2023-01-31 29:46

【733】TC協会を設立して考えたTCの使い方

誰にでも使えるTCを目指して

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おはようございます。キクセラピーです。
第何回だろうな…733回とかですかね。
昨日は飛ばしてしまったので、これは取っ手出しになると思いますね。
1月31日火曜日9時36分です。
最近バタバタしているというのがまさにぴったりでですね。
1月今日で終わるわけですが、なんだかさっぱりわからないうちに1月が終わったって感じがします。
12月はもう5年前ぐらいの感じですね。本当に。
12月末にしていたことを写真とかで見ると、こんなこともあったなぐらいに感じます。
これは森林学ではよく知られている現象で、
イベントがぎゅうぎゅうに大量に詰め込まれると、その間の時間経過は長く後から感じられるみたいなのが森林学にあるんですよね。
そういうもろもろの、ほとんど全部記憶なんだけど、ほとんどじゃなくて全部記憶なんだと思うんですけど、
もろもろの記憶が、なんて言うんですかね。
記憶って結局イベントで非レギュラー的なことがあれば多いと。
時間をそれが本人にとって意味の大きなことであったり、インパクトのでかいもの、
つまり認知コストが高いものであればあるほど、意識に残り記憶に残るので、その間は充実していたと後からは感じられる。
そういう場合には時間が長かったと感じるんですね。
ただ一方で例えばめちゃくちゃ退屈な時間を過ごしていると、その時間って過ごしているときは長く感じるじゃないですか。
病院の待合室で読むものもなく延々待っていると、えらい長く感じるじゃないですか。
でもあれを後から振り返ると、いろいろは思い出せないんですよね。
3時間、何もしてないですからね。
3時間が経ったくらいの感じで、不愉快かもしれないけれども、とにかく後から思い出すと短くなるみたいなことがありますね。
つまり、脳は時間を認識できないんですよ。
時間そのもの、出来事しか認識できないと。
認識というか、知覚できないんですよね。
時間の知覚って不可能ですよね。
目で時間見えるとか、時間の匂いがするとかないじゃないですか。
だから時間というのはテイストがないようなものですよね。
クオリアがないと言ったらいいのかな。
だから、記憶によって時間の長さというのは実は僕らは測る傾向があるので、人によって時間の長さはパチパチだし、
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今言ったように長く感じる記憶の内容と、当然短く感じる記憶の内容とが複雑に入り組んでいるわけですよね。
だから、一概に何があったから長く感じるとかは言えないんですよ。
ただ、長く感じたければ非常に簡単な方法はあるということです。
認知コストがやだらかかることばっかりしていればいいわけですよ。
毎日毎日をイレギュラーの連続にして、毎日毎日違うことをする。
ただ、これは意図的にはほぼ不可能だと思うんですね。
なぜなら人間の認知というのはコストをダウンする方向にまず圧力がかかっていて、
例えば毎日違う人と会うとするじゃないですか。
そうすると確かに一時的に認知コストが上がるんだけど、
私という人間は毎日違う人とレギュラー的に会うのねというふうに脳は考えることによって認知コストを下げてくるんですね。
だから人と会うという、人が変わったとしてもね、
人と会うというのが繰り返し機能として働くので、結局それを意図的にやるのは非常に難しいんですよ。
脳の認知がパターン化に追いつかないくらい毎日毎日が違ったことが起こってくれないとダメなんです。
それってもうほぼ毎日天変地異が起きるぐらいのノリになっちゃうんで、やっぱりこれだと生きていけないんですよね。
よくできていると言えばよくできているわけです。
だから時間を長く感じる方法というのは、それに需要があるかどうか知りませんが、
後からね、今日は充実してたなというか、いつも充実してるなと感じる、
実は環境因子で決定する方法は方法自体はあるんだけれども、
その方法を実行できるかどうかとなると大変疑わしいといったことになるわけです。
それは油断なんですけれども、というわけで1月はすごく長く感じられたのにあっという間に過ぎました。
