1. 人生相談のための精神分析的ラジオ
  2. 特別ゲスト荒井さん会【1172】
2025-04-22 29:31

特別ゲスト荒井さん会【1172】


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Summary

今回のエピソードでは、荒井さんが特別ゲストとして迎えられ、公認心理師の山崎孝明さんとの前回のイベントを振り返ります。次回のイベントのアイデアや心理カウンセリングについての考察が行われ、参加者からの反応やさまざまなテーマの掘り下げ方についても話されています。荒井さんとの会話では、精神分析的心理療法やカウンセリングに関する経験が深く掘り下げられ、子育てや周囲の期待に応えることがもたらす内面的な困難についても言及されています。臨床経験に関するさまざまな見解が議論され、失敗とその解釈、経験から得られるものについての興味深い対話が展開されます。

イベントの振り返り
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1172回をお送りします。
今日は4月20日日曜日、12時11分。今回は特別ゲスト会ということで、前回も同じ方だったんですけど、お馴染みかわかりませんが、荒井さんをお招きしています。荒井さんよろしくお願いします。
はい、荒井です。よろしくお願いします。
はい、何の打ち合わせも本当にしていないので、これ自体が、打ち合わせをポッドキャストで配信するというのが、ライフハック界隈ではちょいちょい、流行ってはいないけど、ちょいちょい行われていて、
これもそういうものの一つに考えておけばいいのかなと思うんですけれども、そもそも何の打ち合わせをするかというと、
たぶん、イベントを最近、最近でもないですね、あれ3月の15日ぐらいでしたっけかね。
そうですね、それぐらいですよね。
山崎孝明さん、公認心理師の山崎孝明さんをお招きして、私と荒井さんと山崎さんとで、あれ定談というのらしいんですけどね。
三者会談みたいなやつです。三者会談はおかしいか。
対談をイベントでお送りしたというのを3月15日にやって、公表でしたよね。
いやー、公表だったと思いますね。
おかげさまでありがとうございます。で、公表だったので、次回もぜひ早いうちにやれと言われていて、
今日が4月20日で、全然早いうちにやりますみたいなこと言ってたんだけど、さも来月にもやりますみたいな感じだったんですけど、
これは早くて6月になるんじゃないかなという気もしておりますが、その辺から行こうと思うんですけど、
これは本当に荒井さんのおかげでイベントは大変盛り上がったと私は思っております。
いやいやいや、とんでもないです。
あれは一体何が良かったんだと思います。
なんか当日っていう意味ですと、やっぱりたくさん人がいましたよね。
会場にってことですか。
ひどいにそれは大きいかなという気がしました。
なるほどな。
僕もかなり会場はちょっと良い会場だったと思うんですけど、いかがでした?
いやー、何回でも来たいなというところでしたね。
そうなんですが、なかなかお金も張るんで、あれで人が来なかったらもう本当に悲しいなという感じで、
オンラインで収益を賄うというのもあるんですけど、あそこに空っぽっていうのもすごい変な感じがするんで、
あれはそこそこ奮発したというか、そういうことになったんですけどね。
あそこでいくつかそれでも何点もないわけじゃないんですけど、次回もあそこでもいいなとは思っているんですけれども、
次回のアイデア
前回ああいうイベント、ああいうって言っても困ると思うんですけど、今回次回をもしやるとするとどういうふうにするといいと、
新井さんに聞いて伺いたいんですけどね。それはどうですかね。
ちなみに続編を希望みたいなのは、どういうトーンで続編を希望されたんですか?
単にもう一回やってほしいっていうだけなのか、もっと突っ込んで聞きたいですみたいなのか、なんかそういうのありました?
