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2022-03-17 35:14

【GMV 567】自分の時間がもっと欲しいとき

クライマックスなリアルタイム
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日、夜に地震があったんですよね。
一瞬、起きちゃったんですけど。
ここは震度4だったと思います。珍しいんでね。
神奈川県西部では4というのは結構ですね。
表示上は4になってたりもするんだけど、揺れないんですよね。
そういう土地柄なんでしょうね、きっとね。
だから、昨日は揺れたなっていう感じがしました。
物落ちてくるというレベルではなかったんですけど。
こういう経験があっても、
すいません、その前にちょっと告知ですね。
土曜日は、つまり、あさってかな。
あさって、あれ?日曜だったか。
えっと、あれですね。
グッドワイブス勉強会、土曜日あさってですね。
しかも時間の話をするということになっているので、
よろしければぜひ検討してみてください。
当日参加も全然可能です。
しかも一応これはね、懇親会みたいなのもあるので、
オンラインの懇親会って、難しいところも難しいっていうのかな。
参加感を持つのが一人一人、
でもこれはリアルだと同じかな。
そういう感じなんで、とりあえず、
懇親会だけとかはないんですけども、
お参加いただければと思います。
今日は、今、それの準備もちょっとやってるんですね。
準備を本当は私は、本当はというか、
通常はあまりしてないんだけど、
今回はタスクシュートの、かなりリアルに見せるっていうのを、
最近、他のところでもやってるんですよ。
タスク管理トレーニングセンターというところの、
タスクシュートオンラインかな、
というオンラインセミナーでもやってるんで、
私の中では結構やってるんですね、最近。
私のタスクシュート、気のままっていうのかな。
一切防じもなく、加工もせずお見せすると。
大したものないんで、私の中には。
娘の名前とかね、そういうものさえ入ってなければ、
つまり人名が入ってなければ、
基本全部オッケーかな、ぐらいに思っております。
人の生活なんて評価できないと思うんですよね、はっきり言って。
自分の生活と人の生活を比べて、
どっちの方が質が高いっていうのって、
なんていうんですかね、観念ですよね、完全に。
果たしてそんなことが本当のところ、
できるのかという感じがするんですよ。
だから別に、どんな生活をしていてもいいわけですから、
それがどんな人にどういう風に見て、
どういう感想を持たれても、何ら問題はないんですね。
ただそれを全部見るということが、
03:04
プライバシー感が出るんでどうしても、
そこがちょっと心理的に抵抗感があるという人がいるというのは分かるんですが、
私は別にないんで、それをお見せしていくと。
今日あたりのかなと思っています。
というのはですね、
娘が春休みに入ると、それもいいんですけど、
別に娘の生活と私の生活は同じじゃないですからね。
ただ入るとまたちょっと動きが出ちゃうんで、
その動きが多分、ただのノイズでしかないような、
娘がいるからこうなるんですみたいな説明って、
生々しさはあるのかもしれないんですけれども、
タスクシュートとは直接関係がない話なんですよね、それは。
人の行動パターンの併用と話をするわけですからね。
それがタスクシュートとも言えるんだけど。
昨日地震があったんですね。
私は何度もこの話をしているんですが、
要するに最近タスクシュートについては、
私はかなり地震を深めている点がありまして、
それは、栄養ツールがほぼなくなっているわけです。
Googleカレンダーとほんの一部に標準のメモを使っているのは別として、
ほとんど全く他のツールは使わずに、
タスクシュートだけを使っているんですよ。
タスク管理とか時間管理においてはですね。
これができればできるほど、これは私の感覚ですよ。
これができればできるほど、タスクシュートというものが使えているってことに、
僕の中ではなるんですね。
なぜなら、タスクシュートにまつわることをする上で、
タスクシュート以外には何も使わないということは、
タスクシュートが使えていなければできないはずのことなので、
使わないなら別ですよ。
