1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 3チャレメニューを拡大したい..
2025-12-12 43:05

3チャレメニューを拡大したいなと悩みを吐露した回【1294】

タイトルの通り、悩みをダラダラ喋りました。
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サマリー

今回のエピソードでは、排出というテーマを中心に、リスナーとの対話を通じて不安を表現することの重要性について語ります。また、3ヶ月チャレンジやタスクシュートに関する新しいアプローチや、個人の発信活動にも触れています。このエピソードでは、心理臨床におけるメニューの選択肢の拡大についての悩みが語られ、特にフルコースと軽食メニューの重要性が論じられます。さらに、ランチセットやカップルセラピーに関する考察が行われ、適応度や提供方法の難しさが強調されています。エピソードでは、リキッドセラピーやCBTに関する疑問や、自身の心理臨床の実践についても言及されています。また、3ヶ月チャレンジの拡充に関する思考や、心理支援の在り方に対する楽観的な視点が共有されています。最後に、精神療法の多様性と治療法の選択肢について考察が行われ、特に中央病院の事例を通じて視覚化されていない治療法の存在が語られています。

00:06
おはようございます。 佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1294回をお送りします。
12月12日金曜日、8時1分です。 もっと早くね、これ始められそうなものだったんですけど、気がつくとこんな時間になってしまって、ちょっと
我ながらあれなんですけれども、なんかこう 不思議なんですけど、まあそういうこともあるよなぁと思いながら、8時過ぎてるなこれって思ってます。
いよいよですね、明日タスクシュード総決算あります。 2025ですね。実は昔、大橋哲夫さんと2人でですね、タスクシュード総決算
じゃなくてスピードハック総決算というのをやってたんですよ。 名称でいうとこれの後継みたいなところもあるんですけど、スピードハック総決算は僕と大橋さんの中でですね、
ここで伝えられないことはないぐらい伝え切ろうみたいなのを2人で企画してやって、割と盛況だったんですよね。
60名ぐらいいらしてた時代もあったような気がしますね。 もう10年ぐらい前の話なんですけどね。
まあこれの決して後継ではないんですけど、全くやってることが違う気がするんで、でもまあタスクシュード総決算は
協会もあって認定さんもたくさんいらして、それなりの規模でやっております。 だからまあやっぱちょっと違うものではあるんですけど、オンラインもすごい駆使してますし、
あの私と大橋さんがやってた時は、もちろんオンラインはあったに決まってるんだけど、オンラインで中継するなどというのをですね、2人だけだったってことももちろんあるんだけど、
中継するなどということをまだ大規模にやれるような時代では全然なかったんですね。そういうのをそんなに受け入れられていたわけでもないし、やっぱ今に比べれば
スマホの回線とかはもうとてもとても貧弱だったんで、やっぱり時代の違いですね。これはねしょうがない。
今後ますますオンラインとか発展していくんでしょうし、それこそねVRみたいな意外とそういうのって実現しないけど、
そこにいて自分も参加しているような感じがするみたいなアップルビジョンが目指しているような話なんでしょうけど、できるようになるのかもしれないですけどね。
はい、まあそういうわけでそれは明日なので、今日私たちは、私はもう今日ホテル取ってあるんで、そっちのホテルに泊まって準備に。
僕ホテル泊まりとかって実はすごいダメなんですよ。家にいたいっていうタイプの人間、特に寝るのは絶対家で寝たいみたいな人間で、
なんかこうあるんでしょうけどね、ホテルに行って寝るっていうのは非常にこう疲れる。
2泊もするとなると本当に、でも住んでる場所がほぼ静岡の方が東京よりは全然近い場所に住んじゃっていますんで、
ちょっとね、朝から銀座に行くとか本当めちゃくちゃ大変なことになっちゃうんで、もう7時出発みたいになってしまうんでね、困るんでそれは避けるようにしました。
ということで、今回は、今回も一応銀座の方に、割と都内高いんでね、ホテルがね、非常にこううぐうとなってるわけですけれども、しょうがないので、
今年もやりますんで、ぜひ皆様も今からでもご参加いただけますのでよろしくお願いします。
それでは1294回か。
排出の重要性
私これね、ポッドキャスト仕事になっておりますが、もはやどちらかというとやっぱりこうある種の排出に近いんですよね。
