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2023-03-25 44:46

【759】100チャレ編 佐々木の考えるタスクシュート

基本的なことをお話ししました
00:05
おはようございます。
Good Morning Voice 100チャレ編です。
久しぶりだと思いますね。
はい、ただいま3月25日土曜20時13分ですね。
これは取って出しにするのか、明日の朝出すのかでちょっと迷っております。
もうあの、私土日平日がかなり曖昧になっているので、
平日一応週4ぐらいなイメージなんですけれども、
いつ出るかはわからないという感じがしています。
まあ、出したい時に出すみたいな感じですね。
ただ多分週4ぐらいは出すだろうという風に思っていて、
1回はこの100チャレ編というのをですね、
3期が始まりましたので、復活させたいと思います。
100チャレ編では主にですね、仕事術、タスク管理、タスクシュートが中心ですが、
今第3期まだ始まったばかりなので、
とりあえずはタスクシュートについてお話しすることになるかなと思います。
コメントなんかもすでに付けさせていただいておりますが、
第3期始まりまして、私の考えるタスクシュートといったものについてのお話をしたいなと思うんですけれども、
これはあらかじめお断り、これも何度もお断りしますけどね、
私の考えるタスクシュートです。
つまり他の人は他のようにタスクシュートを考えるであろうと、
長い間のうちに僕もそう思うようになったんです。
今までは私は遠慮なく自分のタスクシュートというものを喋ってきたわけなんだけれども、
それもここに来てますます遠慮なくなっていてですね、
今や昔から思ってきたことも全部ストレートに出そうというのは、
そうして私が考えるタスクシュートでそのタスクシュートの効果が台無しになるということは全然ないなというふうに
確信を得られたということが一つと、
ご存知の方はご存知のとおり、
2017年からGood Vibesというものを、
倉園圭三さんの自己啓発のアイデアを取り入れるようになってから、
遠慮なくなったということがあります。
このタスクシュートの有用なものについて、
以前であれば、
そうは思わないけど黙っとこうみたいなことがすごく実は僕は多い人間だったんだけど、
そう思わないことは黙るのはやめようと思うように切り替わったんですね。
これでもしかすると迷惑をこむっている方もいらっしゃるかもしれませんけれどもね、
03:02
そこはもうご容赦いただこうというか、
そこはもう広い心で受け入れてくださいと。
受け入れがたいというのであればですね、
何か言っていただくとか、
もうお前それについて喋るのはやめろとか、
そういうことを言っていただければまたそれはそれで考えることにします。
今のところまだダイレクトにそれを言われたことが実はないんですよ、
タスクシュートについて。
私が遠慮しなくなく言っててもですね。
全くそれがですね、納得がいかないっていうのはお聞きするんですけど、
伺うんですけどね。
納得がいかないと言われることはあっても、
それ言うのやめろと言われたことがないんで、
納得がいかない部分についてはそりゃそうだろうなと僕も思うんですよ。
納得してくださいというつもりは必ずしもなくてですね。
とりあえずまず私としては、
私の思うタスクシュートというものをお伝えしていきます。
ただこれ100チャレ編なので100チャレの方向けに喋っているんだけど、
もちろん普通の方、一般の方、普通というか100チャレにご参加いただいていない方が
お聞きいただくのは全然普通にお聞きいただくことになるでしょう。
そして高タスクシュートを使わねばならないというわけでは別にないです。
例えば私なんかがそうはしないけど、
タスクシュートを逆算、昔で言うとか今もあるんだけどね、
逆算手帳風に使うとか、7つの習慣的に使うとか、
私それがイコールだと思ってませんけどね。
あるいはGTDと合体させるとか、
これはもうマニアナの法則をここに取り入れるとかね、
ご自由に、ご随意にやっていただければいいと思います。
ただ私が思うタスクシュートというのはそれらとは関係がないと、
それらとは独立して存在しているものだと思うし、
混ぜたからといって何かが起きるとは思わないというか、
なんかよく言う科学反応みたいなですね。
科学反応とかは僕は決して起こらないものだろうと思うし、
これについて異論反論は当然あると思うんですけど、
私は私なりに色々と混ぜて使ってみた結果ですね、
そういうことではないなと思うようになったというだけなんですよ。
だから私がどう思うかということが何かの決定打になるわけではありませんし、
私がどう思うかということが誰かの行動というか使い方を
制約するようなことであってほしいとも思わないので、
