1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 今年もよろしくお願いします【..
2024-01-01 36:17

今年もよろしくお願いします【GMV910】

2024年のグッドモーニングボイスの方針などを喋ってみました。

サマリー

今年もよろしくお願いします。グッドバイブスではない話をするところで、なお精神分析が出てくるというのであれば、精神分析とグッドバイブスは、えっと、カウンセリング的なところで、まあまあ無関係じゃないよねと言えます。主人公は父の失職や母の病気など、様々な困難が重なって、今までの生活が行き詰まり、野の医者である遠畑海斗さんのところを訪れることになります。精神分析の知見が役立ち、治療が進む話が展開されます。私はGood Vibesで良くなった経験と精神分析の説明に基づいて、タスクシュートやPDCAの効果について考えています。精神分析の考え方を用いて、PDCAにこだわることの問題点について話し、具志堅慶三さんのクリニックでの経験を例に挙げて説明しました。今年の方向性についても言及しました。

新春早々な東京来波研究会
明けましておめでとうございます。グッドモーニングボイスです。今年もよろしくお願いします。
現在、2024年1月1日の朝10時58分ですね。
年末年始もやるつもりでいて、年始は一応やれているわけだけど、
年末は意外にバタバタして気がつくと、どっちか開けてしまっていたという、いかにもありきたりな感じでですね、この番組も数回お休みしました。
でも、まあまあこういうのがこの番組らしいので、今年もこの調子でやっていきたいとおもいます。
新春早々なので、あまり
ないんですけど、1月20日に
オンライン・オフライン・ハイブリッドで東京来波研究会をやります。
16時から2時間、山崎貴昭さんの臨床心理士で、
精神分析的心理療法士の山崎貴昭さんをゲストでおねぎして、新宿でやります。
だから、
リアルで山崎さんとお話ししたり、懇親会にも参加したいよという方は、
新宿に来ていただければよくて、お話だけ聞ければいいよという方はオンラインでもいいかなと思います。
あと、この山崎さんのゲスト会はですね、その後の半廃はいたしません。
動画、動画、ハイブ配信はね、その後その後つまり1月10日、すみません、1月21日以後、その後の放送は、まあそれで終わりますので、よろしくお願いします。
1月21日以後販売しませんので、もしこの動画をご視聴いただきたいということであれば、
1月20日までにお申し込みいただいておけばですね、本日ご参加いただけなくても配信はさせていただきますので、
そういうふうにご理解ください。
僕の感じではですね、2時間に山崎さんの、冒頭僕が30分くらいしゃべりますが、
この前座を除いて1時間半以上山崎さんのお話を、この3000円くらいで聞けるというのは、高くは全然ないと思う。
このようなことは、山崎さん、この他のところでも、文脈が違いますけどね、ライフハックではないんで、
精神分析のとか心理療法のとか、そういうところでお話しされてますけど、もうちょっとはっきり言ってこの時間ならするので、
このお値段はそう高くはない。
いろんな意味でね、思います。
まあ興味があればってことなんですけどね。
はい、今年もそういう活動をやっていきたいと思いますので。
あんまりですね、振り返りとか抱負とかやらないという話してましたけど、
今日はさすがに元日なんで、少し今年の、どうなるか分かりませんが、方針を考えてしゃべってみたいんですけど、
精神分析とグッドバイブスの関係
いつも通りですね、僕にとっての軸は3つです。
タスクシュート、グッドバイブス、精神分析。
精神分析は僕の活動半径の中にあるというよりは、
今日その話も少しして、トラケンでも少しその話したいと思うんだけど、
自分の活動の意味を理解するのに、この精神分析という知識が役に立っているんだなと思うようになりました。
はい。
つまり私にとって主軸はタスクシュートとグッドバイブスなわけですが、
そのグッドバイブスの延長線というのかな、派生系みたいな感じで、
倉園慶三さんと書き上げ塾もやっていて、つまり文書教室みたいなのをやっているわけだけれども、
これももう倉園さんの考えに沿ってやっていることは確実で、
倉園さんの職業上で、
この経験ですよね。
編集長時代というのがありましたから、そういうスキルを活用して文書教室、
そういう意味では私も本を何冊か書いてきましたから、
そういう知識を活用して文書教室をやっておりますが、
考え方はかなりグッドバイブスをベースにしているので、
そのグッドバイブスが主軸に来ているのは確かですね。
だからタスクシュートとグッドバイブスが私のメインの活動で、
これの意味するところは何なんだろう?
