2024-04-17 1:02:05

私にはPOSTだと思えるものを受けてます【GMV 966】

これはみんなに勧められるものかもしれない。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
4月17日水曜日、朝7時16分です。
いきなり、暑いですかね。
東北なら夏に近い感じになってまいりました。
私はこの辺過ごしやすいなと思わなくもない。
地域によっては少し、関東でも。
いくらかは温度が低いんで、
もしかするとこの温度だと東京首都圏ないし、埼玉県は暑いかもな、みたいに思うぐらいですね。
一気に変わりましたよね。
ちょっと前桜咲いて、まだ咲いてますからね。この辺は少しだけど。
いやー本当に、まあ温暖化なのか知りませんが、
気候の極端さというものは確かに感じなくはない。
ですね、もう少し春というのは穏やかな。
意向が穏やかでしたね。服に困りますよね。
だってまだ僕結構、「〇〇冬だぜ!」っていう格好しちゃってますから。
この格好でしょかーはおかしいし、
まあおかしいのは気候の気もしますが、格好がおかしいってことになっちゃうんで。
この辺をちょっと緊急に切り替えねばならない。
緊急に切り替えて急に寒い日出てきたりしますよね。
その辺がちょっと、こういう季節とこの気候のややこしさ。
まあでもそろそろね、この番組も熱中症に気をつけながら撮らなければならない時期がやって参ったと。
でも目の前にストーブあるんですよね、まだね。
この辺がもうやっぱり今の時期の難しさだなと思いますね。
はい、引き続き断続的に強力にプッシュしていきたいタスクシュートジャーニー4ですね。
私はですね、仕事の何をメインに置かないみたいなのがあるんだけど、
そうは言っても三本柱の一つはこの100日チャレンジ、タスクシュート協会ですので、
4月の20日はこれはぜひ大勢の方に見ていただきたい。
ここでちょっとね、また自分のポジションでやってる仕事を皆さんにお伝えするとともにですね、
一方通行になっちゃいますけどどうしても人数多いですから、
質問さえいただければ随時ことタスクシュートに関わることであれば、
極力いろんな話をできればいいかなと思っています。
ようやくもう本当に自分の中で多分これ以上は明瞭にはできないだろうぐらいのところまではタスクシュートは来た気がします。
僕デイリーですらあんまりないんですよね。一応形式はデイリーですけどデイリーしかないから。
セクションタスクシュートなんですよ。
03:02
もうこの3時間が勝負みたいな他の時間はないっていうね、なくはないんですよ。
概念的に僕の頭の中に残ってはいますけど、でもその中はもう空白空白みたいな感じで、
記憶もそこにはもう残ってない感じなんですよ。
時系列に並んでるわけじゃない。でも見れば時系列にそこに並んでる。これが大事。
この必要に応じて時系列に決してならない頭の中。
3次元なのか4次元なのか分かりませんがとにかく時系列というものはない。
ノート。時系列しかないタスクシュートを必要に応じて目で確認、目で見て確認するというこの作業がタスクシュートなんだなと思いますね。
これをめちゃくちゃミニマムにすると今ここのタスクシュートになるんですよ。
直前、現在、直後。3つだけ。
このセクションに広げるといくつかに広がりますよね。
ゲームとかでここしか見えないんだけど、何かのアイテム使うと半径が広がってちょっと前後が見えるようになる。
あの感じをずっとやっていくのが、それが人生だった気もしますけど、それがタスクシュートですね。
だからこのセクションで今一番優先だと思うものをいかにやれるかだけを考えていけば、
全てはうまく回ると信じるっていうことがタスクシュート的だと私は思って20日にお話しします。
高梨さんですね。高梨さんをお招きしてやります。
あったつ紹介なんですって方にこの話をただしても、簡単ではないと思うんですよ。
私だってこう、たとえ長らくタスクシュートやってたし、何ならGood Vibesの話を伺ったをしても、
やっぱり3日でこうなったかって言うとそんなことはないわけで、やっぱりちゃんと長い年月っていうのかな。
ただこのプロセスの中で全てが好転する流れってものをつかむことができて、
つかみ始めればですね、やり方は大したことではないんですよね。
いずれそうなりますみたいな話でいいと思うんですよ。
流れをどうやって自分の中でつかんでいくかっていう話でしかないと思うんですよ。
期待にしても意味のないところに期待しなくなればですね、それが難しいって言えばそうなんだけど、
例えば急にやっぱりダメだと思って、Good Vibesもタスクシュートももう無理だと思って逆算をするってことも起こり得ると思うんですよね。
ただ僕の考えですけれども、そこで逆算をしても多分なかなか流れが良くはならない。
理由はそれは恐怖感から来るものだからっていう話はするかもしれないししないかもしれませんが聞かれればします。
06:02
といったところですかね。
とにかく4朝って土曜日です。よろしくお願いします。
で、今日はですね、昨日ある方2人から相次いでそういう話をされたので、
いよいよ、今すぐは無理なんですけどね、今大変私は実は首も回る。
首は回ってるけど、首は回ってるぜぐらいになっちゃってるんですね。
そうは言っても昨日ロッテでさよなら勝ちしたよねみたいなのをガッツリ見たりしてるんで、結構暇なこともやってるんですけどね。
マリオRPGもエンディング終わった後のゲーム。
今のゲームって本当サービス旺盛ですよね。本当にすごいなって思いますね。
終わってからがあんなにゲームできてしかも面白いという。
まあパーティ全滅しまくってるんですけど、終わってからめちゃくちゃ敵強いんですよね。
何なのっていうぐらい強くて。
今あの昔のRPGの過酷さを思い出してですね。
アイテム買いまくりとか。
全然そういうことしないでどんどん先へ進めるゲームだったんですけれども、
終わってからはもうそんなこと言ったらすぐ全滅するよっていう世界に切り替わっちゃったんで。
前に登場してきた敵もめちゃくちゃ強くなってるんで。
不思議ですよね。
エンディングをして平和な世界が戻ってきましたって言ってからの方が敵が厳しいというね。
前よりずっとサスバスとしてますねっていう感じになっちゃってるんですが、
なぜこんな話で長くなってるのか、あれですね。
何の話をしようとしてるかというとそうそう、ポストですよポスト。
私ポスト今受けてますってことね。
そもそもポストですよこれはって言われてないのに、
ポスト受けてますって勝手に宣言するのもどうかと思うんですけど、
これはやっぱり僕の乏しい知識の範囲で言えばポストだろうってことなんですね。
なぜ受けてるのか。
例えばタスクシュートでは解決しないのかとか、
ドバイブスでは解決しないのかとか。
丁寧にご説明する、丁寧に説明できるのかな。
でもまあとりあえず説明はします。
別にこれはタスクシュートとグッドバイブスが
