タスクシュート協会のイベント
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1293回をお送りします。
12月11日木曜日、7時52分です。
明後日、タスクシュート協会の主催するタスクシュート総決算2025というものが開催されます。
私は司会をやる予定でして、司会をやるだけなんですが、
当日のお話ももちろん去ることだから、もしかして万が一これを聞いている方が、
何か私と話し込みたいというようなご希望を持っていらっしゃった場合、東銀座に来てくだされば話し込むことは可能です。
どうせ私は基本暇なので、何が暇かというと、登壇とかするわけじゃないからね。
司会をやるだけなので、別に話しかけていただければ何でもお話しますので、
秘密にしなければいけないことも職業から増えてきましたから、そっちの方はお話できませんが、
基本的にはどういうお話でも応じますので、来てくださればと思います。
AIのことも、私なりに最近ようやく何か出てきたわけですよね。
ずっとAIと仕事中はおしゃべりしてますからね。
これを人に理解してもらうのは困難だろうし、ビジネスショーにはならないだろうなと。
これによって何も早くならなかったので、今のところは楽になるのと早くなるのは全く違うことなので。
それはタスクシュートだけでもお祝いお伝えしてきてますけど、
でもやっぱりスピードハックスじゃないですか。
あの本だってタイトルだけで売れた部分あると思うんですよ。
あの本は僕は大橋哲夫の本だと思ってますけど、大変良い本だと思いますが。
とにかく非常によく売れたのはスピードっていう言葉と関係がないはずはないなって思う。
彼は仕事早いけどね。
でも私は楽に仕事をするためには時間をかけるしかなくて、
で、私はその方がよっぽど実は皆さんが望んでいることに近づくことができると思うんですよね。
要するに早く仕事をしたいってのはあれだと思うんですよ。
多くを早く稼ぎ、余った時間で楽に過ごしたいってことだと思うんですね。
これがそこを分けることによって実現しなくなるんですよ。
これをやると何が起きるかというと、すごい稼げる人が出てきて、
私はこれは世間で言われているほどダメじゃないと思うんですよ。
かなりそれは良いことでもあると思うんだけど、
その人はきちっとも楽な生き方はできなくなると思うんですよね。
本当に馬上馬のように過酷な方のね。
首相をやらない人はいいんですよ、それで。しょうがない。
首相なんだからっていうのはあるけど、
一般人としては多分そこまで自分を切り切りにさせない方がいいんじゃないかなとやっぱり思いますね。
続かないですよ。首相ってあんまり任期長くないじゃないですか。
そんなに長くやらせてくれないですよ。
他にもいっぱいやりたい人いるんだから。
みんなで超協力しますみたいなこと言うけど、
実はそうじゃないことはみんな知ってるじゃないですか。
だから一時的にめちゃくちゃ働くとかはあるかもしれないけど、
続かないですよ、そんなことやってたら。
なのでやっぱり続けなきゃならないから、仕事は。
楽にっていうのがものすごく大事だと思うんですよね。
僕はものすごく大事だと思う。
でもあれが楽ハックスとかだと売れないんですよね。
というか本出せないですよね、怖すぎて。
出版社的には。私的には全然いいんだけど、
出版社的には無理ですよね。
だからAIで楽をしてますっていうのは本にはならない。
伝えたいことはあるんですけどね、
ただ楽をするように楽をするように、
これは楽をするということが仕事をしないということとも全然関係ない。
私だって仕事をいわゆるニート系の方っていうのは
身内を含めて2名知ってますけど、
みんなめちゃくちゃ辛そうなんですよね。
あれはあれで楽なんじゃないですか。
仕事をしないから楽なわけでは全然ないと思う。
すごいその辺難しいんである意味では。
だから私はAIを素晴らしいプロンプトを書くツールにしない方がいいと。
でもこれはいつも同じことを考えさせられるんですよね。
タスクシュートをより多くの稼ぎを出すためのツールにしない方が。
稼ぐことは基本主義なんで結局は何が言いたいかというとですね。
稼げないというのは、逆だな。
稼げるということは何かをあっさり証明しちゃうんですよ。
オラガノキがモンスターで書いてましたよね。
ネクタイ1本締めればどこにでも出入りできるお菓子なもんだみたいな。
そんなことはないだろうと思うんですよね。
資格取得の意義
ネクタイ1本締めてほぼ裸同棲んじゃどこにも入れないと思うんだけど。
こういうことなんですよ。お金って結局。
もうあからさまでしょうもないことなんだけど。
