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2022-11-30 29:48

【710】なにが「失敗」を決めるのか?

失敗には定義と基準が必要です。

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おはようございます。みんなのセラピー心理学です。
第2回になりますかね。
11月29日火曜日の13時にこちら収録しております。
なんとなくこうね、
グッドモーニングボイスですとか言ってしまいそうですね、まだまだまだ。
これ意外と最初は気をつけるんだけど、
10回くらい経って慣れてくるとそういうミスが出るんですよね。
しかも、気づいてすぐにリテイクすればいいんですけれども、
取り直すという意識すら持たない時がありそうな気がする。
その時はご愛嬌ということで流してください。
先日ですね、第2期の100日チャレンジ、
J松崎さんとやってる100日チャレンジの第2期が先日キックオフでスタートしました。
なんとですね、J松崎さんが滅多に帰っていらっしゃらない人なんですけど、
ドイツから帰国されまして、
それを祝ってと言いますか、せっかくなので、
オフラインでのリアルな会場を撮って、
本当にそういうのも彼とやるのは何年ぶりとかなんですけど、
やったんですよ。
そしたら実に驚いたことにですね、
100名規模で入れる会場で、
本当そのJさん、人気者を出し、
100日チャレンジってそもそも第1期470名とか、
お申し込みいただいて大変ありがたい限りだったんですけれども、
会場400名とかありえないし、
最大規模でね、
このタイミングですからね、
あんまり密ってのもまずいし、
本当ギリギリの人数までは収納できるようなところを撮ろうということで、
撮っておいて、
あふれたらどうしようかという話をですね、
直前までしてたんですよ。
そしたらですね、なんと驚いたことに、
来た方、いらっしゃった方2名なんですよ。
100名が満席のセミナーなんですよ。
そのリアルのセミナーにいらした方が、
これ追加料金が2000円とはいえかかるってこともあったと思うんですけどね、
あとお金のことよりも当日、
日本対コスタリカがあったという方が大きいかもしれないんですけれども、
それにしても、
2名というのはね、
もうなんか非常にびっくりさせられてですね、
本当に、
どこをどう考えてもそういう結末は僕は予測できてなかったというか、
そうでないのを予測してたんですね。
つくづく蔵園さんのお話の、
読んじゃダメだなっていうのを、
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これほど読んじゃダメっていうのを、
想像することもできなかったんですけど、
私とJさんがですね、
それまで一番最近でやったこの100日チャレンジの前でやったのは、
秋葉原でやってたんですよね。
その時は、
常時20名から30名の方がいらっしゃってて、
結構会場的にはチキチで厳しかったんですよ。
あれよりは絶対来るよねって思っていたものだから、
まず第一にあれより安いし、
しかも告知している募集団の数が、
あの時よりは絶対的に多くなっていますし、
そんな感じでね、
思ってたんだけれども、
2桁に満たないっていうね。
予測できていたら、
それは20人くらいの、
最大でも十数人の規模の会場を抑えてありますよね。
その方が値段安いですしね。
私はこの番組でも繰り返しお伝えしていますが、
予測っていうのは本当に役に立たないと思うんですね。
これは君たちの予測精度が低すぎでしょうって言われるかもしれませんが、
僕はそうは思わないんですよね。
かつてこの種のことをやってて、
ここまで盛大に外したことはなかったわけですよ。
仮にここまで盛大に外したからといって、
何か別に致命的なことは起きないんですよ。
だから構わないし、
ただ以前よりは予測というものが当てになんないなというのは、
認識しているつもりでしたけれども、
当てにならないと思っているのの、
10倍から100倍くらいは当てにならないなっていうことを思いました。
何度も言ってますけれども、
東北の震災の時もそうですけどね、
予測できていたらこんなところにはいないよなっていうところに
ノーノーといるのが私たちだし、