例えば併用しなきゃいけないとかいいとかいう話は、
実は当事者としてはほとんど本当は意味がないんですよ。
これやっぱり誤解がここにあるんですね。
解像度が低いというかあまりにも物の見方が直感的すぎる。
僕らやっぱり鳥の目線で動いてないんですよ。
全く地上を這ってるんですよ。
それでいいんですよ。地上を這う生き物なんだから。
虎に翼があって何かなぜかツイッターで話題になってますけど、
僕に翼はないんでね。
直感的っていうのはただ空想してるだけなので、
全然直感をしてないわけです。
直感的に見ればタスクシュートでいけるんだったらタスクシュートでいけばいいし、
グッドバイブスでいけるならグッドバイブス1本でいけばいいし、
09:02
精神分析が役に立つなら精神分析でいいじゃんという、
非常にシンプルな世界があるんでしょう、そこには。
でもそんなものは空想なんですよ。
そんな世界はどこにもないんですよ。
タスクシュートとグッドバイブスは基本あんまり関係なくて、
私は関係づけますよ。
なぜなら私は両方やってるから。
両方私がやってるから両方が関係づいてしまうんですよ。
私の中でですね。
でもそれは私の事情であり、他の人には関係のない話なんですよ。
別にやってもやらなくてもいい。
例えばそうですね、サンドの飯より釣りが好きって人が世の中にはいるわけですが、
その人にとって釣りができるか釣りができないかって重大な問題じゃないですか。
全ての、例えばこういう気候になると釣れる魚も変わるわけですよね。
そういうことも全部釣りと絡んでくるわけ。
でもその人にとって気候変動は釣りと関係あるかもしれないけど、
僕は釣りしないんで。
気候変動と釣りは何の関係もあるんでしょうけど、
僕には関係ないってことなんですよ。
だからグッタワイブスを取り入れることでタスクシュートに大きな影響を与えますよ。
私の事情であり、他の人には関係ないんですよ。
そもそも両者は関係ない。
別々に存在していたものなんですね。
関係づけることがあっていいとしても、
関係しなければいけない理由はさらさらないわけです。
だから、なんで両方やるんですかという問い自体が、
それはつまり、なんで野球大好きなのに釣りも趣味なんですかぐらい、
別にいいじゃんって話なんですよ。
別にいいんですよ。
でもこの説明だけでもいいけど、
もう少し丁寧に噛み砕いて言いますと、
タスクシュートというのは僕が元々やっていたやり方なんですね。
私はこの仕事術という、あえて仕事術と言っておきますけれども、
仕事術というのはですね、
もともとは私の大変大きな欠陥だったと思っていた。
でも当時やっぱり欠陥として感じていたんだし、
苦労していたから欠陥としましょう。
やり漏れは多いし、約束守る気が十分じゃないし、
しかもその割に気は焦りがちだし、
焚き送りもしまくると。
こういう人間がタスクシュートをやってみて、
ここで平心分析用語を使いますね。
タスクシュートをやる前はそもそもGTDをやっていたわけです。
単純に言って。
僕はアメリカにいたんで、GTDは流行っていたんです。
だから私はANO大好きですからね。
やりますよそりゃ。
あんなに流行っていれば。
英語で読んでてもね。
そういう話はほとんどしていませんけどね。
GTDやって、うまくいかなかった。
理由は単純なんですよ。
あれは超自我が強い人がやっちゃうと、
書き出すものが超自我が気にしていることだけになってしまうんです。
12:02
超自我って自我じゃないんでね。
超自我が気にすることっていうのはね、
自我理想が気にすることと言ってもいいですよ。
例えば、最近食べすぎてるな、もっと食べるの控えて痩せなきゃみたいな、
これは超自我的なんですよ。
学あるべきっていうのと、
社会がこうやった方がいいよっていうのが一致してるところに、
超自我の理想は身勝ちです。
当然なんですよ、これは。
なぜならば、それが社会的であるから。
だからトイレットトレーニングと超自我は非常に関係があるわけです。
おもらしばっかりしてないでちゃんとトイレに行けるようになった子は偉いねっていうのは、
非常に社会的、高社会的っていうんですね。
社会に向かう。
それと、自分がそうしたいって思うところが一致するポイントがあるわけですよ。
別に悪いことではないし、
そういうことが全くないと、
人間社会の中では生きていきにくい。
一人で無人島で暮らすんだったら、
トイレも何もないわけですよ。
どっちでもいいじゃないですか。
だけれども、みんなと生きていく上で、
人間社会では、
これ猿の群れなら別にそんなことは大した問題じゃないんですよ。
でも人間の社会では、
これでは生きていきにくい。
だから超自我というものがあるんですよ、
私たちの間にはね。
でもこれが、当然強い人と、
別にそれほどでもない人、
例えば水木しげるさんとかは、
全然超自我的じゃない人、
でもないわけじゃないですよ。
そこら辺でトイレするとは思わないですか。
ないわけじゃないですよ。
彼だってちゃんと締め切り守ろうとするんですから、
そういう感じしないですけどね。
でもやっぱ強い人と弱い人がいると、
めっちゃ強い人っているんですよ。
ちょっとね、痛々しい感じもしますけれども、
もう超自我の言う通りに生きていかなければ、
ダメだ、みたいになってしまっていて、
辛いと。
内在感みたいな言い方するのかもしれないけど、
とにかく超自我めっちゃ強い人がいて、
私は比較的強い方なんですよ。
こういう人間が、
GTDなんかをやると、
リストにアップされているものは、
全部超自我志向になっていくわけですね。
しょうがないんですよね。
全部超自我なんですよ、本当に。
英語が堪能になるとか、
Excelが使えるようになるとか、
正規表現で検索できるようになるとか、
朝早く起きるとか、
なんかもうね、
本当に超自我的になっていくわけです。
当然できませんね。
でもなぜなのかが分かる。
こうなった方がいいに決まってるじゃん、
ってことになっちゃってるから、
決まっちゃってるんで、
これができないのはやっぱり自分、
僕はそういう風にシンプルには落ち込まないけど、
ダメなんじゃないだろうかっていうのがね、
常にこうやってくるわけです。
でもこれって超自我の声なんですよ。
つまり、
常に超自我とやり合ってるみたいな
世界ができちゃうわけです。
GTDで、
書き出していても、
その事態は何ら変わらない。
そしてその中で、
私の中で、
多分、
いろんなものが抵抗するわけですよ。
やってらんねーみたいな。
これは普通に口に出して言うときもあるぐらい。
やってらんねーと思う。
やってらんねーという風に言うってことは、
そういう気持ちが強く働いてるわけで、
15:00
もうやめてやれってことをやると、
何が起きるかというと、
やり忘れたり、
先送りにしたりってことが、
頻発するようになるわけですね。
だからGTDをやるっていうことと、
やり漏れがなくならないってのは、
もちろん、