そこはもう自由にやっていただければいいと思うんです。
ただ私は多分今後もずっとですね、
タスクシュートと例えばGTDEの組み合わせについて
06:02
新しい何かを発案するとか言ったことは
多分私がすることはないだろうと思うので、
そういうことを私がいつか出すんじゃないかという期待は、
多分それを期待していただくのは構わないんですけど、
多分僕はその期待に応えることはできそうにないと思います。
本当にですね、最近一つ確実に何度も聞かれるんだけど、
何度聞かれても同じ答えが出てくるやつとして、
タスクシュートと他のツールの組み合わせということを
僕は一体やってません。
完璧にゼロです。
Evernoteはまだ使ってますけど、
Evernoteとタスクシュートはほとんど僕の中では無関係に使っております。
そして例えばよく聞くログシークとか、
僕はそもそも今ログシークは使ってないんだけど、
たまにダイナリストは使うんですよ。
ダイナリストは結構便利に使うんだけど、
ダイナリストとタスクシュートクラウドもほぼ無関係です。
どっかにリンクの残骸みたいなのが残ってるかもしれないし、
そのリンクで飛ぶってのがあるんですけれども、
例えばダイナリストがプロジェクト管理ツールだとか、
チェックリストになってるだとかいうことも一切ありません。
別にこれはあってもいいんですよ。
あっちゃいけないという話をしてるわけじゃないんですよ。
私のように使いましょうねという話も、
僕はもうする気が全くありません。
ただ、私はそういう連携をしようという気は起こらない。
Googleカレンダー使ってます。
連携させてもいいぐらいなところもあるにはあります。
ただあれは約束を書き込んでいるのであって、
タスクを書き込んではおりません。
ですから、やっぱりタスクシュードとは独立していると言っても、
完全に無関係だとは言いませんが、
基本的に連動させたり連携させているものではないです。
あと、そうだな、他に何があるか。
ワークフローイでも構いませんし、
同じですからね。
ノーション。
僕はそもそもノーションは、
Jay Masuzakiさんがノーションに議事録をあげておきましたと言ってくれると、
すごくありがたいなと思ってその議事録を読みます。
ということは、そういう意味では使ってますけど、
僕自身がノーションに新しいデータベースを入れるとか、
そういうことは一切やっておりませんし、
作るとか使うという気もありませんので、
佐々木がそう言っているから意気揚々したよと言われると、
ちょっと申し訳ないと思うんだけど、
そんなことは気にせずに、
皆さんがどんどんノーションを使っていっていただければいいと思うんですよ。
僕が使わないっていうだけでね。
あとなんだろう、
あんまり関係ないと僕は思うんだけどね、
オープンAIとかいいんですか、
僕はあれですよ、
遊びで使ったりはしてますよ。
09:00
本当に今年のろって優勝しそうとかっていうのは聞いたりしてますけど、
それによって僕は仕事をさせようとか、
例えば告知文を代わりに書いてもらうとかいうことをしたいとは思わないんですよ。
これは僕が告知を書いてもらってはダメじゃんとか思ってるわけじゃないですよ、
別に全然。
そういうことは自由にやっていただければいいと思うんですよ。
別に僕がそれをやりたいと思わないというだけの話で同じですよね。
だからタスクシュートの見積もりにオープンチャットを使うのはどうなのかとかはやってみてください。
やりたいという方はね。
私はそういうことをするというのがタスクシュートとは何か関係があるとは感じないので、
私はしないというだけ。
つまりタスクシュートを私は一本独立で使ってるってことですね。
ここに全てのタスクを入れる、約束も入れる、予定も入れる。
今やってることがログになっていく。
以上ですね。
ここからあれですよ、
例えばマネーフォワードにリンクさせて飛ぶとかはありますよ。
例えばGood Vibes Factoryのページをここから開くということもします。
だけどそれはリンクに飛ぶのが便利だからしてるのであって、
そこでプロジェクトの管理をするから飛ぶとかそういうことでは一切ありません。
ここがまず何か納得されないっていうのが僕は不思議なんですよ。
一本だけで十分使えると思うんですよ、タスクシュートクラウド現在のやつでね。
僕はこれで長期のプロジェクトだろうと約束だろうと、
今多くなってるのはセッションとかセミナーですけど、
全て間に合ってますから。
これで締め切りを超過してしまったとか、
当日までに準備が終わらなかったということは一切ないですから、私の中ではね。
だから当日セミナー、明日もセミナーは私単独でやるのがあるんですけれども、
何にも心配していないですから。
そして告知も必ず打つと決めてる日には打ってますから、
ほぼその日に熱だして倒れた。
最近なんだろうな、ロタかな?
