時間との戦い
おはようございます。朝っぱらから精神分析、第1243回をお送りします。
9月…何日だっけ?3日か?4日だね。
9月4日、木曜日、8時19分です。
なんか台風が近づいているとかいないとか、もう場所によっては大雨なんじゃないかと思いますね。
まあ最近無双なんで雨がね、水回りっていうのかな。
まあ皆様も是非、それこそあれですよね、不要不急のことというか、
不急はともかく不要な外出をしないってことですよね。
こうなったら、家にいて、ひたすら家にいる。
何を家にいてするかってこともあるんだけど、
まあとにかくずっと天気いいんで、関東とかも本当に、
私一層のことは毎日水をまかなければならない日数で容易に見当がつくんですけど、
本当に定期的に水不足になりそうなんだけど、
一発で降る雨の量が凄まじいんで、ならないんだなっていう感じですが、
本当にもうマイルドじゃないですよね。
実にハードなものを感じますが、
お知らせです。
9月23日の終分の日に、続編となるタスク集と完全活用術をやります。
また3時間かけます。
一部かぶるところもありますが、
またZoeさんと共催でさせていただくことに、
僕が一応主催ですので、
Zoeさんにもご登壇いただくことになっております。
内容なんですけど、
今度はもう少し私が実践的に何をしているかも含めようと。
つまり、それを見たからといって、
何がそんなに変わるんだろうっていうのもあるんですけど、
私は実際にはどうやっているのかっていうのが、
質問では割と多数寄せられましたので、
実際にどうやっているのかを、
一応お目に向けようと思いました。
要するに、ご覧いただくということです。
割と長い時間になるか、難しいなその辺は分からないですね。
それなりに全部ご覧いただくようにしようと。
ビデオに撮っておくとかじゃなくて、その場で実践する部分もあるし、
一部どうしてもビデオに撮るしかない場面。
例えば朝に何をやっていたのかっていうのって、
今朝だと思ってやりますみたいなわけになかなかいかないじゃないですか。
どっちにしてもタイムラプスとかがいるだろうなって感じが、
だってじーっと見てられないじゃないですかね。
朝20分かけて実演してみせますから、ビデオを見てくださいみたいな。
こんなことをする理由は何もないと思うんですよ、さすがに。
並べ替えて再生終了、再生終了なんで、
これ口頭で言えばいいんじゃないかなと思ってしまうんですけれども。
あと多分、私のやり方に何かどうしてもどこか必ずどうしてもですね、
正解ってものが感じられてしまうんでしょうけど、
私が自分で喋ってるとちゃんちゃらおかしいんですけどね。
どうして自分のやり方が正解なのかと、
まして自分でそんなこと思えないじゃないですか。
アップシュートに正解も減ったくらいも本当に全くどこにもないと思うんで、
結局あるフリーランスの人がExcelで時間と自分のコードを管理しようと思って、
思い立って作ったもののVBAをめちゃくちゃ組み込んで、
それを物好きな僕が無理やり使わせてもらったってところから
全てが始まっていて、正解があるはずがないんだと私は思うんですよね。
これをいくら使ってても何者かにもなれませんしね、
っていう話を自伝にしちゃうのもあれなんですが、
そういう目的で使うものでは元来ないと思うんですよ。
私何者になりたいという気持ちが全くないんで、
それがあるならばタスクシュートなんかに頼らないと思うんですよね、私自身は。
いや別に、それいう使い方が絶対に成り立たないかっていうと
そうでもないと思うんですけれども、
でもあれをやっていて、例えばフジーソータになれますとかってのは
さすがにムシが良すぎると思うんですよね。
まあ将棋させましょうねって話にしかならないと思うんですよ、やっぱり。
ましてですね、それを使って分散的に自己管理してしまう。
例えば筋トレもします、サウナにも行きます、ヨガもしますみたいな、
これって僕はものすごく分散的だと思うんですよね、ある意味。
別に特定の方向向いてないじゃないですか。
この間ずっと将棋させてますっていう人の方が将棋は強くなると思うんですよ。
これが私が言うところの、報道によって勝ちは上下はしないが
スキルのアップはするっていう話なわけですよね。
私スキーやってたからこの辺はよく感じるんですよ。
スキー上手くなりたかったら、ようやってる場合じゃないんですよね。
全人格的な、ドイツの昔の教育方針みたいに全人主義みたいなね。
それはそれで一つの考え方だと思うんですよ。
何でもまんべんなくやれるようになりますみたいな。
ただ、それやっていると、特に今のような時代は絶対にとんがらないわけ。
全人主義って輪郭全体を丸く完遂させていくっていう考え方だから、
多分、球体を連想したいと思うんですよね。
とんがるってのは歪なわけじゃないですか。
将棋の渡辺くんとかを読むとよくわかるんですけど、
ああいう将棋が異様に強い人っていうのはやっぱり、
彼はすごくいい人だと思うんですけど、とんがってはいますよね、間違いなくね。
そしてすごい偏りがありますよね。
全人主義ではないですよね、ああいうのって。
だから分散させるということをすると、特定のスキルは伸びなくなっていくと思うんですよね。
時間すっごいどれにもかければ、だから80年ぐらいかかればですね、
