おはようございます。朝っぱらから精神分析第1257回をお送りします。
えーと、9月の、えー、9月の何日ですか、今日は。
えー、9月、あ、違う、10月だ。10月2日木曜日の7時38分です。そうか、10月なんですね。
えー、そうか、昨日から10月なのか。
ちょっと、ここのところ、えーと、あのー、イレギュラーなことが多くて、バタバタ、バタバタはしてないんだけど、
イレギュラーなことが多くてですね、あの、混沌としておりました。
はい、えー、でですね、早速なんですが、早速ではないんですけれども、今日はまあ短めに、
結果が出てるからね、これを聞いてる人にはね、短めに切り上げたいと思うんですけれども、
ていうか、切り上げないといけないんですけど、だから今日も休んじゃおうかと思ったんだけど、
今週全然やってないじゃん、ということに気がつきましてですね、それに今気づくぐらい混沌としてたんですよね。
なんかこう、レギュラー感がなかったんですよ。あっという間の月下水みたいな感じで。
で、今日木曜日ですね。えーと、戸畑さんのあの新書出たじゃないですか。
カウンセリングとは何か。カウンセリングとは何かっていうタイトルの本は何冊もあるんですよ。
だから考えさせられるんですけどね、そのこと自体が。そしてよく読むと、まあよく読まなくてもザラッと読んだだけでも、
それぞれに書いてあることが同じでないことは一目瞭然なんですよね。
で、改めてでも今回のあの戸畑さんのお仕事は、まあやっぱり令和におけるカウンセリング論としては、
これを無視するのは難しくなるだろうと思いましたね、今後は。
で、私はますますあれを読んでですね、自分でやってるのはもう死にカウンセリングじゃないやっていうことについて悩まなくて済むなっていうのがまず。
もうこれはなんかね、言うとちょっとややディスってるように聞こえるかもしれませんが、
まあ僕がここで喋ってるのは大体そう聞こえることは多いと思うんですけど、
そう聞いていただくのは結構なんだけど、私ここで正しい言説を発信しようというつもりはないので、
これを批判されるのはある意味大変ありがたいことだと思うんですよね。
何しろ聞いてくださってる数が異様に少ないポッドキャストですから、
まあポッドキャストって聞かれるもんじゃないですけどね。
まあこれある意味僕ただ喋ってるだけなんで、何か事前準備もしていなければ、
本読んだりはしてるけど別にこれは、これについて喋ろうと思って本読んでるわけでは全くなくて、
たまたま読んだ本のことをここでたまたま喋りなくなってるっていう、
本当にたったそれだけなんで、あれなんですよね。
もうフラッと散歩してフラッと喋って、これに録音しといた後は出してるっていう、完全にそれだけなんですよ。
散歩はしてないけど、この後散歩するんだけど。
あの、なんか道端で歩いてると変な人になっちゃうんで、
とりあえずここでしょうがないから黙って立って喋ってるわけですけどね。
立って喋ってるんですよ。
こういうもんなんでですね、情報発信とか言われてて、
かつこれをどう情報発信してるのかとか言われるとですね、
いやこれただ喋ってるだけで、録った瞬間にもうアップしてますから、
何の編集もしてないですから、
なんか編集しようと思えば多分直ちにこれをやる気がしなくなると思うんですよね。
そのレベルでやってるものなので、
あの、なんて言えばいいのかな、
聞いていただくのはとてもありがたいし、
聞いていただこうという気もあるんだけど、
これを何か正しいもののように受け止めるのはやめといた方がいいですと。
あの、めちゃくちゃ間違ってても気にせず出しますからね。
そういうもんだと僕これ思ってますから、心の底から。
Xとかもそうなんですよね。
なんであれをそんなに批判とか炎上とかをそんなにみんなが問題視するのかが、
僕は本当のところもう一つわかんないですよ。
なんかこう、街でつぶやいてることが正しいかどうかについて、
人は検証しようとかはしないじゃないですか。
なのにあれに関しては正しいとか、
それを間違った認識だとかっていうことを
真剣に議論しているように、
まあ見えるようになってるところが謎だなって思うんですよ。
それこそ昔便所の落書き、あれはいい言葉じゃないと思うんだけど、
でも限りなくそれに近いものだと僕はXって思って読んでますから、
