タスクシュートの概要
おはようございます。朝っぱらから精神分析第1254回をお届けします。
届けとか珍しく言いました。9月23日火曜日8時49分です。
いやいや、あの本当に気候はとても良くなりようやく今だけなんですが、このあの
私は収録ルームでもあるんですが、朝は収録ルーム扱いしているこの部屋で
何にも、扇風機もクーラーもネッククーラーもストーブもなしにこれが取れる
まあ本当に短い季節だと思うんですけどね。やってきて素晴らしいなぁと思ってます。
数日、良くて2週間かな。1ヶ月は難しいかなと。今度は寒くなるんですよね多分ね。
でもまあ長袖とかを長袖長ズボンになればいけるかなというふうに思います。
今日はもっぱらですね。本日15時からのタスクシュート完全活用術のちょっと話とCMとPRをさせていただきたくて
手短に、手短に切り上げたいと思っております。
まあまだちょっとねPTXのどういうふうに設定したか完全には覚えてないので、もし残跡が多分4つはあると思いますね。
もしこれを聞いて聞きたくなった人は、しかも申し込みが締め切られていた場合はとりあえずPTXの方に行っていただきたいんですけど
私このちゃんとねURL貼っておきますとかすら一切しないんで、よくこれでこんなに来ていただいて本当にありがたい限りなんですが
あの私の方にDMをしてくだされば結構です。私なんかこの、なんて言うんですかね
直接問い合わせれば済むことは直接問い合わせればいいじゃん的なところがあるんで
なんかこうそこをシステマ、システム化することがいいっていうことはわかるんですけどもっと人生ごちゃごちゃしているのが普通じゃないかと
まあやめようこういう話をしているとあのキリがなくなるんで
本題に入りますと
プロジェクト管理の重要性
でもねこれ結局私は精神分析の話をしていようと思ってるから手短に切り上げることだけは今日は必須だと思ってるんですけど
これから準備するからなんですよ
あのなんでこれから準備するんだよって思われるかもしれませんけどあのねここ難しいんですよね
毎日コツコツって言うじゃないですかそれはそれで大事だと思うんですよ
でも私は大体一気化性にやるんですね最近は特に
以前は毎日コツコツと一気化性のハイブリッドみたいだったんですけどそのいいとこ取りっていうのもいいって何を意味してるんだろうって思うんですよね
一番いいのは結局聞き手の人にとって伝わるか面白いか
まあ伝わって面白くてかつ仕事が進むようになることじゃないですか
仕上がることではないじゃないですか
仕上がったところでその仕上がったスライドを見た人がですね
伝わらず面白くもなく仕事が進むようにもなりませんでしただったら金返せ案件だと思うんですよ
伝わればいいと私はただそう思ってるんですけど
それはしかしあなたの仕事のやり方であり会社でありそうはいかないんだよっていうのはそれはそうなんですよ
それは会社に勤めている方は会社の方でやってくださいとしか言いようがないですね
しかも会社の場合プレゼン例えばして部長なり知りませんけどが面白かったとしても別にあんまり意味ないじゃないですか
面白いかどうかが大事なのは私にとっては顧客だけが顧客だけがお客様だからなんですよ
私にとって企画とかプロジェクトっていうものの話をほとんどしないじゃないですか
それをする時はだいたいJ松崎さんとかと一緒ですよね
理由は簡単で私はお客様以外の人に何かを説明するのが嫌だからなんですね
私にとって説明するべき相手は100日チャレンジなら100日チャレンジの参加者さんであり
サンチャレならサンチャレの参加者さんがこのような仕事の仕方しかしてないから
その企画は何のためにやっているのかというのをあまり関係のない人に説明をしようとすると非常に下手なんですよ
サンチャレって何のためにやってるの私サンチャレに参加しませんけどっていう人には参加して理解してくださいと言いたくなっちゃう人間なんですね
だからある種の人から見るとすごいダメダメなことをやってるように見えるはずなんですよね
なんか隠れてやっていて人に説明できないことをやっているみたいな
意外と近い関係者ってそうじゃないですかJ松崎さんとかそうじゃないですかあの人がサンチャレに参加するはずないから
