1. グッドモーニングボイス
  2. 野の医者としてのライフハック..
2023-10-19 51:37

野の医者としてのライフハック【GMV860】

●第4期 「ずっとやりたかったこと」をやる3ヶ月チャレンジ! | Peatix

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サマリー

今日は、クライマックスシリーズの野球試合が影響して、朝と夜の生活リズムが変化したという話があります。また、3ヶ月チャレンジについてのお知らせがあり、ライフハッカーの本質やトリックスターについてもお話されています。野の医者はライフハックの一つであり、精神分析とトリックスターには共通点があると考えられています。精神分析は大学の授業では教わらず、国家資格でもありませんが、野の医者としての存在意義を持っています。野の医者としてのライフハックについてもお話されています。心の相談はどこに持ち込むべきかや、ライフハックの窓口としての機能などについても話題になっています。人間の悩みから答えに至るまでのプロセスをライフハッカーとして支援する野の医者の存在意義についても考察されています。上司との関係や自己投影についても考えられています。タロットカードやGoogle先生も関連性があります。また、お医者さんに行った際に眠れないのにカフェインを出されたという話や、タロットカードが解決策を提案しないことについても議論されています。

クライマックスシリーズの影響
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
いやー、久しぶりになっちゃいました。
なんと、今日は10月19日、木曜日、朝9時。
アップした頃は10時前ぐらいになるかなと思いますが、
3日サボった感がありますね。
16、17、18。
まあね、これは、わけはあるわけですよ。
いやー、すごい簡単なんですよね。
クライマックスシリーズが始まってしまいまして、
もうほとんど昼から夜まで野球付けだったわけですね。
土曜とか日曜とか。
特に月曜日はもうひどく、土日は関係ないじゃないですか。
まあでも夜まで見ているからね、
あのー、やっぱり遅くなるわけですね。
寝るのも。
で、起きるけどめっちゃ眠いんで、
あのー、まあ寝ちゃうわけですね。
そうするとこれを撮る機会を一する。
で、一旦寝てしまって起きてからはもう仕事の方向に向かっていくので、
まあこれも仕事なんですけど、僕の中では今は。
これをやっている余裕はなくですね。
特に月曜日とかも、知らない人の方が多いと思うんですけど、
ロッテがですね、奇跡的な勝ち方をして、
夜ずーっと見てたわけですよ。
吉井監督のインタビューとか、見なくていいのに3回も4回も見るわけですね。
しかもツイッターとかももう追うわけですよ。
そうすると朝とかもめちゃくちゃ辛いわけですね。
で今度、まあ昨日は負けたんで、もうあっさり。
だから今日朝起きていられるわけだけれども、
もうあのー、そういうわけで朝と夜がちり別列になっているのがここの3日間だったわけですね。
そこまでなると思わなかったんだけど、
結構面白い試合が多くてですね、
まあファンとしてはですよ、
多分パリーグに興味ないっていう人が多いと思うんで、
それほど見ているというのが不思議かもしれないですけど、
ファンとしてはね、非常に面白い試合が多くて、
しかも僕はセリーグも見ちゃうんで、
別にセリーグには応援球団はこの中に、
DNAはちょっと地元だから、
地元でもないんだけど、少しは肩入れしているんですけど、
まああっさり敗退してしまいましたし、
ちょっとこう、阪神広島となってきますと、
まあ面白いんで見ちゃいますけどもね、
とはいえ、関西の方の球団だし、ちょっと縁がないんですよね。
だから、こんなに阪神広島まで追ってるってわけじゃないんですけど、
たぶん普通の人よりは全然見てるんで、
遅くなります。寝るのがね。
そういうわけで、まあいいや、こんな話は。
3分もしなくていい話なんで。
なんと月間スイート、スキップしているという事態ですね。
別にこう、もうこれは、
ポッドキャストはもういいやと思ってるとかでは全然ないんだけど、
昨日はその、あ、これちょっとやろうと思ったんですけど、
ポッドキャスト喋んなかった日はノート書こうみたいな、
今そういうなんとなく体制で、
別にそれをタスクシュートに入れてるとかではなく、
本当なんとなく体制でやろうかなと、
まあ続けばですよね、思ったりしてます。
だからまあ、ポッドキャストない日は、
そうは言ってもそれやったのは昨日だけなんだけど、
ポッドキャストない日はノートを読んでいただけるといいのかもしれないですね。
まあこれを守れるのかっていう話はあるんですが、
このぐらいちょっとゆるくやってるんですよね、これ実はね。
結構回数重ねてるんで、
そうは見えないかもわからないですけど、
僕の中ではこれかなりゆるくやってはいるんですよ。
だから続いてるのかなと思うんです。
3ヶ月チャレンジのお知らせ
お知らせなんですが、
3ヶ月チャレンジですね。
現在絶賛募集中で、
10月31日までです。
残り一枠なんですよ。
こちらよろしければですね、
こちらの今日はちょっと立て付けみたいなのを、
立て付けって言うのかよくわかんないんですけど、
内容説明を軽くしていきたいんですけど、
あれってつまり僕はまず週に1回セッションみたいなの、
これはもう必須じゃないんですけど、
ご参加いただいた方はオプションで週に1回セッションを受けていただけると。
あとは週に1回、
おおむね土曜日に作業タイムと、
各週ぐらいでさらにそのままグループセッションに流れ込むみたいな感じで、
大体3,4,5名ぐらいのミニグループセッションをやっています。
テーマはその時その時なんですけど、
グループセッション中はですね、
僕しゃべっちゃいますけど、
なるべく私じゃない方に色々とご提案いただく、
