1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 東畑開人のお仕事についてダラ..
2025-10-02 37:14

東畑開人のお仕事についてダラダラダラダラと喋る【1257】

五胡十六国に戻りたくなければ。
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サマリー

このエピソードでは、東畑開人の新書『カウンセリングとは何か』に焦点を当て、カウンセリングの重要性や内容が深く掘り下げられます。また、情報発信やコミュニケーションの在り方についても触れられ、リスナーに対する配慮と彼の考え方が披露されます。東畑開人は、心の専門家としての経験や通院に関する考え方、カウンセリングについて自由に語ります。彼は、心のケアの必要性や他者とのつながりを通じて、精神的な健康を維持する重要性について論じます。このエピソードでは、思考や習慣に関する考察を通じて、東畑開人の仕事のスタイルや心理療法に対するリテラシーの重要性が議論されます。特に、認知行動療法や専門家の選択に関する理解が求められている点が強調されています。また、心理士や医療現場における俗人性とその影響についても掘り下げられ、マッチングや認定制度がどのように機能するか、人々がどのように医療サービスを選択するかがテーマになります。

戸畑開人の新書に関する考察
おはようございます。朝っぱらから精神分析第1257回をお送りします。
えーと、9月の、えー、9月の何日ですか、今日は。
えー、9月、あ、違う、10月だ。10月2日木曜日の7時38分です。そうか、10月なんですね。
えー、そうか、昨日から10月なのか。
ちょっと、ここのところ、えーと、あのー、イレギュラーなことが多くて、バタバタ、バタバタはしてないんだけど、
イレギュラーなことが多くてですね、あの、混沌としておりました。
はい、えー、でですね、早速なんですが、早速ではないんですけれども、今日はまあ短めに、
結果が出てるからね、これを聞いてる人にはね、短めに切り上げたいと思うんですけれども、
ていうか、切り上げないといけないんですけど、だから今日も休んじゃおうかと思ったんだけど、
今週全然やってないじゃん、ということに気がつきましてですね、それに今気づくぐらい混沌としてたんですよね。
なんかこう、レギュラー感がなかったんですよ。あっという間の月下水みたいな感じで。
で、今日木曜日ですね。えーと、戸畑さんのあの新書出たじゃないですか。
カウンセリングとは何か。カウンセリングとは何かっていうタイトルの本は何冊もあるんですよ。
だから考えさせられるんですけどね、そのこと自体が。そしてよく読むと、まあよく読まなくてもザラッと読んだだけでも、
それぞれに書いてあることが同じでないことは一目瞭然なんですよね。
で、改めてでも今回のあの戸畑さんのお仕事は、まあやっぱり令和におけるカウンセリング論としては、
これを無視するのは難しくなるだろうと思いましたね、今後は。
で、私はますますあれを読んでですね、自分でやってるのはもう死にカウンセリングじゃないやっていうことについて悩まなくて済むなっていうのがまず。
もうこれはなんかね、言うとちょっとややディスってるように聞こえるかもしれませんが、
まあ僕がここで喋ってるのは大体そう聞こえることは多いと思うんですけど、
そう聞いていただくのは結構なんだけど、私ここで正しい言説を発信しようというつもりはないので、
これを批判されるのはある意味大変ありがたいことだと思うんですよね。
何しろ聞いてくださってる数が異様に少ないポッドキャストですから、
まあポッドキャストって聞かれるもんじゃないですけどね。
まあこれある意味僕ただ喋ってるだけなんで、何か事前準備もしていなければ、
本読んだりはしてるけど別にこれは、これについて喋ろうと思って本読んでるわけでは全くなくて、
たまたま読んだ本のことをここでたまたま喋りなくなってるっていう、
本当にたったそれだけなんで、あれなんですよね。
もうフラッと散歩してフラッと喋って、これに録音しといた後は出してるっていう、完全にそれだけなんですよ。
散歩はしてないけど、この後散歩するんだけど。
あの、なんか道端で歩いてると変な人になっちゃうんで、
とりあえずここでしょうがないから黙って立って喋ってるわけですけどね。
情報発信の仕方
立って喋ってるんですよ。
こういうもんなんでですね、情報発信とか言われてて、
かつこれをどう情報発信してるのかとか言われるとですね、
いやこれただ喋ってるだけで、録った瞬間にもうアップしてますから、
何の編集もしてないですから、
なんか編集しようと思えば多分直ちにこれをやる気がしなくなると思うんですよね。
そのレベルでやってるものなので、
あの、なんて言えばいいのかな、
