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2023-11-21 41:01

くだらない悩みこそ深刻な問題【GMV 884】

浪人時代は万能空想に浸りきっていました。

サマリー

彼らは日常の些細な悩みについても深く悩んでいます。それは他人に相談することが難しく、自己開示することも苦手なためです。精神分析では、自己開示をすることが推奨されていますが、それは相談相手の選び方や自己開示の難しさに関わっています。くだらない悩みに固執してしまう人々の心理を分析し、幻想的な世界に逃げる青年のケースを通じて、フロイトの理論について考察します。現実と空想の関係について考察し、母親との関係性を分析します。母に対して腹を立てていたため、彼は王子のように振る舞うことは言わず、非常に丁寧に対応しました。しかしながら、実際にはアザルトビデオを見せつけるなどして、彼女を怒らせたかったのです。これはくだらない悩みかもしれませんが、深刻な問題かもしれません。

悩みと相談
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月20日、月曜日、夜の20時43分ですね。
今日も仕事を終えて、J松崎さんのミーティングなどを終えて、お風呂に入ってからこれを撮って、
で、明日の朝、21日の7時ぐらいかなに配信させていただくための、これは収録となっています。
最近このパターン、月間はだいたいこのパターンで流している。
休日が今回ありますよね。こういうのをうまく使うとですね、朝に配信したり、夜に配信したり、
夜に配信はできるだけしたくないんだけど、夜に収録したりして、なんとかほぼ日を回せているかなと。
ほぼ日、絶対やるぞって思ってるわけではないんですが、
なんとかなっているんでね、なんとかしようというのが今試みているところですね。
相変わらず今日も不在論続きでいきたいとは思っているんですけれども、
多分私がこうやってバンバンいろんなものをアウトプットしたり、元気そうに仕事をしているので、
佐々木というのは悩みなんかないんじゃないかと、小さなことでくよくよするとか言ってるけど、
もう全部Good Vibesとかでね、完璧に悩みは解決されている、元気いっぱいできているように思われるのかもしれませんけど、
それが全然そうじゃなくてですね、めちゃくちゃくだらんことでくよくよ悩んでいるところは相変わらずあるわけですよ。
それは人に相談するとかしないとかいうこととも関係するんですけど、普通の相談の話ですね。
思うに、解釈なんですよ。結局私の考えではですね。
私の悩みそのものにピンポイントの解決策があるとかないとかいうのはおかしいので、
やっぱり言葉に直してしまった以上それは比喩になってしまうし、完全な形で他人には伝わらない。
私の奥さんかとか言ったって、私の奥さん誰だかが完全にはわかってないわけですから、
私自身も含めてね、彼女がどういう人であるのか究極的にはわからないので、
愛による選択と言ってもそれはその通りなんだとしてもですね、やっぱりそれは抽象化された話で、
転移と自己開示
そもそも愛ってどういうものなのかが、私は全ての人にとって同じかどうかっていう話は無理があると思うんですよね。
だから、それで解決するという方向性と、厳にそれをするということは完全には一致しないので、
やっぱり小さなことはですね、次から次へとまた湧いてくるというか、出てくるわけですね。
僕は精神分析の話してますけど、精神分析の話ってどうしてもやっぱり幼児幼児言うじゃないですか、乳幼児ってやつね。
それはやっぱり私たちの原初の、ある種間違った幼児ですから、間違った解決策がですね、取られてしまったわけですよ、幼児の段階でですね。
しかもそれは成功体験となっていて、しかもやっぱり忘れてるわけですよ。
成功体験は手放すべきだってよく言う人いるんですけど、それは手放せる場合においてであって、
自分が知らないところで成してしまった成功体験は手放しようもないわけですね。
この成功体験を手放すというのの手助けが、分析によってある程度はなされる。
完全にでなくてもですね。
でもそれをするには、分析を受けないんだったら、やっぱり僕が今一生懸命やってるように分析の本でも読んでですね、臨床例というものを見て、
臨床例というのはだから大事なんですよね。臨床例を見て自分に、似ても似つかない臨床例が多いんですけど、精神障害の人の臨床例というのは。
これで似たようなものが見つかればですね、すごいじゃないですか。
これはつまり、プロイトの言ってることっていうのは聞けずに聞こえかねない話。
