2023-04-13 48:51

【767】万能空想なのになぜ悩ましいか?

空想を止める方法とは?
日常と学校生活
おはようございます。グッドモーニング・ヴァイスです。
毎日この音で悩んでるな。
4月13日、木曜日の7時50分ですね。
おはようございます感が続いていていい感じですね。
眠い。さすがにもう月火水の4日目ですからね。
新学期が始まるとね、それまでの生活とのリズム感が一変して、
めちゃくちゃ眠くなってきますね。木曜の朝あたりは。
眠いとグッドファイブスじゃなくなると、倉園さんに言われていて、
もうそこを押さなきゃならないという、
普段の私なら絶対やんないようなことなんだけど、
学校はしゃあないよねっていう。
日本には学校振興みたいなのがあるよなと思うんですよね。
私なんかはサボりまくってた口なんで、
新学校に行ってついていけないレベルの新学校に入っちゃうと、
もう挫折感があるわけですよね。
遠畑さんもそういうこと書いてましたけど、遠畑海人さんも。
サボりまくってたんで、娘もそうなってもいいやと思ってたんだけど、
娘が学校大好きっ子で、1日も休んでくれないから、
すごいきついなと。
実は1日は休んでるんですけど、
それが実に面白いことに、
中学1年生の修行式の翌日の初日だったんですよね。
これだけつらくて休んでも、
結構善とたなんかと思ったら、
それ以降、無欠席状態で、
なんかこう、やっぱりいろいろ面白いなと思いましたね。
で、眠いのはしゃーないのでね。
学校、子供が行きたがるんであれば、
これに付き合うしかないんで、
まさか自分が眠いから休めってわけにはさすがにいかないですからね。
今、3ヶ月チャレンジというのを、
3ヶ月チャレンジとライフワーク
断続的に募集をかけておりまして、
あと、昨日も申し上げた通り、
2席前後で、まもなく1席ぐらいになるかなーみたいな感じなんだけど、
まだわかんないんですよ。
これは3ヶ月で8万というのは、
ちょっとお高いかもなんですけれども、
1ヶ月あたり直すと3万切るんで、
週1回のセッションが入りますんで、
ありがたいことにですね、
このセッションは、
私はこれは任意とさせていただいてるんですね。
毎週毎週セッションというのは受ける方も厳しいと思うんですよ。
だから、別に休みたいときはいつ休まれても結構ですという感じなんですが、
ありがたいことにほとんどの方が、今回はですけどね、
毎週毎週やってくださっているんですね。
だから、これは相性はあるとは思いますけれども、
決して今まで受けられていて悪い感じがしなかった方には、
多分いいと思うんですよね。
だって、別に料金追加はないわけですから、
大変なのに無理やり受けるっていうこともないじゃないですか。
だからこれは任意なので、
多分悪くない感じになっているんじゃないかと。
これはね、私がやって受ける側には絶対立てませんから、
私が他のカウンセリングを受けることはできますけどね、
自分のセッションを自分で受けることはできないわけだから、
本当のところどうであるというのは相手の方次第というわけですけどね。
うまく回っているのではないかと。
この3ヶ月チャレンジは、
私にとってこれはもうライフワークだと思うんですよ。
なぜならば、一人でやっているのがこれしかないんですね、私今。
他の仕事は全部、それが嫌だって意味じゃないですよ。
もちろん、一番最初にずっと仕事一生させていただいている
おはしえ蔵さんとが一つあって、
あと、プラゾンの圭蔵さんとグッドバイブスで
ファクトリーと書き上げ塾というのをやっていて、
そして新しくさらに100日チャレンジというのを中心に
J松崎さん、これもやっていて去年あたりから。
同じく去年の末から、
私と先ほどのおはしえ蔵さんとJ松崎さんで
タスクシュート協会というのをやっていて、
全て他の方とやっているわけですね、私は。
これが意外に私はずっとフリーランス始まって以来続いている傾向でして、
単独でやっている仕事というのが非常に少ない人間なんですよ。
で、3ヶ月チャレンジはようやく順度かなり佐々木称護的だなというものを
私が基本、スタッフの添さんと一緒にしているという面はあるけど、
内容の構築にあたってはこれは私一人でやったんですね。
私一人であることを強調したわけではなくて、
珍しく自分一人でやれている仕事がこれだということなんですね。
ファイナンスと本の役割
だからこれはちょっとやっていかなければいかんと思っておりまして、
そういう意味ではですね、いろんな意味でさっきのお三方には頭が上がらないといいますか、
足を向けて寝られないというか、どっちかに足を向けて寝ていると思うんだけどね。
最近で言えば、佐々木さんにはすごいお世話になりどうしなわけですね。
私のファイナンスのかなりの部分は彼との仕事で賄えるようになってきているから、
こんなことをやってられる面があるわけですよ。
私はライフワークとライスワークっていうんですか、こういうのを分けるのはあんまり趣味ではないんですけれども、
実際それに近いことになっちゃってるよねっていうのはもう否定しがたいわけですね。
3ヶ月チャレンジだけで食えるのかっていうとそれはもう無理なわけですよ。
今も一生懸命ここで募集かけさせていただいているようにですね、
全然足りないとかいうわけじゃないですよ。
