2022-08-25 32:53

【659GMV】タスクシュートを無計画に使う

計画に眩まない
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
おそくとも来月、遅ければ再開中ぐらいには、何とか下でも上と遜色ないレベルにしたいなとは思っております。
今はですね、とりあえずこれで、下で撮るときはですね、これで頑張ろうと。
昨日、朝撮って、夜も撮っちゃえばよかったんですけど、夜ロッテ西武線見ていて、しかもかなり久しぶりに連敗止めて、連敗脱出したんで、
今は地元的にDNAを応援する方が楽しいと思うんですけど、やっぱり長年応援してきているチームっていうのは感覚的に応援しちゃうんで、
いくら地元がDNAでも、DNA地元地でも横浜北から遠いんで、地元感そんな強くはないんですけど、千葉よりは全然地元なんで、
DNAで行ってみれば、今8連勝だし、なんか異常に強いんでいいんですけど、なかなかそう都合よくはいかないもんですね。
ちょっと先なんですけど、9月25日に3カードセミナーっていうのをやってみようと思いまして、ほとんど思いつきで動いちゃっているところもあるんですけど、
岡野純さんと小谷さんという方とですね、タスク管理をテーマに3人1人喋って盛り上がろうみたいな、
僕の本出したのが意外と好評いただいていてですね、ここが刺さるんだなというのが結構発見があったんで、
その部分をちょっと掘っていこうかなと、深く掘っていこうかなというセミナーを私はですね、したいかなと思いまして、
3カード有料マガジンなんで、購読いただいている方は1000円引きでご参加いただけると、そういったものにしました。
でですね、3カードは500円じゃないですか。500円なんですよ、月額。
セミナーは1000円引きになるんで、2ヶ月購読すれば全く損にはならないかなというそういう考えで、
そういうふうに適当にやっちゃっているわけですけど、最近適当にやっちゃうというのはキャッチーじゃないんで、受けないと思うんですが、
倉園圭祐さんがですね、ジャジンワークというかな、というセミナーを最近されていて、
あれ要するにノープランなんですよね、完全に。ノープランでやることを決めずに、何て言うんですかね、やりたいことをやろうみたいな感じの、
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受けていただかないとわからないかなと思うんですけど、私先日ほら、100日チャレンジ、J松崎さんとやっているやつで、
ノープランで今日のレクチャーをしていますという話をして、少なくともお一方、お二方、お三方くらいはかなり恐怖に駆られて、
恐怖に駆られたというと、またそれはそれで多分そうは思っていないかもしれないんであれなんですけど、
要するに悪いことをしたかなと思ったので、ちょっと考えていたんですよ、しばらく。
何を考えていたかというと、伝え方なんですけど、ノープランを辞めるってことは僕の場合も、
婚輪際なさそうな、これもわかんないですけど、ない、なさそうなんで、
どういうふうに言うかっていうのをちょっと考えていると、何が起こるかというと、遠慮がちになっちゃうんですよね。
この辺は妥協、結局ね、私の側からするとそれは妥協なんですよ。
妥協するのはすっごい簡単だから、全然構わないんだけれども、その楽という意味ではですね、
ただ妥協すると絶対相手の人には申し訳ないなという罪悪感とセットなんですよね。
この辺はもう本当に倉園さんの言う通りだなと思うんですよ。
もう妥協するってことは罪悪感を引き受けるってことになっちゃうんですよね。
これをしばらくやっていると、これ良くないよなと誰のためにもですね、結局。
これだったらもうノープランですと言っちゃって、その場で3人くらいの方を恐怖に落とし入れた方がマシじゃないかと。
その方が僕の罪悪感は少ないんですよね。というかほぼないんですよ。
謝りはします。怖がらせた分は。
でもそこはですね、娘にちょっとつい、最近で言うと足でも踏んじゃってごめんねというのと似たようなものであって、
ここに罪悪感ないんですよね。謝ってはいる。
