共感の複雑さ
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1204回をお送りします。
6月14日土曜日、8時ちょうどです。
いやー、なぜ今日までやってるんだっていう感じなんですが、まあ、はっきり言って子供の動きに合わせちゃってる。つまり今日学校があったわけですよ。
本当にもう土曜日とかまで学校やらないでほしいですよね。先生方お疲れ様ですが、本当に私は11時までは寝てるつもりだったんですけれども、こんな時間に起きちゃってますからね。
はい、ということで今日はでもさすがに、さすがにってわけじゃないですけど短めに終えようと思います。
これからいろいろとコマゴマとしたことがございまして、そうなんですよ、今日ね、全然関係ない話なんですけど、テレビが届くんですね。新しいテレビ。
うちの奥さんが、まあ私もそうですけど、目がね、もうそろそろ弱ってきていて、でかいの買い替えようとしぶとくおっしゃっていて、まあそうだなーって感じでですね、金もないのにでかいテレビを買うという。
うちの奥さんってそういう時に結構容赦ないと言いますか、有機ELで50インチとかめっちゃ高いやんと思ったんですけど、まあしようがないので買います。
だいたい私はですね、もう最近物欲も何にもなくなってるんで、いいんですけど、金があればいいんですけど、なんで、本当にこうどうするんだよって感じなんですけど、
めちゃくちゃ分割してですね、めちゃくちゃ金利の低い、そういう独特の家電とかだけ、これもいろいろあるんですけどね、本当めんどくさいんですけど、いろいろやってですね、サブスク化していくわけですよね、こういう時はね。
現金とか本当ないんで、シャレにならなくなるんで、まあまあ、ていうか世の中も現金請求するのやめろよっていう感じで、あと私、特にこう公的、純公的な機関がですね、公的な機関じゃなくて純公的な機関が、
クレジットカードはダメだわ、ゆうちょで絶対やれとか、本当やめてほしいですよね。ポイントつかないじゃないですか、ゆうちょとか。だからつかなくはないんですけど、ゆうちょがポイントつかないっていうのは嘘なんですけど、そうじゃなくてですね、私がやっているところで、ここでポイント貯めてるところで払わせてよっていう感じで払ってんだからさっていうね。
今や税金だってクレカで払えるわけですから、もう僕なんか税金とか昔本当になんで7万円を現金で徴収するかなとかすごい思ってたんで。
フリーランスってね、お金貯まりにくいですよね。なんか金の話ばっかりしてますけど、フリーランスって国がやっぱりね、なるべく会社員の方が票多いもんだから、会社員の方の色々と複雑な、日本の複雑な税制の中でですね、色々とあるんだよね。フリーランスはすごい黙ってると、そんなに稼いでないのにめっちゃ取ってかれるんですよね。何なんだろうなって思うんですけどね。
はい、ということで、ひとしきり叫んでみたわけですけど、要するに今日、まあそれでもめでたく、これで55インチのUKLで野球が見られるからまあよしとしようみたいな、そういう感じでして。
こんなことで時間を使うには今日はちょっと時間があんまないんですけどね。
今日は精神力道というのは、ちょっと共感という話から入っていきたいと思うんですよね。僕は共感というのはしようとしてるんですよ。藤山直樹さんの教えに逆らってですね。藤山直樹さんは共感なんか目指すな的なノリのことを書かれているし、それは全くその通りだと思うんですけど。
でも私は共感というのはですね、一応目指して、これにもいろいろ理由はあるつもりなんですけどね。ただ精神力道の側から観点を取ると共感というのはすごい怪しげなものに見えてくると。
新入社員の事例
これはですね、非常にいい事例が、最近藤山さんの本を読んでいて、いい事例が豊富にあるなと思ったんで、ちょっと軽く紹介するんですけど、今日はこういう軽いノリでいこうと思ったんですけどね。
要するに新入社員さんなんですよね。ちょっと父方の会社云々観音、偽装が入ってると思うんですけど、とにかく入ると。まあありますよね、そういうね、お父さんが偉い人になってる会社に入るの辛いみたいな。