これは予測して生きていくっていう、
なんていうのかな、
からくりというのかメカニズムにはなってないんですよね。
タスクシュードなんかをやっているものですから、
予測精度というものが100%信頼できないなら、
あれ何のためにやっているんですかと言われるんですけど、
私は全く逆だなとこれについては思います。
予測するなんてことはできないからこそ、
あれに記録を残しているとも言えるし、
そもそも予測が当たると思っていて、
あれつけているわけでは私はないんですよ。
これはですね、薄々皆さんに分かってやっているんだと
僕は思うように最近はなりました。
やっぱり予測した通りになるというのであれば、
アーは書かないなって思うんですよね。
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予測を書きますよね。
予測精度が9割を超えるとでも言うならば、
予測の方を書けばいいと思うんですよ。
例えば今日もね、
昨日の天気予報ではかなりの可能性で、
今頃雨ザーザー降ってることになってたんですけど、
まだ一滴も降ってる感じじゃないんですよね。
天気は悪いけどね。
だから雨降るってなれば、
雨降るなりの予測を立てた計画立てちゃうじゃないですか、
私たち。
でも降ってないのが事実なんですよ。
こういうことも我々は100度ぐらいは経験してると思うんだけども、
予測に沿った指針を立てるのが懸命だって、
未だに思っているんですよね。
僕はもう本当、
自分自身についてですけどね、
今締めとして、
先日2名の方が来ていただいてね、
実はすごい良いセミナーだったんですよ。
ここがまた予測というものの信頼ができないところと、
グッドバイオスじゃないですけど、
現実というものの力なんですよね。
その現実は、
ある予測を立てると、
良くないことになっちゃうんだけど、
そんなことはないんですよね。
これは別に負け惜しみとかを言ってるわけじゃなくて、
そんなことを言う価値はここではないですからね。
それを言うぐらいだったら黙っとけばいいわけだから。
そうじゃなくてですね。
やっぱり非常に良かったんですよ。
良かったというのは、
ほぼほぼ関係者一致した意見だったんですよね。
でもそれ、
事前に2名しか来ないけど、
今日は最高になるよって言われても、
信じるのは難しいと思うんですね。
この辺のことって、
なんてことのない話の中でやってるから、
なんてことないんですけど、
でもこれなんてことないところで、
こういう話をする方がいいと思うんですよ。
これが何か予測を外すことによって、
致命的なダメージを受けるって話になってくると、
時代もっと深刻になっちゃいますからね。
そんなことを思った次第で、
100日チャレンジの第2期はね、
でも順調にあっという間に満席になってスタートと。
今コロナが入ってからね、
オンラインがすごく活用されるようになってきたということでもあると思います。
それはそれでとても良いことだと思いますね。
でね、
今日はその話の流れなんですよ。
ここに手元に本がありまして、
これはビデオじゃないんで読み上げますけど、
心理療法失敗例の臨床研究。
良い本なんですよ、これがですね。
この本がそんなに良い本だということが分かったのは、
割と最近なんですけどね。
岩壁茂という立命館大学総合心理学部教授。
すごい偉い方が書いていらっしゃる本なんですね。
この本のタイトルを見た時にも思ったことがあって、
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読んでみたら全く思った通りの印象がありまして、
今の話と非常に関係があるんだけど、
失敗ってどうやって定義するんだろうなって思うんですよね、
臨床、心理臨床で。
これね、心理臨床で考える手も、
考えると難しく思われそうなんですけど、
私はこの番組でね、
グッドモーニングボイスの時は特にですね、
精神分析にすごく傾倒している。
でも精神分析が本当に分かっているかどうかは
やや疑わしいような人間ですけれども、
この精神分析の観点から見た失敗と、
一般の臨床心理学の心理療法から見た失敗って
多分一致しないんですよ。
この話は心理で考えるとややこしいかもしれませんが、
タスク管理などで考えてみると一発だと思うんですよね。
例えばGTDには、