使っていて、しかも他のツールは一切助けを借りないというのは、
つまりそのツールに対する依存度を上げているということになります。
当然そのツールに対する理解度なり活用度も
上がっていなければおかしいと思うんですよね。
そういう意味で、私はこれ1本に完全になりつつあるので、
タスクシュートクラウドですけども、
これで1本で完全にいけるということは、
この使い方としてはこれが、
これ私のみって話はないんですけど、
なぜなら全ての人の使い方は違います。
なぜなら全ての人の使い方は違いますからね。
この使い方は1つありなんだろうなと思うんですね。
私は今タスクシュートを使うときには、
見ているところが前数分まで、1時間以内ぐらいですね。
過去は1時間以内ぐらい。
未来は最大で5、6時間まで、
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ここ6、7時間というのがタスクシュートなんですよ。
これがずっと動いていくという感じなんですね。
だから今ここっていうのは、
私の中では前後5、6時間は含むみたいな、
最大でですけどね。
それを私は今ここと、
これは伸縮するんですよ。
前後数分になってしまう場合もあるんだけど、
その方がしかもいいと思うんですけど、
とにかくそういうふうに今ここというのが
ずっと動いていくというのをタスクシュートでずっと
追っていくというか、一緒に動いていくというか、
そういうものを維持していくというのが
タスクシュートなんですね。
私の中では。
これ以上できないと思うんです。
昨日の地震みたいな時にやっぱり痛感するんですよ。
これが起きることが想定されていないから。
想定できていないものは描けないわけですね。
ないものとされているわけですよ。
でもあったわけですね。
そしてなかなか重大な案件になるわけです。
私の場合昨日はそれほどの案件になっていないけど、
ここが震源に遥かに近ければ、
当然重大な案件になるはずなんですよ。
それについて一切考えずに置いたということは、
つまりそこの前後の管理は、
起きた時と起きていない時とは全然やり方が変わるわけだから、
あんまり先のことにすればするほど、
そういう修正ばかりになってしまって、
実際には何もできなくなっちゃうと思うんですよ。
これは私の考えですね。
だから先のことについては何ら計画をしておかないというか、
何ら計画はできないので、
今やっていることだけが、
今目の前にあることだけが一定の計画対象になり、
それだって仮説なんだけれども、
そこから先のことは分からない。
本当は2分先のことも分からないんですけどね。
昨日分かってなかったわけですから。
あれを無視できないというのが、
一つの大きな最近のポイントとしてあって、
あれを無視せずにやるためには、
今私としてはこれしかないかなという感じを持っているわけです。
前後完全にバッサリと意識の外に追い出す。
そして基本的に必要がない限りは、
わざわざ見返すということもしなければ、
わざわざ計画を立てるということもあんまりしない。
基本的にはタスク修道のルーティン設定にすべてお任せと。
あんまりそれが修正がめんどくさいようだったら、
元のところから直していくんですけれども、
大して手間じゃないと思ったら、
いくつかを消したり動かしたりすればいいだけならば、
09:00
それに完全にお任せすると。
そういうふうにやっていく限り、
これでずっと6、7時間の状態は維持しきれるし、
これ一本見てれば十分だなと。
ここから先のことは、
どうせ昨日の地震みたいに全く想定できないことが入ってくるから、
そしてそれを想定しきろうとしても無駄だから、
それができるんだったら、
昨日の新幹線の脱線みたいなことはそもそもなかったと思うんですよね。
できるんだったら、想定が。
あれ乗っている人はもう生きてこぼしもしないじゃないですか。
運転している人も含めて。
だからあのようなことはやっぱり無いものとされているはずだと思うんですよね。
想定しているっておっしゃると思いますよ。
関係している方は全て。
でも私は、想定していて脱線って起きるとは。
だって時速200キロ以上で脱線ですからね。
すごいなと思うのは、
けが人なしみたいなのが出ることなんですけれども、
すごい作りになっていると思うんですが、
でも脱線したくはないと思うんですよ。
やっぱり。