でもその話に共感していくみたいな、そういう若い心理師さんの話。藤山さんがスーパーバイザーというたてつけでですね。私これ最初に読んだ時も別にこれ精神力道とかじゃなくて常識じゃねえかって思ったんですが、まあでも考えてみると心理師さんだってもしかするとすごい若かったりして、こういうことはむしろある意味分かりにくいのかもしれないというのはあったんですよね。
お父さんの会社に行く云々じゃなくてですね。いやいやこれは旧世紀なんだよっていう話なんですよね。まあそれはそうだよねっていうか、でもやっぱこれもその心理師さんがむしろ社会適応度の高い方の場合は分かりにくい話かも。私なんかもう会社に行くってなったら絶対体調おかしくなりますもん。
まあそれもどうかとは思いますけど、私なんかもう会社とかはっきり言ってめちゃくちゃ嫌いでしたからね。もうなんか行くとなったら全身から血が噴き出したって別におかしくねえだろっていう。いやまあその別に北斗の拳やってんじゃないから会社に行ったから全身から血は噴き出さないんですけど、でも僕の感覚の中でもそうなんですよ。
会社に行くとなったらですね、会社に行くことを逃げるために私がどれほど手を尽くしたかを考えると、会社に行く1週間前に調子悪くなるのは当たり前だよねっていう。これが分からないとどうなるかって話をある意味されてるわけですね。それを力動的に解説されてるわけですよ。
僕これ力動で解説するのは分かりやすいのは分かりますけど、力動は全くいらないとは思わなくはなかったんですよね。藤山さんが共感とはこういうややこしい罠があるんだみたいなことを書いていて、なんかちょっと力んでるんじゃないかって思うぐらい、僕はそれぐらい社会的に悪い人間だってことでもあるわけですよ。
でも会社とかは訳もなくサボってましたから、僕本当に。なんかこう、もう今日は行きたくないぐらいな勢いで、もう全然違うところ行っちゃったりするわけですよね。服は着てんですよ、一応ね。もうなんか大宮に行かなきゃいけないのに池袋行っちゃうとかね。本当になんかそれが狂気の沙汰だとかは一切思ってませんでした。当たり前じゃんぐらいに思ってましたから。
で、そういう時に僕がその日に提出しなければならない云々とかがあっても無視なんですよ、僕は。もう本当に。正気とは思えないかもしれないですけど、僕はそういう人間だったんでね。
あのそんな会社にね、ましてお父さんのそんなお偉いさんやってる会社に行くなんてとんでもないことであり得ないだろうってぐらいに思うんで、当然私はそれは力度いらないと思うんですけど、その心理師さんはいやそれはおつらいですねとか。
大体これのどこが共感だって思うんですよね。藤山さんも共感的に対応したって書いてあるんですけど、そういうのは営業スマイルみたいなものであって。おつらいですねとか、それは大変ですね、お苦しいですね、善意で言ってくれるのはわかるけど、それのどこが共感的なんだろうって思わなくはないわけですよ。私なんかそんなこと言われたってちっとも解釈しないですからね。
何が言いたいかというとですね、ここは力度的なんで、ここで見るべきはそういう旧世紀の生物学的な体調不良なんだみたいな。だから医学的マネジメントにも回すのが良くて、そうやってこう話にどんどん乗っていくと、訳のわからんことになるぞっていう話で実際なるという章例として出てるわけですね。
まあそれは最もだと。だからこれはある種の旧世紀状態にあって、で、面白いんですよ。やっぱりその新入、新人の、まあ新人のなのかな、まあ初心者的な心理師みたいな。初心者だって心理師なんだから、私から見ればいろいろ知ってるだろうって思っちゃうんですけどね。
まあその、どうも聞いててだんだん気が乗らなくなると共感する気がしなくなってくるんだっていう、きたんだけれども、そこを抑え込んで共感しちゃった。すでにそれは全く共感じゃないと思うんだけど、あのまあでもね、気づきにくいことってあるのかもしれないですよね。
私にやっぱりこの話ね、こうやって喋ってても、これは常識の息を出ないと思ったりもするんですけどね。まあそのね、体調がおかしくなりました、体はどこも悪くありませんと、まあ心理向きの話に一見聞こえますけれども、ある意味心理師に行く話じゃないんですよね、これっていうような話なんですよね。