並行して動いていくわけです。
ここにタスクシュートを導入したわけですね。
すごい話はしょってますけどね。
導入するとどうなるかというと、
タスクシュートというのは、
記述する内容が一気に非超自我的になる。
単純に言うと、
あれですよ。
Sと自我ですよ。
要するに欲動と自我のやりたいことが、
全部そこに記述されるわけです。
ずっとネット見てましたとか、
ずっとロッテ線見てましたとか、
トイレ行ってました。
トイレはもう完全に欲動の世界ですから、
食べてましたみたいな。
そんなのばっかりどんどん記述されていって、
超自我がやるべきだって言ってることが、
どんどん押し出されていく。
っていうのを目の当たりにして、
ああこれだっていう風になったんですよ。
私はこれを、
こういう現実にいるんだから、
だからやり忘れは出るし、
先送りも出るし、
そもそも洗い出したものが、
一向に進んでいかないんだと。
で、どうしようかなと思って、
このタスクシュートを毎日眺めてたわけですね。
そうすると、
当たり前なんですけども、
異動と自我が言ってくるというか、
特に異動ですね、
欲動が言ってくることは、
絶対になくならないわけですよ。
当たり前なんですよ。
飯を食いたいぞ、寝てたいぞっていうのを、
常に言ってくるわけですよ。
毎日毎日言ってくる。
大橋さんに、
タスクシュートを開発した大橋製造さんにね、
おかしいですこれは。
毎日毎日、
同じような生活習慣がリピートされてばかりいます。
どうしたらいいんでしょうって言ったら、
当然そうなるべきですっていう答えが、
当然のように返ってきたわけですね。
あ、そりゃそうだよな。
なんかこれを言われる前に、
質問している自分が不思議だと。
自分は生き物なんだから、
井戸が要求するものが、
次から次へと毎日繰り出されてくるのは、
当たり前じゃないですか。
いやー、
今日は全然トイレには一回も行きたくなんないし、
眠くもないし、
食べたいとも思わなくて、
ひたすら英語の勉強したいわってならないですよ。
そりゃ。
なろうというのがそもそもおかしい。
だけども、
GTDであろうとなかろうとですね、
洗い出しリストを作ると、
井戸の要求はゼロなんです。
ほんとゼロなんですよ。
だって書かないじゃないですか。
GTDで気になること書き出しましょう。
トイレって書くんだ。
だったらトイレ行けよって話になるんで。
トイレとか書かないわけですよ。
つまり、いわゆることですごい、
非常に古典的な、
本当に自画心理学のど真ん中の、
超自画、自画、本能、欲動、
みたいなものがあったとき、
欲動と本能、
欲動と自画のことを書くのが、
タスクシュート的であり、
超自画のことばっかり書くのが、
いわゆる逆算的とか、
18:00
GTD的な話になりやすい。
これはGTDがそうなる、
という話ではないですよ。
GTDにトイレって書いてもいけない、
というルールはないんだし、
タスクシュートに超自画の話、
リストばっかり書くこともできるんですよ。
でも、結果はいつか必ず、
タスクシュートでは少なくとも、
超自画を押し出されていくわけです。
ここがすっごいユニークなところなわけですよ。
普通、どんな仕事術でも、
仕事のリストでも、
超自画優勢になるんです。
なぜならば、
あるべき姿をそこに実現するための
リストを作る。
タスクシュートだけは、
使い続けていく限り、
おそらく絶対そうはならない。
異度優勢になっていく、
という非常に変わったリストが
出来上がるわけですよ。
何のためにこれを撮っているんだ、
という話になっていくわけですよ。
トイレに行った、寝ました。
何なの、そのリストって感じがするじゃないですか。
それだけにならないですよ。
だいたいテレビ見ました、ゲームやりました、
漫画読みましたってなりますよ。
でもそれは、超自画と無関係じゃないんだけど、
やっぱり異度の抵抗っていうのが
すごい強く現れているわけですよ。
勉強したくないし、テレビ見てたいし、
ってことですよ。
つまり、抵抗というものが現れてくるわけですね。
この抵抗を無くしたいんです、
っていうふうに人はなりがち、
僕もなりがちです。
で、そのとき超自画消すってことはできないんですよ。
超自画と異度は絶対消せないと。
これは両方あるんです。
だってトイレトレーニングは必要じゃないですか。
お風呂入ることは必要でしょ。
風呂入らなくても死なないですけどね。
でも風呂入ることは必要じゃないですか。
必要なんですよ。
休息を取るのも必要ですよね。
そうして考えて、
で、仕事もしなきゃならないと。
だから超自画と異度は消せないんですよ。
ここで自画が悩む。
で、こいつらどうしたらいいんだってことになるわけですよ。
で、どうしたらっていうのが
タスクシュート上に現れるわけです。
こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろう。
この試行錯誤は絶対欠かせないんですね。
この試行錯誤をするのが
タスクシュートの第一フェーズです。
必要ならば常にずっと
永遠にこれをするんですよ。
これは自画心理学でフロイトが言っていた通りなんですよね。
自画は超制約だと。
いつも葛藤させられていると。
一つは超自画からの要求と。
もう一つは井戸からの要求と。
相入れないわけです。
だって井戸はおむつに
トイレしたいよって言うわけですから。
いやいやトイレでしなさいっていうのが
超自画の言い分で、超自画は正しいんだけど。
でもそんなことを言ったらですね。
じゃあもうトイレしなきゃいいじゃんってことになりかねない。
これが超自画の暴走ですよ。
トイレやめなさいと。
そういうとんでもないことを
おっしゃる親御さんも
世の中にはいるんですよ。
そして便秘症みたいになっていくわけですよね。
これのある種のバージョンが
ある種の仕事術に
ある種の仕事術じゃないな。
仕事のスタイルに
現れちゃうんですよね。
例えばお金全然使わないで生活しよう
みたいになるわけですよ。
何かそういう
拷問器って言うんだけど
21:00
非常に隣植な世界ってものがそこに現れる。
それは綺麗ですよね。
トイレは綺麗だし
お風呂も綺麗だし
全てが綺麗なんだけど
トイレトレーニングされる人が
生きてるわけだから
トイレトレーニングが生きちゃダメなんですよ。
ということが
タスクシュートを長年やって
調整をかけていくうちに
見えていきますよねという。
特にログに注目しましょう
というのはそういうことです。
一体
井戸は何を要求していて
どうやって欲望を満たしているのかを
ツブさんに見ていただきたい
というのが
ツブさんに見ていかないと
わかんないことが
いっぱいあるわけですね。
例えば人によって朝に
お風呂に入れば気持ちいいかもしれないし
夜寝てる直前が
いい人もいるでしょうし
そうやって井戸の要求を
本当に細かく調整していく
というのが
タスクシュートはできるわけですよ。
これが長時間の暴走とか