便所の落書き面白いと思ってあれは楽しむもんだろうと思ってるんで。
情報発信。便所に落書きしたものを情報だと思う人っていないと思うんだよね。
ここに電話してくださいとかって書いてあるじゃないですか。
電話する人やばいじゃないですか、そこに。
絶対僕はそれはないなって思うんで。
でもなんかちょっと違う使い方されてるんで、
僕は認識が間違ってんのかなとよく思うんですけど、
まあでも誰がすぐにそこにどんな人でも匿名で書けるものに
情報性を意識するのってね、
それは著名な人がリズメで書いてるものもありますけど、
だからというと当てになるのかっていうと、
大変疑わしいと私は思うんで、
基本的にはあれはただ便所の落書きを眺めて楽しむものっていう、
楽しくないっていう人はそれはいると思うんですけど、
それは見ないことだよねっていう感じですよね。
私はそういうのは楽しめる口なんでどっちかっていうと、
わりと公園のトイレとかに入った時にもなんか読んじゃうほうで、
そこに対してそんな不快にならないんですよ、自分はね。
ていうか全然不快にならないんですよ、正直言って別に。
消したほうがいいとかかけらほども覚わないので、
子供の時から楽しいなと思って見ているほうなんで、
そういうもんだと思いますけどね。
これはそれよりはマシだと思って喋ってますけど、
なんかそういうきちんとしたものとして、
せめてそれなら僕ノートにやっぱ書きますね。
書くほうが手間暇かかるから、書いたものならもう少し当てにはなるだろうと、
Xとかじゃなくてですね。
140字でザザッと書いたっていう、
なんかロッテ頑張れとか書いてるわけじゃないですか、極端に言うと。
ロッテ頑張れが情報発信なのかなって思うんですよね。
情報発信だとして書いてる人もいますよ、それは。
それは全く別の話だと思うんですよ。
はい、この話で6分も使う気は全くなかったんだけど、
そうなってしまうんですよね、私はね。
それもこれだと思うんですよね。
何が言いたいかというとですね、
そういうもんだと思って聞いてほしいということで、
あの新書のね、
カウンセリングとは何かは大変素晴らしいお仕事だと思うんですよ。
あれはしてもらわないと何もクリアにならないなって思うんですよ。
混沌としてますからね。
彼も五湖十六国時代のようなって書いてますけど、
戸畑海人さんね、全くそう思うんですよ。
五湖十六国時代って世界史とか言った人、超嫌だったと思うんですね。
要するに戦国、軍有滑挙的世界ですよね。
日本の戦国時代だって、
何かそれをすごく大研究して楽しいって人もいるかもしれないけど、
外国人の人にしてみると、
何かもうよく分からんなっていうことにしかならないと思うんですよね。
織田が統一してきましたぐらいから先ですよね。
何か意識して何とか意識できるのは。
だって我々とか本当そうじゃないですか。
中国の王朝を全部覚えるんだってやってらんない感じなのに、
その中に何か五湖十六国とかあったら本当もっとあるんでしょうし、
何かこう和薬茶じゃんっていう感じですよね。
だからその和薬茶感が心理カウンセリングの世界にあるんですよ。
多分今も。
早速伊藤英美さんという方がですね、
あれは認知行動系の大化の人だと私は認識しているんですけど、
あれは遠旗結局心理学であって、
普遍性とかではないみたいに書いていて、
そのお気持ちは最もですって思うんですよね。
でもYouTubeで山崎隆明さんが遠旗さん推しだって方がですね、
そういうことは分かって言ってるからみたいにおっしゃってるんですけど、
でも分かって言われたって気に入らないものは気に入らないよねっていうのも分かる。
まあ私は山崎隆明さん推しの人間ですから、
山崎さんが分かって言ってるって言うんだから、
分かって言ってる方に寄せようって思いますけど、
でも伊藤英美さんがおっしゃる気持ちはよく分かります。
多分だって戸綾太さんは結局、
あの本の僕は肝はですね、
作戦会議としてのカウンセリングっていう章と、
冒険としてのカウンセリングって章、
あの2つのコントラストにあると思うんですよ。
戸綾太さんが元々ケアの方でワーッと広がっていった、
デイケアの本がありますね、いるのはつらいよ。
私はあの本が大変いい本だと思ってるんですけど、
山崎さんもYouTubeの中で戸綾太さんの論の進め方について、
