はなぜなんだが、
ここから先に進むのを考えることになると思うんですね。
で、私は多分ですが、部長がモラハラだと私は腹を立てているのはどうしてなんだろうってなったときに、
一旦その部長が悪いのかもしれないというのを極力却下するんですね。
掘り下げる。
何のためにやるのかっていうと、これは自分のためにやるんですよ。
すっきり下手に、すっきりしたいですよね。一方では。
ただ僕はすっきり下手にすることは、
戸畑さんが言うように心を痩せ細らせること、スプリットオフになりかねないことは相当意識しているので、
下手にすっきりはしたくない。すっきりはしたいですよ。
心の中で起きていること
でも下手にすっきりを急速にやるのも考えものですよ、と思ってるんですね。
だからモヤモヤを抱えられないかってまず自分に問うんですね。
いや、抱えられない。そういうことやってるとすぐ下痢してジンバシンだらけになりますって言うならやめます。
ここら辺が自分で決めるしかないポイントなんですね。
自己責任だっていうわけじゃないですよ。
あんまり自分に負担になるようなことをやっちゃいけないということなんですよ。
ちなみにこの下痢になったり、下痢だのジンバシンだのになるというのは、
これは身体勝手に言って体に負担を負わせてるんですよ。
これも本当はやめたいんですね。
体に引き取らせてはいけないんですよ。この話前にしたことがありますね。
心がモヤモヤを抱えておく必要がある。
心が抱える限りにおいて、コンテインって言うんでしょうけど、
心が抱える限りにおいては体には出ません。
多分心も大丈夫。
ただこれも、なぜお前に大丈夫だって言えるって言われると困るんですよ。
こうやってね、いろんなことがパネルとしてあるんだということを
昨日、倉園さんとのTV収録で学んだんですね。
で、とにかく心ででも頑張って抱えてみるわけですよ。
モヤモヤモヤってしているけれど。
そうすると、あることに気づくんですよね。
あの理不尽な上司の言い回しって、
彫刻校時代の先生の言い回しと似てない。
これはね、ただ過去のことを連想で、自由連想で振り返るとかではないんですよ。
これをやるのはどういうことなのかというと、
怒りというものは直接何かをイメージはしないんですよ。
感情って全部そうですよね。
感情というのは何らかの形で、現実的な形を使って
紛失したり表現したりするわけですよね。
昔、先生に言われて同じような気持ちになったんじゃないかということですよ、これは。
つまり、私の心の中の怒りというのは、
ある一つの形式を持っているから怒りという共通の名前を名付けられているんだけど、
それはいろんなシチュエーションでいろんな怒りの仕方をしているわけですよね。
でも、よくよく似たものがあるはずなんですよね。
この上司に言われたことと、
そういえばあの先生にああいう時にああ言われたのも、
今の基準くればモラハラっぽいなみたいな。
私は思うなということですね。
そうすると、ここでですね、だんだん私の心の中で起きていること、
それはつまり過去、大昔に起きたことに似ているわけだから、
過去との関連
なんて言えばいいんですかね。
外で起きたことじゃないですよね。
すでに記憶を引き出そうとしていますから。
つまり、私の心の中で起きたことと、現実に起きたことは分けられるということが分かるんですよ。
少なくとも、その似たようなものだから、
似たような怒り方をしなければいけない理由はないわけですよ。
でも、同時にもう一つのことに気づき始める。
この理不尽な感じって、昔母親にこうされた時と似ていない、
こういうことね。
これを全部切り捨てていくと、スプリットオフ、スプリットオフしていくと、
何が起きるか、何が起きると思います。
記憶を失っていきますよね。
僕はこれが心を痩せ細らせるということと、ほぼ同じだと思うんですよね。
記憶を、嫌な記憶だからといって全部落としていったら、
多分自分のアイデンティティっていうのは欠けていくと思うんですよ。
さっきお話ししたじゃないですか。
この歳になって、よく知っている人の名前すら思い出さない。
ああいう時頑張って思い出そうとして、
Facebookの友達とかを見てね、確定していくんですよ、名前を。
なんで僕はこんなことしたいんだろうと。
やっぱりこの人を知っていた時の私と現在の私は同一だよと。
これがアイデンティティってことじゃないですか。
記憶を思い出したいのは、アイデンティティというものに価値を見ているからなんですね。
私はクラゾノサズのいわゆるグッドワイブスな教えというのかなに沿ってですね、
仏教的でもあるんだけれども、
その時その時の私しかいないよっていうのは受け入れてるんですよ。
いわゆるアイデンティティが記憶によってつながっているというのは、
おそらくはイリュージョンであって、
だから私は最近過去の私が言ったことに過剰に縛られないようにしようとは思ってるんですね。
で、ありつつも、やっぱり現代社会に生きてるんで、
ここちょっと言いどこ取りっぽくてどうやってるんだって言われるとやや困るんだけれども、
でもそういうことをやってるんですよ。