佐々木さんサンチャレで何やってるんですかって言われたとき言い淀む
彼はそのことに対して悪意を一切僕に一切じゃないかもしれないけどほぼ一切抱かない人だからこれでいいんだけど
そういう人とでないと仕事一緒にやってられなくなるんだよね
例えばスタッフであるこのサンチャレではスタッフである今日教祭のZoeさんもそうで
ZoeさんにサンチャレまあZoeさんには説明つくんですけど
とはいえ参加者じゃないですからね
参加者じゃない人にはサンチャレは究極的にはよくわからないもので
もう私は別にいいと思ってるから
だからこれがプロジェクト化しないんですね
名前はつけられますよ
サンチャレプロジェクト今日はそのセッションっていう
やや形式的にあのタスクシュートのリストにこれ今私は本題に入ってますからね
タスクシュートのリストに用意することができます
しかしそのプロジェクトはそのセッションの目的かというと別にそうじゃないんですよ
言ってみればレッテルに近いもの
だからモードとかタグとかがあると
私はその使い分けに何ら使い分けで悩むタイプではないんですけど
使い分けを真剣にやろうとすれば悩むだろうなとは思うんですね
なぜプロジェクト名がいるかというとそれは複数の人とやるからなんですよ
自分一人でやるんだったらそのプロジェクトについての名称っていらない
私からするとZoeさんだけがサンチャレというプロジェクト名を理解していれば
それで十分なのであって
その他の人たちにサンチャレを説明したいとは思ってないんですね
だから私はプロジェクトマネージメントってことをしないんですよ
思いつきは全部試すし基本的に試せればですね
思いついたことは原則何らかの形で試すし
思いつくための努力とかは別にしないっていう感じなんですね
そういうのにマネージメントっていらないじゃないですか
思いついたときはどうせやるんだから
それは思いついた瞬間に事実上タスクになるわけですね
それは別の言い方をするとそこに乗ることができないものは
思いつきの名に値しないと思うんですよ
だから思いつきを組み合わせて科学結合させてどうのこうのとか
あれをマインドマップに書き出してうんたらかんだらってことを
僕はやったことがないし
婚輪際とは言いませんが恐らくやらないだろうなと
ただこれは複数の人と計画を共有する必要がある場合には
必要が出てきますよね
私その種の仕事の仕方をしないので例外が本なんですよ
本はどうしても読者さんに説明
だから僕KDPの方が本当は性に合ってるんだろうなと思いつつも
紙の本をKDPでは出せませんから
紙の本を出すとなればこれはもう読者ではない人
すなわち書店営業の人出版営業部の人
そして当然出版編集者という人に説明できなければいけない
ここでプロジェクトマネジメントというものが必要になるんだろうと思いますね
快不快原則と行動
でタスクシュートにおいてはこれはできるようになってますが
タスクシュートはしかしチームで共有するタスク管理ツールではありませんから
あくまでも個人のものので
ここで個人のものが一番ものを言ってくるのは
私は遥かに遥かにミクロな世界だと思ってですね
思うんですよどう考えても
要するに一番大事なのは今日それが実行できるかどうかであり
というか実行するということであって
実行するとはどういうことなのかというのを
タスクシュートでは問い合わせなきゃいけない
プロジェクトマネジメントしてる時って
それを実行するわけじゃないじゃないですか
出版編集者に本の企画を説明してる時って
本は一文字も書き進まないことがほとんどなわけですよ
なんかその場で書き進めるみたいな話もあるんですけど
私それはおかしなやり方だなって思うんですよね
あの時やってることは本を作ることではなくて
この本はどういう本であるかの説明ができるようになること
その説明が通るかどうかであって
それは現実原則に沿うべきだと思うんですが
沿わなければ本できないと思うんですけどね
だから現実原則というのはこの際非常に重要で
ただそれがタスクシュートの上ではですね
はるかにミクロに表現される
大きなマネジメントみたいな形では