しかも倒木じゃないですか。
想定しておけって言われてしまうんですよね。
でも無理なんじゃないかって思うんですよ。
将来はできるのかもしれませんけれども、
無理なんではないかって思うんですよね。
できるんだったら誰だってしますよ。絶対に。
たとえけがしていなくたって、やっぱり死んじゃうんじゃないかって思っちゃいますもんね。
私も新幹線乗っている時、たびたび思います。
ここで直下で脱線とかして無事でいられるって考えるのは、
少し無理があるんじゃないかって思いますから。
で、余儀るってことはある意味想定じゃないですか。
でも想定したからといって、じゃあ大阪行くのやめますとかできないですよね。
ここら辺に僕らの生活の何かがある気がするんですよ。
できないっていう風に、私は今簡単に言ったんだけど、
必ず来る、絶対脱線するって思ったらいかないと思うんですよ。
つまりそういうもんなんだと思うんですね。
未来の予測などというものは。
してる気になってるかもしれないけど、してないんですよ。
してるんだったら、高度を変えると思うんですよね。
これができる半径は、ごく狭いと思うんですよね。
正直に言ってしまえば、前後数分がいいところだろうなっていうのが正直なところです。
私は今ここってた時に、数分っていうケースから数時間っていうケースまで伸縮させるし、
ある意味では長い方がいい面がある。
つまり現在間隔という時間がゆったり流れてれば長くなる感じがしますし、
チャキチャキ動いてればどうしても数分にならざるを得ないというところはあると思うんで、
ゆったりという意味では長い方がいいと思うけど、
長いというのは嘘が入りやすいという意味では短い方がいいと思うんで、
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そういう伸縮はあるんですが、
そういう伸縮を考慮に入れたとして、最大で前後合わせて1日は無理だろうと思いますが、
半日がいいところかなと。
いわば私の記憶ですよね。
記憶に近い記憶っていうのは、ごく最近の記憶の話ですが、
記憶に近い日常が動いていれば半日は大きなズレはない。
それでもズレがないってことはないですからね。
ズレは絶対にありますから、なかったら死んでますよ、多分私は。
あるから生きてるんですよ、これは。
生きてるからズレるんであって、
頭で考えた通りに生きるって、多分私は死んだように生きるってことだろうなと思うんですよ。
今うちに水槽あるんですけれども、生の水草は今入れてないんですね。
全部作り物なんですよ。
そうすると非常に手間が、ケアが楽なんです。
死んでるからね。
生きてると、やっぱり水草というものが生きてると、水槽はすっごい絶え間ないメンテを要求してくるというか、
それが楽しみの一つになるんだけれども、
自分が全部それを背負わなければならないとなると、
例えばコロナで2階から降りれなくなりましたってとき、
多分水槽はかなりヤバい状態まで行っちゃうケースもあるんですよね。
熱帯魚とかだったら目高だから多分なんてことはないんだけれども、
熱帯魚とかだと結構毎日毎週ケアが真剣にやらないとならない奴らもいるんですよね。
ああいうのって結局どういうことかっていうと、生きてるってことだと思うんですよ。
大半が作り物である水槽はメンテは楽なんですよね。
本当はそうじゃない方が目高にはいいんですけれども、
まあまあでも目高なんで、これで死ぬことはないんでね。
そういう感じでやっているわけですね。
そういうことだと思うんです。
僕らの日常が安定しているということは、つまり半分死にかかっているときほど安定しやすいんですよ。
半分死にかかっているときほど安定しやすいんですよ。
ということは、毎日が安定すると思っちゃダメだと思うんですよね。
ここら辺がつまり、なんていうんですかね、
倉園さんが言う人工と天然ってことだと思いますし、
私たちが作ってないものだから、地震ってそうですよね。
私たちが作っているくらいなら、そもそも発生しないはずなんですよね。
人工的に地面を揺らしてやりたいと思う人って世の中にいるんですけれども、
普通はそういうことをあまり望まないから、これが人工物であれば揺れずに済むんですよ。
だけれども人工物でないので脱線という、脱線するというのは人工物の方が脱線するわけじゃないですか。