メラニ・クライムも当然そうですが、非常に奇妙な話を聞いているようなんだけど、
こんなので似たような話が出てくるということは、よっぽどここにですね、何かあったんだなって考える理由が出てくるわけですよ。
僕はそれを知りたいんですよね。だからこの番組でですね、一体どういう話をすれば受けるかとかいうことも結構大事だと思うんですけど、
実は僕あんまり大事じゃないと最近、やっぱ思わざるを得ないですね。大事なんですよ。
この話を誰が聞いてくれるのか、どのぐらいの人が聞いてくれるのか大事なんだけど、
でもこれはですね、やっぱり不器用だろうと、的を外していようと、大事じゃなく聞こえようと関係ないなっていうのも一方で、私にとってはやっぱりあるんですよね。
すっごい意味不明な話をしているようでも、やっぱり大事なんじゃないかっていうのはですね、
結局ここに持ち込めなければもう置かるとしかないみたいな、この辺の奇妙な事情がね、あると僕は思うんですよね。
あまりにも小さなことで、最近こればっかり言ってる気もしますけど、あまりにも小さなことでクヨクヨしていると、
精神分析のミステリー
これやっぱり持って行き先がですね、きりは見えてこないんですよね。
だからそれが相談できる相手がいるってのは大変ラッキーなことですよ。
だいたい奥さんがないし旦那さんとのしょうもない口論で、だいたいツイッターとかに飛ばされるじゃないですか。
なんでアークスコに行くかって言うと、やっぱり出しどころがないからだと思うんですよね。
そして意外とその割には扱いにくいからだ。
これは毎日最近言ってることですけど、毎日しばらく言うしかないんですよね。
これをうまく伝えるのは本当に難しい感じがする時があるんですよ。
解決法の一つとしてGood Vibesを出すっていうのは非常にいいわけですよ。
おそらく解決できるし。
でもまずはですね、それをやっぱり悩みだという形で出してくる。
なぜなら一度Good Vibesで解決しても全く同じようなことで、しかし少しだけ違うことでまた上がってくるわけですよ。
そもそもこれを例えば倉園さんなりに相談するということ自体がハードルだったりするわけです。
お金がかかるって話もありますけど、そもそも同じような人にもう一回相談するっていうことだけでも、
我々多分やりたくないなって思う気持ちってあるんですよ。
だから私はですね、カウンセラーとかもしかすると占い師であってすらですね、
そこにかなりの人格者を求めてしまうという傾向が人にはあるんじゃないかと思うんです。
だって相談ってつまり自分くだらない人間だなって感じを自分に抱かせるわけですよ。
それで相手に少しでもですね、下げすまれるようなことを感じ取ったらもうその人は二度とその人に相談したくなくなるじゃないですか。
残念ながら私は相談相手が人格者であるケースは至って多くないと思うんですよね。
これはうちが寺だったから痛感するんですよ。
なぜ坊主は人格者でなければいけないんだろうって僕は子供の時ずいぶん考えた記憶があるんですね。
なぜならうちの父が人格者だと思ったことはないから、私は。
ここが身内の相談や身内のカウンセリングが難しいと言われるゆえなんですよ。
それだけではないけど。
だからアンナフロイトの精神分析をジクムントフロイトがしたらまずかったと思うんですよね、やっぱりね。
いくらお父様のことを尊敬していて世界のフロイトだとしてもね、お父さんっていうのはね、所詮は親父ですからね。
ヨーロッパはちょっと違うにせよ、特にユダヤ文化っていうところでは違うにせよ。
やっぱありますよね、そういう身内はあんまり尊敬できなくなっちゃうという。
だけど尊敬できない人に自分の一番恥ずかしいような悩みが相談できるかってことになると、大変難しいと思うんですよ。
これが精神分析では転移の問題なんだけれど、結局下手に自己開示しちゃいけないと。
私はだからある意味逆にやたら自己開示をとりあえず、これは僕の性格もあるんだけどしておくことにしてるんですね。
下手に転移は僕にはできないと思うんですよ、簡単にはですね。
転移ってやっぱり相手が無色透明だからやってしまうんですね。
今日そういうお話を少しある方としたんですけれども、知らない人には投影しやすいわけですよ。
なぜなら知らないから。
やっぱり自分の母親をその人に投影するっていうのはその人のことを全然知らないからやってしまうことであって、
これを精神分析は活用するからこそ自己開示をしないっていうのが一つの原則としてあるんですよね、きっと。
フロイトのことをよく知ってるようではフロイトに父親を見るのは難しくなる。
私はやっぱりですね、自分の父親というのはよく知ってるんで、少なくとも自分の父親に母親を見ることはあんまないですよね。