決して表現される必要のないものなんだと思うんですね
基本的に一人でやるんだったらば
自分が測ればいいわけで
そこの説明というのは結局のところ
現実原則に沿ってるかどうかの説明なんですけどもね
今日はそういう話をするわけです
これでPRであってるのかな
なぜタスクを実行する気になれないかというと
不快だからですよ
不快ということが行動理由になってるということは
快不快原則に沿ってるということですよ
快不快原則というのは精神病水準であり
ビオンの表現を使えば
考えられていない水準であり
ウィニコットの表現を借りれば
無意識の水準なんですね
これはフロイトの表現を借りればです
フロイトの表現だけではないですよ
だから無意識の水準
それはすなわち考えられていない水準
すなわち快不快原則であり精神病水準
ということはつまりその水準に沿っている限り
不快なことはほとんどできない
不快なことはあくまでも排出で終わってしまう
でディスるわけでは全くないんですけど
というかこれは私はディスるとか
そういう話では全くないなと
単に違う話をしてるだけだなと思うんですけど
Getting Things Doneがありますね
GTDが今日この話も出るはずです
白心に向かってライフハックの流世紀には
そんな時代もあったんですけどね
あの模造詩に書き出すってのもあったんですよ
この模造詩って何を意味してるのか
模造詩の広さには限りがありますけど
でもロディアのメモに比べれば
模造詩の広さって限りがないじゃないですか
書き出すという行為をデジタルの上にしたら
事実上無限になるわけじゃないですか
この無限というのが無意識の世界の
一つの重要なメタファーなんですよ
無意識は無限の広さを持ってます
現実原則に沿うとどういうことか
これは自意識の世界
あえて自意識って言いますね
言わないけど平日無敵では
意識と無意識って言うんだけど
これ分かりにくいと思うんで
今日はどっち分かんないけどね
ギリギリ分かりませんが
自意識と無意識って言おうと思ってます
いずれにしても自意識は現実原則に沿い
さっきの反対です
現実原則非精神病推奨
精神病ではないということね
非精神病推奨
考えられる考えられないでいいと
考えられる領域であり
現実原則です
快不快原則ではありませんね
それはどういうことかというと
母親の赤ちゃんと母親がいる時の
母親の養育できる母親の基本的な態度です
それは赤ちゃんは無意識なので排出する
快不快の不快なものは排出する
すなわち泣くという
外に出す涙を外に出す声を外に出す
うんちを外に出す
そうして不快なものを外に出す
この水準でまずやるのがGTDです
僕の考えるところでは
ここは無限の広がりを持ってます
赤ちゃんはここに出そうとか
私の涙はどこで枯れ果てるだろうとか
そういうのは一切ない世界に生きてるわけですよ
不快であり続ける限り
私は出し続けるという
だから赤ちゃんって
なんかありえないぐらい
思いっきり泣けるじゃないですか
あれに大人はやられるわけだけど
なぜあんなに思いっきりやれるか
自分のエネルギーの限界を知らないからですよね
だから私の娘を見てて面白かったんですけど
2歳だったと思いますね
滑り台から滑るわけですよ
やるじゃないですかよく
やっと歩けるようになって滑り台から
あれも見ててハラハラするんですけどね
階段登るのだって
落ちるんじゃねえかっていう
登り方なんだけど
でも下でこう見てるわけですね
で降りるじゃないですか
降りてどうなったか
寝てるんですよ
私その光景2度見たんですけど
え?って
滑り台降り終わったら寝るわけっていう
緊張してたんでしょうね
だから全エネルギーを
そこで使っちゃうわけですよね
降りた後は親が何とかしてくれるだろう
タスク管理の無限の広がり
まあそういう見通しすら考えてないわけですよね
だから寝ちゃうわけですよね
滑り台滑り終わって寝る
降りた瞬間にですよ
降りてトコトコグーではないですよ
降り終わって
あの滑り台の一番下の
こう平になってるところあるじゃないですか
あそこで寝てるんですよ
私も衝撃を受けて気絶したのかもしれないんですけどね
あのある種の緊張と
あの興奮があまり
