タスクシュートの使い方とタスク修道
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月13日、金曜日の20時10分ですね。
おはようございますというのが、連日ダメなんですが、しかも今日は、全然しかもじゃないけど、13日の金曜日でしたね。
あの、この時間になぜなったのかが、ちょっとよくわからないんだけど、ついにこの時間になっちゃったんですね、今日。
あの、今日は朝7時半にはできると思ってたんだけど、できず。
まあ、いろんなことがあって、気がつくとこの時間になって、グッドモーニングボイスを今撮っているわけなんですけど、
これがですね、でも私の、まあこれは、皆様にとってはちょっと、聞いていただいている皆様にとってはよろしくないかもなんですけれども、
私自身にとってはですね、これがタスクシュートの非常に正しい使い方だと思っているんですね。
まあ、今日やるべきことは2つあって、これともう1つ、本の原稿の最終構成みたいなことを僕が、
まあ、僕の反当部署の最終構成みたいなことをやっているわけなんだけど、この2つはバッチリやれて、かつ、まあまあ悪くない時間なわけですよ。
ただ、グッドモーニングボイスの時間としては明らかにおかしいんですが、まあ結局今日中にできればいいことが今日中にできればいいわけですね。
このちょっとね、ポッドキャストは悪いは良くないかもなんですが、でもしょうがないとも思うわけですね。
このやり方が正しいんだよなって思うんですよ。
その、必要なですね、人との約束は時間までに、ちゃんと時間に間に合い、他の今日やりたいというか、今日やるであろうことっていうのかな。
今日はまあやるよねってこと。
娘を学校に送るだの、食事をするだの、お風呂に入るの、全てやれたし、これも今日やれてる。
そして今日これやんなきゃいけないんだけど、これ、別にサボってたわけじゃないですよね。
この時間になってしまったんですよ。
もうどうしてもここになるしかなかったといったところなんですね。
こうなったから、僕はこれは大変いい使い方だと。
これがタスクシュートなんだよっていうことをですね、まあ人様にはお伝えしたいと。
このように使わなくてもいいんだけれども、私はこれが理想のあり方だと思ってるんですよって。
いわゆる長期のプロジェクトっていうんですか、本の原稿ももう仕上がるし、約束の日時が16日だからもう非常にちょうどぴったりなわけですね。
で、まあだからちょうどぴったりだから素晴らしいってわけじゃないんですけれども、でも間に合うほうがいいとは思うんですよ。
人間社会に生きている人間としては。
まあ霊長類はですね、別にシンパンジーとか多分約束に間に合わないことはありそうじゃないですか。
だから別に約束に間に合わなくてもしょうがないと思うんだけど、間に合わせようと思ってるほうがいいだろうぐらいは思っているんですよ。
別に約束じゃないものは、食事とかお風呂とかは、何時に入ってもいいと思うんですよ。
ただタスクシュートで表示されている通り、朝食の前に昼食を食べることはできないんですよね。
これは認識の問題なんだけど、僕はこの点が結構ですね、タスクシュートのとってもらしさだと。
何時に食べるから昼食っていうわけじゃないんですよね。
でも最初に食べた後に、2番目に食べるものを最初に食べることはできないんですよ。
これはですね、認識の問題なんだと思うんですよね。
よくわからんことを言ってるというか、どうでもいいことを喋ってるといえばそうなるんだけれども、
私の中でこれはですね、どうしたってそうなるということに逆らわないんですかね。
そういうところがタスクシュートというものにはあるわけですね。
だから朝食の準備をいつしてもいいんだけど、それを朝食後にすることはできないんですよ。
これが僕がタスクシュートにおける順番ってものであって、
未来のプランと過去のログが一致しないこと
これは優先順位のことではないんですよね。
前って言えば実行順ってことになるんだけど、計画度もまた違うんですよ。
どうやったって食事の準備は食後にはできないってことなんですね。
僕の中ではそれは、判定はいいのかな、それがつまり正気だってことなんですけどね。
正気じゃない世界になってくるとだんだん、ここであるべきことは、
現実にどうであろうとこうであるべきだみたいになっていって、
今のような食事する前に食事の片付けを終わらせなければいけないとかいうことを
言ってしまっているというケースが起こると思うんですよ。
僕の中では過去の何かの活動を、実はこうすればこうなったっていうのは、
そうはならなかったのが過去のログですから。書き換えようがないんですね。
だから僕らにできるベストなことは、事前のじゃないですよ。
ベストなことは、かつてやったことに対して、
それをどういう観点から見ればベストだと言えるかというか、見られるかっていう観点に
自分の情動と認識を全部合わせていくってことが大事だと思うんですよ。
これは何としても許せないとか思っているってことは、