2時間かけて気になることを洗い出しましょうというステップがあって、
次にこれを整理、情報を収集した後、
整理ステップに移りましょうと。
ここで挫折しちゃいました。
挫折しちゃって失敗したんですよねという人が仮にいらっしゃったとして、
僕がタスク管理失敗例の研究とか、
そんな本出せませんけど、出せたら面白いと思うんですけどね。
そういう本を書いた時に、
それはGTD文脈ではなるほど失敗なんだろうけど、
タスク習得文脈では何の問題もないですよね。
なぜならば収集ステップなんてないから。
収集ステップがない以上、整理ステップもないんですよ。
だから整理ステップで挫折しましたっていうのは、
挫折ではないし、失敗でもないんですよ。
タスク管理という狭い範囲の中で考えても、
こういうことっていくらでも起こるわけですね。
逆に考えてみて、タスク習得でよく言われる、
この6、7時間なる意味は半日の死と不明時間です。
膨大です。これはちょっとひどいですねっていう風に思った方がいらっしゃったとして、
これはちょっと失敗しましたっていう風になるんだけど、
GTDから見ると、それなんて問題なんですかってことに絶対なりますよね。
なぜならコード記録をつけないから。
GTDの文脈から見て、死と不明時間という言葉はそもそも狂ってるわけですよ。
おかしいわけですね。
つまりGTD文脈を主軸で見れば、
タスク習得における死と不明時間というのは失敗に相当しないわけですよね。
失敗というのはこういう風に基準と定義を要求するはずなんですね。
何をもって失敗とみなすかの定義がいるんですよ。
だから基準が必要になる。
その基準を何が責任を負うんだっていうのを先に決めないと、
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何をもって失敗とみなすかが、
それ自体できなくなってしまうわけですよ。
マニアナの法則でも同じことが起きますよね。
もういちいち例は挙げませんけどね。
ポモドールはポモドールでまた別の基準を持ってますから。
そういうことになるわけです。
つまりどれかが一番、
この場合の失敗における責任的基準を担いますっていうことを先に決めておかないと、
この失敗例の収集そのものがほぼ不可能になりますよね。
私、臨床っていうのはトータルでこれを失敗だとみなせるような、
オールマイティな基準なんてないと思うんですよ、心理臨床には。
医学ならあるのかもしれませんよね。
手術の失敗って言うじゃないですか。
手術の失敗というのは外科から見れば失敗かもしれないけど内科から見ればそうでないとは言わないと思うんですよ。
つまりそこにはトータルの基準と定義っていうのがあると思うんだけど、
そしてタスク管理ですらそれはなくて、
臨床心理なんてましてないと思うんですよね。
そうやってそういう観点から見ると、
一体この著者の方はどういう目線というものを使って、
これを失敗とみなすことができるんだろうっていうのがものすごく興味深いわけですね。
これは非常に生意気な観点かもしれない。
さっき言いましたよね、なぜ肩書きまでご紹介したかというのはこういう事情があるんですよ。
つまりこの人は精神分析の人なのか、読む限りそうではないと思うんですね。
いわゆる臨床心理の人なのか、
ちなみにこの国には臨床心理学というのと心理臨床学というのがあるんですよ。
それについて今詳しくしゃべっているとすぐ時間なくなるんで飛ばしますけれども、あるんですよ。
精神科医の観点、これはちょっと違うかもしれないけど、
カウンセリング心理学の観点、これは多分違うところにある。
今、公認心理師という新しい資格もできましたし、有名な認知行動療法の観点もある。
河合駿さんのユング心理学的な観点もあれば、ロジャース学科みたいなのとか、いろいろあるわけですよ。
全部違いますね。
失敗の定義も全て違うと思います。
失敗の定義が全て違ったら、これは失敗じゃないって話に必ずなりますよね。
私はこれを読む限り、精神分析ならおそらくこれは失敗とみなさないなっていうのがいくつもいくつも出てくるんですよ。
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いくつかではないんですね。