でもそれによって確実に進捗していくのは語学ぐらいなものだろうと思うんですよ。
だからほら、語学者って予備校の先生もそうだったけど、
結構英語の先生とかっておじいちゃんとかって多かったんですよ。
一方で数学とかに乗ってくると、学生さんに教える数学におじいちゃんも若い人もいないんだけど、
やっぱり数学オリンピックってどんどん若くなっていくじゃないですか。
ああいう傾向って出ると思うんですよね。
フィギュアスケートとかってそうじゃないですか、やっぱり。
老人が滑って金メダルっていうのは現実的じゃない感じがしますよね。
僕はその辺よく思うんですよね。報道によって人の価値の上下は変わらないけれども、
金メダル取りたければ特化するしかないよねっていうそういう話なんですよ。
金メダルが人格の価値ですって言われると、僕には全く理解できない世界に入ってってしまうんで、
そういう考え方もあるかとは思うけれども、私はそういう考え方に同調できないんで、
こんなことないだろうって感じがしちゃうんですよね。
私なんかすごい残念なんですけど、千葉ロッテマリーンズで、
当時まだロッテオリオンズだった時代の脱三振王が強盗殺人とかで逮捕されちゃうみたいな、
そういう事件を聞くとうわーって思うんですけど、
でもそれはありふることだと思うんですよ、はっきり言って。
別に脱三振を取る過程で少しは人格が鍛えられるとかあるのかもしれないけど、
脱三振取ってれば悟りが開けるとか、そういうことは起きないと僕は思う。
起きないだろうなぁやっぱりって思うんですよね。
だって欲望って必要ですからね、ああいう競争世界においては。
多分あらぬ方向に今話が行ったと思うんですが、
23日にやるのがお知らせなんですけど、ここで言いたいことの中に、
私は最終的にはまるまるぴったり合わせようっていうつもりは冒頭ないんですけど、
タスクシュートと精神力道を絡めて話ができるようでもありたいっていうのは今あるんです。
以前はちょっと泣きかけてたんだけど、最近復活してきたんですよ。
AIのおかげもいくらかあるんですけどね。
結局これは前回の完全活用術でも話のメインテーマとして挙げましたけど、
トラウマっていう概念をちょっと解釈したんですよ。
本当はトラウマって言葉を使いたくないんですよ。
我々の時間にまつわる思い出って本当に良くなくて、
時間と言えば時間に追われるとか、時間が足りないとか、時間がないとか、時間切れですとか、
いい言葉が全然出てこないと思うんですよね。
時間にまつわる、僕はコンプレックス、複雑性PTSDとかで言うのはちょっと言い過ぎだと。
でも複雑性トラウマをかなり軽くした程度ならば、体験してる人は結構いらっしゃるだろうなって。
いつもだって時間が追ってくるのって。
下手をすると小学校上がる前からそれが始まって、それこそ大学卒業して大学院になって、
そのさらの先の過程に行っても締め切りだの、早くやれだの、レポート出せだのっていう、
常にこの時間との戦いを行う、まさに時間との戦いって言うじゃないですか。
まさに昭和ですけど、平成でもやったんですけど、リゲインやったじゃないですか。
24時間戦いますかと。
要するに時間との戦いをしているわけですよね。
過酷ですよね、これってね。
一生下手すると、一生じゃないけど人生で一番重要な時間がことごとくそれに費やされているという人だって、
精神力と自己管理
少なからずいらっしゃるわけですよ。
だって東大とか総大とか何でもいいですけど、
ああいう問題って入大同士に問題が一定程度理解して解けるようになるようにするためには、
ものすごく生まれつきセンスがいいとか言う人は別かもしれないけど、
相当突っ込んでやらないと無理ですよ、あんなの。
私なんか今やって解ける気全くしませんもん。
解けても英語の問題ぐらいだろうなって感じがしますね。
英語は得意だったから。
英語だって、あんなの全然いらない知識だよねっていうのがすんだんに出てきて問われますからね。
つまりそういう時間にまつわるトラウマ。
トラウマ的な何があって、私自分で言葉作りたくないんですよね。
絶対にと言っていいぐらい作っちゃうかもしれないけど、でも作りたくないんですよね。
コインとかって言うじゃないですか、言葉ひねり出したくないっていうのは猛烈にあるんですよ。
だから精神力度によってるわけですよ。
それに近い概念がすでにあるのに、自分で事さらに作り出すというのをやっちゃって、
下手にうまくいくと、それに後から合わせる形で医療系が動き出すみたいなことが現実に起こるし、
うまく全くいかないとそれはそれでとても残念だし、意味ないし、
どっちにしても嫌な感じがするんですよね。
だからコインって本当に僕はやりたいとは決して思わないんですよ。
まして自分の仕事が回ってる間はコインをせずに済まそうと。
PSポジションと言っていたいって感じがする。
それはそれで学者ぶっていて気味が悪いとか、あるいは鼻につくとか言われるんでしょうけど、
その方がマシだって思うんですよ。
だってこれならば要は定義が一応どっかに乗っかっていて、
どういうつもりで他の人が使ってるっていうのがあって、
私がそれに近い概念を用意することができるっていう方が、
無駄がないというか余計なことをせずに済むというか、
よく似たお隣さんみたいな概念を素人が作りましたみたいなのが、