だけども、だんだん不快にもなってくると、だから共感する気に乗れなくなってくる。つまり逆転医はちゃんと教えてくれてるってことですよね。その人が訴えているのは、精神力道なんで、分析なんで、力道的に見ていくんで、それは要するに藤山直樹さんの表現を使うとですね、藤山直樹さんの表現じゃないですけど、ある種の精神病部分の活性化なんだ。
精神病部分の活性化
つまり、旧世紀で体調が異変が起きて、脳も変調を引き出して、そのコンステレーションが動いていて、それによって精神病部分が活性化するということが起きると。
共感されると、父親の行くところでエリフス的で厳しくてさ、みたいな感じが変なノリになっていくわけです。想的になっていくわけですよ。それで妙に気負ってる感じがして、要するに薄っぺらいわけですよね。俗語で言うところのね。
だから、だんだん共感する気しなくなって、そこまでくれば心理師なんだから気づきそうな気もするんですけれども、なんかこの人、妙に変なノリだし、薄っぺらいし、共感する気しないんだけど、でもやっぱり共感しなきゃみたいになっているという話なんですよね。
本当それで私だったら辛くて、会社行ってるだけで偉いですよ、みたいなこと言うっていうノリなわけじゃないですか。それじゃダメだろうって感じは確かにするけど、それじゃダメですよねっていう話をのじやまさんがされていて、だから共感という罠みたいな話なんですけど。
私はもう50ですし、そういう社会適応も良くない人間なんで、こんな話に共感とかは、共感はするけど、いや共感は滅茶苦茶しますよね。むしろ私だったら、いやもうほんとそれヤダみたいになるけど、だからといってそれはお辛いですねとか、そんなことを言う気には当たり前ですけどならないと思うんですよね。
で別に力度を知らなくてもですね。ただ力度を知っていると、ここのところにつまりこの人は本来の人格はこうじゃないだろうなっていう当たりをつけやすくなると思うんですよ。
私はこれもつまんない話だとは思いますけど、タスク管理において特にタスク修道なんで、別人問題というのをよく言ってましたね昔ね。だから力度でもなんでもないじゃないですか。タスク管理でも言えることなんですけど。
夜寝るってなるとですね、ちっちゃい子供とか特にまだ寝ないとかって言ってるのに、朝になるといやもうちょっと寝かせてって言うじゃないですか。別人になっちゃう。我々は変動する生き物なんで、一貫性とかないわけですよね。
私はそんなこと言いませんでしたけども、守備一貫した私は一つの人格で頑張ってますっていう人を聞くとですね、この社会的な虚勢を販なきゃやってらんないもんなって思うか、そうなければこの人ちょっと政治的に少し厳しいのかもしれんとどっちかと思う。
要するにデフォルトとしてそんなことはありえないと思ってるわけですよ。そんなシンプルに純度の高い私が第一人格として頑張ってるんですっていうのは、本来あるはずがないと思うんですよね。
だってさっきのつまらない例一つとっても、夜の9時には寝たくなかった子が朝の6時には起きたくない子になってるわけじゃないですか。本当はもっと遥かに複雑なんで、でもこの種の逆転人格みたいなものはですね、普通に僕らしょっちゅう日常で、それこそだいぶ昔ですけどね、社会心理学者のダニエル・ギルバートだったっけ。
あの人がよく、アメリカ人は独立祭みたいな時にやたらと食べるわけですよ。やたらと本当に食べるんですよ。お前らどうなってんの。相撲鳥かみたいに食べるわけですよ。僕もパーティーに行って、なんとかプディングとかなんとかフィザーとかね、まあ食べるわけですよ。
で、二度と食べたくねーみたいなふうに思うと、ダニエル・ギルバート。でも来年になるとまた食うと。逆転人格ですよね。食べ物もこれよく起きます。賢者モードみたいなもんですよ。だから我々はいつもそういうふうに別人格が潜んでると思っていて、当然だと思うんですよね。
こんなに単純なところにもしょっちゅう、彼女が欲しくて欲しくてしょうがなくて、もう付き合ってください、どうしても付き合ってって言ってるくせに自分で振るみたいな。どうしても結婚してって言ってるくせに自分から離婚するみたいな。自分で自分のことが分かってないんですよね、私たちはね。
人格の逆転