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つまりレールを敷くから脱線するわけですよね。
レールしかざるを得ないわけじゃないですか。
少なくとも私たちの文明の現段階ではレールというものが必要なんですよ。
レールというものが必要だということは、そのレール上を何が何時に通るということも全部決められているわけですよね。
だから脱線しちゃうわけじゃないですか。
そんなことを決めなきゃいいんですけれども、そういうわけにはいかない。
結局必ずいずれああいうのがまた来るのは分かっているにも関わらず、
レールを敷いて何時何分には絶対その速度で走るということに決めてしまって、
その間は決してああいう地震は来ないという想定、来るという想定をするんだけれども、
でも来ないことになっているわけですよね。
ゼロリスク的な話ですよね、この話。
そうすると私はですね、それは集団でやっているし、でかい社会だからしょうがないと思うんですけれども、
でもそんなに本当に急ぐ必要ってあるのかなとは思いますけどね、今の時代。
とはいえ、速ければ速いほどいいという価値観はなぜかバッチリ根付いているのでしょうがないんですよね。
だから200キロが300キロになって400キロになるといいということになるんだけれども、
その分怖いことになっているはずなんですが、
だけど私たちはそれにどこまでも付き合うことはないわけじゃないですか。
だからレールは敷かないに限るんですよ、絶対に。
レールを敷くということは、ああいうリスクを入りもしないのに自分で勝手に取りに行くという意味でしかなくて、
代わりに得られるメリットなんて実に高かしれていると思うんですよね、本当に最近は。
私なんかの場合は、どこそこに3時間で敷くのと4時間で敷くのって何の違いもないですもん。
3時間で敷くと1時間浮いて自分が1時間得すると思うのは本当に錯覚もいいところで、
そんなのはどっかのお裁判さんを探しているうちになくなっちゃうような何かで、
ない方がいいんじゃないかぐらいに最近は思います。
自分の時間が1時間余計に欲しいなって思うことは、最近は全くなくなりました。
どうせオミクロンとかで2階から降りることもできなくなると、膨大な時間が手に入るんですよ。
ずっと漫画を読んで過ごすんですけど、私はそうしたんですけどね。
だから持合の本とか菅さんの本とかも読みましたけれども、漫画じゃないやつって意味ですけど、漫画みたいなもんですよ。
こうやって膨大な時間を潰さなきゃならなくなったりして、これが皆さん嫌なわけでしょ。
この間に英語の勉強でもしたいってわけなんでしょうけど、私はまっぴらごめんなんで、本当に漫画でも読めます。
それはどう使っても私は同じだと今は思うんですが、
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どう使っても同じだと思うためには、やっぱりレールもしかないっていう、
どう使っても同じだからレールもしかないんだけれども、本当はそこの順序なんですけどね。
本当はどう使っても同じだから、私は前後数分くらいに、最大でも数時間くらいにとどめておきたいんですけど、逆になるんですよ。
スクシュート的な表現をとると逆になるんですよ。
前後をすっぱり諦めれば、どう使っても同じなんだということがわかってくるんですよ。
あるいはレールを一切引くのをやめれば、どう使っても同じなんだということが見えてくるんですよ。
こっちのほうが本当は逆なんだけど、こういう考え方はタスクシュートならではの独特のものなんですが、
私がよくいろいろ考えたり、このツールの思想設計とかそういうことを考えずに、きちっとタスクシュートを使いましょうねって話をペタラするのはこれが理由で、
こうやってさえいればですね、見えてくるんですよ、裏園さんのところに。
時間は今ここにしかなくて、自由も今ここにしかなくて、平安も今ここにしかないってことが見えてくるんですよ、実感として。
これは私がタスクシュートを使いだして1年以内に実感したことで、以来ずっとその感覚を手放さないようにしてやっているわけです。
やりましたよ、2週間後先のことまでやるとか、でもそれをやると脱線しまくるんで、結局自分に思い知らせることになるわけです。
今ここしかないんだなということ。当時はそうは気づかなくても、体感としてそれがくるんですよ。