すごいことが起きちゃったんですよね。
あの時は告知打てませんでしたけど、
それは告知を打つの先送りしたとかそういう話じゃないですからね。
まあこの話はいいや。
一時体重50キロ終わって、やばい、さすがにやばいでしょうと思ったんですよ。
下痢ばっかりでね、本当に危険なものを感じました。
でもそれは要するにウイルスがお腹に入ったせいであって、
別になんてことはないわけですよ。
出ていっちゃえばもう、大臣今54キロまで戻ってきたんで、
この辺までなんだよね。
僕はこれ以上は増えないんだけど、
たぶん、まあまあでもちょっとびっくりしましたね。
12:03
でもそういう時に告知を打つのが遅れるということはありますが、
それはタスクシュート1本だからとか全然関係ないです。
ロクウィスシーク使ってようとエバーノート使ってようとノーションそれこそ使ってようとですね、
あんな状態じゃ告知なんか打てやしませんね。
そういうことですね。
でも2日遅れただけですからね。
そういうことですよ。
別に僕はこれをやってるから長期に間に合わないとかいうのが全く信じられないし、
まあ端的に言ってそれは事実ではない、つまり嘘だと思ってます。
なぜそういう話になるのかがもうさっぱり理解できないというのが本音のところですね。
私は例えば家にいるから割り込みになるものがないんでしょうと言われるんだけど、
そんなことはないです。
電話かかってくるしね。
実家からも電話かかってくるし。
割り込みになるものがありますよ。
それはむしろ私に言わせればノーションの方が対応できません。
そんなものには。
タスクシュートの方がよっぽど対応できます。
今やってることが書いてあるわけだから。
ノーションに今やってることってまず書いてないじゃないですか。
書く方法はありますけどね。
そういうふうな意味ではなぜこれだと急な依頼に対応できなくなるとか、
長期の予定がおぼつかないとかいう話になるのかがわからないと僕は思うんですけどね。
ということで、今日は100チャレ編なので今のが前振りで、
これから言うのが今日のポイントなんですけど、
タスクシュートはですね、
基本的にこれをやったらタスクシュートというのを毎度毎度僕としては言っていくしかないなと思うようになりまして、
概略をこの4点で僕がタスクシュートと言えるだろうと思うんですが、
1点、書いたらやる。
これも絶対守るってわけじゃないですけども、
基本書いたらやる。
つまりタスクシュートに書いてあることというのは、
実行する可能性がすこぶる高いことばっかりになりますってことです。
いつかやりたいとか、やっておくといいとか、
毎日やると何かが達成されるから、
やりたいから書いておくっていうものではありません。
これは多分聞き飽きている人は聞き飽きちゃってると思うんだけど、
とにかく初めて聞くという方がもしいらっしゃったら、
書いたらやるんです。
ということはやらなさそうなことは書かないということですよ。
メモとかは別ですよ。
それはやることじゃないですよね。
忘れたくないから書くわけでしょ。
そんなのは全然構わないと思います。
でも書いたらやる。
これとセットになるものがあります。
やったら書く。
これはですね、リアルログなんですよ。
今やっていることを書きましょう。
これがタスクシュートです。
とにかく後にも先にもこれだけなんですよ。
僕はここにですね、
15:02
見積もり時間が超過しないようにとか、
1日24時間分だとか、そんなことはどうでもいいと今は思っています。
やったら書く。
書いたらやる。やったら書く。
この2点を絶対に、
絶対でなくてもいいんだけど、
最初の意識としてはね、
100日チャレンジにご参加いただいていて、
せめてここを2日は守ってほしいかなと。
2日ならいいじゃないですか。
長期予定のこととか考えなくなって。
2日なんで。書いたらやる。やったら書く。
これを確実にやればですね、
長期予定は守れるはずなんですよ。
なぜならやることを書くはずだから。
例えば本の依頼を受けましたって言ったら、
本を書くでしょ。
だったら本を書くって書けばいいんですよ。
書いたらやるんですよ。
だから本を書くって書いてある以上、本を書くんですよ。
そうすれば100日後には本を書けてなくても、
その頃には全く違う光景が、
例えば本の原稿について見えてくるから、
その本についてのアウトラインとかはいらないんですよ、別に。
少なくともそのアウトラインがないと、
例えば企画が通らないからアウトライン作るとかはするにしてもですね、
アウトラインがないから締め切りに間に合わないなんてことはないです。
逆にアウトライン作っとけば締め切りに間に合うなんてとんでもないです。
だって私の知ってる著者さんの知り合いというか、
私昔一応これでも著者パーティーみたいなもんで出たことはあるんですけどね、
そういうところでアウトライン使ってる人山のようにいましたよ。
ライフハック系の人多いから。