ある意味この3ヶ月チャレンジやらなくてももう食うことはできる状態は一応確立できたんですね。
本書かないでって意味ですよ。
今まで本に頼っている部分がやっぱり大きくあったわけです。
本がぽっかり抜けたんだけど、そこが100日チャレンジでがっちり埋まっているのはJ松崎さんのおかげなわけですよ。
そうなってきた時に3ヶ月チャレンジ別にいらなくねって言われるとそうなっちゃうんだけど、
私としてさっき言ったようにこれがないとなると一人でやってる仕事は何もないってことになっちゃう。
自己強調とライフワーク
本書いてたから今までは一人でやってる仕事として本を書いてますってのもあったんですね。
私は私の本を書いているんです。
強調も多い人間なんですよね。さっき言ったような理由から。
人とやることができるという意味ではいいんだけど、
人とやらないとできないっていうのはそれはそれでやっぱりちょっとどうかと思うんで、
フリーランスやってるわけですからね。
形式的な意味も大きいのですけれども、
この3ヶ月チャレンジに関してだけはですね、かなり本質的な意味でライフワーク的なものなわけですね。
結局ライスワークだからといって、他の人とやっているからといって、
ライフワーク的な部分がないかというとそんなことはないんですよね。
タスクシュートは私のライフワーク的な部分が相当でかいし、そう見られているとも思うし、
だからこそタスクシュート協会というところでもやっていられるわけですから、
だからやっぱりライフとライスを分けるというのは趣味じゃないんですけど、
あと3ヶ月チャレンジに至ってはですね、
精神分析とグッドバイブス
グッドバイブスなしではありえないサービスなんですよ正直言って。
お前ライフワーク言っておきながら結局人のをベースにしてるじゃんと言われるとそうなんですよ。
そうなんだけど私はそういうところの強い人なんだとも思うんですよね。
それが良い悪いを言われるとわからなくなっちゃうんだけども、
まあそういうものなんだよね自分はって思っているんですよね。
それで不満は全然ないわけですからね。
他の人から見てどうかわかんないですけど。
だから3ヶ月チャレンジはずっとやっていきたいなと思っていると。
だからこうあれなんですよね。
受けて意味があるものであってほしいんだけど、
応援するという意味で参加していただくとなおありがたいと。
長く私の活動を支えてきてくださった方向けに僕は喋っているという感じなんですよ。
コードの牙を入れていただくと1万円オフとなります。
今日はその3ヶ月チャレンジの話ではないんだけど、
そこで繰り返し今喋ることになっている話を中心にしていきたい。
グッドバイブスなしでは成り立たないんですよあれは。
なんだけれどもメインに見えてくる部分には精神分析がすごく関わっている。
ほとんどだからお前のオリジナルはどこにあるんだっていうと、
この2つを組み合わせようとしているところにオリジナルがありますみたいな説明になりますよね。
それだけじゃないんだけれども、
今のところパチッと言葉でここに私の…
だけどってことはないんだよね結局ね。
でも私の個性的な言葉はここにありますっていうのが、
言葉として直っている部分がその時々しか出てこない気がするのは確かです。
これはすっごく大雑把に言ってしまうんで、
ちょっと誤解を招くかなとも思うんだけど、
すっごく大雑把に言うとですね、
精神分析的な話というのはですね、
なんて言えばいいんですかね。
グッドバイブス?
なんと言えばいいんでしょうね。
イリュージョン分析的なところがあるんですね。
イリュージョンの中身をわざわざ色々解析しているのが精神分析の1側面という感じが私は実はずっとしているんですよ。
本当に言い方をすると、精神分析ってイリュージョンの分析なのって言われると、
それはもうダメなんで、誤解なんで、
でもそういうふうに僕は見ることがすごくあれを理解するのに役に立っているし、
自分の役にも立っていると、こういう言い方をしておきましょう。
なぜならば精神分析を受けに来る方は原則としてかなりバラバラ意識に苦しまれているはずだから、
精神分析は何度か言いましたが臨床ベースです。理論ベースではないんですよ。
実際にフロイトなり、クラインなり、ウィニコットなり、ビオンなりっていう人たちが、
もちろん他にカワイハヨウさんとかドイッタヒョウさんとか、お好み平吾さんとかがいっぱいいますね。
みんなカウンセリングをしている。つまり臨床心理を臨床していたわけですね。精神分析をしていた。
戸羽田海人さんとかもそうですよね。その事実に基づいて、
人の心とはこうなっているんじゃないか、こうなっているんじゃないかというふうに考えています。
具体例から入っているということですね。そこに来ている具体例という方は、原則として何か悩んでいらっしゃるはずですよね。
悩み何にもなくて、私は価値マックス、愛そのもので、人生順風満帆ですって人は、はっきり言って来ないわけですよ、多分。
お金高いってことを忘れちゃいけないんですね。普通にやると100万とかかかりうるわけですよ。
しかも日本ではちょっと別なんですけど、ロンドンとかでは毎日毎日週4とか通うわけですから、
もうそれは、そんな順風満帆な人はやっぱり来ないですよね、はっきり言って。普通に考えてみると。