現状のあれこれに対してその場で出てくる皆さんの思いついたこととかをお話しいただく。
これは私は結構大事だと思っております。
アイディアが有効に働くかどうかというよりは、
そうは他人の目には見えないっていうのが必ずその時に出てくるんですよ。
自分としてはこうなっていうことに困ってるって話を誰かが持ち込まれるわけですけれども、
その時にそうは見えない。
僕が持ち込むこともあるんだけど、
僕なんかもやっぱり人の目にはそうは見えないんだなっていうのはすごい感じるんですよね。
つまり僕らはやっぱりどこまでも主観で生きているわけで、
他の人が言うことも主観なんですけど、
この主観のずれっていうのは非常にあるんだって言うんですね。
実感することが大事だと思うんですよね、やっぱり。
だからそれをやります。
あと土曜日とは限らないんですけれども、
少なくとも3ヶ月チャレンジ期間中1回は、
前回山崎孝明さんをお招きしたみたいに、
カウンセリング的な人をお招きして、
その人の話を聞くっていうのを設ける。
これはですね、一般の方にも開放しているので、
SFSチャレンジの方以外の方も目にすることはできるんですけれども、
無料でご参加いただけるということにしてあります。
あとはグループコミュニティで投稿いただけるというくらいかな。
他にも何かあったような気がするんだけど、
今はなぜかさっぱっと出てこないんですよね。
でも大体こんな感じであります。
あとこれにでも何か付け加えることができるかっていうと、
なかなか難しいんですよね。
3ヶ月チャレンジの方だけにお出しする、
しかし外の人には出さないみたいなコンテンツっていうのは、
これ以上は私にはちょっと考えつかないんですが、
ここでも僕は中心に今、
例えばこのホットキャストも結構ですね、
3ヶ月チャレンジの方が聞いていただいているっていうのを
意識して喋っていることは多くなってきました。
もちろんこれはですね、もともと一番最初はGood Vibes、
実践している私の実践について喋る。
これはもうずっとある意味そのつもりでやってるんですけどね。
あと100日チャレンジが始まって以来は、
100日チャレンジの方向けにも聞いてくださっているって方が
ちらほらいらっしゃるんで、
100日チャレンジの方向けにも時々は結構それなりの頻度で
喋っていると思います。
タスクシュートとかの話ですね。
でも大体その辺なんですよ。
私が今意識して喋っているという。
なので、3ヶ月チャレンジにご参加いただくと非常にこう、
なんかそれが分かりたいのかって言われると困るんだけど、
内実が、私の活動の一番内実のところが
すっごくご理解いただけるんではないかと。
僕が言ってることって結局、今の感じではですね、
こう言っても分かりにくいですけど、
ライフハッカーってのも結局、
ライフハッカーとトリックスター
のの医者だよねっていうことなんですね。
で、のの医者って何かって言うとですね、
多分今日はこういう話になるんだろうな。
のの医者というのは、
非専門的な相談窓口なんですよ。
単なる窓口じゃないケースもたくさんありますが、
いずれにしても窓口はあるぞってことなんです。
つまりそこで相談を受け付けてますよっていう意味ですね。
でもそれは非専門なんですよ。
ここが非常に大事なんですね。
戸畑海斗さん、のの医者を笑うを書いた戸畑海斗さんは、
すごい独特の才能を持った方だなって思うんですよ。
トリックスターってのはまさに
ああいう方を言うんじゃないかと。
トリックスターって人が言ったら
怒られるかもしれませんけどね、人に対して。
あれですよ、キッチョムさんとか日本では伝統的に
イッキューさんとかね、
ああいう感じの人っていうのかな。
伝説ですけど、
豊臣秀吉とかが一応、
実在の人物として非常にトリックスターらしい。
よく殴られる。笑いを取る。
思わぬ結果を出すみたいな、そういうですね。
ユング派の人がすごくここを強調して、
河合俳夫さんなんかトリックスター絶対本の中に
1回は出してくるんですけど、
トリックスターの話、
それを分析的とかカウンセリング的に
どういう意味をも使って話を出してくるんですけど、
河合俳夫さんっていうのは
ユング派のカウンセラーなんですけどね。
まさにトリックスターってああいう人なんだなって
感じをさせられる人ですよね。
殴られてるのかは知らないですけどね。
僕はちょっとごめんだなみたいな、
トリックスターやりたくないなみたいなのは
できないんですよね。
僕はやっぱりタイプがすっごい違うと思うんですよ。
アクロバティックな人なんですよね、生き方も。
昔でいうと本当に、
それこそサーカス、
爆点とかやたらやる人、
あれがトリックスターっていうやつなんですよ。
本当に昔の話なんですけど、
僕がもう子供の頃っていうんですよ。
セーブライオンズに当時所属していた
秋山康二という、
最近ソフトバンクの監督やられたんで、
割とそれでご存知の方もいると思うんですけど、
あの方がですね、
広島セーブの日本シリーズの第5戦か何かで、
同点に追いついたホームランを打ったときにですね、
ホームベースのところで爆点したというので話題になったんですよ。
爆点って誰にでもできるもんじゃないですしね。
でもなんで話題になったかっていうと、
今でもそう話題になるかもしれないんですけど、
ちょっとですね、当時はまだそういうことをやって
物議をかもすような時代だったんですよ。
しかも加えてですね、
秋山康二って人はそういう感じのしない人なんですよね。
なんかインタビューでも喋んないし、
なんか割とむずっとしてる感じのタイプ。
本人はそういうつもりはないのかもしれないけど、
周りではですね、すっごい真面目で、
無口でみたいな感じで、
あの方がいきなり爆点したんで、
割と話題になってですね。
セーブはそのシリーズ3連敗でスタートしてたんですけど、
いわゆる3連敗4連勝ってやつで、
すっごい逆転劇で盛り上がったんですけど、
その時のきっかけになったような人なんですね。
ああいうのが、