しかもそれがうまくいっちゃったりするとですね、
すごいあれだなって僕は思うんですね。
僕が思ってるだけでいいんですけどね。
なのでコインはしないのでトラウマとかって言いたくなるんだけど、
トラウマってのはもっと悲惨なことを言うんだよって言われると、
そうなんですけど、
トラウマと文化
でも松木邦彦さんもおっしゃってたじゃないですか、
医者にならないんだったら、高校の時にお医者さんの学部に入れないんだったら、
あのどこかの公園で死のうみたいに思ってたみたいな、
それはすごい良くない文化だと思うんだけど、
当時はそういうふうに思ってたんだみたいなね、そういうような話。
これだって僕はギリギリちょっと違うけど、
時間に追われてるなって感じがするんですよね。
これって結構悲惨じゃないですか。
本当にそうなっちゃってる人だって、
松木さんは多分かなり優秀な方だからそうならずに済むんだけど、
でもめちゃくちゃ内心では厳しいですよね、ある意味では。
なんかこう特効に活かされるみたいな話に結構近いじゃないですか、
そんなに若いのに。
しかもそんなことする必要全然本当は当時の松木さんはなかったと思うんだけど、
そういうふうに思い詰めちゃうわけですよね。
これはYouTubeで喋ってたから、
僕はここで喋っても構わないと思うので喋ってますけれども、
僕は別に彼の個人的に話をしたこと一回もない。
すべてがどっかからの話なんで。
僕が目にすることができるものは公的に目にすることができるはず。
松木さんに関して。
このですね、時間にまつわるトラウマ、
以前でもいいんだけど未満でもいいんだけど、
要はこの必要に攻め立てられている感じがするものと、
一つの戦いの中でですね、
私はマスクシュートというのは最初はいい武器になり、
やがてはいいコンテナになるという、
そういう展開を考えているわけですね。
特にいい武器にする間は、
完全に活用する必要がある。
この場合の完全というのは非常に単純で、
24時間余さず記録をするっていう必要。
24時間余さず使い続ける必要があると思ってるんですね。
ただこれは、
誰もがそうした方がいいと言ってるわけではないんですよ。
他のトラウマの癒し方は当然ありますし、
それらはそれらで有効です。
マスクシュートもしかし、
そういう方法論の一つであって、
しかもこれでですね、
解消できるトラウマって、
時間にまつわるトラウマなんですよ。
反復の概念
でも、まずここから手がけることによって、
非常に話の展開がよくなっていく可能性は、
結構あると思う。
これは反復という概念。
また学術用語です。
反復をリピートとかに変えても、
しかもリピートなのかルーティンなのか論争というのが、
ちゃんとマスクシュート協会の内部でもあったりして、
今ルーティンに落ち着いたわけですが、
このように言葉を作るというのは、
ややこしい事態を生むんで、
反復という言葉をせっかくクロイドが用意して、
みんなが、みんなというのは精神分析的世界、
および心理臨床的世界で使うようになったんだから、
これで押し通したいわけですよね。
確かに違いますよ。
私が本当に言いたいことと反復は、
はっきり言って少し違うし、
反復という概念自体が幅広くなりすぎている面はありますが、
でもやっぱり反復と言っておきたいわけです。
トラウマと反復。
そのものではないですけど、
それをマイルドにしたようなものですけど、
とはいえ必要ですからね。
累積トラウマという概念と完全にかぶらないんですよ。
でも、でもやっぱり読んでいくと、
でもやっぱりそういうことが起きてるよねって私は思いますし、
そこに反復というのがまさに入り込んできている。
反復というのはですね、
心理的なものなんですよ。
具体的なものではないんです。
この番組でも他のところでも、
時々お話ししていて、
おそらく釈然とされていないとは思うんですけど、
煽り運転ですごい酷い夢にあって、
それが原因で臨床を受けに来ました、
煽り運転と時間の感覚
カウンセリングを受けに来ましたという方が、
実は幼い頃犬に追いかけられたの。
ここで反復してるわけ。
現実とか意見が反復してるわけじゃないんですよ。
それだったらオカルトになっちゃうじゃないですか。
犬に追いかけられる人は車にも追いかけられるようになる運命に、
運命づけられてるんですよみたいな。
そういうふうに思いかけないほど、
ある種の事柄がその人にとっては同じ色合いを持ったり、
同じ響きを持ってしまうっていうことなんですよ。
そういうふうにおっしゃる方っていらっしゃるじゃないですか。
どこに行っても私はこういう人の面倒を見させられるのよみたいな、
そういう話って聞きません?
私はよく聞くんです。
どこに行っても私は同じような上司に、
こういう話は私は現に3ヶ月チャレンジとそれ以前にも伺って、
どこに行ってもやたらと人の仕事に割り込んでくる上司に割り込まれる。
私はっていう。
私は多分そういうふうに人に舐められやすい。
何とかオカルトを避けてます。
舐められやすい態度だから、
何かことをもっと毅然として生きていきたいみたいな、
そういうね。
そこを私に期待されるわけだけど、
ここがまた不思議なんですよね。
僕の動画とか何見ても全然毅然にほど…
ないのかな?
見えるのかな?