だからある種の偏りはあるわけですよ。
人間真理を明らかにしていくと言ってもですね、そこにはこう、つまり悩んでいる人の心の構造みたいな、
ちょっとその言い方も語弊があるから、さっきの言い方はどうかなと思ってるんだけど、
でもやっぱりそういうことはあるはずなんだと思うんですよね。
この偏りというのは、グッドワイブス的に考えると簡単に割り出せるんですよ。
バラバラ意識に非常に強く絡め取られている人の真理だって言ってしまえば、ある意味ではきれいさっぱり、この文脈では理解できる。
だから私はそういうふうに見ることによって、精神分析というものをものすごく理解度が高まった気がするんで、
これはまるまる誤解ではないと思うんですね。
ものすごく理解が高まったというのはどうしてわかるんだというと、メラニー・クラインの本を読めばわかるんですよ。
あの本を読んで意味不明だとずっと思っていたのが、まちまち意味が評価するようになったから、
バラバラ意識によせた精神分析
これはやっぱり理解度が上がったと思うんですね。
私は分析を受けたり、精神分析の正式な勉強をしたりしていないにも関わらず、ある本を読んでわからなかった。
わからなくて当然なんですよ。わかるような用語の使い方をしてないから。
で、それがわかるようになった。
なぜならば、バラバラ意識とはこういう意識だという、
グッドバイブスをフラゾノさんが説明されているその文脈に乗ってクラインを読むとわかるんですよ。
わかる感じがする。少なくともわかんないときとは違う景色が一面に見えてくるんですね。
これが非常に大事だと私は思ったんですよ。
だからこの考え方はおかしくはないと僕は思うんですね。
わからなかったものがわかるんだから何かが変わったわけじゃないですか。
そのわかるというのはつまりどういうことなのかというのを、
例えば3ヶ月チャレンジなりで一生懸命喋っているつもりなわけです。
で、最近はその松木さんという、これは戸畑海人さんがとてもいいんだぞっていうことをおっしゃってたから、
改めて読む気になった、昔から家には一応置いてあった本なんですけど、
改めて読んでみるとなんでこれを今まであんな風につんどくしておいたんだろうというぐらい、
ものすごくよくわかってめちゃくちゃ面白いわけですよ。
こういうことが起こっているということが大事だということですよね。
で、何の話かというと私の漢字ではですね、
だんだんだんだん誰が読んでもわかる話に流れているんですけど、
永田カビさんの寂しくてレズ風俗を聞きました。
あれなんですよね。あれだって思っておるわけですよ、私は。
あれだと。あれって何よっていう話なんだけど、
永田カビさんのそのタイトルからしてそうなんですけれども、
つまりバラバラ意識というものは、いやバラバラ意識ですけど何かってんじゃないんですよ。
そんなんだったらバラバラ意識で困る理由がない、困ってるはずなんですよね。
寂しくてレズ風俗に行きましたというのは風俗に行くのがダメって話をしてるわけじゃないんですよ。
大事なのは寂しくてってことじゃないですか。
あの寂しさが尋常ならざる寂しさなんですよ。
永田カビさんはカウンセリングとかを受けに行ってるけど、
そんなのいいから抱きしめてくれって言って話聞いてるわけですよ、カウンセラー。
つまりこれは尋常じゃない状態にもう入ってるわけですよね。
なぜ抱きしめないのかっていうのをすごく考えないといけないわけですよね。
それは抱きしめてもその寂しさははっきり言えば消えてしまうことは多分ないからだということがあるんだけど、
そもそもカウンセリングでは触れちゃいけないんですね。
この話はちょっと高度になっていくというか、
やや専門チックになりすぎて関係ない話に流れてしまうのでやめますが、
要は彼女は、それこそ裏園さんの言うところもね、
自分は身体であり、しかも世界から完全に切り離されている感じがして、
これはおかしいんだけど、だって空気吸ってるんだし、物食べてるんだから、
世界から完全に切り離されてはいないんですけど、
とにかくそういう感じの心理状態に入り、
自分は身体以外の何物でもないという、
これはですね、身体という言い方をしてもいいんですけど、
個人だって感じだと思うんですよね。
個別にここにあるという。不思議ですよね。
何せならば世界から生み落とされた存在であり、
世界と同じものでおそらくできていて、
電子も原子も昨日言ったようにですね、
食べ物だってそうですよ。食べ物って世界にあるものじゃないですか。
原則、アミノ酸と炭水化物と水でできてるんだけど、
それでできてるはずですよね。
だからそういうものを親親対者って言いますけど、
対者して生きているわけだから、
切り離されてるっていうのはおかしいんだけど、
感覚の中では彼女は切り離されていたわけですよ、完全に。
そこで起こる心理現象というのは、
精神分析が描き出したものが全部そこにあるんですよね。
あれが僕は漫画を読んで、精神分析ってすごいなと思ったんですよ。
いや、永田神さんもすごいなと思いましたよ、もちろん。
なぜならあれは普通の状態では、
僕のようなある種文様な人ではですね、
あのようなものは絵には描けない。
つらすぎて。
あんなの描いてる場合じゃないですからね、はっきり言って。
個別意識とかバラバラ意識というのは、
