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こんばんは、こんばんは、こんばんは。
あの、今日は、いつものことではあるんですけど。
まとまりがね、ちょっと今日はないなっていう、まとめで自信がないなと思って。
病気のせいもあるのか、例えば動画を見ていたりとか、外の風に触れるとかすると、色々感じることが、今日はね、ビシビシとあるような一日だったりして。
忘れないようにメモを取るんだけど、いくつもいくつもあるからね、今日感じたことは今日話したいなという思いもあったりしてね。
だから、ちょっとね、いつも以上にまとまりがないので、メモをね、上の方から残したことを話していきます。
最初に書いたのは、中国の自動運転で乗車している4人が全員寝ながら高速を走るっていう動画。
まあ今、ああいう自動運転界隈で話題になっているようで。
中国の電気自動車って、BYDが一番ね、世界中に知れているということで言うと。
でも、BYD以外も今色々ね、何社もああいう電気自動車のメーカーが中国から出ているということで、かなり脅威にね、感じするんだよね。
で、中国の電気自動車って面白くて、まあアメリカはテスラがいるし、トランクによって関税の問題があるから、アメリカでは中国の電気自動車は売れないんだよね。
だから、どこに注力しているかというと、ヨーロッパなんだよね。
だからヨーロッパでモーターショーをやってたりすると、その中国の自動車メーカーの参入がものすごく多いということなんだよね。
で実際、ヨーロッパで例えばプロックスワーゲンがあるって言ったとしても、中国の電気自動車の方が安いからさ、やっぱり売れるんだよね。
そういうような形で、中国の電気自動車って広がりを見せてたりするんだね。
ただまあ日本のマーケットでは、確かに中国のああいうテクノロジーの進化のすごさというものはあるんだけども、
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日本人は一つはやっぱりなかなかまだね、電気自動車というものに信用していないっていうものもあるし、
まあやっぱり中国が作るものはみたいなことが、なおさらああいう命を預けるような乗り物になるとね、シビアになって、
なかなか中国メーカーの車は日本では売れないんじゃないかなって思うんだよね。
ただ、あの自動運転のテクノロジーはすごいなって思った。
運転手もそうだし、助手席もそうだし、後ろに乗っている2人全員一匹かいて寝てるの。
で、その車高速をね、まあ100キロぐらいなんだろうね、その速さでさ、走っているね、動画が。
多分ね、このね、中国の自動運転の進化の速さというのかな、
まあ自動運転自体のテクノロジーはさ、日本メーカーもね、やってるから負けず劣らずみたいなものがあるんだけども、
日本は法的になかなかね、あそこら辺が許可されないっていうものもあるし、
一回失敗したらもうダメだっていうね、そういうものがあるから、
本当に完成度の高いものまで作り上げないと日本ではなかなか、
ああいう本当の意味での自動運転っていうのは認可されないっていうねことがあるんだけどもね。
まあどっちがいいかっていうことがあるね。
あと言ったら運転とかね、ああいう命預けるようなものに関しては保守的だったりするから、
まあ言うてもやっぱり日本メーカーだよなっていうところはある。
ただ最先端のテクノロジーに触れるという意味では、この間も話したようなテスラにもすごい興味があるし、
ああいう中国の電気自動車ね、ああいうものにも興味が湧くっていうことはありますね。
ただまあこの居眠りしてても高速を走っている、あれが日本でもできたりすると、
いやもっともっと東京大阪間とかね、車で移動する人とかさ、増えたりするんじゃないかなって思うよね。
06:02
今までやっぱりちょっと眠いから車運転危ないから新幹線でとかさ、