実は食後に食事の準備をしようっていうぐらい無理な話だと本当は思うんですね。
ただ、ここの話をすると、しかしトラウマはっていう話にだんだんなっていくから、
難しさはあります。難しさはあるけれど、結局朝食の前に昼食を食べたり、
夕食を先に済ませることはできないんですよ。
これは優先順位の問題ではないと思うんですよね。
人間の認識というものには動かしがたいところがあるよっていうお話かなと思いますね。
今日はもう今のようにグダグダに思い合わば話をするという、
金曜日はだいたいそうなるわけなんだけど、
特に朝だとか言って夜になっちゃってますから、
グダグダ話でいいかなとは思っているんだけれども、
そうですね、いろいろあるんですけれども、
一つタスク修道の話から最初に入っておくと、最後まで続けるという気はあまりないんですけどね。
タスク修道で私最近、これを守っとけばタスク修道みたいなものを3つ4つリストアップして、
なんとかこういうものを形にしようと思ってるんですけど、
そのうちの一つが今言ったような話に近いんですが、
順算ってことですね。順算。順算方式。
これは最近Jマスザキさんもお話になっているし、
これでいいと思うんですけど、逆算の反対なんだけど、
逆算の反対ではないような気もするんですよね。
順算なのが普通でしょう。
逆算というのはあえてやることだと私は思うんですね。
やっぱり人間は時系列に沿って生きているわけですから、
逆算をするわけにはいかないんですよ。
別に逆算してもいいわけなんだけど、
何もタスク修道で逆算することはないと思うんですよね。
タスク修道には順算でやっていったらいいわけですよ。
まして2日後以降のことはあえてわざわざ、
やってもこれもいいと思うんだけど、
あえてわざわざそこを逆算してかかって、
見えもしないものを見に行かなくていいと思うんですよね。
このことと関連してタスク修道だけでは本当はないんだけど、
タスク修道で特に意識したいのが、
決してプランできないことがログには必ず残っていなければいけない。
これは最近私が意識はずっとしてたんですけど、
あえて言うことではないかなと思っているのを、
あえて口にするように今してるんですが、
もう1回言うと、決してプランできなかったものが、
必ずログには残っていなければいけない。
だからプランとログが思い通りのプランで描いた通りに、
ログに残っているのがベストだっていうのに対する、
これははっきりとしたNOなんですね。
これは私は今では、
自分だけのものにしておこうかと思っていたんですけど、
100日チャレンジでは言っていこうかなって思ってるんですよ。
絶対そうなるんで別に。頑張らなくてもそうなるんで。
むしろ頑張ることによって、
不確定要素と順算方式
未来のプランと過去のログが一致するんだということが、
もしかするとできるかもしれないですけど、
おそらく僕はできないはずだと思うんですね。
頑張らなければ絶対できないんですよ。
だからここで頑張らないことが、
頑張らないようにしましょうねというのが、
ある意味私が言ってるだけのことなんですけれども、
つまり放っておけばそうなるはずだってことですが、
決して事前にプランニングできなかったものが、
必ずログに現れなければいけないと思うんですね。
っていうのは、人に何か頼まれたりするからなんですよ。
人に何か頼まれるということはですね、
事前には絶対書いておくことができないんですよ。
なぜならその人が頼むかどうかは分からないわけですし、
かなりの確率でね、
あの部長は絶対お昼ぐらいになると、
私に物を頼んでくるんだよというのが、
ものすごく高い確率だったとしても、
何を頼んでくるかまでは分からないじゃないですか。
し、何時何分に頼んでくるかが明瞭に分かるっていうのもおかしいですよね。
まして頼んでこないかもしれないですね、やっぱり。
こういうことは、今のようなのはあくまでもかなり極端な例で、
普通に考えれば全く予測はできないはずなんですよ。
つまり必ずそのログにタスクシュートを使っている方であればね、
記録に残っていくもののいくつかは、
間違いなく事前にはプランニングできていないもののはずなんですね。
で、多分ですけれども、私の考えではないと思うんですけどね、これはね。
私たちはゼロ歳の時に生まれて、私はもう50年になりますけれども、
多分一日たりともプランニング通りのログができたなんて日はないでしょうし、
一日の見通しが寸分違わず、私の予想通りでしたなどということもありえないと思うんです。
それはやっぱり漫画の世界だと思うんですよね。
これができる人もいるんですって言うけど、私はそれは絶対嘘だと思うんですよ。
つい最近、藤井壮太さんが8巻取ったじゃないですか。
藤井8巻ですね、あれ史上初ですが、
最終戦、王座の最終戦、あれはもう彼はほぼ100%、
あれは私が見ても100%負けてたと思うんですけれども、勝ったわけですよ。
で、ありえない大握手ってみんな言っているんですけど、
私の目にはですね、握手であることは分かりましたけど、