そんな感じでしかないんで、こっちの方が良いなって思うようになりつつも、やっぱり考えなきゃいけないなとも思っていてですね。
その辺でのプランについて考えてたんですよ。まだ考え中です。
というのも私ね、タスクシュードがあるんで、これとはやっぱりね、整合性みたいなものは意識に入ってくるんで、
ここはやっぱり考えないといけないなと。
この答えは岡瀬聡さんも知ってるはずなんだけど、それが上手く表現できてるかというとまだそこではないと思うんですよね、私は。
私より彼の方がわかってるのは確かだと思ってるんですよ、私は。彼がそれを否定してもそうは思わないんですね。
私はそれぐらいオリジナリティっていうものに絶対の何かを置くので、僕はオリジナルじゃないからね。
僕の方がわかったようなことを言ってても彼の方がわかってるはずだっていうのを僕の中では動かさないことに決めているんですね。
これは倉園恵都さんのグッドバイブスでも全く同じで、なんかこう僕の方がわかったようなことを言うことがあっても、
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僕の方がこれに関してはですね、倉園さんの方がはるかにわかってる感もあるからいいんですよ。
だけど大橋恵都さんとのタスクシュートに関して言うと、2人で言うことが違って聞こえた場合、
違って聞こえた場合ですね、僕の耳には違っては聞こえないんだけど、違って聞こえた場合に
どっちの表現の方がこなれているかという程度の問題になっちゃうことが起こるんですよね、長くやってると。
でもわかってるのは彼だっていう風に僕は決めてるんで、そこは動かさないことにしているんですね、誰が何を言ってこようと。
内心ではね、ここもだから妥協ってあるんですよね。
表面的にはそういうこともあるかもしれませんぐらいなことは言っても、内心では彼の方がわかってる点については僕は妥協はしないんですよ。
そういうものっていくつかあるんですよね、のうちの一つで。
でも、とは言ってもですね、なぜじゃあタスクシュートは無計画なのに、
まず計画表みたいなもので時間管理ができていくのかということを問い詰めてしまうと、
多分答えられる人はまだいないんじゃないかなと私は思っているんですね。
で、その最大のポイントはノープランなんですね。
ここで妥協しちゃうと、僕からするとですね、もう後ろが一歩もないんですよね。
崩壊してしまうんですよ。
そういう場合は必要なんじゃないかとか、ああいう場合は例外なんじゃないかとか言っていると、
元に戻ってしまう。つまり他の時間割り表みたいな単なる計画表と何にも違わないものがそこにポンと現れてしまって、
僕はこれは最悪だと思うんですよね。最善も最悪もないんだけど、それはイリュージョンなんですけど。
タスクシュートがタスクシュートである理由を失うなとは思うんですよね。
それはダメなんですよね、私の中では。なぜダメかというと、できなかったからですよね。
私はその時間割り表的なもの、計画をがっちり立てるやつ、逆算手帳みたいなもの、
まだ逆算手帳というものがなかった時代、今ありますよね。
なかった時代に使っていたもの、GTD、全部やってるんですよ。
私はGTDなんて全部英文で読みましたからね、そんな話はあんまりしてないし、
なぜしていないかというと、私はGTDでは何もできるようにならなかったから、
そんなことを言っても無駄だなと思うんですけれども、
何もできるようにならなかったっていうのは、つまり留学時代の話なんですよ。
あの時私が一番時間に困ってたんです。何にしろ課題出されるものを徹夜しても終わらせることができなかったわけだから、
時間管理以前なんですよね、何とかしなければいけなかった。
でも卒業できましたからね。あれもうどうやって卒業したんだろうと、
スクシュートがあったらよかったなと思うんだけど、もちろん知らなかったんですよ。
あったと思うんですけど、日本には。
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私はアメリカにいたし、仕事も知らなかったし、大橋さんのことも知らなかったから、
当然何もなかったわけですね。ただただGTD的なことをやってみたり、