みんながみんな締め切り守ってるかとかいうと、
もう全然そんなことは全然ないですよ。
これはつまりアウトラインを作ることと締め切りを守ることの間に相関関係はないということです。
だから長期計画に関してですね、
長期の見通しを立てれば長期の締め切りが守れるようになるというのは事実ではないので、
そういうことよりも実行することですよ。
だからやったら書きましょう。
で、書いたらやりましょう。
この2つを守っていればですね、守れないことありますよ。
さっきの私のロタウイルスみたいにね。
でも守ろうとし続ければですね、多分間に合います。
間に合うということだけでいえばですね。
で、ここから先がちょっとあんまり聞かないと聞かないこともあるかなとは思うんで、
いっぱいいろいろ喋っていこうと思う。
いっぱいは喋らないけど、いろいろ喋ろうと思ってるんですけどね。
やるときはですね、タスクシュートにおいてでもそうでなくても同じなんですが、
タスクシュートにおいては、やることはですね、そのときやっていることになっていることをやりましょう。
これはもう他のどんな、だからさっき申し上げたんですよ。
18:02
GTDとか七つの習慣とか逆算とかいうことがあろうとなかろうと関係ないんですよ。
今例えばこれポッドキャストを収録中となっていたら、ポッドキャストの収録をしましょうということです。
シングルタスクと言うんだけど、とにかく一つに絞ってそれだけをやると。
で、そうじゃないことをやっちゃうこともあるかもしれませんが、
そしたらですね、さっきのやったら書くんですよ。
どれほどやっていることが自分にとって不本意であろうと脱線だと思おうと、
そんなことやってちゃいけないと思おうとやっているなら書くんです。
やったら書くんです。
それさえ守っておけば、たぶん一つのことをやっていくことがいずれできるように、たぶんそれもすぐなります。
とにかくやったら書きます。
やっているのに書かないっていうのはタスクシュートではありません。
やっているのに書かないということがあっちゃダメだとは思いませんが、
やっているのに書かなかったらもうそれはタスクシュートではないんです。
だからやっている以上は書きましょう。
2秒でやめるとかならいいですよ。
でも、そうだな、たぶん原稿を書いている最中にツイッター行っちゃったら2秒ではやめられないと思うんで、
ツイッター行ったら書きます。
で、これはツイッター行ったら書くことを抑止するとか、
これはよくないことだから見直してやめるとか、そういうことはどうでもいいことです。
本当に100%どうでもいいことです。
これが100%どうでもいいということがわかったときにはツイッターには行かなくなります。
でも、とにかくどうでもいいことなんですよ。
ツイッターに行こうと、英語の勉強しようと、ためになる本を読もうと、お金の計算をしようと、原稿を書こうと、どれでもいいです。
どれを取ったかだといって人生がより豊かになるとか充実するとか良くなるということは起こりません。
逆に悪くなるということも今言った以上起きないんですよ。
これは信じられないと思うのであまり強調しませんが、
より良くなることがないということは、より悪くなることもないということなんです。
だってそうじゃないとおかしいじゃないですか。
より良くなることは一切ないのに、悪くだけはなったら変ですよね。
悪くなるということは良くもなるということですよね。
つまり、やることによって何かが改善されるということは、
BよりもAをやった方が人生がより豊かになったり良くなったりするんだったら、
Bをやってしまったら悪くなるということになっちゃいますよね、必然的に。
良くなったり悪くなったりはしないんだろうかと思いますね。
僕はこう思うようになって、もう10年くらい経っていると確実に思うんですね。
タスクシュートがこれを教えてくれたんです。
21:01
人生ってAを選んでもBを選んでも良くなったり悪くなったりはしないなということは、
タスクシュートでも学んだんですよ。
留学中はタスクシュートを使っていなかったので、それがよく分からなかったので、
勉強していないとダメだろうと思っていたんですよ。
勉強していないと卒業できませんけどね。
でも卒業することが人生を良くするわけじゃないんですよ。
それに、これはですね、ちょっと伝わりにくいとは思うんで、
一回で伝えようとは思いませんが、ずっとツイッターをやっていようと、
ずっと原稿を書いていようと、
本が書かれるかどうかの違いは生みますけど、
良くなるかどうかの違いは、おそらく生まないということが確信できればですね、
ずっとツイッターをするということは無くなるんですよ。
なぜかということは説明しにくいんですが、
タスクシュートというものに残る記録がありますよね。
当然、やったことは書くんだから。
書いたものをぼーっと眺めてみてほしいですね。
まず、とにかくレビューじゃない。
レビューというのをこれだと思ってもくれてもいいですが、