こういうことが認知上は決して不思議な話ではないということですね。
逆に毎日毎日がいわゆるハンで押したように同じで、
繰り返し繰り返し平穏平穏平穏で来るとですね、
後から思い出すのが非常に困難になる上に時間はとても短く感じられます。
それは私が12月以前そうだったのでよくわかります。
時間は非常に短く感じられるんだけれども、認知コストが下がっているのでですね、
ある意味そのまま一定の長さを持っている感じもするんですよね。
これも今さっき言った逆で不思議な現象ではないということですね。
ごくごく自然の、たぶん普通に暮らしている人はみんなそういうふうになるようにできているはずです。
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それでですね、今日は何の話をしようと思っていたのかを完全に、
私今タスクシュートの、これは100日チャレンジ向きにしようと思っていたから、
逆にタスクシュート方面で考えていることがあるんですけど、
今ですね、タスクシュートを使うのを、なんていうんですかね、
ぐっとこうですね、シンプルにしようと思っているんですよ。
このことは現在進行中の認定、ずっと今後進行していくはずなんだけど、
認定行使制度に深く関わっていることと関連がありまして、
この認定行使制度って実はすごい大事な制度なんだなということを、
関われば関わるほどで実感するようになったんですよ。
私こういうものは一生関わりがなさそうだと思っていたので、
関わってみたらすごい良かったと今つくづく思っていてですね、
またしても、私はやっぱり倉園慶三さんには助けられているなと思うんですよ。
どうしてここで関係してくるのかというとですね、
私多分倉園さんの訴えを聞いていなかったら認定行使制度ってできなかったなって思うんですよ。
これはもう今からおいおいお話しますけど、
とにかく認定行使制度っていうか認定制度っていうか、
教会というかの制度ですね。これが大事なんですよね。
昔からある、これはこの番組でも時々言う話ですが、
コミュニティっていうのはテーマがなければいけないが、
そのテーマは大事ではないっていうのが僕の中で、
いつも子供の時からこの課題を意識していた。
僕結構子供の頃、人を集めて、子供を集めて何か遊ぶっていうのを、
ポッキンっていうのかな、この指止まれをする子だったんですね。
今からはちょっと想像しにくい自分でもなんだけど、そうだったんですよ。
この指止まれはこの指止まれなんですよね。
つまり、なぜか知らないけどそれをやると人が集まってくるんですよ。
あれが面白くて僕がやってたんだけど、
それが何であるかはあんまり大事ではないんですよね。
一見それはすごい大事なんだけど、
何々するものこの指止まれって言うじゃないですか。
この何々って大事なようで何でもいいんですよ。
ただ、何々がなきゃ集まらないんですよ。
ここをすごく僕はですね、
小学2年の頃から延々意識し続けてきてたんですよね。
なんでなんだって思ってますよ、簡単に言うと。
石蹴りでもサッカーでもドッジボールでも野球でも、
何でもいいんですよ、鬼ごっこでも鷹鬼でも。
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でも、何かないとダメなんですよね。
じゃあ、野球とサッカーだと違うメンバーになるかというと
若干変わるんだけど、ほとんど同じなんですよね、結局。
つまり、何でもいいし、何でもいいような気がするんですよね。
かつ、例えばこの指止まれ言ってる僕は野球もサッカーも下手なんですよね。
これも超大事なのって僕は当時から思ってたんですね。
一番上手い子って、大体クラスに3人くらいいるじゃないですか。
僕の時代は人間多かったんで、子供1クラス50人くらいいて、
男子は半分だから、男子だと男子しか当時遊ばなかった。
20人くらいいるとするじゃないですか。
20人は集まらないから10人くらいですよね。
10人でどうして野球ができてたんだって話も
敵味方に分かれると5人になっちゃうんだけど、
多くて7人くらいかな。
7人って14、15人ってことですよね。
14、15人で上手い子って大体2人くらい。
この2人ないし3人をどう分けるかで大体勝負はもう