聞いていただくのはとてもありがたいし、
聞いていただこうという気もあるんだけど、
これを何か正しいもののように受け止めるのはやめといた方がいいですと。
あの、めちゃくちゃ間違ってても気にせず出しますからね。
そういうもんだと僕これ思ってますから、心の底から。
Xとかもそうなんですよね。
なんであれをそんなに批判とか炎上とかをそんなにみんなが問題視するのかが、
僕は本当のところもう一つわかんないですよ。
なんかこう、街でつぶやいてることが正しいかどうかについて、
人は検証しようとかはしないじゃないですか。
なのにあれに関しては正しいとか、
それを間違った認識だとかっていうことを
真剣に議論しているように、
まあ見えるようになってるところが謎だなって思うんですよ。
それこそ昔便所の落書き、あれはいい言葉じゃないと思うんだけど、
でも限りなくそれに近いものだと僕はXって思って読んでますから、
便所の落書き面白いと思ってあれは楽しむもんだろうと思ってるんで。
情報発信。便所に落書きしたものを情報だと思う人っていないと思うんだよね。
ここに電話してくださいとかって書いてあるじゃないですか。
電話する人やばいじゃないですか、そこに。
絶対僕はそれはないなって思うんで。
でもなんかちょっと違う使い方されてるんで、
僕は認識が間違ってんのかなとよく思うんですけど、
まあでも誰がすぐにそこにどんな人でも匿名で書けるものに
情報性を意識するのってね、
それは著名な人がリズメで書いてるものもありますけど、
だからというと当てになるのかっていうと、
大変疑わしいと私は思うんで、
基本的にはあれはただ便所の落書きを眺めて楽しむものっていう、
楽しくないっていう人はそれはいると思うんですけど、
それは見ないことだよねっていう感じですよね。
私はそういうのは楽しめる口なんでどっちかっていうと、
わりと公園のトイレとかに入った時にもなんか読んじゃうほうで、
そこに対してそんな不快にならないんですよ、自分はね。
ていうか全然不快にならないんですよ、正直言って別に。
消したほうがいいとかかけらほども覚わないので、
子供の時から楽しいなと思って見ているほうなんで、
そういうもんだと思いますけどね。
これはそれよりはマシだと思って喋ってますけど、
なんかそういうきちんとしたものとして、
せめてそれなら僕ノートにやっぱ書きますね。
書くほうが手間暇かかるから、書いたものならもう少し当てにはなるだろうと、
Xとかじゃなくてですね。
140字でザザッと書いたっていう、
なんかロッテ頑張れとか書いてるわけじゃないですか、極端に言うと。
ロッテ頑張れが情報発信なのかなって思うんですよね。
情報発信だとして書いてる人もいますよ、それは。
それは全く別の話だと思うんですよ。
はい、この話で6分も使う気は全くなかったんだけど、
そうなってしまうんですよね、私はね。
それもこれだと思うんですよね。
何が言いたいかというとですね、
そういうもんだと思って聞いてほしいということで、
あの新書のね、
非科学的なカウンセリングへの視点
カウンセリングとは何かは大変素晴らしいお仕事だと思うんですよ。
あれはしてもらわないと何もクリアにならないなって思うんですよ。
混沌としてますからね。
彼も五湖十六国時代のようなって書いてますけど、
戸畑海人さんね、全くそう思うんですよ。
五湖十六国時代って世界史とか言った人、超嫌だったと思うんですね。
要するに戦国、軍有滑挙的世界ですよね。
日本の戦国時代だって、
何かそれをすごく大研究して楽しいって人もいるかもしれないけど、
外国人の人にしてみると、
何かもうよく分からんなっていうことにしかならないと思うんですよね。
織田が統一してきましたぐらいから先ですよね。
何か意識して何とか意識できるのは。
だって我々とか本当そうじゃないですか。
中国の王朝を全部覚えるんだってやってらんない感じなのに、
その中に何か五湖十六国とかあったら本当もっとあるんでしょうし、
何かこう和薬茶じゃんっていう感じですよね。
だからその和薬茶感が心理カウンセリングの世界にあるんですよ。
多分今も。
早速伊藤英美さんという方がですね、
あれは認知行動系の大化の人だと私は認識しているんですけど、
あれは遠旗結局心理学であって、
普遍性とかではないみたいに書いていて、
そのお気持ちは最もですって思うんですよね。
でもYouTubeで山崎隆明さんが遠旗さん推しだって方がですね、
そういうことは分かって言ってるからみたいにおっしゃってるんですけど、
でも分かって言われたって気に入らないものは気に入らないよねっていうのも分かる。
まあ私は山崎隆明さん推しの人間ですから、
山崎さんが分かって言ってるって言うんだから、
分かって言ってる方に寄せようって思いますけど、
でも伊藤英美さんがおっしゃる気持ちはよく分かります。
多分だって戸綾太さんは結局、
