おはようございます。朝っぱらから精神分析第1142回をお送りします。
9月3日、水曜日、7時41分です。
ようやくですね、少しだけ涼しくなりまして、このせっかく買ったAirPodsの効果もようやくはっきりしてきまして、
これは明らかに良かったなという、良い変化だったなというふうに思います。
そして、結局これ暑さとの戦いですから、現在の私のポッドキャスト収録を。
なんでここでやってるかというと、これは奥さんの睡眠の妨害にならないようにするために、
クーラーがいまいち効かないところで、大いに風を送ってやっておりますけれども、
この番組でなかなか眠れないっていうのも、かわいそうだなと思うのと、
眠れても良さそうなもんだとも思うんですけど、ここ1階なんでね。
寝てるところ2階なんですよ。
だからまあ、はっきり言って声が気になるというのは気にしてるんですけど、
それ自体が非常に分析的な話に持っていくこともできますが、持っていきません。
とりあえず暑さと戦いながら、ここで収録しております。
これぐらいの気は使うんですよ、さすがにですね。
私は気遣いのできない人間ではありますが、これぐらいの気は使って家族ではやっております。
この気遣いという話もすごく、僕は分析から考えていってしまうんですが、
それよりもですね、それよりもっていうのも変ですが、気遣い1つとってもそうですし、
部屋の片付け1つとってもそうですし、つまりビジネスに絡んでいるじゃないですか。
3カ月チャレンジでFAQ出せという話がありまして、
それはすごくもっともだと思って、今準備しているんだけど、
FAQのFがですね、そもそもどんな質問が多いかというと、
これがまたすごいばらけているんですね、実はね。
3カ月チャレンジに寄せられる、当然自明でそれが聞かれるでしょうと聞く人は思うんだし、
その通りなんですよ、その人にとって。僕はだから、
心的現実と主観とは絶対だって思うところがありますから、客観なんてものはどうでもいいようなものであって、
これは極論なんだけど、でもこのスタンスで生きていかないと、
人はどれほど自分の主観を客観的だと思っているかってことに気づけないですし、
その上、その主観の、気づいたとしてもその主観を修正できない、
この根強さというものと対抗できないと私は思いますんでね。
主観、つまりこの質問を最初にするのは100人が100人しているはずだと、
だいたいその人1人しかしてないんですけど、多くて2人とかですけどね。
で、それが100通りあるんですよ。本当なんですよ、これは。
私にFAQって問われてないんですよ。問われているようで問われてないんですよ。
本当もう僕が細かく見すぎてるのかもしれないですね。
本当大くくりにすればいいんでしょうけど、ここがまたミソで、ミソでっていうか、
ハードル高くて、私は1人1人の話が違って聞こえちゃう人間なんですね。
だからこの仕事やってられるんだなっていうのが最近気づいたんです。
最近なんで気づいたかっていうと、皆さんご覧になったか分かりませんが、
ピボットに出たじゃないですか。あれがまさにマスに向ける、
マクロなものの見方を情報発信源にするというやり方なんですよね。
私はああいうのがやっぱり苦手なんだなっていうのを、
あれですずっと食ってきたくせに苦手なんですよ。
お人方お人方の事情と状況と説明は全て全く違って聞こえるんです、私には。
それはやや具体象徴的で病理的部分もあるにせよですね。
大送りにするっていうことが、昨日の話の続きみたいになってますけど、
とっても苦手なんですよね。だからAIひとつとってもですね、
もっともっとAIせっかく使うんだからパーソナライズにしないとって思ってしまうんですよ、ついつい。
で、ゲストにお人方、私と一緒にゲストで登壇されていた方と、
国山ハセンさんがお仕事の中でですね、
例えば会議の議事録って便利でしょうっていう話になるんだけど、
会議の議事録って便利だろうかって、僕はあそこで考え始めちゃうんですよね。
あ、よかったんですよ。あそこで考え始めると、
僕はもう自分が収録されているという自覚を相当程度失いますよね。
仕事にならないわけですよね。
でも会議の議事録が便利だっていうのは分かるんだけど、
でも例えば私も確かに収録してるわけですよね。
これだって収録ですし、文字起こし便利だわって思うんだけど、