ありえない大握手には見えなかったんだけど、
それがやっぱプロなんだなと思ったんですけどね。
もう相手の人強いんですよ、非常にね。
だって藤井壮太が7巻取ってて唯一王座持ってる人がその人なんだから強いんですよ。
で、あの手を打つんですよね。
これを事前に予測するとかできないじゃないですか。
だからAIも100%藤井は負けるみたいな予測を与えちゃったりしてるAIがあったわけだけども、
大逆転で勝ってるわけですよね。
だからあり得るんですよ。
何が起きるかなんてやっぱ分からないんですね。
この場合藤井壮太さんにとって都合のとても良いことが起きたんだけど、
都にも各にも何が起きるかなどというのは事前に完全にあれほど読みの世界じゃないですか。
読みまくる世界。
しかも何かが確定したかのようにもう分かりやすいところまで来て間違うんですよね、人はね。
やっぱり人ですからね。
だから私たちはそういうふうにいろんな事象が起きる中で生きていて、
こんなに読みやすいことは将棋みたいにはできてませんから、世の中は。
もっと遥かに不確定要素に満ちているわけじゃないですか。
だから1日分を事前に予測しておくことは絶対無理なんですよ。
誰一人この地球人、地球が何人何億人といて、
どれほど先読みができる能力の高い人がいても無理なんですよ。
だからこれをやろうとするっていうのがそもそもおかしいわけですから、
順算でいいわけですよね。
別荘を作るってやつですよ。
とにかく私たちの認識上、
これとこれとこれはこの順番でするしかないっていうものだけはタスク集団にアップしておく。
だから非常に極端なことを言うと、
食事食事食事、トイレ、お風呂。
場合によってはお風呂も書かずに寝る。
これだけが書いてあればいいわけですよ。
3色取らないっていう人は2色でもいいんですよ、とにかく。
これだけが書いてあればいいんですよ。
これ以外のことが必ず起きるんだぞっていうか、
必ず起きますよね、それはね。
何か起こすじゃないですか。
トイレも多く行くでしょうしね。
そういうことを自分の認識の上に登ってきたら、
一応書いてからログには残していくということを繰り返していくのがタスク集団だと。
私は思うんですね。
ついでに言うと、この中で7時間は睡眠にとりましょうっていうのが追加したいんですよね。
タスク集団の特性とか関係ないんだけど、追加はしたいんですよね。
6時間で大丈夫な人がいるのはわかるんだけど、
予測できない出来事の解釈
7時間寝るっていうのはちょっと追加しておきたいです。
別に7時間寝なくてもいいわけですよ。
7時間寝るって書いておきさえすればいいんであって、
7時間寝る必要はないんですよ。
なんなら7分しか寝なくてもいいんですよ。
でも7時間は寝ようと思うっていうことにとりあえずしておくというのがいいと、
私は思うんですけどね。
本題はここからなんですよ。
ここまでは僕は常識の範囲内だと思う。
タスク集団つけていようといまいとよく僕この言葉を口にしますが、
一応これ今のところよもやま話しながら100チャレ編の方に向けて喋っておりますんで、
タスク集団を使っていてもいなくてもここまでは常識だと思う。
7時間ぐらい寝たほうがいいと思うし、
朝食の後にしか昼食は食べられないし、夕食は昼食の後ですよ。
そして多分物は食べるでしょう。生きてるんだから。
3食食べないにしてもなんか食べるでしょう。
眠りもしますよね。生きてるんだから。
それ以外のことは当然するわけです。
ここで一見したところ大変良くないことが起きた場合、
それは多分必要なことなんだと見出すってのがログの中でですよ。
つまりさっき言ったようにどんなログを見ようともログだったから。
もう二度とそれを書き換えることもやり直すことも過去に戻ることも
タイムマシンに乗っていくこともできないんだからですね。
未来に向かって改善という話はこの際一旦置いといて、
起きてしまったことは起きてしまったんですよ。
起きなかったことにだけはできないんですね。
でもできることがあるんですよ。
その出来事の解釈を変えることはできるべきですね。
だからその出来事は最悪だという解釈を切り替えて、
最善だったという解釈に切り替える方法を探す。
これが僕はレビューの意義だと思うんですね。やるならですよ。
どうしてそうなるかというと予測できないことが起きちゃうからなんですよ。
こう繋がってくるはずなんですね。
事前に予測できるのは3色取ることと寝ることぐらいなんですよ。
僕の場合は風呂入ることをこれに加えてもいいと。
あと多分僕は人とのミーティングの約束を破ることはこれまでもほとんどなかったから
破る気も全然ないし破るメリットも全く見当たらないから約束は守るんだけど
これだけ書いておいて他のことは全て予想しない出来事が起きるわけね。
この予想しない出来事なのに全部私にとって都合がバッチリいいですっておかしいじゃないですか。
予想できないわけだから。
だからその出来事が起きたとき、
ついついやーこれはもう本当これだけ起きてほしくなかったなっていうことが起きるわけですよ。