でもそういうことってあるんですよね。
うちの指導業界の先生が言ってたんですよ。
先生は大変エドッコでおしゃれな人だったんで実に面白いことを言うなと。
よく大学生時代ですからね。思ってたんですけど。
めっちゃかっこいいんですよ。スーツとか着てね。
でも明らかにやっぱり時代からするとね。
おじいちゃんだったから誰もそれに対して。
しかもめっちゃ偉いんだよ。元学部長ですから。
誰もそれに対して何も言わないんだけど。
でもこのぐらいの時代になってくるとこういう格好は時代遅れなんだ。
というのはちょろっと時々言ってたんですよ。
要するにあいつはいつもスーツを着て何をこうなんていうのかな。
要するに着なったらしいよねっていう風にどうせ思われてるだろうけどって言ってたんですよね。
でもこのぐらいの年になってなんかこう着流しの格好をしていったら変じゃんっていうですね。
あの先生着流しの格好してもめちゃ人様になる先生だったんですよ。
でも確かによく言ってたのがこれは面白いなと思ってたんですけど。
そんなことを考えてると全く思えない人だから不思議だったんですけど。
あの食堂ってあったんですけど人数分なかったんですよね。
うちの学校って地方入試とかで結構うまくやってたんで商売が。
追いついてなかったんですよね。
この学生の規模を上げてくるのに対して設備が追いついてなくて。
とにかく食堂早く作れみたいなことを言ってて。
すごい不思議なことを言うとこの先生が学生の食堂の心配をすること自体が不思議だと思ったんだけど。
雨の日だっていうのに特に男子学生がここら辺が女子と男子の
ある種の要領の差なんですけど男子学生がカササしながら飯食ってやがると。
こにきじゃないんだからああいうことをさせるなっていう。
あれですよ本当にランチが130円とかで食えてた時代なんで別にそんな
なんていうのかな別に外で食ったって同じようなもんじゃんって感じもしちゃうんだけど
ちゃんとそこそこのものをそこそこのところで食べてますという
感じに自分が慣れるのが大事なんだみたいなこの先生のそういう持論なんですよね。
すごい面白いことを言うというふうに思ったんですよ私は。
だからあのそういうことってあの私はなんていうのかな
ほぼ考えない人間なんで未だに考えられないんですけれどもほとんどですね。
なんでこの話をしているのかを忘れつつあるんでやめますけど
まあいろんな意味でですねそのなんていうのかな
格好をつけるということの私にとってのそのややこしさというものを
この人とよく喋ってたんですけどこの先生とよく喋っていて
いつも自分はこの格好をつけるということについて実は
婚枠以外のものを何も持っていない気がするっていうのを
割とこう思い知った感がある話なんですね。
でこの話とやや飛躍があるんですけど最近もう本題に入ってますからね。
成田よしひろさんの精神療法家の仕事という面接と面接者副題
全く売る気がないんじゃなかろうかと思ってしまう。
申し訳ないけどすごい良い本ですね。
すごい良い本なんだなということがわかりました。
ただまたこれもそうなんだけどおすすめは別にしたいとあんまり思わないですね。
おすすめしたいと思わないっていうふうに言うのは良くないから
まあおすすめしておりますが何と言うのかなこの
この種の療法主に精神分析系の療法がですね
一体誰に向かって書かれているのかがよくわからない。
ただこの人にしてようやく僕はですね
今までとは全く違うトーンを見出したんですね。
この人が視覚について書いてるんですよ。コラボなんですけどね。
で視覚について書いてる
精神分析で視覚について書いてる方は基本的に絶対視覚がなければダメだろう
書いてるという思い込みが僕の中にあるんですね。
でも精神分析の視覚って謎極まりないんですよね。
謎ではないすごいきちっとしてるんだけど
でも日本で心理療法の公的な視覚は唯一公認心理師であり
あれと精神分析家庭あることは関係ないんですよ。実は。
全く関係がないというと語弊がありますが
その辺の細かな分かりにくい事情を
今日はこの話もしたいんですけど
お尻になりたい方は山崎隆明さんの精神分析の歩き方を
ぜひお読みいただくといいと思うんですけど
難しいんですよ。あの種の本、あの本もそう、この本もそうなんだけど
つまり一体全体これは誰が読むといい本なのかがよくわからない。
多分専門家だっていうことになってるんでしょうけど
専門家なのかなって思うんですよ。
じゃあ心理現象を利用する人が読むといいのっていう
読むといいですけど
別に読まなくてもいいような気もするんですよね。
基本専門家向けの本ですからね、確かにね。
面接と面接者。
でも面接する人向けの本ですよ、やっぱり。