そういうふうに言うとめちゃくちゃ厳しいんですよ。
社会と個人の対立による心理現象
でも永田さんは別に悪いこと何にもしてないわけですよ。
普通の学校に行って、普通に生活をして、
普通に卒業をして、普通に働きに出ようと思ったら、
自分はあまりにも普通すぎて、
何にもないということに突然思い当たって、
なんだかよく分からないけど恐ろしくなって、
いろんな現象が起きる。
とにかくその中でも抜群に突出しているのが寂しいというのはつまりですね、
頼りない私だっていう感覚。
なのに社会というか世の中に出ていかなきゃいけない。
今まではどこにいたんだっていう話なんだけど、
今までは学校にいたんですよ彼女は。
これは面白いですよね。
全てそういうふうにお話しされる方って、
私実は大学時代の友達にも女性で何人かいらっしゃったんだけど、
今まで私は学校にいればよかったのに世の中に出なきゃいけない。
学校って世の中にあるじゃないかって僕は思ったんだけど、
それほどまでに人が作ったシステムというものに対して、
出社しなければいけない理由による心理状態
ある意味ではですね、
信頼的には決して頭が悪いってわけじゃないんで、
学校が世の中にあるなんていうのはみんな分かってるわけですよ。
同じ大学に行ってたって彼女たちはだいたいみんな現役で入って、
僕だけ一浪してるんで、彼女たちの方がものは分かってそうなものなんですよ。
でもこういうことを訴えるというほどに、
心理的な問題っていうのはまた別にあるってことなんですよね、課題として。
とにかく今までは学校にいたんだけど、
今から世の中に出なきゃいけないということになりまして、
個別意識の厳しさっていうのはこういう時に現れてしまうんですね。
私は私にしか頼れないんだけど、私は頼れない人間だと。
学校でなんとか英語の課題とか、
これ読んできなさい、これ覚えてきなさいというのをなんとかする。
それだって抜群になんとかできるっていうのはないんだけど、
とにかくなんとかできる能力を持ってるとは思ってたが、
世の中というところでなんだかよく分からない上司がやってきて、
時々なんか方言を吐いたり、時々なんか酒に酔って絡んできたりする、
こういうところでやっていく能力は私には全くないんです。
そんなことはないと思うんだけど、そういうふうに思い込んでいる状態で、
世の中というところに出ていくと、自分の中には対応能力というか、
対応スキルというものがえらく乏しい感じがするので、
でも、なんかやっていける気がしない。
このあたりからですね、精神分析の描き出すものが、
描き出す世界というものがですね、つまりバラバラ意識の中で、
私がそうなっつうんですかね、英語で言いますね、ヘルプレスネスなんですね。
ヘルプできる気がしませんよってことなんですよ。
自分をヘルプしてあげられませんと。
ヘルプっていうのは、頼るっていう意味が、
まあ頼るっていうのかな、助けるなんだけど、
やっぱり頼りがいがあるみたいな、そういう雰囲気があるんですよ。
もう一つ僕がね、よく英語だなんだけど、英語でいい言葉だと思うのが、
レスポンスなんですよね。応答できるかってことなんですよ。
レスポンシビリティって言うじゃないですか。責任ですよね。
責任が持てない感じがするんです。自分の人生に対して。
だからレスポンスが十分できる感じがしませんよと。
だからレスポンスがエイブルだから、エイブルはキャンと同じですね。
Be able toですよね。レスポンスがエイブルだといいんですが、
レスポンスがエイブルじゃないわけですよ。
何か問われても、いやいや私もう答えられないですから、
っていうことになっちゃうわけですよ。
何かお金稼ぎなさいって自分から要求が来ても、
いやいや私それできませんから。
他の人にレスポンスをお願いしますっていうことになってしまうと、
辛い。これも辛いという思い込みの方がはるかに大きいと思うんですが、
とにかく辛いわけです。
ここを描き出すと先から言ってますが、
分解による精神分析
描き出す、描き出し方として、精神分析は3つ用意しているんですよね。
少なくとも、もっともっとずっと用意しているぞと言われるとあれなんですが、
話をする上では3つに絞ります。
本当は1つに絞りたいぐらいなんで、3つに絞りますね。
何をやり始めたかというとですね、
分解を始め、要するに分けるわけです。
スプリットするわけです。これは何度も言ってますよね。
スプリットする理由はなぜかというと、
この世の中という恐ろしきところに出ていき、
自分はヘルプレスネスな存在で、
とてもとてもとても頼りない。
フニャフニャの紙みたいなものが。
それに対して世界には台風みたいなのとか、
竜巻みたいなのとか、ミサイルみたいなものとか、
とにかく無茶苦茶強くて、
ゴジラ対紙人形みたいになっちゃってます。
そういう状態に見えた時ですね、
世界を2つにまず分けるわけです。
これはもう散々言ってる通り、
世界の良いものと悪いものに分けましょうと。
良くて優しくて、
理想自我とか自我理想って言葉があるんだけど、
要は超自我の良いところがあるんですよ。
つまりそれは良いおっぱいってことです。
つまり、部分対照化していくんですね。
私を受け入れてくれる、私を慰めてくれる、
私に優しくしてくれる。
分かります?