井戸の爆走みたいなものを
ある程度
ある程度というか
結構いい線まで
持っていくことができるわけです。
その中で
そうやって私は生きてますよね
生きてるからこういう
そもそも攻めに合いがあるんですよね
この攻めに合いがない方がいいです
ってことになってしまうと
何かまずいことや
おかしなことが進行していきますよ
っていうような方法論でもあるわけです。
これが全部じゃないですかね。
でもあるわけです。
これとグッドワイブスは
あんまり直結しないですね。
私は関係付けてるけど
私の場合の
要するにグッドワイブスが
必要になっていったというのは
こればっかりを
こればっかりやっていたから
ダメになったとか
そういうことでもないんですよ。
今思えばなんですけどね。
今思えば。
まずこれは
何にあんまり関係のないことだ
っていうのが非常に問題
問題っていうかな
課題になってくるわけです。
私最近すっかり考え方が
この点変わったんですね。
グッドワイブスの強い
インスパイアなんですけど
昔タスクシュートは
チームの仕事に向かないとか
そういう話を結構聞いていたときに
組織で何とかとか
すごい悩んだことがあるんですけど
ナンセンスだったなって思うんですよ。
組織でやるには
こういうツールがあるけど
タスクシュートはそういう機能ないよねみたいな
どうしてもそういう比較されるんだけど
そういう問題じゃないんですよね。
今言ったような形なんですよ。
タスクシュートの形っての。
組織とか全然関係ない。
これはものすごくパーソナリー
パーソナルなもの。
本当にパーソナルな。
自分の感情とかパーソナルなものじゃないですか。
感情じゃないな。
例えば、何だろうな。
24:00
とにかくプライベートなもの。
プライバシーなんですよ。
タスクシュートというのは。
そもそも組織で云々という話をすること自体が
文脈が狂ってるというか
合ってない。
Good Vibesというのは
倉田の圭三さんの
発案ですし、
まず仕事術から来たわけですね。
今もそうかどうかというのはまだちょっとあるんだけど
ここで
中核に据えられているテーマは
私はやっぱり人間関係だと思うんです。
タスクシュートはそもそも
人間関係ではないんです。
あれは
あまりにも
私たちの社会がですね
長寿が優勢でいけるだろうという
奇妙な自信を持ちすぎて
しまったかために
井戸を圧迫しているんですよ。
いろんな形でね。
それ故に
昔フロイトが言った
井戸の欲が伝わる
また違った意味で
すっごくある意味
生きにくいところがあるんですよね。
なんていうんだろう
トイレでするのは当然じゃないですか。
でもトイレで絶対しないと
ダメなんだみたいなのって
無理があるんですよ。
気持ちの上で。
上手い説明じゃないなと思うんだけど
ウシュレットも絶対使うべきだし
本当に
脱臭も絶対するべきだしみたいになってるんですよ。
ある意味今の時代って。
そういう独特の脅迫的な
トイレの話じゃないんですよこれは。
例え話です。
この感じがトイレではするんだけど
なんか辛いなみたいな。
だから外で脱臭するのは絶対許されない。
すぐ逮捕みたいな
そういう雰囲気が
僕らは自分らで作っちゃったんですよ。
ある意味。
それは脱臭しない方がいいんだけど
このある融通の効かなさが
僕らはすっごい生きにくくなってるんですよね。
タスクシュートっていうのは
うまいところに
緩めてくれるというか
緩めるというのかな。
うまいところに調整してくれるツールなんですね。
だから
優れて現代的ってやつなんですよ。
ものすごい
緩めることはできないじゃないですか。
誰だって分かってはいるんですよね。
いやもういいじゃん。
トイレでしなくていいじゃんとはならない。
仮にそうなったとしても
多分そうはできない。
やっぱトイレではする必要あるよね。
みんな思うんですけど
なんか脱臭したやつは
すぐ電気椅子に送れみたいなのは
まずいじゃないですか。
そういうのを信じない方がいいと思うんですよね。
だから
そういうことを
僕らはたぶん少し
意図がビビってるみたいな
そういう人には特にタスクシュートって
いいと思うんですね。
それによって仕事できるようになるかどうかは
別なんですが
少なくとも
生活はすごいしやすくなる。
何にも変えなくても実はいい。
ただ何にも変えなくても
自分は電気椅子に行かなくていいんだって思えるんで
そこに
タスクシュートの妙味があると
27:00
私は思うんですね。
これは
これだけの話だけでいいと思うんですよ。
人間関係みたいなのは
また別途考えていけばいい。
人間関係までタスクシュートで
なんとかしようとすると
それはそれで全然関係ない文脈を
そこに持ち込むことになるので
無理があると思う。
私は行き詰ったら完全に他人の話だったんですね。
最初はね。
実家の話なんですけどね。
実家の。
えーと
実家の話なんだけど
私は結局
これ結局
非常にこういうと本当に
どっちにも失礼で難しいんですけど
嫁姑問題なんですよ。
だけど直接は嫁姑問題じゃないですよね。
実家と私の家の問題。
例えば私が
なんでそもそも神奈川に来たかというと
地震のせいなんですけど
神奈川に来ちゃったと。
最南の実家は
大枠で言ってこれに対して
何も別に言及しないんですけど
こんなのを言うと面白くなかったわけですね。
ここからこじれる要因があったんですよ。
でもそれだけでは
何も特にこじれたわけじゃないんだけど
あいにくと運の悪いことに
うちの父が
なんだかの奇妙な理由によって
埼玉も
それまでは要するに浅川の方の
西埼玉にいたんですけど
西だよね。
これならまだ結構距離近いんですね。
ところが東埼玉に飛ばされたんですね。
飛ばされたというか閉店なんですけどね。
これでいろんなことが
大きくバランスが狂ったんですよ。
たまたまなんですけど
父のおばあちゃんもわざわざ浅川に
呼び寄せていて
浅川の
徳陽みたいなところに入っていて
徳陽じゃないともうどうにもならなかったので
徳陽だったんですけど
うちの父が頻繁にほぼ毎日行ってたんだけど
できなくなるじゃないですか。
東埼玉とかになると。
この辺からなんでお前は浅川にいないんだ
的な気持ちってのが
強く働くんですよね。
このいろんなことがですね
いろんな形でうまくいかなくなって
これタスクシュートでどうにかなる話では
ないんですよ。
私こういう問題そもそも苦手だったし
なんかもう本当に
どこから手を付けていいんだか
全てがこうね
ほとんど全部が身内の問題なんだけど
たまたまその時ですね
コロナが入ってきてですね
仕事の立て付けもおかしくなりだして
普段から結構普通に
大橋泰三さんも
月に1回タスクカフェとかでね
会ってたし
そういうスタイルもなくなりは
もうなんというか
いろんな理由が
いろんな理由で
異度が機能しないみたいな
さっきの話とは全然違って
今更長寿がどうのこうの
っていうのはないんだけど
でもやっぱり私は結局長寿がにやられた