ここにですね
成田さんっていう人はやっぱ僕はそういうタイプではないですけど
四角をめぐる連想。連想っていうタイトルにちょっともやっぱり惹かれるんですよね。
四角をめぐる何とかって言ったとき
四角をめぐる連想ってなんか変じゃないですか。
とにかくこの方はボイコットとかしちゃうんですよね。
博士号持ってないのかな。
博士号ボイコット運動とかにやってたらしいんですよ。
参加してるらしいんですよ。
あとですね、インターン廃止闘争とかにも参加
要するになんかそういうタイプなんだなって感じがするんですよ。
で、委員長先生とかには
どっちにしてもろくな人間ではないと思われてただろうっていう風に書いてるんですけど
要するにすぐ反乱とか運動に参加しちゃうタイプなんですよ。
つまり四角に向いてないですよね、多分。
で、絶対これはありえないっていう結論になってて
それが面白い、四角について。
精神療法化に関する四角ですよね。
要するに懇親心理士ですよね、今で言う。
で、四角を取った人はそれによって充足感を得
取らない人も業界で生きていくには困らない
そういう四角が良いと思う。
そんなもんないですよね。
できるわけがないと思うんですよね。
ただ、そうなってしまったら
やっぱりあんまり取る意欲が湧かない気がするんですよ。
やっぱりなければ困るから取るのであって
先に言って言うか、ご存知だと思うんで
一応全部言っておきますけど
私は四角ゼロですからね。
これ、ぜひチャレンジ参加する方
特に僕の本を買ってくださる方もできれば
意識しておいてください。
僕四角ゼロですからね。
つまり心理療法化、医学にとは関わらず
四角というものは持っていません。
私が持っている四角っぽいものは
唯一英研の二級だけです。
これだってどこにサーティフィケーションあるか
もう分かんないから証明はできないです。
持ってますけど、たぶん。
学士は持ってますけど、二つね。
学士を二つ持ってるというのは
大学出たってだけですからね、要するに。
心理学士と
何なんだろうな、あれは
外国語学士っていうのかな?
日本ではそういう言い方はしませんよね。
外国語学部卒業って言いますよね。
は持ってます。
それは資格なのかな?分からんけど。
でも資格じゃないような気がするな。
スキーのライセンスは取りたかったんだけど
取れませんでした。
これが一番資格に僕の中で近づいた
ものですね。
今ではライセンスなんてとんでもない
っていうぐらいし、全く滑れない
資格を取ることの難しさ
わけじゃないだろうけど
自転車と同じで
このライン以下になることはほぼない
っていうラインはできますけど
ライセンスは取れませんよね、そんなんじゃ。
他に資格
取ろうと頑張れば
運動系の救命は取れるかもなっていう
だから運動ばっかりですね
はっきり言って。
頭で生きてる人間のつもりなんですけど
基本的に取れる資格は
運動系ばっかりなんじゃないかという
気がします。
取ろうという気はないですけどね。
つまり
購入心理師ではないし
精神分析家ではないし
臨床心理師でもないですし
今後なる可能性も
ないでしょうね。
ゼロだと言い切ると何が起きるかわかんないから
頭を打って急に資格とか
取り出すかもしれないんで
ゼロではないですが
ゼロに限りなく近いですね。
別に反発するわけじゃないですよ。
僕はボイコット運動とかにも
参加したことないですから。
成田さんほど気骨があるというタイプじゃ
僕はないんで、気骨とか全然ないんで
骨もないんじゃないかぐらい
気骨とかはないんで
ないんですけど
だからと言って
資格も取れないんですよ。
取らないわけじゃないんですよ、別に。
取れれば、くれるんだらもらうと思うんだけど
くれないんで、僕には。
大学院とかも出てないですし
出れる気がしないんですよね。
出れる努力が
途中で
ふにゃっとなるんですよ、私は。
ふにゃっとなるというのがあるんですよね。
ですから
これを聞いて皆様はどう思われるか
わかりませんが、取れないと思います。
だから、くれるんだらもらいます。
だけど、くれないから
もらえません。
取ろうという気に
取ろうという気ってやつが
ないんだな、私はな。
食おうという気はあるから
食えるようなことはしますけど
そこでとどまっちゃうんですよね。
まず資格取ってからっていう
2年なり3年なりが
前にどんと
私と行動を
精神療法の受け入れ
開始するまでの間に
その間にしかもただただ
計算とか勉強とかをしなければならない
というこの感じがですね
僕は全くなじめないんですよね
実はね。
えーって感じしかしないんですよ。
で、終わっちゃうんですよね。
そこに
2年でこんな