もちろん、著者の岩壁先生がそんなことは百も承知ですし、しかも精神分析の知見も十分ご存知だと、それはもう確実だなって読んでて思うんですよ。
でも、こういう書き方をやっぱりしなければならなくなっているなっていうのは、三研はされるんですね。
絶対そうなるはずなんですよ。
なぜならば、ある流派は失敗だとみなすが、他の流派はこれを失敗だとみなさないっていうのを失敗として取り上げる以上、知見の深さとか広さに関わらず、
何らかのエクスキューズめいた書き方、あるいは文脈というものによってはこういう見方もあるが的な書き方はしないわけにはいかなくなるからですね。
例えば、すごくタスク管理にマニアックに造形が深く、タスクシュートもGDDもマニアーナも何でも知ってますよっていう人が、
仮に取り上げたとしても、やっぱり収集ステップの失敗は失敗なんだろうか、そうでないんだろうか問題に直面はするわけですね。
避けては通れなくなるという面白さがこの心理療法失敗例の臨床研究にはあるわけですね。
これは私が読む限りでは失敗例というよりは葛藤例なんですよ。
カウンセラーの葛藤がここに浮き彫りにされている。
それの華々しいものを失敗とみなしている、そういうところが多々あるんですね。
ところが、カウンセリングの現場で葛藤がないカウンセラーってはっきり言ってよろくないんじゃないかと思うんですね。
葛藤が失敗だと言うけれども、葛藤がなければそれは成功なのかというと、
私はそれは大いに疑問だと思うんですよね。
まして精神分析というのは葛藤そのものが治療であり分析であるような部分が少なくないわけですね。
そうすると葛藤のない精神分析ってそもそも精神分析じゃないような気がするんですよ。
そしたら精神分析って全部失敗になっちゃうじゃないですか。
それも相当変な話だし、いろんな意味でこれは面白いんですよね。
そういうふうに無理のある、最近たてつけって言葉があるグループで流行ってるんですが、無理のあるたてつけの本だなって思うんですよ。
でも無理のあるたてつけの本が一冊に仕上がってるときってやっぱり面白いんですよ。
読んでいて、書かれてる方はそうじゃないのかもしれないけど、私の方からすると違和感と軋みがたくさんあってそこがすごく生々しいわけですね。
今日はかなりマニアックな話をさせてもらってますけど、それを最近とっかく感じるわけです。
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これも精神分析最近開放して、ハマって読み込んでるからこういうのは見えてくるんだなっていう、私なりの一つのメリットの報告でもありますね。
例えば、例えを挙げないと分かりにくい話が続いてると思うんで、ある失敗の例としてですね。
最近、彼氏に振られてもうすごいひどい目に遭いましたっていうクライアントさんの事例があるんですね。
ずっと何年も同棲してたのに妊娠までしたのに浮気されて別れたから忠実しなければならなくなった。ひどすぎる話だっていう事例なんですよ。
ひどすぎるかもしれませんが、それなりに聞く話でもありますよね。
カウンセラーの方も女性と非常に寄り添うタイプのカウンセリングを展開していて、非常にうまくいっていて、大事なセリフが出てくるんですよね。
僕が読む限りは、私もこういう先生のような恋に悩んだ人を、女性を救うカウンセラーに将来はなりたいような気がしますみたいな感じで明るくなってきた。
危険なセリフだなって僕は思っちゃうんですよね。でもまあいい感じでどんどん進展していたと。
でもある時ですね、カウンセリングが終わって、不意にそのカウンセラーの先生が立った時に、お腹が大きいということをクライアントが気づいちゃったと。
つまり妊娠されてたんですね、カウンセラーの先生が。
これがですね、私が思うに、いつも絶対そうだとは言えないんだけど、やっぱりテーマ次第なんですけど、このタイミングでこれはなってしまったんですよ。
ここのポッドキャストでもしばしばご紹介している、侵襲ですね、インピンジメントですよ。
つまり、抱えたわけじゃないですか、クライアントさんをひどい目にあって、悲嘆に暮れていて、要するに対象喪失ですよね。
精神分析的に言うならば、そうは書いてなかったですけどね、これは精神分析の本じゃないから。
悲嘆に暮れて抑鬱的になっていた失恋した女性をカウンセラーの女の先生が優しく抱える、ここが母親ですよね。