とにかく例えば昨日やったことを、
ざっと、なんとなくであればですね、
1行1秒ぐらいで読めるので、
ワンタスクですからね。
70タスクをやったと仮にして全部書いたとしても70秒で済みます。
つまり1分あれば読み終わります。
大概の人は60タスクないから、1分あれば読み終わるはずです。
読んでみた時に、ここに事実が書いてあるなと思えたらOKです。
そこに事実が書いてあるなと思えるということはどういうことかというと、
2つの意味がありまして、
1つは、自分はこうやって生きているという、
事実としての自分が生きている、だから人生ですよね。
事実としての人生がそこに今見えるはずなんですよ。
もう1つが、私はこれらの人と共に生きているというのが見えてきます。
つまりそこには人間がいるはずです。
いないとちょっと僕はおかしいと思うんですよ。
時々聞かれるのでお答えすることがあるんですが、
昔私はプロジェクト名というところに人名解散する。
これは2006、7年、少なくとも9年には始めてたと思うんですよね。
昔青い本に、タイトルは今スパッと出てこないんですけど、
東洋経済さんから出させていただいたタスクシュートの本に、
プロジェクトに人名を書いたほうがいいんじゃないか、
みたいなことは書いたことが絶対あるはずなんですよ。
なぜなら僕はそうしていたからですね。
これはたまたま、昔、例えば、
実人名を出すのはまずいですね。
東洋経済の〇〇さんという方と仕事をする時に、
プロジェクト名を東洋経済さんとしていたんだけど、
24:01
東洋経済さんには複数の知り合いの編集さんがいたから、
どっちの人かを書かないとわからなくなるな、この企画って思った時に、
東洋経済の〇〇さんってプロジェクトに書いて、
あ、プロジェクトってこれでいいじゃんって思うようになったんですね。
大橋絵蔵さんと仕事することが多いんで、
大橋って人は知り合いに3人ぐらいいるんで、
大橋さんに最初してたんだけど、
それだとわからなくなることがわかったんで、
大橋絵蔵さんってあるんですよ。
今はもうないですけど、そういうプロジェクト。
他の人っていうのに一括しちゃったんですけど、
昔は人名書いてたんですね。
これらの人と私は仕事をし、これらの人と私は生きていて、
これらの人のおかげで生きることができていて、
これらの人のために何かをするということが、
たぶん私の人生を良くはしないんだよね。
私の人生とはそれなんですよ。
そこまでははっきり意識してなかったんですけど、
プロジェクトを人名にするようにしてから、
非常に見えやすくなったことがいっぱいあったんですね。
とにかくこういう人たちと一緒に行動してるんだし、
こういう人たちのことを優先的にやっていっているのが
自分なんだということが見えやすくなったということですね。
一つのことをしているということと、
ここに見える全体ということは同じことだということが
分かってくるんですよ。
これはちょっと伝えにくいんですよね。
ここにある、
ここに書かれていることはやること。
書いたらやるから。
そしてここに書かれている人のことをやる。
書いたらやるわけですからね。
そしてここにある人たちのことに私に対してのための依頼を、
つまりここにある人たちからの依頼、
ここにある人たちのために、
ここにある人たちと一緒にやったから書いてるんですよ。
そういうことなんですね。
だから、この何か一つのタスクをやるということ、
それが現実だから、現実にやっていることだから、
このポッドキャストを現実に僕が喋って収録をして
配信するようにですね。
現実に生きるということは、
私が現実に生きるということはこういうことなわけですよ。
今やっていることなんです、まさに。
ということと、
やってやったから書いていることは同じことですよね。
それのいろんなもの、
今までこうやってポッドキャストを収録するように、
今日は例えば、
シャワーを浴びたし、
ゴミ出しをしたし、
目高にエサをやったし、
個別セッションをして、
これが仕事ね、
食事もして、
タスクシュートオンラインをして、
ミーティングをすると、
27:01
一つ一つのことが現実に行われていることですよね。
私がやっていること、私の現実で。
どれもそれです。
一つ残らずですよね。
これはやるべきじゃなかったとか言ってもダメなんですよ。
それに、これはやる意義がなかったとか、
価値がなかったとか、
そういうことはわからないわけですよ。
だって、例えばなんだけど、
例えばタスクシュートオンラインはやる価値がありました。
じゃあタスクシュートオンラインと個別セッションは、
どっちがより価値があったんでしょうって言ったら、
答えられないじゃないですか。
個別セッションの人のためにセッションをやったのと、
タスクシュートオンラインの聞いている人のために、
そこに参加したのと、
どっちが価値として高いんですかって、
答えられないと僕は思うんですね。