といったときにですね、私は精神分析の考え方を使って考えているんです。
という話。
その話を一番するのがここ、ポッドキャストなんですね。
なぜそうなのかはよくわからないんですよ。
もちろんセミナーでもするし、本には書きにくいから、
本にはほとんど書いたことがないんですね。
これは端的にこのようなことを書くということが、
少なくとも商業出版、
出版の世界では今のところここまでは求められていないと言っていいと思います。
だから例えば今回のJ.松崎さんとの協調も、
今年の2月19日に発行となり、
これまでも予約いただいて大変ありがたい限りなんですが、
要するに予約段階であれほど予約をいただいたことは私の経験上ないんですが、
この本に精神分析は出てこないんですね。
というのはつまり、
求められていないんですよ。
少なくとも商業出版の世界ではまだ、
私の精神分析の知見がどのように、
私の活動に生きているかという話は全く求められていない。
ついでに言うと、
かなりJ.さんの考えがグッドバイブスよりというのはおかしいな。
彼の考えは違う人なんだけれども、
彼の自己啓発的な発想がグッドバイブスの発想と近しく、
近くなっているから今度の教聴にはそういう意味でグッドバイブスに似た考えが結構入ってきているなというのに気づく方もいらっしゃるかもしれませんが、
これは私が書いたからではないです。
これはJ.さんが書いたところがそうなんですね。
だからこれはたまたまなんですよ。
ダスクシュードとグッドバイブスが両方ともあの本の中に入っているように見えるかもしれませんが、
主にそれはJ.さんの考え方を反映してのことです。
私が、
あの本にかなり反映させたのはむしろ書き上げ塾の知識なんですね。
裏殿さんから教えていただいたその文章の書き方について、
ただ一方的にひたすらひたすらJ.さんの文章を直しまくるわけにもいかないので、
強調ですからね。
だから私がこの辺は書き上げ塾でやっていた、
例えばのでからを避けるとかね、
体言のめを避けるとか、
あんまJ.さん体言のめは使いませんけど、
そういうのは割とやった。
あとちょっと渋いところで、
相当渋いところで、
助詞のとをにに変えるっていうので、
何箇所かやりました。
なるほどなと思いながらやりました。
助詞について確信を持って修正するっていうのは、
あんまり僕はそこまでやっぱり文章にこだわりを持ってなかったから、
あんまり考えなかった。
はとがはそれなりに意識してやってたんですけれども、
ややこしいですからね、
日本語のはとが。
はとにとかはあんまり見てこない場所でしたね。
なんとなく感覚的にとをにに変えるっていうのは、
結構やってた気がするんだけど、
ここは絶対変えないと、
どっちでもいいかな、
でも一応ににしとこうみたいなのではなくて、
確実にここはににしようみたいなね。
最終的な構成は、
すっごいとちあがこだわってる場合は別として、
最終的な構成はですね、
あの、
構成、
向こうの、
出版社さんのほうでやったものが最後通るんで、
全部とがある種のとがある種のにに変わってますという保証はないですけどね。
ないですけど、
私のほうとしてはここは一貫して変えるとか、
そういう、
あと一貫してこれは漢字を開くとか、
そういうのは前よりすごく気をつけるようにはなりました。
ただあくまでも協調なので、
私はその、
まあこの辺はもう私の考え方なんですよね。
私としては絶対こう、
だというのがあっても、
えーと、
相手の方がそうでなければ、
そっちに合わせます。
つまり私は究極的には、
読者さんはそこまでは、
えーと、
そこまではこだわらないだろうと。
こうでないと、
少なくとも誤字があからさまにあるよりはないほうが確かにいいよね、
という、
あの、
一般的に見て編集さんと協調者さんと3者の意見が一致したところは、
えー、
一致するであろうところは極力見落とさないように、
するのは必須だと思いますが、
私の意見と相手の意見が合わないようなところは、
まあ、
あの、
精神分析の好きさからの発展
絶対ということはないかなぐらいな感じではあります。
あの、
ある程度反映されればいいというふうに感じて、
まあ7割が反映されればよしとしようみたいなところでやってきました。
今回の本はそういう本ですね。
で、
えーと、
まあこれはあくまでも余談なんですよ。
メインの今日の、
この話は、
タスクシュートとグッドバイブスと精神分析で今年のポッドキャストも相変わらず行くよという話。
まあ分からないですけど、
何しろこの、
えーと、
ポッドキャストのタイトルからしてもともとグッドモーニングバイブスだった。