決着がついてるという話もあるんだけど、
そういう時にですね、上手い子が言わなくてもいいんですよ。
小学校5、6年になってくると上手い子が言わないとだんだんダメにもなってくるんだけど、
2年の頃とかは別に僕とかが言ってても全然いいし、
結構一番上手い子とかは誘われる人間だったりするんですよね。
カッコつけるからね、そういうこともあると思う。
この辺のことって僕はすごい興味深いなと思っていました。
コミュニティってのはまず第一にテーマ設定が非常に大事だと。
ないと困ると。
でもそのテーマ自体は集まってしまえば
割とどうでもいいもんだっていうのをね、
大人になってからも繰り返し繰り返し意識させられていたんですよね。
このことにですね、ケチをつけ始めるという話をどうするかっていうのが
割とコミュニティを運営していく上での肝だなっていうのを僕は意識。
これもですね、どうしてもこの課題を考えなきゃダメだっていうのはあったんですよ。
東京ライフ研究会って何回かここで繰り返し登場させてもらってるんですけど、
これが一番分かりやすいからこの例出したんですけど、
あれはライフハックはこういうとこられるかもなんですけど、
本当に割とどうでもいいんですよ。
でも東京ライフ研究会だからそれやっぱり集まってくるわけじゃないですか。
それっぽい人が集まってくるし、そもそもそういうテーマがないと集めようがないんですよね。
でも例えばそこでみんなで懇親会で中華料理屋さん行っていっぱい飲むとかが楽しいってのは
もう間違いなくそれが楽しいのであって、
その時にする話がずっとエバーノートの話だとか、
ずっとガジェットの話しなきゃいかんとかそんなことはないし、
そんなことはしてないんですよね。
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で、僕はまずそのことをすごく一番楽しい会話、
決まってこの種のものだって思ってたんですね。
テーマ設定は必須なんだな、そのテーマはどうでもいいみたいな。
なんだけれどもそのことに対してうるさいことを言うというか気になるんでしょうね。
いや、もっとライフハックじゃないとダメじゃないですかみたいな、
そういうことにこだわり出す人が出てきて、
この人はキーマンになるっていうのは私の今までの経験では裏切られたことがないんですよね。
例えばサッカーなら行くけど野球なら行かないよみたいな、
こういうこだわりのある子が1人か2人は必須なんですよ。
なんだけどそういう人がいると面倒くさいことにもなるじゃないですか。
やたらサッカーにこだわると、ただこの指とまれでサッカーしてただけなのに、
練習しろとか言い始めるとかね、
ここのところこういう人どうするかっていうのはすごい大事だなっていうふうに思うんですよね。
その辺のことが教会という制度には全部入っているんだと。
少なくとも私が今やっていてタスクシュート教会やってると本当にそう思うんですよ。
基本的にはタスクシュートの教会なんですよ。
だからタスクシュートというものがなければこれは絶対ありえないものですよね。
タスクシュート教会なんだからタスクシュート抜きには勝たれないじゃないですか。
なんですが世の中にある教会というものはどれもこれも非常によく似ていてですね、
多分これはタスクシュート教会がGTD教会になったとしてもあんま変わらないと思うんですよね。
これはさっきのサッカーやるのと野球やるのは全然違うんだけど、
そのメンバーはほとんど変わらないというのと僕はほぼ同じ意味だというふうに思っているわけです。
そうなってみた時にさっきのこだわりのある子というものの存在をどう考えるかということなんですよ。
僕はサッカーじゃなきゃいかないよっていうね。その子サッカー絶対上手いわけですよ。
しかもそういう子ってサッカーをやる時にはすごく大事なメンバーだったりするわけじゃないですか。
ただそいつを入れるとめんどくさい。
僕はタスクシュートに関してはそういう人間の一人だなって思うんですよね。
タスクシュートじゃなきゃ僕は入らないそうな人間なんですよ。
タスクシュートじゃなきゃ入らないそうな人間っていうのはさっきのサッカーじゃなきゃやりに来ない子と同じなんですよ。
そしてこういう人間は扱いに困るわけですよ。
でもいてくれた方がいい。扱いに困るんだけどいてくれた方がいいわけですよね。