言ってたものがああやって寝ながらにしてね移動ができたりしたら、
いやこの進化はすごいなってあるね。
そしてね大谷、大谷の今回の活躍ぶりってもう本当にすごいなと思って、
俺最近というかもうここ何ヶ月も朝起きて最初に見る動画は大谷の野球の結果なんだよね。
今日は投げたとかホームラン打ったとか、あの動画を見るのが好きで、
毎朝まず何を見るかって言ったら大谷を見るっていう感じなんだよね。
まあなんかワイドショーでもとりあえず大谷とかさ、パンダとかね、
ああいう動物系のやつをやってれば炎上しないみたいな視聴率曲がるしみたいなさ、
ところがあってお茶のままおばちゃん連中には満人気というさ、
あのやっぱり彼はさ、まあみんなが言うけど本当漫画の世界のようなヒーローだよね。
だから最初大谷が大リーグに行った時って、
その日本人として応援していたようなところがあるんだけど、
ずっと見てくると野球人としての大谷を応援するというか、
要は野球というスポーツがもう一段も二段も飛躍させた功労者としての大谷。
だから野球界っていうのは大谷の存在を大切にした方がいいようなとかね、
ある意味大谷を見習うようなね、
まあ他の選手とか子どもたちが出てくればいいなとか言ってたりするんだけど、
もう今やちょっと野球界だけではなくて、
もうスポーツ界全体にまで影響を及ぼすような存在だよなっていう。
だから毎日大谷の活躍を見ていると、
今までってだいたいベイブルースと比較されてるんだよね。
ベイブルースも二刀流でやったというのがあるからさ、
でもベイブルースと大谷ってもう全然違うわけだよね。
ベイブルースはピッチャーをやってたんだけど、
ピッチャーを辞めて打者に転向したああいうホームランバッターになったんだけど、
大谷は同じ時期にね、同じタイミングでやっているっていうこの凄さはさ、
まあやっぱり唯一無二なんだよね。
だから最近のものを見ていると、
09:01
例えられるのがバスケットのマイケル・ジョーダン。
マイケル・ジョーダンの場合ってバスケットだけではなくてさ、
もうありとあらゆるスポーツに影響を及ぼした名選手でしょ。
だから多くの人が割とこう最近口にしてるのはさ、
いやジョーダンと一緒だよなと思ってさ、
ジョーダンと並ぶようなね、スポーツ界の宝だとか奇跡だとかさ、
そういう風に言う人がすごい増えたんだよね。
だから、なんか日本人だからとかさ、野球をやってるからとかさ、
もうそういう狭い枠ではなくて、
もっと広いスポーツの選手としての大谷っていうね、
あのなんか奇跡の時間だよね。
俺一郎の時も同じ時代を生きれて、
あんなにも大リーグに行って活躍する選手を見てたんだっていう、
その同じ時代を生きてる奇跡にものすごい感動したりしたんだけど、
大谷もやっぱり同様だよね。
同じ時間を生きてね、こんなにも日本というか、
もう野球というかさ、スポーツというかさ、
その枠を飛び越えてのね、
あの活躍っぷりをリアルタイムで見れているっていう、
このね、奇跡の時間は、
いやものすごく幸福に思えてしまう時間だなって思ったの。
で、今日ね、一番もうなんかなかなかうなずくことはいっぱいあるんだけども、
うまく整理できなかったのが養老の竹じゃん。
養老先生。
養老先生の今日さ、動画をなんかもう10本ぐらい見てたりしたんだよ。
一番最初に見たのが、
いやすげえいいこと言うなって、
言うのがあったね。
その最初に見た動画っていうのは、
学生たちに講演しているようなものだったんだけど、
要は自分は情報なのか人間なのかっていうね、
それを見極めないとならないですよっていうさ、
そういう講演だったりしたんだよね。
この自分は情報なのか人間なのかっていうことだけではさ、
なかなか理解ができないんだけども、
その養老先生が言っているのは、
今ってまさに俺が昨日話したことにも重なるんだけど、
ああいう病院に行くとね、
その患者を見ないで検査結果を見てね、
12:02