分けられないものを分けられているという風によく批判されると、
そうなんですよね。
例えばケアとセラピーってそんな風に分けられるかっていう風に
突っ込むのは伊藤も簡単だと思うんですよ。
あとは今回のあれですよ。
だから冒険としてと作戦会議として逆になっちゃったけど、
この2つだってそこを分けるからそういう話になってしまって、
そして不変性とか言ってるけど、
それはお前の好みでやってるだろうってことを言われるわけですよ。
簡単に言うと認知コード両方は作戦会議としてっていう感じ。
場合分けをしているわけですよね。
マッチングっていうことだから。
もっと言うならば、
実存的って言ってますけれども、
その実存的な方に緊急性がなくて歴史性があって、
要するに何だかんだその人の生育歴みたいな話になってしまわざるを得ないよねっていう
慢性的なもの。
だから急性的じゃないもの、そして一時的じゃないもの、緊急的じゃないものは
精神分析的にいきましょうみたいな雰囲気があるわけですね、結局は。
だけどいやいや認知行動だって今そういうの扱えるからっていう議論が
認知行動側から絶対出るものだと僕は思うんですよね。
そりゃそうだろうなと。
それにあの本では当然なんですけど、
あっさりと宗教は科学的ではないからってことで、
宗教は早々に知り遂げられてるんだけど、
そこを扱ってきてるのはまさにずっと宗教だったんで、
そんな2000年、令和に入ってからポッと出てきたような
公認心理師の資格がある人こそがそこを受け止められるんですとか言ったって、
お前ら今まで受け止めてこなかったじゃんっていう風に、
まあ宗教側だって思うだろうなって思うんですよね。
だってうちの父がそういうの受け止めてきたのは1970年代からの話で、
しかも一体それをどうやってたのか知りませんよ、
心理カウンセリングの方で。
だけどね、夜中の2時とかにどんどんどんどん叩く人がいるわけですよね、
寺の門もね。
そういう人にあなた、うちは専門家じゃないから心理カウンセリングに行きなさいとかって言ってたら、
もうその人帰っちゃって何するか分かんないじゃないですか。
っていうか追い返さないっていうことが大事じゃないですか、
そうなってきたら専門だろうと何であろうと。
でも大概追い返されたり少なくとも開けてはもらえないから、
要するにうちが開けてたわけじゃないですか。
まあ私が開けてたわけじゃないけどね。
でもどんどんどんどん叩く人は年に1回ぐらいは絶対出てくるわけですよ。
で、そういう人たちが全国ずつ裏裏にいらっしゃって、
寺は全国ずつ裏裏にあって、
基本的には追い返らないからそこに来ていらっしゃってたわけじゃないですか。
様々な理由があってですね。
で、結局のところそういうのが無惨臭くて非科学的だから今後はうちに任せてくださいって言うんだけど、
その任せてくださいって言う割には夜の2時には対応しないよねっていう話は、
どこに行くんだろうっていうような話は、
定欲するされてる感じがするんですよね。
いや、私はこれは、だから批判してるっていうつもりはないですよ、別に。
そういうもんだろうと思います。
そういうもんなんだけど、人は昼の2時にしか悩まないわけじゃないし、
予約した1週間、1週間の間の予約は、
うつぬけで、うつぱんだ、うつぱんで書いてありましたよね。
1週間も待てるかとか言って電話切るんですけど、
いやいや、1週間ここ待つしかないでしょうみたいなね。
だけど待てないんですよね。待てないと思ってしまう。
でも、あの予約を入れることができなくて辛くなっているっていうところから、
でもその人は1週間、2週間、3週間ってやっぱり生きていらっしゃってて、
ここ大事ですよね。どうやったんだそこはっていう。
そこは漫画には書かれないんだけれども、
でもどうやったんだここはっていうのはすごく大事だと思うんですよ。
何かがあるんじゃないかってやっぱ思いますよね。
で、私は当然心の専門家ではないんだけど、
心の専門家ではないということが、
イコールカウンセラーではないということには、
あの本読んでいてもそう思うんだけどならないし、
だってのの医者は笑うで、
非常に難しい立ち位置で書いていらっしゃいましたけれども、
結局のの医者で笑うで書いてあることって、
言うならオールグリーンだってことじゃないですか。