これが知ってる人には転移がしにくい。
ということは転移が起きにくい状況を作り出してしまっては、まずい精神分析においては自己開示をあんまりしてはいけないことになってるんでしょうね。
それはやっぱり軽蔑とか尊敬ってこととも関係があると思うんですよ。
こういう話はいいとして、要は臨床の話を読むっていうのはですね、私にとってそこで語られているのは何ともある意味ですよ、何ともしょうもないことなんです。
この何ともしょうもないことが大真面目に取り扱われているっていうケースを見るだけで、私は非常にこう意味がある感じがする。
プラス、その何ともしょうもないことでなんでこの人悩むんだろう、自分のこと棚にあげてね、人はそういうふうに思うもんです。
私のこの大学時代に彼女ができないなんて多分いくら言ったって大したことには思えないんですよ。
僕はそれで死にたいとずっと思ってたんだけど、多分それは間に受けてはもらえない。
間に受けてもらえないことを間に受けてもらうためにあるのがカウンセリングじゃないですか。
だからプライドが高いっていうだけでもすでにカウンセリングは受けにくい。
しかしプライドが例えば異常に高すぎて生きにくいというのはカウンセリングの対象なんですよ。
こういう構造に多分精神分析というのは一番ある意味、ある意味ではフィットした考えからなんだと思うんですね。
今日はまずリン・ショウレイという、そしてこのリン・ショウレイというのはあまりにも小さくてしょうもない、
福光さんの話、漫画家のね、福光何でしたっけあの人、すぐ忘れてしまうんですよね。
なんていうのかな、日本の貧徳もそうですよね、ここに書いてあることってほんとしょうもない話なんですよ。
だからいいんだと思うんですよね。
だからこそこうある意味分かる気が、分からないんだよね。
逆だ、分からない。
分からないことが大事なんですよ。
しょうもなさすぎて訳分かんない。
しょうもなさすぎて訳分かんないからこそミステリーが、私あの精神分析はミステリーっていうブログタイトル書いた福光茂之さん、
あれもそうですよね、僕の小規模ななんとか、小規模すぎて訳分かんないわけですよ。
だから彼はあんなに細かく細かく説明してくれてるわけですね、漫画の中で。
それを読んだ読者は何を理解していくかというと、こういう考え方もあるわけねっていうことですよ。
ある意味精神分析ってのはそれを本人が説明できもしないところで、いつしか、なぜか、
分析家と相談者の間で共有されていくそのプロセスが書いてあるもんだから、私はこれがミステリーに見えてくるわけですね。
そういう考え方もあるんですね。
ある意味ミステリーって心理劇になるとそういう風な雰囲気出てくるじゃないですか。
なんでこの人はこれをこうまでしてこの犯人を追い詰めたがるんだろうってのを読んでいくうちに、
これじゃあそんなに怒ってもしょうがないけどパッと見わかんないよねってここを読むのが醍醐味ですよね。
それとちょっと似たものを感じるということがあるわけです。
そうしていくうちに自分の心の中にあるこのしょうもない執着というもの、
フロイドが固着と言うんだ、まさに固着感ですよね。
なんでそんなことにまだこだわってるんだと、50にもなってまだなおそうなのみたいな。
大体私なんかも大学時代にいわゆるモテない問題に悩んでたとき既に言われてました。
お前20歳になって何も何まだそんなこと言ってんのみたいな。
言ってますよね20歳なんて当然じゃないですか。
固着した悩みと人の相談
僕に言わせれば50になったってその辺は変わらないと思うんだけれども、つまりそういうことなんですよ。
この固着の謎なんですよね。
だから軽蔑され、到底理解できないっていう風に他人には片付けられ、
でもその到底理解できない人だって、到底理解されない小さな悩みに異様に固着してたりするんですよ。
私が思うにそれに全く固着していないという人はすでに人格者として人の悩みの相談に乗れます。
そのぐらい普通の人というのは、到底他人には納得のできないあるいは理解に苦しむことにこだわって、
酒を飲みすぎて病気になったりするんですよ。
そういうもんだと思うんですよ。
で、えーとなんだっけな。
そうそうこの臨床例非常に興味深いと思ったんですが、
授業にもいけない大学生の、これもまたあれですよ。
松木さんの不在論からの理由ですけど、授業にもいけない大学生のある青年は自分の様子が見にくいと恐れほとんど外出できなかった。
もうこれだけでほとんどの人は相手にしませんよね。
これを言って、いや俺も本当に見にくくて顔がブサイクだから外にも出られない。