ではそれにAIで月2500円かけるかっていうと絶対かけないですよね、とりあえず。
だってこれ収益になってるわけじゃないですし、
しかもこれの文字を起こしてどうするんだって感じがするんですよね、やっぱり。
これは生で聞いてなんぼでしょうっていう感じがするんですよ。
生でなくてもいいんだけど、声で聞いてなんぼだろうとは思うんですよね。
情報になってない。
この話すると、そもそもこの時代情報発信が常識でしょっていう人からすると、
それが欠陥になっちゃってるんです、その人の中では。
私情報発信してませんって100回言っても無視されて、
須田幸さんの情報発信によればってなっちゃうわけですよ。
それは客観的事実になってるわけですね。
何ら話がBionの定義的仮説によってきてるよっていうことを僕は内心で、
マイナスKでもいいんですけど、言いたいわけですけれどもね。
いずれにしても、その人が何かを誤解してることを責めたいわけでは全くないんですね。
そんなことを責めてたら、私たちはみんな責められまくらなければならないんで。
誰も客観的知覚をしてませんからね、私の考えでは、人間は。
無視はしてますよ。これ何度も言ってますよね。
あのトカゲさんとかもしてます。
だからハエとかを瞬殺で、そこら辺飛んでたの。
飛んでないみたいな、その速度で舌を伸ばせるわけですよ。
これって考えようとしてたら絶対無理じゃないですか。
これこそまさに爬虫類の大脳神質を一切持たない爬虫類の特技ですよね。
あれ、ハエいなくなったっていう、私見たことがあって本当にびっくりしますよ。
舌なんかまるで見えないですからね。
瞬殺ですよね、まさにね。
これがまさに物理的世界なんですよ。
我々には想定真似のできない芸当だなと、私は思うんですよね。
現実を直接に知覚し、直接に捕食するなどということ。
私たちは結局、肉をナイフとフォーク使って切り分けて、はい食べましょうみたいな、
そういう悠長なことをやりたがる生き物なんです。
肉食でもあるくせに、そういう悠長なことをやりたがるわけです。
世の中を間接近くしたがる生き物なんですよね。
間接である以上、そこには作り物が混じるに決まってるじゃないですか。
作られているからこそ、我々の見る世界というのは、
こうも美しいし、音楽とも聞いてられるわけですよ。
あんなの間接近くの生物じゃないですか。
音楽なんて、その時聞こえてる音しか聞こえなかったら、
多分、公共曲とか聞いてても、全然楽しくなんでもないですよ。
そのフレーズは、3分前のとかは思わないですけど、
3分前のあそことこうしてるとかって、頭が勝手に考えてくれるから。
そんなのは、記憶と知覚の混ぜ物じゃないですか。
直接知覚だけしていたら、そんなフレーズが意味をなすはずがないわけですよ。
なんかちょっと音楽づいちゃってるんですけれども。
そういうようなことがいろいろあるわけです。
詩だってそうですよね、歌の歌詞で。歌詞もそうです。
歌詞に曲と合わせて意味があるっていうのは、多分人間だけだと思うんですよ。
すごく間接近く、しかもそれは、あれですよ、
サザンカサザンカみたいな、ああいう単純なというか、
子供向けの歌でも、つまり子供でもはっきりその意味は分かって、
歌とか歌ったり聞いたりするわけじゃないですか。
昔面白かったんですよね、少年時代ってあれは何だっけ、井上陽水さんか。
あの少年時代の、なんかうちの子と友達がうちに来た時に、
なんか2人で熱唱してたんですよ。
少年時代の、小学1年生の女の子2人で熱唱するんだ。
でも意味分かんなく、意味、全部が分かるってことはないだろうけど、
全く意味が分からなくって、熱唱とかしないじゃないですか、人間は。
だから意味は分かるし、歌詞の雰囲気と歌曲の雰囲気というのを合わせて、
上手い、上手かったです。ものすごく上手いなと思いました。
私が歌うよりは絶対上手いな。
それは私よりある意味分かってるってことですよね。
そういうようなことって、人間はある意味いくらでもできちゃいますけど、
代わりに絶対できないことが、客観というものを直接知覚することはできない。
基本的には時々そういうことが起きるにせよ、通常はそういうことは起きないし、
そんな世界では生きていけないんだと思うんですよ。
この感じってものがあるからこそ、私はその人が、田崎さんにFAQです、これが。