秋山康二って人は全然トリックスターらしくない人なんですけど、
トリックスターってのはそういう感じの効果を発揮する。
意味は別にないんですよ。
爆点したからなんだってことはないんだけど、
でも爆点とかすっごいするイメージは、
トリックスターってあるんですよね。
よくダルマさんもあるじゃないですか、日本では。
どんなに裸れてもすぐ起き上がってくるみたいな。
天地が逆転しちゃっているわけですね。
だからトリックスターなんですよ。
あんまり良いイメージばかりではないというか、
それをやりたい人はどのくらいいるかっていうイメージのタイプなんですよね。
西洋ではピエロなんですよ。
トリックスターと精神分析
赤と白のシマシマの服を着ているじゃないですか。
ああいう感じ。
変な格好をして、変な踊りを踊ったり、
爆点したり、友帰りをしたり、
同じですけど、人に殴られて笑いを取っているっていうね。
でもなんかすごいことをしちゃう。
そういう感じ。
それがトリックスターの話を何でしているかというと、
戸畑海斗さんって本当そういうタイプだなと。
野の医者っていうのは少なからずトリックスターの世界でもあるんですよ。
僕はライフハッカーっていうのは野の医者だと最近は思うんですね。
精神分析って僕は言ってみれば野の医者だと思うんですよ。
一見ものすごい専門家風に寄り添っているけど、
例えば精神分析ってまず大学では教わらないはずなんですよね。
精神分析学入門っていうのは大学の講座には一個もなくはないかもしれないけど、
ないんじゃないかなって。
フロイトってすごい実はトリックスターっぽいところがあるんですよね。
あんまりそういうイメージないですけどね。
なんかめちゃくちゃ堅そうなイメージしかないけど、
彼のやったことってすごいトリックスターっぽさがあるんですよ。
だって人間のすべてのって言ったんですよね。
今でもほとんどのぐらいは言えるかもしれないけど、
文化的活動は性欲に基づいてるってめっちゃやばいこと言ってるじゃないですか。
しかもあんなお堅い時代にですね、今から100年以上昔のすごいお堅い文化の、
あのお堅い文化はすごい怪しげなお堅さなんだけど、
お堅いフリをしていてみんな裏で何やってるのかわかったんじゃない的な世界なんですけど、
そこで言ったわけですよ、そんなこと。
しかも、ホロコーストっていうんですか、
非常に問題がその後いろんな問題を引き起こすことになる、
その街のど真ん中に近いところですよね。
オーストリアのウィーンでユダヤ人が、
これを言うっていう、それがすごいやっぱりアクロバティックですよね。
当時ものすごいやっぱり言われるわけですよ。
めちゃくちゃ叩かれたわけですよね。
あの性欲じゃなくたって叩かれるんですよ、彼の言ったようなことって。
例えば人間はほぼ90%以上無意識に動かされていて、
全然嬉しくないと思いますね、当時のヨーロッパの考え方からすれば。
ルネサンスみたいな考え方とほぼ逆を行くじゃないですか。
これはすごいざっくり言ってますけどね。
でも当時としてはすごい叩かれた方面からめちゃくちゃ、
今でも同じような理由で叩かれてるわけですから。
精神分析というのは大学の授業に乗ってこないんですよね。
一見すっごく昔からある伝統の、そうなんだけど、
専門的で学術的な感じがするんですけど、
例えばフロイトって近代では哲学の教科書にも絶対、
顔写しにつきで絶対出てくるし、
もちろん心理学では優に及ばず、でも彼は心理学者じゃないですからね。
精神分析の学問性
全然心理学者ではない。
じゃあいわゆる臨床心理学で出てくるかというと出てきますよ。
絶対出てくるんだけど、
じゃあ彼は臨床心理学なのかというと違うんですよね。
精神分析なんですよ。
精神分析と臨床心理って違うんですよ。厳密にはね。
我々から見ればどっちも同じでもいいんじゃないかと思いますけど、
臨床心理学って学問あるけど、精神分析学って学問ありませんからね。
奈落はないのかもしれないけど、一般的な用語では出てこないですよね。
でもこれもまた不思議なんですよね。
サイコアナロジーって言っちゃダメなのか、
ダメってことはないと思う。
この辺をぐちゃぐちゃ言っててもダメなんですけどね、それこそ。
でも今でもそうですけど、
なかなか精神分析家ってお目にかからないと思いますよ。
臨床心理師は山ほどいらっしゃいますよ。
ツイッターでも見ていただくとわかると思うんですけど、
臨床心理師ってもうほんといっぱいいらっしゃるし、
今では一緒に公認心理師って絶対ついてる?絶対じゃないけどね。
かなりの比率でついてきてますけど、
じゃあ精神分析家って書いてあるかというと書いてないと思うんですよ。
最近その山崎隆明さんが精神分析的心理療法かっていうのも追加されてますけど、
これだってめったに見ないような気がしますね。
だから国家資格だったら公認心理師って言うわけですよ、今だったら。
臨床心理師でもいいと思うんですけど、侍ですからね。
でも精神分析家は国家資格ではないんですよ。
だからそう言ったら怒られるかもですが、
野の医者なんですよ、精神分析家はね。
で、そうなってくるとあの野の医者は何なんだって感じもだんだんしてくるんですけどね。
野の医者っていうのはどっちかっていうとライフハッカーでさえね、
いや俺は野の医者じゃないから、もっと合理的にしゃべってるからって思うかもしれませんけど、
水晶玉を見て未来を占ったり、
小読み見てあなたの生まれた月からして、
今年はちょっと大人しくしておいた方がいいかもしれませんね、みたいな話をする。
あれはまあ典型的に野の医者らしい感じがするわけじゃないですか。
私たち、例えばそれと時間管理はタスクシュートでやりましょうとか、
それがどうして一致するんだっていう感じがされるかもしれないんですけど、
問題なのはですね、近代ってのはすごいある意味不自由な世の中でして、
一番わかりやすいのは、ちょっと前にインターネットでウェルクーだったかな、問題になったんですけど、