バカじゃないのってことになりますよね。
そのバカじゃないのが恐ろしいんですよ。
だからまず人に相談ができなくなる。
当然これを、えっと、病院に行ってもまともには取り扱ってくれません。
いやそんなことないですよって言われる。
これもまたダメなんですよ。
だから誰にも相談できなくなっていく。
親に相談すると、親に相談したい、そんなこと言ってないで大学行きなさいってことになるわけですよ。
全然まともに取り合ってもらえない。
なぜならば、くだらない悩みだからなんですよ。
ところが、これを簡単に却下する人も全く同じくらいくだらないことで悩んでるはずなんですよ。
幻想的な世界への逃避
まあいいや、ほとんど外出できなかった。
彼は自分が社会の落語者であることを知っていた。
彼は一人息子であったが、その母親はおそらく未治療の過食応答型の接触障害であった。
これもすごい大事だと思うんですよね。
息子さんは自分の周防恐怖症って言うんですけど、見にくいと思って外に出られない。
全然社会の落語者だと思ってる。
で、お母さんは接触障害。
これだけで明智くんですよ。
だから結局、こういうヒントを断片的に集めてきたところから、少なくとも精神分析化であれば、何か思うところがかなりいろいろと出てくるわけですね。
しかしそれがしょっちゅう誤解でもある。
ところが私の場合、そもそも誤解すらできないんですよ。
この産業だけでは、なんかおかしなことになるんだろうなと思っても、どうしてそうなのかがわからないんですね。
これがでも非常に大事なポイントになるんですよね。
で、お母さんは接触障害。
彼は一人住まいの部屋にこもり、彼の住む精霊都市を計画する。
彼が住んでる都市ですね。
画期的に改造する計画を練ることに日々のほとんどの時間を費やした。
これが空想の世界ですよね。
こうして人は精神分析的に見ればなんですけど、人は正気というものを少しずつ正気の世界から離脱していくって感じなのかな。
こんな印象を受けますよね。
これって、畳から見るとこういう人がやってることは非常にキーなんだけれども、私たちはこれ普通にみんなやってると思うんですよ。
自分の様子が醜いと思い込むって人は珍しいかもしれないけど、それでましてや部屋から出られない人はね。
そしてその部屋で何やってるのかというと、自分の住んでる都市の画期的な改造計画を立てている。
でもですね、私は、私が知ってる人だって結構ですね、みんな極めて社会的に適応していて、こういう人よりははるかに正気に見えますが、
例えば会社に行くと非常に厳しい状態だと、過食もしたくなるし、過食しすぎて吐きたくもなるような状態だと。
そして家に帰ってくれば、例えばですけども、三国志をやり演術とかになって、中国の古代史を大幅に改造する空想に浸ってたりしませんかね。
これとそのような人は極めて真っ当に社会に生きていて、過食と応答しそうになるほどつらいけれども、会社でかなりの高級を取っていて、その会社も一部上場企業だったりしますが、
これと、この終盲恐怖症で精霊都市の計画に練っているほぼ正気とは思えない青年はどのくらい違うんだろう。
これは大きく違いますよ、社会一般ではね。
でも私はその内面を探ってみると、随分接近してくる。
私はそういう超優秀なサラリーマンだけれども、家に帰ってくるなり一人で、一人物で部屋にこもってひたすら三国志をやるみたいな人は少なくないと思うんですよね。
決して珍しいタイプだとすら言い難いんじゃないかと思うんですよ。
で、彼の住む精霊都市を画期的に改造する計画を練ることに日々のほとんどの時間を費やした。
その幻想の中で彼は市長として存分に腕を振るうことで、古代化したナルシシズムを保っていたのだ、という解釈もできますよね。
結局、僕はこの辺で少しミステリーの謎が解き明かされている感じがするんですよ。
人は社会の中では生きていけないと仮に考えたとしてもですね、やっぱり自分の中では、自分が生きているという状態の中では、やっぱりですね、気分よく生きていたいわけですよ。
これがフロイトが一次過程と二次過程といったやつじゃないですか。
快楽原則と現実原則ですよね。
彼は現実原則の方では、もう自分が何かを考えたり、考えて、例えば養子のことを気にせず、学校に行って授業を受けると。
これが考えた結果の行動ですよ。
でもそういうことはとてもできない、何らかの内面の限界を迎えたために、空想の世界で生きることにしているわけですよ。
これは楽じゃないんですよ。快楽原則と言いながら、全然快楽じゃないんですよ。
で、この万能幻想は万能なんですよ。
だって自分の考えた都市の中で自分は市長になっていて、何ら現実的な限界を迎えることがなく、予算上の限界とか、そもそも自分市長になれないとか、そういう限界を迎えることがなく。