排出だから続いている部分でありまして、排出っていうのはつまり不安を吐き出してるんですよ。
で、ライブでやってた時も厳しいコメントとかをいただいたっていう部分もなくはないんだけど、実はライブ辞めたのもYouTube辞めたのも結局排出としての効果が下がるんだなっていうことが分かったんですよね。
吐き出してるという吐き出すんだけど、やっぱりリアルタイムで吐き出すって結構難しいことなんですよね。
聞き手がいないのに、聞き手がいればむしろ別なんですよ。受け止めてもらうっていう部分、コンテインされるっていう部分があればね、まだもっと出せるんだけど、コンテインしているのはこの目の前のスマホだけなのに排出できるかというと、排出に相当ブレーキがかかっちゃって、これやってたら続かないなっていうふうに思ったんで戻しました。
戻してSTA-Fでの視聴者数が割と目に見えて減りましたが、その辺のミスをするのは私のお箱なので良しとします。というか、そもそもこれはもうミスじゃないんで、私からすると。こういう試行錯誤をやらなければですね、絶対に私はこういう活動が停止する人間なんで。
さまざまなことを最近考えてるんですけど、やっぱ排出って部分は発信の中にはつきもの。だから私、情報発信って言葉が得意じゃないんですよね。やっぱりこう不安や罪悪感というものを吐き出すという部分って人間には、発話には欠かせないと私は思うんです。
横戸できた人でもそれがゼロになっちゃうって不自然だなって思うんで。まして私は横戸できてない人間なんで、もちろんそういうことがなくなるわけがないんですよ。で、こうやって排出してると非常に落ち着いてくるんですね。だからそれは皆さんに受け止めてもらってコンテインしてもらって対処してもらっているわけですよ。
そしてフィードバックまでもらえると大変ありがたいというか大変私の依存というものが成立するわけですけどね。で、何が不安ってやっぱサンチャルって不安ですよね。まあそもそも非正規でやっていて臨床まがいじゃないかとか。
突っ込もうと思えば結構突っ込める。で、意外と突っ込み意外とでも法的には突っ込めないっていうものなので結局これに突っ込むって暇な行為になっちゃうんであんまりやる人はいないっていうか実はほとんど全くいないんですよね。かつて一人いらっしゃったかなら3年で一人とかですからもう本当にどってことないっていうか。
個人の活動としては非常に恵まれている。これに比べると本って損くさいですよ。本って収入的にはサンチャルで半年分に及ばないのに突っ込まれる比率で言うと1000倍ぐらい高まりますからね。何なんだあれって感じがしますよね。本書く人いなくなるわけですよねある意味では。
本当現在の出版業界のこの貧弱なコンテインブリではなかなかコンテインドが苦しくなってきますよね。その割に日本人って超頑張ってるなと思いますよコンテンツ作る。コンテンツこそコンテインドですからね中身ですからね。本当に頑張ってるなと思うんだけどなんかちょっと頑張りに依存しすぎですよね完全に。
もっとコンテナしないとっていう感じ。私はしますけどね。私だってそろそろ手を引こうかなって思います。本っていう世界からは。本当にどこをどう見ても割に合う合わないで言ったら頭の悪い人間がやることになっちゃってきてますよね。これじゃっていう。他にいろいろあるから一応ステータスとかね。あるからいいけど私の場合もステータスのプラスになってるかどうかもはなはな疑わしくなってきますからね。
もう本当に義理人情に近い世界で本書いてますからね。
3ヶ月チャレンジの取り組み
何の話をしているのかというとですね。3ヶ月チャレンジ。これがコンテナなんだけど。もっとコンテインドのコンテンツですね。バリエーションやっぱり確実にアップしていきたいっていうのはあります。
最近あの短期離起動というのかな。もうちょっとこうなんて言えばいいのかな。CBTとはちょっと違うんです。これが私は実は日本の週1回という、藤山直樹さんがよく言う週1回の日本の異議みたいな。日本独自のやつなんだみたいなのをちょっと私が肩羽を担ぎたくなってるのかもしれない疑惑があるわけですね。よくわかんないけど。
最近ですね。これはもう分けるべきだっていう。分けるっていうか分けるっていうか分かれるんだっていうことが分かってきたんですよね。つまりがっつり力動的なものを求めるというユーザーさんの選択なんですよね。これはね。もうそれは求めないという選択になっていくだろうなと。
中でその短い時間、そして頻度。頻度ちょっと難しいんですよね。頻度がちょっと分かんないんだけど。短い時間である意味だから集中型の問題解決思考ですよね。いやそれってCBTじゃんって言われるとまあまあまあそうなんだけど。私なんかちょっとやっぱり違うなって思うようになってきたんですよ。