僕はあれですよ。
何て言うんだろう。
見せれば一発でご理解いただけると思うんですけど、
足をクロスして、
星を少し引いて、
顔だけちょっと前に出し気味にして、
男の子だった時代に、
膝に手を当ててもにもにしている感じ。
ああいうスタイルをとってて、
めっちゃ怒られたことが結構あるんですよ。
何かやめろみたいな、
そういうなよなよしてんじゃねえみたいな、
そういうまさに僕はなよなよしてたんですよ。
僕はそのなよなよめっちゃ怒られるんで、
本当にある幼稚園の当時、
ホモさんって怖い先生がいましたね。
良いっていう字が名前に入ってるんですよね。
強いんですよ。
すぐ叩くんですよ。
めちゃくちゃ僕は太ももとか、
手の跡がつくみたいなね。
手の跡が赤くつくじゃないですか。
太ももとか。
太ももってそういうもんだったの。
幼稚園で毎日のように手の跡がつくことを殴るっていうのは、
ごく常識な行動だったんで、
誰もそれ問題だと思ってなかったし、
手の跡ついちゃってるあの先生本当にみたいなことを、
友達同士で自慢するっていうのが結構楽しかったみたいな。
そういう時代だったんですよ。
なよなよしてるっていうのはほとんど罪悪だった。
本罪に近かった。
男の子がね。
女の子が同じことやるのは全然OKなんですよ。
それも女性がやるんですよ。
そういうことを言うんですよね。
それぐらいそれがもう差別だという意識すら
全くなかった時代だったんで、
僕はそういうところでめちゃなよなよしてるわけですね。
僕は自分は頭がいいと自認してたから、
幼稚園時代とか小学校1年の時は特に。
頭さえ良ければ、
もうなんか体は超なよなよしていても、
それがむしろいいぐらいだみたいな、
そういうなんていうのかな、
ある種のアウトサイダーを気取りたい人だったんですよね。
でもそれは男の子らしくないアウトサイダーみたいなのが、
自分はアイデンティティとしてすげえありだと思ってた。
すげえなかった。
それによってすごいあの時代は特にですね、
アドバンテージ全くなかったんだけど、
なんかそこを虐待されることによって、
余計自分は引き立つみたいな、
そういう考え方を持ってたんですよ。
誰から入ってたんだろうね、あれはね、
って思うんですよね。
とにかく強い男はダメだって思ってた。
強くてバカなのはもっとダメだっていうのがあったから、
なんていうのかな、
僕に毅然とした態度を求めるっていうのが、
不思議で不思議でならないっていうのはあるんですよね、
僕は。
僕にはどっちかっていうと、
なよなよ感、強い支持感がありますみたいなのがあって、
男らしく凛々しいっていうのは、
個人的に好きじゃないっていうのがあるんですよね、
まずね。
だからそういうのを僕に求めても無駄ですって感じがするんだけど、
なぜならそれが好きじゃないから、
根本的に。
で、僕の発想の中に精神分析であろうと、
アスクシュートであろうと、
全然キリッとして、
毅然としていないと使えないって部分がないと思うんですね。
そういうふうに思っているわけなんですよ。
で、それはそれでいいんですけれども、
それはそれでっていうか、
そういう話とは実は何の関係もない話だと思うんですが、
ハンクというのは、
普通の話に戻るんだけど、
心理的なものなんですね。
で、例えば車に追っかけられたから、
それは煽り運転受けて本当に辛かったから、
もう手が震えて運転もできず、
運転が仕事の人ね。
大変なんです。
大変ですよね、それはね。
で、犬に追いかけられたことがあります。
で、これは犬に追いかけられたという色合いの現実を反復してるわけですね。
心理的に反復してるってことなんです。
犬には追いかけられるわ、
変な人に追いかけられるわ、
車で煽られるわ、
私の人生はもう絶望的だっていうような話は、
その人の心の中で、
犬に追いかけられたときのトラウマを何度も
心理的に再現してるわけです。
心情的にっていうか、
情緒的にっていうか、
情動的にっていうか、
これがとてもこう、
あの小さい時の自分に戻って、
ものすごい夜間が、
一本すると死にますからね、
時代が時代ならば。
僕より10ぐらい上の年の人が言うんですよね。
犬ってのは狼と変わんないからみたいな、
小さい子にとっては。
追いかけられたら最後だからぐらいな、
そういう感じがあって、
これを煽り運転のときも
心理的に再現してるんですよ。
これが反復なんだと思うんですよね、
私は。
これが私は時間には絶対あると思うんですよ。
あの、はいあと10分みたいなことを先生が、
これ超怖い先生とか、
感じの書き取りとかでね、
書けなかったやつは1000回ずつ書けみたいな、
そういう、
これも僕普通にやらされましたから。
全然普通じゃない、
挨拶とかいう字はないか、
小学校時代のね、こういうの。
なんかね、
金曜日の曜みたいな字を1000回も書くと、
ほんと勘弁してほしいんや。
そういう先生すごい性格が悪いんで、
フル取りの横線が、
なんか3本だと罰にするとか、
そういうことをやってくるわけですよ。
いいだろ別にって感じなんだ。
曜にしか読めないだろその2話っていう感じなんだけど、
なんかもう、
お前3本だ、罰な、みたいな、
これ1000回書けみたいな。
1000回書かせたくてしょうがない人に、
みたいになってるわけですよね。
それは、
そういうことなんですけど、
時代が時代だったという、
ことでしかないんで、
僕戦前とかに生まれなくてよかったなと思うんだけど、
あのー、
反復している時は、
それが反復だと気づいてないんですよね。
あおり運転という、
夜県に追いかけられていることは、
そっちに似てるじゃんだって、
ほら、
やばい奴が追っかけてくるから。
似てるのそこだけじゃないですか。
やばい奴としても、
かたや犬で、
かたや人、
車じゃないですか。
全然違うわけですよ。
妄想分裂と欲打つポジション
全く違うことが同じに、
同じに感じられてくるっていうのが、
反復ってことだと思うんですね。
で、
でですね、
ここに一歩先があってて、
ここまで行きたい、本当は。
行けないかもしれない。
ここの繋がりが見えにくいんですけど、
メラニ・クラウンっていう人が、
よくこの番組でもおなじみの、
この番組でもおなじみなんですけど、
妄想分裂ポジションというプースポジションと、
妄想分裂の妄想は、
餌方も聞いて、
そうだよな、
そうだよなって、
久しぶりに思ったんだけど、
山崎孝明さんが、
その妄想って、
パラムフィルだから、
大義神みたいな、
なんかこう、
やばい奴が追っかけてくる。
それこそ妄想なんです。
これはだから、
要するに迫害妄想みたいな妄想と、
なんか、
俺のこの先に何か入れた?
