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2021-04-16 30:29

【GMV360】トルストイはきっとノープランで書いていた

本当のことはわかりません
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、金曜はZoeさんのインタビューをお届けするという回なんですが、
えーと、朝が空くじゃないですか。
で、撮るのは昼なんですね、どうしても。早朝に撮るってわけにはいかないので。
いかなくはないのかな。でもまあ、多分行きにくいので、必然的に昼になりますよね。
そうすると、昼後になってしまうんですけど、朝が空くんですよ。
で、だったらストックしておこうって話になるんだけど、僕どうもですね、ブログもそうなんですけど、
作り上げたものを溜めておくっていうことに結構精神力を要する人間で、
編集して溜めておけばいいんでしょう、いいんですけども、その方がいいと思うんですが、
できないんです。できなくは多分ないんですけど、そこに使うエネルギーが結構バカにならないというのがあって、
しかも一週待って金曜の朝に上げるというのはすごく釈然としないものがあるんですよ。
ので、この時間はその気になったらやり、その気にならなかったらZoeさんのだけにするということにしばらくします。
どのように上げるという手もあるなとは思っています。
ということで、あともう一つお知らせしていた小橋絵蔵さんとやる無料の相談会。
これはオーンスタイルという以前ですね、一人事業やりたいとか二人事業やりたいとか何にせよそういうことに関するご相談やお悩み相談ができるというのをやってたんですけど、
コロナのどさくさで消滅してしまいまして、オンラインで再開するにしても全く同じ形でやるのもあれなんで、ちょっと形を変えてやろうと。
そのまず前振りとして無料相談会なんですが、あっさり満席になってしまったので、私ちょっと驚いたんですよ。
前日ぐらいになるだろうと思ってたんですけど、一日空いた状態で満席になったので、昨日ですね、4月29日のゴールデンウィークの最初の日にもう一回これを追加でやることにしました。
このタイミングは私非常にいいと思ってて、私だったらね、あんまり本当はそういうことって究極的には関係ないとも言えるけど、
私だったらそういうことをやるときは連休前とかがいいじゃないですか。自由に使える時間がいっぱいある感じがしますからね。
ということで、29日連休の入り口、これが連休の最終日も考えたんですけど、連休の最終日ってどうかって感じが、
明日から会社だっていう時に一人授業を始めるプランを立てるってのはいかにもどうかと思ったので、やっぱり連休の最初がいいかなと思いましてそっちにセットしました。
03:12
これまさかこんなに早く埋まるはずはないと思って、私と同じように思ってた方は29日の方にまた申し込めるのでそちらをご検討ください。
今言葉にいたしましたがプランと言いましたけど、
今日はですね、プランというもの、自分がこれからそういうイベントを開催する前に突然難しいこと言うようなんですけど、
プランというものは究極的には役に立たないと思いますが、作っておかないと気分が晴れないというならば作っておくのがいいかなぐらいに思うようになりました。
これ結構いろんな意味があります。
何から言えばいいんですかね。
あさって、あさってですね、倉座の慶三さんとノープランライティングという、こちらもおかげさまで成功でして、第3期に入っています。
僕のイメージではですね、回を追うごとに中身的にも参加者さん的にも充実感がありまして、最初からすごく面白かったんですけれども、
第1回目というのはどうしても手探り感がいろんな意味で出ますが、こなれればいいってもんじゃないんですけどね、ああいうものは。
創作活動なので、とはいえ第3期に入っていて、これは強くお勧めしたいものなんですよ。
この値段高いって思われると思うんですけど、僕は全く高くないなって思うように今なりました。
パソコン一台分、高いパソコン一台分って感じなんですが、高いパソコン一台買うならこっちの方が物かける。
私だけに限定してもそういうことが言えます。高いパソコン一台買ったって本かける保証なんか何もないですから。
これならですね、僕なら6ヶ月かければ書けるなっていう感じが最近上がってきたんですよ。
