3ヶ月チャレンジ通信の改変
おはようございます。3ヶ月チャレンジ通信、第1258回をお送りします。
10月3日金曜日8時11分です。 えーっと、今日初めて聞いたという方を除いては、あっさり解題したということが、タイトル変えましたってことですね。
あのー、すぐに笑われていると思うんですが、
多分、まあこれも笑われると思いますけど、これが最後の解題になるんじゃないかと、3チャレ通信という名前にします。
で、これが終わる時はつまり3チャレが終わる時であり、3チャレが終わるということは私は死んでる時じゃないかというふうに、
そこまでは言わなくてもですね、仕事はできなくなっている時なんじゃないかなと思うようになって、このタイトルにしてみました。
だから結構重大な改変であり、私としては、これは私としてはっていう意味でしかないんですけど、最後の仕事にしたいですね、3ヶ月チャレンジはですね。
これを辞めるということは、自分はもう仕事をしなくていい時なのではないだろうかと、ということは私はなんかわかんないんですけど、
資産化になれる感覚が、昔あったんですよ。30代の後半ぐらいは、これもしかして資産化になって、
アーリーリタイヤとは言わないまでも、リタイヤってできるんじゃないかと思ってたんですけど、最近無理なんじゃねえかなって思うようになったんですね。
そう思うようになっている時の方が幸せなんですけど、とにかく無理なんじゃないかなと思ったということは、一生働かなきゃならないなって思って、一生働かなきゃならない中でやるとすると、
これしかできないかなと思うんですね、今は私は。体が、つまり立って動けなくなってもできる仕事ってこのポッドキャストと3チャレかなみたいにね、
思っておりまして、本書くことだってやろうと思えばできるんだけど、そんな気力が湧くかなっていうふうに思うんですよ。
私本書くときは、できればなんですけど、できれば編集者さんに、今の時代ですと編集者さんに会いに行くとなると、もう出版社に行くしかないみたいな感じがありまして、
そんなことしなくてもいいんですけど、そうするとなるとですね、やっぱりできれば歩ける状態が望ましいと思うんですよね。
3チャレは最悪歩けなくてもできるなというものがありまして、歩けなくなってもやる仕事って言ったら私からするとモチベーション的にはこれしか考えにくいなというのがありまして、このタイトルにしてみたわけですね。
私は願わくばですけれども、願わくば、30年かける3。あと30年生きられますかね。生きられたとしてできますかね。
30年かける3か。まあいいや。つまりこのポッドキャスト1万回できたと仮にして、3チャレがその頃まで続けられているというのが私の一つの人生目標で、他のことはその頃になってくると多分何一つ考えられない気がするんですよね。
まあその需要がそれでもあればって話ですけどね。まあいいでしょう。そんなわけで買いたいし、これを最終タイトルとしたい。3チャレ通信。3チャレ通信私は最初メルマガで出そうと思ったんですけど、もはやメルマガを書きたいという気力が全くどこにもないなということがわかってきたんですね。
というのは最近、J松崎っていう人がっていうのは知らじらしすぎるので、J松崎さんがね、ノートでAIについてプログラマーとしてエンジニアとして書いてるわけですけど、あれを読んでですね、このよほどのことがない限り、手でっていうのはつまりAI抜きで文章を書くというのは今後全く違う意味を持つことになるだろうと思えてきたんですよ。
AIの影響と書道の対比
もうその瞬間は、その時間が来るまでにはあと1年は持たないだろうって感じを僕は完全に抱いたんです。間違ってるかもしれないですけど、でも私はそう思ったんです。ほぼ確信したんですね。ましてブロガーという商売がAI抜きで成り立つはずは今後ないなと思えたんですね。
私はこれからそれをやるとなってくるとちょっと頭の巡りが不十分だなと思えるんですよ。だから文章を書くということを完全に諦めないまでもですね、AIを使わずに文章を書く人というのは私ではないなと。
つまりこれは例えば今の時代も石に文字を刻む人っていると思うんですけど、石に文字を刻む人と、原稿に手で書く人と、筆で紙に書く人と、うちの父親を見ていると私は筆で紙に書く人には永遠になる気がしないんですよね。
あんなのとってもやってられませんよ。アホじゃねえかって思ってますからね。正直ね。どんなにあれがね価値がある有意義であるっていう伝統芸能的な意味で言われても私にはこれをやるような気持ちにはさらさらならんっていうのはずっとあるんですよ。
一番接近した時がグッドバイブスだったんですけど、どれほどグッドバイブスに理解しようとしても父のやってることは私は好きになれないっていうのがあるんですよね。忠実ってやつはね。ほんとね、あれほど家族に畑迷惑なものはないんですよね。
今も手狭な家の2階に挙げられ、1階はうちの兄弟に完全に占拠され、しかもその生活空間は日々狭められている中で、父はガンガンとしてね、ある部屋は囚人の部屋にして、この囚人の部屋ってのがね、皆さんが想像するかもしれないような風流なものでは全くないんですよね。
部屋一面が墨で埋め尽くされて、墨って悪臭を放ちますから、特に夏はね、あの埼玉のね、人部屋が40度を越すようなところにね、墨の部屋なんか作った日にはもうね、ゴミ屋敷ですよ、完全に。もう真っ黒ですからね、その部屋はね。
そこになんか1本100万円とかするわけわからない筆とかがね、あるわけですよ。それはさすがに綺麗になってんだけど、うちの親父みたいにだらしない人間でもそこは綺麗にするんだけど、もうその中でこう、まあ書くわけですよ。