でも、あの10歳の頃の将吾君と今の私は同一人物であるという認識っていうのかな、
イリュージョンでもいいんだけど、意識は保っておこう。
それが完全になくなってしまうと、現代社会ではなかなか生きにくいと思うんですね。
あともう一つ、仏教をついでに言うと、
釈迦は過去の記憶を一切失ったわけじゃないんですよね。
悟ったと言われている後も。
私はこういうところがいわゆる宗教信仰かなと思っているんだけども、
彼がアイデンティティを、アイデンティティは手放したにもかかわらず、
自分の父親が自分の父親だったということを忘れたという振舞いはしなかった。
正確にはわかんないんですけどね、2000年以上昔の話なんで。
でもこういうことは僕は意識しているんですね。
だから同じようなことではないですけれども、
かつて私が自分が何を言ったかということは覚えています。
でも考えが変わってしまえば、書くことも本とかブログで書くことは変える。
だけれどもその時の自分が自分であったという認識は、
他の人もそうするでしょうし、自分もそうするっていうのは保っている。
これが現代では正気と見なされる線かなっていうふうに、
ラインかなって感じがしているんですよ。
こうやってですね、いろいろといろんなことを混ぜ込んで考えていくと、
要は私がこの上司の件をモラハラだとか、モヤモヤするとか、
自動的に怒りが湧いてくるっていうのは、
全部私のアイデンティティと関係があるわけ。
ちなみにこの話もう一回言いますが、
だから上司は何を言ってもOKだって話ではないんですよ。
そういうことが言いたいわけではないです。
全部心の側で処理しましょうって話ではないです。
処理はしてないです。
でも一旦私はこう考えるんですね。
こうしてだいぶモヤモヤというものを心の中に抱えておくことができる。
もうこの段階までくれば少なくとも身体化はしなくて済むんですよ。
身体化しようという木にはさらさらない。
要は心が苦しいから心が手放して、
体に押し付けるとジンマシンとかいうことになるわけ。
心身傷と言ってもいいですよね。
モヤモヤとは何か
これを他人に押し付けてしまうと基本的にはかなり嫌なやつになるんです。
妄想分裂ポジションかな。
スプリットオフって非常に難しいところを含むんですよ。
スプリットして切り離したやつ。
その切り離された断片は心から切り離されたんだけど、
どこ行くのっていうことになるんですが、
それはだいたい他の人が悪いっていう話になって、
会社が悪いって話になっていくじゃないですか。
だからそういうふうにすればしたで、
私はまた一つ仕事が増えるわけ。
転職するとかそういう仕事が増えるわけですよ。
すっきりは心が痩せるのも、
すっきりのためにはやむを得ず引き受けるべきコストなんですね。
だからモヤモヤしとけばいいって話ではないですよ、これも。
いつもそうじゃないですか。
少々痩せ細ったからといって下剤飲む必要があるときもありますよね。
一方で、でもここは頑張って栄養に変えるっていうのが大事なときもありますよね。
ここも自己責任ではないけれど、
自己判断は必要なんですよ。
ここで人に相談してもいいわけなんですよ。
だからこそ船に一人だけで乗っているのはリスクを取ることになるんですね。
すっきりはしても、自由気ままではあったとしてもですね。
やっぱりすぐ相談できる人が身近に置いておくっていうのは非常に大事で、
そうすると、でもモヤモヤも引き受けることになるし、
人からの相談も引き受けることになるんですよ。
だからこの辺が私たちの時代は相当小舟かと相当すっきり思考に偏ってるんじゃないかっていうことを
割と最近いろんな人が言い出したもの。
多分実感としてあるんですよ。
僕にもあるし、遠畑さんにもあるんですよ。
遠畑さんにあるのと僕にあるのは意味が違うんですよ。
倉園さんにあるのはますます違うんですよ。
倉園さんの時代は全然すっきりしてない時代だったんです、今から比べれば。
彼が中学、高校、大学だった時代は。
私は10年遅れてますからそれに少しすっきりしてたけど、
今から比べればまだまだ昭和でモヤモヤいっぱいの時代だったわけですよ。
大舟の時代だったわけです。
遠畑さんの時代はもっとすっきりしてますよね。
彼は僕より10年以上多分若いと思うので、すっきり前世に近いと。
彼がすっきりしすぎてないって言ってるってことは、
やっぱりこの線には無理があるって感じる人が増えてきているんだろうなって感じはするんですよ。
あの若さの人がこれを受け入れられないって言っているということは、
もうかなり生まれた時からすっきり世界だったと思うんですよね。
私は生まれた時は決してそうじゃない時代に生きてきたんで、
すごい急速に動いてるなっていうのを実感するんですよ。
おそらく倉園さんはもっとしてると思うんですよね。
心の対象関係と人間関係
そういうこともあるわけです。
このすっきりがいいんだっていうのは、僕はシンプルな意味では受け入れがたいんですよね。
これをどこまでもやっていくというのは、かなりきつい世界に生きることになる。
モヤモヤの考え、抱え方はいろいろ考案はされているけど、