のの医者はダメかもしれないがっていうニュアンスが全くなかったかっていうと、
そうではないと思うんですけど、
でも結局あれはオールグリーンだって話じゃないですか。
オールグリーンだってつまり何であったっていいんだっていう、
何であってはいけないっていうことを言い出すと、
結局は五湖十六国の時代に戻っちゃって、
どうしようもなくなったからそこは出発点なんでね、
どういうのであってもいいんですっていうことをやめてしまった途端に、
こういうのじゃなければいけないんです。
最低ラインはここにあります。
この最低ラインとは何かっていう問いを立てて、
全てが始まってると思うんですよ。
のの医者もそうだし、
いるのは辛いよだって結局そうだと思うんですけどね。
当然普通の相談とかもありますし、
今回の本があるわけですよね。
今の他にもさらに彼らその途中いっぱい書いてるわけですよ。
でも基本的には全部同じだなと、
私がその理由でずっと追ってきたわけで、
今回の集大成って言うけど、
いくら集大成を出しても、
いくらそういう批判があるのは分かっている上で言ってるんですと言ったって、
絶対5個16国的な議論は噴出する。
それでも相当まとまってきたなって感じはするんですよ。
昔に比べればね。
だから多分戸肌さんのやってくださったお仕事って大きいなと思う。
これがなかったら、
今もまだなお5個16国がさらにひどいことになっている可能性は、
十分あったと思うんですよね。
なんだかんだ言って、
こういう仕事ってみんな嫌がりますからね、ある意味では。
今回売れてるから、
たまたまと言ったら失礼かもしれないけど、
売れてるから、
いやいや、羨ましいよねって思うかもしれないけど、
昔これは僕全く同じようなことをですね、
ソフィーの世界って本に対して、
哲学側の人たち、
大学教授みたいな方が猛烈に批判したのを、
僕耳にしましたからそれ。
うちの大学でも批判されてましたからね。
でも私の指導教官は文学の人だけど、
ソフィーの世界めちゃくちゃ推してたんで、
やっぱね、
ちょっとあるよなって思うんですよね。
なんかこう専門家の激励に触れる何かってあるんだよなっていう。
でもね、売れたから腹が立つのは分かるんだけど、
売れたから腹が立つのはめちゃくちゃよく分かるんですよ、
物書きとしては。
しかしね、あれやっぱり良くないんですよ。
そもそもそれをずっとみんながやってるから、
みんなが嫌になって、
で、哲学の教室とかは、
僕とかを含めて3人ぐらいしかいなくて、
みんな物好きそうな学生しかいないわけで、
その物好きそうな学生もそこに来て寝てるという始末なわけですよ。
で、ソフィーの世界は飛ぶように売れてるわけですよね。
なんでああいうことが起きてんのかを、
やっぱりもうちょっと哲学しないとみたいに思わなくはなかったんですけどね。
でもまあ一般人向きの本が、
自分の教室には人が来ないのに、
あの、飛ぶように売れて、
そいつが高校の先生だったっけ?
スウェーデンかなんかの、
ウハウハになるっていうのは本当許せないって思うのは、
気持ちとしてはわからなくはないです。
そう見えるんだろうなって感じがしますね。
それと同じような感じを抱かれるだろうなっていう感じはやっぱり、
やっぱりですね、あの、
5個16個になってるのは訳があるんですよね。
どうしてもこっち側からそっちはそう見えるし、
そっち側からこっちはそう見えるってことってあって、
東肌さんでさえ、
あの、野の医者っていうのは結局は商売がたきだからっていう風に書いていらっしゃる。
僕はどうしてもそうは思えないんですよね。
なんかそれは、それこそその、
こういう言い方は本当にダメかもですけど、
それこそそれがPSポジションってやつじゃないかって思ってしまうんだけれども、
だってそっちがあれですよね。
あのなんだっけ昔、
ヤバイ経済学っていう本がありましたよね。
あの中でギャングの、
ギャングのお兄ちゃんたちがそんなに儲けてるのに、
どうしてママと彼らは暮らしているのっていう、
うまいタイトルだなと思ったんですけど、
要するにギャングなんて儲かんないんだよっていうのを、
ある意味すっぱ抜いてる本なんですけれども、
その果たして占い師ってそんなに儲かってるのかという、
トータルでですよ。
一番儲かってる人しか僕らは見ないから、