ああいう先生たちっていうのは診察したり治療する。
要は血圧であるとか検査をして、
血中のなんかいろんなものがさ、
その基準の数値よりも高ければ、
それで薬用とか治療方針を決めていくっていうことをするわけだよね。
だから患者を見ていないで、
その検査結果を見て判断し治療するっていうことなんだね。
それはつまりは、
ああいう医師っていうのはデータを見ているっていうことなんだよね。
データってつまりは情報っていうことだよね。
検査結果という情報を見て判断してるわけだよね。
だから今、巷にいろんな情報が溢れていてね、
情報にまみれている中で生きた時に、
人間自身も一つの情報としてね、
その中に生きているんだっていうさ、
そういうような話をしてたりしたの。
俺はその数字というところにさ、
ものすごくね、
養老先生のもともとの血圧の話があってさ、
数字ってどうかなっていう風に思っていたところに、
またこういうような、
自分は情報なのか人間なのかっていうね、
そういうような問い聞きがあって、
いや妙にそれってすげえ刺さるなっていう、
あったりしたんだよね。
だから、
前なんか言ったけど、
YouTubeでいろんな投資の動画を見る、株の動画を見るって言ったときに、
俺もそうなんだよね。
その人を見てないんだよ。
その人が発信している情報をただ見聞きしているだけなんだよね。
だから話している人には全く興味がないんだよ。
この人が朝何食ったのかね、
今日の数字の様子がどうだったとかさ、
そんなことはもう一切興味がないっていう。
だから俺も、
ああいうYouTubeである程度なんか、
学習的なね、
ああいうものを見るときっていうのは、
人ではなくて情報を見ているっていうね、
ことにも通じるんだよね。
なんかその、
気づきがね、
いやこれは確かになーみたいなことがあって、
ぶわーっていっぱい見た結果、
もうね、あれやこれや、
いい話がいっぱいに過ぎて、
いやもうなんかちょっとまとめたくないわっていうね、
ものがあったりして。
あとね、すげー刺さったのが、
諸行無常の響きあるっていう、
15:00
ものがあるんでしょ。
で、あれっていうのは、
その、風景とか鐘の音とか、
そういうものが変わっているものを、
読んでいるわけではないっていう。
要は、それを聴いている、
自分自身がね、
まあ毎日毎日変化をしている。
だから、今日聴く鐘の音と、
明日聴く鐘の音っていうのは、
違うっていう。
だから諸行無常っていう風にね、
あれを歌っている区なんですよねっていう、
話をしてるね。
その、なんかカセットテープに録音できるようになって、
声を録音できる。
そうすると、
まあそれって、
反永久的に残るわけだよね。
しかも、
違うことを言わない、
同じことを何千回何万回繰り返してね、
ああいう声というものを届けられる。
それはつまりは、
声というものは止まっているっていう、
話をしてるんだね。
で、僕はそういう風に止まることはできないから、
こういう公演とかね、
いろんな場面において、
同じ話は二度とできないっていう、
話をしててそう。
で、
だから、
人が変わる時っていうのは、
要はその、
前の自分を失うというか、
前の自分を殺して、
新しい自分になるっていう話をしてるんだね。
だから、
いろんな病気をしたり、
まさに俺の今回の状態もちょっと似たような、
ところがあって、
ああいうユーザー配信ずっと見ててさ、
全く見なくなったっていうのは、
ある意味その、
前の自分を捨ててるというか、
生まれ変わっているようなものがあるんだよね。
でも人は、
そういう風に過去の自分を完全に断ち切って、
変化を受け入れるっていうことが、
まあ案外できない、わからないっていうね。
そういう人がね、
まあ多いっていうさ、
話をしてるんでね。
だから個性というものの話につながっていくんだけど、
個性っていうのは本当にあると思いますか?