みたいな、
そういう、
そういう妄想なんですよね。
妄想と言っても。
で、
メラディ・クラインは、
普通にこの、
妄想分裂ポジションから、
欲打つポジションに人が移るのが、
大事ですよ、
っていう話をしているんですが、
あの人先に欲打つポジションを、
発見してるんですよ。
発見っていうか、
それこそコインしてるわけですよ。
概念を固めたわけですね。
あとで出てきてるんですよ。
妄想分裂ポジション。
問題なのは、
欲打つポジションなんですよ。
何が問題かっていうと、
つまり、
迫害されているという感じを持つわけですけど、
PSポジションの場合。
非常に攻撃されているっていう感じを持つし、
迫害されているって感じを持つし、
善悪がズバッと割れてしまって、
だから、
だからね、
僕、
これがね、
非常に気になるんですけど、
ネットとかをいつも最近見てると、
特にこう、
嫌な人と付き合わない、
やめましょうっていうのが、
もう松下宏介も言ってるみたいな、
本当かよって思うんだけど、
この、
良い人とだけ付き合う、
嫌な人とは付き合わない。
良い現実とだけ付き合って、
嫌な現実とは付き合わない。
まさにPSポジションの世界なんですよ。
このように、
良い悪いがズバッと分かれているというのは、
幼児にとっては常識なんです。
だって、
鬼ヶ島には鬼がいて、
桃太郎の世界、
良い世界にいるんですよ。
一方的に対峙しても良いわけですよ。
なぜなら、
鬼は悪いやつだ。
何をしたとか関係ないんですよ。
善悪はもう、
最初からバッと割れてるわけですね。
で、
それは、
良いおっぱいと悪いおっぱい。
いや、
同じおっぱいでしょうっていう概念がないよ。
同じ人間じゃ仲良くしようよ、
みたいな発想はないよ。
良い人間と悪い人間は、
はっきり分かれていて、
悪い人間は一方的にやっつけて、
全然良いわけですよ。
その人は何か故に悪くなったとか、
そんなことは関係なくて、
しかも自分は絶対良い人間なんですよ。
そういう風に決まってるわけですね。
妄想分裂ポジションの世界では。
だから、
それがもしかすると、
同じだったかもしれないとか、
いうことになってくると、
大変なことが起きるわけですね。
ここを分けられるというのが最初に。
だから、
妄想分裂ポジションというのは、
この話をするとですね、
妄想分裂が先にあり、
欲打つが後にあり、
人間は成長すると、
欲打つポジションに行くんだっていう、
フェーズの話になっちゃうんですよね。
そうじゃないってことを言いたくて、
あのポジション、
ポジションと一生懸命クラインが言ってるのが、
反復の重要性
全部台無しになりかねないので、
発達フェーズとかじゃないんですよね。
で、妄想分裂というのは、
すごい愚かしいように見えるのかもしれませんけど、
これはすごい大事な概念で、
なぜだから、
妄想、
格外妄想の妄想なんですけど、
妄想ってつくかというと、
良いものと悪いものを混ぜると、
大変なことが起こるからですよね。
独特に、
なんかこう、
腐った食べ物を混ぜないじゃないですか。
なんかおいしいおいしい食べてたら、
お腹壊しましたり、
分けるってことができる。
良いものと悪いものを分けられるっていうのは、
人間の発達で、
大事なポジションじゃないですか。
で、
一生必要じゃないですか。
これ使い続けてますよ。
良いものも悪いものも、
元は同じだったのかもしれないけど、
分ける必要があるときは、
分けなきゃいけないわけですよ。
だから、
妄想分裂ポジションっていうのは、
捨てられないんですよ。
ただ、
これが、
抑圧ポジションがないとか、
入れないとか、
いうことになると、
非常に困るんで、
抑圧ポジションが先に、
メラニ・クラインが考えたっていうのはですね、
やっぱり、
彼女の、
なんていうんだろう、
精神分析ってものを、
すごく特徴を付けてる。
常識的な線だなって、
僕はよく思うんですけどね。
その妄想分裂ポジションを、
さらに前のポジションと分けるんですよね。
そこから先の話になってくると。
これって、
精神病水準、
ボーダーライン、
神経症水準の話と、
これは発達段階に沿っちゃうんだけど、
それとよく似てるなと思うんですけど、
要するに、
抑圧ポジションを持ってるものとして、
ある程度考えているわけですよね。
私なんかの仕事には、
そっちのほうが全然有効なんですよ。
それがないですっていう人は、
多分、
スタンチャレンには、
参加されないと思うんで。
だから、
あるというのは、
割と前提にできるわけですよね。
その前の段階だけを問題にするっていうのは、
その後だから、
ビオンとか、
そういう人たちの世界になっていくんですけども、
もっとこう、
保護主張症の世界とかそういう世界ですよね。
さらには、
自閉症の世界とかそういう世界ですよね。
私には、
そこは、
えっと、
そこがサンチャレンだとは思わないので、
さすがに。
抑圧ポジションの世界。
問題なのは、
抑圧ポジションとPSポジションは、
常にステップするわけですね。
ショートとセカンド ちょっちゅう入れ替わる、
そういう人いるじゃないですか。
そういう人いるんですよ。
センターとライトは交代するみたいだ、
そういうことはやるわけですよね。
そういう世界。
ポジションなんだ。
センターとライトは一緒に来ていくなんてとこだし、
ポジションだ センターがなくなります なんてことはないじゃないですか
私はずっとライトになりました ってことはあるかもしれないけど
センターというものはなくなります ってことはないわけで PSポジション
もDポジションもなくならないわけ ですよ 一度それを手に入れた って
いうか そのポジションを知って しまった場合には なんで反復の
話からここに来たかというと 問題 は 海外トラウマの反復をしてる
ときはPSポジションに入るわけ ですけれども 入っているということ