感はあるんですけどね
いろんな形でこじれたわけですね
こういう時にグッドワイブス
本当にいいんですよ
非常にいいところがあるんです
何よりもこれがね
30:00
普通の人には
普通のというのは
つまり私が今何を言いたかったかというと
心身ともおおむね健康な
人にはと言いたかったんですね
私はそうじゃなかったって言いたいわけですよ
心身とも大きく長寿を
崩していたときには
なぜ聞くのか
一つは本人がそこにいるから
ってのがあるんですね
ここが難しいんですけどね
いわゆる自己啓発とか
いわゆる宗教でもいいですよ
仏教って
仏陀はいないんですよね
日蓮宗とかでも
日蓮はもういないんですよ
これといるってのが全然違う
って私やっぱ思うんですよ
今ならば
いるってのは
グラドノーさんのグッドワイブスって
出来立てのホヤホヤだったから
こういうのに触れるっていうのと
だいぶ確立している
本人が生きていらっしゃったとしても
自己啓発とはやっぱ違うんですよね
確立してもう
30年が経ちましたってのと
つい最近できました
つい最近できたものって
ほとんどないじゃないですか
実は
非常に彼はロジカルに
綿密に考え抜いているから
そういうものは他にもあるとは思いますよ
世界中探せば
でも世界中探す余裕は
どこにもなかったわけですね
私には
こういうものは
何にどっちが優れているっていう
比較をすればいいってものではないんですよ
どういう風に接触できるかというのは
非常に大事
これからする話に絡んでくるんですけども
すでに30分経過してますね
今日盛りだくさんだな
だから私非常に運がいいところがあるんですよ
タスクシュートもそうなんです
出来立てのホヤホヤに触れてるんですよ
大橋哲夫がパッと出したときに
彼の中では
数年経ってるんだけど
僕の場合それに触れたときは他に誰も触れてる人が
いないぐらいの状態だったから
やっぱり出来立てのホヤホヤなわけですよ
いつそういうのになかなか触れない
最近アプリは触れるんだけど
でもあれもすごい
考え込まれて作り込まれたものに
僕触れてるから
つい最近インスタントに作りました
っていうのとはちょっと違うんですよね
goodvibesもそういうところがあるんですよね
歴史はないけど
作った人の中ではそこそこ歴史があるっていうものに
しかも出来立てのホヤホヤに
ファッと触れてるんですよね
こういうのが
私は非常にいいと思います
やっぱりこう
ある程度洗練されてしまうと
ある程度失うものもあるんですよ
で本人が亡くなってしまうと
やっぱりだいぶ違ったものにならざるを得ない
ってあるんですよ
少なくとも
考えとか伝えたいことは変わってなくても
本人はもうそれを伝えることが
出来ない
亡くなってしまえばね
でも本人がいらっしゃるので
直接聞けるんですね
やっぱりこれは大きかったと思うんです
普段にどっちが優れてるとか
マインドフルネスとかドバイブスとかって
並べりゃいいってもんじゃないですよ
やっぱりジョン・カバトジンに話聞けないじゃないですか
33:00
現実問題として
聞いたとしても英語じゃないですか
日本語じゃないですよね
これもすっごい違うんですよ
多分僕が英米人であれば
英米人であったら多分日本語
ほぼ回することはいる人はいないんで
倉園さんの話がどれほど優れていても
それを使うことは無理なんです
ほぼ
もちろん今だったらiPhoneで
英訳するかで言いますが
僕は多分それでは難しくなる部分が
いっぱい出てくると思うんですね
罪悪と真もね
同じじゃないと思いますしね
正直言って
だいたい真って言ってしまったら
もうすぐキリスト教思い浮かべますよ
普通欧米人だったらね
即座にやっぱり十字架ですよね
全然違う気がするんですよね
全然は違わないんだけど
やっぱりすごく違う気がするんですね
こういういろんなことがある中では
ウッドバイブスってやっぱり
人間関係が
しかも大きくこじれたときに
それが故に
イリュージョンの中にどっぷり浸って
しまってるときにですね
いいんですよ
そういうときに
まず心の整理をつけるだけでも
全然違う
これがタスクシュートだけでつけようとしても
タスクシュートでつくのは
あくまでも
自分の中の
要求の整理なんで
でも僕のときに
あのとき起きてたのは他人からの要求なんで
猛烈なね
凄まじい他人からの要求
でもコロナで一歩も動けないみたいな
あれがコロナでなければ
タスクシュート使って奔走して
何とかしたかもしれないんだけど
身動きが取れないのに要求だけ来ても
どうしようもないわけですよね
そういうようなことが
あったわけです
でそのときにどうしても
イリュージョンが
イリュージョンという概念を持ってなかったし
精神分析も全然
自分に適応する気はまるでなかったんで
のさわるにいいだけ
イリュージョンのさわらせたまま動いていたので
辛かった
基本的に言うとそういうことですね
イリュージョンのさわらせたまま動くっていうのは
この番組でお馴染みだと思うんですけど
例えば父の悪意みたいなもの
僕が勝手に
父は悪意なんて人に持つ人では全然ないし
息子に持つ人じゃないんだけど
私はイリュージョンを広げるわけですよ
どう考えてもこいつ
ろくでもねえって
ろくでもない人からありますけどね
ろくでもねえっていうのを
頭の中で膨れ上がらせて
しかもそのことを歯止めをかけようという気が
全然ないんで
でもやってやるっていうタスクはやるんですけど
非常にこう腹が立つわけですね
端的に言って
非常に単純に腹が立つ
これを今なら
悪役感とか
怒りっていう言葉を
グッドバイブス的に定義付けながら
整理して動かしていくから
同じ現象が起きたとしても
なんつうんですかね
混乱せずに済むんですよ
ほとんど
これやっぱ大きいんですよね
36:00
ロジカルに情緒的な話を
一人の人が努力して体系立てる
っていうのは大きいんですよ
つまり全部が全部正しくなかったとしても
そういう風に
するっていう
構造を作るだけの
努力の後っていうのが大事なんです
それに引き続く人は
全く同じものは扱えないんだけれども
やっぱりそれを
リファしていける
参照しながら動かしていける
そうじゃなくて
自分でとにかく怒っちゃってる
そして行動もしなきゃならないみたいな
そういうすごくシンプルに
ただただ動こうとすると
イリュージョンが全くない場合はいいんですけど
大体の場合は
イリュージョンにしかなかったりしますから
ほぼ100%イリュージョンの中で動くんで
行動が効果的でないですよね
幻想に向かって
行動してるから
そういうようなことがあってですね
やっぱりドライブス
タスクシュートというのが僕の中で
両立しだしてから非常にいいわけです
ひたすらイリュージョンを廃して
行動する
その行動だけをタスクシュートが扱う
っていう風にするので
効果が全く違うわけですね
こういう話をすればいいんだけど
難しいんだなっていうのを
今思い知りました
ついでに
なんでそれでさらに精神分析なの?