それほどの出来事は最近起きてないんだけどついさっきもですね、
Jさんと話し合いながらそういうことも起きるよねっていうような話はしたんですね。
そういうことはしょっちゅうですよね。いつもいつもそういう話はしています。
大橋さんともそういう話はしていますよ。
で、そういうことは起きてほしくないよねっていう風に言ったり検討したり
前後策を考えたりするわけですけど、
本当はこれは僕はやっぱり思うにこの出来事はベストだったって観点を
一生懸命みんなで探すのがいいんだろうな本当はと
なんとなく思います。そういうミーティングは普通しないし
っていうのは個人的な話だから自分一人で結局しますけれども
本当はそういうことをいつもいつもやっておけばいいんだろうなと
特に奥さんなんかと喋ってるとよく思うんですよね。
いやもう本当最悪だわってうちの奥さんもよくおっしゃってるんですけれども
いやいやいやいやと思うんですよ。
なんかこれを最悪だと言っていても別にいいんですよ。
ちょっとグッドバイブス的でないかもしれないけど腹を立てようと
構わないんですよ。なんなら攻撃をしちゃったとしても
それはそれでありなんですよ。
しないほうがいいんだけどしちゃうんですよ。
でも本当は先が読めないという事実を踏まえて考えてみれば
自分に都合のいいことばっかりバカバカバカバカ起こるってのはおかしいんで
やっぱり都合の悪い一見したところなんだけど
都合の悪いことが起きるんですね。
どうしてそれが最善だという見方を探すっていうことまでして
でもなんていうんですかね。
なんていうのこれを。なぜかこれが奇麗ごとっぽく見えるんですよね。
時々倉澤圭三さんがグッドバイブスで
奇麗ごとっぽく聞こえるかもしれないっていう風におっしゃるんですけど
その感覚がこういう時になんとなく僕にも共感されます。
どうしてもなんかこれが奇麗ごとっぽく聞こえるんですよね。
何かこう物をよく見る、物事を自分から
よく見る努力をしましょうみたいなポジティブに考える努力をしましょうと校長先生がおっしゃいました。
それでもいいようなんですけど
全然そういうことではないんですね。
これは一応タスクシュート的な文脈で僕喋ってるんですよ。
事前に予想して予想しない出来事が起きるわけじゃないですか。
今まで生きてきた中で事前に予想した通りの出来事だけが起きてきた日は
おそらくないんですね。おそらくないんですよ。
私の経験では一度もないですね。事前に予想した通りに一日が進んだ。
一日が寸分違わずですね。自分の予想した通りに進んだという日は一日もないです。
それは当然で、なぜならば他の人と関わってるから。
他の人の動きを僕が事前に完全に把握できるっていうのはおかしいわけですよ。
何度も時々言いますけれども、どこかの国の独裁者じゃないんで
お前はこういうふうに歩けとか僕は指示できる、そういう力はないわけですから。
当然僕の予想しないことを人はするし、そういう環境に囲まれて
私は生まれてきてから今に至るまで生きてきてるわけですよ。
ということはですね、それらのことがなかったら死んでたかもしれないんですよ。
今まで生きてくるというのはですね、かなり最善のことの連続だったからと考えてもいいぐらいなんですよ。
自分の物の見方を疑う
そう思うんですよ、やっぱりね。
最近のようなニュースを見ていても、あのニュース何のために見てるんだか僕よくわかんないし
何のためにこういうニュースをこうまでして、もちろんやるべきなんだろうけれども
本当のところこれを私が見ることになってるわけは何なんだろうというぐらい
悲惨な話が出てくるわけだけど、あれを見て少なくとも
何のためであれですね、どうしても私が感じてしまうのは
今生きてるってすごいことだし、明日も多分生きてると思うってのは
よっぽどのことなんだと思うんですね。
最近それほど悲惨ではない話としてですね、お風呂で人が死んじゃうって話をですね
さっきやってたんですよ、NHKかなんかで。
で、冬にお風呂で死ぬ可能性はその地域では、その地域って九州なんだけど
交通事故で死ぬ可能性より高いって言うんですよ。温度差で死んじゃうんですよね。
ヒントショックって言いましたっけね。
で、思うんですよね。私ももういい加減50ですから、何歳?50歳以上かな。
なんですよ。結構死ぬ確率があるんですよね。冬場に風呂入る。風呂入るだけですよ。
で、思うんですよ、やっぱり。今の今まで生きてきたというのは考えてみるとかなり、かなり行行に近い。
行行ってのは言えますよね。レアケースみたいな。非常にラッキーですっていうことですよ。
まあ、私の同級生、おそらく小学校の同級生全員生きてますから、今の日本ではこのことは行行とまでは言えないんでしょうけれども
やっぱりですね、私もあの時死んでたかもっていうシーンは、自転車にすごい勢いで飛ばしていてガードレールに撃突して体ごと吹っ飛んで
そのまま体が国道に投げ出されたって経験が僕1回あるんですよ。
いや、そういう乗り方するなよって話してるんだけど、小学校時代あるんですよ。
ああいうのを思うと、死んでないってすごいことかもなって思うんですよね。