になるはずなんですけれども Dポジションにいるときは なんて
言えばいいんだろうな なんて ことをしてしまったんだろう
っていう感じになるはずなんですよ 多くの場合 なんてことをして
しまったんだろうから 物事はスタート するケースがすごく 物事はという
か その人の感覚はスタートする ケースがとても多くて だから
鬼ヶ島の鬼を退治した後で その ことを後悔するみたいな話なわけ
です それができるようになるのが Dポジションってことなんで これ
は割とたわいのない話ではあるん ですよね 私からするとこれは 私は
思うに結構たわいのない話だな とも思うんですよ すごい成長だ
なとは別に思わないわけですよね 我々は普通に考えてみて それを
思いやりって言ったり 相手の事情 を考慮するって言ったりします
ある意味 ただそれだけのことなんですよ これと言うならば 全額をずば
っと分けるっていうのと 我々は 行き来できるっていうこと つまり
行き来できるってことは 君のぐらい 矛盾した考えを持ち得るってこと
でもあると思うんですね 反復っていう のがここに絡んできている場合
に 言ってみれば しょっちゅう PS に入る上に しかも しょっちゅう
妄想分裂的になる 正当なってい ったら変なんだけど ずっとした
理由を持ってるってことになる と思うんですよ 夜間に追いかけ
られたってこと 私に言わせると それが時間に追いかけられたって
ことなんだけれども そういう体験 を持っていらっしゃるので 他の
体験でもいいんですけれども いずれ にしても 私はいつも上司に舐め
られるとか いつもこういう役を やらされるとかって そういう反復
があるときには それだけの根拠 があって しかも それを反復してる
ときはいつも PS ポジションに入ら なければならなくてっていう話
になってくるんですよ ここで捉え 方が違うと僕は思うんですよね
捉え方が違うというのは 要するに 3ヶ月チャレンジっていうのは 一応
精神分析をベースに置きたいと思 っているんで これを決してフェーズ
では捉えない だからトラウマから 脱死 PS からディーン フェーズ
として移行したいんですっていう 話はしていない だったらポジション
とは言わないっていうことなんですよ ね フェーズじゃないっていうこと
ポジションの移行
なんですよ フェーズでやるんだったら やっぱりこれは認知報道的にやって
いくことになると 僕はせいぜい っていうか あえて頑張るにしても
自我心理学的に つまり成長と発達 段階の世界 自我主義的に言って 私は
PSなんかにはもう戻らないんです みたいな 私はそういう 自分がそう
じゃないのをよくよく知っています から PSに戻るっていうか PSに移るん
ですよっていう感じがしますよね ミニコットの意見はちょっと違う
んで この話がすごくいろいろと 微妙でまたややこしくなっていく
と思うんだけれども でも反復 ということは起きますし PSポジション
は従って だって反復してるんだ から 何度も入ることに 何度も
そのポジションを取ることになって ここを何て言えばいいんでしょうか
ね 人生の中でよじっていくっていう かな よっていくっていうのがある
じゃないですか 紙をよるみたいな 糸作るみたいな よって糸を作る
PSとDが絡んでいくみたいな感じ これをトータルで見通していく
というか 納得していくというか そういう感じなんですよね PSから
卒業しましょうとか 移行しましょう っていう感じではなくて Dに それ
反復と思考の変化
によって反復を脱しましょうっていう 感じではないんじゃないかなと思
うんですよ 反復というのは捉え方 なので 捉え方を変える必要っていう
のが出てくるし 変えれば 要するに フロイドが言ったような 痛ましい
不幸 ありきたりの不幸に変える ことができても 不幸であること
に違いはないんです 不幸が嫌です っていう話ではないと思うんです
何て言うんですかね 被害的になる というのは分かるんですよ なぜ
反復なんかをしなければならない のかと だから それがオカルト
の片鱗を残してると思うんですよ ね 同じ目に合う 同じ目には合って
ないんですよ 違う目を同じように 捉えている それを変えてください
っていう話になってくるんだろう けれども それは ある程度以上に
自分自身しか変えられないですよ ね 観点を変えるって話をしている
から 観点って自分の観点なので 観点を もし本当に変えるってこと
になってくると これは自分で変える ことになると思う しかし よくよく
考えてみると 本当は反復していない のだから 事実にそんなに寄りそう
ならば 事実に寄りそうならば 同じ 目には合ってないんだから 何も
変えなくてもいいとも言えるわけ ですよ これがちょっとトリッキー
な言い方になってるんだけど 僕の 実感としてはそうなんですよ 最近
私は だからここで否認が出て くるんですよね ある種のことを
否認しないと こういう観点取れない はずだから 反復ってことは その
技術 例えば夜県に追いかけられてる ことと 車の折り運転を受けてる
ことは違うことです 何かを否認 してるんですよ 同じだってある
ってことは 違うっていう部分に ついての何か否認があるわけですよ
ね 私は つい先日も言ったとおり 母に酷い目に合わされてきたという
事実を長らく否認してきて 合わせて 母が大好きだったっていう事実
も否認してきたわけですよ こういう ことをやっているから 私には事実
が見えずに 母にまつわる反復 を繰り返してきて まさに反復なんで
時間と感情の関係
繰り返してきて その都度 その ぞれのPSポジションを取ることになり
その都度 その後勝手に腹を立てる ということが起き しばしば勝手
に関係をリセットするといって エバってたわけですよね そういうこと