これは私的だなと。なんならタスクシュート的でもいいんだけど。タスクシュートは使わなくてもいいけど、使うと話早いんですけどね。ライフハックっていう3ヶ月チャレンジにやっぱり全体として一つの文化があって、みんながみんなじゃないんですけどすごいライフハックに寄っているっていう方は少なくないんですよね。
私それ結構、当然私がやるんだからそうなるよなと思いつつ、なんか工夫してそこを吊るして抜けようと思ってたんですけど、いやもったいないかもって思うようになってきたんですよね。別にそれで入っていったらいいんじゃないかと。
そこに力度を組み込んでいくことはできないんだろうかと考え始めたわけですよ。たぶん一番期待されるのはそういうところなんだろうなと。ただ私はそれがどういう成果を埋めるのかっていう、要するに生産的かそれはっていうね。これは精神分析で言うところの生産なんですけどね。
インターコースをしてブレインチャイルドを作るっていう、ブレインベイビーでもいいですけどね。を作るっていう意味で生産的かそれはっていう、精神分析はそういうことをはっきり歌えるけど、なんかそのよくわからないまさにこう遠畑海人さんがおっしゃるところの平成的なブリコラージュが何か埋めるのか埋めると思うんですけどね。
だっていくらなんでも日本のそういう人たちってやっぱ真面目だし、別に優秀じゃないわけでは決してないんで、そういう人たちが一生懸命やってきたことに何にも生み出せなかったと考えるのはいくらなんでも無理があるだろうと。ただ何が生み出されてきたのかがなんかよくわからないっていうのは確かにあるよなって。
藤山直樹さんの週1回論がまさにそうで、彼は精神分析にはものすごい自信持ってるけど、週1回が何を生み出したって話になってくるとなんかこうなんとなく批判めいた雰囲気で話が終わってる感じがするんですよね。生み出したことは確実だっていう結論はあるんだけど。
で、その先にどうして何が生み出されるのかっていうのになってくると、週4、週5の話に比べてはなはなクリアでなくなるという、やっぱりそれは合わないんだろうなって思うんですよね。で、最近成田さんの本読んだって話してるじゃないですか。彼は精神科医でもあるから、長くて15分っていう精神科医の診療はそんなもんだと。
で、最初はすごく50分に比べて15分って不本意だったけど、不本意って嘆いていても15分のものは15分で長くできないわけだから、これを不本意じゃないものにしていこうと思ったら意外と良かったみたいな話があって、これもですね、もうちょっと何がどう良かったのかが、つまり書いてらっしゃるんでしょうけど、私には分かんないことだから、私精神科医じゃないし、15分とか絶対無理だから。
で、考えてるんですよね、今ね。短いので効果を出すには。で、なんでそういうことを考えなきゃならないかっていうと、結局一気に満たないままおやめになる方もいないわけじゃないからなんですよ。あんま多くないですけどね。
でも、週2回とかになってくるとやっぱり激減することは確かですし、そっちをメインに持ってくるのは無理があろうということなんですよね。で、これで最初私は、その人その人への適性があるとでも思ってたんだけど、違うなって思ったんですよ。
その人が結局のところ何を望むかに左右されるんだなと。レストランに行ってフルコースの料理を食べる人とコーヒーで済ます人がいる。つまりそういう店を目指しちゃいけないと思うんですよね、さすがにね。でも、そういう店においてフルコースを頼む人とコーヒー一杯で済ます人はいるわけで、コーヒーの人の方が軽度だとかフルコース頼む人の方が重度だとか言うのは勝手な言い分であって、そんなことはないわけですよ。
心理臨床におけるメニューの選択
ただ、フルコースの方が高くつくのは確かであり、お腹空いてなければそれを頼んでも食べられないですよねってのはあって、それは結局頼む人の主体的な事情に左右されるのであって、決してだってレストラン出す側がいやあなたはフルコース頼むべきですよとか言ってるのはおかしいじゃないですか。
でもそれに近いことがしばしば起きちゃう感じが心理臨床にはある気がするんですよね。だからそうじゃないだろうという様々なお店に様々なメニューがあって、それ先に出しとくべきでしょうっていう感じが、全ての店ってそれを出してないですよね。
そういう文化の楽しみ方もあるけど、やっぱり心理臨床だったらそれ出しとくべきだろうと。うちにあるのは認知行動メニューと精神力動メニューなんで、こっちはこういうお値段、こっちはこういうお値段っていう風に出して、おかしくないと思うんですよそれは。
で、医療ってどうしてもこう、どういうあなたは理由で来て、何をこっちが提供するかは基本こっちが決めるって部分があると思うんだけど、心理臨床は飲食店と医療の、医療よりかもわからないけども、完全に医療と同じにはならないだろうと。