空想の中では自由自在に都市の改造だってできちゃうわけじゃないですか。
もちろん予算も使い放題っていうか、予算という概念を用意しなきゃいけないんですよね。
フロイトの理論の誤解と分析
で、この万能幻想は万能なんですけど、相当な時間が経つまで私には語られなかった。
つまり、分析家の松木さんには語らないわけですよ。
なぜなら、これを語ることはそれが単なる空想に過ぎないことに気づかないわけにはいかなくなるからだってことですよね。
で、この空想が語られて間もなく、空想を結局喋ることになったわけですよね。
ずっといろんな話をしているうちに、これを喋らなきゃいけないような気持ちに多分なっていくんでしょうね、精神分析っていうのは。
彼は私に会いに来なくなる。これがすごいですよね。
いかにこの幻想が現実でない、現実的にその幻想が否定されてしまうということが、本人にとって危機的な問題かっていうのをよく示してるんですよね。
喋った相手にはもう会いに行かない。
ちなみにこの精霊都市は母親の体を表しており、それを彼の思うままに支配する作業が都市改造計画だ。
ここが人には分からない。
あいつ、なんか顔が不細工だと思って外に出られないようだぜって言われて、そういう風な悩みだと本人も思ってるし、そういう悩みは人は取り合わない。
だけれどもそれはくだらない悩みだと人は言うんだけれども、それがどういう悩みでどうすれば解決するのかは他の人には分からないんですよ。
これすごい僕はですね、あらゆる悩みに通定するんじゃないかとずっと思ってるんですよね。
その悩みはみんなくだらないと。自分だったらそんな悩みで囚われることはないと。
にもかかわらずその悩みを解決する能力もなければ、理解する能力すらないんですよ。
この悩みを精霊として母親の体を表していて、それを支配して改造したい。
彼は今や会うことさえ愛しい母親の病的な在り方に気づいていたが、接触障害ですよね。
自分を育ててくれたお母さんは嘔吐と過食を繰り返す、もう会うのも嫌になってしまうようなお母さんなんだけれども、そのお母さんの体の理想化にはまだ固着している。
こういう話なんですよ。僕も絶対自分もこうだと思ってるんですよ。覚えてないから。
結局その悩みの表面的な部分を表面的に解釈しちゃうんですよ。
大学生にもなれば彼女欲しいよね。そりゃセックスもしたいよね。
これだって人に言うのは難しい悩みなんだけど、この悩みだったら十分共感、共有できる悩みになっちゃうじゃないですか。
そうじゃないんですよ。この私の悩みもきっと。おそらくこの都市改造計画に近いものなんですよ。
こういう最も分かりにくいところに現れてくる。
私が言いたいのは、歴史シミュレーションゲームをやってる人がみんなお母さんの体の理想化に興味があるというわけではないんですよ。
でもそのうちの何パーセントかがそういう理由であったとしても、別に驚くべき理由は何にもないということなんですよ。
何にこだわってましたかね。私は昔なんとかというシュミレーションゲームとかシューティングゲームとかにこだわってたんですよ。
これと理想的な母親の身体を改造するということと関係があったとしても、もう僕は驚かないんですよ。不思議なことではないと。
この辺がフロイトが多分一番理解されずに誤解されたポイントだと思うんですよね。
性欲にこだわりすぎているとかそうじゃない。全くそうじゃないと思うんですよね。そうじゃなくて忘れているってことが大事なんですよ。
だからフロイトは幼児期見望にあんなに、あんなに抗議したんですよ。夢判断でも出てきますよね。
2歳児までの、なんで我々は2歳児までの記憶を持ってないのか。今それは大脳性理学者が答えてくれると思うんですよ。
フロイトはおそらくあの辺に関しての知識は正確ではなかったと思うんです。しょうがないですよね。今から120年も前なんで。
今ならば2歳児まで人がなぜ記憶を保っていないのかは、まあ神経的にもう少し平地な説明はできますけど、
でも覚えてないっていうことの重要性は当時も今もいい加減に扱われている。覚えてなくたって、例えばお母さんが子供を虐待したりネグレットしたりする。
まあネグレットがいいかな。お仕事に行くから仕事が忙しくてしょうがないと。それはしょうがないですよね。
あの十分かまってあげられないと。でもそれは2歳から急に始まらないでしょ。多くの場合。
2歳になってからネグレットをしていたということは、2歳になる前もしていた可能性高いですよね。
でもそれを覚えてないですよね。私たちは誰も。だからその時何が起きたかわからない。
で、幼児なんでやっぱり間違った解釈、間違った成功体験を持ってしまうわけですよ。