どっちかっていうと、ほとんどの方はパンにもう一回やってほしいです。
なので、一部一目ぐらいかな、もっと深くやれみたいなノリはありましたね。
前回の続編を考えるときに、僕の中では2つ案みたいなのがありまして、
すでに2つもあるんですね。素晴らしい。
聞きながら今考えた感じなんですけど、1つは深くはしないっていう話なんですね。
わかる気がする。
前回って1個テーマがあって、比較的、何を持って浅いかは後ほど言うんですけど、浅いところでやったっていうように僕としては感じてるんですよ。
なので、また別なテーマを設けて、それに関してまた入門的というか、浅いところからやっていくっていうのが1つあるような気がしまして。
なるほど。それはよくわかる気がします。
ある意味これだと無限にできるっていうのもありますよね。
そうですね。
もう1個思ったのは、これ前回聞いた人の立場によって感じ方変わるだろうなって思ったんですけど、
僕の脳内に想像している、中瀬慎文主席大好きですみたいな方を僕が想像するにですね、
結構あの場でお話ししたことって、精神分析っていうよりは心理臨床とかカウンセリング一般論に近い。
割とそうなるんですよね。
山崎さんに僕なりの観点で、精神分析ってなんで役に立つんですかねみたいなことを色々聞こうとしていたものの、
やっぱりお話しとして出てくる感じって、精神分析だからというよりは継続的なカウンセリングだからっていう感じがしたんですよね。
だからそのあたりをカウンセリング一般論からちょっと踏み込むみたいなのがありかもと思いました。
なるほど。そうなんですよね。
山崎さんという方はきちんとした方と言いますか、僕の印象ではですね。
だからこれは正規の方は僕らが想像するよりも、そもそもきちんとしなければいけないのかもわかんないし、その辺はちょっと僕もわからないことなんだけれども、精神分析家じゃないからみたいなことをおっしゃるんで。
そういうことがやっぱり、この話は週1回みたいな話につながってくる気がするんですけれども、この話もそうなんだけどやっぱり、
多分山崎さんのポジションそのものが、あるいは日本の現在の臨床心理師みたいな方のポジションそのものがそういう曖昧さがあって、あまりどこかに寄らないようにしようみたいな意識は結構強く働いてるんだろうなっていう感じがしますよね。
一方で週1回がまさにそうなんですけど、そういう本があるんですけどね。多分日本人にとって、心理カウンセリングって週1回やるもんじゃないの?ぐらいに思われてる人だって結構いらっしゃるんじゃないかと思うんですよね。
週1回っていうのはもうなんか、まるでそれが名称みたいになっている感じがするんだけど、その曖昧さですよね。週1回で何やってるのかっていうのが、それこそさっきおっしゃったような立場の違いもあるし、結局名前が週1回じゃわけわかんないから、
なんか週1回の精神分析的診療法なのか、週1回のカウンセリングなのか、週1回の何なのかっていうのがあって、山崎さん間違いなく週1回でやられてることは多いと思うんで。週1回では精神分析ではないと。だから精神分析について聞かれてもそれについては答えないみたいな、そういう流れになってんだろうなと思いますね。
そうですよね。ポストの本とかもあるじゃないですか。精神分析的心理療法について山崎さんにいろいろ聞けるみたいなのは、ある種前回の続きという気もしますね。
確かにそうですよね。まあ実際のところは中核にあったのは全然CBT的ではなくて、リキドー的だった気はしますけど。あとはその浅いところでこれっていうことになると、これがだから皆様の興味を持てるものなのかどうかっていうのに立場の違いも含めてノラカウンセリングって話はあるかなとちょっと思うんですけど、
多分前回山崎さんと打ち合わせをした感じでは、そうではない方向に持ってった方がいいだろうって感じがあって、そうではない方向に持ってったら当たったから、そういう方向に持ってかない方がいいのかなっていうのはちょっとあります。
心理カウンセリングの考察
そうではないっていうのは浅い方じゃない方がいいんじゃないかってことですか。
ノラカウンセリングみたいな話。ノラと正規、最近もちょっと大炎上して、もう僕なんかちょっと不思議なレベルの炎上感だなと思ってたんで聞いてみてたんですけどね。
そうですね、ノラと正規。
これユーザーにあんまり興味の引かない話ではありますよね。
やっぱり僕結構なるほどって思ったのは、前回参加いただいた方で野生心分析の本ちょっと読みましたみたいな人がたくさん、たくさんというか何人もいらっしゃったじゃないですか。
はいはい、何人もね。