今までそういう視点で見てなかったですからね。私は一応主催側の人間なんで。
書き上げるっていうのはやっぱり大変でして、何が大変なのかなといろいろ思ったんですけれども、
要はですね、人というのは日々変わるんですよね。実感がないですけど、でもこの季節が一番実感しやすいんです。
先日これも倉野さんと動画収録していて、そうなんだよなと思ったことなんですが、この季節になると植物がですね、一気に変わるんじゃないですか。
06:03
日々変わるんですよ。僕らもこうのはずなんですよね。日々変化している。
ということはですね、本一冊書くの大変ですよ。全く葉っぱがない頃に考えたことを、緑をいしげっているときにやり始めていたらですね、
いや、こうじゃなかったなみたいなことはもうめちゃくちゃ出てきて、右往左往しなきゃなんなくなります。
一貫性を持つためにいろんなことをやるんですよ。
例えばアウトラインを作っていくとか。でもあれは一貫性を保つことには役に立ってもですね、書き上げる役には立たないんですね、私の考えでは。
一貫性を保つということは、前に書きたかったことがそこに書いてあるんだけど、それは今書きたいことではないんですよ、多くの場合。
だから書き上がらないってね。最初の気持ちが永続するぐらいなら、だから日々変わるって話をしてるんですけど、
最初の気持ちが永続するぐらいなら苦労はないんですよ。最初の気持ちは全然永続しないんですね。
で、この話はもう何度もしているんであれなんですけれども、
この、なぜノンプランかということを考えてみたときにですね、
倉園さんの書いたものって文章量多いなと思ってたんですね。
これは別に見ればすぐ分かるレベルなので、多いということに特別な指摘等があるわけじゃなくて、
発見とか指摘があるというわけじゃなくて多いんですよ、文章量が。
で、この文章量が多いということでふと思い出したのが、
あのサピエンス全史って文章量多かったなっていうのを思い出して読み直してみたんですね。
全部頭から読み直してみたんですよ。
一時えらい話題になってまして、文庫化までされましたよね。
あの種の本が文庫化されるというのは、著者的には大変羨ましいんですが、
まあ文庫化されて文量多いわけですね。
ずっと読み直してみて、これも最初に気づいたことだったんですけど、
全然引用がないんですよね。
いろんな話を引用してきているのに必ず自分で書くと。
そういえば倉園さんもそうなんだよなということを思い出したんですね。
で、このサピエンス全史というとはえらい長くてがっちり書いてあるんだけれども、
もしかするとほとんどノープランで書いてるんじゃないだろうかと。
まあこれ推測ですよ。
ノープランで書いてるかどうかはわかんないですが、
でもノープランで書いてるんじゃないんだろうかって思うような感じを抱くんですね。
っていうのは長い性もあるんだけれども、まとめにくいんですよ、頭の中で。
で、プランって何なのかと言いますと、
最初に申しましたがプランというのは役に立たないと言いました。
何でかというと、それは理由はすごく単純で、
未来はプラン通りにならないと言うんですけど、
09:02
よくそれもその通り当然そうなんですが、
なぜプランが役に立たないかというと、プランというのはエピソードだからなんです。
エピソードとは何かと言いますと物語ですね。
物語というのは何かというと記憶なんですよ。
エピソード記憶って言葉があるんですけど、あれは私おかしな言葉だなと思うんですね。
妥当なんですけれども、でもちょっと変な言葉なんです。
記憶は全部エピソードのはずなんですよ、基本的に。
もちろん私たちは現代人なので、大量に記憶を扱わなければならないので、
ほとんどエピソード性のない記憶もいっぱいありますが、
人間やっぱり生き物なので、記憶をエピソード以外に持つ方法が
そうあるとは思えないんですね。
単純記憶っていう感じで、レインは雨みたいなの、
この単語帳みたいなのはあるとされてるんだけど、
私は大変疑わしいと思うんですね。
そうするとエピソードというのが記憶である。
記憶というのはエピソードであるということはどういうことかというと、
何かを覚えておくときに私たちは物語形式でしか覚えておけないと思うんですよ。
物語形式ってどういうことかというと、
いろんな切り落としがあるはずじゃないですか。