だから例えば、
じゃあ仕事は同じ価値にするとか言い始めたら、
仕事は全部同じ価値にするしかなくなりますよ。
その瞬間。
上下をつけないんだって。
お金で測るってこともできるけど、
実はお金で測るってことはとっても難しいんですよ。
お金じゃ測れないし。
ただお金で測るのは簡単じゃないんですよ。
同じ時間じゃないし。
同じ時間にするといくら稼げているのかが、
よくわからないですし。
その間に支出もあるじゃないですか。
例えば電気代とか使ってるじゃないですか。
より寒いと暖房使ってるから、
暖房を使った時にやったほうが、
仕事として価値が低いってことになっちゃうじゃないですか。
支出が多いのはダメである。
そうするとわけわかんなくなっていきますよね。
そういう測り方って、
数値化することが目的化してるだけで、
実質無意味なことをやってますよね。
だから仕事の位置に上下をつけるのって、
僕はほぼ無意味なことだと思うんですね。
と考えるとですよ。
その仕事をやる直前に食事をしましたと。
それで元気になったし、
第一ずっと食べずに仕事することはできないですしね。
仕事で稼いだお金のいくばっかを使って、
食事代にしてるわけじゃないですか。
食事と仕事はどっちが価値高いんですかって聞いたら、
これも答えられないですよ。
だから同じなんですよ、この価値は。
そうするとトイレに行くんだろうと、
シャワーを浴びるんだろうと、
およそやったほどの価値は同じになっていくんですよ。
それをやらなかった方が価値が高かったということを、
実証することは不可能だと思うんですよね。
実証できないものについて、
無理やり上下を詰めてもダメで、
ただ、ただですね、
せいぜい他人に説明した時に、
トイレよりもセッションの方が、
なんだか聞こえがかっこいいとか、
その程度の話でしかないと思うんですよ。
ここが大事だという人は、
ここを大事にしていただければいいと思うんだけど、
私は結局、そこの価値に上下をつけることには、
何の意味もないと思うので、
どうせ全部繋がってますから、
30:01
すべて価値は高価で等しい、
そしておそらく現実にやった以上、
価値はMAXなんですよ。
これ以上上のレベルはないんですね。
僕昔そういうのもタスクシュートで知ったんですよ。
昔僕も大好きで、
10段階評価とか、
14段階最大で評価できるんだけど、
全部MAXの価値しかつけようがなかったんですね。
全部がレベル14になって、
何の意味もないなこの項目と思って、
やめたんですよ。
こういう経緯があります。
それは当然だろうなと思うんですよね。
実際には行動というのは名称で区切られるような区切りは、
どこにもないわけですから、
食事からセッションに移ってるけど、
食事からセッションまでは繋がってるんだから、
どれも同じことの繋がりなんだから、
どれかの価値が高くて、
どっちかの価値が低いということは、
多分言えないんですね。
そんな風に考えていくと、
あと残ってるのは何かというとですね、
全部の価値が等しく、
そのタスクが誰か彼かの関わりを持っているとすると、
この辺りが、
以前は僕はぼんやりと考えていたことでしかなかったんですけど、
クラゾの圭蔵さんに教わって、
人が私に仕事をもたらしてくれるか、
私が人に仕事をもたらすか、
どちらかにこの世の中での活動はなっていると、
そういう風に要約すると、
そういう話を伺った時に、
それは普通に考えれば、
当然小学校1年の社会科の評価書にも出てきそうなことなんだけど、
不意にそこに例外がないということを意識させられたんですね。
これはだいぶ2017年、
多分渋谷かどこかで、
そういう話をダイレクトに聞いた時に、
不意にそれが感じられた、実感できたということなんですね。
僕はその時、机のことをやっぱり思いましたね。
机がないと僕は仕事にならないなっていうのを、
だいぶ昔あれは、
引っ越したての時って、
家に机ってなかったりするじゃないですか。
その時に何をするかっていうと、
食事をしたり、ノートパソコンを立てたりするのに、
ダンボール箱とかをひっくり返しません。
いかん箱ってですね。
ああいうことをやった時に思うことがあるんですよ。
机ってのはめちゃくちゃ大事だなと思う瞬間があるんですよ。
その机、僕1個、1個っていうのかな机って、
いきなりと自力で作ったことがないんですよね、考えてみると。
今私が使っている机はやや特殊で、椅子もそうですけど、
33:03
椅子なんか絶対作ったことないですよね。
人によっては作ったことあると思うんで、
それは偉いなと思うんですけど、
僕は作れない。机と椅子なんて。
これがないと仕事にならないんですよ。
パソコンは論外ですよね。全然作れない。
つまり人がやってくれないと、僕は仕事ができないし、
食事もできないし、何もできないんですよね、ほとんど。
つまり全部の活動の価値が等しくMAXで、
しかも全ての活動が事実上繋がってしまっていて、
しまっててってことはないんだけど。