勝手に問題解決してはいけない領域があるとでも言いますか、そういう部分があるんですよね。
すいません、これは非常に不思議な世界なんですけど、
明らかにそうですよね。
ちょっと脳の調子が悪いから、脳外科を隣のおじさんにやってもらうってわけにはいかないじゃないですか。
絶対嫌だと思うんですけど、ここには免許っていう考え方があるわけですよ。
しかもそれは普通国家資格ってことになってるわけですよね。
僕らは、たった車の運転をするのすら国から免許をもらわないとできないわけです。
あれ国家資格なんですよ。
今ではあれですよね、最初に登場した頃はそうじゃなかったのに、
僕もその時遊んでおけばよかったと思ったんですけど、
要するに飛行機ラジコンを操縦するのも国の許可がいるわけですよ。
国家資格がいるんですよね、ドローンですよね。
非常に不自由な世界じゃないですか。
安全になりますけどね、これによって。
野の医者と国家資格
いろんなことをするのに国家の資格がいて、
特に相談なんですよ、相談。
相談を受けるのに国家資格がいるわけですよ。
だから国家の資格を、国家が免許を出していない人は、
相談を受けちゃいけないかのような雰囲気があるわけです。
農業家ならそれはそうだろうなって思いますよね。
じゃあどっからは良くて、どっからダメなんだっていう話が、
実はそんなに自明なようで、自明だと僕らみんな思ってるんですけど、
ちっとも自明じゃないんですよね。
お腹が痛いって時、どうしますかね。
犬の子がお腹が痛いって言った時、相談は国家資格のある人だから、
うちで考えちゃダメかっていうと、ダメではないですよ。
でもどこからなら良くて、どこからは良くないのか。
お金を取ると良くないって話に一応してあるんですけどね。
すごいこの辺から怪しさいっぱいな世界が出現すると思うんですよ。
だってあの、すいません、よくポスターなんかにも書いてありますけど、
そんなことで救急車呼んだの、みたいな。
この話前もしたことありますかね。
言うけど、だってその相談に国家資格がいるんなら、
どんなことならば救急車呼ぶべきで呼ぶべきでないのかって、
常識で分かるでしょって言うだけじゃないですか、結局。
分かんないと思う人は、つまり自信がない人はですね、
いや、呼び切っちゃったから勝手に直すとどうかと思って、
ちょっと救急車呼んでみました、みたいなことが起こっちゃうということなんですよね、これは。
精神分析なんかもよく脳外科に例えますけど、
あの例え僕どうかとよく思うんですよね。
だって精神分析科っていうのはですね、
日本では今言ったような事情で国家資格とは認め難いように思われているわけですよ。
脳外科とは国の考え方にしてみれば、脳外科と全然違うんですよ。
だから、人がですね、なんか困りましたと。
例えば、上司がとんでもない人なんですって言った時、
この相談はどこに持ち込んだらいいのかっていうのがですね、
一見自明なようで、全く自明ではないと思うんですよ。
上司が、上司のこう、横暴な言動で苦しんでますって言った時に、
これはですね、我が国ではっていう意味ですけど、
例えばその会社が産業心理士でも抱えているって言うならまた別なんですけど、
そういうものはない小さな会社ですって言った時に、
どうしたらいいのか。
そんなの自分で解決しないよみたいなことを誰かが言って来たりするじゃないですか。
その発言には許可がなされているのかって話ですよ。
そんなの自分で解決しないよも一つのアドバイスなんで、
国家の承認をその発言は得てますかって言うと、
得てないと思うんですよね。
まず僕は得てないと。
じゃあそのアドバイスってのはどういういきさつで、
どっから来たのかっていうのを問わなくてもいいじゃんって思うかもしれないじゃないですか。
普通に相談して普通に答えればいい、普通の相談という本が出ましたけど、
しかも今話題になってますけどね。
普通に相談して普通に答えればいいのかもしれないけど、
それはカウンセリングというものがこの世に正式な形としてある以上ですね、
ある意味では何かこう、えっけんこいなんじゃないかみたいなノリがあるわけですよ。
そういうことって河合ハヨさんとかも実は書いてたりしますよ。
ドライフールみたいなちょっときつい言い方をしてるんですけど、
要はこんなことがカウンセリングになるなら俺でもできるぜと思ってやっちゃって失敗したみたいな話なんですけど、
でも僕あれをですね、心理師が書けるんだろうかって、
そういうことを心理師って言っていいんだろうかっていうのをいつも疑問に思うんですよ。
子供があんまり学校行きたくないですって言ったとき、
この場合スクールカウンセラーみたいな人に必ず相談しなきゃいけないのか、
専門家に相談した方がいいですよっていうのは絶対に正しいのかっていうと、
わからなくなってくる気がするんですよね。
ケースバイケースで僕らはそれに対応してるんだけれども、
自分が本当に困ったとき相談する相手っていますかって話が、
僕はですね、あるような気がするんですよね。
というかあるからこそ実はライフハッカーという人たちが今いるんじゃないかなっていうふうにすら思ってるんですよ。
だって野の医者だって同じじゃないですか。
あれ明らかに国家資格でないことだけは確実ですよね。
水晶玉を除いて未来を見通しますって人に、
実は私は臨床占い師っていう資格持ってるんですってないじゃないですか。
それは厚生労働省が認可してますとかって聞かないですよね。
だからそれは多分ですね、もちろんそういう組織が別にあるんですよ。
この辺が精神分析と似てくるんだけど、
そういう組織が何か占い師なりの面上出してるんですね。
国家じゃないんだけど組織はあるってやつですね。
それを野の医者と呼ぶならばですよ。
つまり野の医者っていうのはブラックジャックですよ。
無免許医なんですね。
無免許医は物理的なっていうのかな。
心の相談の窓口
普通の医療行為をやった場合はこれは法律違反ですけれども、野の医者はいいわけですよ。
つまり心の相談はいいわけですよ。