つまりグッドバイブス、
倉田のけいぞうさんのグッドバイブスをどう実践しているかを、
えー、
インターネットラジオでお届けするという趣旨だったんだけど、
えー、
ネタが尽きてしまうので、
どうしてもね、
この、
特にグッドバイブスのようによく体系立てられていて、
えーと、
論理的でもある、
そして自己啓発的な内容であるという、
こういうものは、
えーと、
無限にはないんですよね。
あの、
一人一人の事情に合わせた無限の、
えーと、
問いかけといういったものは存在するけれども、
一人の人間、
つまり私ですが、
の中には無限にはないわけですよ。
えーと、
無限に全ての悩みについて、
世界中のね、
みたいな、
こういつまでも話していられるほど悩みが続いて、
それにいつまでもこう、
グッドバイブス、
グッドバイブスを当てていくっていう、
まあそういう趣旨でやってきたんだけど、
大体無理なんですね。
悩まなくなってしまう部分が、
どうしても出ちゃうんでね。
そうじゃないと、
あんまり意味ないじゃないですか。
だから悩まなくなってしまう部分は出てきてしまうので、
ここについていつまでもいつまでも喋っているというわけにも、
なかなかいかないわけです。
で、
グッドモーニングボイスに変わりました。
つまり、
まあロッテの話とかをしてもいいよねってことですね。
そういう立て付けに変えたということです。
ので、
えー、
変わるかもしれない。
変わるかもしれないけれども、
当面、
今年は少なくとも、
まだこれまでいけるだろうといった感じですね。
はい。
で、
なんで精神分析がここにいるのという話。
これをトラケンでもしたいと思ってる。
トラケンはほら、
グッドバイブスではないですから。
グッドバイブスではない話をするところで、
なお精神分析は出てくるというのであればですね。
精神分析とグッドバイブスは、
まあ、
えっと、
カウンセリング的なところで、
まあまあ無関係じゃないよねと言えない。
ライフワークと精神分析ってなんだよってことになりますので、
その辺の話も扱わしようと思ってます。
その今日は前哨戦みたいなところになるかなと。
タスクシュートと精神分析ってほら、
なくていいような関係じゃないですか。
現になくていいんですよ。
別に全然、
例えば大橋悦夫さんは多分精神分析とか興味あるかもしれませんが、
えー、
別にタスクシュートとか、
絡めなくてよかろうとは思っていらっしゃると思うんですね。
私の方では。
ど、
私が勝手に絡めてる。
なぜか。
これはグッドバイブスと大いに関係がありますが、
えー、
もともと私はそういうのが好きだったということももちろんあります。
フロイトを最初に呼び出したの、
多分10代ですね。
で、
さっぱりわかりませんでした。
ちんぷんかんぷんでしたね。
ややわかったのは、
困難が重なる
大学時代にD.H.ロレンスのゼミを受けてたからなんですよ。
ここは、
他に入るところがなくて、
しょうがなく入ったんだけど、
実に的確な、
というか、
後から考えるとラッキーなことに、
私にとってなくてはならないゼミだったんですね。
もう先生はお亡くなりになってしまいましたが、
あの先生に習ったことは、
あの私の小中高大と合わせて一番最多でしたね。
小中高大の中の全体の8割までは、
あの先生に教わったことだって言ってもいいぐらいの内容がありました。
ラッキーだったんですよ。
私は、
他に入るところがなくて、
やむを得ずあそこに行ったんで。
そしたら、
タワナはそういうことだったという話ね。
で、ここで私はフロイトというものについて、
少なくともあの先生は相当理解されていたと思う。
で、私はその先生に繰り返し、
繰り返しフロイトの話を聞くんだけど、
何の話だかさっぱり分からんっていうのは変わらなかった。
でも本くれたんで、
読むようにはしてたんですけどね。
あの先生から頂いた本はいっぱいあるんですよ。
まあ、ほとんどかすめ取ってったぐらいな、
ノリもあるんだけど、
まあ、とにかく本くださったんですね。
その本は極力全部読むようにはしているんです。
意味わかんなくて。
意味わかんないのが多いんですけどね。
しゃあないよね、ということです。
で、それからだいぶ月日は経ちまして、
グッドバイブスを、
グッドバイブスというものに触れることがあったわけですが、
この時に私にいろんなでかい出来事が次々に起きたわけです。
ほぼ。
時をいつにしてきて、
ほぼ同時期にですね。
たまたま運悪くってこともあります。
良かったとも言えるんだけど、
あの体験やっぱり二度としたいとは思わないから、
運が良かったとは言い切れない。
