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2022-12-02 42:52

【711】100チャレ編 先送りの心理学

ニードをニーズに解釈するところから

00:04
おはようございます。みんなのセラピー心理学です。
711回目になるのかな?
あのー、そうだ、あれですね、たぶん興奮サメアランドってやつですよね、今。
12月2日金曜日の、ほぼ8時なんですが、
あのー、取って出しになるわけですが、
さっきスペイン、日本が勝ちましたね、逆転勝ち。
えーと、見てはいなかったんですよ。
見るほどは、私早起きできないんでね。
最後のデモ、10分という、割と一番いいところは見てたんです。
5時40分から5時50分くらいまでのね。
あのー、ひたすら耐えていて、結構もう危ないシーンもあった気がするんだけど、
あのー、勝ってよかったですよね。びっくりしました。
まあ、勝つと僕は思ってなかったんで、思ってた人もいっぱいいらっしゃると思うんですけど、
まあ、よかったと思います。
で、あのー、野球もこの感じでいけるといいんですけどね。
私は野球の方は、あのー、今のサッカーの熱入れてる人と同量ぐらいの熱入れて、
あのー、見ると思うんで。
サッカーは、そこまでは行かないんですよね。
今だけ見る人みたいな、そういうレベルなんで。
はい。
あのー、で、今日は、
あのー、100日チャレンジの方向けの放送というやつで、
3本に1本は最低これにしようと思っておりまして、
まあ、毎週金曜日にこれにするとかはまだ決めてないんですけど。
4回、週に4回撮って1本それにしようかなと思ってたんですが、
とりあえずは3回でいいだろうと思いましてですね。
あのー、金曜日に今回はそれにしようと思います。
本当はですね、明日100日チャレンジ第2期一般募集、
こちらもおかげさまでね、満席になりましたので、
こちら始まってからにしようかなと思ったんですけど、
別に考えてみるとこれってアーカイブだから、
聞きたいと思えば聞けるので、
あのー、いいやと思って、
今日もスタートしちゃうことにしました。
で、あのー、タスク集とメインでお話しします。
基本的に100日チャレンジはね、タスク集とでなくても、
特にこの一般募集の方々の場合は、
先送りゼロというお話いうテーマですから、
タスク集と使わなくても別にいいよみたいなところで
募集かけさせていただいたので、
100日チャレンジだから全部タスク集との話をするというわけではなくていいんですけれども、
とりあえずしばらくはタスク集と話だけ、
今日もタスク集とか言っておきながら、
全然タスク集と言葉しか出てこない可能性が高いですね。
03:00
これはやっぱりね、ツールの話なので、
ツールの話にするとなると画像必要なんですよ。
いろんな場面で。
僕はここを全部言葉だけで行くというふうに決めちゃっておりますので、
概念的な話にはどうしてもなると思いますけれどもね。
早速行きたいんですけれども、
100日チャレンジ第2期タスク集とクラウド編の方のキックオフで、
私、ウィニコットという人の名前を出しました。
これ初耳だという方も多いと思うんですけれども、
ごくごく触りの…
触りってこういう使い方、実は間違ってるんだよね。
ごくごく入り口の話を出し、
最近ね、大ベストセラーを、
ああいう方がベストセラーを出されると少し話しやすくなるんだけどね。
東肌カイトさんが、
あの方本のね、1、2箇所で必ずウィニコットって言葉多分使っているんですよ。
かなり慎重に使われてますけどね。
ドナルド・ウィニコットってね、
精神分析のその中でも対象関係論、
イギリス学派みたいな言われ方、ロンドンかな?
ロンドン学派みたいな言い方するのかな?