心の相談もダメだってことに国がしたら野の医者はみんな危険な位置に立つんだけど、
まあそうはできないんですけどね。
僕はそうは絶対できないという様々な理由があると思うし、
何よりもそれは僕が思うに日本医師会とかが許せないんじゃないかなという。
だから日本医師会の存在は実は野の医者にとっては大事だと思うんですけど、
この辺の政治的な話は一旦置いといてですね。
そうなんですよ。心の相談は誰にしてもいいし、誰が受けてもいいはずなんですよ。
ここでも何かですね、僕らは認めてないようなところがあるじゃないですか。
水晶玉は怪しいとか思おうと頑張るじゃないですか。
一本間違えたら宗教もやばいんじゃないかって思うとするじゃないですか。
そうすると安全な相談ができるようになるんですよ。
なんでそもそもここら辺からなんですよ。
なぜ世の中には臨床心理師と公認心理師という2つの公的な免許があり、
世の中で言われている、例えば認知行動療法とかが安全なのか、
それを受け付けてくれるところに行くっていうことになると思うんですけど、
それがどこにあるのかっていうことが分かってないと思うんですよね。
世の中で言われている、例えば認知行動療法とかが安全そうだって思うかもしれないけど、
認知行動療法師とは言わないんですよね。
精神分析的心理療法っていうのは、今山崎さんが本で書かれましたから、
精神分析的心理療法を買った人はいるのかもしれない。
でもあんまり聞いたことないですし、山崎さんぐらいですし、
そこに通えない人は当然そこには通えませんよね。
例えば東京ですからね、それが行われているのは。
オンラインでは多分やってないと思いますし。
どうしたらいいっていう話に対するパリッとした答えは別にないんですよね。
たまたまですよ、たまたま仕事がうまくいかなくて上司がきついなと思った人がいたとしても、
その人はまず真っ先に公認心理師のところに行こうとは思わないと思うんですよね。
認知行動療法を受けたいっていうふうには思うかもしれないけど、
認知行動療法家ですよ、私はっていう、そういう名乗り方をしていませんからね。
結局、もちろん心理的な話に詳しければ別なんでしょうけど、
詳しくなかった場合、この気持ちが僕は変換されるんじゃないかって思うんですよ。
本当は問題なのは上司との関係なんだけど、
この上司との関係という問題そのものを落ち込む先が、
クラズノ・ケイゾーさんのところでグッドワイフスでもいいんだけど、
ライフハックとの関連
それも知らないという可能性も多々あるじゃないですか。
その時にたまたま適当にっていうのかな、Google検索とかをかけてですね、
どんな検索ワードかわかりませんけど、何かかけたとするじゃないですか。
これがですね、上司への怒り、多分そうなんですよね、もともとの気持ちは。
ではなくて、仕事ができないとか、そういうふうに検索ワードがスッと切り替わるってことが起こるんじゃないかなって僕は思うんですよ。
そして例えばですけどね、例えば仕事のとかが見つかったりするわけですよ。
そうすると、その方は上司への怒りを抱いて、でも来てみるとタスクシュートが紹介されて、
あ、そっか。もっと時間的に余裕があればこういう目に合わなくて済むんじゃないかっていうふうにスッと心が動くっていうことが起こる気が僕はするんですね。
今言ったような話は全部関係してると思うんですよ。
臨床心理師と公認心理師しかこの世の中には公的にはいませんと、日本ではね。
で、私の悩みが臨床心理とか公認心理のところに持ち込むべきだという感じがあんまりしませんと。
もちろん精神分析なんて全然、私別に会社に行って性欲で困ってるわけじゃないですしっていうことは十分ありそうな気がするんですね。
大学で習うわけでもないですね、こういう話は。
で、でも毎日会社に行くのは本当に辛いと飽きそうだぐらいな感じがすると。
言った時にGoogle検索に頼ると。
この話もあの私は先月トラケンナイトってところでしたんですけど、そういうことになると。
その時にもなおですね、情勢の怒りで検索するとなんとなくですけど、なんとか小町とかに行き着きそうじゃないですか。
で、そこでちょっとやりとり見てても、なんかこう明日から会社に行けるような日があんまりしないなって思った時に、仕事が容量が悪い。
ありましたね。私も持ってますけど、
はかのしさんとえふたさんって方が教書で書かれた。
容量が悪い、わかんないけど、自分は容量が悪いと思い込んでる人のためかな。
わかんないですけど、仕事術図鑑っていう本が今10万部行ってるそうですけど。
こういうところに行き着くとするじゃないですか。
そうするとタスクペディアとかがヒットするかもしれない。
あ、そっか。タスク管理とか。時間管理をしてないから、自分は上司にあんなに怒られるから。
きちんとこれをやればね、上司との関係も有効になって、お腹も痛くなくなるかもしれない。
人は思うかもなーって思うんですよね。
いや思っても全然不思議じゃないよなって思うんですよ。
おかしな話ではないってことですね。このようなふうに思考が展開していく。
で、私はそれはそれでありだと今は思ってるんですね。
それはどういう意味かというと、タスク管理をして上司との関係が良くなるという可能性は申し訳ないというか、
残念ながらあんまり高くない感じがする。
そういうことも起こるかもしれませんよ。わかんないんですが。
あまりその可能性が高い感じはしない。
けれども、だから私はグループがいいって思うんですけど。
この辛さはやがてそこに人間がいて、チャットGPTではだからそこは厳しいと僕は思ってるんですけど、
なぜなら自分が何で困ってるかというのをきちんと捉えて相談できるかどうかが難しいって思うからなんですね。
それをきちんと、間違いなく自分のニードって言うんですけど、
無意識で困ってるところまで含めてきちっと出せるっていうなら、
でもそれができてしまうと今度はですね、
AIじゃなくても自分で答えが出せてしまう気がするんですよ。