その辺のことを一生懸命フロイトとかメラニー・クラインは書いているんですよ。
で、その中でも比較的有名なやつがお腹が空きましたと。でもお腹という概念もないです。
もうこれ聞き飽きてますよ。これを聞いている人は。お腹という概念はないです。
空いたという概念はもちろんないですと。だからお腹の中にあるこの苦しみという悪いものを外に出そうと頑張ったと。
だから幼児は誤解してるんですよ。うんこをすれば空腹が満たされると誤解しちゃうんですよね。
だって外に出したから悪いもの。これでスッキリしてお腹もいっぱいになった気がする。幼児なの。言葉も何もない。
で、そのお腹がすっごい空いたと思って、だからその悪いお腹にあるこの苦しみという悪いものを外に出そうと頑張って、
手足をバタバタさせたりすると、なんかスッキリした。
ということは、お腹が空いたというこの苦しみの時には手足をバタバタさせればいいんだ。
空想と現実
っていう風になっちゃうわけですよね。で、その時空想もしてるわけですよ。
例えばこういう風に泣き喚くとなんかおっぱいが出てくる空想とかね。
このおっぱいが出てくるのは現実なんですけど、おっぱいが出てくる空想を満たしてしまうわけですよ。
すごい泣くとおっぱいが出てくるんだとか。そういう風に考えて、そういう風に空想してしまうんですね。
これ考えてないですよね。考えるというのはもっと現実的なことを意味してますよね。
泣いて手足をバタバタさせればどこかからおっぱいが出てくるっていうのは全然考えてないですよ。
ものすごく万能的であり、空想的な世界に生きている。だから万能空想って言うんでしょうね。
この成功体験をそのまんま持ち越してしまうわけです。私たち。
それを我々の、特に大変な苦しみに直面した時にこういうものに頼ってしまう。
だからこのお兄さんはですね、とても苦しいという状態になった時に精霊都市の計画にして走るわけですよ。
お母さんの体が万全ならばこんなことにはならない。ただお母さんの体が万全というのをそのまんまの形でやらないわけですよね。
もう既に意識の中では忘れてしまってる。そこでお母さんの体というものが頭の中で都市に変換され、その都市を完璧にすれば私は今の苦しみから脱することができる。
こういうような空想的な思考に浸っているわけです。だけど問題なのはその都市を理想の形に改造する権力もなければ立場にもないっていうことに直面するのが現実ですよね。
現実に考えるということですよ。これをしたくないんですよ。これは非常に僕はよくわかる気がするんですよ。
全く僕はそんなことをやったことはないですよ。都市の計画に。でもいっぱいいるじゃないですか。世の中には僕はいっぱいいると思います。
私も受験の時にもこれと全く同じようなことをやってました。受験はね、大学受験は本当厳しかったんですよ。
僕は中学受験が文部等にレベルの高いところに受かっちゃったんで、愚かにもうちの両親は大学はもっとレベルが高いところに行けるだろうと確信してしまったわけですね。
昭和の生まれなんでね、わかってないわけですよ。全然。で、私はそういう現実に全く対処する意欲もなければ気力もなかったので、何をしたかというと、
自分がめちゃくちゃ優秀になる空想。僕は受験生に対反すると思いますね。自分がめちゃくちゃ優秀になる空想にひたすら浸ってたわけです。
なんか参考書とか買ってくるわけですよ。参考書を読むとめちゃくちゃ優秀になれる参考書。万能空想なんですよ、これは。
だからめちゃくちゃ優秀になれる空想というものにひたすら浸るんですよ。全然勉強しないわけですよ。これはもう全く現実に対応できるような思考というものを書いてるんですね、その時に。
考えてないんですよ、何にも。だから時々僕が思考を手放しましょうって話をしてますけれども、実際にこれはもう思考を手放すじゃないなって感じがします。
苦しくなった時に我々が、もし手放せるならばですよ。手放せるならば、空想を手放しましょうって言いたいですね。これは幼児期における思考なんですよ。
物心つく前にやってた思考ですね。あれは思考じゃないんですよ。多分適当にそこら辺からおっぱいを出してみたり、おっぱいを黒塗りにしてみたり、空想をただ操作してる。
母親の影響
空想操作するんだって、ある意味思考っぽいんだけど、少なくとも成人がいる思考ではないですよね、空想操作するって。
でもゲームってのはちょっと空想操作してるような世界なんですよ。だから私、ゲームというものは決して思考ではない感じがやっぱりするんですよね。
なんかこうボタンを押すと敵を撃てる。これがそもそも全然思考的な世界じゃないですよね。ボタンを押して敵は撃てないですよね。