一つは集合体にとっての推進力みたいなものの大事な部分になるからなんでしょうね。
私も一応そういうポジションにいますもんね。
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そうなってみた時にこういう人に期待される行動っていうのは
例えばサッカーで考えてみると黙ってサッカーすることなんですよね。
サッカーの練習とかいろいろ言い始めるとめんどくさい感じがするじゃないですか。
そしてサッカーやれよみたいなことをみんなに言い出すと
言い出すんだけど大体めんどくさい感じがしますよね。
非常に扱いにくくなっていきますよね。
彼のような人はでもいてほしいわけだから
いてくれないと困るんでいて何をしてほしいかっていうとサッカーなんですよね。
そんな感じがすごいするわけです。
当時からそういうふうにみんな期待してましたからね。
だからといって期待に応えてくれているわけではないんだけど期待はしていましたね。
このことが私の役割なんだなっていうふうにまず思うんですよ。
タスクシュートしてればいいんだなと。
そこでなんですよね。タスクシュートするってどういうことなんだろうと思うんですよ。
タスクシュートするというのはタスクシュート毎日使ってればいいんじゃないですかってそれもそうなんですが
サッカーするっていうのはこの場合ちょっと違うじゃないですか。
その子がそのメンバーというかそのグループの中でサッカーしてくれないと
一人でサッカーの練習とかされていたんでは何もならないわけですよ。
これがすごくあるなと思うんですよ。
その子がめちゃくちゃ上手かった場合に一人でバンバンやって15点取るのもどうかと思うじゃないですか。
これも大事なポイントなんですよね。
例えばその子だけこういう制度を当時取り入れていた時期もあったんですけど
レンタルできるみたいな、敵味方どっちにでも状況に応じて入れるみたいな
いうふうにしていたこともあったりしたんですよ。
点差開いた場合でそういうことができるようになったのは小学校、高学年になってからですからね。
この辺の工夫っていうのが必須だなって思うんですよね。
あからさまに手を抜くっていうのもどうかと思うんですよ。
例えばなんだけどそういう子はボールキーパーさせちゃうとかね。
これもすごいいい方法なんですよ。
そういうふうにするようになってから面白くなったなっていう記憶が今漠然と蘇ってきたんですよね。
つまりなんかあるんですよ。
ものすごくそれは大事なんだけれども
その役割をその人が果たすことによってスタンドプレーにはならないみたいな
そういうポジションっていうのがあるんだなって思うんですね。
これはサッカーの話に終始してるわけでもないけれど
大体サッカーの話ですらなんでもないんですよね。
それでタスクシュートやってて思うようになったのが
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つくづくタスクシュートって何なんだろうっていう話なんですね。
私が考えたのは。
つい先日、先々日ぐらいかな認定講師の方がどんどん生まれているんですけど
ある方の認定講師に一応最終試験みたいなのがあるんだけど
これをやっていて
すごく説明がタスクシュートについて
なんて言えばいいんだろう
タスクシュートとは何かということがものすごい分かりやすいとか
一言で言えるとかいったことがなくても
タスクシュート的であるっていう話を伝えるっていうことになってくると
みんなこういうことは言うなみたいなのがあるわけですよね。
みんなこういうことを言うなみたいなのが。
でもみんなこういうことを言うからといって
それがタスクシュートであるとか言えるわけではないんですよね。
それはGTDでも言えるんじゃないだろうかみたいな話になりかねないわけです。
なりかねないんだけれども
全部を通じて見るとやっぱりこれはタスクシュート以外の何物でもないなっていう
ものすごくふわーっとしたですね。
ふわーっとしたものがあるわけですよ。
このふわーっとしたもの。
つまり結局のところどれがタスクシュート
定義って大体そうなりやすいじゃないですか。
これがあればそれと言えるんですみたいな。
つまり抽象ですよね。
なんだけど逆にですね