大した、そんなにしてまで書いたって、若いすごい人っているんですよね、やっぱりね。抜かれていくんですよ、普通に当たり前のように。
なんかね、そこにね、ある種のナルシシズムが絶対的に必要になる世界なんだけども、ほんとあれはね、なんかこう、心を静かに落ち着けて5枚書くみたいな世界とは全く違うんですよね。
なんかもうほんと何枚書いてるんだろうなっていう、1年で1000枚単位で書いてますからね、書いてましたからね。それが50年以上続けられているわけで、1万円台の紙高いんですよ。
で、そんなことをやっていたって、あのいわゆる日本展覧会の、あんなの何人も受かるわけですから、何百人と受かるわけですから、に50年かけて1回しか受かってないという、それが全てみたいなね。
それで食っていけるわけじゃないですしね。
まあ食っていこうと思えば食っていけなくはないんだけど、結構カツカツになりますからね、生活とか。
僕の年収の10分の1ぐらいになっちゃうんですから、いやあれはとてもじゃないけど、僕はやりたいと思わないんですよ。
で、あの、という話が一方であるわけですよね。
で、AIが他方にあるわけ。
まあ衆生AIがやったってしょうがないんで、つまりそういうことなんですよね。
なんか心を落ち着けて名文とか、名文とかは書かないんで、文章は絶対他から。
ちなみにあれは作品になりやすいような文章を必ず探し出してきますから、漢字と平仮名も。
例えばあの、1日産みたいな、そういう画数の少ない漢字が入るのは絶対論外で、傑作に絶対なりませんから。
だからといって画数多ければいいってもんじゃないんで、文章を選んでれば選ぶんだけど、あくまでも字がかっこいい。
抵抗がつくような文章を選ぶんですよ。
全部そうなったんですよ。例外はないんですね。
ここに例外を設けても、それは作品としてはある種の人には絶対勝てないものになりますから、実にあれは難しいんですよ。
まあ、技芸の世界ですよね、完全にね。
で、私はまあいろんな意味で、AI使わないで自分の方が優れているものを書ける可能性があるのは、ここ1年以内までに限るなっていう感じがしますんで。
しかも私はAIを使い始めればですね、Jさんのような人にはどう見てもかなわない。
で、あれよりも理解が進んでいる人にはさらにかなわないわけですよね。
こう、一時的には文章というものがあれを上回れる、まだしばらくは。
あと8ヶ月ぐらいはあると思うんですけど、今後10ヶ月から20ヶ月の間には、それは通らなくなるだろうなって感じが。
しかも大概の場合それはAIで要約されて読まれますからね。
全くナンセンスだなと。
昔、星市っていう人がショートショートの中でまさにこういう世の中を描いてましたけど、まさにそういう世の中が来ましたねっていう。
さらにその先に行きますよねって。
星市さんが書いていたのだって、つまり人が一生懸命言葉を紡ぐことの意味は極めて低くなるかほぼなくなるっていう。
あれはでも小説家としては実に皮肉な小説だと思うんですけど、さすがに先行ってんなって。
あれを1980年代に書いてるわけですからね。
今よりもう40年から50年前の話ですもんね。
まあそういうわけで、その先行くなって感じがしますんで。
これはもうなんていうか少なくともサンチャレ通信をメルマガだけで書いてる場合じゃないなっていうのが一つありました。
だから彼の長い文章は大きいなと思う。
あれも当然AIに要約されて読まれるんですけどね、ほとんどの場面では。
しかしそれが今度は自動的に行われるようになるはずですからね。
さらにその自動的に行われたやつを何なら元に戻したという体で編集されたものを読むことになると僕は思うんで。
そうならない理由が一個もないと思うんですよ。
だって誤字がある方がいいとかそういう話になってきますからね、それを避けるってことはね。
誤字があったり読みにくい方が自分にとってはいいんですって話になりますから。
でもやっぱりどんな書道家でも滅多に石に向かって文字は彫らないように、はんこは彫るんですけどね。
石に向かって文字を彫るわけじゃなくなってるようにですね。
今後の活動と哲学
普通にテクノロジーというものは書く部分では圧勝しますから。
今時手紙筆で書かないじゃないですか。うちの父は書くんですけども。
あれはよっぽどやっぱりある種のナルシズムが必要なんですよ。
俺絶対上手い、誰より上手いみたいなね。
誰もそう言ってくれなくても明らかにどこかで信じているっていう部分がなければあんなことは絶対しないんで。
そういう風に酒に酔うと言いますからね。
私はそれをコンコンと聞いてきた口なんで。
まあね、そうや、その気持ちなければやれないですよねっていうのはあります。
で、まあそれは良しとしまして。
というわけで3ヶ月チャレンジ通信というふうにこれは切り替えて、
今後この活動はですね、なぜ3チャレを私はやっていくのかっていうのに
このポッドキャストはさらにもともとそうだった面は多分にありますが
集中していきたいなっていう。
だからといって喋る内容は多分あんまり変わらないっていうか
ほぼ何も変わらない可能性がたくさんあります。
まあ元々そういうものでしたとも言えなくはないです。
ただ意味がわかりにくくなりましたねタイトルからは。
あたっぱらから精神分析ならもうこいつは精神分析に
過度に入れ込んでいる頭の足りない人間だで済むんですけど
わかんないじゃないですか3チャレ通信となってくると