覚えなければならないことが
いっぱいある本を読んで覚えなければ
いかんのですかっていう
だから私、ほら免許教授所って
そうじゃないですか。
運転がしたいのにその間に
割って入るようにどんと
これをやりなさいと
まあでも14日間
とかだからせいぜい30日間
長くかかっても60日でしょ
それならやれる。さすがに。
でもこれが3年
とかになってくると
とんでもないなっていう感じなんですよね
とんでもないなって感じなんですよ。
そういう人間は
ダメだなとは思いますけど
でもそんなにダメかなとも
思うんですよね。ここがまた難しいところなんですよ。
ということで
何の
話をしたいかというと資格の話をしたい
というわけでは必ずしもなくて
ですね
とはいえ私は
昔はさっぱりわからなかったであろう
この精神療法課の仕事を
なめるように読むんですよね。
そしてわからないというところ
ほぼ全くないんですよ。
とてもいい本だと思います。そういう意味では。
めちゃくちゃわかりやすい。ただ
わかりやすく書かれていることが
言ってみれば
面接における困難の話なのであって
ある意味
職業人のエッセイなんですよね。
それを読むことによって
ユーザーの人
つまり心理臨床をこれから受ける人が
これによって何か
何かにはなるんですが何になるのかが
よくわからない。
こういう真面目な人がいて
いいなあと思うか。
でもそれにしては
3000円近い本なんで
高いんじゃないだろうか。
少なくとも2000円は超えますよね。
で
臨床課が読むといいんですけど
私が読むといいんですけど
専門家の人にはこれは
千穀
わかりきった話ではないのかもしれないけど
なんかそんなに別に
専門的に難しい話が書いてある
という本とも違うんですよね。
コラムとはいえ
私はそういうインターン配信運動に
参加してたぞみたいなことが書いてあったわけで
エッセイですよね。
それを読んだからって言って
そうかって思うぐらいじゃないですか。
そういう本なんで
でもそういう本多いんですよ。
精神分析の本って割と。
別に精神分析のやり方で
ここここ考えるといいよみたいな
そういうことも書いてはいますけど
それって別に無のみにできるわけじゃないじゃないですか。
やってる人はよくご存知だと思うんですけど
別にその通りにやったら
上手くいくってものじゃないし
その通りになんかできないし
大抵の場合できないっていうのは
技術の問題とかじゃなくて
できないんですよその通りになんて。
だから
そうは言ってもねえみたいになる
わけじゃないですか。
だからこれって誰向けの本なのかっていう
本ってでもそういう本なんですよね。
僕が本読んで一番いいの本は
基本そういう本だと思ってます。
レシピ集は大事ですけど
本読むってのは
そういうことではないなって
よく思うんですよね。
本というのは万全と
景色でも眺めるように読むもんだぐらいに
思うんで
だから私
本のノートとかってまず取らないですよ。
線引くこともほぼないです。
やっぱ万全と読みますね。
万全と読むしかないんじゃないかと
思いますんで。
あと僕大体の本は最初から読まないんですよ。
この本もそうなんだけどコラムから読むとか
そういう読み方しかしない。
松木さんの本は例外的に
超大真面目に最初から読んでますけど
そういう時って苦痛ですね。
だから最初から最後まで読んだらやっぱり
同じようになります。途中を読むみたいな。
途中からしか読まない
みたいなことが起きます。
私あれ推理小説を途中から読む人間ですから
非常に読書家ではないですね。
読書家でありたいとも
全く思いません。
うちの父が読書家だったんで
なんかね家族は迷惑しかしないなって
よく思うんで
家なんて作られるとですね
汚いしね
すぐ汚くなるんで
本ってね
だからといって全然読まない
ってわけにもいかないし
結局本ばっかり読むような時期ってあるし
そこはもう
必要悪とまでは言いませんけれども
しょうがないなっていう感じ
全て電子にした時期もあったんですけど
この成田さんの本も
電子にならないし
電子にすれば電子にしたで
出すの大変だったりするし
個人的な経験と悩み
やっぱり制約がありますからね
本当に
難しいです
でも今度いい電子ブック買おうとは思ってますけど
話を飛躍させます
いつまで経っても
今日は全くこういう流れなんで
こういう日の方が
僕は喋ってて充実するんですけどね
実際にはね
なんとなくこれを喋ることが
なんとなく決まってて
こういうことを喋ってこうなりますっていうのは
事前に言えるような
良しとされてかつていたプレゼンのやり方を
やるというのを
あれをやっていると
なんかこう