私は今のところメカニックっていう意味かな。
言葉では対照関係的に説明する。
さっきみたいに結局このモヤモヤを作り出す内的対照っていうんですけどね。
部長の顔をして私の心を動かす。
単なる顔じゃないんですよ。
私の心に揺さぶりをかけ動揺をさせてハラスメントしてくるという、
これは母親だなと私ならばおそらく解釈します。
母親対象がこの対象と深く関わっている。
だから結局のところ母親に怒られている私なんだと。
ここまでくると完全に私の心の中だけの出来事になるので、
リアルな母親は全然ここには関係していませんから。
会いに行くと全く違う顔してますから。
心の中だけで起きている現象なんだという風に考えた瞬間に、
ここまで考えるってことができればほぼダイジェストっていうのかな。
消化というのは成功していてですね。
いきなり変わるんですよ場面が。
じわじわじわっときてずっと変わるんですよ。
いやいや部長はそもそもそんなこと言ってなくなかったか。
ここが議論の対象にまたなると。
それは部長は大して悪い人ではないんだ。
でも私の部長は悪いんだ。
これはそうかもしれないですよ。
ただ個別の事例を見ていかないとダメなんですね。
私の場合このダイジェストが成功したところで、
画面が変わる。不思議なんですよこれは。
さっきまであった記憶が変わるんですね。
確かに同じセリフを言った気がするんだけど、
そういう意味ではなかったかもしれない。
というかだいたいそうなんです。
そしてそれほど嫌な見膜でもなかったってことが不意に出てくるんです。
これもとても不意なんですし、
私をしても多くの人はものすごくモヤモヤすると思う。
でも僕はそのモヤモヤはこういう大事な何かを含んでいるケースがあります。
そうするとまず部長との人間関係、
今度は人間関係ね。
切らなくて済みますね。
会社も変えなくて済む。
一気に楽になるっていうことがあるわけです。
そして私の中の心の対象関係について、
私はもう以前よりは一段階理解を進められる。
これは自分の心についての話なんで、
理解は進められればそれに越したことはないと思うんですね。
理解が進む。
つまり自分は母親対象を人に投げた時に、
特に悪い母親ってやつね。
悪い内的な母親を人に投影した時に、
ハラスメントを受けた感じを抱くに違いない。
ただし全てのハラスメントがその限りではないです。
ハラスメントって言葉は僕は避けたいので、
全ての理不尽な失績がその限りでは当然ないです。
場合によっては、
それでは説明がつかない、
もっと悪いことが外で起きている可能性も、
否定しないでおいた方がいいと思うんですよね。
そういうことはあり得る。
そしてこれは所詮私の個別事例です。
けれどもこの種のことは、
個別事例を問い正していかない限り、
絶対に問題の確信に触れることはできないと思います。
だからこそやっぱり私はですね、
話が昨日の話に戻ってますが、
精神分析をはじめとする倉園さんのワンオンワンも、
ワンオンワンじゃないですか。
プライベートプラクティスがあった方がいいって思うんです。
どこかで絶対必要になってくるはずだって思うんですね。
これをみんなで解決するっていうのも当然ありなんだけど、
その時個別に何が起きているのかを本当の意味で分かるのは、
ご本人しかいない。
だってさっきのがそうだった。
私の小学校時代の先生に似ていたっていうのは、
もう私にしか分からない、絶対に。
人に相談することの重要性
かつそれが自分の母親にどういうふうに扱われたかということも、
関係しているなんてことは、
まして私にしか分かりません。
父親かもしれないでしょう。
弟、お兄さんかもしれないし。
それは人によって違う。
その時どんなふうに扱われたかなんていうのは、
完全に個人的な話ですよね。
だけれども、これを不思議なことに僕らは、
自分一人では思い出せないことが多いんですよ。
私は今の話、全部自分で思い出したような顔をしてますけど、
遠畑海人さんがいなければ、なかなかやっぱりそういう話は考えついてない。
この話をしている、そもそもきっかけになっている、
やっぱり私は自分ではできなかった。
先日、山崎さんとお話した時も、
私は中年危機に陥って人魔心だらけになった時も、
しつこく可愛波を読んでたんですね。
やっぱりそこでも可愛波を読んじゃうんだねっていうような話をされて、
周りの人にもそのことを言われた。
そういう一人で解決できないってことを、
そこまで知っている人でも、
一人で解決しようとしちゃうんだねっていう話なんですよ。
これはみんな同じなんですよ、結構。
誰もがそういうことを知識として持っていたとしても、
いざって時は人に相談した方がいいっていう人は、
別に心理師じゃなくてもいっぱいいるわけじゃないですか。
でもしない。
分かってるようで分かってないんですよね。
盲点になってしまうんです。
盲点っていうのはまさに、
人からしか見えないから盲点なんですよ。
自分で見えるんだったら、盲点じゃないわけですよね。
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