良いものと悪いものの対比
だんだんレズ風俗に近づいてるって分かります?
だんだんだんだんこの私を慰めてくれる。
カウンセラーを抱きしめてくれる。
そういう良いものですよね。
良いものと、反対側にはもちろん悪いものがあるわけですよ。
鬼がいるわけです。
先日これはお話ししたと。
この良いおっぱいと悪いおっぱいに分けて、
良いおっぱいから自分のヘルプレスを何とかしてくれる。
何て言うんですかね。
寄るべなさ、頼りなさ、
無責任な感じ、
無力感とか、
そういうものはストレスを生み出しますので、
どんどんどんどん自分の気持ちを暗くしていく。
そこを晴れやかにしてくれるような良いもの。
マチューリの少女でいうところの良いおばあちゃん。
シンデレラで出てきてもいる良いおばあちゃん。
なんかおばあちゃんなんですよね。
だから長寿がって決して厳しく怒るばっかりじゃないんですよ。
ああいう側面もあるってのを忘れてはいけないんですね。
これは防衛だと、自我心理では説明しちゃうんですけど、
防衛ではないんですよね。
防衛ではないとまでは言わないけれども、
あれなんですよ。
トイレでジャーって流すと綺麗になるじゃないですか。
あれ。
自分の気持ちを一瞬で良くしてくれる。
つまり万能感なんですよね。
万能空想による万能感。
優しくしてくれる。
つまり簡単に言うと良い人たちね。
良い人たち。
これが良いおっぱいの正体ですね。
これを取りに来た。
精神分析における同一化とストレスの対処法
なんならできれば可能な限りその中に入ってしまって、
自分も良い人たちになる。
これがつまり、
精神分析では。
これは全部、この話は全てですね。
グッドバイオウスで言う、
バラバラ意識の中の話だけをしてるんですよ。
一つ意識の話。
ここには一つも出てきてないんですね。
だから同一化という言葉を誤解してはいけません。
同一化というのは一つ意識って言ってるんではないんですよ。
一つになろうと無理をして頑張る。
そのためにまず世界を良いものと悪いものに少なくとも分けて、
良い方に同一化する。
悪い方っていうのがまた面白くてですね。
例えば今壁のところに、
これ言わない方がいいのか?
虫がいるわけですよ。
こういうところに悪いものがあるわけです。
あるいはその先ほども言いましたけれども、
厳しい世の中とか、
ブラックな何とかとか、
作種とかそういうものが悪い側にあるわけです。
そっちの方にストレスをどんどん投げていくので、
これを投影と言いますが、
あえてさっき取り込み同一化と言ったので、
自分が良いものを取り込むのが取り込む同一化ならば、
悪いものを外に出して自分をより良くしていくのを
投影同一化と言います。
これが精神分析の、私はですね、
対象関係論の方の特に中核にある考え方なんじゃないかなと思うんですね。
これは自分のさっき言ったような、
弱々しさとか不安といった、
頼りなさといったところから来る不安のストレスに対応するための方法。
これが一つ目ですね。
二つ目に、悪い奴に襲われた場合の対処法というのが別途あるわけですよ。
これは永田さんの漫画ではあまり出てこないんですけど、
細川てんてんさんとか、こういう漫画を描かれている方はいっぱいいらっしゃるんですよね。
自伝エッセイ的なやつ。
悪い奴が理不尽なことをやってきた。
これはですね、自分の頼りなさっていう話とはまた別じゃないですか。
自分の頼りなさに対しては結局究極的には劣風俗なんですけど、
つまりお母さんと裸になって抱き合って慰めてくれる世界っていうものが取り込み同一化に出てくるんですが、
そうじゃなくて、もっとパワハラの上司がやってきましたとか、
本当に嫌なおっさんですみたいな、そういう話が出た時には全然違う問題が出てくるわけですよ。
もっと複雑ですよね、話がね。
多分、ただパワハラのおっさんが出てきましたってえらい簡単に言っちゃってるけど、
もっと嫌な話になってるわけですよ。
そこで出てくるのはもはや劣風俗では対応しきれないので、別の対処法が必要になるんですよね。
今度はですね、優しいおばあちゃんと同一化するのではなくて、厳しくそいつらを罰する厳しいお母さんみたいなのと同一化するんですよ。
これが長寿が対象との取り込み、同一化ですね。
自分は厳しいお母さんになってそいつらを罰すると。
この話はさっきのおっぱいを飲んで自分をすっきりさせるというのとは比べると著しくややこしいですね。
まず、昔の自分のお母さんと同一化して上司を徹底的に一括する、できないんですよね。
現実の社会でこれができる人というのはあんまりそう多いものではないと思うんですよ。
そうすると何が起きてしまうかというとですね、この上司と一緒にいるような会社を選んだ自分を責め始めるとか、
この上司にぐじゃぐじゃ言われている能力が足りない自分を攻撃し始めるとかいうことが同時に起きてしまうんですね。
そういう意味ではさっきの、永田花火さんのおっぱいにすいつくというこの発想に比べて長自画対象との同一化というのは自罰や多罰という問題。
やってることは全く同じなんですよ。
自分の中の嫌なストレスを上司とかに排出する、投影する。
だから長自画を取り込み自分のストレスを外に出すという意味での
長自画に対する取り込み同一化、ストレスに対する投影同一化は全くやってることは同じだし、