わかんないけど。
でも、そこを追放されて、
追放というかちょっと波紋になってね、
独立学派って言うんですけど、
独立学派っていうグループはなくて、
ロンドンで頑張って、一人で頑張って、
論を打ち立てていった人たちを、
個別に独立学派の誰々さんとかって言うんですよ。
例えばフェアバーンって人も確か独立学派のフェアバーンさんだし、
ウィニコットも独立学派のウィニコットさんで、
この辺が独立学派の著名な人たちなんですね。
この人が言った環境としての母親という言葉も、
これもですね、耳慣れない言葉かと思うんですけど、
これも最近の戸綾さんの聞く技術、
聞いてもらう技術に登場するんですよ。
1、2ページは使って説明されてましたね。
環境としての母親っていうのは非常に重要な概念なんですけど、
私は特にこの中でもですね、
これだけは一般に知られていていいはずだと思っているのが、
ニードって概念なんですね。
これも簡単じゃないのはね、
関係性の中でこういう言葉を使うせいであって、
理屈そのものは別に難しくないと思うんですよね。
ニードっていうのは、
でもあの時も時間もあんまりなかったですし、
さらっと説明しちゃったから、
いろいろ誤解されたと思うんですけど、
ニードっていうのはね、
全く違うのかって言われるとちょっと困るんだけど、
決してイコールではないんですよ。
ニードっていうのは、
不快感みたいな感じだと思っていただきたいんですね。
ニードがホープみたいになっちゃダメなんですよね。
1、2であると言われて、
1、2じゃないとかって言われると、
1、2じゃないとは言えないと思うんだけど、
1、2 do みたいなことではないんですよ。
これを私は望むよとか、
06:00
これが欲しいよって言う前の段階ね、
とにかく何だかわからんか、
不快だっていう、
この感じが大事なんですね。
自分ではそれを説明できないという、
この感じが大事なんですよ。
これは非常に大事なんですね。
こうじゃないと、
もうミスしてしまうんですよね。
これは非常に大事なんですね。
こうじゃないともうニーズになっちゃうんで、
このニードってところがポイントなんですね。
ニードをニーズに変えるっていうのが、
私は環境としての母親の最重要機能だと。
機能っていうのはちょっと機械論的すぎるなと思うんだけど、
ここは機能と言っておきますね。
だから赤ちゃんが泣いていると、
ニード化するのはまず赤ちゃんだと思ってほしいんですね。
ユニコットは一人でいる赤ん坊などというのはいないっていう有名な、
これはもういろんなところで引用されている有名なセリフで、
一人でいないから母親がいるんだけど、
そこで母親は赤ん坊のニードを抱え込んでっていうんだけど、
ニーズというものに変換し、あるいは解釈してあげて、
あなたお腹が空いているのねということでおっぱいをあげると、
この一連の作業がニーズを提供するということになるわけです。
だからニードにSがくっつくんですよ。ニーズになるわけです。
ニーズになると人間的なやりとりがそこで発生する。
ここが非常に大事なんですよ。
ニードのままだと人間的なやりとりじゃなくなっちゃうんですね。
この例えばなんですけど、
小学校の中高学年になっても冷蔵庫とかパッと開けて、
ママお腹空いたとかってやるじゃん。
高学年はやらないかな。
でも低学年ならマジやりますよね。
これがニードとニーズの関係なんですね。
私たちって生まれたばかりのところからどうやって言葉を学ぶかというような話になるんだけど、
ニードしかない段階ってあったわけですよ。
誰にでもどんなに天才的な人でも、アインシュタインでも絶対あったんですよ。
言葉も自分で何をやろうとして、自分が何を必要としているのかを自覚もできなければ
それを伝えることなんて無論できない。
そもそも多分自分という概念自体持ってもいないという段階があったはずなんですよね。
その時にはできることといったらニードを発することだけなんですよ。
つまり泣くことだけなんですよね。
泣くとかうずる、むずがるとかあれしかできない。
それをいちいち解釈してもらう。
だから全部依存ですよね、ある意味。
一つのことしかできない。
ビープ音を鳴らすってこれしかできない。
だからビービー鳴ってる機械と変わらないんですよ。
ビービー鳴ってる機械があってこの機械は何を望んでるんだろうというところから始まって
09:04
機械が望んでることを全部やってあげるのは人間の側なんですよ。
この段階があったってことなんですね。
ニードというものを感知してそれを解釈して
そしてニーズを提供するのは環境としての母親というものの役割であって
母親そのものじゃないんですね。
だからこの環境としての母親は現実にはお父さんでも構わない。
昔偉い人には奪っていたじゃないですか。
奪ってまさにそのための存在ですよ。