が起きてしまうと 起きるわけですよ でも 考えようによっては別にそれで
いいんじゃないかとも言えるわけ ですよね この考えようによって
は別にそれでいいって思えると 反復というものが起きなくなる
わけですよ 時代は反復してるん でしょうね きっと でも 僕の心的
現実の中で反復が終了するので 終了はしないんだけど 反復だと
捉えるべき理由が激減するので 理由が減るんですよね 理由が消えて
いく だから 反復だと捉えなくても 別に良くなって そうすると その
都度PSに入らなくても PSに入る っていうことはなくなりはしないん
ですねが その都度確実にPSに入る っていうことはせずに済むよう
になっていくわけですね そのとき ディポジションでの出来事が起きる
わけですよ つまり喪失が見える わけですね これまで私は迫害が
見えてたわけですよ 反復によって 母親が悪さをしてくるとか 母親
が怒鳴るとか 母親が文句を言う とか 嫌味を言うとか 全てその
ように捉えてたわけですね そうじゃなくて 私はあの大好き
だった母がいないっていう認識 に立ち至ればよかっただけなんです
それは今このように言うと 全然 わけわからん話をされているように
思うかもしれないんですけど 時間 がないとか 時間が奪われるという
のは 確かに反復だと僕は思うん ですよね やっぱり最終的にはここ
に持っていきたいんですよ タスク 修道の話から始めたからですよ
時間がない 時間がないと皆さん おっしゃるんですけれども そのとき
しょっちゅう 例えば 誰それが 邪魔をすると 例えば 同じ人の
話じゃないと その人は納得しないん だけど 例えば うちの娘が仕事
に帰ってくると これを邪魔だっていう 人 いっぱいいらっしゃるわけですよ
それってでも時間を奪われちゃ いないんですよ 人によってはだって
娘のために仕事してたり 私なんか 完全にそうですけど ある程度以上
は娘のために仕事してるわけですよ 娘が入ってきて 仕事の時間を奪う
っていうのは どう考えてもイー ブンとしてあってないわけなんだけ
れども PSポジションに入るとそう 感じるわけですよね そう感じた
ときに私は何を反復してるかっていう と あのテストのときの 例えば
四ツ谷大塚の定期的な試験がある んだけど その日までにやっておく
べき感じの書き取りをやってなか ったねって これは本当は時間を
奪われてるわけじゃないんだけど そのときはそうとしか思えない
わけですよ あと30秒欲しいのに はいとか言って 紙持ってっちゃう
わけですよ 小学生だから奪われた 感じがするわけ 嫌がらせを受けた
感じがするわけです 何かを受けてる 感じがする 感情としてはその通り
本当に感情としては だから赤ちゃん にとってはおっぱいがもらえない
というのは母親と攻撃している ということになるわ そういう悪い
母親は鬼ヶ島の鬼を退治するように 退治してやればいい 退治すると
本当のお母さんもいなくなりました ってことが本当に起こるんです
っていう話になると衝撃を受ける わけですよ だからこの時間がなくなる
という現実を退治してやればいい っていうふうに退治すると一切
が失われるっていう話になって くる 要は私の場合は母親を失う
って話になるんですけどね そうじゃないんだということ
いなくなっただけなんだという 誰もアタックはしてないんだと
ないのと攻撃を受けることは違 うんだということ 辛いから同じ
じゃんって言ってる間は何か攻撃 を受けてるっていう感じなんですよ
ね うまい例が浮かぶときもあるん ですけど 今しゃべってるのはあん
まり僕の心情としては実にフィット してるんだけど 人によってはフィット
母との関係性の再評価
すると思う 人によってはフィット しないと思うんですよね それは
どうでもいいことだと思ってる 人には それがアタックだと感じ
られないんですよ 全部自分に置き換 えてほしいんですよね アタック
だと思われてるものはクブクリン それがないだけです そういう意味
では我々は赤子と変わらんのです ってことなんですよね 相性喪失
というものを認識できるのはディーポジション だけであるっていうのはメラニー
くらいの非常に大事なテーゼだ 私は思う つまり同じ現象が違う
現実になってしまうってことなんですよ 喪失すぎってことはもうディーポジション
にいるんですよ あっないんだって いうことないことに悪意はない
ですよね ないだけです 奪った とか悪いおっぱいが食事を食い
荒らしたとかそんなことはしてない ただそこに食物がないないということ
に悪意はないないものがアタック はしてこないということなんですよ
だからないってことが分かるって ことはその人はディーポジション
にいるってことなんですよね ボルビー の愛着理論って有名じゃないですか
アタッチメントと流行るんですけど あれは 何であれが流行るかっていう
とあれはクラインのヨクウスポジション と同じことを言ってるってどっか
でマスキングユーザーさんが書いて いて全くそうだったんですよ
僕は非常にそこには感銘を受け たんですよ クラインはダメだけど
ボルビーいいよねってのは僕は すごいおかしいと思ってたんですよ
同じことを言ってるだけですよ まだボルビーはそれを外から観察
した表現をとってメラニ・クライン は内側から主観的にヨクウスポジション
を表現した どっちかしら僕はしかも クラインのやってることの方が
はるかに高度だと思うんですけれども だからまさにボルビーはクライン
のある意味ウィニコットと同じで 途中までお弟子さんだったんだけど
クラインのヨクウスポジション 知らなければボルビーのアタッチ
理論はないだろうみたいなこと を松木さん書いていて 一歩はじ
ると炎上ネタなんじゃねこれって 感じがするぐらい変身分析はよくない
けどボルビーいいよみたいなこと を言う方って結構いらっしゃって