母親的だったけれども、なんと、クライアントである私は忠実して子供を失わなければならなかったのに、あんたはこれから子供を産むのかと。
言いがかりに近いかもしれないけれども、これがインピンジメントになり、トラウマ的体験になりかねないわけですね。
それを隠しておくつもりがあったわけじゃないわけですよ。
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しかも、不意に立ち上がったとき、ちょっとお腹が大きくなっていることに気づかれてしまったと。
だから、ここから言うと隠してたみたいになるんですよね。
こういうことってありますよね、日常生活でも。
で、ものすごくクライアントはショックを受けて、その次の回来るんですけれども、先生は結局私のことはどうでもよかったんでしょうって言って、
いっぱい捨て台詞を吐いて去っていかれて、その後の描写がリアリティーがあっていいんですけれども、
いいって言っては失礼かもしれませんが、カウンセラーの女の人は動機が高くなって、こういうことをして、
あの人大丈夫だろうかと、すごい自責の念を感じているというところで終わっているんですが、
で、失敗例ってわけですよ。これはですね、失敗かもしれませんが、
精神分析の本では、私もこの番組では何度か紹介していると思うんですが、
これがまさに劇的瞬間ってやつなんじゃないかなって思うんですよね。
着せずして起こってしまう失敗なのかな。
ウィニコットが必要なタイミングで重要な失敗ができる、こういう趣旨のことを書いているんですけど、
私もそれを読んだんだけど、ようでなければいけないと言うんですよね。
つまり、言ってみれば抱え込みというものにしくじる瞬間っていうのがあるはずだと。
で、実際の母親もありますよね。子供を傷つけちゃうってことはあります。
あるからこそ、完璧ではないわけですよね。
完璧ではないということに気づくからこそ、子供はちょっと説明せずに使っちゃいますけど、
意向対象なりを見出して、自立へと向かって母親から分離していかなければならない。
これまさにそういうシチュエーションじゃないですか。失恋して抱え込んでもらったんだけど、
やっぱりいずれはカウンセリングは終結して、分離していかなければいけないわけですよね。
その分離の過程では必ず、何かちょっと傷つくことは起こるわけじゃないですか。
これ、それこそミニコットの表現を使うならば、このカウンセリングっていうのは、
カウンセリングは全て、母親はグッドイナフマザーであるべきだから。
というか、リアルな母親は全部グッドイナフマザー。
程よいとか訳すんですけど、普通のと言ってもいいと思うんですけどね。
私のこの番組で言うみんなのというのは、そういう含み込みがあるんですよ、実は。
グッドイナフだって言いたいわけですよ。みんなのセラピー。
現実のと言ってもいいと思いますけどね。
グッドイナフカウンセリングしかないわけですよね、この世の中には。
でもさっきも言った通り、先生はもう理想的な先生になっちゃうわけですよね。
失恋して板手を受けていて、悲惨に暮れている女性にしてみると、
先生は素晴らしい女性で、私もあなたのようになりたいと言っているわけじゃないですか。
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恋に苦しむ女の救うカウンセラーになりたいと言っているのは、まさに同一化に向かっているわけですよね。
先生を理想化している。つまり、グッドイナフカウンセリングでもグッドイナフカウンセラーでもないんですよ。
グッドなカウンセラーになっちゃっていて、グッドなカウンセリングになっちゃっているわけですよ。
パーフェクトと言ってもいいですよね。
パーフェクトになった以上、必ず自分のカウンセラーになる。
パーフェクトになった以上、必ず幻滅する瞬間が来るはずなんですよ。
集結する前に。だいたいパーフェクトなものが集結するってことが、すでに転落じゃないですか。
実に恐ろしいことですよね。
だから立ち上がった時に、不意にお腹の大きな先生を見てしまう。
一気に幻滅する。
この番組でもお馴染みの、良いお母さんは悪いお母さんに転落するわけですよね。
こういうことが起きるというのは、必然ですよね。
パーフェクトというものはそこに出現してしまった以上。