あるいは大昔なんだろうけど貴族の屋敷には執事とか見たわけじゃないですか。
あるいは召使いとかそういう人たちの役割はまさに環境としての母親。
超大事。一番大事かもしれないというか私はこれ一番大事だと思っているんですね。
これ奪われると何が起きるかというと
ウクライナで今悲惨なことになったりしていますが
ああいったことが起こるわけですよ。
この環境としての母親が失われたときの状態というのが
どれほど悲惨なものかというのは
人間社会は結構身に染みて知っているはずなんだけど
奪いにかかるんですよね。どういうわけかね。
大変なことになっちゃうんですよ。これを奪われると。
これってジェンダーとか社会問題ともちろん今言った通り密接に関係はしているんですが
あくまでもこの話は個人の部分に絞りたいですね。
焦点を当てておきたい。
今言った通りデザイヤーじゃないってことを意識しておいてほしいですね。
最初からニーズを僕ら発することができていると思っては多分ダメなんですよ。
何がいけないかというと
さっきのママお腹空いたって言って冷蔵庫開けている
あのシーンを考えてほしいんですよ。
対人関係に損なっているじゃないですか。
つまりニードをニーズに変えるときは必ず2者は最低必要なんですね。
2人いるってことなんですよ。
私たちは自分がニードを持っているだけだと何にもできないのね。
何にもできないんですよ。
ニーズに変えて初めてそれは何かができる状態
準備とかそういったものが整うわけですね。
だからただママお腹空いたって言ってるだけのように思うんだけれども
これってすっごい重要なことでして
この段階ですでにニーズに変わりつつあるわけじゃないですか。
ビビー泣いてるのとママお腹空いたは全然違いますよね。
親になるとよくわかるんですよ。
いかにこれを言ってくれることが楽になるかと。
今眠いのだとか
具合が悪い気持ち悪い吐きそうだ
喉が渇いた
暑い寒い
全部言ってくれればね
もうニーズへの変換が半分は終わってるわけだから
非常に楽なんですよ。
12:00
ニーズへの変換って環境としての母親だから
完璧にできるかっていうとそんなことは全然なくて
暑いのにミルクあげてみたり
寒いのにお水あげてみたり
熱があるのに寝かしつけようとしてみたり
様々な間違いもするんです。
ここも非常に大事なんだけど
ここは一旦スルーして
つまりニーズに変換できるということは
ある意味半分大人になりかけてるってことなんですね。
この点が非常に非常に大事なんですよ。
でタスクシュートの話に戻るんですけど
タスクシュート使っててですね
皆さんもちろん大人なので
これ使ってる人は子供ではないと思うんでね
ニーズに変換するなんて余裕でやってるわけですよ。
余裕でやっているんだけれども
余裕でやっているんだけれども
あるタイミングが来ると
これがうまくいかなくなることがあるんですね。
例えば非常に調子が悪い時とか
例えば何かがとても嫌な目にあった時とか
あるいはとっても嫌なことが起きたとか
同じですけどね。
あるいはやる気がしないとか有名なところだね。
面倒くさいとかね。
この面倒くさいなんてのは
如実な感じがしますよね。
面倒くさいってのは僕はニーズになってないってよく思うんですよ。
ほとんどニードが発せられてるんですよ。
自覚はないですけどね。
面倒くさいっていうのは
何をやってほしいとかっていう形になってないじゃないですか。
面倒くさいってただ言っても
周りは何をすればいいんだかわからないですよね。
やる気がしないとただ言っても
やっぱり周りは何をすればこの人に何をすればいいのかって
よほど察知できる人じゃないと
この人に提供できるものってよくわからないですよね。
そして提供してもうまくいくとは限らないじゃないですか。
ここは非常に大事ですよね。
上司に言われてへこんでますって言われても
慰めてほしいのか
上司にクレームを入れてほしいのか
ニードの状態なんですよね。
このへこんでますみたいな状態を。
だいたいそういう時って言葉に人はしないですよね。
やっぱりここは非常にニード的なんですよ。
ニードって言うのは言葉になりにくいんですよ。
なんかむしろくんげんなりしていて
どうしたって言ったら
いや何でもないとかって言うじゃないですか。
全然ニーズってのはね
ニーズになったってことは
実は人間関係はすごく良好に回ってるっていう意味なんですよ。
周囲の人と。
だからさっき冷蔵庫を開けて
まあまあお腹空いたって
これが言えてるってことは
その親子関係は多分良好なんですよ。
そういうバロメーターになるんですよね。
ニードとニーズってのは。
なんかね、お腹が空いてるのに
部屋の隅っこの方で
ゲームボーイとかやってて
ゲームボーイとか今やんないのかわいいや。
なんか薄暗い部屋の中でね。
なんか食べるとか言ったら