って話になると思うんですけど
この上精神分析なのは
時間が時間なんで
しかも暑くなってきたんで
なんて言うんだろう
ちょっと一旦休みますね
すいません
窓を開けてみたり水飲んだり
ホントね
厚手の靴下とか履いてる場合ではないんですけど
朝起きた瞬間だけはね
まだ着たくなるんですよね
軽熱中傷みたいに
なりかねないんだな
というのを今
思い知って
上半身は半袖になり
なんとかこう
回復したんですけど
なんでここで精神分析まで
入ってくるのかと
言うとですね
これ明日に回してもいいんだけど
自分ポストというもの
だと思っているものを
今受けているわけですね
それにはいろんな意味が
あるんだけれども
要は
まず
グッドバイブスの判定って
いずれにしても限界があるじゃないですか
日本中で悩んでる人は
全員クラウドさんに相談しに行けば
必ずパンクしますよね
そういうことは起きませんけどね
つまり
そういうことは起きないというのは
つまり
そういうふうにはなってない
私は
これ考える必要はないことなんだけど
あの時じゃあクラウドさんが
グッドバイブスを完成させる
遥か手前の状況にあれば
当然実態的な話として
彼に接触僕できてなかったと思って
39:01
彼どこにいるんだかすら分かんなかったんで
どうなってたんだろう
って考えたときに
この時にあるべきものが
カウンセリングってものであるべきだよなと
これなんだかちょっと
トトロ人みたいになっちゃってるんですけど
そういうふうに考えたんですね
宗教に頼らないよね
と思いますね
のの医者
いわゆる自己啓発でもいいんですけれども
仮にそうだとしても
結局ある意味クラウドさんだそうですけど
仮にそうだとしても
じゃあどういうのの医者に
どうやって接触するんだろうと
考えたとき
やっぱりそれは身近な知り合いってことになっちゃいますよね
だって全然知らない人のところに
頼りにいけないじゃないですか
そうやって考えていくうちに
そういうものを調べ始めたわけですね
私は
だから遠畑海人さんののの医者を笑うも
私はただ面白くて
偶発的に読んでるつもりでいたんだけど
多分そういうのを探していたんですよね
そういうものに
人はどうやって出会うんだろう
というのが
出会った私は気になったってことですよね
そういう風にして
例えば彼ののの医者を笑うも
ひたすら沖縄の話ですけど
つまり沖縄に住んでる人
あれに多分出会うことになるんですよ
そういう家庭環境とか
そういう話で悩んだら
だって裏園慶三さん沖縄にいないから
少なくともリアルに会いたいと思った人は
沖縄に住んでいた場合
多分
グッドバイブスに出会う率は下がると思う
しかもその代わりに
いっぱいいろんなものが沖縄にはある
沖縄線路のメッカみたいなところらしいんで
ある
そういう話になってくると
そこで自分に
役に立つものを
探すにはどうするんだろう
という風に
自然と私の興味は向いていったわけです
そういうものをどんどん探っていくのは
どんどん探るまでもなく
沖縄でやってるのは精神分析みたいなもの
あるみたいなのがいっぱいあったわけですよ
野の医者は笑う見てみたら
それは
だからこそ彼
桃畑海人さんは野の医者は笑うを書いたんですよ
だって彼は精神分析的心理療法家だと思うんですよ
多分
ユング派だけど
精神力動的な
心理療法家だとは思うんですよね
まあこれも
説明用する言葉ですけれど
で私さっき
振り出したじゃないですか
タスクシュートの中に
GTDの中には
超自我の自我理想的なリストばかりが
引っ張ってこられる
この説明をするにあたって
だんだん認知行動療法とか
行動科学とかを持ち出さなくなったのは
わけがあるんですよ
私の中でも
昔は行動科学的な話ずっとしてたと
その方が嬉しいという人は多かった
でも私は
あの説明には嘘はないけども
非常にこう
えーとなんつうんですかね
えー
なんかこう
すごくしっくりこない説明の中でも
無理やり当てはまりそうなところだけ
42:01
強引に当てはめてるような感じがあって
非常に説明としては
納得のいかないものがあったわけですよ
で今のこの
自我心理学的な説明はすっごい
ヒットするんですね
これは私のイリュージョンかもしれないけど
でもこの自我心理学的な説明は
今時受けないと思ってるんですよ
だから出せてない
そもそもこの状況って何なんだ
っていう風に考えるようになってから
すごく精神分析に
系統するようになったんですね
グッドバイブスの
説明をするのにもいいんですが
要するに
グッドバイブスの説明をするためとか
タスクシュートの説明をするためと思ってたのは
私の事情であって
別にそうじゃないんですよ
明らかにどう見ても
遠畑海人さんの目からすると
ほぼ全ての自己啓発とかスピリチュアルは
精神分析的に説明できる
これはどういうことかというと
つまりもともとそういう
ものだったということなんですよ
最初に
倉澤さんのような人がですよ
全然似てないけどね
全然似てないけど
でもああいうことをしようと
最初に思った人は誰か
最初にこれが大規模に
成功させられた人は誰か
プロイトなんですよ
そういうことなんだと思うんですよね
これも全然
比較するだけおかしいんだけど
でも仕事で
すごいたくさんの
何かを急に頼まれて
自分の行動に係る
ペースとこれまでやった
実績記録を
残そうと真央八月さんが
したわけですね
そういうことを最初にやった人が誰か
やっぱプロイトなんですよ
そういうことなんだっていう風に
なんとなく納得したんです
これ以前には
やってたと思いますよ絶対人生相談は
でも全然
組織的でもなければ
全然
形式が
揃ったものでもなく
一言で言うと人に伝えられるような
技法ではなかったと思うんですよ
時期療法みたいなやつですよ
磁石を当てて心身の
不調を治しましょうみたいな
ピップエレキ板みたいな
実名出しちゃダメなんですけど
この時期療法ってすごい流行った時期が
あったんですねプロイトの前の時代
何をこれは
意味してるかというとつまり
自己啓発的なものや
人生相談的なものや
スピリチュアルみたいなものが
おそらくぽこぽこぽこぽこ
あったわけですね
なんならそれは
フラスコの中でやると
ピンクの液体になると
ピンクの液体に
入ったしたのを食べると
あんたの不調は治るよみたいな
そういう人が魔女狩りとかに会うわけですよ
これは何を意味してるかというと
こういう話は遠畑海人さん大好きで
やたらあちこちで書いてるんだけど
そういう本が売れてるんですよ
これはやっぱり
僕はそういうものが
すっごく形を変えて
ダスクシュートになってみたり
45:01
グッドバイスになってみたりしてると思うんですね
だから僕はここに興味を持って
これを調べたんだ
そしたら思わぬものが
バカバカ見つかったんですよ
全然想像もしない
ホストみたいなものが出てくるわけです
精神分析的
精神分析的サポーティブ
セラピーです