多分なんですが、私が自分が予想している通りに毎日毎日生きてたら、生きてない可能性結構ある。
少なくとも今ほど健康でなくて、今ほど精神的にもメンタルも保ててないんじゃないかって気がするんですね。
やっぱり人に割り込まれてるってタスク修道的には言いますけれども、これはベストなんですよ、きっと。
これが全くないまま50年間生きてきたら、多分私は生きてなかったんじゃないかなって気がしますね。
これを少なくとも今と比較してですね、間違いなく私が計画通りに、自分が描いたお写真通りに毎日毎日送っていたら、やばいことになってると思いますね。
確実にやばいことになってると思います。
だって制御できないことにいい部分がいっぱいありますもん。
例えば私はうちの娘と一緒にいるっていうのは、それだけでラッキーだと思ってますけど、
うちの娘がどう動くかって、私の予想の環境でいつも違いしてますから。
私がこういうふうにこの子を教するだって全然しませんからね。
例えばさっきも妻がおやつだから呼んできてって言われて呼ぶじゃないですか。
来ると思うじゃないですか。気がしなかったんですよ。
細かいことを言えばですね、こういうふうに確実に僕の予想ってのは毎週毎週裏切られてるわけです。
だからうまくいってるんですよ、きっと。
これが私の脳みそで予測できてる通りに、私の環境が寸分違わずね。
だって私はその方がいいと思う時があるから、ある種の出来事に対してこれは良くないとかって思うわけじゃないですか。
つまり予想できないということが良いことだということで言うのであればですね。
予想できない最悪の出来事っていうのはきっと最善である可能性がかなり高いんですよ。
最善であるかもしれないんではないんですよ。
最善であった可能性がかなり高いんですよ。
で、その場合私の脳が推測できたり解釈できたりするような、
ここでちょっと僕の言ってることを矛盾するんだけど、出来事ではないんじゃないかと思うんですよね。
例えばあれはいい教訓になったとか、こういうことがあると一見気分が悪いけどいい薬になるとかって言うじゃないですか。
そういうことじゃないんじゃないかって思うんですよね。
そうじゃなくてこれはただ私の物飲み方がよっぽど歪んでて、そうは思えないんですよ。
そうは思えないんだけど、私の物飲み方が多分よっぽど歪んでて、
実はこれは相当良いことが起きてるんだけど、ものすごい苦々しい気持ちになってるだけなんじゃないかって気がするんですね。
で、多分僕はそっちの方が正しいような気がするんですよ、最近では、特に。
だからこれはですね、物飲み方をポジティブに変えましょうレベルの話ではちょっと無理で、
相当自分の物飲み方ってものを頭こなしに疑ってみないとダメなんじゃないかなって思ってます。
相当お前はダメだぞって感じ。
苦い気分の転換
なんて言うんですかね、あなたの色眼鏡はものすごいからねって感じ。
世の中を魚眼レンズで見てるようなもんだからねって感じ。
これがね、いつも魚眼レンズしか知らないからわかんないんですよ。そこはしょうがないと思うんですよね。
魚眼レンズしかないんで、このレンズ通して見ちゃうんで、ただこれは魚眼レンズだからねっていうぐらいにしておかないと、
すぐ苦い気持ちになっちゃうんですよね。
まあこれもきっと苦い気持ちになってるだけで、自体が良いことが起きてるなら良いんでしょうけど、
苦い気持ちになるのって無駄な感じがするんですよ。良いことが起きてるのにわざわざ苦い気分になるっていうのは。
だからいつも苦い気分が起きた時、ようやく最近できるようになってきたんですよね。
これは苦い気分になってるのはしょうがないと。
だけれども、多分苦い気分になるべき事実が起きてると解釈するのは大きな間違いだと。
そう思えれば少なくとも2つのことが思い留まれますよね。3つのことが思い留まれる。
1つはそれに向かって攻撃する。これをやめることができますね。
もう1つがそれを引き起こした自分を攻撃する。
これもちょっとね、これは文化的な理由があって難しいんだけど、
要するに自責の根を抱くとか、倉園さんがよく罪悪感を抱くとか言ってるあれですね。
あれをやめることができます。だって悪いことが起きてるから罪悪感を抱く意味があるのであって、
悪いことが起きてもないのに罪悪感を抱く意味ってないじゃないですか。
悪いことが起きているという解釈は、私のこのバカげたレンズのせいでやめられないかもしれないけど、
でも悪いことが起きてないんだという可能性が少なくともそこに残ってる以上は、
予感レンズと判断能力
つくざに罪悪感を抱くのは早い刑ってもんなんですよ。早い刑ですね。
早とちりにも程があるってことです。この2つ。だって攻撃するのも明らかに早刑ですよね。
拙速と言ってもいいけど、拙速どころじゃないですよね。
何にも悪いことが起きてないのにそこに向かって突進していったらバカみたいじゃないですか。
この2つを少なくともやめることができると思うんですね。