多分こっちの方が世の中ではよっぽど多く見られる現象なんですが、
こっちの方が上手くいきません。
さっきのやつの方が上手くいった感じはしますよね。
甘いものを食べてストレスをすっきりさせるとか、そういうのはさっきのレズ風俗型なんですよ。
この言い方えぐいですかね。
もうちょっと何かいい言い方ありますかね。
甘い世界を取り込む取り込み同一化なんですよね。
それに対して長自画と同一化することによって、人を失跡しようとする。
でも大体うまくいかないから自己失跡になってしまう。
このパターンの失跡型の取り込み同一化は難しいんですよね。
これが様々な問題を生み出します。
失跡型の取り込み同一化と相的防衛
まず他人との圧力を生み出します。
他人とやり取りできて、やりあってられるときにある程度こうをそうするとこれを相的防衛と言いますね。
他人と距離を置くとか、そういう元気じゃないとできませんから。
さっきの永田上さんは難しいじゃないですか。
これが相的防衛というのは防衛になっているという意味で一段とスキルフルなもの。
スキルが高くなっているってことを相的防衛では忘れてはいけない部分なんですね。
相的防衛というのはわけもわからず子どもが親に喧嘩を売っているみたいな話とはちょっと違って距離を置く。
つまり社会人的なやり方なんですよ。
だから防衛というものにある程度機能していくんですね。
だから少し成人的な大人の対処法の一つではあるんです。
距離を置く、分離するというのは例えば心の壁を築くみたいな。
フットファイブズの文脈で言うと全部バラバラ意識で個別意識なんで、その対処法ではうまくいきませんよって話になりますが、
いろいろとうまくいかないもののやり方の中としては防衛がついている限りはうまくいっている方なんですよ。
空想による問題解決と悩みの深層
これが防衛なのか、東映ドイツカなのかという見極めは難しいし、理論の上だけでやるのは無理だと思います。
結局のところ防衛なのか、東映ドイツカなのか、あるいは多席的な攻撃なのか、同外報復とかいう言葉もあるんだけど、それなのかは本当に難しいところなんですよね。
例えば転職はどうなのかと。
転職するとかいうのは防衛なのか、それとも多発的なものなのか。
やってる人は多発のつもりかもしれませんよね、もちろんね。
私のような有能な人間をこの会社は失うからいい君だ、罰してやるっていう風になるかもしれないけど、会社の方ではあいついなくなっても別に困らないしみたいなこともあるわけじゃないですか。
お互いがある意味、利害という意味で円満にパッと分かれた場合、これはやっぱり相的防衛なんだろうと思うんですね。
防衛として機能している、攻撃とは言い難いところがあるという感じですね。
いずれにしてもこのやり方、つまり長寿がと同一化して攻撃するなり、相的防衛に訴えるなりしていくというのは、
どうしても自分に対する欲打つ感というものもセットでついてきてしまいます。
なぜならば長寿がは、なんて言えばいいんでしょうか。
長寿がと同一化した時に、それは親対象との、特に罰型なので、
やっぱりそういう意味ではさっきトイレでジャーってやると綺麗になるというのと似ていてですね。
親が一言、ダメでしょって言って子供が死因となるみたいな、そういう対処の仕方でストレスを何とかしようとしている。
そういう意味では万能空想、これはこれで。
万能空想だと私はやっぱり思うんですよね。
だって親が一括したところで、長寿のパオハラなんて直せないじゃないですか。
直せると思うというところに、空想感が非常に強く滲み出ている。
もう一つは、そもそも親、これはもうレズ風俗型でも同じですけれども、
親対象を取り込むということが、果たしてそれが空想でなければなんだのかと。
自分が親になるっていうのは空想じゃないですか。
実際には親にはなれないわけだから。
だからこれはやっぱり空想なんですよね。
そういう意味で、この精神分析が描き出している世界というものはですね、
全て空想ですね、全てイリュージョンの世界。
だからこそ、それが信仰しすぎると妄想になってくるし、ディリュージョンになってくるし、
そしてですね、クラズノさんの言うところの個別意識の世界なわけですよ。
グッドバイブスの文脈で言う。
現実ではないですからね。
その上司がどう見えようとも、見えた通りの存在ではないということです。
それに対外の場合、見るだけでは済んでないですよね。
見るだけで済ませているならば相当現実感が強いんだけど、
家に帰ってもあの上司の言われた言葉は忘れられないとかいう話あるじゃないですか、よく。
これは心の中に声が残ってしまっているという意味で、やっぱり空想が続いているわけです。
だからずっとこの万能空想という問題はですね、
個別意識とはやっぱりセットなんですよね。
身体と健康に向き合う空想
そしてこの状態に楽ではないですよね、決してね。
楽な状態ではない。
これが楽な状態だったら、別に個別意識自体を問題にする必要がなくなってしまいますから。
2つ目がある。これで2つなんです。
この2つ、両方とも僕らは同時に使います。
長時間と同一化する。
甘いものも食べるでしょう。
どっちかだけ使うように説明の時はしちゃうんですけれども、
長田上さんのような方は、なかなか長時間対象みたいなのが登場してこないほど、