問題はこの変換がですね、変換に僕ら気づきにくいというところが実は問題だったりするんですね。
これは体の医療でも同じことを起きますよね。
お腹痛いんですって言うんだけど、問題はお腹にはないっていうことはしばしばあるじゃないですか。
だから検査ってものが出てくるんだけど。
この検査と治療が一緒極端になっているようなところに心の問題っていうののややこしさが多分あると思うんです。
人間関係でもいいんですけど。
そういうふうに追っていくとですね、
それこそGood Vibesでも、いやもうこの際タスク管理のAIとかでもですね、
いやそれはちょっと上司がひどいねみたいな話になっていく可能性が十分あるんですよ。
これが相談の意義なんですよね。
本当はそういうのは臨床心理のところに持ち込まれるべきなんだっていう主張はあると思うんです。
でも実際にはそうなかなかならないケースもいっぱいあると思うんですよ。
そのときに解決しようとした窓口はライフハックだったかの、
まあライフハックですよね。
だってGoogle先生なんだからライフハックなんですよ。
そういうことが今はすっごい多いと思うんです。
窓口なんですよ。
推奨、小読みとか推しとか全部窓口なんですよ。
そこで極端に言うとそこで会話がまずなされるってことが大事だと思うんですよ。
だって夫婦の問題とか恋人関係の話をタロットとかに持ち込むって人はいっぱいいるわけじゃないですか。
そこでAという、例えば彼氏が口聞いてくれないAという問題には
常にタロットはBという答えを出しますなんてありえないですよね。
どう考えたってああいう絵とかでは。
何かこうイマジネーション的なもの、イマジナリ的なもの、象徴的なもの、
そういうものを介して結局そこは人と人が喋ってるんですね。
多分そこに持ち込まれる、例えばタロットだったらほとんどが男女関係に集中してくると思うので、
悩みから答えに至るプロセス
当然そこでどういう問題がありどういうことを返せばいいのかは熟練した人なら絶対知ってると思うんですよ。
そこで答えられることはですね、結局はここがまたややこしいところですけど、
結局公認心理師が言うことと何ら変わらない可能性はあるんですよ。
だから料金取れるっていう面もあるんですよ。
これが野の医者だったと思うんですね。
そういう意味でライフワークも実はよく似てくるんですよ。
だって持ち込まれる相談ごとというのがやっぱりどうしたって似てくるんで、
そこにある種の集合地みたいなものが集まってくるわけですよね。
だいたいは締め切りがとか、プロジェクトの進行が、
そしてそこでの関係者、取引先との人間関係、上司や同僚との人間関係、
自分の時間との兼ね合い、組織に入って仕事をするということのストレスみたいなものに話が集まってくるのは当然なわけですよね。
そこのところに宇宙飛行士になりたいんだけどどうしたらいいかみたいな話はほとんど入ってこない場合ですよね。
それだったらやっぱりもっと違うところに行った方がいいってことになりますからね。
だからライフハッカーみたいなところに産業心理学とか産業臨床心理のような世界が集まってくるのは、
やむを得ないっていうのは間違いなくおかしくて、当然の話ですよ。
だからそこは野の医者的な機能というものが、野の医者は笑うの中にライフハッカー出てきませんでしたけれども、
野の医者的なものがそこに生まれてくるんですよね。
で、それがある種事情グループみたいな機能を発揮し始めるということは当然起こりますよね。
少なくともタロットカードのところに集まる悩み事とライフハックのところに集まる悩み事は全く違う種類になるわけで、
従ってそこで扱われたりそこで検討されたり考えられたり、つまり練られていく。
だから錬金術みたいなものに例えられるんだろうと思うんだけど、練り上げられていく質疑応答ってのはですね、
ある種の傾向を帯びるんですよね。
そうして何かそこで得られる。
何が得られるかというと一番得られるのはですね、まず自分は本当に何が困っているんだろうということがだんだん分かってくるということが得られる。
これがまた面白いところで、本当にこれって面白いというか変な話だなとも思うんだけど、
悩み事から答えに至るまでに自分で歪曲をかけたんだけど、その歪曲を自分で解くわけですよ。
自分は本当は上司にイライラしている、あるいは上司に対してかなり強い怒りを抱いているのをわざわざ変換してしまう。
私が仕事が容量が悪いのがいけないんだとこんな風に変換してしまう。
そして容量が良くなるための本なり方法論なりメソッドなりツールなどを手に入れて、実際に容量が良くなった、例えばですよ。
にもかかわらずちっとも上司との関係は良くならない。
もしかして自分は上司との関係があって元に戻ってくるわけですよね、一瞬して。
それに何の意味があるのかって思われるかもしれないしないけれども、これに大きな意味があるんですよ。
人間というのはまずそういう悩みの歪曲をするものなんですね。
そしてある意味自分をビニコットっていう精神分析家が言った言葉ですけど、自分で自分を誤魔化しにかかってしまう。
彼は精神分析家らしく赤ちゃんはですね、すっごい泣く。
ものすごく不愉快で泣くんだけど、そこにお母さんがハイミルクよって言ってミルクをあげると満足してスヤスヤ眠る。
お腹空いてたのねって、そうじゃねえだろってことなんですよ。
誤魔化されてしまうんですよね。仮初めの満足を与えられて。
これはでもすごい大事なことなんですよ。
上司との関係
このようにして赤ちゃんは、精神分析家がよく言うことなんですけど、母親と私は別物なんだってことを学ぶんですよ。
そこが問題解決ってのに繋がっていくんですよね。
だからいろんなことを言われる。
もうそれこそタスクシュートでも何でもいいんですけど、カウンセリングの場で言われる。
ああそうか、そういうことで僕は困ったのかと言って、仮初めの満足で誤魔化される。
そうすると、実はカウンセラーと私は別物なんだ。
当たり前だと思われるかもしれませんが、そうじゃないんですよ。