ナンラスの習慣的なことをやってみたりしてはすぐ崩壊すると。
そしてでも課題はしなきゃならないと、この事態が延々続いていたわけですよ。
こういう話すると、じゃあ佐々木さんどうやればいいんですかって聞かれるんだけど、
だからタスクシュートやりましょうって言うんですよ、私は。
ここでがっかりする方がいらっしゃるのが、私から見ると、そこは何かね、
違う良い方法があるぐらいなら、私はオリジナルでやっているんですよ。
なんかこう、軒馬術みたいなので、やるんですよ。
出来ない方から、タスクシュートで出来たから、タスクシュートを進めるのが一番嘘がないと思うんですね。
そこがGTDで何とかする方法を教えてくださいって言っても、
それは知らんなかった話なんですよ。デビッド・アレンに聞いてくださいっていうことなんですね。
まあ今ありますからね、GTDだって、トレーナー制度って、GTDジャパンって知らないですけど、
あったはずなんで、そっちに行って、そこで今という方法を見出せばいいんじゃないかとは思うんですね。
そういう方法が良いと思えば。で、私は良いとは思わないんですよ。
で、本の中でも書きましたけれども、この要素が無いと無理だなっていうのが、
どの要素かというとノープランなんですね。
このことに決定的な確信を得た瞬間というのがあって、それが東北の震災の瞬間ですね。
あの瞬間に計画立てて逆算するのは絶対ダメだって思ったんですよ。
なぜかというと、その時私は渋谷にいたからなんですよ。
この話何回かしてますよね。しかもあろうことが大橋さんと一緒にいたんですよ。
逆算できるくらいなら、あの日に渋谷には絶対僕はいない。
大橋さんがいるのはまだ渋谷なんですよ。彼は都内に住んでるんだから。
でも私は埼玉県に住んでたんで、どっちにいた方が安全かっていったら、
それはもう絶対自分の家にいた方が安全だったに決まっているんですね。
そもそも蔡氏がそこにいたわけだから、蔡氏とわざわざ離れて、
東京のど真ん中にあんな先が読めていれば、絶対に僕ならやらない。
他の人は知りませんよ。震度6くらいなら行くっていう人だっているかもしれないけど、僕なら行かないです。
まして、その旧海建ての建物とか、冗談じゃないっていう、
僕は臆病な人間だったから、今でも臆病だけど、
あの当時はすごい臆病な人間だったから、絶対に病気になってても、
その日は家から出なかったと思う。
実家の部屋に行ってたでしょ、そこなら安全って。
何しろ僕は安全にうるさい人間なんで、絶対それが分かっていて、
かすかにでも分かっていて、都内にいるはずはないんですよ。ありえないですよね。
僕帰りの時も思ったんですよ。
12:01
漁針がでっかいなったじゃないですか。震度6強が東北で起きたのと、
中野の方でも6強が起きたんですよね。
その時に、アローコとか、しょうがないんだけど、
明け方の朝の4時くらいかな、有楽町線、現在の福都新線に乗っている地下鉄ですよ。
もうほんとね、めちゃくちゃ死ぬかなと思いました。
6強っていう話がちょっと出た瞬間に、電車に乗っている最中に地下鉄の中で真っ暗になったんですね。
意識がもうろうとしてたんだけど、目がパッと覚めましたね。
やばい、もうこれ、地下で死ぬんじゃねえよって思いましたね。
すっごいまた混んでたんですよ、朝の4時の電車で。
あんなのに乗っちゃうんだな、人間は。
一日待てばいいのに、急いで帰りたくなるんですよ、マサイ氏がいたからね。
ほんとね、先が読めない。一瞬は読めない。
一瞬でも読めていれば、絶対僕は地下鉄には乗らない、あの時は。
濃々と乗ってて、この地下鉄で浅川にたどり着くまでは大丈夫だろうと思う、その発想がおかしいですよ。
ちょっとでも考えれば、危ないだろうなって少しわかりそうなもんだったんですけどね。
ここがまたポイントですよね、大丈夫だったんですよ。
つまり、わかっていれば大丈夫であるということは、確信できていれば乗ったっていいじゃないですか。
どっちの確信も持てずに行動性をしなければならないのが、私たちじゃないですか。
この話をする当時はですね、通ったんですよ。逆算なんて無理だよねって話は結構通ったんですよ。
やりたいことをどんどんやった方がいいよねってことをみんな言ってたんですよ。