いずれにしてもそこで果てるわけですね
ということはつまり
無限だって思ってるってことなんですよね
自分のエネルギーの限界というものを
全く意識していない
で、でですよ
これが模造詞に書き出すということですね
タスクを
タスクは無限の広がりの中で
無限に放散していっていいわけです
そこにシンメトリックな理論というものを
今日お話しますが
ここではそんな話はしません
なぜなら
それだとセミナーと全く同じ内容になり
これから3時間近く喋んなければならない
まあそこはいかないにしても
2時間これが喋られてしまうので
手短もヘッダフレもなくなるんで
あのそこでシンメトリックという話も出てきますが
とにかく無限の広がりの中で
タスクを書き出していきます
だからGTDにはその直後に
ここを無意識の水準から一気に
現実原則である意識の水準に
絞り切るというか
そこでスイッチをかけるために
次の工程が始まるわけですよ
あの書き出したところは有名な
ご存知あるか分かりませんが
これを聞いてる方の半数の方は知ってるでしょう
有名なチャートがあります
あのチャートはまさに現実原則の
GTDが考えるところの現実原則とは
あのチャートが示しています
書き出すのあのチャートの外であるというのが
非常になんて言えばいいんですかね
非常によくある意味
良い対照関係があります
あそこに無意識の世界にあったものを
自意識の世界に取り込むというのは
どういうことなのか
あの先に考えるっていうことがあるんですよ
これは何かで始まっていたはずです
今違うかもしれませんけど
でも結局同じようなことをやってるはずです
収集の次にこれは何かを検討する
このこれは何かというのは
まさに現実原則に沿ってるわけですよ
現実にこれは何なのか
じゃあ何を吐き出したのか不快なもんですね
気になることを全て吐き出しましょう
不快なものが心の中にないようにしましょう
って言ってるじゃないですか
排出なんですよあそこにあるのは
いかにも排出的だったじゃないですか
ひたすらひたすら書き出す
ひたすらひたすら吐き出す
自分の中にある不快なものを全て吐き出す
これがGTDの原則なんですね
意識と無意識の原則
吐き出したものが無意識の世界ですよね
無意識の無限の宇宙の中で
時間というものがない世界
そうこれ言うの忘れてたね
無意識の世界は3次元原則に沿います
そこは停止した無限の広がりを持つ空間です
まさにデジタルの世界
ひたすらひたすら吐き出していきます
無動詞の世界です
要は吐き出されるものより
広いものがそこにあるんだったら
無限と同じですからね
3時間かけてっていうか
寝こそぎ吐き出します
不快なものだからスッキリするんです
よく言うじゃないですか
そこでスッキリして終わっちゃったと
あそこで終わったということは
快不快原則の段階で終わったと言ってるんですよ
これがゲッティング・シング・スタント
デビット・アレンさんが考案した
そのように考えられて
考案したとは僕は思いませんが
彼はしかし欧米の人なので
精神分析を知らないはずはないと思うんですね
精神分析に関するリテラシーは
欧米は日本よりも遥かに高いので
あれぐらい知的な人ならば
聞いたこともない
なんてことはありえないと思います
だからどこかで意識に入ってたと思うんですね
フロイトは
フロイトが入ってれば
あの発想は決しておかしな発想ではないです
もちろん本人は善とか思ったかもしれないし
マインドフルですと思ったかもしれませんが
それはそれとしてね
あの発想はまさにフロイトに沿っていると
私は思いますね
だから本人がどう思ってるかは知りませんよ
私がそう思ってる
無意識の世界で排出し
それを今度は現実原則に沿って取り込み
現実原則に沿って整理し直していくわけです
ただしなぜか彼の好みかもしれない
マインドフルネスだったのかもしれないですが
現実原則の中にGTDは時間の概念がほぼない
スケジュールがなんか申し訳程度に
添えられてるだけであって
四次元的になってないのが大きな問題だなと
私は思います
あといくつかの工夫によりニカ理論
さっきシンメトリーと言いましたけど
シンメトリーに対象的なものとして