不思議なんですけど だってあれは 全く同じことを言ってるじゃない
ですかっていう感じを僕は強烈 に受けるんですけれども あの
アイテク理論を私最初にどこかで 読んだんですよね 自動発達心理学
で読んだんだと思うんですけど 全然感銘を受けなかったんですよ
何を言ってるんだろうぐらいな 感じだったんですけども あれは
クラインのヨクウスポジション です 完全にそうだと私は思うんですよ
つまり喪失を嘆く要事ってこと 喪失を嘆くときに クラインにして
は対象関係にしてはそこにすごい ミクロなものの見方を取り入れ
込んでるんです 喪失を嘆いてるん ではないんですよね 要事が嘆いてる
のはアタックされてる自分を嘆 ってるわけです 攻撃されている
鬼が攻めてきた だから恐ろしい って言ってるわけです この空腹
のまま自分を放置して見殺しにする つもりだ 大げさなんですよ 大げさ
になりますよね われわれは人に アタックされたと考えると でしょ
っちゅう話してますけれども 病院 の待合室って だから私これはすごい
観点がいいんですかね この人に 攻められたらどうするんですか
とか この人が攻めてるケースは 怖くないんですかっていうのは
あまりにも巻き込まれて だって 僕がしてる話ですから 僕が言いたい
のはすごく興味深いじゃないですか いい歳をしたおじさんが50ぐらい
になるおじさんが赤ちゃんになってる っていうそのさま 有害かもしれない
不快かもしれないけど そんなこと よりも非常に興味深いじゃない
ですか あれアタッチメント理論 がその目の前でボールビーが言ってる
通りのことが起きてるじゃんって 感じがするんです 泣き喚くといや
嫌ですよ そりゃそういう目に遭 えばね でも私は嫌であることより
もやっぱりこの場にいてこれが 見られることの価値ってものを
高く買っちゃいたくなるんですよ ね なんか観察力旺盛でいいですね
みたいなことになるのかもしれない けど 僕はそうじゃなくて すごい
役に立つと思う あれと全く僕が同じ 状態にしょっちゅうなってるから
なってないっていう方が僕は信用 できないんですよね 嘘をついて
らっしゃるか否認していらっしゃる と思うんですよ 絶対藤沢だって
大谷翔平だってなってるよなと思う 人間がPSポジションから下脱できる
などというのはですね 僕は正直 おとぎ話以外の何者でもないと思
っています ぶっかかって疑わしい っていうのが僕の本音なところ
なんで 最近ではですね そんな子供 っぽいってうちの父なら絶対
言うんですけどうちの父はそう 言いながら1日のそうだなぁ少なく
とも私の目撃してる限り1000ドア 1000ドアですよ PSに入ってます そりゃ
そうですよ 子供から見れば親が PSに入ってるのも1000回超えるなんて
当たり前じゃないですか その1000回 超えてるうちの父が俺はずっと
2位で生きてるぐらいに思ってます からね これが否認ですよね 明瞭
に否認ですよね 明らかに否認してる 下脱してるとでも思い込んでいる
思い込みたいからってのがある 坊主ってそういう職業ではある
時間を奪われる体験の心理
がそんなことは無理です 全然無理 だいたいお腹空いて何か食ってる
段階でも無理だと思うんですよね お腹空いて何か食えるっていう
のはよっぽど恵まれてるじゃない ですか 戦後だいぶ経ってからの
日本人ならではじゃないですか 世の中ではそうはいかないって
人大勢いらっしゃるわけじゃない ですか その時どういうふうに自分
思うかと取り乱すと思うんですよ 人は多かれ少なかれ PS4中に入っちゃう
と思うんですよ ちょっと先に撃たれた ぐらいでDが1できる Dが1できる
にしては何かその人憎む気良かったり するわけですよね 憎むってことは
何か殺さなきゃ無理ですからね 死んでから食べるっていう人も
いるかもしれないけども そうは なかなかいかないですよ だから
冷蔵庫開ければ何かあります お腹 空いたからすぐ何か食べちゃいます
これはもう全然PSにその人は入る 気満々ってことになると思うん
ですよ それを非難するんだったら 僕は世界の全ての人類を非難しなきゃ
なんなくなると思うし 世界の全ての 動物を非難しなければなんなく
なると思うし 全然意味ねえなって 思うんですよね 当然PSポジション
に入るよね当たり前だと思うん ですよ いいものはいいんですよ
それは全量だからいいんじゃなくて お腹空いたときに食べられること
はいいことだっていう それは実に 当然だと思うんですよね要する
に 赤ちゃんがおっぱい欲しいって 泣いていて それを非難する人って
いるかなって思うんですよ 全く 同じようにやっぱりこう待ち合い
して 時間を奪われたって言って あらぬ言いがかりをつけてる人
がいると やっぱりそれは貴重だな って思うんですよね それはまさに
メラニー・クラインの世界だな って思うんですよ PSポジション
というものを金振り捨ててるよね っていう感じがするんですよ ここ
に向かって怒る その人が時間を 奪ったとでも言う 全くそんなニンニツ
はどこにも1ミリもないんだけど 喪失っていうことがその人には
分かって その時にも分かっていない 喪失ではないものを攻撃を体験
している それはPSポジションという ポジションから見た現実なんて
いうことですよね もちろん心的現実 心的現実は空想世界とかファンタジー
じゃないんですよ 僕らがしゅっちゅう 目撃している現実は PSを通した
現実なんです それがダメなはずない と思うんですよね それはそうじゃない
Dという人と共同して少しでも Dの時間を増やしたほうが世界が
平和になるとかはあると思うん だけれども PSというのに変える
ことが魅力だとかいう話には決して ならないと思うんですよ 少なく
とも私だったらそんなことは言わ れたくないねって感じがします