あの本の僕は肝はですね、
作戦会議としてのカウンセリングっていう章と、
冒険としてのカウンセリングって章、
あの2つのコントラストにあると思うんですよ。
戸綾太さんが元々ケアの方でワーッと広がっていった、
デイケアの本がありますね、いるのはつらいよ。
私はあの本が大変いい本だと思ってるんですけど、
山崎さんもYouTubeの中で戸綾太さんの論の進め方について、
分けられないものを分けられているという風によく批判されると、
そうなんですよね。
例えばケアとセラピーってそんな風に分けられるかっていう風に
突っ込むのは伊藤も簡単だと思うんですよ。
あとは今回のあれですよ。
だから冒険としてと作戦会議として逆になっちゃったけど、
この2つだってそこを分けるからそういう話になってしまって、
そして不変性とか言ってるけど、
それはお前の好みでやってるだろうってことを言われるわけですよ。
簡単に言うと認知コード両方は作戦会議としてっていう感じ。
場合分けをしているわけですよね。
マッチングっていうことだから。
もっと言うならば、
実存的って言ってますけれども、
その実存的な方に緊急性がなくて歴史性があって、
要するに何だかんだその人の生育歴みたいな話になってしまわざるを得ないよねっていう
慢性的なもの。
だから急性的じゃないもの、そして一時的じゃないもの、緊急的じゃないものは
精神分析的にいきましょうみたいな雰囲気があるわけですね、結局は。
だけどいやいや認知行動だって今そういうの扱えるからっていう議論が
認知行動側から絶対出るものだと僕は思うんですよね。
そりゃそうだろうなと。
それにあの本では当然なんですけど、
あっさりと宗教は科学的ではないからってことで、
宗教は早々に知り遂げられてるんだけど、
そこを扱ってきてるのはまさにずっと宗教だったんで、
そんな2000年、令和に入ってからポッと出てきたような
公認心理師の資格がある人こそがそこを受け止められるんですとか言ったって、
お前ら今まで受け止めてこなかったじゃんっていう風に、
まあ宗教側だって思うだろうなって思うんですよね。
だってうちの父がそういうの受け止めてきたのは1970年代からの話で、
しかも一体それをどうやってたのか知りませんよ、
心理カウンセリングの方で。
だけどね、夜中の2時とかにどんどんどんどん叩く人がいるわけですよね、
寺の門もね。
そういう人にあなた、うちは専門家じゃないから心理カウンセリングに行きなさいとかって言ってたら、
もうその人帰っちゃって何するか分かんないじゃないですか。
っていうか追い返さないっていうことが大事じゃないですか、
そうなってきたら専門だろうと何であろうと。
でも大概追い返されたり少なくとも開けてはもらえないから、
要するにうちが開けてたわけじゃないですか。
まあ私が開けてたわけじゃないけどね。
でもどんどんどんどん叩く人は年に1回ぐらいは絶対出てくるわけですよ。
で、そういう人たちが全国ずつ裏裏にいらっしゃって、
寺は全国ずつ裏裏にあって、
基本的には追い返らないからそこに来ていらっしゃってたわけじゃないですか。
様々な理由があってですね。
で、結局のところそういうのが無惨臭くて非科学的だから今後はうちに任せてくださいって言うんだけど、
心の専門家としての挑戦
その任せてくださいって言う割には夜の2時には対応しないよねっていう話は、
どこに行くんだろうっていうような話は、
定欲するされてる感じがするんですよね。
いや、私はこれは、だから批判してるっていうつもりはないですよ、別に。
そういうもんだろうと思います。
そういうもんなんだけど、人は昼の2時にしか悩まないわけじゃないし、
予約した1週間、1週間の間の予約は、
うつぬけで、うつぱんだ、うつぱんで書いてありましたよね。
1週間も待てるかとか言って電話切るんですけど、
いやいや、1週間ここ待つしかないでしょうみたいなね。
だけど待てないんですよね。待てないと思ってしまう。
でも、あの予約を入れることができなくて辛くなっているっていうところから、
でもその人は1週間、2週間、3週間ってやっぱり生きていらっしゃってて、
ここ大事ですよね。どうやったんだそこはっていう。
そこは漫画には書かれないんだけれども、
でもどうやったんだここはっていうのはすごく大事だと思うんですよ。
何かがあるんじゃないかってやっぱ思いますよね。
で、私は当然心の専門家ではないんだけど、
心の専門家ではないということが、
イコールカウンセラーではないということには、
あの本読んでいてもそう思うんだけどならないし、
だってのの医者は笑うで、
非常に難しい立ち位置で書いていらっしゃいましたけれども、
結局のの医者で笑うで書いてあることって、
言うならオールグリーンだってことじゃないですか。
のの医者はダメかもしれないがっていうニュアンスが全くなかったかっていうと、