実につまらないなと思いますね
だからつまらないことって
極力しない方がいいと思うんですよね
やっぱりね
それがどれほどのメリットになるのか
知りませんけれども
ほとんどの場合必ずしも
金銭的なメリットにすらなりませんし
つまらないことって避けたいな
と思いますけど私は
まあでもやんないわけにいかないことも
ありますからね
で山崎さんの本に移るわけですよ
これがタイトルになるんじゃないかと
喋る前思ってたのに
20分経ってようやく出てきたぜって感じですが
山崎貴昭さんの
精神分析の歩き方
あの本には私はですね
わりと衝撃を受けたんですよね
でも衝撃を受けるような内容が
どこにあるのかって言われると
本に
という感じなんですよね
で成田さんの本読んでても
必ずこういう気持ちになる
だから誰に向けてなんだろうって思っちゃうんだけど
いやでも成田さんに
精神分析受けに行くことはできないよな
って感じがするんですよ
このなんていうのかな
手の届かない独特の感じが
カウンセリングの本には相似であったんですよね
私の時代ってまだ
昭和なんで子供の頃
子供の頃からそういう本って僕なぜか読んでたんで
家が寺だったことは関係あるんでしょうけど
ピンとこないんですよね
でもねえ
とにかく読んでて
どっかではこういうことが行われてるんだろうなって
そう思いません
だって私の町は
市でしたけど
当時は少なくとも私が小学校の時代は
そんな
カウンセリングルームなんて
なかったですよ
なかったっていう地域の方が多くないですか
そこそこの
今思えばそこそこの人口の
そこそこの町ですよ
埼玉県の旭市ですよ
あったのかもしれないけど僕は知らなかったし
駅前に
平成になってできたのが
精神科のクリニックですよ
病院ですよね完全に
文字通りの病院
あそこに行くっていうのは違うじゃないですか
悩みがあるからってあそこ行かないじゃないですか
行くべきだっていうことなのかもしれないけど
よくほら
その頃ようやく
ちらほらと大都市に行くと
東京に行くとあったのが脳病院
でもそれは違うだろって思うじゃないですか
脳病院じゃないでしょう
私平成になって
中学高校はまさに平成になって
って時代なんですけど特に高校時代は
悩んだわけですよ
成績は悪いわ彼女はいないわ
体はアトピーだわ
誰も相談に乗ってくれないわ
っていうただ
ひたすらひたすらヤンキーみたいなもんですよ
ある意味友達と
公演とか
モスバーガーとかでひたすら
話し込む
今思えばあれがカウンセリングなんだけど
だから付き合ってくれる友達が素晴らしかったんだけど
でも彼も悩んでたから
僕なんかと喋ってたわけ
ここが問題なんですよ
当事者組織でしかないんですよそれは
2,3人のね
3人の場合もあったけど
頭が良くて勉強ができて同じか
先生の覚えもめでたくて
早稲田高校で
壮大の
推薦バリバリ狙っていてみたいな人は
私なんかとしては喋んないわけですよ
彼はそんなことでは悩んでないから
悩んでる日もあったら勉強してるから
これができないんですよ
僕みたいな人間は
悩みまくるから勉強とかできないんですよ
それが分かってないからとりあえずゲームとかして
これもカウンセリングなんだけど
ゲームとかしてダナドゥーとかやりまくってるわけですよ
その後イースとかね
あと三国志とか
公営のやつをやりまくるわけですよ
そして親はめっちゃ怒るわけですよ
だって赤点すれすれのくせにゲームしかやってないわけだから
それがカウンセリングだってことを
自己の経験と心の葛藤
誰も知らないわけだからね
親はアホだと思ってるわけですよ
親よりは賢かったんだけどね
勉強においてはって意味ですよ
少なくとも家の母よりは
圧倒的にできたと思うんだけど
そんなことは理由になりませんよね
28点とか
28点だと3か
3がつくとやばいんですよ
38点とかね
これならオッケー
僕35点とかは最高に気分上がりましたから
4だからね
3が3つ以上あると
流年なんですよ
そして容赦なく流年が出るんだよ
うちの学校とか
シャレにならなかったんで
絶対させないほうがいいと思うんですけど
シリーズなんで
僕は35、6点を取ると
ガッツポーズ感があるんだけど
親は怒るわな
で
こういうことをやっていて
友達としゃべるでしょ
ゲームするでしょ
あと
ダルトビデオ借りに行くと
これが未成年だから難しいんですよね
非常にいろいろと工夫しました
とにかくこの3つで
切り抜けてたわけだけど
どこにもカウンセリングとかないし
スクールカウンセラーとか当時いないですしね
何に自分が悩んでるかも
わかんないからもちろん行く気ないんだけど
でもめちゃくちゃ読んでましたね
で当時は全く