そしてですね、一つのことをやるというのが現実ですよね。
今私がやっているように。
で、その集合体としての自分の人生というものがあると考えるならば、
この集合体という言い方も甘いなと思うんだけど、
一旦タスクシュート的に、この連なりが人生だと仮にした場合ですね。
ほんとは逆だと思うんだけどね。
このやったら書くと、書いたらやるということをずっと守って、
ざっと眺めてみるとですね、毎日の活動をできればですね、
これができたら感謝しましょうってのを加えたいんですよね、タスクシュート。
これはタスクシュートに必須だとは言いませんが、
そうして悪くはないんじゃないかって思ってるんですよ。
拝めとは言いませんが。
つまり、これがあるから生きてられるんですよ、私たちは。
で、これはタスクシュート。
昔僕ね、これを言っちゃったことがタスクカフェで、
多分震災前だと思うんですけどね、震災直後ぐらいかもしれません。
そういう気持ちになってたってこともあるんで、言っちゃったことがあるんですけど、
生きているのが嫌ならタスクシュートやっても無駄ですみたいなことを言ってしまったことがあるんですよ。
もうちょっと引用があったと思うんだけど、
当時は私、倉園さんと会ったことはあったんですけれども、
グッドバイブスを教えてもらったわけじゃないんで、
なんかちょっと突き放しちゃうんですよね。
なんかカチンと来たりすると。
今でもそうなのかもしれないんだけど、
今はかなり気をつけるようにはしてるつもりなんですよ、これでも。
結局何かこうですね、タスクをどんどんどんどん片付けていき、
生きるってことは掃除で面倒くさくて、
なんか辛い人間関係みたいなものだみたいな感じの、
生きるってことはそもそも楽しいことでも面白いことでもないっていう感じで、
タスクシュートを使うっていうのは僕は無理があるって思うんです。
これは唯一僕はタスクシュートの中で非対称的な部分だと思うんですけれども、
今言ったような前提、つまり時間を借りに節約だろうとなんだろうと、
36:01
時間を使うってことは根本的には楽しいっていう前提だけはいる気が、
楽しいとまでは行かなくても少なくとも好きだっていうね。
時間使うの嫌だっていうのは、
もうなんかタスク管理なんてする方向を全く向いてないと思うんですね。
やるべきことを書き、それはやるべきだと思うためには、
やっぱり生きることは良いことだっていう前提がどうしてもいるんですよね。
だって、もし生きることが良いことでもなんでもないんだったらば、
締め切り守るなんてことはそれこそ無駄じゃないですか。
締め切りなんて、締め切りを守るということがマストでもなんでもなくなりますよね。
書いたらやるなんて言ったところでですね、
つまり約束とか締め切りとかを守ろうという気があるから、
やったらやるっていう縛りに意味が出てくるのであって、
そこにすら意味がないんだったらですね、
そしてやったら書く意味も全くないじゃないですか。
やることには意味もなく、価値もなく、面白くもない、
好きではないっていうんであったら、
現実に何をやろうと、それについて書くとか記録を残す価値なんてないと思うんですよ。
だからやったら書くとか書いたらやるというのは、
生きることには価値があります。
生きているのは良いことだと思うし、好きですっていう前提は僕は必要だと思うんですよね。
これをやるならば。
だから、つまり勝てたということはありがたいことなんですよ。
だってそれ好きでやってるわけだから。
仕事するというのは結局、他の人のそれを可能にする手伝いをするってことになると思うんですね。
そしてまたそれを可能にして自分ができるようにしてもらうのをサポートしてもらうっていう意味でもあると思うんですよ。
そういう相互関係がここには反映されていると私は思っているので、
書いたらやるし、やったら書くし、
そしてそれが書けたということに、それが書けるということはつまり、
現実の一定の時間を使ってその行為をすることができたということなので、
机がないと僕は仕事ができないように、
だから机を作ってくれた人に感謝して誓うべきだと思うんですよ、やっぱり。
だから仕事ができたということはかなりの人に感謝する価値があると思うんですね。
これもまた、その仕事をしたかったかどうかとか、
その仕事が収益を生んだかどうかとは無関係にだと思うんですね。
ここまで言うと完全に記令ごとにしか聞こえない可能性が高いんで、
だからあんまり言いたくないんですよ。言いたくなかったんです、今までも。
だけど例えば私が親のですね、まだ介護というレベルではないですけど、
介護に行ったら、やっぱりここがよく自己啓発とかで言われるところなんですよね。
感謝しましょうねと介護できる。
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これね、非常になんかね、多分漢字悪く聞こえるときは漢字悪く聞こえると思います。