こいつは3チャレに過度に入れ込んでいる変な人間だぐらいな感じでしかないわけですよ。
だからその差は大きいと思うんですよね。
後者の方が意味不明じゃないですか前者よりも。
だからその分潜在的な読者層を逃すことになるんだけど
まあいいやとこれが今後3年の活動ならばダメなんだけど
今後30年の活動となってくるとまあいいやと思えるようになってきますね。
だって自分だってその時どうなっているかわかりませんからね。
はいというわけで3チャレ通信なんですが
これは単なる3チャレ通信というのは
ライフハックの限界
3チャレ通信というのは
はいというわけで3チャレ通信なんですが
これは単的に言うとこういうことです。
ライフハックというものには
ライフハックは限界に行き着くことになり
その限界に行き着くと発想を大幅に
もう事実上180度逆転させる必要が出てくるんですね。
でも私はライフハックからいった人間ですし
最初それを信じてやっていましたし
いまだにそれをある面信じてしまっているので
間違っているような気がするんだけど
間違っているというのはどういうことかというと
180度逆のことを同時にやる同じ人間がやるんで
この矛盾に、矛盾ですよね180度逆なんだから
ついて基本開き直ることに決めたというのが
このタイトルなんですね。
つまりライフハックと精神分析というのは
私は真逆の方向を向いていると思うんだけど
でもこの真逆の中にはですね
まあこれは遠和田海人さんとかが
ある意味ものすごく頑張っている部分が
ここなんですよね。
要は人生とか世の中って
ベターなものになるのかっていう究極的に
ライフハックはなるっていう信念のもとを
やるものじゃないですか。ライフハックするんだから。
それによって何かが良くならなかったら
ライフハックって意味ないじゃないですか。
ライフハックってのは自らを合理的だという風に
辞任しているんですよ。大変そこが微妙になって
つぼとか水を売るのとちゃうんやろうなっていうのが
出てくるんですけど、あのカウンセリングとは何かでね
つぼとか水を売るのとちゃうんだぞっていうのを
ライフハックも言いたがるわけですよ。
僕はこのつぼとか水を売るのは非合理で
ライフハックとかは合理的で
カウンセリングも科学的で合理的だっていうこの言説は
実はかなりナンセンスなものを含んでいるという風に
あの本一冊読んで
環境の変化とその効果
もうある意味僕の中では
そんなことが言えるとは思えなくなった。
むしろあの本読んで
あの本読むとそういう風に思ってはいけないはずなんだけど
私あの本読んでカウンセリングは科学的だが
水やつぼを売るのは非科学的だっていうのは
すごくインチキなことを含んでいる
って思うようになった。別に私は
東肌さんに批判的なつもりはこれではないんですよ。
あれを東肌さんがまとめてくれなければ
私はここまでクリアにこうは感じなかったと思うんで
やっぱり仕事に仕事をやってもらうって
そういうことだと思うんですよね。
代わりに僕では考えられないことを考えてくれることで
私のある意味目が開かれると
つまり目が開かれるってことは
頭が濁ってたってことなんで
だから濁っているわけですが
私の頭なんてほとんどいつも濁ってますけれども
よりクリアな感じを抱かせてもらうと
あ、つぼを売ることと
ライフハックは分けられないんだってことに
気付くことになるわけですね。
環境を良くするっていう
あの中では出てくるんですよ。環境とか世界を良くする。
そうですよね。一応ライフハックというものはね。
環境をいじることで
例えばやる気が出ない人に
これ心の話してますよね。やる気が出ない人に
意思力で何とかするのはよろしくない。ナンセンスだと。
環境をいじるんですよっていう話をするわけですよ。
夢を叶える像ではテレビを見ちゃう。ついだらだらテレビを見ちゃう。
だったらテレビのコンセントに行くんだよとかね。
あるいはテレビそのものを売っ払っちゃえばいいんだよ。
これ環境を変えることで自体はベターになると言っているわけですよね。
しかしここで問い合わせを立てるべきなんですよね。本当は。
テレビを見ないっていうのは本当にいいことなのかってことなんですよ。
テレビを見ずに
自己啓発を頑張ってベンチプレスを上げて
筋肉をつけて朝早く出社して
朝活動してね。そういうのが
そうして仕事しすぎて鬱になりました。
これはいいことだったんですかって。
その間ずっとだらだらとテレビを見ていれば鬱にならずに
済んだんじゃないのっていう問いを僕は排除できないなって思うんですよ。
どうやっても絶対無理だって思うんですよね。
だってそういう話はあるから現実に。
現実にあった以上いやそれは排除できたんですよとかって
後から言うのはナンセンスだと思うんですね。
だからライフハックっていうのは
確かに環境に手を入れるんです。
環境に手を入れるっていうのは間違いないんだけど
だから良くなるっていうのが科学的でも何でもない。
ただの思い込みだと思うんですよ。
科学は何のほうが何よりもベターですっていうのを
規定できないから科学のはずなんで
規定できますっていうのはもう全然非科学的だと思うんですよ。
合理的っていう言葉がここに出てくるんですよね。
合理的と科学的をだいたい並列に置くっていうのは
良くないと思うんだけど合理的っていうのは
理論的に言うと
合理主義と科学の再考
理性的な気がするとか
ロジックで説明できるだけであって
科学的ってこととは違うと思うんですよね。
科学的だとか合理的だとか言ったとしても