これは私は別に精神力道とか言わなくても自明だろうと思うんですよ。当たり前じゃないですか、そんなことって思うんですよね。明日から毎日ランニングで走るぞって決めても、朝になってみると絶対走ろうとしてる自分はアホだったわって思うのが我々じゃないですか。
これはもうここからはもっと話は複雑になっていくわけですけども、私が人格Aを持っていたら人格マイナスAを持ってると思うべきなんですよね。だからその旧世紀の人格などというのは特に精神病状態が活性化しているわけだから、そういうのにむやみやたらに共感していくと、
本来のその人の健康な人格というものはむしろ共感できていないで置き去りにすることになってしまうんですっていうふうに富山さんが説明されていて、実に美しい説明で、それは全くその通りだろうと思いますね。
まあでも別にそんなこと知らなくったって、この対応があんまりよろしくなさそうなのはなんとなくはわかります。だいたいだから自分が不愉快だったり、共感できないなと感じているのにするのは、もはやそれは共感じゃないと思うんですよ。そういうのを共感とは言わないんですよね。
それはやっぱり営業スマイルですよね、さっきも言ったけど。私が共感というのを考えるときはやっぱりむしろ逆だと思うんですよね。福緑その人がジョージ・バーナード・ショーですね、劇作家の。言いました有名なセリフが有名だと思うんですけど、
人間というのは芸術家をその仕事の最高レベルのところで評価し、犯罪者をその人間の最低レベルのところで評価する、という有名な、僕は有名だと思ってるだけのかもしれないけど、セリフがあって、これはもう本当にそう思うんですよね。我々はそういう不公平さを持ってますよ。
我々大谷翔平さんは良いところしか見ないじゃないですか。でも彼は良いところだけでできてるわけじゃないと思うんですよ。結構微妙なところもあるはずなんですよね。でも我々大谷翔平さんは一番良いところしか見ない、見ようとしないんですよね。逆に誰でもいいんですけれども、特に犯罪者とかになってくると、その人がやった最も悪いところを見るわけですよね。そこを見てその人を判断するわけですよ。
だいたい人間はみんなその両方を混ぜたところにあるに決まってると僕は思うんですけれどもね。最低なところに共感するのか、最高なところに共感するのか、どっちをやったとしても、その人間の大半のことは無視することになるわけですよね。
だから共感ってのは、やっぱりそのあなたにはこういうところもあったんですねをひっくるめて共感なんだと思うんですよね。だから私が思う目指すというのは、目指しでもできないんですけど、1回ごとのセッションのそこに現れてるその人に共感しまくるっていうのではないんですよね。
僕がそこで思うのは、やっぱりそれは傾聴なんですよ。傾聴というのは、その人の一部分を傾聴してるわけじゃないですか。全体としてのその人は、その瞬間には見えてこない部分がどうせたくさんあるに決まっているんで、そこで語られているその人ですよね。
だいたい目つきとか、声の調子とかあるわけですよ。調子悪そうな日もあれば良さそうな日もあるわけですよね。そこのところで、この人今調子悪そうだなと。調子が悪いこの人をどんどん取り込んでいくと。
その時にその人に共感するわけじゃないんですよ。そういう面もあるその人に共感するっていうのは、共感っていうのはすごく全体的な方向を向くし、傾聴っていうのはある意味ピンポイントの方向を向くんで、僕はロジャーズですよね。
共感傾聴っていうのは、同時に2つ言われているわけがあると思うんですよね。真逆に近いことをやってると思うんですよ。ある意味。だから傾聴では何て言うんだろう。一点集中、情報収集型な感じなんですよね。
共感っていうのはどっちかっていうと僕の方から拡散的に発散していく感じがするんですよ。何かを目指すっていう方向は向けるんだけど、全体的なこの人に共感していこうみたいな。一致って言ったのはとても大事だと思うんですよ。逆転が告げてることが真逆なのに不一致してるじゃないですか。自分の中で。
相手に共感できないな。この人のこの言ってることは何かピンとこないなと。辛そうなんだけれども何かこう、むしろ不愉快だぐらいな感じがするのに無理やり共感しようとするっていうのは不一致じゃないですか。