適当に撃ちまくることもできる。弾が切れないみたいな。切れるようにするゲームもありますけどね。
でも弾も現実に手に入れるのに比べるとはるかに安易に手に入れられるじゃないですか。
例えばピクミンみたいなのだとキラキラエネルギーとかよくわからないものがエネルギーになっちゃうじゃないですか。現実にはそういうわけにはいかないですよ。
もっと現実的でありますよね、現実ってものは。プロセスの一つ一つを飛ばせません。だから現実というものは面倒くさく感じられるわけですよね。
だから現実に思考するというのを避けたくなるんですよ。
私のもう一つの浪人時代の空想は、めちゃくちゃ賢い彼女ができれば自分はどんな大学でも受かるだろうというバカみたいな空想をずっとしてましたからね。
実際に勉強する時間が10分くらいなのに、この空想は7時間くらいやってましたから。
この青年と僕とは、この精霊指定都市の青年と私とは何にも違わないと僕は思います。
ただたまたま僕はラッキーだったんですよ。大学に受かることはできたからね。
これできなかったら長尻あってなかったんで、今頃もっとすっごい大変だったんじゃないかなっていう気がします。
僕の場合、なんかよくわからないけどラッキーに長尻が合うんですよね。
非常にこうある種のものに感謝していますが、それは非常にオカルトっぽいものが僕には感じられます。
現実に感謝するってのはこういうことしかないなっていうラッキーだったんですよ、僕の場合はね。
だから私はこの場合にアンラッキーな人というのに対しては、非常に同情というのか共感というのをしてしまうんですね。
そしてミステリーなんですよ、ただ。
よく私と似てるんだけど少しずれるだけでもうさっぱりわからなくなる。
私もこの松木さんの症例を読んで、最初の3行では全然わからなかった。
最後まで読んで、なるほど母親が接触障害、なるほど精霊指定都市、こういう数につながってくるんだっていうのが一気に解かれていく感じが明智くんなんですよね。
非常にこう自分はワトソンになった気分がするわけです。こういうものを読むと。
で、なるほどよくよく考えられている、結局のところ乳幼児時代の成功体験を人は利用してしまう。
特に空想的に利用するっていう点ではここがすごく使われる。
私がなぜなのかはわからないんですけど、この空想、とっても多い万能空想ですよね。
そしていつも助けてくれるのは理想化されている母親なんですよ。
それがありとあらゆる形で変装して登場するけど、大元を正せばおそらく間違いなく母親なんですよ。
ってことはおそらく私はあの1歳の頃に何らかの形で母親に相手にされない長い時間を過ごしてしまったんだろうなと思うんですよね。
そういうふうに考えてみると3歳4歳5歳の頃にそういう可能性は自由、そういう感じの出来事はなるほどあったわけですね。
そしてここに面白いことに、母親はなぜそうしたんだろうって考える必要が出てきますよね。
そうして思い至るんですよ。母の父ってのはすごい大変な人だったんですね。
ものすごくDVだったわけですね。そして宗教にかぶれる。
だから母が非常に現実世界に対して信仰を強めていたのは当然なんですよね。貧乏だったみたいだし。
いくら貧乏でもなかなか宗教にはまりまくって、ありもしないお金をどんどんどんどん宗教に継ぎ込んでますます貧乏になる家ってそうはなかったと思うんですよ。
うちの母の家はそういう家だったんですね。
母子の関係
これが私に対して私の世話をする上でですね、非常にある種の空隙を生むってことはいかにもありそうなことなんですよ。
多分そうだろうなって気はするんですね。
ただその割にまともだったんで、自我が強いんだろうなってのはよく感じます。
そこまでいくと、もっと無茶苦茶になっても良さそうなものなんだけど、だから非常に長自我が強いんですよね。
やっぱりね、基本的に生きるってことになっていくわけです。
例えば母は性に関する嫌悪感がものすごい強いんですよ。セクシャルなものが非常に嫌いなんです。
私もだからアダルトビデオ見ててピトク怒られたことがあるんですけど、母の生理的嫌悪感にまっしぐらに刺さるんですね。
ああいうものはね。長自我なんですよね。ものすごい強い長自我が母の中にはある。
これがですね、私に対して非常にある種の抑圧を生むんですよ。
ベタベタさせないっていうのがね、母は多分私がもう相当小さい頃からあったんでしょうね。
この辺のことはフェアバーンがよく取り上げている第二才でもありますね。
こういう育て方をすると子供がスキゾイドらしくなる。
だけど今私が考える限りは万能空想に浸りやすいっていう方が同じことなんだけれども、
スプリットイッティングして万能空想に浸りやすい。