そういう意味だと、もしかすると山崎貴昭さんに、今日は一人の精神分析オタクとして来てくださいっていう頼み方をすれば。
意外に人はそれに引っ張られるということですかね。
なるほど、あんまりおまじめなテーマじゃない方がいいみたいなノリかなってことかな。
そっか、確かにそういうポジションならば、あんまり難しい制約から解除されるかもしれないかなと思います。
今新井さんは、この話していいのかわかんないですけど、ポストに関わっていらっしゃる。
そうですね、受けてるという意味で、そうですね。
それはポストと言っていいものなんですかね。
どうなんでしょうね。
やっぱりわかんないんだよね。
これわかんないですね。
向こう様はそのように明言したり定義されたりしていらっしゃらない。
してないですね。
だから僕ポストの人っていうのはね、精神分析が神器牢というなら、ポストはポストで何なんだろうみたいな、やってることはどっかでやってるんだろうなって思うし、
あれはポストじゃないのみたいな、僕自分が受けたのもあれはポストじゃないのって思っちゃうんだけど、
なんかこうどっちかっていうとそう言われたいわけではないみたいなノリがあったんで、その辺様々な事情があるんだろうなっていう。
僕その実は自分が受けたカウンセリングで一番釈然としないこと、一番と言いながら2個あるんですけど、
うちの一つが、そういうポストとかにこだわるところに佐々木さんの脅迫性が現れてるとか言われて、俺のせいになるんだそれみたいな。
わかる。ありますよね。違いが気になるんですかみたいな話に。
そうそう。いや、まあわからないではないけれど、なんかその言い方ってどうなのっていう感じが、なんかすごいあれはね、
納得がいかない見事前の感じがね。
それは非常にわかりますね。
そうなんだ。
やっぱり僕の場合はそこまで脅迫性の現れだとかは言われないんですけど。
精神分析的心理療法の検討
僕はもう一気にこう言われましたからね。
俺のせいなのかこれはみたいな。じゃあポストって何なんだろうみたいにありますね。
ありますよね。だからそうですね、多分これを本編に入る前の最初の時点、1回目とかの時点で聞いてればもしかしたらそうは言われないのかもしれないんですけどね。
でも僕これ1回目の時点ですからね。
そうなんですか。1回目の時点でそれ聞いて、攻めますね、その方も。
そうか、脅迫的。僕はその1回目だったか2回目だったか忘れましたけど、インテークの状態だな、話では。
自分の脅迫性って結構目立つんだなっていうのはすごい、あの時はそういう得たものはあったんですけどね。
それは非常にありましたけどね。脅迫的なんだなかなりというふうには思いましたね。
僕の場合は、今やってることが精神分析的心理療法かっていうことも割と曖昧なんですよね。
それすらも曖昧なんですね。
向こうがそうしたいのか。でも浮かぬ限りどう聞いてもそれは精神分析的心理療法だと思いますよね。
そうですね、と思います。
どうこうどうとってもブリーフセラピーとかスキーマ療法とかには聞こえないですね。
全部聞いてるわけじゃないからわかんないですけどね。
そうですね。ただやっぱり前回のイベントで山崎さんもおっしゃってた、結局は普通の相談っぽくなるんだみたいな話あったじゃないですか。
やっぱり僕もですね、精神分析的心理療法っぽい瞬間もあれば、普通の相談っぽい瞬間もあるんですよ。
普通に聞いて普通に感想を言われ、あるいはアドバイスされるみたいな。
そうですね、アドバイスされることもありますね。
例えば、僕今、ハローベビー教室とかですね、パパママ教室みたいなのに行ってるんですけれども、
やっぱりそれを聞くと、ものすげー俺は頑張らなくてはみたいなことを教わるんですよ。
教わる教わる。あれめっちゃ教わるよね。
地域にもよるのかもしれないけど。
これマジかっていう程度で頑張らなきゃいけないんですけど、その話にもちょっとなったんですよ。
要は僕はなるべくですね、周囲の期待に合わせて、合わせ切ることができたから仕事は回るようになったんだけど、
その結果、外には出ていかないけど、うちなる困りみたいなのがあるよねっていうのが出発点だったんですが、
やっぱそれが増幅しますよねみたいなことになったんですね。
当然それはなると思いますね。
当然じゃないかもしれないけど。
だから結局ここでね、子供が産まれるからもっと合わせるみたいなことにすると、
ますます辛いのではみたいなことになりかけたんで、
いやいやでもそのパパママ教室で、講師の方3人ぐらいいらっしゃるんですけどね、
はいはいはい。
こういうもう私は出産、
いるんだ。
いるんですよ。栄養士の人と助産師の人2人みたいな。