このひどいことが起きた瞬間に、いやこれは魚眼レンズで通して見てるからひどく見えてるだけな可能性がかなり高い。
ちょっとはあるとかではないんだと思うんですね。
こういうことが一切起きなかったら僕は死んでるかもしれない。これはですね、僕は相当高い確率で言える気がするんですね。
だって我々は風呂入って死に降る生き物なんだから、50年間をおおむね無事で生きているっていうのに
よっぽどいいことが相当起こってないと無理ですよね。
で、そのよっぽどいいことがそんなにいっぱい起きているのに
毎日毎日やひどいことばっかりだって言ってる人決して少なくないじゃないですか。
そこに絶対魚眼レンズは入ってると思うんですよ。
だからこれを理由に人を攻撃したり自分を攻撃している場合ではないんだと思うんですね。
この2つは超重要だと思います。
3つ目がですね、これによって私が自分の行動を変えたり制限したり控えたりしてはいけないってことなんです。
これも論理的に当然の結末だと思うんですね。
つまり安易にPDCAやっちゃダメってことですよ。
改善するっていうのは事態が悪いから改善する余地があるんだって。
事態が素晴らしいのに改善できないじゃないですか。
事態が悪いという判断がそもそも相当狂ってる可能性があるのに
その判断をいいダクダクと引き受けてですね、あっさり改善しちゃったら
すっごいいいことが起きているのに改善の名の下に
ろくでもない結果をわざわざ自分で招くようなということはあり得るんですよ。
我々の判断能力はそんなに高くないってことなんですよ。この話はトータルでは。
だいたい今日起きることが分かりもしないのに分かると思っちゃってるじゃないですか。
その段階ですでに相当おかしいですよ。
この話は何回やっても自分でもしっくりこないんですよ。何か分かってるような気がするんですよ。
でも分かってないってことは即座に分かることがあるんですよね。
例えば今朝娘が起きるのが若干遅くなって
私の予想を覆せたんだけど、1階に降りてくるのも遅かったし
食事のスピードも遅かった。だから僕はちょっと慌てていて
娘がいつも乗り上がってる電車に乗せるためには
この時間には出なきゃだなっていうところで出たんですよ。ファッとね。
そしたら車のエンジンかけたらいきなり目の前にトラックが止まり上がって
出られなくなったわけですよ。こういう時に、だってこういうこと起きるって思ってないですもん私。
もう朝起きてからその1分前まで思ってませんでした。
滅多にそんなことは起きませんからね、確かにね。
目の前にトラックが止まったんですよ。でも考えてみればそんなことはあり得る。
でもそのトラックの人は私が出ようとしたのに気づいて
親切に動かしてくれたんで、すぐに私が出ようとしたら
わーっとその前をですね、これはいつもややですね、運転がですね
ちょっと落とし目されてる方の運転なんで
非常にこの道を走るには速すぎる速度で抜けていくんです。
あっと思ったんですね。結構危なかった感じがするんですよ。
これら一連の出来事は何かを予測していないというか
逆に私が何かを予測しちゃってるから起きてる出来事なんですね。
このトラック来ないっていう予測がまずある。この不在の予測って難しい。
で、このトラックが避けた時にはその道が開いたって予測をしちゃうんですよね。
そこに入ってきてる車が普段からあるんでこの車は。
いつも同じ色のこの時間に通る自動車なんですよ。
向こうも急いでるんですね。おそらくうちの娘と同じ時間に乗るんでしょうね。
という話なんですよ、これは。
でも幸い衝突せずに済んだんですよ。
これには多分何か訳があるんだと僕は最近は思うようになりました。
どんな訳かは分かんない。そもそもこの事態を予測できていませんでしたからね。
タスクシュートにこれは乗ってこないけど、それよりも小さな出来事ですけれども、
こういうことも連続なんですね、私たちの身の回りで起きていることは。
だから僕は判断するってのは大変怪しいやり方だなと思うんですね。
まして予測するってナンセンスだなって毎回思うんですよ、こういうことが起きる度に。
僕だってあれですからね、いわゆるゴールデンですからね、免許はね。
ほとんどずっとそうです。
乗ってるんだってほぼ毎日乗っていて、いわゆる乗ってないからゴールドとかじゃないですからね。
ずっとゴールドですからね。無事故無違反でずっと来てますから。
補給もかなり保険的にはいいし。
でもいつも思うんですよ、僕の予測は相当デタラメだと。
だからダメなんですよね、予測というものは本来してはいけないんだと。
僕は本当に思うんですよ、こんな一瞬先のことすらできないし、
この条件下では予測すべきこともすごい明瞭じゃないですか。
前に車が来るか来ないかだけの予測しときゃいいのに、それすらできていない。
しょっちゅう間違ってる。幸いそれでも無事故ですけれども。
つまりそれはよっぽどラッキーなんですよ、やっぱり。
このよっぽどラッキーだということを踏まえて考えると、
しょっちゅう起こっていることがそんなにひどい出来事であるはずがないんだと思うんですよね。
これは統計的な話ですね。