いい、いらんとか言って
15:00
しかもお腹が空いてたら
ニードってものに
親は敏感ですよ。
敏感で全くないとすると
いろいろ何か
難しいことになってる可能性があります。
あともう一つ
よく感謝とか
って言うんだけど
この環境としての母親に
これは戸瓦海人さんも書かれてましたけどね。
むやみやたらにこう
ありがたいですみたいになってる時も
ちょっと注意がいるかなという感じはしますね。
例えば
ママお腹空いたっていうのはすごいありそうじゃないですか。
幼稚園の子が
ご飯ありがとう
ミルクくれて毎日ありがとうね
って言ってたらなんかちょっと
ん?って思うじゃないですか。
これのん?の正体を見極めるのは
各家庭
様々な事情がありまして
難しいところはあります。
ただ戸瓦さんは書かれてましたけど
ジェンダーとかいう問題との兼ね合いでね
環境としての母親というのは
孫臭いと
これはですね
非常に難しい議論なんですよ。
つまり感謝されないんだと。
私は
必ずしもそれだけが
ポイントではないと思うし
戸瓦さんが言いたいこともそれだけじゃないんですけれども
でもまあそういう風に
一面よく言われる部分はありますね。
それは事実
そういう面も確かにあると思います。
だってさっき飯使いって言いましたよね。
私。
一本しか書くとそういう話になるわけですよ。
つまり
何かこうね
やってることの重要性の割に
それの重要性とか意義とか
価値というのを
人類は長らく
あまり正しく評価できてなかったところがあるんですね。
この環境としての母親
問題というのは。
とはいえですね
私はこの話を
あくまでもタスク管理の部分で
今日は喋っておりますので
そこで
中心に考えていくとね
究極的にこれが
できるようになる
つまり自分が環境としての母親になることが
できるというのが
一つの
僕にとっての大事なゴールなんですね。
あの
さっきの話
つまり飯使い云々の話
っていうのの厄介なところは
これをやるのが
最も人生で損だ
っていう
一つの思想に近いものが
あるのでね
そこにちょっと触れてしまうんですよね。
この話は本当は別物
なんだけれども
どうしてもこの話がね
混ざってきちゃうんですね。
だから
環境としての母親になるなんて
まっぴらごめんだって思ってると
現代社会ではどういうことが
起こるかというと
自分で自分のケアができなくなっちゃうんですよ。
この環境としての母親って
こう考えてみると
いつか人は独り立ちしますからね。
その過程で何が起きるかというと
まず自分が
環境として
18:00
自分についての
こう考えることになりやすいんですよね。
現代社会では。
自分が自分にとっての環境としての
母親になれるようになる。
これを自立って言うんですよ。
それは
そうだと思うんですよね。
さっきのようにママお腹空いたじゃ
ないですか。
それじゃ自立はできないですよね。
自分のニードが発生したら
それを
感知して
自分は何が必要なんだろうと認識し
そして
お腹が空いているから
料理を作って食べさせようと
自分にね。
ここまでできて自立ですよね。
ところでここで非常に重要なのは
ここに二者いるってことなんですよ。
それは自分で
一者だろうって思われるかもしれないんだけど
僕はそうは思わないんですね。
ここでさっきのママお腹空いた
と言ってはいはいとか言って
お母さんがなんかしてくれると
この一連のものを
自分の心に取り込むということは
自分の中で
二者関係を成立させることが
できるという話になるんであって
なんかこう
簡単なことを難しく言ってるように
思われるかもしれないんだけど
多くの人がここを簡単にしてしまうのは
自分が自分のために
働くんだよねって話にするからなんですよ。
僕はそうじゃないと
言いたいんですね。
自分の中に母親を
なんて言えばいいんですかね。
インストールって言っておこう。
自分の中に母親をインストールできたから
これができるようになるんですよ。
逆に言うと
心が壊れてしまうという
言い方できるんですけど
インストールしたアプリがちょっと
不具合を起こしたみたいになると
できなくなるんですよ。
つまりこれは何が言いたいかというと
料理をするという技術を
持っていて
冷蔵庫にあるものも分かっている。
知識もある。だけれども
料理を作ることができなくなった。
というか自分の空腹というものを
満たすことができなくなったっていう
心理的な病って
世の中には
はっきりあるんですね。
こういうことが
私は
タスク管理における一つの
微妙な問題をつくってるって
思うんですよ。だから
この話をわりとしつこくして
いるんですね。
例えば自分のNを
ニードを
適切に解釈できなくなる
というケースがたくさんあります。
自分は本当は
料理を食べさせてあげるべきなのに
なんか