つまり、私のあらゆるものが行き詰まったところに、
まあ、いくつかの悪い偶然も重なってですね、
どうしようもなくなった。
例えば、一つの例をあげますと、
コロナに見舞われて全活動が、
少なくとも私は、
それまではリアルのセミナーみたいなものを、
相当、
仕事の、
中心にかかってましたから、
一切停止するってことが起きたわけですよね。
で、収益的に考えてみると、
当時、やっぱ3分の1はそれで失いましたね。
あのトータルで見ればですよ。
セミナーから受けていた収益が、
そんなにでかかったわけではないけど、
トータルで見れば3分の1は、
3分の2ぐらいに落ち込んだんで、
最悪期は半分から3分の1まで押し込みました。
だからあの、
幸いのことに助成金も頂きました。
あれなかったら大変なことになってましたね。
多分。
運の悪いことに、
このコロナのタイミングと同時に、
私は本の依頼が途絶えたんですよね。
だから本とセミナーが両方壊滅すると、
私に残ってるなんて、
その時たまたま、
詩人がね、
かわいそうに思ったのか知りませんけど、
オンラインの連載を回してくれたの。
ほぼこれで食いつなぐみたいな感じです。
でもこれって、
コンビニのバイト以下ってやつですよ。
本当に。
月5万とかで、
なんとかしのが、
これだけなんなくなっちゃうみたいな。
だからもう本当に、
危機的状況では済まないぐらいの感じになったわけです。
で、この時たまたま運の悪いことに、
父は事実上の失職し、
母はなぜか心臓が悪くなり、
入院をし、
そのこととはあまり関係ないんだけど、
関係あるようにして、
妹が家から失踪し、
私はこうなんか、
家庭内不安もいろいろ手伝って、
体からわけのわからん発疹が、
もともとアトピー持ちで、
皮膚が強いわけじゃなかったんですけど、
体からわけのわからない発疹が、
ガッと出るっていうね。
もうなんか数えるの嫌だったから、
数えませんでしたけど、
多分あれは数千、
数千はいかない。
でも千数百ぐらい、
最悪の時は出た気が。
でも顔には一切出ない。
話もどっかで、
もうちょっと詳しくしたいんですが、
まあこういうことが、
折り重なったわけですね。
でも僕は相変わらず頑固に、
タスクシュートはやってたんだけど、
タスクシュートが役に立つとか、
立たないとか言った以前にですね、
問題は問題としてそこにあるわけですよ。
で、タスクシュートというのは、
言ってみれば記録をつけるツールなんで、
つけますよ。
病院に行ったとかね。
でも病院に行くっていう記録をつけたから、
体は治るってわけじゃないじゃないですか。
だから、
ライフハックやタスクシュートが役に立たないのか、
みたいな話をするのは、
僕はおかしいと思う。
例えばライフハックは失恋の役には立たないですよ。
失恋しないように、
いくらかの役に立つかもしれないけど、
しちゃった失恋は、
ライフハックは役に立たないですよ。
記録にとる、
ましてタスクシュートは失恋しましたと。
記録にとることしかできなくて、
失恋しましたとタスクシュートに書いたら、
相手がよりを戻してくれましたとか、
そういうことは起きないわけですね。
当然。
オカルトじゃないんだから。
だから、
これはタスクシュートは並行しておく、
動いていたけど、
ほぼ関係なく私の、
だって父の失職なんて、
タスクシュートで絶対に、
どんなライフハックを組んでも無駄です。
あれは本当に。
もう鶴の一声なんでね。
野の医者と精神分析
私と何の関係もないところで、
その事態は進行するのであって、
あれはハメられたような話だなって、
後から考えると思うんだけど、
そのハメられるっていうこと自体を、
父に防がせる能力とか、
私にはないわけですよ。
まあ、父にもなかったから、
全然ダメになっちゃったわけですけど。
母の心臓も同じです。
ライフハックじゃ防げっこないですね。
だから、こういうのはしょうがない面もあるんだけど、
積み重なってやってくると、
やっぱりこうやることがですね、
しかもコロナの中で起きてる。
ふんてこまいを通り越して、
手が全く回らなくなっていくわけですね。
実家も当時遠くて、
茎の方で、
どこから電車で使っても、
車使っても3時間弱かかっちゃうんですけど、
往復しました。
何度もしましたね。
何度も往復しながら、
これといった意味はないわけですよ。
ただお金使うだけで、
お金と時間使うだけで。
仕事もないしね。
そういう事態が猛烈に発生し、
まあ、結果としては、
蔵園さんのグッドバイオスの所の戸を叩きに行く、
みたいな感じなわけですね。
野の医者に行くわけですよ。
蔵園さんは後任の心理士とかではないし、
カウンセラーでもないし。