そう思っちゃうのかもしれないけど、
あれは商売がたきではないと思うし、
あれが商売がたきだって言うんだったら、
やっぱり良くないよねっていう感じがするんですよね。
そこにはそんなにお金が落ちていると言えるだろうかっていうような、
商売がたきですからね、やっぱりね。
そういうふうに考えているわけですね。
私はこういうことは結構長い時間考えているわけですよ。
そんなこと考えてないよって言う方も、
私のファンの方にもいっぱいいらっしゃるかなと思うんだけれども、
でもやっぱりですね、このこととは切り離せないんですよね。
分けられないものを分けているんですよ。
切り離せない気がするんですね。
ケアとセラピーを切り離せないように、
実存とセルゾンなんて切り離さなくて当然なように、
そこを分けて考えましょうねっていう話から始まるんですけど、
でもやっぱり切り離せなくてですね、
ほら全然僕この話で何の情報も発信してないじゃないですか。
ただ感想をダラダラとしゃべってるだけじゃないですか。
これをでも僕は脳内でいつもやっていて、
それが私にとってはセラピーなんですよね。
セルフセラピーという意味で。
どんなにこれがですね、マインドフル的にダメで、
考えない練習的にダメで、
思考を手放すという意味でもダメでも、
僕はやっぱりこれをやめたら、
僕はもう生きていくのも相当困難になるっていう自覚があるんですよ。
これを僕がやめることはないだろうと。
多分一生ないだろうと。
だって物心ついた時からずっとこうですもん、僕。
夢の中でもこうですもん。
これを変えろって言われたって、
何のためにそもそもこれを変えなきゃならないのかと。
これをやってるから病気なんだって言われると、
そうじゃない気がするんですよね。
だって僕はこれをやりながら病気になったり健康になったりもしているし、
なんかこれが私にとって生きるっていうことなんですよね。
なんかね、ある種の僕にとって存在しない生き方ってあって、
一つは体育会系的な生き方。
僕運動って全然してませんから。
もう一つは音楽家的生き方。
僕ライブって行ったことないし、
行こうという気持ちにならないし、
やりたいと思ったもの。
だってライブってみんなやってるじゃないですか。
文化祭とかモテたきゃライブやれみたいな。
僕それを倉園圭三さんね、good vibesから聞いたとき、
そうか自分モテないわけだよなって思ったことがあるんですよ。
だってギターって弾きたいって思ったことがかけらほどもないんですよ。
ピアノは弾いてたんだけど。
ギターを弾きたいというふうに、
もうなんて言うんだろう、嫌いとかじゃないですよね。
思い浮かばないんですよ。
僕ね、留学中めちゃくちゃ苦痛だった旅があって、
ギタリストと一緒にロスに行ったんです、ロサンゼルスね。
ギター屋さんとかいるじゃないですか。
いいでしょ、旭さんとかいるんだよ。
何がっていうか、そもそもこれギターなの?みたいな。
ギターってぱっと見ギターだってわからないギターとかって
売ってるお店とか大きいお店とか行くとあるんですよね。
で、どんなにその話を聞いても、
なんかもう眠くしかならないんですよね。
嫌だとかがないんですよ、もう。
なんか動かないというのはこのことだっていう。
ずーっと曇り空を見せ続けられているような気持ちになっていくんですよ。
これだったらホラーを見るほうがマシだぐらいな感じがするぐらい
にっこり笑って聞いていることが、
しかもそういう台湾人とかね、英語で聞いてるんですよね、僕はね。
それはね、もうほんと無理だわっていう。
これ多分自分が口説きを落としたり、
女の子が喋っていても寝るな俺はっていうぐらい
いいダメだったんですよね。
つまりそういう生き方は僕の中にないんですよね。
音楽で生きるっていうその、今僕らしく聞くんですけどね。
音楽で生きるって僕にはないな。
だから僕は思考で生きてるんですよね。
それがどんなにダメな生き方でマインドフルネスじゃなくて、
君の心にとって良くなくて、健康にも良くなくて、
面白くない生き方だよって言われても無理なんですよ。
やめることができない。
そういう生き方は僕はしてるんですよね。
僕からするとこの新書について、
新書についてじゃない、カウンセリングとか何かについて
考え続けるということは何にもなってないかもしれないが、