やっぱり自分のどこに手を当ててほしいかというか、自分何食べたいかは来た人が知っているはずだと。で、その中でランチセットと豪華メニューを両方用意しておくのはありだろうなって思ったようになったんですよね。
一転メニューっていう店をやるっていうのもサンチャレの規模だとありな気もするんだけど、なんかやっぱり私のこう、私の年歴からそれが向かないんだなっていう。私やっぱり経営出国求められているのにフルコース出しますみたいなノリになってるんで。
いや、今後このフルコースはずっといかに拡充させていくかは私の最大の関心事ではあるんですけど、だからといってフルコース頼んでくれる人の方が多くなるかっていうとそこはなかなか見込めないわけですよ。
軽食出せっていうアツっていうのかな。軽食出せというリクエストは確かにあるのに軽食はもう辞めましたからみたいな。それもどうかなと思うように、これは成田さんの本を読むことによってなんか少し思うところが出てきたって感じなんです。
ただ、世の中で今最も流行ってる軽食メニューと言ってしまっては申し訳ないけどランチセットだったらいいと思うんですよね。世の中で今一番流行ってるのはランチセットだと思うんだけど、これはちょっと僕向きではないんですよね。いろんな意味で僕これをやりだすと多分割と苦労することになると思うんですよね。
だからランチ…なんでしょうね。ランチコースみたいな。よくわかんないけど、なんか考えようと思ったわけですね。比較的軽めで、しかも比較的ちょっと同じ効果ではない効果を求めている人には出せるもので、その人が軽いとか重いとかはそれはまた別の問題なんだなって思うんですよね。
私だってそうですもんね。自分の重い部分を重く手を当ててもらった時と軽く手を当ててもらってほしい時とが異なると思うんですよね。
で、大事なのはここでどうしてもただ抜けないのは、これがただメンタルのどのコースで何をすればいいかだけを考えていればいいんですけど、残念ながらここには社会適応問題が関係してこざるを得なくて。
だからまず適応度を何とかしてほしいって言った時に、つまり適応度を本当に何とかするためにはどうしてもフルコースメニュー化していくんだけれども、でもフルコースメニューは高いので適応してからじゃないと無理なんですっていうこの矛盾があるんですよね。
カップルセラピーの課題
この矛盾は週1回矛盾とものすごくよく似てるなと思うんですよね。週1回っていうのは実は難度が高いんだっていう問題があるんですよ。難度が高いのに一番安いメニューになっちゃってるわけですよ。だって週1回だから。
それは週4回より安くなるのは当たり前じゃないですか。だけど週1回の方が難しいっていう現実がどっかにあるんですよね。きっとね。だから週1回で難しいことをしないっていうこと。なのにもかかわらずそこで適応度は高められるっていうことにチャレンジしなければならないんですよね。そこに週1回の独自性ってあるような気がする。
拡周でもいいんだけどこれも拡周となってくると本当に難易度なんかウルトラいいみたいになってしまうんでちょっとそこは別のことを考えなければいけない。もしやるならね。一旦僕は週拡周っていうメニューを廃止にしてるんですけどね。無理だって思うようになったんでやっぱりすごい難しいっていうのが分かってきたんで。
それは何種のかな。適応度とか重症度とかいう問題じゃなくて拡2週に1回っていうのは何かこう説明できないですね。あれがどう行われているのかをむしろ知りたい。文献を読みたい。文献読んでもわかんないから本当は横で見てたいんだけど横で見ることは許されないから。
だからこの心理臨床って本当に名人芸みたいになっていくんでしょうね。どうしたってそこは密室なんで人前では話せないようなことをやっぱりお互いにね人前で話せないようなことを喋っちゃうからやっぱりどれほどオブザーバーが勉強のため勉強のため言ってても絶対違う時代が進行すると思うんですよ。
まあそういうの全くないわけじゃないみたいなんですけどね。その研修生みたいな私の場合当然そういうことはできないですけど横で見てます。これ絶対違うものになるよなっていう感じがしますけどね。わかんないですけど意外となんとかなるのかもしれませんけどね。
カップルセラピーってあるじゃないですか。夫妻カウンセラーみたいな。あれも私なんかこう別々にやる方がまだマシなのではっていう。それ柔度の問題とかとは全く違う問題なんじゃないかと思うんですよね。
だって二者関係が三者関係になるわけじゃないですか。どうしたってどんなに気をつけてたって三角関係と母子関係は違うんですよ。その違いがどうなるのかわかんないじゃないですか結局。