そうではないと思うんですけど、
でも結局あれはオールグリーンだって話じゃないですか。
オールグリーンだってつまり何であったっていいんだっていう、
何であってはいけないっていうことを言い出すと、
結局は五湖十六国の時代に戻っちゃって、
どうしようもなくなったからそこは出発点なんでね、
どういうのであってもいいんですっていうことをやめてしまった途端に、
こういうのじゃなければいけないんです。
最低ラインはここにあります。
この最低ラインとは何かっていう問いを立てて、
全てが始まってると思うんですよ。
のの医者もそうだし、
いるのは辛いよだって結局そうだと思うんですけどね。
当然普通の相談とかもありますし、
今回の本があるわけですよね。
今の他にもさらに彼らその途中いっぱい書いてるわけですよ。
でも基本的には全部同じだなと、
私がその理由でずっと追ってきたわけで、
今回の集大成って言うけど、
いくら集大成を出しても、
いくらそういう批判があるのは分かっている上で言ってるんですと言ったって、
絶対5個16国的な議論は噴出する。
それでも相当まとまってきたなって感じはするんですよ。
昔に比べればね。
だから多分戸肌さんのやってくださったお仕事って大きいなと思う。
これがなかったら、
今もまだなお5個16国がさらにひどいことになっている可能性は、
十分あったと思うんですよね。
なんだかんだ言って、
こういう仕事ってみんな嫌がりますからね、ある意味では。
今回売れてるから、
たまたまと言ったら失礼かもしれないけど、
売れてるから、
いやいや、羨ましいよねって思うかもしれないけど、
昔これは僕全く同じようなことをですね、
ソフィーの世界って本に対して、
哲学側の人たち、
大学教授みたいな方が猛烈に批判したのを、
僕耳にしましたからそれ。
うちの大学でも批判されてましたからね。
でも私の指導教官は文学の人だけど、
ソフィーの世界めちゃくちゃ推してたんで、
やっぱね、
ちょっとあるよなって思うんですよね。
なんかこう専門家の激励に触れる何かってあるんだよなっていう。
でもね、売れたから腹が立つのは分かるんだけど、
売れたから腹が立つのはめちゃくちゃよく分かるんですよ、
物書きとしては。
しかしね、あれやっぱり良くないんですよ。
そもそもそれをずっとみんながやってるから、
みんなが嫌になって、
精神的な健康の維持
で、哲学の教室とかは、
僕とかを含めて3人ぐらいしかいなくて、
みんな物好きそうな学生しかいないわけで、
その物好きそうな学生もそこに来て寝てるという始末なわけですよ。
で、ソフィーの世界は飛ぶように売れてるわけですよね。
なんでああいうことが起きてんのかを、
やっぱりもうちょっと哲学しないとみたいに思わなくはなかったんですけどね。
でもまあ一般人向きの本が、
自分の教室には人が来ないのに、
あの、飛ぶように売れて、
そいつが高校の先生だったっけ?
スウェーデンかなんかの、
ウハウハになるっていうのは本当許せないって思うのは、
気持ちとしてはわからなくはないです。
そう見えるんだろうなって感じがしますね。
それと同じような感じを抱かれるだろうなっていう感じはやっぱり、
やっぱりですね、あの、
5個16個になってるのは訳があるんですよね。
どうしてもこっち側からそっちはそう見えるし、
そっち側からこっちはそう見えるってことってあって、
東肌さんでさえ、
あの、野の医者っていうのは結局は商売がたきだからっていう風に書いていらっしゃる。
僕はどうしてもそうは思えないんですよね。
なんかそれは、それこそその、
こういう言い方は本当にダメかもですけど、
それこそそれがPSポジションってやつじゃないかって思ってしまうんだけれども、
だってそっちがあれですよね。
あのなんだっけ昔、
ヤバイ経済学っていう本がありましたよね。
あの中でギャングの、
ギャングのお兄ちゃんたちがそんなに儲けてるのに、
どうしてママと彼らは暮らしているのっていう、
うまいタイトルだなと思ったんですけど、
要するにギャングなんて儲かんないんだよっていうのを、
ある意味すっぱ抜いてる本なんですけれども、
その果たして占い師ってそんなに儲かってるのかという、
トータルでですよ。
一番儲かってる人しか僕らは見ないから、
そう思っちゃうのかもしれないけど、
あれは商売がたきではないと思うし、
あれが商売がたきだって言うんだったら、
やっぱり良くないよねっていう感じがするんですよね。
そこにはそんなにお金が落ちていると言えるだろうかっていうような、
商売がたきですからね、やっぱりね。
そういうふうに考えているわけですね。
私はこういうことは結構長い時間考えているわけですよ。
そんなこと考えてないよって言う方も、
私のファンの方にもいっぱいいらっしゃるかなと思うんだけれども、
でもやっぱりですね、このこととは切り離せないんですよね。