具体例を積み上げていった先にあるようなもの
要はコミュニティなんですけども
具体例を大量に積み重ねていった先には
もうタスクシュートじゃないものにはなれないみたいな
そういうものがありまして
あるんだなということが分かって
これの入れ物になるのが一応この教会というものなんだなと。
だから何でも入れられちゃうんだなっていう風に思ったんですよ。
もはや100チャレの話になってないんですけども
ただこれに入りたいという風に少しでも思われた方は
100日チャレンジに入っていただくのが一番早いなと思います。
そしてもうそうしてしまえば
タスクシュート教会というもののですね
一端を作るんですよね。
担うんじゃないですよ。作るんですよ。
今の話からしてもそうですよね。
いろんなものが集積されていくわけですね。
かき揚げみたいなものですよ。
かき揚げ塾じゃなくて天ぷらのほうで。
何でもそこに入るんだけど
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それしかないわけですよね。
いろんなものを入れれば入れるほどむしろ
それしかないものになっていく。
そんな感じのものなんですよね。
タスクシュートというものに
引きつけられたり関わってしまったり
使ってしまったりした人たちの
集合体みたいなそういうものなんですよ。
ただそれだけだとただの集合になっちゃうんで
だからなんですよ。
だからテーマが必須になるわけですね。
もしこれでテーマがないと
多分集まらないんですよね。
そもそも集いにすらならない。
でも集いじゃダメじゃないですか。
集いと境界は違う。
集いでもいいんだけれども
やっぱり僕は集いでもダメな気がするんですよ。
ここになんかね
制度ってものの意味が出てくるんだろうなと
やってみてよかったと思う。
そういうことなんですよね。
私のような人間は
よく言われる通りなんだけど
人間関係めんどくさいとかって
いう話ってよく聞くじゃないですか。
そんな認定行使ビジネスとか
これらはすべて
外から見れば当然なんだと思うんですよね。
何のためにそんなことをするのかっていう話を
さっきのあれですよ。
サッカーにこだわることと同じなんですよ。
野球ならいいよみたいなね。
このこだわりがコミュニティを難しくするんだけど
このこだわりすら取り込めたときにですね
なんか非常によく機能し始める
何かが出てくる
何かがって言い方はダメだと思って
何か考えなきゃいけないと思うんですよね。
その考えているところで
私がやり始めているのが
タスクシュートですね。
極力極力誰でも使えるようにする。
今の話からして
タスクシュートを使う人たちの集合体である以上
誰でも誰でも使えるようになって
しかもそれがタスクシュートを使ってるとは言える
そのギリギリの下げてきたラインの中に
入ってくるものがこれになるはずなんです。
話が抽象的なので
ちょっと具体的に言うとですね
例えばまず今私がやっているのは
セクションをなくすってことなんですね。
まだ取り組みの半ばなんですが
セクションをゼロにしてしまう。
いわゆる時間帯というものをなくすわけです。
次に考えているのがリピートをなくす。
ほぼほぼすべてなくす点が目指しているところなんだけど
全部なくすのはさすがに不便になるだけなので
全部はなくさないんだけど
激減させるというのを考えています。
それが先々日言ったという
認定講師試験で見た
1枚に収まっているタスクシュートのリストを見て
それを作りたいと思ったのではないんだけど
こう見えたらさぞ分かりやすくなるだろう
というのがあったんですね。
説明がこなれているとかであってはいけない
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こなれていることはいいことなんだけど
こなれてなくても伝わらなければいけない
というふうにも思ったんですね。
こなれてなくても伝わらなければいけないし
ところどころ矛盾していても伝わったほうがいいし
とにかくハーナルが下がって下がっていく。
つまり正しいタスクシュートというものが
何なの?って言われるぐらいにならないと
ダメだと思うんですよ。
でかい境界で機能しているものって
だいたいそうじゃないですか。
例えば、正しい関係って何なの?