っていう問いかけもしてるんだよ。
要は人間という生き物って、
一番わかりやすいのは、
こうやって俺が話をして、
これを聞いてくれて、
今日の金月はこういうような話をしてるんだなとかね、
こういうことを考えてるんだ、
思ってるんだっていう風に理解できるのは、
それは言葉というものを通してさ、
まあ共感したり、
理解したりっていうことができているわけだよね。
だから人間の個性っていうのは、
個性ではなくて、
18:00
そういう風にまあ共感したりというのかな、
まあ理解したりとか、
そういうことがもう根本にあるっていう。
だからああいういろんなお師匠さんがいるようなさ、
芸事ってあるんだけど、
だいたい最初師匠の真似から入るわけじゃん。
で、真似をして真似をして、
ある一定のレベルに到達したら、
うん、よしみたいだね。
金月がもらえる。
で、そっから先が自分の個性になっていくっていう話をしてるんだよね。
で、その先が師匠の個性であり、
自分の個性になっていく。
でもそこに行くまでっていうのは、
そのお師匠さんさ、
真似事をしないと、
その芸事が身につかないっていうことなんだよね。
だから人間が生きていく上では、
そういうその、
まあ親であるとかね、
先輩であるとかね、
まあそういうものを真似て、
いろんなものを共感したり理解していくっていう。
そういう風に考えると、
いや個性、個性っていう教育って、
果たしてどうなのかっていうね、
問いをしてるんだよね。
それもちょっとね、
なんか、
考えさせられるものがあった。
その個性って何なのかなっていうね、
あの、
ことをさ、こう考えたりするからね、
その個性って人と違うことだよなって、
まあ単純に思ってたりはしたんだけど、
まあ本当の個性ってどういうものなのかなとかね、
いまいちの考えるきっかけになったりしてね。
うーん。
俺も割と養老先生のような考えに近いんだよね。
いきなり、
全然人と違うことをパッと始めるっていうのは、
まあある意味その、
芸術的なものであるとかね、
そういうものになってくるからさ、
まあ大概のことは、
先人の人たちの美容見真似から入って、
で、それをある程度極めていった先から、
個性がねつくと思ってるから、
なんか何でもかんでも、
学校教育とかさ、
まあなんか仕事の現場とかね、
クリエイティブの現場で、
いや個性的でいいなとかね、
その個性あるものを評価されがちではあるんだけども、
果たしてそういう風に評価される個性っていうのは、
どういう経路をたどって、
そこに行き着いたのかっていう、
なんかそれが大事であって、
パッと目の前に降ってきたような個性っていうのは、
果たしてそれは真の個性なのかなって考える、
クリエイティブの現場でそういうことっていうのは、
よく考える場面があったりしたからさ、
思ったりね、したんだよね。
ただまあ、
このいろんな与郎先生の話を聞いてて、
正直まとまりがね、
あんまりできてないんだよな。
21:01
あとね、すげえいいなと思ったのがあった。
忘れちゃったな。
いずれにしてもね、
与郎先生は面白いね。
ただ、なんかその数字がとかね、
結局血圧はとかさ、
昨日の話にもあるようなさ、
ああいうような話を与郎先生が知れたりしたんだけど、
今、与郎先生って88なんだよね。
で、がんになってたりしてね、
まあ今、抗がん剤の治療をしているような感じなんだって。
だから少しこう痩せた感じもあるし、
あのなんか白髪のさ、
毛量が多い感じもね、
ああちょっと薄くなったなっていう感じもあったりして、
まあ抗がん剤の影響があるのかなって思ったりしたんだけどね。
ただ、
まあ与郎先生本人も自覚しているとは思うんだけど、
ああいう抗がん剤でも何でもそうなんだけどさ、
結局出てきた数値によって、
抗がん剤を投与しましょうとかさ、
そういう判断をするわけでしょ。
でもそういう判断って、
ある意味与郎先生が一番嫌ってきたもので、
押し計られて治療をしているっていう、
この今の現状にどういう思いなんだろうなっていうね、
ことがあったりね、するんだよね。
だから、やっぱり言うても与郎先生も人で、
元気な時は、いや俺はいつ死んでもいいんだ、
太く短く生きたいんだとかさ、
いう人って多いんだけど、
でもあんまりそういう人たちはさ、
死に際になるとさ、
死にたくないって足掻いたり見たりとかね、