分けられないものを分けているんですよ。
切り離せない気がするんですね。
ケアとセラピーを切り離せないように、
実存とセルゾンなんて切り離さなくて当然なように、
そこを分けて考えましょうねっていう話から始まるんですけど、
でもやっぱり切り離せなくてですね、
ほら全然僕この話で何の情報も発信してないじゃないですか。
ただ感想をダラダラとしゃべってるだけじゃないですか。
これをでも僕は脳内でいつもやっていて、
それが私にとってはセラピーなんですよね。
セルフセラピーという意味で。
どんなにこれがですね、マインドフル的にダメで、
考えない練習的にダメで、
思考を手放すという意味でもダメでも、
僕はやっぱりこれをやめたら、
僕はもう生きていくのも相当困難になるっていう自覚があるんですよ。
これを僕がやめることはないだろうと。
多分一生ないだろうと。
だって物心ついた時からずっとこうですもん、僕。
夢の中でもこうですもん。
これを変えろって言われたって、
何のためにそもそもこれを変えなきゃならないのかと。
これをやってるから病気なんだって言われると、
そうじゃない気がするんですよね。
だって僕はこれをやりながら病気になったり健康になったりもしているし、
なんかこれが私にとって生きるっていうことなんですよね。
なんかね、ある種の僕にとって存在しない生き方ってあって、
一つは体育会系的な生き方。
僕運動って全然してませんから。
もう一つは音楽家的生き方。
僕ライブって行ったことないし、
行こうという気持ちにならないし、
やりたいと思ったもの。
だってライブってみんなやってるじゃないですか。
文化祭とかモテたきゃライブやれみたいな。
僕それを倉園圭三さんね、good vibesから聞いたとき、
そうか自分モテないわけだよなって思ったことがあるんですよ。
だってギターって弾きたいって思ったことがかけらほどもないんですよ。
ピアノは弾いてたんだけど。
ギターを弾きたいというふうに、
もうなんて言うんだろう、嫌いとかじゃないですよね。
思い浮かばないんですよ。
僕ね、留学中めちゃくちゃ苦痛だった旅があって、
ギタリストと一緒にロスに行ったんです、ロサンゼルスね。
ギター屋さんとかいるじゃないですか。
いいでしょ、旭さんとかいるんだよ。
何がっていうか、そもそもこれギターなの?みたいな。
ギターってぱっと見ギターだってわからないギターとかって
売ってるお店とか大きいお店とか行くとあるんですよね。
で、どんなにその話を聞いても、
なんかもう眠くしかならないんですよね。
嫌だとかがないんですよ、もう。
なんか動かないというのはこのことだっていう。
ずーっと曇り空を見せ続けられているような気持ちになっていくんですよ。
これだったらホラーを見るほうがマシだぐらいな感じがするぐらい
にっこり笑って聞いていることが、
しかもそういう台湾人とかね、英語で聞いてるんですよね、僕はね。
それはね、もうほんと無理だわっていう。
これ多分自分が口説きを落としたり、
女の子が喋っていても寝るな俺はっていうぐらい
いいダメだったんですよね。
つまりそういう生き方は僕の中にないんですよね。
音楽で生きるっていうその、今僕らしく聞くんですけどね。
音楽で生きるって僕にはないな。
だから僕は思考で生きてるんですよね。
それがどんなにダメな生き方でマインドフルネスじゃなくて、
君の心にとって良くなくて、健康にも良くなくて、
面白くない生き方だよって言われても無理なんですよ。
やめることができない。
そういう生き方は僕はしてるんですよね。
僕からするとこの新書について、
新書についてじゃない、カウンセリングとか何かについて
考え続けるということは何にもなってないかもしれないが、
思考の生き方
私が私らしくあるためにはこれは必須なんですよね。
これをこのポッドキャストでは外に出しているだけなんですよ。
だからこうしてとかああしてとかは一時的には聞くんですよ。
要求されれば一時的にはシフトしたり変えたりするんだけど、
元に必ず戻る。
これ編集してとかしてた時あったんですよ。
前後切るとかね。
こういうこと喋ってくださいって言われるのに
リクエストに答えることもあったんですけど、
全部消滅していく。
元に戻る。
これしか居心地の良いやり方がないんですね。
私には。
たったそれだけなんですよ。
習慣化とか全く違うんですよね。
習慣化じゃないんですよ。
もともとある習慣なんですよ、これは。
僕の中に。
それしかないんですよね。
軸とかじゃないですよ。
思考と習慣についての考察
軸なんて僕欲しいと全く思いません。
変わっちゃったって全然いいと思ってます。
私らしくあろうとかはないんですよ、ここには。
何の意思もないです。
だから歌うようにとか、息をするように。
息をするようにはぴったりですね。
息をするように僕これやってますね。