だいたいよく、変な例で恐縮なんですけど、アダルトビデオとかで営業スマイルを振りまくお姉さんに、このお姉さんはきっと俺のことを好きなんだと思って、なのに別の男と歩いてるのを見て復讐しに行かれるみたいなわけわかんないストーリーがあるわけですけども。
でもですね、最近うまいんで結構これがうまくできてるわけですよ。ファーストフード店の営業スマイルですよね。それを真に受けちゃう主人公みたいに。そんな主人公に私は共感する気はしないんだけど、これはビデオなんでね。
でですね、大事なのはその時のその女の人は誰にでもそうしてるに決まってるじゃないですか。スマイルは営業なんだから。ですがっていうか、だからそこに一致はないわけじゃないですか。これを心理師がやるっていうのはおかしいだろうと思うんですよね。
これはファミレスとかファーストフードのバイトさんがやるのはそれは絶対そうするべきですよ。でも心理師がそれやっちゃダメでしょって感じが。営業スマイルじゃないんだからフィッチが中で怒ってるのにこんなおっさんがなんでポテト食うんだって思っててもいらっしゃいませこんにちはって言うべきですけれども、でもそれは心理師がやることじゃないですよね。
やっぱり何にでもとにかくむやみやたらと共感するっていうことをやられても納得できるもんではないですからね。相手も仕事だから大変だなとは思いますけれども、私なんかも数度かけて数度電話したり、それこそうちの憎しみのことでね、引きこもっていてね、統合失調の怪我あって妄想していて、
共感と別人問題
親も大変なんですよって話をして、お兄様の辛い気持ちは本当によくわかるんですみたいなことを言われても、仕事は大変だけとは思いますが、それに心を揺さぶられてっていうわけにはなかなかいかないですよね。だからその相手の方は心理師ではないんだと思うんですけど、この場合は。
無料だしね。あんまり無料の公的機関に過剰に期待していってはいけないとは思うんですけれども、私は。うまく使おうと思ったらああいう時にはですね、期待は3割ぐらいにしておいて、話をして。
何ていうのかな。過剰に期待すると1回で嫌になっちゃうじゃないですか、こういう対応されると。やっぱりこれ以上あんまり求めてはいけないんだという、これでもやってくれることをやってもらおうというのが公的機関というものを利用する時の基本だなぁとは思うんですけどね。
だからその、あれですよ。私の地元の図書館にビオンの本がないとか言ってブチ切れるのはダメじゃないですか。それと同じように公的機関に過剰に期待してはいけないと思うんですよ。話少しずれましたけれども。
そういうわけで共感というのは、私は別に藤山直樹さんの事例があれだっていうのでもなく、まして心理師さんが未熟だって話をしたいわけでもなく、要するに僕が言いたいのは、私がやってる共感を目指すというのはですね、必ずしも力動的な話ではない。
力動的な知見をベースにして私はサンチャルやってるわけですけども、必ずしも力動的な話をしているわけじゃないんだけど、共感するときは全体性に向かうよねってことなんですね。これはタスクシュート以来、私が別人問題を意識するとき、我々みんなある程度別人問題で苦労してるわけですから。
昨日あんなにあの仕事やろうと思ったのに今日この仕事やろうと思ったらもう全然先送りだわみたいな。これが別人問題じゃないですか。我々はたった一つの人格を放棄して日清になってそれで邁進してると思ってはうまくいかないと思うんですよね。別人がそこに登場するぐらいに思っておかないとダメだと思うんですよ。
そう思いますよね。別人になるじゃないですか、僕らはすぐに。その別人に共感していくっていうことが、別人を抱えてこの人生きているんだな、大変なんだなぐらいは思っていかないと。こんな人もこの中にいて、この人はこういう苦労があるんだ、こういう発見に共感していくみたいな感じがするんですよ。
だから慶長するっていう感じもあるし、だから早ければ早いほど効率的でカウンセリングいいじゃんみたいなのにはなかなか簡単には乗れないわけですよ。人格が交代する以上時間が必要じゃないですか。なぜ人格が交代するか、四次元だからですよ、この世の中がね。四次元だというのは我々が変化するということであって、その変化を図る尺度が時間と言われているものですよね。
今日はすいませんけど短く切り上げさせてもらいます。