自分の寄るべなさというものに、だからすごい同情を誘われるようなお話になっていますよね。
長時間対象というのを普通の人はどういつかします。
だからこの状況に対して一括くれてやろうみたいになりやすい。
同時に、そういう甘いものを取り込むということもやります。
これがチョコレートだったり、お酒だったりするわけですね。
大体この2つを組み合わせて、僕らは個別意識における問題に対応しているわけですね。
もう1つあると僕は思うんですよ。
これがですね、ちょっと次元が変化してしまうんですよね。
水準が変わる。精神分析の世界では水準が変わるんですよ。
これが体の心配というやつです。
つまりですね、運動とか体の痛みといったもの。
痛みというのは空想じゃないんで、痛みが本当のものであれば、
やっぱりちょっとそこは頑張ってお医者さんに行きましょうって話なんですよ。
現実だから。
でも多くの場合、痛みにまつわる空想を始めてしまうんです、私たちは。
だから身体というもの、個別意識なので身体非常に大事です。
身体というものに向かった時、つまりこれが健康志向みたいなやつになった時にですね、
3つ目が登場すると僕は思うんですね。
漂白神経的な何かなんですよ。
何か私の身体状態を常にある状態に保っておくために、
やっぱり世の中の良いものを取り込み、悪いものを排出する。
しかもそれが非常に、この場合には具体的に行われるんですよね。
例えばサプリメントとか、食物繊維とかね。
あと運動する習慣を身につける。
これは取り込むってことと変わらないので。
そして、怠惰な自分とか、悪いものをデトックスっていうじゃないですか。
排出すると。
良いものと悪いものを分けて、自分の中に良いものを取り込み、悪いものを捨てていくということを繰り返すわけですね。
精神的な成長と空想
ここに精神的なものを加えると、非常に長時間的になってきます。
例えば、タメになる本、インプットするとか、そういうやつですよね。
そして、悪い習慣を排出していくみたいな。
全くやってることは取り込み同一化と投影同一化なんですけれども、
ちょっとですね、水準が変わるんですよ。
何が変わったか。
過去2つのやつは、最初にご紹介したものほどダメに聞こえると思います。
世の中一般では。
私は永田神さんは悪いことは何もしてないと思うんだけど、
多分、彼女のようにレズ風俗に行って水蔵を壊すまでアルコール依存になるというのは、
非常にこうある意味、犯罪では全くないんだけれども、
世の中的には、なぜかですね、これに対していい顔をしない。
それよりは、こっちの方が私は話がややこしくなると思うんだけど、
上司に食ってかかるとか、世の中に出て行って妙に正義感を振りかざしてバンバンやり合う。
けれども、やり合っているうちに、なぜか本人が欲打ち的になっていくという、
総打ち的な、総局的な振る舞いの方が、まだしもなぜか世の中では受け入れられている気が。
これは私の妄想かもしれません。
この2つは、精神分析ではおそらく同一水準と見出しているんだけど、
いずれにしても非常に子供らしいやり方だとは思いますよね。
3つ目は、大人っぽいでしょ。
筋トレをして、食物製品を食べて、何なら最新のビジネス書を読み、
悪い習慣、怠惰な習慣、SNSばっかり見てしまうという時間を減らし、非常にライフワーク的なやつですよね。
これは神経症水準だとやっぱり見えるんですよ。
だから対抗という言葉を使うならば、思春期レベルというところにまでしかせいぜい戻っていない感じがするので、
そういう意味で世の中の評価は、こっちは著しく高くなるような感じがします。
私はこの3つはやっていることが何も変わっていないと思うんですね。
グッドワイブスの文脈でも、この3つはいずれも個別意識だと思う。
ただ、3つ目がうまくいっているときに、3つ目を捨てる必要はないんですよ、と思うんですね。
ここは微妙なところかもしれないけど、3つ目が十分満パンだときは別にそれに対して何か言うところではないとは思うんです。
いずれも同じですけどね。
ただ、前2社は多分本人は辛い。
3社目は本人は辛いのかもしれないけど、その自覚は薄いと私は思う。
だから薄い間は別にそれでいくということになるでしょう。
3社目の辛いのがなぜかというとですね、これはさっき言った通り、1社だけ使う人とか2社だけ使う人はいないんですよね。
この3つはほぼ並行して使うことになる。
たぶんアルコール依存とライフワークを並行する人は少ないかもしれないんだけど、いなくはないと思うんですね。
例えばなんですが、こういうケースは僕はあり得ると思います。
すごくうまくいく恋人と甘い関係に入りながら、日々の生活は7つの習慣的なもので逆算し、これからどんどん生活も自分も良くなっていく、そういう生活スタイルを整えて、
そして最新の本も読んで、教養のある本も読んで、悪い習慣は全部排除して、そして嫌な人とかこの状態を傷つけるような人が現れたら、
壮的防衛でどんどん距離を空けていき、でもその恋人を中心とした良い人たちとの関係というものはしっちりと守っていく。
おかしくないですよね。というか、これ、理想的な生き方と今されているのではないかと思います。
ただ、いいんですよ。これが全部うまくいくというケースであれば、ここに対して何か言うところじゃないなと思うんです。