これをやめるということやこれを変えるということは
呼吸を止めろって言われてるのに
限りなく近づいていく感じがします。
やめることはできますよ、たぶんね。
やめるということは何だろうな。
毎朝僕バナナがやたら好きで
そう、これと似たんですよね。
バナナが好きってことはめっちゃ言わされるんですよ。
最近高いしね。
糖尿になるぞとかいろいろ言われて
バナナ好きであることがいかにダメかみたいな
ダメ人間の象徴ぐらいに言われることがあるんですよ。
バナナの健康だと思ってる人には
ちょっと心外かもしれないけど。
でも僕一日一本バナナ食べずに
いられない人間なんですよね。
これをバナナ手放せって言われるのと
思考手放せって言われるのは
僕にとって相当似てるんですよね。
無理だってことなんですよね。
無理ですと。
だから思考を考えない練習とかは
一切してないです。
グッドバイブスには申し訳ないんですけど
僕はしないです。
だって僕にとって考えるってことは
呼吸と何ら変わらない感覚なんで
考えることが健康に悪くても考える。
あと僕はもう一つ
マスターベーションしなかった日ってほぼないです。
コロナの日しなかったかな。
そういう人間ですね私はね。
これに関しても恥ずかしいとかが
ゼロなわけじゃないんだけど
ないんだけど
しゃーないじゃんって思っても
これは母親との関係があるし
心身的にいいとも思わないし
AIにこれって心理的に良くないと思うかみたいな
やつをあっさり
心理的には良くないと思うみたいなことを
書いてきたんだけど
ふざけんなって思っただけなんですよね。
別にAIだからいいんですけど
いうことが180度変わるんで
彼はすぐ3日ぐらい経つと
そんなもんだなって思ってるんですけどね。
なんかね
良い生き方とかをしようと思わないことは
大切だなと思います。
無理なんで。
無理なことはしないことだよね。
無理っていうのが
なんだろうな
どの角度から見ても無理みたいなことって
あるなって感じなんですよね。
コロナの時までしたくなることを
やめようと思ったって無理じゃないですか。
コロナの時って辛かったんだよ私も。
辛いんだけどやっぱりバナナを食べましたし
辛いんだけど
マスターベーションをしたいと思いましたし
リテラシーと専門家の選択
やっぱりコロナでも
喉が痛くても
この収録はしようかなって思いましたからね。
なんかこう
死んでもいいやみたいなのがあるんですよ。
どっかにね。
これをやめるんだったら
死んだほうがいいかもなみたいなのって
どっかにあるんですよね。
それはもうやめないほうがいいと思うんですよ。
で、私は
東和田海人さんの書くようなことについては
自動的に
何のメリットにもならなくても
必ず考えてしまうんですね。
考えに考えてるんですよね今。
考えてることについては
喋れてないですけど
考えてるよってことしか
喋ってないですけどね。
多分に結論を言うと
一つには
つまんない結論だな。
考えてる割にはつまんない結論なんだけど
リテラシーが問われるってことですね。
だってあれはマッチングを主張してますから
マッチングって絶対僕は
お任せではできないと思うんですよ。
美容院に行くか
美容師に行くか
床屋さんに行くか
美容師に行くか
だって我々は
リテラシーがあるから
選べるんですよ。
実際床屋さんの中でも
どこに行くって
選ぶじゃないですか。
高いところもあれば
安いところもあるじゃないですか。
認知行動療法か
作戦としての
カウンセリングか
冒険としての
カウンセリングかを
選ぶのには
リテラシーが問われますね。
この辺がやっぱり
井戸芳美さんみたいな方に
Xで批判されるべき
大きな理由があると思うんですよ。
もっとリテラシーを問うことになりますよね。
スキーマってあるじゃんってことを
知っている人と知らない人って
絶対いますからね。
それは専門家に任せればいいじゃん
っていうのは
しかしそうはなってないと
僕は思うんですね。
だいたい我々だって
歯が痛いんですけどって言って
名車さんに言ったら
怒られるじゃないですか。
怒られはしないかもしれないけど
リテラシーがあるじゃないですか。
最初から。
マッチングというものとは
違うじゃないですか。
それよりはるかに不明瞭で
だからこそ専門家に任せましょう
っていうのかもしれないけど
専門家という人が
だってその人が
認知行動療法の専門家なのか
精神分析的心理療法の専門家なのによって
いやどっちもできるのが
本人心理師ですって言われても
我々はそれを
どっちもできると
そもそもどういう意味なのか
っていうのを
全く知らなかった場合と
そこそこ知っている場合とでは
選び方が
画然変わってくると
思わざるを得ないわけですよ。
その辺のことが
どうなるのかというのが
少なくともあの本読んだだけで
分かるようには
なってない気が私はするんです。
常識でないことだけは