そこら辺に行って
おやつをかっこむとかやっちゃうと
お母さんがこれと全く同じことを
やったらなんか少しずれて
何かが起きてるんですよ。
でも自分で自分についてそれをやってしまう
ということは事実上同じことなんですね。
何かが機能していないんですね。
十分には。
あるいは
ご飯を作ったり
なんとかしている暇も
なければそういうのは無駄な感じが
21:00
するので
全部サプリメントで済ますとかね。
お母さんがこれを子供にやったら
なんか思うところがある
という人はいると思いますよ。
忙しいとかあると思いますけどね。
たまにならともかく
毎日それでいいという話になってきたら
またこれはこれで非常に微妙な
話になっちゃいますよね。
これはつまり
環境としての母親というのは
自然食がいいとか
手作りがいいという話ではないですよ。
必ずしもね。そういう話に
近づいてきちゃうから難しいんだけれども
大事なのは
環境としての母親が
ちゃんと自分の中で
生きているということは
そこに対人関係に
ほとんど
対人関係と変わらない関係が
あるということなんですよ。
何かができるスキルがあるとか
レシピを知っているという話とは
違うんですよこれは。
だから本当はですね
環境としての母親を
育てるためには
育てるというのは変なんだけど
それをインストールして
しっかり機能させるには
対人関係の中で
これをやるというのが
非常に大事なんですよ。
つまり人のニードを
ニーズに変換するということなんです。
あるいは人の依頼に
答えるでもいいですよね。
もっと簡単に言って。
人の依頼に答えるときというのは
必ずそれはニードニーズに
変換している部分であるわけです。
ママお腹すいたで冷蔵庫を
見た瞬間に
いろんな言い方ができますよね。
中にあるもの適当に食べなさい
でも中に何かがチョコレートがあるから
食べなさいでも
用意してあげるでも何でもいいんだけれども
それぞれのやり方というものが
ありますよね。
こうでなければいけないということはない
と思うんですね。
そこにはニードがニーズに変換され
しかも
何かが提供されるという
一連の文脈と
関係性がそこに成立していて
究極的にはですよ
相手は完全には満足しないのかも
しれないんだけれども
ほどほど満足する
これをグッドイナフマザーと言うんですけど
ほどほどグッドイナフに満足できる
完璧にはならない
ということです。
この辺も今日はあまりやりませんけれども
いずれやりたいと
思っています。
タスクシュートやるような方はね
パーフェクトを目指しちゃうところがあるんで
この是非みたいなのも言われることよくあるんだけど
この是非というものが問題にならない
と思うんですよ。なぜなら
パーフェクトというものはないものなんです。
これはウィニコットもそういう言い方するんですけど
あってはまずいものなんですよ。
もし母親がパーフェクトで
要求を全部完璧に
満たすようだと
子どもは要求というのを持たなくなるんですね。
このケースは極まれだと
僕は思うんですけどね。
実際にはそんなことにはならないので
実際にそんなことにならないということは
24:00
それを目指すっていうのは
ナンセンスだってことになる
と思うんですよね。
途中のお話に戻るんだけれども
自分の
ニードというものを
感知するためには
まず人のニードっていうのを
感知できるようになる必要があるんですね。
だから第一の段階では
自分がニードを発することができる
というのがまずスタートラインですね。
これができないと
赤ちゃん大変なことになりますよね。
次の段階が
自分のニードを
ある程度ニーズに変えるような
つまり母親の真似をすることによって
母親からの
ニーズの提供というものをスムーズに
できるようになる。
こういう段階を経るということは
これがコミュニケーションだっていう
証拠だと思うんです。
この次の段階は
人のニードというものを
感知して
下手でもいいんでそれをニーズに
解釈して
他人に対して返すと。
ある程度うまくいっている
というかごく当たり前の親子関係なら
これは頻繁に起こります。
お父さんに
お茶を持って行ってあげるとか
ああいうやつですよね。これは母親の真似なんですよ。
やっぱり。
ここで作詞の話を
混ぜ込まない方がいいと思うんです。
子供が飯使いになっちゃってるとか
私はそういうのはごめんだ
みたいな話をすると
ニードをニーズに解釈すると
というかその手前の段階だね。
ニードを感知する能力
っていうのが全然育たなくなるんですよ。
そうすると
自分のニードというものが
一体何なのかを認識できなくなる。
少なくとも認識するのが
相当うまくいかなくなります。
僕はこの問題は
なぜか現代社会では
広がっている感じがするんですよ。
自分の望みがわからないという