全部がめちゃくちゃになっているから、今ここしかちゃんとできなかったなと、できたやつは全部今ここだけなんだなと。
例えばトイレとかね、トイレとかには後悔とかないわけですよ。
あの時トイレに行かなければもっと他のこともやりたいとはまず思わないんですね。
切実であればあるほど思わないんですよ。つまりこの時間はこうしか使えなかったと、
その時はこれしかありえなかった、他の選択肢とかは所詮気上の空論でしかなかったと思えれば思えるほど、
その時間は今ここになっているんですね。
気上の空論であればあるほどめちゃめちゃになっていくわけですよ。
書いたこととは何の関係もないことをやりだす、というか書いたことをやっている場合じゃなくなるわけですよね。
レールを引くってまさにそういうことを生み出すはずなんです。
その機能みたいなことがあれば痛感させられるんだけれど、なくたって痛感するんです。
タスクシフトを使っていると痛感プラス目に見えるんで、だんだんそっちのほうに流れていくはずなんですね。
私はそれを期待したいんで、本当は本でごにょごにょ説明するっていうのは余計なことなんだけど、
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ここがあれなんですよ、ハウツーものの宿命なんですね。
言葉では伝えきれないことを言葉で伝えきれなきゃいけないんです。
レールを引くわけですよね。
駅に着いたらどこどこで食事をしてとか考える。
ところが電車が脱線するという時になって、人は今ここに生きているってことを痛感せざるを得なくなるわけですよね。
そういう予定はすべて気上の空論であって、
まずこの脱線を生き延びない限りは、そういうものは先には何もなかったと。
その時間を生き延びるというタスクは誰も考えていないんだけど、
でもそれをやる以外のいかなる選択肢もない。
それはまさに今ここでやるべきことになるじゃないですか。
本当はこれの連続なんですよ、私たちの人生は。
本当はこれの連続なんだけど、今は高度に文明化されたので、
ものすごく原初のものに、つまり脱線とか原始的ですよね、原初として。
強く原始的なものに直面させられた時、初めてあっと思うわけです。
頭の中で未来の中を生きている気になっていたんだなということを、
僕らは直面した時にそこに戻されるから、今ここに戻されて、
しかもそこに固定されちゃうので、初めてそこに入った時に、
あっこれしかできないなということがわかるし、
実は私たちはそういう瞬間以外の瞬間は一瞬も持ったことがない。
他の時間は全部イリュージョンの中を漂っていただけだということに気づくんですよ。
私はそれがタスクシュートは気づきやすくさせるツールだと思っているんですよ。
だから黙ってちゃんと使っていれば、いずれ誰でもそうなるはずだと思うんですね。
未来を漂う時間が減っていく。だから時間が自由になっていくんですよ。
こういう話をかけないんですよ、なかなか。
まずこれを書いて原稿を提出して、はいこれでOKです、素晴らしいですと、
誰も言ってくれないだろうなというのもあるし、なかなか言ってもらえないしね、原理。
あとはそもそもこれをうまく書いて伝えられるのかというと、なかなかそうもいかないんですよね。
今ここなんていうのはマインドフルネスでもグッドバイブスでも禅宗でも仏教でも、
もう二千何年前からずっと言われてきていることで、僕らはそれを低欲無視するじゃないですか。
すぐ一年後の自分はこうしてああしてって平気でやるわけですよね。
何度も何度もそれをやる。今ここが難しいわけではないんだけど、
今ここは難しいんですよね、こういう生活の中では。
だから私は確かシュートって面白いと思っているんです。
すごく文明的なものですよね。
24:00
で、何らそれには今ここを知りましょうという、
リアルタイムロギングメソッドという言葉をずっと前に大橋裕祖さんの仕事の中で書いているんですけどね、
そこはあんまり言われない。
使い込んでいる人の中でもあんまり言われない。
でもリアルタイムロギングメソッドって、
それは今ここロギングメソッドってことじゃんってことなんですけどね。
リアルタイムですからね。
これが違う意味になりやすいという話なんですが、
リアルタイムなんですよ、僕らの人生は。
そうに決まっているわけですよ。
その間に何年前のことを考えていようとリアルタイムだし、