するっていうことがあるように、
まあ与郎先生も、
まあやっぱりなんだかんだ言ってね、
抗がん剤の効果があるしね、
もっと生きながらいたいっていう多分思いがあるし、
まあ周りのことを考えてとかね、
いろんなことがあって、
抗がん剤の治療ということに踏み、
あの、なんか、
決断をしたとは思うんだけど、
でもああいうその、
がんになる前のいろんな与郎先生の話を聞いている中でさ、
割とこの人はがんとか、
もう命が短いっていう病気になった時は、
なんかシンプルにその死を受け入れていくんだろうな、
と思ってたの。
一番やっぱり、
自然をさ、
一番大事にしているのは、
自然からいろんなお死をね、
その感じていたりする人だからさ、
その死というものも自然の一部だとするのであれば、
なんか、
ああいうね、
西洋医学のようなね、
ものを取り入れて治療をして、
延命するっていうことは、
俺はないのかなって思ってたりしたのね。
ただ、
まあ今ああいうふうにね、
交換剤の治療をしてるっていうのを聞くと、
24:01
まあやっぱり人なんだなっていうふうにね、
まあ思ったりしたんでね。
まあそれが良いとか悪いとかっていうことじゃなくて、
やっぱり人はさ、
本当に死というものに直面した時って、
それまでのやっぱり考えとね、
変わるんだよね。
それを、
まあ今回いろいろ聞いた与郎先生の話の中でも、
まあそういうようなね、
話をしてたりしたからさ、
まあなんかこう、
腑に落ちるようなものがあったりしたんだよね。
だから俺も、
いやあ、
男一人で別に、
ねえ、
生き倒れてもいいわとか、
まあああいうがんになったらがんになってて、
あの延命治療とか交換剤治療しないで、
受け入れて、
あの、
死を待つわみたいなさ、
そういう思いがあるんだけど、
ただ現実的に自分が、
じゃあ余命半年です、
一年ですって言われた時に、
どういう風に自分自身の考えが、
変わるのかなっていう、
その弱さはね、
あるなあって、
まあ受け入れるのかっていう、
なったりするなあって、
思ったりしたの。
まあちょっと最近の、
与郎先生のチャンネルで上がってるものは、
しばらく、
もう見てなかったりしたからさ、
見てみると、
ああやっぱりすげえ面白いなあっていう。
あとね、
思ったのが、
与郎先生のああいう話を聞いていると、
まあだいたい10分、
まあ20分くらいか、
の動画というか、
まあ音声だけになっているんだよね。
でもその20分の中にはさ、
ものすごい俺にとっては、
濃密なものが詰め込まれていて、
新たな気づきがね、
新たな血をもたらしてくれるんだよ、
毎回。
で、
そうした時にさ、
俺本が本当に嫌いなんだよ。
読まないんだよね。
読まないというか読めないんだよね。
で、
特にああいう実用書みたいなものって、
じゃあ例えば、
なんかメンタルがどうしたとか、
仕事でどうしたとか、
いろんな、
わけのわからない実用書というか、
心が病んだ時にはとかさ、
いろいろあるじゃん。
ああいう本って、
例えば、
まあ100ページあったりしたら、
本当にその本の中で、
実があるというのかな、
実がある話って、
1ページもあるかないかなんだよね。
大してないんだよ。
本当にいいことを書いている、
いいことを伝えたいっていうのは。
でもそういうものをさ、
1しかないものを、
ああいう編集者が、
100人さ、
アメリカンコーヒーのように薄めて薄めて、
まあかろうじてアメリカンコーヒーであればね、
まだいいんだけども、
ああいう実用書で多いのって、
もう薄めすぎちゃって、
27:00
ただの茶色い酔いじゃねえかみたいな、
そういう本がすごい多いんだよね。
だから、
なんか、
社会人になり始めの頃って、
すげえああいう実用書に頼るみたいなさ、
言葉っていろいろ読んでたりしたの。
でもある時から、
こんなもんクソの役にも立たれるんだなと思ってね、
それからも一切読まないっていうね、
風にはなったんだけど、
まあ小説とかああいうものは違うんだけども、
こといろんなその実用的なものとかさ、
まあ筋肉をどうしたとか精神をどうしたとかさ、
ああいう本ってあるじゃん、
あとインフルエンサーが書いてるような本って、
ああいう本って、
結局はさ、
本当に身になるようなものっていうのは、
1ページもあるかないかなんだよね。
だったら、