なんじゃそりゃって感じですよね
なぜそんな長い名前がいるのか
というような話の理由から
何からひっくり返してみたら
すごい日本の
非常にややこしい
何か急に野の医者を
バッシングしてみたり
両方の人がね
野良カウンセラーとか言ってみたり
でもスクールカウンセリングに
行かないと食えないとかいう話が
あってみたり
臨床心理という言葉があると思えば
心理臨床という言葉もあってみたり
精神分析というのが絶対必要
絶対こういうのは素人がやっちゃダメで
とか銀座の寿司屋に
例えられている割にはですね
精神分析受けにいくことは
現代の日本人にはほとんど不可能な
状況があって
精神分析っていうのは絶対に
こうしなきゃいけないんだよというのを
守ってやっている人がほとんどいなくて
みたいなのがどんどんどんどん出てくる
出てきたわけですね
これを
やっていく
見ていくうちに
どう考えても
現代の日本人が
私の考えなんですけど
交付帳に関わらず
一度経験しておいたほうがいいと
これも全然件が違うらしいんですけど
専門家の間では
でも私はそう思ったんですよ
お金が許す限り
交付帳って結局
やわめて曖昧なものであって
尺度がはっきりしないものだから
私は結局
タスクシュートグッドバイブスって
減ってきましたけど
自分の全問題が全部完璧に解決したわけじゃない
例えば相変わらず
歯医者に行きたくないですしね
それも変なんですよ
全然気にならないよって言ったら
いっぱいいますからね
絶対心陰的なものなんだけど
やっぱり決して行きたいとは思ってない
行きますけど
こういうものも全部ひっくるめて
私の考えでは
みんな行ったらいい
と思うものは
外なんですね
ポストしかない
ポストしかないっていうのは
僕のもちろん偏見が入っていて
そういうことでは全くないんです
これは
ポストはとりあえず体験しておく
価値があるっていうよりは
それは
中学の英語みたいなものですね
僕の感覚では
別に英語なんて一生使わない人もいるじゃないですか
中学で英語やらなくたって
いいって言えばいいんですよ
でも多分中学で英語は
表面ずっとやるようになるでしょうね
そしてまあやっといて
悪くはないでしょうね
うちの娘すらブーチク言ってますけど
48:01
ブーチク言いながらやっとけばいいんですよ
そういうものに近いものに
僕はポストってものがある
と思ってるんですよね
中学生にポストは絶対やらなくていいと思うんだけど
大学生は僕は
受けといた方がいい
って感じを抱いてるんですよ
なぜかっていうと
こういうものを受けておかないと
カウンセリングを受けるとは一体
どういう感じになされて
何が起きるのかが
実は僕ら全く理解してないんですよね
僕は今では
good5sを
クラゾンさんに触れる前に
ポスト受けときゃよかったって思ってるんですよ
順番が逆になってる
でもこれはしょうがないんですよ
なぜならポストって割と最近にできた
もしかするとgood5sより後だったりする
なんだそれって感じなんだけど
でもポストって概念は
山崎さんが最初に出したんじゃないのかな
あるんですよ
昔から間違いなくこれしかなかったぐらいだったと思うんですけど
でもそういう言葉は
なかった気がするんですね
精神分析的
サポーティブセラピーですよ
サイコアナライティック
サポーティブセラピーだったと思うな
pがサイコアナライティック
ですよね
sはサポーティブ
ですよね
とにかくそういうものが
オリエンティック
なんかこうそういう
つまり週に4回やらなきゃいけない
精神分析が
1回になっちゃってるっていうのが1つと
徹底的に精神分析的で
情緒
情緒の交流
だけみたいなところから
行くわけではないって考え方
つまりかなり認知行動
両方的に寄せてる部分があるよ
っていうようなつくみで
でもポストっていう資格はないですからね
日本の状況を
よく反映してる考え方だと
思うんですよ
日本人が一応受ける
おそらくこれは受けようと思えば
どこに住んでいても
大筋誰でも受けることができる
ただ安いわけじゃないですから
1回1万円近く
週に1回
月4回だったとして
3万6千円から
4万円以上はかかる
まずこれは
いわゆる貧困層では
無理ですよね
保険も一切利かない
だからこれを受けるということは
相応の覚悟は
絶対に求められちゃうわけですよ
この相応の覚悟に相当するものが
お金以外にほぼないのが
野の医者と
正式の大きな違いです
野の医者の
蔵野の家族さんも
野の医者って言っては
医者やってるわけじゃないしカウンセリングでもないって言われれば
それまでなんですけど
だからこの辺の難しさって実はですね
やっぱり日本の状況
日本だけじゃないにしても
日本の状況を反映してるんですよ
いろんな意味でこれらの話には全て
我が国の状況ってのは
間違いなく反映されているんですよ
51:00
そのことも含めて
体験するといい
ただ
さっきも言ったように
おいそれとは体験しが
しにくい
したくならないと思うんですね
相談しなきゃまずしません
主尊ってつまり
基本的な悩みですね
何を相談したいのかがない
僕なんかほとんどない
ないのに受けるっていうのはやっぱり
こういうものを受けたい
でも私からするとそれが主尊なんですよ
でもう一つあるのは
実家の問題はまだ依然として
片付いてはいないし
これはただgood vibesを
とことんやるっていうだけで
片付くみたいな話と
非常にこじれていて
非常にあやこしく
非常に難しい
だけどじゃあそれはポストで片付くのかって言われて
そうではないですよ
基本的には実家の問題は
実家の人が動かないと片付かない
んですよやっぱり
実家の人は誰もポストも絶対受けに行かない
タスクシュートなんて絶対やらない
good vibesだっておそらく絶対やらない
でも
つまりそれは問題がないってことなのかも
しれないんだけど
こういう問題もあるんですよ
こういう問題は日本では今
対応できないことになります
私は
関係する自治体
少なくとも
関係する自治体
二重の窓口を
たらい回しになりましたけど
訳あってというかそうなるだろうな
と思ってあちこち行って
ひたすらひたすら話をして
ひたすらひたすら話を聞きましたけど
なんら対応はできない
できないだけの理由ががっちりあるんです
何かのこう
なんていうんだろうな
盲点みたいなもんだなこれって
思いますね
非常に具体的な話をすると
お気持ちはよくわかりますってね
懇願されるような雰囲気で
言われるんですよ
多分必ず言われると思います
普通にきちんと接する
正式な営業に
つなげてあげてくださいねって必ず言われます
僕これを少なくとも
20回は聞きます
まあそんなもんじゃないな
もっとずっと聞きました
正式な医療につなげられるんだ
もうとっくにそうしてます
っていうようなことを言いますけど
よくわかります
愛眼されます
何を頼まれているのかよくわかんないんですけどね