言い方をするのしかないんですけどね。
ニードを
ニードを感知できないみたいな
言い方をするというのは
一般的じゃないんで。
でもこれは
自分のやりたいことがわからない
とかではないと思うんですね。
もっとこうですね
もっと根源的というか
原始的な
機能不全であって
ある意味もっと
真剣に考えて
対応した方がいいんだと思うんですよ。
自分を
あったかくしてやりたいのか
自分を涼しくしてやりたいのか
こういうのにもっともっと
気づきやすくなると。
このためにもっと
他人のニードに
応えるという
必要があるんですね。
どうしても
それは嫌だと
どうしてもそれは搾取だと
あるいはね
これは百チャレ向きなので
言ってるんですけれども
どうしてもそれがダメだとおっしゃる場合は
あるいはどうしても
自分にはそれが耐えられないんだと
言ってることはわかるけど
今は耐えられないという方もいらっしゃるかもしれないので
27:00
その場合は
ニードを
解釈してあげるだけでもいいです。
つまり
まず感知して
この人は何を望んでいるんだろうと
言ったことを
検討してみるというだけでもいいです。
私も思うに
それだけでも十分
人は
非常にこう
表明しないと思いますが
人からは十分に
感謝されます。
こういう言い方をするならば。
ニードをニーズに変えられて
喜ばない人間っていません。
ニーズというのが
何度も言うけど
パーフェクトってことはありえないので
必ず外すんですよ。
特にうまくいかないときには
外すことになるんだけど
外されても
相手が努力して解釈してくれている
というのがわかれば
それだけで
多くの人は他とします。
だからカウンセリングって実は大事なんです。
カウンセリングって多くの場合
この文脈を意識して
言おうと言いまいと
言えると思うんですけど
こういうのは習うから
だけど解釈が当たるかどうかというのを
すごく気に合うカウンセラーの方も
よくいらっしゃるんですし
あの人の言うことはいつも的外れだ
ということを不満に思うクライアントさんも
結構いらっしゃると思うんですけど
そうではないんですね。
じわじわ聞いてくるんですよ。
目の前の人が自分のニードを解釈してくれていると。
よくオウム返しって言うんですけど
オウム返しのケースもあるんだけど
戸畑さんもオウム返しって書かれてましたけど
つらいんです。そうですか。
つらいんですねって
あれはただ言い直したり
繰り返しているだけじゃないと思うんですよ。
やっぱりそこには
ニーズに変えてあげているよ
っていう信号が下手でも
特にこう
なんていうのかな
訓練性レベルっていうのがあるんだけど
要するに初心者ワッペンの方もいらっしゃるんだけど
上手じゃないかもしれないけれども
これをやってくれるっていう
点では
ベテランも初心者もないんですね。
じゃないと困るじゃないですか。やっぱり。
初心者にかかると絶対に
病状よくなりませんとか
悪化しますとかでも困りますからね。
つまり
これもミニコットの
言った言葉なんですけど
お母さんが
あの時代
まだ古い時代ですからね
お母さんというのが
に必要なことは
お母さんであれば全部知っていると
これも有名な言葉なんですよね
学歴が高かったり
知的であったりする必要は一切ない
これは大変すごいことだ
と思いませんかっていう
セリフがあるんですけどね
こういうことなんですよね
ニードをニーズに変えようという
意欲とその能力は
30:00
母親というものであれば
持っていると
これを拡大したいんですよ
人間であれば他人の
ニードをニーズに変える能力は
意欲と能力は
その人の出自とか学歴とか
スキルとは一切関係ないと思うんですね
だからやろうと思えば
できるはずなんです
できないとすればこの能力を
封じようとしている何かがあるんだと思います
それは私はですね
損をしたくないという
非常に強い恐怖感だと思うんだけれども
それさえなければ
これはできます
これは損にならないじゃないですか
何も
僕がここで言っているのは
ミニマムな話で
ニーズを提供しろとは言わないから
ニーズに解釈しようと
言うだけなんですよ
これでも相当大きな意味を持つんでね
これをやるのに
本当はエネルギーとか
時間とかはさしてというか
ほとんど必要としないはずなんですね
とにかく
心の中だけでもいいんですよ
ニードをニーズに変える
思われると思うんですよね
今のような世の中であれば
実態としての結果を出さないといけない
と思われているから
でも僕はそうは思わないんですよ
これができるようになれば
自然と
行動はそのうちついてくると思うんです
だからさっきから
散々言っていますけれども
ママお腹すいたわすでにニーズに変わりつつあるじゃないですか
そして冷蔵庫を開ける
あれ無駄な行為であるケースが
多いですよね