ここにも嘘があると思うんですね。
なんでかっていうと
科学的ではなくても合理的でしょうって言うかもしれませんけれども
合理的かそれと。
大々においてライフハックっていうのは
うさんくさいって言われるんですよ。
仕事が生産効率高くなったって
社畜になるだけじゃんって言われることは多々あるわけですよね。
早く仕事をしたって
会社で今までは残業してやっとこれだけしかできませんでした。
でもライフハックをして
そんな風にならないけど
ライフハックをして20%マシになりましたと。
そしたら仕事が20%増量されました。給料は変わりません。
それ合理的なんですかっていう。
むしろ不合理なんじゃないのって言われるわけですよね。
一般界隈の人にもしょっちゅう出てくる議論ですよ。
現実にこういうことはいくらでも起こります。
はっきり言えばライフハックなんかしなくたって起こりますよね。
AIも同じじゃないですか。
AIで今まで標組みで
これはもう本当にピボットテーブルとか完全にそうなんで
これまで2時間かけて作っていた図表が
2秒でできるようになりました。2秒は極端かもしれないけど
でもプロンプトを打つだけでその間
AIが例えば1分かけてたとしても
プロンプトする必要ないんで
事実上10秒ですよね。自分がやることはプロンプト書くだけだったりしますよね。
少なくとも2時間絶対かかんなくなります。
私実際これはやってますからね。別に普通に。
他の人に見せるためとか関係なく。
で、パワーポイントとかもそうですよ。
今まで僕だったらデザインとか絶対にできなかったであろう
まともっぽいデザインに2秒でしてくれますからね。
本当に。全部わーっとアウトラインただ書いといて
それをただひたすらベタに打って
いったやつをあとはいい感じにしておいてくれって
プロンプト打ったらいい感じにしておいてくれますからね。
本当に。なんてことないですよね。
これによって何か便利になったように思うかもしれないけど
みんながそれをやるわけですから
結局のところその仕事がただ10倍になるだけだったりするじゃないですか。
収益増えてなかったりするわけじゃないですか。
ここで何が出てくるかっていうと
生産効率ではなくて
収益的な効率を言ってくるはずなんですよね。
多くやるんだったら
お金より多く儲けなきゃダメだと。
この話が科学的だっていうのが僕は信じられない。
これはお金儲け的ですよね。科学的なんじゃなくて。
だから合理的って言われてるものはただ
金がよく儲かるってことだと思うんですよ。
それでいいじゃんってことになるはずなんですよね。
金が儲かれば幸せになれるんだから。
これは無限に否定できないですよね。
ほとんどトイレが
お家に住んでいて
1日2食しか食べられなくてっていうよりも
なんかよくわかんないけど
銀座の美味しいところのレストランで食べられて
とても清潔な家に住んでるほうがいいに決まってます。
決まってないと僕は思うんだが
決まってますと言われればそういうことになるんで
科学的でもないし合理的でもなくても
お金儲けには役に立ちますっていうことになるとしますよね。
それがベターなことなんです。
マネーハックっていう本があったり
マネーハック2.0みたいな本がこのタイトルは多分ないと思うんだけど
あったりしますよね。
お金の教科書みたいな本が木の国はベストセラーみたいなところに
わーっと並ぶわけですよ。
だからこういうことが現実に進行していくわけですよね。
何ら不思議なことはないですよ。
確かにその通りだと思うんです。
ただやっぱりこれは引っかかるのは
そもそももうすでにそれはライフハックじゃないだろうって思うんですよね。
電車の釣りカー広告とかで
あっという間に80万部突破みたいになってるところに
昔の話ですよ。昔の話ですけど
今だって同じようなイクラありますけど
長財布を使うとお金が儲かるみたいな本が
あったりするわけですよね。
あれはスキャンダル系の週刊誌の後ろの方の広告にもよく出てますけれども
男性なんとかを取り戻すっていうのの
横に載ってたりしますけどね。
そういう長財布の話があるわけですよね。
で、その長財布はそれ自体で
その財布を持ってお金が儲かるかどうか大変疑わしいとしても
その本を書いた人は間違いなく儲かってますよね。
これは合理的なんでしょうね。
でも合理的っていうのはつまり
結果お金が儲かるという以上のことは
特に言ってない気がするんですよ。この場合は。
で、そういう風になってみた時に
お金が何よりいいじゃんっていう理屈を
持ち出せられるのはほんとおかしな話であって
で、まあそれを受け入れたと仮にしましてもですね
もはやそれはライフハックというのとは違うような気が
私はするんだけれども
確かにそれは、なんていうのかな
壺の力とか水の力によって
何かを引き起こしているわけではないんですよね。
金の力によって何かを引き起こそうと結局はしているわけです。
で、金というのはそもそもどうして
人間を幸せにすると思われているかというと
それはさっき言ったような銀座のおいしいケーキとか
ピカピカのトイレとかですよ。つまり物ですよね。
だからこれは突き詰めて言うと
合理主義とか科学的って言われているものは
多くの場合人間生活の役に立つというのがですね
物が人を幸せにすると言っているんですよ。
精神分析と幸福
ここで僕は
ライフハックから180度逆転をするんですよね。
私は精神分析というものを
いきなり導入したくなっているわけですよ。
だからこの番組も直前に