自分の悪いものをどんどんどんどん外に出して、いいものをどんどんどんどん取り込むっていう空想ばっかりする。
このいいもののうちの一つが理想化された彼女ですよ。
これを私の世界に取り込めば私の世界は理想的なものになるっていう空想から抜け出せなかったんですね。
一旦こういう空想に自分をセットしてしまうと、
現実にそういうことが起こるまでは私は機能しないんだっていうタイプの人間になってしまう。
現に私はそういうふうになっていたんですよ。長らく。
長らくというのは十数年に渡って。
よくあの間に何とか外面にはまっとうに生活できているような雰囲気を保てたもんだなって思うんですよね。
非常に僕のやってたことは危険なことだったと思うんですよ。
だから今になってこの分析というもの、これを二十歳の時に知っておきたかったんだけど、
考えてみると二十歳の時に盛んにこれを勧めてくれたのが私の大学の指導教官だったんですよね。
あの人は軽眼だったというべきなのか、やっぱり私はそこら辺の大学生なんで、
彼の目から見ると非常に分かりやすい男だったのか、その両方かなって感じがします。
でもまあ私だけでしたからフロイト全集をもらった学生はね。
フロイト全集は彼といえども一セットしか持ってなかったんで、100セット持ってたわけじゃないんでね。
私以外、私には勧めてくれたんで、多分私には何とか頑張れば理解できるんじゃないかとは思えたんでしょうね。
そんな気はします。
DHロレンスを専攻している、専門に扱っている先生だったんですよ。
DHロレンスというのは、当時そういう見方は全くていませんでしたけど、まさに万能空想の人ですよね。
いろんな意味でね。
非常に母子の密着感が強く、非常に快楽原則で生きている。
お母さんが死んじゃったら後を追ってお母さんと一緒に侵入したくなるような小説家。
この辺の心理描写が実に独特の感じで描かれている、息子たち恋人たちっていう小説があって、
で、あれを私は当時読んでチンプンカンプンだったわけです。
私のことが書いてはあるんだけれども、どう見ても私のことには見えない。
大体私当時母親嫌いでしたからね。
これがまず私が分かってないっていう証拠なんですよ。
これが分かっていない証拠なわけですよ。
私は母親嫌いだと思ってたんですよね。
だから理想の彼女が欲しくて仕方がなかったんだけど、
まだそれがね、母親像だったのか、夢にも思わないんですよ。
私は母親嫌いだったから、母と似てない人が好きだと信じていたほどなんですよ。
本当にこれが分かりにくい。全然分からないんですよね。
どれほど母親に当時腹を立てていたかが、もう全然分かってないんですよ。
だから母親が嫌がることなら大体何でもしたと思うんですよね。
ある意味私が、大変おかしな話じゃないですか。
母親が生理的にセクシュアルなものがすごい嫌いなのは分かってたのに、
なぜアザルトビデオを見てるところを母親が見ちゃうのか。
だから母親に見せたかったんですよね、私は結局。
これが無意識というものの面倒くさいところなんですよ。
自分も怒られるから隠してるつもりでいるんだけど、実は見せたいんですよ。
母との関係
私は母に対して非常に腹を立てていましたから、母が嫌いなことなら何でもやりたかったわけですよね。
これがよく分かってないんですよ。
表向きは私はいわゆる王子の男の子みたいなことも絶対言わないんですよ。
このクソババアみたいなことは言わないんですよ。
表向きは極めて丁寧に対応する。
でもアザルトビデオを見てるところを見せつけるんですよ。
こういうふうに精神分析っていうのはすごいなっていうふうに僕は思うんですよ。
今にしてみると。当時は分かんなかったです。
ああ、見つかっちゃったわ、怒られちゃったわと思ってたんだけど、そうではないんですよ。
見つけさせて怒らせたかったんですよ。
だから僕の狙いはきらっと目的を果たしているわけですよね。
こういうことが冒頭で申し上げた。
くだらないでしょ、これ。
他の人が聞いたら笑い話にしかならないじゃないですか。
自己分析
まさかそこにそれほど深刻な問題が潜んでるって思わないじゃないですか。
でもですね、これ深刻ですよね。
こういうことにこだわってこだわって、浪人時代の浪人ですから。
12時間勉強できる種の11時間50分をこの種の空想に当てて勉強するのはわずか10分なんですよ。
これはくだらないですか、それとも深刻ですかね。
これを両方同時に扱えなかったら、僕は心理カウンセリングとしては少し浅いんじゃないかなって思うわけですね。
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