だからこういうふうにしないとここここなんですみたいなことを訴えかけてくるんで、
やっぱこう世論的にもう抗えないと言いますか、
みたいなことをうーんみたいな感じで言ったんですよ。
そしたらですね、なんか意外にもそこは、
なんていうかこうしっかりアドバイスされるみたいな感じになって、
いやまあでもそうは言っても世の中には、
そのそうやってないがしろにされてしまった男性たちが復讐をしている場合だってあると。
なんだか昔あった話の逆みたいな話が今はもう出てくるんだな。
確かに確かに。
なるほどね。
相手の方は先生は女性の方なんですけどね。
その割にめっちゃ男性の肩の綱みたいな見解を。
クライアントが今男性だからってこともあるのかもしれないですけどね。
でも結構世の中変わってきたんだなっていうのを今のお話を受かっていると、
まず逆でしたよね。
僕の時代ですらまあ一応ほぼフィフティフィフティかなって感じだった。
僕はカウンセラーのところにいたわけじゃないけど、
そのどっちかの方は持たないようにしようみたいな異様な気の使い方は、
その種のところではすごい感じることが多かったですね。
そうですよね。
そうだからまあちょっとねそれは聞けなかったんですけど、
それは僕が男性だから今このめっちゃ男性に肩入れしている話し方なのか、
相手が女性でも同じように話すのか。
同じように話さないと思うんだけどわかんないけど。
でもまあ十分そういうことになってきたんだなっていうのは、
子育てと自己期待の複雑さ
心理カウンセリングの世界を離れてでも感じなくはないですよね。
本当にね、山崎さんが今日だか明日だかも一緒にイベントされる
信田紗友子さんの書かれていることなんかだとほぼほぼ真逆かなって感じが。
復習するのは女性だし、
ないがしろにされているのもまあまあ女性だし、
でもあれは戦後間もなくみたいな頃の話でもありますもんね。
ちょっとこのそうですね、こう男女論にしてしまうと、
これはまた炎上しそうになるし、なかなかあれなんですけれども。
ここはほぼなんかなんていうのかな。
まああの続編にこれがいきなり出てくることはないよねっていう感じがしますよね。
なのでですね、やっぱりその分析的心理情報を受けているものの、
割と突然そのカウンセラーの方ががっつり現れてくることもあるんですよね。
なるほど。
たまになんですけどね、それは。
僕はそれをほとんど体験しないまま終わっちゃったんだなというのが。
まあでもそれが佐々木さんの脅迫的なところみたいなのはかなり出てきてるなっていう気はしますけどね。
出てきているというのは?
普通の解釈で、それがあなたの脅迫的なところですって言わないんじゃないかっていう感じがするんですよね、僕の中で。
そうか、そうか、いやもう全然解釈ってこういうもんだなぐらいに思ったから。
世間話が解釈されていくこの感じがいかにもなんだろうなと思いながら。
うっかり喋れねえなっていうふうにやっぱりそういう力度が簡単に働くんで。
で、僕はやっぱりなんだろうな、頑張りたかったって面が大きいんだと思うんですけど、うっかり喋る努力っていうのがその後多くなりましたね。
人間ってこうなるなーみたいに思いながら。
それがわざとらしくなっちゃうんですけどね。
いやわかります。
あの分析家の人に、私に対して怒らないんですか?みたいなことを言われたことがあったんですよ。
ああ、はいはいはい。
いやいや怒らないですよみたいな。
いやそうなんですか?みたいな。
いやだって怒らなくないですか?みたいなことを言ったら、いやあの怒る人はいらっしゃいますよみたいな。
ここでは何を言ってもいい場ですからね。私のことを蹴りたいと言ってくる人もいる。
で、なんで僕はそういうことをする気にはなれないって言って、それはなぜですか?みたいになったんですけど、
そういうことを言うっていうのは普段の自分からは考えられないんで、
つまり頑張ってあえて攻撃的なことを言うみたいな、演技っぽくなっちゃう気がするんですみたいな。
まさに佐々木さんの今おっしゃってたことなんですけど。
実際僕演技してましたからね。あるフェーズでは結構演技してましたから。
精神分析的演技をここでするみたいなわけわかんないことになってましたからね。
金払ってまで何をやってんだろう自分みたいな。こうなるっていうことが自分なんだろうけど。
いやそうですね。そうなるっていうところが多分自分なんでしょうね。
みんながみんなああなるわけじゃないでしょうからね、もちろんね。
確かに。僕も僕はですね、演技っぽくはならないんですよね幸い。
ただすごい距離があるっていう感じですね。
距離ができるって感じなんですか?