てか三角関係になるに決まってるじゃんって僕なんて思っちゃうんですよ。人間できてないからかもしれないけど。だからそうすると三角関係は二者関係よりも神経症水準だからいけるんですって。そんなのは嘘だって思うんですよね私だったらね。
それは社外で働いていて言葉が伝わっていていきなりこうなんだろうな東映ドイツか満載でやってるわけじゃない人なんだからいけるだろうっていうのはいけるだろうって思うんだけど。
だけどそこに抜き出しの三角関係3人がそこにいる三角関係みたいなのができちゃったら家族でもないのに2人うち2人は家族かもしれないけど私あのやっぱりこのカップルセラピーの実際の本を読んでみていやこれ絶対こうなるよなんて思う。
なんかやばい二者関係が3人がそこに揃ってやってるみたいにしか見えないんですよね。あいの見ると。だからこれ適応度が高いとかいう話じゃなくなってしまわないですかっていう感じがしますのでそういうことはしませんけどね。しかもオンラインでするのやるとか恐ろしいなって感じがするんで。
だってそれって一歩間違うとですよ。適応度が3人とも超高かったとしても極めて高い社会的に非常にきちんとしてる人だとしてもその前提でこの話するのおかしいなって今思ったんだけど一応その少なくとも言葉は通じるわけじゃないですか。いきなりブチ切れたりしないという前提でですね。
愛人その愛人関係にある人その例えば家族、伴侶3人で話し合いましょうってなんかやっぱ修羅派感があるじゃないですか。もう一人そこに弁護士とか欲しくなりますよね。三角関係を3人でやるということはそういうことですよね。
適応度だけで測れるはずないと思うし、そのようなものをそもそも適応度という概念で語ることに意味ないような気がします。話がちょっとそれまくっておりますが、これの得意技ですけどね。
私が思うようになったのはやっぱりこうある特注ですよね。だから特注なのに安くしちゃうのかってのそこが問題なんですよね。
でも特注、特注って何を言ってるかというと手相が明快であり、週に1回で良くて、力度は見るけど力度を中心にはいじらず、基本短期集中、3ヶ月で3ヶ月を短期と呼ばないかもわからないが、私は3ヶ月は短期だと思いますので3ヶ月自体は。
短期集中で特定の手相を解決するのに総力を上げるっていうか、そこにフォーカスをし続ける。私これは今までは大変まずいと思ってたんですね。
それって結局それだけになってしまうから、どうしてもその周辺の問題というものが疎かになりやすいと言いますか、上昇的な課題っていうのが基本スルーされてしまうであろうと。
ただ、ここに適応ってものを持ってくる。だからここでですね、やっぱりあまり上昇的な課題は扱えないんですよ。どんなに手相、フォーカスだとしても私の考えではですけど、私の力量ではでもいいですけど、やっぱりここはまず適応を目指すっていうですね。
適応を目指すために短期集中、しかも適応を目指す肝というか、これがやっぱりアセスメントみたいになっちゃうんですよね。そこが難しいと思います。
適応を目指すことがこの2人の組み合わせでちゃんとやれるのかということが前提に立って適応してる人は別にいいわけじゃないですか。でも適応全然できないっていう場合にこれを目指すのはおかしいわけじゃないですか。
例えば、なんとかいけてるんだけど、このままでは会社に行かれなくなるっていうテーマで、まずは会社に行けるように普通に行けるようになるっていうテーマをポスト化していきますよね。だけどそれを一応ビジネス心理として扱うっていうことですよ。
だからこういうときタスク集団の話が早いっていうのは私の感覚なんですけど、ここで何度か最近言っている生活に手こ入れするっていう方に集中する。でも情緒がっつりやらないとそれ無理だよねっていう話を一旦は気に置き、だからですね、情緒がっつり入っちゃった後でそういう話に戻すっていうのは私は無理があると思うんですよ。
初対面の人から、今でいうところのサンチュライのワンワンセッションみたいなところから、はじめましてみたいなところから、まずここに手を当てて、あんまり深いとか、みんなこれを深いって言うじゃないですか。情緒の話とか、過去に遡るとか、これが深いんですけど、深いっていうのはどうかなって最近思うんですよね。
これに先進点ですかね。深い浅いあるかっていう、なんか表面的で浅いって言うんだけど、そんなことはないと思うんですよ。ただ、さっきのだから私からするとランチセットとフルコースは違うっていう話であって、フルコースは深いのかっていうと、深い部分はあると思いますけど、そういうことでもないんだ。
ランチセットって表面的で浅いかって言うと、別にそんなことはないような気もするんですよね。目指すものが違う。下下が表面的なわけじゃないじゃないですか。でも下下と内下は違いますよね。それとなんかちょっと似ていると言えば似ている気がするんですよね。