精神分析家はちょっとね、
もしかすると精神分析って、
野の医者なんじゃないかって思うんですよ。
後任じゃないからね、
少なくとも国家後任とかではないんじゃないかと思うんだけど、
まあ、でも精神分析家は野の医者と言ってはいけないかもしれない。
でも臨床心理士は確かに後任なんですよ。
国家後任だと思う。
で、今後任心理士という、
まさに後任のものがある。
この二つを除くと、
いわゆる相談室に相当するものは、
ほぼ全部野の医者じゃないかって思うんです。
つまり野の医者って非後任ってことですよ。
でも効果を発揮することがある。
それもどうして効果を発揮するのか。
例えば、
グッドバイオス、
なぜ効果を発揮するのか、
かなりの部分説明つくんですね。
この辺から精神分析の知識を役立てるって部分が出てきます。
ホラー研で今度お話ししたいと思うんですけど、
精神分析の知見というのは、
私が思うに野の医者というものが、
野の医者怪しいじゃないですか。
で、怪しい野の医者と、
まあ、そう怪しくない野の医者といるわけですよ。
やっぱり。
で、どのぐらい怪しいのか。
例えば後任だったら絶対治るのかっていう話も、
ここには当然含まれてくるわけですね。
だから遠畑海斗さんのような、
間違いなく彼は後任なんだけど、
後任心理師でもあり、
臨床心理師でもある彼が、
普通の相談なんて本を書くわけですよ。
後任だけが治せるわけじゃないよね、
という話ですよ。
だって彼が野の医者を洗うを書いたわけです。
で、その話の冒頭に出てくるのが、
具志堅クリニックに行ったら、
ずっと遠畑さんのところに来て、
なかなか芳しくなかった統合失調症の女性が、
いきなり具志堅クリニックと、
いうあからさまな野の医者のところに、
一回行っただけで、
そしてどう考えても、
その治療で統合失調症が良くならないだろう、
という治療を成るもので、
治っちゃったっていう話から始まるんですよ。
あの話、確か。
興味ある方は読んでみてください。
沖縄にはそういうスピ系とかに、
自己啓発系が非常に盛んで、
いろんなのがあると。
で、どれもこれも、
まあそういうものなわけですよ。
例えば、
複数で、
判断するとかね、
そういうやつです。
名前変えると病気治る、
みたいな話なわけですよ。
治療の進展
でも、これが誰にも全く効かないなら、
まだしも、
そういうふうに統合失調症の人が、
いや、良くなりました、
というわけで、
それが良くなってるのかどうかってのもありますけど、
この辺全域を考える上で、
僕は精神分析が一番、
その測定に役に立つって思うんですね。
私は。
そういうことだったんだなと、
2023年を周りに振り返ると、
振り返らないと言ってたけどね、
振り返ると思ったわけです。
つまり、
そもそも良くなるってどういうことだってのは、
やっぱり臨床心理の世界が一番よく、
ある意味、
知見を積み重ねてきたわけですね。
一時的に調子が良くなったのを、
良くなるとは言わないケースもあります。
でも、
調子が良くもならないのに、
良くなったっていうのもダメですよね。
だから、
専門家ってのは、
そもそも何を測定してるかとか、
それは認知行動療法で、
もちろん測定は、
むしろ、
認知行動療法の方が、
アセスメントはきちんとしてるのかもしれない。
それは分かんないですが、
でも私は、
良くなるとはどういうことなんだろうって、
考えたときに、
やっぱり精神分析が一番、
私にとっては納得のいく答えを、
示してくれているわけです。
そして、
良くなる。
で、
良くするために何をしたんだろう。
例えば、
具志堅クリニックさんは、
一体何をしたんだろう。
そこで言われている、
画数判断とか、
水晶玉とか、
そういった、
目に見える怪しさの他に、
そこで起きた出来事って、
精神分析とGood Vibes
何なんだろうって、
ここに焦点を当てるのが、
やっぱり臨床心理の世界には、
ある知見なんですよ。
臨床心理では、
ここで何が起きているんだろうと、
特に精神分析はそこを問うんですね。
それを問うている。
つまり、
やりとり、
表面的には言葉の交わしている。
自由連想で喋っている。
それに対して解釈を与えるといったような、
やりとりはある。
そこで起きている出来事ですね。
私はここを、
すごく、
意識するようになったんですね。
なぜならば、
Good Vibesで良くなったから、
と思うんですよ。
で、
良くなったんだから、
Good Vibesで良くすればいいじゃん、
っていうんで、
いいと思うんですよ。
そういう意味では、
ライフハックでもいいんだけど、
つまり、
良くなればいいっていう話は、