我々はすぐ何かと一体化してしまうんで、一歩間違えるとGoogle先生と一体化してしまうんで。
いや、Google先生と私は別物なんだってことにまず気づく必要があるんですね。
これに気づくと何が大事かっていうと、究極的には自分と上司は別物なんだっていうところに行き着くはずなんですよね。
そんなのも当たり前かもしれないんですけど、そうではないんですよね。
だって何で上司が大棒なのかもしれないし、パワハラなのかもしれないし、モラハラなのかもしれませんが、
でも何で上司に本当のところ腹が立つのかというと、上司に期待するからですよね。
ある会社に行き、自分の会社に行き、上司はこうであってほしい。
それって自分のイリュージョンっていうのか、自分の世界ですよね。
私の世界では上司とはこうなんだ。
こういうふうに振る舞い、私がこう言ったらこう返してくれる。
これって私ですよね。
昔々赤ちゃんだった頃、お母さんはこうしてくれたことになってるんですよ。
そしてカウンセリングに行くと私たちが最初に期待するのはこれなんですよ。
カウンセラーはこう言ってくれなきゃいけないっていうのを私たちは無意識に持つんですね。
で、そう言ってくれたのを答えとするんですよ。
実は私たちがGoogleに相談をしたとき、検索、単なる検索じゃなくて相談をしたとき、やってることってこれなんですよ。
期待した通りの答えじゃないものを検索結果として無視するでしょ。
これこそ答えだよっていうのを自分の答えとするでしょ。
それって自分ですよね、結局。
自分をそこに投影してるだけなんですよ。
だから上司とはこうであってほしいっていうのが無意識にあって、それもかなり強固にある。
そうでない上司像ってものは全部ダメなんですよね、原則的に。
特にそれから著しく乖離している、丁寧にきちんと教えてくれる上司像ってものを持ってる人からすると、
ぶっきらぼうにほぼ何も言わずやたら突然起こる上司ってのはものすごくズレがあって、
だから許せないってことになるわけですね、ここで。
許せないっていうのは、相手が私じゃないと許せないっていうことなんですよ。
突き詰めて言うとね、もちろんそれは上司に問題は、上司として問題があるとかはあるんですが、
私たちが許せないポイントは何なのかというと、
それは上司の人間性というよりは、私の持ってるイメージに合ってないのが許せないっていうことになるんです。
だからこそ、自分が無意識に持ってるイメージが無意識であればあるほど辛くなる。
なぜならば、この辺がカウンセリングで無意識を意識化するって話が出てくるんですけれども、
なぜならば私が持ってるわけじゃなくて、無意識が持ってるわけだから、
こういう上司が来てくれて当然だろうの、その当然の度合いは無意識であればあるほど強い。
自分がどういう上司像があってほしいなというふうに思ってる自覚もないのに、
実際にはあるわけだから、理想の上司像みたいなのがあるわけですから、
当然許せなさも強いわけですよ。自分の中でそれが自覚していなければいない。
だからまず何よりも最初に認識しなきゃならないのは、上司に対して私は怒ってるってことなんですよね。
ここを誤魔化してしまうと、上司に怒ってるってそんなに怒ってるわけじゃなくて、
本当に私の仕事の無理がダメだから上司は言ってくれてるんですとかいう話にすると、
一気に話がややこしくなるんだけど、この過程は踏まないとならないんですね。
ややこしくはなるんですけど、こうして上司とある意味一体化してるわけです。
本当はこの上司は良い人なんだと無理やり思い込むことによって、
何か違う解決策に突っ走っているわけですね。
見積もり時間をきちんと出して、優先順位の高いタスクからきちんとこなしていけば、
優しい上司が現れてくれるはずだ。
これってやっぱり自分を投影してるんですよ、その上司に。
だけど現実にはそうやってタスクシュートみたいなめんどくさいログを全部取るのをきっちりやったのに、
上司は何も変わんねえということになって、初めて本当に腹が立つわけじゃないですか。
ここで上司に自分を投影したって無駄なんだってことに気づく。
そのための前段階にガンセラーに自分を投影しても無駄なんだってことに気づく。
その本当は大元には、私は母親に自分の理想像を投影しても無駄なんだってことに、
昔失望したっていう記憶が役に立つんだっていう話を精神分析とかミニコットって人は時々している。
というのが僕の解釈ですね。間違ってるかもしれませんからね。
僕は精神分析家じゃないしミニコットの専門家でもない。間違ってるかもしれませんからね。
言っておきますけど。
でも多分こういうようなことってあるよなとは思います。
つまりやるだけのことはとりあえずやってみると結局ずれているってことに気づいて、
最終的に何に気づく必要があるかというと、上司とは私ではない。
それは当たり前のようで僕らはそうではないんですよ。
やっぱり子供は母さんという存在は私のためにあってほしいわけです。
ちゃんと夕食を作り、できればお父さんと仲良くして、
私が学校で困ったことがあったら話を聞いてくれる。
それって当たり前じゃんっていうのはおかしいわけですよ。
当たり前では全然ないかもしれないじゃないですか。
いやいや、あんたのことは、
その時はそうだったんだけど、今はもう別の男の人好きになっててね。
夕食を作る代わりにできれば夜デートに行きたいし、
お父さんとは適当にやっててほしいし、
私はもうお父さんとは口聞きたくもないし、
ということはあるわけですよ。
ちょっと残念なことではあるかもしれないですけど、
なぜならお母さんは私ではないからなんですよね。
別の人だからなんですよ。
こういうことが起きると子供にとってはトラウマになると、
ミニコットは言ったんですね。
インピンジメントって言うんですけどね。
それが侵襲的になってしまう。
要するにそれはすっごく自分にとって、
害悪にあるものだっていう感じがする。
この感じっていうのがちょうど上司に相当するわけですよ。
自分にとって、自分が、なんていうんですかね、