深線の問題よりもやっぱり場所が違うというか、狙いが違う感じがします。で、この狙いは2つ3つあるのは別に構わないというふうに最近、だからそれが今はあまりにもそのいわゆるこう、主流がCBDすぎるということなんですよね。CBDが精神分析みたいになるから、両方やってるなんか変な感じがある意味するんですよ。
これが精神分析かPOSとかだったら全然だいぶまともな感じがするじゃないですか。精神分析あるいは精神分析的心理療法をうちではやりますみたいな。これはつまりどういうことかというと、うちはラーメンかチャーハンを出しますみたいな。あるいはラーメンセットか酢豚出します。
まともな感じがするじゃないですか。これがですね、えーとなんとなくなんですけど、これは比喩だからね。あのご容赦くださいって感じなんだけど、これがうちではカレーライスか寿司を出しますだとなんかおかしいじゃないですか。別にいいと思うんですよ。
心理臨床の実践と疑問
でもなんかうちはどっちも専門で、お客さんによっては寿司握りますし、場合によってはインドカレー出しますみたいな。なんかそれは無理がないでしょうかって感じが。それが私の思うCBTかリキドーかみたいなのの奇妙さなんですよ。感じるところのですね。
いいとは思う。できるっていうことであれば。ただなんかそれってなんでそうしなければいかんのだろうって感じがする。そしてなんか寿司は深いみたいな話になってて、そういうことじゃなくないかっていう気がするんですね。もう極端に言うとうちでは江戸前寿司かハンバーガー出しますみたいな。それはなんか変じゃないっていう感じがするわけですよね。
だからやっぱりこううちでは例えばそうだな。やっぱり酢豚かチャーハンですって言うなら話はわかる気がするんですね。これ気の問題っていうこともなくはないと思いますよ。だって結構酢豚とチャーハンって違うと思うし、ラーメンとチャーハンって違うじゃないですか。でもそれがどっちかが出てくるっていうのを一緒くたに扱ってるお店はおかしくはないですよね。
だからポストか精神分析っていうのも結構すごい違うと思うんだけど、でも普通に行われてると思うんです。
で、私のはポストか精神分析のビジネス系バージョンみたいな。逆だな多分な。ポストっぽくしたビジネス系か精神分析っぽくしかビジネス系か。もうだから多分全然ハンマーでかち割られそうなことをやってるわけですが。
なんかねこういうのがないと、これは勝手なこと言ってますけど、こういうのがないと精神分析の本すら売れなくなるんじゃないかと案に思うんですけどね。精神分析にオファーしますとかリファーしますとかそんなことは私は全然受け負わないんであれなんですが。
例えばでもですね、私これずっと最近考えるようになってきてるんですけど、精神病院に通うのを伴奏してほしいっていう仕事があれば私はやれるかなーって感じがしているんですね。
だから一緒に行くとかじゃないですよ。でもずっと通っているんだけど、色々何が不安かわかんないけど不安だから、カウンセリングをしたいわけじゃないんだけどこの相談に乗り続けてほしいみたいなのが、それをやるには贅沢な金額なんじゃないかって思うんだけど、だけどこれをでは安くしましょうっていうのも変な気がするんですよ。
そうだな、やっぱちょっと変な気がするんだよねっていう感じですよね。それがいるかって言われると、でも私は自分の身内が精神病院に通いきれてないっていうケースを知ってるんで、いる気がする。
まあつくんなら贅沢かもしれないけど悪くはない気がするんですね。なんかこうエドマイズしに行くからその相談に乗りますっておかしいと思う。確かにおかしいと思うんだけど、でもこれ心理臨床の世界ならばありかなと思う。確かにこれは週に2回やることではないです。各週でいいんじゃないかなーぐらいな感じのことではあります。
ただなぜそれは各週なのかっていうのに対して自分ではうまく答えられてないんですよね。確かにうまくは答えられてない。でも回数だけの問題じゃないですよね、これはね。
なんかこう今の日本の心理臨床会の現実を考えてみると、ずっと精神科に通っているんだけど、そして仕事もしてるって感じがするんですよね。そういう人はいらっしゃると思う。仕事もしてるんだけど、なんかこんなにこの薬飲み続けて大丈夫なのかとか気になるし、だからといって辞めるのも不安だし、
っていう話を随時相談できる人間が、AIでもいいと思わなくはないんですよ。でも人間がいるといいなーみたいな、そういうこの種のことについての勉強って気が進まないと思うんですよね。
3ヶ月チャレンジの意義