愛眼って言葉がぴったりなんですよね
悲しみと願いって感じなんですよ
でも正式な医療につなげてあげてください
正式な医療に
つなげるわけですよ
ここまで言われて
グッドバイスにつなげておきました
では済まない部分も
つなげられるならそうします
でも本人が全く望まなかった場合
どうするのかっていう
ここに人権って話が出てくるんですけどね
でも私はそこをトリッキーに
かなり強引に
つなげてみたわけですが
何も起きない
54:00
っていう現実が起こるわけですね
この時に
ちょっと話また脱線しかけてますけど
もういい加減にしますけど
野良診療とか
野の医者っていう言葉に
独特の
重みが加わってくるわけですよ
先日お話ししました
ヤフーの
ニュースにも載った話ですね
正式につなげないと
大変なことになるよ
正式じゃないところでだらだらやってても
ダメだよ
つなげて
数年経った場合
これは何と称する
僕は別に正式を批判してるわけじゃないんですよ
他にどうにもならないなっていう現実もあるな
って思うんですよね
国がちゃんとやってくれないとかじゃないですよ
国がどうやれば
いわゆる改善という話になるんだろうって
考えた時に
そうはならないな感じがやっぱするんですよ
国がっていう話じゃないな
って感じがするんですよ
これがイギリスだったらどうにかなってるんだろうか
そういう意味疑わしいって僕は思ってます
わかんないですけどね
わかんないです
リアルにはわかんないです
でも僕は
そこはやっぱり例によって例のごとく
サイズ感がおかしいと思うんですよね
物の見方が取り目線すぎる
リアルには
日本人ですしね
そもそも正式につなげられただけでも
ものすごい前進なんですよ
やっとできたわみたいな
何年越し
3年越しぐらいな勢いなんですよ
でも
何にも変化ない
まま数年が
たちこのままいけば
多分何にも変化ないまま
何十年だってたつだろうなって感じは
もうなんかほぼ
確信に近いところまで
くるんですね
ここで野の医者より野の医者絶対だめで
正式の方が全然いいんだよ
っていうのは
そう書くしかない
人はいるとは思います
私も
でも私だったらそうは書かない
それは正式じゃないから
とも言えるんです
要するにですね
世の中はそんなに
シンプルじゃないってことですね
でも
そんなにシンプルじゃないことに
腹は立たないんですよ
だから私は正式の方を
受けにいってるわけですよ
人は正式じゃないっていう人も
その人の中にはいらっしゃるかもしれないけど
私はそうは思わない
あれは正式だと思います
正式を受けるということが
正式じゃないものを受けるということと
この国においては
どう違うんだろうというのは
いろんな私の背景と
事情からして知っておきたい
まあ分かんないですけどね
結局まだアセスメントの途中なんで
これで拒否されるということも
あり得なくはないかなと思うんだけど
でもお金はちゃんと払ってるし
時間は一回もずらしてないし
僕の方からは
ということもあって
これで拒否されるんだとすると
それはそれで面白いなと思うんですけどね
57:00
まあこういったわけで
3つとも僕は
つまりタスクシュート・グッドバイブス・精神分析
駅心理療法
受けておく必要を
強く感じてるんですよ
まだこれを整理して
話できる状況にないから
混沌グダグダモードになるんですけど
いずれは紙に
紙じゃないなテキストベースに
表紙を整理して
もしかしていろんな
思わぬところから非難55かもしれないけど
それはもう
明らかじゃないですか
非難55か
ほとんど反応がないか
校舎のような気がしますけどね
明らかじゃないですか
なぜ非難が起こるのか
それは我が国の状況を反映しているからであって
私のせいとか
国のせいとかじゃない
国のせいなのかな
国のせいじゃないんですよね
だって国の仮にせいだとしても
じゃあキッシーのせいか
全然違う
彼はこの流れの中で
別に何か悪いことは一切していない
別に
厚生労働省のせいとかでもないんですよ
ただこうなっているんですよね
非常に混沌としているわけです
だから
ある意味
フットワイブスがあり
タスクシュートだってあり
それらは効くんですよ
触れ方ってものはもう
限られてきます
一応タスクシュートは
組織化してきて
触れやすく触れやすくっていうのを
作り出してますけど
でもやっぱり限られてきます
そもそもITに興味ないですって人には
触れようがない部分もありますし
いやそれだってスケジュールじゃないですか
メンタルの話から
入っていけないじゃないですか
フットワイブスはメンタルの話ですよね
でも役にというのかな
それはさらに後から来て
登場しましたから
当然組織だったものではありません
多分まず知らない人が
多いですよね
知るところからですよね
知るための手法も
知るためのメディアも
まだまだ限られています
そういう意味では
精神分析って知られてはいますけれども
名前だけは
でも人はこれを知らないです
だから結局のところ
触れられない
しかも精神分析というのは
今日本で受けるのは
ほぼ不可能な感じになってます
全く不可能じゃないんで
ぜったい受けたいと思ったら
事に調べてみて
頑張ってみていただきたいんですけど
普通の人にはちょっと無理です
僕はしょうがないことだと思うんですよ
よく考えてみると
藤山さんが
藤山直樹さんが
アレゴリーで言った通りで
銀座の寿司に例えられて
じゃあお前銀座の寿司
食いに行けるかと言うと
僕行ったことないです
そして行けない気がします
もちろん行こうと言えば
1:00:00
一回だけ行くってことはできますけど
なんとなく僕には
それに一回だけ行く意味ってない気がしますね
銀座の寿司ってどうやって知ってんのって言うと
テレビで見ました
あとはパンフレットとかで見ました
政治分析って今そういう状況にあるんですよ
パンフレットで見ただけなんですよ
言葉を
それは
僕らのオプションになってないじゃないですか
だからオプションになるのは
ポストになる
ポストは回転寿司かって言われると
そうは言いたくないんですけれども
でも少なくとも銀座の寿司じゃないわけですよ
そして僕らは
別に俺は
国が悪いわけじゃないじゃないですか
国庁を頑張って
庶民全員銀座の寿司食えるようにしろよ
とは僕なら少なくともそうは思わない
だからこれは
国のせいじゃないような気がやっぱ
するんですけれども
我が国の状況と関係はあるんですよね
そして
なんていうのかな
ややまともな回転寿司体験と
それというのと
なんていうのかな
と言うと
これが
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
僕の
これこれ
僕の
僕の
idd
id
id
id
id
id
id
今は思ってますね
01:02:05

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