私も昔聞いてたら嫌だったと思います。
でも、なんていうんだろうな、親に感謝しましょうって話ではないと思うし、
なんかいいことできて感謝しましょうっていうことの一種なんだけど、
そう言われてもなんかこう、僕なんかが言うと特にね、
なんかこれで私がインドとかで人助けしてるとかだったらだいぶマシなんでしょうけど、
今の私がこれを言ったところで、あれだとは思うんですよ。
でもですね、さっき言った通りだと思うんですね。
結局私たちは、現実に何かをするのが好きだから生きてるのが好きだって言えるんじゃないですか。
この現実の時空間の中にいて、呼吸をして発動することが嫌だっていうならば、
もはやこのタスクシュートなどには何の意味もないと思うんですね。
これがやっぱり好きだという前提があって、好きだという前提があるからこそ、
他の人がこうしていられる方がいいだろうなと思えるぐらいでないと、
仕事する意味ってなくなっちゃうと思うんですよ。
やっぱり死んだ方がマシだみたいな感じになっちゃうとね。
そうすると他の人についても同じことが言えてしまうじゃないですか。
生きているなんて大した良いことじゃないよねみたいなことになってしまったら、
何も残んないというか、何かをする意味はそこに出てこないと思うんですよ。
だからここにある全てのことはやったことですからね。
ログは特に、ログは全部そうです。
やってないことだとしてもログの予備軍ですから、タスクシュートにおいては。
つまりこれは全部やったことになっていくはずなので、
ここにこれだけのことがかけて、今までかけてきたということはやっぱりありがたいことなんですよ。
拝まなくてもいいので、これが今日もできてありがたかったなと思えれば十分だと思うんですよね。
そう思えるのであればですね、そこにツイッターと書いてあるからなぜダメなのかってことなんですよ。
最近本当に根底ではそこにファンザって書いてあっても感謝するべきだと思うんですよ。
これならちょっとキレイごとじゃない感じが僕の中ではする。
僕はちょっとやっぱりこの辺ややひねくれてるんですけど、
ファンザって書いてあってもファンザって書いてあるならむしろですよね。
感謝するべきだと思うんですよ。
そんなことをやってられるんだから。
やっぱりこれもっと過酷なね、それこそ他国が侵略してきましたって言ったらやってられないですよね。
それやってたらかなり問題視されそうな気がするし、やってたらまずいだろうなって私のような人間でも思うと思うんですよ。
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だからそういう意味で介護とかはやっぱり大いに感謝できる話だと思うんですよね。
それが何かを生まないとかいうのは、何かお金なり時間なりを生むというのは、
そこにある時空間を別のところにコピーできる可能性が高くなりますっていうような意味でしかないんですよ。
後でやりたいことをやれますって話でしょ結局。
だからそれを他人に適用していけないはずはないと思うし、
そういう意味では収益を生まなかろうが時間が浮かなかろうがそんなことは問題じゃないと思うんですよね。
来ているのが好きならば、今こうやって呼吸しているのが好きならば、
プラス自分が好きな活動ができるならなおさらだと思います。
以上がタスクシュートです。
だから書いたらやるし、やったら書く。
そしてできたら感謝するっていう、このできたらは二重にかかってます。
その行為ができたらっていう意味と、できることならば感謝した方がいいんじゃないかなみたいなそういう感じです。
だから一つの時にはなるべく一つのことだけをする必要があるんです。
した方がいいと思うんです。
その行為に感謝するほどの価値があるならば、
二つ同時にやるというのは可能なレベルで避けた方がいいと思う。
そして結局どっちにしてもですね、やることは全部やるんですよ。
Twitterがやりたければ多分必ずTwitterやります。
ファンザが見たければ必ずファンザを見ます。
そして人が依頼してきたことを時間2日目切り以内に済ませたいと本気で思えば、
ほぼ確実に僕らそうします。
そうすれば相手の人は必ず生きているのが好きならばね、
おそらく好きなんで喜んでくれます。
と同じように僕らも喜ぶことができるはずなんですよ。
これが僕が思うタスクシュートなんですね。
だからこれ1本でいいはずだし、
ツールはね、タスクシュートに関する限りですよ。
Evernoteを他に使ってるとかそういう意味ではなく、
このサポートになるようなツールが僕は外部に必要だとは認められないということ。
やることの価値が上下しないから、
次にこれをやる判断はどうやって下すのかとか、
長期にわたって何かを満たすためには、
逆算して見通しを立てねばならないんじゃないかとか、
そんなことはないと思うんです。
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