気がつくとそうじゃなくなってるんですよね、世の中的にね。
多分これやっぱり日本的にはすごく安定したところがあって、
毎日が同じように見えるようにかなり工夫されていて、電車の時間とかも正確ですからね。
こういう文化圏に住んでいるからこそ、私たちは毎日は安定してるんだって思い込んじゃうんですね。
だから先が読めるし逆算も可能なんだって思ってるんだと思うんですよ。
やっぱりね、僕はこれはすっごく大きな嘘がこの中に潜んでて、
今日のリストっていうのもすごいあやふやなもんだろうと思う。
絶対知ってることだと思ってるんですけど、
私はアクセスっていう、今あるのかな、マイクロソフトアクセスっていうですね、
データベースソフトを使って、かつ過去の自分のいろんな、
これエクセルだけでできる人はできるんだと思うんですけど、
僕はできなかったから、データベースソフトを使ってですね、
主要な、つまり食事の準備とか、細かいデータを取った後はですね、
15:02
かつれ地とかを外して、徹底的に中央地とか平均地とかを取って、
これで組めば、数分のずれはもう、3分から4分のずれはしょうがないけど、
これで組めば、今日の1日は、しかも絶対無理なことはしないように、
絶対私がしそうなことだけで組んだっていうことが、数回やってみたことがあります。
一度もその通りになったことないです。本当に一回もないですね。
一回ぐらいありそうなものなんですよ。
全くどこからどう見てもこうなって不思議はないっていうリストなんだけど、
そうはならないんですよね。面白いことだと思いました。
この子だと震災のこととか、などがありまして、
今日のリストっていうのを、基本は信じないっていうスタンスが、
正しいんだって思えるんですよ。正しさ手放すっていうのもあるんだけど、
正しいんだっていうのは、つまり分かってないんだっていうことなんですね。
こうなるかどうかなんて、ロシアの方の問題もあるじゃないですか。
あの辺の国に住んでいれば、分かれたリストとかっていうのもよく分かると思うんですけれども、
いずれにしても、昨日言ったやつですよ。
一寸先は闇なんですよ。文字通りそうなんだなと。
ここに、変に聞こえるとは思うんだけど、
ここに安心感を見つけ出さなきゃダメなんだって思います。今は。
ここが安心できないというのは、つまり神経症なんだろうなって思います。
他の動物みんなそうしてますよね。
一寸先が読めると思って生きている動物なんて多分いないと思うんですよ。
そんな風にできてないですからね、現実ってのは。
私たち人間だけは、一寸のところか、一年先も読めるべきだって言うんですよ。
それは、僕から見るともはやジョークの世界だけれども、
だって第7波も正確に予期できているっていう人がいないかったように見えますからね。
これだって、いかにも予期できそうなもんじゃないですか。
最新のAIとかを徹底的に駆使すれば。
私が言っているただ、予期できるというのは、
基本的に始まる日は予測を外さないんですよ。
人数も、1人単位とは言わないけど、100名単位では外れないっていう予期ですよ。
多分そんなことができている人はいなかったと思います。
後になるとですね、何でも予期できる人ばっかりになっちゃうんで、
後になった話は一切信じちゃダメだと思うんですけどね。
このタイミングで第8波が何月何日の何月何日に始まって、
ピークは何月何日で、その時の罹患者が何人になる、
全数検査しないことになったらしいから、こういうのは分からないですけど、
これが言えるんだったら予期ですけど、言えないと思うんですよね。
そういうことを諸々含んで考えてみるとですね、
18:05
その大きなマクロ的な予想は仮にできてもできなくても、
できてもできなくても、僕らは関係ないんですけど、
僕らがやろうとしているのはタスクシュートのこのタイミングで、
例えばこの今日の10時30分のタイミングで原稿を書けるかどうかって話なんですよ。
これは無理なんですね。
無理ってのは原稿が書けないって言うんじゃなくて、予想ができないって言うんです。
予想しちゃうわけじゃないですか。
ここに予想が入らないということは僕は絶対認められないんですね。