その通りだと思うんですね。
だから、
誰それが困ってるなら、
みんなGood Vibesをやって、
良くすればいいじゃん、
っていう考え方もあると思うんです。
でも、
私はそういう、
基地質の人間では、
決してないんですね。
私は。
何で良くなるんだろうって、
考えずに、
いられない立ちなんですよ。
だから、
そうすると、
Good Vibesで良くなる、
を、
ダイレクトに、
ただただ考えていっても、
いいんだけど、
えーと、
ここに、
臨床心理を、
持ってきた。
それはもう直感的に、
そうしたんです。
私は。
これは論理的に、
そういう風に、
考えたわけじゃなくて、
これはなんか、
精神分析で説明できそうな、
気がする、
というところから、
入ったんですよ。
そして、
実際に、
そうだった。
僕の中ではね、
精神分析が一番、
納得の、
いく、
ロジックを、
示してくれたわけです。
なぜ私が、
家庭内不和というものを、
Good Vibesで、
乗り切ることができ、
ついでに、
肌中の発疹が、
えーと、
消えていく、
という事態が、
起こり、
これと、
アトピーが良くなったというのは、
別ですよ。
ついでに、
アトピーまで、
えーと、
落ち着ける、
ことが、
できた。
でも、私は、
皮膚科の病院に行くのを、
やめたわけでは、
ないんです。
で、
その場合、
Good Vibesで良くなったのなら、
皮膚科行かなくて良くならない、
みたいな、
考え方もあると思うんですよ。
でも、私は、
そうではないんですね。
私は、
そうは、
考えなかった。
なんでかというと、
精神分析が、
そのことを、
教えてくれた、
気がするんです。
だから、精神分析は、
Good Vibesに、
私が、
えー、
倉園慶三さんのお話を、
伺いに行くと、
言ったことは、
どういう出来事であったのかの、
説明を、
精神分析が、
まあ、
フロイトがでもいいんだけど、
まあ、僕の中ではやっぱり、
クラインがっていうのが、
近いな。
クラインとウィニコットとビヨンとか、
ああいった人たちの、
書いてあることが、
まあまあ、
私の、
えー、
その、
まあ、
脳の医者ですね。
脳の医者のところに行き、
かなりロジカルな脳の医者のところに行って、
ロジカルに説明されて、
なるほどなと思ったっていう時に、
起きた出来事。
この出来事の意味を、
精神分析では、
ああだ、こうだ、書いている。
まあ、それが、
非常に世の中では分かりにくい、
言葉ですよ。
あの、あれですよ。
いいおっぱいとか、
糞便とか、
歯医者とか、
そういったやつですよ。
そういったやつで書いてるんだけど、
でも書いてあるんですよ。
大事なのはここなんですよ。
あんまり行動科学、
行動療法のような方面では、
ここを書いてくれない。
認知療法は、
近い説明をしてますが、
私には認知療法は、
はっきり言って、
全く、
私には、
十分な説明とは思えない。
例えば、
えーと、
身体、
身体科っていうんですけどね、
ストレスを、
身体症状に変えていく。
それが私の吹き出物なんだけど、
えーと、
どうしてこれが出てきたか、
なぜこれが収まったか、
についての説明が、
私は認知療法の考え方っていうのは、
私にとっては十分ではない。
これは、
それなりに納得も理解もしてるつもりです。
私はこれを結局アメリカで、
5年学んだんですよ。
実質的には。
なんだかんだそうなんですよ。
で、
私はそれを受けたこともあるし、
自分が、
プラクティカムっていうんですけど、
少し、
触ったこともあるんですよ。
で、
納得のいく説明とは、
私にとっては言い難いので、
やっぱりですね、
僕にとっては精神分析の方が、
はるかに納得、
説得力がある。
なぜ、
その、
グッドワイブスで、
私の状態が落ち着き、
自体が好転していったのかの説明としては、
あの、
かわいいハイボスさんのも、
すごくいい線いくんですけどね。
それで、
そうだなぁ、
6割方納得、
6割から7割の合わせが、
納得できる、
納得できる、
納得できる、
間納得できる。
でも、
私にとっては、
対象関係論の説明というのは、
95%ぐらいの、
納得力があるんですね。
この差が、
でかいんですよ。
ちなみに、
認知行動療法は、
5割をちょっと超えてるかな、
もしかすると切るかな、
みたいな、
つまり、
タスクシュートと説明の違い
当てずっぽうでもいいんじゃねえか、
それだったら、
みたいな感触を、
私には与える。
これは、
私の理解が浅いのかもしれないんだけど、
そうなんだから、
しょうがないって、
話ですね。
で、
えーと、
ついでに言うと、