ニカ理論っていうのがあって
ニカ理論というのは要するに
非常に窮屈な理論です
現実に沿った理論です
早い話があるセンテンスは
そのセンテンスが意味してる以外のことは
意味できないという
単にそれだけの理論です
例えば赤信号なので止まりましたっていうのは
これ以外の意味を持ってはいけないんです
赤信号なのに止まりましたというのは
同時に青信号だから進みました
にはならないわけです
それはまた別の話
赤信号だったら止まったということは
せいぜい赤信号だったら進まなかった
全く言い換えてないじゃないですか
無理やり言い換えてるんですけど
実に狭い世界です
これが現実に沿うということですよね
本当は僕らはこの理論だけで
文章というものを構成するべきなんでしょうけど
だいたいそうはなってません
しょっちゅうこれが広がっていってしまいます
これを広がっていってる理屈を
今みたいに赤信号が止まりました
ということは同時に
同時に無意識の世界では
同時に青信号だから進みましたを
同時に言ってるんですよ
この説明だと分かりにくいんですけどね
ニカ理論の説明とかの時に
よく出てくるのがこれなんですね
ここ数日僕言ってますよね
いずれにしてもこれが意識の世界の
意識水準の話なんですね
意識水準は
不快不快原則には沿いませんから
不快なことでもやるしかないんですよ
やるとなった
現実に必要だからやるのであって
不快だからやらないとか
不快だから排出するとか
愉快だからやるとかいった話には
ならないわけですね
ところで気になることを吐き出したんだから
基本的には不快なことが
そこに大量に全部じゃないにしても
大量に不快なことが入ってるはずですよね
だからGDDという
どんな方向でも同じですけど
タスク管理において
この快不快原則
現実原則という順番で
プロセスした時に
どういうことが起きてるのかを
考えてみましょう
快不快原則に沿って
不快なものを吐き出しました
そいつをかき集めて
これは何かと吟味していきます
嫌に決まってるじゃないですか
無意識の水準というものを
この話も今日しますけれども
無意識の水準を私たちは
永遠続けていきます
無意識の水準から自分を
離脱させるとか
卒業させることは不可能なので
しかもそれは無意識のために
必ずしもコントロールは効きません
私たちは意識水準と
自意識水準と無意識水準を
並行して動いているに過ぎなくて
あるいは心の中では
その二つは並行して
動いてきてしまっていますから
どっちかだけにすることはできない
っていうか
どっちかだけになった時は
無意識だけになります
自意識だけにはなりません
どっちかだけになっちゃった時を
精神病と言うんです
常に両方なきゃいけないわけですね
基本的に両方あることが
望ましいとされているわけですね
社会的に
無意識で気に食わないものを
全部吐き出しちゃう
気に食わないと言ってしまいますが
吐き出してこいつを吟味してみたところで
それが愉快なものに
切り替わる理由は
全くないわけですよ
だからGTDの次のプロセスから先を
みんながやんないのは
無理もないことなんですよ
嫌なものの集合体なんだから
それを見るのも嫌だし
やるのはもっと嫌ですよね
唯一の例外が
その中に混じっている
気になっている
気に入ってることなんですよね
これがサムネイリストってところに
入っていくはずなんですよ
あれが欲しいなとか
ハワイ旅行に行きたいなとか
ハワイが気になるなとか
そういう気になるんだけど
気に入ってることがあるわけです
これは後に回ります
これ先にやろうっていう
ラディカルな発想も
あるんですけれども
でもお金ないしねとか
現実原則が出てくるわけですよ
返してサムネイ
この気になり不快なことを
全部全て徹底的に片付けて
心を鏡のように静かにしてから
サムネイリストを全部やるっていう
異常な行動力を発揮すれば
その先にはスーパーマンの世界が
待っているっていう感じを
希望にしてあの方法論は
出たんでしょうね
私はそれは心の原則というものは
基本的にそうはならないので
なぜそうならないかというと
3次元原則によって無意識のね
3次元原則によって
吐き出されたものを