ここに予想が入らないのに、なぜその時にできるかできないかが言えるのかと。
できる条件が整っているか整っていないかがわからないじゃないですか。
9時半の段階で大地震が来たらアウトじゃないですか。
そしてそれも絶対来ないと言い切れる何の根拠もないんですよね。
だから僕らそのことをよく知っているんだと思うんですよね。
ちょっと先のことを。
現に私は今9時16分なんですけど、
9時40分の段階で自分が何をやっているかはタスクシュート上にはあるんだけど、
わからない段階的に向きのほうが今強いですから。
そこでリピートタスクというものが先にパッと現れているわけですよね。
これをどういうふうに考えるかということなんだけれども、
リピートタスクというのは食事をするとかお風呂に入るとかそれこそ寝るとか絶対やりそうなことです。
絶対やりそうなことではありますが、
昼食を抜くかもしれないし、
今日徹夜するかもしれない。
ここ何年も徹夜なんてしてませんか。
でもするかもしれないじゃないですか。
そういうこともあるわけですよ。
一切が闇ですよね。
闇というのもニュアンス的に暗いんで悪い感じがあるんだけど、
ここに救いがあると思うんですよ。
いいことが起きるかもしれませんからね。
つまりわからないですよ。
これがノイローゼだと僕は言うんですけど、
悪いことが起きるという予測がすっごい強くなることがありますよね。
僕の静電気がそうです。
昨日雷がビカビカ鳴ってたけど、僕はやっぱり雷があるんですよね。
光ったのを見た瞬間に一瞬体が止まっちゃうんですよ。
でもおかしいなと思うんですね、頭では。
光ったのが見えたということは無事だったってことじゃないですか。
直撃されたらその瞬間にもう見えたでも済まないから。
見たってことはもう大丈夫ってことなんだけど、
分かってないんですよ結局。
少なくとも体はですね。
だから硬直しちゃうんですよパチッと。
それが僕は神経症の一種だと。
つまり僕の場合は電気恐怖症を広く言って、
そういうものの一つなんだけれども、
電気恐怖症の一種だなと思っておりますが、
これもまた同じなんですよね。
一瞬先は大丈夫って思っている自分の期待が裏になれているから、
予期するっていうのは本当にしょうがないんですけど予期はするんだけど、
21:06
間違いを得るっていうことが大事なんだ。
結局落ちてないわけだから、
落ちてないってことは良いことが起きた、
どっちかというと悪いことが起きるかもしれないという予測が裏になれているんですね。
これが僕の一番実は人間にとっての大きな救いだなと思います。
良いことが起きるかもしれないという予期はしばしばかなりの確率で外れているので、
ものすごい多いですよ、皆さんだってきっと。
私もそうですけれどもね、
これを書いてひどいことを言われるんじゃないかとか、
あの書き上げ塾であれほど怖いことは言わない倉園さんについてすらですね、
みんなこれを予期して書けなくなるっていうことが起こりそうですもんね。
ひどい赤を入れて、
あなたはもう破門ですとか言われるんじゃないかという恐怖に怯えて書けなくなったり、
するんですよね。
これはもうイリュージョンでも派手しいんだけれども、
こういう予期は外れるわけですよ。
だから救いがあるわけです。
僕らの予期は全部が全部が当たるわけでは全然なくて、
ほとんど全部が全部外れるんで、
一番良いのはしないことなんだけど、
悪い予想が始まったときも、
基本的にそれは、
それより良い現実が待っていると思っていて、
大丈夫なんですね。
ただそれだけでは先送り問題というのはなくならないんですが、
でも先送り問題というのは、
ジャジーンワークでやっている通り、
実は本当は非常に簡単で、
やろうと決めなければ完璧にうまくいくはずなんですよ。
本当は。
これができるようになるかならないかなんですよね。
百日チャレンジでもしばしばこれに近いところまで踏み込めたときに、
必ず来るご質問があって、
こうやってないと怖いんですっていう、
ここまで来るともうあと一歩なんですよ。
こうやってないと怖いというのは、
神経症にすごく近いんで、
これがカミングアウトできたということは、
もう個体に近づけているっていう、
僕は証拠だなと思います。