1年まではあさっぱらかな精神分析だったわけですよ。
なんで精神分析かというと
精神分析は物では人は幸せになれないということを
歌っているように、歌ってはいないんだけれども
その価値観の究極要因に置かれていると思うんですよね。
なぜならば人と関わらなければ人は不幸だ
というその概念を持っているから。
だって精神分析は一人ではできないことになっているわけですからね。
一人でできない以上は人と関わらなければならない
ということを間違いなく言っちゃっているわけじゃないですか。
一人きりになることによって
その人は物に囲まれるしかなくなる。
一人きりになって物にも囲まれないというのは
一人きりで無人島で過ごすということになるので
ほとんどの場合、人は生きていくのが
ほぼ困難か不可能になっていきますので
人に関わらずに住むとしても物には関わらないようにいかないんですよ。
物が人を幸せにするという話をしたときに
しばしばいろんな話が出てきてしまうわけですけれども
でも我々はかなりの部分そっちに寄せているんですよね。
物が人を幸せにするという考え方に
のっとっているんですよ。
この合理的な路線というものはね。
物が人を幸せにするんだから
お金が必要なわけですし
それが合理的なわけなんだけれども
めんどくさくないですしね。
めんどくさくないし物が人を幸せにするんだから
いいんだけれども
私は物で幸せにはなれなかった口なんですよ。
つまりそういうことなんですよね。
これ以前の私がもっとはるかに若かった頃は
これは共産主義みたいな話と絡むんですよ。
優仏思想だから。物思想ですからね。
だからそんなこと言ってるけど物じゃん
ということはつまり金じゃんって思ってたんだけれども
何しろ物で幸せにならないというケースが
あまりにも目につくのと
物で幸せになれてないということと
自分が娘を持ったときに
この子の幸せ度みたいなものを測れませんが
仮にグラフにしてみたとき
この子の物に囲まれているのはほぼ一定だなと
でも幸せ度は変わるんだなと
それも結構波を打つぐらいに変わるわけですよね。
でもやっぱり究極因は自分自身ですね。
自分自身が物では全然幸せになれていないということ。
物と治療の関係
例えばですね
この子は有名皮膚炎にかかっていたわけで
それがピークに達したのが
ありとあらゆる物的に治す。そうしますよね普通は。
例えば薬。薬は物ですよね。
薬肌に塗るっていうのが一番常識的なやり方じゃないですか。
科学的かつ合理的かつ現代的じゃないですか。
壺買って皮膚治すとかよりも
はるかにマシなやり方とみなされるじゃないですか。
で最大の問題はそれは科学的かもしれないが
治ってないってことなんですよね。
治ってない方が重大な問題なわけですよ。
だって治んないのに正しいやり方もへったくれもないじゃないですか。
しかも僕の場合悪化してるんで。
温泉に入るっていうのも私の性格をよくよく表してるわけですよ。
温泉っていうのは物ですからね。
水ですからね。まあお湯だけど。
お湯が肌に当たるんだから良くなりそうなもんじゃないですか。
でそれによって少しも良くならなくなっていくっていうのが問題だったわけですよ。
それまで良くなってたのに。
物が私を幸せにしてくれないというのが
ここのミソなわけですよね。
で、でですよ。
これがつまり
戸畑海人さんがののいしゃあわらうで沖縄で
研究したときの話なんですけど
つまりシャーマンとかによって治ってしまう人が出てくるわけですよね。
治るか治らないか超重要になってしまうんじゃないですか。
だから医療の世界で一番実はこの
物で人が幸せになるかどうかっていうのが
深刻に語られることになるわけですよ。
絶対的に科学的な方法を信じたい人は
結局は物で治したいわけですよ。どうやったって。
脳に注射するんでもいいんだけど
脳にレーザー当てるんでもいいんだけど
とにかく物にしたいわけですよ。究極因子を。
それでほとんどのことはっていう話をしてるんだけど
それにしては日常生活に直結している部分に
手が当てられてないんですよ。
ただ信じてるだけになるんですよね。
よく山崎孝明さんとかがおっしゃるような
社会を良くしたり環境を良くしたりせずに
コミュニケーションだけで
事態を切り抜けようとすると
差別構造に加担するみたいな話あるじゃないですか。
それを言うなら一方で
例えば私の皮膚炎がそうでしたけど
私の兄弟もそうですけれども
あのようなものを物でしか治すべきではないんだと
やはり物で治すべきなんだと言いつつ
治せないものは放置するというのはどうなんだって
感じがするんですよね。
それは良いのだろうかって感じがするわけですよ。
治らないものがただ放置されているだけなのに
タスクシュートと矛盾
結局私はそうだったし
私は日本でおそらく最高峰の大学病院に行って
この病気は全く良くならなかったけど
薬の量はどんどん増えるっていう状況が
引き受けましたからね。その状況を一時
治しても良くならなかったというか
ほぼ悪化したんですよ。悪化の意図を辿ってたわけですよね。
そうすると薬が最強レベルになっちゃうわけですよ。
今思うとよくあんなものを体中に塗りたくっていて
大丈夫だったよなって思うんですけど
これがまさに物の世界ですよね。
これって結局は信じてるって話じゃないですか。
これ以上良い方法はこの世にないんだと
信じてるってことですよね。
その大学病院の人々としてはですよ。
だったら相当なもんですよね。
だってお金は相当かかってるわけですから
あの時代はまだ保険相当効いてましたけど