自己啓発的な
今思えばほんとあのまんま
そっちで頑張らなくて楽だったわ
とは思うんだけど
でも楽ではない
そのままかわいい俳優さんを見つけるんだけど
そしていくばくかは変わるんですよ
いくばくかは
マシになるんだけど
当時まだ何がどうマシになってるかは
わかってないんですよ
で結局
カウンセリングだと仮にしても
それで相応の成果を
僕が結果として収めることができたのは
松木邦博さんと
倉園慶三さんの
グッドワイブスと山崎孝明さんの
精神分析で歩き方を
なんていうか
木流に編み込んだ
編み込むとしか言いようがないんですよね
だからそれ読むと同じ効果上がるとか
いうことは言えないです
アトピーよくなったんだけど
難しいんですよそれは
ある一節を取り出してここが響きました
っていう話だとしても仮に
じゃあそこを読むと
アトピー治るのかってことにはならないじゃないですか
ならないんですよ残念ながら
ベータ要素の話を
僕なりに理解して
でもなんでベータ要素だけじゃ
ダメなのかっていうと松木邦博さんが
この世にいて
カウンセリングをしているっていうイメージが
僕の中でリアリティを結べないから
なんですね
それは現実感がないんですよ僕の中で
しかもどうせ受けにいけないじゃないですか
これがあるんですよ
どうせそれは受けにいけないってことは
ジャックと豆の木の
雲の上と変わらないんですよ
面白い話かもしれないけど
私は雲の上にはいけないわけじゃないですか
結局豆の木をよじ登ったところで
てか豆の木よじ登れないだろっていう
大宮駅に
豆の木ってあるんですけど
あれを見た時なんかこう
登りたいなこれって思った衝動を覚えてますけど
それぐらい私の頭の中でやっぱり結構
ある種のこう
精神病水準っていう部分が
非常にこう
うごめいていて
なんだろうその
苦しいとかしんどいとかではないんですよね
ただ
いざとなると
あらゆるエネルギーをそれが吸い尽くしていき
何もしたくなくなる
肌をかくぐらいしかやることがない
みたいなそういう感じ
これはもっと切迫してるんだけど
言うとこんな感じになっちゃうんですよね
これは河合駿さんの
永遠の少年とか
トリックスターとか言われても
自分と関係ないんですよね
だから話は面白いし
影確かに影なんだけど
影が私を覆ってるよなと思うんだけど
影が覆ってるよな
っていう感じで
影の幻想学を読むと
だいたいこのタイトルはなんで幻想学なんだろう
とか思いながら読むんだけど
それによって何かが解決した
っていうか
それによって何かが解決したっていう
現実的王道が
上がったかっていうと
微々たるもんですよね本当に
1メートル向こうに
行きたいんだけど
0.1ミリ前に進んだみたいな
感触ですよこれは
これは言い過ぎか
1メートル向こうに行きたいんだけど
2ミリ前に進んだぐらいかな
2ミリは言ってる感じしないな
1ミリぐらいだな
これがすごかったんですよね
松木さんの本は
この例を言うなら
1メートル向こうに進みたいときに
80センチ進んだ感があったんですよ
だってかわいい早尾さん
かわいい早尾さんがいけないわけじゃないですよ
どっちの方が本として優れてるかっていうと
かわいい早尾さんの方が優れてるかもなとは思います
あんまり意味のない比較なんで
やめときますけどね
でも僕の現実を動かすという意味では
2ミリぐらい前に進んでる
天王寺にクリニックあるよって言われてるんだけど
天王寺ってどこだよっていう
天王寺は知ってますよ地名はね
だけどそこに行って
カウンセリングを受ける
っていうのはもう僕にとって
雲の上に登るのとはまた
その割に私アメリカに留学とかしてるんですけどね
この辺の現実感の
よくわからなさですよね
たぶん家の影響なんですよこれは
まあそれはいいといたしましてですね
とにかく松木さんの本で
80センチぐらい進んだんだけど
到達はしてないんですよね
到達には何かが足りないんですよ
グッドワイブスで
踏破した感もあるんですけど
グッドワイブスはまたちょっと別方面で
踏破したんですけど
グッドワイブスはすごいんですよ
その意味では僕にとってはね
1メートルいったって感じ
1メートル越えたって感じだったんですよ
だからもう一時私ほとんどグッドワイブスな人になってたじゃないですか
それぐらい違いますよね
でもそれとはまた違う話なんですよね
で松木さんの本で
80センチで残りの20センチを
埋めてくれたのが
山崎さんの本なんですよ
でこれは何をやったかというと
現実だってことが
よくわかったんですよね
あれによって臨床の世界は
現実の世界なんだということが
雲の上の世界ではないし
リアルに行われているんだと
ここでようやく私は