確実だと思うんですよね。
僕はこれは。
常識じゃないだろうと。
CBTとポストの違いっていうのは
知っているのが当たり前です
って話では全くないと
僕は思うんですよ。
でもその2つは
知っていれば
どっちを受けたくなるとかは
あるだろう
っていう感じがするんですよね。
ある意味で
非正規と正規というものは
はっきり分けておきながら
CBTとポストは全く分けずに
そこは専門家に
お任せしとけばいいんです。
100人いたら100通りの人が
全く同じことを
会議として出してくれます
っていうのは嘘だと思うんですね。
僕は。
ある人が言って
いやあなたCBTですねって言って
私はCBTできますからと言って
私のところでやりましょう。
私はCBTは得意じゃないですからと言って
違うところに回って
これが綺麗にいくっていうことが
僕には信じられないんですよね。
でもあれは
少なくとも
こういう疑問を持つぐらいは
リテラシーを要求している感じが
するんですよ。
作戦会議としてとかって
遠畑さん以外は
心理療法の議論
言ってないような気がするんで
作戦会議何ですかそれっていう
専門家の人は
絶対いると僕は思うんですよ。
だってあの本
筆読の書ではないですからね
専門家の人にとって
勉強してますし
訓練受けてます
っていうかもしれないけど
遠畑海斗の本を
全て読むことは必須ですとかは
言われてないと思うんですよ。
現段階では。
あのように横断的に
考えるっていうのも
一つの提言であって
常識とかコンセンサスとか
ではないと思うんですよね。
結局のところ
我々がカウンセリングを
受けるってなった時に
何をしてもらおうと
するのかってことは
マッチングというのであれば
特にですね
リテラシーが要求されちゃうだろう
って感じがします。
このリテラシーは
そんなに苦労してなくても
得られるものだと思うんですけども
一定程度要求されるよなと
ましてこれ診療内科と精神科
というものを
ここに加えていったら
どうなるんだろうっていうのが
相当難しい話になってる気が
するんですけどね。
私はですね。
実は相当難しいと言っても
これのが好きな人にとっては
全然簡単な話かもしれないですけども
大抵の人にとっては
これは相当難しい話になってるだろう
って感じがします。
そこに持ってきて
のの医者を含めて
オールグリーンだってことになってくる
とどこに行ってもいいんです。
行きたいところに行けばっていう
入り口としてはそれでいいんですと
ただそれらは
大概の場合に
非科学的かつあるいは
ないしはケアなんですって言われた時
納得しない人も
いっぱいいると思うんですよね。
いやうちでやってるの
セラピーだしって
非正規かもしれないけど
セラピーだしっていうような
意見って絶対あると思うんですよ。
なんで勝手に我々のところ
浅いと決めつけてるんだ
お前がっていう話になってるの
分かった上でって言われても
たぶん納得されるわけでは
ないと思うんですよね。
でもこれがここを強く言うと
五個十六国的になっていくんですよ。
結局のところは深いのも浅いのも
CBTでやれるんですってなったら
じゃあその深いのしか
例えばやれない精神分析よりも
優れてることになるんじゃないの
みたいな議論
そうじゃないんですって言うんだったら
ここからの議論は
一気に専門的になって
いっちゃうと思うんですよね結局は。
少なくともギテラシーというものが
要求されてしまうと思うんですよ。
そしてその議論というものは
少なくともユーザーって
あの本で言われてる人たちには
究極的にはよく分からん
っていう風になるものだったから
五個十六国化していくんだと思うんですよね。
一切深いのも浅いのも何もかも
いわゆるCBTがやるのであって
作戦会議も冒険としてのカウンセリングも
全部そっちで賄うっていうんだったら
他のは何のために存在しているんだ
っていう話に
やっぱり普通に考えるようになるじゃないですか
普通に考えると
そう考えないんですけど私は
でも普通に考えると
プレーンに見ると
CBTで全部良くないってことになって
いくと思うんですよね
CBTだけを公認にして
他は全て非正規だってことに
でもそうすると絶対
絶対それで収まるとは
到底思えないんですよ。
そこを何とかするために
言論みたいなものが
入ったんじゃないのかなっていう感じがして
そこを何とかするとなってくると
確かにマッチングというのは
僕はそれに深く十分
100%納得しましたってわけじゃないんですけど
今のような需要を踏まえると
モヤモヤするなりに
僕は別に専門家じゃないし
CBTができるわけでも
ポストができるわけでも
何でもないから
モヤモヤする必要すら
自分の中にはないわけなんですね
生きていく上では
だからモヤモヤしなくてもいいんですけれども
モヤモヤするなりに
俗人性と医療の選択