距離っていうとちょっと言い方が良くないな。
良い患者で言おうとするって感じですかね。
それはね、よくわかる。これが僕は多分最後まで抜け切らなかった気がする。
抜け切る前に終わっちゃった気がしますね。
本当それが一番ダメなんだろうなと思うんだけど、やることないじゃないですか。
私たちのようなのはすごくすごくすごくボーダーっぽいことで困ってるとか、
何かがあれば何かがある時の方がだからいいみたいな変なことを僕感じたんですよね。
調子が悪い時の方がここ来る理由と来ている意味をはっきりさせられるから、
いまいち見えなくなってきた時に行くとそういうことになっちゃうんですよね。
なんか無理やり夢の報告してるとかね。
これはありますね。
この話の延長線上に山崎さんとのイベントがあったらいいんだけどなーって今思ったんですよね。
それはどういうことですか。
僕がもし精神分析的心理予報を受ける前に誰か人の話を聞きたいとすると、
こういう話が聞きたい。
なんて言ったらいいんですかね。
体験談と専門的な話と雑談の中間みたいな。
難しいなー。難しくはないはずなのに。
ちょっと一旦これは仮の案なんで、一つ言うだけ言うっていう感じなんですけど、
佐々木さんが受けた精神分析的心理療法の思い出話みたいなのをまず話すじゃないですか。
話しまして、あまり臨床化モードじゃない山崎さんには、
これはこういうことなんですよみたいなのをいろいろ言ってもらって、
みんなでなるほどみたいになるっていうのは面白いとは思いますね。
臨床経験の価値
なるほどねー。
なるほどー。
まあね、いいのかもしれない。
私、自分が受けたのが、
あらいさんどう感じていらっしゃるかわかんないですけど、
自分が受けたのがね、なんかすごい変な話なんですけど、
これ僕の失敗だったっていう印象が強く残った。
それは変な話ですね。
彼は失敗してないが、俺は失敗したみたいな。
僕の中でこれが揺るぎない定義なんだよね。
そもそもまず失敗したと思ってるんですね。
思ってます。失敗したっていうのは受けなきゃよかったっていうのではないんです。
ただ、あれはいい臨床経験ではなかったっていう認識があるんです、僕の中で。
もっとよくできたっていう。
すごい面白いと思いますね。
知識的な面で言うんだったら、いい臨床がないわけじゃないですか。
ある意味こうやって葛藤したり悩んでいたりすること自体が最大のいいことですよね。
まあまあそういうことになるんですけどね。
そうなんです。だから僕はあれね、いい臨床経験で、
そうなんです。だから僕はあれね、いい臨床経験ではなかったが、
それは臨床課の責任ではないみたいな変な定義が。
いいこぶってるようなんだけど実感としてこうなんですよね。
いや、向こうはおかしなことはやってないみたいな。
受けることの意味
別に親習的じゃなかったし、手抜いてるようでもなかったし、
力度がなかったわけでもなかったし、
言ったことでやってること、かかった時間と値段、
どれをとっても妥当なものだったと感じるんだけど、
唯一自分はあそこで得るべきものが得られてないっていう感覚が残ってるんですよね。
なのにやめちゃったという。
お金のことが概ねあったんですけどね。
でも結局それだって解釈の対象になっちゃうじゃないですか。
でもお金のことは解釈だけの問題じゃないんだよな。
本当にないときないからね。
僕フリーなんで、なくなるときは本当なくなっちゃうんですよね。
無理やり稼いでもこれるでしょって言われると、
無理やり稼いでもこれるけど、
そうすると書きたくもない本を書くみたいなことになるし、
それはそれで変な気がするんですよね。
親にせびるとかもおかしいしね、この場合は。
これはすごくいいと思いますけどね。
これの何がいいんでしょうね。
まず一つには、
受けようかな受けないかなって悩んでる人は、
上手に受けれるだろうかっていう心配があると思うんですよ。
あるんですよね。これ変な心配なんだけどあるんですよね。
意外と僕は上手に受けれるかっていう心配はなかったんですけど、
上手に受けれる自信があったんだよ。
これは多分、つまり、
うがった見方をすると、
俺はいい子でいられるはずだみたいなセットなんですよね。
すごいそれはあれだよね。面白いですよね。
面白い話ですよね。
だめなんだけどそれは。
なのでそういう観点で話を聞きたい人はいるだろうっていうのが一つと、
もう一つに、
やっぱりなんて言うんですかね、
ゴールとしては、
上手く受けるとか上手く受けないとかっていう話じゃなくて、
上手く受けないこと自体が実は上手く受けていることなんだみたいな話になるような気がするんですよね。
なるほどな。
いいかも。じゃあこれを中心にしてちょっと考えてみましょうかね。
ここら辺で新井さん一旦言って、もう一回やっても大丈夫ですかね。
はい、もちろん大丈夫です。
時間的に大丈夫ですか。この場合となると1時半前ぐらいまでいっちゃう可能性はありますか。
全然大丈夫です。
そうですか。ではここで前半ということで2回に分けようと思いますので、
一旦ここでおしまいにさせていただきますので、
とりあえずここまで新井さんありがとうございました。
ありがとうございました。
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