あれがニーズに変えたということと
行動が伴うという
形なんです
ごくごく自然でしょ
もしかすると
猿とかでもやりそうじゃないですか
ごくごく自然ですよね
だから
グッドイナフというのは非常に大事な概念
パーフェクトじゃないですよね
パーフェクトだったら自分で自分のおやつを用意して
子供が勝手に
すごく礼儀正しく
いただきますって言って綺麗に食べると
なんかちょっと
僕ならうんって思いますね
なんかまずいことが起こっているんじゃないかなって
思いますね
これは環境としての母親というのは
もちろんそういう形式も
あるだろうけれども
普通そういう形式ではないなって
僕らはよく知っているっていう
感覚なんだと思うんですよね
だからそんなに
スマートであったり完璧であったりする必要は
一切ないわけですよ
これが
他人のについてですね
できるようになってくると
僕は
誓って言うんですけど
10回に5回これが
やる気があって
うち4回成功し
2回
何か行動を起こすことができれば
人はですね
多分何をやっても
おおむね上手くいくと思いますね
というぐらい
これをやらないっていうのが
大事なんですよ
33:00
そして人がこれをやられることが
どれほど感謝するかというのが
私の
実感として
最近あるんですよね
この辺に倉園圭三さんのグッドバイブス
やっぱり今日出さずに済ませようかなと思ったんだけど
出しちゃいますが
つまりこの倉園圭三さんのグッドバイブスの
考え方となると
全域僕には
おおむね全部じゃないけど
かなりの部分環境としての母親として
行動するっていうやり方で
かなえるっていうのはおかしいけど
満たすことが
できるなとは思うんですよね
結局これは
人の恐れと不安を取り除いて
その苦しみに対して
できることをするっていう意味に
結果として必ずなるんで
実際母親ってそうですよね
普通であれば
赤ちゃんが泣いている恐れや不安が
何かあってね
その苦しみを取り除くために
必要なものを提供するっていうのを
まさにやっているんですよね
これを
職場でも
生活の場でも
タスクについてでもやればですね
自然と何もかもうまくいくんですよ
おおむねね
戦争でも起こらない限り
戦争が起きれば
これを過酷な条件の中で
より大規模にやるという
形に変わるだけだと思うんだけど
でも平時であれば
これを2度に1度
うまくいかせる
2度に1度やる気になって
そのうちの7割が成功して
そのうちのさらに
3割を実行に移せば
多分僕は
そこで困ることは
基本ないと思います
というレベルであればね
私が思うに
作種っていうのはすごく筋違いだと思うんですね
2度に1度ですからね
2度ニーズに変えようと思ってるというのが
2度に1度ですからね
そのくらいはすると思うんですよ
仕事であれば
もうちょっと要求されてると思うんですよ
でも実際に
多くの人はもっと仕事してるよって
思うかもしれませんけれども
2度をニーズに変えるっていう部分を
であればですね
もっと重視して
いたほうがいいと思うんですね
タスクを実行するというのは
結局は
同じことをやることになるんだけれども
人が求めてるのは
2度をニーズに変えてもらうことなんですよ
本当に
そしてそれはほんのちょっとの行動で
済むはずなんですよ
なぜ私がこれをですね
これほど革新めいた
喋り方をするかというと
基本的には自分が
それこそクラゾノさんとの
お話を伺ううちに
私がやらなきゃならないことっていうのは
原則的に
出会った人のニードを
感知して
ニーズを提供するということに尽きるんだ
と思って行動するようにして
36:00
ただそれを繰り返しているうちに
それまであったような
大変な思いというのがどっか消えていったんですね
でもやっぱり
いくつかの場面で
最後の最後まで
容易ではないと
何が容易じゃないかというと
ニードのその人が持っている
ニードの
苦しさと大きさとしつこさが
非常に半端ないという
人も中にはいたわけですね
私の肉親にも
いるんですよ
でも他の方法ないから
私はそのやっぱり
ニードというものを
感知するようにして
口で言っていることはさっぱり当てにならないので
そういう場合は
感知して
ニーズに変えると
いろんなケースがあるんですけど
私の兄弟なんだけど
ニードを発してくるんですよ
不快なのはよく分かる
だけれども
不快なこと以外は何も分からない
だから何をすればいいのかが分からない
だけれども
一瞬でもそれが分かったような
気がしたときは
すかさずニーズを提供する
出かけるなりメッセージを出すなり
というのでもいいですし
非常に面白いのが
出かけるときに
なぜなのか分からないんだけど
靴を取って
足元に置いてあげるというのを
やってみたことがあるんですよね
不思議でしょ
兄弟だから私と年齢が変わらないんですよ