それを言ったってお金がかかってないってことじゃないですからね。
かかってはいたわけですから。膨大な金がかけてやってるわけですよ。
肌は悪化の意図を辿ってるんだけど
その薬をどんどん強くしていくっていう作戦なわけですよね。
今私の兄弟に提案されてるのは
うちの兄弟がガンとして認めないから
信仰してないんですけど、同じですよ。
薬の量を2倍にしましょう。強さも今よりも2倍ぐらい強い薬にしましょう。
強度4倍じゃないですか。その薬飲ませろっていうわけじゃないですよね。
それ以外に良い方法はないんだと。そういう話をされてるわけですよ。
で、この一点張りですもん。やっぱり私が
6回通っても院長先生とお話しても
結局はここに行き着く。つまり彼はそれを信じてるわけですよ。
で、私の兄弟はそれを信じてない。だから薬は一切飲まないという
それも極端というかすごい方法なんだ。方法ではないな。
信じてないわけですよね。結局これは信じるか信じないかの話になってるわけですよ。
ただ私は彼女がもので幸せになれるとはとても思えない。
彼女は今最終的にはお金に行き着いていて
またそれもすごい不思議なんですけど、お金に行き着いていて
私を救ってくれるのは金だけだみたいになってるんですけど
これ対人不信をよくよく表しているとは思うんですけれども
私はそれに対して何も言うことができていないんですけどね。
で、矛盾があるわけですよ。ここには。
一方で私はライフハックだから、そのライフハックの究極因として
タスクシュートを持ってきてるから、物の世界、合理性ってもので
より多くの時間により多くの物を扱える。
より多くでなくてもより適切に物を扱うことが
その人の幸せを担保するみたいな考えで推してきてるんだけど
そこにはやっぱり心に行き当たるっていう風に
戸惑いさんが書いていたんだけど、要は限界に行き着くのですね。
で、なんで限界に行き着くのかというと
ついさっき読んでた、久しぶりに読み直して
非常によくわかるんで不思議だなって自分でも思ったんですけど
つまりよくわからなかったわけですよ。
鈴木智美さんのパーソナリティ障害の精神分析提供アプローチの
冒頭の方に収められている鈴木智美さんの
事例紹介ですね。
ちょっとね、タイトルを読んでみますね。
ねじれた愛情欲求、万能的な充足願望と満たされなさえの不耐性。
まあ実に論文的なタイトルで論文だと思うんだけど
鈴木智美さんのやつで、もうタイトル読んだだけで
一発で十分わかるなって思うのが不思議なんですよね。
全然わかりやすくないんですけど、これよりわかりやすくは書けないなっていう感じがするぐらい
よくわかる。もうここで展開されるであろうことは
十分想像がつくっていう感じが今はするんですよね。
これがさっぱりわからなかったんですけどね。
これもまた実に不思議な気がするんだけど。
で、この、まあ何でもいいんですけど
このタイトルとこの本のザッと
ザッと読めるようになったっていうのはすでに不思議ですけど
読んでみて、つまりここには
このねじれた愛情欲求の臨床例は
すごい面白いっていうか
今言ったような矛盾がグッと詰まってるわけですよ。
この人は来ている人はPTAの役員もしていて
お子さん育てていて、何なら仕事もしていて
何にも問題ないように見えるわけですよ。
でもこの人は鈴木智美さんのところに来てですね
もうひたすらリストカットを繰り返していて
部屋中血染めにしてみたいなそういう話が
延々と展開されているんですね。
だから僕はこういうのを読んでですね
怪我が先、セラピーは後って
戸端さんは書かれてましたけど
分かんないくないかなって思うんですよね。
それは戸端さんには分かるでしょう。
話を聞けば特にですよね。
だけど世の中に見ている人からすると
その人が手首を血染めにしているかどうかなんて分かんないし
PTAの役員やってるんですから
そして育児もしている、仕事もしている
どうやっているんだって感じがしないではないけれども
つまり表面的には何も問題ない人がそこにいて
夫は単身不妊で遠くに行っている
聞いても全然不思議な部分がないわけですよね。
ちゃんとしている以上でおしまいですよね。
何がいけないのかそれはと。
で、ここでですよ
それでも育児やってPTAやって
仕事もしていたら大変だから
タスクシュート使いましょうっていう
その話にいかにこう
なんというかこう
まあ全然、全然接して
その人の現実と関係ないことを言っちゃってるよね
という話なんですね。
そりゃ時短になれば少し楽になるところはあるのかもしれないし
鈴木智美さんの事例
睡眠時間が余計取れるのかもしれないけど
この方のリストカットとそれとは何の関係もないわけですよ。
この方のリストカットは
鈴木智美さんのこの週4回ですからね
週4回完全に精神分析ですよね。
なぜその人が週に4回も
鈴木さんにお話をしていかなければならなかったのかというと
ねじれ対情欲求ってものがあって
先生はそうやって喋っているだけで
あるいはほとんど喋りもしない
喋ってはくれると思うんですけどね
話を聞いているだけで何もしてくれないと
先生には簡単にできることなのに
その簡単にできることというのが
なんだかが誰にも分かってないんですけど
簡単にできることもせずに
そんなに人を恨んだことはないっていう恨みを
この鈴木さんにぶつけていくわけですよ
でも臨床というのはこういう話ばっかりなんですよ
もっと愛情を示せなのか
時間外でも私に会えなのか
それは分かりませんが
構造ってものを作りますからね