だって私、重症だったからしましたけど、アトピーの勉強って絶対気が進みませんでしたもん。自分がアトピーであるときにアトピーの勉強するのって気が進まないんですよ。医療の限界みたいなの、別に知りたくないじゃないですか。それってお前の病気は治んないぞっていうのを活字で追うことになりますからね。
でもこれ松木くによろさんが書いてたんですけど、医者になってみていかに不治の病が多いかにショックを受けたと書いてたんですよ。でもそういうそれが現実なんであれば受け入れるほかこれはないだろうと思った。つまり治せる病気なんて多くはないんだってことですよね。病気全体の割合として見ればってことですよね。
でもそれは医者がそれを知るってことはすごい大事なことじゃないですか。医者さんがそれを知ってるということは非常に大事なことですよね。でも我々は医療が進んだ国に住んでるから特になんでしょうけど、もう医学万能感あるじゃないですか。どんな病気になっても魔法の杖一つで治るぐらいなよほどの難病でない限りぐらいに思ってるじゃないですか。別は。ほとんど治せる病気なんかないんだみたいに思ってないじゃないですか。
その中でできることをするみたいな。だから最初から抑鬱ポジションですよね。ある意味では。でもそれはすごい大事なことだと思うんですよ。ものすごく大事なことだと僕は思うんですね。
よーく考えてみると、だってギャートルズの時代から人類は生きてきて、基本的にはそういう世界に生きてるわけじゃないですか。基本的には不治の病になるという前提で生きてるっていう、どっちかというと我々逆に思ってる。健康であるのが常識ぐらいに思ってるけど、そうではないっていう現実が専門家の方では実は共有されてるわけですよね。
心理臨床なんてある種マシテア感があって、わかんないですけど私はそこは専門的な勉強をしましたってわけじゃないかな。でも多分それに近いかそれよりも難しい状況にあって不思議な世界ではないと思うわけですよね。
だからそこで不安になるのは当然で、だから伴奏者っていうものに一定の意味が出てくるような気がするわけですね。
これも3ヶ月チャレンジ、3年やってきてようやくわかるようになってきたので、最初からそういうのやれよって言われても無理で、最初は全然これに今に比べれば何もわかってなかったような気がするんで、それでやってきたにしては、あの頃だからすごいサーカスだよなあれじゃっていう感じが。
じゃあ今はサーカスじゃないのかというと今はサーカスですが、当時は全くサーカスだと思わずサーカスやってましたぐらいな感じ。今はサーカスやってる気がしてサーカスやってますみたいな感じ。結局やってること変わんないですけど、そういう違いは少し感じます。
でもですね、じゃあそれは正規ならそうじゃないのかというと、これも最近成田さんの本読んで思うことなんですけど、正規もサーカスなんじゃないのっていう。サーカスの仕方は習ったかもしれないけど、綱を渡ってることに違いはないのではなかろうかというですね。
もちろん落ちないじゃないですか。サーカスやってる人っていうのは綱を渡ってたって素人とは違うんでそこは。でもそこまで技量の差と結果の差は同じじゃないと思うんですよね。技量には差はあるにしても落ちるときは落ちるじゃないですか。サーカスだって。落ちないことが確定してるわけではないわけで。
そういう、だからこれは悲観的に述べてますけどね。もっと楽観的な部分も多分にあると思うんですよ。特に私はその伴奏した上での精神科に通院の伴奏みたいなのはそんなに綱渡りじゃないと思う。
常識的にやれることと常識的に考えられることは一定の知識があればそんなに違いがあるとはさすがに思わない。ビジネス支援ですからねこれだって。ビジネスにビジネスパーソンがそれをやっていても別に何ら不思議はないと思いますし。
だってやっぱ保険効かないんですから3ヶ月チャレンジなんて。保険が効いたところで全額負担なんてありえないわけじゃん。でも保険なんか効かないんですから。何らかの形で適応はされてるわけですよ。最初っから。完全不適応なんだということは考えられないで。
いつも思うんですがこの言葉もすごくあやふやで。だって私なんか自分が適応的かっていうと疑わしいと思いますもん。会社に勤められない人間ですからね。いつもこれも思うんですよ。参加者さんの方が適応度は絶対高い。
だけど適応度とその場合何を意味するのかというと組織に集合でいけるかどうかで多分に測ってる部分が大きい。どんなに無理をされていたとしてもですよね。だって私無理してでもできなかったわけだから。これもいつもそう思うんですよ。ちゃんとした人が何かこう勲会を出すことによって人々が救われるというそういうモデルはもうファンタジーでしかないと思うんですね。
ただ一個で。でもだからといって単なる壁打ちの壁になってればいいってはずはないからやっぱり何かはちゃんとできなきゃいけないんだろうなとは思うんですよね。でこの何かが癖物だし本当にこれの何かが癖物なんですよ。