昔々あるところにってやつで、限定しなければ語りようがありません。
その時代にあったことを全部喋っていったら、
永遠に話が終わらなくなりますから、
当然切り捨てていくわけですよね。
その大事というか、その記憶に必要なエピソード、物語以外のもの、
すべて切り落としていって残ったものが記憶なんですよ。
記憶イコール物語なはずなんです。
物語というものはこの世にあるわけじゃなくて、
ただただ記憶と人間が記憶というものを持っているために、
それを人に伝えるときは物語という名前になっちゃうということです。
要するに物語イコール記憶なはずなんですね。
ってことはですよ、プランというのは何かというと、
過去の記憶を未来に置き換えたんですよ。
てか未来に過去の記憶を置いてみたんですよ。
記憶を未来に置くんですよ、ボンと。
そうするとプランになっちゃうんですよ、物語が。
でもこれは全く意味がないと思うんですね。
だってこれから作り出すものが記憶であるはずがないじゃないですか。
ところがこれから作り出すものが記憶ですということになって、
いろんなところを切り捨てたエピソードをそこに置いてみましたと。
置いてみたらそれがプランになるんですと。
あとそれに肉付けしましょうと。
おかしいですよね、明らかに。
全てが逆転してしまっております。
そんなことがすいすいできるぐらいだったらですね、
最初から話しかけるはずなんですよ。
そんなことがすいすいできるはずないんですよね。
これって何かを、何でもいいんですけれども、
誰それさんの一生というものがある。
12:00
佐々木賞吾さんの一生。
でも死んでないとダメなんですよ。
死んでないと物語って完結しませんよね。
だから誰でもいいんですけど、それこそヒットラーの一生みたいな。
物語化しちゃうじゃないですか。
私たちはすぐどこそこで何年に生まれて、
こんな凄まじいことをして自殺しました。
物語化してしまう。
こうしないと覚えておけないからですね。
ところがそれは元の何かの事情が、事実があり、
そして記憶できるような文脈を作り、
そのアウトラインが物語とされているのであって、
それがないのにいきなり外骨の部分だけを取り出してアウトラインとして、
そこに肉をくっつけていけば、
記憶と同じものが出来上がるわけがないんですよ。
この順番でやってうまくいくはずがないんですね。
ということはですね、
最初にプランがあるというものは、
非常に頭の中でまとまりやすく、
そしておそらく中身がスカスカなものになるはずなんです。
あえて無理やりこの形で作り始める。
逆に元々物語じゃないわけですからね、元々現実は。
もっと切り捨てられない大量の話がそこに詰まっちゃっているので覚えておけません。
ということは覚えておきやすいから物語なのであって、
ということはですね、本というものが本当にリアルに近い内容を持った場合には、
多分それはアウトラインを抽出しにくいものになるはずなんですよ。
で、つくづく思ったんですよ。
サピエンス全史はアウトラインを意識しにくい、
すごいアウトラインを意識しようとすると大変なんです。
ところが物語を、物語じゃないですね。あれは物語じゃないんで。
でもホモサピエンスのカナリの部分を、
カナリの部分といっても非常に著者の偏りを十分反映したものなんですけど、
それにしてもぎっしり間が埋まっていて、
これがやっぱりクラゾノさんが書くものと似てるんですよ。
一体飛ばしてない印象を受けるんですね。
こと細かにそれについて書いてある。
例えば、同じことを書いてるんですけど、
吉本隆さんの共同元素みたいな話、
読んでみればわかるんですが、
吉本さんの共同元素を見るとですね、
すごい説明が飛んでるんですよね。
これでわかるでしょみたいなノリがあるんだけど、
そこをサピエンス全史はほぼ同じことをぎっしり書いていて、
こういう公益の話があって、何万年ごろこういう話があって、
しかもこれ引用抜きで書いていくんですよね。
全部自分で書くんですよ。
ぎっしり書いてあって、
だんだん少し若干生んでくる面はあるんですよ。
面白いんだけれども、
次に行こうよみたいな感じなんですよ。
共同元素の説明だけで200ページくらいまで行っちゃうっていう勢いなんですね。
15:04
という共同元素がわかったらはい次って言うんですけども、
お腹いっぱい感は非常に出ます。
ただし面白いんですよ。
間が飛んでないですからね。