4次元原則の中で
実行していけば
その間心は当然のことだから
動き出すわけですから
当然のことだから
無意識では時間というものが
意識できないかもしれないけれども
時間というものが
現実にはあるわけですから
時間があるっていうのはね
非常に難しい言い方なんですけど
少なくとも心は
スタティックなものではないので
ダイナミックなものなので
力度を払うものなので
別のことが必ず気になり始めますし
気になったこと全部吐き出したから
今後気になることが出てくるはず
ありませんってことはないわけですよ
あそこには無理があると
僕は思ってるんですよね
思うんですよ
タスクシュートとルーティンタスク
従いまして必ず無意識の原則で
動いたものは
自意識の原則に沿って動かし
変えない限り実行はされないし
その時必ず不快感というものが
発生するし
そうするとそいつが
心にもフィードバックされて
また気になることは
改めて出てくるでしょうから
これを毎週毎週やらなきゃならない
これを終時レビューと言います
週に1回はこれをやり直すから
終時レビューだ
つまり終時レビューは
タスクシュートで言うところの
ルーティンタスクになっていくはずなんですね
だって終時なんですから
それを土曜の午前中かけて
やりましょうって言うんだけど
私はそもそも土曜の午前中では
足りなくなるだろうと思うし
月曜に出てきた不快感と
金曜に出てきた不快感は
土曜日の朝にとっては
違った意味を持つでしょうから
これを時間で区切るのは
はなかだ難しく
それを週に1回で回すのは
私にからすると
それこそ現実的ではないなって
感じはするんですね
でもこれはもうその流派の考え方です
私が考えるのは
このような区分けがあるということ
無意識水準と自意識水準の
区分けがあるということであって
タスクシュートは最初から
無意識水準というものだけを取り扱うこと
それだけを取り扱うってことはしません
タスクシュートというのは
自意識水準の思考をサポートするためのツールです
今日はこの話をしたいんですね
無意識の水準とライフハック
無意識水準から上がってくるということは
当然ありますけれども
それは特にその無意識の思考に
ずっと付き合っていると
シンメトリックに無限に広がっていってしまう
だから全部を排出する必要が
そもそもないでしょうということから
私は話を始めたいと思うんですね
気になること つまり気に入らないこと
不快なことというのは
断続的にずっと出てきます
ここから私たちが
完全に円を切ることは
不可能なはずなんですよ
だって寝不足になる日はありますし
食べ過ぎることもあれば
お腹が空くこともあります
不快というものがないということは
つまりサバイブするのは
非常に困難になるってことですから
不快なことがありすぎるとか
ストレスが多すぎるってことが
そもそも多分この話の発端にあるんでしょうね
あるんでしょうけれども
それはそれとしてなんですよ
私たちは現実原則から先を
極力私はメソッドやツールでは
扱うべきだと思うんですね
精神病水準 いわゆる考えられないところを
ツールとかまして現代的なツール
ノートのようなもので
なんかこう好むんですよね
無意識の水準をノート上とかで扱うこと
非常に好むんですよ
ライフハックはある意味では
書き出すとか吐き出すのに近いんですよね
そしてそこに何かがある
っていう感じを抱くのが好きなんですよ
私はそこにあるものは
非常にシンメトリックなものであり
カオスにしかなりにくいものだと思うんですね
そこから吐き出したアイデアが
出てくるということに対して
私は別に特に今批判的とか否定的では
ないつもりなんですけれども
以前よりはですね
吐き出したらなんか出てくるってことは
あり得ると思うんですけど
吐き出したものは
これは今は説明しきれないんで
ざっくりですけれども
吐き出したものは
いわゆる現実的な理論に沿わない
だからアイデアになるって
言いたいのかもしれない
つまり今日あなたは
私と会ってなかったわよね
っていうのは
あなたは私と会っていなかった
あなたは私と一緒だったとは言えないって
これ以上のことは言えない
今日私と一緒になかったってことは