ナルシシズム的な恐怖なんですよ。
自分のイリュージョンが怖いんですって言っているわけですよ。
これがおばけじゃないか、おばけであるか知らないんで、
これがおばけだと信じてきて、今までやってきたんだから、
信じないでおばけだったときが怖いんですっていう話なんですよ。
もうあとはこれが怖くなくなれば、
勝てるって感じがするんだけど、
ここから先は、昨日言った通り、
ケアだけでは進まないんですよね。
少々な言葉による説得が必要で、
そしてこれが長くかかるわけです。
どうしても踏み込むことになってきますからね。
しかもこの話を長くしないと、
どうしても計画的なものに対する否定的な感じになるので、
ここを計画を否定せず、計画を無視できるようになるというのが、
今私が綱渡り的に目指している、
24:01
綱渡りというか、アイロンをくぐり抜けるように、
くぐり抜けるって感じを僕は最近持っているんですね。
僕のタスクルームにもリピートタスクがあるんですけど、
目の前に、つまり先の時間について書いてしまっているんだけど、
これをどうやって無視して好きなようにやって、
でもこれに沿っているかのような顔ができていくかと、
そういうやや名人芸的になっちゃうんですけど、
でも実際はこれにあっては、
本当に本能の赴くままに、本能の赴くままに、
人は生きられないことが多いんですよね。
フロント的には。
直感の赴くままに生きていたとしても、
こうなるかどうかというのは答えられないんですけれどもね。
答えられないんだけれども、
私は大橋芸夫さんとか、ジェルマン・スダーキさんとか、
他にもタスクシュートに相当ある種ののめり込み方をしている人の生活がですね、
そんなに僕のと対立していない、
そんなに僕のと大差ないように見える。
Jさんのですらね、ベルリンにいてすらそんなに僕のと違うという感じがしない。
たぶん3食食べてお風呂に入って、犬の散歩に行って、夜は寝ている。
これがあっていれば、他は大して違わない。
あと仕事はしている。
あと身近な人に対して一定の便利。
僕の子供を使えばケアですが、ケアもしてあげている。
これが揃ってて、違うとは思わないですね。
ここで、例えばJさんだけがベルリンで一番最高級の
ファーストクラスの方のスイートルームを借り切った生活をしているとかになってくると、
ちょっと僕の言っている言葉は多々しいなという感じがしてくるんですよ。
全く違う生活ぶりだなという感じになってくると、
これはタスクシュートの使い方次第で変わる。
タスクシュートの使い方次第で変わる私の生活は、
場所が違うだけで、大きな違いを僕は見つけられない。
見つけられないのは良いことなんですよ。
基本線が変わらないんだなということは、
つまりこれでいけるはずなんです。
それでですね、前もフロイトが書いていたのを見つけたんですけど、
それだけなのっていうか、がっかり感がありますかって話があるんですよ。
ただ3食食べて風呂に入って寝て、身の回りの人と仲良く過ごすだけって言われる。
フロイトが言っていたのはこういうことなんですよ。
精神分析をやって無意識というものを発見して、
出てきたのは心身症っていう無意識の仕業っていう、
たったそれだけなの。多分そういう反応があったんでしょうね。
27:00
私はそれを小さい成果と捉えるか、重要な成果と捉えるかは、
かなりその人の一人生の価値観みたいなものと絡んでくるので、
難しいなって思うんですよね、本当に。
私は留学中の3食を食べて、ある程度寝たい時間に寝て、
周りの人と仲良く過ごして、自分の単位が取れていれば、
それはものすごいハッピーだと思いましたね。
今でもそこまでの感激感はないんだけど、感激はできなくなっているんだけど、
これは感受性の問題で、ものすごいラッキーだと思っていますよ。
3食食べて、ついでに言うとおやつも食べて、お風呂に入れて、
身の回りの人と仲良くして、寝たい時に寝られるっていう以上の、
何を人は目指したいのか、これに対しては意義を見出せないとなってくると、
それはそれで本当にややこしい話も出てきますね。
フロイトはもっと無意識の発見から心身症だけではなく、
飲んで頑張って帰ったんだけど、僕に言い忘れれば、あの時代、