つまり、パーフェクトなものは、パーフェクトでもなんでもないという幻滅を合わせて、グッドイナフになるわけです。
つまり、リアルってのはそういうもんだよねっていう話ですよね。
それを言ってみれば、理解するためにカウンセリングを受けるわけだから、
つまりどれほど素晴らしい彼氏と一緒に将来を誓おうと、子供を作ろうと、何でも同棲しようと、理想の唯一の人だと思っていようと浮気をする。
それがグッドイナフとは言えないかもしれませんけど、やっぱりグッドイナフなんですよね。
パーフェクトな人ってこの世の中にいないんで、パーフェクトだと思えば思うほど、
その反対の極というものを認識させられる日が必ずやってくるわけです。
それはつまり、パーフェクトなものっていうのはイリュージョンであって、だって極ってイリュージョンじゃないですか。
地球上には北極と南極一応ありますけれども、ほとんど全ての場所は北極でも南極でもないわけですよね。
極じゃないところがリアルな場所です。
だから、人格恋愛ってそうなるんですけれども、やっぱり正反対のものを含んでで一つなわけですよ。
一つのものはグッドイナフなわけですね。
それで十分生きていける。
なんだけれどもそうじゃなかったという話が失敗例として入ってるんですよね。
私はこのことに深く感銘を受けたわけです。
これは精神分析的な見方ではない見方っていうものを集めたカウンセリングのカウンセラーのための本なわけですよ。
でもここで起きていることは精神分析で事例として紹介されている内容そっくりなんですね。
二度とクライアントさんが来なかった、これをドロップアウトってこの本では表現されてるんですけど、それは失敗なんでしょう。
でもこの事例ってリアルな事例なのかなって思うんだけど、来なかった女性はちゃんとその後別に悪気があって認知を隠してたわけじゃないことを理解して普通に病理なわけじゃないからって書いてあるんですよね。
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この病理なわけじゃないからって書き方も大変面白いなって思ったんですよ。
納得してちゃんと自立できるようになったみたいな適応的になったって書かれていて、その辺ちょっと自我心理学的な書き方だなと思うんですけれども、つまり問題なかったってわけじゃないですか。
だったら失敗じゃないじゃないですかって僕は思ったわけですよね。
他のカウンセリングを受けるようになったのかもしれない。それは綺麗でスマートな引き継ぎではないにせよ、引き継ぐことは何らかの形でできているわけで、結局はクライアントさんが最後に幸せになれればいいのであって、カウンセラーが満足することが大事なわけじゃないですよね。
これはリュウハにそれこそ寄らないと思うんですよ。
だからこの話って私が読むとですね、私が読者目線で見るとそんなにひどい失敗事例には、もちろんカウンセラーの立場からするとつらいとは思うし、このタイミングでの出来事としては親習的だったと思うんだけど、
でもこういうことが避けられたかというと、たぶんお腹をうまくその時隠すことはできたかもしれないし、うまいやり方あったかもしれないんですけれども、
すでにカウンセラーに同一化の目線を向けてしまったタイミングから以降はですね、この種のことは避けられないと言わざるを得ないんじゃないのかなと思うんですよね。
本の中でもあります。
陽性転移反応が行き過ぎたのではないかという見方もあるだろうが、そういう見方ではないよと著者さんは書いてるし、著者さんの方が私なんかよりわかってるに決まってるんだから、その通りなんでしょうけど、
でも私は陽性転移反応の行き過ぎっていう観点をそんなに簡単には捨てられないような気がどうしてもやっぱりしてしまうんですよね。
これほどカウンセラーというものを理想化してしまえば、クライアントさんがその流れが始まってしまったが最後、そう容易に終結を迎えられるとは思えなくなってきますし、
カウンセリング受けに行くということはカウンセリングを学びに行くってこととは違いますからね。
私はこうやって部外者だから本読んで楽しくやっていられるわけですけど、それはつまりプロじゃないっていう意味だし、当事者でもないっていう意味ですからね。
そんなことまで思いながら読んでおります。
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