その威力というものを
思い知るとともに
その限界というのを知った感じがしたんですよ
およそクリニックを受けても
おそらく何かが進んだ感じを得るのは
不可能か
本当に全く何も進まないだろうと
初めてそれが思えたんですよ
河合俳夫さんの本とか
昔読んだカウンセリングの本とかだと
全能感があって
なんかもうだって
気候で手のつけられない人が
バイク乗って
勉強するようになりましたみたいな
そういうすごいストーリーがあるわけじゃないですか
どこかバイクは子供の方に
情報され
でもその子は勉強して大学に行くようになって
今ではツーリングを彼女と楽しんでますみたいな
なんかその
すごい良いストーリーが描かれているじゃないですか
ただしそれがどこで行われているのか
本当に現実にそんなことがあったのか
物語でしかないんじゃないのか
っていう感じが
どこまでも突きまとう感じが
あったんですけど
山崎さんの方はそうじゃなかったんですよね
下山晴彦さん批判みたいなのが
ここいっちゃあれなのかもしれないけど
読書による自己理解
中身としてそういう問題からね
でその
下山晴彦さんの論っていうのも
多分
読んでいて
でも個人心理師ができたってことと
関係が深い深そうだけど
別に下山さんが喜んでるってこと
じゃないんじゃないんだろうかって感じも
するような
非常に作動していて現実的で
あの
どうにもならないな
なんかため息しか出ないみたいな
素敵ですよね
ファンタジーではないわけですよ
魔王みたいな本当に悪いやつとか
どこにもいなくて
で
勇者みたいなのが
全てを解決してくれるわけでも全くなくて
ただ
この中に松木さんの臨床とか
藤浜さんの臨床も入ってるんだもんな
っていう
現実っていつもそういう感じなんですよね
ため息しか出ないんだけど
そういうところがあるみたいな感じ
これは掴みきれない感じが
ずっとあったんですけど
なんとなくこう
掴んだ感じがあったんですよね
その
なんか非常にえぐい絵で
なんか精神分析
森林紹介の
勢力図みたいな
そういうのが図としてあるんですよね
紙の本の方ですけど
でなんかこうカラーで色分けとかまで
されちゃってて
ポツンと一人いるんですよね
九州の方にポツンといることになって
あれが僕には
あれだけではないんだけど
そのこの
精神分析の歩き方の中の
このいかにも
現実的な
よくだからつまりそういうことなんですよね
こういうことを
書くんだっていうのがしかも
若い方だったんで
若いんですよね山崎さんは
これを重鎮で
トップの最後の
もうすぐ
全てこの業界と関係なくなるし
いくらマッシングされても俺関係ないし
ぐらいな年齢の
80歳とかかと思ったんですよ
僕は
高垣っていう名前もすごく硬いし
そしたら違うんですよね
もう全然違うんですよ
僕より年が全然いってなくて
それにもすごいインパクトが
大だったんですよね
で
これを言うと非常に誤解を
与えると思うんですけど嘘ではないから
言っておくとアトピー治ったんですよ
これで私アトピーと
一生基本的に
おさらばできるって思ったんですよ
現実と向き合う
間違ってるかもしれませんけど
というフォローは入れたくないんだけど
でもそれ以来発症してないからね
全く
冬が来ても冬やっぱ弱いんですよね
乾燥肌だから
治せるって思った
って感じですよね自分の心の中で
自分で
自分でって言ったってさっきも言ったけど
1メートルのうちの80センチを
松木くにいろさんに追ってるんで
全然自力感はどこにも全くない
せいぜい僕の自力は
その本を見つけて読んだってことでしかないんですけど
言っておきます
っていうか断っておきますが
松木さんの本読んで
アトピー治るって話じゃないですからね
そこは
それをやりだすとどうしてもこの水を飲めば
何秒治りますの話になっちゃうんで
これは心理的な問題なんですよ
つくづく
その掴むっていうことが
リアルに掴む
だってアトピーはリアルだから
本当に
手とか足とかが赤くなったり
割れたり
血が出たり痒くなったり
それが全身を覆い始めると
いやなんですよ
で
その
顔とかも出したからね
今私の顔見ても
その痕跡も多分
多くの人は見つけないと思うんですけど
皮膚科の先生なら見つけられるんだけど
あの
へえ
と思いました
自分でも
そういうことなんだなっていう感じですね
グッドワイブス
精神分析とカウンセリングの重要性
倉津野圭祐さんの話は最近出してないからあれなんですけど
非常に大事なんですが
それは
メッセージだったわけですよね
理解というよりはメッセージだったわけですよね
メッセージのインパクト
それがよくするって感じ
でもそれは