非常にわかった感じがするんですよ、やっぱり。
共同元素ってあるじゃない。
こういう感じだよねって言って、
3行くらいで終わっていかねないものを
200ページくらいまで細部が書き込まれていると、
やっぱり面白いんですよね。
ただ、この書き方をしているために
後でじゃあこれはどういう本だということに
アウトライン形式で概略を言えって言われると
かなり困る。
ということはですね、
多分概略を最初に作ってないんだろうなって感じが。
でもちょっとあの分量で、
あの内容なんで概略を作らずに書けるかっていうと
信じがたいと思われると思うんですけど、
ここをノープランライティングっていうもので
ちょっとやってみてほしいかなっていうふうに思います。
4期の4回目はあさってなんですが、
3期の4回目があさって、
4期はまたありますので、
ぜひこのことをですね、
ちょっと考えてみていただけるといいかなと。
仮にこれノープランライティングを一切
訓練せずにこういうことが果たしてできる感じが
するだろうかっていうのがまずあるんだけれども、
仮にこれを受講されなくてもですね、
あるいはかつて受講した方でもですね、
常にこのことでこういう意識でやっていくと
僕はいいんじゃないかなと。
先に外骨を作るっていうのは
すごく本末転倒感があります。
もう一つですね、
僕が思い出したことがあるんですよ。
これも同じ人だと、
同じ形をしていて、
同じように概略が思い出しにくいっていうのが
トルストイなんですね。
彼は作家だから引用なんてもともとしませんが、
引用が一切ないに等しくて、
そしてサピエンス全史もクラゾノさんも
トルストイもですが、長いじゃないですか。
戦争と平和とか全6巻かな、文庫で。
とにかく長いですよね。
あの分量に圧倒される人が多そうなんですけど、
あれは読めば一気に読めるレベルで面白い。
アンナカレーニナの方はもう少し短いけど、
それでも上中下で3巻本ぐらいはありますよね、身長が。
しかも一冊当たりも分厚い。
なんでああなるかというと、
飛ばさないからなんですね。
全部書くんですよ、トルストイという人も。
間が全然飛んでないんです。
一見同じぐらい長編作家っぽく見えるんですけど、
よく並んでますよね、ドステフスキー。
全然違うんですよね。
ドステフスキーはしつこく描写するタイプだとは思うんだけれども、
トルストイに比べるとはるかに飛んでる感じがあります。
割とはしょってはいないんだけど、
18:02
概略が言えますね、まず。
言いにくいですけどね、やっぱり。
でもトルストイの概略がもうほとんど言えない。
つまりあれはノープランだと思うんですよね。
一行書いたら次の一行というふうに書いてるとしか思えないんですよ。
それぐらい現実に近いんですね。
本当はそんなことは絶対ないですよ、文章ですからね。
現実に近いはずないんだけど。
でも例えばよく言われるんですよね、
トルストイのほとんど必要のないところで成り立っている。
私はとても信じられないです。
あれ全部必要だと思うんですよ。
一行足りても削れる気がしない。
現実ってそういうもんだと思うんですよね。
計画だからいけないんですよ。
計画はすぐ間をすっ飛ばしてタスクAが終わるとBって、
そうはならないじゃないですか。
その間ぎっしり埋まるわけですよ。
だから私タスクシュートでよくそのことを言うわけですよね。
プランというのは役に立たないんだと。
なぜなら間が空いてるから。
ところがみんな逆に言うんですよね。
タスクシュートは間が詰まりすぎていて見通しが悪いから
別のツールで見通しをつけてタスクシュートで一日のことをやろうって。
私これ全く逆だとしか思えないんですよ。
概略というのは現実があった後に現れるものであって
先に現れるはずないんですよね。
これも先日倉田野さんと話したんですけど
式ってそうじゃないですか。
本当は春夏秋冬になってないんだけど
便移錠、つまりそれは記憶しやすいという理由によって
春夏秋冬の繰り返しですってことにしてるんだけど
当然間があるわけですよね。
浮きもありますし、この時期みたいに
初夏なのか冬なのか春なのか分からないような時期っていうのも
結構困るけどあるじゃないですか。
こういうのを全部飛ばすことによって概略が現れてくるんですけど
概略先にあるはずないですよね。
春夏秋冬がまずあってそこに肉付けすると一年ができるっていうことって
ありえない話で