精神分析は週に4回会うんだし
これ以上会うことはできませんと
会うことが時間が取れなくてできないって話じゃないんですよ
それだったら取って会うことができる可能性は高いと思うんだけど
会うことができませんと言うっていうことは
これ以上自分にできることはないですって言っちゃうわけですよね
これが気に入らないわけですよね
このクライアントさんにしてみれば
私のために何でもしてくれるべきでしょう
カウンセラーなんだから
これは要するに無償の愛を提供しろっていう話をしているわけですよね
つまり無償の愛を提供された覚えがないぞっていう話をされているわけですよ
この話とタスクシュートって
何の関係もないじゃないですか
無償の愛を提供されるための時間の使い方とかってないじゃないですか
そういうものは
無償の愛を提供されない幼少期を送ってきたから
それはとても辛すぎるから
そういう辛かった記憶を何とかするための時間の使い方とか
そういうものはないじゃないですか
あるっていう話を無理やりする
ライフハックも昔なかったわけじゃないんですけど
あれはやっぱり大変良くなかったと私は思うんですね
見てただけだけど
見てたものをディスるのもどうかと思うんですけど
やっぱりこれの代替を出せもしないのに
何かこうね
愛情たっぷりの香りがするミントガムを噛むとか
そういうようなことを言うのだってダメだって感じがやっぱりするんですよね
いくら何て言うんですかね
苦し紛れって言ったって
やっぱりですね
言っていいこと
まあ難しいですねそこら辺になってくるとね
でも私はこれは精神分析じゃなきゃ対応できないなって思うんですよね
だから私はタスクシュート
ライフハックが限界に突き当たったら
そこからさらに環境をどうにかしようとするとか
マネジメントしようとするというよりは
やっぱりこの話に直接ダイレクトに真っ直ぐ行くしかないんじゃないんだろうか
それがこうそうするかどうかは
とりあえず一旦別とするにしても
ここを何とかしましょうっていう
テクニックではないんですけど
考え方や発想がある以上は
何とかする努力っていうのをするならば
私はこれしかないと思いますね
だからもうここは開き直ることにしたんですよ
いうことが突然180度逆転するかもしれないですけれども
そしてそれをやっていいのかどうかって話もあるにせよですね
そこら辺のことは
30年私が今後やってみて
どこかで強引にブレーキをかけられて
無理やり止められたときはしゃーないけれども
そういうことを絶対やっちゃダメです
もう剥奪しますとか言うんなら
私は何も思ってないから剥奪もされないはずなんだけど
もうそれならしゃーないですけれども
そうでないならば
このままもう何かサイドブレーキ引いたまま
強引に突き進む車みたいに何でも構わないから
このまま行ってしまおうと思うようになった
そのきっかけに
戸畑海斗さんのカウンセリングとは何かがあるわけですね
だからこれだけの力を人に与えるところが
あの本にはあったんだなっていうふうに
今は思うんですよ
読んでみてですね
さっきの話もう少し言いますと
鈴木さんの事例で非常に重要なのは
さらっと世の中では聞かれてしまう
ライフカッターの事例を読んでみると
この鈴木さんの事例は
さらっと世の中では聞かれてしまう
ライフハックの人もそこに誰も注意を払わない
夫が単身不妊だ
なぜ単身不妊の夫を選んでいるのかってことですよね
つまり自分を見捨ててしまうような
遠くに置き去りにしてしまうような
夫というものと
わざわざ一緒になっているわけですよ
これはつまり母親に対する復讐ってものを
ここに持っているわけですよね
そういう観点ってしかし
エビデンスはあるはずがないし
合理的でも科学的でもないじゃないですか
つまり180度逆の観点を取らなければ
見えてこないことなんですね
見えてきたって言うなら
それ本当なんだろうなって言われるかもしれないですけど
本当なのはこの人が寂しいってことだけですよ
本当にその夫をわざわざ選んだのかっていうのに対して
本当もヘッタフレもないですよ
ただ本当なのはこの人が寂しいという風に感じているということですよね
現実の価値とその認識
夫すらそばにいなくなっているわけですよ
当然この先生からも離れていくって話が出てくるわけですね
離れるのは自分なんだけど
どっちだって同じですよね
先生は離れても自分を追いかけてきてくれないんでしょう
っていうような話になってくるわけですよ
追いかけていけないですからね
追いかけていくってそもそもどういうことなのか
っていう話になっちゃうわけですよね
だからずっとこれは続くんですけれども
唯一違うのは
これは寂しいってことなんだっていう解釈を
常にするっていうことなんですよね
鈴木智美さんは
ここでライフハックを提供しないってことなんですよ
なんかハグしてくれる人形とか
そういうものを用意したりはしないってことなんですよ
どうしたらいいのかって問いは
つまりライフハックを問うてるわけですよね
何とかしてくれって話をしてるわけですよね
ここに何ともできないということの解釈が入るわけですよね
何ともできないということが許しがたい
っていうことの解釈が入るはずなんですよ
っていうか入れてるんですね
何ともできないっていうのは
つまり人間の限界ってことを言ってるわけじゃないですか
人間の限界っていうことは
現実ってことじゃないですか
現実には人間は限界を持っているんで
現実が気に入らないっていうのが
環境を変えますって話ですよね