何百年後のことを考えてもやっぱりリアルタイムなんですよ。
リアルタイムしかないはずなんですよね。
リアルタイムじゃないって事は、死んでるって事じゃないですか。
リアルタイムってのは生きてるって事ですよね。
生きてるわけだから、僕らはリアルタイムなんですよ。
リアルタイムしかないんですよね。
だからタイムはないんじゃないかと思うんですけどね。
空間はあるような感じが、時間よりはしますが、空間はないんじゃないかなという気も最近するんですけど、でも空間はあるような感じはしますよね。
で、私たちは空間を生きているはずで、時間は生きているはずがない。
ただ空間に名称がついてはいますよね。朝とか昼とか夜とかね。
そういう名称をつけておくと便利ですからね。
そうやって座標軸を合わせないと待ち合わせできないんで、いろいろ便利なんだけど、
リアルタイムじゃないところにいられるってことはないんですよ、どんなにそれが便利であろうと。
つまりタイムマシンは無理だって話ですね。
で、こういうことを話すわけだから、それこそ今ここで全部喋っちゃダメなんですけれども、
これをリアルに実際にやるということについて、僕はやっぱり喋るしかないなと。
一番この中で伝えられれば、今を伝えできればいいなと思うのは、
今ここに焦点を完全に、これは私は実際には一日に一回できたらいい方なんですが、
焦点が完全に合った瞬間というものが得られれば、自分の時間になるものの話なんですけど、
本当は違うんだけど、自分の時間というものが欲しいって皆さんおっしゃるじゃないですか。
1時間でも2時間でも、第2領域でも、何でもいいんですが、
今ここに自分の近くの焦点というんですかね、目のピントが合うみたいに感覚のピントが合うんですよね。
つまり未来のことも過去のことも完全に頭の中から消して、
今ここしか意識していないという状態を一瞬持てれば、それでもう十分なんですよ。
27:01
自分の時間はそれでもう永遠に手に入ったような感じが得られるんですよ。
これはもうどうしてもこういう話は修道的なニュアンスを帯びるので、
これでうまく、もっと実用的な言葉で表現したいんだけど、
今はまだ僕には無理で、焦点を合わせるとしか言いようがないんですが、
焦点を合わせた瞬間が数秒あれば、もうこの日は満足になっていくんです。
あとはもうどう使っても全然損をしたという気がしないんですよ。
この感じってのがあった方がいいだろうなって今は思うんですね。
自分の時間が足りないとか、人にいつも使われてばかりいるとかそういうことが問題になるということは、
多分この自分が今ここを生きているという感覚が足りてないんだと僕は思うんですね。
そこが不足している。つまり要は自分の時間が持てたというのは、
この時間はこう使いたかったというふうに使いたいってことでしょ。
ゲームでも何でもいいんだけど、とにかくそういうのって野球が大好きな人は野球を見るとか、
野球場に行って観戦するというのは、つまりそういう時間の使い方を自分がしたい人間であって、
そういう時間の使い方ができたら満足いくってことですよね。
でも野球がどんなに好きな人でも、野球観戦を生きさえすれば絶対その時間が満足得られるかどうかはまた別じゃないですか。
大橋さんで言えばですね、映画さえ見ればどんな映画でも同じだということにはならないんですよきっと。
この映画をこういう時間でこう見ると最高に満足だっていうのってあると思うんですよね。
好きなことをするってのはそういうことですよね。
そういう満足を得たときは、この時間が何かにつながっているとか、そういうことじゃないと僕は思うんですよね。
それはどうすると、つまりその時間は何かに従属しちゃうって形式上の話ですよ。
例えばこの映画を見ることによって何か教養を豊かにするとかだと、
教養を豊かにした将来の良いことのためにこの時間を使ったって感じがするんで、何かこう従属感が出ますよね。
そうじゃなくて、今ここがクライマックスにならないといけないと思うんですよ。
これが感覚的に近いんですよね。
今ここがクライマックスになった瞬間は、僕は1秒あれば十分だと思うんですよね。
1時間とか全然いらないし、1時間無理だと思うんです。
1時間もそんな時間を僕の場合持っちゃうと、むしろ辛くなってくる。
なんか耐え難いものを感じると思うんですね。
数秒ぐらいしか持たない、何が持たないのかな?体かな?