その発想とてもおかしいわけですよ。
だからそういうふうに
概略というものを先に作ってしまうと
それに合わせて肉付けするということがどんなに困難なのか
多分忘れてしまって
間はやってるうちに自然に埋まるんだろうと思ってしまうんですよね。
ところが間がやってるうちに自然に埋まるぐらいであれば
概略そもそも最初に立てておく必要自体がなくなるし
だから先にプランを立てるということ自体が
本来の発想にはなかったもんだと自分は思うんですね。
タスクシュートとかでも。
やっぱり本を書いてその後にお茶飲んでみて
これがリアルなんですよ。
概略は後で取り出すことはできるんですけれども
概略を先に作っていくことはできないんだと思うんです。
21:03
だから分量多いってのはそういうことなんだって思ったんですよ。
間が全部埋めてあるから分量多いんですよ。
現実の分量値の無限ですから
どっちにしても切り捨てざるを得ないけれども
その切り捨てるということを
安易にガサガサやらないという感じですよね。
やっぱり私はトルストイを読んでいると非常に安心するんです。
他の人っていうのは
大事なところを抽出したって言うでしょうけれども
そうは思えない。
例えば薄い人。
薄い人で言うとパッと思いつく人で
アルベル・カミュって人がいますが
すごい飛んでる感じがするんですね。
あれはスタイルだと言われればそうですね。
だけどやっぱりですね
スタイルを書き込む手間をどこかで省いているような感じもする。
人間ですからね。
自分も割と飛ばすんで
人のことは全然言えないんだけれども
間を書かないというのは
あえて書かないというのはもちろん絶対あるんですが
芸術的な技術・技能としてあるんですが
全部書くというのは一度やってみないとですね
無駄なのかどうかという議論さえできないだろうと思います。
読んでいてトルストイの方が無駄だという人は本当に多い。
うちの父も言ってた。
でもね、私はあれを読んでどうしてもそうは思えないんですよね。
だってこれは全部いるじゃないかって感じがするんですよ。
繋がってますからね。
変な異事例だと思われるでしょうけど
タスクシュートってそうなんですよ。
だって繋がってるじゃないって言いたくなるんですよ。
そこを切り捨て、切り出してみて
抽象して目立つものだけピックアップすることに
何の意味もないと思うんですよね。
私は原稿を書くだけで生きてるわけじゃないんで
息してるじゃんとかって言いたくなるわけですよ。
息するの大事じゃないですか。
すぐ死んじゃうじゃないですか。
それに比べて原稿を書く方が大事だとかっていうのは
一つの特徴的な視点ですよね。
その特徴的な視点を取って高度に高度に上がると
富士山しか見えない国が出てくるんだけども
その国は富士山だけでできてるわけじゃないじゃないですか。
そういう感じを抱くんですよ。
サピエンス全史とか本当売れもしましたけれども
読んでてこれがすごいなと思うのは
何しろあれだけの内容の中に引用が一個もない
確か僕の記憶では一個もない
それは極端かなとも思うんですけれども
一個も引用がないっていうのはすごいなと
私のように引用しまくって本作りたがる人間からすると
あれ見るとすごいなと思います。
必要な情報を全部あそこに投入するから
24:00
ああいう風になるんですね。
それは面白いと思うし
なんかこう事前にですね
こういう方向でこういう風に固めて
こういう風に関東の哲学みたいなやつですよね。
一章の1項目の1の1のBみたいにやるんですよね。
関東って人は。
あれああいう天気掃除機の説明書みたいに書いて
書いてて面白いかなっていうのは関東は特殊な人ですけれども
読んでると確かに面白くはないと思うんですね。
一応僕読みはしましたけど
面白かったとはついぞ思わなかったんですよ。
それは別に古典だからとか昔だからとか
関係ないと思うんですよね。
許すと言って面白いですよ。
僕が思うにはドステフスキーより面白いかなと思います。
面白さを言えば。
そういう風になっていることの面白さっていうのは
結局こう飛ばさないってことなんですよね。
散歩をしているように読めるみたいな感じ。
散歩って飛ばさないじゃないですか。
ここから途中急に車に乗るとかしないですよね。
ずっとちゃんと歩くみたいなそういう感じが
ノープランにはあると思うんですね。
プラン立てるとオリエンテリングみたいになっちゃうんですよ。