って感じがしますよね。
それを言い出すとさっきの
面倒くさいサッカーの子になっていくだけなんですよ。
その子だけでは
その子の言うことは全部正しいんですよ。
でもその子だけでは
みんなでサッカーすることができないんです。
これと全く同じことを
ずっと僕は引き起こしていた気がするんですよ。
正しいタスクシュートにこだわっていると
正しいタスクシュートの使い方は
その人ができるんですよ。
でもタスクシュート境界はできないんですよね。
壊れてしまう。
そうならないためには
壊さないためには
何でもいいかっていうと
何でもいいわけじゃないから
タスクシュート境界なんですよ。
ここのところで両方成り立つように
かつ大きくしていくという方向性を
維持するとなってくると
両方が入れるような
少なくともね
サッカーにこだわっている子と
サッカーがやりたい子は
みんな入れるようで
かつそれはサッカーであるという
少なくとも子供の場合はサッカーしているのでね
でもやっぱりサッカーのルールを
小学校2年が全部守れるかというと
微妙なんですよ。
あからさまにハンドとかは誰もしないんだけど
持って歩く子っていないんだけど
例えばLINEとかになってくると
微妙じゃないですか
LINE終わったか終わらないかみたいなのよく
喧嘩になりますよね。
そういうことは起こるわけですよ。
タスクシュートのルールというものを
どこまで
曖昧にしていけるかなというのを
今私は実験している
ということなんですね。
リピートを激減させる。
セクションはなくす。
1日のリストは作っておかないと。
なるべく空白にしておくということですね。
なるべくですよ。
全部を空白にするというのは
単なる実験になっちゃうんで
そうすると
多分利便性は消滅するんで
便利である必要があると思うんですよ。
ツールなんだから。
で、レビューはしない。
最近はほぼしてないからしないんだけれども
レビューはしないでしょうので
見積もり時間は入れてはおく
というレベルにとどめると。
すごく曖昧にしておく。
そして、そうそう。
デイリーリピート以外のリピートは
事実上持たないということですね。
このレベル、もちろんプロジェクトモードは無しです。
これはもう
最近はもともとほぼ無しなんで
無しですね。
このレベルまで来ればですね
27:01
おそらく
かなり誰でも使える気がするんですよ。
そして
説明というような説明も
ある意味
こういう言い方をすると
あれなのかもしれないけど
とってつけたような説明でも
なんとかなる気がするんです。
自分のやってることを全部
言ってさえしまえればですね
そこに
それっぽい理屈が
くっついていればね
多分これでなんとかなる。
こうなってきた時に
僕は思い出したのが草サッカーなんですよ。
子供の草サッカー。
それは子供がやってたんですよね。
それも年派のいかないってやつですよ。
幼稚園の頃はさすがになかったけど
小学1年の頃はやってた気がするんですよね。
小学1年ですからね。
サッカーやれるじゃないですか。
あれはサッカーでないと言えるかというと
そんなことはないんですよね。
あれはやっぱりサッカーだったわけですよ。
ゴールキーパーだけ手使ってね
ゴールに入れて点を競って
確かにそうしてたわけですよ。
点が入っちゃったら真ん中から
点を直すとかそういうことはちゃんとやってたわけですよね。
ここ
こういうことだろうなって思うんですよ。
人間関係めんどくさいじゃん
っていうのはこの文脈では
少しおかしいじゃないですか。
人間関係めんどくさいからサッカーしないよ
っていうのは何かに対して
意地になっているものがあるような
感じがするんですよ。
だから
それこそですね
その
最終的に
見えてくるのは役割ってことなんですよね。
それでも役割ってのも
面白いものでそれしかできなくなる
という制約があるんだけれども
それしかできなくなることによって
コミュニティが
手に入るんですよ。
さっき申し上げたので言うと
やたらとうまい子にゴールキーパーさせる
というのは本当にいい方法なんですよ。
ゴールキーパーは
どんなにうまくても失点しない
ってことしかできないんですからね。
得点できないんで
あからさまに差がつくみたいなことが
避けられるんですよ。
何のために子どもたちがそんなことを考え出したのか
あれ子どもが考えたんだから
コミュニティを維持するためなんですよ。
コミュニティで
みんなで楽しむということを
成立させた上で
その子の能力を最大限に
引き出すにはどうしたらいいか
というのを考えた結果こうなった
ああなったんですよね。
そういうふうに考えていくならば
誰でもできる
できるというのはまず非常に大事だ
誰でもできるにもかかわらず
タスクシュートしているって言えるのが
大事だなと、誰でもできるにもかかわらず
サッカーしていると言えたいように
そんなようなことを今考えている
ってお話でした。
29:46

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