その人にとってはもう主観は絶対ですから、私にとって主観は絶対であり、
客観なんて基本的に意識されてないので、100人が100人それを聞きたくはなりませんって言っても、
この人の中ではそうはならないわけですね。
自分の聞きたいことは100人とも聞きたいことなんですよ。
強く聞きたいと思えるんです。
で、はたづけとかができないと、人に気遣いができないとか、
あるいは気遣いすぎてしまうとか、人の気持ちに気抜きすぎるとか、
気づいてなかったりするんだけど、そんなことはどうでもいいことなんですよ。
私は繊細すぎるとか、周りの人はそうは思ってないかもしれないけど、そんなことはどうでもいいことなんですよ。
これはとてもとても私が思う大事なことです。
私の世界に私は生きているってことですね。
ここで私の世界にないものは、現実に起きていても基本的には気づかれん。
これも私はみんなそうだと思っていますが、
これが不都合を招くと、病理って言われることになるわけですが、
その不都合だって誰がそれを不都合だと思ってるかによって、
病理か病理じゃないかが分かれてくるんです。
本人が困ってないって言ったら困ってないんです。
ところが本人のすぐ周りの人、例えば自分の息子を娘、
あるいは自分の親、兄弟が、そして自分との同僚がみんな困ってるのに
本人困ってないのはそれはそれで病理って言われるんだけど、
本人はそれを治療の必要を認めませんから、
つまりその人の世界に生きてますからね。
あいつは自分の世界に生きてるよって我々はナルシシストって言って文句言うんだけど、
自分だってそうなんですよ、そういうことで言えば。
ただ自分はそこのところが人間の必要な発達を遂げればですね、
うまいこといくようになってるんですよ。
そんなに一生懸命ナルシシズムの問題を考えなくても、
ナルシシズムなんだけど現実に適応できるように、
その辺が私はウィニコットの世界観だって思うんですけれども、
ナルシシズムではありますが、自分の世界には生きているけれども、
しかし客観と対応できるように自分の世界を組み上げる、
これが正常ってことなんだろうなって思うんですね。
そういう人をナルシシストとは呼ばないわけですよ、
自分の世界に生きていたとしても。
ナルシシズムは僕は人間につきまとう課題だと思うんだけど、
この人をナルシシストだと言って攻撃されるかどうかは、
また別の課題になってくるだろうと。
ただそれはグラデーションだと言われればグラデーションですよねとは思うんですね。
病理か病理じゃないかっていうのは、例えば具体象徴によく見られます。
前にですね、私がこの番組でだったかどうだったか忘れたんですけれども、
忘れた、違う例になります。
例えば具体象徴といえば、鳩は平和の象徴ですって超有名なのがありますよね。
松木くにひろさんも本の中でしょっちゅう言及されます。
あとは平和の象徴、これ具体象徴ですね完全に。
しかしそれ病気だっていう人はいませんよね。
具体象徴すなわち病理ってわけじゃないわけですよ。
例えばなんか日本人はよくわかんないんだけど、お誕生日にはケーキを食べることにしてますよね。
しかもロウソクを年の数だけ立てるとか、これもよくわかんないけれども、
とても日本の風習とは思えないけれども、
普通になんかそれをやってない家はダメな家ぐらいなことを言っていた昭和の時代もあったほどなんですよ。
でもケーキなんてみんながみんな食べるわけじゃないし、
そんな考えてみると4つ5つ一番喜びそうな5歳6歳の頃にホールケーキとか出てきても困るじゃないですかある意味。
僕とか戻しちゃったりするわけだけれども本当に。
地方の生クリームのかなり微妙だったりするのをがっついて食べてムーってなっちゃうんですよ。
そして母が激怒すると。
でもこれは象徴なんですよね。
誕生日にケーキを食べるというのはまさに。
であれ具体的じゃないですか。
食べられるぐらいだから思いっきり具体的ですよね。
だからこれは具体象徴ということになるわけ。
しかし具体象徴というのはですね。
非常にやっぱ奇妙な感じがするときは奇妙な感じがするものなんですよ。
例えばコリン・ウィルソンって。
昔だったら私たぶんこの番組でコリン・ウィルソンの話しかしなかったんじゃないかなと。
アウトサイダーっていうやや哲学的な文明書みたいな独特の本があるんですけど。