タスクシュートってのを、
私が当時、
やめなかった理由も、
大筋説明が、
つくんですよ。
分析で、
精神分析。
これも、
一見、
すごく、
認知行動療法的だし、
向きなんだけど、
私の中では、
やっぱ、
そうではないんですね。
もちろん、
認知行動療法で、
タスクシュートの説明するっていうのは、
全然ありですよ。
非常にありだと思います。
でも、
話の中では、
えーと、
それでは、
何の意味もない。
それは確かに、
タスクシュートの説明には、
でも、
タスクシュートを使っていて、
あれほど、
それにこだわって、
固執した。
つまり、
なんとか、
それで乗り切ろうとしてたんだけど、
それで乗り切ろうとする、
っていうところの、
無理ね。
そんなんで、
乗り切れるわけがないことを、
タスクシュートで、
乗り切ろうとする。
これは、
タスクシュートの責任じゃないんですよ。
タスクシュートで、
乗り切ろうとする、
私の、
その、
精神構造に問題がある。
この精神構造を、
説明するのが、
精神分析、
なんですね。
いくら記録をつけていても、
無駄なんですね。
あの、
つまり、
実家に、
何度も往復して、
とか言って、
イライラしながら、
記録をつけていたところで、
これを、
PDCAというアプローチは、
私は、
タスクシュート的だとは、
必ずしも、
思わないんだけど、
PDCAを、
タスクシュートで、
やることは、
できますよって。
でも、
実家に行く回数を、
減らそうとか、
そんなんでは、
ダメなんですよ。
実家では、
重要、
重大な事態が、
進行してたのに、
回数減らすとかじゃ、
何にもならない、
わけですね。
で、
もちろん、
収益的な、
ピンチに陥ってたんだから、
実家からの、
有形無形の、
ですね、
支援が、
受けてたわけですよ。
そういうものも、
含めて、
父が失職するというのは、
非常に、
事態としては、
手痛いわけです。
タイミングが、
最悪だとも、
言えるわけです。
そもそも、
その前に、
なぜか父は、
寺の異動、
まあ、
これは、
栄天に相当するんだけど、
ダメージを与えたわけですね。
はっきり言って、
後から考えてみると。
そういうことも、
含めて、
それって、
タスクシュートと、
関係ないじゃないですか。
実家が、
栄天だ。
しかし、
実家は、
ダメージを受け、
っていう、
このややこしい話は、
タスクシュートと、
関係がない。
記録には、
取りましたけど、
エバーノートとかに。
取ったからといって、
タスクシュートでの乗り切り
何の意味も、
特にないわけですよ。
このような、
事態に対して、
タスクシュートで、
乗り切ろうって、
その発想自体に、
おかしさが、
あるわけですね。
だから、
乗り切れないものに、
こだわると。
それは、
何らかの形で、
現実を、
ちゃんと見る気が、
ないわけです。
例えば、
この、
グッドワイブスでも、
いや、
あの人は、
グッドワイブス、
グラゾーンさんの話聞けば、
いいのに、
っていう人って、
いらっしゃるわけですよ。
何人かは、
確実に、
パッと思い込むんだけど、
彼らは、
ガンとして、
行かない。
行かないだけでなく、
本も絶対、
作り出している。
これは、
単に、
グッドワイブスだけの、
話じゃないんですね。
ある種のものには、
手を出したくない、
っていう、
その気持ちは、
何らかの形で、
説明がつくんです。
で、
私が思うに、
それは、
騙されたくないとか、
損をしたくないとか、
時間の無駄だ、
っていう表現を、
取られるんでしょうけど、
この、
騙されたくない、
損をしたくない、
PDCAの問題点
時間の無駄だ、
という発想そのものが、
ある種、
脅迫的な雰囲気を、
帯びていて、
まあ、
その場合、
ちょっと、
簡単に説明するために、
脅迫的と、
言っておきますが、
ここを、
一番、
説明してくれるのも、
やっぱり、
精神分析だと、
僕は思うんですね。
精神分析の、
考え方の中に、
こういう時に、
こういうものには、
頼りたくない、
という、
精神状態が、
あるわけです。
だから、
私は、
あくまでも、
PDCAで行くぞ、
ということに、
こだわっちゃう。
これは、
PDCAが悪いわけじゃない。
だけど、
PDCAでは、
多分、
そこには、
信仰しているのに、
そこを、
PDCAで、
何とかしようとか、
あるいは、
マインドマップ書いて、
どうにかしようとか、
する。
そこに、
ある種の問題が、
存在している、
というのを、
測定する上で、
精神分析というのが、
私は、
臨床心理と、
言ってもいいんですけど、
深層心理的な、
あるいは、
精神力動的な、