そういうものを解説している人のね、
まあ動画であるとか書評であるとか、
もうそれを読めばいいやっていうものになるし、
まあ多分今回いろいろ、
陽道先生が話していたようなものって、
まあすでに本になっているかどうかわかんないけど、
もう何十冊ものね、
あの話で本ができるなって思うぐらいだからさ、
でも動画で見てると、
まあ俺二倍速で見るから、
20分だったら10分ぐらいで見れるわけだよね。
だったら、
そのほうがもう圧倒的に早いしね、
頭に入ってくるしね。
だからまあ俺はそういうなんかものがあるから、
あんまり本が好きじゃないんだなっていう、
小説とかはまたもちろん違うんだけど、
まあ単純にダメなんだよね。
小説とかでもいろんな名前が出てくるじゃん。
で、俺の身の回りにいる人たちの名前であればいいんだよ。
例えばじゃあ、
ヨミコとかさ、
タカオとかさ、
シゲオとかさ、
そういう名前であればいいんだけど、
もうわけのわかんない、
読み方すらわけのわかんないような名前でね、
書かれた日にはさ、
もう誰が誰だかわかんないから、
読んでてまた戻って、
ああこの人がとかね、
そういう読み方がもうなんかめんどくさいんだよね。
だからね、なかなか俺はダメなんだよな。
本当に本がね、
読めないんだよね。
まあそういうその、
本で身につけるような知識というものは、
まあ俺はYouTubeの登場によってね、
めちゃくちゃ測るようになったなっていう、
ものがね、ありますね。
あ、あった。
養老先生のね、言葉。
人の心がわかるという、
その教養をね、身につけないとダメなんだっていう、
その養老先生の、
また養老先生に教えた先生というのかな、
先輩というのかな、
30:01
その人の言葉らしいんだけども、
人の心がわかるという、
人の心がわかるという、
人の心がわかることを教養というだ。
この言葉もさ、
いやちょっと痺れたね。
人の心がわかることを教養なんだよ。
だから、
まあ毎度毎度言うんだけどもさ、
中学時代のさ、
やんちゃな奴だって教養がないんだよ。
俺も今まで教養がないから、
なんか青春ドラマにあるようなさ、
友達の心がわかるとかね、
大人の気持ちがわかるとかさ、
そういうものがまあないんだよね。
自分たちの好き放題にやらかしてたりするわけだからさ、
だからある意味それは教養がないから、
そうなってしまったということでも、
まああったのかなっていうね、
今日この言葉を聞いて思ったりしたんだよね。
まあただ全てにおいて教養があればね、
その人の心が理解できるというのは、
俺はおごりかなとは思うんだけども、
ただないよりは絶対にあった方がいいよなとは思うんだよね。
だからなんかさ、
人の心がわかるっていうのはさ、
ヤンキーの間ではさ、
拳で語るみたいなものがあるんでしょ。
まあああいうこともあるからさ、
必ずしも教養だけあればね、
人の心がわかるんだよっていうのは、
それはまたちょっと俺は違うんじゃないかなとは思うんだね。
ただこの人の心がわかることを教養というこの教えというのかな、
これはなんかね、
今日一番刺さったね。
刺さったと言いながら忘れてしまっているっていうね。
あとね、
まあ養老先生もそうなんだけども、
まあいろんなデータであるとか、
まあ昔のね、
古文とか古典の中からいろんな言葉とかさ、
ああいうものを引用するんだよね。
ああいうその、
学者であるとか本をすごい読んでる人って、
すごい引用するでしょ。
芸っては何々、
芸ってはこういう風に言っていましたみたいな。
ああいうさ、
誰々が言っていましたとか、
こう書いていますっていうね。
風な言葉に、
インテリ好きのさ、
女の子は騙されちゃうんだよ。
この人ってなんかすごい知的で、
いいわみたいなさ、
ものになるんだよね。
で、
俺はそれがさ、
もう全くできないの。
要は暗記力がみじんもないから。
鳩の脳だから。
だから俺多分話しているのをね、
こう日々聞いていただいているとわかるように、
俺引用ってほとんどしないんだよね。
33:01
しないというかできないんだよね。
要は知らないというか、
まあ読んだり触れたり見たりっていうのはあるけど、
覚えていないからさ。
結局自分がこう体験したり体感したものとか、
感じたものぐらいしか話せないからさ。
そこはね、
やっぱり俺はああいう人たちを見てね、