彼は犯罪心理学みたいな人で知られてると思ってるんですけど。
彼は完全に野良の人で。
だから私野良の人って多分好きなんですけどね。
アウトサイダーなどというものを肯定的に書くんだから野良な人なのは当然じゃないですか。
およそ彼は正義じゃないことを。
イギリスで正義じゃないっていうのは批判の的にしかならないような話なんですよ。
彼はアメリカでは人気あるらしいんですけど差もありなんて感じがしますよね。
この話ちょっと伸ばしちゃいましたけど。
彼がですね最初に付き合った女性。
最初じゃないな。
とにかく結婚した女性に。
コリン・ウィルソンって下町の人なんでなんか口切らなく罵ったりする人なんですよ。
僕会ったことがあるんですよ。
面白い人なんですけどね。
そんなに別に品がないってわけじゃないんだけど。
その時に奥さんらが口をゆすいできなさいって言ったんです。
僕はもちろんこの種のことにはめちゃくちゃ腹を立てるって言ってたんだけどウィルソンがですね。
これ具体象徴ですよね完全に。
しつけかもしれないけどそもそも夫をしつけるってどうよって感じなんだけど。
しつけかもしれないけどやっぱり口汚い言葉を使うと口が汚くなるっていうのは。
明らかに具体象徴じゃないですか。
象徴的糖化物って言ったらちょっと違うと思うんだけど。
具体的ですよね。
水準がものすごく。
この具体象徴っていうのはさっきの鳩とかケーキはいいわけですがクリスマスツリーとかでもいいんですけど。
しばしば結構病的に出るわけです。
これなんかちょっと微妙な感じが僕なんかするんですよね。
口をすすいできなさいねっていうそれねって感じが。
なんかこう幼稚園で言われたようなことだなあっていう感じ。
つまり子供は具体水準の象徴しか持ってないと思われてるから。
私なんかはそういうふうには思わなかったんですけど。
幼稚園児の時もですね。
この種のことを言うのってなあって感じが。
子供だから言ってくるんだろうけどなあとは思うんですよね。
まあとにかく口をゆすいでこいというわけですね。
ここまではしかし病理ではないでしょう。
松木くんさんのさっきほんとね。
久しぶりに京都大学最終講義っていうのを聞いてたんですけど。
冒頭からいきなりすごい話。
それこそ朝っ端からなんですけど。
まあ僕が朝から聞いてただけで。
彼は朝から調べてたわけじゃないんですけどね。
居食症の女の人が。
思春期ぐらいの女の人が。
松木さんが主治医だったって言うんですけど。
ある時どうしても過食によりますよね。
居食やってると痩せはするけど。
松木さんはいかにもそれらしく人間生理学的に。
食べなければならなくなるのです。
みたいな感じだったんだけど。
食べなければならなくなったんでしょうけど。
過食に近い形で腹に傷を負った。
自傷ですよ。
この女の人はもちろんどう言ったかっていうと。
食べ物を外に出したかったんだと。
これは相当具体水準によってますよね。
食べ物を外に出すみたいな。
もちろんそういうことは不可能ではないでしょうけれども。
でもこれはもう相当具体水準によってますよ。
そしてこれは病理って呼ばれますよね。
この話延々持って回ってきましたけど。
このお母さんが登場するわけですよ。
まさに精神分析だなって思うんですけど。
お母さんという人はですね。
そんな娘さんがお腹切ってるのにですね。
そして救急搬送されてるのに。
えらく淡々としていると。
もうすでにああって感じがするじゃないですか。
お母さんがえらく淡々としていて。
私は腹が立ちました。
この人本当に腹立つことがあるのかなと思うように。
松木さんもえらく淡々としゃべるんですけど。
京都大学とかでは。
でも腹は立つんだろうなと思うんですけどね。
要するにあまりにも淡々とし過ぎだろうっていうことですよね。
で、このお母さんが娘さんに言ったことっていうのが。
どうしてあなたは悩むの。
私は若い頃に悩んだことなんて一度もないって言われたことがあるっていう話なんですね。
で、松木さんがこれを否認だっていうわけですよ。
そんなはずないでしょ。
世の中に悩まない人なんていないわけですよ。
こういうことを割とさらっとおっしゃる方。
まさにさらっと言うんですけど。
ここは分析じゃなくて。
分析について浅っ腹からくっちゃべる場なので。
一気に話を進めますけれども。