その、
カウンセリングの、
考え方が、
役に立つ。
なぜ、
そこに行きたくないのか、
という気持ち自体に、
焦点を当てるし、
そこに問題の、
一端を見る、
ということですね。
だから、
グッドファイブスに、
行けばいいのに、
では、
済まされない、
ということです。
蔵園さんに近しい、
私みたいな人間は、
そう考える。
この考え方、
それ自体も、
分析が、
ある程度、
説明してくれます。
もちろん、
多分ですが、
グッドファイブスで、
なくても、
ここに行けば、
いいだろうな、
具志堅慶三さんのクリニックでの経験
というところは、
あります。
これも、
私は、
分析を、
知った以後、
こういうことについて、
考えが、
回るようになった、
ですね。
この人だったら、
この状況だったら、
別に、
タスクシュートと、
ライフハックで、
行けるな、
みたいな人も、
いる。
そういうことが、
分かるようになってきた、
ということです。
見えるようになってきた。
だから、
統合失調症の人が、
何で、
牛腱クリニックに行って、
何か、
5代前の、
おばあちゃんが、
悪さしているから、
ここに、
祈りなさい、
みたいな、
よく分からないことを、
考えるっていう、
事態が、
発生するのかも。
それは、
報道療法とか、
認知療法の、
あるいは、
脳科学では、
説明できている気が、
しないんですが、
精神分析の、
考え方っていうのは、
ここを、
相当、
よく、
ユングでも、
いいんだけど、
説明している。
いずれにしても、
フロイト・ユングだから、
やっぱり、
精神力動的な、
発想ですよね。
これはね。
そこを見ると、
現代の我々にも、
いや、
それは、
怪しげでしょう。
そんなんじゃ、
この、
なんとか、
我々にも、
理解し、
納得できるような、
説明と、
文脈を、
与えてくれるんですね。
だから、
別に、
具志堅クリニックじゃなくても、
良さそうな気は、
するんですよ。
でも、
こういうのは、
具志堅クリニックだった、
ってことが、
大事だった、
っていう話にも、
なるんですね。
全く、
同じことを、
やってくれるような、
例えば、
全く別の、
なんか、
よく分かりませんけれども、
ところでは、
ダメだったと、
私は、
たまたまなんですよ。
いや、
たまたまでしょう、
それは、
って言うじゃないですか、
よく。
たまたまなんですよ。
例えば、
私が、
蔵園さんのところに、
行ったのって、
たまたまですよ。
そもそも、
それは、
たまたま、
蔵園慶三さんという人が、
ゾノスタイルという、
ブログをやっていて、
このブログに、
非常に感銘を受けた、
私が、
そもそも、
蔵園さんを、
だいぶ前から、
知ってた、
ってことが、
ありますよね。
それは、
たまたまですよ、
もちろん。
そういうわけですね。
たまたまを、
説明しようと、
すんなよ、
っていうのは、
かなり現代的な、
考え方の中に、
あります。
あるんですよ。
たまたまを、
説明しようと、
しない、
したくない、
たまたま説明しちゃ、
だめだ、
っていう考え方。
それは、
科学的ではないから。
でも、
たまたま、
私の身には、
父の失職、
私の、
吹き出物、
母の心臓の、
入院、
手術、
それと、
失敗、
と、
失踪、
そして、
不安、
収入の、
激減、
コロナ、
が、
同時に、
ほぼ同時多発的に、
起きている。
たまたまですよ、
もちろん。
一つ一つの間に、
関係ないですからね。
相互関係。
父の失職と、
母の心臓は、
全然関係がないです。
いかにも、
ありそうだけど、
妹の失踪も、
関係ないです。
もちろん、
コロナと、
これらは、
関係ないです。
でも、
これらが、
同時に起きちゃうと、
ダメージは、
極めて大になる、
という意味では、
それらは、
全て、
関係づいてます。
っていう話が、
あるわけですよ。
これ、
たまたまでしょう、
って言われても、
私には、
うん、
たまたまで、
ってことになってしまうわけですよ。
たまたまだ、
と言われるだけでは、
何にもならないわけです。
で、
そんなのは、
知ったこっちゃない、
と言われれば、
その通りなんだけど、
私は、
これを知ったことだと、
思っているんで、
これを、
仕事にしてるわけです。
たまたま、
いろんなことが、
あるわけです。
それを、
まあ、
どうにかしたい、
といった話が、
まあ、
あるわけです。
ないわけじゃない、
ですね。
今年は、
そういう方向で、
行こうかな、
と思ってます。
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