あの女といたのねってことには
ならないってことなんですよ
あの女といたのねになるのは
無意識の水準なんですよ
それはシンメトリックな水準なんですよ
言葉の中身のある部分を入れ替えることは
いくらでも許される
シンメトリックな水準なんですよ
この水準ならオッケーなんですよ
しかもそれが今起きたかのように
言うこともできない
何故なら三次元原則に沿うから
時間の流れというものを無視できるのが
無意識のいいところです
全てが空間化していく世界ですから
さっき言ったじゃないですか
文章紙の中で書き出すということは
無限の空間の中に
タスクの順番も考えずに
そのタスク全てが
いつやるというようなことも
一切考えることなく
ひたすらひたすら吐き出して
横に縦に斜めに並べていく
ひたすら並べていく
子供の世界ってそうじゃないですか
ブロックにせよ家にせよ
のほうずに並べるというのが
彼ら大好きですよね
あれを対象の配置とか
対象の操作みたいな
つまり自動精神分析とか
あるいはもうちょっと単純に
プレイセラピーみたいな世界では
よく箱庭みたいなものの箱を作って
それにどんどん並べるってことやりますよね
マインドマップが
僕はこれを連想させるんですけど
そういったら怒られますかね
このひたすら空間配置的な世界というのは
三次元的な世界なわけです
この世界においては
少なくとも並べられる限り
何が起きてもオッケーなんですよ
家の隣に怪獣がいても
全然いいじゃないですか
その光景見て変だと思わないじゃないですか
ブロックの世界であるならば
なぜしかし家の隣に怪獣があるのか
これをシンメトリックに言うならば
家が建っている
ということは怪獣が建っている
ということと同じことを意味するから
同地なんですよ
同じような可能性の世界にある世界
極めて無意識的であり
三次元的であり
無限的であり
そして快不快原則にそうです
おそらくその怪獣は
しばしは不快なものを象徴しているし
家は安全で快適なものを
象徴しているんですね
そういうものの言い方をしますよね
ああいう世界では
現実には怪獣いないしって
それが現実ってものでしょう
どこから来たのか
これは歴史的ですよね
四次元的ですね
こういうことを言っていくうちに
現実というものを把握できる
技術の仕方というものを学んでいく
これが現実原則ですよね
この原則に沿わない限り
タスクは実行されるはずがない
と思うんですね
タスクの実行というのは
あくまでも現実の中において
仕事を進めることを指すのですから
タスクの実行が
快不快原則に沿っていたり
まして三次元原則に沿っていたりすれば
ああ あの時
ああ やらなければよかった
みたいなことが
つまり あの時私が
こうやっておけばよかったとか
これから私がスーパーマンのように
あるいはスーパーウーマンのように
のび太くんのコンピュータペンシルみたいに
サラサラサラッとやると
全ての仕事がAIみたいに済むっていう
時間温原則を無視したような
やり方ができるならば
いいんでしょうけれども
そういうやり方はできないから
実際に一文字一文字
あの手で書くなら
一文字一文字書くしかないし
AIにやってもらうにしても
やっぱりAIにプロンプトを打って
どうこうやってくださいとやって
それを見て 読んで
必要ならば書き直すという
全てにおいては
秒単位であったとしても
時刻というものがかかり
それが終わってからでなければ
原稿が仕上がるという事態を
手に入れることはできないんですよね
企画を始めます
原稿書きました
本屋に並べましたっていうのを
空間的に並べていって
マインドマップとかチャートとか
リストとか
なんとか計画みたいなものに並べていって
まるで子供がブロックを
横に並べるように並べていって
はいできました
幸せかもしれない
でもそれは仕事を進めている
ということとは関係ないはずなんですよね
仕事は四次元的に進むものですからね
というわけで
今日この話をしていきたいと思っていますので
興味があるという方は
聞いてやってください
その前にお申し込みください
この世界四次元なんで
タスクの実行と現実原則
よろしくお願いします