催眠療法、その前は今は何も、デレカン療法みたいなことばっかりやっていた時代に、
無意識で心身症を割り出せたっていうのは、重要な成果だったと思っていいんじゃないかと、
彼のやったことはそれよりはるかにデカかったんだけど、
たったそれだけって言われてしまえば、そうかもしれませんけどね。
そうは僕は思わないんですよ。この成果はないだっていう風に思っています。
これが留学中にやれていればどんなに良かっただろうと、
もっと留学できてたなって思いますね。
どうしたってやっぱり、何て言うんですかね、効率化っておっしゃるかもしれないんですが、
結局無駄なお金を使っちゃうんですよ。
なぜならば、3食食べてお風呂に入って、
寝たいときには寝られないからなんですよ。
そこでどうしても、少なくとも直感に反した動きをいっぱいしなければならないようになってくる。
それは無計画だからじゃないんですね。当時めちゃくちゃ計画立ててましたから。
そうではないんですが、無理だからなんですね。
無理なことをしようとしているから。
それは留学が無理っていうのではないんですけれども、
もっと様々な、特に身の回りの人と仲良くできるとか、
この辺にかかってくることが大きいんですけど、
そういうところで自分の計画というものを、
自分の計画ってすごく雑なものですから、
途中言った通り大地震が来るというのに、地下鉄に乗るような真似をしているんですけれども、
そういうことの中でも、だいたいろくでもないことばっかりしているんですよ。
30:01
自分ではそうは思っていないんですけど、計画っていうのはそういうふうに人を導くところがあるんですよ。
なんていうのかな、顔面なんですよね、すごく。
頑固極まりなくて、そうは本人は思っていないんだけど、
ものすごくナルシスティックなんですよ、その行動は。
周りの人が許容はしてくれるかもしれないけど、
周りの人に我慢を教えるような形でナルシスティックなんですよ。
それをやっていると、すごく人との協力を得られなくはないんだけど、
得にくくなると、孤立するんですよね、だんだん。
こういう流れの中で、余計なお金と余計な時間を必要としていくような流れになっていくんです。
僕はタスクシュートっていうのは、それをだいぶとどめてくれないと、
もっととどめられると最近思う。
そのためには、計画立てないっていうのがどうしてもやっぱり必要なんですね。
計画を立ててもいいんだけど、計画にこだわらないというか、
とらわれないというか、もうちょっとやや仏教用語的になっちゃうんですけど、
計画にくらまないってことなんですよね、一番言いたいことは。
目がくらむっていいじゃないですか、あれなんですよね。
実際は因果にくらまずっていう表現があるんだけど、
それはいいんですけど、目がくらむって、お金に目がくらむってですね、
計画にくらまないっていうのが一番肝かなっていう感じがします。
あってもいいんですよね、目の前に。
でも目がくらむんじゃダメみたいな、そういう感じ。
そういうことがタスクシュートについて見えてくると、
あってもやれるようになるし、なくてもやれるようになるし、
とにかく先送りなんかでは悩まなくなる。
だけどこれの前の段階に必ず出てくるのが、必ずじゃないかもしれないけど、
100チャンで何人かの方にカミングアウトしていただいているのが、
怖いんですってことなんですね。
自分に鞭を打たないのは怖いんですみたいな、そういう話がある。
鞭を打ってれば前に私は進んできたような気がするんだけど、
鞭を打ってないと前に進めない気がするんです。
これあれなんですよね、もうピーピー言ったから終わりますけれども、
鞭を打つっていうのは、自分で自分に鞭を打つっていうのは、
理由じゃないですか、アレゴリーじゃないですか。
だから鞭を打ったからって痛くないと思うじゃないですか。
で、鞭を打つじゃないですか。でも効かなかったら意味ないじゃないですか。
効かないと意味がないか、あるいは効くとするとめちゃくちゃ何かが痛んでるじゃないですか。
僕これどっちもすごく絶え難い話だと思うんですけどね。
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