とにかく変な話なんですけど、性的な絶頂って多分1時間とか長すぎると思う。
30:07
やっぱり数分が良いところじゃないですかね。
今の私の体力だと数秒でも持たないんじゃないかなって時々思いますね。
それとはちょっと違うんですけど、興奮してるわけじゃないんで。
でも今ここがクライマックスになるような時間っていうのが数秒あれば十分なんですよ。
私は割とそれを目高見てる時に来るんですよ、最近はね。
なのでそれがあればですね、後の1日の23時間50何分何秒は全部他人のために使っても全然もったいないとは感じないんですよね。
そのぐらいのバランスなんですね、バランスという言い方をするならば。
もっと行く人は多分この一瞬があれば一生やってきるんだろうなって感じがするんですけどね。
この感じっていうのが僕はタスクシュートで得られると思うんですよね。
時々、つまりタスクシュートなくてもあるんだけどこんなものは。
だけれどもタスクシュートがあるとこれを得るタイミングを増やせるんですよね。
本当に一瞬でいいって時間いらないんですよ、そういう意味ではね。
自分の時間なんて全くなくても全くないってことは今言った通りでなくて、
これが数秒あれば自分の時間が7、8時間手に入ったような感じというのがその時はいられるのですよ。
それが自分の時間で英語の勉強するとかとはつまりスキルアップに使うとかではないんですよね。
数秒で英語の力が伸びるとかいうことはないからしょうがないんですよ。
これはスキルの話とは全然違って満足感の問題なんで。
これも映画とか野球でもそうだと思うんですよね。
つまり野球観戦って3時間を突破すると思うんですけど、3時間中大興奮っていうわけにはいかないんですよね。
何箇所かなんですよ。そういう野球見てよかったな、今日はって思うのは何箇所かなんです。
クライマックスが何箇所かあるっていう程度で全部合わせると秒じゃないですけど、
でも10分いくかいかないかじゃないかっていう感じがある。
映画はわかんないですけどね、僕はね。
そういうもんなんで、自分の時間の長さ、自分の時間が欲しいって言ってあるときの問題は長さじゃないと思うんですよね。
やっぱり満足度の問題。
これをタスクシュートでは意外と使わないで言うと見落としていた時間のタイミングで、
私なんかだとそうだってことですが、何回か得られる。
人といるとか何をやっているとかは関係なくて、このタイミングでそれが得られるっていうのは出てくるんですね。
ポツポツと出てくる。
だから不満はないんですよね。
この時間はどういう時間であるという、そういうラベリングを拒否するような時間が必要だってことなんです。
33:04
名前がつかないですからね。せいぜいクライマックスがリアルタイムぐらいな名前になっちゃうんで。
それって行為の名前じゃないですよね。
評価の名前なんか近いですよね。
そういう瞬間があるんですよ。
そういう瞬間を持つためにはリアルタイムからそれちゃダメなんですよね。
これはリアルタイムであればあるほどこの感覚に近づいていく感じがするんです。
だからリアルタイムロギングメソッドなんですよ。
それをロギングできるぐらい、ログ取るってことは記憶に多少は残るってことなんで。
ここに現在と時間の幅ができるんですよ。
過去になっちゃうんだけど、あの時間は良かったっていう感じで過去になっちゃうんだけど、
でもそれは現在の余韻の中に入ってくるみたいな感じがあって、
これをログできるということは、もう1日は数秒自分に手に入れれば完全だって感じ。
この感じを得られればですね、タスクシュート以外のツールとかはまるでいらなくなると僕なんかは思っちゃうわけですね。
これはつまり多少実用性からずれているようにも思うんですけど、
でも実用の目的ってそれじゃないですか。
今はクライマックスなリアルタイムが欲しいからやってるわけじゃないですか、ある意味では。
時間管理の入り口はそこにありますよね。
自分の自由な時間が欲しいってわけですよね。
自由な時間が欲しいというのは、つまりその時間がないと私は生きていることに満足できないんですっていう、
そういう時間が欲しいって意味ですよね。
だと思うんですよね。
自由な時間がすっごい自由だけど、何をしてもいいんだけど、
偉く面白くもなく退屈で不平不満がいっぱいですっていう時間が欲しいわけじゃない。
ないと思うんですよ。
そういう話がこれからまだやっていければいいなと思っています。
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