で今メニューを増やすって言ったってそのメニューはなぜそのメニューをどういう根拠でどういうインフォームドコンセントの世界ですよね。でもインフォームドコンセントは無理ですみたいなことをいろいろな方が心理臨床じゃなくても本当は無理なんだよみたいなことをあのボソッとっていうのか知りませんが活字にして藤原直樹さんなんかは借りている。お医者さんですからねもともとね。
そっかーって思うんですよね。結局打ちまくってあるよなっていうね暴露じゃないですけどね。
今日は悲観的な話が多いんだけどでも私は今結構楽観的に物事を進めようとしてるんでなぜ口をつく言葉が悲観的なことばかりになってるのかなっていう感じはするんですよね。
やっぱり私は3ヶ月チャレンジを拡充したいんだなっていうのはもう明快にあります。で明らかに求められているものの一端にはこうそれをCBTって言うんだって言われると思うんですけど僕は違うと思ってるんですよね。その違いがうまく説明できてないんですよ。
CBTがいいとか悪いとか言ってるわけじゃないんですよ。違う気がするんですよ。ブリーフセラピーとかと。だってそれ名乗ればどうせ怒られるしもちろん名乗れないししかも僕は内心では似て見える部分が仮にあるものになったとしても絶対違うって思うんですよね。もちろんポストではない。ポストでもない。そうじゃなくてでも短期集中でまず適応を適応というものがなされている人の適応を支援する。
心理支援の未来
だからそれ自体は贅沢じゃないってことになっちゃいかねない気はする。でもそれは贅沢じゃないんじゃないんだろうかと。ただこれは長期にはこれこれ自体は長期には渡ってはならないと思うんですね。その後長期に変換されると変更されるということはご本人が望めもありだと思う。
だってそれはだってほらコーヒー一杯で済まそうと思ったんだけどやっぱりここでディナーを取ることにしました。全然ありじゃないですか。それは全然ありだと私は思う。それは主体的に変更されるべきものだと思いますしそれは可能だと思うんですよね。もちろんこのこちらいかがでしょうみたいなことを絶対言わないっていうのは私はもう諦めてます。それは無理なんだなと思いました。
その搾取とかサービスを押し付けたいってことではなくてここで何の提案もしないっていうのはそれはそれで全然誠実じゃないなって思うようにようやく慣れたんですよ。
いや実はすっげーお腹が空いていて周り店全部閉まってるんだけどうちあのフルコースをコーヒーしか頼まない人にフルコースをお勧めするのは押し付けだから絶対やめておきますみたいな。それはおかしいだろうとありえないことじゃないんであの今私はお腹が空いてるんだけどちょっと手頃なところが最近この辺も閉まっちゃってるんだよねみたいな。ありえるんですそういうことは心理人生界では特に。
まずそもそも今数が少なすぎるから依然としてそうじゃないと思われている方も一部いらっしゃるみたいなんだけどそんなことはないです。多くないですよね。
特にこうまだメニューを選ぶということが一般化されていない段階なんでだからあれですもん私の知る限りいろんな方がいらっしゃるけど世の中にはカウンセリングって言ったら一つしかないぐらいに思ってる方って今いっぱいいらっしゃいますからね。
そんなはずはないんだけどでもそうですからね実際には一つしかないなんていうのはこの世にラーメンしかないみたいな話ですから飲食店に入ったら絶対ラーメン食うことになりますみたいなそんなことあるはずないんだけどそういう風にだって病院行けばもうそうじゃないことって明快なんですけどね何かっていうのがいっぱいあるんですかでも我々は精神療法の世界においてあれを見たことがないわけですよ。
あのいわゆる中央病院みたいな病院に行ったときに内科あのがん科みたいなのを目にするじゃないですか子供ですらあれが我々がビジュアライズされてないんですよね。
もちろんあのものの本にも書いてありますよそういうことはcbt精神分析ポストポスト書いてるかどうかわかんないけどブリーフセラピーみたいなあるいはこう家族療法とか愛談者中心とかそういう歴史的な流れまで含めるとですねスキーマーとかいろいろあるというソマティックとかあるんだけどちゃんと目にすることができるんですけど病院では滅多にそういうものを目にしませんよね。
私たちはなんか店に入れば絶対ラーメンみたいに思ってしまっている人がいていや私ラーメン好きじゃないしみたいなそこで話が終わっちゃってるんですよね。
そういうことを含めてなんかこうもっとやれることがあるあるんですがあると思ってるんですがどうやればいいかで悩んでた回でした。
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