が環境を変えますって話ですよね 現実が気に入らないからライフ
ハックしましょうってことですよね ここが一番180度逆転するところ
なんですよ 現実より良いものがないっていう
のが答えになるはずなんですよ 現実より良いものがあり得るっていう
言い方をしているのが環境を変える なり世界を変えるなり変えるって
言ってんだから変えた方がベター になるんだっていう話に戻って
きてるじゃないですか 変えた方がベターになるという
のはつまり夢を叶える像ですよ 夢を叶えるっていうのは夢を現実
に取っ替えるってことじゃない ですかそのためにテレビを放棄
したりコンセント抜いたりする わけでしょそれによってテレビ
を見るという現実を見ないという 現実に取り替えるそれがベター
になるって言ってるんですよね ある程度まではそういうのに疑問
もなく乗っかっているっていうこと はあり得ることだと思うんだけども
そういうのは細かく細かく限界 が来るんですよ
昔これもリスルっていう感じが なっちゃうんであれなんだけど
でもこういうことだっていう話 なんですよ昔勝山和夫さんがいらっしゃ
いましたねテレビを見ないんだ とテレビは時間の無駄なんだと
でも彼女は有名になった時にテレビ に出ていらっしゃいましたよね
僕はあれはとっても大事なこと だって毎回思ってたんですよね
これを批判するのは簡単なこと なんだけれども僕らは現実を取る
かベターにする現実を取るかつまり 理想ですよねすっごく困るんですよ
しょっちゅう困ってるはずなん ですねいつもこのことで僕らは
攻めき合ってるはずなんですよ ライフハッカーは現実をベター
にできるっていう信念の下動くん だけど現実というものは良くなったり
悪くなったりはできないんだっていう のも現実なんですよねだから理想化
をするってことは懐かし化をする ってことなんですよだって理想化
って現実をもっと違うものとして 見立てちゃうわけじゃないですか
鈴木智美さんという人の精神分析 科の鈴木智美さんを理想化しちゃ
うわけですよね先生はちょっと 動けば私に対して全てのことを
解決できるのにそれすらしてくれない って言って怒ってるのは理想化
ですよねでもこれは鈴木智美さん という精神分析科の現実を無視して
より良いものに見立てている顔 をして実際は無価値なものにして
しまうこの観点それを勝者って 言うんでしょうけれどもつまり
理想化っていう光に照らすと現実 の価値は一気に色あせて無意味な
ものになってしまうんですねだから 理想の現実があるんだから今ある
現実はダメな現実なんですよこれは 同時に立ち現れる現実を理想化
するということは今ある現実の 価値化を促すというかその方向
に向かって動かしてしまうんですね だからライフハックやってられる
わけじゃないですか理想的な現実 をそこに出現させるっていう名目
で現実をいじるってことに向かうわけ ですよねそれは今目の前にある
あるがままの現実はダメだと言 ってるわけですよね抽象的に言う
とこういうことになるんだけど 多くの人にとって私も含めてみんな
理想と現実の攻防
にとって現実というのはダメなんですよ だってそうですよねガザ地区
とかあるじゃないですかああいう のが仮にあそこまで大きな話を
しなくったってxとかで自分がちょっと つぶやくとよくわからないxの反論
が批判が飛んでくると現実って ダメだよなって思うのは実にそこら
中に証拠がゴロゴロ転がっていて 別に有名になった途端に言ってる
ことが変わるとかそういうような ことを言わなくったっていくら
でもあるわけですよね現実がダメ だって思える部分はでも僕らは
現実というものじゃないところ つまり理想世界みたいなところ
には指一本触れることができない し半本も入ったことがないはず
なんですよね結局僕らは現実以外 のものは何も知らないわけですよ
だからそのことに気づくっていうこと の気づくってことに価値を認める
ということは現実を受け入れる ってことになってしまうし結局
現実を受け入れるっていうこと だけをある意味現実の解釈をして
し続けていく夫は単身不倫で遠 くにいますそれは私は寂しいんです
っていう話をするでもその夫と 自分は結婚したんですって話を
する現実をただただ理解するべく 解釈を繰り返してるだけじゃない
ですか本当にそうしたのか知りません よ本当にそうしたのか知らない
けど一貫して鈴木さんは週4もあって いながらこれしかしてないんですよ
つまりこれ以上できることは何も なくてそしてそれがいいんだっていう
それがいいんだってことなんですよ ねそれじゃないものがいいんだ
って思い続けようとする限りこの 理想と脱価値の反復から抜け出せない
って話をしているわけですよね で当然受け入れられないですよね
我々はいつもこれが受け入れられない って話は実際にはライフハック
にもいくらでもあるわけですよ ライフハックも結局はライフハック
で有効活用しようと思えば思う ほど現実に近づいていってしま
うんで現実に近づけば近づくほど 諦めるしかないとか妥協を迫
られているとかもっといいライフ ハックはっていう話をされるわけ
ですよねでもそれで言ってること っていうのは頭の中にある理想は
現実よりもベターなはずだっていう この思いから来るもの勝者から
来るものですよその光によって 照らすから今ある現実がダメな
ものに見えてくるその目を自分 にも向けるから自分の価値がない
もののように感じられてくるこういう ことを我々はしろくじ中やって
おきながら自己肯定観とかいう 話をしちゃうわけですよ