納得したとするじゃないですか
そうするとマッチングぐらいしかないな
でもマッチングってことになってしまうと
結局のところは
こっちの方が向いてます
っていう言い方をしちゃうことになるんですよね
そうでなければもう俗人ですよね
伊藤恵美さんの方が好きか
遠畑海人さんの方が好きかで
選びましょうみたいな話になりますよね
でもこの俗人で選ぶってことになってくると
好きな人って
そもそも知ってる人のことを指しますから
みんながみんな
1000人の人が
1万人の人が遠畑海人さんの
カウンセリングを受けたいですって
なるじゃないですか
なりかねないじゃないですか
でも無理じゃないですか
少なくともどこかで
ウェイティングリストになりますよね
そこで遠畑海人さんの考えを
よくよく組んでいる人というのが
代わりにやってくれますって話に
こういう風にして
認定制度とか都定制度ってものが
出てくるわけですよね
我々だってやってるんで
タスク集と協会というのは
理事の大橋栄奏さんに話聞きたいですよ
っていう人だっていらっしゃると思うんですよ
そんなにどんなに
Jマスザキさんの話が良いんだって
Jマスザキさんの話を1から100まで
完璧に理解している認定トレーナーさんに
聞きたいわけじゃないんですよ
っていう人に
認定されたトレーナーさん
ですからっていうことに
することになりますよね
これが受け入れられているのがある意味
お医者さんの世界ですよね
でもそのお医者さんだって
人気のある人とそうでない人って
どうしても別れちゃうじゃないですか
ここの私の住んでいる町では
隣の町にみんな行くんですよ
特に地美科はそうなんです
1分も待たずに見てくれるんですよ
うちの町の地美科だったら
でもそれは1分も待たないってことは
誰もそこにいないってことであって
古いシステムで
古い予約システムで
8時30秒までの間に
ライブのチケットみたいなもんで
8時30秒までの間に
8時1分じゃないですよ
8時30秒までの間に
午前中の予約
38人が
埋まるんですよね
38人大変ですよね
お医者さんもね
予約であっという間に30秒で埋まるんですよ
直接行くことも
できるんですね
それは長打の列をなしてるんです
同じくらいの人数までしか見てもらえないんですよ
40人くらい
合わせて70人が午前中で
見る隣町ですよ
うちの町は0人なんですよ
これが俗人性の問題ですよね
だって全く
同じ地美医院公科なんだから
しかも認定されてるわけですよね
国家公認で
だからどっちも同じ力量のはずなんですよね
少なくとも最低ラインは
保証されてる
人間はそういうものに喜ばないっていうことも
大事なんですよね
最低ラインとかに興味ないわけですよ
よく書かれてますよね
訓練を受けてる正規の心理師は
最低の礼儀と最低の力量と
最低の知識を備えていますから
こういう非正規の怪しいやつに
かかって金を失わないようにしましょう
私あれ全然PRにならないんじゃないかと思うんです
最低の礼儀と
最低の知識って
ディスってるように聞こえるっていう風にすら
思えるんですよね
そもそも最低でいいのかそれっていうような
PRしてるのであるならば
どっちかっていうと
わざわざ正規の心理師さんに
かかる人は
最高の技術に興味があるんじゃない
でしょうかっていう気が
しちゃうんですけれども
それはそういうわけにはいかない
事情があるのかもしれない
でもですねやっぱり
街たった2つの小さな街でも
片方に
みんなが行くっていうことを
考えてみますと料金同じですからね
結局ね
つまりそういうことなんだ
と思うんですよね
俗人っていうのは限界があるから
こういう議論をしていると結局は
五個十六国時代に戻るんですよ
だからどっかで諦めて
どっかでマッチングみたいなものを
採用して
どっかで統一企画っていうものを
用意しておいて
基本的にはオールグリーンなんです
ということにしておく方が
おそらく建設的なんだろうなっていう
感じがします
以上をすべて一応
まあ分かってるのか分かってないと
言われるかもしれないけど
認定制度とサービス提供
分かったというものにして私もね
分かっているんですということにして
しかし全然真逆のことをやっているのが
3カ月チャレンジなんですよ
全然真逆ですよね非正規であり
しかも私は
マッチングとか一切考えてない
めちゃくちゃ俗人的で
それ以外誰も認定されるはずのないような
認定制度を作るつもりは
私にはないですから
というライフハックを入り口にして
いきなり精神分析に接続しようとする
しかも精神分析的な要件は
一切満たしていない
このサービスを
お一人様7万円から
7万5千円付近で
提供するという
こういうサービスをしているのが私なんです
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