なんかかっこいいというか、
なんかちょっとね、
嫉妬にも似た憧れがあるんだよね。
で、
まあ誰々が言っていたようにと言われるとさ、
その話にすごい説得力とか、
まあ増すわけじゃん。
わけがわかんない。
俺がさ、
いや、
あの、
血圧っていうのはね、
話したところでさ、
お前は何屋なんだよっていうさ、
話になるわけだからさ。
でもこういうその養老先生が言っていたようにとはっていうと、
まあそうか、
養老先生が言うんだなっていうことに、
まあ大体はなるでしょ。
そうなると、
要はもう適当な名前とかね、
言ってたりしたら、
あの、
なんかそれっぽく聞こえるんじゃないかなって、
人は思ったの。
あの、
超ヤガノリンプンというものは、
人生そのものである。
これはフランスの学者、
ヒューリッティ・マルチェロフが言っていた言葉をね、
引用しました。
マルチェロフって言うとちょっとロシアっぽいから、
まあそんな感じでさ、
適当な名前を言っていればさ、
あ、それっぽく聞こえるなと思って、
なんか、
どうかね、
まあ飲み屋はいかないけどさ、
そういう時に使えるなって、
言うとね、
思ったの。
あの、
日本人の名前でもいいんだよ。
日本人の名前でもさ、
よくてさ、
いやー、
朝日というものが夜の終わりを告げる、
つまりは夜である。
朝日は夜であるっていうね、
ことを作家の宮本カムリが言っていたとかさ、
書いていたとかさ、
言えば、
まあ何と話にそういう感じになるじゃん。
誰々が言っていたとかね、
誰々が書いていたとかね、
そういうものって、
発表できたりするなって思うんだよね。
思う一方で、
俺さ、
引用するやつって、
嫌いなんだよ。
ぶっちゃけて言うと、
てめえの意見じゃねえじゃん。
てめえの考えじゃねえじゃん。
結局、
誰かの意見をこう持ってきてさ、
いやさも自分のね、
言いたいことのように話している感じって、
いやなんか、
で、
お前はどうなのっていうところはね、
36:00
俺はあるんだよ、
割と。
うーん。
まあその、
その裏には、
俺がそれがまったくできないからっていうね、
まあ嫉妬だよ。
ほとんどにおいて、
嫉妬しかないんだけどね。
引用系っていうのはね、
なかなかに、
まあその人をね、
信じさせるとかさ、
そういう場面においては、
ものすごく使える、
まあある種のテクニックだと思うんだよね。
なんか別に、
生きていく中でさ、
例えばね、
日の起こし方っていうのをさ、
いやこれが養老先生がね、
こういう風に教えていたんだよっていうよりもさ、
別に目の前でシャーってやって、
日を起こせばさ、
それで伝わるわけじゃん。
だから見せればいいだけじゃんみたいなね、
ところがあるし、
なんか、
誰々が言ってるからって、
ねえ、
信憑性や信用度を高めるようなものっていうのはさ、
いや本当にその、
様々なものの伝え方って、
必要なのかとかさ、
思うよね。
だからああいう引用とか、
するっていうのは、
うーん、
なんていうんだろうな。
ある意味自分がないとも言えるかもしれないよね。
だって、
例えばね、
じゃあ、
Aちゃんいるじゃん。
Aちゃんって、
引用、
Aちゃんがなんか引用してるのって、
俺あんまり聞いたことないもん。
Aちゃんがさ、
いやあのダサいからやられるみたいなさ、
話とか、
聞いたことないもん。
だからああいうものを見るとさ、
やっぱりAちゃんもう、
かっこたる自分というものがあってさ、
自信があってさ、
自信がなかったとしても矢沢演じているっていうね、
演じきっているっていうさ、
ものがあるから、
関係ないんだよね。
他人がどうやってきた、
どう言ってきたっていうのは、
関係ない。
それはもうかっこたる矢沢力士というさ、
キャラクターというね、
ものがあるから、
引用する必要がないんだよね。
でも、
いろんな学者とか、
ちょっと頭いい風な人たちっていうのは、
引用多用するっていうのはさ、
結局手目がないんじゃないかっていうね、
感じがするね。
ということで、
ちょっとね、
またまとまりがいつの間にないんだけどな、
今日はちょっといろいろ感じるようなね、
ものが多すぎてバーって、
とりあえず今日ね、
思いついたことを話というか、
こういう風に残してみました。
すいません。
お聞き苦しくてごめんなさい。
ということで、
今日はこの辺でお休みなさい。