そんなに悪いことが起きていないのに、いやーひどいって思ってる僕は相当予感レンズなんですよ。
この予感レンズの中でも最たるものが僕は夢を夢だと思えてないというあれですね。
僕は先日目高がいなかった名石もの話をこのポッドキャストでしたんですけれども、
ついまた最近も名石も見て、この辺にありそうな坂なんだけどちょっと違う坂を下っていたときにですね、
iPhoneになんと煙草が刺さってたんです。
なんじゃこりゃと思って、でもまだその時は夢だと分かってないですよ。
iPhoneに煙草が刺さっていて、その煙草を抜こうとしたときに、いや待てよと思ったんですよ。
なんか多分最近のニュースの影響なんでしょうけどね。
ヘロっていうことが頭をよぎったんですよ。
これ抜いたら爆発するんじゃないかと思って、慌ててパッと離して投げたんですよ、iPhone。
この行為がすでに目が覚めてたらしないですけどね私は。
パッと投げたらボーンと爆発してiPhoneが黒焦げになったんですよ。
これ見てあれこれおかしくねえと思ったんですよね、本当に。
どう考えてってこれ現実的じゃないだろうと。
これが現実だったらこれを今実は下取りに出しているiPhone XRだったんですけど、
これを2万円で下取りに出して15と交換することになったんですけど困るじゃんとか思っちゃったんですよ。
その辺は現実が混ざってきてるんだけれども、あれ?と思っていやこれは絶対おかしい、絶対夢だって思えたんですね。
で、夢だと思ったら僕はすることにしてることがあってですね、いつもできてるわけじゃないんだけど時計をパッと見たんですよ。
12時36分だったんですね。
これはここで証拠を抑えたいと思って、次の瞬間に見た時間が12時36分からかけ離れていたらこれは夢であると決定しようと。
やっぱりこういう決意をしないと名刺勤務って見抜ききれないんですよ。
で、次の瞬間別の時計見たら2時8分とかになってもう全然違う。
絶対これはおかしいと思って、しかも空を見上げたら夕暮れだったんですよ。
夢と現実の判断
時計が12時36分と2時6分、2時8分で空を見上げたら西日が赤いっていうのは、しかも西日じゃなくて東に夕暮れっていうね。
もう死に滅裂なシチュエーションだったんで、これは夢だと判定して夢らしく動こうと思ったんですね。
僕らの、それだってその直前まで、iPhoneにタバコが刺さっているときまでこれが夢だと分かっていなかったわけですから。
僕らの、僕の考えるですね、基礎的な認知力ってのはこの域を出てないと僕は信じてるんですね。
これに反論されるって方はいらっしゃると思いますよ。
起きてる時の自分はもう少しマシだと。そうかもしれない。
でも僕は、僕に関してはですね、そうは思わないですね。
ビオンが言ったのが正しいと思ったんですよ。
世の中には夢を見ている夢見る人と夢を解釈する夢見る人しかいない。
僕は絶対そう思っているので、つまり目覚めた人はいない。
打ったって目覚めた人って意味ですけどね。目覚めた人は僕はいないと思ってるんですよ。
だから、安直に判断してそれを改善する気になったって、それは夢見てる可能性が拭えない。
この話もしょっちゅうしておりますけれども、このポッドキャストでも。
仮に目が覚めていたって夢見てるのと、僕は50歩100歩だと思うんですよね、本当のところ。
僕の判断基準だけでは、自分が夢見てるか目が覚めてるかは判断しきれてないと思いますので、
つまりこのポッドキャストも夢の中で喋ってる可能性が大いにありますから。
僕だって先日も夢の中でポッドキャストを喋って収録してましたからね。
もちろんそれは皆さんは聞いたことはないと思うんですけどね。
主観とはそういうものだと思うんですよ。
だから私たちは1日の中でこれから起きることが分かるわけがないと思うんですよね。
だって12時36分の次の瞬間に2時8分になっていて、しかもそれが夕暮れだったり、
しかも西日は東の空から昇っちゃってるわけですよ。
こんなことが起きていても、なかなかこれは現実かもしれないなって思ってしまってるんですよ、心のどこかで。
今言った通りのことを僕は光景としては見たんですよ。
それでも100%夢だという確信は持てなかったんですよ、ついに。
おかしいじゃないですか。一つ残らず、しりめずれずですよね。
でも無駄なんですよ、そんなこといくら言ったら。
直感的にはあれだけクオリアが鮮明で、空気も冷たい感じだったんですよ、今っぽくてね。
毛布被ってたんですけどね。
前回は夢の中での話ですけど、右手を見て、
私はアトピー性皮膚炎で長らくステロイドを薬指の爪の根元に塗ってきたんで、
爪の根元だけが、いわゆる皮膚の自然なシワがなくてツルツルなんですね。
で、その指を指すって見て、目で見るとツルツルなんですよ。
おかしい。だって目つぶってるはずですからね、自分は。
ツルツルだなーっていう、完璧なんですよね。完璧に再現されている。
こんなことができちゃう。
あともう一つ僕がよく夢の中でやることが、太陽を直視するんです。
直視できないんですよ。おかしいと思いません?