無意識に思い描いている通りに振る舞ってくれない他人は、
全てこういうふうにある程度は見える。
程度問題はありますよ。
ものすごく著しく自分の思い描いているところから乖離している人と、
ものすごく自分が思い描いている通りのことを、
自己投影
なぜか言ってくれる人っていますから。
でも、例えば僕のこのポッドキャスト一つとってもそうで、
こういう話を聞きたいと。
つまり、自分が思い描いている、
あるいは聞こうと思っている言葉であれば、
つまりそれは自分ってことなんだけど、
私の話が入りやすいかもしれないけれども、
私の話一つとっても、
いやいや、そんな、
そういうひどいお母さんとか、
そういうひどい上司のことは、
私との乖離じゃなくて、
客観的な悪として、
世の中から断罪されるべきでしょうって、
こういう意見の方が僕の意見より多いはずですからね。
ここのところでは、
カウンセリング、精神分析もそうですが、
みんなある程度一生懸命、
ここの祖母どうするかっていうのは、
いちいちやってますから、
やっぱりこの方が社会では一般、
まあ多分ですけどね、優勢だと思うんですよ。
とにかく上司そのものを良くしろと、
それはつまりあらゆる人にとって、
いい存在にするべきだっていう理屈になっていくと思うんですけれども、
とにかくそれは自分とのズレなんかじゃなくて、
ミニコットの議論
客観的悪だからっていう風に考えるべきだっていう、
意見の人の方が多いぐらい。
で、その人がこの話を本当の意味で理解したら、
腹を立てると。
それは僕からすればどういう意味かというと、
その人は私にご自分を投影されている。
だから私自身がその人らしく、
その人の無意識で思い描く、
佐々木翔吾らしく喋らないから、
あのボッドキャスターはもうダメだと思ったり、
抗議のコメントを出したりする。
この抗議のコメントっていうのはどうすることを意味するかというと、
心を入れ替えて、
私が思い描く通りの佐々木翔吾らしく喋ってくださいっていう意味のはずですよ。
つまり、私が喋るというこの内容そのものを、
もっと自分が聞いて納得のいきやすいものに、
変形していくべきだっていう話のはずなんです。
で、ある程度、僕らはこれを相互に人間関係の中で、
期待して生きるようになっている癖がついているから、
特に会社の上司なんかと、
つまりそれは最初から仲良くすることを大前提にしている関係とは言えないかもしれないから、
そういうところで、そこが起こるわけですよね。
そういう話なんだと思います。
だから、その相談窓口っていうのは、
話をぐーっと戻すとですね、
相談窓口っていうのはそのためのものなんですよ。
最終的には、僕の考えでは。
自分自身の世界とずれてしまう。
そのニードという、気づく。
自分自身が世界と常に一致しているわけではないので、
それでいいんですけど、問題なのはそれでいいと思えないってことですよね。
結局、要領を良くするなり、仕事を早くするなりもそうですよね。
それは、世の中の方に自分を変形させるっていう意味になるから。
でもそれは、究極的にはできない相談だし、
必要もないことだということに気づいて、
だったら必要なことって何なんだろうっていう、
そういう思考になっていくしかない。
最終的には、上司に何を自分が期待して、
自分は実際にはそれに応えてるはずなんですよ。
そういうところまできっと行き着くんだろうと思います。
だから、上司に限らないですけど、
夫婦なんか特にそうですけど、
自分は奥さんなりに何を期待しているつもりでいて、
どこにずれなるものを見て、勝手に怒っているの。
実際には、そういう祖母なりずれなりは、
実はないのかもしれないっていうところにまで至る話なんだと思うんですよね。
その入り口にタロットカードがあったりするんですよ。
別に僕はタロットカードをお勧めするわけでも、
あれが大好きってわけでもないですけれども、
その入り口にタロットカードがあり得るっていうのは十分納得がいきます。
その入り口にGoogle先生があり得るっていうのもそうです。
だから、タスク周到なりでもそうだけれども、
逆には達すんですよ、そういう意味で。
どこに行き着くかって話とそれは、残念ながら違うってことなんですよ。
そしてそれ自体が問題だっていう議論も別途あったりして、
それも途中でお話しした戸畑海斗先生とかね、
あの辺の人たちが一生懸命今議論していたりするんですよ。
下山さんだっけな。
そういうどこに行き着くか分かんないものを、
回答して提示するっていうこと自体が議論の対象になるってことですよね。
それはそうですよね。
医者の治療方法について
お医者さんに行って、眠れないんですって言って、
睡眠導入剤が出るのはいいとして、
眠れないんですって言ってるのにカフェイン出すってのはダメじゃないですか。
でもこの話ややこしいですよね。
今の話を途中までしてきた感じからすると、
タロットカードが夫婦の問題を本当に解決してくれるわけじゃなかったりする。
つまりそれは眠れないんですって言って、
必ずしも眠り薬が出てくるわけじゃないってことを意味している。
心の世界ではそういうことが多々あるんですけど、
それでいいのかって議論はあるってことです。
ただ私の感じでは、そこで行われるのは相談であってですね、
提示される解決でないことの方が、
おそらくやっぱり一般的にならざるを得ないんじゃないかなっていう気はします。
だから野の医者なんですよ、きっと。
国が認可するものはですね、
Aに対してBという回答を出せるっていう、
これは僕はイリュージョンだと思うんだけど、
少なくとも出せるっていうのが必要であると、
そういうふうにされているからなんですよね。
でも僕は体に限ればそうなんだろうなって思います、ある程度。
そうじゃないと安心できなさすぎるから。
でも心に限して言うと、なかなかそうはいかないだろうという気もします。
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