地点A、次はBみたいな。
その間はなるべく最速で行くのが望ましいっていう感じになってしまうので
飛ばすんですよね。
物を描いているときは移動と違って飛ばせるから。
極力飛ばすみたいに一歩間違うとなってしまう。
あれをしないために最初にそれがない方がいいと思うんです。
あっても細胞をきっちり埋めることはできるでしょうと言われればできます。
でも最終的にそれでは同じことになるはずだし
きっちりやれば最終的に同じことになるはずだし
なければそもそも飛ばすということ自体ができないじゃないですか。
これがすごく大事だと思います。
前回か前々回に今ここ仕事術やりますみたいな話をしました。
ノープランのレビュー。
つまり概略を見ないということなんですよ。
どうせ私たちは飛ばそうとするし、どうせ急ごうとする
そういう局面が必ずあるときに
それがあるということがむしろ甲斐だと思うように今なったんですよ。
タスクシュートの感覚とはまだちょっと違うけど
でもタスクシュートだって同じですよ。
このツールを沿用するっていうあれさえしなければ同じことになるはずなんですよ。
問題なのはそのときにそれでは不安だってやつですよね。
ノープランライティングでも同じことがあります。
1章2章3章1、2、3で作っておかないと不安だっていうわけですよ。
でもこの不安を解消する代わりに失うものがあって
その失うものというのはスキップしちゃうことができるようになっちゃうということであって
27:03
つまりこれを最初に作っておくことで解消されるモヤモヤというのが何かというと
スキップがいざとなったらできるっていう状態を維持したいということだと思うんですね。
それができるようになると。できるようになりますよ。
代わりに比較してみればすぐ分かることですけど
トルストイ的に描くことがカミュウ的に描くことになっちゃうんですよ。
どっちも大作家じゃないですか。だから言ってこうやって対峙させてるんですよ。
トルストイ的に描くことがカミュウ的になっちゃうっていうのは
両方知ってる人ならばすぐ分かることだと僕は思うんですよね。
間がない感じ。間がないってことは
概略がそこに書いてありかねないっていう感じなんです。
別に神は概略書いてるだけじゃないんだけど
後でどういう本だったかって言った時に言いやすいんですよ。
戦争と平和どういう本だったか。めちゃくちゃ言いにくい。
ナポレオンがロシアを攻める本です。
全然違う。それは全く。ナポレオンは主人公でさえないですから。
でも概略だけ言えってことになると
ナポレオンがロシアを侵略する話になっちゃうわけです。
アンナカレーニナっていうのは
アンナっていう人がカレーニンっていう旦那がいるにもかかわらず
愛人と一緒になって最後悲惨なことになりますって話になるんですけど
何にも言ってないのとほとんど変わらない。
そういう話はいっぱいあるじゃないですか。不倫者みたいな感じで不倫者ですからね。
概略を言えないってのはつまりリアルだってことだと思うんですよね。
なんならばあれですよね。
自分の履歴書というものを思い出していただきたいんですけど
あれがあなたそのものですって言われて納得する人いないと思うんですよね。
あれ概略ですよね。
あれがある方がいいって言うんだけども
それはしょうがないんですよね。就職活動とかに必要だとか言うのは。
でも私はあれがある方が本人にとっていい理由は何もないと思いますし
あれにいくらどんな肉付けをしたところでその人の人生になるはずがないじゃないですか。
私もそうだけれどもあれにどんなに肉付けしたって僕の人生にはならないんですよ。
何かの説明っぽいものは出来上がるというだけであって
ノープランで書いたからといってそれが人生になるわけじゃないんですけれども
少なくともリアルに限りなく近いものになりますよね。
それはつまり物語化されちゃうでしょうけれども物語にはなりますよね。
物語というのは最初に実態があったはずだということですね。
30:03
それが思い出しやすいという形になって記憶になって物語になる。
そしてその物語の概略ができるわけですよね。
逆をやらない方がいいというか逆から物語ができるという風には
もう僕には信じられないかなということです。
30:29

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