よくするって感じだったんですよ
私の場合やっぱり
自分でそれを理解するってところに
行く必要があって
理解するという点では
倉津野圭祐さんの本がもうだから
8割を決めてたわけです
心身症とは何なのかということを
理解するには
あの人の本が
いつかの本が欠かせなかったんですよ
でも決め手に書いてたのは
それがファンタジーのように
どうしても感じられていたから
信じきれてないわけですよね
ファンタジーじゃなくて松木邦博という人は
本当にいるんだと
youtube見たってファンタジー感抜けなかったんで
本当にいて
ポツンといて
それが非常に納得がいったわけですね
そしてこの
非常に分かりにくい
なぜ私がカウンセリングというものを受けるということが
こんなに
河合浜夫さんの本をはじめとして
カウンセリングの本だけでも
100話有に超えている
僕読書家じゃないんで
100冊とかあるテーマについて本読まないんですよ別に
そんなことしたいと思わないし
何かのテーマについて研究したいとも思わないし
僕だったら
自分の病気が治ればよかったのであって
読んで治った途端に
やっぱ読まなくなったりするようなタイプの人間ですから
本が読みたいわけじゃないんでね
でも
他に方法がなかったから
youtubeとかもなかったし
youtubeじゃ無理ですけどね
カウンセリングルームもなかったし
浅川にはね当時は
本屋だってね本屋は
でもあっただけマシなんですよ今無くなっちゃいましたからね
うん
あとはだからひたすらアダルトビデオを借りるとかね
これが変に聞こえるじゃないですか
多分
でも私の中では同じことなんですよ
全く同じことだったんです
アダルトビデオを見るっていうのと
ゲームをするっていうのと
本を読むのが一線に並ばないはずがないと思うんですよね
私は
それを分けるなんていうのは
私の観点からすると
すごいナンセンスで
要はどれも
私の中の
現実には適応できませんという
問題に対応してるわけですよ
表面的に見ても
現実に適応してないから
だから現実に
例えばですけど
手を繋いで公園に行ってご飯食べてくれる女の子は
誰もいないから
ビデオを借りるわけじゃないですか
でも僕の場合そんなもんではなかったわけですよ
そういう女性がいないのは
ごく当然として
何人に声をかけても無駄であり
しかもアトピーなわけですよ
で
成績も良くないのに
大学とか行かなきゃならないし
その先には会社とかに行くことになってて
全然行きたいという
気持ちがみじんも自分の中にないのに
それらは全部
かなりの努力を要するわけじゃないですか
当時の感覚では
かなりの努力を要する
そしてその努力をする気はみじんもないのに
しないと大変なことになるっていう声だけが
あちらこちらから
合唱のように響いてくるわけじゃないですか
著書の影響
で
その悩みを相談するためには
カウンセリングっていうものを受けるといいんです
って書いてあるわけですよ
そしてこのどうしようもない現実が
一気に花開きましたみたいなことが書いてあって
そのカウンセリングルームはないんですよ
世の中には
僕の視点の中ではね
機会の中では
このなんか
シャミエルベゲットの世界みたいな
五道さんは今日来られませんみたいなことを
永遠に聞き続けなきゃいけない
五道は神ですよ
明日は必ず来るんでしょうね
必ず来ますって
期待だけ持たせて裏切るというね
これをずっと
続けられていたわけで
これが
つながるのに
40
47年
少なくとも45、6年の歳月を要することになるわけですよね
松木さんの
ベータ要素というものが
例え理解できなくても
これを理解するか
このままでいいかどっちか選べみたいなこと言われたら
理解するしかないだろうって感じなわけで
理解がしたかったんですが
理解したかったわけじゃないんですよね
結局ね
それを読んでもなお
ファンタジー感が抜けず
なんかだって
アルファ要素とかベータ要素とか他で聞いたこともないしね
なんかこう
結局これも信じても裏切られるんじゃないんだろうか
って思ったところに
あれが
精神分析のある方が
こう
ヒュッと
僕もだって山崎隆さんの
初の本ですし
タイトルには非常に惹かれたけど
いきなり買わないじゃないですか
他にも本いっぱいあるわけだから
松木さんの本なんかも
欲打つの精神分析
なんだっけ
あれは非常に
いい本でしたな
フル本で9000円とかで売ってるしね
いや買えないだろ
本一冊に9000円とかないわって
しかも中古だし
電子で出してくれよって
非常に重いですけれどもね
非常にフニャフニャと語りましたけど
今日は
このホッドキャストに
ふさわしい感じが
自分の中ではめちゃくちゃしてます