そんなことしてあげないじゃないですか
僕もしてあげるというのに
違和感を持ったんだけど
その人のニードというものに
ずっとアンテナを張っていると
これはミニコットの言った言葉にあるんですけど
ちょっとね特殊な心理状態
というものが起こるんですよ
相手の心理と
自分の心理が完全にオーバーラップ
するような形になって
お母さんと赤ちゃんで
彼はずっと日落としで扱っているんですけどね
赤ちゃんの心を
自分の心の中で感じ取る
みたいな言い方
そしてこれは
非常の状態でずっとこれが起きているとすると
それは一つの病理なんだけど
ここがミニコットの非常に評判悪いところなんですよ
母子一体の中では
これが自然に起こる
これがやっぱり
フェミニズムから
非常にバッシングされる
ことになる部分の一つではあるんだけど
そうでなくても精神分析って
フェミニズムに評判悪い部分が
いっぱいあるんですけどね
それはいいとしてこういうオーバーラップが起きると
起きるんですよね
これは親じゃないと分からない身振り手振り言葉ってのは
やっぱりあってね
よくうちの
実家とかに
娘連れて行った時に思ったんですよ
全然分かんないんだなっていう
分かんないんだけどね
一緒にずっといるわけじゃないから
だけど私にはやっぱり分かるわけですよ
この子がこう喋っているというのは
全部こう言葉として
書いてくるわけですよね
1歳半ぐらいになってくると
39:00
何言っているのか分からないのは
分からないんですよ他人にはね
これはやっぱり
言葉だけのやり取りじゃないからなんですよね
どこか心理状態が
母親ほどじゃないけど私は
オーバーラップしている部分があって
そういうのがですね
兄弟でもグッとものすごく
アンテナを強く張っていると
そうしなきゃならないような
人だからっていうのはあるんだけど
靴取るんですよね
そうするとえらい和むんですよ
関係がそういうことが起きるんですよね
他の親にもやらせたいんだけど
さすがに難しいんですよね
非常にこうある種の覚悟が
いりますから
でもここでね
言いたいんですよ
ニードをニーズに変えるというのはたったこれだけなんですよ
だって靴取っておくだけですよ
ここに何か変なものを感じる
というケースが少なからずあると思うんですね
それこそ自分が
召使いにさせられているみたいな
そうではないんですよ
これは
そういう心理がどうしても
抜けないという方は
ニードをニーズに変えてあげようと
思うだけでも結構です
それは必ず相手に伝わりますからね
そして
長くなっちゃったんだけど
こうして第三段階というものが
成立するんですよ
つまり自分のニードをニーズに変える
これは搾取じゃないでしょ
自分のために結局やるから
自分はどうしても
何々を料理して
食べたいんだというニードを
ニードは
空腹ぐらいのものなんですよ
なんだけれども
これをこういうものを使って
こういう食材を使って
こういう料理を自分に出してあげる
ということで
例えば一人で食べていても
全然寂しくなくなるんですよ
そういうことが起きるはずなんですよ
というか一人で食べていると
とても味気なくて寂しい
という風に思われるとすれば
やっぱりそこに環境としての母親が
いないとか
言うことはないですよ
影が薄いんですよ
これを
私はこのようなことをね
タスクシュートで
百日チャレンジの人に
毎度毎度言っているつもりなんですよね
お伝えしたいことなんです
明日もこれをしゃべる
なぜこれを言うか
自分に関することを
とかく先送りされるんですよね
見ていると
何でもいいんだけど
自分についてやりたいと思っていること
掃除とかずっと
掃除できていないとか
お風呂掃除ができていないとか
お風呂に入るのをスキップしちゃうとか
多いんですよ具体として
もうちょっとスキルアップ系だとしても
朝活だとかね
それこそ
語学の勉強だとか
資格試験の勉強これもいいな
これ全部
何で先送りするかというと
自分がそれを
欲していないからなんですよ
皆さんがこれを
先送りしてしまうという方は
42:00
人からの依頼でも同じです
ニードをニーズに変える気がないから
提供するものが
すごく
違う方向を向いちゃっているんですね
それは
コミュニケーションができていない
ということなんです
人とですよ
ここでみんな思われるんでしょうけれども
人とです
他人とのコミュニケーションが
どこか不具合
よくないなぁ
すれ違いを起こしている
だから
自分のためにやっている
と思っていることが
少しトンチン感なんですよ
お腹が空いているのに寝かしつけに
入られていようとするから
それをスキップしたくなるんですよ
これを私は先送りと
意識しているんですね
42:52

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