空想的理想生活スタイル
私には異なる見え方が見えてしまうという程度であって、多分これ自体が良い悪いを言っても、つまりイリュージョンに良いも悪いもないんでね、イリュージョンはないもんね。
ですから、この話は私は空想がものすごく入り乱れているという意味で、それが理想的な生活スタイルだとしても多分そういう風にはならないんだろうなというのと、
この一点、冤獄のようになっているのはおかしいですけれども、理想そのもののような生活スタイルがもたらして、いや、というかその前に確立されることがないんだろうなとは思います。
思うんだけど、それは私の勝手な見解であってですね。今のの何が悪いというと、何も悪いわけではないんですよ。
僕にそれが確立できる気がしないというのと、その理由は余計なものが見えてしまうから、余計なものと言ってはいけない。
その理由はgood vibesの文脈が見えてしまうから、もはや。そういう言い方をしておけばいいと思いますが、この事態そのものはおかしくはないと思うんですね。
ただ、この今言った理想の生活というものは、つまり変形的に精神分析の対象関係論で描き出されている万能空想というもののスタイルを3つとも全て適用した場合において見えてくる生活スタイルだなって感じはするということです。
これがさっき言った余計な文脈なわけですよ。その文脈で見てしまうと、おそらくそれが現実になることはないだろうな、つまりリアリティが感じられないということなんですね。
なぜならそれは空想だからですね。世の中を良いと悪いに分けたところから始まっているし、ストレスというものを中核に築き上げたものなので、そのストレスというものは実際には存在しないものを自分で作り出したものだと思いますし、これは心理学的にそうだと思います。
だから私はストレッサーという言葉は間違っていると思うんですよ。ストレッサーというものはないと思うんですよね。ストレッサーが外にあってストレスがあるのではなくて、あえてストレッサーというものがあるとすればそれは自分の脳みそですよね。
それが自分のストレスというものを作り出しているんだから、そのような生活スタイルを築き上げるまでもなく、脳みそのストレッサーのスイッチをオフにしてしまえばそのストレスが消えてしまうんですよね。
そしてそこにある良いと悪いというのも、また長寿が作り出した良いと悪いなので、つまり仮置きしたものなので、幻想的なものなので、そこに良いと悪いはないわけですよ、本当はね。
個別意識の作り上げ方
そういうものをベースに構築したものが現実であるとは思えないので、だから現実を見に行く方がおそらく早いということは、確か早いというのはこの場合時間的なものでも速度的なものでもなくて、もともとなかったついた手を取り除いてしまえば、こと足りる話だといった程度の意味です。
つまりここの中の話の中には、今言った話の中には一つ意識は出てきていないということですよ。
私たちは本来どうであったのかという話に戻っていくと、これはすべて作り上げた話ばかりなので、個別意識というのはそもそも個別というものを作った後で浮かび上がってくる世界ですから、個別という意識そのものが作り出されたものですから。
最初に言いましたよね、永田神さんと家戸も空気吸ってるし、ものは食べてるし、親鎮対処もしているわけで、個別感というものは後から何らかの形で作り出されたものなんですよ。
ちょうど学校というものは世の中から切り離されていて、学校というところにいた自分がこれから世の中というところに出ていくというのは理由として、アレゴリーとしてはそういう表現はできるけど、実態としてそういう現実はないわけじゃないですか。
これと個別意識というのは実は全く同じ話をしているわけですね。
だからこの個別意識そのものを取り除いてしまえば、あなたはもともと世の中にいたって、学校でやっていけたんなら世の中でもやっていけるっていうふうに考えておけばいいんですよってことが足りるんですよ、本当はですね。
あなたが感じているそのヨルベなさとか、ヘルプレスネスとか、イルレスポンシビリティとか、つまり無責任とか無力感とか、非力とか、欠落した人間だとか、そういった感覚がすべて作り出したものであって、本当は最初からそういうものはなかったはずなので、だって生まれて落ちたときは多分そんなことを意識したことはなかったはずですからね。
なかったわけですから、大丈夫なんです。というのは受け入れられれば、受け入れられればですね、さっき言ったような特殊な生活スタイル、つまり特殊なんですよ。
いい人、いい恋人といい世界を築き上げて、悪い、ダメでハラスメントな人たちとは相的防衛で距離を置いて防衛し、そして今後のためにですね、比較的脅迫的な、そういう言い方にネガティブなものは僕は含めてないつもりなんですけど、
日々を整えていくためのライフハックで、いいものを取り込み、悪いものを排出するという生活スタイルはですね、極めて特殊なものなんですね。
それは学校から世の中に出ていくというものに、本当に実態を見るぐらい特殊なやり方だっていう、そういう、なんていうんですかね、私の精神分析の議会って感じです。
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