目つぶってるわけだから眩しすぎて直視できないっていうのは絶対おかしいと思うんだけど、
直視できないほど眩しいんですよ。
クオリアってどうやってるんだろうなって毎回思いますね。
あの光景を見ると。
結局目が覚めたんだけど。
あと、坂の途中に、なんかよくわかんないスポーツ用品を売ってるところがあって、
その中でおばさんたちがテニスをしてたんですね。
結構広いところだったんですよ。
あの光景もね、ものすごく奇妙なリアリティがあって、全然夢らしくないです。
例えばおばさんたちをしなかったですけどね、夢の中だから一発殴ってもいいわけじゃないですか。
知覚・感覚による認識力
そういう気になれないんですよ。
このなれないってところに、もしかして夢じゃなかったら。
さっきも言いましたが、12時36分、2時8分で東の空に西日ですからね。
そこまで見ているんですよ。
なのに、これが現実でないという確信をどうしても持ちきれない。
どうしてもやっぱり、ここにいる人は本当にいるような気がする。
本当にはいないんですよ。絶対にね。
これが僕らの、僕が思うに、知覚・感覚を伴った上での認識力というものだと思うんですよね。
この状況でひどいことが起きたとか、素晴らしいことが起きたとか言ってても、
全然ダメだろうなっていうのが、私の実感に今あるんですね。
だから唯一僕にできることがあるとすると、起きたことは全部素晴らしい。
生きてるんだから今。たぶんそうなんだと思うんですよね。
その可能性の方が高いと思うんです。
そんなことが起きたのにひどいと思わないと搾取されるとかいうのは、
僕の感じではですね、なんかこう、ダメなんですよね。
十分だと思うんですよ、それでも。
起きていることは最高
だから、少なくとも他の人に勧めはしなければいいだろうと。
自分の、まあ勧めちゃいますけどね、100日チャレンジの方には。
その方が僕はいいと思うから。
かつて起きたことは全部最高だと。
最高だと思えなくても、事実としては最高だと。
最高だと思えないのはしょうがないけれども。
目にレンズがくっついてるから。
でもこれは歪んだゾーンを見ているからそうなのであって、
起きている自体は素晴らしいことなんだと。
この上なく、描写する最高の言葉を使っていいぐらいきっと
いいことが起きているんだろということにしてあるわけですね。
で、この話は実はもうちょいあるんですよ。
だとすると、だとするとなんですよ。
今何が起きていてもベストなのになりますよね。
このカッコログがすべて、アナマル、二重丸、何でもいいですけど、
ベストベストベストっていう、だから丸と三角と×をつける、
余地は全くなくて全部ベストなんだけど、
ベストだと思えなかったやつはベストだと無理やり思うという意味で
ベストなんですが、だとすると、今現在起きていることは
どんなことであれ最高なんですね。
だったらあとは自分の好きにすればいいじゃないですか。
ここが僕はまだまだできてないなって思うんですよ。
今ここってやつなんだけど、今ここで起きていることに、
例えば自分がこれを言っちゃまずいかなと思う制限とか、
極力かけない方がいいと思うんですよね。
つまり、これを言ってしまうと相手が嫌な思いをするんじゃないだろうかとか、
思いっきりそのまんま嫌な思いをさせるよっていうのではダメだと思うんですよ。
でもそうではなくて、別に自分に悪意がないことをやるんであれば、
でもこれを言うと相手が嫌な気になるんじゃないかなと思って
つぐんでおくとかやめたほうがいいと思うんですよ。
それは自分の想定の能力を相当高く見積もっちゃってる。
そしてそれこそが夢の中で夢だと確信できもしない私がやると
すごくトンチンカンなことになる何かなんですよ。
そういう判断と判断に基づく行動の修正なんです。
僕らそれしているじゃないですか。
一番わかりやすいところで、以前もこのポッドキャストでも繰り返し話題にした
こんな質問をするとバカだと思われる。
このバカだと思われる質問をするっていうのは別に攻撃とか悪意に基づいて
その場にいる人にみんなに嫌な質問をしようっていうわけじゃないじゃないですか。
聞きたいことがあるっていうだけですよね。
だったら聞けばいいわけですよ。
と思われるというような想定は大いに崩れる可能性があると思うんですよ。
魚眼レンズつけっぱなしになってるんで、魚眼レンズつけっぱなしになってるっていう想定を踏まえれば
聞くべきでないことがあるなどという判断に自信持っちゃダメだと思うんですよ。
ましてもしかしてですよ、何か質問しようと思った瞬間が夢だったとしたら
そういうことはあり得ますからね。
セミナーにしょっちゅう行ってる人がセミナーの夢見るのはおかしなことじゃない。
おそらくその人は夢の中でもこんな質問したらバカだと思われるんじゃないだろうかって思ったりして質問しなかったりするわけじゃないですか。
でもそれはそのバカだと思うという人は周りに実は誰もいないんですよ。
そんなことはあり得るんですよ、私たちの判断能力に、その限界の中においてはですね。